日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「卒業生の結婚式」。「やはり…大学の方がいい…」。

2013-04-30 09:04:40 | 日本語の授業
 もう、「暮春」とも、「晩春」とも言えなくなっています。寒さともやっと縁が切れそうなです。

 今日は朝から風が強く、お向かいの真鯉も緋鯉も子鯉も矢車のカラカラという音と共に風に翻っています。

「江戸っ子は皐月の鯉の吹き流し 口先ばかりではらわたはなし」

 大きな口をぱくりと開けて、風を身体に通しながら、大きく身体をくねらせて舞っている、吹き流しの鯉を見るにつけ、このことわざが思い出され、何となくおかしくなってきます。

 そういえば、「江戸っ子の生まれぞこない 金を貯め」っていう川柳もありましたっけ。今は、そうもいきますまいが、かつては「江戸っ子は 宵越しの銭は持たぬもの」と相場が決まっていました。もっとも、当時でも、そういう人は、そうせざるを得ない環境に、生い育ったが故に、そうなったのでしょうが。

 さて、先週の土曜日、卒業生の結婚式に行ってきました。行ってみると、彼がいた頃の教員仲間も尾道から来ていましたし、(この学校を卒業後)彼と同じ大学に通っていたバングラデシュの卒業生も来ていました。それに大学の恩師という方にもお会いし、お話を伺うことができました。

 実は、結婚式が終わり、披露宴への移動というところで、卒業生に気がついたのです(前日まで沖縄へ出張していたのだそうです)。すっかり貫禄がつき(太っただけではありません)、三年という歳月の重みを感じてしまいました。それに、日本国中だけでなく、アジアをも駆け回っているという話に、思わず「ほう」。

 結局は、やはり大学へ行った方が、いいのでしょう。二人とも大学で、初めて自分を発展させていくことができたようですから。日本語学校にいる間は、否応なく、とにかく、(知識技能を吸収すべく)道具たる日本語を学ぶしかなかった。言語方面の獲得が得手な者はいいけれども、そうではない者にとって、漢字などは苦痛でしかなかった…はずです。まして漢字交じりの文章を読み解くなどは。

 学びたいものがあって、日本へ来たからには日本語を習得せねばならぬという、それだけのために日本語学校にいた学生には、(この学校にいた大部分の時間は)才能に則って翼を広げる機会も場所もなかったと言った方がよかったでしょうし。

 もちろん、ただ大学へ行けばいいというわけではありません。それには、四年間という時間だけではない何かが、働いていたことでしょう。大学で学べるもの、見聞できるもの、そして出会い、縁をも含めて。これらが、四年間という時間の下で、ゆっくりと熟成されていったのかもしれませんし。これは、彼らが考えている以上に大切であったと思います。

 披露宴での、彼らの立ち居振る舞い、おそらくは能力の表し方にしても何にしても、そのまま、日本の会社で働いている、普通の日本人の中にあっても、少しも遜色もないし違和感もなかったのです。それを見て、なぜか、不思議だなと思ってしまいました。

 日本語学校には、母国の大学を出てやって来ている学生もいます。中には、(日本語学校)卒業後、そのまま日本の会社に就職する人もいます。そんな人達とも違うのです。彼らは(日本の)大学を卒業してわずか三年しか経っていないのに、本当に違和感がないのです。かといって、自分を抑えている、無理に合わせているというのとも違うのです。そのまま、素直に、自分らしく、翼を拡げたり、閉じたりしているように見えるのです。

 もしかしたら、大学入試で苦労した後、大学での試験、様々な行事、そして就活などを通して身に付けていったものが基盤になっているからかもしれません。バングラデシュから来た彼は、確か以前30社くらいを受けたと言っていましたし。

 そのどれもが、彼らの「肥やし」となり、未来を切り開いていく上での「土壌」となり、そして、日本の大地で生きていく、今の姿になっていったのでしょう。摩擦はあっても、それが時には大きな軋みとなっても、そんなことはこの地に生まれて育ってきた日本人だってあることですから、別に彼らだけの問題ではないのです。それが感じ取れるほど、多分、これまでには、いろいろなことがあったとは思いますが。

 卒業生の、その後(大学を卒業し、就職してからの)を見て、なぜかより一層、大学を勧めるぞという思いを強くしてしまいました。もとより、無理だと思われる人には勧めはしませんが。アルバイトもこなしながら、休むことなく学校に来て、勉強している人は特別なことをしなくても、自然に日本に通用するようになっていくものであると、本当にそう思うのです。

日々是好日
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「皇居見学」。「スリランカ人学生と銀行へ行く」。

2013-04-26 08:17:52 | 日本語の授業
 曇り、時々晴れ。そして予報では突風が吹くこともあるとか。

 もう、こうなれば「何でも来い」に、なってしまいます。

 実は、昨日は「皇居見学」の日でした。学校では、晴れるか雨になるかで皆やきもきしていたのですが、蓋を開けてみると「晴れ」、見学日和で、楽しめたことと思います。


 そして、戻ってきてから、スリランカの新しい学生達を連れて、銀行へ行ってきました。最初は無愛想だった警備のおじさんも、三時間くらい経った後には、愛想良く小さな出口から出してくれましたから、好意を持ってくれたのでしょう。

 スリランカの男子学生達は、身体が大きいのです。しかも髭を生やしているので、二十歳くらいの学生でも、ちょっと年上の、そして強面に見えてしまいます。それが四人も一緒にいるのですから、警戒するのもわかるような気がします。ちょっと見かけは怖いのです。

 ところがこの学生達、何を言っても、「はい、先生」。そして「いけません」と言うと、「はい、ごめんなさい」と礼儀正しいのです。それは私とのやり取りでわかったはずです。このおじさん、だんだん親切になってくれましたから、いい子達だということを感じ取ってくれたのでしょう。

 ただ、彼らは「ひらがな」は終えたものの、「カタカナ」は最後まで習っていなかったのです(今日終わる予定です)。それなのに、銀行では、名前をカタカナで書かなければならない…。しかもその長さたるや、楽にカタカナで20文字は超えています(「濁点」は数えません)、中には30文字以上をカタカナで書かなければならない学生もいて、「これは『ブ』で、『ガ』じゃありませ」と、私がカタカナで書いて示していたにもかかわらず、写し間違えて、銀行の人に注意されてしまうのですから。

 その度に、「あ~あ、○○○○」とため息です。

 銀行の人も困ったことでしょう。最初の学生が「平成」のところに「印」をつけたので、皆がそれを見て同じようにしたところ、一人が「昭和」に引っかかっていたのです。これでまた書き直しかと思いきや、さすがに銀行の人も疲れたと見えて、「印鑑を貸してください」で終わってしまいました。

 学生達の中に一人、他の日本語学校から移ってきた学生がいたので、彼が何かと世話を焼いてくれました。実は、去年の7月にも同じように一人のスリランカ学生を連れて銀行へ行った時、頼んでもいないのに、半年ほど前に来ていた学生と、三ヶ月ほど前に来ていた学生が、ついてきてくれたことがありました。

 「どうして来たの」と聞くと、「一人では、○○○○さんが寂しいから」などと、わけのわからないことを言っていたのですが、実は手伝いに来てくれたのでしょう。日本語があまり通じない新入生に、私が言ったことや銀行の人が言ったことを直ぐにシンハラ語に訳して言ってくれていましたから。

 その三人が来ていなかったので、内心ではちょっと不審に思っていたのですが、この学生がいるから自分たちは行かなくても大丈夫と思ったのでしょう。

 一応あれやこれやの騒ぎが終わり、「待っていてください」と言われ、椅子に掛けて待っていますと、中の二人がスマートフォンでなにやらやっているのに気がつきました。フェイスブックに写真を載せているのだと言います。そして、私に、こんな写真も撮ったといろいろ見せてくれました。

 一人が腕に何かを巻いているのが見えました。どうも犬の保護運動のものらしく、「犬が大好き」と言って、今度は彼らの家で飼っている犬たちの写真を見せてくれます。すると、もう一人も「私の犬」と言って見せてくれました。皆、大型犬です。

 そのうちに、スリランカの学生が一人やって来ました。様子を見に来たらしく、向こうから覗き込んでいます。こちらに来るように言いますと、直ぐに皆の中に入って座り込んでしまいました。銀行の人が単発的に、呼びかけますので、ちょっと油断はできません。チェックに時間がかかると見えます。なにせ、「名前の文字は英語」と彼らは言うのですが、読み方が多少英語的ではない部分もあるらしく、彼ら自身からしてスペルを間違えて書くことだってあるくらいなのですから。

 彼らの名前で、まず五つくらいしか持っていなかったら、私は安心します。「どうにかなる」と考えるのです。このどうにかなるというのは、名前を全部読み上げなければならない時にという意味です。ところが、七つも八つもあると、どこまで読んでいたのか指で押さえないとわからなくなってしまいます。私たちが呼び慣れている名前が、だいたい真ん中へんにあるのですが、聞き慣れた名前がいくつも繋がっているので、誰の名前を呼んでいたのかわからなくなってしまうのです。

 名前を全部書けない時(長すぎて)も、前の二つを書くとか、真ん中辺りから切って後ろにするとか、あるいは後ろだけにするとかしています。どうも、融通無碍らしいとも見えるのですが、そこは、やはり、彼らなりの法則はある…ような、でも、ないような。

 そのうちに、銀行に入ってきた一人の日本人男性が「先生、お久しぶり」と私に声を掛けてくれました。この学校によく来てくれている人で、私も見知っている人です。すると、学生達が、彼を見て、「日本人?」と聞きます。「はい」と答えますと、「日本人と結婚したから?」。「違います。本当の日本人」。「お父さんか、お母さんが外国人?」と、どうも私の言っていることが信じられないらしく、どこかに異国の血を入れたがっているように見えましたので、「どうして?」と聞きますと、「ネパール人です」と言うのです。

 そんなふうに見たことがありませんでしたので、私の方が驚いて、「ええっ。日本人ですよ」。五人が頭を寄せて、ごちゃごちゃ言い合っています。そして、私の顔を見て「違います」。「違いますじゃありません。日本人です」。

 一度外に出たその人がまた入ってきますと、五人が首を引きのばすようにして彼を見つづけています、ちょっと失礼かなと思われるくらいに。その上、その人が動く度に、その後を眼で追っているのです、伸び上がるようにして。最後に私を見て「ネパール人です」。「……(でも日本人ですけれどもね)」。けれども、彼らがそう断定しているうちに、だんだん私の方でも、ネパール人のように思えてきたから不思議です(ごめんなさい)。

 そのうちに、シンハラ語で雑談ばかりしている彼らに、銀行にある「絵本」を取って、渡しますと、嫌がらずに見始めました。もう一冊、捜しているうちに、「アンパンマン」の絵本がありましたので、それを渡しますと(以前のスリランカ人学生が『アンパンマン』を知っていましたので)、ニコニコしながら「知っている」と言って、一人が読み始めました。皆が覗き込んで、読みが一つでも間違っていますと、途端に「『パ』じゃない、『バ』だ」と、突っ込みが入ります。

 そして四時近くなってから、「来てください」と呼ばれて皆が行き、そして終了です。帰りは警備のおじさんのニコニコに送られて、きっと学生達もホッとしたことでしょう。どうしてもその国の言葉ができないと、嫌な目に遭う確率が高くなってしまいます。

この学校では、何かあった時、そしてそれが教師が付いて行った方がいいと学校で判断できた時には、最初の頃は、必ずだれかがついて行っています。そのうちに、頑張って日本語ができるようになれば、その時は、もう私たちの付き添いは不要になります。彼らとも、「早く日本語が上手になってくださいね」と言って別れたのですが。

日々是好日
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「『声が小さい!』…スリランカの男子学生」。

2013-04-24 09:23:09 | 日本語の授業
 曇り。昼頃から雨になるそうです。時々、この時間帯(七時すぎ)でも、パラパラと降っているようですが。

 「春の雨は貴い」とよく言われているところですが、それも農耕民の子孫である私たちが伝統的に受け継いできた感覚なのでしょう。今では、街の街路樹や庭木などで楽しむくらいしか、その思いを自覚することはないのですが。ただ、肌に纏わり付くような柔らかな空気の中での春雨と、冷たさ、寒ささえ感じさせられる時の春雨とは、ちょっと、受ける感じが違ってくるような気がします。

 今年は「三寒四温」ならぬ、四寒三温のように感じられている春ですもの、「サクラ」が咲いた時も、こんなに寒いのに、と思ったものでしたが、散ってからも、寒さを感じさせられる日々が続き、「春、遅々として進まず」…でしたから、気持ちの上では。

 昨日など、学生(午後の学生)が遠慮がちに…先生、寒いです…と、暖房をあえかに要求してきたほどでした。もっとも「あえか」という語意から少し外れるかもしれません、男子学生でしたから。ただ、本当に声が小さいのです。蚊がブンブンと飛び回る音さえ、彼の声に比べれば大きいと申せましょう。

 この「午後のクラス」の男子学生達は、だいたい、皆、声が小さいのです。声が大きいのは、小さな身体のタイから来た女子学生くらい。スリランカから来ている大柄の男子学生達の声は、一体、(声が)どこにあるのかと言いたくなるくらいの、細さ、小ささなのです。「初級」で声が小さいと発音の不備が摑めません。ですから、無理をしてでも大きな声を出せと言っているのですが、それでも、少し大きくなるのは、その時だけで、2、3秒も経ってしまうとまた小さくなってしまうのです。

 授業が始まって、既に10日ほどは経ちましたから、順に一人を捉まえては、「もう一度、もう一度」と声を出させる訓練をしているのですが、これがまた手がかかること、かかること。

 勿論、「ひらがな」を読むのに、手を焼いているようですので、それも兼ねてなのですが。彼らにしてみれば、どうしてこんなことをさせられるのだろうとくらいにしか思っていないのかもしれません。

 それで、昨日も、「きゃ・きゅ・きょ」などの音が、ある程度出るまで言わせ、勿論、もし声が小さかったら、やり直しで言わせ、何度も言わせ、できるようになったので、そこで解放し、「では、皆で一緒に」としたのですが、この「皆で一斉に」となった途端、また「蚊」さんの「ブ~ン」に戻ってしまうのです。

 「あ~あ」とため息交じりに彼らの顔を見て、それからまた気を取り直して、きつい目になっている私の「悪意」など、全く忖度しておらず、またできもしないのでしょうが、(彼らと来たら、目が合えば)ニコニコと笑み返してきます。

 この声出しは、一週間程度で埒を明けてしまわないと、もう習慣になってしまいますから、これからの練習に差し障りが出てしまうのですが、う~ん、難敵ですね。

 「ひらがな」「カタカナ」を初めて習うというフィリピンとタイからの二人の学生はまあ、措いておいて、その他の学生のうち、問題はスリランカからの男子学生なのです。私の時には抑えつけられているからか、休み時間とか他の授業時間に、ちょいちょいと、女の子にちょっかいを出しているようなのです。勿論、タイの女子学生は強いですから、黙ってはいません。

 普通、日本や、多分タイでもそうでしょうが、こういうことには、「程度」というのがあります。ここまで行けば「やりすぎである、人に嫌われる、しつこいとされる」という限界です。どうもスリランカからの男子学生には、それが摑めないように(掴みにくいのかもしれませんが)思われるのです。

 はっきりと「しつこい、嫌い」と嫌われないうちに、手を打たねばと考えているのですが、それを説明するのが難しいのです。それで、今はただ目で、限度を超えていると思われた場合、つまり「ガン(眼)を飛ばす」でやっているのですが。これもその時は鎮まるくらいで、どれだけこの「効果」が続いているやら。

日々是好日
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「入学式でした」。「今度の四月生はスリランカからの学生が多いのです」。

2013-04-23 09:44:01 | 日本語の授業
 穏やかな朝です。「フジ(藤)」の花が満開になったと見ていると、あちこちで、春バラが蔓をはわせ、白や赤の花をつけていました。緑もきれい、花もきれい、いくら寒さが戻ってこようと、季節の進行は止められません。直に、「暖かい」から「暑い」へと変わっていくことでしょう。

 さて、昨日は、年度に四回ある「入学式」のうち、最初の四月生の「入学式」でした。思えば、彼らにとって、日本での授業が始まってから、まだ1週間しか経っていなかったのです。中には、「もうずっとここにいます」というような顔つきで座っている学生もいて、「おい、おい、君はいつ来たんだい」と言いたくなってしまいました。それも、在校生の中に彼らと同じ学校で学んでいた学生がいたり、人なつっこい学生がいたりで、物怖じするすることなく、彼らの中に入り込むことができたからでしょう。

 しかしながら、ふと見ると、歓迎会に座っているテーブルの向こう側がみんな「男の子」しかも、スリランカの男子学生。そうか、油断していると、すぐこうなってしまっていたっけ。男は男で、直ぐに固まってしまうのです。群れてしまうのです。自然に男女が混在し、自然に普通の話をしているというふうには、スリランカの男子学生も女子学生も、なかなかなれないようなのです。

 スリランカ勢が増えるということは、そういう面でもこちらが気を遣っていかなければならなくなったということでしょう。

 インドやバングラデシュ、パキスタンからの学生も、いつも少数派なので、目立たないだけで、もしかしたら、インド圏もイスラム圏の男女のように、男女が一緒に平等に勉強するということには、あまり慣れていないのかもしれません。

 一見、普通に話しているように見えても、私たちから見ると信じられないような一線が、彼らの中には歴然としてあり、そこを超えると、陰口が始まったり、非難の目で見られたりするようなのです。それが誰から、あるいはどこから始まったのかがわからないところが怖い。話に尾ひれがついて、多分、中にはやっかみも潜んでいるのでしょう、そして、大概、うわさ話の被害に遭うのは女の子の方です。ああいう社会では、それを単なる噂、本当じゃないのだからほっとけばいいと、日本人的に考えることはできません。噂は人の一生をだめにしてしまうことだってあるのですから。

 それでも、日本に来たからには、スリランカ人村の中に逼塞してしまうような暮らしはさせたくありません。ただ、ゆっくりと、ゆっくりと彼らの意識を変えていくしかないのでしょうが。

 その、彼らの意識を変えさせていく上からも、今、この学校に中国人がすくないのが、寂しいところ。彼らを中国人が多くいるクラスに放り込めば直ぐに変革ができてしまうのに。

 本当のところはわかりませんが(多分、内部では歴然とした差はあるのでしょうが)、現代中国では男女が対等にやり合っているように見えます。こちらから見ても、確かに表面的には男と女であるにも係わらず、やり合っている時には、対等な、男同士のように見えることも多いのです。

 数年前、スリランカ人男子学生が一人、そしてスリランカ人女子学生が二人、中国人が大半を占めるクラスに入っていたことがありました。学校の中で式があったりして、学生達の手を借りなければならない時でも、スリランカ人の男子学生は動かないことが多く、女子学生の方が動こうとしていました。

 その点、中国人男子学生は、率先して、机を並べたり、箒を持って来て掃いたりしてくれます。仕事は、女子よりも男子の方がテキパキと動くのです。女子が動く時でも、先に男子に指図したりしていましたから、スリランカの男女学生達とは大違いでした。二人でも三人でもいれば、あっという間に机の配置換えは終わり、後は小さい仕事だけというふうになります。

 最初は腕組みして、「女がするのを待っている」ふうに見えたスリランカ人男子学生も、偉そうにしているのを見咎められて、「あっちを持て」とか、「こっちへやれ」とか言われているうちに、だんだん身体が動くようになっていきました(これは、アルバイトの時でも助かったと思います。日本ではアルバイターなんてみんな同じですから。働く人が重宝されるのです)。動くことが身分に差し障ると思ったり、偉そうにすれば、皆に偉いと思ってもらえるどいう錯覚から逃れられたのだと思います。

 もっとも、中国でも上の人達は偉そうにしています。動きません。動くのは下っ端だけです(そこが日本と違うところです)。ただ、教師の前にいる学生たちは違います。直ぐにこちらの意を汲んで動いてくれます。それは伝統として、教師を重んじてくれるからだと思います。「文革」で、教師や知識があると見なされていた人達の地位は、ものすごく下げられてしまいましたから、今は「知識は金を生む」という観点から大切にしてくれているのかもしれませんけれども。

 元に戻りますが、スリランカの学生のことです。一番いいのは、学生の中にそういう動きがもともとあることです。けれども、スリランカからの学生が大半を占めるようですと、こちらが余程動きを作っていかなければ、また「男だけで固まる」とか、「少しでも輪から外れると生きにくくなる」とか、そういう村根性が表面に出てくることでしょう。勿論、これも、日本語力がついてくると共に、少しずつわかっていくのでしょうが。

日々是好日
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「うらうらに照れる春日」。「入学式」。

2013-04-22 08:56:15 | 日本語の授業
 晴れ。昨日は寒かった。おまけに冷たい雨が降り続いていて、「四月も下旬になったのに」と、春の女神に恨み言を言いたくなってしまいました。東北では、満開になった「サクラ」の花の上に、水分を含んだ重たい雪が覆い被さり、きれいはきれいでも、気の毒という言葉を掛けたくなるような姿になっていました。

 しかし、今日はすっかり晴れ上がっています。

 「うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも 独(ひとり)し思へば」  (大伴家持)
 「うらうらに 照れる春日に ひばり上がり」までは、今日のお天気、そのままなのなのですが、下の句はいけませんね。今朝は昨日の寒さが残っているものの、悲しという雰囲気ではないのです。それよりも、

 「春の苑(その) 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出立つ おとめ」  (大伴家持)
の方が、時期こそ違え、今朝の雰囲気にはあっているのかもしれません。まだ3月上旬のような寒さが残っていることですし。

 もっとも、そうは言いましても、道には、「ハルジオン(春紫苑)」が、可憐な花を咲かせていますし、そこここに「フジ(藤)」の花が花房を垂らしています。

 ただ、これはあくまで街の景色なのです。野草としてみられる「ハルジオン」にしても、許された、わずかばかりの土地に飛来した種が花を咲かせているだけのことですし、「フジ」にしても、人があしらえた棚に巻き付いた「フジ」の姿であって、山野で見かける「フジ」の逞しさ、勁さはあまり感じられません。

 この頃になりますと、心が浮き立つようになって、山里を散策したくなります。まだ足が本調子ではないので、無理はできませんし、実際にもそれほどの距離を歩けないのですが、心だけは野山に向かい、山道を歩いている自分を見つめています。

 一昨年でしたか、友人と一緒に、治療院の帰りでしたが、その近辺の田を散策したことがありました。「サクラ」の頃でしたが、それこそ「うらうらと」陽は照りわたり、美しい水が張られた田では、見たことのないような小動物や虫たちが蠢いていました。メダカやオタマジャクシを見つけると、子供のような声を上げてしまうのは、もう、日本人の習いなのかもしれません。

 今は、ここにあって、思うだけなのですが、できれば、来年にでも、また行きたいもの。ああいう、ただ、物の姿が映された田を見つめている時間とか、河原で流れる水を見ながら、日向ぼっこしている時間とか、この「日常」から思えば、一見、「無為」であり、ある意味では「無価値」であるようにも思われる時間というのが、自然から離された人間にとって、大切なのかもしれません。

 なんとなれば、もう私たちは、人の手の入っていない、どこかの山などには行けなくなっているからです。月夜であっても、夜、そういう山に放り込まれた自分を考えるだけでぞっとしてしまいます

 とはいえ、そんな現代人にとっても、適度な自然は必要不可欠の物。年を取れば取るほど、大地に近づいていくというのはそういう面からも言えることなのでしょう。そして、区切りをつけられるというのも、人がかつて自分たちが存在し、それに拠っていたところのものを、その借り物の自然から感じ取ろうとするからなのかもしれません。

 昔から、田に水を引く時とか、稲刈りをする時とか、区切りがないような日本のゆっくりとした四季の移ろいに、人間達は「時を切る」という作業を付け加えてきました。それがなかったら、人は自然に生まれ、自然に帰っていき、時間という観念を失っていたかもしれません。

 勿論、農耕民族であった場合のことなのですが。狩猟民族であったら、「熊が冬眠から覚める頃」とか、「サケ(鮭)が川を上る頃」なんていう分け方をしたかもしれませんけれども。

 と、窓辺に目をやると、隣のマンションの「鯉のぼり」が、うち萎れて垂れ下がっています。「鯉のぼり」の「コイ(鯉)」さんには気の毒ながら、今朝のように気温が上がらないと、風が吹くのはまっぴらですから、私たちにとってはありがたい限り。明日は気温が平年並みになるそうですから、明日まで待ってもらいましょう、泳ぐのは。

 さて、今日は、「入学式」です。「四月生」は、一人を除いてだいたい出そろい(在日の人が三々五々とやって来るので、その人達は別にして)、今日の日を待っていました。ただ、既に15日から授業は始まっていますから、もうみんな出身国や名前はわかっています。いわば、同じ午後の学生たち、式に参加することになっている「Bクラス」の人達と「顔見せする会」とでもいってもいいでしょう。

 と、ふと気がついて数えてみると、「Bクラス」には、スリランカからの学生が5人もおり、「新入生」の中にも四人いました。去年まで続いていた、ベトナム優勢の傾向が少し変わり始めているのかもしれません。

日々是好日
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「『安全』…夜遅く、会社帰りの女の人が歩いている…」

2013-04-19 08:22:39 | 日本語の授業
 五時頃にはまだ降っていなかったのに、5時半ごろふと外を見ると、バルコニーがすっかり雨に濡れていました。けれども直ぐに上がったようで、6時頃には、早朝のジョギングや散歩をしている人の姿もチラホラ見えていました。適度のお湿りですね。

 この数日ずっと暖かい日が続いていましたから(夏日になるのではないか、いや、実際にはなっていたのかもしれませんが)、今朝のように、ちょっと涼しくて、しかも湿度があるというのは、儲けもののような気がします。窓を開ければ、フンワリと纏い付くように雨の匂いがしてきますし。こういう、雨の感覚はこの季節だけのものなのかもしれません。のんびりとしたくなるのも、わかるような気がしてきます。

 とはいえ、喜んでばかりはいられません。昼過ぎからドンドン気温が下がりはじめ、夜には10度を切るというのですから。明日の朝はさぞかし冷えることでしょう。暖かい日が続いただけに、余計に寒さが応えることでしょう。…心の準備だけはしておかねば。

 さて、学校です。
 昨日、「安全」について、学生達と少し話をしました。彼らは、日本に来て早い者で一年、遅い者でも後二、三ヶ月ほどで、一年になるという学生達です。彼らはいつの間にか、女性が真夜中に一人で歩いていても、彼ら自身、アルバイト先から夜中の12時頃に自転車を飛ばして帰っていても、少しも不思議なこととは感じなくなっています。

 「では、みんなの国では?」と問いかけて初めて、「違います」という答えが返ってくるのです。「危ない、危ない」と、口々に言い始めます。

 日本人も、初めて国外に出た時に、この「『安全』というのが如何に得難いものであるか」に気づくのですが。日本にいる時には、「安全で当然。何かあったら、それこそ問題」と笑っていたのに、一歩国を出ると、「暗くなったら、女性どころか男性も一人で街を歩かない」が常識であることに嫌でも気づかされてしまいます。

 勿論、暗くならないうちに家路につけるのが一番なのですが、仕事で遅くなっても、電車に乗り、そして、駅からバスなり、歩いたりして、まるで当たり前のことのように、うちに帰るというのが、どこの国でもできるかと言うと、そんなものでもないのです。

 とはいえ、すっかり日本人化してしまっている学生達。こんな状態では、国に帰ってもやっていけるのでしょうか。

 そういえば、以前、こんな学生達がいました。主に女子学生なのですが。
「日本は安全。とてもいい」と言いながら、夜、アルバイトが終わってからジョギングを楽しんでいたインド人女子学生。

「国に帰ったら、本当に不自由。女の子は、一人で出歩いてはいけないと言われた。親や兄弟、親類の車に乗らないと外に出してもらえなかった」と、帰国後の不自由をかこっていたスリランカの女子学生。

「国に帰ったら、日が落ちてからが、とても怖くなった。雰囲気が日本とは違う。日本にいる時には、そんなこと感じたこともなかったのに」と言っていたペルーの女子学生。

 彼らだけではないのでしょうが。

 もっとも、私たち日本人も、私たちなりに、「安全」を考えています。日本社会の「安全ではない部分」を補いながら生活しているのです。これはなにも、日本だから「安全である」というわけでもなく、「安全さ」も、不断の努力あってのことなのです。

 ただ私たちが感じる「安全」と、外国の人が感じる「安全」とには、大きな差があって、私たちにとっては、「常識」であっても、彼らにとっては、事々しく、「安全」の範疇に入るようなことが少なくないようなのです。

 それが、日本に、一年居、二年居、三年居してくると、私たち日本人と同じような感覚になってしまうから、面白いですね。

日々是好日

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「外階段の隅っこに顔を覗かせた、小さな、小さな『カタバミ』」。

2013-04-18 08:21:14 | 日本語の授業
 学校の外階段を登ろうとした時、一段目の隅っこに、小さな、小さな「カタバミ(酢漿草)」の葉が顔を出しているのに気がつきました。

 何だかうれしくなってしまいます。建物の構造から言えば、喜んでばかりもいられないのでしょうが。とはいえ、これも「根性君」。よくぞ、こんな、塗装された建物の隙間から顔を覗かせることができたもの。もう少し経ったら、きっと黄色の可憐な花を咲かせることでしょう、小さな、小さな、花を。

 行徳では、昨日と同じように、モワッとした暖かさが続いています。はっきりしない、どこやら蒸し暑いような、そんな暖かさです。けれども、天気予報によると、これも今日までとかで、明日の朝は初春のころの寒さにもどるそうです。風引きさんが続いている学生達にとっては、トドメの一手になるかもしれません。せっかくの連休が目の前に続いているというのに。

 昨日も一人、スリランカから来た女子学生が、気分が悪いとやって来ました。朝、来た時から「あれ?具合が悪そう」と思っていたのですが、到頭、耐えきれなくなって授業中に抜け出してきたものと思われます。ちょっと食べさせて、それから薬を飲ませたのですが、それでも辛そうにしています。薬を飲めば、眠くなってしまいます。ここで休みますかと言っても、「いえ、いえ」と答えます。それでは「帰りますか」と聞いても、「いえ、いえ」と言います。「(教室に)もどって、勉強します」と聞かないのです。

 スリランカ人の場合、こういう学生はだいたい女子学生と決まっています。男子学生と来たら、(具合が悪いのですかと聞くと)「はい」と途端に大きな声になって、「帰ります」で、結局、「(それくらい元気なら)帰るな。勉強しろ」となってしまうのです。勿論、彼らとて、病気になることはあります。その時は、いつもの元気はどこへやら、もう辛くて死にそうな顔になってしまい、まず、学校には来ないでしょう。

 スリランカにしても、どこぞの国にしても、「根性君」は、どうも女の子の方が多そうです。

 日々是好日

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「新緑の候」。「気ぜわしくなった職員室」。

2013-04-17 09:28:46 | 日本語の授業
 新緑。緑の美しい候となりました。

 まったく、どこを走っていても(自転車でです)、鮮やかな緑が続いて見えます。つい先だってまでは、花色を探し求めていたのに、今では緑を見るだけで満足している自分に気がついてしまいます。初夏ということなのでしょう。本当に、半で捺しでもしたように、五月の連休(四月末からですが)が近づくと、こうなるのです、毎年。

「をちこちに 滝の音(おと)聞く 若ばかな」  (蕪村)
「夏河を 越すうれしさよ 手に草履」   (蕪村)
「行々(ゆきゆき)て ここに行々(ゆきゆく) 夏野かな」 (蕪村)

 夏を形容する時には、水の音や感触、あるいは一面の野原などが切り離せません。とは言いながら、春でも秋でも、そして冬でも、そう言ってしまうのですが。

 とはいえ、何よりもホッとするのは、やはり、夏でしょう。特に、歩き疲れた時に耳にする水の流れの音、そして、手にとってうれしい、冷たい水の感触でしょう。

 さて、学校です。

 昨日、職員室の賑やかだったこと。新入生が来たばかりですから、彼らの用事で、この頃、忙しいのは当然なのですが。また別の忙しさが加わっていました。

 12時半頃、在日タイの人が、旅行できたという妹さんを連れてやって来ました。「日本語を学びたい。今は3か月の旅行ビザだが、今度は長期で日本語を学びたい」と言うので、「それは、授業が終わってからにしよう。まずは『初級』が、昨日(月曜日)から始まったばかりだから、1時15分からの授業に出て。それから話そう」と言いますと、困った顔をして、「まだ昼ご飯を食べていない…」。「それでは今から大急ぎで食べて、直ぐ来なさい。教科書は貸してもらえばいい。授業の見学もせずに、ここで学ぼうなどと安易に考えてならぬ」と言いますと、直ぐに立ち上がって、「じゃあ、二時までには戻ってくる」(この時は、もう1時を過ぎていました)と帰っていきました。

 そういえば、一昨日も、インド人女性が一人、見学に来ました。だんだん、外国人が戻ってきた…ような気がします。と、まあ、そんなことを考えていました…。

 昨日のことです。午後の受業が終わって職員室に戻ってきますと、例のタイ人女性が教員と話していました。そこへ授業が終わったばかりの、二年生のタイ人留学生が下りて来たので、「さて、通訳を頼む」とばかりに、三人で、話し込み始めます。そこへ、見知らぬ女性(インド人)が二人、いつの間にか、入ってきていて、職員室のドアの前に立ちふさがり、会う人ごとに、私たちは日本語が学びたいのだと英語で言っているよう…。

 英語で対応できる教員がすぐに行って彼女らと話したのですが、上手になったら、直ぐに上のクラスに行ってもいいかと聞いていたそうです。そう言えば、前に来たインド人女性もそんなことを言っていましたっけ。自分はできると言っていたのですが、大してできていたわけではなく、一斉授業とマンツーマンで学ぶのとの区別ができずに、皆の顰蹙を買っていましたっけ。

 この学校では、多い時には、15人ほどのクラスに、10カ国ほどの人が来ていることもあります。一人が、皆に関係のないことを言い出すと、他の人は困ってしまいます。授業が止まってしまうのです。それに授業はすべて日本語でやっています。だいたい、『初級』段階では、詳しい文法的な説明を加えても(新米教員は直ぐに知っていることを全部言いたくなってしまうようなのですが)、だれにもわかりません。そんなレベルの日本語なんて、誰にも通じないのです。

 それに、教科書に載っている単語の意味と、教科書に即した文法事項の説明が書いてある参考書も揃えてあるので、大半の学生はそれを見ながら自分なりに理解し、練習して覚えていくというやり方をしています。

 勿論、上のレベルに進むにつれ、説明していく内容も増えていきますし、学生自身も理解できることが増えていくはずです。

 「手っ取り早く(自分だけ上手になりたい)」というのなら、マンツーマンで、自分に適した速度でやってくれるところを捜すしかないと思うのですが、どうも、こういう人はそうとも思わないようです。

 とか思っているうちに、静かなバングラデシュの女性がやってきました。日本語が大好きで、何でも「公文」で『みんなの日本語Ⅰ』を勉強したのだそうです。それで、「『みんなの日本語Ⅱ』を勉強したい。子供を預けられたら、明日にでも見学したい」と言っていましたが、あ、今(4月17日9時半)、来ました。お子さんを預けられたのでしょう。

日々是好日
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「九年ほど前の、漢字の教材作りのこと」。

2013-04-16 08:32:33 | 日本語の授業
 ふと、9年ほども前のことを思い出しています。まあ、きっかけというのは、その年に来た学生が今度結婚することになったので…なのですが。

 ちょうど、「漢字」の教え方、ないしその考え方を、この学校のスタッフにも拡げていこうという時だったので、彼の顔を見て、つい、思い出してしまったのです。

 このスリランカの学生は、私たちが、あの手この手と考えて、いろいろした「手」をすべて活用してくれた数少ない学生、もしかしたら、たった一人の学生だったのかもしれませんが。なにせ、やったのは彼の時だけで、後はもうやり方、作り方さえ忘れてしまったというものも、二、三、あるくらいですから(彼以外誰もやろうとしなかったので、もうやめてしまったのです)。

 それまでは、私としましても、学生というと中国人…くらいしか頭にありませんでしたから、漢字をわざわざ教えるために何かを作らねばならないなんて考えていなかったのです。当然のことながら、他の国の学生も入ってきます。ただ、その時は人数も少なかったので、その時々で対処していけば事足りたのです。とは言いましても、学生数が増えてくると、それでは手が回らなくなりますから、何か教材を作らなければならないということになります。

 その上、この年の四月に来た、スリランカとバングラデシュの二人が、真面目で、よく勉強したのです。「初級」の間も、さて、彼らが「中級」に入って文章を読むようになったら、漢字が判らなければどうにも前へ進めぬと言うことがわかりましたから、「どうしよう、どうしよう」と、二人で頭を抱え込んでしまいました。その結果は「ないのなら、自分たちで作る」という、いつもの考え方でした(これは公教育で教師として育てられてきた人間には共通の考え方です。先輩の教員達がそうしていましたし、大学でそう習ってきたからなのでしょう)。

 それで、まず「四級漢字」のプリントを、小学校の低学年用の教材を参考にしながら作り(一応、象形文字まで書いておきました)、次に「三級漢字」を作り、そして「中級から学ぶ」に即した、「課毎」の漢字を作り、「上級で学ぶ日本語」も同じようにして作り、…。まあ、作ったと言いましても、今から考えれば「失敗、失敗」の連続でした。

 何せ、「明日『五課』に入る。とにかく、今日中に『五課』の分を作らねば」というふうでしたから。まとめて作って、学生に渡すなんてとんでもないこと。本当に、いわば「付け焼き刃」のようなものでしかありませんでした。お尻に火が付けば、こういうものを作ってしまうを絵に描いたようなものだったのです。

 けれども、何もなければ、勝負になりません。学生達は勉強したくとも、何を見て、どうしていいのかわかりません。それでは金を払ってまで日本に来て、日本語の勉強をしようとしている学生達が、無駄にこの学校に入ったようなもの。

 「四級」や「三級」程度の、漢字練習(小学生用)は日本では安価にたくさん売られています。けれども、「外国人用の教科書」に即していないと、別個に漢字の練習をしていても、本はなかなか読めません。読めても、文章を理解するまでには至れないのです。

 というわけで、最初の学生たちは本当に可哀想でした。勿論、皆が皆勉強するわけではありませんでしたが、一人でも一生懸命に勉強する学生があると、その人を中心にして計画を立て、指導していきたくなるのが教師の「業」のようなものなのです。「ないよりはまし」ぐらいのもので勉強させて行かざるをえないので、真面目な学生に、心では同情しながらも、顔ではそんな様子はおくびにも見せず(勿論、口でも)、偉そうに教えていたのです。実際、内心では忸怩たるものでした。

 ところが、2年目の夏のことです、教え始めて1年4か月ほども経っていたでしょうか、富士山旅行から戻るバスの中で、バングラデシュの学生が、アルバイト先の日本人の友達にメールを送っていたのです。見せてくれたので、見てみると、(文章には幾つか文法的な間違いがありましたが)漢字の部分はほぼ完璧でした。日本人の友人から送られてきた文章(漢字がたくさん入っています)も、、聞いてみると、判るといいます。彼曰く、

「漢字を間違えずに書くことは難しい。けれども、だいたい読めるし、読めなくても、意味はわかる。メールなどで送る場合、漢字の選択はできるから困らない」

 そうか、そうだったのだ。今は、インターネットの時代なのです。日本人だって、いつもコンピューターで文字を打っていると、「いざ、書け」と言われた時に、漢字が書けなくなっているなんていう時代なのです。選んでそれを打ち込めさえすれば、普通は困らないのです。

 ただ、「選べる」というのも、漢字を練習し、知っていなければできないことで、基本功は同じなのですが。

 それから、二度か三度ほど、プリント類を作り直しました。時々、疲れて作りながらウトウトしてしまうこともありました。何せ、書き順は、一画書いたら、次には二画、そして、次は三画と書いていかなければならないので、飽きてしまうのです。それができるほどの根性は…「(自分には)ない、本当にない」と呟きながら、作っていったのですが。

 これも、作ったと言いましても、80%以上は、同じことの繰り返し。けれども、確かに、練習する気のある学生は、それで練習してくれましたし、それなりの成果があったと言ってくれましたから、たぶん、半眼になりながらの作業も無駄ではなかったと言うことになるでしょう。

 とはいえ、あれからもう九年近くが経っています。今では簡単にインターネットで、書き順を検索できるようになりました(イライラしながら、書き順を書き込んでいったのに)。「四級」や「三級」の漢字は筆で書いた方が形が判りやすかろうと筆で書いたりしていたのですが、それも簡単にダウンロードできるようになりました。

 ただ、あの頃の学生が来て、「
仕事でホワイトボードに書かなければならない時があるけれども、漢字をきちんと書いていると、日本人に『ホウ』と驚かれるよ」と自慢してもらえると、本当にうれしくなってしまいます。

日々是好日
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「『フジ』も咲き始めています」。「好奇心の有無、そしてその多寡」。

2013-04-15 08:33:05 | 日本語の授業
 今日は無風です。そして、とても暖かい。天気予報の「洗濯マーク」は、二重丸でした。

 昨日は、午後を過ぎる頃から、強い風が吹き始め、果ては吹き荒れるとでも言いたくなるほどでした。その中で、なかなか前に進まぬ自転車を、それでもヨタヨタと漕ぎながら、春はいつもこんなだったかしらんとブツブツと愚痴っていました。

 今年に入ってから、こんな気持ちになることが度々あり、どうも四季の流れに心を乱されることが多くなっているようです。

 とはいえ、「フジ(藤)」の花房が長くなってきましたし、「ツツジ(躑躅)」も、日向にある分は全開になっています(日陰にある分はまだまだ蕾といったところですが)。

 そういえば、数年前のこと。学生達を連れて、「フジ」の花で有名な、亀戸天神へ行ったことがありました。これが、駅から、かなり歩かなければならない所にある神社で、普段なら、文句の一つや二つ、出てきても、学生達を責められないところ…だったのですが、豈図らんや、予期に反して、学生達からはそういう文句は出てこず、その代わりといっては何ですが、その途上、ピーチクパーチクと賑やかだったこと、賑やかだったこと。これはうるさかったと言うべきではないのでしょうね、本当は時々うるさいとでも言いたくなるようなこともあったのですが。

 街のあちこちを見ては、「あれは何だ」、「これは何だ」。そして、私たちの顔を見つめて、答えを待っています。大半は「初級」段階でしたから、こちらも説明する言葉を持ち合わせず、また、彼らの方でも聞き取れるはずもなく…。それでも、とにかく、好奇心だけは旺盛な人達でした。

 何事に限らず、こういうものなのでしょう、異国に来て何かを学べる人というのは。

 結局は「好奇心」の有無、その多寡で決まるのでしょう。

 「こんなもの、自分の国だってある(だから、わざわざ見に行く必要も無いし、ましてや、学ぶ必要なんてない)」という気持ちで、彼らにとって異国である日本にいるのならば、それはもう、来日の動機が「大学に入りたい」であろうがなかろうが、無味乾燥とでも言いたくなるような「数年」になることでしょう。

 ただ、こういうものも、一種の「伝染病」のようなもので、一人がそう言う気持ちで、無聊をかこっていれば、そのクラスの人達、皆も、何となくそういう気持ちになってしまいます。

 その反対に、一人でも、眼をキラキラさせながら、いろいろなことを聞き始めると、その色に、他の人達も染まり始め、最初は下を向いて心を閉ざしていた人達も、あれやこれやと言いたがるようになっていくのです。

 本当に、それほどの強い意志を持たずに来日している学生達にとっては、どういうクラスメートと学ぶことになるのか、これが、ある意味ではとても大切なことになるような気がします。

「始めなき 夢を夢とも知らずして この終わりにや 覚め果てぬべき」  (式子内親王)

日々是好日
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「冬の服。春先の服」。

2013-04-12 08:18:25 | 日本語の授業
 「ツツジ(躑躅)」の花が咲き始めたと感慨に耽っていたら、今度は「ハナミズキ(花水木)」の花です。「ツクシ(土筆)」はとっくに「スギナ(杉菜)」に変わっていますし、「タンポポ(蒲公英)」の花は綿毛となって、あちらこちらを飛び廻っています。

 「今日は寒い」と言っても、この「寒さ」は、いつの間にか「肌寒い」の変わり、同じ「肌寒い」でも、春先の「肌寒さ」とは明らかに違ってきています。

 先日、来たばかりのスリランカ人学生が、教室の中で、遠慮がちに、「先生…寒いです」と言うのです。つまり、その意味は「エアコンをつけてください」だったのですが、見ると、全くの夏支度なのです。「長袖のシャツを持っていますか」と身振り手振りを交えながら聞てみますとい、ニコニコしながら、椅子の背に掛けてあった厚手のジャケットを差し出します。

 …そうか、真夏のTシャツの上にジャッケットね。そうでした、そうでした。1月とか4月に来日したスリランカの学生達はだいたいそんなふうでした。そう言えば、そんな人が他にもいましたっけ。

 冬、着るものと夏着るものとは別…という認識が無くて、つまり長袖のシャッツやセーターを着て、その上にジャケットを羽織るという考え方がないのです。日本の若者など、これがあるので、秋や冬に重ね着のおしゃれを楽しめるのですが…、こんなこと、彼らとは無縁でした。1年を通して、夏物を着続ける。そして寒くなったら厚手のジャケットを着る…だったのです。

 日本の場合、四季ならず、五季(梅雨も入れれば)がありますから、夏から冬にかけては、服も、半袖から長袖になり、そしてその上にセーターやカーディガンを重ね、より一層寒くなったら、ジャケットとかコート、オーバーなどを羽織るようになるものなのですが。そして、冬から夏へはこの逆となります。それに、四季は、だいたい同じくらいの間隔(3か月毎)で流れていきますから、暑さ寒さも緩やかに移ろっていくように感じられ、服の厚みも重なり具合も、自然に仕事の一つのように行われていくのです。

 こう書いているうちに、思い出しました。思い出しました。他の人というのは、去年来たミャンマーの学生でした。

 彼の場合も、かなり寒くなったと、私たちですら感じられていた頃、まだ、半袖のTシャツの上に、ペラペラのウインドブレーカーを着ているだけ。「大丈夫ですか」と、何度も聞いたのですが、その都度、「大丈夫です」と言うのです。これでは風邪を引いてしまうとかなり強く暖かい服を買った方がいいと言っても、どうもそれが彼の想像の範囲内にはないようで、ちょっと困ってしまいました。押さえつけて買わせるわけにもいきませんし。

 それで、同じくミャンマーから来ていた二年生に説明してもらうことにしました。彼女は2年目ですので、事情がわかっているでしょうから。この彼女がとても親切な人で、話してくれただけではなく、一緒に買い物についていってくれたのです。その時も、彼が、地味な、くすんだ色のジャケットを買おうとするので、「若い人はもっと明るい色のものを買った方がいい」と言って明るい色のジャケットを買わせたそうですし、何軒か店を見て、一番安い所で買ったとも言っていました。まさに持つべきものは先輩です。あれでやっと、彼も「寒い、寒い冬」ではなく、暖かく過ごせた冬を経験できたのでした。

 彼の場合も、スリランカ人学生と同じように、ジャケットのお世話になる前に、セーターや長袖を着る時期があるという感覚というか、知識がなかったようでしたし。

 思えば、今、南国から、親戚や知人もなしに来ている学生達が、ごく自然に、冬には冬の服、春先には春先の服を着ていると言うこと自体、決して、なんの葛藤もなくできていることではなかったのです…。

日々是好日
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「降るはずがなかった…早朝の雨」。「新入生のクラス」。

2013-04-11 08:12:50 | 日本語の授業
 今週は、雨が降らないはずでしたのに…。朝、雨音で目が覚めました。まさか…と思って外を見ると、本当にまさか…でした。けれどもその雨も、6時過ぎには上がり、雲も切れ、7時前には明るい陽が射していますから、全く春の天気というのは…わかりません。

 今日、一人、ベトナムから女子学生が来ます。教員が迎えに行くのですが、荷物を抱えて雨に打たれる…ということがなくて良かった。最初から雨の神様のお迎えではちょっと可哀想ですもの。

 さて、新入生は、…最初の目論見では(こう言うとちょっと悪いことを考えているようなのですが)、2人か3人は、「Dクラス(イロハからのクラスです)」ではなく、「Cクラス(『みんなの日本語Ⅱ』から始まるクラスです)」に入れるだろう…だったのですが、やはり無理のようです。

 この人達は「四月生」ということになりますから、時間はあるのです。もし、これが「十月生」であったら、本人の希望があれば、そして多少無理ができる(努力できるだけではなく、経済的にもです)ということであれば、上のクラスに入れてもいいのですが。「四月生」ですからね、そう無理をさせる必要も無いでしょう。彼らにとっての「復習期間」にゆっくりアルバイトでも捜せばいいのです。

 なぜかと言いますと、まず、この学校のやり方に慣れていないからです。これは勉強に限っていいましても、かなり負担が大きいのです。「イロハ」からはじめていれば、そういうことかで、無理なくやっていけるのでしょうが。

 動詞の絵カードに反応できないのです。だから活用がうまく言えない。つまり教室で皆と一緒に練習ができないのです。それから、何よりもまず、漢字の練習ができていないということ。

 書き順がいい加減であったり、漢字の字形(パーツの組み合わせ)のバランスがとれていなかったり、漢字の「はね」、「とめ」などの基本的な筆運びができていなかったり…。

 それに、漢字は書ければいいというものでもないのです。漢字一字の意味がわかっていなければなりませんし、「読み」においても、「音読み」だけではなく、「訓読み」もありますから大変です。「訓読み」を覚えるということは、「送りがな」も覚えなければならないことになりますし。

 こういうことを考えていると、日本語を勉強している彼らがホトホト気の毒になってきます。勿論、教場では、そういうことは、おくびにも出しませんが。

日々是好日
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「ヤマブキ」。「新入生のクラス」。

2013-04-10 13:19:14 | 日本語の授業
 晴れ。最近、庭に植えられている「ヤマブキ(山吹)」の花を、よく見かけるようになりました。一重ではなく、八重の方です。

 子供の頃には「ヤマブキ」といえば、皆、八重のものでした。一重のものを見たのは、秩父の山に登った時が初めてでした。不思議なことに、八重よりも一重のものの方が、華やかなのです。これも少しばかり大振りであるからなのかもしれませんが。暗い灌木の中で見た一重のヤマブキの美しさには本当に驚かされました。

 子供の頃には学校で習った詩歌の中に登場してた「ヤマブキ」というのは、もしかしたら、皆、一重の方だったのかもしれません。。

 『万葉集』の歌を初めて知ったのは『万葉の挽歌』という本ででした。そこに載っていたものに、
「山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みにいかめど 道の知らなく」  (高市皇子)
がありました。これも一重と見れば、暗さが薄れます。

 それに、平安前中期の、
「山吹の 花色衣 主やたれ 問へど答へず くちなしにして」 (素性法師)
になってみれば、宮中のサロンでの問答めいたおかし味さえ出てきます。

 それを「万葉の時代」に引き戻したのが、
「散りのこる 岸の山吹 春ふかみ この一枝を あはれといはなむ」 (源 実朝)
の歌でありましょう。
 
 そして、それが近世になると、
「ほろほろと 山吹散るか 滝の音」  (芭蕉)
「ほろほろ」という言葉には、「ヤマブキ」の散る様子に、音が重なって聞こえてくるようです。

 一体に、「サクラ」にしても、「ヤマブキ」にしても、樹木花草を描けば、花には「色」あり「香り」あり、そして「音」ありですから、文字にしても豪勢なものになっていきます。その上、思い浮かんだ図柄が、それぞれの経験によって勝手に膨らまされていくのですから。いつの間にか、写真のようであったものが、映画のように流れていくということになっていきます。

 さて、学校です。
 新入生は学校に来た順に、一つ上のクラスに入り(来週の月曜日まで)、耳慣らしをしています。

 最初は、「できる」とか「どうにかなるだろう」と思っていた学生も、この数日の授業に参加することによって、自信がぐらついているのがよくわかります。やはり、自然と最初からやった方がいい…ことに気づいていくようです。中には、一回目から、「先生、私は、『Dクラス』に入る」と言いに来た学生さえいましたから(この学生は「N5」に合格しています(。

 まあ、彼らは「四月生」ですから、無理をする必要もなし、ゆっくり、ゆっくりやっていきましょうや。もっとも、ゆっくりといいましても、『みんなの日本語Ⅰ』は3か月、『みんなの日本語Ⅱ』も3か月という、いつものペースで進んでいくのですが。

日々是好日
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「新しいクラス」。

2013-04-09 18:04:09 | 日本語の授業
 清々しい朝です。

 来日した新入生が、昨日は、四人やって来ました。その中の一人、フィリピンから来た学生はおばさんのうちから通うそうです(だから、寮の心配はせずともすみます)。この学生はすでにフィリピンで看護士として働いていたそうで、日本でも、看護士を目指すつもりだと言っていました。

 ただ、日本語のレベルが、本人が思っていたのとかなり違っていたようで、それが少し可哀想でした。自分では、かなり(フィリピンで日本語を)勉強してきたから、最初から(日本語のイロハから)ではなく、その上のクラス(「Cクラス」)で勉強できるとばかり思っていたようなのです。が、やはり、それは、少し、甘かったようですね。

 もっとも、これはなにも彼だけのことではありません。他の国から来た学生も、「N3」などならともかく、「N5」程度であったら、やはり最初からやった方が「伸び」が速いような気がします。とはいえ、それに気づくのも才能の一つ。聞き取れなくても、(プライドからか何からかはわかりませんが)自分は一緒に来た彼ら(一人で来ていれば、私たちが勧めたようにする場合が多いのですが)よりも(日本語のレベルが)上だから、同じクラスは嫌だという人もいるのです。

 日本にある日本語学校の場合、文字に限って言いますと、「ひらがな」や「カタカナ」だけではなく、『みんなの日本語Ⅰ』の段階から、順次、「漢字」も入れていきます。それも、「書く」だけではなく、同時に「意味」も「読み」も入れていくのです。この面倒な「漢字」では、ある程度の系統性の下に、それぞれのクラスのレベルに応じて、速度を落としたり、速めたりする場合もありますし、筆ペンでの作業を入れたりしなければならないことだってあるのです。が、できるだけ、自然に「はね」や「とめ」ができるように気を遣っています。

 こういう作業を経てきた人と、母国で「N5」には合格できるまでになっているけれども、こういう経験が無い人とは、勉強をしていくうちに、どこかで差が出てきてしまうのが、ある意味では残念なところ。まあ、しょうがないといえば、しょうがないことなのですが。

 「N5」くらいで来日している場合、多く、私たちは、「初級」の最初のクラスからやった方がいいと勧めますし、また「上のクラス」に入っても、ついて行けないと自分から下のクラスに行く場合もあるのですが、それが母国で既に「順(誰が上で誰が下であるかという)」ができてしまっていると、難しくなることがあります。まあ、これも、厄介なことなのですが。

日々是好日
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「今日から新学期」。

2013-04-08 08:40:08 | 日本語の授業
 土曜日の夜は、すごかった。まるで台風です。「春の嵐」とはよく言ったもの。しかしながら、こんなに激しかったかしらん。記憶にあるのは「花を散らす」とかいう形容がつくものくらいでしたけど…。

 とはいえ、去年の春の嵐もすごかった。竜巻が起こったりして、「ほんとに嵐なんだ…」と変な納得の仕方をさせられてしまいましたもの。そして今年も、気象庁をはじめ、お天気関係の人達が、「できるだけ、外に出ないように」を繰り返していたのも、なるほどと頷けます。

 その翌日の翌日の今日。(昨日は朝からお日様がしっかりと照っていてくれました)昨日までの暖かさとは裏腹に、今朝の風は冷たい…ちょっと甘く考えていたようです。外に出た途端、ビュウと来ましたから、慌てて部屋に戻り、「足して」来ました。

 ただ、そうは言いましても、街路樹の下や、どこかのお宅の庭先には、「ヤマブキ(山吹)」や「ハナニラ(花韮)」、木陰には「シャガ(著莪)」の花まで咲き始めていますから、もう「春の役者」は出そろった…のでしょう。その上を、もうすっかり葉桜となった「サクラ」の木の枝から、「サクラ」の小さな花びらが流れるように落ちていきます。それと気づかぬうちに、春はもう随分闌けていたようです。

 さて、学校では、今日から新学期。
 今日が新学期であることを忘れている人、覚えていたけれども忘れているような気になっている人、覚えていたけれども身体が言うことを聞かない人…以外は来るでしょう。

 教室が変わっているのを言わなければなりません。教科書を忘れている人がいるかもしれません。筆記道具を人に借りなければならない人がいるかもしれません。

 何と言いましても、大半は「ピッカピッカ」の新入生ではないのですから。「生活」の中にいるわけですから。そう言えば、先週、スリランカから女子学生が、一人やって来ました。卒業生が連れてきてくれたのですが、彼女と二人で住むから大丈夫と言います。

 彼女(新入生)は「N5」には合格しているといいますが、私が話す言葉は聞き取れません。それで、まず、今週から始まる「Cクラス(一月生クラス、『みんなの日本語』のL.24課)」に参加してみて、もしついて行けないようだったら、来週から始まる「Dクラス」で勉強するということにしました。

 卒業生の紹介というのは、本当に助かりますね。この学校のやり方を知っていますし、どういう人に対して私たちが厳しい態度を取るかということも熟知していますから。まず、入ってくるなり、「あっ。先生。スリッパね」(スリッパを買ってくるということを覚えていたね)。学校での話が終わってから、市役所に彼女を連れて行くと言います。これも助かります。やり方は彼女の頃(数年前)とは違っていても、どうすればいいのか聞くこともできますし、日本人と話す時の勘もついていますから。それでもわからなかったら電話してくることでしょう。 

 スリランカの新入生は(彼女以外)、皆この近辺に友達がいると言います。ですから、寮の心配もしなくても大丈夫。これも助かります。その他に、一人、他の日本語学校から転校してくるスリランカの学生がいるのですが、彼は、この学校のスリランカ人学生と、以前、同じ学校(スリランカ)で勉強したことがあったらしく、(この学校に何回か来ているのですが)いわれた通りに一人で部屋を借りたり、アルバイトの面接に行ったりしています。

 去年の1月に来たスリランカ人学生が言っていました。「私が来た時は、スリランカ人は、私、一人だけ。みんなで外へ行く時も、とても寂しかった(話し相手がだれもいなかったから)。アルバイトも(他の学校の)友達が助けてくれたけれども、カキ(牡蠣)の工場で、冷たくて、とても大変だった。でも今は、友達が増えたし、今、自分が行っているレストランへ彼らを紹介することもできる。今はとても楽しい」

 本当に、異国で、一人ぼっち(たとえ、学校やクラスメートがいろいろと気を遣ったとしても)だというのは、こういう、いつもたくさんの人達に囲まれて暮らしていた人達にとって、耐えられないほど辛いことだったのでしょう。

 これが、切れずに(毎期、スリランカ人の学生が入ってくる)続いていくといいですね。そうすれば、スリランカ人の先輩は、いつも後輩を助けられるという伝統ができていきますから。これは、他の国から来ている学生達も同じなのですが。

日々是好日
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