日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

カトマンズへ募集に行っていました。ハア…とても疲れました。

2017-12-26 10:21:52 | 日本語学校
晴れ。

先週の金曜日、香港経由でカトマンズへ行き、昨日の昼過ぎに戻ってきました。カトマンズは日本と3時間15分の時差があり、(カトマンズに)夜中に着いてしまいますと、翌日の仕事はかなりきつくなってきます。なにせ、翌朝も日本時間で目覚めてしまいますから。

それでも、予約していた五校の人たちの面接してきました。

学生達の様子を見ながら、彼等のレベルに合わせた質問をし、彼等が勉強をしている本の一部を読んでもらい、またその中にある問題を口頭で答えてもらいました。それに一人につき、だいたい10分か15分くらいかかります。やり方が、相手によって違ってくるのは当然のことで、これは無理だなと思われる人には、あまり時間を割きませんでした。相手にも悪いですし(変な期待を持たせてしまいます)、それくらいなら可能性のある学生に多くの時間を割いた方がずっと役に立ちますから。

初めは無理だと思われていても、ある程度の時間をかけて面談をしていますと、資質や勉強習慣の有無なども見えてきます。

どうにも理由がわからないけれども、嫌だな、だめだなと思われた学生がいたのですが、(ネパール人の先生の方に)聞いてみますと、選挙(ネパールではちょうどそのころ選挙があり、村や町に戻っていなければならなかったそうで)のため、その間、何週間か帰省していたとのこと。皆がそうだったようですが、その学生は、日本語が定着する前に帰省したのでしょう

それが、どうにも嫌な感じ(勉強を続けていない、勉強の場から離れている)を与えていたのでしょう。面接が終わって、皆でいるところを見てみますと、ごくごく普通のネパールの学生でしたから。

この五校のうち、初めて応募したいと来てくれたのは二校で、連れてきたのは、普通の人。多分、普通の日本語学校だったら、それくらいでも軽く「いいよ」と言うのでしょう。10課くらい、あるいはその前、7課とか、8課であったら、私たちとの会話は成立しません。選ぶことができませんから、選びません。つまり「不可」ということです。それでも、初めてだからといろいろ聞いてみましたし、問題もさせてみました。

既に半年ほどもやっているのに、既習事項もきちんと入っていないということは、これから真面目にするからと、いくら向こうの教師が言っても、信じられることではありません。

こちらの答えは「無理です」。私たちは勉強の習慣があるかどうかも見ているのですが、それが、どうも、向こうの教師にはわからないらしい。「本人が、これから真面目に勉強すると言っているから、いいでしょう」と再度頼みに来る。…こちらはこちらで、この人(相手の教師)は、こういうことも見えないのだなあと思う。

向こうがしっかり教えることができる人であったら、私たちが断ると、「ああ、やはり」という顔をする。わかっているからすぐに引き下がる。

他の三校は、今回で会うのが3回目ですから、今回は、こちらの要求に、ある程度応じた学生を連れてきてくれていました。

それでも、「三人よければ、一人くらいそうでなくともよいだろう」式の甘えはあるようで、これを、「付き合いがあるから」「前回、よく勉強する学生を紹介してくれたから」などと見逃してしまうと、来日後、最初に受け持った担任が、とんでもない目に遭ってしまいます(また、四回目、5回目にはもっとその数は増すことでしょう)。

本来なら、最初に(少しでも彼等を)受け持つ可能性がある教師が、面接をするべきなのかもしれません。「ひらがな」の導入(一応、自分たちの国でやって来てはいるのですが、問題点が続出です)から始まって、授業中の態度、授業後、授業前の予習、復習、宿題の提出などについても、また生活等についても注意していかねばなりませんから。

2回、3回と会っていても、そういうことは起こります。おそらく、回を重ねれば重ねるほど、甘えが生じる可能性は増していくことでしょう。「今回だけはこのレベルでも入れて。特別に頼まれているから」などと相手も言い、こちらも断れなくなってくるかもしれません。

経営を考えれば、入れざるを得ないこともあるでしょうが、現場にいれば、それは「だめ」です。他の学生が困ります。

そういう人は、大きな日本語学校の方に行ってもらいたい。勝手なようですけれども。学校の規模が大きくなればなるほど、絞り込むことは難しくなりますから、いろいろな人が入ってくることになります。ここは、小さい学校ですから、一人でも不法滞在者が出てしまうと、おおごとです。大学に行きたいと頑張っている学生達まで、不利益を被ってしまいます。

ビザの一年校から半年校になってしまうと、その手続きに、多くの時間が奪われてしまうのです。この学校は4期募集をかけていますから、「手続き書き」を、4回しなければなりません。

二年生は、ある程度は一人で書けますから問題ないのですが、大変なのは一年生。通訳として二年生に入ってもらっても、二年生にその国の人がいない場合、不安げに見られてしまうことになります。

「ごめんね。あなたたちが悪いと言うわけではないのだけれども、約束を守らないで、帰らなかった学生がいるみたいだから…」。実際のところ、私たちも誰が帰っていないのかわからないのです。

中には、アルバイトの給料が銀行に振り込まれるまで待っていた…だけという学生もいました。ビザが切れているのに、お金が振り込まれなかったので、それを待っていたのです。…そんなことで不法滞在になるとは思っていなかったので、私たちも注意していなかったのです。切れる前に帰る…が、約束でしたし、その前に、帰るからと挨拶に来てくれていましたから。

「どうして帰らなかったの」と、そういう学生に訊くと、「だって、お金をまだもらっていなかったから」と答えるだけです。ハアーッとため息をつきたくなるのはこちらの方なのですが。

「万引き」をしたら日本では警察の人が捕まえます。それを、ベトナムの学生はこんなふうに言っていました。中国人学生も、「そう、そう」と頷いていましたっけ。

「だいたい、警察を呼ばない」。
ふつう、「店の人や周りの人が捕まえて、先にリンチをしてしまう。だからとても大変」。「日本の警察は、捕まえてもひどいことをしない(…ひどいことというのは、殴ったり、蹴ったりのようです)」

だから、悪いことをする…で、あったら困るのですが。それでも、特に交番のお巡りさんは、親切であって欲しいですね。警察官を見ると、悪いことをしていなくても、逃げたくなるというのではなくて、困ったときに相談に行けるような存在であり続けてほしいもの。

以前、休みの時に具合が悪くなった学生が、交番のお巡りさんに、行ける病院を調べてもらったこともあったようですし。

日々是好日

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昨日、皆で「ディズニー・シー」へ行ってきました。

2017-12-21 09:58:36 | 日本語学校
晴れ。

寒いですが、昼には暖かくなるとか。それを期待して…。

さて、昨日の課外活動のことです。

ベトナム組は、すぐにいなくなり(一緒の行動がとれない)、要注意です。これはこの国ならではの、いわゆるお国柄とでも言うべきか、どうも他の国の人たちと馴染めないのです。いや、一応、教室ではクラスメートとしてうまくやっているようにも見えるのですが、こういう時に、一緒に行動できずに、自分たちだけで動いてしまうというのは、ちょっとどころか、かなり困ります。

このような活動は、「一年頑張ったでしょう(賞)」の意味からだけでも、また日本のことを知るためだけでもありません。団体行動を通じて、他者(他国の人のこと)を知るという上からも、大切なことなのです。他者(他国の人)と共に行動できなければ、日本人と、うまくやっていけるわけがありませんから。

共産圏の学生なら、「共に行動する」ことを、嫌になるくらい叩き込まれているでしょうに、他の国の人とはだめなのかしらん。そうすると、世界ナンチャラカンチャラなんて、夢のまた夢でしょうね。平等を標榜する人たちでも、その中では格付けをしてしまっているようですし。

まあ、ベトナム組は措いておいて、他の国から来た学生達です。

インド圏組は、ショーをじっと見ています。興味津々といったところ。特にネパール組は、何にでも驚いてくれるので、こちらの方がびっくりしてしまいます。

何でも写真に撮りたいというのはともかく(皆、そうですから)、プロメテウス山の下をくぐっていた時、そばにいたネパール人学生、五,六人が何だかひそひそ話しているなと思っていたら、急に、中の一人が、「これは、ヒトが作ったものか」と聞きに来たのです。そうだと答えると、「あれも、これも」と指差しながら、「みんな、ヒトが作ったのか」と聞くのです。

頷くと、「すごいですね」と本当に驚いている様子。そして、仲間のところに戻り、私の答えを伝えていたようですが、またその中の一人がやってきて、「本当に、自然じゃない?」と言うのです。

そうです。あれも、これも、ここにあるのはみんなヒトが作りました。前はここは海でした。海を埋め立てて、造りました。

一瞬、聞き耳を立てていたみんな、静まりかえってしまいましたが、ネパールにはこういうものはないのでしょう。初めて見たから驚いたのですね。

彼等の気持ちでは、「最初は、自然の山を利用して造ったと思っていた。けれども、どうもそうじゃない…ように見える。不審に思って聞きに行った」だったのでしょう。ネパールには海がないので、前は海だったと言っても、果たしてどこまでわかったかは、わからない…。でも、日本人の私としては、「埋め立てた」という方に感動してもらいたかった。

日本のように地震の多い国で、津波なんぞもよく来る国で、海を埋め立てて、そこに、安全性を確認した上で、巨大なテーマパークを作ると言うことの難度を知って欲しかった…。まあ、言ってもまだよくわからないでしょうけれども。

時間の関係で、インディジョーンズアドベンチャーの前で、(乗りたい人は)ファストパスをとっておくように言い、解散としたのですが、帰りは大丈夫でしたからしらん。

実は、朝、いざ、ディズニーリゾートライン(ミッキーマウスの電車)に乗ろうとしたとき、駅で、「安全確認のため止まっている」と聞いたのです。私たちは三人、タクシーで行かせてもらったのですが、他の、足に支障のない学生は皆、十五分ほど歩いて、ディズニー・シーへ向かいました。

というわけで、特に一年生は(ディズニーリゾートが初めてですから)ディズニーリゾートライを知らないのです。二年生は昨年来たと言っても、ランドの方、これには乗っていません。帰りは、乗って帰るんだよと言っても、どこにあるかわからなければ、下手をすると、来た道をテクテク歩いて帰ったかもしれません。

何時まで残るのか訊いた学生は皆、10時までと明るく答えていましたから、ちょっと心配です。多分、最後まで残っている日本人も少なくはないでしょうから、その日本人の群れと一緒に流れていけたら、大丈夫でしょうけれども。

まあ、昨日、突端でがくんと来ましたけれども、あとはみな、楽しくできたと思います。まずは何事もなく、風もなく、穏やかで暖かく、いい一日でした。

そして、明日から月曜日まで、大急ぎでネパールへ行って戻ってきます。

日々是好日
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明日、ディズニー・シーへ行ってきます。

2017-12-19 14:36:21 | 日本語学校
晴れ。

昨日の寒さは少し緩んだような気がするのですが、職員室はなかなか暖まりません。じっとしていると手がかじかんできます。

さて、学校です。

流氷とはなんぞやという学生達の問いに答えて、知床の流氷の様子を見せてやると、砕氷船に戸惑ったり、漁に出るとあるが、氷に覆われているのに、漁はできるのかと聞いてきたり、番小屋の辺りを徘徊する熊に驚いたり…。いやはや、日本の自然というのは大したものなのかもしれません。私たちは当たり前のように思い、却って、外国の自然にばかり驚嘆しているのですけれども。

私も学生達と話していて、「『コブラ』が庭に来たら、『あちらへ行きなさい。しっしっと言って、追いやる』」というのに驚いたり、「あの辺りは危ないです。『ワニ』が歩いていることがあるから」に度肝を抜かれたりしたことがありましたもの。…彼等にしてみれば、普通のことなのでしょうね。

つい先だっても、南国から来ている学生達と、蛇の話をしていたのですが、どうも話が噛み合わない。偶然、私が「こんなに大きいのが出る」と両手で蛇の長さを示したら、「ええっ。そんなの蛇じゃない!」という反応が…。それで初めて、双方ともに、全く「違う蛇」について話していたことに気がつきました。彼等が言っているのは、いわゆる「ウワバミ(蠎)」のことで、私が言っていたのは「アオダイショウ」や山で見かける50㌢くらいのもののこと。日本の蛇で、1㍍もあったら、…本当にとんでもない。

怖いと言っても程度が違ってきます。それから毒の有無を聞かれたのですが、私が知っているのは、「マムシ(蝮)」、「ヤマカガシ」、「ハブ」の三種で、実際に見たことがあるのは、「マムシ」だけ。しかも、それも、酒に漬けられた哀れな姿を一度見ただけのこと。

他の二種は、「ハブ」こそ、沖縄の映像で見たことはあるけれども、「ヤマカガシ」なんて実在するのかどうかもよくわかりません…まあ、いるのでしょうけれども、私の中では物語の世界の生き物と言った方がいい…ような気がする。

彼らの世界には、毒のあるものが、かなりいるようで、これについても、最初は同じような感覚で話していても、どこかでギクシャクしてくる。それは前提となるものが異なっているからで、それがどこかさえわかれば、急に話がスムーズに流れていく。そんな場面もよくあることなのです。

わかり合えない…と、すぐに「やっぱり外国人だから(向こうから見れば、日本人だから)」。でも、如何にも大変に思われるようなことでも、よくよく話し合ってみれば、意外にほんの小さなところがずれていただけ、ということであったりするかもしれません。

日々是好日
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クリスマスの飾りつけ…。

2017-12-18 11:20:29 | 日本語学校
晴れ。

昨日は風がとても強く…特に午前中は、体感温度は(今日よりも)グッと下だったでしょうね。ただ昼を過ぎると、お日様が出、気温が上がったからでしょう、風にもはや肌を刺すような冷たさは感じられませんでした。

今日は風が収まっているものの、早朝は、今年初めての零度以下だったそうで(東京はですから、ここはきっと零度には至っていないでしょう)、寒いことは寒い。週末には寒さが緩むとのことですから、それまで待っていなければなりません。

自転車も、歩く人も、お日様の光を求めて、あちら側に偏りがちです。もっとも、どこの国にも、みんなと同じことをするのは嫌だという天邪鬼がいるようで、わざと日陰を選んで大股で歩いて行く人もチラホラ見られます。

さて、学校です。

学校でも、クリスマスの飾り付けが終わり、さて、学生達の反応はと見ていますと、これは正月飾りだと思っている人もいるようで、そういえば、以前、春節のころ、中国を旅行していますと、ウサギのおじいさんと橇に乗ったサンタクロースがいっしょに手を振っているという飾り付けをよく見かけたものでした。中にはそんな感じで捉えている人もいるかもしれません。日本に於いても、新しい異国の文化ですもの、クリスマスというのも。

宗教的な行事と言うより、どこの国のものであってもかまわない。きれいで楽しそうなものであったり、皆で遊べそうなものでさえあれば、取り入れる…。これをその宗教、あるいは信者などから見れば許されないのかもしれませんが、所詮、異教徒がすることですもの、構わないでしょう、くらいの気分で、いえ、そういう気分ですらないかもしれません。

みんなでケーキを食べましょう…そんな機会は多い方がいいし。子供たちに変わった靴の形のプレゼントをしましょう、中には彼等の大好きなお菓子などを入れて…みんなうれしいでしょうし。その日はごちそうを作りましょう、買ってきてもいいし…みんな大喜びするでしょうし。

そんな感じですかしらん。もちろん、私が子供のときも、「クリスマスというのはキリスト教の云々」という含蓄が、テレビでも、本でも、巷でも語られていましたから、クリスマスの由来とか、またその異説とかはよく耳にしていました。

けれども、結局のところ、構っちゃいられない…でした。みんなが集まって、楽しむ機会は…何もなければ集まれませんから(口実が要っただけです)。

それがなぜか、子供たちだけで小さなパーティをしたり(お誕生会と同じです。集まりたいのです)、今日はイブだからなんて、仏教や神道世界の住人までも、いそいそと子どもたちへのプレゼントや食事の準備をしたり…。

もっとも、そこが、日本人から見れば(日本人の)いいところで、堅いことは言わない。厳密に人の宗教をとやかく言って排斥したりはしない。もちろん、この地に住む人たちにとって迷惑になることはだめです。それは宗教とは関係のない、人々の「暮らし」にとって大切なことなのですから。

この学校に来た、多くの学生達はそれを守ってくれているようです。彼等の宗教は、信者として、守るべきことは多々あるでしょうが、「郷に入っては郷に従え」という言葉通りにせねばならぬことはしてもらっています。この地に元々住んでいる人たちに嫌われるような形で存在されると、困りますもの。見かけたら、一つ一つ、私たちも注意していきますし、それに、彼等のそば近くにいる同じ宗教の人たち(先住者)も言ってくれているようです。それが、何よりも心強いと言えましょう。

日々是好日
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近くで、アルバイトをするのが一番いいのだけれども。

2017-12-15 13:37:31 | 日本語学校
曇り。

風は吹いていませんが、寒い。お昼になっても10度を超えないようです。一日中、寒そうです。でも、冬ですからね、もう師走も中旬というか、真ん中。寒くなかったら異常です。

最近は天気予報のときに、「ラニーニャが発生している模様。今年の冬は寒いだろう」なんて予報が出されています。こっちでも雪が降るかしらん…微かな期待が…生まれてきます。最近の学生は、もう「雪」のことを言わなくなりました。ひと頃は、夏が終わるなり、いつ雪は降りますかと聞いてくる人が多かったのに。それどころか、「北海道へ行きたい。雪を見たいですから」なんてかわいいことを言うのです。「東京は雪が降らない」と先輩から聞かされているのでしょう。

温暖化が盛んに言われているときには、「暖冬」が紙面を覆い、デパートの服売り場は右往左往する。ラニーニャの時には、きっと落ち着いていることでしょうね、だって、冬物が売れるでしょうから…。

さて、学校です。

今年の四月に来た学生達は、少しずつ「工場の仕分け」という仕事から、レストランなどの飲食店の仕事に変わり始めています。場所も、電車で行って、それから工場のバスに乗ってというところから、少しずつ近場の仕事に移っています。

もっとも、同じ仕分けの仕事であっても、アルバイト先の人間関係がうまくいっているときには、変わらなくても…と思うこともあるのでしょうが、その他に単に計算ができなくて…という人もいるようです。

近場を誰かが紹介してくれても、「時給が同じだから(いい)」などと言うのです。が、そこ(今のアルバイト先)へ行くまでにどれだけかかっている(時間、交通費…交通費が出ない、出ても雀の涙程度の会社もあります)のかを計算してやると、「ああ…」などと驚く。

それに、「レストランの仕事は大変」観があるらしく、「最初は(慣れないから)大変かもしれないけれども、同じような言葉で応対できるから、それほどの日本語力は必要としない」と言ってやっても二の足を踏んでしまう。腰が引けているのがよくわかるのです。

やはり、「やってみよう」精神がある者、「近くでアルバイトを探さないと、勉強する時間が足りない」と思える者、「打たれ強い」者(どうしても最初はそこで使われている言葉がわからず、またたとえわかってもすぐには反応できず、叱られることが多いでしょうから)などが強いようです。まあ、どの仕事でも、外国人のみならず日本人であってもそうでしょうが

以前、中国人の学生が、「最初、自分が外国人だから、こんなに厳しく言われるのかと思っていたが、後から入ってきた日本人のアルバイターを自分よりももっと厳しく叱りつけていた」ということに感動していたことがありました。

なにせ、お金をもらうわけですから。雇う側にしてみれば、雇われた者がきちんと(客と)応対できなければ、客が逃げてしまいます。その結果、店は閑古鳥が鳴くことになり、干上がってしまうので、「ああ、日本語が下手だね」と平然と構えているわけにはいかないのです。特に飲食店などはすぐに結果が出てしまいますから、言葉もきつくなってしまうのでしょう。

それでも、1か月、2か月、3か月と休まず、耐えて働いていると、次第に古株になっていきますし、こうなりますと、店にとっては必要不可欠な人材ということにもなります。給料が上がるだけでなく、何かあったときに、きっと休みも取りやすくなると思うのですが。

実際、ここまで働けると、それだけで、次の仕事を探すときにも、勲章をぶら下げているようなものなのですが。

日々是好日
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3分遅れで、小さくなって入ってくる学生もいます。もちろん、そんな学生ばかりではありませんが。

2017-12-14 08:34:52 | 日本語学校
晴れ。

かなり乾燥しているようで…と、言いましても、40%は、ゆうに越えています。海の近くの町というのは、こんなものなのでしょうね。

今朝も(昨日も気がついたのですが)、学校に来る途中、雁行を見ました。…と、言っていいのかどうかよくわからないのですが、飛行機の形などを考えますと、これが一番空気抵抗が少ないのでしょう。

さて、学校です。

毎日来ることが習慣になっている人は、たとえ寒くとも、夜勤の日があったとしても、遅れないように息せき切って学校にやって来ます。

「借金をしなければ日本に来られないような者は(不埒なことをするから)、留学させるな」めいた極論を耳にすることもあるのですが、こういう現場にいますと、こういう論には憤慨を禁じ得ません。

人は生まれる場所を選ぶこともできなければ、親を選ぶこともできません。普通の能力であっても、小学校から、あるいはその前から(二親のうちのどちらか、あるいは両方とも、正規の教育を受けていない)、その人のできることが決められてしまうということだってあるのです。それで、その人の能力を決めつけてしまっていいものかどうか。

日本のような国は、大半の人が、正規の学校教育を受けることができます(日本語教育に携わっている人のうち、もしかしたら、欧米しか見えない、あるいは見ようとしない人が少なくないのかもしれません。が、日本と同じくらい、学校教育が普及しているところというのは、案外少ないものなのです)。

離島に生まれようとも、山間部の小さな集落に生まれようとも、それは保証されている、もっとも、チャンス云々、また、専門性の高いことなどとなりますと、それぞれ特徴がありますから、その地に行かなければ享受できないこともかなりあると思いますが。

ただ、ベースになる部分は、保証されている。

それが、あまりない国。あるいは、高卒とはいえ、分数や小数点付きの計算があまりできない…つまり、そこで数学に関する教育が終わっている…という国も、どうやらあるようです。

そういう人たちでも、高卒という自覚はありますから(高校を卒業していれば、もう中間管理職につけるというプライドはもっています)、半分エリートめいた感覚で、来日しています。

で、多少とも日本語ができるようになれば、さて、好きな自動車の勉強でもしてみようかという人も出てくる。ところが、小学校の公文式計算で躓いてしまう。試験前にこちらも大慌てで教えはするのですが、小数点のところの説明で固まってしまう。母語で教えてもらっていれば(小学校の先生に言わせると、日本人の児童であっても、そこで転ける人はいる)、どうにかなるかとも思っていたのですが、そう簡単なことでもない…らしい。

数学なんて、日本人であっても、文系出の普通の人であったら、高校三年生がそのピークで、それ以後、半年も経たぬうちに高校生のときに習ったものの大半は忘れてしまう。それでも、数学が苦手であった人であっても、中学くらいの数学であったら、中学の数学の教科書を見れば、「ああ、そうそう。そうだった」と思い出せはする。まして、算数段階であれば、「えっと。この公式はどうだったっけ」と半分楽しみながらやれたりする。

苦手でも、何となく原理みたいなモノはわかっているのです(先生のおかげ)。それがないと、(専門学校を受験するというので)大慌てで教えても、なかなかうまく理解してもらえない。簡単な問題からやって、「おっ。だんだん、合ってきた」などと安心すると、ドテッと転けてしまう。わかっていなかったということが歴然とするような大きなミスをするのです。相手は大人ですから、一応のやり方は、勘でできたりするので、それをこちらは「できた、できた。わかったかな」とぬか喜びしたりするのです。

(専門学校に)合格してから、問題集が送られてきて、「(日本語学校で)入学式までに教えておいてください」などと言われると、「それは、ちと違うぜ」といいたくもなる。

それで入れたわけですから、向こうの責任です。

彼等の国では、車の整備などの仕事でも、こういう基礎学力などは必要ないのでしょう。大概は見よう見まねでやれるのかもしれません。もちろん、基礎学力というのはあるなら、それに越したことはありませんが、ないからこそ融通無碍に組み合わせができる(ニッサンの自動車のネジを、トヨタの車に使ったり…正しくはないと思いますが、たとえばという例です)。それでうまくやれてきたというお国柄なのでしょう。

それも、工夫の一つだなと、もちろん、日本の専門学校ではそれは許されないでしょうが、そんなことも思ってしまうのです。

日々是好日
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青空の下、裸の木々が並んでいるのもいいですね。

2017-12-13 09:00:40 | 日本語学校
晴れ。

早朝の感じでは、今日は昨日よりもっと寒くなりそう…です。

青い空に、裸の木々が似合います。枝の隙間から青い空がのぞくのもいい。寒さの冬には木漏れ日どころか、日だまりを捜して歩いているくらいですもの。

さて、南国から来た学生達です。寒いであろうに元気に…いえいえ、不満タラタラでやって来ています。「寒いです」、「寒いです」。職員室に「個表」を取りに来る度に、言っています。おそらく、これが「おはようございます」の代わりなのでしょうね。

中には、銀行強盗よろしく、頭からスッポリと毛糸にくるまれ、目だけのぞかせて、ムニャムニャ言いながらって教室に行く学生もいます。何か言うのも大儀、寒いと言うところなのでしょうか。

それにひきかえ、午後からの一年生は、まだ寒さに慣れていないからでしょうか、ある種の無知(未知と言った方がいいのかもしれませんが)なるが故に、寒いと言いながらも、どこかしら、心許なさが感じられます。

二年生なんて、中には、二十年も住んでいるみたいな、寒さに対してですが、おっさんふうの学生もいて、「寒い」と口で言っているのも、ゆとりありげに見えます。

一年生は寒さの限界(東京でのことで、日本海側や東北、北海道のことではありません)が見えないので、「今、寒いと言って良いのかしらん、言っちゃったけれども」と感じているのかもしれません、おそらく。

とはいえ、今年の四月の「あいうえお」組も、もう来日後9ヶ月になろうとしています。随分ヒアリングの力がついてきました。最初はこちらの説明も聞き取れなかったのでしょうね、毎回、悲しそうな目で見られているような気がして、落ち着かないことこの上なし…だったのですが、それが今では、普通のやり取りができていますもの。

そこがベトナム組と違うところです。ベトナム組は、一生懸命漢字を覚えるものの、ヒアリングの力がなかなかつかなくて、「聞き取れないから何と答えて良いかわからない、それで、下を向いてしまう」ふうだったのに、ネパール・インド・スリランカ組は、ヒアリング力はあるものの(だから、話すのが大好きです。無駄話が多いのが欠点ですが)、漢字を覚えようとはしない人が多くて、困っています。「漢字なんて厄介な」くらいのものなのでしょうね。

もちろん、アルバイトをするにはヒアリングがいい方がいい。けれども、学校での勉強となりますと、ヒアリングだけついても、それがなんじゃということになる。

本が読めなくて、どうするんでしょうという気になるのですが、そういうお国柄なのでしょうねえ。大学に行きたいという学生だけは、「忘れても良いから練習して、一度は覚えてみろ」というこちらの言葉通りに、頑張っているようですが。

普通の日本語学校に来る学生なんて、本当に目的はバラバラです。「金のない奴は来るな」と、はっきりとそこで足切りができる教師ならいざ知らず(一応、学校ですから、経営者も教育に関心がある人であろうと思って言うのですが)、そうでなければ、ある程度の条件を満たせば、そして勉強したいというのであれば、なかなかに無視するのは難しい。

もちろん、小細工をしたり、ひらがなも書けないくせに「N5」の試験にパスしたなどという不埒モノは論外です。なぜなら、そこで既に信頼関係は失われているわけで、こちらを恨むのは筋違いということになります。

そのために、来日後、彼らを実際に教える教師が彼等の国に行くのです。時々、選び損なったりもするのですが、失敗は成功の母。最初はわからなくて戸惑ったりしても、二回、三回と行って見ているうちに、だんだんに選ぶのがうまくなっていきます。ただ国が違ってしまうと、また一から出直しに…なってしまうのが辛いところなのですが。

日々是好日
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昨日は「『(インディ・ジョーンズの)魔宮の伝説』」を見せました。

2017-12-12 13:01:55 | 日本語学校
晴れ。

最近、それほど寒さを感じない…と、思っていたら、また寒気団がやって来ました。冬将軍の顔は、やはり、強そうですね。

少し寒さが緩むと途端に裸足組が増えてしまうので、本当に困ります。日本のように湿度が全般的に高い国では、足元からの寒さという言葉があるように、靴下というのは必需品です。しかもどんどん靴下が厚くなったり、あるいはブーツの方に暖かさを求めたりするくらいなのです。それが慣れない国の人には、それこそ「慣れない!」なのでしょう。

とはいえ、寒さは足元から忍び寄ってきますからね、少しばかり「今朝は暖かい」と、思われたとしても、油断大敵ですぞ。

さて、学校です。

今年もディズニーの時期になりました。この学校は「ディズニー・リゾート」のすぐそば(自転車で20分から30分ほどです)にあるので、隔年で「ディズニー・シー」か「ディズニー・ランド」に行っているのですが、今年は、12月20日に、「ディズニー・シー」に参ります。これは一年の締めくくりという意味で、「この一年、よく頑張った」賞というところでしょうか。

そして、その事前指導ということで、昨日、少々古いのですが、『(インディ・ジョーンズの)魔宮の伝説』を見せました。

今年は例年になく、二年生も一年生も乗ってくれたので、私たちもホッとしました。二年生はともかく、一年生も寝たりせずに、みんな一生懸命に見ていましたから。勘所もちゃんと押さえていたようでしたし、ヤマ場ではちゃんと笑ってくれていました。

こういうのは、見て取れていればいいのです。なにも、聞き取れていなければならないというものではありません。嫌がらずに見ているうちに、なんとなく筋が呑み込めていく…それだけでいいのです。だって、活劇なんですから。

午前のクラスは、最初は授業で、後半が映画だったので、まあ、ニコニコしながら帰ることができたのですが、午後のクラスはそうは参りませんでした。椅子などはそのまま、午前に並べたままでやりましたから、前半が映画で後半が授業ということになったので、ちょっと可哀想でした。

「さあ、終わった。椅子や机は片付けた、帰ろう」という表情をした時に、「Dクラスは上の教室へ行って授業。Eクラスは片付けが終わったら、そのまま授業をします」。みんな、エエッという顔でこちらを見ていましたね。

まあ、楽しい一日でした。

日々是好日
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敗戦後、片道切符で欧米に行った人たちのことを思います。

2017-12-11 10:44:05 | 日本語学校
晴れ。

寒さが緩んでいるような気がするのですが、寒波が今日辺り、また来るとの話なのですけれども。

最近、街では赤い花が目立ちます。筆頭は、やはり「サザンカ(山茶花)」でしょうね。白やピンク、まだ白の地に縦に赤やらピンクの入った花もあるというのに、なぜか最近は赤が目につきます。

ひと頃、「ツバキ(椿)」の「白侘助」が流行ったことがありましたが、時節柄、白いのは寂しさ、わびしさを増すことになって、敬遠されているのかもしれません。

さて、学校です。

卒業する学生達には、大学や専門学校へ行っても、それほど(ここで勉強しているほどには)勉強できる機会がないだろうから、ここにいる間はしっかり勉強しておくようにと言っているのですが、さて、どれほど納得できているかしら。

スリランカやネパール、ベトナムといった国から来た人たちが、勉強しながら、生活のためにアルバイトをするというのは、ごく普通のこと。日本人と違うのは「計画性に乏しい」と言うことと、その「目的」でしょうか。

「先を考えて貯金」というのが難しい。それから目的にしても、煎じ詰めれば、「お母さんに喜んでもらいたい」

親が銀行から借りた、あるいは親戚一同から借りた金で来ている学生にとって、来日すれば親の代わりに返金しなければなりません、それもできるだけ早く。こちらが、(大学に合格するまで)「待ってもらうように頼んでごらん」と言っても、…難しいらしい。これも、彼らの国での常識とあれば、こちらの言うことが(日本の生活が少しはわかった)学生には通じても、母国にいて、彼らの常識の世界でいる親たちにはわからない。

一年生など、よく「頑張ります。大学に入りたいですから」と言いながら、時々、フウッと魔に魅入られたように眠くなってしまう人たちを見ていると、昔の日本人のことが思い出されてきます。

明治期のみならず、大正年間、昭和の前期、あるいは敗戦後の十年かそれ以上でしょうか、そのころに渡米、あるいは渡欧し、多くのことを学んでいた日本人たちも、また「斯くありきか」と思ってしまうのです。そのころだって、なにも金持ちだけが行っていたわけではありませんから。片道切符で行った人たち(それだけのしか容易できなかった)もきっと多かったことでしょう。

水の低きに就くが如し

昨今は、米国留学をしたがらない日本人の若者を、覇気がないなどと貶す向きもあるようです。そういう一面も確かにあるでしょう。が、日本人にとって、もう、アメリカ、ヨーロッパはそういう対象ではなくなったのかもしれません。

何が何でも、「勉強なら、欧米」ではないのです、かなり以前から。インドネシアにバリの踊りを習うために留学する学生もいる。若い人たちは自分の興味や関心から、異国へ旅立つ。これは広い視野からの「国のため」であったり、「専門分野の研究」であったりするのとは違うのです。

今の日本は、「個人の世界(趣味)」に、ある程度、耽溺することが許される社会になっているのかもしれません。もちろん、また景気が悪くなり、生活に追われ始めれば、立身出世を夢見たり、大局的な世界を考えたりする人が増えてくるかもしれませんが。

もちろん、頑張ることは同じであっても、目的は、かつての日本人とは違います。日本に来る留学生達の多くの目的は、「生活のため」「仕事のため」であるのです。

彼らの目には、国のためとか、社会のためという視点は、ほぼないと言ってもいい。これは彼らの国で、あるいは社会が要求していないのでしょう。まだまだ縁故社会であり、自分の家や親族のためくらいがせいぜい。彼らの視野は本当に狭いのです。

「自分が豊かになって、家族が住めるような大きな家を建てたい」、あるいは「良い仕事をして、豊かになりたい」。そのための努力なのです。

自分の目の届く範囲での幸せの追求なのです。

ただ、私たちはこうも思っています。自分の目に入る人たちが幸せになる。そういう人が核となって増えていけば、きっと、豊かになる人が増えていくだろう。階層でカチカチに固まっている社会でも、穴を開けることができるのではないか。

私たちにとって、必要なのは、苦しくとも、頑張って勉強できる人だけで、彼らにカネがあろうがなかろうが、またどのカーストに属していようが関係ないのです。

日々是好日
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もっと、いろいろなことに興味を持ってもらいたいのですけれども…。特にベトナムと中国からの学生達。

2017-12-07 09:42:42 | 日本語学校
晴れ…ですが、白い雲があちらでもこちらでも、ポッカリと浮かんでいます。

今日も寒い…。もっとも、冬、寒くなかったら、おおごとですね。それに今日は「大雪」に当たっていますもの、「冬至」まで、あと少しです。

さて、学校です。

授業の時、文章読解のために、それらに関係するDVDを見せることがあるのですが、あまり興味を示さず、始めると、すぐ眠ってしまったり、おしゃべりをし始めたりするのは、中国やベトナムから来た学生たち。

その反対に、興味津々となるのは、ネパール、スリランカなどから来た学生達。

「金儲け」とか「現実的で具体的」(自分の生活の範囲内でです。それが一般的で、抽象的なことになるともうだめです)なことであったら、ベトナムや中国の学生も振り向いてくれるのですが、そうでないことにはほとんど興味、関心を示しません。

これはお国柄というべきか、それとも、興味を持たない方が無事安穏に過ごせると、もう、習慣でそう思い込まされているからなのか、どうも後者の方のような気がするのですが

いくつかの放送局があり、それぞれ先を争って、新しいこと、珍しいこと、他の放送局でやっていないようなことを放送したがるような日本の放送局(もっとも、時々政治家からクレームがついているようですが、それも公表されています)とは違い、彼らの国ではいろいろと制限があるのでしょう。

中国も政治的な打算から多くの制限があるようですし、ベトナムも、生活に追われてそれどころではないといったところなのかもしれません。

それから考えますと、財政的な面はともかくとして、ネパールからの学生達は有産階級であるかのように見えます。カネ、カネ、カネ、モノ、モノとはならないのです。

今年の4月から、ベトナム人学生の数が随分減り、反対にネパールの学生が増えてきました。そして、その4月生も、一応『初級』が終わり、今は『中級』に入るための助走段階に入っています。こうなりますと、クラスの雰囲気というか、クラスのある種の傾向に特徴が出て来たような気がします。

日本語のレベルは(ベトナムや中国の学生に比べて)下であっても(ベトナムでは、ある程度、国内で日本語の力が付けられてきます。ところが、ネパールではそうはいきません。ゼロレベルに近いところから始めなければならないような学生もいるのです)、好奇心や言いたいことがあるようなのです。

とはいえ、文章を読み解くための参考としてのDVDです。単語の段階で困ることもあるのですが、それでも対語訳などがあるので、意味はわかるようです。ただし、具体的にはどんなことなのかわからない。世界的に大切なことであっても、国として関心がない、あるいは関心を持ってもらっては困るようなことは素通りされているのでしょう。教育現場に於いても、公共放送であっても。

それだけに、日本で見せられるものには新鮮な驚きがあるようで、反応も今迄とは違うのです。こちらとしても、「そんなに楽しみにしてくれるのか。それではうんと頑張って、もっといいものを捜そう」という気になってくるのです。

日本語を教えるという建前から考えますと、日本語のレベルから考えた方がいい。けれども、大学に行きたいという学生には、それなりの知識というか、わからなくとも、「見たことがあった」くらいのことは知らせておいた方がいい

これまでは、「あれも知っておいた方がいいだろう」とか、「これも見せてやりたい」などと欲張って、家に帰ってからも、テレビに釘付けとなっていたのですが、ベトナムからの学生が増えていた時期には、もう、録画しても無駄だな的な気持ちになり、そろそろ、自分も卒業しようと思っていました。。

だいたい、家に帰ってからも、自分のことができないのです。あれがなかったら、かなり解放される…と、そんなやる気のない自分になりかかっていました。ところが、今年の4月生、「今日は何ですか。何でも見たいです」と来る。

コイツは困った…です。もう、そろそろ自由になろうと思っていたところでしたから。

もし、昨年、昨昨年同様、ベトナム勢が多かったら、止めていたでしょうね。こちらが準備してもしなくても同じでしたから。こちらとしては、教える文章の理解を助けるために見せようとしていても、途端に私語を始めたり、眠られたりするのであったら、見せるよりも漢字を一つでも覚えさせた方がいい。

そういうわけで、またテレビとお友達になる生活がしばらく続きそうです。だって、見ることによって理解も知識も増えていきますし、日本人と話せることも増えていけば、いい人達と知り合いになれる機会も増えていくことでしょうから。

どこの国の人だって、同じなのです。足りないのは知識だけなのです。知らないから話せない(日本人の場合は知っていても、相手の国のことばで表現できないから知らないと思われるだけなのですが、彼らの場合は違います)。

ネパールの学生に「環境問題」について話した後、「ネパールも大変だね」と言いますと、「ネパールにはそんな問題はない」という返事が返ってきて、驚いたことがありました。地球温暖化によりヒマラヤの氷が溶け、大きな池となり、もしそれが決壊すれば下流の村が大洪水に見舞われるかもしれないと大騒ぎになったことがありましたから。ところが、「そんなこと、聞いたこともない」。…えっ?本当ですか。「本当に知りません」という返事。

急には無理であろうとも、一年生のうちからできるだけたくさん文章を読み、関係がありそうなDVDを少しでも見せていけば、ちっとはどうにかなるかもしれません。まずは「視覚」から。聞き取り、読解はその後のこと。最初は慣れることからですね。そして、一番大切なことは興味を持ってもらえることなのです。

日々是好日
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冬に「苦学生」という字を見ると、よけいに寒々しくなります。でも、学生は明るいもの。生活は厳しいのでしょうけれども。

2017-12-06 09:40:52 | 日本語学校
晴れ。

今日も青空が広がっています。「サクラ(桜)」はすっかり裸木になってしまいました。裸の木が並んでいる通り、道端に落ち葉が風に吹き飛ばされて塊になっている通り。寒々しい冬の光景です。

とはいえ、今日のように、昨日ポカポカ陽気であったのに、今日は1月並みの寒さが来る…こうなりますと、どこかで線引きをしなくてはと、焦ってしまいます。焦っても、お天道様は平然と照っていますし、お月様は白いお顔で澄ましています。

お天気にアタフタとしている自分を見ていますと、時々「もうお天気とはそれほど関係のない生活をしているはずなのに、どうして」という気にもなってくるのですが、先祖伝来の習慣というのは、そう簡単には変わらないのでしょう。

「三代続く習慣」というものがあるらしく、三代続くと、やっと本物の入り口に至るとか。こういうものは別に望んでそうなったわけでもありませんが、何代も続いている「家」などをみていると、襟を正したくなるというのも、そこに在る歴史の重みなるものを感じるからでしょう。

さて、学校です。

「苦学生」という言葉があります。苦学生を支援する、この「支援の仕方」にはいろいろありますが、まずこの「苦学生」を認める度量がないところには、そういうものはあり得ません。

「日本語学校」と十把一絡げに言われてしまうと、「それはちと違うぜ」と言いたくなるのですが、これはどの業種でもそうでしょう。小中の公教育であっても、ひと頃、他業種から校長を入れるというのが流行りました。今はどうなっているかわかりませんが。

当時、是非を問う意見が続出し、もちろん、公教育には、現場しか知らない人たちからなる、どこか閉鎖的な部分があったからでしょう。が、現場でやってきた者は教育界の住人であることは間違いないのです。だれが教えるにせよ、「今」すぐには結果の出ないことをしているのですから、人間を「人間」が指導すると言うことから来る問題は、永遠に続くことでしょう。

「年長者の振る舞いを見て覚える」ような一昔前のやり方、他動物のやり方だけでは、もうやっていけない段階にきているのです。

外国人相手の、「日本語学校」というのも、教育と言いながらも、教育とは全く関係のない人たちが重鎮として存在し、経営している場合が多く、そうなると、それは「(彼らの)必要に引かれていく」のは、流れとして当然のことではないでしょうか。

文句を言う前に、そこに公がメスを入れずして、何をか言わんやです。

「留学生が可哀想だから、金のない奴は入れるな」というおかしな同情論者もいるようで、実態を知らないなと却って気の毒になってしまいます。同情の方向が違うのです。

金のある「どら娘」「どら息子」を入れるくらいなら、たとえアルバイトをして苦しくても、日本で大学に行きたいと頑張れる貧しい人(?)を入れたい。…でも、そんな学生達でも、彼らの国では決して貧しいとは思われていないのです。「金(かね)」が多く流通するような社会ではありませんから。

母国ではそれほどの金を稼ぐ手段がなかった。それに勉強のチャンスが得られなかった。豊かな日本に憧れ、そこでなら技術や技能を身につけられ、自分も豊かになれるのではないかという期待を持った。そのためなら頑張れる。来日するための資金は、親に借金をするだけの人望も財産(土地や果樹など)あるし、借りられる親族もいる。

まったく、親が来日するための資金を用意できないようであれば、それは普通の日本語学校の手に負えるところではありません。公の援助機構とかボランティア団体が呼ぶしかないでしょう。

実際に私たちが行って(学生や教師に)会うのですが、この、まだ、日本語もそれほどままならない人たちを選ぶというのも難しい。同じ日本人同士でも、人を選ぶ(僭越な言い方ですが)というのは難しい。

「N5」のいくつかの試験に合格していることが条件と言うけれども、四択ですから、勘のいい人であったり、運がよかったりしたら、「ひらがな」も満足に書けないくせに合格していたりする。

こういう人が来日しても、だいたい勉強の習慣がついていません。それに、ズルをして大きな顔をしているくらいですから、日本の社会に適応できるはずもありません。教えるのはこちらなのですから、私(教員)は教えられない(こういう人たちを入れたくもない)。

クラスが乱れます。学生達は苦しいけれども頑張っているのです。適当にやっている人間がクラスにいれば、そちらに流れてしまいます。人は易きにつくのです。だめだと思えば、残念ですがと言って断ります。向こうも何も言いません。「N5」に合格していれば、他の日本の日本語学校が、ほい、ほいと言って入れるのだそうです。本当かどうかわかりませんが。

おかしな言い方ですが、来日すれば、志のはっきりしている人なら、多少お金がなくても、どうにかなるのです。

もちろん、一日中アルバイトをするとか、学校に来ても眠るだけとか、そういう人は論外です。が、実際に、アルバイトで(親に頼ることなく)学費を稼ぎ、きちんと大学に入り、卒業し、日本の会社に就職できたと言う人も少なくありません。

選んだとはいえ、時々失敗はします。来日して日本の豊かさに目が眩んだり、簡単にお金が稼げることに驚き、そちらに走ってしまった人もいます。

けれども、現地で、私たちが見るのは、勉強の習慣があるかどうか、異国での厳しい生活に頑張れるかどうか、大学を目指しているかどうか。国によっては、彼らの国の言葉で書かれた文法書が理解できない(ベトナム人に多いのです)学生もいますから、特にベトナムでは、彼らの国で、「初級(50課)」までは同国人に説明してもらってから来てもらうことを条件にしています。

最近は、ネパール人が増えてきました。ネパールの日本語学校は、ベトナムよりももっと大変で、日本語をきちんと教えられる人が少ないのでしょう、適当な(ほとんど読めないような)「ひらがな」や「カタカナ」を覚えてきます。「書けなくても関係ない」と豪語する教師もいたほどですから。

ベトナムの学校には、送られた学生の書いた「ひらがな」や「カタカナ」をコピーして、「この字の、ここのところに問題がある。あの字ではここ」というふうに説明をし、そういうところに注意して指導してくれるように頼み、それをしてくれる学校と関係を持っています。が、ネパールでは、同じようにしても、向こうがそれをできない。そこが問題なのです。

ただ、学生達の性格は本当にいい。素直で、一生懸命に勉強してくれます。学校を休みません。だから、最初の半年がもったいないのです。日本に来てサラッと「基礎編」が終われたら、すぐに漢字や「N3]に入れます。異国語を学ぶという抵抗感もそれほどないでしょう、国で、ある程度やっていれば。そうすれば、卒業までに「N2」文法も読解も聴解も終われます。

大学には入れても、「N2」の試験対策をあまりやってくれないと聞きます。この学校でできる限りのことはしてやりたいのです。

日々是好日
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昨日、皆で「明治神宮外苑」と「小石川後楽園」へ行ってきました。

2017-12-05 09:54:19 | 日本語学校
晴れ。

「サクラ(桜)」の葉もすっかり落ちてしまいました。それに、今日は、日本海側では、九州の方まで雪になるそうです。とはいえ、太平洋側は晴れ。うって変わってきれいな青空が広がっています。北国の人の気持ちを考えますと、少々、申し訳ないような気分になっています。

以前、何気なく、皆で雪の話をしていたとき、東北から来た人に、「雪は嫌だ。本当に嫌い」と言われたことがありました。雪など、淡雪くらいしか知らない私にとっては、ちょっとした驚きでしたが、彼らの言葉には、それまでの概念を覆すような強い響きがありました。

それからです。「道の雪掻き」やら、「屋根の雪下ろし」やら、毎日、雪にこき使われるような生活をせざるを得ない「雪国の暮らし」に思いが至るようになったのは。

「言われてみなければわからない」ことは、本当に多い。

中国の天安門事件の時も、欧米や日本などの国から来た人間は、サッと引き揚げたのに、中近東の学生達は、何とも思っていない…?かに見えた。聞くと、「自分の国ではここよりもっとひどい。毎日が戦争だ。危ないところからもっと危ないところへ行く??」と、自嘲めいた言葉が返ってきました。

毎日のように新聞やテレビなどのニュースを見て、知っているかに思えた世界。全く違う感覚で生きている人たちに「気がついた」。…「気がついた」と言えるかどうかわかりませんが、一瞬なりとも、「ハッとなった」のは、確か。それも、その人たちが現に身近にいたから。そして「体験から出た言葉を聞いたから」でしょう。

「想像する、想像することができる」ことの大切さをしみじみと感じました。と同時に、「見なければわからないこともあるけれども、教えられて知ることもある」ということも考えさせられました。

さて、学校です。

「日本語能力試験」(日曜日)も終わり、セットになっている、恒例の「紅葉狩り」に、昨日、皆で行ってきました。この「紅葉狩り」が終わると、もう一年も終わり、残すところあとわずかという感じになってきます。

で、「イチョウ(公孫樹)」ですが、まだ残っていました、ありがたいことに。しかも風に誘われて、ハラハラと落ちてくるという時もありました。地面も黄色に染まっていましたし、まあまあ、合格というところでしょうか。

いつも、この時期は、「イチョウ」に泣かされて来ました。どうしても「試験」の前には(見に)行けません。それで、「試験」の翌日になってしまうのですが、この「イチョウ」の様子が毎年違うのです。葉が落ちてしまって、「なんにも、な~い。ない、ない、ない。先生、なんにもな~い」と学生に唱われてしまったこともありました。気持ちはわかりますけれども…。

「せめて、落ち葉なりとも」と思っていても、きれいに掃かれていたこともありました。

もちろん、その反対に、黄金色に輝く「イチョウ」の黄葉が見られたこともありましたが、本当にそんな日は稀。

たいていは、「外れ」。

もっとも、「紅葉」とセットにしてあるので、「庭園」の方で救われてきましたが。

というわけで、今年は「小石川後楽園」にも行ってきました。ちょうど大道芸に行きあわせ、大半の学生達が、最後まで見ていました。最後の「おひねり」まで、出していましたから、よほど面白かったのでしょう。

まずは楽しい「秋の1日」でした。

日々是好日
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