晴れ。
きれいな秋空が拡がっています。
昨日、江戸川大学の先生方が、この学校を見に来てくださいました。顔なじみになった先生方もいれば、初めての方もいらっしゃいました。初めての方は、留学生達の実情がわからずに、一つ一つに驚かれていました。
日本人にとって、お金がなくてする留学などは、あまり考えられないのです。お金をまず準備してから、留学を考えます。一年分のお金があれば、1年留学し、二年分あるのなら、2年留学する。学費も生活費も、たいていは日本で準備してから行きます。その地での旅行を考えたりしていれば、そのお金も考えなければならないでしょうし、長期休暇毎に一時帰国するつもりなら、それのための費用もあらかじめ考えておきます。
ところが、現在、日本語学校にいるような留学生は、かつての「苦学生」とでも言うべき存在で、来日後の生活費から次に進む学校の学費まで、大半の留学生達は自分の力で稼がねばなりません。
もとより、だからといって、彼等の母国での生活が貧しいものであるというわけではなく、殆どが、それほど裕福とまでは行かなくとも、彼等の母国ではそこそこの生活をしている人達です。もちろん、何を以て貧しいといい、何を以て豊かというのかは、また別問題です。それに、日本で高いものであっても、彼らの国では安かったり、また逆もあることですし。
母国では、日本人の若者のように、おっとりと暮らしていた人達が、来日後は、シャカリキに働かなければならないのです。
彼等の状態を聞けば、大半の日本人は、「気の毒だ」とか、「勉強も、アルバイトも頑張っているんだ」と、温かい目で見てくれるのですが、それでも、大学まで行ける学生は僅かなもので、大学以外は考えられなかった中国人が多かった頃とは雲泥の差があります。
中国人だって、漢字が判るから日本でどうにかなっているだけの話で、漢字が判らなかったら、大学入学なんて夢のまた夢というような人だって少なからずいましたもの。
とはいえ、「非漢字圏」の学生達にとっては、漢字が大きな問題なのは事実です。それに、彼等の国では、日本ほど「本を読もう、読まねばならぬ」という教育はなされていないようで、単語がわからぬでも、文法が判らぬでもない、けれども、読み取れないと言う場合も多々あるのです。
であるからこそ、時間が必要になってくるのです。
日本語学校で勉強している学生であったら、だれでもいいから、大学へやれるかと聞かれれば、決して、そんなことはないのです。日本語学校にいる2年間をどう使うか。どれほど日本の生活に慣れているか。
まず、学校に来ず、来なくて勝手をすることに慣れている人もいます。突然現れて、大学へ行くと言われても、私たちだって手に余るような人を、親切な大学へ紹介することはできません。やはり、私たちとしても、最低限の線引をする必要があるのです。
多分、大学の先生方は、そういう状況が判っていないと思います。
日本語学校にいる間に、勉強に向いていない人達は、自然に落ちていきます。「机につくのもかったるがる」、「教室にいても、携帯で遊ぶか、寝ているかしている」、あるいは、「授業中、近くの席の者は言うに及ばず、遠くの席の者とも大声で話し合ったりしている」。
こういう人が大学に行っても、意味はないのです。その上、減免という特典を受けたりするのは、やはりおかしいですね。
私たちも、大学を目指そうという学生達には、「日本人の学生達の方が、みんなより学費は高いのだ」ということを、徹底して教えるようにしています。だから、ちゃんと勉強してもらわなくては困るのです。結局は国民の税金が使われているのですから。
できれば、そういう事情がわかったうえで、大学に入って頑張ってほしいもの。こういうことは、心ある学生であってみれば、知っていると知っていないとでは差が出てきます。そういう日本人の気持ちを理解した上で頑張ってもらいたいのです。
日々是好日
きれいな秋空が拡がっています。
昨日、江戸川大学の先生方が、この学校を見に来てくださいました。顔なじみになった先生方もいれば、初めての方もいらっしゃいました。初めての方は、留学生達の実情がわからずに、一つ一つに驚かれていました。
日本人にとって、お金がなくてする留学などは、あまり考えられないのです。お金をまず準備してから、留学を考えます。一年分のお金があれば、1年留学し、二年分あるのなら、2年留学する。学費も生活費も、たいていは日本で準備してから行きます。その地での旅行を考えたりしていれば、そのお金も考えなければならないでしょうし、長期休暇毎に一時帰国するつもりなら、それのための費用もあらかじめ考えておきます。
ところが、現在、日本語学校にいるような留学生は、かつての「苦学生」とでも言うべき存在で、来日後の生活費から次に進む学校の学費まで、大半の留学生達は自分の力で稼がねばなりません。
もとより、だからといって、彼等の母国での生活が貧しいものであるというわけではなく、殆どが、それほど裕福とまでは行かなくとも、彼等の母国ではそこそこの生活をしている人達です。もちろん、何を以て貧しいといい、何を以て豊かというのかは、また別問題です。それに、日本で高いものであっても、彼らの国では安かったり、また逆もあることですし。
母国では、日本人の若者のように、おっとりと暮らしていた人達が、来日後は、シャカリキに働かなければならないのです。
彼等の状態を聞けば、大半の日本人は、「気の毒だ」とか、「勉強も、アルバイトも頑張っているんだ」と、温かい目で見てくれるのですが、それでも、大学まで行ける学生は僅かなもので、大学以外は考えられなかった中国人が多かった頃とは雲泥の差があります。
中国人だって、漢字が判るから日本でどうにかなっているだけの話で、漢字が判らなかったら、大学入学なんて夢のまた夢というような人だって少なからずいましたもの。
とはいえ、「非漢字圏」の学生達にとっては、漢字が大きな問題なのは事実です。それに、彼等の国では、日本ほど「本を読もう、読まねばならぬ」という教育はなされていないようで、単語がわからぬでも、文法が判らぬでもない、けれども、読み取れないと言う場合も多々あるのです。
であるからこそ、時間が必要になってくるのです。
日本語学校で勉強している学生であったら、だれでもいいから、大学へやれるかと聞かれれば、決して、そんなことはないのです。日本語学校にいる2年間をどう使うか。どれほど日本の生活に慣れているか。
まず、学校に来ず、来なくて勝手をすることに慣れている人もいます。突然現れて、大学へ行くと言われても、私たちだって手に余るような人を、親切な大学へ紹介することはできません。やはり、私たちとしても、最低限の線引をする必要があるのです。
多分、大学の先生方は、そういう状況が判っていないと思います。
日本語学校にいる間に、勉強に向いていない人達は、自然に落ちていきます。「机につくのもかったるがる」、「教室にいても、携帯で遊ぶか、寝ているかしている」、あるいは、「授業中、近くの席の者は言うに及ばず、遠くの席の者とも大声で話し合ったりしている」。
こういう人が大学に行っても、意味はないのです。その上、減免という特典を受けたりするのは、やはりおかしいですね。
私たちも、大学を目指そうという学生達には、「日本人の学生達の方が、みんなより学費は高いのだ」ということを、徹底して教えるようにしています。だから、ちゃんと勉強してもらわなくては困るのです。結局は国民の税金が使われているのですから。
できれば、そういう事情がわかったうえで、大学に入って頑張ってほしいもの。こういうことは、心ある学生であってみれば、知っていると知っていないとでは差が出てきます。そういう日本人の気持ちを理解した上で頑張ってもらいたいのです。
日々是好日