日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「梅雨の晴れ間」。「人それぞれ」。

2014-06-09 08:33:54 | 日本語の授業
 晴れ。

 金曜日から続いた雨で、木々や草花は十分に潤い、急に勢いづいてきたように見えます。今朝など、「キョウチクトウ(夾竹桃)」の緑の葉の間から、鮮やかな紅が見え隠れしているようですし、角のお宅の「ホタルブクロ(蛍袋)」も、たわわに「実って」見えます。

 本格的な「梅雨」期が始まると、晴れ間が本当に眩しく感じられます。その貴重な晴れ間が今朝のお空。もちろん、「晴れ」とは言いましても、「青空」とは、ほど遠く、うっすらと雲の白い膜が貼られているようで、まあ、きれいな「水色」といった方がいいのかもしれません。とはいえ、大地に、陽の光はしっかりと届いています。

 ただ、湿度は高いようですね。まだ大気は不安定だそうで、また降り出すかもしれません。小雨程度だったらいいのですが、本格的に「ザァー、ザァー」来られますと、長靴のお世話にならねばならなくなってしまいます。

 そういえば、金曜日の先生が、「これから、可愛い『レインブーツ』を買いに行ってきま~す」と、うれしそうに帰っていきましたっけ。このシーズンが始まりますと、靴屋は言うに及ばず、デパートなどのショウウインドーにも、しゃれた傘やら、色とりどりのレインブーツやらが、飾られるはじめます。

 こういうファッションも、どんどん色鮮やかに、そしてタブーがなくなっていきます。これも「国際化」の一つの表れなのでしょう。いいと感じられるものはすぐに取り入れていくという。

 もちろん、どの国でも、昔から男女を問わず、また年齢を問わず、「かっこいい」とか「しゃれた」ものを、率先して身に付けていく人たちがいました。今時の言葉で言うと、いわゆる、「ファッションリーダー」と言われる人たちです。浮世絵に描かれた「茶屋の娘」であったり、「歌舞伎役者」であったりしたのでしょうが、彼等の服装や仕草などを見て、真似したいと思った一般大衆が、金銭的に許される限り、たとえ「まがい物」であっても、似たものを身に付け、町を闊歩していたのでしょう。彼等と一体になれたような「晴れがましさ」を感じながら、その時だけはスターになれたような気分で。

 たとえ「真似」であっても、サムライの時代、明治、大正、昭和の前期などであったら、かなりの勇気がいったでしょうね。常に「常識的な装い」というものがありましたから。

 今では、この日本、ファッション一つをとりましても、「何でもあり」の国になっています。時々、「アレレレレ…??」という服装をしている人も見かけますが、そういう服装をしているからといって、見咎める人も眉を顰める人もなく、ヨーロッパ人から見ても、「自由で羨ましい」と思われる程だとか。

 私たちの方では、パリなどの方が「自由」と思いがちなのですが、彼らの国には、「然るべき階層の人は、然るべき服装をすべき」という「世間の目」があるようで、階級制の残っている「古」欧州の方が、ある意味では、日本などよりも、かなり保守的であるのかもしれません。

 この学校の学生達は、そういう(西ヨーロッパの)国よりも、もっともっと保守的な、あまり開放されていない国から来ている人達が大半ですから、時々、あまりに「自由すぎる服装」をしている若い人や若く見える人を見て、まるで、頑固な年寄りのような目になる人も、出てきます。見咎めるのでしょう。

 もう、日本人は、「人それぞれ。服くらいのことに目くじらを立ててどうするんだ」くらいのことに考えているのですが、いわゆる(中高校生の受験期に、学校から言われる)「服の乱れは心の乱れ」と解するのでしょう、どうも、許せないと思う人もいるようです。

 私たちは、「もう、大学生になっていれば、また社会人になっていれば、『私〔私〕の時間』に、何を着て街を歩こうと、その人の勝手。その人の責任でやればいい」くらいに考えて、別に「見る」ということなんぞしないのですが、彼等はそうはいかないようです。

 正義感に駆られでもしたかのように、批判的にそういう人を見て、「自分の国では、若い人(特に女性を指す場合が多いのですが)は、こんな恰好で街を歩かない」と、自分の国を誇る人まで出てきます。私たちは、「だからどうなんだ」と思いますし、「どちらの国の方にそういう『禍々しい』犯罪が多いのか」とも思うのですが、やはりだめですね。見た目で、非難して終わりです。

 人は、なかなかに自分とは異質の他者を認めることは難しい。たとえ若い人であっても、「自分の国のやり方が、『是』であり、その範疇に入らないものは、すべて『非』」としてしまう傾向は、変わらないようです。

 もちろん、「変わって欲しい」なんて思いもしないのですが、「『人それぞれ』を自分だけでなく、他者にも感じてほしい」という気持ちだけは、こういう言葉を聞くたびに、強くなるのです。

日々是好日
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「自分の国を誇るのはいいけれども、皆が皆、他の国を貶めたら、良い国でも何でもなくなってしまうよ」。

2014-06-06 18:05:06 | 日本語の授業
 曇り。

 今朝も…(昨夜から)ずっと大雨が続いている…と思って、窓を開けたのですけれども…ベランダは乾いていました。

 昨日、関東地方も「梅雨入り」し、本格的な「雨の季節」が始まりました…多分。

 雨の日は、「ジメジメ、ジトー」として、鬱陶しいだけ…というわけではないことを、学生達にも判ってもらいたいのですが…。外に出ましょう、長靴を履いて、傘をさして…と言ったところで、ベトナム人学生やスリランカ学生の足元を見ると、つっかけ…。そうか、彼等は、夏はつっかけなんだ。内履きも、外履きも同じ。おんなじような、つっかけだったんだ…。そういえば、ペキンの人もそうだった。男の人は、どこへ行くのも、半パンにつっかけ履きだったっけ…。

 夏暑いと、そうなるのでしょうね。これは習慣だから、しようがないか。それを考えると、ジトジト、ムシムシするこの時期に、長靴だったり、蒸れやすい靴だったり、あるいはスポーツシューズだったりを穿いている、日本人は、本当に忍耐強いというか…。

 そうだ。楽な恰好をして歩いてもいいんじゃないかと、思わず彼等の肩を叩いてやりたくなってしまいます。

 日本人は、周りの目が気になるのでしょうか。それとも、外に出る時くらい、バシッとした恰好をしたいのでしょうか。確かに、考えてみれば、堅苦しい…。

 私がいろいろ考えているうちに、学生達はどこかへ行ってしまいました。彼等は(日本へ来ても)外へ出て、日本人と話し、日本語の勉強をするよりも、時間があったら、部屋の中で、ゲームをしたり、友達とダベリングをしたりしたいのでしょう。母国にいた時と、できれば、同じように過ごしたいと思っている学生達が大半のような気がするのです。

 さて、学校です。

 昨日、学生達に、日本の社会の変化について、少し話をしました。文化も、習慣も、そして伝統行事も、少しずつ変わってきていると言ったのですが、その後、「さて、君たちの国では」と振ってみました。最初は顔を見合わせていた学生達も、自分の国のことをいくらでも言っていいのだということがわかりますと、私の国はこうですと先を争って言い始めました…。

 もちろん、それはそれでいいのですが、そこで終わりなのです。「私の国は、『こうだ、こうだ』」で、終わりなのです。それから一歩進んで、「ここが、日本と違う」とか、「それはどうしてなのか」とか、「どうなった方が良いのか」などの方へは行かないのです。、途端に口が貝になってしまうのです。中には、日本と違うということを言う学生もいましたが、それは「だから、私の国はすばらしい」を言わんがためのもので、意見でもなんでもないのです。

スリランカでは、
「お母さんは、朝、6時に起きて、みんなの御飯を作ってくれます」
「男の人は、料理なんて作りません」
「女の人は会社へ行きません。ずっと家の仕事をしています。男の人が働いて、お金をみんなにあげるのです」
「女の人は、夕方、6時よりあとは、外に出ません」
「お正月は、昔から一緒です。変わりません。同じことをします」

ベトナムでは、
「お母さんが、朝早く起きて、料理を作ってくれます」
「ベトナムでは、暑いですから、昔から、△形をした帽子をかぶります」
「お正月には、みんな、お米で作ったケーキを食べます。家で作ります。中にはお肉も豆もいろいろな野菜が入っています」

人数の少ない、フィリピン学生は。
「料理は、男の人が作ってもいいし、女の人が作ってもいいです。同じです」を言うのがせいぜいでしたが。

 彼等の話は皆、「自分の国がいい」、「他はおかしい」と思っているように聞こえるのです。

 スリランカの学生に、どうして女の人は夕方暗くなったら、外に出てはいけないのかと聞いみると、黙っています。多分、どうして出てはいけないのか、出られないのかなんて考えたことがなかったのでしょう。

 「私の国は、こうだ」で、終わっているのです。

 もし、1000年も前のリーダーが決めたことをそのまま、今でも守らなければならないとすれば、必ず、息苦しくなって耐えられなくなる人が出てくるはずです。

 ルールを決めた時が、戦時下であったとしたら、平和を取り戻した時には、変えて然るべきでしょう。

 以前、ペルーの女の子を教えたことがありました。彼女は小学校の数年を日本で過ごし、それから、2、3年、ペルーに帰っていたのですが、どうしても日本に戻りたいといって中学三年生の時、また日本に来たのです。けれども、小学校レベルの日本語と中学校の2年間で習得する日本語とは大きな差がありました。その上、中学校の2年間は、言語を習得するだけではなく、それに付随した知識(本末転倒かもしれませんが)も入っているわけですから、小学校レベルの日本語や知識では、進学したいにせよ、他の人たちと太刀打ちできなかったのです。

 戻ってきても大変なことは判っていたであろうに、どうして戻ってきたのかと聞くと、「日本ではコンビニが24時間開いていて、いつでもおいしいものが食べられた(向こうでは、食事も質素だったと聞きます)。それに、向こうは、夕方になると、女の子は外に出られない」。

 彼女は、少なくとも、ペルーに帰された時点で、それなりの不満があったのだろうと思います。だから、日本とペルーとを比較し、どちらの国がいいか、それはなぜなのかを考えたのでしょう。もちろん、彼女はまだ中学生でしたから、「考え」にしても、「嫌だった」くらいのものでしかなかったのですが。

 ところが、既に高校を出ているにもかかわらず、留学生達には、物事を比較するという習慣も、なぜそうなのかと考えるということも、ほとんどないのです。これはこの期の学生だけというわけではありません。多分、そういう教育をあまり受けていない…ような気がするのです。

 もちろん、外国へ行くと、自分の国が、欠点のない、夢の国のように見えてくるというのは、本当でしょう。だから、と言ってしまえばそれまでなのですが、それにしても、もう少し、客観的な目が欲しいし、建設的な意見も欲しい。

 結局、あれやこれやと、私が欲張りなことを言ってしまって、学生達を少し暗い気持ちにさせてしまいました。終わってから、反省すること頻り。もう少し、じんわりと攻めるのでありました。

日々是好日、
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「アルバイトが見つかるまでは、もう少し勉強して欲しいのだけれども…スマホがうれしいのかなあ」。

2014-06-05 16:37:10 | 日本語の授業
 曇り。

 朝から雨が降っているかなと思っていたのですが、まだのようです。とはいえ、もうすぐ「梅雨」。五季のうちの一つ、「梅雨」が始まります。

 本格的な夏が始まる前の、この、雨の季節。この季節の風物詩といいましたら、やはり「アジサイ(紫陽花)」をおいて他にはないでしょう。青やピンク、白や紫やら、それぞれの色に染められた大振りのボール並みの(小花が集まった)花が、あちこちの路地に、雨に打たれながら、ひっそりと佇む…雨に打たれていなければなりません。

 それに、もう一つ詩情を添えたいなら、小さな「雨蛙」が大きな葉に乗っていたり、夜にはホタルがそばを飛び交ったりしていなければなりません。贅沢ですね。今はもう、「青蛙」を見かけることも、「ホタル(蛍)」の光を楽しむことも、ほとんどなくなってしまいました。子どもの頃の記憶にしかない、風景のような気がするのですが、しかしながら、「見たことがある」というのは、強い。「想える」のです。「その中で暮らした」経験がなければ、「想う」のは、難しいのでしょうが…。

 この辺りは、梅雨時になると、まず、真っ先に、「ドクダミ」が葉をつけ、花をつけ始めます。名は「ドクダミ」と、あまり雅ではないのですが、花は白くて、なかなか可憐なものです。その「ドクダミ」の花があちこちに咲いている(蔓延るように拡がっているのです)ということで、いつ「梅雨」が始まっても、おかしくはない…私たちが忘れていても、毎年のように、「サクラ(桜)」が咲いて「春」が来て、「アジサイ」が咲いて「梅雨」へと移り、そして「キョウチクトウ(夾竹桃)」の「夏」になるのです。

 本当に「命」というのは、不思議なもの…。

 さて、学校です。

 日本に来て日本語を勉強したい。また日本語を勉強するだけではなく、大学や専門学校へも行って、専門技術なり知識なりを身に付けたい。そして出来れば、日本で会社に入りたい。

 こういう日本語学校に来ている大半の留学生達の、はっきりとはしていない、漠とした希望というこは、だいたいが、こういうことのようです。

 まず、最初は、日本に、留学生という身分で来ることしか、考えていないのですが、それでも、1年以上も日本に滞在していますと、日本社会への知識も増えていきます。専門学校よりも大学の方が、日本で就職しやすいのではないかということにも、気がついてくるようです。

 もちろん、勉強する習慣がなければ、どこへ行っても、簡単には本人の希望は叶えられないのでしょうが。ただ、不思議なもので、自分の国でも、勉強していなかったくせに、日本では適当にやっていても、簡単に大学に入れると思っているらしい人が時々見られるのです。頑張らなければ、無理でしょうにね。

 そして、そういう人は、思いもよらないような(私たち日本人が殆ど知らない、あるいは知り得ないような)大学を見つけてきたりするのです。これは専門学校も同じで、学費が払えない、出席率もかなり低い、勉強する気も根性もないといった、そういう「ないない尽くし」の学生が、ここ(こういう専門学校)なら行けると、言って来ることもあるのです。

 学校の方では、そういうところは極力避け(後がありませんから。彼等は、まだまだ日本にいたい、いるのが目的ですから)、頑張るように言うのですが、国でも頑張っていなかった人は、「頑張る」が、わからない…というか、頑張りようがないのでしょう、判らないから。

 で、適当にその場をやり過ごそうとする。結局は(この学校を)出なければならない時がくるので、やり過ごすことなんてできないのですが。それにしても、「そうか、こういう風に思える(思う)から、ストレスも感じずに、これまでやって来られたのだろうな、そしてこれからもやっていけるのだろうな」と思うのですが、一方では、(教師としては)困ってしまうのです。

 ここは、学校ですから、勉強する学生が欲しいし、できれば、頑張れる学生が欲しい。私たちには、彼等の言葉がわかりませんから、それが判る彼らの国の学校で、それを考えて、送り出して、欲しいのです。

 言葉もわからないし、その上、言葉のセンスもない、しかも頑張る気もない、ということは、異国(ここでは日本)の生活に適応しがたいということです。ゴミの分別にしても、課外活動へ行った時に、(勉強の一環であるから)ビールを飲むなと言っても、「かまわない」とばかりに、自分達の国でやっている通りにやろうとするのです。

また、そういう人に限って、彼等の周りでいろいろな事件が起き、私たちが警察やら、どこやらへ走り回らなければならなくなるのですが。

 そういう人の、同国人がいて、日本語で意思の疎通を図れていれば、その人から注意してもらうことも出来るでしょう。が、どちらにしても、その人が、日本語が全くわからなければ、信頼関係も築けませんし、日本で生きて行く上で、してはいけないことも判らせることができません。

 日本に送るにせよ、なんにせよ、送り出してしまえばそれで終わり、その人が日本でどうなろうが、なにをしようが、関係ないというのは困るのです。日本の日本語学校に丸投げというのは、困るのです。私たちには、外国人の、彼らの国でのレベルなんて判らないのですから。それに、極端な言い方をすれば、こうして送り出されてきた人たちが、その国の人の、我が国でのイメージとなるのですから。

日々是好日

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「寒い時の食べ物と、暑い時の食べ物が違うって…?」。

2014-06-04 18:12:18 | 日本語の授業
 晴れ。

 明け方になると、少しひんやりした風を感じます。そういえば、まだ梅雨前。梅雨前というのは、「大気が不安定」という日が多く、「酷暑」であっても、だからといって、もう「夏になった(なってしまった)!」と騒ぐべきではないのかもしれません。

 学生達も、二年生などは、「冬物」「夏物」という言葉の意味が、少し理解できているようですが、それでも、まだ、真冬に、靴下を穿かずに学校へやって来て、(寒い、寒いと言って)震え上がっている人もいるのです…こっちは当たり前だろと思うのですが。

 何度言っても、気持ち悪いから穿かないのだそうです。風邪を引いて、学校やアルバイトを休むのと、どっちがいい(?)のだと脅しても、…だめ。ひどい病気にでもならない限り、判らないのでしょうね。確かに、人は「快不快」に左右される生き物ではありますが。

 それに、「服」のことが多少判ったからといって、それが「衣食住」にまで広がって理解できているかというと、そんなはずもなく、先日も、こんなことがありました。

 ヒアリングを受け持っている教師が、小首を傾げながら、授業から戻ってきて、「どうも…、うん、そう。判っていないな」と言っているのです。

 聞くと、「夏の食べ物」とか「冬の食べ物」とかいったことに、学生達が鈍い反応しか見せないというのです。

 「常春の国」や「常夏の国」から来ている彼等は、一年中、同じような物を食べています。「夏、暑さしのぎには『冷や奴』がいい」とか、「今日は『冷や麦』にしよう」とか言うこともないでしょうし、「冬は、皆で『鍋物』を囲んで、フーフーやりながら一杯やろう」とかいったこともないでしょう。

 「懐かしい味」というのも、いわゆる「お袋の味」や「故郷の味」といわれるもの以外に、四季のある国では、寒くなると、「鍋物」が恋しくなったりすることも含まれているのです。この感覚は、四季を幾度か経験して、その時期にそういうものを食べて、「体感」していくしかないのでしょう。ということは、まだ彼等には荷が勝っている…。

 時々、試験問題などで、四季の感覚がなければ解けない(わからない)ようなものが出てくることがあります。時には説明を加えることもあるのですが、…日本語学校にいる間にわかるようになれというのは、ちと無理かもしれません。

 10月生などは、(日本に来てから)やっと、1年、過ぎた…というところで、試験を受けなければならないのですから。

日々是好日
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「『漢字』を残している国は、中国以外では日本だけ」。

2014-06-03 09:59:43 | 日本語の授業
 曇り。

 日中、30度を超すような日があっても、(海近くのこの辺りは)朝晩は、かなり涼しいのです。が、今日は、また特に涼しい。

 雨雲が西日本を襲い、少しずつ関東地方に近づいているとのこと。そのせいもあるのでしょう。けれども、それほど蒸し暑いわけでもないのです。

 昨日は、午後、とうとうエアコンのお世話になってしまいました。が、今日は、多分大丈夫でしょう。エアコンの冷風が苦手な人たちもいるので、冷房の手を借りなければならないような時期になると、教室の中で見えない闘いが始まったりして、ちょっと困る時もあるのです。

 つまり、座席が…なのです。2列目というのが、一番人気があるのですが、今の「初級Ⅰ」教室には、2列目の席は、五つしかない。ということで、今でも、男子学生一人と女子学生五人が取り合うということになっているのです…。

 寒い間はそれでも、それはそれなりに落ち着いていたのですが(遅れた者が、4列目に座る)、例年ですと、冷房を入れ始めた途端、それが表面化するのです。

 つまり、冷房を入れると、どうしても、冷気の流れの処の席が最後まで空いてしまう。で、最後に来た学生が、暑がりならまだしも、寒がりだと、冷房を止めてくれということになる(どうしても2列目に座りたいので)。すると、端っこの4列目や3列目の学生達が(ドアのそばだと、出入りがあるので、冷気が逃げてしまうのです)「ここは全然涼しくない。止めないでくれ」となる。

 時々、かなり気の強いというか、ジコチュウの学生がいて、勝手に切ったりすることもある。で、揉めたりするのですよね。すったもんだで、一応、曲がりなりにもそれぞれのクラスで形が定まるのに、一ヶ月ほどはかかる。なにせ、大人同士です。こちらから「こうせい」とは言えません。口を出すにしても、助言程度のものです。

 ただ、相互理解が進むと、「あの人はこうだから」と、相手のことを思い合えるような余裕が生まれてくる。だんだん皆が譲りあえるようになってくる。それまでは、こちらも我慢です。異文化理解なんてのも、結局は、どれだけ相手(個人)を理解できるかにかかっているわけで、何事も力尽くはいけません。

 こんなことは放っておいた方が良い場合が多いのです。時々、「先生が決めてくれ」なんて救いを求めるような目で見られることもあるのですが。そこもそれ、我慢です。子どもじゃないんだから、考えてごらんとしか言えません。もちろん、病人や体の具合が悪い人は別ですが。

 ところで、今度は「Aクラス」です。

 昨日、学校で、短文を作らせていると、一人のベトナム人学生が「私たちにとって、官僚は悪い」という文を作り、おやおや…(「官僚は、悪だ」と言いたかったのでしょうね)。

 漢字の国、中国では、「官僚」という単語は、あまりよい響きをもっていなかったので、初めて(その意味で使われた文を)聞いた時には、「おやおや」と思ったものでしたが、彼等(中国人)にしてみれば、「官僚」という言葉に色のついていない日本語の方が、きっと「おやおや」だったのでしょう。

 ベトナムでも、中国同様、あまり言い響きがないのかなと思いはしたものの、彼の国は漢字文化をとっくの昔に捨てているはず。漢字には、その一つ一つに意味があるものが多い由を伝えますと、驚くくらいなのです。

 先だって、ちょうどベトナムのお正月の時に、ハノイのお寺を訪れたのですが、そこで中国の、おそらくは、「春联」のような感じででしょう。年初に、人々の要望に添うような、おめでたい言葉を選んで「対聯」を書いて、売っている人たちがいました。

 中には稚拙な漢字を書いている人もいたのですが、見事な漢字を書いている人たちと同じように売れていましたから、ベトナムの人たちには、もう書道の巧拙が判らなくなっているのではないかという気がしました。

 ベトナム戦争の頃には、日本人とベトナム僧侶との間で、筆談が出来たというような話も聞いたことがありましたのに…。もっとも、ベトナム語は中国語に近いそうで、ベトナム人は中国語を簡単に習得してしまいます。しかも、一度習得してしまうと、あまり忘れないのです。日本人なんて、「介詞」を忘れたり、語順を誤ったりしてしまいますから、文字こそ違え、やはり言語の流れはあちらなのでしょう。

 以前、「中級」クラスで、ベトナム人学生達を教えていた時、「漢字二字の熟語」の意味を日本語で説明しますと、少しして、2、3人の学生が、ああ、あれだと言い、ベトナム語で確認していたことがありました。それ(彼等の言葉)が、ほぼ中国語の発音だったので、驚いてしまいました。つまり漢字二字を中国語で発音したような感じだったのです。

 ただ、彼等には音は判るのでしょうが、漢字の意味が判らないので、他のスリランカやミャンマー、タイの学生達同様、漢字を覚えるのに、苦しむということになってしまいます。日本語を学ぶ場合、漢字を見ても判らなければ、結局は、他の「非漢字圏」の学生達同様、音から入るしかないのです。

 中国人が日本語を学ぶ場合や、日本人が中国語を学ぶ場合とは全く違います。両者とも、まず「目」から入っていきます。目で覚えようとしてしまうのです。中国人の場合は、もし、皆、(日本語が)「ひらがな」や「カタカナ」で書かれてなぞいますと、もう諦めきったような氷上になってしまうのですが、それが一つでも漢字が入っていますと、途端に元気付き、それを基に文章の意味を類推したりし始めます。

 日本人の場合、中国語は、皆、漢字ですから、もっと簡単になります。同じように古代中国文化の影響を受けていても、漢字を残しているといないとでは、かなり違ってきます。

 考えてみますと、古来から日本人は、中国文明の影響を受けてきたと言いましても、別に武力で占領されて否応なく従ったというのではなく(日本とは反対に、韓国やベトナムは武力で支配された時期、あるいは力に屈した時期が長かった)、知識欲や好奇心から、あるいは憧れから、(中国文化を)入れてきたのです。

 しかも、実際の中国人に影響を受けたというよりも(古代は別です。戦乱の中国や朝鮮半島から逃げてきた人が多かったでしょう)、「輸入された文物を通して」影響を受けてきたのです。だから、理想化した部分もあったでしょうし、その反対に、適当でない部分は切り捨てたということもあったでしょう。そういうことが、積もり積もって、100年、200年…、1000年と経ちますと、海を隔てていただけに、かなり違ってくるのは当然です。

 それにまた、中国や、中国を支配した異民族に対する、屈折した感情は、日本にはありません。モンゴル族が(日本に)攻めてきた時以外は、対岸の火事のような捉え方しかしていなかったのでしょう。気の毒に中国はまた異民族に支配されているといった具合に。だって、大半の日本人に取って、中国というのは文字を通してしか知りようのない国だったのですから。

 とはいえ、いまだに漢字を残している国は、中国を除けば、日本しかありません。日本語の文字がこの世界に続く限り、漢字は、ひらがな、カタカナと同様、消えることはないでしょう。やはり、古代中国文明と、日本の文化は深く結びついているのです。

日々是好日
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「昨日に引き続き、今日も「猛暑」らしい…」。

2014-06-02 09:41:30 | 日本語の授業
 晴れ。

 昨日は「猛暑」でした。そして、今日も、30度を超えそうです。

 この時期、(例年ですと)「蒸し暑い日」(清々しい五月のはずなのですが)はあれど、こんなに暑い日が続くなんてことあったっけと、のど元過ぎれば何とやらの私は思ったりするのですが、きっと、毎年、こういう日は来ていたのでしょう。そして、その度に、「異常気象が…」と、騒いでいたのでしょう。もっとも、最近は、「異常」という言葉に慣れてしまい、だれもオタオタしなくなった…だけのことなのかもしれません。

 さて、学校です。

 外国人から、「日本のお巡りさんは本当に優しい」などと言われている、交番のお巡りさんのことです。外国人を相手にしていますと、いろいろな件で、私たちでも警察に行かざるを得ないということが、よくあるのですが。

 その中には、学生が落とし物をして、届け出をするということもあるのですが、時々、あまり名誉ではないことで呼ばれることもあるのです。

 (学生を)引き取りに行くたびに、若いお巡りさんが、本当に判らないという顔で、「君がしたことは、いけないことなんだよ。それがわかる?本当にわかる?」と学生に問いかけ、果ては、「あの国の人は、こういうことは悪いことだということが判っているんですか。少なくとも、日本ではとてもいけないことなんで、それを言ってもらえませんか」と私に言ったりするのです。

 私の方でも、「口を酸っぱくして言っています。彼らの国の言葉でも、言ってもらっていますし、彼らの国の大使館からもそういう連絡が来ていますから、彼等も頭では判っているはずです」と言うしかないのですが。

 どうも、正義感は強くても、場数をそれほど踏んでいない、日本の、若いお巡りさんは、子供のように、欲しかったら簡単に万引きをしてしまう、ベトナム人が信じられないようなのです。

 交番を出る時も、(若いお巡りさんは彼に向かって)「本当に、これはいけないことなんだよ。もう、してはいけないんだよ」と繰り返していました。年だって、この学生達と大して違わないかもしれませんけれども。

 国民性とか、あるいは民族によって違いがあるとか言いますと、途端に柳眉を逆立てて怒り出す人が、時折、いるのですが、おそらく、こういう人は、喜怒哀楽という生物としての感情と、その地に生まれ、育ったことによって養われてきた習慣などとをごちゃまぜにしているのでしょう。あなたは間違っているとばかりに、「いえ、どこの国の人でも同じです」と断言する人だっていましたもの。そういう時、私はと言いますと、「はいはい。おっしゃるとおりです」と、すぐに亀さんよろしく、首を引っ込めるのですが(だいたい、こういう状態の時、人には、何を言っても無駄ですから)。

 最近はこういう人も少なくなりました。これは体験によってしか、気づけないことなのです。成功体験というよりも、失敗の数が多い方が肥やしになるという意味で。とにかく、人というのは、手痛い目を見なければ判らないのです。もちろん、私などは数え切れないくらい「痛い目を見た」口なのですが。

 「万引き」というと、ベトナム人。車がらみの事件(ひき逃げもルール違反も)というと、スリランカ人。今は中国人の留学生がいないので、中国関係の事件は朧に霞んでしまっているのですが、彼等がたくさんいた頃には…本当にたくさんありました…。互いが互いを騙そうとするので(アルバイト関係で知り合った人たちととか、友達のまた友達とか、同国人同士のものが大半でしたが…)、にっちもさっちもいかなくなるようなことも少なくなかったのですが。

 多分、こういう事件というのも、多くは、ある程度、経済的に余裕ができてくると起こらなくなることなのかもしれません。ただ、経済的に恵まれていなくとも、こういう事件を起こさない人もたくさんいるわけで、すべてを「経済」を中心にして考えると、間違ってしまうのですが。

 もっとも、天気も人も同じ。本来なら、「異常」と言うべき事柄であっても、それが日常茶飯事的に出現してしまいますと、だれももう「異常」とは思わなくなってしまいます。「またか」で終わり。そして、なぜ、あの国の人はこういうことをするのだろうと、「理解しよう」と考えたりするのです。

 その国の成り立ち、また公教育、家庭での躾などが、その国の人気(じんき)を養っていると人は考えるからなのでしょう。

日々是好日、
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「『限定は否定である」か…。でも、…」。

2014-05-28 08:40:13 | 日本語の授業
 曇り。

 朝早くには陽も射していましたが。

 渋谷の方では、朝から、20度を超えているそうです。が、ここはまだ風が涼しさを運んできてくれています。海の近くは風があるので、助かります。もっとも凪の時は、へばってしまうのですが。

 今日の最高気温は、25度を超すかしらん。昨日は昼の一時期だけ、暑かったけれども、あとは、肌寒いと感じられるような1日でした。今日は、さて、どうなりますことやら。

 今朝、自転車を走らせていますと、稀少鳥類の「スズメ(雀)」が、灌木の間からこちらを覗いていました。すぐそばには、フンワリとしたお布団が出来そうなほど、人の膝までの高さに「ササ(笹)」が生えていましたのに(そこへは行きません)。さすがに「ササ」は、密生しているので、(中に入ってしまうと)抜け出せなくなるかもしれず、また、羽を痛めてしまう畏れもあるというのでしょう。よくわかっていますね。それなりに隙間のある樹の方が良いのでしょう。

 「スズメ」や「メジロ(目白)」など、小さな鳥は、すぐに「ヒヨドリ(鵯)」などの二回りほども大きな鳥に苛められるので、隠れられる処がある方が、安心できると見えます。

 時々、学生達の顔を見ながら思うのですが、確かに、「限定は否定である」と。一度、決めつけてしまうと、人というのは、なかなかそれから抜け出せないのです。まるで、「ササ」の中に閉じこめられた「スズメ」のように。

 けれども、かといって「定義付け」めいたことをせぬと、計画が立てられないのです。この「定義付け」を毎日、あるいは数時間毎にでも変えていければ良いのですが。

 もちろん、最初は「困ったな」と思われていた人でも、本人の気持ちが変わって、どうにかなった…ということもありました。けれども、国民性というか、民族性というか、その国の人が団体で来てしまって、彼等だけの価値観が変わらぬまま、日本で生活することになってしまうと、ことは面倒になってしまうのです。

 彼等、あるいは(先に来ていた)彼等の親戚や友人からの話だけで、日本で生きていこうとすると、それはうまくいかない…でしょうね、多分(もっとも、ものは考えようで、それでよければ、まあそれでもいいのですが)。というわけで、そっちに流れてしまう人の方が多いのです。こうなると、(外国へ出たからと言って)変わることはない…でしょうね。

 人は都合の良いことのみ、耳に優しいことのみを、選んで聞いてしまうように出来ているようですから。

 「あの人はうまくいった」は、即「自分もうまくいく」とは限らないのです。その人には、他の人にない要素なり、条件なりがあり、(自分にはない)その要素で引いてもらった…かもしれないのです。それなのに、その人と自分との共通点だけ(ここでは、日本語のレベル)を比較して、自分の方が(ほんの僅か。実際は大して違いがないのですが)上だ。だから、自分だってうまくいく…と考えてしまうのです。あるいは、自分の長所(?)を、どこからか拾ってきて、自分の方がうまくいく…はずだと思ってしまうのです。

 当然のことながら、「思い込み」ですから、うまくいきません。すると、「変だ。どうしてだ」と不満を抱いてしまう。

 日本の大学では(おそらく、日本以外でも、ある程度、公教育が進んでいる国であったなら、大学進学が、ごく普通のこととしてあるでしょうから)、多少、日本語の力が劣っているとしても(意思の疎通が出来なければ、無理ですが)、「やりたいこと」がはっきりしている、あるいは「そのために来日したのだ」と明言することができることを重視しています。だって、考えてみれば、大学の先生というのは、その専門に何十年もかけているわけです。それに興味のない奴なんて入れたくはないはずです。

 ただ、ビザのために、「大学の方が得だ」と考えて、「運良く」入れても、1年も経たないうちに、音を上げてしまうでしょう。だって、大学ですもの。痩せても枯れても大学ですもの。外国人で、勉強する気のない人が入ってどうするんだ?になってしまいます。

「やりたいものがあるかどうか。そして他の人にそれを伝えることができるかどうか」。そして、そのために来日したのであれば、その専門を学ぶためには日本語の習得が必須でありますから、「(日本語を学ぶために)学校を休まずに勉強することができたかどうか」。つまり、そういう習慣が養われているかどうかなのですが。

 日本語学校に来る学生達は、その殆どが、お金が潤沢にあるというわけではないのです。その中で頑張っていければ、それは自信にもつながるでしょう。将来、何事かがあった時でも、「あの、一番辛かった時でも、あれだけ頑張れたのだから、これくらい大したことはない」と思えることでしょう。それもこういう学校で学んだ一つの財産なのです。

日々是好日
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「雨」。

2014-05-27 09:09:00 | 日本語の授業
 雨。

 昨夜からの雨がまだ降っています。夜中には強く降ることもあったようでしたが、今は、いわゆる「こぬか雨」。家を出る時に、「まあ、いいか」と、そのまま自転車で来てみれば、良いどころではなく、着いた時には、かなりグッショリと濡れていました。そうなると、この頃の雨はたちが悪いようで、寒ささえ感じてしまいます。失敗でしたね。

 さて、そろそろ「アジサイ(紫陽花)」の花が、色を付けはじめました。「鎌倉旅行」は六月の予定なのですが、ここはちと早いのかもしれません。鶴岡八幡宮へ行き、大仏さんを拝み、「アジサイ」を見、江ノ電で海へ向かう。このコースでは、いつも海でどれだけの時間を過ごすかによって、帰りの時間が決まってしまいます。いろいろな国の人がいるので、予定がつかないときもあるのです。

 中国の内モンゴルから来た学生が多かった頃は、なかなか海から上がろうとしないので困りました。「帰りますよ」と言っても、海から出ないのです。海を見るなり、「入ってもいいか」と聞き、「いい」と言うと、途端に駆けだして、海の中に入っていくのです。そして膝くらいの高さのところで、波が来るたびにキャアキャア言ってジャンプして楽しむのです。1時間でも2時間でもそうしているのです。飽きないのですよね、困ったことに。

 こちら(私たちだけではなく、海のある地方から来ている学生達)としては、待っているのも疲れてしまって、いったい何がそんなに楽しいのだろうと、不思議でたまらなかったのですが、初めて海に入ったとすれば、そういうものなのかもしれません。皆、あきらめ顔で待っていました。

 それと反対に、ネパールの学生などは、海が近づいて、潮の匂いがし始めた時、「臭い。これは何?」なんて言っていましたっけ。…そうか、知らなければ、「臭い」なんだ…。と変な納得をさせられたものでしたが。

 ところで、学校です。

 留学生の中には、日本に親戚がいて、その人に呼ばれてきている人もいます。もちろん、途中で喧嘩して、面倒なことになったりする場合も少なくないので、要注意であることは確かなのですが、仲が良すぎて、ちょっと困るということもあるのです。

 呼んだ方が、彼等は日本語を学びに来ているということを軽く考えて、勉強の方を二の次にしてしまうのです。その家族が温泉に行く時には、一緒に連れて行き、学校を休ませる。それが、まだ『初級Ⅰ』であったりすれば、3日で二課進んでいるわけですから、動詞の「て形」に入る時なんぞであれば、それは、戻ってきた時に、一時的であるにせよ、ついて行けない状態になってしまう。


 もちろん、一応、その前に電話で「学校を休む」と知らせてくるので、無断で休むのは悪いと言うことは知っているのでしょうが、「行ってはいけません。あなたは旅行に行かないで、学校へ来ます」と言っても、どこまで聞き取れているやら…。

 言葉の上では判っていても、どうしていけないのかが判らなければ、それは自分の考え、あるいは親戚の考えに従うでしょうね。

 中国で働いていた時も、親戚が北京に遊びに来るから駅まで迎えに行くと言って会社を休む人がいたので(堂々とそれを言って休むのです)、ひっくり返るくらい驚いたものでしたが、これも、それが常識とされていれば、驚いたり、いけないことだと思うことの方が非常識。必死で「染まってしまったら、日本で働けなくなる」とガードを固めてしまった私の方が変な人なのです。もっとも、私と同じように腹立たしげに見ていた人も、いることはいましたが。

 易きにつくは、いとたやすきことなれど、己を律するというのは、面倒なことなのです。「いいじゃないか、みんなやっているし、大した仕事じゃないから」と、そこに勤める人、皆が、思い始めてしまうと、仕事なんてのは、ドンドン、レベルが下がってしまいます。

 そうでなくても(積極的に休まなくても)、人は生き物ですから、病気もするし、他の人に頼めないような用事も出てくる。自分は大丈夫であっても、家族に具合が悪い人が出てくれば、休まざるを得ないということもある。その度に引け目を感じるのは嫌なものだから、たいていの者は、駅に、遊びに来る者を迎えに行く(体が悪ければ別ですが)なんてことに、休みなどはとらない…中国にいる時には、そんなことを考えるのは、日本人だけだなんて言われたものでしたが…本当にそうかな。

 大したことでなければ、それは休みを取らない方が良いのです。もちろん、職場で、皆が皆、暇で暇でしょうがないというのであれば、それは気散じに、駅へ行って親戚と一緒に遊んだり、食事したりするのは楽しいでしょうけれども、それでも、それは勤務時間内なのです。日本人から見れば、それはちょっと不謹慎であるような気がするのですが。

 それと同じようなことを、学生達にも感じさせられることがあるのです。

 「そんなに厳しくやらなくても良いじゃないか。適当にやって、だれかが面白いことを言って、それでみんなが楽しければ、それで良いじゃないか。みんなアルバイトで疲れているんだし…」。そう考えていると思わざるをえない(実際にそう言います)ような国の人がいるのです。

 もしこれが、彼等と一緒のクラスで勉強する人というのが、勉強があまり好きではない中国人とか、「非漢字圏」の学生であっても、彼等とほぼ同じような考えの人であるとかすれば、問題はないのですが、一生懸命に勉強していても、ヒアリングがかなり悪くて聞き取れないとか、漢字をなかなか覚えられないけれども、懸命にしている学生とかであった場合、これは大変なことになるのです。

 もちろん、(私の方では)どちらに合わせるかといえば、当然のことながら、後者に合わせます。すると、器用にすぐに聞き取れ、話せるようになる彼等は、(教室で冗談を言って受けを狙って面白くやりたいだけですから)漢字を覚えたり、文章読解の緒(指示語や動詞の種類の確認であったり、接続詞や接続助詞の意味など)などを聞いているのは、面倒でつまらないのです。飽きてしまうのです。

 皆が皆、そういうタイプであれば、そちらに合わせて、適当に勉強させていけばいいわけで、ある意味では、教師は努力する必要がないし、楽かもしれませんが(いえ、きっと、反対に疲れてしまうでしょう。なんとか、それでも勉強させていこうとして)。

 いやはや、大変です。

日々是好日
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「外国へ行くという意味。多分、1回目は、行ってみたいだけ…でしょうけれども」。

2014-05-26 08:47:56 | 日本語の授業
 曇り。とはいえ、今は、時折、陽が射しています。このまま、学生達が登校し、下校するまで保つといいのですが。

 先日、この学校で学んでいる中国人女性から、こんなことを訊かれました。

 この学校の語学ビザで、例えば、二週間とか1か月、来日できないかと。

 こういう日本語学校ではそれはできないと答えましたが。彼女の話には、まだおまけがあって、日本が好きな人が多いのだと言うのです。そして日本に来たい人も多いのだと。

 だから、例えば、ヨーロッパとか米国では、短期、その国で語学を学ぶことができる。それと同じように、日本のこういう学校でも出来るのではないかと思ったらしいのです。

 多分、彼女が言っているのは、公教育で、大学や高校などが、自分達の学生や生徒を短期語学研修に出すというような形のことなのでしょう。

 それにしても、中国と日本、かなりの緊張が高まっている中で、単に日本に来たいだけと言うのではなく、日本が好きだから来たいと思っている人が少なくないというのは、面白い現象ですね。一昔前でしたら、国の言うことを全部鵜呑みにして、すぐにでも戦争が始まるかのように、おめきまわっている人が大勢いたと思いますのに。

 1年や2年というのは、かなりの犠牲を要するけれども、例えば一ヶ月程度なら職場で休みを取ってという形でも来られる。だから、そういう形で来たい。つまりは、そういうことなのでしょう。

 中国人も、日本に来ている人達を見ている限り、以前のような、何が何だか判らないという人たちは減ってきました。一時期は多かったコンピューター関係の人たちの家族も、また少しずつ増え始めているようですし。

 生活が落ち着いている人たちは、反日と叫びながら、他人のものを壊して騒ぎ回ったりはしないでしょう。外から自分の国を見る目を養い、唯我独尊では何も出来ないのだということが判ってくれればいいのですが。そう言いましても、まだまだ、中国の膨大な人口から見ていけば、そういうことが出来るのも、ほんの僅かの、一握りの人だけ。

 しかもそういう人達に限って、ただの「成金」みたいなもので、学ぶ力が乏しいと来ている。貧しくとも、辺境の地に住んでいようとも、学ぶ力のある人達に外へ行ってもらえるいようにならないかなと思うのですが、そういう教育制度にはなっていないから、しょうがないことなのでしょう。

 日本人は、たとえ、学校で教えられていなくとも、いろいろな形で様々なことを見ることも出来るし、読むことも出来るのですが、彼らの国では学校で教えられていないことを知ることは、多分、かなり難しいことなのでしょう。

 私が高校の時、大学受験で日本史を選んだ生徒が、第二次世界大戦前後はまず出題されないから覚えなくてもいいと言われていました。もっとも、大学に入れば、嫌でも目にし、耳にすることですし、夏休みに国外へ旅行に行けば、嫌でも聞かされます(以前、カナダに行った中国人で、「中国人がこんなに嫌われているなんて、知らなかった。自分達も加害者と言われているなんて知らなかった」と言っていた人がいましたが、そう言うことに気がつく中国人もわずかなものなのでしょう)。

 外国へ行けば、向こうの人の考え方を聞くこともあるし、自分の考えを述べなければならないこともあるでしょう。自分の考えを人に語るには、知識がなければなりませんから、当然、それらに関する書物をひもとくということになる。一方的に自分を「善」として語れば、日本人以外の外国人はすぐに反論しますから(日本人は、どうしてこの人はこういう考えでいられるのだろうと、その人の精神状態を先に考えるという傾向があるような気がします)、普通はギュウッという目に遭わされてしまいます。

 …ただ、あの国で、それ(いくつもの立場の人たちの考えを知ること)ができるかどうか。知った上で、そこにいる人たちの考えを聞き、聞いた上で、自分なりに考えをまとめていく。こういう作業ができるかどうか。

 多分、多くの人ができないような立場にあるのでしょう。だから、以前、この学校に来ていた中学生が驚いたりするのです。「えっ。中国って、昔、こんなに小さかったの」って。

 彼は知らなかったのですね。元王朝は異民族の王朝であり、当時、現在の漢民族は支配されていた、つまり彼等の植民地だった。また清王朝も異民族の王朝であり、現在の漢民族はチベットやウイグル、モンゴルの人たちと同じ立場であった。…などということを。だから、天地会や洪門会などが「排満復明」などと言って独立運動をしていたのだということを。映画を見て笑いながら、それに気がついていない…という人は彼だけではないのでしょうが。

 私は香港の武侠映画が大好きで、当時、よく見ていました。日本で言うところの明治維新ですよね。多くの武人達が英国と闘っていた…けれども、今、考えると、これはすごいことです。

 あのころ、香港は、まだ英国の統治下にあったわけで、それなのに、あそこまで英国をこてんぱんにやっつけるようなものを描けたと言うことは…英国、すごい。アヘン戦争なんて、どれだけ出てきたか判りません。やはり、英国は、なんだかんだと言っても、先進国であり、懐は広いのです。逆を考えてみればすぐに判ることですが。

 中国も、一部の人たちが大金持ちになり、外国へ旅行に行き、自分達とは違う文明を目にする機会も多くなった…とはいえ、それを機に、自分達のことを考えることが出来るかというと、…ちょっとそれは怪しい。こういうことは、まず、国が公教育でやっていかなければ、難しい。

 「行った。見た。買った」で終わっては、せっかくの国外旅行が何の役にも立たないと、多分、国の外へ旅行に行けない、彼等の同胞は思うような気がするのですけれども。

 日々是好日
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「『日本に来させればそれで終わり』というのではなく、『来させてから』の方が、より大切」。

2014-05-23 18:22:47 | 日本語の授業
 晴れ。

 昨日も大気が安定していなかったのでしょう。日中も突然の雨。それから、夜になってから、雷様がまたお出ましに。

 留学生達は、「…ほんとうに、日本の天気は判らない」。そんなことを言っているくせに、折りたたみの傘をいつも持っていなさいという言葉には反応が鈍い…。高を括っていたのでしょうね。急に雨が降り出すと、しまったという顔をして、恨めしげに外を見る人がいるのですが。

 学生達が帰る頃には、既に、雨は止んでいましたし、あらたに降り始めもしていませんでした。だから大丈夫だったのですが、それでも、毎日折りたたみの傘は持っていた方がいいのです(置いておくと、降った時にだれかに持って行かれてしまいますから)。特に午後の学生達が帰るのは、もう夕方とも呼んでいいような時間帯ですから。この時間帯には、夏場でも夕立に見舞われることはよくありますもの。

 さて、学校です。

 先日、あるインド圏の人に会いました。10月生(の募集に)は、まだ間に合うかと聞かれたので、「インド圏の人も、10月は避けた方がいい」と言っておきました。すると、大変なのは、お金の問題だけだと言います。

 これは、「日本に寄越すだけ」という仕事をしている人と、「来てから」を考えなければならない立場の私たちとの差が、如実に出たようなやり取りでした。

 もちろん、留学費用がなければ、留学はできない相談です。でも、ぎりぎりで来ていても、結局は、何も出来ないのです。「それから」が見えないのですから。それに、インド圏の女性であれば、アルバイトや生活などの援助をする人がいない限り、中国人女性やベトナム人女性のように働ける…とは、限らないのです。

 こう言いますと、黙ってしまいました。「来させれば、それで終わり」というのは、あまりにも安直な考え方。来てから、(彼等の)生活が軌道に乗るまで、日本にいる人が呼ぶのであれば、それを見守る義務もあると思うのです。学校側も努力はしますが、やはり文化も生活のパターンも、そして何よりそれを訴える言葉が違うのです。判る人が世話をした方がいい。それができなければ、やはり、呼ぶのは控えた方がいいと思うのです。

 こういう、日本の日本語学校へ来られる人たちは、十分と言えずとも、そこそこの財力がある人の子弟であったり、親戚であったり、また身近に貸してくれる人を持っていたりする場合が多いのです。もちろん、そうではない人達もいることはいました。けれども、結果として、それでも頑張れるだけの頑張り力を持っている人は、それほど多くはなかったのです。

 この学校は小さな学校です。そこまで出来ない人を「いいですよ」と言って、来日させ抱え込み、かつぎりぎりで頑張っている他の学生達の援助をするということはやはり無理なのです。ぎりぎりで頑張っている学生達を待つことはできます(財政的に)。けれども、それだけです。ある程度の経済力がなければ、やはり勉強なんて、普通の人は出来ないのです。

 結局、その「インド圏」の人の言いたかったことは、金の問題さえクリアできたら、日本に来させることができる…だけだったのですが、私たち学校側としては、「(来てから)頑張れるかどうか」、日本語が出来なければ、当然のことながら、アルバイトは辛いものとなります。だれかの紹介で(アルバイト先へ)行っても、日本語がゼロに近い状態であったら、それは「(日本語が)上手になってから来てね」と言うことになってしまいます。

 「来られた」で、終わりではなく、「来た。それから」が問題になるのです。

 10月生として来られても、四月に来た学生に比べて、次の進学時までに、既に半年損をしているのです。アルバイトで稼いで、貯金をするにしても、半年分足りないわけです。しかも、日本語を日本で学べる時間も半年足りていないのです。

 スリランカから来ている学生で、国で日本語の「初級Ⅰ」を学び終えてやって来ている場合、不思議なことに、それ以上がなかなか行けないのです。もちろん、「初級Ⅱ」程度までは何とかなります。けれども、それ以上のものが身につかないのです。それ以上を学ぶ力(知識欲)がないか、あるいはそれ以上を学ぶ必要がないと思っているかは判りませんが。

 1年経っても、「進歩がないな(もちろん、少しは違います)」と、適当に(社会問題とかはだめですが)聞き取れるし、ペラペラと話すことだけは話せますから、(この進歩のなさに)がっかりさせられてしまうのです。

 だって、日本にいてアルバイトしているわけですから(彼等は殆ど、会話というか、耳から吸収するので)工場やレストランの賄いででも働いていれば、そういう単語は、自然と身に付けられていくことでしょう。でも、それで終わりなのです。

 学校で学ぶもの、特に「中級」以降は、たとえ会話の時間であっても、もう少しずつ、「非日常」と言いますか、(彼等の現在の状況からしてみれば)大学での学園祭の事であったり、プレゼンテーションのことであったりするので、…関係ないし、想像もできない。ある意味では、それは日本の生活(アルバイト先で話し、同じ国の人とだべる)とは、全く関係がない「抽象的な概念の世界」の事のようにでも感じられることでしょうから、判らないし、また判ろうともしないようなのです。

 判らないだろうな、(こちらは)判らないだろうと思っているけれども、相手にはそれが通じない。本人は「皆、判っている。簡単」と思っているので、話してみても、完全にすれ違いになるのです。

 「そうか、こういうところで頭の良さというのは出てくるのだな。頭のいい人達はこういう説明をする必要がないもの」と、こちらでは、何度も、こういう、それでも「徒労」を、繰り返しながら、思うのです。

 スリランカ人学生が増えると、こういう事をさせられる機会も増えてきます。出来ていないのが歴然としているのに、どうして出来ていると思えるのだろうと、不思議に思われるのですが、(本人は)聞き取れ、話せているつもりだから、そうなるのでしょう。けれども、本当は理解も出来ていないし、こちらの意図も全くわかれないのです。スリランカ人を教える上での、これも大きな壁の一つなのですが、相変わらず、今日も、こちらの歯車は、空回りに終わってしまいました。そしてその度に、疲れるのです。

 とはいえ、相手が求めているのは、別に、より高いレベルの日本語を学んで知識を得たいとかそういったことではないのです。こちらが、相手のために空回りをする必要も無いのです。本当に。考えれば考えるほど、自分が馬鹿だなあと思います。けれども、教室に入れば、また同じことを繰り返してしまうという愚。きっと来週も、またそうしてしまうのだろうなと思います。もちろん、これはお互いに不幸なことなのでしょうが。

日々是好日
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「羽田への送り」。

2014-05-22 10:55:01 | 日本語の授業
 晴れ。

 雲一つないと言いたいところですが、真っ白な薄い雲が青い空をゆっくりと流れています。

 昨日は朝から雨でした。しかも本格的な雨で、自転車で来た学生も、歩いて来た学生もあちらこちらが濡れていました。

 そして、11時過ぎごろ、教員二人で、見送りの女子学生一人を連れ、ある学生を送りに羽田へ行ってきました。

 「頑張ったね、さようなら。元気でね」というような別れではなかったので、どうも気が重かったのですが、彼女の説得もあり、本人はどうにかあきらめがついたよう。羽田に着いた時には、もう、以前の表情に戻っていました。

 それから、大学の授業が終わってからすぐに駆けつけたという二人も加わって、四人で楽しそうにベトナム語でおしゃべりをしていました。日が暮れる頃、雲が切れ、富士山の輪郭がくっきりと浮かび上がって見えました。

 日本に来る時も、三人一緒だったという男三人。多分、ベトナムに帰ってしまえば、いつも一緒にいられるはずもなきことながら、異国で共に年を重ねたというのは、曰く言い難い「因縁」めいたものが感じられるのでしょう、そこはそれ、特別な仲になっています。それで、取るものもとりあえず駆けつけたというわけ。

 そして、見送りが終わり、羽田を出たのは、夜の10時半を過ぎていました。

 疲れたことは疲れたけれども、もうこんな別れは嫌だというのが、実感。やはり、別れは涙が伴うものであれ、一方が、なにかしら不条理を感じたままというのは、どこか割り切れなさが残ってしまうのです。

 国が違えば、物事に対する感性も違うし、また罪の意識も違ってくる。(日本では)こうなってしまったら、もう外国人がここで発展していくことはできない相談であると、日本人である私たちには、言わずもがなのことであるのに、彼等にはそう思えないのです。

 大したことではないのに、どうして私はこんな目に遭うのかと、自分の不幸ばかりが目の前にちらつき、「申し訳ない」もなければ、だから新しくどうしたらいいのかも見えないのです。

 こういうことになっても、今まで通りにできると、なかったことに出来ると思っているようにしか思われないのです。

 とはいえ、「(だから)再起を期すには、国に帰るしかない。ここにいても何も出来ない」が、頭で理解できなくとも、(これは時間がかかります。こういう国の人は、もしかしたら、一生わからないことなのかもしれません)まずは、そういう状況に身を置かせるしかないのです。「(そんなこと)大したことじゃない…」という思いが、彼らの国ですでに養われている習慣から拭いきれないのです。
 
 再起を期すには戻るしかない。もちろん、(これがわからないのは)言語の問題もあるでしょう。けれども、その前に、どうしても、「大したことじゃない、そんなこと」という考え方が、確固としてあるのです。だから、腹に落ちていかない…。

 こればかりは、変えられない。すでに二十数年を、それが、当たり前の、彼等の国、母国で育って来ているわけですから。これは、彼らの国の問題であって、日本の学校の問題でも、日本の国の問題でもないのです。

 ただ、難しいですね。私たちの方では、現時点で、彼にとって一番いいであろうと思われるやり方を、彼に勧めているわけですが、果たしてどこまで理解できたものやら。

 彼が、羽田への車中で、語っていたとおり、コンピューターと日本語の勉強を真剣にやり、大学を卒業して戻ってきた彼女と新しい生活をやっていけるようになれればいいのですが。

 さて、そんなわけで、2日間、「四月生」のクラスを見ていませんでした。「Aクラス」なんぞは、勉強する人はする、そうでない人は今まで通りと、この「今まで通り」というのがあるので、どこか心に余裕があるのですが、この「四月生」、来日後1か月が過ぎ、そろそろ「地」が頭を擡げはじめる頃。擡げだした人も既に三人ほどいるので、油断大敵なのです。

 擡げたなと思ったら、コツンと一叩き。どうにかなる人はそれで、一度引っ込みます。けれども、どうにもならない人はそれくらいのものでは屁とも思っちゃいません。ただ擡げの角度、高さはしばらくは「心持ち遠慮」が続くでしょう。

 擡げたと思ったら、コツン。ちょっと鎮まって、また擡げた時、コツン。これの「繰り返し」なのです。

 ただ、異国人同士、そうは言っても、見えないところも多いのです。時には勘違いしていて、その手を緩めすぎていたり、コツンやらずに待った方が良かったのに、コツンとやってしまったりと、毎日が、本当に、初めてのことが重なっていきます。

 100年生きていようと、1000年生きていようと、新しい日は、だれにとっても初めてのことばかりとはよく言ったもの。

 皆、その中で右往左往しているのですから、1000年には遠く及ばない洟垂れ小僧程度の私が、時にはにっちもさっちもいかなくなるのも理。まあ、そう思いながらやっていくしかないのでしょうが。

日々是好日
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「『運動会』、子ども達の元気な声」。

2014-05-19 08:07:59 | 日本語の授業
 晴れ。

 この一週間、いろいろなことがありました。

 あまりの慌ただしさに、そして、それも終わった今、皆、どこかしら、ぼんやりとしているような感じなのです。

 今、近くの小学校から子ども達の元気な声が響いてきています。そう、「運動会」が近いのでしょう。

 昨年と同じように、この時期になると「運動会」が開催され、そして、その前に、駆けっこやら、バトンの手渡しの練習やらが、朝早くから行われています。今も、例年のように応援団の可愛い声や、大太鼓・小太鼓のドンドンという音などが谺しています。これも練習。こういうのが何週間も続くのですから、付き合う先生方は大変なことですね。

 人間の活動は、季節から逃れることができません。だから、それが続けば、慣習となり、まるで、その民族の遺伝子に組込められでもしたかのように、思い起こされてくるのでしょう。その活動が終わっても、そうなのですから…。季節の中に浮かんでいるのが人間、まるで植物です。

 「入学式」といえば、「桜」。それと同じように、「運動会」と言えば、今では「五月晴れ」。

 今の子ども達は、大人になってから「運動会」を思う時、きっと澄み切った「青空」が心の中に広がることでしょう。私たちが「運動会」と聞いて、ミカンの香が自分の周りから漂ってくるような気がするように。

 さて、今日、午後の受業は少し早めに終わり、そして明日は告別式。参加できる学生には来てもらいたいと思っています。学生達はきっと驚くことでしょう。そしてどうやって慰めたらいいかわからずに、途方に暮れることでしょう。

 けれども、不思議なことに、こういう悲しみの気持ち、思いやりの心というのは、すぐに相手に伝わるのです。それだけではなく、(相手の)心を労り、慰めてくれるものなのです。

 そして、こんな時、「本当に、人間というのはすばらしい」と思うのです。

日々是好日
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「日本語に、ひらがな、カタカナ、そして漢字があることは判っていたことでしょ」

2014-05-16 08:51:05 | 日本語の授業
 晴れ。

 爽やかな朝です。湿度が低いと、こうまで気持ちがいいものなのかと思ってしまいます。空も、正に五月晴れ。どこまでも青く、そこに白い雲がぽっかりと浮かび、ゆっくりと流れていきます。

 いいなあ、ベランダで布団を干し、その、取り込んだばかりの、フカフカの布団の上に寝転んで、ゴロニャンとやってみたい。猫になりたくなるのは、正にこのような日。

 さて、学校です。

 今、学校では、スリランカ人学生とベトナム人学生が勢力を二分するような形で勉強しています。地理的なことを云々しても意味はないと思うのですが、以前、中国人学生が多い時には、彼等とベトナム人学生を比べて、(ベトナム人学生たちに)ため息をついていました。ところが、今は、スリランカ人学生とベトナム人学生を比べて、(スリランカ人学生達に)ため息をついているのです。全く、勝ってと言えば勝手なのですが…、本当に。

 これも、以前、この学校に来ていたベトナム人学生の多くが(二、三の例外を除き)、それほど勉強するつもりがない、あるいは、勉強する習慣がなかったからでしょう。

 けれども、今は、以前に比べて、アルバイトの量はそれほど減っていないにもかかわらず、よく勉強してくれています、特に女子学生が。これだったら、大学を目指せよと言いたくなってしまいます。もちろん、(大学で何をするのかがよくわからない人達も多いので)とんでもないという顔をされてしまうこともあるのですが、行けば変わるでしょう。

 このように頑張れる人たちには、もっと多くを学んでほしい。大学での、四年間というのは、決して無駄ではないのです。

 それに、日本語なんて言うのは日本で生きていくための道具に過ぎず、それをうまく使いこなせるようになるためには、(直接、仕事と思うよりも先に)もっと知識を増やしたほうがいいのです。

 それに比べ、大半のスリランカの学生達が幅を利かせられるのは、『初級』まで。『中級』に入って漢字交じり文を読まなければならなくなったり、使い方の難しい副詞や、少々難しい文型などが出てくると、途端にバンザイになってしまうのです。

 これは、資質によるのか、あるいは、こういうことを考えるのが苦手なのか、あるいはその両方なのかもしれませんが。

 立ち止まって、少しでも考えてみれば、判ることだと思いますし、その時に判らなくても、毎日学校に来ているうちに、自然と判っていくと思うのですが(これはインドの学生でも、バングラデシュの学生でもできたことです)。彼等だけが、(漢字があるから)できないというのは通用しない…と、思うのですけれどもね。

 なんでも口実を探して、「…だから、できないのは当然だ」と言いたがります。

 「(漢字も日本語も)難しい、難しい。それに眠いけど…」と言いながら、夜勤が終わってすぐに学校に来て頑張っている小さなベトナム人女子学生を見ても、何とも思わないのも不思議。でかいスリランカの男子学生が、口実ばかり探しているのが、却って、へえ~という感じになってしまいます。

 ああいう国では、女が気ぜわしく働いているのも、大の男が言い訳ばかりしているのも普通であって、不思議ではないのでしょうかね…なんて、知らない人にそう思わせてしまうのは、決して彼らの国にとっていいことではないと思うのですが。

 日本だったら、「女の子が頑張っているのに、男のくせに恥ずかしくないのか」って、怒鳴りつけられてしまうところ…まあ、これも九州の人間だけが思うところなのかもしれませんが。

日々是好日
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「私たちが考える常識も、他国の非常識…かもしれない…」。

2014-05-15 17:19:10 | 日本語の授業
 雨。

 昨日は暑くなるという予報でした。しかしながら(確かに、28度ほどにはなっていたようでしたが)、実感として、そんなに暑いとは感じられなかったのです。暑かったのは、ごく僅かの時間だけ。しかも、その僅かな時間を過ぎると、暑いどころか、涼しいとさえ感じられるほどだったのです。

 そして、今日。

 昨日に比べれば、10度ほど近くも下がるとのことですから、寒いと言った方がいいのかもしれません。もちろん、雨は困りますけれども、これくらいの方が過ごしやすいと言えるでしょう。

 さて、学校です。

 「初級Ⅰ」のクラスでは、皆、だんだん遠慮がなくなり、会話練習など、違う国同士の間でも、和やかにできるようになっています。実は言ってはいけないことなのですが、昨日、四列目の学生の表情やら、仕草やらがどう見ても「ゴリラ」にしか見えず、我慢できなくなって、「だめ、○○さん、その顔はだめ。そんな顔をしてはいけません。△△△みたい」と思わず口走ってしまいました。そして、目から涙が出るほどにおかしくておかしくて…笑ってしまいました。これがなかなか止まらない…。

 「ゴリラ」が判った学生はクスクス笑っていましたが、本人はそれが判りませんから、キョトンとして、またおかしな顔をして見せます。本当に…困ったな。

 ただ、この、人を動物に見立てるということ、これがある民族や国民にとっては、まずい場合が、多くあるので、互いに意志が通じい、信頼関係が築けてからでなければなかなかできないことなのです。

 いつも、帰りには玄関で彼等を見送るのですが、その時に、彼を見ると、また同じような顔をして笑うのです。本当に困ったなあ。

 一言付け加えておきますと、日本人は、あまりそれを「悪いことだ」とは思っていないのです。もちろん、日本で、ある地方の人の祖先は何々という動物であったなどという話(神話)はあまり聞いたことがないのですが。

 多分、この何々民族の祖先は何々という動物であったという神話は世界各地であるのでしょう。そしてそれと同時に、人に見立ててはならぬ動物というのも、それぞれあるのだと思います。

 ただ、日本人は、動物をすぐに人格化してしまうのです。ペットの動物も、そして野生の動物でもそうです。カラスも勘三郎となったり、狐もおたきとか、花とかいう名前が付けられてしまったりするのです。

 子どもの頃のあだ名に、スピッツみたいに可愛かったから、「スピッツちゃん」といわれた人もいましたし、三毛猫みたいな顔をしていたから「三毛ちゃん」と呼ばれるようになった人もいました。かく言う私も、ゴマフアザラシの赤ちゃんと呼ばれ、それがいつの間にか「ゴマちゃん」となった時期もありました。

 中国では、「犬」と呼ばれることを嫌い(もちろん、日本でも中国と同じような意味で使われることはあるのですが、ただ、その時にも、日本では「ワンちゃん」と呼ぶと、途端に可愛くなってしまうのです)、日本人のように、ごく普通に、「あの人は犬顔だね」とか「猫顔」、あるいは「狸顔」「狐顔」「リス顔」などとは言っていませんでした(日本ではごく普通に言っていたのです。自分で、私の顔は何々と言うこともありましたし)。。

 日本では、「人と動物たちの間の垣根が非常に低い」と言うよりも、それは並列であるような気がします。「上下」ではないのです。「対等」と言った方がいいのかもしれません。それ故でしょうか、日本人は、どうも、人を上下で縛るのが苦手であるような気がします(もとより、日本社会でも、会社や学校など、人が組織を作れば、必ず上下関係というのは生じるのですが)。

 日本の商社マン家族が東南アジアやアフリカなど、賃金格差のあるところ(日本と比べてです)に赴任した場合、その奥さんがどうしても現地のお手伝いさんを使いこなせないと悩んでいたというのを聞いたことがあります。(日本人同士でそうしているように)対等に扱うと、相手がこちらを馬鹿にする(慣れていないのでしょう)。それで、命令口調でやると、今度は相手が馬鹿にされていると怒り出す…。

 こういう家族も日本ではごく平均的な家であって、お手伝いさんなんて雇ったことはないというのがふつうでしょう(たとえ、大金持ちであっても、他人をうちに入れるのが嫌だと言う人も少なくないのです)。ですから、小中高大学と、常に「皆、同じ」で生きてきたのです。会社に入り、課長や部長になり、人を使う術を学んできた人であっても、それとお手伝いさんに対するのとはまた違います。となれば、これは難しい…。

 多くの国では、こういう身分になれる家庭の人というのは、お手伝いさんの一人や二人は雇ったことがあるような家で育っています。だから、子どもの時から、親がお手伝いさんをどう扱っているかということを見てきているのです。

 その差は大きいと思います。

 けれども、私はこの話を聞いた時、だから、日本は暮らしやすいのだなと思ってしまいました。生まれた時から、人様を使って家のことをあれこれさせてきたという家庭が多い国よりも、自分のことは自分達でやっているという普通の家庭が多い国の方がいいと思うのです。

 ただ、世界にはいろいろな国がありますから、そしてやり方というのがありますから、そういうところへポンと放り込まれたら、困ってしまうでしょうね。

日々是好日
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「異文化」

2014-05-14 16:59:23 | 日本語の授業
 晴れ。

 今日は28度になるそうで、テレビでは熱中症の心配をしていました。学生達も、休みの時間に、ジュースを買いに出ていくということもあるようで、その度に、「一日にいくら、一週間でいくら、一か月でいくら、1年でいくら、2年では…かかる」をやっているのですが、これに反応してくれる女子学生は、もともと、ジュースなどを買ったりしないので、言う必要もないのです。

 本当に判ってもらいたいのは、アルバイトで手に入れた金はすぐに使ってしまい、貯金をするという習慣のない人たちなのですが。

 アルバイトで(なにがしかの金を)手に入れても、一週間と経たないうちに使ってしまい、そして後の三週間は「(何を言っても)金がない」。「金がない」というのは恥ずかしいことなんだと言っても通じません。

 もちろん、アルバイトがない時や、来日直後は彼我の物価の違いに面食らい、財布の紐を締めたりはしているでしょうが、しかしながら、日本とは違い、「助け合い」の国が多いのです。

 金がなかった時は、友人に借り、そして金が入ったら返す(学校で貸しても、100%戻るということはないのですが、友人同士であれば、必ずと言ってもいいほど戻すようです)。この借りた金も、「借りたモノ(もともとは人様の金)だから、考えて使え」と、私などは思うのですが、彼等はそうは思わぬようで、借りたら(もう自分の手に入ったら、その時点で)自分の金。で、すぐに無駄遣いしてしまうようなのです。いわゆる「普通の生活」のために使ってしまうのです。ビールはよく飲む。果物も高いモノを買う。そんなことをしていたら、アルバイトの金などすぐに底をついてしまうのに。

 けれども、何回言ってもだめなのです。

 日本人は、普通、人に金を借りるのは嫌だと思う、恥だと思います。とにかく借りないですませられるようにしたいと思う。…でも、これは、日本人だけのこと。彼等の考えではそうではないのです。

 日本人であったら、一生懸命働いて、そこそこの金が手に入った場合、それはその人が頑張ったからであって、他の人とは関係ないこと。そんな頑張った人の懐に手を突っ込むような真似は恥ずべきことである。…そういう考え方は、彼等の世界では通用しません。貸さない奴は「けちんぼで、悪い奴、嫌な奴」になってしまうのでしょう。だから、習慣として、貸す…としか考えられない。

 金があったら、今、手元不如意の人に貸すべきである。貸してほしいと言われたら、貸すべきである。日本人であったら、まず、その、手元不如意の人が借りたくないと思うので、そこからして違うのです。言われたら貸すかもしれないけれども、まず、普通の人は、困っていても、「貸して」と言わない。

 それを恥ずべきことと思うのです。甲斐性なしとは、だれにも思われたくない(これも、日本がアルバイトであれ、頑張って働けば、まだまだどうにかなる社会だからでしょう。他の国の状態をみると、日本はまだまだ個人が頑張れる社会だと思われるのです)。

 彼等の社会では、「貸したり」、「借りたり」は、日常茶飯事のことであって、何でもないのです。だから、この国(日本)でも何とかやっていけるのでしょうが。しかしながら、人に貸せるほどの金を持っていないのです、皆。それなのに、「貸して」と言われたら貸してしまい、結果として、学校に「教科書代は払えない。お金がないから」。「学費が払えない。お金がないから」となる。

 本末転倒というか、何を先にしなければならないかが彼らの国と私たちの国とでは違うとしか思えないのです。

 多分、「公」と「私」という観念がないわけではないのでしょうが、それは彼等にとって「政府」と「人民」であり、日本人が言うところの「公私」ではないと思われるのです。

 「会社のモノを勝手に使ったり、持って帰ったりしたら、どろぼうと同じ」「公のモノを勝手に使わない。それは皆のモノだから。決して私のモノではない」と言っても、彼等にとっては、「公のモノは、即ち皆のモノ。つまり私のモノ」となってしまうのです。

 これは、一朝一夕には改められません。風土からかなとも思うのですが、歴史的、あるいは社会体制からかなとも思われるのです。学校のペンを勝手に使う学生に、毎回、それは「皆のモノ。公のモノ。私してはいけない」と言っても、だから「私が使います」となって、結局、日本人の頭の中は「???????」で、終わってしまうのです。

 これは、「翻訳する」と違ってしまうというのではなくて、そもそも、頭の中に、それに相当するような語彙もなければ、思想もないのです。

 古代に影響を受けたはずの中国人との間でさえ、これは「根っこからして違うのではないか」と思われる時があるくらいなのですから。

 古代中国文明に日本人は確かに影響を受けた。けれども、それは書物を介してであった。直接的な影響は受けていないように思うのです。纏足や宦官などは日本にはありませんし、中国人がもっとも尊ぶ玉にしても、古代に曲玉があったくらいで、だいたい、石を尊ぶという考え方は日本には稀薄であるような気がするのです。

 日本人は、その、輸入した書物を、日本人的な思考回路を通して理解し、形式としていった。もちろん、中国は中国で古代から様々な曲折を経て、今の中国文明を作り上げています。この、中国大陸という肥沃な土地は、周辺の騎馬民族からすれば、「肥肉」に他ならず、モンゴル民族や満州民族によって支配され、その度に揺れ戻しが来たり、方向を変えざるを得なかったりしたでしょうから。もちろん、日本は日本で、自分達なりの理解を発展させていった。

 古来から、多くの日本人にとって、中国とは文字に書かれたものでしかなかった。その中に描かれていた、いわゆる、かつて、文革などで打倒された知識のある人たちしか知らなかったと言ってもいいでしょう、昔から。民衆同士の付き合いなんて、100年にも満たないことでしかないのです。

 それに、だいたい、ここ何百年もの間、日本には文官、武官なんてなかったのです。貴族と武士とがそれに相当すると言えばいえるかもしれませんが、鎌倉時代から、貴族というものは神社などに関係していたり、お家芸(音楽とか踊りとか)を伝えているにすぎず、実権なんてありませんでしたもの。武士が「武」を根っこに据えながら、政府を作り、政策を実行していったのです。

 悪いことをしても、貴族には切腹なんてありませんでしたが、武士は何か悪いことをすれば、すぐに腹を切らされたわけで、しかも、末代まで恥は続きます。そのモラルは、鎌倉、戦国時代、江戸と、次第に農民にも職人にも商人にも伝わっていったのだと思います。もちろん、それに反撥するような文化も花火のように上がっては消えていきました。とはいえ、しっかりしたモノがなければ、人は反発できないものです。

 思わず、いろいろなことを考えてしまいました。けれども、人は生まれ育った土地や歴史、文化習慣などから離れられないのです。余程、意識的に生きていかない限り。

もちろん、人を変えてやろうなどと、増上慢なことを思っているわけではないのですが、それでも、少しずつでも、この地にあった生活パターンを築いていかなければならないと思うのです。ただ、本当に、知れば知るほど、それが難しいなと思えてくる今日この頃です。

日々是好日
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