日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「また、勉強を始めたい」。中断しても、やる気は衰えず…の学生が、また学校へ。

2023-08-31 08:20:43 | 日本語学校
晴れ。

近所に、例年、盆明けに、外側の雑草(?)を刈って、更地のように、きれいにする官舎か社宅かがあります。今年も、きれいになっていたので、はっとしてしまいました。なぜかしらん。周りの空き地が雑草に覆われているから…かしらん。違和感…が、かなりある。きれいにしすぎるのも、ちょっと…。人工的すぎて、あまり面白くない。このあたりは、そのままにしていても、蛇の巣になることもないでしょうし、野生の動物の棲み処になることもない…でしょう…だからかな。

近くの道ばたや空き地には、私の背を越すほどの高さの草が勢いよく繁っています。以前は自転車で通勤していたので、スルーしていたのかもしれませんが、歩いていると、この道は長い…。きれいになっているのに、おかしな気がしてしまうから、「きれい」に刈られ、片付けられているというのに、どこか「むざんやな 甲の下の きりぎりす」みたいな気持ちになっている自分がいる…。

さて、学校です。

昨日、また一人、やってきました。もっとも、彼女は卒業生ではありません。3,4年ほど前でしたろうか、娘さんと一緒に勉強していたのです。が、かなり難しくなり、ついて行けないとやめていたのです。娘さんは見事大学に合格できたのですが、まだ下にお子さんがいたので、なかなか自由になる時間がとれなかったのでしょう。

昨日、来た時には、まるで通い慣れた友達のうちに来たように、「こんにちは。先生」。お互いに「オー、久しぶり」。聞くと、「N3」の最初から、また(勉強を)始めたいとのこと。

「Cクラス(四月生クラス)」が、再来週から「N3」に入ると伝えると、では、再来週から来るということになり、「では」と、使用する教科書やら必要なプリントやらを持っているかと聞いてみると、ほとんど持っていました。また、勉強するつもりで大切にしていたのでしょう。ないものは、「(なかったら)、娘さんに聞いてね」。で、用事はそれで終わり。バスが来るまでまだ時間があるということだったので、「ただ待っているのもつまらない。ついでに、(Cクラスの)授業を受けに行ってらっしゃい」ということに。

(授業が)終わった頃に戻ってきて、慌てた様子で「オー、オー、明日から勉強する」。「まだ『みんなの日本語Ⅱ』だけれども…」と言うと、「(勉強の内容を)忘れてた。大変。明日から来て、勉強する」と言う。ちょうど、「使役」の三回目でしたから、焦ったのでしょう。「はい、じゃあ、また明日ね」で、帰したのですが。

戻ってきた教員に聞くと、例の如く、大きな声でリピートしていたとのこと。「Cクラス」の学生もびっくりしたでしょうね。このクラスは、ほかの二クラスの学生に比べ、声が比較的大きいのですが、それでも彼女の声には負けた…。迫力が違うのです。アフリカの大地で大きな声で話していたのかしらんと思わせるような声だもの。大きいだけではなく明るいのです。そして、何でも「見たい」、「聞きたい」「経験したい」。向学心はかなりある。

普通は、ある程度(日本語が聞き取れたり、話せたり)できたら、それで終わりになってしまうものなのですが。もちろん、進学したいとか、会社に正社員として入りたいとかいう人は別ですが。

彼女の場合は、一度途切れ、しかも数年が過ぎている。それなのに、日本にいるからには、やはり学びたいと、また学ぼうとする。大変でしょうが、また一緒に頑張りましょうね。

日々是好日

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少々、残暑の気分になれたかな。蚊も出てきたし…。

2023-08-30 12:22:19 | 日本語学校

晴れ。

先週末くらいから、早朝は、幾分涼しくなったかな…、やっと「残暑」の気分…???。「蚊」も出没し始めたようですし。

さて、学校です。

卒業生が一人挨拶に来たと思ったら、また一人やってきました。実は「コロナ禍」前に、親戚で留学したいという人がいると言って、(学校に)来たことがあったのです。が、中国は例の外出禁止やら、何やかやで、それも有耶無耶に。ちょうど一時帰国していた彼も日本に戻ることができずに、といって、焦っても政府の決めたことなので、どうにもできないと、じっと我慢の子であったのだそうな。

日本に戻ってきた後、例の親戚からまた連絡があり、できることなら、もう一度申請したい…らしい。一度申請が通っていたのに、そのままにしていたので、やり直せるかどうか…、その相談です。

日本でも知られているように、今、中国では、若者の失業率というのが、信じられないほど高いそうな。政府がもう発表しないというくらいですから、推して知るべしです。特に大都市に基盤がない若者は大変です。それには、いくつかの理由があるようですが、それに追い打ちをかけるようなのが、最近の不況です。

地方政府の「金のなる木」であった「土地神話」が崩れれば、地方都市だって苦しいでしょうし。「土地は国のモン。(国のモンとみんなのモンというのは違うような気がするのですが)」というのは市場経済からすれば、明らかに奇妙。「じゃあ、売るな」でしょうに、普通の国では。共産主義的考えからしても、不可思議。「土地が国のモン」であるなら、必要な人にあげればいい。それを政府が責任を持ってやればいい…と思うのですけれども。みんな理屈がよくわからないから、そのままにしているのかもしれませんが。

中国の影響下にある国でも大変なようです。中国に付き従っていれば、金がついてくるだろうと、自分で考えることをやめ、利権でくっついていた国も、今はあっちを見、こっちを見しているようですし。

主体性のない日本は、企業が生き残りを賭けて、自分で動くしかない。政治には頼れませんから。もっとも、その方がいいのかもしれません。政治家は選民だなんて言う人は、政治家くらいのものでしょう。

政府が「右」と言ったら、「右」にしか行けない国よりも。政府が「右」と言っても、私の信条は「左」であると言えて、しかもそれを行える国のほうがずっといい。それが「自由」ということなのでしょう。もちろん、人に迷惑をかけたり、「法律」を犯したりするのは論外です。

コロナ禍は、まだ続いています。日本でもジワリジワリと増えているようですし。グローバル化が進んでいる今は、どこにも逃げるところはありません。島国なら、国を閉ざせば大丈夫かというと、そういうものでもないのです。「座して食う」ことなどできない時代になっていますから。コロナもそうなら、いわゆる温暖化もそうです。最近は「『温暖化』なんて言葉を使うから、皆、呆けてしまったんだ。『沸騰状態にある』と言った方がいい」と、言葉も激しくなっていますし。

ただ、人は変わらない。コロナ前に来た学生もコロナ後に来た学生も。同じような尾っぽを引きずってきている。「自分の国では、自分は富裕層であった。困ったことなどない。だから日本でもそうしたい」とか、「自分の国では、成績は上位であった。だから自分は優秀である」とか、そういう考え方で、やられると、ちょっと困ります。

この学校は、今は中国人が少ないので、時々、「非漢字圏」の人と比べて、自分は優秀であると勘違いする中国人も出てくる。「非漢字圏」でもモンゴル人やスリランカ人が文法に困らずに、すぐペラペラと話せるようになるのと同じです。そういう人は、面白いことに、自分の不得手の部分が見えないらしく、できることばかり吹聴するようになる。不得手な部分を頑張ればいいのに。

それで、通用できればいいのですが、通用するであろうと思われる人ほど、そうは言いません。だから、最初に判らしめることが大切なのですが、その機を失すると、かなりの期間、面倒なことになってしまいます。

最初の一ヶ月ですね、勝負所は。それが判れば、判るほどの人であるならば、進学の時にこちらを悩ませるようなことは、まず、ありません。ただその反対ですと、こちらも大変ですが、当人も、初めて判ってショックを受ける…みたい。思っていることと大違いになって、初めて自分と向き合わざるを得なくなるからなのでしょう。

願うらくは、皆、そういうことになりませんように。でも、もうそうなりそうな人が何人かいますね。通訳してもらってもどうにもならないのですから、多分、卒業するまでこのままでいくのでしょう。本当に気が重い。とはいえ、時々、こちらが言っているうちに、判るということもありますから、こちらとしては言い続けていくしかないのです。

日々是好日
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「回し車」の中にいるみたいです。「共通語」ができるまでは、それでも、駆け続けるよりほか、手はありません。

2023-08-29 07:41:47 | 日本語学校
曇り。

さっきまではれていたのに、また雲に覆われてきました。でも、一雨とはならないでしょう。

土日は、安定しないお天気で、晴れかと思ったら、一天にわかにかき曇り、ゲリラ豪雨のお出ましです。雷様がご登場もしました。ほんのちょっとの間でしたけれども。困ってしまいますね。お空はどうなってしまったのでしょう。ご機嫌斜めなのでしょうね。これも人族のせい…でしょうけれども。

最近よく耳にする「ゲリラ豪雨」、あれと南国でザァッと来る「スコール」の違いは何なのでしょう。台風が緯度で名前が変わってしまうようなものなのかしらん。同じように激しく打ち付けてくる雨粒を見ながら、そんなことを考えてしまいました。

公園の「セミ」が姿を消して、虫たちのか細い声が聞こえてきた…と耳を澄ましていると、上の方から風鈴の音まで聞こえてきました。「セミ時雨」のせいで、かき消されていたのでしょう。

風鈴かァ…もう「朝顔」だの、「風鈴」だの、「露草」だの…言っていられなくなりました。夏の話題は、この「酷暑」ばかり。「夏の風物詩」の姿が消え、「沸騰」と言う言葉が囁かれるようになった。情緒もへったくれもなくなった。ただ「暑い、暑い、暑い」。

暑さを楽しむような段階ではなくなったのでしょう。30度くらいで、今日はちょっと涼しかったねなんて…。何事も激しすぎるのはいけません。判っているけれども、ドンドン周りは極端になっていき…そうなれば、人間だけが穏やかでいられるはずもない。人も、気短になり、争い事が増えていくのかもしれません。

ただ、日本でも、盆地住まいの人たち(耐えられない暑さと地の底から滲み出てくるような寒さの地で暮らしている)は、我慢強くて、ちっとやそっとのことでは爆発しないとも言われています。荒々しい気候が我慢強い人たちを育てた…ということもありますから、平和呆けならぬ気候呆けしていた日本人の気性もだんだんに変わっていくかもしれません。

さて、学校です。

「七月生」のクラスに、夏休み期間を利用して、三週間ほど(毎日)入り、彼らの様子を見てきました。来日して、すでに一ヶ月ほども経った人たちです。何人か、母国での習慣を変えなければ、ちょっと大変だろうなと思われる人たちがいます。もちろん、変える必要などない人たちもいますから、その按配が、ちと難しい。

少し厳しく言うと、文句のつけようのない人たちのほうが反応して、変わってほしい人たちのほうは、我がことにあらずなんですから。真ん中はだめですね。ということで、見つけた時に、その人に厳しくやってみた。…おい、おい、君には関係ないだろうと言いたくなるほど、きちんと勉強している人が、驚いた目でこちらを見ている。きみじゃないよ。この人だよ。

高校を目指している二人は、かなり変わってくれたので、頑張れそうですね。次は漢字の壁。これをうまく越えられることが課題になるのですが、早めに手を打ってどうにかさせていくしかありません。在日の人たちには別に文句はありません。彼らなりに勉強してくれればいい。問題は留学生。

なにせ、勉強の習慣がついていない人というのは、それができている人たちと自分との、「差」がわからないのです。だから、見つけた時に、ガーンと言うしかないのです。優しく注意したくらいでは、鼻でせせら笑われて、スルーされて終わりです。「何、ほざいとる」くらいのものなのでしょう。日本語を学ぶと言って来日しているのに、一体何を考えているんだと思いたくなる人もいる。

そういう人を嫌になるくらい見てきましたから、そうならないように、早手回しに、来日した時に、(なりそうな人を)見つけ、一人ずつ潰していくしかないのですが、これがなかなかうまくいかない。

自分ができないとは思っていないので、被害者だと思ってしまうらしい。だからクラスの大半が納得できる時にやるしかないのです、「そのやり方は違う」と。そうすれば、同国人が、彼らの非を説明してくれます。ただ、判る人は判るけれども、判らない人は判らない、これの繰り返し。

いくら「『衆目の一致するところ』であっても」です。いらぬお節介と言われようが、これは彼らが卒業するまで続けていかなければならないこと。普通は、進学のための「願書」書きで、初めて気づく…判らない、書けないと。で、後悔できる人は、次の専門学校で頑張れる。ただ、それでもできない人はいる。毎年、何人かはそういう人が出てしまうのですが。

もっとも、その人たちにとっては、そんなこと関係ないのでしょう。自分たちの、その輪の中では、テキトーにやっていけるのですから。こちらは少しでも、日本でうまくやれるようにと考えてやっているのですが、そういう人たちは、どこにいようと、自分を通していくだけなので、他者は関係ない…多分。

日々是好日
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ネパールに学校を創ったと言う卒業生が、挨拶に来ました。おじさんになっていたので、びっくり。来日した頃は不安げな少年だったのに。

2023-08-25 08:10:25 | 日本語学校
晴れ。

今朝も晴れ。暑さは続いています。学校に着いてすぐに、窓を開け、風を通し、そしてポットに水を入れ、湯を沸かし、職員室に冷房を入れるという作業(外回りや全体は、後でほかのスタッフがしてくれます)。冷えるまで、小さい部屋でもそれなりに時間がかかります。

今週の始め、卒業生が一人、挨拶かたがたやってきました。来日したばかりの頃は、何も判らない高校を出たばかりの人だったので、見るなり「おじさんになったね」なんて言ってしまいましたが。

生まれ育ったのは、ネパールの南西部、田舎だそうで、見るからに純朴という感じの若者でした。印象に残っているのは、動詞の「テ形」導入時、担当教師を、半べそをかいたようなまなざしで見つめ、「どうしてですか」。一瞬、「何がどうしてなのか」教師は判らなかったようなのですが、いわゆる「どうして『動詞』は姿を変えるのか」と聞いていたらしい。

「テ形」の次は「ナイ形」「辞書形」「タ形」と続きます。「形容詞」の活用変化はそれなりに許せても、押し寄せてくる「動詞」の活用変化は見逃せなかったらしい。「毎日、練習するから、覚えられる。『なぜか』は考えるな」としか、こちらの方でも言えなかったのですが、その次に「可能」やら「受け身」やら「使役」やらが入ってきます。休めません。こりゃあ、参ったでしょうね。(母国で)母国語で少しでも日本語を教えられて来ていれば、躓かないところなのですが、そうでなければ、そりゃあ、戸惑ってしまうのも宜なるかな。

多分、「タ形」の頃からでしょうね、言えるようになるのが判って、悩まなくなったのは。なにせ、毎日嫌になるくらい練習を繰り返していますから。で、こ、日本語に関する「どうして」攻撃は収まったのですが、その次に来たのは、日本人の、いわゆる「常識」とのギャップ。

「アザラシ」の写真を見せた時のこと。説明に、「海で生活しています」があったから、「魚だ」と思ったのでしょう。「この『魚』の名前は何ですか」と来た。「魚じゃないです」と言っても、首をかしげている。で、これを見せれば(大丈夫だろう)と思って、「アザラシ」がニカッとしている写真を見せた。…まん丸の目、ひげもあるし、(かわいい猫のような)口も、開いた鼻もある。どう見ても魚には見えないだろうと思っていたのですが、きっぱりと「魚です。名前は?」。…で、よくよく見ると、尻尾も尾鰭のように見えないこともない、手もひれのようにも見える…。海にいるから魚か。まあ、これ以上触れんとこ。いずれ判る…。で、終えた、このときは。

来日したばかりの頃は、日本語もほぼゼロでしたし、それ以上に外の世界のことに疎くて、周りを海で囲まれている日本人の「常識」なるものが、いかに特殊であるかというのを、こちらに、判らしめる為に存在しているような人でした。なんでも「どうして?どうして?」となるのです。幼稚園さんのよう。教師のほうだって辞書じゃない。判らせるための道具が出せる「打ち出の小槌」をもっているわけじゃない。「2000年前の日本人に聞いてね」で済ませてしまうこともしばしば。

その彼も、この学校に在籍している間に、「N2」に合格し、大学を目指せというのを振り切って、専門学校に進んだのですが。今はきちんとした会社に入り、仕事も面白いとのこと。そして今度ネパールに帰るので、挨拶かたがた、お願いに来たというのです。聞くと、「カトマンズに日本語学校を創った。今度はふるさとにも、創るつもりだ。自分は日本語が全然わからなくて、日本に来てとても困った。ふるさとにも日本語学校をつくって、日本で勉強させていろいろなことを身につけさせたい」。

卒業してから、5、6年は経ってましたろう。その間、一度も国に帰らずに、頑張ったと言います。今度の帰国も会社の休みを利用してのこと。お願いしたら会社のほうで一週間延ばしてくれたそうです。親切な会社ですね。「家族にも会いたいし、この休暇を利用して、いろいろなこともしておきたい」そうです。

あんなに不安そうにこちらを見つめていた少年がもう一人前に他の人のことを考えて事業ができるまでになっている…。

今回の来校は、自分の学校の学生を「この学校に入れたい」とお願いに来たのだそうな。始めは一人申請してみるということになったのですが、こういう学生が連れてきた人はだいたい大丈夫なのです。この学校がどういう学生を求めているのか判っていますし、何かあった時には、すぐ駆けつけてくれますから。

「この学校は厳しいことは判っていますね。先生たちが怖いことも判っていますね」「いえいえ、とても優しい。私はずっと先生たちのことを想っていました」んんんん…まあ、お世辞にしても、口元が緩んでしまいます。

この学校を卒業して、母国で日本語を教えているという人は何人かいますが、彼のようにずっと帰国せずに、日本で頑張っていたという人は稀です。弱そうで、すぐに泣かされそうに見えたのに、芯はしっかりしていたのですね。いやああ、お見それいたしました。

これから、もう一校見に行くと言って帰っていきましたが、戻ってきたら、また挨拶に来るとのこと。その日を楽しみにしていますね。

日々是好日
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学校まで一時間半かかって、それで、勉強できるほどの根性は、ない。すでに休みが多かったり、学校でウツラウツラしている。勉強するつもりなら、近くに来るしかないでしょう。

2023-08-24 07:58:35 | 日本語学校
晴れ。

今朝も、陽がカンカンと照っています。陽は、同じようにカンカンと照っているのですが、やはりちょっと季節が移ろいできたかな…。エレベーターを降りると、チチチチチと虫の声が聞こえてきましたし、建物の陰に入ると、これまでの熱風ではなく、少々涼しげな風が吹いているのを感じます。

まさか、昨日が「処暑」だったからでもありますまいが。

さて、学校です。

「コロナ禍」前に学生たちをよこしていた先(提携機関であることも、また現地の学校であることも)が変わり、今は新しい提携先が学生たちを送ってきています。(どうして前の学校がだめで、新しいところの学生たちがいいのかは判りませんが、でも、何か理由があるのでしょう)

前までは、こちらが行って面接をしていましたし、その過程で半分以上を断ったりしていましたから、こちらの意図するところはある程度伝わっていたので(10年以上の付き合いのところがいくつかあります)、来日後の住居に関してもそれほど困ることはありませんでした。

来ることが決まれば、寮としてのアパートを近くに探し、そこに住んでもらえば、よかったのです。だいたい歩いて10分以内のところでした。「病気だ、何やかやだ」でも、すぐに学校から人が行けましたから。

また、そういう機関とは別に、身内を呼んで一緒に住むということであっても、住居は、この近所であったり、遠くともせいぜい船橋あたりでしたから、まあ、家賃や光熱費などを考えれば、それでもいいかというくらいのものでした。

勉強に専念してもらうということが、彼らに伝わっていたから、よけいな手間をかけずに済んだのです。もちろん、こうなる前は散々でしたが、時間が経つにすれて、彼我ともに賢くなっていったのでしょう。

向こうにしても、送り出したら、「はい、それまでよ」ということではありませんでした。勉強しなかったり、遅刻や休みがちであったりした場合、親御さんに連絡してもらうこともよくありました。

ところが、新しい提携先はそれが十分に判っていなかったらしい。多分、彼らと提携していた、あるいはしている、ほかの日本語学校はそれでもよかったのでしょう。

住所は日本にいる人がちゃんと考えると言っていたので、「じゃあ、こちらは探さずにいいんだな」と思っていると、とんでもないところにアパートを借りていたのです。「学校まで、電車を乗り継いで、一時間半もかかる!ええ?!」

学生が来てから初めて判る…「ちゃんと出来ないじゃないか!」

その、日本にいる人がちゃんとやると言っていたことが、ちゃんとやれていないことがわかったので、学校では、慌てて近在の不動産会社に連絡を取って、「歩いて10分程度の所、二人で住める所、家賃がある程度折り合いのつける所」などの条件で探しました。近在の不動産屋には皆あたったらしい。なにせ、寮として借りるのではなく、自分たち(外国人)で借りるということだったので、よけいに手間がかかったのです。

やっと近くに見つけた…。それも一ヶ月くらいはかかりましたろう。見に行っては、やはりだめだ。話を聞きにいっては、ちょっと無理だねを繰り返していましたから。何度も電話をし、送ってもらった資料を見ては、チェックし…、大変は大変でしたろう。

一応候補を見つけて、その「ちゃんとする」という人に連絡を取ってみると、両親が「三ヶ月分払っているから、今は引っ越せない」と言うという返事。

学校としても、せっかく探してくれた不動産の人にも申し訳ない…ということで、ちょっとイラッときてしまいましたが、お金のことですから、どうしょうもありません。交通費や(学生の)疲労などを考えると、「損して元取れ」で、見つかった時に引っ越した方がいいのはわかりきったことなのですが。

とはいえ、日本のラッシュや日本語の勉強のことなどが判らない相手には、何を言っても通じない。今年は例年にも増して、この暑さです。慣れた日本人だってバテているのだから、タラタラと暮らしてきていたらしいスリランカ人には、ちょっとどころか、かなり大変でしょうね。

もうすでに、休みがちであったり、学校に来てもウツラウツラしていたりしていますから、これは近くに引っ越ししてもらわないことには、後が大変だろうな。国で、「N5」に合格していると言っても、すぐに貯金は尽きてしまいます。その時に困るのは自分たちなのに。

そして、10月からは近くに引っ越すと言っていたのに、今のところでバイトを見つけたからでしょう、ずっとそこに住むと言ってきました。これからの一年半が見えてくるだけに、ちょっとそういう学生は嫌だなと思ってしまいます。

日々是好日
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暑いですね。でも、ミンミンゼミの声は聞こえません。ジージーという声も聞こえてきません。「夏」というよりも「酷暑」の季節と言った方がいいのかもしれません。

2023-08-22 08:48:07 | 日本語学校
晴れ。

晴れと一言で言いましても、雲はかかっています。真っ白なものやら、雨を予想させるようなものやら…いろいろ。湿度は高い…蒸し暑い…ちょっと動くと汗が噴き出る。これを残暑と言えるのか…。…まだ真夏です。「お盆」が過ぎても、残暑とは言えないような暑さが続いています。

さて、学校です。

夏休み無しの「Cクラス(四月生)」で、盆休み明けに、35課から42課までの復習をザッとやってみました。「ほう、ほう(こんなの、勉強したっけ)」という声が上がります。まあ、そうでしょうけれども。「…忘れてたな」と睨むと、うれしそうに、「ホッホッホ」。で、互いに顔を見て、一緒に「ほっほっ」。…少しは思い出したかな。

このクラスは、導入はそれほどしつこくしなくてもいいのです。しなくてもいいどころか、しない方がいい。文型の意味さえわかれば、それでいいくらいに押さえた方がいい場合が少なくないのです。下手にやり過ぎると、頭の回転が速すぎる人が一人いるので、その人の独擅場になってしまいます。もちろん、入ったなと思われた時には、同じ練習を三度、四度と繰り返す。そうすると、始めは下を向いていた人も、だんだん(見ながらだけれども)言えるようになっていく。

その(練習の)時間がない時には、復習に賭けた方がいいのです。そうすれば、置いてかれる人は少なくなる。何をやったのか、わけがわからなくなったままというのは、誰にとってもいいことではない…。ただ真面目な人たちが大半ですので、一日か二日おくと、流れがうまく出てくるのです。「なんとなく」にでも、判ったような気になってくるようで、その時に、ダッと復習する。時間をかける。その方が定着しやすい。真面目な人たちが多いからこそできることなのですが。

宿題にしても、在日の人たちは、それなりに使える時間が限られていますので、留学生以外の人には、できる時にまとめてやっていいことになっています。漢字テストにしても、「今日は無理。明日」と言われれば、明日、自分でやって持ってくるように言っておけばそれでいい。それだけのゆとりを持ってやれるクラスなのです。始めの頃はやりにくかったけれども。

教室に入るなり、ペチャクチャ大声で話しつづけ、他者に迷惑をかけるという人が一人いました。注意しても、意味がわからないのでしょう(これまでそうやって母国で過ごしてきたのかな)、その時は止まっても、こちらが他の人と話したり、後ろを見たりすると、すぐまたペチャクチャが始まる。日本語が白紙で入ってきた人もしましたし

このクラスには、学校に来たら、休んでいた時のことを友達に聞きたいとか、単語を見て覚えておきたいとか、学校に来てから、宿題を少しでもしたいという人たちがいるので、その人たちの迷惑になるのです。その上、私が教卓の前に座っているのに。…早めに来ていると、質問してくる人がいるので、重宝なのです、この時間は。

で、一度、かなり強く「話さない」ように言いました。本来なら、周りを見りゃ判るだろうと言いたくなるようなところなのですが、そういう神経は持ち合わせていないようなので、「言葉」でしか言えなかったのです。

もちろん、それでも習慣は変わりません。ただ、彼女に話しかけられて相手をしていた方が気がつき、彼女に話しかけられると、こちらの顔を見て、少なく「ああ」とか、「おう」とか言うくらいになりましたから、彼女もつまらなくなったのでしょう。

まあ、それ以外にも、問題はありましたが、一つ一つ消していったというよりも、互いに判るところが増えてきたから、消えていったと言った方がいいのでしょう。

いろいろな国から来ている人が多いので、こういう風に自然消滅に近い形で、問題が消えていく方がいいのです。それに、もしそれでも問題が生じた場合、彼らのほうから聞きに来る、あるいはこうしてほしいと言いに来る、そういう土壌はできていると思いますから。

日々是好日

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「漢字」ねえ。日本で生活していく以上、必要ですよ。特に「日本語を学ぶ」という目的で来日している留学生は。

2023-08-21 08:23:02 | 日本語学校
晴れ。

今朝も公園は静かでした。遠くから鳥の声だけが聞こえています。この静けさは何なんだ…。セミ時雨が爆音のように響いているのが夏…ではなかったか。35度超えの日々が続き、暑い。…確かに、まだ夏だ。とはいえ、以前の感覚で「夏」を計ってはならない…。それは本当だ。

さて、学校です。

八月七日から、今日まで(まだ今日の授業は始まっていませんが)、「Dクラス(七月生クラス)」に毎日入っています。休み前は週二でした。週三と週二というのは、かなり違いがあって、自分では週三であったら、自分を入れることができるけれども、週二であったら、やはり私もお客様ということになる…これは自分の感じです。

で、夏休み期間です。始めの一週目に気がついたのは、このままでは非常勤の方が直に授業がやりにくくなるだろうということ。何事によらず、「鉄は熱いうちに打て」です。もう一ヶ月が経過していますから、軌道修正にちょっとは時間がかかるだろうということはわかります。ただ、こちらのやり方が判っていれば、向こうにもやりようがあるだろうし、向こうの習慣が判っていれば、こちらにも対処のしようがある。

(教室における、彼らの)様子見を経て、変えるべきところを、一つ一つ変えていきます(そうやった方が、早く授業に入れるし、直に始まる「漢字」の勉強も楽になる)。まあ、ゆっくりと少しずつです。彼らにしても、これまで何も言われていなかったのに、急に言われても…でしょうから。

なんと言っても、彼らは日本語を学ぶつもりでこの学校に来ているのですから。留学生は先に一年分の学費(「初級教材」込み)を振り込んでいるので、学ぶことにお金がかかっているという実感はないでしょうが、在日生は一ヶ月毎に払っているので、その自覚はあるはずです。

「学ぶには金がいる。けれども、払った以上を身につければ損はない」。「ただ(無料)」だと、「行ったことがある」で、適当にやり過ごす人もいますし(もちろん、本気で勉強したい人はそうではありません)、その反対に、(金を)払っているから、どうしようと後は自分の勝手だろうという人もいます。どちらにしても、ここは一斉授業のやり方でやっていますから、他者の迷惑になる。

もちろん、その中間の人たちが一番多いのですが、その人たちにしても、どうやって勉強したらいいのかわからない(…特に漢字など)という人たちが少なくない。

漢字などの練習をしているのを見ると、すぐに判ることなのですが、テストの前日まで、見て書いているだけ。見ずに書くという作業が一つも入っていない。これでは、毎週「20」もの漢字を覚えることなんてできません。だいたい「N5」の漢字の導入が終わる頃には、漢字を書く場合、どこに注意しなければならないかがわかっているはずなのですが、プリントを見て、写すだけだけだと、漢字の線はすべてが棒になってしまい、結局は、これ何なの…。

漢字の導入段階で、教師が、注意すべきところを、その都度、強調しているはずなのですが、最初の頃はそれがわからない。意味もわからなければ、例えば、二者、三者の違いもわからない。けれども、書きつづけているうちに、だんだん掴めてくるものなのです。それが、「N5漢字」が終わっても、掴めていないということになれば、どこかで問題があると言うことになる。

漢字に興味を持ってくれる人はいいのですが、「カタカナ」段階で、すでに面倒となってしまうと、もう、日本語の文章は読めないことになる。特に留学生で、それはないですよね。ところが、そういう人が少なくはないのです。

在日生であったら、彼らの目的が、ただ日本で暮らしていけるための日本語(日常会話ができればいい)だけと言う場合もありますから、それでいいのですけれども、留学生は、進学か就職したいという人が大半ですから、次に進めるだけの日本語力が必要だというのに。

毎年、何人かそういう人が出てきます。これは痛い目を見るまでは判らない…。進学の時にひどい目に遭うとか、就職の時に馬鹿にされるとか…。そういう目に遭わない限り、わからないのでしょう。こっぴどく自尊心を傷つけられねばわからないのかと、相手を傷つけないように言葉を選びながら、その大切さを言ってきた我々からすると、いたたまれないような気になるのですが。ただ、本人がそれでいい(漢字はいらない)と思い込んでいる限り、どうにもなりません。

毎年、いろいろとやり方を変えて判らせようとしてきたのですが、今年もそれが「徒労」となるかもしれないという学生が数名います。痛い目に遭う前に変わってくれるようにと、あとは願うしかないようです。

日々是好日

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試行錯誤の毎日です。

2023-08-18 08:20:12 | 日本語学校

晴れ。

昨日の帰り、入道雲のなりかけか、あるいはズボズボと沈みかけかが空にムクムクとあったような。もっとも、台風の頃のように広がってはいませんでしたけれども。とはいえ、今朝の雲は、昨日の朝同様、うっすらとしています。

公園のそばを通りかかっても、昨日同様、「セミ」の声が聞こえません。昨日の帰りにはジージーと「クマゼミ」が鳴いていたのに。「ミンミンゼミ」よりも、「クマゼミ」のほうが朝に弱いのかもしれませんね。宵っ張りの朝寝坊。元気でいてくれた方がいいので、ちょっと心配です。

ふるさとでは「盆」を過ぎると、海では「クラゲ」が出、外では「ワシワシ」が鳴き始める…でしたが、こちらではどうなのかしらん。「クラゲ」が、とかいう話は聞きませんね。

さて、学校です。

「Dクラス」の面々はまだこちらを警戒しているふう。こちらもなかなか言っていることが向こうに通じなくて苦戦しているふう。

以前は、10分くらい前に行くと、まあ、しゃべっていること、しゃべっていること。今はスリランカの女子が一名、朝のクラスに行きたいと言うことで移って、このうるささは消えましたが。見ると、皆、行儀よくこちらを見つめている。教科書も置いていない。何もせずに、このままぼうっとしているのかな。まだ10分あるよ…。

ということで、最初の頃は、「机に本(教科書)とノートを出せ」というのを徹底させることに力を割き、一応、教科書は出すようになったけれども、言っていなかったからでしょうね、「書く」時になって、慌てて「鉛筆」を探し回る人がいた…(鞄のどっかには入れていたのでしょうね)。それも最初に言っておけばよかった…。授業の前に出しておくのは当たり前というのは、当たり前ではないのです。言葉の勉強に来ているはずなのですが。

で、次は、「教科書を見る」「宿題の間違いを正す」「単語を覚える」です。「ディクテーションをする」と言っておかなければ、宿題にしても、「書いた」で終わりであって、何の実にもならないのでしょう。一つ一つ、やるべきことを、具体的に言って、示しておかなければ、何をどうしていいのかわからないのでしょう。「書いた」で、終わりじゃない、「書く」のは「覚えるため」の、「覚えるため」というのが書けているから、書いたで、満足できるのでしょうね。ちょっと以前(コロナ前)の留学生たちとは違うかな。

コロナ禍前の留学生たちは、一応、一度言えばすぐにできた人が多く、そこに在日の人たちが混じっても、そちらに感化されて、それほどこちらが気を遣わずに済みましたが、今年の留学生たちは以前とは違う学校から来ているので、それが徹底できていないのでしょう。

その上、留学生が六人と、「Cクラス」に比べて多いことも一因かもしれません。彼らは白紙で来日しているわけではないので、白紙で学び始めた人たちを見て、「オイラの方が上だ」と思ってしまうのでしょう。この白紙の人たちの中には、能力の高い人もいて、直に追い抜かれてしまうでしょうに、それが判らない。

ということで、盆休み前に、一度だけですが、短いディクテーションをやってみたことがあるのです。できていないことが少しは判るかと思ってやってみたのですが。まあ、間違いばかり。その短い文も、何度も繰り返し、覚えたであろう頃に、「はい、紙に書いて」でやってみたのですが、書けないどころか、何度もこちらに言うように言う学生もいて、意味がわからずに、ただオウムのように繰り返していただけと言うことがよくわかりました。

もちろん、それでも一年ほども勉強していますと、かなり話せるようにはなるのです、「非漢字圏」でも、インド圏の学生たちは。けれども、書けなければ、それで終わりです。伸びしろはなかなか出てきません。この学校の初期の頃でしたが、最後の最後まで「でした」と書けない学生がいました。間違いを訂正され、返されても見もしない。「見て書き直す」ように言ってやっと書く。毎回毎回、こちらも、それを繰り返せません。もちろん、全員ではありませんが、そういう人は言われなかったことをこれ幸いとそのまましまい込んで終わり。当然のことながら、間違いは間違いのまま、気にもしない…ように見える。

が、書けなければ、進学に際しても、就職に際しても、多分、思うような結果は得られないでしょうね。

で、昨日は二度目です。何度繰り返したでしょう。多分、暗記できるほどに繰り返した文を書かせてみました。読むのは三度。たった、三つの「問いと答え」文でしたけれども。

一人だけ、きちんと書けていました。が、判ったように言い、判ったと言っていたそのほかの人たちは、まず単語も間違いなく書けてもいないし、助詞もあったり、なかったり。あっても、間違っていたり…。

繰り返して言えても、それだけのことで、判ってはいない。日本人は判らなければ、繰り返せないので、繰り返せる人を、わかっているものと勘違いしてしまいがちです。けれども、こういう人たちは判っていなくても言えるのです。「理解している」と「言える」とは別物なのです。日本人と同じに考えてはいけません。できていないと言うことを判らせるため、自分たちが書いたものを読ませ、私がその文をもう一度言い…。判ったかなと顔を見ると、三人ほどかしらん、はっとした顔をしたのは。後の人たちは、それがどうした????

こりゃあ、やり方を変えねば…。

試行錯誤の毎日です。

日々是好日
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「商売」を生業とするお国柄でしょうか、なんでも手っ取り早く、簡単に。日本は「手作業」を生業に、なんでも地道にコツコツと。両者は、相容れない…かな。

2023-08-17 08:25:34 | 日本語学校

晴れ。

台風がウロウロしていた頃は、大きな入道雲があちこちにムクムクと頭を上げていましたが、今日は、うっすらとした優しげな雲が、たなびいている…ような景色になっています。

とはいえ、まだまだ「盆」が過ぎたばかり、これで終わりになるはずがない。日本の近海の海水温が高いとなれば、南ではなく、東南でも、多く発生するかもしれず。そうなると、関東を直撃と言うこともあり得る。なにせ、千葉県は高い山がない…直撃されると、されるがままということにもなり得る…。

コロンビアからの学生さんが、「コロンビアは台風(ハリケーンでしょうね)も来ないし、地震も、ちょっとちょっと。とてもいいです」と言っていました。

日本のニュースなどでは、治安の問題ばかり報じられ、いい国という印象はなかったのですが、住んでいる人たちにとっては、それも、多分、「たいしたことではない」。避けるべき所を避け、すべきでないことをしさえしなければ、何事もなく、平穏無事に生活できる美しい国なのでしょうね。

本当に、何事であれ、その地に住んでいる人たちに聞かなければ、判らないものです。もちろん岡目八目は事実でもありますが、大切なのは、その地に住んでいる人たち…なのですから。多分、その国の人にとっては当たり前のことでも、他国の人間にとっては、当たり前でない、あるいは大きな問題となることだって、あるでしょうから。

初めて来日したとか、日本に関する情報が偏っていると思われるような学生たちには、気がついた時に、それなりに、私たちが感じていることを、先回りして伝えはしていますが、これも「日本語力」が壁となることが多いのです。

留学生は、(この学校では「四期」とはいいながら)二年か一年九ヶ月、勉強する人がやはり多い。ということは、一年半か、一年で、ある程度こちらの言うことが判るというレベルまで行かせないと、あとあと困ると言うことになる。この理屈が判らない人が少なくないのが、悩みの種。

最近は、現在二年生のいる、フィリピン人やベトナム人、スリランカ人には、「どうしてきちんと勉強しなければならないかを伝えることが、ある程度できるのですが、同じく二年生がいる、インド人とバングラデシュ人にはそうはいかない。その二年生からして、あまりよくわかっていないのです。日本語を学ぶために日本に来たのでしょうと問い詰めたくなるくらいに。

欧米系の人たちは、日本に関心があり、日本語に興味があってくる人たちが大半でした。その中でも特に漢字に心引かれ、日本文化を知るために、「漢字が書けるようになりたい、読めるようになりたい。またそれが面白い」と思えるような人が少なくなかったのに比して、彼らは「ひらがな」でストップする人が少なくないのです。「『カタカナ』…面倒、『漢字』…難しい」で、思考停止。

「N4」くらいまでなら、400字、500字の文章を読むなんてことも、まあ、ない。漢字がいくつも混ざり、しかも同じ漢字でも読み方がそれぞれ違うなんてことも、あまりない。けれども「N3」くらいからは、文章語が入っていきますし、簡単な文でも、「漢字」がないということはありえないし、「カタカナ」が含まれないということも、ほとんどない。少しやれば、すぐに判ることだと思うのですが、漢字の導入段階で、テキトーにやっていたので、それを取り返すことはもう絶望的。よほど根性がないとできません。なにせ「文字」を「面倒」とか「難しい」で、捨てていたわけですから。

あなたたちの国で、字が書けない人に大切な仕事を任す?と聞くと、それはないと答えるのに。

甚だしい学生は、スマホで文を訳し、それで判った…で、終わり。「判った」じゃないだろう。最近の「生成AI」の進歩を見ると、じきに、それでどうにかなる時代がやってくるでしょうが、彼らは、今、「日本語」を学びに来ているのです。進学を目指し、日本での就職を目的としているのであれば、しかも日本留学という経験があるのであれば、現地で雇用されたのとは違う要求があるはず。それなのに、それがわからない。

職探しで、日本留学を経験の一つに挙げるなら、相手は日本語ができる人として、入れるわけで、日本語の文章が全然読めない、読めないだけでなく意味もわからないとなれば、それは入ってから、自分が望むような仕事はもらえないでしょう。特に「己こそ」と思っている人にとってはそれは屈辱以外の何物でもないと思うのです。そのあげくが、お決まりの「日本人は全然判っていない。頭が悪い」となる。相手に求めるものが彼我で違うから、発生しているのに。

日本ではまず日本語です。

(彼らの来日後)半年以上、それを言い続け、手段を講じ、「こりゃあ、変わらんな」と悟っても、またことある毎に言い募りしきても、変わらないものは変わらない。確かに目先の利からすれば、それでもどうにかなる部分はあるでしょう。彼ら独自の「輪」がありますから。しかし、それは日本において、日本人を眼中に入れていない「輪」であり、この国に居続けるのであれば、その国の人間から敬意を以て遇されることは、まず、ないでしょう。これはどの国であっても同じであると思うのですが。この理がわからない。

滞在している国の人々の大部分が、文字を知らず、他国を知らず、世界で起きている大半のことを知らなければ、多分、英語をある程度話せる人は、エリートとして扱われるのかもしれません。情報が入ってきますから。

けれども、結局は、中身なのです。いくら外国語ができても、中身がなかったり、乏しかったりすれば、相手が興味を持って話したいと思う相手となり得るか…。

特に高卒の学生はそうです。これからそれを身につけていかなければならないのに、その基盤となるべき日本語ができなければ、なにも得るものはない。…何を学ぼうというのだろう。

休みになると、休んでいる学生のことが気になってなりません。時間があるのですから、「カタカナ」文を読めるようになるでもよし、「漢字」を一字でも書けるようにするでもよし。既習の文章をすらすら読めるようにするでもよし。何かしら、有意義に過ごしてもらいたいものです。(一言付け加えておけば、大部分の学生は頑張っています。そうでない学生だけが気になるのです)

日々是好日

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「セミ」の声が聞こえてきません。「ゲリラ豪雨」の雨と風に、たたき落とされたのでしょうか。

2023-08-16 08:06:01 | 日本語学校

晴れ。

今朝は、空き地から虫たちの声が静かに聞こえていました。…今はちょっとは涼しいからいいけれども、陽が高くなったら、どうするんだろう。空き地ですから、木陰を作ってくれるような建物も樹木もない。どこで陽を、暑さを避けるんだろう…。そういえば、「セミ」の声がしない…。

お盆の最中、「台風7号」は、西に逸れ、各地に大きな被害をもたらしています。沖縄や西日本を襲った「六号」同様に。刻々と伝わるテレビの映像が、その、ものすごさを体験しない者にも伝え続けました。ちょうど「お盆」でしたから、「あったこと」として伝えるのではなく、その時、その場所で「ありつつある」というのが、大きかった。

「逸れたな」と見ていたのですが、日本全土を、大きな輪を描くように、雨雲が覆い、ここでも、毎日、幾度か「ゲリラ豪雨」に襲われました。降るのは、短いもので、5分か10分くらいでしたが、「一天にわかにかきくもり、ザァー」ですものね、やはり夕立とは違う…。

もしかしたら、「セミ」たちはあの豪雨によって、地面に叩き落とされ、あえなく一生を終えてしまったのかもしれません。

さて、学校です。

お盆も終わり、今日から夏休み中の授業が再開します。夏休みは、「留学生クラス」だけですから、「夏休み中」というと、ちょっと変なのですけれども。

今、ここに来ている「在日生」たちの様子を見ていて、ちょっと残念なのは、皆、日本のニュースを見ていないということです。中にはテレビを見ている人もいるにはいるのですが、本当に少ない。いるとしたら、ご夫婦の片方が日本の会社で働いているとか、日本語が堪能であるとかいった人くらいですかね。

判らなくても、聞いているだけでも日本語の上達の助けにはなる…と、言っても、なかなか見ませんね。「聞いて」判らなくても、「見て」判る部分もあると思うのですが。それに、「テレビ」は見なくても、インターネットは見るだろう。それで、見られる部分もあると思うのですが。ただ、インターネットの悪いところは、見るつもりがなければそれで終わりになると言うところですからね。

テレビや新聞は、自分が見たり読んだりする「つもり」がいなくても、情報を与えてくれる部分がありますから、それが、自然と、知識として蓄えられることもある。それがないということは、「知りたいことだけを見聞きする」で、完結してしまうのです。その「知りたいこと」というのも、おそらくは、知人の同国人からの情報であったりするのでしょう、きっかけというのは。

テレビのニュースなども、他国と比べると、日本では、かなり公平に作られていると思うのですが。偏った政治的な立場から作られているといった感じはあまりしません。ある局の、ある番組が、少しばかり偏っていたとしても、比べることのできる他局のものがありますし、同じ局の別の番組で調整しているように受け取れる時もありますから。

言葉がそれほどわからなくても見ていた方がいいのですけれどもね。テレビやラジオをつけっぱなしというのはあまり褒められたことではないかもしれませんが、言葉を学ぶ上ではそれも大切なことですから。料理を作りながらでもいいし、子供と遊びながらでもいいのです。

ただ、それを言っても、なかなか実行に移せないようですね。やはり、人は異国にいると、母国のものを聞きたくなるからなのでしょう。情や感覚で動いてしまうのもヒトであるからには、それはしょうがないことなのかもしれませが。

日々是好日
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初めて日本語に触れたという人も、もうすでに、一ヶ月が過ぎています。甘えの段階からそろそろ抜け出すべきです。

2023-08-10 08:06:33 | 日本語学校
晴れ。

時折、ひんやりとする場所を通ることがあります。風の通り道なのでしょう。それでも、歩くと汗が噴き出してきます。暑いことは暑い。まだまだ暑い。

面白いもので、子供の頃に気になって、いつの間にか記憶の底に貯まっていた「詩歌」などがフッと出てくることがあります。全く関係のない時に浮かんできたりするので、困ってしまうのですが。記憶の片鱗と現実と、何か関係があるのかもしれませんが。

最近は、「ちと用ありて、あの世へと言へ」だったり(あの世は嫌ですね)、「日は花に暮れて、さびしさあすなろ」だったり。…このときは悲しかったのかな…と思わせられたり。

中には誰の言葉だったのか忘れてしまっているものもありますし、「詩歌」のうち、全部覚えているわけでもないのですが。けれども、フッと出てくるのです。そして一度出てきたら、まとわりついて離れてくれない。人間の脳構造なんて、ホントに、わけがわからない。

おそらく、ガリ勉をしていた人も、必死に覚えたものが何かの調子に出てきたりすることがあるのでしょう。これは覚えようとして覚えたこと。心に、自然にとまったものとは違うにしても。

さて、学校です。

昨日は、例の「ゲリラ豪雨」です。ザァーというか、バシバシバシというか、そんな激しいものが急に来て、そしてプツンと上がった。

午前のクラス(「Cクラス」)では、叩きつけるような音に気づいて、皆、一斉にガラス戸を見た。途端に「おう」。みんなびっくりしていました。以前、夏によく起きていた、「夕立」などは、これに比べれば、かわいいものです。「雹」が降らなかっただけ、めっけものだったかもしれません。

ミャンマーから来た学生が、「同じ」と言いましたから、かの国ではこんなのがよく降っているのでしょうね。

クラスができあがっている「Cクラス」では、安心して授業ができています。向こうもこちらのやり方が判っていますし、「ツーと言えば、カー」、「天と言えば地」るみたいな感じです。こちらも気兼ねなく、大きな顔で文句が言えますし、向こうも、判らなかったことや、休んだ時には前日のことなどを聞いてくれています。

その点、七月に始まった「Cクラス」は、まだまだですね。「核」になる人、まだ決めかねているくらいですから。同じような「在日生」であっても、「Cクラス」の人たちのような必死さがないのです。「Cクラス」では、彼らが求めるものをこちらが渡すという感じでできる部分も少なからずあるのですが、「Dクラス」では、彼らが求めているものの正体が掴めない。ただ、なんとなく来ているだけ…といった感じの人もいる。

「留学生」にしても、まだ「10課」くらいのものだし、「漢字」も入っていないので、簡単だと思っているのです。テキトーにやっているというのがよくわかります。それで、昨日は、「イ形容詞」「ナ形容詞」の活用を、裏紙に書かせてみました。たった三語だけだったのですが、全部あっていた人はいません。授業をしながら、隙を見て、チェックしただけして返し、「見てみろ」(こうは言いませんでしたが)。…初めて日本語を始めたという人には少々気の毒だったのですが、いつまでも彼らに合わせての授業はできません。そろそろ彼らが合わせるべき頃と見ました。

そして、それを(見させて)、見たとおりに言わせると、自分の間違い、できていなさ加減というのものが、二人か三人にはわかったようで(慌てて書き直していた)、おそらくこの「判った人」というのが、これからは核になるのでしょうし、また、核として育てていかねばならないのでしょう。

書かせる前に、あれだけ繰り返していたのに、その単語をもう一度言ってくれと言った学生さえいました。「今、練習したばかりの『単語』です。判りませんか」冷たく突き放すと、意味がわかったようでした。不満そうな顔はしていましたが。

初めて日本語を勉強するという人には、時間をかけて、何度でも言ってやっていい。しかし、「初めて日本語を勉強する」とはいいながら、すでに一ヶ月を過ぎている人には、そこまでしてやる必要はないのです。まして、留学生で、曲がりなりにも「N5」に合格して来日しているという人には。二度繰り返せば十分。それで書き取りができないというのなら、いかに自分が、テキトーに勉強していたかということになる。

毎日の宿題で、「単語」は三回ずつ書かせられています。復習にしても、昨日は「10課」でしたから、「8課」の単語なんて、もう一週間以上も毎日繰り返して口頭練習をしている。それでも、わからなくて「もう一度言ってくれ」はないだろう。

日本語が初めてだと言っている人も、未だに「カタカナ」が覚えられないということは、勉強の習慣がないか、やる気がないかのどちらか。いつまでもその人たちに引きずられていれば、いつまで経っても、このクラスは成長できないということになる。八月に入ってから、彼らにはかなり厳しく対するようになりました。

「(思い出すまで)待って」、あるいは「もう一度(言って)」というのは、もう通じません。担任によるディクテーションが始まれば、聞けるのは三回と、相場は決まっている。それで聞き取れるように、練習するというのが筋であって、自分が聞き取れるまで何回も読んでくれと言うのは、甘えです。

一応、こういうやり方を少しばかり続けてみて(いつものやり方です)、それでできないという人たちばかりであったら、ずっとレベルを落としてやっていかなければならないのでしょうけれども、おそらく何人かはこれでやっていけるような気がしています。ただ、初めて日本語を勉強し始めた人たちをこちらがカバーしているのを見て、自分たちもそれと同じにタラタラやっていいと思っているだけのような気がするのです。

できないのなら、次の「十月生」が来た時に、また一緒にやればいいのです。実際に「四月」に始めていても、「疲れた」とか言って休んだり、きちんと文字が書けていなかった人は、今「七月生」と一緒に勉強しているのですから。

日々是好日
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「日本に来た」…で、そこから思考停止になってしまう人がいる。本当は「これから」なのに。

2023-08-09 08:20:45 | 日本語学校
晴れ。

うちを出た頃は、「カンカン照り」でした。それが今では雲が空全体をうっすらと覆っているようにも見える…、日はまだ照っていますが。…予報通りになるのでしょうか。いつもの道を通りながら、裏切られた…暑い、暑いと思っていたのですけれども。

スーパー横の「サルスベリ」の花が蝶型に落ちています。落ちても、色は、まだ健在です。散りてもなおという感じですかしらん。端にはすでに茶色になった「なれの果て」の姿もあるのですが。今日も足場を確認しながら、下を向いて歩いていますと、黄や白やピンクの小花があちこちに咲いていました。暑い中で、しかも雨もほとんど降っていないのに、健気です。

公園が向こうに見える頃から、セミの声が聞こえてきます。最近はポトリ、ポトリと落ちている「セミ」をよく見かけていたので、やはり「ミンミンゼミ」さんは、この暑さにへばって、体を持ちこたえられなくなっているのかなと思っていたのですが、どうも声は一色ではない…。

「ミ~ン、ミ~ン」と「ジリジリジリ」と「シュワッチ、シュワッチ」と、どうも三つの音が聞こえてくるような。風も「盆明け」くらいのもの(涼しさが感じられます)が、早朝には吹いていましたから、勘違いしたのかな、それとも暑さは峠を越えたのかな。台風7号のせいで、熱い空気がこちらに流れ込んでいると思っていたのに…などと、あれこれ考えながら、いつも通りの道をいつも通りに、学校にやってきました。

さて、学校です。

「Dクラス」は、どうも、まだ、まとまりに欠けるような。留学生が三人しかいない「Cクラス」は、三ヶ月経ってきっちりとまとまっているのに、留学生が半分以上を占める「Dクラス」はどうも締まらない。ぼうっとしているのが2,3人いる。暑さのせいかとも思うので、あまり厳しくは言っていないのですけれども、授業がやりにくい。しかも昨日は中心メンバーと目している学生が二人も休んでしまった。で、どうもいけない。

特にネパールの学生は「日本に来られた」で、そこで思考停止になっているような。来られたから、もう、それでいいみたいな。本当はこれからが大変なんですが。(こちらは)困って、話しかけようにも共通の言語が、まだない。

スリランカとベトナムはいいのです。しっかりした二年生がいますから。「入学式」後の「茶話会」で、通訳してもらったのですが、こちらが一言厳しいことを言うと、10倍くらいの量で説明している。顔つきから見ると、私よりもきついことを言っているのがわかります。特にスリランカの女子。

ところが、「コロナ禍」で、ネパールからの流れが切れたのです。今年、新しく来た三人は、これまでのルートとは違うところから来ています。つまり、「コロナ禍」前に、私たちが数度ネパールを訪れ、そこでの面接で、厳しく言ってきたことを経験していない人が間に立っているのです。ほかの日本語学校だってそれでいいのだから、適当に真面目で問題行動も起こさなそうな人なら、だれでもいいでしょという感じで、紹介しているのかもしれません。私たちの面接では、まず、勉強しているかどうか、それから勉強する気があるかどうかなどを見て、それで判断していたのですが、そんなことをする人はあまりいないでしょう。最初は確かに、皆そうでしたもの。

入れた後も、勉強するかどうか、やる気があるかどうかを見ておいて、それから紹介してもらっていましたもの。

スリランカも同じですが、一応先輩がいるので、こちらの所存は伝えられる。

ネパールはどうしましょうかねえ。一人、私たちのやり方、心持ちが、伝わらなそうな人がいるのですが。白紙で来ていても、四月から、「Cクラス」で勉強してきた学生は、すでにある程度はやり方が判っているので、適当にお茶をごまかすと後でひどい目に遭うと言うことを知っている。まあ、彼女は真面目で、授業のほかに、補講もきっちり受けていましたし、宿題もやっていましたけれども。多分一人は、来日したばかりの頃の感覚でいるのではありますまいか。下しか見ないタイプで、はっと気づいた時には、自分が一番下になっているというふうな。

すでに一ヶ月経っているというのに。

白紙の人が四人いましたから、このクラスでは「文字」も比較的ゆっくりやってきました。それを見て、「ああ、『あいうえお』か。私は『書ける』。ほかの人たちは、それすらも書けないのか」という気持ちが、未だに続いているのではありますまいか。

白紙の人は、留学生ではないので、早めに来させて補講すると言うわけにもいきません(うち、一人は高校受験を目指しているので、来させて、文字やらを補講しましたけれども)。普通なら、今頃は「漢字の導入」が終わっているところなのですが。

同じく高校入学を目指しているのに、のんびりしていた男子には、この期間を利用して、毎日「カタカナ」を書かせています。放っておくと、私が教卓についているのに、机に本を置いて、じっと私を見ているだけなのです「早く来たのに、なぜ単語を覚えない!字を書かない」とやると、(私の剣幕を見て)は本当にギョッとしたみたいでしたが、それも最初だけ。二日目からは、言われる前に、文字の練習をするようになりました。やり方も判らなかったようですね。見ては書く。つまり写しているだけだったのです。ですから、別の紙を渡し、それに書けとやって初めて、書けないことに気づいた…。次からはそうやって練習するようになりました。頑張らなければ、二年で「N2」は難しい。最低、「N2」くらいは取っておきませんと、高校で友達とも話せない…友達ができない、先生に質問もできません。

日々是好日
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今年は、「入道雲」をよく見かける…。

2023-08-08 15:28:52 | 日本語学校
晴れ。

うちを出て、角を曲がると、すぐに、空に大きな「入道雲」が湧き上がっているのに気がつきました。後から考えると、一番の峰が見えていたようです。

力こぶを見せつけているかのような部分や、拳を振り上げているような部分が見てとれます。もう少し育つと、子供の頃に見た漫画そのままの「大入道」になるかもしれません。「大入道」か、目を大きく見開いて、腕をぶしている、「仁王様」…をかわいくしたような姿を想像して、思わず笑ってしまいました。朝から笑えるというのは、縁起のいいこと。

「入道雲」なんて、以前は海にでも行かぬ限り、気がつかなかった…。まじまじと見たりはしなかった。今日の雲は西の方角から立ち上がっていたので、これも台風の影響なのかもしれません。最近は、入道雲をよく見かけるような気がします。

昨日はこちらは雨が降らなかったけれども、馬の背を分けるという言葉そのままに、ちょっと行った先で降ることもあったようで、いくら晴れていても、なんとも、安心できません。

さて、学校です。

「Aクラス」が夏休みに入って第一日目。ただ「J.TEST」の申し込みのため、何人かは登校していましたから、休みという感じにはなっていなかったでしょうね。その中に一人、英語だけで入れる大学があると言い張る学生がいて、「日本にいて、日本語を学んでいるのに、それはないだろう。少しでもいいから、漢字を覚えなさい」と言って、一度は帰したのですが。

それから、進路指導の教師が調べてみると、彼が言っている大学は、確かに「英語の資格」だけで入れるようで、思わず、「えっ。日本の大学なのに…」

国が貧しく、自国では仕事も探せないような場合は、英語が確かに武器になるようですが、日本ではそれほどのことはない。英語が話せなくても、真面目で誠実に仕事をするのなら、日本語だけで十分、仕事は探せます。まして留学生ですから、大学か、専門学校を出ることになるので(国で大学を出ている人はまた別です。日本語力がある程度あれば、仕事探しは本人の実力次第)、全く日本を知らないというわけでもない。これまでは、専門学校出は、専門分野に限って(の仕事)というのがついていたけれども、それもなくなるという話なので、嫌いさえしなければ、どこかの会社には入れる。

日本で日本人は、英語無しに様々な仕事をしていますし、それで、ある程度の生活はできていますし。

確かに英語はできたほうがいい。他言語でも同じです。けれども、「生成AI」系の最近の発達を見ると、英語教育を早くから始めようという勢いも下火になっていくのではないか。それよりも、考える力を育てるべく、「学習言語(日本の場合は日本語です)」の獲得に力を注いだ方がいいのではないかと考える人も増えてくるのではないか…。そんな気もしてきます。

現代日本を作り上げた「明治の偉人」たちの英語学習なんて、教育と称せるようなシロモノではありませんでした。ただ、中学校へ進めたのはほんの一握り。英才教育にちかかったのでしょう。だからできたともいえるのでしょうが。辞書を一ページ暗記する毎に食べていたなんて笑い話があるくらいですもの。そして勉強というものも、「基礎から順を追って」云々ではなく、最初っから「原書」を読むだったとか。これは江戸期の「蘭学」を学ぶ時と同じような気がします。

成人してから、あるいは年を取ってから、ある知識や情報を身につけるために、英語が必要だったから始めたという人も少なくなかったらしい。始める理由が、きちんとあったのです。だから、その英語力を生かして、国を発展させていくことができたのでしょう。闇雲に何でもかんでも「英語教育」というのではなく、必要な人が、必要に応じて、学んだから、役に立ったのでしょう。

私の父の世代は、「発音」は、まるで中国の漢字を日本語の音読みでやるみたいなものでしたが、書けていましたし、読めもした。それでよかったのでしょうね。まだまだ必要な知識や情報は、読んで手に入れていた時代でしたから。またそれを理解できるだけの能力はあった。学習言語が確りと身についていましたから。

必要ないのに早くから始めるというのは、おそらくは「発音」を気にしているからなのでしょう。

「生成AI」も、今の段階では、まだ「旅行」するのに役立つくらいのもので、個人の英語力に取って代われるところまではいってはいませんが、将来的には、できるかもしれませんね。ただ問題はそれを用いる人の能力です。「学習言語」が、確りと身についていなければ、いくら役に立つものがそばにあっても、使いこなせないということにもなりかねません。

あの学生には、うまく大学には入れたとしても、日本語が読めなければ、結局は仕事を探す時に頓挫してしまうよと言っているのですが、これまで、ずっとそう言ってきても、彼の心にストンと落ちては行かなかった、今回もきっとそうでしょうね。残念ですが。

日々是好日
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大学の「受験資格」…大変。「非漢字圏」の学生にとってはハードルが少々高すぎる。「漢字」が一つ一つ読めても書けても、文章を読んで判るかというと、これはまた別問題。

2023-08-07 08:08:22 | 日本語学校
晴れ。

暑い。昨日、突如雨が降り始め…、もっとも、すぐに止んでしまいましたけれども。それでも、久しぶりの雨で、焦げ付いていたアスファルトもほっとしたことでしょう。

今日も、先週同様、晴れて、暑いのですが、台風の影響でしょうか、夕方にはちょいと雨が降るかもしれないとのこと。

考えてみれば、子供の頃は、「『夕立』がザッと来ると、(公園で遊んでいた子供らは)大騒ぎして蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う」というのはごく普通の光景でした。「虹」も、よく見ていたような気がします。そういう光景も、思い出も、かすんでしまいますね、こう35度前後の気温が続いてしまうと。

今朝、昨日の「ちょい雨」のおかげでしょうか、黄色くへばっていた「エノコログサ」の横に、緑の「エノコログサ」をいくつも見かけました。それから「マツヨイグサ」が首を長くし、東北方面を目指しているのも見かけました。近所の「マツヨイグサ」は首がずっと短いのに。なんででしょうね。

さて、学校です。

「Aクラス(留学生クラス)」は、今日から夏休み。新学期は「8月28日」からです。とはいえ、「J.TEST(A~C)」に申し込まねばならぬ人たちが数人いて、その人たちは、今日か明日来て、申し込みをすることになっています。大学の入学試験参加資格が、「『日本留学試験(EJU)の日本語』、または『日本語能力試験(JLPT)のN1またはN2』、または『実用日本語検定(J.TEST)のA-Cレベル』を受験して、結果を提出できる者」となったからです。

そこまで「要求されている」とは思っていなかったので、この「七月」の試験では、昨年の「十二月」に「N3」に合格した人は「N2」を、少しばかり点が足りなかった人はもう一度「N3」を、そして「十月生(来日できたのは、『一月生』とほぼ同時でした)」と「一月生」は、初めての試験なので、まずは「N3」をと、していたのです。

「漢字圏」の学生でしたら、「N2」から始めてもいいのですが、「非漢字圏」の学生にとっては、最初が「N2」というのは、ちと荷が勝ちすぎる。まずは「N3」で予行演習をしてから…というのが、これまでのやり方でした。

誰にとっても、「不合格」というのは辛い。まずは安全を期して…だったのですが、これからは「漢字圏」の学生並みにやっていかねばならなくなりそうです。大学によっては、受けて、成績さえあれば、考慮するとのことですから。

というわけで、今年は間に合わない。で、どうするかということで、「J.TEST(A~C)」になったのです。

そこで、早速、過去問を取り寄せ見てみると、「読解問題」以外は、「N2」レベルですから、それほどの難はない…。ただ「読解」はちょっと…「保険」やら「雇用」やら、こんな単語はまだ入っていない…まだ、「N2」レベルなのですから。…どうするか。

う~ん,このクラスには、大卒者が数人いて、就職活動も始めたいという人もいることだし、本来なら、「12月」の試験が終わってから、「ニュース」などの時事問題を扱っていたのだけれども、それを新学期からやるか、「時事」云々以前の問題もあることだし…。などと、新学期からの「読解」を考えています。早いにせよ、遅いにせよ、将来、日本で生活していくとしたら、「時事」について知っておくことは、悪いことではありませんから。…それにしても、大変です。「N2」を受ける方がずっと楽でした。教師にとっても、学生にとっても。

日々是好日
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日本では「格差」が問題にされているけれども、留学生たちの国の現状を見ると、何も言えなくなってしまう。

2023-08-04 08:21:22 | 日本語学校
2023/08/04

晴れ。

今朝も暑い。いつまで続くのだろうと、天気予報の画面をじっと見てしまう…。前にはお盆までとか言っていましたっけ。「え~、お盆までこの暑さが続くのか」とゲンナリしてしまったものでしたが、いつの間にか、もう八月。最近は、来週は平年並(30度ちょっと超え)になるそうで、暑いことは暑い…ものの、35度超え付近をうろうろされるよりはずっと増し。早く来い来い、月曜日という感じでしょうか。

学校へ来る途中、五つ目の角のお宅に、毎秋、ワンサカと「ハギ」の花が咲いているのですが、今朝、枝の先に小さな葉が、巻くような形で顔をのぞかせているのを見つけました。

「ハギ」は秋の七草の一つですから(「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」)、どうしても「草」と思ってしまいがちなのですが、長く伸びた枝が、どうも「茎」らしくないと、前々から困っていたのです。それで、調べてみると、やはり落葉低木でした。ただ、「フジ」のように、しっかりした幹から伸びているという感じではないのですが。葉が増えて枝が長くなるに従い、花の姿が想像できるようになって来ます。そして花が咲くと、秋が感じられる…秋すなわち「涼」ですからね、待ち遠しい。

さて、学校です。

「Aクラス」では、来週から「夏休み」。もうすでに「心ここにあらず」という人もいるようで、見つける度に、「まだだからね」。ただ教える課が、中途半端になりそうなので、先には進めず、「中級(読解)」の復習やら、日本紹介やらをしています。何が見たいかと学生に聞くと、「祭り」が出てきました。

祭りねえ。いろいろな祭りがあるし、一言では括れないなあ。…で、まず最初に「阿波踊り」「よさこい祭り」を紹介。次に「青森ねぶた」「山形花笠まつり」「秋田竿燈まつり」「相馬野馬追」「仙台七夕」などをちょいちょいと紹介してみました。この中で、学生たちが興味を持ったのは「野馬追」。ただ自分も参加したいと、「東京でもあるのか」と聞きに来たのは「よさこい祭り」だけでしたが。

日本」そして「文化」というと、京都を、皆、イメージするようで、「京都だけではない文化」が、案外知られていないということにも気づかされました。

今回紹介したのは、山ほどある(日本の)祭りと言われるもののうち、ほんのわずかでしかありません。日本には、「町」ごとに、いえいえ「村」ごとに、いえいえ「集落」毎に、「祭り」と言われてきたものはあって、しかも、その伝統を、今でも守っている共同体も、少なからずあるのだということは、なかなか伝えられません。

「祭り」が存在し続けるというのは、ある程度の経済力も必要だからでしょう。けれども、お金だけではどうにもなりません。その地に暮らしている「皆」が、やる気にならなければ、日本の祭りは滅びます。皆の「続けていこう」という意志が肝心なのです。

こういうものが伝えにくいというのは、おそらく、(前の学生が卒業する頃に)「日本の田舎を見たい(自分たちの国のように「貧しくて、学校にも行けない」ようなものではないのか、都市部と同じような生活レベルができているのか…先生はそう言ったけれども、信じられないから)」と似たようなものかもしれません。

以前、北京に留学した時も中国人の反応は似たようなものでした。

「東京から来たのではない」と言うと、「へっ。東京じゃないのか。じゃあ、貧乏人だ。中国に来る金はどうした?」と言われたものでした。最初はどうしてそんなことを言われなければならないのかと不思議でたまらなかったのですが、次第に、中国と同じに見ていることに気づいてからは、「日本ではどこに住もうと同じだし、だいたい、皆、住むところを勝手に決められるのだ」と説明を加えることにしました。すると、今度は向こうが理解できないようで、「じゃあ、なぜ、おまえは東京に住まないのか」と聞く。私が「なぜ、東京に住まなければならないのか」と言うと、「当たり前だ。中国人は皆、北京に住みたがる。自分は北京に住んでいる」と誇らしげに言う。全く、日本人から見れば、わけのわからないです。

それも、中国を旅しているうちに判ってきました。中国の田舎は、確かに貧しい。人々は自由に住処を決められない。大部分の人たちは、その地に縛り付けられている。田舎は気の毒だ。田舎の人は、知識も限られている…(八十年代中期のことですが)。

彼らの国では、格差はあって当然という目で皆見ているのでしょう。日本人が、経済的に相当豊かな家でも、人を雇い、掃除させたり洗濯させたりしないというのとは違います。彼らの国では、大した給料をもらっていないような家でも、掃除・洗濯をする人を使っているということも多いのです。つまり、信じられないような低賃金で人を雇えるのです、特に女性を雇う場合。手伝いさんがいる」と言ったので、給料を聞くと、あまりの安さに驚いたことがありました。

日本人商社の家族が東南アジアなどへ行って、手伝いの人を雇っても、うまく使いこなせないのも、私たちが「同じ」と見てしまい、そこに雇用関係を認めることが苦手だからでしょう。会社であれば、それができても、「家事」には。故に「命令」ができない。特に、普通の家庭で育った日本の人は。

面白いですね。彼らは残りの数ヶ月で何に気づき、どう理解していくのでしょう。それに期待したいです。

日々是好日

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