日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

課外活動で、外へ出ても、「体力のない人が、いるなあ…」。

2015-04-30 12:55:15 | 日本語学校
 曇り。

 うっすらと雲がかかり、時折薄日が射してきます。

 先日の「皇居散策」は、暑かった。「二重橋」の辺りで、「ハア、ハア」いっているスリランカの男子学生がいました。まだ、ほんのとば口でしたのに。彼らはこんなに歩いたこと、なかったんでしょうね。もとより、こんな彼らでも、半年ほどもアルバイトをすると、もう少し体がしっかりしてくると思いますが。

 インド圏の人たちは、男女を問わず(実は、最初、女性だけだと思っていたのです。国で外出ができないという事情から、少し歩くとへばってしまうのは)、体力がない人が間々見受けられます。

 きっと、小中学校でも、そして高校でも(イギリス式ですから、彼らはあまり「高校である」という認識がないのですが。まあ、聞けば判りますけれども…。中学校程度の知識で、あとは、名ばかりの専門しかわからない…。日本だったら、テレビをぼんやり見ていても得られる知識というものがあるのですが)、体育とか遠足とかいうのは、ないのでしょうね。

 運動していたと言いましても、友達と、遊ぶくらいのものかもしれませんし…、それに、体力がなくても、それで仲間に馬鹿にされると言うこともないのでしょうし。

 前途多難ですね。アルバイトが始まってしまえば、それだけで、体力を使い尽くしてしまうということにもなりかねませんし…。下手をすると、それで、授業中は、耐えきれなくて眠ってしまうということにもなりかねませんし…。真面目そうに見えるだけに、ちょっと不安です。

 さて、学校です。

 「でした」や「ました」が入ってくると、「どうして、前のことに『た』がつくのか」ということが「理解」できなくて、固まってしまう人が出てきます。

 「なぜか」と私に問われても、判りませんし、よしんば、判っているとしても、それをタイ人にはタイ語で、スリランカ人にはシンハラ語で、バングラデシュ人にはベンガル語で、ベトナム人にはベトナム語で、フィリピン人にはタガログ語で、インド人にはヒンディ語で、彼らにわかりやすく説明できることなんてできませんもの。

 最初は、「こうです。覚えます」でやるしかないのです。

 ホワイトボードに、「時間の横線」を引き、「未来に向かって」のところを矢印で印をつけ、それから、「今」のところに印をつける(まあ、「今」の時間を聞いて、それを書いてもいいのですが)。そこに、わかりやすいように、ちょっと長めに縦線を引いて、区切り、「『今』より前には『た』をつける。『今』より後、そして『いつも』の時は、『た』をつけずにそのままにしておく」でよしとするしかないのです。また、それでいいと思います。言葉なんて、説明不能・理解不能のものですから。合点が行ける理屈なんて、そんじょそこらにころがっているわけではないのです。

 判らないと言う人は「なぜ、そうなるのか」がわからないのであって、それに拘泥してしまうと、次に進めなくなることさえあるのです。「これが、『わからない。どうしょう』」となって。けれども、理屈なんて判らなくたっていいのです、使えさえすればいいのですから。

 「た」をつけるということは、すでに「知っている」のです。あとは、自然に使えるようになります。ただ、それは「慣れ」であって、「理解」の領域のことではないのです。

 だから、「どうして」と問われても、「こういうときには、『た』をつけます」と言って、不安そうな顔をしている学生には、「大丈夫」と安心させ、「すぐに慣れますよ」とでも言っておけばいいのです。
 
 「日本語は難しくないんだ」というふうに、苦手意識をつけさせないことが一番大切で、それを、変に説明し始めると、却ってこんがらがってしまい、簡単なことまで難しく感じるようになってしまいます。まずは、安心させ、そうして、一週間、二週間も経てば、「入れた」当座は、「なぜ、なぜ」と言っていた人まで(毎日来てそういう練習をしていれば)、自然に、言えるようになってきます。

 本当にそうなのです。一ヶ月前まで、「どうして『た』をつけるのだ。意味が分からない」と、天下大事みたいに「わあ、わあ」騒いでいた学生まで、今では素知らぬ顔で、「昨日、言いました」なんて言っているのですから。

日々是好日
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「皇居散策」…みんな、日本のことをな~んにも、知らないんだなあ…

2015-04-28 17:33:02 | 日本語学校
 晴れ。

 「散歩日和」と言うには、少々、日差しが強すぎ、暑すぎる…かもしれません。

 今日、「皇居」散策に出かけます。

 まず、学生達は、「天皇」という言葉を知りません。それで、それは、日本の「王様」であるといい、また、「城」というのも、彼らの国によく見られる、「王宮」と同じものという説明の仕方で、なんとなくわかったような…感じ…になったので、それで終わり。随分乱暴な説明の仕方でありますが。

 こんな説明をしながら、南アジアなどの「インド圏」の学生たちの、日本文化理解がいかに貧弱なものであるかを思い知らされています。

 何にも知らないのに、どうして日本に来たのだろう。

 ただ、「先進国」であるとは思っているようなのです。その根拠は、車かな…ホンダとかトヨタの…。それも、車の会社が有名であるだけの、薄っぺらい東方の小国という認識にしか過ぎないかもしれません。

 「科学技術は優れているらしい」とは思っていても、その(技術が)拠って立つところの「文化」は知らない。…自分たちのものと違うし、欧米とも違うとは思っている…らしい(どこまで判っているかは疑問ですけれども)。

 そんなこんなの留学生達ですけれども、この学校にいる二年間の間に、少しでも多く、「日本」を知ってもらいたいですね。ただ、日本語を学ぶ、その過程においてだけなのですが。

 そして、その一助になるのが、今日の「皇居散策」のような課外活動。

 これまでは、ヤンヤヤンヤ言っても、来ない学生が少なくなかったのに、今年は、スルスルと部屋から学生達が出てきます。なんとなく、楽になった感じ。これまでは、どうして、こういう活動をするのかを説明しても、「てきとー」と思っていた学生が多かったのに、最近は、素直に聞いて出てきてくれます。そうすると、こちらも気分よく計画を立てることができます。魚心あればなんとやら、結局は学生達にプラスに働くのですけれどもね。それが自然に動き始めたということなのかもしれません。

日々是好日
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お散歩日和

2015-04-24 17:49:09 | 日本語学校
 晴れ。

 いいお天気です。

 昨日、朝のクラスに、少し早目に行ったとき、一人の学生が、「今日は散歩にいいですねえ」と、明るい声で言いました。天候は多少、不安定であっても、晴れていれば、本当に、素敵な「散歩日和」なのです。

 今朝、のんびり自転車を走らせて来ますと、幼稚園のそばで、「アカザ」が葉を広げているのを見つけました。真ん中が赤くなっていますから、たとえ一株でも目立つのです。そばには「ギシギシ」が伸びていました。「ボケ」の花はもう終わりかけていますから、やはり初夏が既に到来しているのでしょう。それに、公園のそばの道には、端に枯れ葉が固まって落ちていましたし…。若葉が芽生えるときに、古い葉を落としたのでしょう。

 さて、学校です。

 新入生が、日本の大学のことを聞いてきました。彼らはよくこういう聞き方をするのです。

 たとえば、経済を専攻したい学生であったら、「『経済の大学』はありますか」、土木を専攻したい学生であれば、「『土木の大学』はありますか」といったふうに。

 なんとなく、彼らの国では単科大学が多いような印象を受けます。…大学で一つだけか…。

 もちろん、いろいろな考え方はあるでしょうが、専門学校でなく、大学のよいところは、いろいろなことが一般教養として学べる所にあるような気がします。高校までの学校教育では、それがなかなかできません。大学に入って、初めてできることも少なくないのです。

 もちろん、留学生に大学進学を勧めるとき(特に日本語を聞き取ったり、話したりすることが苦手な学生には)、好きなことを学ぶために大学に入れば、そこにはあなたと同じことが好きな人が集まっている。彼らの話を聞いていれば、「自分も」というふうに、言いたいことが出てくる。時間は十分にある…。今は、焦ったりせずにやるべきことを一歩一歩進めていけばよいのだと言いはするのですが。

日々是好日

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藤の花の季節になりました…今年はちょっと早いかな

2015-04-23 08:40:08 | 日本語学校
 晴れ。

 昨日は、一日雨が降らないはずだったのに、午後、ふと窓の外を見ると、傘を差している人の姿が…。帰るときも小雨がパラパラと降っていました。もう、真冬の時のような冷たい雨ではなかったけれども、濡れてしまうと、やはり、寒い。学生達が、ため息をついていたのも、うなずけます。

 とはいえ、昨日、札幌市(北海道)でも、「サクラ(桜)」が咲いたとか。平年に比べ、11日も早いとのことでしたから、温暖化の影響でしょうかしらん。この辺りでは、「サクラ」はとっくに散って、緑の葉をさやさや言わせている、そんな「樹」としか感じられないような存在になりはてているのですが。

 そして、今は、「フジ(藤)」の季節です。近くの幼稚園の藤の花の見事なこと。藤棚があって、一メートルほどの藤の花房を垂らしています。本当に、あっという間でしたね。

 さて、学校です。

 連休を控え、もうすぐ「初級Ⅰ」が終わるクラスに、テストの予告。連休前に一度狭い範囲で、そして連休後には「N5」の試験を予告しています。

 これで、分かるのですよね。本当に自分の力で(N5に)合格して、来日したのかどうかが。

 もっとも、このクラスに、無事に編入している、6名は、自分の力で合格したと思われる人たちですから、それほど心配はしていないのですが。

 それどころか、最初の試験で、よくない結果が出れば、却って奮起して(連休中に)頑張るでしょうから、それはそれでいいと思うのです。

 特に、ベトナムの学生達は、「ひらがな」「カタカナ」で終わった…段階で来ている人もいて(約束が違う…)、ちょっと困っています。どこの学校がそういう人たちを送り出しているのかは、もう分かっているので、そこから来た学生は要注意という気がしているのですが。

 その二つの学校以外から来ている学生達は、一応は「25課」までは、やってきていますので、上の(22課)のクラスに入れているのですが、予想通り(ヒアリングにこそ難はあれ)他の国の人たちと同等に頑張ってくれています。

 リピートの声が合っていたりすると、また間違えたときの表情が明るかったりすると、いいですねえ。他の国の学生達への反応にも、きちんと日本語で言えていますから…、また、いいですねえ。

 もっとも、テストは別物のようで、昨年の4月生の時も、「N5」レベルの試験をしたときに、二人ほど、「…先生、分からない。どうすればいいの」という学生がいました。特に「聴解」の時がそうで、どちらを消していいかが分からない。

 普通のミニテストは、読解と文字語彙が一緒になったものなのですが、その時も、活用の変化で「いきます」を「いったら」とせねばならぬところを、「たら」だけ書いてしまったり…。

 きっと、こういうテストに慣れていないというのが大きいのでしょう。これから彼らにとって悩ましい日々が続きそうです。

日々是好日
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サツキの花が咲き始めました。

2015-04-22 18:33:21 | 日本語学校
 晴れ。

 「サクラ(桜)」って、いつ咲いて、いつ散ったんだっけ…と、そんな気になることもあります。全く、あっという間の出来事でした。そして今、満開だったころが嘘のように、新緑の葉が風に揺れています。

 そばには、盛りを過ぎた「ヤエザクラ(八重桜)」が、重そうな花をつけて、少々の風には動くものかとばかりに、どっしりと構えています。思えば、これも「サクラ」なのです。

 街路樹の下では、「サツキツツジ(皐月躑躅)」の花が開き始めています。この「サツキ」の花は、白いものは透明感があって、雨などの後に見ると、それはそれは美しいのです。もちろん、咲き始めのころも美しいのですが。

 さて、学校です。

 学校は、先週の月曜日から始まったのですが、授業と同時に、新入生達は、寮の規則についての話やら、市役所へ行って届けを出したりと、忙しい毎日を送っています。

 「四月生」は、二つのクラスに分かれ、17名は「初級Ⅰ」の最初から、残りの6名は、国で「初級Ⅰ」は終わってきていることから、「一月生」と同じ「22課」から(復習も入れて)始めています。

 本来なら、初級の一冊目は、皆、国で勉強してきているはずなのですが(「N5」に合格しているということは)、これも、かなり看板に偽りありのようで、中には、はっきり言わせてもらうと、この状態でどうやって合格したのと聞きたくなるくらいの人もいます(でも、合格しているのですよね。合格の紙はあるのです)。

 ただ、来てしまったからには、無下にするわけにもいかず、分からないことを承知の上で、少々皮肉るくらいが関の山。何とも、いつものことですが、嫌~な気分がしています。「初級Ⅰ」くらいのことは、母語で多少なりとも理解していないと、すぐにも困ることがあるのです。学生の中には、アルバイトを始めてしまうと、それで疲れてしまい(なかったら、なかったで、心労が重なって、何もする気にならなくなる)、学びはそこでストップしてしまうことも少なくないのですから。

 アルバイトをせずに、勉強に集中できる環境にある人ならいざ知らず、ほとんどの学生がそうではありませんから、やはり「初級Ⅰ」程度は、一応、母国でやってから来た方がいいのです。アルバイトを探すにしてもです(ゼロだと、何にもできません)。

 もちろん、そういう学校ばかりではなく、(彼らの国の学校によっては)、きちんと「初級Ⅰ」を終わらせてから、「N5」の試験を受けさせてくれるところもあります。そういうところから来ている学生は、日本に来てからが楽ですね。知っている単語や文型を、耳にしたものと対応させていいだけですから。それが一ヶ月ほども続くわけですから。出発点からして違うのです。

 「教える」ことが「副」でというより、かなりランクを下げた「従」で、「売らんかな」精神が「主」のような学校もある…どうもそうらしい。学生の方でも、とにかく日本へ行ければいいわけですから、教える力があるかどうかが、学校を選ぶ基準になるようなことはない…。

 で、日本に来てみて、「勉強させようとする学校」に入ってしまうと、「こんなはずではなかった…」ということになる。こうなると、どちらにとっても不幸なことになる。

 本当に、学校にとって、「入り口」が一番大切なのです。ただ、同国人でさえ、選ぶのは難しいこと。ましてや、言葉の通じない相手をや…はあ。

日々是好日
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傘を持ってこようとしない学生達

2015-04-20 08:45:24 | 日本語学校
 早朝は曇りでしたけれども、今は晴れています。

 本当に3時頃から雨になるのかしらんと思われはするのですけれども、春のお天気です。しかも、大気が不安定で、南からの湿った風がかなり強いらしいので、…きっと、降るでしょうね。

 この、(降り出すのが)三時頃というのが、難しい。12時頃であれば、学生達はきっと傘を持ってきているでしょうから、帰りに揉めずに済みます。また5時頃まで、お空が堪えてくれていれば(だいたいが学校の近くに住んでいるので)、走って帰ることもできます。

 それに、学校の裏の寮に住んでいる学生達、(来るときが)小雨であっても、雨は雨なのに、「大丈夫」とか言って、傘を持ってこようとはしないのです。そして、帰り。帰りは本降りです。「せんせい、傘がありませ~ん」…。もしかしたら、これが言いたかったのではないかしらん。だって、毎回、このパターンで攻めてくるのです。

 玄関で帰る学生達を見送る教師の、(その時の)困ったような顔を見て、満足して、「大丈夫」と、(豪雨でなければ)ニコニコしながら帰って行くのです。濡れるのが嫌じゃないのかしらん。

 高校を出たばかりの学生達は、中国人学生の時もそうだったのですが、ベトナム人学生も、なりは大きくとも、どこかしら中学生のように感じられることが、多いのです。日常会話レベルで終わるのです。もちろん、中国人学生は漢字を使った文章が入るころから、生き生きとし始めますから、だんだんに社会問題などについての知識も入っていくのですが。

 ベトナムの学生達をみていると、大学を出ていても、そういう知識がほとんどなく(社会問題にそれほど関心を持たない…持たないように教育されているのかもしれませんが)、聞かれると、「(そういう問題は)たくさん、あります」としか言えないのです。そして「でも…関係ない」というのが、大半の学生達の反応なのです。

 高校入試で、それなりの知識や考えを必要とされている日本とは違います。もっとも、日本でも、自分なりの考えを持っている学生は、ごくわずかで、大半が高校に入学するための「知識」レベルで終わっているのですが。

日々是好日
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初々しい新入生

2015-04-16 13:58:18 | 日本語学校
 「風薫る五月」とでも言いたくなりそうな、青空が広がっています。

 昨日は、朝は、晴れていたものの、大気が不安定ということで、どうなることかとひやひやしていました(落雷、突風、雹の恐れあり)。ただ、ここはそれほどのことはなく、まずまず、ほっとしました。

 数日前、フィリピンの女子学生が、嫌なものと聞かれたときに、「…今の天気。」と応えていたのが、思い出されてきます。確かに四月になってから、もう切れ切れながら、10日ほども雨が降っていました。台風の多いフィリピンからやって来ていても、そうなんだ(嫌なんだ)と、思わず同情してしまいましたが。

 確かに、昔から、このようなお天気のことを、「春の嵐」と言ってきました。ただ、毎年、こんなふうだったっけと、ちょっと、違和感を覚えているのも、事実。
 
 さて、学校です。

 新入生達は、…みんな、あまりに、新入生らしいので、思わず、へへへ…。年齢が少し高い学生でも、どこかしら初々しいのです、顔だけ見ると、おじさんみたいに見えるのですけれども…。

 「一生懸命」とか、「ひたむきさ」とか、そういうものが顔に表れると、人は若くみえてくるようです。

 ひところは、そんな感じがする学生があまりいなくて、学生が来る(初登校)と同時に、(顔や様子を見て)こちらは戦闘態勢に入る…みたいな感じだったのです…よくないことですが、お互いに。

 とはいえ、初々しいかにみえている学生達も、日本になれてくるとだんだん、変わっ
てくることでしょう。また、そうでなければ、異国でやっていけないのでしょうが。

 日々是好日 
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これから、勉強しなければならないことが、たくさんあるんですけれども…。

2015-04-14 14:43:20 | 日本語学校
 曇り。

 もう、パラパラと雨が降り出したとか。もう少し、頑張ってくれるかと思っていましたけれども。

 来る途中、「スギナ(杉菜)」が、ごっそりと生えている所を見つけました。迂闊でしたね、もう少し前だったら、「ツクシ」が見られたのに。…残念。見たかったなあ。

 昨日は、自転車を置いて帰ったので、今日は歩いてきました。歩いてくると、それなりのご褒美がもらえます。「アジサイ(紫陽花)」の背が伸びて、大きな葉がついていました。きっと、「菜種梅雨」が続いているからでしょう。寒いにもかかわらず、頑張って伸びていました。

 さて、新学期が始まった学校です。

 新入生は二手に分かれました。「初級Ⅱ」に入る人たちと、「初級Ⅰ」で、「いろは」からやる人たちの二つです。中には、国で既に「初級」を終わっているのに、「いろは」からやりたいという人もいます。 

 それで、動揺する「初級Ⅱ」クラスの人もいましたので、これからあと、どれだけの分量を学ばねばならないかを、「中級」レベルの教科書を見せながら説明しました。

 「漢字圏」の学生ならば、たとえ、「中級」に進んでいても、「初級」をやった方がいい場合もあります。それに、二年か、一年半ほどもあれば、(N1合格までに)十分に間に合いますので、そんなに困らないのですが、「非漢字圏」の学生達はそうも言っていられないのです。

 「中級」の教科書を見せ、「N3」「N2」の文法書を見せ、決してのんびりはできない旨を伝えていきます。

 もちろん、これから、勉強だけではなく、生活のためにアルバイトもしていかなければなりませんから、一ヶ月、二ヶ月という時間が貴重なものになっていきます。一ヶ月前には判らなかったことが、今はわかる。特に語学は「ヒアリング力」が大切ですから、半年前に来た学生と、来たばかりの学生とを比べると、それこそ雲泥の差なのです。それは、面目にやらなかった学生と比べても、やはり違うのです。

 それに、大学受験や「N2」の試験が近づき始めると、途端に、(今まで余り真面目にやってこなかった学生でも)あと、三ヶ月あったらなあなんて、言い出すのです。最初の一年なんて、彼らにしてみれば、あっという間に過ぎてしまったくらいの感覚しか無いのでしょう。なんと言いましても、日本に慣れるには時間がかかります。学校に慣れる、アルバイトになれる、食事を自分で作ったり、掃除したり、洗濯したりするのにも慣れていかなくてはなりません。

 日本人なら、一浪、二浪にそれほど抵抗もないでしょうし、ビザが…なんていうのもありませんから、「また、頑張ればいいさ」と思えるのですが、彼らが日本語学校で学べる時間は定められているです。学びたいだけ、いてもいいというわけではないのです。

 「非漢字圏」の学生は、往々にして、「初級全部で、『N1』だ」みたいな、のんびりした気分でいるので、困ってしまうことがあります。まあ、多分、「N3」と「N1」の違いも、あっちの方が漢字が多いくらいでしか捉えられないのでしょうが。

日々是好日
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今日から新学期。

2015-04-13 11:59:18 | 日本語学校
 曇り。

 直に雨が降り出しそうです。

 …天気予報では、もう降っていてもおかしくない時間…なのに、降っていない、と言うことで、大慌てで、自転車でやってきました。着いたのが、ちょうど7時。まず、お湯を沸かしてと…した途端、ドアが開く音が…。

 最初は学生かなと思ったのですが(時々、夜勤開けに来る学生がいるのです。「帰る途中、学校に電気が付いていた。家に帰ってしまうと、つい眠ってしまうので」と言って)、見知らぬ男女が立っていました。

 「ここは学校ですよね」。「そうです」。「彼女は勉強したいです」。「どれくらい日本語ができますか」。「ひらがなとカタカナは大丈夫」。「では『初級Ⅰ』のクラスですね。午後のクラスになります」。「午前はありませんか」「ありません。午前のクラスの学生は、もうここで三ヶ月勉強しています。」「彼女も、もう三ヶ月勉強しました」。「けれども、ひらがな、カタカナレベルですね(と言って、『初級Ⅰ』の教科書を取り出し、今はここと指さす)やはり、午後のクラスでしょう」。

 ということで、午後1時に見に来ることに。

 不思議なのですが、今日のように、曇っていて、少々肌寒い日。

「春の野に すみれ摘みにと 来し我そ 野をなつかしみ 一夜寝にける」  山部赤人

こんな気分になるのです。

 ただ、日本も、それが難しくなりました。30年ほど前には、こういうことができる、あるいは、できそうな場所が郊外にもありましたのに。今はだめですね。きれいに整地されてしまっています。寝ころべる野原というのが、一番いいのでしょうに。

 何も遊具のない公園。雑草が生い茂っている公園。こんなものを、望むほうが無理なのでしょうか。あったら、大人もすぐに童心にかえって楽しめるような気がするのですが。

日々是好日
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「暖かい」と、「涼しい」

2015-04-10 09:56:29 | 日本語学校
 晴れ…というか、薄日が射している程度なのですが。

 今日も肌寒く感じられます。

 面白いことに、「春・夏・秋・冬」という四季を表す言葉も、その意味も分かっているし、一年ほども、日本にいて、その感覚も分かっているはずの、南国から来た留学生達。

 判っているだろうと、高を括っていた私が、唖然とするようなことがありました。

 「涼しい」と「暖かい」の感覚というか、その違いが、認識できていなかったのです。秋に「暖かい」を使ってみたり、春に「涼しい」を使っていたりしていたのです。もちろん、どちらを使っても余り違和感のない「時」もあるのですが。

 彼らは彼らで、(「それはちょっと、おかしい」という注意を受けて)同じ気温であるのに…と、憮然としていました。

 迂闊でしたねえ。それからは、いつも「春は暖かい、夏は暑い、秋は涼しい、冬は寒い」を、幾度か(ほどよい間隔を空けて)、繰り返すようにしているのですが。

 そういえば、「『爽やか』は秋の言葉である」とか、「『霧雨』は同じような小糠状の雨が降っても、春に使うものではない」とか、いろいろありましたっけ。

 同じ気温であっても、暑さから寒さに移る、その過程で使った方がしっくりいく(「涼しい」という言葉だけではなく)というような感覚は、この日本の気候から培われてきたのでしょう。四季がはっきりしており、移ろいを肌で感じることができるから、自然にできてきたのです。

 ただ、俳句や短歌愛好家などでなければ、「季語」は、あまりわかりませんねえ。新たに加えられたものも、少なからずありますもの。

 ところで、留学生達です。今日などは、暖かい、涼しいなどは言わずに、ひたすら、「寒い、寒い」で通しています。4月生を連れてきたスリランカの学生を見ると、ダウンを着込んで、寒い、寒い…。やはりねえ。昨日、成田に着いたベトナムの4月生を見ると、分厚い毛糸の襟巻きをして、エリマキトカゲ状態。やはりねえ。来週の月曜日は、少しでも暖かくなるといいのですけれども…。

日々是好日
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今日、二人来ます。

2015-04-09 09:05:02 | 日本語学校
 晴れ。

 少々寒いけれども、昨日の「みぞれ」が嘘のようです。青空。

 今日は、4度から12度くらいになるとか。朝のうちは、まだ冬のコートを着ている人が多かったようですけれども…。

 …冬物をしまうというのは、まだ早すぎるのかしらん。

 さて、昨日、朝は、成田(空港)から一人、昼は、羽田(空港)の方から一人、学生がやってきました。

 羽田は学生の誰もが行ったことがない…ということで、教員が行ったのですが。思えば、成田と羽田と、降り立った場所が違うと言うことは、最初の日本に対する印象が違ってくるということにもなります…。まあ、どちらもきれいなのですけれども。

 行徳の町はその中ほどにあるので、成田空港から来れば、(電車は田園地帯を通って行徳の方に来ますから)以前、ミャンマーの学生(大卒)が言ったように、「ほっとする。国と同じ」という光景が続き、羽田から来れば、これは、ちょっと驚くかもしれません。

 どちらがいいかは、それぞれでしょうけれども、高校を出たばかりの学生達にとっては、羽田の方が、「来た!」という気持ちになれるのかもしれません。

 昨日、東京の西の方では、やはり「サクラ」の花に雪が覆い被さっていたとか。17年ぶり(?)であったそうですから、やはり温暖化は進んでいたのですね。

 予報によると、今日の午後から、暖かさが戻ってくるとか。

 「一重のサクラ(桜)」が散りはじめると、「サクラ」以外の木の花が一斉に咲き始めたり、木々の緑が色を濃くしていったりが、普通なのですが、今年はその中ほどで、ちょっと立ち往生してしまったようですね。

 とはいえ、「ヤマブキ(山吹)」も咲いています。「ハナニラ(花韮)」も咲いています。「タンポポ(蒲公英)」も咲いています。「ツクシ(土筆)」はもう疾うに「スギナ(杉菜)」になってしまいましたけれども。

 そういえば、「シロタンポポ」の姿を見なくなってから久しい…ような。最近は濃い紫の「スミレ(菫)」を看ることが増え、懐かしい花々が「復活」しているような気がしていたのですけれども…。

 さて、学校です。

 今日、二人、朝と夕、別々にベトナムからやってきます。迎えに行くのは去年の4月生達。そして、4時過ぎには、スリランカの女子学生が、4月生(スリランカ)三人を連れて学校へ来ます。

 今年は例年よりも一週間ほど遅く新学期が始まるのですが、すると、皆がだいたい揃うようですね。やはり、始めたときに皆の顔が揃っているのが一番いい。もちろん、どうしても、異国から来ると言うことで、一人二人は間に合わないというのも、当然なのでしょうけれども。

日々是好日
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みぞれ。…やはり、学校のそばに住んだ方がいい…。

2015-04-08 09:38:38 | 日本語学校
 みぞれ。

 十数年前、ちょうど「サクラ(桜)」が、七分咲きのころに雪が降ったことがありました。咲いたばかりの花の上に真っ白な雪がうっすらと積もって、それは美しく見えたものでした。

 今日はみぞれ。しかも、みぞれと言った軽い感じのものではなく、水分を含んだ牡丹雪がどっしりと降ってくるような感じなのです。傘を持つ手に応えるなという感じです。そう思いながら、小学校への角を曲がったのですが。

 路上に散り敷いている花びらを見ているうちに、少し風に泳がされて降ってくるみぞれとそれが、一つになったような気がしてきました。これはみぞれではなく、散る桜の花びらの、それであると、そんな気がしてきたのです。

 いいですね。でも、歩いていても、寒かった…。

 今日は一日、朝から気温が上がらないそうですし、まるで冬です。天気図を見ると、東京と札幌の最高気温が、同じ五度。…明日も寒いと言いますから、大変。春は、少しばかり足踏みを始めたようです。

 さて、学校です。

 知らぬ間に成田に着いていた4月生を連れて、在校生が「今から(学校へ)行く」という連絡。中には連絡もなしに、「来ました」…という人たちもいて、これまた、大変。

 スリランカの学生は、ほとんどが同じ日本語学校から来ています。それで、先輩連が迎えに行く…ので、問題はありません。それに、そうではない人たち(近所に住んでいる親戚が呼んでいます)も、(私たちが)出迎えに行かねばならぬこともなく…、それゆえに、誰がいつ来るのか、いつ成田に着いたのかが判らない…のです。

 昨日、来た学生は、「学校から一時間くらいの所に姉夫婦と一緒に住むことにした」というので、再考を促すことに。

 どこに住むかということは、とても大切なのです。

 「一時間かけて学校へ来、また一時間かけて家に戻り、あるいはさらに多くの時間をかけてアルバイトへ行き、戻り、また一時間かけて学校へ行き…」を、繰り返せるかというと、まず、できない。これはスリランカの学生だからできないというのではなく、無理な設定なのです。その間、学校の近所に住んでいる学生達は、それなりのアルバイトを探し、終わると帰って、こういう学生達よりも二時間ほども多く眠れるのです。しかも、ギリギリまで。

 15分の休み時間に、寮へ戻って、ご飯を食べてくると言う強者までいるくらいですから。

 特に、真面目で、勉強への意気込みがある学生は、学校のそばに住んだ方がいいのです。

日々是好日
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小雨…。桜散る…。

2015-04-07 08:35:06 | 日本語学校
 小雨。小糠雨。

 それほどの寒さは感じないけれども、10分ほども自転車を走らせれば、(濡れて)肌寒さを覚えるくらいの感じ。

 とはいえ、一雨ごとに緑の息吹が強まるのを感じます。花が散り始めた「サクラ(桜)」も緑の葉が目立つようになっていますし。

 「サクラ」はかなり散っています。ここ数日、風が強い日が続きましたし、そして雨です。濡れた路上に「サクラ」模様を描き、春の終わりを告げています。

 この頃、今でも、人々がふと思い出す古代の詩歌の中では「サクラ」が一番多いでしょうね。「ゆく春」を惜しむだけでなく、己が人生を重ねているような、そんな時もあるでしょう。

 さて、そんな感傷とは全く関係なさげに見える学生達です。

「サクラはいつ咲きますか」…もう咲いている…。
「サクラはいつまで咲きますか」…もう散り始めている…。

 どこか、彼らとはかみ合いません。

 けれども、よく「サクラ」をスマホで写しているのです。赤かったり、白かったり、「サクラ」の色は淡いピンク一色とは限りませんし、それに一重(桜)とも限りません。もうすぐ八重(桜)咲き始めるでしょうし…多分、彼らは彼らなりにきれいな花だと思ったから、写真を撮っているのでしょう。あるいは、それが桜と聞いて、ふるさとに送ってやろうと撮っているのかもしれません。。

 昨日も、学生が一人、濃い赤というか、紫がかった花色の「サクラ」を写していました。そして「えっ?これもサクラですか」

 (桜の)花の色は緑も黄色もありますよと言うと、へえっと一応は驚いて見せますが、きっと別れればもう忘れているでしょうね。

 もちろん、日本人でも、八重が好きとか、枝垂れがいいとか、その反対に、淡いピンクのごく普通の花がいい、あるいは、山桜のように素朴なのがいい…まあ、人によって好みは様々…ですが、そこには思い入れがある。銘々の心に宿された想いがある。

 一年に一度の、この「祭り」に、一年に一度、あるいは一生に一度の思いが重なったりする。故人を想ったり、自分を懐かしんだり…だから、「サクラの文化」と言われるようになったのでしょうし、厚みも増してきたのでしょう。1000年以上も前からの一人一人の思いが沈殿しているのですから、桜は鬼にもなりましょう。

 外国の人が言うように、「すぐ散る(潔い)」からとか、それだけではないのです(もちろん、それだからこそ、思いは強まるのですが)。それぞれの思いが、その花に纏わり付くようにしてあるから、重なり合った文化に深みが出てくるのでしょう。

 さて、4月生です。

 昨日、卒業生が、一人、弟を連れてきました。

 試してみると、きょとんとしている(何も判らない様子です)。さてさて、13日の始業日までにどれほどできますやら。卒業生の方は、この学校のやり方をよく知っているので、(13日までにカタカナを覚えさせるとか、単語を10課くらいまで、覚えさせるとか)ムキになっているのですが、スリランカタイムからまだ日本タイムになっていない、当の本人は、ニコニコして、どうしたのかなくらいの気持ちで私たちを見ているだけ…みたいです。

 甘えさせないで、ちゃんとアルバイトもさせると言っていましたから、大丈夫でしょう。この学校にいたときから、スリランカの他の学生達から「兄貴分」扱いされていた彼ですから。

 明日から、ベトナムの学生(4月生)達が次々とやってきます。迎えに行くのは、主に、(ベトナムで)同じ学校から来た人たち、あるいは彼らの親戚に当たる学生たち。去年の今頃は迎えに来てもらっていたのですから、荷物が重くとも頑張って連れてきてくださいね。同時に、成田の方はまだ桜がきれいに咲いているでしょうから、電車で眠ったりせずに、車窓から景色を楽しむのもいいですよ…と言いはしたのですが…、多分、ずっとスマホから離れられないでしょうね…。

日々是好日
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サクラが散り始めました。

2015-04-02 09:05:55 | 日本語学校
晴れ。

 早、「サクラ」は散り始めています。本当に束の間の夢のようです。けれども、それがいいのでしょう。散るのなら諸共にというところでしょうか。もっとも、これは後の話ですけれども。

 暖かくなったり、寒くなったりを繰り返し、春は闌けていく…その言葉通りに、昨日の昼は暖かさを通り越して、暑いくらいでした。それなのに、日が陰るころからぐっと気温が下がり、帰るころには、「寒い、寒い」とぼやかねばならないくらいでした…。

 さて、学校です。

 昨日は、人の出入りがまた一段と多かった…。

 だいたい、学生達は、夏休みや春休みといった、長期休暇には、教員はだれも学校にいないと思っているようで、電話をかけたりすると、「あっ。先生、学校にいますか」と来る。 「いますよ。みんなは休みでも、先生達は違います」「……」。どうも判らぬらしい。煙に巻かれたような顔をする人もいます。
 
 真面目で、毎日学校に来ていた学生は、2、3日ぶりに会ったりすると、すぐに懐かしそうな顔をします。あまり学校と縁のない人はそんなことはない…のでしょうね。

 今年の「4月生」が、明日辺りから来始めます。多くは来週のようですけれども。それで、一人に迎えを頼んでいたとき、他の一人が、別の学生を指さして「○○さんも、迎えに行きたいです。弟が来ます」と言うので、驚いて(そういう情報は全く入っていませんでした)聞くと、いとこが来るらしい。勉強しない人は嫌ですよと言うと、どんな人か判らないと言う。まあ、いとこと言っても多分、そんなものでしょう。で、彼がその日には迎えに行く係になります。

 日にちが判ると、できれば、同じ学校から来ている人が迎えに行くようにして、学生達に連絡をします。そうでない場合は、同じ国から来ている誰かに頼んで行ってもらううのですが。みんなどうも、成田空港に行くのがうれしいようです。

 一年ぶりで成田に行くわけですから、懐かしいのかもしれませんし、あるいは、来た時は、それどころではなかったからかもしれません。日本語が多少わかるようになっている(はずです)でしょうから、来日した学生を見て、一年前の自分を思うこともあるでしょう。それに、成田空港行きの電車は、来週だったら、まだ「サクラ」や「ナノハナ」がきれいでしょうから、のんびりと外を眺めてもいい(行きは楽です)。

 とはいえ、久しぶりに話してみると、ベトナムの学生は、日本語がきれいに落ちていましたね。まだ日本語が耳に慣れる前に、休みになったからでしょうか。一年ほど経っていても、そうなのですね。

 彼らと反対なのが、スリランカの学生ですけれども、ただコツコツ真面目に勉強できる人は、それほどでもないというのが面白い。

 この、対照的な二つの国の人が今年度の「Aクラス」には半々ほどもいるのですから、さて、どうなりますことやら。

 もちろん、毎日学校に来て、真面目に勉強する人を中心に進めていくのですが…。

日々是好日
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花曇り

2015-04-01 09:26:29 | 日本語学校
 曇り。

 「花曇り」です。今朝、いつもとは違う路を通ってきました。あっちでもこっちでも「サクラ」の花が満開です。昨日の大風で、満開になったばかりのサクラが散らされてしまったのではないかと心配していたのですが、杞憂に過ぎました。聞くところによると、満開になってからのサクラは案外強いとか。そうやって、見ていると、ちょっと変わった樹がありました。これは「ハナカイドウ(花海棠)」かな…。風に揺れて、うつらうつらしている様子です。

 「レンギョウ(連翹)」やら、「ユキヤナギ(雪柳)」やら、ピンクの花の下には、白や黄色の花々が波打っています。晴れでなくて、今日のような日でも、散歩は楽しそうです。眼福というものです、春のこんな日は。

 さて、学校です。

 大学にしても、専門学校にしても、本当に学費が高い。学びたいと思っている者が、もう少し自由に学べるようにはならないものか。特に、「日本で、○○を学びたい」と本気でやってきた者を前にすると。

 これは留学生だから言うのではなく、日本人の若者にとってもそう。日本の十八番芸、芸術系や科学技術方面を学びたいと思っている者にとっては、この、学費の工面が、なかなかに難しい。

 私立はそれぞれ主張するものがありますから、一概には言えないのですが、国公立では、もう少し、学びたい者が学べるような仕組みができないものか。学費が高くなければ、試験という垣根が高くなるのです。

 芸術系にしても、必ずしも流暢に日本語が話せなければならないというものでもないはずである…し、理工学系のものでは、手作業が主になるので、いろいろな国で、言葉を異にする人たちに教えた経験を持っている人にとっては、何が何でも高いレベルの日本語ができなければならないと学生を峻別する必要はないのではないか。それよりも、その人の資質を考えていただけないものか。

 もちろん、言葉が流暢に話せる、また読める人は日本と相性がいいと言ってもいいでしょうから、その方が楽ではあるけれども。ただ、二年とか、一年半とかでは、日本語を学ぶ時間が短すぎるのです(試験が始まるのは、来日後一年とか、一年半からですから)。

 日本でも英語教育の早期実現を図る向きもあれば、まず母語からという反対意見もあります。他の国の人から、日本人は英語がだめなのに、どうしてノーベル賞が取れるのかと尋ねられたことがあります。

 英語というフィルターを通してしか、知識や技術を習得できなかったならば、おそらく、日本はこのような繁栄を享受できてはいなかったでしょう。母語で教育を受けることができたからこそ、自由な発想ができ、私は英語が得意とか、私は機械が得意とか、大きな顔をして言えるのです。

 国によっては、自分たちの言葉で、教育を受けられない人たちがいます。世界で共有する言葉は確かに必要でしょうが、それとはまた別に、学習できる言葉も必要なのです。知識を得たら、それについて考えていける言葉です

 私はこの仕事を始めてから、在日の親に呼ばれた子ども達が、日本語はペラペラ話せるようになっているのに、また中学程度の国語の教科書なら読めているように見えるのに、文章の意味が全く分っていなかったというのを、幾たびも見てきました。

 ただ、留学生達は、その大半は、高校まで自国の言葉で教育を受けてきています。「感じる言葉」と「考える言葉」、「知識を理解する言葉」が同じなのです。

 だから、一年ほどで、日本語の漢字を500ほども覚えたあと、どれほど専門分野について知り、考えることができるかは、本人の資質にすべて拠るのであって、日本語のレベルに拠るのではないのです。

 来日後一年ほど(日本語を)学んだだけであるから、日本語のレベルが理想にはほど遠かった。だから、学費の高い私立大学しか行けるところはない。しかし、その学費というのは日本人であっても、そう簡単に出せるような額ではない。よって、大学はあきらめざるを得ない、あるいは、その専門をあきらめざるを得なかった。というのは、かなり辛いことです。

 そういうことが少なくなればいいのですけれども。多分それは、国際交流のために何億ものお金を使うよりも、ずっと現実的で確実なものであるような気がするのですけれども。

日々是好日
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