日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

『さじ加減」の難しさ。「何事もほどほどに」の大切さ。と同時に、「ほどほどにしない」ことの大切さも。

2018-05-29 08:15:50 | 日本語学校
曇り。

ムシムシした日が続いています。九州地方も四国地方も梅雨入りしたとか。関東地方も今週、梅雨入りするかもしれないとか…。

今年は例年よりも早め、五月中に梅雨入りするのは数年ぶりとのこと。

ところで、「今年は…」とは言われても、どこからが、本来の「異常気象」であって、どこまでは、通常の「お天気は気まぐれだから」と、構えていられるものなのか、そこいら辺りが、実際、よく判らないのです。

専門家や、報道機関が、「異常だ」と騒げば、お天気のデーターを律儀にとって、コツコツと調べるような習慣のない一般大衆は、「そうか、異常か、大変だ」となるのも当然のこと。

もとより、温暖化は進んでいますし、決してそういう現実を見て見ぬ振りをしているわけではありませんが、(何か言わねばならぬから、言っているだけであろうに)「大変だ。大変だ」と旗を振られてしまうと、自分たちまで大仰に騒がねばならぬかのようになってしまって、却って、困ってしまいます。「何事もほどほどに」というのが、一番難しいのでしょうが、できればそうして頂きたいものです。

さて、学校です。

この「さじ加減」の難しさというのは、教育現場でも同じことで、もし10年ほど前のように、大体いつも、同じ国から学生を集めていれば、それなりに、相手の国情や国民性などは,感じ取れていますので、問題となった場合でもそこそこ対処出来るものなのですが。

ところが、初めて(その国から学生を)入れるという場合、本などである程度の知識は入れていても、そう自在には動けません。まずは、「観る」しかないのです。相手の話を「(相手が言いたいだけ)聞く」しかないのです。そして、どこかしらで「ストンと落ちた」と思えてから、行動するしかないのです。

その(黙って観、聞く)過程で、こちらが黙って聞いていることをいいことにして、噓八百を並び立てる人もいますし、己の立場をよくするために他者の中傷を言い募る人も出てきます。そういうのに、躍らされることなく「耐えて見聞きする」というのは、案外に辛いことですが、どういう場合であっても、その間は、とにかく相手を「善」と観て、対するという心構えが肝心なのです。

この「忍耐」が、長くて半年、短ければ3、4ヶ月ほど続きます。この時期が終われば、「さあ、始めるぞ」で、言いたい(言うべき)ことも言い、遠慮会釈なしで、スパッと相手を切ってのけることも必要となれば、やります。

外国人同士(私も、こういう時は、自分を外国人と見ます。相手だけが外国人ではないのです)のことですから、相手のことばかり慮って自己主張が足りなくなれば、却って相手のためにもなりませんし、日本の事情ばかり語って、相手の話を聞かなければ、相手の行動への理解が不足してしまいます。

もちろん、こんなことをしながらも、相手を理解するための行動は続けていかなければなりません。それに、「○○国から来ているから」と、十把一絡げに決めつけるのもおかしいこと。何より、個別の違いというのもありますから。ただ、お国柄というのは、確かにあるのです。そして、それさえ掴めてしまえば、あとはその他の国から来ている人達と同じに扱って、困ったことはないというのも事実。

それは語学教育という狭い世界でのことだからできるのでしょう。もっと手を広げたら、おそらくは、やっていけないでしょうね。

日々是好日
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また、スリランカの学生が、豚肉を食べて、トイレのお友達になってしまいました。

2018-05-25 09:11:44 | 日本語学校
曇り。

早朝、厚い灰色の雲が空を覆っていました。今はもう強い陽が射してきているようですが。来週、沖縄も梅雨入りをするとか。本当に、もう、そんな頃なのです。

野山は、きっと新緑に輝いているでしょうね。この辺りでは、落ち着きの見える緑になっていますが、野山では同じ緑でありながら、こうも異なって見えるのかと不思議に思われるような景色が広がっていることでしょう。あれだけの緑があれば、それだけの花がある。背高い木々が空を埋めていれば、あちこちから鳥が飛んできて、縄張りを主張するもの。

日が陰れば、大きな動物も徘徊し始めることでしょう。

とはいえ、全くの野に放り込まれれば、人は生きるすべを知らぬという点では、飼い慣らされた動物と同じ。エサの採り方がわからないようなものは、野垂れ死にするしかありません。

さて、学校です。

来日後一年を過ぎても、留学生達の食生活は、自国のものから、なかなか離れられないようです。スリランカの学生がお腹を下すときは、たいてい、生の魚を食べたときか豚肉を食べたとき。それでも、レストランなどでアルバイトをしている学生は、日本人との接点があり、食事を誘われたり、賄いを一緒に食べたりすることもあるのでしょう。2年目が近づく頃には、「好きなモノ」と問われれば、「マグロ」と答えられるような学生も出てきます。

それにひきかえ、ネパールの学生は、本当に寂しい。

中国はもとより、ベトナムでも北から南まで野菜に溢れていますから、食生活は本当に豊か。スリランカは宗教上の理由か、あるいは単に習慣からか、肉類は余り口にしないようですが、果物は豊富。

どうも、ネパールの食事は、それらの国に比べれば、単調であるような気がします。そのうえ、異国の食べ物に対しても少々腰が引けて見えます。

これは食事だけでなく、一事が万事ということなのでしょうが。

スリランカは数百年も、異国に占領されていましたから、そういう国の文化は、彼等が否定していても、自分たちのモノより、上に感じられているようです。同じ理由からか、あるいは開放的な国民性からか、フィリピンも他国のモノに対してそれほどの拘りはないようです。ベトナムもフランス文化の名残りがかなり残っている…ような、気がする。

ところがネパールは?

インドでもなし(インドとは違うと言います)。中国というよりチベットに近いのか。

どちらにしても、それほどバラエティに富む食生活であるようには思われません。

山国だからかもしれません。日本だって一昔前は、山国の食事は、平地のものに比べれば、か遅れていたような気がします。…そう言うと怒られるかな。山菜あり、鳥や獣、川魚あり…でも、肉は食べられていなかった…はず、昔は。

海の近くは、他国のもの(新しいもの)を取り入れるのに、それほど躊躇しない…気がします。もとより、皆が皆、そうというわけではありません。私だって好き嫌いはかなりあります。

とはいえ、沖縄の人はどこへ行くにしても、海を渡らねばなりませんでしたから、京都へ行くのも、異国へ行くのも同じような感覚でしたろう。

こういうネパールの若者が、日本の食事に慣れたと言う頃には、きっと日本人の他の習慣にも慣れているのでしょうね。

日々是好日
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今度の課外活動は「鎌倉」です。6月のことになりますが。

2018-05-24 08:42:06 | 日本語学校
快晴。

昨日は雨でした。予報通り、昼少し前から降り始め、午前の学生が帰る頃に、ちとばかり雨脚が強くなり、みんな大騒ぎしながら帰っていきました。午後の学生達のころは弱まっていましたから、午前中の学生達ほどのことはありませんでした。

天候の不順に因るのでしょう、グスン、グスンさんがあちらでもこちらでも見られます。とはいえ、息せき切って学校にたどり着いた(?)人もいて、そういう人達は「暑い」を連発しています。

教員が「冷房を入れますか」と問うと、途端に騒ぎの声が二つに割れるのが面白い。だいたいは、女子の声が(大きかろうが小さかろうが)、…「勝ちます」。ところが、昨日の朝はよほど暑かったと見え、その女子たちまで、…「暑い」。「寒い」と言ったのは一人だけでした。でもね、多数決です。たった一人ですもの。しかしながら、皆、その少数意見を重んじていると見えて、「暑い」の声がだんだんか細くなっていきます。

こちらから見ると、「寒い」という学生は、エアコンの風が届かぬところへ移動すれば済む。で、「あちらへ移れ」と言いますと、これが途端に「暑いです」。

まあ、そんなわけで、無事に事なきを得ましたが。

さて、課外活動のことです。

5月は、入ってすぐに、「浅草寺」へ 行きました。で、6月です。今年は「鎌倉」の番。ただ鎌倉行きの日にちは、「アジサイ(紫陽花)」の開花状況に、左右されますから、直前までなかなかきめられない。

今年は「サクラ(桜)」も、例年より早かった…。「シバザクラ(芝桜)」も「フジ(藤)」も早かった。「バラ(薔薇)」も(今年は)、遅咲きも、早咲きも一斉に咲き始めているということで、どうも少し早めに行かねばという気持ちになっています。でなければ、鎌倉へ行ったはいいけれども、「アジサイ」の花を楽しめなかったということにもなりかねません。…ということで、6月の第一週に行くことに決まりました。

そういえば、前に、終わりがけに行ったことがありましたっけ。その時は、だれもそれほど花に詳しくなかったようで、何の不満も出ませんでしたが、教員の方は忸怩たる思いに…。もっときれいなんだけれどもなぁ。本当なら、もっと喜んでもらえたであろうになぁ…。

もっとも、最後の「海」で、皆は大喜びでしたから、花は関係なかったかもしれません。

私にとって、海は本当に身近な存在で、子供のとき、よく潮干狩りに連れて行ってもらったものでしたし、小学校の頃には、毎年、海で水泳の練習なんていうのもありました。

だから、山に行く方がよほど楽しかったのですが、大人になって少し世界が広がりますと、中学校になって初めて海を見たという日本人もいることを知りましたし、それどころか、海を見たことがないという人達も世界中にはワンサカいることも知りました。

学生を連れて鎌倉の海に行ったとき、「どこまでが海ですか」と聞かれ、絶句したことがありました。アメリカまでと答えるべきか、南米で地震があったとき、日本にも津波が来るから、チリかペルーと答えるべきか、それともメキシコかな。でも学生の知識には限界がありますから、彼等がよく知っているハワイと答えるべきかと悩んでしまったのですが。…もっとも、これも一瞬のこと。「遠くまで。遠く、遠く、ずっと遠くまで、海です。海はとても広いのです」。

そう言えば、数十年も前、中国の僻地を旅行しているとき、出会った中国人に聞かれたことがありました。「お前はどこから来た」「日本から来た」「…そうか。上海の近くか」「日本は中国じゃない。別の国だ」

笑い話のようですが、実際、このとき私も驚きました。中国では子供から大人に至るまで、反日教育がなされていましたし、一週に一回ほどの映画会でも、嫌になるくらい抗日戦争のものがどこかで開かれていました。

だから、日本という国名に反応できない人がいるのが驚きだったのです。けれども、考えてみれば不思議でも何でもないことなのかもしれません。日本人が中国に来ているということが信じられなければ、国名のほうの日本とは思わなかったでしょう。同じ発音の田舎であると思ったかもしれません。

新疆ウイグル自治区などを旅行しているとき、少数民族に間違われることがありました。その時は偶然に、フランスに留学している台湾人とアメリカに留学している台湾人の二人組に出会い、共に行動していたのですが、彼等が台湾人だと知ったバスの乗客が、彼等の中国語を褒め、「お前達の中国語は上手だ。中国人と同じだ。それにひきかえ、この二人(私と友人です)の少数民族は変な中国語を話す。まったく少数民族と来たら」と言ったのです。

当時、あの辺りを旅行する外国人は稀でしたろう。だから、同胞であるというより、「(台湾人という)外国人」に感動して、褒めたのでしょう。そして少数民族に対する蔑視が漢民族にはありますから、私たちを貶めたのでしょう。

その台湾人が笑いながら、「私たちだって、いつも中国語を話している。中国人だ。彼等は日本人で外国人だ。私たちが中国語がうまいのは、あなたたちが中国語がうまいのと同じ理由だ」と言ったので、バスの中は、し~んとなってしまいました。

多分、彼等が外国人を見たのは初めてだったのでしょう。ちょっと気まずくなりましたが、悪いのは向こうであって、私たちは(それまで、バスの中でも)嫌な思いをさせられていたのですから、知らん顔をしていました。明らかに話しかけたがっているのはわかりましたけれども。

まあ、鎌倉行きで、学生達が喜ぶのは海ですね。それも判っていますけれども、少しは鎌倉文化にも触れ、記憶に留めて置いて欲しいものです。

日々是好日
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皮肉が通じるようになりました。

2018-05-22 09:21:06 | 日本語学校
快晴。

週に1日か2日、雨か曇りの日があり、それ以外は晴れ。暑い。ただ朝晩が20度とはならないところが、夏と違うところ。

そろそろ、梅雨が始まりそうです。「ホタルブクロ(蛍袋)」が花をつけています。子供のころ、どうしてこの花に気がつかなかったのでしょうね。遠足で山道を歩くことだってあったでしょうに。

さて、学校です。

昨年の10月生に手を焼いています。スリランカの学生も大して勉強はしないのですが、ヒアリングはよく、それが日本での生活を楽にしています。ところがネパールの学生は、ヒアリングもそれほどよくはないのです。その上、勉強しないところはスリランカの学生と「どっこいどっこい」ですから、大変です。

それでも、一年間、きちんと学校に通っていた学生は、それなりに聞き取れるようになっているので、最近は皮肉も言い甲斐があります。

これまでは、皆に言うつもりで一人に言っていると、ほかの人はよそを向いたり、他の人とコソコソ話をしたりしていたのが、「あれっ」、「しまった」という表情をするようになった。

きっと国では叱られたり、皮肉を言われたりしたことがあまりなかったのでしょうね。そういう、いわゆるいい子なので、(国から)出してもらえたのかもしれません。…と、思われます。

それが、ここでは言われる、何度も何度も、できるまで言われる。最近は、判ったなと思われることも少なくないので、本当に嫌みの言い甲斐があります。効いていると思われるのです。

もっとも、なぜ言われているのかは、まだよくは判っていなのかもしれません。勉強していないと言われても、毎日学校に来て、ちゃんと(先生に)言われたことは、やっている。…だから、文句の言われる筋合いはないなのでしょう。

漢字を10回書けといわれれば書いている。覚えられないのは、(漢字が)難しいからであって、私のせいではない。

例えば、「禁止」の「禁」であれば、「『林』、『二』、『小さい』で、『禁止』の『禁』」で覚える。そう言いながら教えているので、(自分も)そう言いながら書いていけば、覚えられる…はず。これも何度も言ってあります。ところが、隣の人と話ながら書いてしまう。これでは、「10回書いた」だけのことで、成果なし。何のために書いているのか判りません。

「N5」の頃は、こちらにも、手に漢字を慣れさせるくらいの気分もありましたから、それほどきついことは言っていませんでした。とにかく書け、書け。少し慣れてきたころから、説明を加える…。なにせ、パーツにしても、「漢字から漢字へ」ではなく、まだ「『カタカナ』から『漢字』へ」の段階ですから。「N5」なんてのは。

しかしながら、「N5」の終わりごろから、部首の一部が教えられるようになります。いくつか同じ部首の漢字が出てくるのです。それで、「N3」の漢字を書く頃には、その部首が10余りは言えるようになっているものなのです。そうでなければ、100を越えた漢字を覚えていくことは困難です。

「N3」漢字に入る場合、これまでの蓄積(あるかないかなのです、悲しいことに)が問題になってきます。とはいえ、こちらでも、一から教えるくらいのつもりで対した方がいい場合も少なくありません。

まず本時に教えるべき漢字を(白板に)貼ります。学生には、本で、意味、読みなどをあらかじめ、見せておきます。順に説明していくのですが、その前に、本時の漢字の読みを、カタカナ(音読み)、ひらがな(訓読み)で、漢字ノート(あるいは普通のノート)に書かせておきます(対訳は本に書いてあるのですが、それでも既習のものでないと、ストンと落ちていかないのです)。

ところが、…これが、難しい。初めての時には、右往左往するだろうと思われたので、多めの時間配分にしておいたのですが、見ていると、困ったさんが続出。「N5」漢字導入時の、紙を貼った方がよかったかもしれません。思い出させるという意味でも。

一つの漢字を見せ、パーツごとに、それが含まれている既習の漢字を言わせていきます。それを言わせ続けていると、条件反射のようにいくつか言えるようになり、その数も増していきます。つまり復習ですね。彼等が言ったものは全部板書します。そうすれば、間違っていたことにも気づくし、正しければうれしそうな顔をしますから、覚えていくことに張りが出てきます。漢字は多く見れば見るほど、いい。漢字があることが日常になっていきますから。

すると、自然に「○○」を使った漢字が多くあることに気づきます。さすれば、共通点を一言でも言えば、それがストンと落ちていきます。「木」も「扌」もそう。ただ「穴冠」は教えると厄介になるので「ウ冠」にさせていますが。

鉛筆を持たせ、手を挙げさせて、共に宙に書いていきます。もちろん、私は白板の字をなぞるのですが。それを2,3回ほど繰り返し、そのままノートに向かい、ノートの三回くらい書く。書いたところで、もう一度顔を上げさせ、宙で書く。このとき私は見ているだけ。すると、もう筆順が違っている人がチラホラ。

基礎ができている人はいいのですが、「字なんて適当でいい」という国から来ている人は、一年やそこいらではなかなか考え方が変わりません。途中で変わったとしても、既に「N5」という基礎編は終わっていたりすると、書き順が身についていませんから、それで書いてしまう。「N5」「N4」の漢字は基礎とはいえ、それ以後の漢字にそのパーツが多く含まれている。「口」なんて、一筆書きでやってしまう人がいるのですが、それもきちんと見て、まねて、書くをしていないからでしょう。

「まねぶ」の大切さがこんな所にも出てきます。

日々是好日
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脅しすぎたかしらん。羮に懲りて膾を吹いてしまったような…気がします。

2018-05-18 08:41:01 | 日本語学校
曇り。

時折、薄日が射してきます。湿度が高いのでしょう、蒸し暑い。とはいえ、吹く風はひんやりとして、心地よい。おそくに雨が降り出すとのことですから、これは雨を運んでくる風なのでしょう。

「ネジバナ(捩花)」を空き地で見つけました。これは「ラン科植物」なのだそうですね。確かに言われてみれば、そんな気もする…。でも、空き地に勝手に生えているので、「タンポポ(蒲公英)」や「ドクダミ(蕺)」、「ハルジオン(春紫苑)」などと同じような存在とも思える…。可憐な花ですけれども。

風が強いと、学校の、少しばかり背が高い(鉢植えの)植木は、鉢ごと、すぐに倒されてしまいます。昨日も二つばかり倒れていました。大地に根を張っていれば、薙ぎ倒されるようなこともないのでしょうが。

さて、学校です。

昨年、これくらい、日本語が話せれば、大丈夫ではないかと思われていた学生まで、希望する専門学校に入れませんでした。出足が遅かったのが原因の一つだったと思います。それから、群れて入ろうとする根性も、(落とされた)原因の一つだったのでしょうね。

普通、専門学校へ行きたいという学生というのは、一人が決まると、皆、急に「我がこと」であるのに気づき、焦ってくるものなのですが、なぜか、昨年は「自分は日本語が上手だから、楽勝だ」と思い込んでいる学生が、数人いました。その影響でしょうか、本来、そうしてはならぬ(日本語が聞き取れないし、話せない)のに、自分たちまでのんびりと構えてしまうという人達が若干名以上いました(自分の日本語のレベルが判らないのです。だから、できる人と同じような行動を取ってしまうのです。いくら口を酸っぱくして言ってもだめでした)。

だいたい、日本語が多少なりともできる学生は、「急いで決めなきゃ(ある程度自分のレベルが判っている)」と思うものなのですが、昨年は、そうではない人が目立ちました。これも珍しいことですが。

どうも、アルバイト先でチヤホヤされていたのが、災い…したらしい。

高校を卒業したばかりの学生には、「理性的になれ」とか、「客観的になれ」とか言ってもなかなか難しいようで、アルバイト先で、客にも褒められ、店長からも重宝がられると、それで天下を取ったような気になってしまう。

学校で学ぶ言葉と、飲食店で身につける言葉とは、かなり違うものです。言い回しも違う。話し言葉はあくまで話し言葉に過ぎず、その場の状況次第では単語一つであっても構わぬものですし、「だいたい」とか「適当に」判れば、それで済む場合も少なくありません。話している途中であっても、相手の反応をみて、変えていけますし、だいたい、助詞なしでも通じます。

アルバイトで必要な言葉なんて、単語の数も限られてきますし、使っている文法も大したことはありません。ただヒアリング力が増すだけです。

それが判らない。クラスのだれも知らないような、日本人同士の仲間内の言葉を使って悦に入ったりする。それで彼等よりも自分の方が優れていると思ったりする。

今年はそういうことがないように、かなり手厳しく、対して来ました。結局困るのは、彼等自身ですから。

その薬がちょっと効きすぎているようです。大学に行きたいと言い、また行けるかもしれない(頑張れば)ような学生まで、専門学校を探し始めています。まあ、進学を控えているというのに、夏休みに帰ります(帰ってきたら、また一から始めなければならなくなるでしょうね)など、当たり前のように言う人達がいますからね。その場合は、大学に行けたとしても、入ってから大変でしょう。夏休みに頑張れれば、大学も射程圏内に入るというのに。

日々是好日
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進学した先で、外国人が一人というのも辛いし、同国人が一人というのも辛い。

2018-05-16 11:03:11 | 日本語学校
快晴。

早朝も寒くはなくなりました。つい数日前には、「寒い、寒い」と震えていたのが噓のようです。昨日、今日と、昼は真夏並み。朝も少しも寒さを感じない…のが不思議。またそう感じてしまうのも、不思議と言えば不思議。だって、もう5月も半ばを過ぎているのですから。

さて、学校です。

ビザの書き換えやらで、最近は卒業生が顔を見せてくれることが多く、一昨日、昨日と、それぞれ一人ずつ、やって来ました。

一人は、一年前に卒業し、今は専門学校で美容を学んでいる女子学生。もう一人は、大学でコンピューターを学んでいる、今年、卒業したばかりの男子学生です。

女子学生の方は、もう大変だった時期は疾うに過ぎ、今はここ(この専門学校)で勉強できて「本当によかった。同国人がいるところや、外国人がいる専門学校は嫌」と言えるほどになっていましたが、男子学生の方は、ちょうど「不安がピークに達している」ようで、五月病になるんじゃないかしらと少し心配になってしまいました。

女子学生が進んだ専門学校は、彼女以外は全て日本人。それゆえ、日本人に対するのと同じような厳しさで指導がなされているようで、全てに日本人並みが要求されているとのこと。「外国人だからという甘えは許さない」ことが、今では「よかった」と思える…。これは素晴らしいことですね。これは、彼女にとって財産になるでしょうし、その中で頑張れたと言うことは、これからの励みにもなるでしょう。

そういう彼女とて、進学してすぐの頃は、よく「寂しい」と言っていました。専門学校の先生も、寮の方も皆さんも、本当によく面倒を見てくださっていたようでしたが、学ぶ上での「特別」はありません。同じようにできなければなりません。さぞかし大変だったろうと思います。

学業は我慢できても、生活上の、独りぼっち感に最初はかなり苦しんでいたようで、よく同じクラスだった同国の大学生のことを話していました。「誰それさんが行った大学には、ミャンマーからの学生が数人いて、学食でいつも一緒に食べている。楽しいと言っていた。それなのに、私は独りぼっち…」。それを一年以上頑張れたからこそ、ここで勉強できてよかった。日本人は日本人にとても厳しいと言えるまでになれたのでしょう。

ところが、男子学生の方は、今年、卒業したばかりです。何事も不安で、何かしら頼りないような気分になってしまっているようです。しかも、母国での教育が邪魔をして、男はプライドを持たねばならない」から抜けきらないのです。こちらが、「判らなければ、聞けばいいじゃない」と言っても、どうもうまくできないのです。本当に困ったさんです。

この大学には、ここからもう一人行っているのですが、国が違うのです。彼の方は、同国人はいず、たった一人。頼る人はいない。一方、彼女の方は同国人の先輩も数人いれば、友達もいる。すぐにそちらと親しくなって、男子学生の方を構わなくなる。男子学生の方でも、「(そういう状況で、話しかけると)助けて欲しいのか」と頭を下げているよう思われるのが嫌だから、話しかけようとしない。それどころか、相手を無視してしまう。ますますまずくなっていく。

聞いていけば、本当に子供っぽくて笑ってしまうのですが、青年期に特徴的なことと思えばそう。まずは、言わせるだけ言わせて、それから、好きなことを聞いていきます。映画と言っていたので、大学のサークルを見ていきます。

映画に関しては自信があると言いますので、最初っから偉そうなことは言わずに、(行ってみて)様子を見るように勧めます。

この日本語学校にいたときも、同国人はいず、一人で頑張っていました。最初はどうしても、自分で殻を破ることができずに、苦しんでいましたが、運良く、努力家のベトナムの学生と親しくなれ、私たちもホッとしていたのですが、その学生にビザが下りなかったのです。多分、彼は、一目置ける人としか親しくなれないのでしょう。コイツはこの面ですごいと思えなければ、なかなか素直になれないタイプなのかもしれません。

もう少し、気持ちを楽に持てば、世界は広がるのにと思うのですが、本人にしてみれば、そんなこと言ってられないのでしょう。

もちろん、帰るときには、「頑張る。ちゃんと大学は出る。コンピューターの技術は身につける」と言っていましたから、少しは気分が落ち着いたのかもしれません。ただこういうことはすぐに元に戻ってしまいますから、安心できません。好きなことができて、仲間が見つかるといいのですけれども。

そうすれば、今度会ったときには、「今、楽しんでいる」と言ってもらえるかもしれません。

日々是好日。

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「同じ」とは、何が同じなのかな…。よく判らないときがあります。

2018-05-15 09:28:26 | 日本語学校
快晴。

今、辺りはしーんと静まりかえっています。先ほどまでは、太鼓が主か、子供たちの声が主か、判らないほど、賑やかでしたのに。

もっとも、ここまで声を張り上げていると、今日は勉強にならないでしょうね。運動会のための早朝練習が続いています。練習もだんだん熱が入ってきているよう。きっと各クラスから応援団員が選ばれ(四年生以上かな、それとも高学年だけかな)、彼等の、笛によるチャッチャッチャも板についてきたことでしょう。

その笛の音、仕草に合わせ、一糸乱れぬかけ声が続く。小学生の頃から、私たちはこういう指導を受けてきたのですね。思いやれば、運動会なんて、何も「ミカン(蜜柑)」や「クリ(栗)」だけのものではなかった…(私たちの頃の運動会は10月でした)。当時は気がつかなかったようなことをいろいろと気づかされています。子供たちの応援の声から。

さて、学校です。

日本のよいところ(なぜか、本には悪いところはなかったので)を、学生達に出させようとすると、これが難しい。嫌なところ、悪いところはたくさん出てくるのでしょうけれども。こういうことから、学生達には、まだ、日本の良さなんて感じられていないんだということがよく判ります。

例えば、交通事情。やはり国の発達の度合いに依るのか、温度差が見られます。発達していない…と、思われる国の方が、日本の交通は便利だとは言いません。自分の国も便利だと言います。

これはやせ我慢ではなく、本当にそう思っているようなのです。不便と思っていないどころか、不満も感じていない。こういうモノだで、困らない…。多分、そうなのでしょう。このまま、100年くらいは行くなと思えてきます…。

ネパールの学生は何も考えていない、感じていないのに対して、ベトナムの学生は、ベトナムには地下鉄がない。日本は便利だと言います。

多分、ネパールの学生は、国を出るまでは、それで何ら不便を感じたことはなかった。そして、今も国を思えば甘く、切なく…、あの頃は…となるのでしょう。

ネパールに行ったとき、ホテルでもよく停電しました。もっとも、ホテルはすぐにつくのですが。それをガイドさんに言うと、「今はとてもよくなった。前は1日に数時間しか電気がないときもあったし、一度停電するとなかなか電気が来ないということもあった。その時はみんな薪や木の枝を拾ってきた」。

私が子供のころ…と、言いますと、日本でも、停電はありました。今は、もし、停電なんぞが起きたら、それこそ大騒ぎになるでしょう。でも、当時は、台風が来ると、きっと停電になると思っていました。

小学校では、台風が直撃することが判った段階(だいたい2時限目か3時限目)で、クラスごとに列を作って、講堂に行くように放送が入ります。皆が行くと、地域ごとに集められ、責任者が決められ、高学年が下の人たちの世話をしながら家まで送り届けます。こういうときは子供だけでなく、地域の大人も何人か来ていますから、必ず一人か二人の大人がついているのですが、いないときには教師もその中に加わります。

家に着くと、ろうそくやら懐中電灯、マッチなどが準備されており、御飯も早めにできていました。いつもと違うと言うのは、子供にとってうれしいこと。大人とは違います。非日常の日だからこそ、記憶に残っているのでしょう。

大人にとっては大変で、面倒な日。でも子供にとっては、いつもと違うだけで、どこかウキウキ、ドキドキしてしまうような、特別な日でした。この停電を、不便だと思っていたかというと、決して、そうは思っていませんでしたね。きっと彼等もそんなものだったのかもしれません、日本に来る前まで、高校生だったのでしょうから。

ベトナムは海外からの資本が多く集まり、工場も多くある。それに合わせて、道が整備され、大きな橋やら、高速道路やらができている。数年前には何時間もかかっていた所が、今ではその何分の一かの時間で行けるようになっている。便利さを既に味わってから日本に来ているのでしょう。だから、もっと便利になるはず、もっと速くなるはずと思える。

しかしながら、ネパールは…、難しいだろうなと、素人目には映ります。おっとりとした人達だし、勉強も大して真剣にはしません。日本に二年もいれば、それなりに話せたり、聞き取れたりするものなのですが、そのレベルから、それほど上に行くという人はなかなかいないのです。それに、欲もないようですし。

アルバイトで疲れた(もうしたくない、だから)お金がたくさんあったらいいなとまでは考えるけれども、そのためにどうしなければならないかは考えられないのです。だから、本人は頑張ったと言うけれども、こちらから見れば、「そうかな」というところで、終わってしまう。

だいたい、普通のレベル(く頑張り度)の、東アジア圏の学生を見慣れている目には、「ただ、学校に来て座っているだけだろう。もちろん、言われたことはするけれども、ある程度以上の要求は、出してもしない、いや、きっとできないのだろう。ダラダラとする時間が長いので」というふうに映る。

集中力というのは、もしかしたら、「何かに夢中になったことがある」経験が核になって培われることなのかもしれません。好きなこと、やりたいと思えるようなことが身近になければ、ダラダラと閉め忘れた水道の栓みたいになっても、しかたがないことなのかもしれません。

それを非難するこちらの方が無理を言っているのかもしれないなとも思うこともあるのです。

日々是好日
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「停滞期」にでも、入ったのかしらん。やる気が見られない…。

2018-05-11 08:49:23 | 日本語学校
晴れ。

久しぶりに、空が明るさに起こされました。五時前からもう明るくなっていたのです。ここ数日、いつまではっきりしない天気が続いていたので、それに馴れてしまっていたのでしょう。

朝焼けを見たかったらもっと早起きしないと…。

近所では「アジサイ(紫陽花)」が、それらしい姿になってきました。まだ花は咲いていないのですが、蕾が見分けられるほどにはなっています。

昨日、週に一度の『初級Ⅰ』のクラスで、一年間、月ごとの季節の写真(カレンダーの写真をためておいたものです)を見せ、日本の風景を紹介したのですが、その6月に、「アジサイ」の花が写っていたのです。

「アジサイ」は、ベトナムにもあるでしょうし、ネパールでは、実際に見かけました。おそらく雨の多い温帯地方ではどこにでもある花なのでしょう。

こう書いてきたとき、近くの小学校から大歓声がわき上がっているのに気がつきました。ちょうど応援の練習をしているのでしょう。ブラスバンドの音が鳴り響いたかと思うと、子供たちの甲高い声が響いてきます。きっとまた、土曜日か日曜日に運動会があるのでしょう。まあ、どっちが勝っても、「よかった、よかった。次は(も)頑張ろう」となるのでしょうが。  

さて、学校です。

ひと頃は「スリランカ」の学生の、あまりの字のひどさに辟易していたものでしたが、「ネパール」からの学生が増えてくると、もう、そうは言っていられなくなりました。これはひどい。「スリランカ」の学生の字が、まともに思われてくるほどです。

「スリランカ」の学生の時にも、「書くという習慣が、あまりないのだろう。だから、しょうがない。文句を言う方が悪い。こういうことは一朝一夕にはどうにもこうにもできないものなのだ」と自らを慰めていたのですが、「ネパール」の学生達の字たるや、「スリランカ」人の比ではないのです。

今年に入ってからも(今年度からのクラス分けをする前に)、徹底的に(わずか15人ほどのディクテーションに、一時間以上もかけて見ていたのです。彼等にノートを返してからもまた時間をかけて、個人的に指導をするわけですから、本当に不経済でした)やったつもりだったのですが。改まったのは、それほど考えなくてもいい「スリランカ」の学生の方で、「ネパール」の学生は、「その時だけ(書き直す)」が、ずっと続いているのです。

後手後手に回ってしまうのも、「ここまでやれば(大丈夫だろう)」と目算が甘かったせいで、自分の失敗。なぜここまで、「ひらがな」「カタカナ」に固執するかという、「ひらがな」「カタカナ」がきちんと書けていないと、漢字も、結局は覚えられないからなのです。漢字のテストをしても、毎回、一字ごとに丸ごと覚えなければならないことになってしまいます。

もちろん、「『ひらがな』、『カタカナ』は書ける」と言います。書けはしても、形がよく判らないような歪なものであったら、それによって構成されている漢字は、よほどわけのわからないものになってしまいます。編や旁、冠などの位置、バランスなどを四角の枡を切り分けるように、説明していても、はて、どこまで判っていたものやら、あるいは、判っても適当に聞き流していたのかもしれません。

結局は、「それは大したことではない」で終わっているのでしょう。こちら(教師)がこれほど力を入れているのだから(大切なことだろう)とは考えられないのです。嫌になるくらい、大切だと言っているのですが、彼等の習慣から大したことではないと判断してしまうのでしょう。

「Aクラス」の学生なら、「今くらいのレベルでも、専門学校には行けるだろう。だからもう、それほど勉強しなくてもいい」くらいは思っているのかもしれません。

こうなってくると、もう引っ張っていくもの、その存在自体が、危うくなってきます。「大変だろうけれども、頑張れ。大学へ行って勉強したいのでしょう」とか、「ここまでやっておかないと、あの専門学校には合格出来ないよ」とかがなければ、「アルバイトで困らない程度の日本語は身に付いた。多分これで専門学校は大丈夫だろう」で、勉強のほうが疎かになってしまいます。

毎年、今くらいの頃が一番難しい。特に、中国人学生がいない今は。「留学試験」に燃える学生もいないし、「一年で『NⅠ』合格だ」なんて言う人たちもいないわけですから。

多分、こんな状態は、7月の「日本語能力試験」が目前になるまで、あと1か月ほどは続くのでしょうね。どうやって(この時期を)乗り切るかが(この時期の)課題です。

日々是好日
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「ドクダミ」の花が、咲いています。

2018-05-10 08:42:57 | 日本語学校

曇り。

朝、一時的に雨が降り…、止むのを待ってから出てきました。天気予報によると、このあたりでも俄雨の可能性が高く、しかも、もしかしたら雷様までお出ましになるかもしれぬとか。

「ドクダミ(蕺)」の花が咲いています。雨が降り出す頃の花ですね。「アジサイ(紫陽花)」の花軍の先駆けみたいな感じです。ワンサカと緑の葉を茂らせ、そこに白い十字の花が浮かんでいます。花はかわいいことはかわいい。でも、この葉の茂りというのはすごい。まるで「このあたり一帯は、オイラのシマだ」とでも言っているかのよう。

この花は、どこにでも生え、蔓延ってしまうような印象があります。1度根づくとしつこいのです。なにせ根こそぎ追い払うには手間も時間も、そして根性も必要になってくる。…かといって農薬に頼るには、可哀想。見かけは白い可憐な花を咲かせるし、それになんと言っても漢方薬の材料でもあるし…。で、毎年、放置されてしまう…ような存在なのでしょう。

さて、学校です。

最近は、職員室に入るなり、真っ先に、進路にそって、3カ所の窓を開け放つのですが、なぜか開けるとすぐに、くしゃみが止まりません。「スギ(杉)花粉」の候は過ぎたし、しかも雨が降っているか、降っていなくとも今にも降り出しそうな空模様であるというのに…もしかしたら、風邪かな…。

もちろん、こんな悠長な考えも一過性のモノ。アタフタとしているうちに、結局忘れてしまうのです。人間、健忘症だから、どうにか生きていられるのでしょうね、そして、また次の日の朝、それを繰り返してしまう…。

教室では、「風邪引きさん」が、自分の風邪をお隣さんか、同室者にお裾分けし、今度は近くの人が、クシュンクシュンやりはじめています。「(もらったものは)送り返せ」「はい。クシュン、送り返します」「いやだ。来るな」という会話を続け、これもそれなりに面白い。聞き取れるようになると、こんなミニ会話も活性化につながります。

今、二年生に、少しずつ、専門学校やら、大学のオープンキャンパスやらの話をし始めています。ひと頃のように大学と専門学校の違いが分からないという人は減りましたが、それでもいろいろな「事件」が起こります。一昔前には、専門学校は二年、大学は四年で、大学卒業後は「学士」の資格をもらうと言うと、「じゃあ、二つ専門学校に行けば同じか」などと言われ、その違いを説明するのに四苦八苦したことがありました。大学のイメージがないのです。その人の近くには、大学に行った人がいなかったからでしょう。

先日、訊いたときには、専門学校に行くと言っていた一人の女子学生が、「オープンキャンパスがあるのはどの大学ですか」と訊きに来ました。「どの大学もすると思いますよ、日にちはそれぞれだけれども」と答えると、「いえ、オープンキャンパスがある大学です」と言う。

どうも話が噛み合わないので、訊いていくと、日本中の大学の中で、オープンキャンパスがあるのは、どうも一つの大学だけだと思っていたらしい(大学というものを見たかったのでしょう)。

そこに行ってみたいと言うのですが、何を学びたいのかもまだ判っていないし、今、行ったとしても、向こうの先生方の話も聞き取れないだろうし、結局、なにをどうしたらいいのかもわからないだろうし…。でも、本人は、きらきらと目を輝かせて言うのです。「オープンキャンパスがある大学を探しています」と。

行きたかったら、7月の「日本語能力試験」が終わってからの方がいい。あと4,5ヶ月もすれば、日本語のレベルももう少し上がっているでしょうから、相手の話がチンプンカンプンということもないでしょう。まだまだ焦って行く必要はないのです。

焦らなければならないのは、専門学校に入りたいという人だけで、その人達は、何を学びたいのかを考えておいたり、できれば、友達がいるとか、同国人がいるという専門学校を探しておいたりした方がいい。

同国人がいないと続かないという人が少なくないのです。こういう人は、何かを勉強したくて日本に来たと言うよりも、日本で働きたくて来ているわけで、そのための専門学校なのです。だから、まず、守備範囲(好きなこと、不得意じゃないこと)から選ばせることが大切で、それプラス、それに友達がそこにいたりすると、続けられ、無事に卒業ができるのです。

だいたいみんな、日本語学校までは「日本語を学ぶ」という目的があっていいのですが、「それから」を考えたことがないのです。現地の面接の時には必ず訊いているのですが、その時には答えられていても、来日後に訊くと、わからない等と言うのです。それが最近は、ある学校からの女子学生は皆、判で押したように「介護」と言う。一人くらいなら、そうかと思えるでしょうが、皆が皆そうだと、「おかしいな????」

で、向こうの先生に聞くと、これまた「何を勉強できるのかも、何を勉強したらいいのかも、(彼等には)何にもわからないのです。だから、『こういう仕事があるよ』と、いくつか紹介してやった」。そうか、それで、その(現地の)日本語学校から来た女子はみな「介護をやります」と答えたのかと、その時はよく判ったのですが、でも、結局、何を学びたいかは判らないまま。

もっとも、実際に考えられるようになるのは、専門学校に見に行ってそれからでしょう。それまでは、まず日本語の勉強です。一にも二にも、日本語の勉強あるのみ、です。

日々是好日  
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今日も雨。3月並みの寒さです。

2018-05-09 08:54:40 | 日本語学校
雨。

一昨日から、ずっとというわけではありませんでしたが、まるで梅雨時のような降りです。昨日、今日と3月並みの気温。

この「○○月並み」というのは便利ですね。すぐに判ります。「5月なのに、『3月並み』」と言われれば、冬のようなと言われるよりもグッと身近に感じられますし。

と言うわけで、学校ではまた「風邪引きさん」があちこちに出没し始めました。日本人だって「出没」するくらいですもの、日本の気候になれない人達は、そりゃあ、そうでしょうねえ。

特に、一年を通して気温の変化がそれほどない地域から来ている人達は、一日ごとに「寒いです」とか、「暑いです」とかを繰り返しているような感じです。面白いことに、春に、「寒いです」とか、「涼しいです」とかを、一人が言ってしまうと、だれかが「春は暖かいです」と言い直して、それから首を傾げるのです。

どうも、この季節感が呑み込めない人達に、「春は暖かい」「夏は暑い」「秋は涼しい」「冬は寒い」と教え込んだことが災いしているようで、「春に、暖かくない時はどう言ったらいいのだろう」と、思い込まされた言葉を言った後で、「これでは自分たちの感覚を言い表せていない、どうしよう」となるのでしょう。

少しくらいなら「肌寒い」が万能。とはいえ、今日のような日は「寒い」で結構。本当に寒いのですから。

というわけで、学校です。

連休も明けたし…ということで、昨日「Aクラス」の学生達に、進学について訊いてみました。驚いたことに、はっきりと「大学へ行きたい」と答えたのは、たった一人だけ。その時には言えなかったのか、授業が終わってから、もう一人が、自分も大学に行きたいのだけれどもと言いに来はしましたけれども。

けれども、このクラスでは一番下のレベル、つまり「まず、漢字が読めないし、書けない。ということは、文章が読めない」わけですから、勉強の上では、困ったさんの一人なのです。

行きたいという彼女の気持ちを無下にするわけにもいきませんから、「そのためには、今、どうすればいいか考えてみよう」と言うと、「時間がないからできない」と言うのです(判ってはいるのでしょう。漢字を覚えなければならないし、今日、勉強したことは、また今日中にしっかり復習しなければならないということなどは)。で、(私の)本心では「それ、来た」です。「それができないのなら、諦めるべきだ」なのです。漢字の練習のことを言うと、「時間がないから」それと「難しいから」というのは、スリランカの学生のみならず、ネパールの学生もよく使う言葉なのですが、きっと彼等にとっては、万能薬のようなものなのでしょう。

だいたい、時間がないはずはないのです。訊くと友達とよく集まって食べていたり、どこかへ行ったりしているようですし、アルバイトの時間だって(規則がありますから)それほど多いとは言えない。いったい何をしているのだろうと思われるのですが、結局、だらだらと過ごしているのでしょうね。時間がないのなら、学校の休み時間などを使って、一字でもいいから練習すればいいことだし、それができないのなら、やりたいことを諦めて帰るか、あるいはまだ日本にいたいのなら、どこかの専門学校に行くことを考えるかすべきなのです。

もちろん、「私は、何々がやりたい」が言えることが一番大切でしょう。けれども、そのために努力しなければなりません。皆、天才ではないのですから。それなのに、しない。しなくて、シレッとして平気である。スリランカの学生は往々にしてこういう人がいて、「私は車の修理を勉強したい。車が好きだから」と言うのですが、言ったからそれなりに勉強するかというと、しない。

しかも、専門学校の試験に、分数式や小数点の問題などが出るのですが、これが分からない。これが分からないのに、車の勉強ができるの?と(日本人などは)思うのですが、彼等のところでは、いわゆる「見て」「教えてもらって」「覚える」ものなのでしょう。自分で計算して、そして解決するのではないらしいのです。実際のモノに触り、動かしながら、解決策を考えるというやり方でやるのなら、確かに、分数式や、まして、分数と小数点が絡んだような問題は必要はない。

とはいえ、基礎学力は必要です。「見て、触って、考える」やり方なら、わざわざ日本に来るまでもないでしょうし、先進的な機能を備えた車ではそれでは、もう対処できないでしょう。

これは、彼等の頭脳が格段に劣っていると言っているのではありません。まず、母国できちんと勉強していないのでしょう。あるいは勉強したことはあっても、判らないままでスルーしてきたのでしょう。大半がそういう人達であれば、教師だって、相手が判っているか判っていないかなんて気にしないはず。生まれつき、少しばかり頭のいい子が、勝手にわかり、普通の子は置いておかれたということなのでしょう。

車をやりたいというスリランカの学生に、算数(数学レベルではありません)を説明しているのを覗き込んだ、同じく自動車を学びたいと言っていたベトナムの学生が、「先生、本当に(彼は)判らないの?」とあきれていました。

彼も自動車の修理などを学びたいと言っていたのですが、専門学校に見に行ってから、もう諦めたらしいのです。専門学校の「数学が難しすぎて判らない(日本人の数学は難しいという言い方で言っていましたが)」。

何せスリランカの学生はその前の段階ですから、これがどの程度の難しさなのかなんてわからないのでしょう。足し算引き算で四苦八苦で終わっています。これでは、分数や小数点のある問題のかけ算は教えようがなく(実際は公文式問題集を使ったのですが)、母国語で習っても判らなかった人に、大して上手でもないのに、日本語で教えられるか。

とにかく試験は合格したのですが、専門学校から算数問題集が送られてきて、「入学するまでに教えておいてください」。

これはおかしいですね。そちらがこのレベルでいいと合格させたのですから、あとは向こうの責任です。

もちろん、合格して、有頂天の彼は、見向きもしませんでした。入ってから苦労すると試験を受ける前に諄く言っておいたのですが、大変さは想像できないのでしょうね。だから、受けると言うのでしょうし、だから、行くというのでしょう。

日々是好日
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昨日は、連休疲れだったのかしらん…。

2018-05-08 10:19:24 | 日本語学校
曇り。

昨日、午前中は曇りでしたが、午後になると雨が降り始めました。6時近くになると、雨音のすごさにドキっとしてしまうほど降り始め…一瞬、梅雨がもう始まったのかしらん…。

帰宅の15分ほどの間にも、波打つように雨に襲いかかられ、「こうなれば,腹を据えて歩くしかない」と思わざるを得ないほどでした。レインコートなどの準備がなかった人は、傘をさしていても、腕やら足やらがびしょ濡れとなり、久しぶりの大雨でした。

その雨も、今はほとんど感じられません。でも、すこ~しばかり降っています。今日は五時過ぎごろからまた降るそうですが、今は雨よりも、この寒さに震え上がっています。慌てて冬物の服を取り出したはいいけれど、皆、寒さの勘働きが鈍くなっていて、困ったでしょうね。

3月ごろの気温というけれど、あの頃は何を羽織っていたっけ…。ヒントは花見の時の服装。これはたいていの人が覚えているでしょう。あの服で寒かったとか、みんなで騒いでいるうちに暑くなったとか。

ただ、最近は「一人花見」をする人が増えたようで、寒さも何もかも、自分だけの思いの中。これもまた好いですね。

さて、学校です。

連休疲れというか、昨日は、「Aクラス」、「Cクラス」の学生がシャンとしていませんでした。「Aクラス」の学生なんて、「今、シャンとしていなければ、いつシャンとするんだ」と、文句の一つも言いたいところなのですけれども、今日は言っても無駄…に思われたので、グッと堪え、…でも、いったい何をしていたのでしょうね、連休中。大半が、クタ~となっていましたもの。それが一人、二人ではなかったのです。元気な学生を数える方が難しい…。

却って、「Aクラス」でやっていくよりも、もう一度やり直した方がいいと「Bクラス」に移した学生の方が元気で、溌剌と授業に打ち込んでくれました。「A」の半分ほどの人数であるということも関係しているのでしょうが、このクラスに入っている他の三人の教師に訊いても、「いいわよゥ」という肯定の返事。一人、よくよそ見をしている学生もいるのですが、目が合うと、バツの悪そうな笑いを浮かべるか、決まり悪そうに下を向くか、…きっと勉強なるものが好きではないのでしょうね。でも、じっと座って、訊かれれば答えなければならないと思っている。だから他の人の迷惑にはなりません。

前のクラスにいたときには、暇だし、所在ないし、で、時折、関係のないことや、変なことを言い出したりして、厳しくたしなめざるを得ないようなこともあったのに。

今は、そんなことはしません(このクラスには、昨年の一月生、四月生、七月生が入っています)。金曜日の漢字テストに備えて、15分ほどその練習をするようにさせているのですが、その時にも、ちゃんとチェックを受けるべく、練習したのを見せてくれます。

今、この学校では(わずか4クラスしかないのですが)、一斉に「N5」「N4」「N3」までの「漢字到達度テスト」を金曜日の最後の20分にすることにしています。「N3」まで、全部で39回。1回に20問。

やはり、目的があるとやる気が出てくるのでしょうね。それに一斉に(もちろん、やっと「ひらがな」「カタカナ」が終わったという今年度の四月生にはしていません)やるということは、それなりに自分の立ち位置というのが判ってくるはず…。それも期待しています。

普通のテストでは、漢字が読めなくても書けなくても、ある程度の点が採れたりするし、ヒアリングさえよければ、簡単に(?)「N2」に合格したりするというような、あり得ない(?)ことも間々ありました。けれども、漢字テストというのは、非常に正直なもので、やっていなければ書けない。だいたいやっていない人は隣の人の漢字を見ても書けないものなのです。

これは誤魔化しようがない。

誤魔化し慣れている人が少なからずいた頃には、勉強しなければできないということを知らしめるのに、四苦八苦していました。だって、そういう人に限って、要領がいいのです。まあ、それも才能といえば言えなくもない。けれども、そういう実力を伴わないものは、必ずバレて、赤っ恥をかくか、評価を落とすものなのです。

特別の才能はない、そういう普通の人は、やはり何事であれ、コツコツとやる方がいい。それが判るのが、こういう地道な漢字テストなのでしょう。

卒業した学生の中にも、専門学校へ行き、ペラペラ話せるが故に(こちらから見れば、『みんなの日本語Ⅰ』に毛の生えた程度でしたが)、うまく就職し(適当にやれるのです)、就職した後、(適当に相づちが打てるけれども、何も理解していなかったということがバレて)立場をなくしたという人もいました(そういう人は己を見直すことをしませんから、会社の人が悪いと言います)。

アルバイトで使う言葉の使い回しで生き抜いてきた、そういうのが巧みな人は五万といます。決して特別な人ではない。それを周りが上手といえば、そうかと簡単に思い込み、そういう増上慢が習いとなって人と接してしまう。これは何も他人事ではありません。だれにもあること。まだ学習途上でそういう気味を帯びてしまうと、もうだめですね。

高校を卒業したばかりであれば、まだ聞く耳を持っている。けれども途上国出身で22か、3,4にもなっていれば、たいていの場合、学校で学ぶという時期は過ぎているようです。仕事をしながらとか、社会の中で学ぶ時期と言えるのでしょう。

こういう人を教えながら(一応、留学生ということで来ていますから)、彼等の表情や態度が、「ここは自分の居場所じゃない、やりたいことはこんなことじゃない。手っ取り早く儲けられること、あるいは仕事ができることなんだ」と言っているのを感じます。

留学生として来たんだから、勉強しなさいと言っても、相手は大人ですから聞きません。高校を卒業したばかりとか、それに準ずる人であったら、損得から説明もできるのですが。それでも、知的好奇心で引っ張っていくのは難しいのです。好きなことで引っ張っていくのも難しい。だいたい、国で、何が学べるのかなんて考えたこともないのでしょう。そうとしか感じられないことがよくあります。

それで、大学のオープンキャンパスなどに行くことを勧めるということになります。想像力云々の前に、知らなければどうにもならないのです。百聞は一見に如かず。

今年もまた、そういう時期が来たようです。「大学に行きたい」「何を勉強したい」「わからない。先生が決めて」「…」。あるいは、「○×を学びたい」「そう、でも、日本語がこのレベルじゃ、専門学校の先生が困るね」「勉強している」「『N4』の漢字くらいは書けなきゃ」「書いてる」「漢字は練習すれば覚えられる」「練習しても覚えられない」。

いたちごっこですね。でも、難しい言葉は「漢語」に多いのです。心を映す言葉は「和語」に多いけれども。どちらにしても頑張るしかないのです。

日々是好日
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皆と浅草寺へ行ってきました。

2018-05-02 16:25:36 | 日本語学校
曇り。

朝のうちは日が照っていましたが,今は落ち着いています。曇り。そして少しばかり冷たい風が吹いています。今夕から荒れるという予報が出ていましたが、その予兆ででしょうかしらん。

今日、皆と一緒に浅草へ行ってきました。まず、「スカイツリー」を背景に、「吾妻橋」の上で写真を撮り…だったのですが、彼らが写真を撮るところを見ると、バックに「スカイツリー」が入っていない…。橋の上で写真を撮る…だけでよいと思ったのか、それとも、ただ友達と写真を撮れればよかっただけだったのか…。そこのところははっきりしないのですが、どうもあの「橋」が、勘定に入っていないような気だけはするのです。

それから、「浅草寺」へ向かいます。

学生60名、教員7名、総勢67名で横断歩道を渡り、狭い道を通って、一路「雷門」へ向かいます。5月の連休というところで、東京は閑古鳥が鳴いているだろうと思っていたのですが、甘かったですね。今日も「浅草寺」前は、人、人、人でごった返していました。けれども、どうにか「雷門」前で写真が取れ、まずは、ホッ…。30分後に宝蔵門前で会うことを訳して、自由航行に…。

皆、思いの外、サッササッサと歩き、あっという間に宝蔵院前へ。早く来た学生は、「人形焼き」をほおばることができ、うれしそう。送れてきた学生は、人形焼きが配られたことさえ気がつかない・

それから「お水舎」で手と口を濯いで、本堂へ。お参りです。「おみくじ」をひいた学生は、うれしそうだったかな。ここは「大凶」の札が多いという評判があるのですが、彼らのひいた「みくじ」を見る限りでは、もうそんなことはないらしい。「凶」はお返しし、「吉」は持って帰ります。

それから「五重の塔」でも、写真を撮り、そして今日はこれでおしまい。遊び足りない学生達はもっともっとと言いたそうでしたが。

私たちはその後、「大絵馬寺宝展」と、「伝法院の庭園」を見て帰ったのですが、「大絵馬」も「庭園」も見事なものでした。大きな「シダレザクラ(枝垂れ桜)」の樹がユサユサと如何にも重たそうに葉を重なり合わせ、「モミジ(紅葉)」の樹の新緑が爽やかに風に揺れていました。

大きな木というものはいつ、どこで見てもいいものです。それだけで心が落ち着きます。

もちろん、休んだ学生もいます。けれども、行った学生は、それなりに楽しい思いをしたようです。それに、電車の中や歩いているとき、二年生達といろいろな話をすることができました。学生達が進学するときの参考にします。課外活動は学生同士だけでなく、教師にとっても彼らへの理解を増すいい機会でもあるのです。                                                      日々是好日                                             
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ネパールへ行ってきました。

2018-05-01 09:21:39 | 日本語学校
快晴。

「真夏日」という言葉が、もう4月から紙面に躍るようになっています。4月は、初夏の入口なのでしょうね、今は。

さて、先週の金曜日の朝、羽田を出発し、香港で乗り換え、日本時間でいうと、真夜中でしょうね、カトマンズに到着。どうしても香港での待ち時間が長く、こうなってしまいます。

直行便がないので、不便と言えば不便。とはいえ、最初に利用した「広州(中国)」経由の時には、もっと疲れました。中国に復帰して、かなり様変わりがしたとはいえ、香港の方が、ずっと落ち着けます。たとえ、多少疲れが増したとしても、こちらの方が気が楽です。やはり、まだまだ中国は、かつての西側先進諸国のようには、いけません。共通項で括れない部分が多々あります。

ネパールのホテルに着いたのはいいけれど、「ハト(鳩)」が、あまりいません。「ハトマンズ(鳩とカトマンズをかけて)」のはずが、いないのです。ポッポも、ホウホウも聞こえてこないのです。少しうるさかったはずが、いないとなると、これは寂しい。でも、翌日の夕には、戻ってきて、寝場所探しで大騒ぎです。ホッとしました。

ホテルの、昨年は「ネコ(猫)」が伸びをしていたベランダには、今年は「リス(栗鼠)」が出現。スルスルと走っていたのにびっくり。「リス」までいるかと驚いていると、道には、捨てられたノラ「牛」がゆっくりと歩いていますし、あちらでもこちらでも「サル(猿)」が悠然と人を見下ろしています。これでは、「鎌倉」に行ったとき、「運がよかったら『リス』が見られます」なんて言えない…。「リス」を見るなんて日常茶飯事のことなんですね、ここでも。

水道管の敷設工事中だとかで、カトマンズの町は相変わらず埃の中。雨季かなあ…で、早朝、雨が降って町が霞んで見えていても、すぐにカラッカラになって、土埃が舞い始めます。それに、わずか2泊3日の間にも、停電がしょっちゅうありました。ただ、私たちは北京の停電に馴れていましたから、こういう国ではそういうものだろうと、別に慌てませんでしたが、驚いたのは1、2分で復旧すること。これはホテルというからではありません。すぐに電気がつくのです。訊くと「前までは、長いときで、18時間も止まったことがあったが、最近はほとんど停電がない。どうもやる気になったら政府でもできるじゃないか」と、今の政府はこれ一つで随分と株を上げたらしい。

どちらにしても、電気がないと、私たちはお手上げです。

ベトナムでも中国でも、ある時期になると、街路樹に一斉に花が咲いて、そこだけは土埃が舞おうが、埃にまみれていようが、その全てを忘れさせてくれほど美しいものなのですが、ネパールでも、ちょうど「ジャガランダ」の大木が、ピンクがかった紫の、それは美しい花を咲かせていました。でも、みんな名前を知らないのです。「あれはどこにでもある」で終わり。昔、北京で「スミレ(菫)」が群生していたので、中国語では何という名なのかと訊くと、「知らん。野草だ」という答えが返ってきてガクッときたことがありましたが、見慣れてしまうと、そういうものなのかもしれません。

ネパールでの面接も、今回で四度目。こちらも少し馴れてきました。確かに、行くのは大変ですけれども、明らかに行って面接(面接とは言いながら、実際は指導です。現在日本にいる学生の問題点の説明はもとより、面接した学生の足らざるところなどを指摘し、注意を促したりするのですから)をするとしないとでは、来日した学生の様子も異なってきます。

少しの手間が、後の二年にかかってくるわけですから、これは行かないわけには行きません。こちらが言って、注意するように言ったことができているかどうか、それを見るために、また9月にも行く予定です。

日々是好日
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