日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『六道』を彷徨うか、『雨滴』となって、地球を循環するか」。

2009-06-30 07:58:09 | 日本語の授業
 雨は、相変わらず、しめやかに降り続いています。「大連」から戻って、まだ疲れが取れていないせいでしょうか、やけに毎日を忙しく感じています。しかしながら、ただ心で「あれもしなければ」、「これもしなければ」と思っているだけで、一向に手も足も、勿論、頭も動きません。それどころか、机の上には、いつの間にか、未処理の原稿や、目を通しておかねばならない教科書、新聞、テストなどの類が、ホコリをかぶって溜まっています。

 これがしばらく続きますと、この仕事の山(他の人から見たら、たいしたことのない丘程度のものです)から逃げ出したくなり(見たくないのです)、自分の机から遠く離れたところで、日々の授業の準備、乃至片付けをしようなどという不心得な心持ちになってしまいます。

 特に、金曜日と月曜日は、授業に六時間も入っているので、一日の授業の後始末だけでも、片付けの苦手な私は、アップアップしてしまいます。そういう時に、別の事務的なこと(極力、自分に来ないように、皆も協力してくれていますし、私も逃げに逃げているのですが)が、一件でもくると、一㌧もの重荷が、ずしんと肩に掛かったような心理状態に陥ってしまいます。

 本当に、事務能力のある人が羨ましい。その人達にとっては、こんなこと、朝飯前のおやすいご用、お茶の子さいさいで、ちょちょいのちょいとばかりに、やってのけてしまえるようなことなのでしょうが…。今も、片付けなければならないものが、机の右端の籠の中に、鎮座ましまし、なにやら、彼らに睨まれているような、そんな気がしています。そんな気がしながらも、根性で、ブログを打っているのですが、打ちながら、ため息をついているような次第。「仕事の籠が怖い」と、「饅頭、怖い」のノリで言ってみても、少しも可笑しくありません。

 雨はいいですね。できうれば、雨粒にでもなりたいような心境です。定められた道を順繰りに廻っていき、それは「六道」を巡らねばならぬ、人間などよりもずっと穏やかで優しい生き方(?)に見えます。「私は、貝になりたい」というのは、辛かったけれど、「雨滴」には、悩みも哀しみも感じられませんし、不安も、また追い詰められていくような焦燥感もありません。それらを感じてしまう「心がない」というのが、何よりもいい。 とは言いましても、なぜか「ヒト」として、ここにあるわけで、一旦「ヒト」として、ここに存在しているからには、「六道」を巡らねばならぬ定めなのでしょう。

 草か虫か、或いは犬か馬か、鳥か蛙か、考えていったら、何も出来ません。身体も心も、考えまでも、動かなくなってしまいます。この「ブチン」と殺した蚊でさえも、前世の友人であったかもしれず、そう思えば、座禅だけ組んで動かないのが、一番いいということになったしまいます。それも、「ヒト」としてある限りは、できない相談ですしね。

 さて、「Aクラス」では、「『一級文法』を毎日やって、丸暗記」というのをやっています。が、一人、どうしても言われた通りのことができないお嬢さんがいます。彼女を見ていると、こちらが言ったことを、極力避けて、それと違うことばかり選びながらやっているのではないかとさえ思えてきます。

 「これをやれ」と言えば、「あれ」をします。「これを見なくていいから、あちらをやれ」と言うと、「あちらを見ずに、こればかりやろう」とします。「やれ」と言われたことに対して、身も心も目も「避け」ており、反対に、「やるな」と言われたことに対して、ドンドン惹き付けられているようなのです。

 これもヒトの「業」と言えば、言えるのかもしれません。「明るい白い道」が、どこにあるのか、またどうすれば行けるのか、判っていながら、それを避け、それと反対の「暗く険しい道」に心惹かれていくのが、既に「習い」となっているのです。こういうことは、どこかで断ち切ってやらねば、多分これからの道も辛いものになると思うのですが、彼女は無意識のうちにやっているのです。もしかしたら、どうしてこういうことをしてしまうのだろうと、かすかな不安を覚えているのかもしれませんが。

 大学に合格したら、「臨床心理」の授業でも受けて、「箱庭」療法でも経験し、一度自分というものを見つめてみた方がいいのかもしれません。そうでもしなければ、「自分の習い」に気づかないまま、マイナスの行動ばかりをとり、生きていかねばならないということにもなりかねません。

 勿論、大半の学生は、言われた通りにやってくれています。ただ、「それが一番いい」と、心ではわかっていても、どうしても、その通りにできない者もいるのです。これは、これまで彼らが育ってきた環境のなせるワザとくらいしか言いようのないものなのです。ただ、自分にそういう習慣があるということさえ、判っていれば、対処の仕方もあるのです。
 「自分で、それを知る」というところがミソなのですが。そういう「習い」を知った上で、「その逆を行く」、これを、一定の期間繰り返し、軌道修正していかなければなりません。そうしなければ、一生、「楽な道を避ける」という、今のこの習慣が、更に揺るぎないものになってしまうでしょう。「この方がいい。この方が楽だ」ということを、知っていながら、否、知っているが故に、その逆を行ってしまうのです(時には、半分以上、意識的にしているようにさえ見えることがあります)。

 「Cクラス」では、もうすぐ、「初級Ⅱ」が終わります。学生達の口が、「初級Ⅰ」の頃と比べ、随分重くなってきました。それも当然で、「初級Ⅱ」では、一文の中に、いくつも動詞や形容詞の活用が含まれていたり、別の文法事項が含まれていたりします。考えながらやっているので、時間が多少かかってしまうのでしょう。「頭から先に行く」学生さんが多いクラスですから、それもしょうがないのですが。

 「Dクラス」の場合は、「不器用」さんが多いので、「日本語の煩わしさ」に気づかれないように、常に(一文を)分解して、パーツ毎に練習し、それをまとめ上げるという作業を繰り返しています。それ故、(不器用さんが多い割には)どうにかなっているのです。が、「Cクラス」は、「初級Ⅰ」の時は、普通にやっても、それほど問題が生じませんでしたから、これまで、そういう作業とは無縁でした。けれども、もしかしたら、(「初級Ⅱ」に入った後)、少し早くから、そういう作業をやってやった方が良かったのかもしれません。

 ただ、毎日行っていないと、(教師には)それがわからないのです。自分では、授業時には、(授業の)流れのままに、無意識にやり方を変えているのですが、それも、「理論的にこう」と考えずに、行っているので、いざ説明を求められても、なかなかできないのです。こういう時には、こうしていると見て判ってもらうよりほかないのですが。

 ただ、経験があまりない人(教師)が見てしまうと(他のやり方を知らないので)、失敗します。引き出しの少ないうちは、「形」通りの授業をする人(教師)を見た方が勉強になります。授業を「軟体動物」のように見なしている人間の授業は、あまり褒められたものではありませんから。

日々是好日
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「(外国人と日本人と)共に、『いい関係を築き、維持していく』ためには」。

2009-06-29 08:39:26 | 日本語の授業
 今朝は晴れ。
 昨夜は昼から、梅雨特有の重い雨が降り始め、夜になっても止む気配がなかったのです。ところが、朝になってみれば、うって変わって、明るい空が拡がっています。雨が、汚いものをすっかり押し流してくれたのでしょうか、爽やかで、清々しい空気に包まれています。そのついでに、昨日までの湿度も追っ払ってくれたようです。草木の緑も、どこかしら、ホッとしているように見えますから。もしかしたら、人と同じように、ジメジメ、ネトネトは、嫌なのかもしれませんね。

 さて、今日は、朝から忙しくなりそうなので、早くブログを書いてしまおうと、早めに学校に来たのですが、慣れぬことはするものではありません。入るなり、ふと目をやった「玄関の写真」に捉まってしまいました。

 玄関には、いつも「課外活動」時の写真か、「卒業式」や「入学式」の写真が貼られているのですが、今はちょっと様子を異にして、「授業風景」が貼られています。

 言うまでもなく、ここは学校ですから、学生は、その活動の95%以上を勉強に費やすということになっています。自由な表情で、遠慮なく話したり、大口を開けて笑ったり、何か食べたりといった様子は、課外活動にでもいかない限りなかなか見られるものではありません(課外活動では、他の人に迷惑でもかけない限り、多少のことは、大目に見ています)。青空の下では、人は、屋内にいる時とは違った表情をするものですし、違った個性を見せてくれるものです。
 つまり、いつも壁に貼られていたのは、そういう時の彼らの表情であり、様子だったのです。

 ところが、「授業風景」というのは、特別ですね。改めて見ますと、こんなにまじめな表情で、一生懸命勉強していてくれたのかというような気持ちになってきました。そして、もっともっと勉強してもらわなくてはという気分にもなってきます(もっとも、これは、彼らから見れば、あんまり歓迎したくないことなのでしょうが)。

 ところで、この「授業風景」というのは、先日、大連の「留学生フェア」のために、特別に、撮ったものなのです。普段は、こういう姿の彼らは、玄関には飾りません。外部の人で、日本語を勉強したいと言う人達がくれば、教室に入ってもらい、授業を見てもらえば、事足ります。学生が学校にいる時は、たいてい、こんな表情で勉強しているのですから。今更、こういうものを玄関に飾っておく必要もないのです。玄関でも「まじめ」、教室でも「まじめ」、聞いただけで、息が詰まりそうになってきます。

 ところで、この写真の中には、もうこの学校にはいない人も含まれています。
 「タイ人」の子弟は、ご両親の仕事の都合で、遠方へ引っ越したりする人が少なくありません。また、半年ほど前には、「中国」の人で、IT関係の人や(IT関係の)御主人の仕事が見つからないからと帰国する人もいました。今は、もうそれなりに落ち着いているようですが。

 ひと頃、(誰でもいいから)コンピュータを学んだことのある人が欲しいという空気が、日本の企業にもあったように思います。日本語が話せなくとも(中国人は漢字が判りますから、それで)適当にやれたのでしょう。けれども、世界的な不況が、かなり厳しくなってきますと、人も「篩」にかけられてきます。他国で仕事をする上で、どれだけ「意思の疎通」が出来るか(その国の言語がどれだけ出来るか)という、いわば、「真っ当」ともいえる「篩」です。

 仕事が見つからないと嘆いていた人の中には、「どうしてこんないい人が、仕事が見つからないのだろう」と思われる人も、確かにいることはいました。しかし、それは、私が、少しは中国語がわかるから言えることで、互いに共通語(この場合は、日本で働くというわけですから、共通語は日本語でなければなりません)を持たない場合には、それを知らせる術も、判る術もないのです。「判らせたくとも手段がない、判りたくとも手段がない」という、切ないことになってしまいます。

 勿論、例えば、インドの一部の人のように、世界の先端をいく(アメリカや他のヨーロッパの企業と、日本企業が「取り合いをする」ほどの)人材であれば、話は別です。英語で意思の疎通を図るか、或いは、言語はそっちのけにして、自由にやらせ、どんどん彼らに(その企業が望むものを)開拓してもらえばいいわけですから。けれど、それほどではなければ(大卒レベル)、立場は辛いものになってしまいます。

 確かに、今、(日本に)残っている中国の人(私の知っている限り)の大半は、日本語で意思の疎通ができるようです。奥さんが日本語を習いに来る時も、御主人が日本語で、問いかけてきます。
 今は、日本においても、日本語が出来ない限り、日本企業での仕事は難しいと考えていた方がいいでしょう。

 これは、立場を変えて言えば、日本人でも同じことです。「フランス」で働こうと思ったら、まず、「フランス語」の習得に力を注ぎます。思えば、これは当たり前の事で、(そうではなかった)これまでが可笑しかったのでしょう。日本では、「IT関係」の専門学校も大学もあります。すでに少なからぬ人材がいると思うのですが、それでも、人が足りなかったのです。日本の大卒や大学院を出た人は、給料のいい「大手」に行ってしまいます。中小企業には誰も行かなかったのです。それで、どんどん門戸を開いたのでしょう。

 が、不況になったということもあり、そういう人までが、どんどんレベルを下げ、今までは歯牙にもかけなかったようなところにまで、条件を問わず、行くようになったのでしょう。
 それで、ドミノ倒しのようになったしまったというわけなのでしょう。

 しかしながら、例の「ITバブル」の頃には、とんでもない人達まで、(日本に)入ってきていました。

 以前、この学校に、集団で、日本語を習いに来た「バングラデシュ」のIT関係の人達なのですが、本当に「ちょっと理解に苦しむ」ような人達でした。学校に通っているのに、勉強しないのです。そして、勉強の期間(三ヶ月)が終わり、ほとんど学校に来なかったくせに、「(ここにいたことがあるから)私たちはもう友達だ」と言うのです。

 残念ながら、私は、中国にいた時から、外国人には慣れています。ほぼ世界半分以上の国の人達と話し(中国語でですが)たことも、バレーボールやテニスなどをしたこともあります。わたしにとっては、日本人も外国人も同じなのです。いい人はいいし、とんでもない人は、とんでもないのです。外国人だからといって、容赦はしません。だれが、不真面目で、感じが悪い人間となんか、友達になるものですか。

 日本に来ながら、日本を、或いは、日本人を、見くびっているような連中と、(日本人なら)だれがつきあいたいと思いますか。彼らは、大きな間違いをしていました。日本へ行きさえすれば、仕事があると思い、それどころか、(日本人は、馬鹿だから、ITのことなんか何も判らないのだろう)自分が行きさえすれば、(日本の企業は)喜んで、諸手を挙げて歓迎してくれるとでも思っていたのでしょう。

 ここで、「バングラデシュ」の名誉のために、一言付け加えておきますが、みんなそうだというわけではありません。「バングラデシュ」から来た「就学生」は、まじめでいい人でしたし、ちゃんと日本企業が現地に行って面接をしてから、呼ばれた人も、まじめでいい人でした。

 しかも、日本企業が呼んだ人達は、来日時に、すでに「4級(日本語)」程度は身に付けていました。つまり、日本語学校に通うという目的も、日本で「高卒待遇」ではなく、大卒として日本人と同じような給料をもらうためだったのです。そのためには、「三級(日本語)」レベルの日本語を身につける必要があると、それで、頑張っていたのです。そんなわけで、私たち教師の指示もよく聞いてくれましたし、そんな彼らには、私たちも、こころよく教えることが出来ました。

 それに比べ、この人達は、日本語の「イロハ」も判らず、しかも、なぜか、プライドだけは高く、(座っているだけで、努力しようとしないのです。彼らの国では、それでもいいでしょうが、日本には文字があるのです、三種類もの文字が)勉強しないし、休んでばかりいる。この人達は、日本企業がIT関係者を捜していると踏んだ、「バングラデシュ人」が、「こいつぁ、儲かる」と踏んで、呼び寄せたのでしょうが、いくら何でも、ああいう人達は、(かつての日本企業でも)採らないでしょう。

 外国にいるならば、その国を、またその民草を尊重すべきです。そうでなければ、誰からも好かれません。こんな、言うまでもないことでしょうが。

 往々にして、日本人(日本人だけというわけでもないでしょうが)は、「来日した外国人を、尊重しなければならない。」と建前を言います。本心では、日本人と彼らを区別しているのに。勿論、大切にしなければならないのは、本当ですが、それと共に、嫌なことは、嫌だとはっきり言わなければなりません。人間、嫌だと思いながらの「隣づきあい」は、長続きしないのです。それを忘れるべきではないのです。

 この国の法律は言うに及ばず、はじめは、「習慣」も、きちんと守ってくれるよに言うべきです。その上で、できない事があったら、話し合えばいいし、譲れるところは譲ればいいのです。最初から相手に合わせる必要は、全くないのです。こちらが譲れば譲るほど、相手はそれを当然だと思うでしょう。そうすれば、最後には、「親切で、優しい」日本人でも、そういう人とは口をききたくないし、顔も見たくないと思うようになるでしょう。

 お互いに、それはとても「不幸」なことです。善意が全く報われないのですから。いい関係を築き、その関係を維持していくためにも、(言いたいことは)はっきり言い、それを受け入れてもらえるかどうかを確かめてから、何事も進めていくべきです。そうでなかったら、譲った方が辛くなる。そして、相手を嫌いになる。こういう事態になることだけは、避けなければならないと思います。

日々是好日
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「衣のたてはほころびにけり」。「『日本』の何に関心があるのか」。

2009-06-26 07:48:19 | 日本語の授業
 今朝も曇り、空気は暑いとはほど遠く、散歩の人の額にも汗は見えません。けれども、昼には、30度を超すそうで、ブログを書いているうちに、(予報通り)晴れてきました。今日は、梅雨の中休みというところでしょうか。

 ところで、今朝、自転車を漕いでいる時、ふと、「源義家」の、
「衣のたては ほころびにけり」
という「阿倍貞任」への、呼びかけ(下の句)が浮かんできました。それに対する「貞任」のつけた「上の句」は
「年を経し 糸の乱れの 苦しさに」
というもの。奥州の覇者となる源氏の、そのきっかけになったとも言える「前九年の役」でのことです。

 「戦いの最中に、よくぞ歌を以てからかい、歌を以てそれに応じたもの」と、人間を見失った戦争しか知らない「現代人」は感心してしまいますが、当時は、戦うにしても、相手を認識した上でのことであり、時には(戦いながらも)、相手に対する尊敬を感じることもあったのでしょう。
 勇猛を謳われた「貞任」にしてもこうであり、また、弟で、同じく武勇を謳われた「宗任」にしても、優しげなる一面がありました。

 貞任は戦死し、戦に敗れた宗任は、降伏し、都に連行され、俘虜の辱めを受けますが、その時、都の貴族に、蝦夷は雅びを解すまいと、梅の花を以て嘲笑されます。嘲笑されても、宗任、動ぜず、
「我が国の 梅の花とは見つれども 大宮人は 如何言ふらむ」
と返したと言いますから、これも大したものです。
 昔の人にとって、「言葉は『歌』であり、『歌』は言葉」だったのでしょう。万葉の時代、身分低く、目に一丁の字さえなかったであろう「防人」達もそうでしたし。

 中学生の頃は、歌ではなく、近現代詩に惹かれ、読んだものでした。が、子供の頃は違いました。歴史が好きで、そうなると当然のことのように、子供用の本の中にも「和歌」が出てきます。文学上の価値、或いは評価は、いざ知らず、歴史の舞台で詠まれたものには、どこかしら、「人間の匂い」があり、それ故にまた、惹き付けられたものでした。

 それが、また「歌」の世界に戻ったきっかけは、高校生の時のことでした。「国語の時間」は、主に文法が主でしたから、興味は全くと言っていいほど湧かず(これもしょうのないことだったのでしょう。いわゆる『受験国語』だったのです)、却って、「日本史の時間」に、「生きた文学」を学んだような気がします。山上憶良の「貧窮問答歌」にしても、万葉の東歌にしても、はたまた江戸・天明期の「狂歌」にしてもそうでした。時代背景が、先生の口から語られると、それまでのわずかな知識が、急に色を帯びて動き出すのです。そして、そのよすがとなったのが、「歌」なのです。

 来年卒業する学生達の、「『7月』の一級試験」後を、考えています。勿論、今年の「『12月』の一級試験」が、本番と言えば言えるのですが、残された時間は、あと九ヶ月ほど。それも、夏休みや正月休みなどを入れれば、八ヶ月にも満たないでしょう、その期間のことを考えているのです。

 その八ヶ月ほどを、「『12月』の一級試験」で、区切ったとして、残された三ヶ月です。この、最後の三ヶ月ほどで悩んでしまうのです。学校では、基本的に「受験勉強的なもの」が主になるのですが(彼らの目的はそうですから)、最後に、「受験勉強的なもの」から離れ、大学や大学院で、それほど恥を掻かなくて済むほどのものを、「どれだけやれるか」なのです。

 今までは、それほどのことが出来ませんでした。実際問題として、「『12月」の一級試験」も終わり、「大学」などが決まると、学生にしても、心ここ(学校)に非ずというふうになります。国立を目指す学生は、最後まで必死に勉強するのですが、これとても、「受験勉強」で、「日本的な教養の一部」を身につけるためというのとは、大きな開きがあります。

 日本語学校では、「大学や大学院に通ればいいのだ。それ以外は関係ない。データが出せればいいのであって、データが出せないものには関心がない」と、そういう向きもあるこでしょう。なにせ、このような所で学ぶにしても、最長で「二年」でしかないわけですから、「イロハ」から始めた学生に、ないほどのことができるでしょう。また、学生の中にも、そういう「教養」めいたものを、浅く広く「知識」として知り、将来に生かしたいというような奇特な人が少ないというのも事実でしょう。

 このような日本語学校へ来る人のうち、大半は、「適当に」日本語が話せたり、聞けたり出来るようになればいいのであって、日本語が出来るようになってから、「日本」を考える人は少ないのです。せいぜい、実際問題として、「仕事を探したい。大学へ行きたい。大学院へ行きたい」なのです。これらは目に見えることであって、目に見えないことには、大半の人は心を動かさないのです。

 けれど、ここでは、今、彼らに判らなくとも、そのきっかけや糸口だけは見せておきたいし、知らせておきたい、そうも考えているのです。

 勿論、これとても、学生の質や情況に左右されることですが。同じことを教えても、判る人もいれば、どうしても理解できない人もいる。理解できるであろう能力はあっても、経済的な理由で、勉強に集中出来ないということもあります。

 本当に、こういう場合、学生の質と彼らの情況が大きなウエイトを占めてしまうのです。いつも彼らにあったものを、あった形で提供できるように準備しているのはしているのですが、実際のところ、「今年も、無駄だった。そういう学生がいなかったな」と思える場合も少なくないのです。

日々是好日
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「『新撰組のダンダラ染めの羽織」を纏った『スーダン人』」。

2009-06-25 08:01:53 | 日本語の授業
 今日は、いつもより少し遅く、6時に家を出ました。遅く出ると、道で目にする顔ぶれがすっかり違うのです。

 前を向いて、「一、二、三」と、腕を振りながら、元気に歩いている人がいます。こういう人は、健康のために、無理をして、早く起きているのでしょう。これが、五時台であれば、もう少しゆとりを持った「散策」(自然に早く目覚めるから、外の空気を吸っている)という感じになるのですが。それに、出くわす人の数も確かにかなり多いようでしたし。

 今朝は曇り、昼からは晴れるようです。「曇り」と言いましても、かなり蒸し暑く、こういう時期に「試験勉強をしなければならないと」いうのは、いくら若いとはいえ、少々同情してしまいます。ただ、立場上、こう言わざるを得ないのですが。
「試験が終わるまでは、病気をするな。(試験が終わるまで)一日だとて、休むな。試験が終わってから、病気になれ」。

 昨日、「Aクラス」で、一級試験を受ける人が、一人休んだので、思わず、そう叫んでしまいました。すると、口の減らない「おしゃまさん」達が、一斉に、
「ひどい先生」「試験が終わっても、病気になりません」「病気なんかしません。いつも来て、先生を苛めます」
だいたい、どうして話が「苛めます」に落ち着くのか、不可解なのですが、最近はいつもこうなります。最後は、私がムッという顔をして終わりなのです。

 これも昨日の事です。午後、最後の授業が終わり、外の話に耳を傾けていると、おしゃまさんの一人が、「台湾」から来た叔父さんと一緒にやって来ました。例の如く、
「先生、苛めに来た」
です。たまには、違うことをいえと、お腹では思っているのですが、口では、「なに!返り討ちにしてくれる」というのが定番なのです。

 ただ、昨日は、外に、来年の1月から、ここで勉強したいという「スーダン人」の男性がいました。彼女にとっては、見知らぬ人です。彼が「Cクラス」の「ガーナ人」のKさんと、英語でいろいろな話をしていましたので、(彼女に)外へ行って一緒に話してごらんと言ってみると、素直に外へ出ていきました。そして、黙って、二人の話を聞いています。(英語で)二人の会話に、参加できるほどではありませんが、話の内容はだいたいわかると見えて、相づちを打ったり、短いながらも受け答えをしていました。

 「台湾人」男性のKさんは、もう一目で「あっ。『新撰組』だ」と、「スーダン人」男性の服に目を見張っています。この「スーダン人」男性は、観光ビザで来日し、もう今週の金曜日には帰国するとのこと。しかしながら、着ている服は、「甚兵衛さん」で、上に新撰組の例の「ダンダラ染め」の羽織を纏っています。

 しばらくすると、「台湾」人Kさんは、やおらデジカメを取り出し出し、「写真を一緒に撮ってもいいか」と、「スーダン人」男性に尋ねました。すると、「スーダン人」男性は、歓迎のポーズをしてから、「ちょっと待って」と、手で制します。

 何をするのかと見ていると、これも鞄から、白地の鉢巻きを取り出しました。そして、開いて見せます。なんと「真ん中は日の丸、そして、日の丸をまたいで、日本と漢字で書かれている」ではありませんか。彼はひとしきりそれを見せびらかしてから、意気揚々と締めて見せます。思わず、絶句状態になったのは、日本人の私だけで、その場にいた四人は、これにも大喜びしているのですから、何とも言えません。

 「おしゃまさん」と「台湾人」Kさんが帰った後、「スーダン人」男性が、「ガーナ人」Kさんと私に、カメラに内蔵されている写真を次々に披露し始めました。

「ガーナ人」Kさんは、通訳して言います。
「先生、彼は本当に日本が好き。奥さんは大使館で働いている。彼は、今の仕事を整理して、来年の1月から、一年間、日本語の勉強だけしたいと言っている。」

 一ヶ月ほど前だったでしょうか、この男性が初めてこの学校へ見えたときも、そのような事を言っていました。
「日本が好き。だから、日本と関係のある仕事をするつもりだ。そのためには、日本語を話せるようにならなければならない。だから、日本語を学びたい。」

 ただ、始めの話では、観光ビザできて、一ヶ月ほど勉強し、また、一ヶ月ほど帰って仕事の続きをし、そして、また一ヶ月して来て、勉強し、また帰り…を繰り返すということでしたので、わたしは「無理だ」と断りました。漢字の問題があります。勉強し始めの頃は、いくら書いても、練習しても、直ぐに忘れてしまうのです。始めのうちは、(学校で)毎日書くと言う環境を作ってやらなければなりません。行ったり来たり、勉強したりしなかったりを繰り返すようでは、時間とお金の無駄です。彼のためになりません。それでは、学校としても、(上手にするという)責任が持てないのです。

 言語というものは、集中して、短期間でバアッと勉強する方がよく、行ったり来たり、或いは勉強したり、やめたりを繰り返しても、あまり成果は上がらないのです。行ったり来たりを繰り返せば、勉強も行ったり来たり状態になるのは目に見えています。どうしてもそうせざるを得ない人ならともかく、そうでなければ、一定期間集中して勉強した方がいいのです。

 そう言いますと、「それでは」ということになりました。私は、彼が「そこまでやるつもりだ」とは思っていなかったのですが、「国の仕事を来年の1月までに整理する。そして、来る」と言うのです。

 この学校の新学期(新規開講)は、一年に四回あります。それだけ需要があるということなのですが、勉強を始めるのな、7月か10月、それがだめなら、来年の1月と言ったのです。それで、考えて、来年の1月なら何とかなるということだったのでしょう。

 教材のことを聞いてみると、「みんなの日本語」の教科書も買いそろえたし、CDもある。それに付いているアラビア語の単語(対訳)もあるし、大丈夫だと言うのです。その上、国でも勉強するから…。まあ、国でいくら勉強しても、また一から鍛え直さなければならないでしょうが、ヒアリングだけは、慣れるに越したことはない。

 というわけで、京都の「二条城」や大阪の「大阪城」、各地の神社仏閣、そして、「六本木」や「お台場」に、時ならぬ「スーダン人・新撰組隊員」の姿が出没していたのを、今になって知ったというわけです。勿論、それはそれなりに面白かったのですが。

 この人のように、ただ「日本が好き。日本は特別だ。きれい。きれい。ああ、きれいだけじゃない。もっとすごい」と言ってくれる人達が、だから「日本語を学びたい。日本と関係のある仕事をしたい」となるのは、日本語教師としての立場から言えば、(ある意味では)すばらしい流れです(いわゆる、「好きこそものの上手なれ」です)。

 「中国人」の場合、「逆」が多いのです。必要だから(つまり、仕事に必要だから、或いは進学に必要だから)、日本語を学ぶ。。勿論、まだ若い彼らに、日本の良さというのは理解できないでしょうし(判るのは、せいぜい治安のよさくらいでしょう。「自由の度合い」が、彼らの国とは比較にならないくらい「深く広い」ということすら、わからないのです。自分の国で、活動範囲も、また見知った世界も狭かったからなのでしょうが)、それに、年を取っていればそれなりに、「色眼鏡」というものも存在しているでしょうから。

 それに比べ、「台湾」の人の場合は、始めからどちらかと言えば、好意的に見てくれる人が多く、その中で、日本滞在中に「新しい良さ」を発見して、あらためて「日本びいき」になる人が多いようです。

 日本人の私などから見れば、今の日本など、問題山積で、必ずしもそんなに褒められたものではないのですが、「異つ国」の人から見れば、そうでもないのでしょうね。それに、彼が出会った日本の方が、皆親切で、すばらしかったのでしょう。とは言いましても、おそらく、日本語がある程度わかるようになれば、そう手放しで賞賛するというわけにもいかなくなるでしょうが。

日々是好日

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「梅雨」。「『お土産』を咥えてくる『コウノトリ』と見なされている存在?」

2009-06-24 08:06:58 | 日本語の授業
 重い雨が降っています。この「雨音」は、梅雨時のもの、梅雨の時以外は聞けないもの、そんな思いで、聞いています。この時期の「雨音」は、特に聞いているうちに、人の心の奥へ奥へと浸みて来るような気がします。「心の奥」と言いましても、「超自我」云々といった「たいそうな」ものではなく、単に「思い出」、つまり、忘れていた自分、或いは懐かしい人々、懐かしい景色などにすぎないのですが、これとても、普段は忙しさにかまけて、全く心の端にも引っかかっていないものなのです。それなのに、「雨音」は、そんな「(過去に大して)不人情な自分」でも、柔らかくほぐし、優しい気持ちにさせ、「記憶」の中に誘ってくれるのですから、見上げたものです。

 さて、昨日は、久しぶりの学校でした。まあ、金曜と月曜に留守をしただけなのですが、心なしか、懐かしいと感じさせる「顔ぶれ」が、出迎えてくれました。
 生意気な「Aクラス」のおしゃまさん達や、のんびりした「Bクラス」の面々は、いっぱしの「大人」気取りで、「大連はどうでしたか」と、来ました。
 「初級Ⅰ」の教科書の終わりにかかっている「Dクラス」と、「初級Ⅱ」があと少し残っている「Cクラス」の学生達は、挨拶もそこそこに、「先生、お土産は?」と、真顔で訊いてきます。
 みんな、「(先生が)留守をすれば、必ずお土産のお菓子がある」とでも、思い込んでいるのでしょう。私たちを見ずに、その後ろに控えているであろう「お菓子」を見ているのですからね、「もう全く、なんて奴らだ」です。

 しかしながら、特に、いろいろな国の学生が入っている「初級クラス」「中級クラス」(「上級クラス」は、どうしても「漢字圏」の学生が主になってしまいます)では、よく「国のお菓子」なるものが、廻ってきます。

 昨日、「Dクラス」では、「インドのお菓子」が廻ってきました。
「何で作りますか」
と訊くと、これもまだ「高校」を出たばかりのお嬢さんは、「んんん」と詰まってしまいました。そして、後ろを向いて、ネパールから来たR君に尋ねます。R君だとて、同じく18歳の少年なのですから、それほどの知識があるわけでもなく、二人で相談してもなかなか答えが出てきません。どうも日本語の問題というよりは、「何から作られているのか」を相談しているとしか見えないのですが、しばらく経って、ニコニコしながら、
「先生、判りませんね」

 やっぱり…と思ったのは、どうも、私だけではなさそうです。このR君も、態度だけは偉そうにしているのですが、癖でいつも鉛筆を「食べている(噛んでいる)」ので、ネパールのご飯は「鉛筆です」とからかわれている、いわゆる「子供」です。もっとも、言われっぱなしにしないという根性はあります。必ず、言い返そうとするのです。きっと直ぐに「口」だけは、達者になるでしょう。

 ところで、去年の「7月生」が大半を占める「Aクラス」と、「10月生」を主とする「Bクラス」では、それぞれ、「一級テスト」と「二級テスト」を実施しました。
 どうでしょうね、(合格の)圏内にあるとは思うのですが、それがそのまま本番で生かせるかどうかは、まだ場数の少ない「高卒」のお嬢さん達にとっても、日本に来てから初めて日本語を、「イロハ」から始めた人にとっても、大人で、いろいろなことを考えすぎてしまう人にとっても、難しいのかもしれません。

 まあ、共に「一級レベル」や、「二級レベル」には至っていると思います。後十日ほどでどれだけ積み上げることが出来るかでしょう。が、どちらにしましても、本番を何度か経験するということは、「大学入試」においても、「大学院入試」においても、はたまた「就職試験」においても、意味のあることですから、いろいろな形で役立つと思います。

 というわけで、来日してからある「試験」(12月の「能力試験」、翌年六月の「留学生試験」、7月の「能力試験」、11月の「留学生試験」、12月の「能力試験」)には、(特に就学生は)必ず参加させるようにしています。学内でやる「模試」は別にして、「電車で試験場まで行き、周りに気圧されずに、試験を受ける」ことは、とても大切です。

 「留学生試験」で、「日本語」の試験の後に、「物理」と「化学」を選んだ、おしゃまさんの一人は、
「先生、大きな教室に、男ばっかり」「女の子はほんの少ししかいなかった」「緊張した。大丈夫かなあ」「先生、いつもの試験より、きっと悪い。いい点は取れていないと思う」と、昨日の帰りに、ポロポロと言葉が溢れ出てきました。

 彼女は、去年の7月に来日して、「イロハ」から始めたのですから、ここまで来られたのは、本当に大したもの。私たちとしても、それ以外の、要らざる精神的なストレスは与えたくありません。
 他の学生達も同じです。頑張らねばならぬうちは、お尻をひっぱたいても頑張らせているのですが、ある程度いった後は、後はそれぞれの「天性の部分」というものも関係してきます。特に「読解力」などはそうですし、「ヒアリング」なども、人によって早く「一級レベル」に至れる者とそうでない者との差は、確かにあるのです。勿論、「ヒアリング」などは、二年も日本にいれば、「一級レベル」くらいは、到達できます。ただ、聞くにせよ、読むにせよ、「理解力」というのは、彼らの「(二十年近く学んだ)母語のレベル」に関係してきますから、ここで、しかも外国語を通して、それに上乗せするというのは、なかなかに難しいものがあります。

 とは言いましても、それが出来た学生もいるのですから、私たちが「思い込み」で、切り捨てるということはやってはならぬ事です。

 ただ、彼らの母語で、(それを)説明しても、そういう「考え方」自体を受け入れることが出来ないという人もいるのは事実です。ほぼ「同一の思想」しか、存在を許されていないという国や地域も、確かに存在しているのですから。そういう国や地域から来た人に、様々な思想が混在し、また混在することを許している「日本の風土」、そして、それらの「思想」を簡単に理解できるかというと、またそういうものでもないのです。人は、自分の育った国を甲羅に乗せて、一生生きていかねばならないのですから。

 けれど、まあ、「一級レベル」まで行った後は、それからは、学校で、日本や世界を繙いていくための授業が待っていますから、それらを疑似体験しながら、見聞を深めていくよりほかないでしょう。そうして、個人差はあっても、多少は、自国にいるときよりも、広く深く物事を見ることのできる「目」を養ってもらうしかありません。

 とは言いましても、まずは、何はともあれ、「一級テスト」であり、「留学生試験」なのです。そして、「大学入試」であり、「大学院入試」なのです。

日々是好日
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大連「日本留学フェア」。

2009-06-23 08:02:26 | 日本語の授業
 雲がずっと下りてきたかのように、「成田」は深い靄に包まれていました。それまでは、大連のあっさりした天気の中にいましたから、応えますね、日本のこの湿度は。日本人で、しかも、日本の湿度に慣れているはずの私たちでも、四日ほど離れてしまうと、もう身体が拒否反応を示してしまいます。

6月20朝の大連


 「大連」は、思っていたよりも、ずっと乾燥していました。その上、「アカシア」が街のどこでも見られるとばかり思っていましたのに、どこにもないのです。「ネム(合歓)」の木(花は今が盛りで可愛らしかったのですが)と、「スズカケ(鈴懸)」の木がほとんどなのです。「アカシア」と「大連」とを関連づけてしまうのは、もう日本人のノスタルジアでしかないのかもしれません。却って、「北京」の方で、多く見かけたような気がします。

 随分前、「北京」の公園なんぞで、「太極拳」をしていた時のことです。「アカシア」の花房を持っている人を、時々見かけ、最初は、ただ単に、部屋にでも飾るのだろうと思っていたのですが、それにしては、短い。花房だけなのです。不審に思って、訊いてみると、「食べるのだ」と言うのです。どうもその時、天ぷらのようにすると言ったような気がしたのですが。今となっては、定かではありません。それで、そのことを、「大連」の人に訊いてみると、「子供の時、蜜を吸ったことがあるけれど、天ぷらはどうも」と言うのです。もしかしたら、私の記憶違いなのかもしれません。「アカシア」の蜜を吸った蜂がこさえた蜂蜜はあるけれど、確かに、「北京」で…天ぷらはどうも…ですね。

 「花を食べる」というのは、日本の文化においても、決して珍しいことではありません。単に和食の飾りというものでもなく、きれいに彩り、なおかつ食べるというのは、ある意味では実用的な花の利用法です。最近では、そういうレストランもあると聞きました。中国では、花のお茶が有名ですけれども。

 さて、「大連」の「留学生フェア」です。
 「フェア」。「フェア」と銘打っていましても、しかしながら、人がいない。日本留学を考えている学生の姿がそれほど見あたらないのです。
 有名ホテルの大広間で、しかも四階で行われたこともあり、(日本に興味があり、日本留学とはなんぞやと思っているだけの、大学生や高校生には)かなり敷居が高かったのかもしれません。それに、あの日、「フェア」が開かれるという情報が、それほど浸透していなかったようですし。

大連留学フェア

 「サクラ」か、「アルバイト」としか見えない大学生や(中国の)日本語学校生(皆同じ学校です)が、大半でしたから、どのブースも暇そうにしていました。

 そして、終了時間になるや否や、どこのブースも手慣れたもので、あっという間に片付けが終わり、風のように「上海留学生フェア」に向けて去っていきました。何とも、あっさりしたものです。オタオタしていたのは、こういう事になれない、教師二人と友人の中国人弁護士からなる、私たちだけだったのかもしれません。しかも、私たちは、「もし、来たいという学生がいたら、心構えや、来日までの勉強のしかた、また、手続きなどについて、もっと話さなくてはならないだろうから、もう一日大連にいた方がいい」と思っていたくらいでしたから。

 自分たちのことはさておき、風のように去っていった人達の事です。もし、彼の地(大連)に、もっと話を聞きたいという学生がいたら、どうするのでしょう。放っといて、上海の方が大事だから、関係ないとでも言うのでしょうか。ただブースを作るように言われたから、そうしたまでで、求める学生を得たいという真摯な気持ちなしに、ただ事務的の問答をしていただけなのでしょうか。

 大半が事務方の人のようでしたから、人集めが主で、「教えたい学生」という見地からの募集ではなかったのかもしれません。事務方から見れば、「手っ取り早く頭数が揃えばいい。そして、面倒を起こさず、金払いのいい学生がいい」でしょうから。

 教師から見れば、何よりも「やる気のある学生」が欲しい。やりたいことがあるから、辛くてもがんばれるのです。勿論、来日しても、金銭的なことに追われ、勉強できなければ何にもなりませんから、多少は余裕のある方がいい。けれど、それがすべてではないのです。

 それから、「『高考』で、『500点』以上の学生も、自分の処では揃えられる」という(中国の)日本語学校もありました。けれど、それだけを引っ張って、「頭がいい」とうぬぼれていたら、多分日本では、三流大学にもいけないでしょう。「自分なら楽に大学へ行ける」と思い込んでいても、下手をすると、専門学校と言うことにもなりかねないのです。「暗記」だけでは、日本の「留学生試験」の垣根は越えられませんから。

 私たちは、まず「何を勉強したいのか」を訊きます。まだ、それをはっきりと言うことのできない高校生や高校を出たばかりの学生、また幼い人であれば、勉強の習慣があるのかどうかを見ます。「素直な人」が、いいですね。「学ぶ」は、「真似ぶ」とも言うではありませんか。それに、すでに「可塑性」がなくなっている人は、特に「大卒」においては、多分、「大学院」に入れても、大学院の先生の方で、「手を焼いてしまう」でしょうから。

 異国において、「頭がいい」という語の意味は、単に「理解力」に優れているというだけではなく、そこに「頭が柔らかい」という語義も入ってきます。「柔軟性」に富んでいないと、「理解」出来るはずのことまで「理解」出来なくなってしまうのです。それは、「見えているのに、見ていない」のと同じ理屈です。

 そういう人は、自分の育った国で、いわゆる「その国での常識」の範囲で、行ったり来たりしている方が幸せだと思います。なにも他の国に行って苦しい思いをする必要はありません。

 日本に来て、つまり、この学校に来てしまって、まず、「『自分』に気づく」、「どんな『自分』であるのかを考える」。それが、勉強を始める前に、必要となる人も少なくないのです。

 もっとも、こう言いましても、何も考えずに、素直にスッと勉強に入っていける人が大半なのですが。

日々是好日
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明日から「大連留学フェア(6月20日)」へ。

2009-06-18 08:35:06 | 日本語の授業
 忘れていました。明日から、大連へ行って来ます。「日本留学フェア」に参加するためです。戻ってくるのは、6月22日になります。大連での報告は、23日に出来ると思います。初めてですから、どんな報告が出来るか判りませんけれども。

 会場は、「大連日航ホテル」です。興味のある方がいらしたら、覗きに来てください。もし、留学を考えている方がいらしたら、なにがしかのお手伝いは出来ると思います。それに、留学する上での心構えとかについても、参考になることが言えるかもしれません。

 では、大連で。
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「上級終了(Aクラス)」。「判っていても『口が動かない』」。「愚かしいプライド」。

2009-06-18 08:04:23 | 日本語の授業
 不安定なお天気が続いています。ここ数日連続して、帰る頃に、バアッと降るのです。それまでは、お日様が照っていても、降ってくるのです。もう、こうなると、意地悪としか言いようがありません。

 それはそうと、学校の近くのお家が、取っ払われて、更地にされました。「家が壊され、更地になる」ということは、そこに植えられていた草木も根こそぎ引き抜かれるということです。そして、寄生していた細菌も、命を託していた虫たちも、ひいてはその虫たちを食べることによって命をつないでいた鳥たちも、拠り所を失うということです。

 近所の方の話。
「あそこに咲いていたでしょう、きれいなアジサイが。あれ、あそこのおばあさんが欲しいと言ったから、家のを株分けしてあげたんですよ。それがねえ。今日見たら、なあんにもないじゃないの」
それを聞いた学校の一人が、
「抜くんだったら、欲しかった。本当にきれいなアジサイだったもの」

 人は老いるし、建物も、戦後のものは、直ぐに「ガタがきて」しまいます。日本は科学技術がこれほど発達し、地震にも揺れないし、倒れないという建物を造る技術も開発されているというのに、普通の人達がそれを享受できないのはなぜでしょう。直ぐに壊して、また新しいものを作る方が儲かるからでしょうか。「科学技術大国」という顔の裏側に、「土建王国」という芳しからぬ顔も覗かせているのが、この先進国と言われている「日本」の実態なのかもしれません。

 昔の建物は、千年以上も残されているというのに。そうでなくとも、何もしなければ(もちろん、人が住んでいると言うことが条件ですが)、100年ほどは、残ります。
それが、ここ50年か60年くらいの期間に建てられたものは、直ぐに具合が悪くなり、建て替えて、そして、次は壊しての繰り返しですもの。なんだか、胡散臭いですね。こういうのは。

 さて、学校です。
「Aクラス」は、昨日で「上級」の教科書が、終わりました。DVDも見せたいし、教科書と関連のある話もしておきたいというわけで、なかなか進まないときもありましたが、これで、一応「一級試験」を受ける準備だけは出来たと言うことです。後は「一級試験」が終わってから、ということになります。

 在日の方の大半は「一級試験」まで、ここで勉強し、それから仕事を探すと言っています。とにかく「一級試験」に合格できなければ、日本での仕事はおぼつかないと言うことでしょう。「基本」が出来ていなければ、専門の技術のみならず、日本語も磨くことは出来ません。どこの国へ行こうと、その国で生き、働こうというのなら、よほど専門分野に長けている人か、すべてを人の手を借りてやらせることができるくらいのお金持ちでない限り、その地の言語を習得しておかなければ、何も出来ません。

 短期間であれば、「日常会話」ぐらい出来れば、それでいいでしょうが(何となれば、それは旅行にすぎぬからです。「ああ、面白かった」でいいのです。生活を意識しなくてもいいのですから)、1年を越す滞在になるとすれば、何かと不便なことが生じてきます。 「異国へ行ったら、その地の言語を学ぶ」というのは、およそ、学校教育を受けたことのある人なら、まず真っ先に考えることなのではないでしょうか。勿論、いろいろな事情があって、それができない人も、いるにはいるでしょうが。

 そして、「Dクラス」です。
 「Dクラス」では、動詞の活用「マス形」「テ形」「ナイ形」「辞書形」「タ形」が入り、復習時に、毎日それを繰り返しているのですが、何回やっても間違える二人がいます。
 一人は、もう母国で数年勉強して来ており、間違った形で覚え込んでいて、「判っていても、とまらない」のです。
 もう一人は、ここで「イロハ」から学んだのですが、開講後、少し遅れて入ってきました。あれよあれよと焦っている間に、形容詞の活用、そして、動詞の活用と続き、頭を抱えているうちに、既に「タ形」にまで至ったと言うところでしょうか。
 
 二人とも中国人ですから、書くのは大丈夫なのですが(考えて書けば、それほど間違えない)、ただ口頭での反復練習は、「『ある』の『ナイ形』」が、「あらない」になり、「『話す』の『辞書形』」が「話する」になってしまうのです。毎回、言い間違えるたびに、「あ~あ」とため息をついています。けれども、判ってはいるのですから、あとはどれほどそれを繰り返せるか、それで決まるということでしょう。まじめにやっていけば、問題ありません。

 この二人に気をとられているうちに(なにせ、声が大きいし、いつも一番前に座っているのす)、他にも、チョロチョロ間違えている人がいるのをウッカリしていました。あの二人は、放っておいても、自分で気づき(また、他の人が注意し)、自分でため息をつき、自分で改めるようになって来ているのですが、そうでない人は、皆と一緒に言ってはいても、それなりになっていたのでしょう。昨日は、そういう声がいくつか聞こえてきました。

 その度に、声の聞こえてきた方向を睨むと、「自分を睨んだ」と思った何人かが、異口同音に「私じゃありません」。視線に入った各列の人が言うので、だいたい二つか三つの声が聞こえてきます。中には、こっそりと机の上で、指でその人を指し示す人さえいます。
普通、大卒の人は、一人でも勉強が出来るであろう、また、勉強の仕方を知っているであろうと、考え、高卒で日本へ来た人の方に、重心を傾けて教えます。彼らは、言語の学び方を知らないのですから、上手になりようがないのです。間違えたらメモしておく。また、大きな声で練習する。宿題はやる。テープを何度も聞く。みんな簡単なことです。「直ぐ出来るから、却ってやらない」に類することです。

 ところが、大卒でも、メモができない人もいるのです。声を出さない人もいるのです。「判っている」と、「できる」の違いがわからない人もいるのです。「学ぶ」上で、一番の妨げは「我流」であり、「独りよがり」であるということに、気づけない人もいるのです。いくら注意しても従おうとしません。

 何かの「縁」でこの学校へ来たのですから、教師側も、当然、その「非」とすべき処を指摘し、指導します。けれども、中国人の学生の中には、「これまで、中国で、『学校』を信じない、『教師』を信じないできた(としか、私には感じられません)。つまり、これまで一人でやって、これほどになれた」という「愚かしいプライド」からでしょうか、こちら側の言う通りにできない人がいるのです。時々紛れ込んできてしまうのです、この学校にも。こういう人は、損ですね。

 一ヶ月ほどは注意し続けますが、これも習慣になっていて、なかなか変えられることではないようです。手ひどい失敗をするまで、変われないでしょう。あるいは、同時に勉強を始めた、自分よりもレベルが劣っていると(彼が)思っていた人達のほうが先へ行き始めて、はじめて気がつくことなのかもしれません。

 こちらとしても、今は「待ちの姿勢」です。そういう人にかまけて、こちら側の指示を守って、まじめに勉強している人の指導が疎かになってはなりません。まず、言われた通りについてくる人を、第一に考えます。これは、当たり前の事でしょう。何と言っても、彼らは疾うに義務教育の年齢を超えた「大人」なのですから。これまで、二十何年か、受けてきた教育の下でのやり方を変えることは、簡単ではないでしょう。それなりに、その国では、エリートだったと思い込んでいるのですから。何故に「非」であると見なされているのかが判らなければ、まず、改める気にさえならないでしょうし。

 こういう人は気の毒には思うのですが、幾たびも繰り返されてきたことです、私たちから見れば。この学校の短い歴史にも、そういう人は何人かいました。どれほど口を酸っぱくして言おうが変われなかったですね。二年近く、言い続けたときもありました、始めの頃は。或いは、頭がいいから何とかなるのではないかと思い、努力したこともありました。そういう人でも、既に大学を卒業してい、なにがしかの成功を経験していた場合はだめでしたね。それでも、彼らの国ではやってこられたのです。「日本でも」と思ってしまうのでしょう。

 まして、普通の人なら、なおさらです。

 というわけで、こういう人の指導もせねばなりません。早く上手にさせることも、日本語学校の仕事の一つなのですから(それだけというわけではありません。言語はその地の文化と密接に関係していますし、グローバル化が進んだ昨今は、世界の流れとも不即不離の関係があります。少しずつ日本語のレベルが上がって行くにつれて、そういうことも入れていかなければならないのです。そうでなければ、ハッキリ言って、進学しても、バカにされます)。

日々是好日

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「『眼のなき魚』の棲むといふ」。「試験前の『敵前逃亡』」。「『楽しい』から、学校へ来る」。

2009-06-17 07:47:41 | 日本語の授業
 昨日は「土砂降りの雨」でした。おまけに「雷様」までお出ましになって、関東の各地で、散々お暴れてなったようです。家の中にいても、雨の重い響きが感じられたくらいでしたから、アルバイトに出かけた学生達は大変だったでしょう。

 毎年のように、梅雨入り前後、「昨日は大変だった」という、学生達の声を聞きます。これも、この近辺で、つまり、自転車で通える範囲で、アルバイトをしている学生が多いことから来るのでしょう。もちろん、日本語のレベルによって、仕事の内容は異なってきますが。

「海底に 眼のなき魚の棲むといふ 眼のなき魚の恋しかりけり」(牧水)

 雨の音を聞いているうちに、大地の水が、この雨によって、どんどん嵩上げされ、自分が深海魚のように、海底に蹲っているような気分になってきました。

 都会の光景の中では、なかなかに
「酔芙蓉 白雨 たばしる中に 酔ふ」(秋桜子)
というわけにはいきません。空を恋うて、潜むだけです。「眼のなき魚」であれば、ただ自分の内に目を光らせるだけです。

 こういう所に住んでいる限り、古人の歌の世界を感じるには、かつて、自分にもあったであろう記憶との闘いを経ねばなりません。自分の脳でありながら、その中を手探りで進み、どこかしら関連があるものを見つければ、その都度、記憶を回復させていきます。
 中学の時、「生物クラブ」に属していたことが、こういう時に意外役立つのです。
 夏休みは、顧問の先生に連れられて、日帰りでしたが、みんなで山へ行き、動植物に親しんでいましたから。

 もっとも、一度、山の中で迷子になって、怖い思いをしたことがありました。先生や先輩方は慣れていると見えて、平然としていましたが。
 先生が、「トンボ(蜻蛉)」取りの名人で、また、その他にも様々なワザの持ち主だったこともあり、いつしか真似て遊んでいるうちに、先生までもが道を見失ってしまったのです。

 その時は、先生、慌てず騒がず、太陽の位置を確認、地図を拡げ、徐に方向を示して、皆を誘導したのですが、当時、先輩や先生を信頼して、ついていっていた我々一年生は、焦りましたね。ホテルのゴルフ場に出たときには、ホッとしました。「人間がいた!」と、思わず叫びそうになったくらいでした。

 時々、その頃の記憶が甦るのです。
 小学生の頃の「遠足」もそうです。山の木々の匂い、枝が頬を切ったときの感覚、沼のような泥の中に足を踏み入れて、抜くときのズブッという音…。

 子供の頃のこういう思い出は、すべて、その土地で生き、死んでいった人々の記憶とも繋がっています。こういう思い出がしっかりと大地と自分とを結びつけていなければ、人というものは、糸の切れた奴凧のように、風に飛ばされて、どこかに行ってしまうような、「あやふやな」存在なのかもしれません。人間との関係(父母、親戚、友人など)だけでなく、その「(大)地」との関係も、人が自分の所在を確認する上で、大切なのでしょう。

 さて、学校です。
 昨日は、6月21日の留学生試験を控えての、三回目の「模擬試験」でした。何人か、在日の学生が、「病気」とのことで、「敵前逃亡」をしてのけましたが。まあ、彼らには直接関係がない試験ではあります。けれども、何事によらず、試験というものを経験しておくのは、悪いことではありません。
 一つは、本番(一級試験か二級試験)の前に、度胸をつけるという意味において。
 もう一つは、どちらにせよ、試験会場は、日本の大学ですから、ついでに大学参観も出来ます。
 そして、三つ目は、交通機関に慣れてもらえるということなのです。

 みんな、「経験」です。普段、一人では行けない所へ行く。行かなければならないから行くのです。そうでもしなければ、暮らしやすいこの辺りから、わざわざ外へ踏み出していこうとはしないでしょう。就学生の中には、「もっと難しい大学でも大丈夫だから」と言っても、「ここは住みやすいし、アルバイトもあるから」と、なかなか動こうとしない輩さえいるくらいですから。

 そして、午後です。午前中に、一人病人が出たので、一緒に病院へ行って、順番待ちの間、ちょいと(学校に)戻った時のことです。送れてきた「Cクラス」の学生を発見。私に叱られる前に、ということでしょう。
「先生、ちょっと、ちょっと」
と焦りながら、朝、アルバイトの時、お腹が痛くなって(会社から戻って)、部屋で休んでいたのだと言います。

「大丈夫ですか」
と訊くと、
「はい、大丈夫。部屋はつまらない。面白くない。だから、学校へ来ました」
と言う。
「勉強に来たのではないのですか」
と、眼をギョロリと剥くと、あわてて、
「勉強です。勉強。勉強。でも、家はつまらないですから…」
本当に正直な「大男」です。

 それでもいいのです。みんな親兄弟と離れての、外国暮らし。しかも、勉強とアルバイトに明け暮れる毎日。楽しいことなんて、せいぜい、学校が皆を美術館や博物館、或いは公園や富士山、日光、ディズニーランドなどへ連れて行った時だけでしょう。言語の学習においては、「勉強」という「覚悟」なしに、学校へ来ても、皆と一緒に声を合わせ、反復練習を重ねていけば、自然と上手になれるという部分もあります。学校にいて、日本語でおしゃべりをしていれば、教師が、間違いを正すこともできます。学校に来る理由は、ただ単に、友達がいるからだけでもいいのです。

 毎日、学校へ来さえすれば(そこは「勉強する」ですから)、当然「勉強」するということになります。そういう毎日を過ごしていけば、自然に、それも、おそらく、「その人なりに」最短距離で、日本語という異国の言葉を習得するのに役立っていくはずです。

日々是好日
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「実朝『時により…』」。「『不器用さんで、素直』というクラス色」。

2009-06-16 07:59:54 | 職員室から
 「梅雨時」には、「梅雨時の風景」があり、その風景を形作っているものの一つに「タイザンボク(泰山木)」の、白い花があります。白い大きな肉厚の花で、子供の時には、その、大地に散り落ちた花びらの一枚をスプーン代わりにして、雨を掬ったことなどがありました。今となれば、良き思い出です。

 それから、「ホタルブクロ(蛍袋)」。この花を山里で見かけるたびに、心はスッと「物語」の世界の中に入っていきます。宮沢賢治の世界にも、神話の世界にも通じるような、可愛らしくも床しき姿です。

 街では、「オシロイバナ(白粉花)」も蕾をつけ、もうすぐ、ちまちまとした賑やかな彩りで街を飾ってくれることでしょう。

 ただ「梅雨時」は、曇りがちであるが故に、雨が降らぬと寂しい風情になってしまいます。

 お日様が顔を覗かせぬと、鳥たちも囀りをやめ、「梅雨寒」の空の下、首を暖かげな羽根の中に埋めてしまい、無口になって、軒端の蔭にひそんでしまいます。

 故に、雨なりとも、豪快に降って欲しいという気持ちになってしまうのかもしれません。しかしながら、降ったら降ったで、災害が起こり、
「時により 過れば民の嘆きなり 八大龍王 雨やめたまえ」(源 実朝)
と、天に祈りたくもなってしまいます。

 この歌は、悲劇の鎌倉将軍として名高い、実朝の、よく知られた歌です。都の文化にあこがれていたが故に、東武士の匂いがあまりしない人ではありますが、当時の京の人々からは窺うことのできないような、「闇」を見つめたイメージがあり、近代人の心をも鷲摑みにしてしまうような、深い歌を幾首か詠んでいます。何と言っても、甥の「公暁」に殺されたときが、26歳か27歳くらいでしたから。幼くして就いた将軍職、そして、その立場が、いつ殺されても不思議ではない情況にありましたから、生来の感受性を、ますます研ぎ澄まし、普通の人には見えぬものが見えていたのでしょうし、感じられたのでしょう。

 その中において、この歌は、異質な光を放っています。この歌を見るたびに、私は、
「熟田津(にぎたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」
という額田王の歌を思い出します。
 
 どこかしら「神がかり」しているような、常の人の歌ではないような、そんな気がするのです。また、この人にあって、このような詩が詠めるときがあったということに、心慰められる思いもするのです。

 いくら夢中になって歌を学んだとはいえ、「西行」などとは違い、詠んだ歌がすべて、人に愛され、認められているかというと、そうでもない。しかしながら、この人の優れたものは、他者の追随を許しません。自分でも、ふと雨を見つめているとき、その奥のものに心が動かされたとき、この人の歌が浮かぶくらいですから。

 さて、学校です。
 バラバラだった「Dクラス」の色は、「不器用さんで、素直」と出ました。 まだ、「初級の初級」と言ってもいいほどのレベルで、しかも三ヶ月に満たないわけですから(とは言え、来月の初めには、『初級Ⅱ』に入れそうです)、これに当て嵌らない人達も幾人か含まれています。が、在日で、別に勉強が好きでない人達が、どれほどの期間、ここで勉強していけるのかというと、多分、途中で落ちてしまうでしょう。

 大学や大学院をめざして、それなりのスピードで、しかもある程度の内容をいれて、教えていくわけですから、自然について行けなくなると思います。それでも、学校ですから、毎日勉強できます。二回、三回と繰り返して、やっと身につけることができるという人もいます。頑張る人なら、この学校は大歓迎です。

 一口に「日本語を学ぶ」と言いましても、それぞれにあった「場所」があり、「学び方」があります。経済的にも余裕があり、能力もあり、またそういう機関、乃至人(教師)を知っていれば、集中して個人教授を受ける事も出来るでしょう。経済的にも余裕がないし、時間もそう取れなければ、ボランティアの方にゆっくりと教えてもらってもいいでしょう。

 けれども、ここでは、一斉授業です。自分だけというわけにはいきません。、カリキュラムも決まっています。
 進度も、
 一年半か二年で、「大学・大学院入学」、
 一年ほどで、「一級合格(漢字圏の学生)」、
 半年ほどで、「二級合格(漢字圏)」、「三級合格(非漢字圏)」
を目指しているわけですから、それなりの勉強はしてもらわなければなりません。

 今日は疲れているからという理由で、休み、次ぎに来たときに、「判らない」を連発されても、同じことを(皆を待たせて、その人だけのために)何度もやってやるわけにはいかないのです。ただ、復習は毎日行っていますから、病気で一日休んだくらいでしたら、それほどの負担はありません。正当な理由で休んだ時には、また別に、「補講」の機会を設けますし、新しくクラスを開講したときに、受ける事もできます。

 ただし、これも、来たり来なかったり、あるいは、教師の指示に従わなかったりして、皆に迷惑をかけないという前提の下です。その人の勝手な行動で、進度が遅れ、まじめに勉強している人達が、希望通りのことが出来なかったら大変です。その時は、それなりに、ゆっくり勉強が出来るところへ、移ってもらうことを考えてもらいます。

 「話す」のは、難しくないのです(文法に則らず、「適当に話す」だけなら。それで、相手が判るかどうかは、別です)。人間ですから、「聞き、話す」と言うことにおいては、本能に近い部分で習得が可能であるような気がします。けれども、「読み、書く」ということは、それとは違います。「学習」という、ある一定の、ある意味では、「努力」が必要になって来るのです。

日々是好日
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「ハイビスカスの持つ『倦怠感』と「寂しさ』と」。「私は大きいから…」。

2009-06-15 07:59:32 | 日本語の授業

ハイビスカス

 今朝は曇り。今日は早めに、三階の教室の窓を開けに行きますと、「ハイビスカス」の花が二輪咲いていました。本来ならば、辺りがパアッと明るくなるはずですのに、却って、教室を寂しく見せています。だれもいないところに咲いている「南国の花」というのは寂しいものですね。先日、いただいた「ブーゲンビリア」の花もそうなのですが。

 夜でも昼でも、勿論、朝でもいい。明るい日差しや松明の光があり、ゆったりとした時間と、人々の、南国特有の歌や踊りがなければ、さびしい限りの花です。場違いなところで、静かな空気に包まれて、何を思っているのでしょうか。この地には、甘やかな柔らかさや、天が抜けるほどの明るさは合わないのです。「ツバキ(椿)」や「キキョウ(桔梗)」の持つ、凛とした、どこかしら、他者を寄せ付けぬような冷たさがなければ、土地に同化できぬのです。ずっと「よそ者」なのです。さびしい花です、ハイビスカスは。

「憂きことの まどろむ程は 忘られて 覚むれば 夢の心地こそすれ」 崇徳院

「うらうらと 死なんずるなと 思ひとげば 心のやがてさぞと答ふる」 西行法師

 朝、まだだれも来ていない教室で、早めに窓を開け、新鮮な空気で部屋を満たそうとした時、「ハイビスカス」の花の存在が、時間の流れを止めたのです。急に時間がマッタリと流れ始め、学舎の雰囲気は薄れ、海の近くで、夢でも見ているような気分になりました。

 多分、当時は、違う範疇に入れられていたであろう、この二人の歌人も、時代に押し流され、また洗われていくうちに、同じ時代を共有していた者だけがもつ、時代の匂いを帯びてきています。

 「学校」は、やはり、滅んだ人達のものではないのです。もちろん、「滅び」の重さは、だれもが生まれながらにして背負っているわけですけれど、それよりもまだ「明」の方が大きい、若い人達の声がなければならぬのです。だれもいない、学校は、「暗」の世界へ沈んでいきがちです。その中に一人いるのは、確かに寂しい限りです。とはいえ、朝しか一人の時間がないので、こうせざるをえないのですが…。

 さて、学校です。
 先日、「Cクラス」の、「ガーナ」から来たKさんが、ダラリとした座り方をしていましたので、(きちんと座るようにと)注意しました。すると、それから、話がラグビーのボールのようになってしまって、収拾がつかなくなってしまいました。

 「アルバイトが大変です。変わりたいけれど、叔父さんがだめと言います。今のアルバイトは、こんな感じ(腰を屈めて、中腰のような格好)で、三時間です。日本人や中国人は背が低いからいいけれど、私は背が高いので、台が低すぎるのです」

 そして、背中がいたい、腰が痛い、特に首が痛いと言います。かわいそうなのですが、アルバイトを捜すのは本当に難しいのです。彼の場合は、叔父さんもいる(今のアリバイとも、叔父さんが捜してくれたものです)し、母国の家庭環境も経済的に困っているわけではありません。けれども、物価は全然違いますから、アルバイトをしなければ、母国にいるときのように自由に暮らすというわけにはいかないのでしょう。

 彼は「1月生(1月に来日しました)」ですから、既に「初級Ⅱ」の教科書も終わりに近づいています。日本語もかなり話せるようになりましたし、漢字も書けるようになっています。けれども、4月にネパールから来たRさんや、中国からきたQさんは、まだまだ彼らのようには話せませんから、アルバイト捜しは大変です。

 肩をがっくりと落としている彼らには、まず、「その程度の日本語で、だれが来てくれと言うか」という一喝して、ともかく日本語の勉強に精を出させています。けれども、Kさんの例を待つまでもなく、あればあったで、(ある程度の日本語能力がなければ)仕事の種類と「きつさ」に潰されてしまう可能性さえあるのです。

 彼らは、別に、働くために日本に来ているわけではありません。母国でもこんな仕事はしたことはないでしょう。けれども、日本語がそれほど自由に話せない間は、アルバイトを選ぶというわけにはいかないのです。まずは、言葉をそれほど必要としないアルバイトから始めなければなりません。プライドが傷つけられることもあるでしょう。けれども、ここは、日本ですから。日本語を話す人達が暮らしている国なのです。そんなわけで、仕事中も日本語が話せる、いいアルバイトとを探すためにも、「頑張って」いるのです(けれども、学校にいると、時々愚痴がこぼれてしまいます、ポロリと。時間の許す限りは、聞いてあげることもあるのですけれど…。もっとも、そこは私のことですから、最後は、「がんばるのだ!」と、相手の肩を強く叩いて、終わりなのですが)。

 そういう話をKさんとしていると、後ろの席に座っていた「フィリピン人」のYさんと、「中国人」のLさんが、そっと手を伸ばして、Kさんの肩を叩いたり、揉んだりしてあげています。かわりばんこにしてあげながら、
「先生、Kさん、かわいそうですね」
と言います。
「うん、でも、Kさん、辛かったら、ガーナへ帰りなさい。我慢できないのに、無理している必要はないでしょう」
と言うと、Kさん、大慌てで、
「いえ、いえ、帰りません。大丈夫、大丈夫、勉強します。漢字大好き。勉強、大丈夫」
と目を剥いて、声を張り上げます。

 ちょっとかわいそうに思ったので、少し早く終わったこともあり、「北海道」のDVDを見せてやりました。
「雪、雪、すごい。」「わあ、きれい」
 Kさんだけでなく、フィリピンやインド、スリランカ、中国の学生達も興奮していします。どうして北国の中国人が喜ぶのか判らないのですが、一口に寒い国から来たと言っても、北海道のものとは、風景が違うのでしょう。
 特に「ダイヤモンドダスト」の様子や、「雪の結晶」がそのまま積み重なっているかに見える雪原には、心を動かされたようでした。

「先生、北海道へ行きます。行きたいです」
「スキーをしたいです。」
 雪原で、スキーはどうもというところですが、スキーなら、長野県が近いですよと言い、同時に、スキー道具も服も借りられると言ったところで、kさんを見て、
「う~ん。でも、君は大きすぎますからね。あるかな?」

 なにさま、Kさんはちょっと大きすぎるのです。授業の時も、足が自分の机からはみ出し、教卓の底を伝わって、私がホワイトボードに書くために、ウロウロと歩き回るそこまで、出ているのです。足を踏んでしまうたびに、「あっ。ごめん。」「いえいえ、大丈夫。」の繰り返しです。

 かといって、後ろの席には、どうしても、行こうとしないのです。両端の席にも行きたがらないのです。真ん中の一番前の席から動こうとしないのです。
 「学校だけが楽しい」「学校が一番好き」と言ってくれる彼らが、
「いつまでも、このように、一生懸命に勉強してくれますように。そして、一日も早く、腰を屈めてしなくてもいいアルバイトが、見つかりますように。」
願ってやみません。

日々是好日
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「建物があっても『学校』ではない時」。「『今時』の学生、『以前』の学生」。

2009-06-12 08:03:41 | 日本語の授業
 今朝はからりとして、しかも涼しい。気持ちのいい天気です。とはいえ、学校まで歩けば、汗が吹き出してきます。

 昨日、今年初めて、「クチナシ(梔子)」の花を見ました。鉢植えのもので、寂しげにポツリと咲いていました。私が知っていた「クチナシ」は、群れていた印象が強いものでしたから、このように上品に飾られてしまうと、どこかしら「親しみ」を奪われたような気がします。

 学校には、いろいろな方がくださったり、学生が持って来たりした、鉢植えの花が置かれているのですが、花というものは、正直ですね。こちらが忘れていても、その時期になると、きれいな姿を見せてくれます。

 さて、学校です。
 本当に、だんだん「学校」が、「学校らしく」なってきました。こう言うと、自分でも可笑しくなるのですが、やはり、学校には、「学校の姿」というものが必要です。それが、体を為していないと、建物はあっても、「学校には見えない」のです。当然、中で働いているものは、イライラします。いったい自分が何をしているのか判らなくなってくるのです。

 教員でなければ、構わないでしょう、どうであっても。だいたい、その違いなんてわからないでしょうから。けれども、「教師」には、「ここは、学校ではない」とか、たとえ、建物がなくとも、「ここは、学校である」とかというのが、感覚で判るもののです。すでに、「学校」でなければ、いくら建物は立派であろうと、高学歴者を教師陣として揃えていようと、そこは、もう「教師」には、関係の無い所なのです。「学校」では、ないのですから。

 「学校」とは、そんなものなのです。掴むことも、触ることも出来ませんし、だいたい、誰にでも判るように、指さすこともできないのです。学生の様子を見ると、その学校の「内容」がわかると言いますが、それは本当です。

 私たちも、以前のある時期、どのように努力しようと、「ここは、学校ではない」としか、感じられないことがありました。実際、こちらが、(相手が理解できるようにと)どのような教材を作ろうが、全く徒労に終わったという時期があったのです。来日目的が、「勉強」ではないとしか考えられない人達が、どういうわけか大挙して入ってきてしまったのです。それでも、彼らに判るようにと、とんでもなく簡単で、しかも、わかりやすい教材を作りました。一のものを、十くらいに、分割して作ったりもしたのです。けれども、「救えた」のは、そのうちのほんの一握りでした。「救う」というと、少々大げさですが、やはり、この言葉以外使えないという気が、今でもしています。その頃は、建物は同じでも、学校の体をなしていませんでした。「勉強」以外の所で、問題が噴出していたのです。

 あの頃は、「あ~あ、教えられるのになあ。教えることができるのになあ」と、いつも嘆いていました。彼らが、教室に入ってくれば(たとえどんな学生であろうと)、彼らに向いた教材を作り、判るように授業しなければならないのですが、十数回、或いは、何十回教えても、始めて聞くという顔をする人達には、耐えられない思いをしていたのです。

 それが、今では、「勉強したい、そして、勉強できる環境にある」という人が増えてきています。

 二十年ほど前、中国が、まだ貧しかった頃ならいざ知らず、今時の学生は、中国人であっても、それほど貧しさに耐えていけないのです。山ほどの借金を拵えて、来日し、懸命に働きながら、大学へ行くという人も、あの頃はいました。
 けれども、最近の中国人の学生には、それは求められません。無理なのです。日本人もかつては頑張れたけれど、今は頑張れなくなった、それと同じように。

 経済的に恵まれていなければ、その貧しさに押しつぶされてしまいます。昔のように、めちゃめちゃに働きながらでも、勉強はやめないということは、できないのです。来日して、日本の物価高に気づき、それでも、アルバイトが出来るほど日本語が上手になるのを待てるかというと、また待てないのです。今度は、オロオロして、寮費やその他を安くしてもらおうと学校と交渉に来ます。

 「学生は皆同じ」という学校側の原則が判らない人や、「自分の国と違う」ことがなかなか理解できない人、それに、いくら説明しても計算ができない人(つまり、アパートを借りるには、保証人もいるし、敷金や礼金も必要だと言うこと。また、そのお金は、アパートを出るときに修繕などに使われ、全部戻ってくることはほとんどあり得ないということなどがわからず、「返して欲しい」と、学校に言うのです。学校は関係ありません。借りておいてくれと来日前に連絡があったので、一生懸命に安い物件を探し、彼らの代わりに借りておいたものです。これらは、すべて中国にいるときに連絡しています。あとは不動産屋か大家さんとの問題です)。しかも、何度説明しても、何回も同じことを、言いに来るのです。最後には、学校の方が音を上げてしまいそうです。しかし、係の者は強い。音を上げませんでしたね。

 中国人的な考え方で、しつこくしておけば、相手が嫌がって(面倒くさがって)、自分の思う通りにできるとでも考えているのでしょうか。日本では、皆忙しいのです。時間を無意味(非建設的)なことに使われてしまうのは、忙しい人間にとって、本当にたまらないことです。他のことのために使いたいというのが本音でしょう。説明責任は果たした。その上、かなりの時間を割いて、相手もした。ここまでやれば、もう十二分に責任は果たしたはず。付け加えることは何もない。それでも、まだ、同じことを言いに来るのです。そして、前から日本にいる友達(中国人)に聞いたと言って、また、あらたに交渉しようというのです。私は、彼らのやりとりを、仕事をしながら聞いていたのですが、本当に忍耐心がなければつきあえるものではありません。学校側は出来るだけのことをしているのですから。あれ以上、何が要求できるというのでしょう。

 こういう人は、やはり、国にいた方がいいですね。だれでも、外国で成功するというわけではないのです。中国人は、日本においても、「友達が言った」ことを信じます。その友達の知識も、しれたものであるにも拘わらず。つまり、相談された人も、相談している人も、中国の常識で考えて結論を出しているのです。外国においては、ほとんどの場合、それは通用しません。人を信じて(時期が来れば、その理由も解りますから)、待てない人は、やはり、自分の生まれたところでじっとしているのがいい。これは、頭の良さと言うより、「柔軟性」の有無に係わることであり、また、「胆力」の程度にもよるのでしょう。信じることが出来るのも「胆力」、待てるのも「胆力」なのです。

 学生の質が揃ってきますと、こういう人は目立ちます。授業の中身を充実させようと、走り回っているときに、そういう学生がウロウロしていると、気になります。

 以前は、このような問題以前の、もっと、どうしようもないような問題ばかりが山積していたので、こういう学生がいても、可愛いものだったのですが。
 しかしながら、勉強する学生が、大半を占めるようになり、しかも、成果がどんどん上がってきているのが、教師にもわかり、学生にもわかり、また本人にも判ってくるというような状態になっていますと、目立ちますね、こういう学生は。どこかしら、違和感があり、場違いな人に思えてくるのです。
 みんなの向いている方向と違う方を向いているのですから。

日々是好日
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「『授業風景』の写真」。「クラスの『まとまり』」。

2009-06-11 08:18:14 | 日本語の授業
 「夜来の雨」の名残でしょうか、しめやかに雨は降り続いています。ふと気づいたのですが、早朝の車の流れが、暗かった冬に比べますと、ズンと穏やかになっています。暗いと、心も急くのでしょう。また、周りが見えず、自分だけの世界に閉じこもってしまうということもあるのでしょう。闇の中で自転車を走らせていますと、自転車を想定していない車に出会って、幾度も怖い思いをしたことがありました。

 それなのに、最近は、景色に心を留めながら、ゆっくりと自転車を走らせていたのです。人は車に乗っていようと、歩いていようと、或いは自転車に乗っていようと、季節の移ろいに支配されているようです。

 さて、この学校では、玄関に、季節毎のディスプレイがなされ、訪れる人を慰めているのですが、その他にも、壁の余白を生かし、通常は、「課外活動」や、「入学式」、「卒業式」などの写真が貼られています。

 ところが、今、ここには、勉強している学生達の姿が貼られているのです。

 思えば、不思議なことです。
 学校ですから、一年の大半は、皆、教室で、勉強しています。勉強している姿が本来のものであって、「サクラ(桜)」や「モミジ(紅葉)」をバックに「はい、パチリ」とされた姿や、「ディズニーランド」で、「ミッキーマウス」や「白雪姫」の横に並んだりしている姿というのは、かりそめのもの、つまり、「非常」のものであって、「常」ではないのです。

 学校へ「日本語を勉強したい」と訪ねてくる人には、直ぐに、直接教室へ行ってもらい、授業に参加してもらいますから、わざわざ、勉強している姿を見せる必要もないのです。本物がいるのですから。

 けれど、この学校のことを知らない人、しかも、日本にいない人に、この学校のことを紹介するのに、ケーキをぱくついている姿や、大笑いしている姿などしか紹介できなかったら、ここはいったい何をするところなのかと思ってしまうでしょう。「困った、困った」で、急遽、勉強中の彼らを撮ったのです。

 実は、これは、今月の二十日に催される『留学生フェア(在大連)』に参加するためのものなのです。パネルに貼るために、教室で勉強している学生達を捜したのですが、なかなか見つかりませんでした。ほとんどが、笑ったり、駆け回ったり、食べたりの写真ばかりだったのです。

 この学校でも、まじめな「日本語学校」同様、一年の大半は、「一に勉強、二に勉強、三四がなくて、五に勉強」と、学生達は勉強に、アルバイトにと、忙しい毎日を送っています。ただ、一ヶ月か二ヶ月に一度、「課外活動」があるのです。この時だけは、無礼講で、羽根を伸ばせるだけ伸ばしても、誰も文句は言いません(勿論、人様の迷惑になることをしたり、言ったりしたときは別です)させています。で、教室で難しい顔をしている姿よりは、大口を開けて笑っている学生の方がいいと、ついつい、そちらの方を撮ってしまっていたのです。で、そういう写真ばかりが、たまったという次第なのです。

 なにせ、「初級」から始まって、(学校で勉強している時には)考えたり、覚えたり、大声で読んだりしなければならないわけですから、とてもとても開放的な気分なんぞにはなれません。こういう、まじめすぎて、しかも、頑張りすぎている姿ばかりですと、学生も悲しいでしょうが、私たちも寂しい。時には、羽目を外している彼らを見たいし、友達と屈託なく騒いでいる姿も見たい。で、勢い、玄関の壁には、そういう写真が並べられるということになってしまいます。

 いつか学生がこんなことを言っていました。「先生、この学校の学生は、いつも食べていますね(私は、思わず、『君もその中の一人なのですぞ』と言ってしまいましたが)」。確かに、食べている写真も多い。学校で勉強しているはずなのに、そういう姿は、あまり記録には留められていないのです。「これはまずい。誤解を招く」ということでの勉強風景だったのです。

 けれども、改めて彼らの教室での様子を見てみますと、みんな、思っていたよりも集中しています。中には、「はい、笑って」という注文に応えて、Vサインで笑みを浮かべている姿もありますが、これはこれでまたよろしい。教室で勉強している写真というのも、なかなかに捨てたものではありません。と、そうニコニコしながら見ていますと、「Aクラス」のインド人学生、Sさんがやって来て、「先生、私はいません。かわいそうです。私は本当にかわいそうです」と言い始めました。

 彼は、中国人の若い女の子達から、よく集中攻撃を受けているので、そのことかと思ったのですが、そうではなく、玄関に飾られている授業中の光景にも、その前の「横浜博」の写真にも彼は写っていなかった、そのことを言っていたのです。

 それを聞いても、皆は「当たり前だ。パリに行っていたのだから」と相手にしません。お祭り好きで、その時にしか存在感を示せない彼は、せっかくの出番を失って、悲劇の主人公にでもなったかのように悲しんでいます。

 実は、彼は、「就学生」ではなく、「家族ビザ」で日本にいる人です。日本で仕事をするには、まず、日本語が出来なければならないということで、「ここで勉強している」の、はずなのですが、いつしかだれもそう思わなくなってしまいました。「みんなと楽しく勉強する」の、「楽しく」だけが表に出ているような按配なのです。

 彼は既にインドで大学を出ていますし、専門を深めたいという気持ちもないのです。学校に通い始めたら、楽しかった。勿論日本語は勉強しなければならないけれど、「読み」「書き」のほうは棚上げ状態で、「聞く」「話す」に精力を注いでいるような状態なのです。今では、我々の方でも、日本で生きていくための、日本のルールや、日本人が知っているような知識がそれなりに入っていればいいかと、そういうような考え方で、彼と接しています。

 それには、この、今、「留学生試験(6月)」と「一級試験(7月)」を目指している「Aクラスが、ちょうどいいのです。7月の「一級試験」が終わるまでは、どうしても、試験のことにかまけてしまいがちなのですが、それさえ終われば、社会問題や文学の方へ重点を移した授業になります。彼は、このクラスの誰からも好かれていますし、「課外活動」では、「旗振り役」で、なくてはならない人になっています。

 ただ、「Aクラス」には、天敵がいるのですよね、先生の代わりに「勉強しなさい。勉強しなさい」と追っかけ回す天敵が。忍耐強いSさんも、時々、耐えかねて「先生、助けてください。Gさんは、うるさいです」と、叫ぶこともあるのですが、それで引っ込むような柔な連中ではありません。私が助け船を出すと、真正面から、私を見て、「でも、先生。Sさんは、こんな簡単な漢字も書けないのです」と告げ口するのです。そして、一言。「先生。これは、Sさんのためです」。

 彼も、良く耐えています。勿論、本当はとても仲良く、勉強の時も、課外活動の時も、いつも一緒なのです。

 これは、「Bクラス」でも、「Cクラス」でも同じです。それに、来日後、二ヶ月が過ぎた「Dクラス」でも、やっと、冗談を言い合えるようになりましたし、一緒に遊ぶようになっています。クラスのまとまりが、「形」になり始めています。このクラスでも、好かれたり、一目おかれている学生は、やはりまじめに勉強している学生です。

 こうなると、私たちも、少しホッとします。これは、これからの二年間、クラスの中核ともなるべき学生が育ちつつあるということを示しているのです。クラスが乱れてしまうと、勉強どころではありませんから。もし、文法なんてメチャクチャ、けれども、国で多少勉強しているから偉そうに(日本語がうまそうに)見える。そういう人が、のさばれるようでは、そのクラスに、将来性はありません。我々の指導する通りに、孜々として、地道に勉強している人が成果を出せ、しかも、それを認められるクラスメートがいる、そういうクラスがいいのです。

 というわけで、「Dクラス」も、「7月生」を、先輩らしいクラスの姿で、迎えられそうです。

日々是好日
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「『カジカガエル』、『アマガエル』」。「『殴り込みだ、討ち入りだ』、で、『返り討ち』」。

2009-06-10 08:08:33 | 日本語の授業
 天気予報の「今朝の湿度」を見た途端に、ジワリと汗が滴ってきました。「84%」という表示です。
 アフリカからやって来た学生は大変でしょう。日本の湿度に、なかなか慣れないらしく、最近は体調が悪いと言って、休む人も出ているようですから。
 本当に、この「梅雨」というのは、彼らにとって「鬼門」です。

 お天気は、今日一日は持ちこたえ、というか、日付が変わる頃までは持ちこたえるであろうとのこと。お空が泣き出すまで、この湿度は続くのでしょう。

 学校の玄関には、今、「シャクヤク(芍薬)」が活けられ、優雅な姿で、来訪者を出迎えてくれます。そして、水場には、植え替えを待つ「洋物」の花が、幾鉢か置かれてあります。この「洋物」の花の名前というのは、曲者ですね。どこかしら、ギリシアかローマ時代の、神々やニンフ達を彷彿とさせるのです。こういう「洋物」の、花の名前に疎い私は、添えられている「花の名札」を見るたびに、ギリシアの世界へ、すっ飛んで行ってしまうのですが、「花の精」達も、幾たびも品種改良された子孫達が、この遠つ国の人々を楽しませようとは思いも寄らなかったことでしょう。

 さて、今は、「アジサイ(紫陽花)」が真っ盛り。「季節の到来」を前にして、「季節の花」が、先に来たという感じです。
「(テレビの)季節の便り」では、「カジカガエル(河鹿蛙)」の鳴き声が届けられていました。人間のみならず、「(雌)カジカガエル」にとっても、あれは心を惹き付けて止まぬものなのでしょう(おかしなものですね、こんなことを考えるなんて。雌を惹き付けようと、ああいう声になったのでしょうに)。と言っても、私などは、山や川辺で聞いたとしても、決して蛙の声などとは思いますまい。それほどの、姿とは似ても似つかぬ麗しい声です。

 「鶯も蛙も 同じ歌仲間 経読むもあり ただ鳴くもあり(鶯は『ホー、ホケキョウ』と鳴く。つまり『法、法華経』と鳴くと言われていますから)」
という狂歌がありましたが、江戸の作家は、この時、カジカガエルのことを念頭に置いていなかったのでしょう。もしかしたら、「ゲーロゲロ、ゲーロゲロ…」と、天を焦がさんばかりに鳴く池の蛙たちに苛立って作ったのかもしれません。

 蛙といえば、
「雨蛙(あまがえる) 蓮華(れんげ)に ひょっとのったれば 生仏(いきぼとけ)とや これもいはまし」
と、「雨」と「尼」をかけて、「雨蛙」を「尼還る(尼さんが還俗する)」と読んだ不謹慎な句もありましたっけ。

 雨もよいの空を見ると、「カエル」さんのことが思い出されてなりません。今となっては、「カエル」さんも、子供の頃の懐かしい思い出の一つです。この「梅雨期」には、「天に満つ」と詠われた「カエル」さんの大合唱が聞ける所へ行きたくなってしまいます。「蛙の鳴き声」を聞きながら、眠ることが出来るなんて、いつの間に、「贅沢」となってしまったのでしょう。ほんの数十年前までは、ありふれた風景でしたのに。

 さて、昨日、授業が終わって、片付けをしていた時のことです。「Aクラス」の「おしゃまさんトリオ」が、「先生、喧嘩に来たよ」とやって来ました。「やって来た」は、いいけれど、直ぐ「返り討ち」にあって、「喧嘩は終わった、終わった。帰ろう」と、わけの分からないことを言いながら、出ていったのですから、煙に包まれたような話です。

 面白いものです。自習室で自習をして、さて、帰ろうとした時、私がまだ教室に残っていることを聞き、で、からかいに来た…のでしょう。本当に、たあんじゅ~ん(単純)。

 「先生、喧嘩…」と、一番先に言った「おしゃまさん」は、直ぐに敵前逃亡。「けんか」と言ったかと思うと、もうクルリと後ろを向いているんですもの、これじゃあね。机の周りを、グルグルと逃げ回っていただけです。
 次ぎに入って来た、もう一人の「おしゃまさん」は、援護射撃を始めんものと、果敢に立ち向かってきますが、これも、あえなく沈没。「わ~ん、先生、だめ~」で、逃げ方始めですもの、勝負になりません。
 最後に入ってきた「イノシシのおしゃまさん」は、名に恥じぬ、猪突猛進の勢いで向かってきますが、これも甲斐なく撃沈。「おしゃま」が三人もいるというのに、最後まで、果敢に向かってきたのは、「イノシシおしゃま」だけなんですから。本当に何ということ。「宣戦布告」をしたからには、最後まで頑張らねばならぬのだぞ。

 後の二人は、安全地帯で、「頑張れ、負けるな。先生に負けるな」と、身振り手振りよろしく応援しているだけなのです。いったい何をしに来たのやら。情けない。

 三人を追っ払った後、ゆっくりと職員室へ戻っていくと、三人組が「勝った。勝った。先生に勝った」と勝ちどきをあげながら、帰っていったという話。

 「負けた。負けた。今度こそ(捲土重来を期すぞ)」とまでは言えずとも、すごすごと尻尾を巻いて帰って然るべき。こっちは、しっかりと受けて立ち、返り討ちにしてやったというのに。一言付け加えておくけれど、「まだまだ、私の方が強いモンね」。

日々是好日
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「『血液型占い』の盛り上がり」。「『留学生試験』、『一・二級試験』後の予定」。

2009-06-09 08:06:33 | 日本語の授業
 「血液型占い」というのは、外国人にとっても、特別な魅力があると見えて、時々、麻疹のように各クラスで流行ります。しかも、忘れた頃に、また巡ってくるといった具合で、なかなか収まりません。

 先だっても、「Aクラス(08年7月生)」の教室に行った時、この話題で、盛り上がっていました。あれれ、確か、このクラスでは、もう随分前に、この麻疹は経験していたのではなかったのかしらんと思ったのですが、彼らにしてみれば、その時はその時、今はまた違うといったところだったのでしょう。
 そして、彼らの矢は最後には、必ず、こちらに向かってきます。

「先生は、何型ですか」
答えないでいると、
「悪い先生ですね。可愛い学生が聞いているのに、教えてくれない」
とすねて見せます。どこが可愛いのかと、目を剥いてみせると、何人かは笑います。うん、味方はいるな。わかっても、まだ無視をし続けます。すると、
「きっとA型です。うるさいから。だって、これもだめ、あれもだめと、いろいろ言うでしょ」と、鎌をかけてきます。

「ええっ!まさかO型ではないでしょうね。」
とにかく、自分の陣屋へ、こちらの注意を引き込もうと、あの手この手で攻めてきます。「あ」でも、「お」でもいいのです。返事さえしてやれば、安心して何事もなく終わるのでしょうが、なおも知らん顔をしていますと、攻めは、だんだんエスカレートしていきます。

「いえ、いえ、そんなはずはありません。O型だなんて。私がO型なんです。優しくて、大人しくて、いい人の私がO型なんです。ですから、先生は違います」
言葉の量が増えてきますと、敵は圧倒的に不利ですねえ。なにせ、日本語という武器で戦うことになるのですから。もうそうなった段階で、すでに私の土俵に乗っかっているということになります。で、親切な私は、敵を気の毒に思い、目で戦いを続けるということになります。

 私が、「はい、ノート」と言うまで、彼女のおりゃべりは続きます。たいていの場合、相手をしてやらないので、独り相撲で終わってしまうのですが、懲りないですね。何度も何度も懲りずに続けます。ど根性蛙と言いたくなってしまうほどです。いつも、言いたいことだけは、みんなしゃべってしまうのですから。母国においてもおしゃべりであった人は、どの言語を学んでも、おしゃべりでいるようですね。

 さて、「留学生試験(6月)」まで、あと二週間を切りました。7月には「日本語能力試験(一級)(二級)」が待っています。

 けれど、「Aクラス」も「Bクラス」も、いつも通りの「日常」は変わらず、穏やかに過ぎています。試験が近づいている割には、緊張感が漂っていないのです。それも、(Aクラスの場合)直接、進学に関係している学生が、わずか三人と少ないこともあるのでしょう。大半は、進学希望ではなく、「日本語能力試験(一級)」を目指す、家族滞在ビザの人達ですから。

 今は、(「Aクラス」の学生には)授業の合間を縫って、「日本語能力試験(一級)」後の計画を少しずつ話し始めています。このクラスの学生の中には、大学進学をめざす者の他に、様々な理由で、これからも一定期間日本に在住するつもりの人達がいます。その人達にしたところで、「一級レベル」で終わってしまっては、おそらく、道はそれほど拓けてはいかないでしょう。あくまで、これ(「一級合格」)は「基礎の終わり」でしかないのですから。

 就学生の場合、どうしても「二年」という制限がつきまといます。「イロハ」から始めて、一年くらいで「一級レベル」になったとしても、これは、「中学生レベル」の文章が読めるようになっただけのことで、「高校レベル」の読み物は、まだまだ無理なのです。しかも、これに、(進んでいく道によっては)化学・物理・生物、あるいは、歴史・経済・政治などの分野が加わります。

 勿論、「基礎課程」は、「『一級試験』合格」で、一応、卒業です。しかしながら、大切なのは、それからです。大学や大学院へ行くのであれば、先の教育機関や研究機関が面倒をみてくれますから、いいのですが、そうでなければ、自分で判らないことを調べるということをしていかなければなりません。

 一番いいのは、いちいち調べずに済めるような状態になってから卒業することなのですが、なにさま、期間は短いので、なかなかそうはいかないのが実情です。けれども、少なくとも、その糸口はつけておきたいということで、卒業までには、初歩的な「『新聞』講座」を受けておいてもらいたいし、高校レベルの「『文学』講座」も入り口から覗くだけでもしておいてもらいたいのです。

 外国人用に編集されている『上級日本語』の教科書にも、「古語」めいたものは登場します。単語の意味も「和歌」や「俳句」、或いは「狂歌」や「川柳」などを用いた方が理解しやすいものも出てきます。そういうものも、折に触れ、紹介はしているのですが(表現は悪いのですが、「文学に堕することのないように」考えながら)、せめて『枕草子』の人口に膾炙した部分くらいは、授業の時に、読んでおかないと、あとあと困ってくるのではないかと思われるのです。

 なんと言っても、文学のみならず、芸能も美術、工芸、音楽、武術も、その民族理解のための、「門口」なのですから。

日々是好日
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