昨夜から今朝にかけて、かなり激しい雨が降っていました。それで、少し気が晴れたのかもしれません。昨日までとは異なって、涼しい風が吹いています。ただ、それでも、空気は重く感じられましたので、「お天気」を引き出して見てみると、湿度は、雨が降っていないにも拘わらず、今日一日、90%あたりを、うろうろしてしまうらしい。まだ降るつもりのようです、ああ。
しかも、(学校へ)来る時に、自転車がパンクしてしまいました。せっかく「涼しい。いい風だ」と、いい気持ちで漕いでいたのに、それからは、自転車を引っ張りながらの歩きです。すっかり汗びっしょりになってしまいました。というわけで、結局は、昨日と同じ状態で職員室に入ってきたという次第。またまた、絶句です。
さて、学校です。
昨日は「新・日本語能力試験」の「模擬試験」の(答案の)返却をしました。ああいう点数では、どうも教員の方でもぴったり来ない(慣れないということもあるでしょうが)のですが、学生の方でもそのようで、喜んでいいのか、それとも、ため息をつくべきなのかわからないといった、戸惑いの表情が見えました。
こういうものは、もちろん、いろいろと換えてもいいのでしょうけれど、受験した人間にも、指導した人間にも、或いは、その結果を参考にしようという大学や企業側にも、わかりやすい形のものが望ましい。どこやら煙に包まれたような感じで、解答用紙を返却した後、早々に(この問題を)切り上げてしまいました(言うまでもないことですが、実力のある学生は、どのような形式であれ、内容であれ、些かも動じることはありません。ここで言っているのは、合格ラインすれすれの人たちのことです。この結果如何で入社が決まるという人もいるのです)。
「留学生試験」でも、そうです。これからも、落ち着くまでに、あと何年かはかかるはことでしょう。ただ「形式」は一度定めたら、よほどの理由がない限り、換えて欲しくありません。現場が混乱します。「留学生試験」の「総合問題」のように知識や判断力などを測るのではなく、「文字・語彙」や「文法」を基本に、普通の文章がどれほど読めるようになっているか、また聞き取れるようになっているかだけを問うものなのですから。
さて、こういう試験とは、まだ無縁な「Dクラス」です。
「初級Ⅱ」に入った「Dクラス」に、昨日、見学者が一人と、一昨日来日したばかりの「新入生」が一人、加わりました。といっても、このクラスのメンバーになるというのではなく、日本へ来たら、(ブラブラせずに)学校へ来るという習慣をつけさせるために、よほどのことが無い限り、いつも、すぐに授業に参加させているのです。
日本に、親類や知人がいる場合、やっと日本に来られたのだからと、すぐに学校にやらずに、東京近辺やら、観光地やらを連れ回るということもあります。その人は、彼ら(学生)のためにしていると言うでしょうが、学校側としては、これは困るのです。もし、本人が、進学を目指していないのなら、それでもいいのですが、「鉄は熱いうちに打て」といわれるように、来日してすぐに、「勉強モード」にしておいた方が、後々、勉強する場合、役に立つのです。
その人が、一度、本人(学生)の身になって考えてみれば、勉強のために来日した学生をすぐに遊びに連れ回るということが、どれほど、マイナスに働くかが判ると思うのですが、なかなか、母国にいる親戚や彼らの親の手前、そうもいかないようです。
日本へ来たら、すぐ「勉強モード」に入らせた方がいいのです。少し経てば、アルバイトもし始めるでしょう。それまでに、母国にいる時のようにはいかないということを(当然、母国でもちゃんと勉強して来ている人もいます。ただ、そうでない人も少なくないのです)判らせておいた方がいいのです。
それでも、どこかに連れて行ってやりたいというのなら、夏休みや冬休み、春休みを利用して、連れて行けばいいのです。それまでは「勉強に(日本へ)来たんだから、すぐ学校に行って勉強しなさい」くらい言ってほしいのです。が、どうも、そうはいかないようですね。その点、この近辺に知人・親兄弟がいない人は、自然に「勉強モード」に入れます。
まあ、そうは言いましても、昨日、授業に参加した学生は、それほど勉強と関係があるように見えませんでしたから、どちらでもいいのですけれど。
進学を目指す学生の場合、「四月生」「七月生」と「十月生」「一月生」との間には大きな差が出てしまいます。
多少なりとも(「日本語能力試験・三級レベル」)母国で勉強していれば、七月に来日しても、四月生のクラスに入れることもあります。もちろん、これも試験にちゃんと合格しているとか、「漢字圏」か「非漢字圏」か、或いは本人の資質なども加味して考えますから、合格していれば、誰でも大丈夫というわけでもないのです。
それが「非漢字圏」で、「日本語能力試験・四級」にも合格していない、しかも、十月や一月などに来日してしまったというふうになりますと、この半年の差は、まず、こういう日本語学校にいる限り、取り戻せないでしょう。
先に来ていた学生(四月生)達も、彼ら(「七月生」、「十月生」、「一月生」)を足踏みしながら、待っているはずもなく、勉強に頑張っているのですから。彼ら(「四月生」)も、(大学)受験(10月頃から始まります)までは(この学校で勉強できるのは)、一年半ほどしかないのです。足踏みなんぞしている暇はありません。少しでも多く、深く勉強しておかねばならないのです。
とは言いましても、「来日の目的」が「勉強」でなければ、また同じように「勉強」と(本人が)言いましても、「(教室に)座っているだけ」しか考えていない人であれば、話は別です。子供のことを一番よく知っているのは親と申します。自分の子供がどの程度の能力なのか、親がある意味では一番よく知っているはず。「教室に座っているだけ」しかできない人が、こういう学校に来て、勉強しろとお尻を叩かれてもどうしようもないことなのです。
「仲介機構」あるいは「仲介業者」を、頼んでいるのであれば、自分の子供が、こういう学校に耐えられるかどうかを聞いてから決めた方がいいのです。適当に日本にいられる日本語学校であるかどうかを。(まず、紹介した人に、どういう日本語学校かを聞くのです。もちろん、大学進学者が多いと聞いて、自分の息子も大学に入れたいからと短絡的に決められても困ります。母国で勉強していなかった人は、高校までの知識が欠如している場合が多く、よほど頑張らないと、「総合問題」や「数学Ⅰ」、理系であれば「数学Ⅱ」や「物理」「化学」「生物」で追いつきません。せいぜい、「日本語」の勉強で終わってしまうのです。それも下手をすると「三級」で終わりという人も出てきます)
もちろん、(この学校の学生達は)毎年10ヶ国程度の国から来るわけですから、私たちが、すべての国に行って、会ってくると言うわけにはいきません。そこには、その国で日本人が開いている日本語学校とかもあるのですが、そこで厳しくやられていないと、日本へ来ても、日本の日本語学校のことを甘く見る傾向があります。そこはそれ、「鉄は熱いうちに打て」です。来日すぐに、学校へ来ていれば、そして、判っても判らなくても、座っていれば、学校の雰囲気、クラスの雰囲気、また学生と教師の遣り取りなども見えているはずですから、後での指導に役立ちます。
日本では、何事をする時にも、一本太い柱を貫いておかぬとうまくいかないのです。その柱がどのようなものであれ。
日々是好日
しかも、(学校へ)来る時に、自転車がパンクしてしまいました。せっかく「涼しい。いい風だ」と、いい気持ちで漕いでいたのに、それからは、自転車を引っ張りながらの歩きです。すっかり汗びっしょりになってしまいました。というわけで、結局は、昨日と同じ状態で職員室に入ってきたという次第。またまた、絶句です。
さて、学校です。
昨日は「新・日本語能力試験」の「模擬試験」の(答案の)返却をしました。ああいう点数では、どうも教員の方でもぴったり来ない(慣れないということもあるでしょうが)のですが、学生の方でもそのようで、喜んでいいのか、それとも、ため息をつくべきなのかわからないといった、戸惑いの表情が見えました。
こういうものは、もちろん、いろいろと換えてもいいのでしょうけれど、受験した人間にも、指導した人間にも、或いは、その結果を参考にしようという大学や企業側にも、わかりやすい形のものが望ましい。どこやら煙に包まれたような感じで、解答用紙を返却した後、早々に(この問題を)切り上げてしまいました(言うまでもないことですが、実力のある学生は、どのような形式であれ、内容であれ、些かも動じることはありません。ここで言っているのは、合格ラインすれすれの人たちのことです。この結果如何で入社が決まるという人もいるのです)。
「留学生試験」でも、そうです。これからも、落ち着くまでに、あと何年かはかかるはことでしょう。ただ「形式」は一度定めたら、よほどの理由がない限り、換えて欲しくありません。現場が混乱します。「留学生試験」の「総合問題」のように知識や判断力などを測るのではなく、「文字・語彙」や「文法」を基本に、普通の文章がどれほど読めるようになっているか、また聞き取れるようになっているかだけを問うものなのですから。
さて、こういう試験とは、まだ無縁な「Dクラス」です。
「初級Ⅱ」に入った「Dクラス」に、昨日、見学者が一人と、一昨日来日したばかりの「新入生」が一人、加わりました。といっても、このクラスのメンバーになるというのではなく、日本へ来たら、(ブラブラせずに)学校へ来るという習慣をつけさせるために、よほどのことが無い限り、いつも、すぐに授業に参加させているのです。
日本に、親類や知人がいる場合、やっと日本に来られたのだからと、すぐに学校にやらずに、東京近辺やら、観光地やらを連れ回るということもあります。その人は、彼ら(学生)のためにしていると言うでしょうが、学校側としては、これは困るのです。もし、本人が、進学を目指していないのなら、それでもいいのですが、「鉄は熱いうちに打て」といわれるように、来日してすぐに、「勉強モード」にしておいた方が、後々、勉強する場合、役に立つのです。
その人が、一度、本人(学生)の身になって考えてみれば、勉強のために来日した学生をすぐに遊びに連れ回るということが、どれほど、マイナスに働くかが判ると思うのですが、なかなか、母国にいる親戚や彼らの親の手前、そうもいかないようです。
日本へ来たら、すぐ「勉強モード」に入らせた方がいいのです。少し経てば、アルバイトもし始めるでしょう。それまでに、母国にいる時のようにはいかないということを(当然、母国でもちゃんと勉強して来ている人もいます。ただ、そうでない人も少なくないのです)判らせておいた方がいいのです。
それでも、どこかに連れて行ってやりたいというのなら、夏休みや冬休み、春休みを利用して、連れて行けばいいのです。それまでは「勉強に(日本へ)来たんだから、すぐ学校に行って勉強しなさい」くらい言ってほしいのです。が、どうも、そうはいかないようですね。その点、この近辺に知人・親兄弟がいない人は、自然に「勉強モード」に入れます。
まあ、そうは言いましても、昨日、授業に参加した学生は、それほど勉強と関係があるように見えませんでしたから、どちらでもいいのですけれど。
進学を目指す学生の場合、「四月生」「七月生」と「十月生」「一月生」との間には大きな差が出てしまいます。
多少なりとも(「日本語能力試験・三級レベル」)母国で勉強していれば、七月に来日しても、四月生のクラスに入れることもあります。もちろん、これも試験にちゃんと合格しているとか、「漢字圏」か「非漢字圏」か、或いは本人の資質なども加味して考えますから、合格していれば、誰でも大丈夫というわけでもないのです。
それが「非漢字圏」で、「日本語能力試験・四級」にも合格していない、しかも、十月や一月などに来日してしまったというふうになりますと、この半年の差は、まず、こういう日本語学校にいる限り、取り戻せないでしょう。
先に来ていた学生(四月生)達も、彼ら(「七月生」、「十月生」、「一月生」)を足踏みしながら、待っているはずもなく、勉強に頑張っているのですから。彼ら(「四月生」)も、(大学)受験(10月頃から始まります)までは(この学校で勉強できるのは)、一年半ほどしかないのです。足踏みなんぞしている暇はありません。少しでも多く、深く勉強しておかねばならないのです。
とは言いましても、「来日の目的」が「勉強」でなければ、また同じように「勉強」と(本人が)言いましても、「(教室に)座っているだけ」しか考えていない人であれば、話は別です。子供のことを一番よく知っているのは親と申します。自分の子供がどの程度の能力なのか、親がある意味では一番よく知っているはず。「教室に座っているだけ」しかできない人が、こういう学校に来て、勉強しろとお尻を叩かれてもどうしようもないことなのです。
「仲介機構」あるいは「仲介業者」を、頼んでいるのであれば、自分の子供が、こういう学校に耐えられるかどうかを聞いてから決めた方がいいのです。適当に日本にいられる日本語学校であるかどうかを。(まず、紹介した人に、どういう日本語学校かを聞くのです。もちろん、大学進学者が多いと聞いて、自分の息子も大学に入れたいからと短絡的に決められても困ります。母国で勉強していなかった人は、高校までの知識が欠如している場合が多く、よほど頑張らないと、「総合問題」や「数学Ⅰ」、理系であれば「数学Ⅱ」や「物理」「化学」「生物」で追いつきません。せいぜい、「日本語」の勉強で終わってしまうのです。それも下手をすると「三級」で終わりという人も出てきます)
もちろん、(この学校の学生達は)毎年10ヶ国程度の国から来るわけですから、私たちが、すべての国に行って、会ってくると言うわけにはいきません。そこには、その国で日本人が開いている日本語学校とかもあるのですが、そこで厳しくやられていないと、日本へ来ても、日本の日本語学校のことを甘く見る傾向があります。そこはそれ、「鉄は熱いうちに打て」です。来日すぐに、学校へ来ていれば、そして、判っても判らなくても、座っていれば、学校の雰囲気、クラスの雰囲気、また学生と教師の遣り取りなども見えているはずですから、後での指導に役立ちます。
日本では、何事をする時にも、一本太い柱を貫いておかぬとうまくいかないのです。その柱がどのようなものであれ。
日々是好日