日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

どうしても「(日本人の)常識」や「先入観」に縛られてしまう…ことがあります。

2021-09-30 08:55:06 | 日本語学校
晴れ。

昨日は曇っていたというのに、台風が近づいている今日、なぜか「晴れ」です。

今朝、「ムクゲ(木槿)」の花を見かけました。まあ、「咲いていた」とは言えません。しょんぼりと萎れた姿でへばり付いていたのですが。「狂い咲き」とは言えませんが、ちょっと「あれっ」と思ってしまいました。すでに「ムクゲ」の季節は終わり、次は「モクセイ(木犀)」だ、「ハギ(萩)」だなどと思っていたものですから。

この「狂い咲き」という言葉。あまりいい響きではありませんね。植物の方にしてみれば、自然に咲いて、自然に散っていくだけのこと。時期が来なければ、咲きも散りもしない。それを人間は…うざったいというところでしょう。

ずいぶん前から流行っていた「想定外」という言葉。これとても、どこやら意味が似ているような気がします。人間という奴は、「先入観」というか、「常識」というか、どうもそんなものに無意識のうちに縛り付けられているようです。勿論、見えるところは、人によって違う、気づけるところも人によって違う。これらから自由であるためには、知識も考察力も洞察力も必要になってくる。幅も深さもそして、広さも必要なのです。それ故に「専門家」がもてはやされることになるのでしょうけれども。

それなのに、最近はこれがちと怪しくなっている。怪しくはないのでしょうけれども、なんだか「眉に唾をつけて」聞いておかねばならないという気に、下々がなっている。専門家と言われる人の中にも、自分で自分を「選良」と言ったり、「有識者」と言ったりするような手合いもいることですから。一般大衆も素直に聞けずに、どこやら疑いの眼を向けざるをえなくなっている。大体、こういう「評価」は、本人でなく、よそ様が言ってなんぼのものでしょうに。

外国人学生を見て、どうしてかなと思うたびに、いろいろと本を読んだり、調べたりしています。言葉がある程度使えるようになると聞いたりもするのですが、それでもよくわからないことも多いのです。一つは彼らの年がまだ若いと言うこともあるでしょうし、(こちらが)想像できない世界では、私の方の理解力が足りないということもある。

隣の国であってもそうなのですから、ましてや、文化も宗教もそして歴史も地理も遠い国であってはそうです。

もう数十年も前のことですが、読解問題の一つに、自動車の功罪というのがありました。そこでは「罪」の方について述べられていたのですが、中国人学生が、なぜだと言って譲らないのです。彼らの世界では「車を持つことは、皆の『夢』であって、『悪』ではありえない」のです。それを「乗るべきではない」とか、ましてや「個人で買うべきではない。それは社会に対する罪だ」みたいな考え方をすること自体、信じられなかったのです。もっともそれも遙か昔のこと。今では、(実用的な面からも、ある種のステータスという面から見ても、必要だと言うことは変わらずとも)、自動車の持つマイナス面も理解できているようです。

「宗教」なんぞもそうです。それを深く信じている人には、「鰯の頭も信心から」なんてのはとんでもないこと。日本人の間では笑って済まされることでも、彼らの間でそうはいきません。場所によってはこれだけで、殺されることだってあるでしょうし。

欧米の文化や歴史に親しみ、彼らの価値観がある程度はわかっているつもりの日本人にしてからが、この「コロナ禍」での彼らの行動や宗教に関する考え方などがよくわからないという時もある。  

仏国人や米国人の言うところの「自由」「平等」と「公共」というものとの関係が、どうも日本人の大半が考えているところのものとは、かなり違うのではないか。平時は「自由」にしろ、「平等」にしろ、そして「公共」にせよ、みんな自分たちが思っているのと同じような気がしている。けれども、この「コロナ禍」です。違いがはっきりと出てくる。それに思い起こせば、かつて仏国で起きた「宗教問題」もそうでした。

それぞれの国が、長い歴史の間に様々な試練を経て現在に至っている。ということは、それぞれの国における「自由」や「平等」の意味、そして「公共」の意味も異なっているはず。文字は同じでも意味が違う。これは「現政権が強権的にそうさせている」というのとは違い、人々が、長い歴史を経て、勝ち取ってきたものと理解した方がいい。そして、それを大切にしてきているという意味からも、他者もそれを尊重すべきなのでしょう。

学校では、微妙な問題には触れないようにしています。政治や宗教には触れずに、さりげなくやり過ごし、できるだけ皆が言葉の習得に邁進できるようにしています。何か問題が起こったときには、「国によって考え方が違う」という「N3」文法の暗記文を言うと、なんとなく皆が和やかになれるのです。

和やかに勉強できるのが一番いいですね。

日々是好日
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台風が近づいています。直撃だと「休校」という選択肢もありますが、今回はそれをしなくてもすみそうです。

2021-09-29 08:43:38 | 日本語学校
晴れ。

台風が東の海上に去って行きそうな気配ですけれども、それはあくまで気配にすぎず、もしかしたら、「戻って来ちゃったよ」と、ぐるぐると回りながら戻ってくるかもしれません。最近の台風は油断できません。

というわけで、木曜から金曜にかけてのお天気状況(予報)が気にかかります。今日の晴れも、強い風を伴ってのものですから、これも台風の影響かなどと、いろいろ考えてしまいます。

これが二百年ほども前でしたら、どうでしょう。近くの山、遠くの山にかかる雲の様子とか、雲の流れの速さなどからで、天気爺さん、婆さんが、判断し、近在の人に教えていたというのが、せいぜいでしょう。

科学が発達し、予報が正確に出せるようになると、それと共に、(わかってしまうが故に」先だっていろいろと考えねばならぬ事が増えてきます。結果として、昔なら考えずに済んだことも、あれやこれやと考えねばならなくなったり、もしかしたらそれが徒労となったりすることまで増加してしまいます。

「知らなかったから幸せだった」というのと、「知ってよかった」というのと、天秤にかけたら、どちらの方が重くなるのでしょう。まあ、人にもよるのでしょうけれども、時々わからなくなってしまいます。

人の一生なんて、「目先のことさえ知っていればそれで十分だ」ということだって、案外少なくないのです。それが下手に利口な人はいろいろと勘ぐってしまい却って寿命を縮めてしまうことにもなりかねない。

ぼんやり生きている者の方が、諦めの悪い、利口な人よりも悩みがなく幸せというのも、本当なのでしょう。

これからどうすればいいのかなど、本来なら科学の各分野の専門家が考えればいいこと。もう一般人がどうのこうのと考えるレベルを超えていますし。

ただ変わらないのは人文系の学問。もしかしたら、「原人」の頃から変わっていないのかもしれませんし。特に昨今、かまびすしくなっている政治の世界など、変わっていませんね。

勿論、「ギリシア」の「ポリス」の頃だったら、皆が参加して、「どうのこうの」と、正しい判断であろうが間違った判断であろうが、政治の素人さんたちが考えて出した結論ですから、誰も文句なんてありません。ところがいつからか、政治も専門化し、プロと言われる人たちが出てくるようになりますと、ちょっとねという感じになってくる。

政治家というのは、人々が生活上、何の困りごともなく生きていけるように仕事をしていく人々のこと。社会がこのように大きくなってくると、その分不幸になっていく人も増えてきます。その人たちを掬い上げて、できるだけ生活に困った人がいないよう働く、本当に面倒くさい大変な仕事をしなければいけないのです。本来なら、だれだって、そんな仕事はしたくないはず。みんな、生活に困っていなければ、自分だけの世界で生きていたいもの。

その面倒くささを一心に背負って活躍していくことを選んだ人種のはずなのに、どうも昨今は、まず先に自分が(権力を握るということで)幸せになってから、余力があったら、自分に影響のない範囲で、人のことを考えてやるみたいな人みたいな感じがしています。

真面目だと言われている日本人は、技術の世界では、コツコツと頑張れば、それなりに力を発揮できるでしょうし、大きな成果を出せることだってあるでしょう。またそうでなくとも、人に嫌がられない程度には、仕事がこなせる…多分。

とはいえ、こと20年後、100年後を見据えての働きというか、おそらくは政治的な分野での洞察というのは苦手なのかもしれません。と、ここまで来て、明治期の偉人というのはどうだったのかなとも考えてしまいました。

明治初期の政治家たちは皆、後ろに七光り、八光なんてなかった。一人で、あるいは同類たちと駆け回って、国を築き上げた。ただそれを許すだけの様々な力が彼らが生きた地域にはあった。子供たちのグループでリーダー格になり、成長するにつれ、そのグループがどんどん大きくなっていった。

政治家というのは、そうやって育ち、もしかしたら、今で言うところの村や町の「祭り」を仕切るだけの力を持った人たちがやるのが一番いいのかもしれません。

いろいろな意見をまとめ、様々な性格の人たちを束ね、毎年の行事を成功させて、皆に達成感を与え、来年もまた頑張ろうなんて気にさせるだけの力量がある。

その中から、村レベルから町レベルへ、そして市レベル、県レベル、圏レベル、国レベル、アジアレベル、世界レベルへと、どんどん力を蓄え、実力を発揮していく。

これも、レベルが下だから低レベルというわけではありません。村レベルでの仕事に向いている、またそういう仕事をすることで満足感を味わえるという人もいるのです。互いの顔が見えるところで働きたいという人たちです。

実際には、どの仕事においても、向き不向きというのがあり、不向きな世界に進んでしまうと、よほどのことが無い限り、その人にとっても不幸、周りのものにとっても不幸になることがあります。時には、その人にとって向かないということを周りはわかっていても、本人だけはわかっていないということもあります。

これが、小さな企業くらいであったら、みんな(周りも、そしてうまくいかなくて腹を立てる本人も)が、不平をチョロチョロと言って終わりになるのでしょうが、それが県レベル、国レベルともなりますと、不幸な人口が爆発的に増えてしまいますから、これは大ごとです。

ずいぶん昔のことですが、カミソリと言われた政治家がいました。その人に、あるジャーナリストが、「『総理になれ』って(多くの代議士たちに)言われたでしょ」と問いかけると、笑いながら「あなただって、入社したときにすぐわかったでしょう。あれは課長止まりだとか、あれは社長まで行くとか」。これは二人とも、すぐにそれを察知できるだけの力量があったということです。それが無いような相手とは、こういう対話は成立しないでしょう。

「向き不向き」というのは本当に軽い言葉で、「適正」と言った方がいいのかもしれません。あるいは、もっと強い言葉の方が適しているかもしれません。しかしながら、「『役職』が人を育てる」という面もありますから、一概には、「現在」を以て言い切ることはできないのかもしれませんが。

日々是好日
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秋。物思う秋。

2021-09-28 13:11:29 | 日本語学校
晴れ。

うっすらと雲がかかっています。この雲、青空との境目がはっきりしない。どこからが青みがかった雲なのかがわからないのです。いつもなら青空にぽっかりと浮かんだ白雲となるところなのに、今日の雲は、本当に淡い雲なのですねえ。

この頃になりますと

「吾木香 すすき かるかや  秋草のさびしききはみ 君におくらむ」 若山牧水

という歌がふっと浮かんでくることがあります。

昨今は、文学などは余計者扱いされ、情報を読み取ればそれで事足れりと、「国語教材」のうちでも「文学教材」などは、甚だ肩身が狭くなった…ように見受けられます。それこそ、日本の文化を消し去ろう、美しさを消し去ろうという動きなのでしょう。

同じように「愛国」と言いましても、国によっては「愛国」の意味が違ってくるようで、今の日本人には想像もつかないような意味になっている…としか思えない…こともあるようです。「漢字が同じだからと言って、同じ意味になるとは限らない」の典型的な例ですかね。

日本人の思うところの「愛国」とは、政治とは無縁の「その国の自然、『山河』」とか、その地で培われてきた「民の『文化(言語、音楽、舞踊、風習など)』」などを愛する心であろうと思われるのですが。古来、支配者は変われど、弱いはずの民草は、綿々とそういうものを伝えてきました。神楽も然り、祭りも然り。そして文学もまた然り。

そういうものがなくなってしまったら、それこそ、単色の一色になってしまい、とても寂しい。それとも、「人類皆兄弟、コスモポリタンでいいじゃないか」というのでしょうか。「個」が自立してこその多様性なのに、自らそれを消し去ろうというのは、自殺行為のように思えて仕方がありません。

ここにいる学生たちもそう。母国の文化の説明をするときが一番生き生きとしています。ほぼ皆、最近、異郷から来た人々ですから(中には日本国籍の人もいるし、日本で生まれ育った人もいる。また来日後数年を経た人もいる)、それぞれ文化的な背景が違っています。日本の常識を押し通そうとすれば、(一応彼らは学生ですから、先生の言うことに表立って反論はしませんが)大半の人たちは黙って、聞いてくれてはいても、納得はできないでしょう。それはそちらの理屈と言われても何も言い返せません。だって、本当にこちらの理屈に過ぎないのですから。

『初級』のうちは、言葉が通じないこともあり、主に、「日本ではこうします」とか、「そういうときには、(日本では)こうすることが多いですね」といった言い方で、日本での習慣や日本人の考え方などを紹介して終わりにしてしまうのですが、それが『中級(N3かN2)』などに入ったクラスでは、「知った上で、どうするか自分で判断しなさい」と付け加えるようにしています。

「初級」の頃は、何せ(母国と日本とを)比較しようにも比較できないので、とにかく(日本のやり方を)紹介するしかないのです。本来ならば、そのときであっても「(彼らの)自分たちのやり方でもいいよ」と言ってやりたいのですが、ここは日本。彼らのやり方を通そうとすると、近所の日本人との間に軋轢が生じてしまうこともある。だからある程度慣れるまでは、それは言えないのです。

早くそれが言えるようになってほしいですね。それがきっかけになって親しい人が増えることもあるでしょうし(自国の紹介まで話が進めば)、自国に対する認識を新たにすることもあるでしょう。

後もう少し。頑張れ。

日々是好日

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涼しくなりました。

2021-09-27 08:50:20 | 日本語学校

曇り。

「曇り」とはいえど、青空がかなり広がってきました。

今は「宇宙から見た地球の姿」なんてのも、既視感を持って思い浮かべることができるのですが、ほんの数百年前の人たちにとって、宇宙は神様の領域、また日本人にとっても、万葉の時代であったら、近くの山が神様の領域であったわけで、思えば遙か遠くへ来たものです。

今は遠い他銀河も、近くの山くらいの距離に感じる時代が来るかもしれません。もっとも、その頃、まだ「ホモサピエンス」が存在し、考えること、感じることができたらの話ですが。

今朝は、深まりゆく秋を感じています。店に「ナシ(梨)」や「ブドウ(葡萄)」が並べられ、「モモ(桃)」などが隅っこに追いやられ始めると、「秋やなあ」と思いますし、これが「リンゴ(林檎)」や「ミカン(蜜柑)」が大きな袋に入れられて置かれるようになりますと、今度は「冬やなあ」などと思ってしまう。

季節感は薄れてきはしたものの、やはり「『季節』の、流れと共に『ある感』」というのは大切で、そういうものを見たり、感じたりすると、どこやら、ホッとしてしまいます。

特に、「今は夏なのか、秋なのか」と戸惑ってしまうような昨今はそう。ここの学生たちと同じように、(私たちまで)「更衣…へっ?」となってしまうのはちょっとね。

「春の色、夏の色、秋の色、冬の色。」「はあ?」
「雪国の、短い夏に寄せる思い…色の溢れる夏。」「んんん…?(わかるようなわからないような)」

まずいことに、この地ではここ数年、雪らしい雪が降っていない。降っても霙か、霰みたいなもので、「花びらのように散る雪なんて…(なんじゃい、それは)」。その上、しんしんと積もる雪なんて…(よくわからない、それは雪の降る音?)」。ということは、桜が吹雪のように舞い散るということも、ピンと来ない…。

人は風土から離れられません。文化というのは、その地あってのもの、その風土あってのもの。

今は一神教の徒である人々も、彼らの先祖は「砂漠には砂漠」の、数多くの精霊やら神やらの存在を感じ、あるいは信じていたでしょう。その歴史を反故にして、それを憎んだり、未開とか後進とか言うのは、どうもね。

「一神教は砂漠に生まれた。どうしてか。何もない風土だから…」なんて簡単に信じていたのですが、自分が砂漠に行って、そこの空気を吸ってみると、空には星々が日本で見るよりもずっと多く輝いていましたし、カサコソというわずかな動物たちの出す音にも、何かしらの「あやかし」なり、存在なりを感じてしまうようで、何もないから一神教に移ったとは言い切れないななんて思ってしまいます。

勿論、放っておくと、いろいろなものが生えてきたり、たくさんの動物たちに囲まれたりしている地に生きてきた人間とは感じ方が違うのでしょうけれども。

「神様や精霊は多ければ多いほどいい。悪さをしない神なら、あなたたちの神でも結構」なんて言うと、嫌な顔をされてしまいます。日本には人間に害をなす様々な神もいるのですから、ごく自然に、そんなことを言ってしまいます。悪さをなすからと言って、それを悪魔とか、邪悪なものとかいって、追い出したりはしません、ここでは。だいたい、追い出せないもの。だから、ここでは一応、「御鎮まりください」と言い、「祀って」おく。それでいいのでしょう。

一神教を深く信じている人たちとは、時々、フッとしたところで、どこか根本的に違うなと感じさせられることがあります。もしかしたら、戦前の日本もそうであったかもしれませんが、人の心なんて、人の精神文化なんて、変わるのは早いもののようですね。

日々是好日
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昨日は、ここいらでも「名月」を楽しむことができました。

2021-09-22 08:40:07 | 日本語学校

曇り、時々小雨

今は降っていませんが、地面がすっかり濡れていましたから、夜のうちか明け方にでも降ったのでしょう。

とはいえ、昨日は「お月見の日」で、しかも「満月」でした。うっすらと雲はかかっていましたが、その切れ間から皎々と光る「白い月」が…。久方ぶりに、名月を楽しみました。いいですねえ、「月」は。どんな姿であってもきれいなのですけれども、「満月」には、また格別の美しさがあります。

「月」は、輝くではなく、やはり光るですね。球体のはずなのに、平べったく見えるのが、やはり不思議。科学者のように、なぜかと考えない自分も不思議。もっとも大半の人は私のように、ただ見て、神秘を感じて、でも、それきりなのでしょうけれども。

「月」と「影」とが、不即不離であるように感じてしまうのは、「月の光」によって「影」が生きてくるからなのでしょう。「影」と言えば、「有るにもあらず、無きにもあらず」と思ってしまうのも、「影」があるからには本体があるはずだのに、本体は見えずということもあるからなのでしょうね。

さて、学校です。

まだ『みんなの日本語(Ⅰ)』を勉強している人に、伝えなければならないことが、出た場合、連絡がうまくいかず、行き違いが生じて、イライラさせられるということがよくあります。

日本人は、いわゆる「日本人の思惟」というか、そんなもので、「こう言えば、こうするだろう」と無意識のうちにやってしまうのですが、相手は、これまた自分の国のやり方で、それを理解する。で、こちらはこちらで、「どうして来ないのか」とか、「どうして(言ったとおりに)やらないのか」などとイライラさせられてしまう。

ある程度、日本語ができていたり、ここでの勉強が長くなっていると、小さな行き違いをその都度、改めていけますし、そのうちに、「こう言った場合は、こう理解すればいいのだろうな」とか、「ああ来たから、おそらく(日本人なら)こう思っているのだろう」といった勘がついてくるのですが、なにせ、『みんなの日本語(Ⅰ)』の最中ですから、時間が短すぎる。

その上、それが互いに馴染みがない国(相手にとっては日本人と一定時間過ごすのが初めて。また、私たちにとっても馴染みのない国の人)だと、これは、下手をすると、平行線で終わる場合だってありうる。

もっとも、こちらも知恵がついていますから、勘違いしているなと思われたときには、表や図を書いて、理解を促したりしてみる。一ヶ月ほども勉強していれば、もうそれで互いの勘違いを直せるようになっているものです。慣れなのでしょうね。

しかしながら、こうやって、「初級」レベルが終わってくると、だんだんと少し複雑な「勘違い」が起こってくる。これは説明するのが難しい。で、説明なしで、事実の確認だけということになる。言い出すとキリが無いのです。だいたいが、文化に関わってきますから。

で、私もなのですが、これは日本のことを知らないから起こるのだと思い、いろいろな映像を見せ、少しでも日本のことを知ってもらおうなどと考えてしまう。でも、そういうのは所詮、徒労なのです。だいたいが日本にそれほどの興味など持っていないのですから。

在日の人の、「まずは、生活」というのは、共通して見られることで、「N3」くらいになると、文化を知らなければ理解できないような内容も入ってくるのですが、だからといって、急に日本に興味を持つようにはならないようです。

で、そこで止まってしまうのでしょうね。「言語」はその民族の宝であるからには、知識として、いろいろなものを見た方がいいのでしょうけれども。

日々是好日
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「中秋の名月」。今日は「お月見」です。子供の頃を思い出してしまいました。

2021-09-21 08:46:57 | 日本語学校

晴れ。

「秋晴れ」です。空を見上げても雲一つ見当たりません。今日も涼しく、チチチチチチという秋の虫に見送られながら、学校へ参りました。

「中秋の名月」。今日は「お月見」です。スーパーでは「月見団子」が売られていることでしょうね。

「花より団子」と言うけれども、私は「団子」より、「チョコレート」あるいは「ケーキ」。それに、やはりお月見といえば、「ススキ(薄)」です。

子供の頃、「お月見の夕」には、姉と二人で「ススキ」を取りに行かされたものでした。子供というものは、出かけた先の目的が何であれ、行った先のものに目が行ってしまうものです。昔は、どこにでも「ススキ」の大きな株があって、立派な「ススキ」が生えていたものでしたし、また、そこは虫たちの天国でもありましたから、遊びには事欠きませんでした。

今ではどうでしょうかしらん。子供の頃にあった「レンゲ畑」も、中学に上がった頃にはスポーツセンターになっていましたし、「メダカ」や「ゲンゴロウ」を取ったり、「ヒル(蛭)」に吸われたりした川は、きっと護岸工事が進み、彼らの隠れ家なんて消えてしまっていることでしょう。そういえば、あの川で「ホタル(蛍)」狩りもしたことがありましたっけ。

とはいえ、「中秋の名月」であるからには、今は「秋」なのでしょうね。いつもはダラダラと続くはずの「残暑」が、ポッと来て、パッと消えるというふうで、もしかしたら、別の名になってしまうかもしれません。

「夢かうつつか」のうちに、「夏も終わり」になってしまったようです。

さて、学校です。

今年は三人も、「高校」を受験したいという人が入っています。一人はもうずいぶん長く日本にいるからか、「問題は漢字だけ」と、本人は言うのですが。漢字がわからなければ(教科書が読めないわけですから)、小学校においても、中学校においても、習得できていなければならないはずの知識・技能は、耳学問ほどにしか身についていない…と思うのですが、それがどうも理解できないらしい。

以前、そういう子を見受けることもあり、おそらくは私たちが考えているよりももっとたくさんいるのでしょうが、そういう子の親で、子供を日本語学校にやろうという人は多くはないのです。

日本語学校にやって、「とにかく日本語を覚えてもらわねば」というのは、中学一年か二年の時に来日して、日本の中学校に入るという子に多い…この学校ではです。そしてその子が高校受験を控えたときに、また日本語学校にやる(漢字や数学の勉強が主になるのですが)というケースが何回かありました。

日本にずいぶん長くいて、小学校や中学校にも何年かいたという子なら、本当なら、小学校のうちに、誰かにつけて、別に勉強させておいた方がよかったのでしょうけれども、小中は義務教育で流れていくので、本人の成績が気にならなかったのでしょう。…これは日本人だったら、ちょっとあり得ないことだと思うのですが、高校に落ちて初めて、はっとなったのでしょう。とはいえ、一年くらいしか日本語を勉強していない外国人と一緒に勉強するのはちょっと気の毒ですね。本人も「自分はできるのに」と思うのはしょうがないことなのかもしれません。

さりながら、ここでの「作文」書きにしても、「話す」のと「書く」のとは、別物のようで、「話す」と日本人みたいなのに、「書く」となると、途端に他の外国人留学生と同じようになってしまいます。

彼女にしても、一時帰国する前までは、放課後、「地理」を、説明を加えながら、一緒に読み進めていたのですが、一時帰国から戻ってくると、「元の木阿弥」になっていました。とにかく高校に入れてやりたいとか、高校に入ったときに、知らなかったら困るだろうとか考える私たちと、本人、またその父兄の考えようが違っていたのでしょうね。こちらが力をいくら入れてやろうとも、「笛吹けど踊らず」です。彼らはそれほどのこととは考えていないのでしょう。何せ、普通に話せるのですから。今、見てやっているのは、「数学」だけです。

後の二人は、中学を卒業してから来日しているので、まだ日本語を学ばなければならないレベルです。とはいえ、母国できちんと勉強し、いい成績も取れているようなので、「数学」は、そろそろ入れた方がいいのかもしれないとも思います。若いと言うことで、他の在日生よりも(日本語を)早く覚えられ、どうも力が余って遊んでいるふうにしか、見えないこともない。もし、「数学」という教科に興味があるようでしたら、そちらから読んでいって単語、ないし文法を入れていった方がいいのかもしれません。もっとも、これは毎日来ている弟のほうだけで、お兄さんの方は、週一ですので、日本語だけでも大変です。

日々是好日
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三人とか、四人くらいだと、クラス経営というのは、却って大変になってきます。

2021-09-16 08:24:17 | 日本語学校

曇り。

時々、雲の切れ間からお日様の光が…でも、すぐに曇ってしまう。涼しい…。最近は涼しくとも、蒸す…日もあれば、カラリとして、いかにも「爽やかな秋」という日もあり…。季節の変わり目というと何ですが、「冬から夏にかけて」、あるいは「夏から冬にかけて」の頃は、どこか落ち着きません。

昔から「○○と秋の空」とか言われてきたのも、「○○と春の空」と言い換えても少しもおかしくなかったのに、昨今は、さらにそれが進んで、「春」と「秋」が消えてしまったかのよう。

さて、学校です。

留学生がパタリと途絶えて、現在、この学校で学んでいるのは、在日生と呼ばれる人たちがほとんど。それ故か、来日している人たちの、背景の複雑さ、多様さに改めて気づかされています。

事情が違えば、違うだけ、教え方も違えた方がいいのですが、そこは一斉授業のため、同じような流れでせねばならぬ場合が多いのです。

「来日後、数年経っており、ヒアリングや会話は基本的に大丈夫という人」も、また「来日したばかりで、日本のことは全然知らぬという人」も、(初級の場合)同じ教室で同じように(勿論、必要に応じて補講は入れていきますが)授業を受ける…。

在日生の場合、レベルが凸凹なのです。系統的に学んでいないので、「ここはできるが、そこはできない」とか、「それは知っているが、これは知らない」というのが山ほどあります。それが揃うまで待てないと、一斉授業に参加するのはなかなかに難しいのかもしれません。

とはいえ、個別対応は、授業後にするということさえ徹底できれば、このやり方でも、大丈夫。2、3ヶ月もすれば、落ち着いてきます。ただ、いつまでも授業中に無関係な質問をし続けるような人は長続きできません。傍らに人がいない…という勉強になれているのかなとしか思えない人も、時々出没します。在日生ばかりのクラスというのは、だいたいレベルが均一化するまで時間がかかるのです。もっとも、長くとも3ヶ月くらいのものですが。

普通、相談に来られたときに、いろいろな話をするのですが。そのときに下のクラスがまだ『みんなの日本語Ⅰ』レベルであれば、たいていの場合、授業に参加しながら、放課後補講を受けるという形で追いつけるのを待ちます。それで、ついて来られる人もいれば、ついて来られない人もいるので、そのことを同伴者に説明した上で、決めてもらいます。

勿論、どんな勉強であっても、「勉強したいと思ったときが一番の勉強し時」。その機会を逃すと、もうやる気が失せてしまうということも多いのです。

「勉強したい、また、すべきである」と本人が思ってる場合、多少大変でも頑張れるものです。しかも、少し先を行く人たちと一緒に授業も受けているのですから、わかる言葉、わかる文法が、日々増えていくのが実感できます。

ただ、「N2」や「N1」ともなりますと、そのクラスがあるかどうかが問題になってきます。それでもという場合には、個別指導という形をとらざるを得ないのですが、クラスが多い場合だと人手が足りずに、今はちょっと…ということにもなってしまいます。そうは言いましても、留学生のいない今は狙い目かもしれません。二クラスしかありませんから。

とはいえ、在日生の場合、一斉に入学するとか、レベルは大体決まっているとか、そういうことはありませんから、今でも放課後個別に対さなくてはならないことも多く、簡単に、だからできるだろうとはならないこともあるとは思いますが。

話を戻して、普通というと何ですが、今は対応してくれなくとも、授業後に質問に行けばいつでも応対してくれると言うことに気づけば、学生さんの方でも落ち着くようです。

この学校のように、初めて日本語の勉強をしようという場合、まず言葉では説明のしようがない。当然のことながら日本語は使えませんし。

この学校で学ぼうとやってくる人たちの言葉も、タイ語、シンハラ語、ネパール語、アラビア語、中国語、ベトナム語、ヒンディー語、ウルドゥー語、ベトナム語、モンゴル語、スペイン語、そしてその他にも幾つかのアフリカの言葉。アフリカの言葉なんて、こちらはスワヒリ語かと思いきや、全く違うと言われて、また何が何だかわからなくなってしまう…こともあり。だいたいアフリカは広いし、砂漠や山もあって、交通も不便だし、考えてみれば、当然のことなのですが。

言語を学ぶ場合でも、他の場合と同じ、ある程度、感じてくれないとどうしようもない部分もあるのです、学生さんの方で。

例えば、

授業中、先生が(私の)相手をしてくれない。訊いても「(先生が)後で」などと言う(この「後で」という言葉の意味も、最初はわからないでしょう。で、不満を募らせる)。私が訊きたいのは別のことだ。今、授業していることではない。私がわからないことを教えてくれたら、それでいいのだ。それなのに、他の学生の相手ばかりしている。

学校の教師は、授業中は、できるだけ、全員に当てるようにしているのですが、こういうタイプの人は自分中心ですから、「皆に当てる」の「皆」という概念があまりないように見うけられます。で、苛立つ、あるいは馬鹿にするなみたいな気になって腹を立てたりする。

それでも、一週間も学校に来ていれば、授業に関係の有る無しにかかわらず、個人的な質問の場合、授業後に訊きに行っている学生を見る機会があるはず。それを目にして、自分も、となるかどうか…。

言葉を学びに来ていながらも、その「いろは」がわからない場合、こういう「観察する力」も必要になってきます。外国で生活するとなると、自国にいたときよりも一層そういう力が必要になる。それに気づかず、相変わらず、授業中に、大声で授業に関係もない、しかも個人的な質問をするとなりますと、一斉授業の邪魔になることだってある。授業の流れが変わったり、時間内に予定の部分が終われなかったりすると、それは教師の方でもいい顔はできないでしょう。

とはいえ、こういう人は一部です。ほとんどの人は、学校の授業の流れがわかりますし、一ヶ月も経てば、かなりヒアリング力もつくので、こちらの意図するところも、あるいは言葉もわかるようになる…で、めでたし、めでたしとなる。

もとより、一ヶ月が過ぎても同じようにしている人には、こちらもかなり強面に対さなくてはならなくなります。それはどこの社会でも同じでしょう。

日々是好日
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逞しい「ツユクサ」を見つけました。「ツユクサ」に比べれば、「ヒト」というのは、弱き生き物のようにも見えます。

2021-09-14 13:00:54 | 日本語学校

曇り。

今朝、「ツユクサ(露草)」が道端に咲いているのを見かけました。根を広げているのでしょう、たくさんの花をつけていました。逞しい花です。虫の音すだき…などという頃になりますと、早朝など、どこやら寂しげな雰囲気が漂い始めます。そのような面影のある「ツキミソウ(月見草)」の花やら、「ユウガオ(夕顔)」の花などを目で追ってしまうものなのですが、豈図らんや、今日、目にしたのは、逞しき「ツユクサ」です。これもいいかな。

さて、学校です。

「2クラス」あるうち、「Aクラス」では、新しい人を除けば、三人とも、とっくに二回目のワクチンが終わっていますし、新しい二人も予約は済んでいるとのこと。聞くところによりますと、「Bクラス」でも、予約は終わり、あとは打つ日を待つばかりらしい。

ここ、市川市はこの件に関しては遅めで、以前、同年齢の人たち(65歳以上)と話した時など、他地域の人たちはすでに二回目が終わったというのに、こちらは予約もまだというありさま。それから、回転を速めたのでしょう、やっと若者にも回ってきたようです。

何はともあれ、早く二回のワクチンを打ちたいというのが、皆の希望とするところ。もちろん、ワクチを打ち終えることができたとしても、日々の生活の有り様は変わらないでしょう。インフルエンザのように、治療薬ができるまでは、「三密を避け、手洗いをし、換気に気をつける」という生活は続けていかなくてはなりますまい。

とはいえ、最近は、感染者数よりも、自宅療養というか、放っとかれている人たちの数の方がずっと気になります。

「病気になれば、病院に」という、前提が崩れてしまっているわけですから。

もっとも、この「コロナ」のおかげで、これまでは気がつかなかったこと、目にしても気にも留めていなかった様々なことなどが、新聞やテレビのニュースなどに出てくるようになりました。ああ、日本の医療というものは、誇らしいものではなかったのだ、一番肝心な大切なことができていなかったのではないのかなどと、考えさせられてしまいました。

医療従事者の技術も、言わずもがなのこと(大切)だけれども、それ以上に、患者にとっては、「あなたを助けたい」という気持ちを持って接してくれる人の方がありがたいのではないかと。

特に、自宅療養させられている人にとっては、そうでしょう。もし、自分がそういう立場に置かれたらと、だれもが考えた、あるいは考えていることでしょう。

誰も連絡してくれない、連絡しても誰も来てくれないといういう状態に置かれたとしたら…と考えると、行政のどこかはわからないのだけれども、肝心要な部分が間違っていたのではないかとも考えてしまうのです。

高度の技術を持っている人と、それほどではなくても人に寄り添える人と、これは無い物ねだりではないと思うのですが。

「東日本大震災」の時には、この人たちは危機に対応できないのだなと思いましたが、この「コロナ」の時も同じ。結局誰がその責を担うにせよ、昨今の人たちには、無理なのかもしれません。こういう時、危機対応ができる人というのは、またそういう経験があったり、そういうことを常に考えることができる人というのは、こんな自然災害の多い日本では、一番に必要な人材でしょうに。

かえって、昔の、「侍時代」の名君といわれる人たちの方が現象をきちんと分析でき、データを活用でき、科学的に対応できていたのでしょう。少ない資料を基に、人が生きられる道を探るに長けていたといえるのでしょう。

科学がいくら進歩したとしても、それを利用するのは、ショウジョウバエと大して違わない、我ら人間なのですから、多くを望んでもしょうがないことなのかもしれませんが。

科学の限界を説くよりも先に、人間の限界を知っている人に、この責を担ってもらいたいものです。「失敗することはあるだろうが、それでも、人々のため、前に進まねばならない」と信じられる人に。

日々是好日
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クラスの色、個人の色、国ごとの色。

2021-09-08 08:45:27 | 日本語学校

曇り。

昨日は「秋晴れ」、そして今日は、曇りのち雨…になるそうな。

チチチ、チチという虫たちの声の合間に、リーン、リーンという音も入ってきました。合奏ですね。真夏の「セミ(蝉)」たちの声に比べれば、数段しめやかで優しい。

2、3日前まで頑張っていた「フヨウ(芙蓉)」の花、一輪。これが紙をくしゃくしゃにしたみたいになっています。葉にへばり付いてでもいるのでしょう。ここ数日続いている涼しさのせいでしょうね。そういえば、「エノコログサ(狗尾草)」も赤茶けて風に揺れていました。夏が突然に去って行った…ような気がするのですが、天気予報によると、来週はそんな悠長なことは言っていられそうもない…とか。戻ってくるのでしょうね、「残暑」が。

さて、学校です。

「クラス」というのは個人の集まり、一人一人の色の集合体でもあります。また、そこに教える立場の人、教師が加わりますと、そこから別の色に染め上げられてしまうこともあります。教師の色が弱い方がいい場合も、かなり強く出した方がいい場合も、それぞれあり、その結果が一年数ヶ月後、あるいは二年後に出てくるというのが、留学生を主にしたクラスの場合。

だいたい、普通の留学生ですと(一年に4回、ほぼ同時に入ってきます)、一ヶ月を待たずに色が決まってきます。成功しているクラスは、(クラスの)中心がはっきりしてくるか、あるいは中心はなくとも、(姿勢が)学ぶ方に向いているか。もちろんクラス経営が失敗している場合は、クラスが砂になってしまいます。こっちを向いていないのです。当然教える方としては、教えにくい…はずなのですが、学生が見えない人にはそれがわからない。勝手に、いわゆるその人が授業と思っていることをしゃべっているだけ。

つまり、勉強したいという学生たちが、その場にいる教師を信頼しきれていないのです。ここ(学校)に来たって自分の求めるものは得られない(これは勉強したいと思っている人だけですが。留学生の中にはそうではない人たちもいます。日本に来ることが目的で、勉強は二の次、三の次という人たちです)、出席率のためにいるだけだというふうになってしまっているのです。

在日の方が多い場合は、パラパラと、バラバラに入ってくるので、最初の人が来たときから始まって、だいたい二ヶ月後くらいでしょうか。二ヶ月ほどが経っていれば、どんなにゆっくりやっていてもすでに一冊目は終わっているはずですから、ほかの時間に補講をしてそのクラスに入れるということは難しくなります(在日の人は、日本語の「いろは」も知らずに入ってくる場合が少なくないのです)。

一人一人色が違うと言いましたが、時には国ごとに色が違うと言った方がいい場合もあります。それに、あまり相性のよくない国同士が勢力を二分するようなことになりますと、ちょいと大変。もっとも、在日の人たちの場合は、同国の人が、2,3人同時にいるということの方が珍しいので、そういうことは滅多にないのですが。

ある国の場合、…その国の人だということがわかりますと、ちょっとこちらでも身構えてしまいます。なぜかと言いますと、一斉授業ということをおそらくは理解できていないであろうと思われる人がしばしば見受けられるからなのです。

一斉授業ですから、普段は授業の流れというのがあります。それなのに、それに無関係な質問、あるいは質問時間外に、急に思いついたようなことを訊いたりする傾向がある、それも大声で。

こういう傾向にある人が多々見られるというのが、経験でわかっていますから、身構えるのです。

そういう人は決して愚かではない。どちらかと言えば、頭のいい人で、しかも学びたいと言う欲求がかなりある。だからでしょう、時刻と同じようにする。クラスにいながらクラスが見えない。他者を顧みないで、自己を主張するのです。

その人は多分、自国にいると同じような態度で勉強しているのでしょう。クラスの中で大声で「訊いた者勝ち」、遠慮している者は誰からも相手にされない。だから「喚く」…言い過ぎかもしれませんが、「後で」が通用しないのです、こちらが言っても。

日本では、私たちのように公教育出身の者は、「下支え」をすべきという教育方針の下に育ってきています。実際、頭のいい子は放っておいてもできるのです。真面目でコツコツ型であるけれども、どこか不器用な人を放っておくのは許されないというのが染みついているのです。

で、なかなか適応できない人たちを力づけ、波に、いわゆる苦手意識をなくさせ、日本語を使うことを楽しませるという波に乗せることに教師の本分があると考えます。

おそらくは国によってはそうではないのでしょう。できる人だけを見、その人だけを相手にし、不器用な人は、放っておく。「不器用さ」というのは千差万別、人によってそれぞれ違います。その上、「言語」ですから、発音やら、文法やらで頭の中が整理できない人もいる。これは頭がいい悪いとは関係ありません。ただ真面目にコツコツしているかどうかが鍵になります。まずは諦めさせないことです、大切なのは。

要領がいい人、頭がいい人は放っておいてもいいのです。普通の授業をしていれば、それなりに自分で道を開いていけます。中国人の場合など、教師が必要なのはヒアリングくらいで、後は問題集を与えておけば、一人でやってしまえます。それにここは日本ですからヒアリング力など、巷の人たちとの会話でどうにかなります。

もしかしたら、「日本の力」というのは、ほんの一握りの頭のいい人と、圧倒的多数の真面目でコツコツ型の人たちとの集合というところにあるのかもしれません。

日々是好日
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実習生の模擬授業。緊張していましたね。

2021-09-03 07:57:14 | 日本語学校

小雨。

昨日と同じようなお天気です。このまま秋になるのでしょうか、まさかね。来週はまた「夏に戻る」そうで、それはそうでしょう。

とはいえ、この秋雨前線?が来る前の日、公園のそばを駆け抜けていった時(当然のことながら、自転車です)、ミーンミーンと「セミ」の声が響いていましたっけ。そこだけでなく、別の公園の木々の間からも、大音声で、声が降ってきていました。

こりゃあ、うちの近くだけ、「セミ」が果てて、秋の虫に変わっていたのかしらんと思ったのですが、この雨です。

この2、3日の間にすっかり様変わりしてしまって、あっちからもこっちからも、「チチチチチ…」だのが、聞こえてきています。あの「セミ」たちはどうしたのかしらん、パタン、パタンと落ちてしまって、ひっくり返ってアップアップしているのを助けても、もう飛べないのではないかしらん。すっかり姿を消してしまった「セミ」たちのことを考えています。

それに、虫たちのみならず、「サルスベリ」の樹の根元が赤くなっていました。赤い小花が道に落ちていたのですが、それが道を染めていたのです。それが、雨の降る前の日。ただ、今日のように空が灰色になっていて、辺りも薄暗くなっていますと、華やかな色が見えなくなってしまいます。かえって黒ずんで、みんなどんよりとした色に見えてしまうのです。

さて、学校です。

昨日は実習生による模擬授業がありました。少ないながらも、学生達は、先生が頑張っているから協力してやろうと身構えています。それなのに、実習生の方では緊張して、それどころではありません。単語を入れるにしても、手元の単語カードから目が離せないのです。学生に目を向けさえすれば、彼を助けてやろうと、目が訴えかけているのが見えたでしょうに。そうすれば、きっと緊張も解けたことでしょうに。

もとより、この「コロナ禍」です。学校の方でも、毎年なら、一年に「2クラス」ほどは作れる「初級クラス」は、現在作れていません。昨年、今年とバラバラと入ってきた在日の人たちが主になっています(クラスは、「N2クラス」と「N3クラス」だけです)。遅れてきた人たちには、「現在あるクラス」のどれかに入れるように手当はしているのですが(午前中のクラスに参加しながら、午後、追いつけるように補講しています)、それでも、個々の事情により(子供が病気になったとか、保育園が休園になったとか)、毎日学校に来て、きちんと授業を受けられる人は限られています。つまり穴がある人が少なくないのです。

しかも、既に下のクラス(半年ほどでしょうか)「N4」に合格し、「中級」に入っています。教えてすぐか、間がそれほど開いていなければ、もう少し、楽に授業ができたでしょうに、学生の方でそれを、忘れている箇所が多々ある(留学生と違い、在日の人たちの多くは家に帰れば、母語を話していますし、アルバイトもしていませんから、よほど注意していなければ、忘れていくところもあるのです。毎日、授業の中で復習を入れていても、全部はできませんから、漏れるところも出てくる)。

「未習者に教える場合と既習者に教える場合」、また「留学生のように、まずは毎日来て勉強している学生に教える場合とそうではない場合」となど、相手によって、こちらは教え方を変えていくので(毎日のことですから)、それなりに手段はあるのですが、実習生は、それもない。一発勝負です。

「ああ、こういう入れ方をしなければよかった」とか、「あそこで、こう言えばよかった」などと反省は尽きないことでしょう。授業は生き物ですから、毎回違いますし、だれでもそう。私なんて、いまだにそうです。ただ年を取ってしまいますと、反省よりも先に、「疲れた」が出てしまいます。

とはいえ、一応、「最初から最後まで責任を持つ」。つまり、送り出すまでできてはじめて、やっと本当の反省ができるとも言える。これを繰り返しているうちに、自分の問題点もだんだんに判ってくる。人にいつも聞いてからでないと授業ができないようでは、どうにもなりません。

これはどの仕事に就いても同じでしょう。

なにはともあれ、無事に終了しました。ほっとして、「さて、次は」と思うことができるのは、もう少し経ってからかな。人生、いつでもやり直しはできます。

まあ、お疲れ様でした。

日々是好日
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今は「冬か」と問うスーダン人学生。でも、いくら何でも、今日、暖房をつけることはないでしょう。

2021-09-02 08:40:15 | 日本語学校
雨。

秋の「長雨」になりそうです。けれども、ポツポツというか、雨粒一つ一つが、少々大きいようで、しかも、間隔をある程度開けて降ってくる。秋の代名詞みたいな「霧雨」じゃないのです。今日は、一日中、こんな感じなのかもしれませんね。

昨日、最高気温が25度程度で、9月の中旬くらいだったとか。ところが、スーダンの学生が、「今、冬?それとも秋?」と聞いてきました。

「数日前まで、暑かったでしょ?『冬』のわけないでしょ」と言うと、「でも、寒い」トーンを高くして言います。

そういえば、以前、「四季」の説明の時、「中には、『四季』がはっきりとしていない国もあるし、一年中「夏」や「春」の国もある」と言い、「『スリランカ』もそうでしょう」と振ると、「いいえ、『スリランカ』には冬もある」と言うのです。もちろん「気温」を聞くと、論外。「それで、冬というか」くらいなものなのですが。おそらくこの学生も寒いから「冬」となったのでしょう。ただ、(スーダン人の)彼女の場合はそれで終わりませんでした。

(彼女は)午後、毎日、残って勉強しているのですが、(私が)午後の授業のために戻ってみると、どうも空気が生ぬるいのです。ムワッとした風が吹いてくるのです。

「だれだ?暖房入れたのは」。誰も何も言いませんでしたが、みんなの視線の方向を見るとある一人に行き着きます。「だって、先生。寒いもの」「ええっ。いくら何でも暖房を入れるほどではないでしょう」で、とにかく暖房は切って、他の人に尋ねてみます。
「寒いですか」
「暑いです」
で、「三対一」。

それから、すぐにパキスタンの学生が戻ってきたので、尋ねます。
「寒いですか」
「外ですか?涼しいです」
「いいえ、(教室の中にいる)今です」
「暑いです」
「さて、四対一」…あきらめましたね。

かといって後ろの列、一番隅っこの、一番風が通らないところには行かないのです。2列目の、いつもいる席から動きません。

もしかしたら、日本人の頭の中には、先に「四季」というのがあって、如何に寒かろうと、8月なら、「今は夏だ」というふうになっているのかもしれません。

それにひきかえ、彼女の頭の中では、「『寒い』すなわち『冬』である」ということで、何月であろうと、寒かったら、「冬」であるというふうになっているのかもしれません。

「寒い」と感じることと、「冬」という季節は別物だという感覚(感覚でしょうね、思い込みとは、ちと違うような気がします)は、「四季」の、ある程度はっきりした国でなければ湧いて来ないものなのかもしれません。

この「四季」には、既にさまざまな「尾っぽ」がついていて、文学にせよ、音楽にせよ、絵画にせよ、何であれ、「春」というものはこんなもの、「夏」、「秋」、「冬」とはこんなものとなっている。その「規格」から多少なりとも外れてしまうと、落ち着かない。どこか慌ててしまうようなところが、日本人にはある。

考えてみれば、不思議ですね。

そういえば、以前、こういう友達もいましたっけ。
「桜が咲いたから、春」と感じ、そう言う日本人の私と、
それを訝しげに「春になったから、桜が咲いたのだ」と訂正する、何やら理屈っぽいドイツ人と。

でも、なぜか、ドイツ人の友達とは気が合いました。他の国の人たちといるよりも、ずっと気が楽でした。私とは全く性格が違い、何事にもきちんとしている人でしたのに。それに、その人もこんなことを言っていました。彼女の同室者が日本人で、とても楽だったと。その前の同室者が同じドイツ人で、元は友達だったのに、同室になった途端に喧嘩して、今では口を利かないほどだなどとも言っていました。

まあ、これは特別なのかもしれませんが、友人としてみたときには、異質なもの同士の方が楽なのかもしれません。日本人相手よりも外国人相手の方が、ある意味、楽なように。尤も、端っから違うと思っているから、楽なのでしょうけれども。

日々是好日
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「梅の木の 枯れたる枝に 鳥の居て 花咲け咲けと いふぞわりなき」。思いは同じ…時もある。

2021-09-01 08:53:38 | 日本語学校
曇り。

昨日は日が暮れてから、しめやかな雨音が…。

長雨というわけにはいかなかったようですが、ここ数日、夏に戻ったかのような暑さが続いていましたから、ホッとしてしまいました。雨音はいいですね。特に涼しさを感じさせてくれるような時には。


そして今朝。涼しい。夏だけれども、風に秋の気配がする…どころではなく、もう秋の風です。

中学生の頃、「警句」というか、そんなものが好きな校長がいました。面白いもので、子供でもすぐに覚えてしまえました。もしかしたら、説明というか、喩えが上手だったのかもしれません。いまだに、ふと思い出したり、何かの書でみて懐かしんだりしています。その中に、

「一升枡には一升しか入らない」とか
「立って半畳 寝て一畳 天下取っても二合半」、
「世は七下り七上り(ななくだりななあがり)」、
「人の心は九分十分(くぶじゅうぶ」などがありました。

人や自分を顧みるとき、これらの「ことわざ」はとても役に立ちました。自分を救ってくれたり、時には人への不満を和らげてくれたりしたのです。

いつの間にか、こんな「ことわざ」ばかりが気になって、「お年寄りみたいだね」と友人にからかわれたりしたものです。

それから、高校生になって、日本史の授業が始まると、先生が「川柳」や「狂歌」に特別の時間を割いて、説明してくれました。それがとても面白かった。聞いているうちに、それまで「切った張った」だけの「歴史」であったものが、「社会を知る文化」を含めたものになっていきました。強者だけのものでも、弱者だけのものでもない「歴史」が見えてきたような気がしたのです。

なにせ、自分の中では「川柳」も「狂歌」も、「文学」の世界で一括り。で、何となく煙たかったのです。

クスリと笑ってしまうような句や、考えさせられるような句、当時の社会情勢をさりげなく盛り込んだり、人情の機微を感じさせてくれたり、無限の世界が拡がっていました。

ただ、当時の社会や「本歌」が判らなかったら、理解しづらいものも多く、自分のレベルで、それなりに理解できるようなものは、あまり多くはありませんでした。

それからは、つられて、室町期のものなども読んでいきました。すると、当時から、くすぐりめいた和歌というか、もうこれは文化文政年間の狂歌と比べても引けを取らぬ…と思われるようなものも多々あり、それがとても楽しかった。これでは学校の勉強とは両立するはずがありませんね。

とはいえ、この年になりますと、また興味は変わり、「ことわざ」にハッとさせられることが多くなりました。中学校の時の校長の年を既に越えているからかもしれませんが。

「日本語」を教えていると、「言語」には文化習慣というのが含まれていますから、二十歳くらいならどうにかなっても、かなり年が上になりますと、それが、だんだん大変になってきます。そして、中には不平不満が募って来る人もいます。

それ故、「矯めるなら 若木のうち」とも思いますし、同時に厳しくしすぎたときには、「若木に 腰掛けるな」で自分を戒める…ときもある。

また、無理を言う人(Aさんが一年で「N2」に合格した。…つまり、自分もそうなるはずだという理屈の下に話を始めるような人)に、「梅の木の 枯れたる枝に 鳥の居て 花咲け咲けと いふぞわりなき」と思ったり。

そうかと思うと、「柿食ひに 来るは 烏の道理かな」で、しょうがないと思ったり。

当然のことながら、「だれでも 自分の荷が一番重いと言う」ものですから、「自分一人が(他の人よりもずっと)頑張っている、自分が一番大変だ」と言う人には、「はい、はい」と言っていられたり。

どちらにせよ、「無理というのは 人の心がつくるもの」ですから、こちらも余裕を持って対せばいい。先人達はいいものを残してくれていますね。

日々是好日
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