日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「梅雨入り」。「バラ、アジサイ、ツバキ。庭木?のフルーツ」。

2011-05-31 08:40:57 | 日本語の授業
 久しぶりで陽が射した…ような気になるから不思議です。
まだ、本当に5月なのですよ。昨日、学生から、「梅雨」はいつまで続くのかと聞かれました。私も答えられませんでした。平年よりずっと早い、5月での「梅雨入り」。もしかして、万一、「梅雨」が早く終わったりでもしたら…、そして灼熱地獄だった、去年のような酷暑の夏であったりしたら…と、どうも、悪いことばかり考えてしまいます。

 今年は、「緑のカーテン」を作ろうと、「ゴーヤ」や「キュウリ」などが園芸店で売れているそうです。中には売り切れたところもあったとか。「どうせカーテンにするなら、食べられるもので」。誰しも考えることは同じようですね。

 それに、葉物について、とやかく言われていることから、「ええい、自分で作っちゃえ」と、これも買う人が増えたとか。こうやって不況時であっても経済は廻っていくのでしょう。半分以上は我が身のためとはいえ、お金が動くというのは、いいことです。タンス預金や現物に換えようとあくせくせずともいい国に生まれて、よかった…。

 さて、学校です。
先週の金曜日が「横浜散策」で、教室での授業はありませんでしたし、土曜日と日曜日は、休みでしたから、当然、こうなるであろうという予測はついていたのですが、しかし、困ったことに当たってしまいましたね。みんな、きれいに、木曜日までの授業内容を忘れていました。しまったという顔であったのは、ほんの一人か二人。あとの連中は、初めて聞くような大らかさで、「ほう、(そうであるか)」…。もう、まったく…こうまで惚けられると、叱る気にもなれません。

 そんなわけで、「Aクラス」では、「梅雨」の話になりました。横浜では「バラ(薔薇)」という名を覚え、梅雨では「アジサイ(紫陽花)」という名を覚える。そうやって四季を感じる習慣をつけてほしいのです。で、『日本の樹木』という写真集を見せながら話していますと、「あっ。これ、知っている」とか「あっ。これ、見た」とかいう声が上がった花がありました。

 「ツバキ(椿)」です。この花の季節が終わったばかり(本来ならとっくに終わってしかるべきなのですが、観賞用のものが出回り、花はますます大きく、華やかに、そして遅めに咲くようになっている)なので、まだ印象に残っているのでしょう。

 以前、南国から来た学生が、「どうして日本の庭には、フルーツの樹がないのか」と言っていたそうです。彼らの家には「ドラゴンフルーツ」とか、「バナナ」とか「椰子」とか、とにかく一年中、何らかの果物が枝もたわわに実っており、お腹がすけば、庭に出て、それをもいで食べれば、それでよかったのでしょう。だから不審に思ったのでしょう。どうして植えないのだろう、ああいう果物を。おいしいのに。

 彼らの頭には、日本には「冬」も「秋」も「春」もあるのだということが入っていないのです。そして、そういうフルーツは南国では実っても、日本ではすぐに枯れてしまうし、よしんば植えるとしても温室でやらねばなりませんから、庭で野放図に大きくなるというような夢は語れないのだということが、今ひとつ理解できていないのです。

 日本の場合、庭に植える果樹としたら、せいぜい「みかん(蜜柑)」類くらいでしょう、大きいのは。あとは小鳥たちを呼ぶために、庭が少しでもあるお宅では実のなる木を植えたりしていますが、それとても、小鳥用であり、人がそれを食べるということはあまり考えられません。

 「樹の花」に感動する国の人もいれば、「果物」が実っていないことに寂しさを覚える国の人もいる。本当にいろいろです。

 「Aクラス」では、かなり話せるようになっていますので、こういう話(文法とか新聞用の単語ではなく)になると、俄然、みんな張り切ってしまいます。これを喜んでいいのか(少なくとも、アルバイトを探し、そこで日本人と雑談ができるほどになった)、それとも、悲しんでいいのか(学校で教えている言葉は、なかなか身に付かない)、わかりませんけれども。

日々是好日
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「梅雨入り」。「『横浜散策』顛末」。

2011-05-30 08:34:25 | 日本語の授業
 土曜日、日曜日と、「梅雨入り」するや否や、雨、雨、雨です。そして今朝も雨です。

 お昼には関東地方は上がるとのことでしたが、被災地はどうでしょう。地盤が弛み、しかもぐっと沈んでいるそうですから、台風と大潮とが重なったら、大変です。

 そういえば、中国の内陸部から来ていた友人に、潮の「満ち干」のことを聞かれたことがありました。私たちにしてみれば、あまりにも当然のことで(新聞にも干満時間が載っているくらいです)、聞かれたこと自体に戸惑ってしまいましたが。

 日本という国は海岸線が長いのです。漁で生計をたてていない者でも、子供の時から臨海学校とか、学校や地域の、様々な催しが海や海の近くであります。その上、そのたびに、「潮が引いたから、さあ、『汐干狩』ができる」とか、「潮が満ちてきたから、上がれ、上がれ」とかいう大人の言葉を聞いた経験があります。

 風土というものは、本当に不思議なものです。それによって人間が形作られていくというのもわかります。今回の震災でも発揮されている、「東北人」の粘り強さと我慢強さ、そして連帯感。それは南国の人間の、及ぶところではありません。

 さて、街は「アジサイ(紫陽花)」の出番が来る前に「梅雨入り」したようです。まだ5月だというのに、雨、雨、雨なのですから。まだ街は「バラ(薔薇)」で装われているというのに。

 ところで、金曜日の「横浜散策」ですが、一度だけほんの少し、小雨がぱらついたくらいで、どうにか傘をささずに(その時だけはさしましたが)廻ることができました。洋館も二つほど見学できましたし、洋館にはバラがつきもので、その傍で写真も撮れました。「港の見える丘」は、あんなお天気の下でも、海が広々と見え、そこを行き交う船も見え、その傍らにはベイブリッジも見え、みんな「キレイ、キレイ」と、はしゃいでいました。

 途中、内モンゴルから来女子学生が、「あの、大きなきれいな花」と、両手で大きさを示して、中国へ持って帰れるかと聞くのです。「バラ」のことです。「あんなに大きくてきれいな花を見たことがない」。母堂が花好きなので、今度帰国するときにはプレゼントしたいと言うのですが、「土」が付いたものは確か、輸出入はできなかったはず…。

 それから、彼女は日本の「花木」に驚いていました。内モンゴルにも、樹はあった。けれども、樹は樹で、緑化事業の一環のものであり、ただそこにあるものという感じで、花が付いているとかいないとか考えたことすらなかった。日本の樹には花が付いていると、驚いているのです。彼女曰く、しかもみんなきれいな花であると。

 横浜は、洋風の建築が多いし、そういう街を彩るためには、まず、洋物の花でしょう。それに横浜を好む若い人が庭に植えるなら、小鳥を呼ぶための実生の樹か、きれいな花の付くものと、だいたい相場は決まっています。

 ただ、そういう街を離れて、山里にでも行くと、もっと自然に心が洗われるような花木があるのです。いわゆる「山野草」です。それで、そのことを言っておきます。緑が深いと花が映えるのです。花、花、花、に取り巻かれてしまうと、反対に花同士が、美しさを相殺しあってしまいますから、あまりいいことはないのです…というのは、日本人的な感じ方かもしれませんが。

 それから階段をどんどん下っていきます。その果ての「山下公園」では、みんな、「氷川丸」の前から動きませんでしたね。とはいえ、もうお腹はグウグウ。一緒に乗る体力はありません。それで乗船するための値段と時間をチェックして、解散後に乗りたい人は乗るということで、中華街へと急ぎます。ここでの自由時間は一時間半。そしてそれぞれ、食事をしたい者は食事をし、見物をしたい者は見物をするということで、集合時間と集合場所だけ告げて解散です…。

 ここでも、二年生が頑張ってくれました。一年生を引っぱって、あちこちへ連れて行ってくれます。だれか見当たらなければ、すぐに教師に知らせてくれます。

 というわけで、事故もなく、無事に皆、帰れたようです。けれども、びっくりですね。皆が帰り着くまでは、お空から涙が降ってこなかったのですから。今から考えれば、暑くもなく、ちょうどいいお天気で、ハイキングができたような具合でしたし。

 さて、今日からまた勉強です。

日々是好日
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「横浜散策」。

2011-05-27 08:19:58 | 日本語の授業
 曇りです。雨は降っていません、確かに。昨日、お日様が見えたとき、皆で、「今日と明日が変わっていたらよかったのにね」と言い合ったものでした(予報では、今日、つまり、明日は雨のはずでしたから)。それに、天気の具合も夕方からぐっと暗さを増し、夜になると、雨まで降り出していましたもの。

 「てるてる坊主」が役に立たなかった…と思いながら就寝したのですが、朝起きてみると、曇ってはいるものの、雨は、ポツリとも来ていません。それどころか、時折、陽まで射してきます。

 本当に、きっと、今年の4月生の中には、お天道様にかわいがられている学生がいるに違いありません。昨年など一週間前までは「晴れマーク」だったのに、活動日が近づくにつれ、「曇りマーク」に変わり、それがいつの間にか「雨マーク」になっているという、恐ろしいことが続いていました。一日か二日ずらしても、この「雨の呪い」は消えないといったふうでしたのに。

 今年は、完璧です。晴れていないなどと文句を言うと罰が当たります。

 さて、それで、今日は予定通り、「横浜」へ行くことができます。ベトナム寮へ行き、寝ていようがどうしようが、布団を引っぺがし連れて行きます(一応、一昨日は、殊勝な様子で、「はい、絶対に行きます」と言っていましたが、問題は時間なのです)。

 前回は騙されて、安心して、先に行ってしまったので、今回はあの轍は踏むまいぞと決心しています。また彼らにも公言し、集合時間15分前にドアをノックし(彼らの寮は、学校の裏です。声をかければ聞こえる距離にいます。駅まで私の足でも10分程度です)、いやいや、それでは、ぎりぎりになる。とはいえ、約束は約束。ちょうど八時半になる頃に着くようにしましょう。

 ところで、この「横浜散策」ですが、私たちが思っていた以上に学生たちは楽しみにしていると見えます。「横浜」と言っても知らない人が多いだろうから(今年は中国人は半分くらいで、他の国の人の方が多いような感触…本当は中国人の方が多いのですが)、「横浜」の特長を言って、歴史を言ってとか考えていましたのに、タイ人の中学生さんまで(彼女は、午前中は日本語学校で勉強し、夜は夜間中学に通っています。本当の中学生さんです)、「みんなと一緒に行きたい」と言い出す始末。

 二年生は、去年一年でいろいろな情報が入っていますから、それも当然なのですが、今年の4月生まで、そうとは…。ちょっと驚きながら、担当の教員が説明をしていました。

 主に「時間厳守」と「靴」、それから「食べ物のと飲み物」の件です。なぜ、特に「時間厳守」が大切かと言いますと、ここから横浜までは一時間半ほどもかかるからです。遠いのです。

 「東西線」で、「行徳駅」から「大手町」へ行き、そこから構内を歩いて「東京駅」まで行きます。そしてそこで、「JR京浜東北線」に乗り換えて「横浜の石川町」まで参ります。

 所要時間は併せて約一時間半。何せ、タッタッタと歩くことができない人たちが多いのです。ゆっくりと周りを気にせずに歩きます。その上、幼い気分の人たちもいるので、放っておくと、道一杯に広がり、また鬼ごっこまで始めたりする時があるのです。

 彼らにとっては久しぶりの息抜きタイム。うれしくてうれしくて、気分が高揚してしまうのでしょう。ですから、私たちも他の人の迷惑にならない限りは、そのままにして、叱るようなことは、あまり…しません。いつもはアルバイトに、学校の勉強にと追われているのですから。平日は鬼の私も、仏になります。

日々是好日
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「イタチの最後っぺ」。

2011-05-26 10:43:04 | 日本語の授業
 晴れ、今日も、晴れ。今朝は晴れています。とはいえ、夕方から雨が降り出すという予想が流れていましたから、明日はどうなりますことやら。

 時々、ふと、
「われは化けたと思へども 人は何とか思ふらん」(『釣狐』の中の台詞)。
という気になることがあります。

 今、ここにいる私が本物の私なのでしょうか、それとも本物の私が別にいて、どこかでこういう私を見ているのではないでしょうか。本当の私とは、もしかしたら「カタツムリ(蝸牛)かもしれぬし、狐かもしれない。あるいは石ころであるかもしれないし、遙かかなたの古木であるかもしれない。そうして、この世界は、本当は夢の世界であるかもしれない。

 宇宙とか次元とか、難しいことはわかりませんが、以前、一枚の大きな、つまり宇宙が入るほどの大きなマットレスに、プチプチがついたような、いくつもの次元が隠されており、しかもそれが宇宙毎に存在しているという図を見たことがあります。この道を右へ曲がらずに左へ曲がったとしたら、というただそれだけで別世界が築かれたとしたら、それが各人について成立していたとしたら、この世は膨大な数の世界が幾重にも重なりあっているのだと。それでも、この多次元の世界はそのすべてを納めてもまだ余裕があるのだと、こうなりますと、もう何が何だかわからなくなってしまいます。

 「個」とか、「ただ一人の自分」とかいう言葉が、意味のない念仏のように響き、いつしか、自分の影が薄くなり、過去と現在さえも解け合い、区別がつかなくなってくるような気がするのです。

 話は元に戻りますが、「化けている」にしましても、それが幾十年にも及んでいますと、「化けた」という自覚すらなくなってきます。この虚の世界に素直に適応しているのです。そしてまた、ふと考えたりします、自分の本性とは、なんであったのかと。

 さて、学校です。
 この学校でも、異国から来た学生たちが仲違いをし、揉めることがあります。以前多かった中国人学生の場合、大半が寮生活の経験があり、内心では少々嫌い合っていようとも、それを表面に出さずに、二年ないし一年半ほどを乗り切ることができていたようですが、国や民族の数が多くなりますと、自然に、なかなかそう大人にはなれないという人も出てくるようで、そうなりますと、一波乱二波乱生じてしまうのも、当然と言えば、当然のことなのでしょう。

 仲違いが、同国人同士であった場合、いはゆる似たもの同士で「つつき合う」というか、互いに相手の弱点を知っていますから、それを攻めるという、陰湿なものになりがちなのですが、それが、異国人同士でありますと、「私の方が正しい」と言い張る学生が、一方に生まれてしまいます。

 つまり、彼らの国のやりかたというか、あるいは彼女の個人的な問題でもあるのでしょうが、そのやり方を押し通そうとして、それが思いのままにならぬ時に、「相手が間違っている」という叫びになるようなのです。

 これは、国や民族の習慣ですから、「正しい」も「正しくない」も、「間違っている」も「間違っていない」もないと思うのですが、そういう「認識」の下に相手を見れば、相手の行動が悉く意に添わぬものに見えてきて…、で、最後に、バーンとなる…らしいのです。

 一応、私たちは、話はきちんと聞きます、両方から。言いたいことは全部言わせてしまった方がいいと、普通、日本人は考えます。日本人の場合、言うだけ言ってしまうと、それで気が済むこともありますし、相手を悪く言ったことに少し気が咎めてきたりもするのです。

 ところがある国の人や、あるタイプの人にとってはこれが逆になり、ますます言い募るということになったりするのです。言えば言うほど(こちらは大人しく黙って聞いていますから)、いろいろなことが思い出されてくるようで、「あれも悪い、そう、こんなこともあった。自分はこんなに耐えてきた。ああ、なんと私はかわいそうなのだ」と、限りなくエスカレートしていくのです。

 もちろん、そういう人は日本人にもいることはいるでしょうが、私の周りには、あまり見あたりませんし、まあ、そう多くはないでしょうね。学生たちを見ていても、そういうお国柄の人は多いようには見えません。

 とはいえ、(そういうことが起こっても)ぐっと黙って耐えるというお国柄(喚かない、騒がない)の人と、「自分が被害者だ」とおめきまわる、おめかずにはいられないタイプの人とが反目してしまうと、喚いている人には気の毒なのですが、おとなしい方に、教師の同情は集まったりするのです。

 そうは言いましても、黙っている分、腹にたまっているのは多くなりますから、「イタチの最後ッペ」が、すごかったりする。

 いやはや、人という生き物を見ていく上からも、この職業は、なかなか辞められるものではありません。

日々是好日
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「心の中の閉塞感」。

2011-05-25 08:55:54 | 日本語の授業
 空は晴れ渡っています。もの皆、明るく、本来ならば「今日もまた、事もなし」とでも言いたいところなのですが…。

 子供たちの大きな声が、小学校の校庭かにある「サクラ(桜)」の樹の陰から響いてきます。もうすぐ運動会。例年通り元気一杯の駆けっこやら、騎馬戦やら、玉入れやらが見られることでしょう。親御さんやおじいさんおばあさんはそれに一喜一憂し、何もかも忘れて愉しむことでしょう…、が…。

 この日本語学校の傍には、電信柱があり、それに、よく、カラスが止まっているのですが、今日もやってきました。利口なカラスのことですから、手を出すどころか、あっちへ行けみたいな目つきで見ることすら、できません。今日も、この辺りを仕切っているボスの如く、辺りを睥睨しています。小鳥たちは、息を潜めて、彼の様子を窺っているのでしょう。彼が飛び立つやいなや、わらわらと小鳥たちのさざめきが聞こえてくるのです。

 そう、昨日も一日が、当然の如く終わり、そして今日の日の、朝を迎えています。

 これら毎日の一つ一つの出来事に、胸が締め付けられるような美しさを感じてしまうのです。向かいで行われている工事の音にしても、です。

 それもこれも、皆が、心の中の不安をよく知っており、その上、知っていてもどうにもならないことを知っており、このどうにもならないことにやるせなさを感じ、日々暮らしていけることに、どこかしら「拾い物をした」ような感覚でいるからかもしれません。

 地震だけだったら、津波だけだったらと、「3.11」のあと、誰もが口にしました。日本人のみならず、日本にいた多くの外国人も口にしました。日本は地震が多いということも津波が来ることもありうるということも知っていた…けれど原発は…。去りがたい思いを抱いて、日本を後にした人も少なくはなかったと思います。

 日本人も、「大ナマズ(鯰)」の正体は突き止められなくとも、これまで、「ナマズ」の被害を受けては、立ち直りしてきました。一日を生きぬくというのは、そういうことなのです。目の前にある仕事を一つ一つ片づけていく。それが生きるということ、生業(なりわい)ということなのです。

 もちろん、悲しみは、時間が経ってもなくなることはないでしょう。けれども、もの皆に、死は訪れる。いつかは同じ世界の人間となれる。あるいは、もう生まれ変わって、地震や津波のない国で産声を上げているかもしれない。心の持ちようはあるのです、悲しみを遠ざけるための。今を生きている人間には。

 それで対処できない事態というのは、苦しい、切ない、やるせない。焦りに似てまた非なるもの。そう、確かに、これは…焦りではない…。

 こういう気持ちは、彼の地の人たちだけが持っているのではありません。250㌔以上離れて居ろうとも、同じように何かに心が蝕まれているような気がするのです。

 学生たちも、私たちも、そのような不安を心の底に潜めたまま、毎日を忙しく過ごしています。実際、とても忙しい。6月には「留学生試験」、7月には「日本語能力試験」、その間に横浜に行き、それから箱根か日光かあるいはどこかへバスで一日旅行をし、そして夏休みに入れば、全部を補講というわけにもいかないでしょうが、何人かの補講はせねばならぬでしょう。

 学生たちはアルバイトに、学校の勉強に、寮での勉強にと目が回りそうに動き回っています。

 何事によらず、目先のことをするのが一番。心の中のあらゆる物に対する不信の念は、表に出したところで、どうにもならぬことなのです。ただわかっているのは「専門家を信じ、敬う」という日本人の美徳が、この方面の専門家に対してだけは失われたということです。

 こういう気持ちは、慣れないだけに、日本人にとっては辛いのです。その道一筋にやってきている人を尊敬したい…けれども、現実がそれを裏切っていれば…。悲しいことですが。本来なら、信じていたいのですから。

日々是好日
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「一人一人の『力』と、一人一人の『思い』」。

2011-05-24 08:54:21 | 日本語の授業
 昨夜来の雨が、重くしとしとと降り続いています。まるで梅雨時の雨であるかのような降り方です。きれいな黄緑をした「アマガエル」や「アジサイ」の花が恋しくなってくるではありませんか。そろそろ蛍の話が出てもおかしくない…などと、「小満」が過ぎたばかりなのに、そんなことまで、ふっと心をよぎってしまいます。

 今朝も、雨が道に大小の水たまりを作っていました。遠くからすかしみると、道のところどころにそれがあることがわかります。人は、それを避けながら歩くわけで、その流れが蛇の歩みのようにも見えてきます。自分も、前の人があの樹のところで右へ行ったなと見ながら歩いていると、その人が右へ曲がったところに、水たまりがあるのを発見し、同じように右へ曲がってしまうのです。

 雨の日は下を向いて歩く必要はありませんね。眼を前に据えて、前の人の動きを見、その人と同じように動いていけば、水しぶきを浴びるという可能性は少なくなります。

その人の前にも、人がい、きっと何人かは失敗したでしょうが、その後の何百人かの中には知恵者がおり、あるいは跳ねを防ぐ歩き方のプロがおり、それを見た人が、その人の通りに歩いて行けば、まず失敗はないのです。それをまた後ろの人がうまいものだなと思いながら真似ていく。そしてまたその後ろの人も…そういうことの繰り返しなのでしょう。

 もちろん、いったん切れてしまえば、一からやり直しです。何事によらず、一からやり直すのは大変です。振り出しに戻ってしまうわけですから。その点、梅雨に入りますと、毎日が雨のようなものですから、知恵がない私でも、この辺りに水たまりがあったはずだなとかすかな記憶に支えられてうまく歩くことだってできるのです。

 ここまで書いてきて、ふと先日見た「粘菌」の動きを思い出してしまいました。学習することのできる偉いヤツです。人は万物の霊長などとエバッテなどいられません。人間の作ったコンピューターだって、計画道路だって、これからは粘菌さんの指導の下に作られていく可能性だってあるのですから。

 人は、いつから、こうも愚かになってしまったのでしょう。いえ、愚かというのは間違い、自分が見えなくなってしまったのでしょう。人の失敗を見る度に、それを他山の石とすることなく、常に、「あいつは馬鹿だ、あんな失敗をして。だが俺は違う」と思ってしまうのです。それこそ己を知らぬ者の証。

 そうは言いましても、それは今だけの話ではなく、昔も、確かに、今の人間のような者はいました。「お山の大将、俺ひとり」なんてのが。ただその割合がドンドンドンドン増えていき、今ではそうではない人を捜す方が難しくなっているのです。

 私だってそうです。「今の科学力なら」とか、「日本の力をもってすれば」とか、そういう言葉に踊らされて前が見えなくなっていたのですから。だいたいからして、「日本の力」なんて国の力が、あるはずはないのです。そんなものは、画に描いた餅。それが証拠に、未だに前に進もうとする人たちを遮っている「立法の壁」なんてのがあることからも、わかるではありませんか。

 あるのは、一人一人の人間の力であり、それを支えたいと願う「人の本然」が生み出した「思い」です。国とか地方の政府とか役人とかは、その手助けをすればいいだけなのです。知恵なんて、大してみんな変わらないのですから(専門家にいくら知識があっても、それを活かせる人がいなければ、無に等しい)。それよりも「やりたい」「こうしたい」という思いの方がずっと強い。愕然とし、呆然としているときには、何かをやろうなんて気力は生まれませんもの。

 しかし、何かをやりたいと思ったときに、そこに、大きな壁が築かれていれば、個人の力ではどうすることもできないほどの、高く頑丈な壁になっていれば、人は今度は無気力になってしまいます。もう、再起不能になってしまうのです。そして次は、現状から逃れようと、「惚け」の世界へ逃避行したりもするのです。

 人は、社会的動物と言われるけれども、まず個人あっての社会であることも忘れてはならないと思います。社会が先にあるのではないのです。こういう抽象的な存在が、あれこれと人に命令するのでは、人はうまく生きていけないのです。

 教育もそうです。学校もそうです。まず学校があって、学生がいるのではなく、学生がいて、それから、その人たちを教えるための学校なるものが作られるのです。そこで必要なのは、学びたいという気持ちだけ。

 その先は多分、人それぞれ。その人たちの、その「人それぞれ」の願いに添うよう、学校なるものが手を尽くしていけばいいのです。

日々是好日
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「大ナマズの上に乗っかっている日本」。

2011-05-23 12:48:23 | 日本語の授業
 曇り。夕方からまた雨になるそうです。

 昨日、昼過ぎから雨が降り出すということは聞いていましたが、あれほどの突風が吹くとは思いませんでした。二時半過ぎでしたか、電線が唸るので思わず外を見てみると、空一面に黒雲が広がっていました。と、急に、あちらからもこちらからも「雨だよ」「わああ、雨だ」という声。突風が黒雲を運び、黒雲が雨を降らせたのでしょう。

 しかし、それもそう長くは続かず、風だけが、暫くの間、吹き続けていました。用心のため、ひっくり返りそうなものは、家の中に入れておきます。

 しばらく感じなかった余震(体に感じるほどの)が、ここ3、4日続いています。地震は、あったらあったで嫌なものですが、なかったらなかったで、また不安になってしまいます。ですから、適度は地震はやはり必要なのです。とはいえ、内心では、だれもが不安なのです。また、M8くらいのが、彼の地を襲ったらどうなるだろうと。薄氷を踏むような思いとはこのようなことなのでしょう。

 皆、こういう列島で生きてきたのですから、大地震とか大津波が、いつかどこかで(日本国内)起こることは知っていました。が、それを先送りしている自分に気づいてはいなかったのです。防災訓練も、いつの間にか、形だけのものになっていたのでしょう。安心感を得るためのものになり果てていたのかもしれません。防災訓練の通りにして、津波にのみ込まれてしまった子供たちさえいたのですから。

 猫が伸びをしたような形の日本列島は、大ナマズの背に危うく乗っかかっているだけの存在…。危ういかな、危ういかな。高転びに転んでしまってもおかしくはないのです、大地のみならず、日本人も。

 「大地がどよもす」という国に生まれてあれば、他国の「地面は動かないもの」という中で生まれ育った人たちとは、どこか考え方が違うのも当然です。もちろん、科学の発達した現代は、だれもが、地球という星は、単に宇宙の空間に浮かんでいるに過ぎないのだということは知っています。とはいえ、知っているというのと感覚で味わっているというのとは違います。

 日本人の死生観に宿命論めいたものが入ってしまうのも、結果論的に言えば当然なのでしょう。日本に残っていた学生が、地震の度毎に、慣れていく自分に驚いていましたが、そういうものなのです。しかしながら、そういう慣れもまた怖いのです。怖がらないと言うことが一番怖いのです。それに気づくのも、おそらくはもっと後のことででしょうが。

 日々是好日
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「クラスを『変更する』ということ」。

2011-05-20 09:18:30 | 日本語の授業
 今日も「五月晴れ」です。とはいえ、多分灰白色に限りなく近いような「青」ですけれども。つまり、日本人が言うところの「空色」です。

 この頃、毎朝、小学校で行われている「運動会」の練習の声を聞きながら、このブログを書いています。子供たちが、小さい体を振りしぼって「白勝て」「赤勝て」と叫んでいます。時には太鼓の音も混じってきますから、もう本格的な練習に入ったのでしょう。

 そういえば、5月も中盤を過ぎていました。これでは応援にリキも入ろうというもの。どちらも勝ってほしいところですが、点数が出るのでそうもいきません。中には、どう見ても、小学校の低学年にしか見えないような子もいます。先生に呼ばれて、走るのもどこかおぼつかなげで…。

 「運動会」が、初夏を告げる風物詩になったのは、いつごろからでしたかしらん。私たちの頃は「運動会」といえば10月の「体育の日」と決まっていたものでしたが。兄弟が中学校と高校、あるいは小学校と中学校に跨っていた親は大変でした。両方に出なければなりませんから。

 それが、ふと気がつくと、いつの間にか「初夏の風物詩」になっていました。これも統一されたものではないようですが。多分、「受験」の日程と絡んでのことなのでしょう。

 私たちのような年齢のものにとっては、「運動会」はそのまま、青いミカンの香りを連想させます。

「街をゆき 子供の傍を通る時 蜜柑の香せり 冬がまた来る」(木下利玄)

 そう、この頃なのです。ところが、いつの間にか運動会から、ミカンの香り、お寿司やお菓子、ゴザなどといったもののイメージが消えていきました。彼らは、二十年後三十年後に、運動会と聞いて何を思い浮かべることでしょう。

さて、学校です。
「初級クラス」は、特にこのような事態が発生した後ですから、学生たちが皆予定通りにやってきたというわけでもなく、一ヶ月くらいの幅がありました。一番最後に来た学生は、大変です。

 最後に来たインド人学生は、初めて授業に参加したときには、「ひらがな」も読めませんでした。インドで勉強していた頃には、多少、読めていたかもしれませんが、待たされている間にすっかり忘れてしまったのでしょう。とにかく、学校に初めて来たときには、何も読めぬし、書けぬし、言えぬという、ないない状態でした。学生も途方に暮れたでしょうが、教師の方でも困りました。
 
 何せ、学校は一斉授業という形をとっています。「N5」に合格して来日していれば、(この学校では「N4」レベルでしたら、だいたい「聞く」「話す」ができていませんから、「初級」にいれ、鍛え直すという形をとっています。その方が、半年後一年後を見た場合、上達が速いのです)、どうにか追いつけるかもしれませんが、「ひらがな」さえ読めないとなると、本人がいくら努力しても、一緒にやっていくのは至難の業です。

 それでも、わからぬクラスにいては楽しくなかろうと、午後に残して二時間ほど補講をしているので、少しずつ表情が出てきました(人は、社会的動物ですから、コミュニケーションが取れないという環境にあると、表情を失ってしまうのです)。朝来たときの挨拶もできるようになりましたし、宿題の多さに抵抗を示せるようになりました。それで、まず、みんな(教師)、少しほっとしているところです。

 これは、インド圏から来た人だけではないのですが、クラス(高校レベルで)構成が、だいたい同じくらいの能力の人たちから成っていないという環境で育ってきた人たちは、レベルが合わないクラスにいても何の不満も持たないようなのです(自分のレベルはどうであれ、最初のクラスのままの方がいいのかなと思われることが少なくないのです)。

 こちらの方が焦って、一段階下のクラスに行って、もう一度やり直した方がいいのではないかと言っても、その意図するところがうまく伝わらず、「自尊心を傷つけられた」とか、「せっかくクラスメートと仲良くやれているのに、他のクラスに行けば、学校に行って楽しめないから面白くない」とか思うようなのです。訊いたときには、「その方がいいと自分も思う」なんて言うのですが。安心してそうすると、途端にガックリ来てしまうのです。

 そういうことを幾度か経験しましたので、私たちの方でも、クラス変更が、学生たちの精神的なストレスにならないよう、そして同時に、現在の日本語のレベルにあった勉強ができるようにと、その兼ね合いを考えながら、クラスを変更さすべき者は変更させしているのですが、これは本当に難しいですね。

 彼らを取り巻いているストレスは、学校の勉強だけではなく、時にはアルバイト先での人間関係ということもあるのです。そこで人間関係がうまくいっていなかったりすると、心を解してくれる場所がどうしても必要になります。それが、毎日通っているクラスであり、友だちなのです。

 クラスメートたちの存在は、私たちが思っている以上に、学生達に取って大切なのです。それを割くようなことは、しなくて済むならしたくはない。けれど、学業のことも考えなければならないし…悩みはいつも尽きることがありません。

日々是好日
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「『教育』もその人を取り巻く『環境』の一つ」。

2011-05-19 09:41:32 | 日本語の授業
 晴れ。今日も昨日に引き続き、爽やかな5月です。

 「Aクラス」は、本来なら、「留学生試験」の準備に突入していなければならない頃なのですが、なかなかそう言うわけには参りません。今年の学生たちは、やっと「上級」に入ったくらいですから、少しずついろいろなものを読ませていくという準備もまだ整っていないのです。このクラスの学生たちは、どうも「書き物」を渡して読ませても、それほど身につかないのです。つまり「視覚・聴覚」で学んでいった方がいいようなタイプの人たちのような気がするのです。

 とはいえ、日本語を学ぶということは、その半分ほどは「書き物」を学ぶということになりますから、それが、なかなかうまくいかない。すばらしい文学作品とは、読まなくとも、ページを開けただけでわかる(漢字とひらがな、カタカナから醸し出される黒と空白の白の美で)とはベテラン編集者の弁なのですが、それほどのものではなくとも、「眼」で感じる部分もあるのです。もちろんその美醜など、簡単に判るものではないのでしょうが。

 それはともかくとして、進路です。大学進学を望むなら、そろそろ専攻を考えて行かなければなりません。これは、最終的には、いくつかの大学のオープンキャンバスに参加してから決めればいいことですが、その前に、だいたいどういう分野を勉強したいのかを、自分の将来の目的などを加味しながら考えて行かなければなりません。

 彼らはせっかく日本に来たのです。大学に合格しても、行ってみたら、ここは空きがないから、あっちの学部へ行けと不本意な学部に、本人が望んでもいないのに、四年間もいさせられたということはないのです。

 文学部を受験したら、そのまま文学部に入学できます。経済学部を受験したら、ちゃんと経済学部に入学できます。もちろん、いくら、私たちがシャカリキになっても、本人にその自覚も、素質もそしてそれを学びたいという希望もなければ、結局は何にもできないということは事実ですが。

「環境はその素質を自覚させる役割しか持たない」

 教育も、その人を取り巻く「環境」を構成する一部分でありますから、当然のことながら、私たちの仕事というのは、単に日本語を教えるだけでなく、その人の「自分捜し」の助けをするという役割も担っているのです(この学校に在席している学生の大部分は、大学進学や大学院進学、あるいは母国では学べなかった専門技術などを学ぶという目的を持っています)。それに、

「人間は自らの本質に基づいた行為をしたとき、成功の確率は最も高くなる」

というわけで、大学を受験するにせよ、専門学校へ行くにせよ、入ってからどう活躍できるか、またどう充実させていけるかは、この自分の素質をどれほど自覚できているかにかかっています。

 まあ、そう言いましても、自分自身そのようなことはわかっていないわけで、お前はどうだと言われてしまえば困ってしまうのですが、そこはそれ、「岡目八目」とも申します。

 人は自分のことはわからぬもの、ただし、「亀の甲より年の功」。それだけで、どうにかやってしまえるということもあるのです。

 もっとも、そうやっても、後で自分は本当はこれをしたくなかったなどと言われることもあり、本当に、あれほど時間をかけ、手間をかけさせられたというのにと、たまらなく嫌になることもあるのですが、

 これは、中国人の学生だけではないのでしょうが、日本に来て「大学に行きたい」とか「大学院に行く」としか言えない人も多いのです。高卒者ならいざ知らず、大学をすでに出ているにもかかわらず、そんなことを言う人も少なくはないのです。これは多分、半分は国の責任、あと半分は、個人的な問題なのでしょうが。

 彼らの国では、それが半ば当然のようで、自分は大学に入った時、「はい、あなたは成績が悪かったから(あるいは、その学部を希望する者が多かったから)、この学部に行きなさい」と、相談なしで、決められてしまった。だから、日本では、大学院で、大学で専攻したものとは違うものを勉強したいと言うのです。日本人なら、普通、「じゃあ、大学に入り直すしかないね」と言います。けれども、彼らは「私は大学を出た」と答えるのです。大学を出ているかどうかは問題ではなく、専攻したことがあるかどうかが問題だと言っても、こういう人たちには通じません。

 高校を卒業しただけであれば、それはわかります。何を専攻したらいいのかわからないだろうなと。しかし、曲がりなりにも大学四年間を過ごし、その上、留学までしたいとやってきたのです。それなのに、「何を専攻していいかわからない、先生が決めて。大学院には入りたいから」はないでしょう。

 こういう人に限って、一年以上をかけ、話し合い、何に興味があるかを一つずつ聞き出し、少しでも興味がありそうなものをいくつか選択し、その上で、最後に彼女に選ばせたというのに、この学校を出てから、人にこれは選びたいのではなかったなどと触れ回ったりするのですから、たまりません。

 とはいえ、最近は、最初から、大学院に行きたいというのなら、同じ専攻です。それが嫌なら、大学院は考えないでくれと言うことにしています。懲りましたから(日本では普通の大学院では、それをまず認めません)。けれども、その幅を広げて、入れてくれるような大学院もあるのは事実のようです。私たちにはよくわかりませんが(日本人にはわかりません。まず大学で専攻したものを深め研究したいと大学院へ入るのが普通ですから)、「蛇の道は蛇」、その言葉通りのところもあり、彼らの間では知られているようです。

 で、そういうところへは、彼ら自身の連係プレーで入っていくようです。ですから、このような人たちには、私たちが「日本語の能力」をある程度つけてやれば、こと足れりなのです。

日々是好日
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「成田空港への道」。「また(大学)受験の戦列へ」。

2011-05-18 12:00:27 | 日本語の授業
 晴れ。雨は昨日で終わり、今日は上天気です。昨日は「雷様」まで、お出ましになり、梅雨入りの如き様相を呈していましたが、今日は、うって変わっていいお天気。「うん。まだまだ風薫る候、皐月だ」という気分。梅雨入り前の、この季節は例えようもなく清々しく、麗しく、できれば1日でも多く味わっていたいもの。「もう少し、5月でいてくれろ」と、久しぶりに顔を覗かせたお天道様にお願いしてみましょうか。

 さて、きのう、一時帰国をしていた内モンゴルの学生が、また一人、戻ってきました。「日本語能力試験」の申し込みには間に合いませんでしたが、先に「留学生試験」の申し込みは済ませていましたので、その「試験」準備の戦列に、早速今日から加わります。

 昨日、出迎えに行った学生、Kさんが、空港から、到着したばかりのSさんの声を聞かせてくれました。「(荷物が多いだろうから)西船橋に着いたら、学校に連絡するように。車で迎えに行くから」と、教員の一人が言ってあったのに、気を遣ったのでしょう(多分、Kさんの方が)、次に連絡があった時には、すでに学校に向かって歩いていると言っていましたから。

 ちょうど折悪しく、雷様が太鼓を鳴らしていた時だったので、降り出しはしないかと、時々空を仰ぎながら、ヒヤヒヤしていたのですが。玄関から「先生」と大きな声がして、見に行った時には、やはり少し濡れていました。

 荷物も最初は一つに抑えていたのに、フフホトに着いた時に親戚や友人から持たされて四つに膨れあがったのだそうです。これは迎えに行った方が大変だったとKさんに同情すること頻り(私たちが、です。本人は意外とケロリとしています)。

 Kさん曰く、「成田までの風景はとてもきれいでした。故郷の風景のようでした」。彼女は一時帰国をしていませんでしたから、よけいそう感じたのかもしれません。ちょうど「田植え」が終わり、水が張られた田はそれは美しく、懐かしく見えたのでしょう。

 そういえば、以前、ミャンマーから来ていた学生もそんなことを言っていました。「水田」というのは「アジア圏」の人々が共有する「心の故郷」なのかもしれません。日本に来て、勉強に、そしてアルバイトにと、ある時は心がささくれだつような思いをすることもあるような毎日。そういう時でも、緑の広がる水田に風が渡るのを見ると、心が和み、癒されるというのです。そういうものも、もう、このあたり(行徳近辺)では見る機会はあまりないのですが。

 それから、皆にと、お土産をもらい(いかにもおもそうな袋です。しっかりお菓子が入っていました)、ひとしきり話してから、目をこすりつつ、「眠いです」と言いながら、帰って行きました。

 しかしながら、日本に戻って来るなり、雨に出会うというのも面白いものですね。

 まあ、そういうわけで、教科書を渡すのも、勉強のことを言うのも止めにしました。すべては、また明日(今日)からです。何となれば、一人で汽車に乗り、十数時間かけてフフホトに至り、それから飛行機で北京へ飛び、そこで一泊して成田へ戻ってきたというわけですから。とはいえ、5月の連休前に戻って来た学生は、北京への飛行機が取れなくて、電車で直接北京へ行ったと言っていましたから、彼女よりももっと大変だったのです。

 さて、今日からは、また以前と同じ「日常」に戻ります。資料にしても、問題集にしても、もらえるものは、Kさんが彼女の分ももらっておいておいたようですし、アルバイト先へもKさんが「Sさんは17日に戻ります」と連絡してくれたようです。本当に持つべきものは友だちです。今日からはまた一緒に、大学入学を目指して頑張ることになります。

日々是好日
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「上級の勉強に入っても…」。

2011-05-17 08:57:05 | 日本語の授業
 今日は昼過ぎから雨になるそうです。風も冷たく、雲もどんよりとして見えます。天気予報図では、北の大陸から寒気団が下りてくると出ていました。南の暖かい空気とぶつかり、もしかしたら、突風が吹き、雷様までお出ましになる荒れた天気になるかもしれません。

 昨日、内モンゴルの学生が、今日の飛行機で成田に着くと連絡がありました。大丈夫でしょうか。こんな日に来るなんて、ちょっとかわいそうです。昨日だったら、よかったのに。荷物を抱えて、しかも雨風の中では、これから先の日本での生活を思い、悲しくなるかもしれません。

 けれども、明日になれば、彼女を、日本のこの青葉が迎えてくれることでしょう。行徳は海の近くですから、山の木々のような、逞しく生い茂った木々を見ることはできませんが、それでも、近くの小中学校、そして小さな公園には、それぞれ当たり前のよう、木々が植えられ、それなりに育っています。

 大陸のように、頭上高く梢を揺らす風を思うのではなく、青葉を吹く風が頬を掠めるのです。そして5月を思い、梅雨の前の、あっという間に過ぎ去るであろう清々しい季節を愉しむのです。それは今だけのこと。

 何でも「今」だけです。「サクラ(桜)」も咲いたかと思うと散ってしまいました。散るぞ散るぞと、散り急がせているわけでもないのに、咲いている間はずっと心が落ち着かず、ワヤワヤと騒いでいました。

 「サクラ」の花が咲いている頃、学校の皆で「千鳥ヶ淵」に、「桜狩り」に出かけました。それから少しして、「花冷え」といわれる寒さが街を襲いました。その夜、
「花冷えの 底まで 落ちて 眠るかな」     (古館 曹人)
の句を見つけて、幸せな気分になりました。これは、西行の、
「願はくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃」
にも通うものがあり、短歌と俳句という形式上の違いこそあれ、心意は通じており、並べてみると、まるで連歌のようです。

 今週に入ってから、「Aクラス」では、「一級文法」の導入と平行して、「二級文法」の復習もしているのですが、どうも学生たちが、自分たちの(日本語)能力を誤解しているとしか思えないところがあるのです。もちろん、去年のクラスのレベル(それとても、そう高いとはいえません)ほどはないと言うことは自覚していると思うのですが、総じて、己の学力に対する理解が浅いのです。

 こうなると、「覚えていない、できていない、わかっていない」を、認識させていくために、一つ一つを繰りかえしやりながら、それを確認させていかざるを得ないのです。が、ただこうなると、学校が楽しいと思ってウキウキと来ている学生たちがそれほどのびのびとできなくなる恐れがでてきます。

 本来ならば、「上級」の教科書に入った段階で、そういう気持ちから離れていってほしいのですが、このクラスはなかなかそれができず、
なにかというと、
「先生、あのね、昨日、こういうことがあったんです」とか、「先生、私はこんなことを言われました」という「日常」から抜け出せない人が多いのです。そしていつの間にか、私もいい、あなたも言う、また私が言い、あなたが言うと、話がドンドン発展していきます。そういうことを言いたくてたまらない人たちなのです。

 それを力尽くで抑え込むと、萎縮してしまうのです。それで、力のいれ加減が厄介なのです。彼らは、いわゆる、俗に言う「いい子たち」で、ただ(日本語の勉強を)愉しんでやり、少しなりとも身につけばいいというわけにもいかず(将来を思えばそれもできないのです)、彼らに合わないという勉強も強いなければならないのです。これからは、その舵取りが、ますます難しくなることでしょう。

日々是好日
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「インド圏の世界、『ヒンディー語』」。

2011-05-16 08:52:18 | 日本語の授業
 薄日は射していますが、空は一面白い雲に覆われています。風は涼しく、サイクリングにはちょうどよいお天気。道では猫がのんびりと伸びをしています。そろそろ縄張り内を巡回しはじめる頃なのでしょう。

 今、インド人の学生が一人いるのですが、バングラデシュの学生から、いろいろとインドの事情を聞く機会が多く、インドも広く一筋縄ではいかないことを実感しています(このバングラデシュの学生はヒンディー語が話せます)。

 日本人は、インド人は皆、英語が話せると思いがちですが、もう一つ全国的な公用語としてヒンディー語があり、ヒンディー語が話せる人たちは、それほど英語を学ぶことに必死にはなっていないようです。

 同じインド圏といっても、以前、パキスタンから来た学生は、こんなことを言っていました。「子供の時から、『英語を勉強しろ』と言われてきた。『豊かな暮らしがしたかったら、英語を勉強しろ。英語ができなければ、ずっと今の貧しいままだ』と言われてきた。それなのに、日本に来ると、日本人は豊かなのに英語ができない。それに本当に驚いた」

 そういえばムンバイから来た学生も英語がよくできました。タミル系の学生もそうでした。同じインドとはいえ、また事情が違うのかもしれません。今度、来た学生は、パンジャップ州出身で、英語は苦手だそうですから。

 そういえば、ネパールの学生も、そして、この通訳をしてくれているバングラデシュの学生も、ヒンディー語ができました。彼らはインドの映画で、ヒンディー語を覚えたと言いますが、書き言葉として覚えているのではなさそうです。バングラデシュの学生の話によると、英語はできてもヒンディー語ができないインド人も少なくないらしいですから。

 ただ、これまで、インドから来た学生は、大卒にせよ高卒にせよ、「初級」を学ぶ時には、英語で書かれた対訳の単語や文法の説明を持たせておけばそれで足りました。ところが彼はそうはいかないのです。

 彼の場合、まず、来日の申請をした時に、英語に長けたインドの役人たちから嫌がらせを受け、言われもなく一ヶ月ほども待たされました(予定では4月11日前には日本に着いているはずでした)。その上、日本に来てもヒンディーの参考書がないと来ている。

 金曜日の補講の時に、「日・ヒ(ヒンディー語)」の辞書を持っていないのかと訊ねたのですが、ないとのこと。困って同じ職場の教員に相談したところ、『旅の指さし会話帳(インド版・ヒンディー語)』なるものを買ってきてくれました。今朝、机の上に置いてありました。

 そういえば、タンザニアから来た学生の時も困りました。本人は「英語で大丈夫」というのですが、「初級」段階で、すでに彼らの英語では対処できなかったらしく、「う~ん」。それで、この時も「スワヒリ語」の辞書を捜してもらったのですが、彼らには、辞書よりも実用的な方がいいということで、この「スワヒリ語版」を買ってきてもらったのでした。まずは基本です。本人がどこまでできるか、まだわかりませんし。

 彼らは、「漢字圏」の人間とは違い、「目で見て、手で書いて」学ぶというよりも、「聞いて、意味を掴み、それから覚える」という方が得手のようです。ただ「ひらがな」や「カタカナ」が、どれだけ速く覚えられるかで、今の「Cクラス」に残れるかどうかが決まるのですが、それもまだわからないでしょうね。しかも、それを伝える手立てが、今のところないのです。また伝えられても、本人は大したことはないと思うだけでしょうし。

 学生の中でも、今のクラスに残っていたいという人と、それほど頑張らなくてもいい、できたなりでそれに見合ったクラスでいいという人とがいます。また、教師の方から見て、今のクラスに残ったほうがいいと考えられる学生と、もう一度やったほうがいいとしか感じられない学生とがいます。

 これが、うまく噛み合えばいいのですが、時々ミスマッチしてしまい、本人は口ではもう一度やりたいと言っていても、本心では、元のクラスから離れたくなかったということもあるのです。

 学生たちのうち、勉強だけしていればいい、お金は全部国から送ってくるからという人は稀で、ほとんどの学生はアルバイトをしながら学校に通っています。学校で皆と勉強することはもちろん、休み時間のおしゃべりや課外活動などで外へ行くことも、本当にいい息抜きになるのです。

 それは、親御さんやもろもろの事情で、来日後、ずっとアルバイトだけしていたという人を見ればわかります。学校のお金は自分で払うからと、アルバイトもして辛かろうに学校が楽しいと言います。

 皆、外国人ですから、ほっとするのでしょう。違うが前提の集団の中で話したり、行動したりするのが。私たちも、日本語を教えたり、日本の習慣などを説明したりはしますが、それは授業の一環としてやるだけのこと。日本だけではない、異文化を知ることが、一番手っ取り早く、日本に適応できることにもなるのです。まずは、自分たちと違う文化がある、それも一つや二つではないということを知ることが一番なのです。

 日々是好日
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「遅ればせながら、『入学式』」。

2011-05-14 06:36:09 | 日本語の授業
 晴れ。今日も暑くなりそうです。

 昨日、11時から「入学式」をしました。前の「入学式」が終わってから勉強を始めた在日の方も一緒にです。「えっ。私も?」と驚いていましたが。この学校では、いつもそうなのです。続けて勉強している限り、「入学式」を必ず経験していることになります。

 10時半に1,2時限目が終わると、「Aクラス」を教えていた先生が、「さて、(学生たちに)どうセットしてもらいましょうか」と下りてきました。本来なら、私が3、4時限目。ちょっと連絡があります。それで、慌てて「ちょっ、ちょっとその前に」と教室へ向かいました。

 実は月曜日の事をまだ彼らに話していなかったのです。「留学生試験」は一ヶ月後、「日本語能力試験」は二ヶ月後に入っています。それなのに、今年の「Aクラス」の学生は、どこか、花園に暮らしているようで、のんびりしています。その上、皆、「非漢字圏」の学生達のように、「ヒアリング」や「日常会話」には強いけれども、文章を読んだりするのは苦手という人が多く、去年、一昨年とは違った対策をたてていかねばならないのです。それで、「さあ、入学式だ。今日の勉強は終わり。楽しいな」とばかりに、ニコニコしている学生達に、来週の月曜からの授業の進め方を説明します。

 このクラスは「勉強」を除けば、本当に「いい」人たちが揃っています。誰にでも親切で、手助けしてやろうという気持ちがあるとか、不器用だけれども誠実だとか…。クラス全体が、競争に勝とうとか、相手を蹴落とそう、ズルをしようとか、そういうものが全くないのです。「覚えろ」と言っても、「はあ、困ったな」といったそういった雰囲気なのです。本当にいい人達なのですけれども、ただ「勉強」となると、その穏やかなお人なりが、それを妨げるような場合もあるので、私としては、少々困るのです。

 とはいえ、教師の指示は、表面上、「まじめに、素直に」聞いています。ただ、言いながらも、「多分、『はい、これで終わり。今から机と椅子をセットして、準備して下さい』と言った途端、私が注意したことは頭の中から全部消えてしまうだろうな」という予感がしています。彼らのすました顔をから。

 入学式は簡単でしたけれども、いつも通り楽しく和やかにできました。「起立、礼、着席」で、皆、大笑い。「名前を呼ばれたら、はい、と言って立つ」のところでも、間違えて、大笑い。「自己紹介」のところでも、適当な人がいて、大笑い。もちろん上手に言えて、拍手をもらった人もいましたが。

 その都度、写真を撮ってもらい、記念にします。再来年には、みんな昨日の自分達の顔を、アルバムに見つけて、喜ぶでしょうね。そして、最後は皆で記念撮影。それから、舞台は三階に移り、簡単なパーティをします。これはみんなが持って来てくれたお菓子(お土産です)とシュークリーム、あとはジュースなどですが、式の前に「Aクラス」の学生達が並べておいてくれました。

 適当におしゃべりしながら、楽しそうに食べています。今年は「すっとぼけた」人がいず、ほのぼのとした雰囲気で時間が流れていきます。毎年、それなりの個性が、こういうパーティで出て来るのですが、この人達は和やか、です。

 今年の新入生の中には、在日の学生達が5人ほどいます。その中の一人は、夜間中学にも通うことになり、日本語さえ出来れば、多分高校にも行けるでしょう。まじめに勉強していますから。それからあと一人は、いろいろな経験をしてから、やはり大学に通わなければ駄目だと決心してこの学校に通うことにしたそうで、毎日頑張っています(実は、彼らは、入学式前に、すでに一ヶ月ほど日本語の勉強をしています。式だけは、最後のインド人の学生が来るまで待っていたのです)。

 彼の場合、在日の時間が長いので、上のクラスで勉強した方がいいのではないかと聞いたのですが、「いや、自分は独学で、日本語学校に通っていないから、きちんと基礎から系統立てた勉強がしたい」という答えが返ってきました。「入学式」では、最後に来たインド人の学生の通訳をしてくれています。学校の方でもこういう落ち着いた人がいてくれると助かります。今年の4月までいたインド人の学生が卒業してしまい、在校生の中にインド人の学生がいないので、S君のように、全く何も出来ないでいる人が来ると(日本に叔父さんがいますが、行徳には住んでいないのです)、何かあっても意思の疎通ができず、困っていたのです。

 式が終わると、タイ人の学生二人とインド人の学生一人は、いつも通り「補講」です。この人達はまだ「ひらがな」と「カタカナ」が覚えられていないので、午前中は「初級クラス」の授業に出、午後は1時から2時まで一時間ほど補講をしています(他の学生は一ヶ月ほど前から勉強していますが、この三人はまだ来てから二日か三日しか経っていません)。私が、それを担当していて、彼らの状態如何ではよく時間が延びてしまうのですが。インド人の学生は、読めもしませんので、一人三時まで自習をさせています。

 「もう帰っていいよ」と言いに行くと、嬉しそうな顔をするのですが、たとえそうであっても、覚えてしまうまでは、缶詰にしてやります。「早く帰りたかったら、覚えなければならない」という理屈がわかるまで。

日々是好日
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「学生同士のもめ事」。「贔屓はない。評価の基準は『まじめに学校に来るかどうか』だけ」。

2011-05-13 09:14:27 | 日本語の授業
 雨は止みましたが、なかなか地面が乾きません。やはり湿度が高いのでしょう。

 さて、学校です。
いろいろな国の人たちが同じ教室の中にいますと、どうしても他の国の人たちと馴染めないという人が出てきます。以前は同じ国の中でよく喧嘩する人たちがいたのですが、今度は違う国の人同士です。一方が相手に譲ると、もう一方はそれが譲られている、相手が我慢しているということがわからずに、それでいいかと思って同じことを重ねる。するともう一方は、いい加減にしてよとなる。多分、初めはお互いに、違う国の人と仲良く暮らそうと思っているのでしょうに、それが目に見える形にはなりにくいということから、生じてしまうようです。多分、誤解。

 話してみると、一人一人は悪い気持ちなど少しも感じられない人なのですが、「私はこんなにしてやっているのに」とか、「私はこんなに譲っているのに」という気持ちが先走りして、それが積み重なって、不仲になる…のでしょう。

 教師側は、とにかく最初は、判断を加えずに話を聞きます。個別に聞き、そしてみんなで聞きます。ただまだ日本語がそれほどできませんから、うまく言えずに、だんだん興奮してきて泣き出すということも少なくありません。一応の注意は与えますが、理性が勝つと言うことは、まずありません。

 こういう場合でも、勉強は別です。毎日きちんと学校に来ている学生、宿題をやってきている学生、頑張る学生は、授業中、教師から面倒をみてもらえますから、それが喧嘩相手だと、(それを)贔屓していると見なすような学生もでてきます。とは言いましても、毎日を過ごしているうちに、教師が何を基準にして学生の面倒をみているかがわかってきますから、こういう誤解はその時にとれます。

 当然のことですが、休みが多かったり、勉強などが適当だったりすると、そういう信頼関係自体が築けませんから、多分、一事が万事となり、彼らのアルバイト先でも同じようなことが起こるかもしれません。異国で暮らし、うまく適応していくというのは、彼らが考えている以上に難しいことなのです。

 ぶっちゃけた話。教師にとっては嫌いな学生なんていません。虫が好かないなと思っていても、きちんと毎日学校に来、一生懸命に勉強してくれると、そんな気持ちなんて吹き飛んでしまいます。

 ここは日本語学校ですから、勉強をしているかどうか、毎日学校に来ているかどうか、それだけが唯一の判断基準なのです。ただ好悪の気持ちの強い国の人たちは、いくらそれを言っても、なかなか気持ちの上で、わかってくれないようなのですが。

 さあ、今日は入学式です。いつの間にか、「初級クラス」は11人になっていました。予定していた入学式(4月11日)までに来られていたのは、わずか三人だけでしたから、少し心配だったのですが。在日の人たちが昨日一人、今日一人と来てくれて、そして、5月の連休が終わる頃には、留学生もだいたいそろい、授業が成立するほどの人数になっていました。

 学校において、特に「初級」クラスは、人数が少ないと楽しくないのです。「上級」以降は少なくてもいいのですが、「初級」はなんと言っても、大きな声で楽しくやるというのがなによりなのですから。

 日々是好日
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「聞き違い。『入学式』と『留学生試験』」。「自分なりの意見を持つということ」。

2011-05-12 09:53:38 | 日本語の授業
 曇り。空一面、白い雲で覆われています。昼過ぎから、東北・関東地方で大雨が降るとか。東西線は風に弱いので、大風を伴わなければいいのですが。

 昨日、「Bクラス」で、「入学式は、一月遅れの今月の13日(授業は、予定通りに始まっています)にする」と連絡し、ついでに、このクラスの学生でも、その日、11時に来られる人(このクラスは午後のクラスで、1時15分始まり)は来てもいいと言いました。

 私はこの話はもうこれで終わったと思っていたのですが、授業が終わるとすぐに、一人、「先生、もう留学生試験ですか。場所はどこですか」と聞きに来た学生がいました。

「留学生試験は、六月ですよ。それにまだ受験票が届いていないでしょう。受験票に受験地が書いてありますから、それまで、待っていてください。…でも、どうして(急に)???」

 彼が、どうして急にこんなことを言い出したのか、しかも焦って…。よくわかりませんでしたので、聞いてみると、「先生が、今、13日と言ったでしょ。六月の13日ですか」。

 これは冗談ではありません。彼は、本当にまじめに聞いていてきたのです。

 この学生は、頭は決して悪くありません。読解力もあると思います、しかもまじめです。ただ、「話す」「聞く」という方面、つまり、「相手がどういうつもりで話しているか」とか、「相手の話をどう理解すればいいのか」とかいった能力が、どうも少々欠けているらしいのです。これは適応力とも関係があるのでしょうが。

 彼の場合、大学をすでに出てから来日していますから、年齢的に見ても、高校を出てすぐに来日した学生たちと(ヒアリング能力を)較べてみるのは、確かに酷ではあります。しかし、それにしても、反応がちょっと…なのです。

 しかしながら、いつも、言われているからなのでしょう。説明してわかると(最後は中国語でです)、ほっとして照れくさそうに笑いながら帰って行きました。

 私も苦手な分野が、かなり、たくさん、あります。ですから、彼の気持ちがよくわかるのです。が、ただ(教師という、しかも強面でやっているという)立場上、安易にそれを言うわけにはいきません。それで、うんとからかってやりました。けれども、それでも大丈夫なのです(これもからかった場合とからかわなかった場合とを比較して、なのですが)。こういう人は、きちんとなにがしかの分野において自信が養成されているので、少しぐらいからかってやっても、ちょっとやそっとではぐらつかないのです。もちろん、致命傷を与えないように気をつけながらですが。

 その反対に、高校を出たばかりで、自信らしいもの(これはという分野が)が、まだ構築されていない人や、大学を出ていても、(そこで)適当にやっていただけであったりした人には、その拠って立つところがありませんから、あまり厳しくは言えないのです。言葉の勉強というのは、「中級」くらいまでは、楽しんで、楽して勉強していくべきものでありましょうし。

 それが「上級」程度か、あるいは「上級」が終わった頃になりますと、徐々に大学や専門学校などを視野に入れた勉強に入っていきます。つまり、新聞や雑誌の記事、あるいは高校の社会科系の教科書を用いたものになります。世界は、今、どう動いているのか、またそれに対する有識者や一般の人々の考え方にはどんなものがあるのか。

 とは言いましても、まだそれほど何でも読みこなせるレベルにはありませんし、個人差もかなりあります。それでも、彼らなりに、大学に入った時に困らないようにさせておいてやらなければなりません。

 せめて、それらの勉強を通して、(自分の国では)金太郎飴のように他の人の言ったことを繰り返していればすんだ生活から、自分の意見を持てるようにさせておきたいのです。知らなければ、意見の持ちようもありませんから。

 確かに、みんなと同じことを叫んでいれば、楽ですし、安全です。これさえ言っておけば、だれからも非難されないというものを知っておけば、(その国の中だけでしたら)無事に暮らせもするでしょう。

 けれども、日本ではそれは通用しません。日本だけではありません、他の国でもそうなのです。つまり自分の国から、一歩外に出れば、「あれ、国ではこうだったけれども…」と驚かされるようなことが少なくないのです。そういう国が自分の国より経済的に劣っていたり、科学の分野で後れていたりすると、安心して、「だから、お前たちは後れているのだ」と言えるでしょうが、そうではなかった場合、もう一度我が身を振り返ってみなければならなくなります。

 一方的に、権力者の意見に迎合する、あるいは常に権力者に楯突くといった、その国の「みんなの意見」ばかり述べる傾向のある人達は、その頃から大変になってきます。日本では、一方の意見だけではなく、対立する二者の代表意見なるものが新聞には載せられます。それを読んで自分の意見を考えていけるように。時にはどちらの意見にも「なるほどな」と思ってしまい、選択できなくなることもあるのですが、それとても、一方的なものよりはましでしょう。それらを読んだ上で、最後は「現実の生活感」から、皆、自分なりの意見をまとめていくようです。

 時には学生から、「先生、どっちが正しいの」と聞かれることがあります。
「正しい意見なんて、そんなものがあるかどうかさえ、誰にも知らない。自分で考えてごらん。データはこう。両者の考えはこう。あなたはどちらに賛成する?二者を比較しながら考えてごらん」」

 実際、私たちもそうとしか言えないのです。来日している学生たちの後ろには、それぞれの国情があり、皆それらを引きずりながら、日本で勉強し、生活しているのですから。

日々是好日
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