日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「セミが街に戻ってきました」。「ネコを食べる話」。

2011-07-29 09:17:48 | 日本語の授業
 七月も終わりに近づいた昨日、初めて学校に「セミ(蝉)」の声が響いてきました。「セミ」と、はっきりと判る声です。ああ、蝉が啼いている…。それからしばらくは「セミ談義」です。皆、今年も「セミ」は来ないのかしらんと不安に思っていたと見えます。

 そして、今朝、公園の方から、「ミーン、ミーン」と、夏の暑さを倍増させる、例の声が聞こえて来ました。路上では既にセミの亡骸も転がり始めています。

 「ミンミンゼミ」です。「ジージージー」という「アブラゼミ」の声も聞こえてきます。おっと静かになりました。「カラス」が来たのでしょうか。以前、清澄庭園で、池の上を、「セミ」を咥えた「カラス」が渡っているのを見ました。それから「セミ」の天敵は鳥、中でもカラスであると思うようになったのですが、友人の話によると、「カラス」は猫の子も襲うとか。

「セミ」を見ると
「 恋いに焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」
という「都々逸」を思い出します。

 とはいえ、思いの深さはどうであれ、人も、泣ける時には精いっぱい泣いた方がいいのです。笑いたい時にも、精いっぱい笑った方がいいのです。人はそうすることのできる力を、天から授かっているのですから。出し惜しみをしているうちに、旅立たねばならなくなるかもしれませんし。

「つひにゆく 道とはかねて聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを 」(在原業平)

 さて、学校です。
 昨日も後半の45分を、「箱根」の日程の説明や注意事項、それから「箱根」のDVDや歌の練習などに費やしました。というわけで授業時間はどんどん少なくなっていきます。その少ない授業時間に「Bクラス」であったことです。

 これまでできなかった「ワークブック」を少しやらせていたのですが、早く終えた中国人学生に「2級文法」を見るように言っていた時のことです…。

 と、ここまで書いていると、急に『チチチチチチ天』という声が耳元でしました。ほんの30㌢ほど離れたところに、「スズメ(雀)」が止まって、羽を振るわせながら啼いているではありませんか。巣立ったばかりのヒナでしょうか。親に餌をねだっているようにも見えます。親は人間のそばまでは来ないでしょうが、人間の怖さを知らない「小スズメ」は、バランスが取れなくなると、どこでも手近なところに止まってしまいます。しばらくは、筆を止めて、「小スズメ」の観察です。

 すると急に様々な鳥の声が聞こえてきました(セミの声がしなくなるはずです)。忙しなく啼いているのもいれば、時折鋭い叫びを上げるものもいます。まるで「トリ銀座」です。近くにお狩り場や野鳥の森公園があるせいでしょうか。

 さて、「小スズメ」は、飛んでいってしまいました。同時に蝉の声がまた、低く高く唸り声のように響いてきます。

 話は元に戻します。例のワークブックをさせていた時のことです。
学生と話しながら何気なく窓越しに道を見ますと、建設が終わりかけたマンションの下の方で、なにやら黒い「ネコ(猫)」が、オートバイの匂いをかぎ廻っています。あれは大きいからオスですね。体つきもがっしりして見えます。頭の先からしっぽの先まで、全身真っ黒です。新顔ですね。

 思わず、「ネコがいる」。そして、黒い猫は、日本では商売をしている人の間では喜ばれることもあるのだということなどを話すともなく話しておりますと、静かに問題をしていたはずのベトナム人男子学生が「猫はおいしい」。

 えっ。タイ人学生もネパール人学生も、ミャンマー学生も、そして日本人である私も、驚いて彼の顔を見ました。「ホントかな」。

 それで、今度はベトナム人女子学生に聞いてみます「本当?」すると、ニコニコしながら、嬉しそうに、でも小さい声で「ほんとう」と言います。「う~ん」。犬を食べる云々で驚いてなどいてはならぬのです。世の中には小さな猫だって食べる人たちがいるのですから。これなどは食文化ですから、別に文句を言うべきことではないのです。

 ただ、あの歌に出てくる「ラクダ」を食べると聞けば日本人は驚きます。多分、海から遠い地に生まれ育った人が、日本人が「クジラ(鯨)」を食べると聞いて驚くように。

 思えば、幕末から明治にかけて、欧米人が「ウシ(牛)」や「ブタ(豚)」の肉を食すると聞いて、日本人は驚き呆れたものです。それが今では、日本人の食生活の中に、自然に組み込まれるようになっていますから、おかしいと言えばおかしいことです。

 もしかすると「ネコ」や「イヌ」だって、そして「ヘビ(蛇)」や「ネズミ(鼠)」だって、食べるようになるかもしれません。だって、中国人は「ヘビ」を普通に食べていますし、インド人やラテンアメリカの(ペルーだったかどこだったかは忘れてしまいましたが)人は「ネズミ」も食べると言っていましたから。

日々是好日
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「生きるためには『食い物』と『寝場所』が必要。そしてその次は『安全に』という枕がつく」。

2011-07-28 09:41:04 | 日本語の授業
 目覚めたときにはまだ雨が続いていました。今は止んで、カラスの声だけが聞こえています。窓を開ければ、肌寒いほどの風が流れ込み…本当に夏なのでしょうか。

 インターネットを開けば、中国の主要ニュースは、まだ「中国版新幹線」関係のものが大半を占めています。本当はもっと様々な、そして同じくらい危機的な出来事も起こっているのでしょうけれども。

 もしかしたら、この事件は、「象徴的な事件」として、政府にも人民にも、そう認知され、それ故に、ある意味で「重要視」されているのかもしれません。

 人は、生きるために、まず、「『食うこと』と『寝ること』」に関心が向かいます。平和で、ある程度の生活が保障されている国では、「心の病」で、自らの命を絶つ人も、少なくはないのですが、飢えている国では、人は、(動物と同じように)本能的に「生きんかな」と、食べられるものを探します。「まあ、いいや、このまま死んでしまおう」とは、なかなかならないものです。つまり、そういう時の、人の一番の関心事は、「今日の、今現在の食べ物」であり、「身体を横に出来るところ」ということになるでしょう。

 そして、それが満たされると、次に「食」と「寝」の上に、「安全な」という枕がつくことになります。求められるのは、「安全な食べ物」であり、「安全に寝られるところ」なのです。

 日本も、原子力発電所の事故で「安全」が脅かされるようになりました。けれども、ある程度マスコミが健全であるから、様々なことを「知る」ことが出来ます。大衆には知らすなというのは、専門家や政治家の驕りです。必要なら説明を加えればいいのです。自分たちも大衆の一人であるという自覚をわすれた政治家や専門家にろくな者はいません。それは肝に銘じておくべきでしょう。高校卒業程度の知識と考える能力を持っている国民には、正確なことを知らせ、説明を加えるべきです。それが「人の命を預かっている」者達の責任と義務なのですから。

 「原発」が起こったあと、日本に原子力発電所を置くことの恐ろしさを、生涯をかけて訴え続けた、今は、亡き物理学者のことがマスメディアに取り上げられていました。専門家が、素人は判らないだろうと、様々なデータを用いて、煙に巻こうとしている、その一つ一つを覆していくようすがはっきりと映し出されていました。

 それなのに、どうして、原子力発電所は建設され続け、しかも「安全神話」なるものが生まれ、その「安全神話」を「守らん」がための、作為がなされ続けてきたのでしょう。つまり「糊塗する、嘘をつき続ける」という作業が続き、その「メッキを剥がそう」とする人を、貶めつづけてきたのです。

 とはいえ、マスメディアのどこかで、一度でも取り上げられていれば、だれかが見ていますから、こういう機会に再び、日の目を見るということもあるでしょう。それもまた、マスコミの役割の一つなのです。少数意見であったり、弱者の意見であったものが、何かが起こった時に、だれかがそれを思い出し、そして、今度はそれが主流になるということはよくあることです。ひと頃は、それを却って非難されたりもしたようですが。わかっていたのに、「報道しなかった」とか、「報道したけれども、扱いが小さかった」とかいって。

 同じような記事があったとき、どれを「主」にして、どれを「脇」に追いやるかというのは、優れた知識と判断力と、経験に基づく「勘」が必要になります。時勢を見る目というのも、経験に基づいた「勘」がなければ、「これは記事になる」で終わってしまい、単に「流行の先端を言っているだけ」で、「世に警鐘を鳴らす」とか、「啓蒙の分野」にまでは至らないでしょう。

 ただ、この島に置いておいてもらっているだけの私はそう思います。

 外国にいたときもそうでしたが、身を圏外に置きながら、日本という美しい土地に生まれ、穏やかな人々に育てられたことを、本当に幸せであると思いました。それは、日本を出る前もそうでしたし、戻ってきた今もそうです。「原発」の事故も、為政者が「人々が、安全に安心して暮らせるようにするために、私たちは国民が払ってくれている税金から給料をもらっているのだ」ということを忘れさえしなければ、「自分の夢」や「メンツ」などは脇へおいやって、己のなすべきことさえ、怠りなくやっていれば、起こらなかったことなのかもしれません。

 日本人の大半は、世界の一流国(何を以て一流とするかが問題なのですが)の国民になりたいなどとは思っていません。今までのように、「我先に人を蹴散らさずにすむ国」「それぞれの人が、それぞれの職務を懸命にやってくれる国」で、安全に平和に暮らしたいと思っているだけです。

 為政者に(国民に向かって)「あなたはそう言うけれども、でも私は」という「でも」という接続詞は使ってもらいたくありません。接続詞は必要ない世界で、頑張ってもらいたいのです。それは「信念を吐露する言葉」であり、「人々の心を心肝から打つもの」でなければならないと思います。何と言っても「一国の首相」なのですから。

 彼らを見ていて、「安心」する人もきっといると思います。「なんだ、代議士も首相も、自分たちと同じレベルじゃないか」と。けれども、大半はその次に「なんでこんな奴がこんな高給をもらって、威張りくさっているのだ」が来るでしょう。

 少なくとも、テレビに映し出されている彼らの姿は、そこら辺の叔父さんや叔母さんです。それなのに、随分偉そうに(自分で思っているように)見えます。普通の国民が、それぞれの仕事を一生懸命にやって、わずかばかりの給料で生活しているにもかかわらず、その人達からお金をもらっている人たちの方が、ふんぞり返って見えるのは問題ではありませんか。

 しかも、「思索者」の部分が、(あるのかもしれませんが)外に現れて見えないのです。これは致命的ですね。三代か四代前に成金になって、「金が出来た後は、勲章がほしい」と、政治家を家業にするようになっている代議士も、(代議士である間は人からちやほやされるでしょうが)できることは、多分、大手企業の中間管理職の人よりも少ないのではないでしょうか。

 人は、人と人との関係の中で成長していきます。その関係の幅でどんな仕事に就いた方がいいのか、またどのようなやり方が向いているのかが決まります。普通の人なら、人嫌いでも、偏屈屋でもそれは構わないのですが、多くの人の利益に直結する国政を預かる人はそれではなりません。

 ところが、日本の代議士は、選挙の人脈作りで終わりになってしまう場合も少なくないようです。狭い範囲での、人との交流でしかないのです。国政を預かっているならば、その人達の何割かは、国際関係と自国の力とを常に頭に置いていなければならないはずです。「おらが故郷の何㌫かがおいらを支持してくれている」では、その他の県に住んでいる、殆どの国民は堪りません。

 ビスマルクほどの外交力を発揮せよとは言いませんが(これは、土台、無理なこと。あの当時のヨーロッパで彼がプロイセンの中心になっていたときの「平和」は、もう天才の手による芸術としか言いようがありません。こういう国際関係を創り上げることができたなんて、もしかしたら芸術家よりも数学者の方の才能があったのかもしれません)。

 日本の政治家なんて、一カ国だけと付き合いがあっただけでも大したもの。本来なら、常に、三四ヶ国、あるいはそれ以上を、その懐に抱いておいてほしいものですが。

 「あなた(ある国)がだめになったら、私も駄目になります」なんていうのが認められるのは、恋愛だけです。非情な外交の世界で、最初からネチネチ、しかも湿っぽい目つきでやられては、向こうの方が嫌になるはず。

 これは教育の現場でも同じです。ある意味では薄氷を踏むような状態を堅持しておかなければならないのです。ちょっとでも「許されている範囲」を超えれば、友好関係は崩れるという緊張状態です。

 「慣れ親しむ」というのも必要ではありますが、そこに「馴れ馴れしい」とか、「特別大切にされている」という思いを学生に持たせてはならないと思います。「まじめに勉強をしている」、あるいは「アルバイトできついにもかかわらず、頑張って毎日学校へ来ている」、「意欲がある」、「目的意識がある」など、それは何だっていいのですが、そういうことが出来ているから、そういうものを持っているから、「大切にされるし、親しく付き合ってもらえる、それは誰であれ、同じだ」ということをわからせておかなければならないのです。

日々是好日
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「『誰にでも起こり得ること』と思うことの大切さ」。

2011-07-27 08:44:14 | 日本語の授業
 曇り空で、ムシムシしています。雨が時々、ポツン…、ポツン…。

 台風が過ぎてから、空の具合は、どうもすっきりしません。昨年は「超」酷暑で、熱中症で、バタバタと倒れる人が続出し、今年は(梅雨明けが早かったことから)昨年を上回るであろうと、予測されていましたのに、なぜか、高くとも30度前後をうろうろしています。もちろん、夏本番は(土用の丑の日は過ぎたものの)やはり8月でしょう。8月がまだですから、まだまだ油断は禁物です。

 日本では、それでも、かなり遠慮がちに「中国式新幹線」の事故の報道がなされています。「遠慮がちに」と言いますのも、もしこんなことを、日本でしたら(日本ではされるはずがないので、この仮定はおかしいのですが。だって、こんなことをしたら大変です。そのことを、皆、諸機関の人も会社の人も、知っているのです。これは知識の問題でしょうか、それとも想像力の問題でしょうか)、それこそマスコミの袋だたきに遭い、100万回土下座しても、人々の憎しみは消えないことでしょう。

 そのことが想像できなかったというところに、現在の、中国諸機関の病理が潜んでいるような気がしてなりません。「そこ退け、そこ退け、おいらが通る」で、すべては、やりたい放題、やり通せると、全く疑っていないように見えることです。

 今では、かなりの数の中国人が外国へ行ったことがありますし、数年を他国で暮らした者もいます。彼らが行った国というのも、極貧の国とか、紛争中の国とか、途上国で、やはり中国の方が進んでいると自己満足できるような国ばかりというわけではありません。

 中国よりも、遙かに進んだ国も少なくはないのです。もっとも、何年、そういう国に住んでいようとも、それ(他国の優れているところ)が見えなければ、せっかくの機会を活かせないわけで、豚に真珠というほかないのですが。

 多分、中国では、今でも、ああいうことは、一つ一つ口に出す必要もないくらい、たくさん起こっているのでしょう。ただ、マスコミが、マスコミとしての力量を発揮できるような状況にないので、国民はなにも知ってはいないのでしょう。

 日本に来た人が「えっ。そんなことがあったの」と自国について問う場合だってないことはないのですから。これはアメリカや、ドイツ、フランス、イギリスなどの国へ行った人でも同じでしょう。

 とはいえ、それでも、前に比べれば、中国は随分開かれてきました。中国国内が安定することは、他国の者にとっても、幸せなことです。なにせ中国は人数が多い。その上、格差が、資本主義国日本以上に酷い。こういう国では、貧乏な人は、一旦何事かが起こったら、逃げ惑い、殺されていくのを待つだけという状況におかれてしまいます。

 内乱というのは、どこの国で起こるにせよ、いいことは一つだってないのです。争いになれば、人が死にます。

 人が死ぬのです。どちら側にせよ。命を賭してまで守らなければならないものは、この世にはありません。またそういう世の中にせねばならぬのです。それは政治家の責任であり、その人達を撰ぶ一般大衆の責任なのです。

 ところで、この「人が死ぬ」ということの恐ろしさを、中国人が我が身のこととして想像できるようになるのはいつのことでしょうか。

 もう随分前のことですが、そのころは、(中国では)交通事故で死者が出ても、道路にそのまま放置されていました。しかも死体をそのままにして、惨い写真を撮り、それを掲示板に貼っていたりしていたのです。これはもう、「晒している…」としか日本人には思えず、「どうして周りに警察がいるのに、白い布で覆うとかしないのか。彼らの尊厳はどうなるのだ」と、近くの中国人に聞いたことがありました。

 すると、「構わない。中国は人が多すぎるのだ。一人や二人死んだからって何だって言うのだ」と、笑われたことがありました。そばにいた中国人は、皆、同じ反応を示しました。彼らの反応に驚きながらも、決して本心ではあるまいと、そう思いはしたのですが、どうも、彼らの根性は、魯迅の時代から全く変わっていないようにも思われました。

 これが、彼ら特有のジョークにせよ、死に関することにジョークを用いるべきではありません。これは、他の中国人に聞いても、殆どは同じような反応でした。

 そこには「自分だったら」とか、「自分の身内や友人だったら」とかいった想像力が決定的に欠けているように思われたのです。そして、そう感じている彼らの心を、とても怖いと思いました。もちろん、彼らはとてもいい人達です。友人で、頼りにもなります。親切で、明るく、中国で暮らしていく上でのアドバイスをよくしてくれました。ところが、同胞にはこういう冷たさで接するのです。

 「この列車に乗っていたはずなのに、死体もない。病院にもいない。いったいどこへ行ったのだ」と、埋められた列車のそばから離れようとしない人や、「座席表を公開してくれ。家族がどこに座っていたか知りたいのだ」と叫んでいる人たちを見ていると、自分に起こるはずのないことが起こったと驚きを隠せないでいるような気がしてならないのです。

 誰でも列車に乗れば、事故に遭う可能性があるのです。ゼロではありません。だから技術者も、設計者も必死になって安全を考えながら作るのです。技術者であれば、特にこういう乗り物を造る場合、誰だって世界一の速度を目指すでしょう。ただ安全だけは犠牲にはできません。誰が乗るのかわからないのですから。

 その会社の管理職の者も、自分の家族が乗ることを考えて作れと言うでしょうし。ところが、その基本的な、他者を思いやる心がなければ、怖いことになります。「作れというから作った。でも私は決して乗らない」というのは、無責任と言うよりも卑怯です。

 普通は、設計した技師や作り上げた工場の人や、会社の人が集まって、大喜びで完成を祝い、早速座席に身を沈めながら感激のあまり涙を流す…ものですのに。もしかしたら、そういうことが彼の国では失われて久しいのかもしれません。

 それにしても怖いことです。

 日本の原子力発電所の秘密工作と無神経振りと同じくらい、とても怖いことです。

 ところで、中国人学生ですが、この事故は知っていたものの、いきさつや現状などは殆ど知りませんでした。「先生は知っていますか。中国で列車の事故が起こったんですよ」と私に教えようとしたくらいですから。なお、一言付け加えますと、彼らが見ているのは中国発信のもので、日本のものではありません。

日々是好日
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「虫たちとの共存」。

2011-07-26 17:29:22 | 日本語の授業
 今朝、階段を下り、いつも通り、出口のそばにある扉を押して外に出ようとしますと、ちょうど取っ手のところで、小指の先ほどの大きさしかない、赤ちゃんカマキリが私を睨みつけていました。お尻を上げて鎌を振り上げ、完全に戦闘態勢です。こんなちっこいのでも、カマキリはカマキリなのですね。「ここはおいらの領分だ。おいらの縄張りに入ろうとするたあ、何事だ」とでも、言っていたのでしょう。

 もちろん、先に地を占めたものが勝ちです。それは人間の世界のルールであり、生き物の世界のルールでもあるのでしょう(時々、力尽くでそれをひっくり返したり、返されたりしますが)。とはいえ、私はおっかなびっくりで、「しっしっ」と追って、遠慮してもらい、急いで出て来ましたが。

 春から夏、そして盛夏ともなりますと、虫たちとの共存が、人間世界では、一つの大きな問題になってきます。私の鉢植えの「クチナシ(梔子)」も青虫にやられました。これは買ったばかりの時には、花が開くことなく枯れてしまい、がっかりさせられたのですが、気を取り直して、鉢を大きめのものに替え、油かすをやって来年を期待することにしていたら、なんと、あれから一ヶ月も経たないうちに、今度はきれいな真っ白な花を咲かせてくれたという曰く付きのものだったのです。それを半分以上食べてしまっていたのです。にっくき虫め!。

 彼らにしてみれば、おいしかったと舌鼓を打って終わりでしょうが、私はこの真っ白な、今年初めての美しい「クチナシ」の花の、咲ききった姿を、たった一日しか楽しめなかったのです。朝、水を遣っているときに、「あれ、花が半分になっている…」。よくよく見ると、花の傍らに、薄緑のきれいな虫が、肥え太って、満足そうな顔をして…いるではありませんか。

 早速、お引き取り願いました。こういう虫はおいしいものをよく知っています。「クチナシ」の花は食べられます。ちょっと癖のある味なのですが、おいしくないこともない。そばには、みずみずしい若葉もあったのに、花の方を先に食べるとは、まったくグルメな憎いヤツです。

 先だっても同じ種類の虫に「サンショ(山椒)」の葉をやられました。初めのころは、ベランダは直射日光がきついから、そのせいかなと思っていましたが、甘かったですね。あまりに上の方の葉がなくなってしまったので、日陰に移そうと、手をかけた時に五匹ほどの青虫が、まるまるとした青虫が、葉っぱを食べているのに気がついたのです。

 この時も、憎きヤツめと思いはしたものの、結局、場を移ってもらっただけにしました(野山ならいいでしょう、移しても)。人との共存を、虫の方でも考えてもらいたいくらいです。その「サンショ」も、今、ほんの少しですが、また新しい若葉が萌え出てきました。今度こそ、虫などにやられまいぞと、朝晩すぐ見られるように、窓辺においています。

 さて、学校です。

 昨日、「留学生試験」の成績が届き、今日、見たい人も見たくない人も…つまり、見てもらいました。まあ、「きゃあ、きゃあ。わあ。」で、悪い成績なのに喜んでいたり、「今度はもっといい点をとります」と、少しやる気になってくれたりで、その賑やかなこと。

 これがいいのか悪いのかは判りませんが、まだ大学入試まで遠いのでしょうね、彼らの気持ちとしては。実際は、すぐ近くに来ているというのに、遙かかなたのことのように感じているらしいのです。

 しかしながら、こういう試験を一つ一つ積み上げていくうちに、自覚ができてくるのでしょう。それが一日も速いことを祈るばかりです。

日々是好日
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「カニは己の甲羅に似せて穴を掘る」。

2011-07-25 10:46:40 | 日本語の授業
 昨日の夕方、久しぶりに汗をかきました。ずっと青空が拡がっていました。それでも五時を過ぎる頃から、急に黒雲が増え、夕立かとも思わせたのですが、空は怺えたようです。

 ところが、驚いたことに、その時、一斉に「セミ(蝉)」が鳴いたのです。ほんの一時でしたが、あれは、確かにセミの声でした。しかも、一匹や二匹ではありません。耳がキュ~ンとなるようなセミの大合唱だったのです。

 夏は、いかに暑く、耐え難くとも、こう来なくてはいかん。そうじゃなくては夏じゃない。少しホッとしました。とはいえ、明日はどうでしょう。セミはちゃんと鳴いてくれるでしょうか。

 福島では、夏休みに入った子供達を北海道へ疎開(?)させる親御さん達が増えています。少し前までは、政府が言っているからと、待つことに耐えられた人達が、今ではもう耐えられなくなっています。もう政府や役人、専門家を信じられなくなっているのです。

これは不幸なことです。人々にとっても政府にとっても役人にとっても専門家にしても。人々の信頼を勝ち取るためには、今、何を言わなければならないか。どういう言葉遣いをしなければならないか。要人達にはこの面でのブレーンはいないと見えます。だから、不安に駆られた人々は、自分の力で情報を得ようとし、お互い、助け合いながら、自己防衛に走っています。

 高禄を食む議員達はこのことをどう思っているのでしょう。己の不甲斐なさに涙するような人間はいるのでしょうか。それとも相変わらず「あいつが悪い」と、すべて、他人の責任にし、「あいつさえ替えれば、すべては終わる」とでも脳天気に、(今でもそう)考えているのでしょうか。

 こうなってしまったら、もう「誰がやっても同じ」のように見えているのです。本当は違うでしょうが。単なる首のすげ替えでことが片付くというような代物ではなく、自民党時代からの灰汁が凝り固まってどうしようもなくなっているのです。剥がれないでしょうね。

 だいたい自民党にしたって、「私たちが間違っていました。皆さんにご迷惑をかけている根本的な原因も仕組みも、私たちが作りました。ごめんなさい」を言っていませんもの。首をすげ替えたって、結局は、元の木阿弥になってしまうのでしょう。こういう人たちのやり方に従うというのですから。

 長期政権とはそんなものです。皆はその淀みに溜まる悪臭に耐えきれなくなって、素人を撰んだのですが、素人はやはり素人。町くらいの広さのことなら対処できても、大事(おおごと)には向きません。それに、ブレーンがいないのです。判らない時には、どうしたらいいのか、誰に聞いたらいいのか、その知恵もありません。あの人に聞いたらいいとか、頼んだらいいと教えてくれる人も周りにはいないのでしょう(そうとしか思われません)。きっとこれまで、自分が処理できるような簡単なことしか、したことがないのでしょう。(ある程度普通の仕事をしたことがある人間だったら、だれでもできるようなことでしょう、それは。なにも議員になって高給をとる必要なんてないのでしょう)。

 「『カニ(蟹)』だって己の甲羅に似せて穴を掘る」と言いますのに。己の甲羅の大きさが判らないような人に、国民は運命を託していいのでしょうか。

 普通の人間は、ある程度「身の程」を知っています。ここまでなら、できるなという勘が働くのです。ですから、自分には無理だと思ったら、手を引くか、逃げにかかります。小学生や中学生ではないのですから。高校や大学生になっても、果敢に未知の出来事に向かっていける人を、私たちは一目置き、「あの人、すごいね」などと言うのです。そんな人は多くはありませんから。

 ところが、いつの頃からか、「誰でも総理になれる」などという神話が、日本に生まれてしまいました。「あんな、自分よりもずっとレベルの低いヤツだって総理になれたのだ。ならば自分も」と、何をするためにその職に就くかではなく、ただ就けるなら就きたいと思う人が増えてしまったのです。

 もちろん大半が「石」でありましょう。「玉」は、そういう世の様を見れば、身を退いてしまいます。日本には、まだまだ、能力のある人が自己の能力を発揮できる場所がたくさんありますから。そしていつの間にか、選挙権はあって、民としての権利は行使できるけれども、いったい誰に投票すればいいのだみたいなことになってしまったのです。

 政治力のある人は、どんなことをしても合法的に金を集めることは出来るでしょう。以前、「勝手連」なるものが生まれ、この人という人を(当人の承諾もなく)選挙に担ぎ上げたことだってあったのですから。

けれども、そうしても、せいぜい県レベルのもので、国会議員はだめなのです。古株の議員に迫力や、数で負けてしまうのです。そういう人達は「数の論理」を声高に叫びながら振り回します。本来の意味とは似て非なるものになってしまっているというのに。

 「権力」というのは魔物です。それに心を奪われてしまった人は、恐ろしいほどの凄みを持ちます。これは俗に言う「オーラ」などではありません。気色の悪いものを総集めにして、それに厚顔ふりかけを振りかけても、まだまだできあがりません。生身の人間が太刀打ちできるような代物ではないのです。

 もっともこういう「権力の権化」みたいな「怪物」は、最近では殆どいなくなりましたが。こういう権化がいれば、影があれば光もあるということで、これに反対する力も現れてくるのでしょうけれども。どっちも小粒だから、ぱっとしないのです。しかも本人は自分が小粒だとは思っていないのですから、手に負えません。

 日本が「安全」になって、勉強なり、働くなり、各自の望み通りのことができる社会になれば、わざわざ触れ回らなくとも、人は集まってくると思うのですが。

日々是好日
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「『日本の自然』を見せる時期」。「奥多摩」。

2011-07-22 09:05:06 | 日本語の授業
 今朝、秋の気配に、目を覚ましました。台風一過の朝(あした)というのは、こういうものだったのですね。毎年、もう何十回となく繰り返しながら(いえ、もしかしたら三桁かもしれません)、こういうことには、いつものように新鮮な驚きが伴います。

 窓を開けると、華やかさのない、穏やかな夜明けです。空が焼けるでもなく、大人しい朱色がわずかに顔を覗かせているだけ。それも陽が昇っていくと、陽射しの強さは相変わらずの真夏。それと同時に、空の青さが増してゆき、絹雲が空に拡がっているのに、爽やかさを感じます。上空は風がよほど強いと見えます。

 今朝の絹雲は本当に美しい。北東の空一杯に、のびやかに曲線を描いて薄く薄く拡がっている絹雲を見ていると、光のベールがオーロラなら、これは雲のベールであるという思いがしてきます。 毎日、お空ばかり見ている人の心が、塵芥を離れていくというのも当然です。

 さて、学校です。先日、「結晶」とう単語を説明している時に、何気なく「雪の結晶」という例を出してみたところ、どうも反応が鈍いのです。皆、「はい、知っています…」と言うものの、どこやら疑わしさが残ります。それで、ちょっと切れのいいところで、北海道の名寄(なよろ)盆地の冬のさまを見せてやりました。

 実は、日本の「自然」あるいは「景色」だけのDVDというのは、主に「初級」の時だけで、「中級」から「上級」、また「上級後」においては、見せるものといいましたら、「時事的な問題」か「社会的な内容」、そうでなかったら「歴史」や「地球の成り立ち」などが主になってきます。ところが、昨日の学生達の反応でちょっと考えが変わりました。

 「自然」は「言葉を必要としない」から、初級の時だけにし、「中級」の後半から後は、考えてもらったり知識を増やすことだけにするという考え方は、間違っていたような気がしたのです(しかしながら、現実は厳しい。彼らの目的は、大学進学ですから、「留学生試験」でできるだけ高得点をマークしなければなりませんし、それが終わったら「大学入試」で筆記試験や面接があります。それらに出てくる可能性のある問題、時事的なものだけでなく、時としては「生物」や「物理」に関係するものなども、見せておく必要があるのです。それで、どうしてもそちらの方にかまけてしまうのです)。

 ただ、何事によらず、学生たちが日本語を学ぶ過程で、ある物事を知る「時期」というのがあることに気がついたのです。これは「日本に対する好奇心」を持つようになる時期と言ってもいいでしょうが。もとより、彼らがこの学校で学べるのは最長で二年間と決まっています。ですから、人によっては、その時期に、学べないこともあるでしょう。ただ、この「Aクラス」では、今が「日本の自然」や「日本の景色」を受け入れるにちょうど適した時期であったように感じました。

 「言葉があまり必要ではない」から、「日本の自然」は「初級」のときに見せておくではだめなのです。いえ、言い過ぎました。「だめ」なのではなありません。それは、当然「見る」ことは何よりも大切です。「一見」は、百万言費やすよりも強い。ただし、それにしても、言葉も必要であるし、心の余裕も必要なのだということなのです。

 つまり「日本の生活」に慣れるためのそれなりの時間と、日本に対する幾ばくかの理解がなければ、何を見せても、世界は拡がっていかないということなのでしょう。「わからなければ」、見ても記憶に残りません。来日後、一年ほどを経なければ、やはりそういう「機は熟さない」ようです、大半の学生にとって。

 何と言っても、大半の学生の来日の理由は、「日本が好きだから来た」ではなく、「大学に行きたいから来た」だけなのですから。日本人が他国に留学するようには、彼らは日本へ来ていないのです。日本のことを何も知らなくて来ているのです、殆どの学生が。

 「初級」の時に、「北海道」のものは一度見せておいたんだがなと首をかしげても、おそらく、それは「見た」だけのことであり、だから「(そこへ)行きたい」とか「日本にはこんなところもあるのか」という美しさに対する興味関心驚きとまではいかなかったのでしょう。それが、今見せると、「食いつき方」が違うのです。

 何事も、「己に引き付けて」考えられてこその教材です。見終わってから、「ここから一番近い山はどこか」という質問が出ました。私が以前よく行っていたのは「奥多摩」の山々でしたので、そのことを言いますと、「ここからどれくらいかかるか」とか、「どの線を使ったらいいのか」といった、具体的な質問がどんどん出てきます。

 まあ、ちょうど夏休みが始まる頃ですし、彼らも一日くらいは休みが取れるでしょうから、ついでに言っておいてもよかろうと、本来なら割けない授業時間をほんの少し割いて、ちょっと説明してやります。

 「奥多摩」の辺りは、山と言いましても、1000㍍前後のものもありますし、それより低く比較的登りやすい山も少なくないのです。登山というより、ハイキングという感覚で歩いている人もいます。私も疲れている時はあの辺りの田舎道を歩くだけで帰ったこともあります。水が恋しいなら、渓谷の方へ下りていき、川で遊んでも、それなりにリフレッシュできるでしょうし。

 日曜日に行くなら、ここ「行徳」からは、「中野」まで東西線で行き、そこで「ホリデー快速奥多摩号」に乗り換えれば、そのまま「奥多摩」まで連れて行ってくれます。乗り換えは一回だけです。けれども、「青梅」で、「普通」に乗り換えた方がいいですね。そうすれば、ああ、「ここいいな」と思ったところで降りられますから。そして駅の周りを歩くだけでも、いい気分になれると思います。あの青梅線はどの駅で降りても、いい山があり、いい渓谷があります。

 ただし、蛇もいますし、鳥もいますよ。ネズミが出てくることもあります。そのことを知った上で行った方がいいでしょう。国や地方によっては、山には生き物らしい生き物が見当たらないというところもありますから、日本の山の様子が想像できない学生もいるのです。日本の山は熱帯地方ほどではなくとも、驚くほど命に溢れています。

 学生があまりに聞きますので「行きたいのなら、今度奥多摩のDVDを見せるね」と言った後で、ハタと気がつきました。

 8月3日は「箱根旅行」です。そっちのDVDの方が先でした。

日々是好日
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「台風による『突風』」。「なかなか聞けない『セミ』の声」。

2011-07-21 08:37:56 | 日本語の授業
 昨日は「豪雨」が断続的に降りました。折悪しく、帰る時にザーッと来た組は「わああ、センセイ、雨だあ~」。「止むまで待とう」といければいいのですが、アルバイトの時間が迫っている学生にはそんな余裕はありません。「ええい」と、がむしゃらに自転車を漕いで帰らなければならないということになります(大丈夫だったかな。この雨も降っても数分で止んでしまうのです。降っている時はすごいのですが)。

 そして、今日は「突風」です。台風は遠ざかっているように見えたのですが、この風は「(台風の)置き土産」なのでしょうか。

 しかし、いつもながら、草花は勁い。ちっとやそっとの風では、びくともしません。ベランダにおいてある鉢植えの花も草も、右に左にと、大きく体を揺らしながら、それでも健気に立ち上がります。もしかしたら、人間が匍匐前進で前に進まなければならないようなときでも、彼らは平気で、軽く頭を下げるだけで終わるのではないかしらん。

 実は、この夏の、暑さ対策として、鉢の下に、人工芝を敷いていたのですが(つい、先週のことです)、「いざ台風が来て大風が吹く」ということになりますと、少々早まったことをしたと悔やまれていたのです。随分、座り具合が悪くなったようにも見受けられましたから。もっとも、人工芝も、パチンパチンと嵌め込んでありますから、これを外して、片付けるというのも大儀であると、ナマケモノの一族としてはそんなずるいことまで考えていたのです。けれども、彼らはへこたれてませんね。人間のちっぽけな思いつきなど構っちゃいられないとでも思っているようです。

 ところで、先週の土曜日、買い物帰りに、ジリジリジリジリ、ジー、という声を聞きました。「これは、あれれ、あれ、『セミ(蝉)』…の鳴き声!?」。慌てて自転車を止めて、足でヨタヨタとバックさせ、その声がしたであろう木のそばまで行き、蝉を捜します。どうも蝉の声を聞かないと夏が来たような気がしないのです。聞けば、いよいよ暑さが増すであろうに、習性というのは恐ろしいものですね。しかしながら、いくら、生い茂った葉っぱを透かすように目を凝らして見ても、蝉の姿を見つけることはできませんでした。

 思わず、一瞬でしたけれども、まさかテープではあるまいな。

 けれども、これは、あり得ないことではないのです。かくいう私だとて、実は、この夏、数回、インターネットで蝉の声を聞いていたのですから。なかなか姿も見せず声も聞かせてくれないセミに業を煮やした、ある人が、音量を上げて、聞いているのではあるまいか。それを私が耳にしたのではあるまいか。はたまた、悪くとれば、道行く人が「あれ」と驚く姿が面白くて、だれかがやっているのかもしれない…などと、せいでもいいことをあれこれ考えてしまいます。

 これも、なぜかと言いますと、私は数回、「ウグイス(鶯)」の声の偽物に引っかかったことがあるからなのです。しかも、「違う場所で」ですから、同じような嫌なヤツが、どこにでもいると見えます。

 最初は有頂天になりました。街中で「ウグイス」の声を聞くなんて、これはもう私だけであるにちがいないと天狗になってしまったのです。嬉しくて嬉しくて、聞いた当座は、もしかしたら、顔も輝いていたかもしれません(?)。何と言いましても、「初音」ですから。

 ところが、「初音」の鑑賞と気負い込んで、その場に立って耳を傾けていますと、どこか、おかしいのです。声の調子も同じ、高さも同じ。長く尾を引くように囀るそのリズムも同じ、どこか機械的なのです。こんなことなんてあり得ませんから。

 そこで、注意しながら聴いてみますと、どうも声は、近くの民家の二階から聞こえているようなのです。ムカッ。…で、がっかりするよりも先に、むかっ腹を立ててしまいました。人を馬鹿にしてやがる。

 聞いた時の感動はどこへやら、「聴かなきゃよかった。興ざめだ」とプンプンしながら、帰ったという始末。思わず、この時のことを思い出して、身構えてしまったのです。でも、…まさかね。

 とはいえ、台風も関東地方を襲う頃となりましたし、近くでは「ノウゼンカズラ(凌霄花)」が、半ば野生化したような逞しい姿で灌木に巻き付いていましたし、「ヘクソカズラ」があちこちで姿を見せていますし、おまけに早朝、草むらで虫の声まで聞いてしまいました。「秋やなああ」。

 そういえば、台風のおかげで、今日は、久しぶりに涼しくなりました。下手をすると、セミの声よりも先に、秋の「虫の音、すだき候」となるかもしれません。

 日々是好日
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「『来日』が目的なのか、『来日後』に目的があるのか」。

2011-07-20 08:49:45 | 日本語の授業
 台風が来ています。昨日は断続的に激しい雨が降りましたが、今朝は曇りです。雨は…どうなりますことやら。

 早朝、おそるおそる窓を開けてみますと、鉄板のような雲の切れ目から、明るい光が漏れています。台風はまだまだずっと西の方にあり、しかも迷走中であるとか。うろうろされた地方こそ、いい面の皮なのでしょうが、「今来るか、今来るか」と心の準備をしていたこちとらとしても、予想のつかない進路状況にオタオタしてしまいます。

 いったい、学生たちにどう言ってやったらいいものやら。今日は授業が終わるたびに、コンピューターの天気予報を覗き込まなければならなくなりそうです。

 今日一日、こんな風なのでしょうか。

 昨日は、午前のクラスの学生達も、そんなふうであったようで、雨の降りを見極めながら、家を出たかに見受けられました。いつもは遅刻しない学生が二人、2分、3分と遅れて来ましたから。それでも遅れたことは遅れたこと、こっそりと、皆の邪魔にならぬように入ってきます。

 こういうのが、一年ほどをこの学校で勉強してきた学生達の「普通の姿」です。今、上のクラスには、授業が始まっているというのに、騒ぎながら来るような学生はいません。そういう姿が、如何に日本人達から白い目で見られるものであるか、それが、学校での日々から、まだアルバイトなどを通して、自然に判ってきたのでしょう。

 最初は、それが判らずに、送れてきた者も入ってくる時に騒ぐ、座にある者もその都度騒ぐというようなこともありました。これも、彼らは自分の国の習慣という尾っぽを引きずって来日しているわけですから、一朝一夕には、改めることなどできません。もっとも、こう言いますと、自分の国は違うと言う人が、必ず出てきます。けれども、多くはそうなのです。自分で気がついていないだけなのです。なにせ、自分でもそうしているわけですから、我が身のことは見えぬのです。

 もちろん、この学校の学生には、その都度注意しています。こういうことすらできなければ、アルバイトを探すにせよ、進学するにせよ、不利ですから。

 実は、先週の金曜日、他の日本語学校の学生(同国人です)に、サッカーをしようと誘われて、学校をサボった学生がいました。来日早々、そんなことで学校をサボるなんて信じられません。信じられないどころか、かなり憤りを感じて、昨日呼び出し、反省文を書かせました。

 これも、初めての国から受け入れた学生には、(まず様子を見ますから)していないのですが、この国からは去年一年間何人か受け入れて、手緩いやり方(温情主義)が通じる相手ではないことがわかりましたので、今年は、初めから締めていくことにしました。だいたい、サッカーをしたいから学校を休むなんてどういうつもりで来日したのだと、はっきり言えば、とさかに来たのです。

 それで、残して、この学校のこと、寮での暮らし方などを説明しながら、注意していきます。その時に、この学校を卒業したらどうするのだと聞いてみますと、一様に戸惑った顔をして「わからない。『日本へ行け』と言われたから、来ただけ」とポツリ、ポツリとそういう意味のことを言います(先に来ていた学生のうち、ヒアリングのいい学生に通訳してもらいました)。日本へ来ること自体が、目的であり、この学校の他の学生達のように、進学したいからとか、何かを学びたいから日本語を勉強しているのだとかいう、来日後の、目的らしい目的がないのです。

 彼らに来日を促した、いわば留学帰りの人たちの頭の中にも、そんなものはなかったのでしょう。だから、「日本へ行けばいい。行けば何とかなる」と、それ自体が目的になってしまい、来日後の設計図が描けないのです。おそらく、その彼らに「日本」を教えた人のイメージの中にも、あるのは、せいぜい、外国人ばかりが行く専門学校くらいで、学ぶという目的のためにいくような専門学校のイメージはないのでしょう。

 いわば、日本にいんがための進学でしょうから、何かを学びたいとかいう目的が全く欠如しているのです。私が聞いたのは、七月生(皆同じ国の人です)のうち、一番おとなしくて勉強する態度が見られる学生です。その彼にしてそうなのですから、後の二人がわあわあやりたがるのもうなずけます。もう来られたわけですから、あと、どうしていいのかわからないのです。こういう人に静かにしろとか、勉強しろと言っても従わせるのは難しいですね。おまけに日本語が通じませんから。

 それでも、去年来た学生のうち(同国人)、二名ほど大学へ行きたいという人が出てきました。これも、どれだけ頑張れるかという問題はあるのですが、この学校では、まず進学を、皆に、考えてもらっているのです。そして何を勉強するのかも考えてもらいます。以前、ある国から来た人達の中に、どこでもいいから勉強しなくてすむ専門学校へ行きたい、もちろん、学費は安い方がいいと学生が大半を占めている時期がありました。こういう人たちであっても、専門学校の試験が始まると、必死で作文を丸暗記したりしていたのです。

 それが、今、ここにいる、ある国の学生たちはその気迫にも欠けているのです。進学したいのかどうかもわからない。何を勉強したいのかも判らない。ひどい時には、なぜここにいるのかさえわからない。

 何がしたいのかと聞いても、草のように揺れながら、戸惑った笑みを浮かべるだけ。いくら言っても埒の明かない彼らに、野蛮な私は、思わず、「ううううう~ん、暖簾に腕押しじゃあ」と叫んでしまいます(もちろん、心の中で)。

 というわけで、昨日、ミャンマーから来た学生に、「あなたはどうして日本に来たのか」と聞いてみました。「できれば、大学で経営を勉強したい。けれども、駄目だったら専門学校でコンピュータを学びたい」。彼は、遅刻も欠席もしていません。まじめに毎日学校に通っていますし、漢字もかなり覚えています。いわゆる、よく勉強する、いい学生です。その彼にしても、「日本に行けばなんとかなる」式の考えで、来日していたようで、少々驚いてしまいました。

 ただ、ミャンマーから来た学生は、一昨年大学に一名合格していますし、その前には大学院へも入っています。そういうことから、大学というイメージが、ミャンマー人の彼にはできているのでしょう。ただそれが、他の国の人ではどうかというと、なかなか難しいところがあります。

 中国人は、もちろん大学か大学院です。大学を卒業してきた学生は、コンピュータなどの技術を身に付けたいという場合もありますが、高校や短大を卒業してきている学生は、まず、皆、進学の意志だけは堅いものがあります。

 ところが、来日だけが目的であれば、来日後は、(下手をすると)生活も荒んでしまいます。親にしても、子供に何を言ってやるでもない、自分たち自身が判っていないのですから。日本へ行けば何とかなるだろくらいにしか思っていないのでしょう、親自体。

 目的がなければ、アルバイトをしながらの(日本語の)勉強はできません。辛いだけです。彼らの大半は、成功体験もないようですから、「頑張ればできる」と思うこともできません。生活に草臥れて、ひしゃげてしまいます。唯一の憂さ晴らしは、授業中騒ぐことでしょう。アルバイトでそんなことをしたら、即、首になってしまいますから、安心して管を巻けるのは学校くらいと思っているのでしょう。もっとも、そんなことはさせませんけれども。

 ベランダには、一度花の終わった「バラ(薔薇)」がまた蕾をつけています。「キキョウ(桔梗)」も終わったかに見えましたのに、また蕾が膨らんでいます。「クチナシ(梔子)」もです。花の力というはすごい。いはんや人は。

日々是好日
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「白雨」。「なでしこジャパン」。

2011-07-19 16:08:26 | 日本語の授業
 台風が近づいています。今朝は出かける時、「篠突く大雨」で、辺りは真っ白でした。こんな雨は久しぶりです。もしかしたら、以前はよく降っていたのかもしれませんが。とはいえ、ほんの五分ほど激しく降って、ぴたりと止んでしまいました。レインコートに雨靴という私の恰好が恥ずかしくなったくらいです。降っている時は、こいつはまあと出るのが恥ずかしくなるほどでしたのに、ねえ。

 歌川広重の「東海道五十三次」に出てくる「庄野」の白雨が、ちょうどこんな具合でした。思えば、私たちの「江戸」に対する理解なんていうのも、結局は浮世絵から生まれてきただけなのかもしれません。江戸というと、浮世絵の世界がパアッと拡がってきますもの。人々の生活はもとより、日々の移ろい、自然やお天気まで。

 さて、昨日は「なでしこジャパン」で明け、そして暮れていきました。普段はスポーツなど無関心だった人までが、「なでしこが」と言い、「偉い」、「頑張った」と言っています。

 実際、すごかったのです。何よりも、自然体に見えたことがすごかった。走るべき時に走り、飛び出すべき時に飛び出す。なかなかできることではありません、プロであっても。それをごく自然にやってのけているように見えたところが何とも言えませんでした。その上、同時に「ひたむきさ」が感じられましたもの。

 普通なら、一流どころになると、「ええかっこし」になるものでしょうし、皆が自分を注視して当然といった様子もチラホラ見えてくるものでしょうし。ところが、彼女らには、見えているものはボールだけ、コートの中だけと、外野を寄せ付けぬ必死さがありました。
心はアマチュアなのです。技術も能力もあるにもかかわらず。

 もちろん、有名になってからの、これからが大変だと思いますが、それでも、これだけ「心を奪ってくれた」相手に対して、観客である日本人は、寛容になるべきでしょうね。だれもが、この暫くの間は、これほど心を揺さぶられたことがなかったわけですから。地震、そして津波により、それから原発という恐怖によってうちひしがれてからは。

 さて、学生たちの反応はどうでしょうか。以前はスポーツや街の噂などに敏感な学生たちがいて、誰それが賞を取っただの、私たち以上に詳しく、報告してくれていたものですが、最近はそういう学生もいませんでしたから。

 あの頃は、時々、「ああ、うるさい」と思ったものでしたが、それも全然ないとなると、どこやら寂しいような気がしてきます。

 「センセイ、センセイ。知っている?」「センセイ、センセイ。見た?昨日のあれ」という、いかにも好奇心に充ち満ちていたあの声が、聞かれなくなって久しいのです。時々、ふと、空耳かしらんと、周りを見てしまう時もあるくらいなのですから。なんとも言えませんね。あの頃は、攻められて攻められて、辟易したことだって少なくはなかったのです。それなのに…。

 人間とは、まことに勝手なものであります。

日々是好日
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「セミ(蝉)」。「チョウ(蝶)」。

2011-07-15 09:32:55 | 日本語の授業
 今朝は朝から「はれ」です。きれいな青色がどこまでも天空を埋めています。確かに「晴れる」というのは、喜ばしいことです。しかし、この「光」の強烈なこと。眩しくて目も開けていられません。自転車は木陰、建物の蔭と、光線の届かぬところを撰びながら縫うように走っています。時々、歩行者の背を見つけるたびに一つ大きな輪を描き避けながら、また元のルートに戻っていきます。夏ですねえ。

 とはいえ、この辺りでは、まだ蝉の鳴き声は聞こえてきません。先日、テレビのニュースで、「さて、この夏、既に蝉の鳴き声を聞いた方はご連絡下さい」と呼びかけがあり、その数分後のデータでは、九州から北海道に亘ってですが、驚いたことに蝉の声を聞いた人が多かったのです。

 実は数年前の、「蝉が姿を消した」を思い出し、今年はどうだろうと心配していたのですが、この分では大丈夫そうですね。

 今、学校に在籍している人たちは、みな蝉を知っているようです。それぞれ鳴き声は違うようですから、種類は違っているでしょうが、日本でも郊外に行けば、夏の季節の流れに応じて聞き知った声を聞くことができるかもしれません。

 最近は、インターネットを通じて、日本にいる各種類の蝉の声を聞くことができるようになりました。ほんの十数年前までは、テープを買って来なければ、虫の鳴き声なんて、好きな時に聞かれませんでしたのに、全く夢のようですね。子供の頃、虫取り網を持って虫取りに興じたりしたときのことを思い出します。蝉だけは苦手で、それも「地上に出てきた蝉は、命かけて啼き、一週間ほどで死に至る」とかなんとかを、夏休みの前に聞いていたからかもしれません。

 こんなことを聞いては、「蝉の声、うるさい」なんて言えませんもの。それどころか、蝉だけは捕らない方がいいのかななんて、思ってしまいます。というわけで、夏休みの虫取りは、殆ど「カナブン」と、「カミキリムシ」で終わりでした。ただし、こんな虫ではあまり威張れません。

 そんな時、家族で山に行ってきたという友だちが、黒い羽のしかも角度によってはコバルトブルーにも見える、大きな蝶を見せてくれたことがありました。あれは美しかったですね。「カブトムシ」とか「クワガタ」とかで興奮する男子を横目に、女子はもうその蝶に夢中でした。

 ところが、大人になって友人と会津のほうへ行った時のことです。会津と言ってもバスでずっと行かねばならないような山奥でのことですが。そこの民宿で、あの子供の時に見た蝶が飛んでいるのを見つけたのです。すると、民宿の女将さんが、それを見て「あの蝶を捕ってはいかんよ。あれは、お盆の頃に、この辺りに来る蝶で、昔から、人の魂を黄泉の国から運んでくると言われて、みんなが大切に守っている蝶だからね」と言うではありませんか。聞けば、なるほどと思われます。姿が美しいだけではなく、飛び方も非常に優美でしたから。

 あのとき、蝶に乗っていた一つの魂は、無事に子孫の家にたどり着くことができたのでしょうか。

日々是好日
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「朝は秋風」。「教室に来て、机の上に本を置き、そのまま座っているだけの『学生』」。

2011-07-14 09:39:35 | 日本語の授業
 いつの間にか昨日が終わり、今日になっている…ような、慌ただしい毎日が続いています。職場にはかなり長時間いるというのに、授業以外には何もできていないような気がして、少々途方に暮れてしまうこともあるのです。本来ならば、もっと先の分…DVDの準備やら、記事の選択やらを、そろそろ始めてもいい頃なのに。

 目先のことに追われているかのような具合なのです。これは私一人ではなく、常時ここにいる教員達の誰もが感じていることのようで、学生数が減った分(もともと少ないのですが)、毎日来ている一人一人にまで、目が届くようになり、彼ら向けの対策を日々(学生の状態も日々変わりますから)考えなくてはならなくなったがゆえなのでしょうか。

 ところで、今朝の天気です。渋谷の方は雲一つない青空で、気象予報士の方も「暑い」を連呼していました。ところが、その同じ時間帯、朝の7時ごろのことです。行徳一帯には薄い雲がかかり、陽射しは遮られていましたし、その上、秋風のような涼しい風が吹いていました。都心までとても近いところにあるというのに、こんな風に吹かれているとは。まことに申し訳ないような気分です。

 もちろん、陽が高くなれば、こことても、耐えきれないような暑さになります。それはそうなのですが、朝の一時、ホッとできる(風があるということ、しかもそれが熱風ではないということ)のは、何よりありがたいことです。

 さて、八時半前後になりますと、一人二人と、学生たちが来はじめます。すでにアルバイトを始めている学生たちは、朝は、めいっぱい寝ようとしますから、「ぎりぎり族」なのですが、まだ来日後、日の浅い学生たちはアルバイトがありませんから、早くやってきます。私たちも、朝、部屋でグズグズしないで、来られるならできるだけ早く学校へ来るように言っています。部屋にで一人でいるよりも、学校に来て、いろいろな国から来ているクラスメート達と、片言の日本語でおしゃべりしたり、勉強したりしたほうが楽しいのです。

 今年の「4月生」は、どうも、不器用だけれども、根がまじめな人たちが多いようで、(教師に言われれば)言われたようにしなければと考えてくれるような気がします。普通は、学生たちには、授業が始まる10分前に来るようにと言っているのですが、このクラスの学生たちは30分ほども前に来ています。そして、このクラスに六月の末から参加した「七月生」はと言いますと、教室に入ってから、「座っています」、何もせずに「座っています」(授業が始まる前のことです)。

 ただ、七月生は、この「おとなしく座っています」が、問題と言えば問題なのです。中国人やフィリピン人は、時間を無駄に使わないという精神があるようで、大慌てで宿題をしたり、他のクラスメートとおしゃべりしているのですが、そうではない国から来た人は、「座っています」だけ状態なのです。

 「学校に来たら、教科書は机の上に置いておきなさい」という注意は受けたのでしょう、見ると、教科書は机の上に置かれてあります。そして、それを前にして、「お行儀好く」座っています。

 その様子を、最初に見た時には、思わず吹き出してしまいました。が、彼らにしてみれば、そんな私の方が、不可解至極であったのかもしれません。言われたとおりにしているのに、どうしてこの人は吹き出してしまったのだろうと怪訝に思ったかもしれません。けれども、すぐに、「教科書を開けて、見ます」、「新しい課の単語を覚えます」、「昨日の課の復習をします」と言ってみました。

 それを聞いても、「ああ」と判ってくれた学生は少なく、もの問いたげな表情で、じっと私の顔を見つめる学生の方が多いのです(言うまでもないことですが、必死に宿題をしている学生は、はなっから私のしていることなど気にかけていません。ここで言っているのは、机の上に教科書を置いて、何もしていなかった学生のことです)。だいたい「もの問いたげな表情」君は、六月の末に来た学生なのですが(つまり「七月生」です)、何を言われても、ニコニコして「はい」と言います。私としても、ふむふむ「笑ってごまかせ」作戦だなとも思うのですが、彼らにしてみれば、判らないから仕方がないというわけでしょう。

 ただ、学生もまじめですし、彼らとの間を取り持ってくれる学生(半年ほど前に来た学生たちです)たちもいることですから、少しずつでも、この学校のやり方に慣れていってくれることでしょう。さもなければ、日本でのアルバイト探しは難しいのです。日本語も話せない、日本の習慣にも馴染めない、アルバイトを捜すだけのガッツもないとなれば、同国人の間をクルクル回ってそれで二年の滞在期間が終わるということにもなってしまいます。そうなりかねないのです、見ていると。それだけは、今年の学生たちは避けさせたいと思っているのですが。「ガッツ」というのは難しいかもしれません。生得のものなのかもしれません、こういうものは。

 まあ、無い物ねだりしても始まらないでしょうが。少なくとも、彼らは、ちゃんと学校に来ていますし、(机を前にして)座っているだけの状態でも、言われたことはやろうと努力しているわけですから、それを、まずはよしとせねばならぬでしょう。が、そういうことがきちんとできてしまうと、ついつい、こちらとしても欲が出てしまうのです。困ったことですけれども。

日々是好日
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「暑い夏。夏は暑いモンだ…けれども、暑い」。「戻って来た学生が後悔しないように…」。

2011-07-13 17:30:54 | 日本語の授業
 今日も暑い。お日様は遠慮会釈もなく、ギンギラギンに照りつけています。ただ、この辺りは海に近いので、朝は、ひとしきり、涼しげな風が吹きます。それが救いといえば救い。この暑さで、「風が全く絶えている」の図などを想像しますと、それだけで汗が吹き出しそうになってきます。

 東京などでは街を風が流れないことから、ヒートアイランドが深刻化し、風の道を蘇らせようと、様々な試みがなされています。しかしながら、一度失われたものを蘇らせるというのはなかなかに難しいのです。一番いいのは、高速道路をバッサリ切ってしまって、江戸時代の運河を蘇らせることでしょうけれど。まあ、今となっては、これも夢物語のよなものですが。

 とはいえ、もしこれが実現すれば、海風は、かつてのように、川を遡っていき、川を渡る風を体感できるようになるかもしれません。

 この地(行徳)にいますと、それを実際に享受できるというわけで、少々申し訳ないような気持ちにもなってしまうのですが、日本列島、海岸線は長いので、私たちと同じように自然の恵みを大らかにいただいているところも多いでしょうから、それはそれでしかたのないことと割り切るしかありません。

 そうは言いましても、何事にも光があれば闇もある。海からは恵みも来れば怪物も来ます。津波というのも計り知れない力を持つ、人にとっては怪物の一つと言えるでしょう。この怪物は、不意にやってきます。心の準備が必要だと、いくら神に祈っても、斟酌してくれはしないのです。これが、もし、近海で、大規模なものであれば、あっという間に呑まれてしまいます。怯える時間も、泣き、おめき廻る時間もありません。餌食になるだけです。

 防ぐ手立てなどないのです。「人の命をどれほど大切に思っているか」が為政者に問われてくるのは、そういう事態があるからなのです。「自己責任」などと言って一人一人の民を責めることはできません。「日常」は突然に奪われ、茫然自失した人々が取り残されるだけです。

 今、私たちは、一見、元通りの「日常」を生きています。殆どの学生たちは戻ってきました。彼らは日本に住んだことがあるから、日本の様子がわかっているから、戻ってきたのでしょう。日本に来たことがない学生たちに、日本でのことを話しても、それはなかなか理解されないでしょうから。今、戻って来た学生たちは、戻ってこられた好かったと言っています。それが本当に好かったことになるかどうかは、これからの数ヶ月にかかっています。11月の留学生試験、12月の日本語能力試験。それとともに、その前後から始まる大学や専門学校、大学院の試験、そして面接。

 この一年ないし二年間の努力が無駄にならないように、私たちも、彼らの添え木の役目を、できるだけしていくつもりです。

日々是好日
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「節電。…頑張る…。熱中症」

2011-07-12 16:18:24 | 日本語の授業
 昨日も一昨日も、朝は白々と明けていきました。そして、空が随分明るくなったと思われた頃に、お日様のお出ましでした。先日までは黒い雲に覆われがちだったからでしょうか、朝の光は突然に射し込んだように感じられました。しかも明るい青空の中ででしたから、どこかしら、チグハグな感じはぬぐえませんでした。

 ところが、今朝は少々違いました。昨日の天気予報では、今日は、雲一つない「お日様マーク」でした。それなのに、今朝の空は灰色の雲に覆われていました。水遣りも躊躇われたほどです。ところが、私が出かける頃には、もう、雲一つない、きれいな青空になっていました。まったく、夏の空も秋の空と同じです。

 さて、街の様子です。梅雨時の街とは様相が異なってきました。陽射しははっきりと夏であるということを告げていますが、「キョウチクトウ(夾竹桃)」や「ネム(合歓)」の樹がそれぞれ花をつけ、午睡の世界へ人を誘っていくのです。大木の濃い影とは違い、この木々の闇は薄く、淡く、気怠げで、疲れ切った頭には辺りが薄ぼんやりとしてくるようで、どうもいけません。午睡の習慣のある南国の夏の樹であるのかもしれません。

 今頃は、草花の世界というよりも木々の世界といった感じなのですが、それが、夏の中盤ほどから、「カンナ」が、強烈な赤や黄色、オレンジなどを主張するようになり、次第に、「目にはさやかにみえねども」という世界へ、草蔭で啼く虫たちの世界へと移行していきます。木々の下の濃い影も、太陽の移動と共に姿を変えていきます。

 乾燥地帯のいいところは、(夏)木陰に入れば汗がひいていくということなのでしょうが、日本ではそうはまいりません。木陰であろうが、湿度はついて回りますから、汗はひかないのです。半端なことじゃあ、日本の夏は乗り切れません。しかも、日本人の大半は、エアコンがあることに慣れきっていて、暑さに対して脆弱になっているのです。木陰には、蚊もいますし…。

 とはいえ、「節電」が叫ばれれば、(福島などの被災地の人々の苦労を思い)皆は、当然のように、守ろうとします。既に熱中症で運ばれた人も少なからずいるのですが、その理由は、「頑張りすぎた…」。

 で、今では、有識者の弁も「夜は電力は充分あるのだから、我慢しすぎないように」とか、「暑かったら、冷房を入れて寝たほうがいい。ただし温度設定はキチンと守るように」に変わってきています。

 ただ、中心になって、この「節電」を叫んでいる人たちが、「夜はいいよ」と言わないので、未だに、夜まで頑張って、そして病院は運ばれる人たちが続出するという始末。こういうことは、皆、初めてですから、対処の仕方が、よくわからないのです。もう少しきめ細かく指導してもらえないものかしらん。特に幼児や老人を抱えた家庭では、おろおろして間違ったやり方をしているのかもしれません。

 いくら有識者とか専門家とかいっても現場から離れてしまっては、彼らの話に重きを置く人たちも少ないでしょうから、何の役にも立ちません。きめ細かいサービスや指導ができないのは当然です。
 そして重病になって入院なんぞになってしまったら、却って電力を使ってしまうことになってしまうのです。トコトン人々を不便にさせて、だから原子力が必要でしょうと思い知らそうとでもしているかのようにさえ感じられて、(こんなのは)どうも不愉快ですね。

 「隠し電力」の存在を(聞かない限り)公表しなかったり、個人で発電したいという人たちを押さえつけておいて、それはないでしょうと、誰もが思っているというのに。どこか、国民の思いと、そうではない人たちの考え方とはずれているようで、本当によくわかりません。以前なら、専門家が言うから(従わなくては)と思えたのに、今は何を言われても「眉唾」と考えてしまうところが悲しい…のです。

日々是好日

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「朝顔の花」。「『七夕』のお祭り」。

2011-07-08 08:22:58 | 日本語の授業
 朝顔の花が咲きました。階段を上っていくと、玄関の入り口に、一輪…。

「朝がほや 一輪深き淵のいろ」(蕪村)

 一昨日から咲き始めたようでしたが、全く気がつきませんでした。褒めてやらねばならなかったのに、気の毒なことをしました。

 さて、学校です。昨日は「七夕」でした。で、学校でも「七夕様」を、例年通り行いました。

 ところで、この「七夕のお祭り」の「お祭り」に、「初級」クラスの学生たちは引っかかるのです。「初級」クラスでは、「祇園祭」とか「阿波踊り」、「ねぷた」などの祭りを、その時々に応じて「DVD」で見せているのですが、これらと、各家庭でもする「七夕」などの祭りとが、どうもしっくりいかないようなのです。「『祭り』とは何ですか」と聞きに来た学生までいましたから。

 これが、一年ほども日本にいて、『ひな祭り』なども経験していくと、なんとなく「同じ祭りといってもいろいろある」という感覚が身についてきますから、適当な反応が返ってくるようになるのですが。

 「お節句」の類も、「祭り」といえば「祭り」。何万人もが参加して、大規模に執り行われるのも「祭り」。おそらくはすべての始まりは、「神」や「仏」、あるいはそれらと関係する「禊ぎ」や「祀る」と関係していたのでしょうが、今では、ただ単にご馳走を食べるだけの日であったり、スポーツ感覚で楽しむだけのことであったりしていますから、ますます訳がわからなくなるのでしょう。

 ただ大規模な「祭り」というのは、必ず「肝煎り」さんが必要になります。リーダーシップがある人がいなければ、「祭り」は失敗してしまいます。人をうまく動かすことの大切さを、この「肝煎り」さん達は誰よりもよく知っているはずです。

 「祭り」ですから、個人的な利害関係が働いては「神」も「仏」も喜びません。人々の祈りを聞き届けてはくれないでしょう。「氏子」という意味では、皆、対等ですから、それなりの「無私」の精神がなければ誰も動いてはくれません。「指示」や「命令」をすればいいというのとは、わけが違うのです。「命令」などでは人は動かないのです。そこには「人に一目置かせる」何かが、その人に必要になってきます。皆にそっぽを向かれては祭り自体が成立しません、だれもいない祭りなんてありませんもの。

 こういう場合、リーダーとなった人は必ずといっていいほど割を食います。それに耐えられるかどうかが、その人が立派に育つかどうかの分かれ目です。一番辛い仕事をしなければなりませんし、損も覚悟しなければなりません。それも、自分がなにがしかの得になるからというのではなく、皆のため、「祭り」を成功させるためなのです。その人に残されるのは、「ああ、あの祭りを成功させた○○さんは立派な人だった」という褒め言葉と、その記憶だけです。

 しかし、こういうふうな場でしか、人というものは育たないのではないでしょうか。子供らも祭りには参加しますから、そういう場で、辛いことを黙々とやっている大人を見、成長していきます。ああいう大人になりたいと思うか、ああいう大人だけはごめんだなと思うかは、その地域の力で決まります。

 欲を言えば、こういう地域の「祭り」で、人を動かすことが出来た人が、日本をリードしていく「政治家」や「経済人」になってくれるような仕組みが、日本に残っていれば、昨今のような政治的な混乱は起こらなかったのではないかとも思われます。

 かつての薩摩における、あるいは日本各地で行われていた若衆宿のようなものがその母体でしょう。最初は、「大人」たちに指示されながら、子供達は、適材適所で働く術を学んでいき、そしてリーダーとなる素質のあるものが篩にかけられ、仕事を通してこなされていき、その役どころに相応しいものに、それぞれがなっていたのでしょう。そういう「若者を育てるだけ」の足腰も、当時の各地域にはあったのでしょう。

 話は元に戻します。「七夕」様です。

 午前の部は10時半から行いました。「七夕」の説明をいつものようにし、歌を一緒に歌い、「願い事」を短冊に書いて、いよいよ「千代紙」を折ります。今年は、立体的な建造物を造ったり、とんでもない作品ができあがったりというようなことはありませんでしたが、参加したものは、皆、習ったり、教えたり、また出来た人のを覗き込んだりと、なかなか忙しく過ごしたようです。

 今年は「形」よりも、できあがった時の「色合い」に工夫が見られました。「この色とあの色との組み合わせが面白い」とは、鑑賞者の弁です。作った本人はポカンとしていましたが。

 「お願い事」は、やはり、「進学のこと」と「国に残してきた家族の健康や無事に関すること」が多かったようです。これはどこの国でも同じです。あとは時間とお金ですね。大半は苦学生ですから、経済的な苦労はあります。それ故に勉強するに十分な時間も限られてくるという悩みがあるのです。

 ただ、学校に毎日来てさえいれば、人によってその違いは多少あるものの、不思議なことに日本語の力はだんだんついてきます。それが、簡単に一発を狙い、それで上手にならないからと続けるだけの根気を失い、休みがちになってしまうと、却って、本人の望んだようにはいかなくなってしまいます

 辛くとも休まない。半年くらいで、どうにか日本での生活に困らないだけの日本語力が身につく(そういうものです)。そうなるとアルバイトを見つけられるか、新しいアルバイトを捜すことができる。次に日本語を多く使うことのできるアルバイトが見つかる。それから自分以外は全部日本人というアルバイト先を見つけることができる。最後は二年後くらいですね。大学生になってからということです。

 この来日後、最初の半年、あるいはぎりぎり絞って、最初の三ヶ月、アルバイトをせずに、日本語の勉強だけに集中できると、それから先が、随分楽になります。またそれから先は本人の力と言うこともできるでしょう。

 親御さんも、日本に送り出すことができたら、あとは自分で頑張れというのではなく、来日後の三ヶ月程度は、安心して勉強に打ち込めるくらいの経済的な支援をお願いしたいのです。が、かつての留学生(日本で勉強し、帰国した)達は、自分の成功談しか話しません。つまり、その国にいる人たちに、本当のところ(どんなに大変だったか)は話さないものなのです。だから日本の雇用の実情などは、新しく日本へ行こうという人達にはわからない。来日後、こんなに辛かったのかと初めて気がつくような学生もいますから。

 その面でも、来日前に、学生と会って、来日後も、その時点(来日時)での日本語力で、最初のアルバイトも勉強も決まってくると言うことを伝えるだけの意味はあるのです。

日々是好日
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「いかにも梅雨らしい一日」。「午前も午後も勉強」。

2011-07-07 09:39:25 | 日本語の授業
 今朝も起きたときには地面が濡れていました。風はヌメリを帯びて、柔らかい。地面が少しずつ乾き初めたなと思われた頃、また雨が降り出しました。

 不思議ですね。雨が降り出す少し前、重たげに見える灰色の雲の切れ目から、微かに、青空が覗いていたのに。そんなもので、このまま晴れていくかと思っていたのです。ところが、そうこうしているうちに、急に涼しい風が吹いぬけ、これはやばい…。それは、夕立の前兆のような冷やっこい風だったのものですから。もうこうなりますと、来るな、来るなと身構えてしまいます。

 案の定、雨は降り出し、そして雨音は少しずつ大なり…。空はいつの間にか灰色一色になっていました。ベランダに一輪残っていた「キキョウ(桔梗)」も後ろを向いていますし、どうも今日一日、「晴れ」とは縁がなさそうです。

 とは言いましても、梅雨なのに雨がないのも寂しい。元来、四季プラス梅雨で、他国よりも余分に季節を楽しめるという特権が日本人にはあったわけで、梅雨時に雨が降らないということは、その権利を奪われたに等しいのです。

 昨日まではカンカン照りで、「空梅雨かぁ」という嘆きが聞こえていたこの辺りでも、今日は久しぶりに雨中の「アジサイ(紫陽花)」が愉しめそうです。もう花期も終わりに近づいた頃になって、やっとです。せいぜい今日の雨の雰囲気を大切に過ごしましょう。風も吹き、暑かった昨日までとは違って、今日は随分過ごしやすそうですから。

 さて、学校です。

 「七月生」は、本来は「初級Ⅰ」クラスであるべきなのですが、「四級」には合格していると言うことで、来日していますので、まず午前中は、「初級Ⅱ(Ⅱに入ったばかりです)」クラス(4月生)で勉強し、そして、不足を補うという意味で、午後1時15分から3時まで、「初級Ⅰ」を勉強するということにしています。この「午後のクラス」には、「初級Ⅱ」に入った段階で判らなくなったという人や、「4月生」とは名ばかりで五月に入ってから来日し、しかも「イロハ」から始めたという学生も含まれています。

 この「七月生」は(合格してきたと言いましても)、「午前のくラス」にいるときには、殆ど活躍の場がない(なにせヒアリングが悪いのです)人たちですので、少し心配していたのです。が、昨日、終わった頃に覗いてみますと、もう、「笑い声在り」で、明るく盛り上がっていました(午後の授業開始から三日目です)。

 ベトナム人の学生が、インド人の学生に、「授業が終わったら、公園で一緒にサッカーをしよう」と持ちかけ、それがわからずにぼんやりしているインド人学生に、今度は隣に座っている中国人の学生が、説明しようとしていたりで、ワイワイガヤガヤ。いかにも愉しげに見えました。

 もちろん、普通の小さい公園でサッカーはだめですから、それは注意しましたけれども。(こういう公園には小さい子供が遊んでいる場合が多いので、サッカーや野球は禁止されている場合が多いのです。当たったりして危険ですから)。

 ベトナムから来た学生は、一般的に、日本語の音をどうも捉え切れていないらしく、聞き取りが苦手だという人が多いのですが(こういう場合、当然のことながら発音も曖昧になってしまいます)、困ったことに、中には、母国で学んでいる時に、発音を注意されたことがないという人もいたりするのです。そして、来日後、日本人教師に指摘されて初めて気がついて、愕然とする…。こうなりますと、これは彼らの責任とは言えませんので、少々かわいそうになってきます。

 とはいえ、日本に来たのですから、しかも日本語学校に留学生として入ってきたのですから、しっかりと勉強してもらわなければなりません。

 不況、好況にかかわらず、日本語ができなければ、アルバイト探しも簡単ではありませんし、この学校を卒業後、進学する時に、選択の幅がずんと狭まってきます。これは、なかなか口で言ってもわからないらしく、「私の友だちも日本語が下手だけれども、専門学校に行きました」などという輩さえいるのです(入ったことしか聞かされておらず、中でどういう待遇を受けたのか、あるいは卒業後どうなったのかまでは知らないのです)。

 どのような専門学校であれ、日本語が出来る人は上のクラスで、ある程度の知識を学ぶことができますが、そうでなければ、ただ単においてもらっているだけ。学校での待遇が悪いだけでなく、校内での他の人とのやり取りもうまくいかず、同国人の間をぐるぐると回っているだけで日本在住期間が終わったということにもなりかねないのです。これでは何のために日本に来たのかさえ、判らなくなってしまいます。

 少なくとも、この学校に来たからには、そういう目には遭わせたくありません。もっとも、勉強はしない、できるだけの、時間的経済的余裕があろうとも、何もしないという人には、「何をか言はんや」ですが。

 日々是好日
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