日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

人類誕生…猿人、旧人…新人。…う~ん、それは私達が習ったのとは違う…(困ってしまう学生たち)。

2021-03-31 09:28:50 | 日本語学校
晴れ。

このところ、話題は「サクラ」で持ちきりでしたが(なにせ、コロナ禍です。昨年は我慢してきた人も、今年の「サクラ」に浮かれて蠢き出し、中には世間の迷惑になるようなことをしでかした人もいるようですが)、そろそろ季節は次ぎに移っています。

最近、街角で「ポピー」の花を、ちょいちょい見かけるようになりました。「サクラ」の頃は、最初に「サクラ」(ずっと高いところ)に目が行き、次ぎに視線を落としていく…という感じで、「ああ、『オオアラセイトウ』が咲いている」とか、「『シャガ』も咲いてる」という風だったのですが、今は、その草花の方に目が行きます。そろそろ「サツキ」も咲き出すでしょうし。

春闌というか、もう初夏の雰囲気さえ漂わせています、昨今の気温の上昇を見ていますと。

さて、学校です。 

来年の高校受験を目指して、あるいは大学受験のために 、今、少しずつ「算数(九九)」の勉強を入れ始めています。中学校の数学を教えるにせよ、まずは「九九」。中学校に勤めていたとき、「数学」の先生が、夏休みに、数学が苦手な三年生を登校させて、計算問題ばかり練習させていたのを見たことがありました。先生曰く「これで、(入試の時)20点はとれる」。

まあ、それと同じことなのでしょうが、そのためにも、「九九」が早く言えなければなりません。国によっては、それを暗記することを強いていないところもあるようですし、まずは「九九」を覚えているかどうかの確認のためにも、書かせてみなければなりません。

ところが、書くのは同じと思ってたら、書き方が違うのです。3×4=12の答えを、ある国では「21」と右から書いたりするようなのです(それもわかります。右から書いていけばそうなりますもの)。彼らにとってみれば、面倒なのでしょうが、それでも、まずは日本と同じ書き方をするようなれてもらう必要があります。それに、勉強してから、もう随分時間が経ったから、忘れてしまったという人もいますし。それはともかく、これができなければ、これからの日本での生活も大変です。

で、その他に、昨日は「世界史」のはじめの部分、「人類の誕生」というのを、一緒に見ていったのですが、これが、また、ちょっと大変でした。

前にフィリピンの学生が同じようなことを言ったことがありました。その時は、「進化論」が文章の中に出てきたことがあったのです。その説明を始めるとすぐ、フィリピンの学生が「それは違います。『人間』は『神様』が作ったのです」と言うのです。

日本などは、戦前教育を反省して…からということもありますが、「政教分離」が建前ですし、またそれを実施しているので、ちょっとそういう考え方にはついていけない…。ただ、信仰が、つまり国教のような形で、すべての上に鎮座まします国では、その宗教の主張というか、哲学というか、そういうものが学校でも教育全体を覆っているのでしょう。

これは中国の教育を見てもわかります。「○○主義」と「宗教」と、名こそ違え、固い信念となっているので、それはそのままにしておくしかないのです。私達が、そこまで土足で入っていけませんし、またそうすべきでもない。なにせ、そこで育ってきた人にとっては、それは「真実」なのですから。

日本人などは、時折、「それは、いわゆる『真実』なのかな」とか、時々「だいたいこういうものに『真実』なんてあるのだろうか」などと考えてしまうこともあるのですが、こういう国では、そういうことを疑いだしたら、それこそ生きてはいけないでしょう。だから、(日本にいても)私達もそれを、一つの「知識」としてしか説明するしかないのです。

「真実」とか、「正義」とかいう言葉ほど、胡散臭いものはなく、時代の流れの中で姿を変えるものもないでしょう。少なくとも、そういうことさえ、感じてくれていれば、あとはその人がいろいろな意味で成長したときに、自分で判断できることです。違う考えを持っている国もあることを知るだけでもいいのです。

前途多難ですが、まずはやっていくしかありません。日本で高校に入りたいのなら。

日々是好日
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卒業生が、引っ越しの報告に来てくれました。就職が決まったそうです。

2021-03-29 08:36:17 | 日本語学校
曇り。

花曇りですね。未明の激しい雨にも耐え、「サクラ」はまだ散っていない…はずだと思っていたのに、ほとんど「葉桜」状態になっていました、ご近所のる「サクラ」は。

満開になってからは弱いけれども、なるまでは強い…というのは、思い込みだったのかもしれません。それとも、もしかしたら、土日で、その、ぎりぎりのところを越えていたのかもしれません。

もう、あとは、今年の「サクラ」を懐かしむだけ…かな。「サクラ」は七分咲きまでが、風景で、それからあとは、どうも、散ってからのことを考えてしまう…。これでは楽しみも半減してしまいますね。

さて、学校です。

コロナ禍の中、就職が決まって、来週、引っ越すという元学生が挨拶に来てくれました。まあ、神奈川県ですから、そう遠いことはないのですけれども。同じ大学に行った学生の近況もあれこれと教えてくれました。やはり大変そうですね。

専門学校に行った学生も、決まったという人はいたようで、チラホラとそういう噂が耳に入ってきます。

ネパールやベトナムの学生はホテルや旅行社を希望していた人が多かったので、今年は厳しいとのこと。もう一年待つということも頭に入れておいた方がいいのかもしれません。東京や大阪以外でと思っていても、最近は安心できませんから。

以前、こういう大都市でなく、山のホテルとか海辺のホテルとかを狙って就職活動をしていた学生もいました。今でも、しっかりとコロナ対策をしている県であったら、県内での観光ができるでしょうから、需要はあるのかもしれません。

いやはや、少々気になりますね。数年前に卒業しているとはいえ、外国人にとっては日本で就職するのは、それほど簡単なことではありませんし。

だいたいは都会での就職を目指します。日本の都会に憧れているからかもしれません。彼等の母国でもそうでしょうから。ただ、日本の田舎と彼等のいわゆる田舎暮らしとは、また別のような気もするのですが、なかなかそれは通じないようです。

もうすぐ、四月。みんな、希望通りに行くといいですね。

日々是好日
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今年は四月十三日から「ラマダン」が始まります。昨年の、異国での「ラマダン」は、大変だったようです。

2021-03-26 08:56:36 | 日本語学校

晴れ。

窓の外の日差しが柔らかい。春ですねえ。日だまりの中を歩くのは、まだ心地よい。もうすぐ、日陰を選んで自転車を走らせることになるでしょうが。

もっとも、まだまだ、「サクラ」は健在です。今朝は風もなく、穏やかで、いつも通り自転車を走らせていたのですが、ある「サクラ」の樹の枝が、不自然な揺れ方をしているのに気づき、見上げると、「ヒヨドリ」が枝から枝へ飛び回っていた…。

この「ヒヨドリ」。他の小鳥たちに比べると図体がでかいだけに、可愛さがちと足りない。おまけに「サクラ」の花を嘴で千切って落とすのです。おそらく、その中の蜜を吸うためでしょうが、この鳥がいると、花びらがハラハラと散るというよりも、花が一つ一つ、バサッバサッと落ちてくるような感じになって、何やら憎たらしい。

憎いヤツめと見ていると、樹下には、もうしっかりといくつかの花が落ちていました。

これが、「メジロ」などですと、「可憐やなあ」と目尻も下がるのですが、なにせ子供の頃からギャングと言い習わしてきた「ヒヨドリ」です。もちろん、地上からの「憎たれ口」など空中にいる「ヒヨドリ」には聞こえていませんから、セッセセッセと己の作業に没頭しています。

さて、学校です。

「ラマダン」が4月13日から始まるそうで、国では休みになるとイスラム教徒の学生が話していたのですが、で、「日本では普通に授業があるから、大変でしょ」と言うと、一人は「もう慣れた」。もう一人は、「去年、ひどかった」。…なにがひどかったのかな。

「慣れた」と言った学生は、三年ほど前に来日し(その前にも日本にいたことはあるそうですが)、中学校に通っていたので、ある程度は慣れているのでしょう。けれども、去年からこの学校に通っている学生は、昨年が初めての日本での「ラマダン」でしたから、いろいろなことがあったらしい。しかも、ここは外国人だからといって、特別待遇されることなどありえない学校(互いに、いわゆる外国人同士ですから、「外国人だから」が通用しません)ですから、「私だけ」というのが、学生同士で成立しないのです。

彼女曰く「まず、学校でおなかが空いた。ぺこぺこだった」。すると、もう一人が「朝、みんなで食べる時に、食べればいいじゃない」。「…だって、起きられないもの」。一際声を高めて「そんなに早く起きられな~い」…そうか、寝坊助は前からだったんだ。

「飢え」と「眠気」が戦って、「眠気」が勝ったのでしょうね、朝は。ところが、(午前の授業が終わって)残って勉強することになっていた中国人とタイ人の若者は、「ラマダン」というのが今一つわからない。で、彼女の前で、おいしそうな匂いをさせながら、昼ご飯を食べていた…らしい。気遣いなんてありません。「もう!おなかが空いてたのに。二人は関係ないって顔して食べてた!」。

ただ、中学校に通っていた学生は、「でも、いいじゃない。体育がないんだから。私なんて『ラマダン』の時にも体育があったんだよ。それに、お弁当を持っていないと、先生が同情して、『忘れたの?これ、食べる?』って、くれようとしたんだよ」

この学校には、毎年、イスラム教徒の学生が何人か来ています。それで、彼等の宗教上の習慣も、ある程度はわかっているつもりです。もちろん、彼等とて、イスラム教徒がほとんどいない日本に来るのですから、自国と同じようにできないこと、すべきではないことくらいはわかっているでしょう。

在日であれば、彼等の父母や叔父叔母が説明しているでしょうし、留学生であれば、紹介者は私達もよく知っている人ですから、彼が説明してくれているでしょう。説明の足りないところは、私達がまた連絡していますから。

こういうのは、「共同作業」ですから、互いに融通をきかせあって、また譲り合って、授業を成立させていかなければなりません。もっとも、学校には非イスラム教徒の方が多いですし、ここは日本ですから、どちらかといえば、彼等の方に譲ってもらうことの方が多いと思います。それでも、どうしても(彼等が)譲れないことには、相談してもらうようにしています。快く授業を受けてもらいたいですから。

日々是好日

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「サクラ」はきれいなだけじゃない。きれいなものには、「裏」がある。「サクラ」に限らず、何でもそうかも…。

2021-03-25 08:56:11 | 日本語学校
晴れ。

満開になるとまた、明日にでも、風に誘われて、散ってしまうのではないかと思われてしまう…。ほんに「サクラ」は罪作り。

かといって、ずっと「サクラ」が好きだったかというと、そうでもなく、子供の頃は、反対に、とても怖い花でした。

「サクラが、どうしてああも華やかなのか知ってる?あれはね、あの下に死人が埋められているからなんだよ」

本で読んだか、だれかから聞いたか、おそらく日本人ならだれもが、聞いたことがある話でしょう。しかも、子供の頃、我が家の花見は墓地公園と決まっていたのです。この話を知ってからは、「(花見に)行きたくない」とよく愚図ったものでした。

それも今は昔。

年を取ると、戦争に負けたとき、どうして人々が、学校やら並木道やらに「サクラ」を植えたのか、なんとなくわかるような気になってきました。他の花だってよかろうものを、「サクラ」だったのです。

誰も「愛国」なんて考えていなかったでしょう、あの頃は(不幸なことに、戦時中、「サクラ」と軍国主義は関連づけられていたような気がします)。あの頃、人々は、食べ物もなく、生きることだけに必死だった。それに、荒廃した国土を目にした誰もが、他者の心にズカズカと入り込むなんて神経は持ち合わせていなかったし、持ちたくもなかった。自由の限界を知らずに、心が解き放たれていたようなもの。で、「サクラ」だったのです。

以前、他国で、「日本には『愛国は教育せねばならぬ』という『常識』はないのか」と言われたことがありました。不思議ですね、そういう国の人たちは「自分たちだけが国を愛することを知っている」というおかしな理屈に取り憑かれているようで、だいたい自分の国が好きでない人なんていないという想像力が働かないように見えたのです。そういう「当たり前のこと」に、考えが及ばないということは、見えなければ、あるいは、人に、「自分は、やっているぞ」と言い募らなければ、「やったことにはならない」という気の毒な雰囲気のお国柄の人ということになる。

自分で言わなくても、人が知らなくても、およそ人たる者は誰であれ、故郷が懐かしい。故郷でのあれこれが記憶として留められている。ただ、それは自然(四季それぞれの木々や草花の姿、山や川、海の相…)であったり、文化(お国言葉、祭り、伝統的な服、食べ物・飲み物、音楽…)であったり、そして記憶にあるその時々の人々の様子であったり…。これはキリがありませんね。

私も時々故郷を思うときがあります。別に此処だと場所が決まっているわけではありません。広い故郷です。なぜか私が生まれた頃、両親が借りていた家であったり、その近所のおばさんであったり、近くの田に舞い降りた鷺であったり。

もう数十年も前のことになりますが、姉と二人で旅行したことがありました。四方山話のついでに、祖母の家の近くの山に行ったときのことを話し、二人で大いに驚いたものでした。

そこは、頂上に神社があり、そこへ通じる道がいくつかあって、その中の一つの道の入り口に大鳥居(子供の目から見てですから、大したことはなかったのかもしれません)があったのです。石をその鳥居の上に投げ上げることができたら、ラッキーなんて言っていたのですが、そのことがふと出てきました。そのあと、その入口から入っていくと、途中に沼があって、七夕の夜、そこを通ると、沼から人が出てきて、通る人を招くとかいう伝説があったとか。

二人とも自分だけが覚えていたと思い込んでいたので、共通の記憶があったことに驚きました。共に暮らしていた姉妹でさえ、どこか自分だけの記憶としてしまい込んでいたわけで、ましてや他者では、それどころではないでしょう。それくらい心は難しい。心が広いとか、狭いとか言いますが、その一番狭い心であっても、天文学的数のものを入れることができる器ほどの容量はあるのです。

この話一つでも、懐かしさは滾るように出てきます。

こういう心の裡にあるものは、いずれかが上であり下であるとはならないのです。本当に一つだけの、他者から見ればちっぽけなものであろうと、いえ、それだからこそ、その人にとって、宇宙よりも大きな思いに繋がるのでしょう。

今、学校には、コロナ禍の下にあるということで、学生は12人ほどしかいません。しかも国の数は六つ。それぞれが、ある意味、国を背負っていることになります。だってここにいる学生のほとんどが、外国暮らしは初めてであり(つまり外国人と話したことはない)、いろいろな国の人と数ヶ月、あるいは一年を共に過ごすということも初めてなのですから。つまり、それぞれ、その人の行動や言動が、「ああ、○○という国の人は、△△なんだ」という理解に至ってしまう虞があるのです。

もちろん、教員は外国暮らしが長い者もいますし(つまり、自分が外国人として見られ、苦労した経験を持つ)、ここで教えることによって、外国人に対する理解が深まったという者もいます。少なくとも学生達よりは外国人に慣れている。

独自性とか多様性を重んじることはもちろんですが、それと同時に、日本で暮らしていく術も(ちょっと大げさですが、これが案外難しい)伝えていかなければならないのです。旅行者だったら、「いろんな人がいるな」で終わってもらえることも、ここで日本語を学んでいる人たちにとってはそうはいきません。

旅行者は「客」ですから、もてなす方は「従」となります。しかし、日本で働くとなりますと、「客」扱いはしてもらえません。「主」に従う形にならざるを得ません。「私はこうだ」とそれを主張することは難しいのです。もとより、特殊な専門性のある技術を持っていれば別ですが。

もっとも、知った上でどうするかは本人次第です。知らなくて困った立場に立たされるのは避けなければなりませんが、知った上でのことは、本人が決めればいいこと。私はそう思います。

日々是好日
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人はどうしても、自分の(生まれ育った土地の)価値観で人を見てしまうもののようです。

2021-03-24 08:36:43 | 日本語学校
晴れ。

穏やかな朝です。ゆっくり自転車を漕いでいると、街が随分華やかになっているのに気がつきます。「サクラ」も、先だっての大風に耐え、満開を迎えようとしていますし、ご近所の「ハナモモ(花桃)」も花数を増しています。木々の根元や更地になったところでも、「シロツメグサ」やら「ハナニラ」、「シャガ」、「タンポポ」、「ナズナ」、「ホトケノザ」、「オドリコソウ」などが、黄やピンク、白や紫の花を咲かせています。

そういえば、子供のころ暇だったのでしょうね。今、植物図鑑を開いてみれば、「これも知っている、あれも知っている、これも見たことがある、遊んだことがある」というのがかなりありました。ただ最近この辺りで見かけないのが濃い紫の「スミレ」、そして故郷
の家にあった「アマリリス」。この「アマリリス」というのも、もしかしたら、あの頃、ブームだったのかもしれません。それに、なぜか「アマリリス」のある家には「マーガレット」の花も咲いていた…ような記憶があります。

そういえば、以前、フランス人の友達が、私が横文字の花の名前を言う度に、「お前は、フランス語がわかるのか」と感動してくれていましたっけ。優しい穏やかな女性で、フランス人でもこんなに自己主張をしない人がいるのかと、驚いたものでしたが。ただ、行動力はやはりすごかった…。

先入観というのは怖い。世界が狭いというのとどこか繋がっているようなそんな怖さがあります。世界が狭いと自己中心的になり、排他的になり、他者を許さないというか、軽んじるようになる…。馬鹿にするのですね、自分の考えと違えば、「間違い」「お前は劣っている」となりがちです。

ある程度は、教育で変えられると思うのですが、人の人たる弱点が、知識や認識力よりも、感情が勝っているというところ。いくら学んで得たものでも、一瞬にして破壊されてしまう…。怒りや憎しみ、嫉み、不満…。百八つの煩悩の中に、しっかり入っているのでしょうね、これらは。とはいえ、これがなければ、人は人ではないのですから、これらの煩悩ときちんと向き合わなければなりません。

授業の合間に、あるいは授業時間を潰してでも、そういう話をせねばならぬことがあります。自分の世界で、「文章」を読まれてしまうと、説明のしようがなくなってしまうのです。

文章を読んで、「漢字もわかる」「単語の意味も判る」「文法も問題ない」、で、「問い」を出すと、文章の流れとは全く関係のない答えが返ってくる。

「読んでいない」のです、結局は。死の時、「主人公は幸福感に包まれていた」と書いてあっても、「主人公は死の時、どう感じていたか」という問いに、「死ぬのは怖い」と答えてしまうのです。自分の気持ちですぐに反応してしまうのです。これでは「学び」はないことになります。

「雪は白い。しかし、雪国では、雪が青く見えることもある」。「雪が青く見えることもある」ということを知るのが「学び」。これは教えられる。それがないのと同じことになるのです、こうだと。

再度、「この中ではどう書かれていた」と聞き直しても、…考え込んでしまうのです。「考えるな。読め、読め。そこに書いてある」。すると「えっ」となって、読み始める。それでも、今のところ、一人くらいしか答えられません。

書物というと大げさですが、文章を読み慣れていないから、(文中の)登場人物と自分とを一体化させて夢中になるという体験、あるいは文章の中に入って感じ、考えるという体験が欠けているからか、すぐに現実の自分に戻って答えてしまう。

わずか一年くらいの日本語力では、日本語で「(小説やお話を読んで)登場人物の気持ちになって考えよう」というのは難しい…ということは重々わかっているのですが、それでも、そのたびにため息をついてしまいます。

これは「説明文」や「論説文」でも同じです。「問い」は、筆者の考えを聞いているのに、自分の考えを書いてしまうのです。「同じ」なら、「めっけもの」でしょうが、たいていの場合、そこまで考えが至っていないので、四択のうち、あり得ない二択のうちの一つを選んでしまう…。

それを一つ一つ経験させてと思っているのですが、多分、難しいでしょうね。

自分の国での考え方に雁字搦めにされていると、「一つ一つを先入観を以て見ている」なんて生やさしい言い方ではきかず、狭い自分の世界での好悪、善悪で、「判断」して言ってしまうのです。こちらとしては、「なぜ断言できる?それが成り立った時代背景、歴史、地形などさまざまな要素が絡んでいるであろうから、一言で馬鹿にできるものではあるまいに」と思い、そう指導しようとするのですが、これが案外に難しい。

クラスの人数が少ないと、しかも国の数が多いと、それぞれが一国を担っているような状態になってしまい、(彼等にしてみれば)信じられない他国の習慣を聞いて、おかしな態度に出てしまうのも無理からぬ…ようなところはあるのですが、それは異文化同士が狭い教室でぶつかり合うという日本語学校では許されぬこと。

「人類は長い歴史を経て、それぞれの土地で生きることを選んだ。その土地を選ばざるを得なかった理由もあろうし、そこではそういうふうな生き方をせざるを得なかった理由もある。今の、自分の世界でものを見て、批判するな」とは、その都度、言っているのですが、納得させるのは難しい。自分の祖国の大地や習慣しか知りませんから。

ただ、少しは私の顔色を窺うようになりました。みんなというわけではないのですが。批判されたり、馬鹿にされたりすれば、当然、人は不愉快になります。習慣や慣習というのは、その拠ってできた理由が必ずある。それを知らずして、安易に他者を批判するのは間違いであるし、馬鹿にするのは尚更のこと。だれかを馬鹿にしたりすれば、最初は穏やかに、けれども度を重ねれば、厳しい口調で。

とはいえ、小さい国で、「天上天下唯我独尊」で育ってきたからと言って皆が皆、そうなるわけでもなし。却って、自分の国とは違う国を知りたいと積極的に他者と交わろうとする人もいるわけですから、こちらも先入観を以て他者を判断してはならないことは、もちろんのことです。

日々是好日
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外国で、外国人が日本語を使っているのを見ると、なぜかびっくりする「日本で日本語を習っている」人たち。

2021-03-18 10:28:09 | 日本語学校
晴れ。

ついこの間、東京に「開花宣言」が出されたと思っていたのに、もう既に、近所では「枝垂れ桜」が満開になっています。いつもよりずっと早いような気がします。近所の小学校やマンションの「サクラ」は、まだ花芽が綻んでもいないのに。

近くの小学校には、今、いろいろな花が咲いているのですが、それが、なんとなく、好きな人が勝手に植えて広がったように見える…。学校の中から見てというよりも、外から見てという観点から植えられているような感じがしなくもない。

「サクラ」が満開になるまでは、裸の木々の下の蔭に咲く可憐な花々の方に目が行きがちです。「スイセン(水仙)」「ヒアシンス」「フリージア」「ゼラニウム」「ペチュニア」…。「ムスカリ」はだれかがこっそりと公園の柵の外に植えていたようで、日曜日の活動の時に発見。今年も咲いているかしら。ただ「スミレ(菫)」の「発見」は、難しくなりました。田圃が広がっているような所へ行けば、道端に咲いているのでしょうけれども。

さて、学校です。

「Dクラス(N3)」で、イギリスの牧草地帯を見せたときのこと。イギリス人が日本語を話しているのを見て、「日本語を話している!!!」。驚愕したネパール人の女性がいました。

そう言えば、数年前、アラブのバザールの様子を見せたとき、現地の人が、旅行者(日本人)に、「安いよ。これ、どう」とか「見て、見て。買って」とか、声をかけているのを見て、「外国人が日本語を話している!!!!」と驚いていた人もいたっけ…。日本語が、日本以外の国でも、こういう形で使われているということが、理解の外のことなのでしょう。

イギリス人やアメリカ人、英語を母国語とする人たちが、日本語を話すなんて…。先進国の人たちが日本語を話す?…当然、話せるようになるためには、勉強しなければなりませんから、「日本語を勉強する???なぜ。英語ができるのに???」というところなのでしょう。

「日本留学」一つ取ってみても、彼等にとって、日本語を学ぶのは、、生活(就職)のためであって、趣味とか日本文化を知るためではないのです。だからそういう留学(欧米人が留学する)があると言うこと自体、理解しがたいことなのかもしれません。またそれを素直に表情に出せるほど、彼等の国では、そう考えて当然のことなのでしょう。

日本人は、(自分たちで)自分たちのことを、「島国根性」という言葉で言い表します。「島国根性」とは視野が狭く、閉鎖的だということ。もちろん、マイナスの面のみを拡大解釈しています。他者を知らずに、自分たちが一番だと思ってしまうこと。

そう言われて、育っているものですから、自分たちは、外の世界を知らずに育った「島国根性の持ち主」だと思っています。だから、他の国のことを知らねばならないとも思っているのです。

その分、教育にも力を入れなければならない(比較してです、学生達の国との)。ところが、この学校に来る留学生の多くは、国でこう言われて育ってきているようなのです。「『金持ち、先進国』は、イコール『英語を話す国』」であると。こういう図式からは、先進国の一つで、大学教育も日本語でできる国というのは、なかなか理解できない。

時々、そういう学生に、「フランスの大学では、フランス語で授業があるでしょ。ドイツの大学もドイツ語で授業をするでしょ」と言うのですが、多分、入ってはいませんね。自分の常識と違うことは、「右の耳から左の耳」。入らないという人たちが多い。「まっ、いい」と、大して授業に関係のないことには目を瞑ってきた(大学進学を考えている人は別です)。

彼等にはそういう「島国根性」という言葉自体、ないように感じられることも多いのです。自分の生まれ育った地方(国と言うよりも近所なのかもしれませんが)が「天下」といいうか、「世界」なのです。不平不満は皆あるようですが、どこか意識の底に、自分が知っていることこれまでに植え付けられてきたことは「完璧である」という意識が見え隠れしているような気がするのです。

もとより、これは誰もが持っていることで、持っていなければ、却って大変なこどでもあるのですが、それが、下手をすると、「唯我独尊」というか、ナショナリズムにも繋がりかねない、ある種の「他者を貶める」意識にもなりかねないことが問題なのです。

時々、自分たちの国だって、大したことがないと思われるのに、他国を自分たちよりもずっと「下(経済力か文化力かはわかりませんが」と見ているなと感じられることがあるのです。日本にいるので、日本のことはそう見ていないのはわかるのですが。

そういう意識を変えていくことも、ある意味、私達にとって大切な仕事だと思います。

日々是好日
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教室で「どうして日本人は『サクラ』、『サクラ』と騒ぐのか」と、訊かれたらしい。

2021-03-17 09:04:20 | 日本語学校

晴れ。

今朝は晴れ。きれいに晴れわたっています。鳥も盛んに啼いています。しかも、一色ではないところが、「春」らしい…。こう言われてしまうと、鳥だって困るでしょうね。一年中いるし、したがって、しょっちゅう啼いているし…それがどうしたというところでしょう。

先日、教室で、「どうして日本人は、『サクラ(桜)』、『サクラ』と騒ぐのか」と訊かれたらしい。

来日前に、(一応)日本に来ることが判っていれば、日本を象徴している「富士山」や「サクラ」などの名は見聞きしたことはあったでしょう。しかし、見たところ、彼等は、大して興味を持っていなかったよう。彼等の世界では、日本は遠い存在なのです。だいたい、自分の国のことだって大して知ってはいないのですから。

そういう、遠い国からの来訪者にとって、「『サクラ』の開花宣言」だの、「桜前線」だの、その上、開花を当てっこするなどという、日本の「習慣」が、どうにもわからない。

なぜ、花の「サクラ」に浮き足立つのか。

こじつければ、いろいろ言えるでしょう。特に外国人からは、よく聞かれることですから。とはいえ、本当の所はわからない、いや、わからなくなっていると言った方がいいのかもしれません。却って、「皆が『サクラ』『サクラ』と言うからだ」という単純明快な答えの方が、一番、的を得ているのかもしれません。なにせ、心象風景の中に「サクラ」を入れて描けば、皆がわかったような気になってしまう…そんな「力」まであるのですから…この「サクラ」というヤツは。

まあ、教員は、一応、説明したあとで、彼等の「国花」やら「国鳥」やらを聞いていき、皆で適当に面白がって、終わりにしたそうですが。

ところで「春」というと、どこやら

春の海 終日(ひねもす) のたりのたりかな           蕪村
春の野に 霞たなびき うらがなし この夕かげに 鶯なくも    家持

の「のたり のたり」か、「うらがなし」か、そんな感じがして、それが「サクラ」と合うような合わないような…。少なくとも、「秋」や「夏」「冬」では、この「のたり のたり」という感触は出ませんね。

「もの」の姿に、人は心を惑わせたり、あるいは、心に「もの」を映したりするのでしょうけれども、どの季節にも通じる感覚というのものあれば、この季節だけというものもある。

「秋」にも「木の葉」は風に誘われて散っていくけれども、それは「サクラ」の散る姿とはまた別のもの。川面に色とりどりの木の葉が浮かんでいても、なぜか、「花筏」とはいわれない。

王朝人が見た「サクラ」は、「山桜」の類いと言われていますから、今の私達が見ているような、華やかなものではなかったでしょう。それでも、人々は「サクラ」を見て、心の中で、その映像を、どんどん膨らませ、空想というか幻想というか、その中で「サクラ」を咲かせ、また散らせていたのでしょうね。

何を見ても、既視感があるようなないような、そんな哀れな感覚が、生半可ではないほどに身についてしまった我々には、その「感動する」という「力」は、もうそれほど残ってはいないのかもしれません。そうなりますと、我がこととしては、もう何も語れませんね。かつてはこうであったとか、お祭り好きの性分がうまいこと宣伝に乗せられてこうなったくらいは言えるかもしれませんが。

ただ、今でも「『サクラ』は華やかで悲しい」と「紅(黄)葉は華やかで悲しい」、「真っ赤な夕陽(夕焼けも)は華やかで悲しい」というのは、共通した感覚であるような気がします。

四季がはっきりしていて、雨も多く、放っといても草は伸びるし、樹は育つという自然の中で生まれ育っていますと、どの時代であれ、こういう感覚だけは、同じもののようです。砂漠地帯で見た夕陽は「偉大」でしたけれども、どこか「あっけらかん」として物足りなかった…ような気がしました。日本人の心の「ジメジメ」は、あのような自然とは無縁のものなのかもしれません。

日々是好日
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「Eクラス(初級クラス)」は、昨日「ナイ形」に入りました。

2021-03-16 09:09:44 | 日本語学校

晴れ。

気温も8度と、暖かい。今日は20度超えになり、5月並みの暖かさになりそうだとか。寒いのは嫌だけれども、冬に寒くなかったら、それこそ大ごと。春は暖かくなるから春というのか、春になったから暖かくなるのか。どうも日本人は春だねえ、(だから)暖かくなった」という表現を好むような気がします。まあ、民族によって感じ方、表し方に違いはあるのは尤もなことですけれども。

さて、卒業式の日。3密を避け、手洗いを厳重にし、換気を心がけ、実施した卒業式。人数が少ないことはわかっていたつもりでも、椅子を並べてみると、意識して並べなくとも、よかったんじゃないかと思えるほどの、スーカスカ状態。卒業生だけ参加したからということもあったでしょうが、昨年はそれでもかなり人がいたので、これほどのことはなかった…。

もちろんお手伝いをしてくれた三名の在校生も入れてです(留学生は一人だけで、あとは在日の人です)。

さて、式も終わり、卒業パーティの時も、一人一人に分けて盛られてあり、お菓子などは袋詰めのものばかり。それでも、かなり余りましたね。例年ですと、男子が多いということもあり、あっというまに料理が捌け、もっと食べたい…顔がチラホラだったのですが。

来年はどうなりますことやら。

留学生は一人だけですし、在日の人は、多分、大半は『みんなの日本語Ⅱ』くらいで終わりか、せいぜいいっても「N3」合格くらいのもの。例年のように「N1」を目指すと言う人はいないでしょう、今のところ。昨年は、途中から「N1」を目指すというベトナムのIT関係者が入ったこともあって、上のクラスはかなり充実していました。なにせ、一人で勉強して「N2」まで取ったと言うことで、「ここで疑問をすべて晴らすぞ」といった感じでリキが入っていましたもの)。

もっとも、これは国内(彼等の国)でどれほど勉強してきたかにもよります。留学生は一応、「N5」に合格しておかなければ、来日できません(大卒以上は別です)。それ故、面倒な「数」や「日時」などは国でしっかり覚えてきているのです。「動詞」や「形容詞」の活用も基礎的なことは知っていますし。

来日後、(留学生に)アルバイトが始まってから、これを覚えさせるというのは、存外、難しいことで、たいていは、すぐにいい加減になってしまいます。だから、面倒でも、毎日繰り返さざるを得ない…時間が取られてしまいます。

それに比べ、親に連れられて来日した人など、あるいは結婚で来日した人など、中には日本という国名は知っていても、車の銘柄は知っていても、初めて日本語に接すると言う場合もあるわけで、「行きます」「行きません」「行きました」「行きませんでした」などを覚えてホッとしていたら、「動詞」の「テ形」なんぞが始まって、「こりゃ、なんぞや」となってしまう。留学生には「動詞」「形容詞」が変化するという認識があるだけましなのです。 

初めて日本で日本語を学び始めた人の大半は、単語を覚え、簡単な文を暗記し…まではいいのですが、「テ形」で、ハッとし、次の「ナイ形」で愕然とする。その時に、(高校)卒業後10年とか20年とか経っている人は(ついていけなくなって)、あきらめてしまう…ということがよくあるのです。

この「ナイ形」を越すと、あとはかなり楽になるのですけれどもね。「なんと言いましても、次は「タ形」なのですから。「ああ、これは『テ形』とおんなじだ」となるのでしょう。でも、ここまでが辛い。なかなか、これが踏ん張れないのです。騙し、騙し、やってはいるのですが、こちらも。「ああ、大変だ、大変だねえ。でも、もうちょっとだからね。ほら、もう『テ形』は大丈夫になった」と。

「辞書形」が入ると、もうそんなのが普通と思えるのか、ごく自然に他の「形」を見ても、動じない。…山を越えたことになるのでしょう。

今「Eクラス(初級)」では、昨日「ナイ形」の導入を「50音図」を見せながらやっていったのですが、若い人が多いせいか、悲壮感はありませんでした。年が長けた人が多いと、表情に明らかに差が生じるので、こちらもそのたびにちょっと緊張したりするのです。まあ、大丈夫でしょう。時間はかかるかもしれませんが、ゲーム感覚でやれるというのが、若者の強さなのかもしれません。

日々是好日
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今日は「卒業式」。今年の卒業生は九人。では、来年は???

2021-03-12 08:13:33 | 日本語学校

曇り。

曇ってしまうと、(まだ「花曇り」とは言えませんね。木々の)花芽も隠れて、樹の肌の色、灰色一色になってしまうような気がします。

「サクラ(桜)」が、里で咲き出す少し前に、山に行けば、黄や白、ピンクや赤などの(木の)花が、葉の間や、枝の隙間などから、顔を覗かせているのに気づかされます。街中では少しでも太い木を見つけるのは至難の業であるのに比して、山はやはりいいですね。

だって、街中では、個人の家で、せいぜいが細っこい庭木程度。それでも欲張りだと言われるくらいのものですし、普通なら、よくて庭の草花程度のもの。マンション住まいとなると、もう鉢植えしかありません。

だからこそ、電車を使ってでも、近郊の山かあるいは里山と言われるところに行くのがいい。そうすれば、生き返ったような気分になれるのです。新緑のころともなれば、至る所の緑、緑、緑、一面の緑。しかもその緑の色が重なることはない。どうしてこの色は他者と争わぬのかと不思議に思われるほどなのです。そして紅葉の季節には、山全体が色づき、華と化す。樹木の山に慣れている日本人からすれば、木のない山というのは信じられないのです。四季を通じて、色を変えるのが山の姿なのです。

しかしながら、各民族、各国の人にとっては、たとえ裸山であろうと、岩だらけの山であろうと、それが「山」、故郷の山なのです。

日本の山と同じような山を見ると、郷愁に駆られるような気分になるのも宜なるかな。皆、故郷の山の姿を、どこかしら、追い求めて他郷の山を見ているような気がします。

さて、学校です。

今日は「卒業式」。

今年の卒業生は、「N1」「N2」「N3」と、言葉の勉強が苦手に思われた人も皆、「N3」以上の成績で卒業してくれます。「N1」に合格した中国人学生はともかく、ベトナム人学生やミャンマー学生が「N2」に合格してくれたのは何よりのことでした。

だんだん、勉強が目的でやって来る人が増えたなとそう思えていた矢先、コロナ禍で、留学生の入国ができなくなってしまい、ギリギリで入国できた一人を除いて、昨年の留学生はゼロということになってしまいました。

来年の卒業式は、もしかしたら寂しいことになってしまうかもしれません。今年は、少ないといっても、一応、9人はいるのです。

これも、国の政策か、あるいは東京入管だけの考えなのかわかりませんが、ネパールやバングラデシュ、スリランカからの留学生が認められなかったのです。一昨年のことですが。

一番多かったときが昨年の卒業式。ネパールも私達が行って、そこで希望者に会い、「申し訳ないが、この学校では無理だと思う」と遠慮してもらうということを二年ほど繰り返して、やっと勉強が目的であって、それなりに頑張れる人たちを入れることができたとホッとしていたら、突如、ネパールの学生は皆落とされた…というのがやってきました。

現地や日本で、向こうの学校の人や間に立ってくれる人に会い、それなりの感触を互いに持ち合えるのには時間がかかります。一度会って、すぐにどうぞと言うわけにはいかないのです。一応、見てみるかというのでも、それは「決心」の部類に入ります。なにせ、教えるのは、私達教師なのですから。教えない人が行くのではありません。

「面接する」と言っても、希望者が日本語を自在に話せるわけでなし、間に立っている人が通訳をするわけですから、その(間に立っている)人の様子を見ることも必要です。それに希望者についても、話せないにしても、その様子を見たり、もちろん見るだけでなく、書かせてみたり、あるいは授業形式ではないけれども、教科書の一部分を教えてみて、能力を計ってみたりをしながら、選んで行くのです。これは、言葉にすれば簡単なことだけれども、こうやればいいと教えられることではないのです。経験知というと、愚か者の代表のように聞こえるでしょうが、それが必要になってくるのです。こういう人は多分、この学校に入れると問題だなと、それを(私達が)見ることが、そして向こうの間に立っている人にも(この学校ではどういう人に来てもらいたいと思っているか)を判ってもらうということが必要なのです。両者の協力の下で行わなくてはならない面もあるのです。

「必要な書類を皆、揃えた。日本人に渡した。それで終わり。希望者の資質や目的など、何も見ない。頭数を揃えたら、日本人はなんでもOKを出す」と思われたら、終わりです。「熟視するのだ」「見るのだ」「相手を見るのだ」という真剣さ、拘りが相手に伝わるかどうかなが大切になって来るのです。それでも外国人を見るのですから、難しい。失敗は数知れず。とはいえ、見るのです。その時は真剣に対するのです。それなのに、バッサリと切られた、入管に。

慣れないときであったら、「しょうがない、外国人を見るのは難しい」で済まされていたものを。こちらも少しは自信があったし、来てもらいたいなと思えた人がバサリと切られた。となると、腹が立ちますし、希望者に対して申し訳ないような気がしてきます。

コロナ禍など、不可抗力の時とは違うのですから。

まあ、それはともかく、今、「高校へ行きたい」「大学へ行きたい」「専門学校へ行きたい」と通ってきている在日生にハッパをかけています。来年、ちゃんと卒業式に出られるように最後まで頑張ろうと。

「次ぎの学校」に行くまではきちんと勉強を続けていなければ、途中で停まってしまう(合格したからもういい)と、それでは、受け取った学校の方でも困ります。止めて怠け癖がついてしまうと、困るのです。特に高校を出たばかり、中学を出たばかりの人では。

日々是好日
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10年前、「3.11」で、帰国した学生たち…。ほとんどの学生は戻ってきたけれど…。

2021-03-11 10:21:57 | 日本語学校

晴れ。

昨日も晴れ。今日も晴れ。昨日は晴れて暖かかったとは言え、風が強く、自転車を漕ぎながら、いつの間にか「ヨイショ、ヨイショ」と言っている自分に気づきました。若いころ、「ヨイショと言い出したら、もう年だよ」とよく言われていたものでしたが、「力む」と自然に出てくるのがこの「ヨイショ」。「ヨイショ」は、何かしらの力を貸してくれるもののようで、口に出すと、「エイヤ」っとばかりに、力が出てくるのです。

さて、今年も「3.11」がやってきました。「3.11」の出来事は、その当時、日本にいた外国人にも大きな痛手を与え、それが原因で発生した「原発事故」で帰国を余儀なくされた留学生も多かったと言います。この学校でもそれが原因で国から帰国を急かされた若者、ほとんどが中国人でしたが、そういう若者が多数いました。

「帰りたくない、すぐに戻ってくる」と言っていた学生もいれば、「多分、戻らないと思う」と言っていた学生もいました。ただ、当時、帰国を急ぐ人があまりに多くて、成田からの飛行機のチケットが買えずに、九州や関西地区にまで行くことを余儀なくされ、却って私達の方が行けるだろうかと心配になるほどでした。

「日本人は逃げないんですね」という、日本人からすると、不思議な問いかけをされ、少々戸惑ってしまうこともありました。なにせ、私達にとっては、天災の続く国であっても、日本が一番いいものですから。

もちろん、(津波や地震は天災だからどうにもならないと思える)日本人にしても、、原発事故だけは、やりきれなかったですね。「津波」や「地震」だけだったら、人は、故郷に帰れます。そして故郷の仲間に支え、支えられながら、生きて行くにはどうしたらいいかと、考えることもできるのです。

けれども、人災である「原発事故」となりますと、もうだめです。故郷の仲間も散り散りになり、支え合える人もいない。愚痴をこぼし合い、悩みを打ち明けられる人もいない。それが、何年も続いてしまうと、もう故郷は過去の地になってしまう…可能性が出てくる。いくら心を寄せていても、もう新たな生活を始めざるを得なくなっている。戻りたいと思っても、現実には、それが出来ないようになっている。そこが、いつもの日本の自然災害とは違うところなのかもしれません。

当時、こういう形で日本を出ることは悲しかったけれども、国に帰れるのはうれしげであった学生達も、1か月もせぬうちに、一人、また一人と戻ってきました。国では何も出来ないと言って。

最後に戻ってきた女子学生も(彼女は「もう戻らない」と言って、うれしそうに帰っていったのですが)、1か月後に戻ってきて、「(中国に)帰っても何も出来なくて、本当につまらなかった。早く日本に戻りたいと思った」

「日本では、勉強もしなければならなかったし、アルバイトもしていたから、とても忙しかった。あの時はそれが嫌で、どうしてこんなに大変な日本に来たのだろうと思っていた。けれども中国に戻ってきたら、何もすることがないし、だいたい、高校を卒業しただけの自分には何も出来ることがない。日本では、やれば、それだけ何かを(知識の面でも収入の面でも)手に入れることができたけれども、中国では何もできない。日本では忙しかったけれども、充実していたというのが、帰国して初めてわかった。本当に日本に戻って、元の生活をしたかった」

ただ一人、戻れなかった学生がいました。彼女だけは、「絶対に戻るから」と言い、その時のためだったのでしょう、貯金もそのままにしていました。それが、戻れなくなったから、お金を中国に送ってほしいという連絡がありました。一度国に帰ってしまえば、もう自分だけで決めることはできません。日本という異国にいればまだしも、国に帰ってしまえば、戻るためのお金も、国の家族が必要と言えば、渡さざるを得なくなったでしょうし。日本で専門学校か大学に入り、そのまま日本で仕事ができたなら、また別の人生を歩めたでしょうに。そしておそらく、帰国前までは、彼女の頭の中でも、そういう夢を描いていたのだと思います。

どこか、可哀想で、いつまでも記憶に残っているのです。

一般に、内モンゴルから来た学生は、日本の樹木に対する関心が強く、鎌倉に行ったときも、木に葉が溢れんばかりに茂り、その中に咲いている花を見つけては大喜びしていましたっけ。彼女もそういう一人で、学校へ来る途中に、小さな畑があって、そこに「モモ(桃)」や「ウメ(梅)」の花が咲いているのを見つけ、そこを通るのが大好きだと言っていました。「本当にきれい。花が咲いているあの道が大好き」とニコニコとして言っていたのを、この季節になると思い出します。

あれから10年。街は、あの頃と同じようにさまざまな花で彩られています。「サザンカ(山茶花)」や「ウメ」、「コブシ(辛夷)」の花の季節が終わり、「ツバキ(椿)」、「モモ(桃)」、「ユキヤナギ(雪柳)」、「レンギョウ(連翹)」、「ジンチョウゲ(沈丁花)」、「ボケ(木瓜)」の花が咲き、「モクレン(木蓮)」も蕾を大きくしています。「サクラ(桜)」も直に咲くでしょう。

この季節に、自転車であの付近を通る度、彼女のことを思い出します。

日々是好日
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昨日、「ひな祭り」で、折り紙で「男雛・女雛」を作りました。皆、上手にできました。

2021-03-04 10:05:02 | 日本語学校
晴れ。

昨日に続き、晴れ、いい天気です。朝は少々冷えていますが、風もほとんどないし、お日様も照っているし、きっと昼には暖かくなるでしょう。

昨日は、皆で「お内裏様」を折って、台紙に飾るという「ひな祭り」を致しました。「ひな祭り」の「説明」と「歌」、それから、女雛・男雛づくりという「作業」。皆、一生懸命に折ってくれて、それぞれ個性的はお顔でしたし、服の模様、色も民族性が窺えて面白かったですね。

ただ、この「説明」が少々ややこしい。前に一度、「七夕」の説明の時に、うっかり「天の神さまの云々」とやって(紙芝居でしたのです)、失敗。途中、イスラムの学生が、そわそわし始め、ついにという感じで立ち上がり、「先生、だめです。私は、帰ります」。

しまった…と思っても、後の祭り、喧嘩すぎての棒千切れ、六日の菖蒲十日の菊。

この「神様」というのがいけなかった。彼は席を立ったあと、そばにいたイスラムの女性に「あなたは帰らない?」と非難するような口調で言ったけれども、その女性は「私は帰らない。やる」と言ったので助かりました。イスラムの人が皆帰ったら、それこそ「大失敗」のところでした。

それで、今回は、「女の子のお祭り」で通しました。実際そうですもの。「お願い」も、生まれた女の子の健康であったり、幸せであったりですし、願う人も、父母であったり、祖父母、伯父(叔父)伯母(叔母)であったりしますし。

だいたいが、日本の年中行事に、「だれに」というのは、あってもなきが如きものなのです。漠然とした存在に対して願う。一応、便宜的にというと語弊があるかもしれませんが、「神」という言葉を用いたりはしますが、「では、(具体的に)なんだ」と聞かれてしまうと困ってしまうのです。だって、言っている人からして大半の人は、「だれに」なんてわかっていないのですから。

けれども、一神教で、厳格にその戒律を守っている人たちからすると、日本人は何となく「胡散臭い」。実際に、中国にいたとき、中近東の人に、「日本人は…」と馬鹿にされたというか、見下されたこともありましたし…。

もっとも、だからこそ「宗教に関しては、(人の)好き嫌いはしない」のです。

だれであろうと、いい人が信じている神様なら、きっといい神様だろうと思うし(友達の神様は友達)、嫌な人が信じていれば、きっとこんな人が信じている神様なら嫌な神様だろうなと思ったりする。

ある意味、宗教においては、大部分の日本人の中には、哲学とかはないのでしょう。川にゴミを投げると、川の神様が怒る(子供時に聞いて育ったものですから、その時、親が「ガオッ」と、怪物や妖怪のまねをしたりする。これが案外怖い)。それが怖かったから、そんなことしてはいけないなと思う。

寺や神社に行って、皆(大人)が手を合わせているから、それを見よう見まねでやるようになる。やっているうちに、何となくありがたいもののような気がしてくるから不思議です。その時、皆が願い事をしているものだから(「何をお願いした」なんて言って、笑い合ったりしている。それを見て、自分もその輪に入りたくなる)、で、自分もそうする。

けれども、はっきりはしないけれども、次第に「神頼みは通じない」ことはわかるようになる(本当の願い事には、「人事を尽くさねばならない」。然る後に、であれば、神頼みをしてもいいが)。多分子供でもわかるのです(「神様は、なんでもお見通しだよ」と言われるまでもなく、人はそれなりに頑張らなければだめだと言うことはわかる。誠実に生きていなければ、だめだと言うことはわかる。きっとそれが「人としての成長だ」と思うのでしょう。

かといって、「魂の存在は」と聞かれれば、はっきりと「ない」と言える人は稀でしょう(もちろん、日本人でも信仰心のある人、厚い人はいます。その人達は別です)。だいたいの人間はそんなに強くはない。あるかもしれないし、ないかもしれないと答えるでしょう。

でも、多分、皆、そんな漠然とした中で生まれ、生き、そして死んでいくものだと思っているような気がするのです。また、それでいいような気がする。一つの信仰に固執するには、あまりに人間は弱いし、不幸は多い。

で、こういう面にかけては、日本人は融通無碍ということになるようです。

日々是好日
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「在日生だけのクラス」

2021-03-02 08:53:12 | 日本語学校
小雨。

雨です。小糠雨。(家を)出るときは、「今、降っていない」そうで、窓から見てみても、ベランダの水たまりしか気が付かなかった…。で、(家を)出て、自転車置き場まで歩いているうちに、パラ….パラ…と来ているなという感じがしたくらい…。とはいえ、「大したことはあるまい」で、漕ぎだした。

この「大したことはあるまい」程度でも、ある程度、時間が経つと、「大したこと」になって来るもののようで、学校に着いたころには、「目が…」。まあ、今朝は10度を軽く超えていたからいいようなものの、寒かったら、(学校に)着くなり、「エアコン」と走っていたことでしょう。

さて、「Eクラス」。また一人増えて、今は五人になっています。例年、一人、二人と増えていくもののようで、だいたい、一人か二人でも始めています。これが、留学生クラスだと、ちょっとそうはいかない。入っても続かないのです。留学生(高卒)は「N5」に合格して来日を果たしていますから、まっさらな人たちがその中に入っても、なかなかついていけないのです。留学生は(『みんなの日本語Ⅰ」は「おさらい」程度で)、ざっと進んでいきますから。

以前、大卒の留学生で、まっさらな人が来たことがありました。この人も、ほかの留学生に追いつくのに、2,3カ月はかかっていたようです。これも真面目な人で、地道に言われるがままに努力したからできたことで、チャライ人だったら、そうは行かなかったことでしょう。

 特に、南アジア系だとそれが難しいようです。「聞く」「話す」はすぐにうまくなれても、漢字は努力しなければ身に付きませんから、それができない。書いて覚えることを、どうも、無駄だと考えてしまうようで、となると、文章が「読めない」ままということになります。もちろん、これも、そうではない人もいますから、一概には言えませんが。

大卒ということは、少なくとも16年教育を受けてきているということになる。やはり、育った土地での成功体験というのは、なかなかに変われないもののようで、「素直に」漢字の練習というのが、できないのでしょう。「(これまで)聞いて、覚えてきた。聞いて、自然に身に着けてきた」という、その習慣が「読み、書き」教育とは相容れないもののようで、言われれば書くけれども、「こんな無駄なことをさせやがって」という意識が消えないようです。

では、なぜ留学した?となるのですが、それぞれの家族にはそれぞれの理由があるようで、家族滞在では許可が下りなかったからとか、そんな理由もあるようです。ただこういう人は、「自分はコンビニの店員と話して日本語を覚えた」とか、「アルバイト先の日本人と友達になって覚えた」とか言います。これはよく海外旅行をしたときに、現地の店員が驚くほどきれいな発音で「安いよ」とか、「ここ、見て。きれい、きれい、素晴らしい」とか言っているのと同じことなのでしょうが、どうもそれに気が付かないようです。

「日常生活」程度であれば、もちろん、母語の種類にもよるのでしょうが、半年ほどでベトナム人や中国人が及びもつかないような流暢な日本語を話し始めるような人も出てきます。けれども、あくまで「日常会話」の単語であり、「日常会話」の文法なのです。系統立てて順に学んでいったものとは、明らかな差があります。

そういう学生と対しているときですが、時々、不思議な気持ちになってくるのです。高卒なら、それがわからなくても、まあ、それはそれでしかたがない面もあるでしょう。しかし、大卒であれば、抽象的な概念とか、そういうものを著す言葉は日常会話レベルではなかなか学べないということがわかりそうなものだし、彼らとて、母国ではそういう抽象的な概念を表す言葉を用いていたのだろうにと。

聞けば、すぐに覚えてしまう人たちでもそうなのです。彼らの話す日本語を聞いた人は、なんと流暢に日本語を話すのだと勘違いし、簡単に(会社に)採用されてしまうようですが、日々仕事を共にしていると、「???…思われるほどには、こちらの言っている意味が分かっていないのじゃないか。流暢に話しているようにみえるけれど」ということに気が付くようで、特にこれは彼らよりも若い日本人がです。上の人たちは直接の利害関係というか、被害にあっていないので、気が付くのも遅れるのでしょうが。

その点、一つ一つ漢字を覚えていった学生は覚えていった過程で、また、(漢字を)覚えることにより、読めるものが増えていった過程で、知識や日本人に対する理解度が増していき、会社に入ってもそれほど摩擦なく過ごしていけるようです。

学ぶ機会がないのならいざ知らず、せっかく学ぶ機会があるというのに、それを拾わないなんて、もったいない限りです。

日々是好日
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