日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

文法の「並べ替え」問題。「知っている」とか「知らない」とか言う前に、「耳に慣れているかいないか」ということも関係している…ような気がする。

2024-06-27 08:16:17 | 日本語学校

曇り。

いつの間にか「夏至」は過ぎていました。毎日があっという間に過ぎていきます。

褪せて茶色になった「アジサイ」を見るのは、もの悲しいものですが、夏の花、「グラジオラス」がもう満開になっています。「タチアオイ」もいつの間にか、花を咲かせ、あちこちで見られるようになりました。とはいえ、「ジギタリス」の花は見かけませんね。このあたりでは人気がないのかしらん。この花は、「狐の手袋」という名で覚えていたのですが、立派な偉そうな名前もあったのですね。

以前、よく友人達と、近郊の低山や里山に行っていたのですが、その時、畑でよく見かけたのがこの花です。そのほかにも、野菜の花がこんなに美しいのかと驚いたことがありました。なるほど、それ故に、生け花でも使われているのですね。もちろん、生け花向きの花はあるのでしょうが、花器によっては、野草の方が映えると言うこともあるのでしょう。

林の中を歩いていると、いつの間にか、木々の清々しい香りに満たされている空間に迷い込んだり、一面の「イチリンソウ」の中に立っていたりして立ち尽くすということがありました。もうそういうことは無理でしょうけれども、記憶にあるだけでもめっけもの…か。

さて、学校です。

昨日「Bクラス」の授業で、かなりレベルを下げてやってみたのですが、やってみると、皆それなりに参加できたので、「できなかったら下げろ」というのは事実であると、改めて実感。楽しければやるのです。判らなければ、それはもちろん辛いだけ、楽しいはずがない。その中でも、判ろうと努力し、そして判るようになれる人は、やはりすごい…。ただ、この学校にいる間では、実を結べないかも(今年の一月に来ていれば)…。

(独り言)…文法の「暗記文」は毎日のように読み合わせをしている(今は二ページずつですが)し、その文の横には意味も書かせてある。漢字だって、漢字一覧の横には意味を書くように言ってある(授業中にその時間を設け、最初は20分くらいを2,3回。そのやり方を説明してやると、やる人はうちでもやってくるし、書けなくとも読めるようになっている)。…でも、やらない人はやらない、覚えようとしない人は覚えない。

もっとも、彼らの気持ちも判るのです。なぜ日本に来たか。…「車の勉強をしたかったから」とか、「『ホテル』の勉強をしたかったから」。…ところが、その前に「日本語」の壁が立ちはだかっていた…。

日本語に限らず、言葉を学ぶには、その言語に対するセンスというか、ある種の能力も必要ですし、国で読書の習慣があるとか、外国語が初めてではない(外国語をある程度勉強したことがあるというのは強みです)とかいうのも、関係してくるでしょうね。

ところが、紙の書物がもともとそれほど潤沢にない国だってあるし、ネパールのように教科書は英語で書かれており、それを教師がネパール語で説明するというような国では、教科書ですら、読んだ経験がないという人だって出てくる(英語を勉強したと言っても、教科書が読めるほどの英語力を皆持っているかというと、それはかなり怪しいのです)。

そういう学生が来日して、「(日本語の)文章」を読まされ、文意を問われたり、指示語や主語を聞かれたりする。…最初はストレスでしょうね。「文法も覚えた、単語も覚えた…それだけじゃいけないの…????」が本音でしょう。

以前、スーダンの学生(在日生)が、「スーダンではそんなこと聞かれたことがなかった、何でも覚えれば良かった。(日本人の)先生が訊いていることが、判らない。全然わからない」と訴えてきたことがありました。彼女のように訴えることができなくても、おそらく気持ちとしては似たようなものなのでしょうね。(…まあ、彼女も無事に大学に合格し、今では学生生活を楽しんでいるようですが)。

とはいえ、日本では読んでもらわなければ、何もできません。覚えて終わりではありません。もちろん、覚えなければならないものもありますが、それは「読む」ため、「読める」ようになるためなのです。

もっとも、「日本語」の試験に合格できなくても、志望する専門を学ぶためなら、必要な言葉も覚えられるでしょうし、漢字だって読めるようになるでしょう。大部分はそういう「好きなことなら頑張れる」人達なのです。ただ、その前提の、そのために「日本語」の勉強を頑張るという部分が、スッポリと抜けているだけなのです。

学校としては寂しい限りなのですが、志望する学科なり専門なりを学び、好きなことをするためくらいの日本語ができていれば、進学してからどうにかなるもののようです。この学校にいるときには、鳴かず飛ばずであっても、専門学校で専門を学び、就職し、中堅どころとなって会社に重宝されているというような人も少なくないのです。家を買ったという人も何人もいます。

もちろん、この学校にいる間は、専門学校へ行っても、大学へ行っても、会社に入っても、困らないように、できるだけ日本語の力を伸ばすべく、努力は惜しまないつもりですが。

日々是好日
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