日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「休む」と白紙に戻ってしまいますよ

2017-02-28 09:21:59 | 日本語学校
寒い。晴れ。

いいお天気です。が、その分、寒い。放射冷却というのでしょうか、今朝は震えながらやって来ました。この分ですと、せっかく目覚めかけた「サクラ(桜)」も虫たちも、また穴の中に潜り込んでしまいそうです。

とはいえ、「啓蟄」は今年は三月五日とのことですから、まだまだ先のこと。「雨水」が過ぎたばかりなのに、もう「啓蟄」を思うとは、急きすぎでしょうかしらん。先だって、学生達に、「もう降っても雪になる確率はかなり下がってきた」と言ったばかりでしたのに…雪が降るかも…。

二月の中旬に、慌ただしくハノイを訪れた時には、田植えの終わった田や、あちこちでヒラヒラと舞っている「モンシロチョウjに目を奪われたものでしたが、こちらでも「ナノハナ(菜の花)」が、いかにもハル~と言わんばかりに、黄をはじかせています。寒いことは寒いけれども、確かに春なのです…みたいです。…今日のように寒いと、弱気になってしまいますけど。

さて、学校です。

友達がいるから(だから、友達と暮らす)と、電車通学をしている学生はやはり遅刻したり、欠席したりしがちです。寮から出ても、行徳駅の近くや学校の近くに住んでいる学生は、よほどのことがない限り、休んだり、遅刻したりはしません。

「遅刻くらいなんだ(別に困るわけではない)、「一度くらいの欠席で(大したことはない)」などと思っていても、週に一日であろうと休むと言うことはおおごとなのです。

前に発音に問題のあるベトナム人学生がいました。3日かけて発音の矯正をし、やっと聞き取れるようになった(まず音が聞き取れないのです。「な」も「ら」も同じ音に聞こえると言います)と思いきや、1日休んだ…で、翌日学校に来たときには、やったものが全て消えて、白紙に戻っています。で、またやり直す…。これをくり返しやってやっても、学生の方の根気が続きません。だんだんやる気が失せていきます。それもわかる…。

これも、発音だけのことではありません。漢字もそうです。1日書かないでいると、すぐに点があったのやらなかったのやら、長かったのやら短かったのやらと曖昧になっていきます。

それゆえに、まず、休まず学校に来るというのが、才能の一つと言ってもよいほどで、それさえできれば、「きっと上手になれるよ」と力づけたくなるほどのことなのです。

…ですけれどもねえ、昨年の学生達(現一年生、四月からは二年生になる人たちなのですが、彼らは、彼らの論理で生きているのです。論理というか、彼らの国の常識というか…。

学校に来ていない学生がいる。電話をかけ、寮の同室者に(その学生を)起こすように言っても、まず、起こさない。先には、「います」と言ったくせに、起こしに行くとなぜか「いません」になっていったりする。起こしに行ったらば「いないと言って」と言われたのでしょう。友達ですから(ここは強調して)その通りにします。

一事が万事です。なかなか拒否できないのでしょう。また拒否するなど考えることさえできないのかもしれません。人と人との関係が、私たちが考えているよりもずっと濃く、相手の反応如何で、あっちに流れ、こっちに流れしているのです。ルールに則って社会が動いているわけではないのでしょう。だから、とりとめがなく感じられるのかもしれません。

100年前も同じ、200年前も同じ、おそらく1000年前も同じようにして時は流れてきたのでしょう。多分、それはとても心地よいことなのかも知れません。その社会で、ある程度の資産を持ち、皆がやっているようにやっていけば、少しも不都合などない…のでしょう。

違う文化、違う血が流れていけば、きっともう少し、社会にメリハリがつくと思うのですが。…日本人が言うと少し変な気がするかも知れませんが、そういう日本人の私でさえ、こんなことを思ったりしてしまうほどなのです。

だって、大学に入りたいとか、専門学校に行きたいとか言うんですもの。夢は日本の会社で働くことなんて言うのですから、困ってしまいます。もとより4年か6年経てば、きっと変わるでしょうけれども。…この学校にいる間はまだ無理でしょうねえ。

彼らはごくごく普通のベトナムやネパール、スリランカなどからの学生達で、特別、言語的な面での才能があるわけでも、器用と言うわけでもないのです。地道にコツコツやっていかねば、漢字も覚えられないし、聞き取ることもできないのです。

時々、このことがわかっているのかしらんと思ってしまいます。一応、口では嫌になるくらい言っているのですけれども…私たち。

日々是好日
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寒いのですけれども、「ツバキ」の花がすっかり落ちていました。

2017-02-27 08:46:16 | 日本語学校
曇り。

「今日も寒い。まだまだ冬であるな」と思いながら学校に来たのですが、ふと見ると、「ツバキ(椿)」はもうすっかり花を落とし、「ウメ(梅)」の花も花びらが開ききっています。一歩進んで二歩下がるみたいな進み方でも、春は近づいているようです。

さて、学校です。

もうすぐ卒業しようという人たち、そして一年が過ぎようとしている人たち、一月に来たばかりの人たち。三つのクラスで授業をする機会があり、その違いに今更ながら驚いています。

卒業を控えた人たちも、あと半年…とまでは行かなくとも、あと三ヶ月ほどもあったら、かなり上のレベルにまでいけたのではないかと思える人たちが数人います。この人たちは、今、この時期に卒業させねばならぬことが本当に残念。

10月に来たと言うことは出発点からして半年ほども4月生とは違う。国で、ある程度勉強できるような環境があるならいざ知らず、そうでなければ、本当に不利。彼らの資質ややる気が見抜ければいいのですが、大学の方で。

とはいえ、あまり期待せぬ方が良さそうです。中国人なら上の大学を受験することもでき、そのときに見てくれる人に出会うこともあるでしょうが、そうでなければ、今の段階( 日本語レベル)で、それを求めるのは、ちと酷であろうというもの。

もちろん、その反対に、すでに、来日後三ヶ月か半年ほどで限界が来ている人もいました。適当に話すことができれば、それで御の字。文法練習や漢字の練習などは、けったるくて、やっていられるかというところなのでしょう。

10年ほど前はそういうスリランカ人ばかりで、本当に手を焼きました。はじめの頃は相手がそういう人たちだと見極めがつかず、ずいぶん無駄な努力を重ねていましたが、そのうちにこちらも知恵がついてきて、こういうのはある程度までは手をかけるが、それ以上はしないに限るということに気がついたのです。

親切で手をかけても、向こうにしたら、要らぬお世話。迷惑きわまりない、そのお節介は愚の骨頂というところだったのでしょう。最後には「自分は日本に来るために金を使った。その金が貯まったら、すぐに帰るから、勉強などはしたくない」とほざくような者までいましたね。

こちらも、教えてなんぼ、教えられてなんぼの世界ですから、学ぶ気が無い連中とは共通語がないのです。向こうだって、金をくれるアルバイト先やビザの関係で世話をしてくれる人とはある程度の関係を保とうとしていたようですが、教員なんて、稼ぎもできぬ、役立たずでしかなかったのでしょう。

「努力」を求める方が、どだい無理なのです。それなら、なぜ日本に日本語を学びに来たかと責めたくなるのですが、それを言い始めると、いたちごっこ、堂々巡りが始まります。拉致が明かないのです。勉強に来たわけではない…のがありありとしても、なかなかそれは言いませんもの。彼らからすると、「うそも方便」なのでしょうけれど。

とはいえ、「仏のうそを方便と言い、武士のうそを武略という」のとは違います。もちろん、来てしまえばもうこっちのもの。あとはアルバイトをし、楽しく遊べればそれでいいのでしょう。進学のために日々精出して勉強し、進学のために、節約して生活し、アルバイトの金を貯金するなんて、馬鹿者のすることくらいに思っていた輩もいたようですから。

こういう「大人」は、学校には向きません。

本当に向かないのですけれどもねえ。

日々是好日
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またまた冬になりました。北風がビュービュー吹いています。

2017-02-24 08:29:33 | 日本語学校
曇り。

今日も風が強いです。北風。北から吹いたり、南から吹いたり、北風将軍と南風姫が押したり引いたりしあっている様子が目に浮かびます。そして南の姫がいずれ勝つのでしょう、だんだんと「サクラ(桜)」を思って気もそぞろになってきましたもの。

暖かい日は少し浮かれて花の木の下を歩きたくなってきます。花はまだ固いつぼみのままで、花の面影を辿るくらいのことしかできないのですが。

「ハッと気づけば満目の冬」ならぬ、満目の「サクラ」となってしまえば、残念なこと。一分咲き、二分咲き、三分咲きと愉しむことができるというのも、サクラならでは。この楽しみも捨てるなんて、悔しい限り。とはいうものの、たいていは「ハッと気づいて」、終わりなのですが。

さて、学校です。

最後まで勉強を続けている人たちは、それなりのことはありますね。昨日、残った二人と彼らの国の文化について話していたのですが、他を知らぬ故、何が自国のものであるのかがはっきりしないのです。大きくこういうグループに属する(であろう)というのさえ、しかとは掴めていないのです。

だから一人が自分の国の様子を言えば、もう一人も驚いて「えっ」ということになる。ずっと「自分の国は他国と違っている。自分たちだけが優れていて、こうである」と誇りをもって思っていたのに。「えっ。あなたの国もそうなのか(これは自分の国だけのことではなかった…)」と半ば…がっかりする。

人間が考えつくことなど知れています。一世紀に一度(現れる)という天才でもない限り、頭がよいと言われても知れたもの。ましてや隣国であったり、地勢的に近いところであれば、互いに影響し合うというのは当たり前のことで驚くには値しない。昔は山を越すよりも海を渡った方が楽であったでしょうから、思いもよらぬところに思いもよらぬ片鱗がうかがえたりもする。

今、学校にいる学生達の大半は、自国に対する誇り、驕りをもってやって来ています。「自分の国は、経済でも、科学技術の分野でも遅れているから頑張らなくちゃ」なんて殊勝な心がけで来るものはほとんどいません。

そこが日本のかつてと違うところなのかもしれません。日本人は他国の人が発見するまで自国のすばらしさに気づかなかった…劣っているところ、遅れているところばかり気になって、だから、頑張らなくちゃとなっていた。

もしかしたら、彼らに足りないのは、そこなのかもしれません。

日々是好日
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「モモ(桃)」の花の、季節になりました。

2017-02-23 08:20:46 | 日本語学校
今、春の嵐が吹き荒れています。曇り。

午前中は雨で強風とのことでしたから、これから雨がまた降り出すのかもしれません。

昨日のお天気予報では、以上のようなことでしたので、今朝は外をうかがいながら、いつもより30分ほど早く出てきました。おかげで、穏やかな春風のもと、心地よさを感じながら自転車を走らせることができました。いつもの時間でしたら、エッチラオッチラ、この強風と戦いながら自転車を漕いでいたかもしれません。下手をすると転倒してしまったかもしれませんし。

さて、学校です。

大学入試を控えている人たちと大学や専門学校入学を既に決めた人たちに、「N1文法」や「大学入試用の読解」などを教えているのですが、少しずつ参加する人は減っていきます。「やはりな」という感じがするのは否めないのですが、続いている人を見ると、これもまた「やはりな」なのです。勉強が習慣付いているのでしょう、おかしな言い方ですけれども。それに学ぶのが嫌いではないのです、この人たちは。

おそらく他の学生達と同じように、学校に来る前は「あああ、まだ早く起きなくてはいけないのか」とか、前日のアルバイトが夜遅くまであったときなど、「もう少し寝ていたい」と思うであろうに。けれども、同じなのはここまでで、来てしまえば、積極的に勉強するのです。ここが違うのです。

で、来ている人たちのことです。この前の「問題」に、日本の伝統行事や、季節の花のことがあったのですが、四季の花でひと揉め。

なにせ、日本人から見ると「四季のない国」からの人たちです(2、3度涼しければ、それが冬と言う)。季節の移ろいで、木々の姿も変わり、咲く花も違っていくというのがどうも身体で理解しがたいことであるらしく、なかなかこれが覚えられない。

おかしなことですが、「春は暖かい、夏は暑い、秋は涼しい、冬は寒い」を暗記させたこともあるのです。「理解は必要ない。日本にいれば直にわかる。今は覚えろ」と言って。

まあ、彼らの国は、年中同じような気温ですから、何ヶ月前に植えたかは大切であっても、四季のいつ咲く花であるかはあまり話題とはならぬらしい。

で、花の順序、「ウメ(梅)」、「モモ(桃)」、「サクラ(桜)」と教えていきます。今はとても便利になって、すぐにスマホで調べられますから、学生達は早速、花の姿を探して出して、なにやらかにやら言っています。ただし、やはりまだ植物図鑑には及ばぬようで、こちらもヨッコイサとばかりに重い図鑑を抱えて説明していきます。

だって、「ウメ」も「モモ」も「サクラ」も同じに見えたようですもの。首を傾げているので、すぐにわかります。図鑑では一目瞭然、おまけに説明まで添えられていますから、わかりやすいのです。

一人が言います。「これ、妙典にありました(ちなみに、妙典駅は行徳駅より一駅西船橋寄りです)」すると、「えっ。どの辺り?」と聞く者がいます。で、どの辺りかを答える。何となく2年目ともなりますと、こういう普通の会話がスムーズに聞こえてきます。

そうですね、この辺りでは、「ウメ」が終わり、「サクラ」はまだまだ蕾を固くしているものの、もう「モモ」の季節になっていますね。

「文法」と「問題」が終わったら、ちょこっとDVDを見せます。コンピューターを勉強したいという学生達がいた頃には、そういうものを準備していたのですが、彼らにとってはこういう授業は重荷だったのでしょう、直に来なくなりました。

今は、「能」、「歌舞伎」「文楽」をちょこっと見せたり、日本の社寺仏閣、城などを見せたりしています。そう、昨日は、一昨日キョトンとしていた「ガラパゴス」を見せたのでしたっけ(もちろん、これは例外です。今は日本のものだけに的を絞っています)。

ただ、私も彼らの国の文化をそれほど理解しているわけではないので、日本文化への切り込み方があまりわからないのです。どういうやりかたでやれば、彼らが少しでも理解しやすくなるかという…。

それで、悪く言うと行き当たりばったり、まず見せて、彼らの反応を伺いながら、手探りで教えていく。あるいは、彼らから何かが引き出せればそれについて話していくという形でやっています。

もっとも、こういうことがきっかけになって、「私の国では…」というのが、いくつか出てきましたから、こういうのも無駄ではないのかもしれません。

日々是好日
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今朝も、寒い。まだまだ、冬です。

2017-02-22 08:57:46 | 日本語学校
晴れ。

寒い…でも、昨日や一昨日のような風は吹いていませんから、比較的楽なのです…自転車に乗っていても。

春はお天気が変わりやすく、今日は、五月並みの気温でも、明日は真冬に戻ってしまう…こともよくあります。だいたい、それでなくても冬の寒さに慣れていない南国からの留学生たち、風邪引きさんが続出するのが常のはずなのですが…、なぜか今年はあまり風邪引きさんが目立ちません。冬を楽しんでいるのかしらんと思えるほど。

さて、二月も中盤を迎え、「(二月も)逃げる姿勢」がありありと見えています。三月を目前にしますと、「日本の学校は四月入学である(日本語学校も当然そうであろう)」と信じている向きから、「四月から勉強したい人がいるのだけれども…」という電話がかかってくるようになりました。この学校は1年に四度、留学生を募集している関係で、それほど四月に拘らなくともいいのですが。

とはいえ、留学生の質が高いと(条件が「N5合格」ですから)、入学してもついていくのはちと辛いでしょうし、その期の学生がいないと、次まで待たねばならないことになってしまう…ので、四月が狙い目となるのでしょう。専門学校や大学、大学院は四月入学がほとんどですから、2年前の四月に入学しておけば、1年半ほどで試験を受けられるという計算になるので。

そういう、電話で申し込んでこられた方には、まずは来校し、授業を見てから…と答えています(何せ、教師と学生との、あるいはやり方との相性というものがありますから)。ところが、中には、いくつかの日本語学校に断られたといって来られる人もいるのです。

「ゼロからはちょっと…」と言われたらしいのですが、「ゼロからはちょっと…」という言葉はあまりいただけませんね、。「ひらがな、カタカナくらいはできていないと、ついていけないかもしれませんね」くらいの方がいいでしょうし、まずは見に来て「こりゃあ、ついていくにはたいへんだ」と本人が思えばそれに越したことはない。

どちらにせよ、在日の方であれば、留学生のように「最長二年」という制限があるわけでなし、本人に根気と経済的な余裕さえあれば、のんびりとやるもよし、それは本人の問題でしょう。

それでふと思い出したのですが、中国人だけが行っている日本語学校に入れた人がいたのです、妹か娘かを。それが二年経っても、成果が上がらず(多分、話す聞くはうまくなれたでしょうけれども)、それで、この日本語学校でもう一度やらせたいと電話をしてきたらしいのですが、私が「お国は」と聞くなり、ヒステリーを起こして、(「インドだ」と言ったのか「パキスタンだ」と言ったのかは忘れましたが、どちらかの国でした)「インド(パキスタン)じゃ悪いか」と怒鳴り始めたのです、電話の向こうで。

こちらは何が何だかわかりません。だって、この学校にはインド人もパキスタン人もいましたし(留学生も在日も)それぞれ、みんなと楽しく勉強し、きちんと卒業したり、大学に入ったりしていましたから。それを言ったのですが、聞き耳持たぬようで、前の学校の悪口やら日本人の悪口やらを喚き始めたのです。「それは前の学校とやってくれ、こちらは関係ないだろう。勉強したいのなら見に来て自分で決めればいい」と言って切ろうとしたのですが、「なぜ聞かないのか。私は電話代を払って電話している。私はお金をはらっているんだ(私にではありません。電話会社にでしょう)お前は聞くべきだ」とまた喚くのです。聞いてやっている相手(私)の時間はどうなるのだろう(本当に無駄)はわからないようで、もう、「勉強する気が無いのなら、話しても無駄だから」と切ったのですが、…まあ、いろいろありますね。

一言付け加えておきますけれども、インド人ないし、パキスタン人もこういう人たちばかりではありません。礼儀正しい人もいますし、もちろん、この学校の学生達には問題はありませんでした。この人も、かっとなって地が出ただけなのでしょう。異国では何事によらず、オブラートで包んでおかねばならぬことも少なくないのですがね。相手が女とみて、かさにかかってきたのでしょう、まあ、女性に対しては評判の悪い国ですから。

私から見れば、そういう中国人ばかりの学校に入れた「アンタが悪い」なのですが。誰も責任はとりたくないようですね。

それはさておき、大切なのはやる気、そのやる気が生まれるところの目的。それさえしっかりしていれば、本来なら、「あいうえお」からでも問題はないのです。逆を言うと、一番困るのが、それほどやる気もないし、目的もなしに来たという人。この場合は留学生(在日の人は一ヶ月と持たずにやめていきます。難しいと言って)ですが。

日本に来るまでは、「行くんだ」とある程度頑張って「N5試験」に合格した。…これも、聞くと上手にカンニングした人や、試験問題に出そうな所だけをつまみ食いして教えてもらい、それだけをやって来た…という人もいるようで、彼らの国でなされている試験はもしかしたら、「温情」の上に成り立っているかもしれず、来日後、「本当に『N5』レベルであろうか」と思われる人も少なからずいて…実際、ちと困っています。

そういう人は来るのが目的ですから、来てしまうと、さてとアルバイトを探します。アルバイトではお金がもらえますから、少なくともアルバイトには「お金をもらう」という目的がある。ところが勉強は掬っても掬っても指の間からこぼれ落ちてしまうようなとりとめのなさがつきまとうので、どうもいけない。実態がないモノに慣れていないのです。

こういう人にはしょっちゅう試験をして、「10点だった」「5点だった」とやってやれば少し小目的ができるかとも思うのですけれども、本来ならわずか1年半ほどで大学にやらねばならない人もいることですから、そんな時間はあまりないのです。もちろん、無駄な時間とは言いませんけれども。そのクラスがそういう人たちばかりであったら、やらぬよりはマシでしょうけれども。

但し、そういう人たちばかりと言うことはあり得ないのです。やる気のある人、非漢字圏の学生でも、1年半ほどで「N2合格」が目的である人もいる。それにそんな試験をやっても端っから心を動かされない人たちだっている…。となると、やはり本人の問題と言うところに落ちてくる…。大変ですね。今の一年生ももうすぐ2年目を迎えます。やる気と能力という観点から見てみると、三手か四手に分かれているようです。我慢の限界が来たというところでしょうか。でも、もうちょっと頑張ってほしい…。もうすぐ留学試験や日本語能力試験の申し込みが始まります。それでパリッと初心に戻ってもらいたいのです。

日々是好日
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春一番が吹くかも…。

2017-02-17 08:34:49 | 日本語学校
晴れ。

今朝も白い月を追うような形で学校へ来ました。月も諸人に追われてちょっと乙な気分になっているのかもしれません。

寒い、寒いと思っていたら、もう九州では「春一番」が吹いたそうな。そして、こちらでも昨日から「春一番」が待たれているそうな。

「ウメ(梅)」の花も座を追われ、すぐに「サクラ(櫻)」の花に座を渡してしまいそうな感じ…。

昔は「サクラ」といえど、これほど華やかなものではなかったでしょうから、「ウメ」としても、「サクラ」「サクラ」と人々がもてはやすのを聞いて、心穏やかならずであったでしょうね。

さて、ウメと言えば菅原道真公、なにせ、神様になった方ですから、徒や疎かにはできません。とはいえ、九州では道真公といえば、梅ヶ枝餅のほうに向く向きもありますから、まずは食い気なのかもしれません。

…実はやっと少し歯車が回り始めたような気がしています。

12日にハノイへ出発し、14日に戻るというベトナム学生達の面接の旅を二人でしてきたのですが、その数日前、風邪を引いてしまって。ずっと「ゴホン、ゴホン」やっていました。熱があると空港で止められるかもしれぬし、ゴホンゴホンは(座席の)ご近所様迷惑であろうし……考えることは、いろいろとありました。が、まあまあ、つつがなく行って帰ってこられたわけですから文句もないのですが。戻ってきてから、どこかぼんやり…で、何事も滑ってしまう…。それが、やっと今朝辺りから、ギーコギーコでも、回り始めたような気がしています。

もちろん、歯車といっても、私一人だけの、ちっこいもののことなのですが。

ベトナムも、もう適当に日本に行って小銭を稼いでもどる(のが目的)という人たちは来られなくなるかもしれませんね。日本語学校を終えて、あるいは途中で企業に就職できたという人は、やはりある程度日本語ができていますもの。

とにかく日本に留学という建前で、アルバイトに励み、稼いだ金で国でいい顔をする人はかなり少数派になっています。こちらも、はじめの頃は人を見ることができなくて、半分ボケみたいなことをやっていました。

少し経って「頑張ります」と面接で言っていたのは、あれはアルバイトのことであったのか…と、思うようになったのですが、最初は、「国で諸般の事情から勉強ができなかったのだろう、気の毒な」と、本当に物知らずだったのですねえ。向こうの方がかつての中国留学生と同じく、したたかでした。

けれど、こちらも場数を踏んでくると(もちろん失敗はあります。初めての学校は失敗が多かったですね)、だめ出しができるようになりました。それまでは、会ってしまうと、少し気の毒になったりしていたのです。

この「気の毒」が曲者。「次に会うときまで頑張ることができたら」と言った方がよかったのでしょう。だいたい、「勉強に来る」のではない人たちは、この「次」はありませんもの。三ヶ月どころか、一ヶ月ももちませんもの。次に会っても同じレベル(ひらがなも満足に書けない)で会いに来るか、あるいはすぐに現地の日本語学校をやめていますもの。勉強をする習慣がほとんどないのです。

それに、ベトナムでも本当に日本語を教える学校が増えました。現地で日本語の需要がかなりあるのでしょう。ただそれ故に日本語ができる人が引っ張りだこになり、教えるのが大学生というところもあるようです。これは中学生が小学生を教えるようなもので、あまり褒められた傾向ではありません。

流暢に話せる人、書ける人は事務方に走り、比較的下手な方が教師となる…ようで、これはちょっと困りますね。とはいえ、実入りのいい方にできる人はいきますから、止められないのかもしれません。もちろん、「志」などという古い言葉を持ち出すつもりはありませんが、ちょっとそれがあるといいななどと思ってしまいます。

ハノイで学生達に約束してもらったのは、2年間は帰国せずに勉強に励むということと、寮から勝手に出ないこと。

目先のことに釣られて、出てしまい、結局さまよい人になったり(今日はあの人の所、明日は別の人の所というふうに)、学校に来なくなったりするのです。寮に住まなくていいのは、兄弟が近所にいて、一緒に住む場合のみです。そうでなければ、本来二人しか住めないところに何人も一緒に住み、それがバレて追い出される…か、あるいは、途中で仲違いして、四人で住めばと目論んでいたのが、二人になり結局は高くついたり…。

そういうのを嫌と言うほど見せられていますから、もし勉強に専念したいのであれば、2年ほどのことですから、寮に住んだ方がいいのです。引っ越しで学校を休んだりすれば、それだけ勉強が遅れますし。

でも、いつもくり返されることです、こういうことは。こういう国では、約束事はあくまでも約束事で、それほど守らなければならないことであるとは、考えられていないのでしょう…。そうでしょうね、中国人の時でも、保証人になってもらっていながら、平気で部屋を又貸しするような手合いがいましたもの。

日々是好日
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今朝は、寒いです…。

2017-02-09 08:49:15 | 日本語学校
曇り。時折小雨。

明け方の雨が、霙であったのかどうかはわかりませんが、今現在は、ほんのちょい雨になっています。降っているのかいないのか、しかとはわからぬほどの雨なのですが、しかしながら、触れば冷たい…。

今週、多分日曜日にやられたのでしょうね。風邪がひどくて、どうも参っていました。やっと少しずつ眠れるようになってはきましたが、早朝、まだ咳き込んで目覚めるという感じ。明日、もう一度病院へ行き、薬が合っていなければやり直すとのこと。まあ、眠れるだけましになったかというところなのですけれども。

さて、大学入試や専門学校の入試を控えた人たちが、まだ頑張って勉強しています。『坊ちゃん』を今日と明日とで終わらせれば、「N1文法」はできるまででいいので(数人、「N2」の日本語能力試験に合格はしていないので)それほど頑張らねばなどとは思っていないのです。

それよりも、大学に入った後のことが気になります。それから大学に合格できても「(入学式までの)宿題」が与えられている場合、そちらの方も気にかかりますす。

で、それらに関係のある、先進技術のものや、日本文化に関するもの、つまりはDVDなのですが、それも見せておきたいのです。

ただ、他の教員も経済や経営のモノを見せたいと意気込んでいますので、二月中旬以降は、時間の取り合いになるかも…なんてことも考えています。もちろん、まだ試験を受けていない学生には、面接や試験準備もさせておかねばなりません。

けれども、なんですねえ、この時期になっても、毎日学校に来て勉強しているという学生は、やはり勉強が好きなのでしょうねえ。もうかなり「ニホンゴ」ができていますから、読んだものに対する意見も、彼ら自身の言葉で言えますし、疑問を呈することもできます。もっとも、それよりも、些細なことに驚いて、それから話が弾んで、別の発展を見せたりすることの方が多いのですが。

この別の発展が面白いのです。どんどん発展していき…というよりも、枝葉のほうに彼らの好奇心や関心はあるようで、その、彼らの好奇心や関心を、こちらが聞いていくと、初めて気づかされるようなことも多々あるのです。

「へえ、こういうことに興味があったんだ」とか、「へええ、こういうことが知りたかったんだ、見たかったんだ」ということがわかり、残された時間、少しでも彼らの気持ちに応えたいと思うのですが…。実際は、まだ読解力もついていなければ、語彙数も足らないので、なかなか彼らの期待に応えることはできないのです。

最近、合格したばかりの学生は、合格してリラックスできたからということもあるでしょう、これまではあまり自分を出さなかった(あるいは出せなかった)学生が口を開き始めたということは。

それに「文学」というのものは、「外国人相手の本」とは違って、深めていくことができますし、それぞれがそれなりの「感想」を持つことができるのでしょう。こちらが思いもしなかったような「案」も出てきたりするのですもの。まあ、今度の場合は『坊ちゃん』だったのですが。

けれども、こうやって、彼らも少しずつ、「ニホンゴ」というよりも、日本文化に触れていき、そして少しずつ日本を理解していくのでしょう。やはり、いくら「ニホンゴ」を勉強していっても、結局は文学作品を読まねばわかりませんもの、「日本語」は。

日々是好日
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最後の追い込みです

2017-02-06 08:38:20 | 日本語学校
晴れ。

まだまだ肌寒く感じられるのですけれども、朝すでに10度を超えているとか。本当でしょうかしらん。…ダウンはまだ手離せません。

今年はどうも「ウメ(梅)」の花と「カワズサクラ(河津櫻)」の便りがほぼ同時に届くことになりそうで、「観梅会」へ行ったものやら、「桜狩り」に行ったものやら、迷ってしまう人も出て来るかもしれません。

でも、いいですね。花の便りで迷ってしまうなんて…。

さて、学校です。

入試を控えている学生の、最後の追い込みが今日から始まります。かといって何か問題集をやるというのでもなく、「N1」文法は毎日進めていくのですが、それと同時に、漱石の『坊ちゃん』の続き、それが終わると、ある大学の入試の過去問をする…それくらいのものなのです。もちろん、合間合間に面接の練習も。

実際に「Aクラス」と「Bクラス」の学生を一緒にして、こういう授業をしたことがこれまでなかったものですから、ちょっと大変であろうなという気がしています。

資質的にはそれほど差があるわけではありません。初中級では同じように授業を受け、同じように答えていたのですから。けれども、いろいろな理由で半年ほども勉強に集中できなかった、あるいは、上のクラスと同じ教材で授業を受けずに、比較的復習の多いクラスに行き、「N2」は自分でやっていた…となると、やはり差は出てきますね。前へ前へ、先へ先へとやっていたクラスと、幾度も振り返り、復習を多くやらねばならなかったクラスとでは。

私は両方とも授業に行っていたのですが、どちらのクラスももちろん、個人的な差はあります。が、遅刻せずに勉強に集中できる人たちが多いクラスにいた方が、それは効率的に勉強ができます。

上のクラスでやってみないかと勧めても、いやいやと尻込みしていれば、やはりそれなりの差として出てきます。

実は先だって、2、3週間ほど、ある大学を受けるということで、「Bクラス」の学生を数人、「Aクラス」において、しばらく授業をしていたのです。「Aクラス」の授業ですから、「Bクラス」の学生に何かを指導するときにも、つい「Aクラス」に対するときと同じような口調でやってしまいます。すると、向こうが困ってしまいます。しまったとこちらも思ってしまいます。

差は歴然たるもの。自分では「他の学生よりもできる」と思い、「一人でも文法くらいできる」と思っていても、できてはいないのです。まあ、人間万事塞翁が馬です。「失敗しなければ成功もできないだろう」で、これが教訓となってくれればいいのですが。

なにせ、ここでは、狭い「日本語」の分野でやっているだけですから。

日々是好日
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昨日、二年生が「朝日新聞社」へ見学に行きました。

2017-02-02 08:29:59 | 日本語学校
晴れ。

風が強く、体感温度はグッと下の方になっていることでしょうね。

風がないと、自転車で「楽勝だ。ルンルン」といきますのに、風が強いと踏み出しには「ヨイショ」とかけ声をかけながら、リキを入れなければならないような状態になります。

まあ、それでも学校では「ウメ(梅)」五輪ほどの暖かさが見えていますし、早咲きの「カワズザクラ(河津桜)」の開花情報も流れています。「一月往ぬる、二月逃げる、三月去る」で、一月は往んでしまいましたが、まだ二月は逃げていません。

さて、学校です。

昨日、二年生が「朝日新聞社」へ見学に行ってきました。築地あたりで、少々飽きた学生もいたようでしたが、それも小さな店ばかりが並んでいる(…市場を見せるような時間はない…)と思ったのかもしれません。今、盛んに取り沙汰されている移転問題も、彼らにしてみれば、「どこの町の話」ぐらいにしか感じられないことでしょうし。

引率の教師の話では、新聞社内の見学では、案内え嬢のよろしきを得て、学生達は大いに愉しんだようです。

ずいぶん話も弾んでいたそうで、毎年のことながら、こういう「見学」で「対話」をしている姿を見る機会がありますと、やはり伊達に勉強してきたのではないということがよく判ります。アルバイトをしながらの勉強は、かなりしんどいこと。特に高校を出たばかりの学生にとっては、最初は「寂しい、寂しい…」の連続だったでしょうし。

中には、辛くなって落ちていった人もいますが、それでも、まだ毎日学校に通ってさえいれば、それなりに言葉が耳に残ります。

新聞社で撮ってもらった写真と記事は、例年のごとく戻ってきた教員が玄関に貼って、皆に見てもらえるようにしてあります。今朝の朝刊に、記事もちょこっと出るはずですから、それも楽しみにしておきましょう。

ところで、残されていた一年生たち、午後のクラスの学生達のことです。

「CDクラス」の学生達は、目敏く昨日のことを見つけていたものの(カレンダーに印をつけていますから)、先だって、自分たちに関係がない…と言うことを聞いてわかっていましたので、もう知らん顔しています。このCDクラスは大半が昨年の4月に来た人たちですから、二年生が卒業しますと、彼らが一番の先輩ということになります。

拗ね方や質問の仕方などはまだまだ現二年生に及びませんが、きっと来年の今頃には彼らのように、日本人と愉しく問答ができるようになっていることでしょう。

日々是好日
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