日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「新・日本語能力試験」。「来日したら、すぐ学校へ」。

2010-06-30 07:43:08 | 日本語の授業
 昨夜から今朝にかけて、かなり激しい雨が降っていました。それで、少し気が晴れたのかもしれません。昨日までとは異なって、涼しい風が吹いています。ただ、それでも、空気は重く感じられましたので、「お天気」を引き出して見てみると、湿度は、雨が降っていないにも拘わらず、今日一日、90%あたりを、うろうろしてしまうらしい。まだ降るつもりのようです、ああ。

 しかも、(学校へ)来る時に、自転車がパンクしてしまいました。せっかく「涼しい。いい風だ」と、いい気持ちで漕いでいたのに、それからは、自転車を引っ張りながらの歩きです。すっかり汗びっしょりになってしまいました。というわけで、結局は、昨日と同じ状態で職員室に入ってきたという次第。またまた、絶句です。

 さて、学校です。
昨日は「新・日本語能力試験」の「模擬試験」の(答案の)返却をしました。ああいう点数では、どうも教員の方でもぴったり来ない(慣れないということもあるでしょうが)のですが、学生の方でもそのようで、喜んでいいのか、それとも、ため息をつくべきなのかわからないといった、戸惑いの表情が見えました。

 こういうものは、もちろん、いろいろと換えてもいいのでしょうけれど、受験した人間にも、指導した人間にも、或いは、その結果を参考にしようという大学や企業側にも、わかりやすい形のものが望ましい。どこやら煙に包まれたような感じで、解答用紙を返却した後、早々に(この問題を)切り上げてしまいました(言うまでもないことですが、実力のある学生は、どのような形式であれ、内容であれ、些かも動じることはありません。ここで言っているのは、合格ラインすれすれの人たちのことです。この結果如何で入社が決まるという人もいるのです)。

 「留学生試験」でも、そうです。これからも、落ち着くまでに、あと何年かはかかるはことでしょう。ただ「形式」は一度定めたら、よほどの理由がない限り、換えて欲しくありません。現場が混乱します。「留学生試験」の「総合問題」のように知識や判断力などを測るのではなく、「文字・語彙」や「文法」を基本に、普通の文章がどれほど読めるようになっているか、また聞き取れるようになっているかだけを問うものなのですから。

 さて、こういう試験とは、まだ無縁な「Dクラス」です。
「初級Ⅱ」に入った「Dクラス」に、昨日、見学者が一人と、一昨日来日したばかりの「新入生」が一人、加わりました。といっても、このクラスのメンバーになるというのではなく、日本へ来たら、(ブラブラせずに)学校へ来るという習慣をつけさせるために、よほどのことが無い限り、いつも、すぐに授業に参加させているのです。

 日本に、親類や知人がいる場合、やっと日本に来られたのだからと、すぐに学校にやらずに、東京近辺やら、観光地やらを連れ回るということもあります。その人は、彼ら(学生)のためにしていると言うでしょうが、学校側としては、これは困るのです。もし、本人が、進学を目指していないのなら、それでもいいのですが、「鉄は熱いうちに打て」といわれるように、来日してすぐに、「勉強モード」にしておいた方が、後々、勉強する場合、役に立つのです。

 その人が、一度、本人(学生)の身になって考えてみれば、勉強のために来日した学生をすぐに遊びに連れ回るということが、どれほど、マイナスに働くかが判ると思うのですが、なかなか、母国にいる親戚や彼らの親の手前、そうもいかないようです。

 日本へ来たら、すぐ「勉強モード」に入らせた方がいいのです。少し経てば、アルバイトもし始めるでしょう。それまでに、母国にいる時のようにはいかないということを(当然、母国でもちゃんと勉強して来ている人もいます。ただ、そうでない人も少なくないのです)判らせておいた方がいいのです。

 それでも、どこかに連れて行ってやりたいというのなら、夏休みや冬休み、春休みを利用して、連れて行けばいいのです。それまでは「勉強に(日本へ)来たんだから、すぐ学校に行って勉強しなさい」くらい言ってほしいのです。が、どうも、そうはいかないようですね。その点、この近辺に知人・親兄弟がいない人は、自然に「勉強モード」に入れます。

 まあ、そうは言いましても、昨日、授業に参加した学生は、それほど勉強と関係があるように見えませんでしたから、どちらでもいいのですけれど。

 進学を目指す学生の場合、「四月生」「七月生」と「十月生」「一月生」との間には大きな差が出てしまいます。

 多少なりとも(「日本語能力試験・三級レベル」)母国で勉強していれば、七月に来日しても、四月生のクラスに入れることもあります。もちろん、これも試験にちゃんと合格しているとか、「漢字圏」か「非漢字圏」か、或いは本人の資質なども加味して考えますから、合格していれば、誰でも大丈夫というわけでもないのです。

 それが「非漢字圏」で、「日本語能力試験・四級」にも合格していない、しかも、十月や一月などに来日してしまったというふうになりますと、この半年の差は、まず、こういう日本語学校にいる限り、取り戻せないでしょう。

 先に来ていた学生(四月生)達も、彼ら(「七月生」、「十月生」、「一月生」)を足踏みしながら、待っているはずもなく、勉強に頑張っているのですから。彼ら(「四月生」)も、(大学)受験(10月頃から始まります)までは(この学校で勉強できるのは)、一年半ほどしかないのです。足踏みなんぞしている暇はありません。少しでも多く、深く勉強しておかねばならないのです。

 とは言いましても、「来日の目的」が「勉強」でなければ、また同じように「勉強」と(本人が)言いましても、「(教室に)座っているだけ」しか考えていない人であれば、話は別です。子供のことを一番よく知っているのは親と申します。自分の子供がどの程度の能力なのか、親がある意味では一番よく知っているはず。「教室に座っているだけ」しかできない人が、こういう学校に来て、勉強しろとお尻を叩かれてもどうしようもないことなのです。

 「仲介機構」あるいは「仲介業者」を、頼んでいるのであれば、自分の子供が、こういう学校に耐えられるかどうかを聞いてから決めた方がいいのです。適当に日本にいられる日本語学校であるかどうかを。(まず、紹介した人に、どういう日本語学校かを聞くのです。もちろん、大学進学者が多いと聞いて、自分の息子も大学に入れたいからと短絡的に決められても困ります。母国で勉強していなかった人は、高校までの知識が欠如している場合が多く、よほど頑張らないと、「総合問題」や「数学Ⅰ」、理系であれば「数学Ⅱ」や「物理」「化学」「生物」で追いつきません。せいぜい、「日本語」の勉強で終わってしまうのです。それも下手をすると「三級」で終わりという人も出てきます)

 もちろん、(この学校の学生達は)毎年10ヶ国程度の国から来るわけですから、私たちが、すべての国に行って、会ってくると言うわけにはいきません。そこには、その国で日本人が開いている日本語学校とかもあるのですが、そこで厳しくやられていないと、日本へ来ても、日本の日本語学校のことを甘く見る傾向があります。そこはそれ、「鉄は熱いうちに打て」です。来日すぐに、学校へ来ていれば、そして、判っても判らなくても、座っていれば、学校の雰囲気、クラスの雰囲気、また学生と教師の遣り取りなども見えているはずですから、後での指導に役立ちます。

 日本では、何事をする時にも、一本太い柱を貫いておかぬとうまくいかないのです。その柱がどのようなものであれ。

日々是好日
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「新・日本語能力試験」。「文章を読み取る思考回路」。「感性」。

2010-06-29 08:11:36 | 日本語の授業
 うちを出る時は、ポツン……、ポツン……、でしたのに、学校に着くまでにかなりの雨量になっていました。おかげでシャワーを浴びたような気分。とはいえ、濡れているわ、暑いわで、(学校に)着いても、滴るものが、雨滴なのか、汗なのか、全く判りません。

 さて、「新・日本語能力試験」のことです。学校側としては、自分達の作る試験問題よりも客観性のあるものが欲しい。その点、これまでの「日本語能力試験」は、様々な批判もありましたが、いろいろな分野の人たちが、それなりに「文章」を選び、また「文法」、「単語・文字」の問題を作りして、一つの「試験」の形にしてくれていたので、受験前の一時期、また上の級に行くためのレベルの確認などに、利用させてもらってきました。

 模擬試験をしては、「漢字」が不十分だったなとか、「文法」にもっと力点を置かねばと軌道修正ができていたのです。公教育であれば、問題を作るにしても、そのための時間はとれます。まず第一に人が多いのです。しかも、公的、半公的機関から資金の援助も、また足りなければ人材の派遣もしてもらえます。どのような問題校であろう、それは、変わりありません。その点、こういう私的な学校では、不利なのです。時間もとれませんし、資金も人も、足りないのです。

 もちろん、普段から、新聞や雑誌、或いはテレビなど、教材として使えそうなものをチェックして集めていますが、これとても、「ヒアリング」でも「読解」でもいいのですが、最低「一級レベル」に到達していないと、やはり授業としては成立させようがないというものが多いのです。

 それで、「一級」レベルまでは、亀の子ならぬ首を縮め、我慢に我慢を重ねております。

 ただ、「読解力」は、彼らの母語による知識や能力の差が大きいのです。わずか一年か一年半くらいの日本語学校での勉強(一年では、大半の時間に「あいうえお」やら「文法」などに時間を割かざるを得ないのです)では補えない部分も少なくないのです。

 もちろん、「文法」や「文字・語彙」、「ヒアリング」などが、一年ほどで、「一級レベル」にいけるだけの能力を持った学生には、準備しておいた新聞などの記事、テレビなどのDVDを通して、少しでも知識を提供することは出来ますが、これとても、知識がないから読み取れなかったという部分を補充するくらいのもので、「力を養う」とは言いがたいのです。

 それに、こういう、普通の文章を読み取る上での、「思路」とでも言うべきものが開拓されていなければ、こういうものを養成するのはなかなか難しいのです。こういう「読解力」というのは、あくまで「(各人の母国での)国語」の流れを汲むものなのです。

 以前、台湾から来た学生がいました。彼は理系で、大学院も出ており、よく勉強していました。しかしながら、「文字・語彙」、「文法」はどうにか頑張れても、どうしても、「読解」で躓くのです。他の「高卒出」の学生たちがスルスルと解いていくような問題でも、一人、ニコニコと皆と異なった答えを出し、私が説明しても、また学生たちが中国語で説明しても、どうも判りかねるような風なのです。

 ところが、そのクラスに、中国人のコンピュータ専攻の大卒の学生がやって来ました。すると、いつも、皆と違う答えを出す人が、二人に増えたのです。

 多分、彼らの「思考回路」は、非常に近かったと思います。専門の分野のものは、何の問題もなく読みとれるようなのです、想像力を働かせながらでしょうが。ものを理解していく上で、かれらのシナプスは、同じように情報を繋ぎあっていたのでしょう、脳の中で。その時はもう時間もありませんでしたから、授業中は、「君たちは、説明しても無駄。パス」などと、最後には冷たい言葉になってしまいましたが、彼らはそうされることにも慣れているようでした。それを聞いても少しも怒らないのです。それどころか、「本当にそう。どうしましょう」くらいの表情でしたから、もう最後の手段、点のとれる「その他の分野」に賭けるしかなかったのです。

 ただ、こういうことはできました。本当の理解にはほど遠いものでしたが、頭のいい人達でしたので、「自分はこうだと思うが、その通りにすると間違ってしまう。それで、自分の考えている、ここを、少し曲げて、こういうふうに考え、答えとして出してみると、正解になるらしい。では、そうしておこう。合格さえすればいいのだから」。

もちろん、学校での練習では、思ったとおりに答えますので、「パス」「パス」「パス」と云われ続けていましたが。

 こういう学生には、「一斉授業」の時に、(彼らのために)あまり時間は割けないのです。まじめで、しかも、誠実な人たちでしたので、授業が終わった後に学校に残って勉強をしていました。そういう時か、或いは(授業が終わってすぐに)質問に来た時に、説明を加えるしかなかったのです。なにせ、あまりに「思考回路」が違いすぎていて、他の学生達とは一緒に出来ないのです。一緒に説明しているうちに、まだ若い彼らは(他の学生)、その影響を受け、だんだん何が何だか判らなってしまうというようなこともありましたから。

 ……雨が、随分大降りになってきました。そういえば、今年はまだ一匹も「カタツムリ(蝸牛)」を見ていません。「アオガエル(青蛙)」を見なくなってどれほど経つでしょう。「ホタル(蛍)」なんて、夢のまた夢です。この辺りでは、百貨店くらいでしか、お目にかかれないでしょう。

 「梅雨は嫌だが、梅雨には梅雨の楽しみ方がある」などと、余裕を持って、うそぶいていられたのも、こういうものが身近にあってこそ。彼らと別れてしまえば、梅雨の雨もただの雨。年中降るのと同じ雨でしかないのです。

 近代人となった日本人は、どうも、自ら「感性」を失うべく努力しているようで…、だんだん切なくなってしまいます。

日々是好日

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「初級のうちは、教科書を見ずに授業に参加すべきこと」。

2010-06-28 09:49:37 | 日本語の授業
 今朝の、ここ(行徳)の湿度は、86%だとか。もう、水の中で蠢いているようなものです。鳥の囀りが聞こえれば、ああ鳥が水の中で鳴いている…。上空を飛ぶ飛行機を見れば、水底から水面を見上げているような気になって、魚が飛んでいるなどとうわごとまで呟いてしまいそうです。

 とは言え、学校へ来てから、すぐに上と下の階へ行き、窓を開けて、空気の入れ換えをします。そして、今日は少々早めに、8時になったら、すぐに冷房を入れに回ります。特に「Dクラス」では、「先生、暑い。暑いです。暑い」ですから(本当は、「うるさい。毎日毎日、来るなり、いくら私に言っても、暑いのはどこにも行かない…」。これはお腹の虫が答えているのです。「あのね、あのね。先生」と何でも言いたいのでしょうから、抑え付けて、やめさせるわけには行きません)。とにかく文句を言いたくてたまらないのです。

 さて、学校は、今日も「模擬試験」です。いつも通りに、にこやかな顔をして登校してくるのは「Dクラス」の学生たちだけでしょうか。とはいえ、彼らも今日から「みんなの日本語Ⅱ」に入ります。漢字はすでに「四級漢字」を終え、「三級漢字(に入る前の『部首の部』なのですが)」に入っています。教科書の練習でも、かなり文が長くなっていますから、「初級Ⅰ」の時に「適当にやっていた」学生たちは、多分、もう少し経ったら、音を上げ始めるでしょう。

 「適当に」と言ったのは、「自分達がやりやすいようにやってきた」というだけのことで、なにも不真面目だったというわけではありません。特に「漢字圏」の学生たちにとっては、「宿題も出してきたし、休んでもいない。それどころか、遅刻もしていない、どうして『適当に』と言われなければならないんだ」とでも言いたいところでしょうが、その「まじめさ」には落とし穴があるのです。

 中国人の学生たちは、「教科書を持ってくるな。或いは授業中、教科書を見るな」と強く言っておかねば、どうしても「目に頼った」勉強法から離れられないのです。私がいくら強くいっても、ちょっと目を話した隙にまた見てしまうのですから。耳で聞いて、考えて、宙で言うというのは苦手で、目で見て、見ながら考えてしまうのです、どうしても。もっとも、これは中国人だけでなく、日本人も同じようなものなのですが。

 もちろん、それを強制するわけには行かない場合もあります。年齢が20才くらいであれば、「見ないでやっているうちに、だんだん出来るようになる」のですが、それが、25才前後になってしまうと、「見るな」と言われても、それは無理」という人も確かに出て来るのです。こういう人は、見ないでいると、もう完全に授業中についていけませんから、そういう人は仕方がないのです。

 それで、そのときは「あなたは見てもいい」と云います。これは「仕方がない」くらいのニュアンスなのですが、こういう場合でも、この人は諸般の理由があり(この諸般が大切なのです)、やむを得ないのだということをクラスの学生たちには判らせておかねばなりません。これがクラスの中に浸透していないと、「どうして、あの人だけいいの」ということになってしまいます。クラスの運営上、齟齬をきたしてしまうのです。

 「必ず、皆に判らせて、しかる後でなければ、してはならない」というわけでもないのですが、クラスの学生たちが幼かったり、またそれほど勉強しようと思って来日していなかったりすると、それは自分の都合のよいように考えますから、「あの人がいいのなら、私も」というふうになってしまいます。

 そこは、そのクラスの構成員にどういう人間がいるかで、教師がやり方を考えねばなりません。学校側としては、学生たち一人ひとりに個別の理由が、しかも、正当な理由であると私たちが考えた場合には、特別な対応をします。けれども、それを、どこかから嗅ぎつけて、自分にもそう(特別な対応を)してくれと言い出す人が、必ずといっていいほど出て来るのです。

 それ故、特例を認めてやりたくても、それがやりにくいという場合もあります。それで揉めて、毎日ワアワア言いに来られると、教員達の日々の活動にも支障をきたすからです。

 本当に、騒げば騒ぎ勝ちという国から来ている学生には、ほとほと困ります。とは言え、普通は一年もいると、自分の国と日本との違いに気づいて、何も言わなくなるのですが。

日々是好日
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「鎌倉一日旅行」。「海に夢中。『本当にしょっぱかった』」。

2010-06-27 15:39:53 | 日本語の授業
 暑い、今日も暑い。ジトッとした熱気がまとわりついています。振り払おうとしてもねっとりとへばり付いて、なかなかのことでは、離れようとしません。これが、いわゆる梅雨特有の湿気。体調を崩す学生が出ても不思議ではありません。

 とは言え、「課外活動の日(金曜日)」は、別。久しぶりに童心に戻って、学生たちははしゃいでいました。いつもそうなのですが、新しい先生が、一緒に課外活動に行くと、「みんな仲がいいですね」と感心してくれます。学生数は、わずか42人ほどでありながら(卒業生が1人混じっています。彼女は一昨年の七月に来たので、鎌倉行きに間に合わなかったのです。それで、卒業前から今年の鎌倉には一緒に行くと言っていました)、国の数は10ヶ国にもなります。もし、民族数で計算すれば、その数はもっと多くなるでしょう。

 もちろん、私たちから見れば、国が違おうが、民族がどうであろうが、全く関係ありません。皆、同じなのです。日本語を学ぶために、この学校にいるのですから。教室の中では、まじめに勉強をしていなければ(理由なく)、避難や叱責を浴びせかけます。彼らの国での地位も財力も口先だけの弁明も、ここでは何の役にも立ちません。勉強するかどうかだけが問題なのです。

 ただし、課外活動の時だけは別です。(教室の)外に出てまで、閻魔面をしているわけには行きません。それどころか、(私の方も)率先して、遊びの輪に加わってしまいます。

 課外活動「鎌倉一日旅行」は、こういうコースで行われました。まず、「行徳駅」に8時半に集合、そして東西線、横須賀線と乗り継いで、「鎌倉」へ向かいます。「鎌倉駅」からは徒歩で、「鶴岡八幡宮」まで行き、お参りを済ませた後は、「小町通り」を通って(ここでお土産を買います。アルバイト先へのお土産を買いたいという学生が多いのです)、また「鎌倉駅」へ戻ります。

 ここからは「江ノ電」に乗り、「長谷駅」へ向かいます。そして、「鎌倉の大仏様」の元へと歩いていくのですが、この道が長いのです。途中で音を上げた学生には、「リスがいるよ」で、元気を取り戻させ、とにかく「歩け、歩け」です。着けば、ホウッと、早速カメラを構えます。ただ、この日は団体さんが多かったので、「大仏様」の胎内へ入れた学生はそれほどはいなかったでしょう。

 そして、食事です。インド系の学生たちは女子学生が持って来たカレーをつつきながら、持参のパンやお弁当(日本食)を食べています。日本食組は箸が随分上手に使えるようになっています。箸が巧みに扱える学生は漢字を書く時にもそれほど違和感がありません。この箸が使えないと、どこか初めて鉛筆を握った小学生さんのような手つきになるのです。これは非漢字系も、内モンゴル出身者も同じです。

 それから、「長谷寺」へ行き、アジサイを見ます。平日であるにも拘わらず、「待ち時間」は、30分と言われました。ここからは海も見えるのです。そして、「長谷寺」を出て、「由比ヶ浜」へまいります。

 もう少しで「海」というころ、「先生、変な匂いがします。魚のような、嫌な匂い」こう言って来たのは、ネパールの学生です。「そうか、潮風のイメージがつかないから、生臭い匂いになってしまうのかな」と思いながらも、彼らの「嫌な匂い」という言葉にどこか引っかかってしまいます(海は嫌に繋がらないかと少々心配になったのです)。

 ところが、「砂浜」に下りた途端、「嫌な」と言っていたのはどこへやら。もう大喜びで、「海だ。海だ。」「先生、青くない」「入ってもいいですか」「しょっぱいの?」てんでに歓声を上げながら、靴を脱ぐのももどかしげに、海の中へと駆け込んでいきます。

 浪が寄せるたびに、ジャンプ。引くとまた身構えて、次のジャンプの用意です。これをまだ飽きないのかと思うくらい何度も何度も繰り返して行うのです。皆が一斉にやるのですから、また面白いのでしょう。そのうちに、まくり上げていたズボンもスカートもびっしょりになって戻ってきました。「見て、見て」と言いながら、絞って見せます。笑みが顔いっぱいに広がって、「帰る時、困る」と言いながら、言うだけ言うと、また海の中へとんぼ返りです。

 「先生。これ」と蟹を持って来た学生がいます。中指くらいの大きさの蟹です。それを見が学生たちが、バラバラと駆け寄ってきます。触りたいけど触れない。手が宙で開いたり閉じたりしているので、触りたいという彼らの気持ちがよくわかります。するとまた一人「先生」と蟹を持って来ました。それが、三四回も繰り返されたでしょうか、今度は手のひらほどもある大きな蟹を持って来ました。そして「先生、これ」と私の手のひらに乗せようとします。見ると足が何本かかけています。そばにいた学生がその大きさに驚いて、「先生、痛くない?」と、おそるおそる寄ってきました。持っていた男子学生が「そらっ」と、その手の上へ置こうとすると、わっと言って逃げていきます。

 いったいどこから仕入れてくるのでしょう。見ると、海へと伸びた小さな川の中にいるようです。近づいてみると、いるいる、2人。網を持って必死に水の中を掻き回しています。そしてそのそばには、小学生らしき男の子が5人ほど、ビニール袋を持って所在なげに立っているではありませんか。「小学生のを取り上げたな」と、注意しようと近づいていくと、途端に一人が「先生、魚」と網を持ち上げ、手のひらに魚を載せて見せに来ました。そばにいた女子学生が「私にも持たせて、持たせて」と言って騒いでいる間に魚はするりと彼の手のひらから海へ逃げていきます。

 ああ、残念。しかし、めげません。また捕ろうと、どんどん水の中に入っていきます。思わず、小学生達のそばに行って「邪魔?」と聞くと、困ったような顔をして「うん、邪魔…」。とは言え、彼らが外国人であることは見て取れたのでしょう。それで、困ったなと思いながらも、貸してくれたのでしょう。本当なら、自分達が遊びたいでしょうに。もしかしたら、子供みたいな大人だな、変な外国人と、おかしく思っていたのかもしれません。2人は蟹を捕る度に、小学生たちのビニール袋にそれを入れています。袋の中を覗くと、もう何匹も入っていました。私たちが浜を出て、一番ホッとしたのはこの子たちかもしれません。

 しかしながら、皆、なかなか海から上がろうとはしません。「ネパール」や「内モンゴル」の学生たちが、海に夢中になるのはわかるのですが、「ベトナム」や「フィリピン」、「ミャンマー」、「インド」の学生たちまで、海の中で「水のかけっこ」をしたり、波が来るたびにジャンプしたりしているのには驚きました。聞くと「海はあるけれども、住んでいる町からは、遠い」と言います。しかも、皆が童心に返って、はしゃいでいるのですから、それは釣られて、一緒にはしゃいでしまうでしょう。

 あれやこれやで、なかなか帰ると言い出せず、予定の時間を一時間近くもオーバーして、そしてやっと「海」とお別れです。「長谷駅」へ戻って、「江ノ電」に乗り、まずは「江ノ島」へ行きます。そこからは「帰り」になります。「江ノ島」から「大船」までは、モノレールに乗ります。

 「ガーナ」の学生、おっかなびっくりで下を見ながら、「先生、落ちたらどうする」。「落ちたら落ちた時のこと。考えたってしかたがない」。どうも、落ちた時のことについて考えていたらしい。「ベトナム」の学生は、「高い所は嫌です」と、座っていながらへっぴり腰でいるのがよく判る姿勢。「大船」に着くと、JRに乗り換え、一路「東京」へ。皆、四車両にわたり座ります(全員座れました)。しかし、疲れ切ったのでしょう。次が「東京駅」という時、起こしにまわった教員が言うことには、激しく揺さぶっても、何回叩いても、どうしても目覚めなかった学生が三人ほどいたとか(隣に座っていた人が、驚いた顔をして見たので少々恥ずかしかったそうです)。

 海で遊ぶと、陸で遊ぶよりもずっと疲れます。これも今日遊んで判ったでしょう。

 海から上がった時も、「行徳駅」で別れた時も、「先生、ありがとう。今日は本当に楽しかった」と言ってくれた学生が何人もいました。彼らが喜んでくれるのが、教員にとって何よりも嬉しい。もっとも、彼らが楽しかったのは「海」だけだったのでしょうが。

 さて、6月25日、課外活動で一息ついたら、翌月曜日は「N1」「N2」「N3」「N4」の模擬試験です。何もないのは「Dクラス」の学生たちだけ。帰りの電車では「先生、試験は月曜日でしたっけ。それとも火曜日でしたっけ」と聞いてきた学生もいましたから、「東京駅」から「行徳駅」に近づくにつれ、「日常の生活」に戻ったのでしょう。

 途中、けがや病気になる者もなく、切符をなくしたり、財布を落としたりする者もなく、無事に戻れました。何よりでした。きっとこの日はぐっすり眠れたことでしょう。

日々是好日
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「鎌倉散策」。「学校に近い寮」。「何のために日本語学校で勉強するのか」。

2010-06-25 07:50:42 | 日本語の授業
 さて、「雨男」「雨女」に勝って(いったい誰でしょう、「晴れ女」「晴れ男」は)、「いざ、鎌倉へ」。出陣です。

 後は、8時20分の「集合時間」を待つばかり。「Dクラス」と「ABクラス」で、「はい、目覚ましが必要な人は手を挙げて」と言うと、最初は素直に挙げていましたのに、「7時に電話するからね、私が」と言うと、途端にへなへなと手は下に落ちていきます。

 どうも、朝っぱらから、私のだみ声での「起きろ」コールは聞きたくないらしい。しかしながら、前回、どうしても起きられなかった「ベトナム人学生のいる部屋」へは、寄るつもりですからね。「君たちは判っているね」という目を見て、敵も察知したらしい。あわてて「先生、大丈夫。いい、いい」と何やら「寝言をほざいて」いました。

 「寮」が学校から近いといいですね。今も、担当者が、学校に近いアパートかマンションを借りようと(もうすぐ七月生が来ます)大わらわで走り回っています。これは、学生にとっても、けがや病気をした時に見舞いや手配をしなければならない学校側にとっても都合がいいのです。学生の中には、日本に知人や身寄りがいないという人も少なくないのですから。また、いたとしても遠くに住んでいるという場合もあるのです。

 この学校には、事務員はいません。皆、教員です。学費の納入にしても、生活上の様々なことについても、教員としての視点から指導しています。彼らが来日後、どうやって生活していくのが一番いいのかという視点から指導しているのです(来日の目的が「進学である」というのが前提ですが)。それ故、生活指導をしているうちに、相手の日本語に業を煮やし、日本語の指導に転じるということもあります。その点、学校内で、教師がやることは、教育に関して言えば、融通無碍なのです。

 お金が、全くない人が、日本で日本語の勉強をするというのは、ほぼ不可能に近いのです(日本も不況です。日本語が出来ないのに、どこの誰が雇ってくれるというのでしょう)。それでも、「馬車馬」のように働けるという学生は、今、この学校にはいません。根性だけでなく、体力もありません。少し働けば、疲れて勉強どころではないのです。

 来日時の費用を、親が借金で工面し、子供が来日後、働きながらその借金を返し、なおかつ学費も払い、二年か一年後の(進学のための)入学金や学費まで稼ぎ出すということは、100%不可能とまでは言いませんが、限りなく100%に近く不可能です(わずか、18才か19才の、まだ子供です)。

 もちろん、いくら能力があっても、生まれ落ちた国がとんでもなかったら、留学するなどと言うことは不可能でしょう。日本でも、戦後、非常に貧しい時代がありました。少なからぬ人が餓えで死にました。戦後のみならず、戦前も戦中も一般庶民は非常に貧しかったのです。けれども、国民に公民としての意識(これは権利としての意識ではないのです。自己の権利を主張するのは今でも下手です)、つまり、才能のある人を公的資金(これは、村や町、また国、或いは指導的立場にある人の私的資金も含みます。その人達のお金だって、皆のおかげで儲けられたわけですから)で、育成しなければならないという意識が、上層部の共通した考えだったのです。

 多くの途上国では、金持ちグループや政権担当者の一族或いはその関係者の子弟が、その権利を独占しています。公的資金で留学できるのは、貧しくとも能力のある人ではなく、金持ちで普通の能力しかないが、政権担当者と関係がある(おそらくは金銭的関係でしょうが)人たちだけなのです。

 中国にいる時も、そういう人たちを目にしました。(政府の)メンバーや関係者の誰々の息子、或いはその一族。「兄弟はアメリカやフランスへ留学している。けれども、私は親にかわいがられていないから中国へやられた(とは言っても、留学は留学です)」というアフリカ系の人もいました。もちろん、まじめに勉強していた人もいましたが、「何しに来たの」という学生も少なくはなかったのです。これが自分の金であったら、それはかってです。自分で無駄に使って勝手に帰ればいいだけのことです。けれども、それが人様の金である(公的資金と言うことは税金です)という点に問題があるのです。

 中近東から来ていた学生は、「中国?日本と同じですか?」と(80年代の初めに中国への留学の話があった時に)、中国大使館の人に聞いたのだそうです。「同じだ」と言う答えが返ってきたので、中国に来た。それなのに、全然違う。「騙された」と言っていました。当時の北京は自転車だらけで(これは私たちから見ると、公害も起こっていないし、いいなという感じだったのですが)自動車を捜そうにもなかなか見つけられなかったほどでした。

 一流ホテルにしても友誼商店にしても、中国人は入れません。中国人が中国人を排斥していたのです。中国人の友人と入ろうとして、その人だけ「おまえは駄目だ」と言われたこともありました。もちろん、私たちも怒って帰りましたけれども。

 今の中国から見ると、全く信じられないでしょうが、電球一つ買うにしても、半日仕事でした。まず、日本でどこでも買えた、質のいいトイレットペーパーさえないのです。外国人相手の友誼商店などへ行かない限り見つけられませんでした。一度、王府井のデパートで見かけ、「あれをくれ」と言ったことがあるのですが、冷たく「あれはサンプルだ」と無視されたこともありました。

 ある留学生など、ボストンバックいっぱいトイレットペーパーを詰め込んで中国へ来ていました。日本のようなトイレットペーパーはないけれども、紙はあると言うと、絶句していましたけれど。それほど、お互いに、何も知らなかったのです。

 今では、極端な言い方をすれば、北京や上海に限らず、中国の大都市に行く場合、何も持たずに言っても大丈夫です。向こうで、だいたい何でも揃えられますから。しかし、当時は何でもかんでも持っていかなければなりませんでした。

 90年代も終わりの頃でしたが、私と同じ年頃の中国人男性がこんなことを言っていました。「私は原始社会から高度情報化社会のすべてを経験した」。彼の両親は知識人で危険分子だったのでしょう。だから田舎に追いやられ、苦しい生活をしていたのだと思います。

 こういう人は強かったですね。頭がいいだけでなく、がむしゃらに何でも出来たのです。最低の生活を知っていますから。ただ、彼らの子供はそうはいきません。両親は自分達の苦労を彼らにはさせまいと甘やかせるだけ甘やかしています。その上、一人っ子政策ですから、子供は一人しかいません。四人の祖父母、そして若い親、合わせて六人の愛情が、子供の両肩にのしかかっています。子供も不幸、そして出来の悪い子供が何かするたびに、関係者に金品を送ったり、コネを使ったりせねばならぬ親や祖父母も不幸。

 そういう人たちは、自分の国だけで生活し、外には出ない方がいいのになあとつくづく思います。まあ、どこの国にもいるといえばいるのですが、そういう人は、日本では、まず勉強したいなどとは言わないでしょうし、お金があれば、留学ではなくて、旅行か長期滞在の方を遊ぶでしょう。そっちの方が遊べますし、楽ですから。勉強したいなんて言うから、不幸の輪が広がってしまうのです。

「勉強したい人だけ、この指と~まれ!」

日々是好日
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「課外活動の『事前指導』、特に『四月生』」。

2010-06-24 07:57:29 | 日本語の授業
 明日は、いよいよ、課外活動「鎌倉一日旅行」です。集合時間は8時20分(行徳駅)で、(行徳駅に)戻ってくるのは、18時の予定です。途中、電車の乗り換えもあり、かなり歩きますから、ヒールの靴は避けるように、また、動きやすい恰好で来るようになどの注意事項は、今日のうちに、徹底しておかなければなりません。そうしなければ、「先生、足が痛い」だの「疲れた」だのと愚痴をこぼされ、せっかくの楽しさが半減してしまいます。また、アルバイト先への「連絡」や「お願い」などは、だいたい先々週に終わっています。

 DVDを見せながらの説明は、「Cクラス」だけは終えましたが、ほかのクラスはまだです。今日しかありません。午後の「A・Bクラス」は合同でします。このクラスは、皆、進学を希望していますから、「大仏様」や「鶴岡八幡宮」の他にも、鎌倉時代のことを少しは入れておかねばなりません。日本の歴史になりますと、(途端に漢字が増えてくるので)「非漢字圏」の学生に取っては敷居が高いのですが、それだからと言って避けて通るわけにもいかないのです。もちろん、関心がない人には(漢字圏の学生であろうと、非漢字圏の学生であろうと)、いくら説明しても、右耳から左耳へと通り過ぎていくだけのことですから、違いはないのですが。

 「Aクラス」の学生たちは、「漢族」のようには漢字がうまく書けなくても、一応中国人ですから、それなりに(授業に)ついて来られるのですが、「Bクラス」のガーナやカンボジア、インドの学生を見ると、少々気の毒になります。

 彼らは、漢字だけは必死に覚えてきており、読んだり書けたりはするのですが、まだそれが文章中に散在するというのに、慣れきってはいないのです。いくら聞くだけとは言え、漢字を見れば、大体の内容がすぐ把握できる人たちとは違いますから、大変でしょう。それでも、日本の大学や専門学校に進学したいと思っているのなら、日本の歴史も少しは知っておかねばなりません。

 「A・Bクラス」に比べ、四月に来たばかりの「Dクラス」の学生たちは、まだまだ太平楽を決め込んでいます。また事前指導も、そのような難しいことを考えなくていいのです。それどころか、愉しませることに集中させなければならないのです。上級と同じようなものを見せ、同じような説明をしても、意味はありません。彼らはまだこの学校でする「課外活動」というものの意味さえ判っていないのですから。甚だしきに至っては、「先生、友達のところへ行きますから、行きません」と言いに来たりする始末。

 そういうのは、まず、一つ一つ雷を落として潰していきます。なにせ、まだ彼我の間に共通語がないのです。私は課外活動に参加する必要性を、ベトナム語で説明する能力はありませんし、ネパール語でもできません。ただ、三ヶ月も共に暮らしていれば、互いのことは、ある程度、理解できています。彼らにしてみれば、「先生から叱られた(叱られるとは思っていなかったのです。課外活動へは、好きな人行くだけで、行きたくない人は家で寝ていてもいいんだくらいに考えていたようなのです)。行かなければならないんだ」という思考の流れに、案外スムーズになるようなのです。

 もっとも、時には、言いに来た学生を見つめて、「うううううう」と、唸り声を上げるだけで、「えっえっえっ」と言って、「行きます」と答えてしまう学生も出てきます(全く、言葉なんて必要ないのです。今の日本語のレベルでしたら、私が貓語で話しても、鶏語で話しても、牛語で話しても何語で話しても、私の気持ちを汲み取ってくれることでしょうから。難しい話は別にしても、気持ちだけは判ってくれそうです。実は、時々、彼らと犬語で話すことがあります。おもしろいのです、これは、とても。)

 それでも、「行きたくない」と駄々を捏ねれば、(捏ねそうな人は皆近くに住んでいますから)朝、私が電話し(たたき起こし)、部屋まで迎えに行きます。だいたいこういうことを二度ほどでも繰り返せば、音を上げるのは向こうの方です。「ちゃんと行くから大丈夫。来ないで」となるのです。で、私は「言ったのはそっちの方だからね。約束だからね」と大手を振って一人駅に向かうことになります。

 だいたい、半年も経てば、仲間と一緒に行く愉さも判ります。事前指導で、時には「日本の歴史」あるいは、「建物の特長」、その内容なども入れていきますから、日本に関する知識も増えていきます。目標を持って日本へ来ている学生は、(少しでも日本にいれば)自分が日本のことを何も知っていないのだということに気がつくはずです。進学を目指しているのなら、それはマイナスになるということにも。日本人と話す時でも、友達を作る上ででも。それでも、(それに)気がつかないようでしたら、それなりのところへ行く(進学する)だけしかないのです。

 また、一緒に行くクラスメートもいます。他のクラスには同国人もいます。一人ではありません。もし一人になったとしても、誰かが気づいて声をかけてくれるでしょう。それがクラスメートであったり、同国人であったり、あるいは教師であったりしても、変わりはありません。寂しくはならないと思います。もちろん、中には、私が行けば「しまった。また捕まった」と思うような輩も、四月生にしてすでにいるでしょうが。

日々是好日
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「課外活動を前にして、また、また、『雨女』『雨男』が気になる」。「それぞれの『心の風土』から」。

2010-06-23 08:17:33 | 日本語の授業
 今朝は雨です。この二日ほど、学生たちが、学校で勉強している間は雨が降りませんでした。それで内心、ビクビクしていたのです。このまま降らずに金曜日になってしまったらどうしよう。おそらく、お空はその日まで、我慢に我慢を重ね、グググーッと歯を食いしばって我慢し、そして最後に、耐え切れなくなって、ドバーット雨が降るのではないかと。そして、それが、ちょうど課外活動を予定している「金曜日」になってしまうのではないかと。

 あり得ないことではないのです。前回の課外活動「皇居散策」の時がそうでしたから。(課外活動の)前日もその翌日も、嘘のように晴れていたのです。それなのに、あの時だけ「豪雨」になったのです。誰か(今年の学生たちの中に)「雨女」か「雨男」かがいるんじゃないのと、皆、詮索するような眼でチラチラと見てしまいました、お互いを。心の中では、もしかしたら自分かも…なんて思いながらも。

 とはいえ、それも、強力な「晴れ男」「晴れ女」がいれば、押さえつけることができます。その反対に、雨のグループが二人三人あるいは四人と人を揃えて立ち向かってくれば、いくら強力な「晴れ男」「晴れ女」でも、数にゃ負けます。当然…雨です。

 けれども、今回は、二日早く、お空はこらえ性をなくして…くれました。少しばかり多めに降ってくれれば、多分、明日も大丈夫でしょうし、もう一声で、明後日も大丈夫でしょう。「アジサイ」は雨が似合うからよさそうなものの、「大仏様」にせよ、「八幡様」にせよ、そして(内モンゴルの学生たちが、触ったり、中に入ったりしてみるつもりでいる)海にせよ、やはりお日様が照っている方がいいのです。鎌倉自体は暗い町ですから。

 日本では、「梅雨時」と「台風シーズン」に、大雨が降ります。時には集中豪雨となり、大きな被害を与えることもあります。この時は、ひたすら耐えるしかないのです。例年のことですから、雨が続けば、地盤が緩んで危なくなる箇所は、その土地の人間なら、だいたい判るでしょうし、役所から勧告が出されれば、避難しなければならないでしょう。特に、鹿児島県は「シラス台地」の上に、人が乗っかって生活しているわけですから、「桜島の噴火」も怖いが、「大雨」も怖いのです。そこが、今、梅雨の大雨に苦しんでいます。

 中国でも、洪水による被害が報告されていました。そして、今日はブラジルとフランスです。共に大洪水でかなりの数の死者・行方不明者が出たそうです。ブラジルの映像では村が川になっていました。本当に人の力など知れたものです。このように「水」も多すぎれば…陸の生命体に不幸をもたらします。

 実は、ちょうど昨日、内モンゴルから来た学生が、「私のふるさとは強風と黄砂だけ」という作文を読んだところでしたので、いろいろなことを考えさせられてしまいました。(彼の作文の主題は、「昔は美しかったのに、今は…」という嘆きでしたが)

 確か、この学生だったと思います。以前、学生たちと雑談している時、「内モンゴルでは、風は一年に二回、吹きます。一度吹き始めたら、半年止まりません」と言って笑っていたのは。

 これは、日本人が、「屋久島は、月に35日、雨が降ります」と言って笑うのと同じようなものなのかもしれません。が、受ける感じは全く異なります。「屋久島」なら、それでも人は「太古の森」をイメージするでしょう。ところが「内モンゴル」のそれは、「不毛の大地」の上を吹き抜ける砂塵が浮かんでくるだけです。

 内モンゴルから来た学生たちは、日本はとてもきれいだと言います。私も、北京で暮らしている時には、戻ってくるたびに、日本の緑は美しいと思いました。旅行でいくつかの国に行った時にも、やはり日本の緑は特別だと思いました。これも、他の国から来た人には、多すぎる(と感じられる)不快な湿気のおかげです。湿気のおかげで、苔が豊かに繁茂し、苔が育つことで、人との間に垣根なしの、人見知りしない自然が生まれているのです。

 特に、梅雨時、(芽を吹き出して、一二ヶ月ほど経っていますから、その)緑は、毎日雨に洗われることによって、日々、命を新たにします。毎日のように木々も花も草も生き返るのです。

 「人は風土によって育てられる」という考え方に疑いを持つ人もいます。けれども、どのような大地で生まれ育ったかということは、知っておいた方がいいのです。その人を理解する上で、一助となりますから。

 もちろん、人を理解するには、風土だけでは足りません。そのほかにも様々な要因は必要です。地政学的に見た上での歴史やそこから生まれた文化習慣もその中の一つでしょう(もっとも、「風土」という言葉には、すべてを呑み込んでしまうような力が感じられるのです。この言葉一つですべてを表しているといった風な)。

 それに、外からの影響も考えておかねばならないでしょう、現代のようにグローバル化が進んでしまえば。それに、人は簡単なようでいて、かなり複雑な生き物ですから、あまり安直に判断は下せません。それでも、一番大切なのは、「その人の風土」であるような気がするのです。

 ふるさとの大地を想う時、人は本当に優しい顔になります。そこが、生きている間は、心の拠り所であり、また終には帰っていく所であるからかもしれません。

日々是好日
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「チチコグサモドキ」。「チョイ山歩き」。「脳天気な学生…次のテストを忘れてる…」。

2010-06-22 07:27:25 | 日本語の授業
 今朝見かけたあれは、「チチコグサ(父子草)」だったのでしょうか。「ハハコグサ(母子草)」は春の七草の一つ、「ごぎやう」だと聞いたことはあるのですが、

「せり、なづな ごぎやう、はこべら、ほとけのざ すずな、すずしろ これぞ七草」

 しかしながら、名前のおもしろさから言えば、絶対的に「ハハコグサ」の方が面白い。なぜなら、子供でも、次から次へと生み出すことが出来るからです、名前を。

 最初に覚えたのは、昔話でも「お話」でも、何にでも出て来る「ハハコグサ」。その時は「ふ~ん」くらいのものだったのですが、「チチコグサ」の名前を知ってからは、俄然張り切ってしまいました。「じゃあ、『ジジコグサ(爺子草)』は。『ババコグサ(婆子草)』は、どうなの」となるではありませんか。発想が貧困だったので、「オジゴグサ(伯父子草)」とか、「ヒトノコグサ(他人の子草)」とか、その辺りまでしかなりませんでしたけれど。

 それから、随分経って、山と渓谷社の植物図鑑を見るようになってから、「タチチチコグサ」や、「チチコグサモドキ」といった植物名を知りました。確かに、そう言われてから見れば、「チチコグサ」よりスタイルのいい、男前の草であったり、どこか「騙してるな」と言いたくなるような様子であったりしていました(本当に「もどき」はいいですね。あれからしばらくは、なんにでも「もどき」をつけてしまいたくなって困りました)。

 とはいえ、もうこうなると、もう、「ネコノメソウ(猫の目草)」だの「ヨゴレネコノメ(汚れ猫の目)」だの、どちらかと言えば正統派ではない名前の方に目が行ってしまいます。「ヤブレガサ(破れ傘)」は、見かけた時に、実際に「一つ眼小僧」が、一本足に例のゲタを履いて、宙を飛んでいるような風体でしたし、 「ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)」も、小さいけれども痛そうな棘を持っていました。

 今は、山里や低山を歩いていた生活から、遠く離れて暮らしています。けれども、あの頃見かけた草花や名前が時折フッと思い浮かぶことがあります。あれはどうしてなのでしょう。すっかり諦めていたのに、そろそろ戻れそうな気が自分でもしてきたのでしょうか。

 そういえば、足の治療に通い出してから、一年は疾うの昔に過ぎてしまいました。今となっては、半月分の新聞紙を表に出すのにも苦労していたのが笑い話のようですが、実際はそうだったのです。どうやって荷物をなくすかがどこかへ行く場合、一番最初に考えなければならないことだったのですから、それから解放されたというのは、ありがたい限りです。今はまだ、週に一回、通っているので、何かあってもすぐに助けてもらえます。

 膝が悪いと荷物が持てないのです。初めは、年のせいで握力や筋力が落ちたのだろうくらいに考えていたのですが、治療に通い出してからどれくらい経った頃でしたか、一ヶ月分の新聞紙をさて二つに分けようとして、自分が持っていることに気づいたのです。芯から驚きました。あれれれれ、一瞬、「どうして???」でした。意味が判らなかったのです、持てないという生活に慣れて十年くらいは経っていましたから。

 ただ、荷物が持てないという、それだけで、人の行動半径は、グンと狭まってしまいます。けれども、ここで焦りは禁物。徐々に、徐々に、です。少しずつ、「できるのだ」ということを身体に思い出させてやらねばならないのです。すっかり忘れていたのですから。もう少し経ったら、一人で「チョイ、山歩き」が出来るようになるかもしれません。「チョイ、山歩き」が出来るようになったら、どこへ行こうかなと、今考えるのが、今、チョイ、楽しいのです。

 さて、昨日です。
「留学生試験」は、「読解問題」が25問もあったとのこと。学生によっては、16問で沈没であったり、20問まで見たというものもいたりと様々でしたが。まあ、いいでしょう。日本人のように漢字に慣れているわけでなし、終わったことは終わったこと。反省は多少なりともせねばなりますまいが、嫌なことは忘れて、次の「N1」や「N2」、「N3」に備えた方がいいのです。

 と、実は言おうと思っていたのですが、出来なかったという割りには、みんなの顔が明るいのです。多分、(学生たちは)結果のことは考えていないな…と私は踏んでいるのですが。「終わった、終わった、ヤッホー。これで、勉強しろと言われずに済む」という了見ではありますまいか。

 というわけで、「留学生試験」が終わった翌日に、「(日本語能力試験の)模擬試験」をするというのは、大正解でありました。まだ、試験があったんだ…ということに気づいた人もチラホラどころか、かなりいたようでしたし…。あああ、というか何というか、本当に、彼らは「日々是好日」なのです。脳天気な教師の下には、脳天気な学生が集う、というのも、また真実なのかもしれませんが。

日々是好日
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「『留学生試験』終了、今日から『日本語能力試験』」。

2010-06-21 08:23:15 | 日本語の授業
 昨夜一晩中、かなり荒れていたようです。早朝の道には、木の葉どころか、折れた木の枝まで落ちていましたから。風も、随分強かったようで、部屋の中まで風の唸り声が聞こえていました。まるで、エミリー・ブロンテの世界です。

 さて、昨日は第一回目の「留学生試験」でした(次は11月です)。今回は皆、「日本語」だけで受験しました。去年の学生は「日本語」以外に、大学を受験するために必要な「数学Ⅱ」「物理」「化学」も受けると言っていましたが。本人は(試験が)終わってしまえば、「やれやれ。これでしばらくはのんびりできる」くらいのものでしょうが、教員の側から言えば、「受けるまで」と「受けてから」が忙しいのです。なにせ、7月4日には「日本語能力試験」が待ち構えていますから。

 というわけで、一つ終わって、ホッとしている学生たちには申し訳ないのですが、今日、「Dクラス(四月生)」以外は、「日本語能力試験」のための模擬試験を行います。

 今年から「日本語能力試験」では、従来の「二級」と「三級」の間にもう一つ「級」がもうけられ、しかも、名称も「N1」「N2」「N3」「N4」「N5」となりました。つまり、「N1」「N2」が従来の「一級」「二級」で、「N4」「N5」が従来の「三級」「四級」に相当するのです。そして、その狭間を埋めるような形で「N3」が作られたのです。

 確かに「非漢字圏」の学生たちにとって、「二級」の壁は厚かった…。「日本語能力試験」の「四級」か「三級」レベルで、この学校に入った学生でも、在学中に「二級」に合格したのは微々たるものでした。合格すれば、もうそれこそ、万歳三唱です。

 「漢字圏」で、大卒者であれば、かつては、半年くらいでも、「一級」に合格させるのはそう難しいことではありませんでした(もちろん、本人に母語のレベルでの読解力がなければ駄目ですが)。普通は、「聴解」は駄目でも、「読解」で、かなりの高得点がとれます。文法も理解さえできていればほとんど問題はありません。それに、「文字語彙を」は丸暗記できますし(これはすごいです。すぐ忘れてしまうのが玉に瑕なのですが、二週間くらいで、多分根性で、暗記できるのです。一級範囲くらいだったら)。それに、第一、「読解」の得点が高いのです)。

 ただ、この方法は空しいものです。「合格している」というだけのことで、何の役にも立ちません。何せ、日本にいれば、周りはすべて日本人。「一級」に合格していれば、だれも手加減して話してくれなどしません。それで判らないとでも言おうものなら、「えっ。『一級』に合格しているのに、判らないの?」と非難のまなざしで見られるに、決まっています。

 その上、これからは、三分野(言語知識・読解・聴解)で、平均的に点を取れないと合格できないそうですから。「『聴解』はゼロだったけれど、【文字語彙』と『読解』で満点だった、それで『合格』できた」は、不可能になります。

「Cクラス」は、おそらく明るいでしょう。まだ「文章の難しさ」の区別がつくほどにはなっていないでしょうから。午後の二クラスはどうでしょうか。まあ、今から思い煩ってもしょうがないこと。今日からは「日本語能力試験」です。それ目指してやっていくしかありません。

日々是好日
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「打ち水」。「『好奇心』、『興味・関心』」。

2010-06-18 08:16:23 | 日本語の授業
 「梅雨」に入ってしまうと、一日中、どんよりとした雲の下での生活を強いられているような、そんな気分になってきます。この場合、多少薄日が差そうと関係はないのです。というわけで、今日も、その言葉通りの朝を迎えています。

 昨日は「梅雨の晴れ間」で(入ったばかりで、こう言うのはおかしいのですが)、お天道様がカンカンと照りつけていました。それでも、夏と言うよりも、やはり、「梅雨の晴れ間」と言った方がしっくり来るのです。「湿度は一昨日のようには高くない」と言われながら(言ったのは天気予報のお姉さんです)も、授業をしていれば、汗がじわりと湧いてきます。冷房をガンガンにしても、追いつきません。特に、午後のクラスでは、皆自転車で飛ばして、ぎりぎりに来ますから、教室の中は、学生たちの体温で、ムンムンしています。それが締め切られた教室の中に籠もってしまって、なかなか室温が下がらないのです。

 ふと思いついて、置かれている植木には気の毒だと思いながらも、一階のテラスに水を撒いてみました。何と、五分も経たぬうちに、カラカラに乾いてしまったではありませんか。ようし、それならと、また撒いてみます。ガラス戸を開けっ放しにすれば、冷気が逃げてしまいますから、できるだけ短時間にそれをします。

 本文を学生たちに音読させている間に、私は如雨露と格闘です。大振りの如雨露に水をいっぱい入れて、よっこらしょと持ち上げて、テラスに振り撒きます。学生たちも「はい、三回」と言われるごとに、言った人間があっちからこっちへと、またこっちからあっちへと行ったり来たりするのを横目に見ながら、それでも言われたとおりに読んでいます。大人ですね。誰もその理由を聞きません。

 それを四回ほども繰り返した頃でしょうか、心なしか、涼しくなったような気がしました。昼は、何よりも道路の照り返しがひどいのです。お日様が出てから数時間も経てば、どこもかしこも熱にうなされてしまいます。本来ならば「打ち水」というのは、草木が喜ぶ時間帯がいいのでしょうが、昨日ばかりはそうも言っていられませんでした。

 一息ついて、ふと、今年、卒業した学生たちのことを考えました。もし、ここにいるのが、彼らだったら…。

 多分、お勉強は、そっちのけになってしまったでしょうね。すぐに目で私を追い、何をしているのかを聞いたでしょう。そして、自分もやりたいと言い出すか、どうして日本人はそうするのかと問い詰めたりしたことでしょう。言ってしまえば埒もないことなのですけれど…。

 彼らは、若い先生が切り花を生けた花瓶に五円玉を入れているのを見ると、なぜ、なぜとすぐ聞きました。ペットボトルをきれいに風呂敷で包んでいるのを見ると、あれはどうしてと聞きます。何でも知りたいし、聞きたいのです。日本と中国とでは生活習慣も違うし(同じような気候状態であっても)、物事への取り組み方も違う。それが身体を通して、判っていたような気がします。

 今の学生たちも、「判っている」と言いますが、おそらく判ってはいないでしょう。そういうことが判るのも、ある程度のレベルが必要です。こういうことは、いわゆる「生活の知恵」に属することで、大学に入るための勉強とは、別個のものです。けれども、知識は知識、技能は技能。大学で学ぶのと同じくらい大切なことです。違いを知り、自分が使えるものはどんどん吸収し、利用していけるだけの適応力があれば、そしてあらゆる物事に対する興味があれば、外国で暮らしていくのは決して大変なことではありません。

 彼らは、だからでもありましょうが、日本語が上手になるにつれて、知識も増えていきました。きれいな比例のグラフを描いていたのです。彼らだったら、本をパタリと置いて、好奇心ムンムンで騒ぎ始めたでしょう。いえいえ、東京「打ち水作戦」なんてのもありましたから、自分もやると言いだしてきかない輩も出ていたかもしれません。それがいいとは言いませんが、教室にそういう活気が失われて、随分久しいような気がします。

 そう思いながら、いつものように授業を終えて、学生たちを教室から送っていると、例のオシャマサンの一人がやって来ました。「先生、作文持って来た。難しいよ」とか何とか言いながら。

 彼女の書いたものを読みながら、もう、ぶった切りです。「文の流れが完全に切れている」。文脈が繋がらないのです。「去年の方がずっとまし!ここも駄目」。「こういう書き方は誤解を生む」。「どうしてこんな書き方になる」切りに切っていっても、もう二年近く私と暮らしていましたから、慣れているのです。「しまったあ」と思いながらも、「うん、うん」と頷いています。

 彼女は日本の予備校に通い、日本人学生といっしょに授業を受けているわけですから、もっと日本語が上手になっていてもおかしくない。それなのに…。

 聞いてびっくりです。受けている授業は、「数学」「物理」「化学」そして、週に一度の「英語」。確かに「『古典』は捨てた」と言っていたけれど…「現代国語」まで捨てていたのか…。

 「留学生試験」は、この日曜日なんだけれども…。まあ、ものは考えようで、まだあと二三日もあると考えるべきか…。まあ、もとの力を取り戻すための時間は十分とは言えないまでも、どうにかさせるだけの時間はないこともない…。というわけで、「中短文」の切り抜きを準備してきました。本当に、ウッカリしていました。「現代国語」も受けていないようだったら、毎週(この学校に)来させて、読み物を渡しておくんでした。あんな文章しか書けないようでは、日本の予備校へ通っているなんて大きな口はたたけません。

 「また、あした来ます」なんて言って帰っていきましたから、今日、来たら渡して、読んでから、まとめておくように言うつもりです(あと二日です)。「ええ!こんなに読むの!いやだあ!」くらいは言うでしょうが、彼女はこういうものが嫌いではないのです。こういうものを渡すと、いつも減らず口は叩きますが、目だけは嬉しそうに輝いているのを私は知っているのですから。

 本当に、こういう向学心に溢れ、しかも、学んでいく上で一番大切な素直さまで備えている学生が、中国(の高校)では、そう(知識を習得しようと)いう気になれなかったのか、それが不思議なのですが。

 そういえば、こういうことも言っていましたね。捨て台詞に類することでしょうが。「今、『数学』とか『化学』とかはどうですか」「よ~く判ります。先生がいいから」「どうせ、私たちには、高校の『数学』や『物理』、『化学』を教えるだけの力なんて、ありませんでしたよ。悪かったわね」

 全く、本当に、かわいくないんだから。

日々是好日
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「『留学を志してから、来日までの期間』の大切さ」。

2010-06-17 08:20:33 | 日本語の授業
 風が止んでいます。ムシムシと暑さが這い上ってきます。風がないのは辛いですね。まあ、いつも、「早朝には一時止み、日の出と共に、また出て来る」というのが、日課のようになっていましたから、どうということもない…のですが、ここ数日、強い風が吹き荒れていましたから、よけい、ムシムシに救いがないような気がするのでしょう。海沿いの町には、風は海からやって来ます。

 実家は、二十年ほど前に湾が一望できるところに引っ越ししたのですが、近くに山がありましたので、四季を問わず、山風(○○颪)の影響も受けていました。これは山風、あれは海風と聞くたびに、そんなものかと思っていましたが、ここのように、山が見えないところに住んでいますと、海風だけが独立して見えてきます。ただ、ここの風には潮の匂いがしないのです。不思議と言えば不思議ですが。

 さて、学校です。
 先日、遊びに来た学生がこんなことも言っていました。「私たちは、この学校にいる時にいろいろな所へ行きました。大学に入って、これも自慢できることでした」
もちろん、彼らは日本の東京というところを愉しむだけの好奇心がありました。じっと部屋に閉じこもり、アルバイトが始まったら、学校とアルバイト先と自分の部屋だけの往復で終わるというタイプではありませんでした。しかも、仲良しが三人いたのです。これは強い。一人が行こうと言うと、他の二人もよしと言う。そうしている間に、私も行く、ぼくも行くとクラスメートが次々に手をあげ、人数も膨らんでいきます。

 「(学校の)課外活動」で仲良くなったら、そして、いろいろな所へ行くのが好きだったら、行きたい所(学校で連れて行かない所)の行き方などを教員に聞いて、その時、都合のつく者同士で遊びに行っていたのです。一人では怖くても、常に行くのは三人以上ですから、もう怖くない…。

 これには、そういう人たちがたまたま集まったクラスだったという偶然もあるでしょう。が、その前に、彼らが私たちの言うことを聞いて、「(日本へ来るまでに)一年待てた」ということがあるのです。

 彼女は、高校を出てすぐ、「四級」の試験を受けています。多分この頃は、「日本へ行くこと」自体非常に安直なことと考えていたでしょう。この時には、合格していません。「四級」に合格していなければ、東京の入管は、中国の高卒者が、日本の「日本語学校」で学ぶことを、基本的に認めていません(「非漢字圏」は別です。その得点によるようです)。落ちれば、「どうして私が」と思ったことでしょう。高校で同じくらいの成績だった、同級生や友達は、簡単にビザを習得して、九州や東北の日本語学校へ行っています。自分だけが行けなかった…他の人だって「四級」に合格していなかったのに…と悲しかったことでしょう。

 その時に、この中の一人には私が電話をしました。ビザがとれなかったということと、もう一度頑張れるかどうかを尋ね、もし頑張れるなら、「四級合格」を目標にして、さらに頑張らねばならないということを伝えるために。

 「不合格」という知らせは、誰にとっても辛いものです。「もういい。もういい」と、海を隔てた向こうから、電話越しに涙声が聞こえてきます。けれども、この時、彼女が他の同級生達と同じ道をたどらなかったから、今、こうして、生意気にも、大学で頑張っていられるのです。

 彼女が来日して三ヶ月か四ヶ月くらい経った頃でしょうか、「先生、九州からの私の友達が東京の大学へ行きたいから、この日本語学校に転校したいと言っています。できますか」と聞きに来たのです。「その人は私の同級生で、勉強もよくできたし、とてもいい人です」と言いながら。

 結果として、私たちは断りました。まず、その九州の日本語学校が許可しないだろうということを伝え、それから、あなたが待った一年間を考えてみなさいと言いました。あれが頑張れずに、すぐにどこかの業者が持って来た話に飛びついていたとしたら、彼女の現在は別の形になっていたことでしょう。(あれが)待てるかどうかというのも、私たちにとっては、その人を見る上で大きな物差しになるのです。

 学校には、それぞれ「色」があります。この学校にも「色」があります。学生たちを二年という時間をかけて、日本でうまく暮らしていけるような色に染め上げていくのです。もちろん、それが嫌だという人も、最初はいます。けれども、一ヶ月、二ヶ月、半年、一年と経っていくうちに、その通り(私たちが言うように)に頑張れた人たちは、それこそ、自然に日本に馴染んでいけます。

 この作業を学校側が怠っていると、険の立った険しい表情の外国人になってしまいます。私たちが、この学校の学生たちを、他の学校の学生たちと一緒に住まわせたくないというのも、それぞれの学校の色があるからなのです。影響を受けられては困るのです。二年ほども経って、大学や大学院へ入れるほどの日本語力がついていれば、自分で判断もできるでしょうが、それまでは、おかしなふうに曲がって欲しくはないのです。

 ここの学校の学生だったら、どういう学生なのかすぐに判ります。人数が少ないので、教員は皆、学生たちの名前を知っていますし、職員室で彼らの話が出た時に情報を共有しあっていますから、すぐに対応ができるのです。しかしながら、これも、少しずつ互いに意思の疎通が図れるようになってきたということで、一朝一夕にできることではないのです。日本語学校というのは、日本語を教えるだけの場所ではないのです。

 授業の時はもちろん、教室を出て、職員室に宿題を提出しに来た時にも、寮費を払いに来た時にも、課外活動で一緒に歩いたり、電車に乗っている時にも、教員達はみな、学生たちといろいろな話をします。彼らがその時に一番知りたいことから、卒業時の心づもりまで。それらは、授業の教科内容とは別個のことですが、授業の時の雰囲気作りや、また彼らが大学や大学院へ行った時、アルバイト先やそのほかのところで日本人と話す時など、様々なところで役立つことです。

 それを経験していない人が、来日後一年経って、東京の大学に行きたいから、(東京に近い)便利なこの日本語学校へ、繋ぎで来たいと言っても、彼らがすでに過ごした一年と私たちの学校で、私たちの学生たちが過ごしてきた一年とは、全く別物なのです(その上で、進学指導をするわけですから)。

 一年をかけて、手塩にかけて育ててきた学生たちと、考え方も気持ちの持ちようも違っている人を、あらたに受け入れても、結局は双方ともに満足のいくようにはできないのです。彼らも自分達の打算通りにいかねば不満を抱くでしょうし。ここの学生たちには、「他の人たち(同じ国から来た友人達)の話を聞くな。私たちの話を聞け」と、常に言っています。それが、まず、できないのです。「あの人はこう言った」「あの人はこれで成功した」。「その人はそれでうまくいったかもしれないが、あなたがうまくいくとは限らないだろう」ということが、うまく理解できていない人が少なくないのです。日本の事情は日本人の方が知っています。日本の大学や日本の大学院へ行きたいのなら、参考程度にするならまだしも、彼らの話通りにやってうまくいったという試しも、あまり聞きません。

 私たちの活動は、彼らが本校に入学した時から、始まっています。なにせ、ほとんどの学生は進学目的ですから。それに沿うような形でカリキュラムも立てていかねばならないのです。私たちは、最初から、彼らの進路を考えて行動しているのです。入れた時から、その作業は始まっているのです。(彼らの希望が)無理だと感じた時点で、その時々に、その気持ちを伝えておきますし、他の道も捜しておきます(どうしても、日本語のレベルが問題になります。極端な話、『留学生試験』で、300点もとれないのに、都内の国立大学といわれても困るではありませんか)。

 「今年、東京の大学へ行きたいから」と、(私たちからしてみれば)白紙同然の人がここへ来ても、不本意な結果を出すのは目に見えていますから、うまくいかないのです。

 この学校は、とにかく東京のそばならいいんだという気持ちで来られるような学校ではないと自負しています。場所だけが目的なら、東京の都内にも日本語学校はたくさんありますし、近郊にもあります。そちらの方がいいのです。

 とはいえ、私たちにとっても、二年間という時間は、本当に短いのです。「あれも教えておいてやりたい。これも見せておいてやりたい。あそこにも連れて行ってやりたい」と、そういう気持ちで、彼らの日本語力と好奇心に合わせて授業を組んでいますし、課外活動へも連れて行っているのです。二年がかりで完成させるのに、途中から来ても、お互いに噛み合わず、それどころか、不快感をもって終了するだけです。

 彼女には、「あなたは、他の人たちが簡単に日本へ行けた(一人、取り残された)時、どういう気持ちだった?あの『半年』を覚えている?」と聞きました。それから、「あなたは私たちの言ったとおりに待ってくれたし、その間、勉強しておいてくれた。だから、私たちも、あなたが日本へ来てからは、その心に応えるためにも、一生懸命指導してきた。これは、私たちだけが必死になっても成り立たないし、あなた達だけがそういう気持ちになっても成り立たない。互いがそういう気持ちになるためには、準備期間というものが必要なのだ。それをせず、あっちが簡単だからと飛びついた人は、この学校では我慢ができないと思う」と伝えました。

 今から思えば、遠い昔話のようですが、生意気にも達者な日本語で話し続ける彼女らを見ているうちに、こんなことが思い浮かんできました。

日々是好日
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「『入った大学で頑張る』ということ」。「「『国立大学』と『私立大学』」。「アルバイトと勉強の両立」。

2010-06-16 08:14:41 | 日本語の授業
 さっきまで止んでいた雨が、またパラパラと降り出しました。最初は小豆が落ちたくらいの音だったのに、今では大粒の雨がはっきりとした白い線で落ちてきます。まるで雹が屋根に当たりでもしたかのように、バラバラと大きな音を立てながら。この分では、学生たちの出足が鈍るでしょうね。

 昨日のことです。
午後の授業が終わって、学生たちを下の教室から見送っていますと、遠くの方でワアッと歓声が聞こえてきました。あれと思うまもなく、スルスルと自転車を寄せてきた学生がいます。見ると、卒業生です。「先生、こんにちは。休講だったから、遊びに来ました」。(全く、いつ卒業するのでしょうね、彼女たちは。先日も、別の卒業生がやって来て、「先生。留学生試験の模擬試験を受けに来たよ。ヒアリングだけ受けさせてね」とやって来ましたし)それで、早く上へ上がってお行きと言うと、「先生、もう一人いますよ」と明るい声で言います。見やると、向こうで、先輩面して、しっかり在校生と話し込んでいます。

 それが終わると、二人は学校へ入り、今度は、職員室で「世間話?」に花を咲かせています。

 一人が言います。
同じ大学の留学生の中で、今年も留学生試験を受けるという人がいる。「去年失敗したから、今年もう一度都内の国立大学を受験しよう」というのだ。自分も…どうしたらいいだろう。今、少しぐらついている…。

 よくある相談事です。もし、彼女が、去年目指したような国立大学をもう一度受験しようというのなら、やはり無理でしょう。高校までの知識の量が日本と中国とでは、全く違います。地方の国立大学か、都内でも、レベルがそれほど高くない公立大学を受けるというのなら、去年の段階でも受かっていたと思いますから、今更、受験する必要もないでしょう。お金も時間も無駄です。それよりも、今の有名私立大学の方がずっとレベルも高いし、日本人の間で知られています。

 ここで、一言。地方の国立大学というのは、日本人にとっては入学するのは難しいのですが、外国人にとってはそれほど難しくはないのです。なにせ、外国人は行きたがりませんから。競争率が低いのです。「日本語能力試験」の「二級」に、合格しているかしていないかのレベルでも、入れることもあるのです。もちろん、当然のことながら、これも大学によりますが。

 ただ、中国人の間には、「国立大学信仰」というものがあるようで、たとえ、地方の大学であろうと「国立大学」であったら、「(母国の人は)すごい」と言い。「認めてもらえる」らしいのです。中国と関係が深い早稲田大学は別にして、たとえ、私立大学の雄、「慶応大学」を卒業していようと、それが私立大学であるというそれだけの理由で、母国にいる中国人は「へ!私立大学か」と一顧だにしてはくれないでしょう。日本人の間では、別格の私立大学であるにも拘わらず。

 もっとも、これは日本とて同じです。北京の精華大学のことを話しても、よほどの中国通でない限り、「なに?それ」で終わってしまうでしょうし、「人民大学が」と言っても、キョトンとして「あ、そう」で受け流されてしまうだけでしょう。だって、聞いたことがないのですから。

 もし、国立大学へ行きたいのであったら、地方の国立大学は狙い目です。「日本語能力試験」の「一級」に合格していなくとも、大丈夫のところが少なくありませんから。だいたい、東京近辺の日本語学校にいて、「都落ち」してまで、(そこへ)行きたいという留学生は殆どいないというのが実情ですから(もし、彼らの肉親がいるとか、個人的な関係があれば別ですが。何といっても、アルバイトさがしに苦労するのです。それに給料も安いですし)。

 たまたま、入れた日本語学校が地方だったからという理由で地元の国立大学へ入ったという私費留学生が大半でしょう。もちろん、交換留学生は別ですし、国費留学生も別ですが。彼らは母国で選抜されて来日しているわけで、来日後他へ行きたいと言っても、それは事情が許さないでしょう。

 彼女たちのように、懸命に勉強して、都心の有名私立大学へ入れても(彼らが入った大学には、留学生はあまりいません。留学生試験で高得点、面接や作文でも認められなければなりませんし、英語の試験もあります。もし、英語の試験がなかったら、トッフルなどの試験が、それの代用します。それに、英語の能力をそれほど問わない有名私立大学というのは数も少ないので、余計難しくなるのです))、母国の両親や親戚、知人はそれ(頑張って、合格したということ)を認めてくれないのです。

 私たちは、彼女たちのために、大学のランキング表を彼らの親に送りつけてやろうかと、相談までしているところなのですが。

 まあ、それはともかく、中国の大学に入れなかったレベルで、来日した学生たちが、わずか一年に満たない間に、「一級(日本語能力試験)」に合格し、或いは合格すれすれの点数がとれるまでになったということは、それだけでも、大したものなのです。いくら私たちが大騒ぎして「やれやれ」と言っても、なかなかできるようなことではないのです。親がそれを認めてやらないと、子供の方が本当にかわいそうです。

 まず、来日後の一年で、アルバイトやら日本の生活やらに慣れるのが、普通は精一杯というところなのです。何と言っても、彼らは高校を卒業したばかりか、或いは卒業後一年くらいしか経っていなかったのですから、来日時には。

 勉強とアルバイトを両立させるというのは、彼らが思っている以上に、また彼らの両親が思っている以上に難しいことなのです。来日し、アルバイトが決まった時にはみな嬉しそうな顔をして、「勉強も頑張ります」と言います。しばらくは働きながら、宿題も頑張りますが、しばらくすると、勉強のほうが抜けてきます。人間は元来、二つのことを同時に必死になれるようにはできていないのです。

 それができるためには、その前段階において、よほど苦労していたとか、ある強い思い込み、乃至、希望が必要です。そういうものがない、つまり普通の人は、歩きやすい道の方へ流されていきます。それを、誰も非難することはできません。(私たちも)その都度、注意したり、力づけたりはしますが、持続できないのです。

 途上国や中進国から来ている学生たちでも、飢えや貧困に苦しんでいる状態から、こういう日本の日本語学校に入ってきたという人はいません。彼らの国では、そこそこに豊かな生活をしていた人たちです。頑張っているのは事実ですが、「ハングリー精神」などという言葉は、現在の日本でもすでに失われて久しいように、彼らの中にも、全くと言っていいほど見あたらないのです。

 アルバイトをせねば、生活が苦しくなりますから、アルバイトは外せません。ということは、勉強の方がお留守になってしまう…のです。それに、高校を出たばかりに人たちには(いえいえ、高校を出たばかりに人たちだけではありません。大卒者だってそうです)、「大学へ行きたい」とは思っても、何を勉強したいのか、また(日本では)何が勉強できるのかも判らないのです。彼らの国と比較すれば、日本では本当に様々なことが勉強できます。しかも、教授陣のレベルは決して低くはありません。これは、どこの大学であろうとそうであると思います。

 今年の四月に来た学生たちも、少しずつアルバイトが決まり始めています(すでに「二級レベル」を獲得してから来日している人は別です。日本語が少しは話せますし、聞き取れますから、もう疾うに決まっています)。私がここで言っているのは、「四月生」のうち、「イロハ」から学んでいる「Dクラス」の学生たちのことです。彼らがアルバイトにつぶされないためには、両親が少なくとも「一年分の学費」を払ってやり、彼らが「お金、お金」とオロオロせずに済むようにしてやる必要があるのです。そうでなければ、半年後の学費も生活費もすべて自分で稼げというのでは、中国の甘やかされて育っている若者には荷が勝ちすぎます。

 日本は、行けばいくらでも稼げるという国でもなければ(日本語のレベルが低ければ、アルバイトは捜せません)、彼ら自身の子供にしても、母国で大学入試に失敗しているのです。それくらいの学力しかなくて来日しているのです。夢というのは、あまり勝手に見ない方がいいのです。その夢に喰い殺される人だっているのですから。しかも、自分だけではなく、他の人まで巻き添えにしてしまうということだってありますから。「普通の能力しか持っていない我が子」が、日本へ行ったという、ただそれだけの理由で、急に何でもかんでも、できるようになるはずがないではありませんか。

 頑張れるためには、落ち着いて勉強できるという環境が必要です。アルバイトで一日が終わってしまえば、一体いつ勉強ができるというのでしょう。しかも、この学校では、一月か二月に一度、都内へ見学に連れて行くのです。一年に三回、一日旅行もします。お金も必要です。時間(アルバイトを休みますから)も必要です。もし、「子供のためにそれも準備してやれない、子供が自分の力で切り開いていくしかない」というのであれば、こういう課外活動もない、「(勉強しなかったら、)勉強しろ」とせっつく教師もいない、そんな日本語学校を選ぶべきです。その方がお互いのためです。

 もっとも、昨日来た二人は、課外活動には必ず参加していましたし、大学に入った時に、(いろいろな所へ行っていたので、)日本人の友達(大学生)に、「すごい」と言われたと喜んでいましたけれど。

日々是好日
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「梅雨入り」。「 互いの『常識』を考える」。

2010-06-15 08:45:56 | 日本語の授業
 関東地方は昨日から梅雨に入りました。今年は梅雨入りが遅れていると言われていましたが、始まってみれば、まだ六月中です。不思議なことですが、私の中には、「梅雨入りは七月」みたいな感覚があるのです。「『梅雨』が終わると『夏休み』」というのとセットになっているからでしょうか。「夏休みはカンカン照り」だから、その前は「ジトジト雨」くらいの理屈なのかもしれません。そういえば、夏休みと切っても切れない花、「キョウチクトウ(夾竹桃)」も咲き始めました。赤や白の、花だけ見ればきれいな花ですが、子供の時には、一種の畏れを持って見つめていました。

 昔の旅人の話です。この旅人が戦争中の軍人になったりはしたものの、話の大筋は誰が話しても変わっていませんでした。まずは、「この木の枝には毒があるんだよ」から始まります。「一人の旅人が箸代わりに、この木の枝を切って使った。その途端、苦しみ始め、終には死んでしまった。その亡霊が夜になると、この辺りに出るんだ」。

 なぜ、子供の頃、あんなに怖かったのか判りませんが。とは言うものの、今でもこの木の花を見るたびに記憶の底から、スルリと浮かんでくるのです。

 さて、学校の学生たちです。
 この日曜日には、「留学生試験」があり、その二週間後には「日本語能力試験」があります。いわば、まさに、彼らにとっては「試験期間」です。まあ、そのわりには、のんびりしているように見えますけれど。
 今、この学校で一番悩みがないように見えるのが、、今年の四月に来日した学生たちのいる「Dクラス」です。「上級生は、今、試験期間だからね。邪魔しないようにね」など言っても、「ああ、そうか」くらいのものでしょう。(来年は自分達だなどという)実感は、まだまだ湧かないのでしょう。相変わらず、ニコニコとして「行く、行かない、行った、行かなかった」に明け暮れています。

 とはいえ、もうすぐ、「みんなの日本語Ⅱ」に入ります。そうすると、もう今のように「楽勝」といった顔は、していられなくなります。一文の中にいくつも換えなければならない箇所が出てきますから、考えながらやらねばなりません。二十課をもういくつか超えた段階で、すでに、アタフタとし始めた学生たちもいることですし。

 この初級の学生たちが、「初級」で、二冊目に入る頃、(今年は少々遅れ気味になっていますが)「上級クラス」の「上級日本語」の教科書も終わりを告げます。この「上級クラス」の学生たちには例年、口を酸っぱくして言っていることがあります。「日本の新聞は『高校生でも読める』ように作られている。けれども、『日本語を学ぶ外国人用に作られた日本語の上級の本』では、まだそのレベルに達していないのだ」。

 ただいくらそれを言っても、判らない人には判りません。判らない人には判らない…これは日本語のレベル云々の問題ではないのです。例えば、私のようなものに、「物理学」や「宇宙学」に関する理論や計算式を延々と講義しても、私には「それは宇宙人の言葉である」としか思えないないでしょう。たとえ、用いられている言語が日本語であっても。それと同じなのです。

 もちろん、単語や文法レベルで、そこには及べないということも、確かにあります。けれども、それ以前の問題なのです。

 90年代の始めの頃のことです。中国人の学生たちに、「車社会の明と暗」という文章を読ませても、誰もが「暗」に思いが至らないのです。理屈ではわかっても、結局は、「明」に終始する意見になるのです。それを悪いことと見る視点さえ、どうしても学べないのです。

 嫌な言い方ですが、公害先進国、日本では、すでにその克服のために、莫大なお金が費やされていました。公害裁判やアブクを出すヘドロなどの映像を、子供の時から、見たり、聞いたりしていたのです。

 中国人学生だけではありません。幾度か書いたこともありますが、スリランカの学生に、ODAに関する文章を読ませた時もそうでした。「(援助国は)あげたいんでしょう?私たちはもらってあげているんだから(どこがいけないの?)」と怪訝な顔をされたのです。彼らには、「喜捨の習慣」があるからでしょう。これはイスラム教を信じる国や地域でも同じことかもしれません。これは、あくまで「習慣」です。長い間に培われた「信念」にも似た「習慣」です。

 「援助を与えた人は、それで神様に褒められる。(もらってあげるひとは)その人が天国へ行くための手伝いをしてあげたことになる。(どちらにも利益はある。どちらにも損得はないはず。)文句を言うなんて、狡い」くらいの感じです。「私たちがもらってあげなければ、あなたは天国へ行けないんだから」くらいの気持ちはあるでしょう。

 こんなことくらいで絶句していてはいけません。「作文」を書かせると、(教える方から見れば)すぐに彼らが抱えている問題点が浮かび上がって来ます。つまり「常識」が互いに違うのです。「単語」や「文法」を教えたくらいでは解決できないのです。あとは、(日本の大学や大学院へ行きたいと言う)彼らに、どれだけそれらの問題を考えられるものを提供できるかなのです。

 もちろん、日本語が「読めも、聞き取りもできない」状態であれば、私たちとしてもなすすべはありません。この「読み・聞き取り」のうち、どちらか一方さえできていれば、少しずつでも提供していけるのですが、それができていなければ、この学校で「イロハ」の勉強で終わるということになります。

 どんなに科学という分野に疎くとも、日本にいて、ごく普通にテレビを見、新聞を見、そして最近ではインターネットもありますから、それらの報道機関と接触していれば、門前の小僧くらいの知識は得ることができます。それが、いつか、「日本での常識」として、確乎としたものを自分の裡に築いていきます。その「常識」が、もしかしたら「(他国から見て)非常識」であろうとも、この国にいて、この国の人と話している限りは、「常識」なのです(これはどこの国へ留学しようとも同じです。すでに大学を出ている年齢に達していれば、うまく適応出来ずに、かなり長い期間、のたうつことになりもしましょうが)。

 以前、中国で働いている時、『唐詩』の解釈で、中国人の同僚に『感心された』ことがありました。私としては高校時代に習ったものでしたから(当然、その註釈もです)、それ以外に変な解釈の仕方があるなんて、知りませんでした。ですから、大仰に感心されることに却って、どぎまぎしてしまいました。もっとも、私が考えついたことじゃない…皆がそう理解している…とは、言えませんでしたけれど。だって、その詩を書いた人の子孫が存在している国で、「そんな解釈もあるのか」と言われたのですから。

 その時、この国では、本当に過去の文化とキッパリと切れているのだなと思いました。それ以前にも、北京大学や著名な大学の中文系では、今でも70才、80才の老教授たちが頑張っている。ちょうど旬でなければならない人たちがいないからだというのを、80年代の末に聞いていましたから、そうだろうなとは思っていたのですが(文革の十年間、そしてその前後の十年間で、合わせて三十年間の空白です)。

 その間、日本でもまたその他の国でも、それ以前と同じように連綿と中国の歴史や文化に関する研究が進められていました。途絶えたことはありませんでしたし、現代の思想や哲学から独立した研究が進められていたのです。過去のものは過去の人の気持ちで理解していかねばなりません。新しい解釈があっても、その上に立つものでなければならないのです。現代がおかしな影響を及ぼしてはならぬのです。要らぬ理解の仕方は必要ありません。変に色づけされた知識はそれこそ、歴史を歪曲してしまいます。私たちは古人の書いたものをそのままに見る権利がありますし、その解釈を助けるべく古人が書いたすべての研究書を、(もし望むなら)そのままに見る権利を有します。それがなければ、研究なんてできはしません。だから、研究者にとってなによりも大切なのは、自由な空気なのです。

 大学が、そこに所属する人たちに提供しなければならないサービスの一つは、彼らが望むなら、その知識・技能の源として、大学が溜めてきたものをすべて好きな時に飲ませてやるということなのです。

日々是好日
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「課外活動を前にして、アルバイト先への『お願い』」。

2010-06-14 07:36:53 | 日本語の授業
 今日は「一日中、雨」という予報が出ていました。けれども、本降りというか、梅雨特有の重い雨ではありません。まずは、梅雨の先達というところでしょうか。

 先日、6月20日の課外活動「鎌倉の旅(一日)」を前に、申込用紙を配りました。すると、「Aクラス」の学生が一人、「私は行けません」と言いに来ました。聞くと、アルバイト先で、「二人(この二人は夫婦です)とも、同じ日に休ませるわけにはいかない。」と言われたそうなのです。それで「妻だけ行けます」ということになったらしいのです。

 「行きたい」という、自分の気持ちを、きちんと話したのかと聞くと、話したと言います。しかしながら、口べたで、融通が利かない彼のこと。多分、一度「駄目」と言われたら、それ以上言ってはいけないものと、すぐに引き下がってしまったことでしょう。

 彼は内モンゴル出身で、「森林保全」を大学院で研究したいとやって来ました。来日後、始めの頃は、「こんなに融通が利かなくて、頑なヤツもいるものか」というくらいに、どうにもこうにもできずに手を焼きました。全く手に負えなかったのです。

 日本では、「こうした方がいい」と、いくら彼に言っても、それがうまく彼に通じないのです。それどころか、「私は友人に聞きました」と言って、「日本ではこうだ」と言いに来る始末なのです。その友人というのも、同じモンゴル人で、せいぜい二三年日本にいるだけのもの。「わからない人間」が「何もわからない人間」に説明しているようなものですから、そんなことは日本では通用しないことくらい、誰にだってすぐわかるようなものですが、それがわからないのです。

 半年以上もこんなふうでしたから、「もうしようがない、あっちを信じるなら全部自分達でやるがいい、うまくいきっこないのだから」と、半分以上匙を投げかけていました。ところが、これも「課外活動」の時です。上野公園の緑を見て、「先生、公園には樹があるのですか」と見とれているのです。「公園に樹…どこか変??。確かフフホトの公園にも緑はあったけど…。まあ確かにこんな深い緑ではなかったけれど…」と、そのトンチンカンな嘆声にチグハグ感を抱いたのですが、多分それが一つのきっかけだったのでしょう。

 また、課外活動があり、その時、偶然、彼と一緒に学校へ戻ったのですが、その帰り道ででのこと。子供の頃の草原でいかに楽しく遊んだかということや、犬を使っての小動物の狩りの様子などを、目キラキラで話してくれたのです。この学生は心に「一つの宝物」を持っているということが、よくわかりました(辛いことがあっても、そこに戻れば「元気になれる『ふるさと』」です)。思わず、魯迅の『故郷』を思い出してしまいましたが。

 真っ直ぐ(な性格)であることは、すでにわかっていました。が、その融通のきかなさ、頑固さが時には頑迷さに映ることもあり、これでは(日本では)うまくいかないのではないかと危ぶまれていたのです。ただ、その時、心に、こういうものをしっかりと抱いているのであれば、(大学院の教授と話す時、自分の夢の由来を話せますから)何とかなるのではないかと少々希望が湧いたのです。

 それで、もう一度、積極的に手を入れてみる気になったのです。彼の方も、急に最前列に座るようになりました。それに、先に指示していた「卒論」の概要やら、その翻訳やらを、誰よりも先に出したのは彼でした。そういう矢先の「先生、私は行けません」だったのです。

 早速、アルバイト先へ出すための「お願い」を書きました。そして、学院長の「お願い」と、担任である私からの「学生の情況とお願い」を、彼に渡し、店長にもう一度頼んでみるように言いました。

 そして、翌日。晴れ晴れとした顔でやって来たのです。「先生、行けます。大丈夫だって。店長さんが大丈夫だって」。学生の気持ち、それから情況を、ちゃんと汲み取ってくださる店長さんだったのです。

 日本語学校の学生たちは、日本へ来てから、一二ヶ月くらいして、アルバイトができるようになりますと、毎日アルバイトと学校の勉強に追われるということになります。まじめな学生であればあるほどそうなのです。休みの日には、ホッと寛げるどころか、やらなければならないことも日々蓄積していますから、そのために時間が費やされるということにもなってしまいます。

 だからこそ、この課外活動というのは、大切なのです。息抜きという面も確かにあります。けれども、それはある意味ではガス抜きなのです。緊張状態を二年間も続けることなんて誰にも出来ません。教室を出て、日本の町を皆と一緒に歩くのです。何かあっても教員が常に一緒ですから、緊張する必要はありません。地下鉄に乗り、さんざめきながら歩き、街を見、そこでの発見を皆に伝え、想いを共有出来るのです。

 そして、行く場所も、一人では行けないところです。一年に三回の特別な課外活動は別ですが、経済的にも負担にならないように(だいたいは地下鉄の230円区間です)、担当の教員が考えてくれています。学生たちは寛いで、教室では見せない顔を見せてくれます。この時、皆は、本当によく笑います。けれども、それだけではなく、新しい(日本)発見をしてくれる学生たちもいます。それができる学生たちには、特に、こういうチャンスは逃してもらいたくないのです。

 そうでなければ、アルバイトと学校とたった二つの点の往復だけの二年間なんて、悲しすぎます。メリハリというのは授業に必要なだけではなく、年間計画にも必要なのです。

 もちろん、教員にとっても、大切な時間です。学生たちと個別に話し合える時間なのです。普段は、(学生たちは)どうしても授業が終わるなり、飛んでアルバイト先に行きますから、問題があっても、なかなかじっくりと話し合えるというわけにはいかないのです。

日々是好日
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「向かいのマンションの解体工事」。「アルバイトはあまり変わらない方がいい」。

2010-06-11 08:27:51 | 日本語の授業
 今朝は曇り。天気予報によると、夏日になるようですが、凌ぎやすい(ムッとするような湿気を感じません)、いいお天気です。梅雨入りが迫っていることなど忘れてしまいそうです。

 実は、今年になってから、「真向かいの、と言いましても、道を挟んでの」なのですが、そこで、解体工事が進んでいるのです。ガタガタと、あれよあれよと見る間に、四階建てのマンションが突き壊され、更地になりました…と見えたのですが、本当は、まだ更地になっていなかったのです。地下にまだ巨大な杭(杭と言いましても、木ではありません。鉄です)が、残っているのだそうです。

 そのまま建てても、地盤が弱いので、ここは建築には適さないらしいのです。それで、まず、固い地盤があるところまで掘り進め、捜し出したら、その深さまで、巨大な杭を何本も打ち込み、基盤をしっかりしたものにしてから、しかる後に、マンションは建てられていたのだそうです。その固い地盤までどれほどの深さなのかと聞くと、40㍍とのこと。これは、これは、大変です。巨大な重機が、回転しながら、腕を大地につっこみ、その杭を引き抜くと言うのですから。それに、引き抜いても、そのままにしておけませんから、クワガタの鍬のような重機で、それを少しずつ切り取って、小さいものにしてから、かたづけるというのです。、

 実際に、職員室から、工事現場がよく見えます。その巨大な杭が引き抜かれるさまや、切られていく様子などを見ているうちに、その職人さん達の「技術力」と「チームワークのよさ」に、感動してしまいました。

 日本のマンションは、大陸のもののように、だだっ広いところに余裕を持って建てられてはいません。狭い狭い土地に、ギュウギュウになりながら建てられているのです。巨大な重機が四つも五つも入ってしまえば、本来ならば身動きが取れないはずです。それが、互いに接触して事故を起こすでなく、ギリギリですれ違いながら(時には、見ている方が冷や冷やしてしまうことがあります)、互いの仕事を完結させているのですから…全くすごい。私など、高いところにいる人を見ただけで、ビビッてしまうのですが、平気の平左でどんどん仕事を進めています。何でも、「とび職」の方だとか、さもありなん。さすが「とび」の方は違います。

 もちろん、感嘆しているだけではありません。ここは学校ですから、ヒアリングの試験の時には、「今日は…ちょっと」とお願いすることもあります。それに、あまりに音が邪魔になる時には、電話をし、音を下げてもらえるようにしています(キリリッと強く言える人が、この学校にはいるのです。軟弱な私はとてもまねはできません)。

 学生たちは、こういう仕事をする人のことを、どう考えているのだろうかと思い、様子を見てみたのですが、途上国の人たちは、こういう仕事をする人を身近な存在としては考えていないようなのです。大卒は、汚れないデスクワークをするものと決めてかかっているのかもしれません。そんなことを考えているうちに、日本の方が特別なのかしらんという気になってきました。昔(封建の世)から「手に職をもっている人は偉い」と思われていましたし。

 とは言いましても、これは「そんじょそこらのレベル」の人ではありません。まずは、専門における高い技術が必要です。それから「親方」とか「棟梁」とか言われるようになるには、その技術があった上で、人を指導し、束ねることができなければなりません。もちろん、自分で、自分は専門の技術だけで生きていきたいと思ったら、それはそれでいいのです。そういう世界の人もいますから。

 とはいえ、それが許されていたから、日本は、このような発展を短時間で遂げられたのでしょうし、社会も、他の国に比べれば、礼儀正しく秩序をもって(程度は少々ですが)いるのでしょう。だいたい、それが許されないような国であったら、こういう習慣はありえないでしょうしね。

 実際問題として、人が、たとえ小さくとも、一つの組織を作っていれば、そこで働く者の間に、技術や能力に、差(これは「違い」ではありません。レベルという意味の「差」です)が出てくるのは当たり前のことです。けれども、人というのは大したもので、互いに適当に譲り合いながら、その組織の中で、自分なりの部署(能力や技術、或いは性格を生かせる場所)を見つけていきます。それぞれが、自分の能力や技術、そして個性と呼ばれるような性格を、生かせる場所につければ、気持ちよく仕事もできますし、誇りも失わずに済みます。

 ただ、これは一朝一夕にできるかというと、そういうものでもなく、時間はかかります。よほどのことがない限り、一度ついた職業を辞めない方がいいと言うのは、この意味からしても真実であると思います。

 学生たちもそうです。アルバイトと軽んじること勿れ。最初は日本語ができませんから、しようがないでしょうが、ある程度、話したり、聞き取れるようになってから就いた仕事は、変わらない方がいいのです。それに一日でも先に始めた方が、先輩なのですから、日本では。

日々是好日
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