日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「七夕」。「新クラス『開講』」。「中国から来た少年、『日本語を学ぶ』ことを通して」。

2009-07-07 08:02:04 | 職員室から
 今日は「七夕様」です。いいお天気になりそうです。昨日は、午前は「三クラス合同」で11時から、また午後は、「二クラス合同」で三時から、笹の葉に「七夕様」の飾り付けをしました。

七夕


 午前の「三クラス」というのは、「Aクラス(2008年7月生)」と「Bクラス(2008年10月生)」、そして、昨日開講したばかりの「Eクラス」です。開講したばかりと言いましても、そのうちの大半の学生は、この日に備えて、午後のクラスの授業を受けていましたから、全く「日本語がわからない」というのは、スーダンから来た女性、Tさん、一人でした。Tさんにも、少し早く来て「他のクラス」で、「日本語の勘」だけは養っておいた方がいいと言ったのですが、経済的な問題があったのでしょう、「7月から来ることにした」ようです。

 「七夕様」は3.4時間目でしたから、1.2時間目は、どのクラスでも授業を進めていきました。「Eクラス」では、「特殊音」や「拍」について詳しくやるのは、またの時間にすることにして、どんどん教科書を進めていきます。Tさん以外は、「ひらがな」や「カタカナ」に多少の問題こそあれ、一応は書けますので、授業の進行にも、問題はありませんでした。

 「初めて」の授業の時には、「宿題」の出し方や書き方、授業の進め方などについても、理解しておいてもらわなければならない事が多いのです。何と言っても、「初級Ⅰ」を開講するときには、だいたい10人足らずの中に、既に数カ国が属するということになっていますから。その上、「共通語(日本語)で云々」がまだ成立してないのです。というわけで、「体験」から、やり方や習慣を習得してもらうということになってしまいます。ちなみに、開講したばかりの「Eクラス」の学生たちの国籍は、中国、モンゴル、スーダン、タイです。

 毎回、始まったばかりの時はこれくらいで、これが一ヶ月ほども経つと、いつの間にか四ヶ国が六ヶ国になり、また八ヶ国になりと、どんどん増えていきます。それくらい、この近くに住んでいる外国人は多いのです。それも、一ヶ国だけというのではないのです。

 昨日も、午後、問い合わせが一件ありました。中国人の少年で、15歳であると言います(中学校を卒業したばかり)。ちょうど、この「Eクラス」は、(夏休みであることも関係しているのでしょう)、モンゴルから来た少女二人は、夏休み(三ヶ月)を利用して、日本語を学びたいと言うことでしたし、タイから来た少年は、親御さんの都合で日本に呼ばれ、中学校に行ったけれども適応出来なかったということで来ていますし、それに中国から来た少年は、高校を卒業したばかりでした。

 この中であったら、日本語の勉強というのも、(この15歳の少年よりも年下の子もいることですから)彼にとってそれほど重荷にならないかもしれません。ただ、中国で勉強する習慣がついていなければ、この学校で勉強していくのは、苦しいとは思いますが。

 これは、現在、「Bクラス」で勉強している、ある少年、S君の「経験」から言えることなのですが、「人は何度でも変わることができる」ということなのです。

 S君が、日本に来たときには、まだ15歳になっていませんでした。中国では勉強をあまりしていなかったと本人もご両親も言っていましたし、ご両親の考え方は、「勉強しても飯は喰えない」でした。それよりも「少しでも日本語が話せれば、喰っていける。だから、日本語が少しわかるようになればいい」だったのです。

 しかも、お父様は私にこう言いました。「この子は勉強が好きじゃないし、しない。しなくともいい。嫌いなんだから。自分もそうだったのだから。ただ、この子は馬鹿じゃない」

 ご両親の言われた通り、S君は勉強の習慣が全くついていませんでした。けれども、ここは学校ですから、それでは困ります。多分、あの時、私はとても嫌な顔をしていたと思います。とにかく、S君を呼んで、「勉強したいのかどうか、また、本気で勉強する気があるかどうか」を聞いたのです。ちゃんと勉強すると、本人が言いましたので、そこで、ご両親に、「ここで、勉強してもかまわないが、毎日、朝9時には学校へ来て、宿題や予習、復習をすること」という条件をつけたのです。

 いい加減な考え方の人に来てもらっては、まじめに勉強している人の迷惑になります。みんな、暇つぶしで、学校に通っているのではありません。勉強するつもりで、お金を払って来ているのですから。

 予想通り、まじめに「朝」勉強していたのは最初の2.3日だけ。直ぐに崩れました。自習室を覗いてみると、音楽を聴いていたり、ボウッとしている様子の彼がいました。その度に叱られて、大慌てで教科書を開くということの繰り返しでした。しかしながら、それでも、彼は来ることだけは来、午前中は自習室で過ごし、午後は授業に出るという生活を続けました。

 これは、本人の素質も関係していますが、何よりも家庭教育の賜物と言えましょう。家庭で、「少なくとも、約束したことは守らなければならない」という習慣がつけられていたのです。本人も、日本語を身につけなければならないということは、判っていたようでしたし。それがいつの間にか、どんどん話せるようになり、ゲームの解説書にある日本語もわかるようになり、日本語の話せないご両親のために通訳として入国管理局へ行ったり、アパートを探して不動産屋さんとやり合ったりと、今では、来たばかりの頃の、線の細い少年の面影は消え失せて、少しずつ自分で考えて行動しようという意気が垣間見えるようになってきています。

 この少年が、先日、「横浜散策」で、こんなことを語ってくれました(以前にも書いたのですが)。
「先生、私は変わりました。日本へ来て、本当によかったと思います。中国では勉強なんか全然しませんでした。日本人の先生はとてもとても面白い。中国の先生とは違います。今でも、私はネットで、中国の友達とおしゃべりします。みんな遊んでいます。勉強しません。私も中国にいたら、そうしていたと思います」

 中国は日本とは違い、どこで生まれたかで、その人の将来は大きく左右されます。田舎に生まれたら、能力がかなりあっても、一生「うだつが上がらない」まま生きていかねばならないということも少なくないのです。若い人がやる気をなくすというのも、わかるような気がします。勿論、これは中国だけのことではありませんが。

 彼が、自分で、「私は変わりました」と言ったのも、日本語が上手になることで、ご両親からも頼られ、また出会う日本人から褒められたりしたからというだけではありません。勉強して、日本語が上手になるという結果を出せた、しかも、日本語になることで、見える世界が広がり、それと同時に、少しだけではありましょうが、自分の可能性を感じることができたのでしょう。

 ただ、このような少年の場合、彼は変われても、ご両親は変われません。中国の貧しい村の出身で、日本でコックさんとして稼いで、お金を(多少)貯めることが出来たとしても、考え方までは変われません。この人達自身、これまで、そう思い、そうして生きてきたのですから。「学問なんていらない。学問なんかじゃ飯は喰えない」。この「学問」というのも、いわゆる「義務教育で与えることの出来る広さであり、深さである」にすぎないのですが。

 「高校」進学についても揉めています。彼は、日本語が上手になって、いろいろな世界を知り、また、この学校で「大学進学」を目指している人や、或いは「高学歴者(修士や博士)が、(彼にとっては夢のような「見栄えのする」仕事)を捜したり、また見つけたりしているのを実際に目にしているのです。

 「日本語が少し出来ればいい。高校進学などしなくてもいい。身体が丈夫だったら、働けるからそれでいい」と思っているご両親との間で、既にギャップが生じているのです。彼が日本に来たばかりのころは、何でも親任せでした。それが、少しずつ巣立とうとしているのです。けれども、彼は親孝行ですから、親が理解してくれなければ何事も行動を起こすことができないのです。時々いらついている彼の姿を見ると、少し可哀想になるのですが、どうやら、アルバイトして、学費は自分で稼げば、まだ勉強してもいいということに落ち着きそうです。

 まだ、これからどうなるか判りませんが、自分の一生は、自分でしっかりと道をつけ、頑張っていかねばなりませんし、その糸口は、教育でしかつけられないのです。特に外国人の子弟にとっては。

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1 コメント

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Unknown (林 暁ヨウ)
2012-04-20 17:04:45
今日、久しぶりに学校のブログを見た。
この写真、この文章を見て、急に泣きたい(仕事中なのに)。
4年前の事を思い出した。あの時、本当に楽しかった。現在、会社に入って、先輩達が優しいけど、見えないプレッシャーがあるから、日々疲れる。
先日、アヤンディさんと電話で話した後、同窓会をやりたい。先生たちに会いたい。但し、仕事のことで学校に行けない。

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