日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「秋の虫の音」。「お尻に火がつきはじめた?…学生達」。

2010-08-31 09:10:13 | 日本語の授業
 今日で八月も終わりです。名実共に「秋風の吹く」と行くはずなのですが、夜になっても暑いのです。だいたいこのブログで、「暑い」が連発されなかった日なんてあったでしょうか、梅雨が明けてから。

 とはいえ、律儀な秋の虫たちは、日が暮れる頃から、鳴き始めるようになりました。この「秋風が染むはず」の声を聞く度に、「暑さで呆けたのではないかしらん」とか、「暑さにやられなければいいけれど」とか、秋になれば当然湧いて来るであろう感慨とは無縁のことを考えてしまっている自分が、情けない。 

 で、「暑さに呆けて宣っているのではあるまいに」と思われる学生達のことです。

 夏休みが終わると、これまでノホホンとしていた学生達のお尻にも、そろそろ火がついてきたのでしょう。で、どうなるかというと、「先生、何(専門)を選んだらいいのかわからない。(先生が)決めて」。

 専攻が決まらないということは、好きなことがないということです。つまり、好きなことを通しての友達が、日本では作れないということになるのです。

 学生達には、例年、「大学は四年間ある。四年間は長い。とても長い。嫌だ、嫌だと思っていると、その長さが二倍にも三倍にもなってくる。好きでもない専門を選んでしまうと、辛い四年間を過ごすことになる。人は、それに耐えていけるだろうか。自分を(強いと)信じちゃ行けない。人間は弱いものだ。耐えられっこない」ということを呪文のように言っているのですが。

 わかっていても、なかなか決められないのが実情のようです。原「Aクラス」にも、そういう学生が、若干名、存在しています。

 ただ、最近この中の一人が、あれは嫌い、それも嫌いと言い出しました。好きなことを発見していくという方法もありますが、消去法もあるのです。このやり方で、少しずつ何なら続けられるかということを見つけ出していった方がいいのでしょう、彼女は。

 もちろん、まだそれも考えられない学生もいるので、安心は出来ないのですが。

日々是好日

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「エアコン」。「横断歩道を渡る猫」。「自分の言語」。

2010-08-27 08:29:54 | 日本語の授業
 今朝もそうです。自転車を走らせている時は、ほとんど「暑い」なんて感じていないのに、学校へ着いて、郵便物を取るときに、汗の第一陣が、ドッ。扉を開けるためにカギを捜して、落として、また拾ってをやっているときに、汗の第二陣が、ドッ。職員室に入って、窓を開け回している時に、汗の第三陣が、ドッ。席についてパソコンを開いているうちに、腕にも汗がジワジワ。

 最近は、毎日、この繰り返しです。

 次に、エアコンを付けて、窓を閉め回すという作業が来るのですが、職員室が冷えるまでには、30分近くかかります。そして、身体が冷えてから、適当なところで、一階と三階の教室へ行き、窓を開けまわします。そして、また、(職員室に)戻り、学生達が来る30分くらい前から、エアコンを入れに行き…。

 三階の教室は、(一番上の部屋ですから、前は)そうやっていても、学生達は、来るなり、「先生。暑い。暑い」と叫んでいました。それで、私の方も最近は知恵が少々ついて、始めはグッと温度を下げておくようにしたのです。面白いことに、そうしておきますと、学生達は「暑い」というどころか、じわっと辺りを見回し、小さい声で、「先生、寒い。温度を上げても良いですか」と言うのです。この時、「勝った」なんて思ってしまう私は、いけ好かない教師でしょうかね。

 学生達も、学校に着いたばかりの時は、もう汗びっしょりですから、汗が引くまで、時間がかかります。それを見越して早めに来ればいいのですが、なかなかそうもいきません。いくら寝ていても、「まだ眠い。先生、どうかして」なんていう赤ちゃん学生もいることですし。以前は、あまり(冷房が)強すぎると、身体にさわるだろうと思っていましたから、温度もそれほど下げず、風も「弱」にしていました。けれども、それでは、涼しさが感じられなかったようなのです。

 それは、確かにそうですよね。一人や二人いるだけの部屋とは違いますから。「暑い」を封じ込めるためには、最初に「暑くない」を叩き込んだ方がいいということになったのです。なにせ、「暑い」「暑い」といわれれば言われるほど、暑さは増します。熱湯を浴びせかけられたような気分になってしまいます。

 走ってきたり、自転車で来たりする学生もいますから、彼らは頭から湯気を出すほどに、汗を搔いています。けれども、この「暑い」も一時的なものなのです。少し涼しい部屋に入っていれば、収まるような類のことなのです。なんといってもまだ朝なのですから(午後の学生達はかわいそうです。一番暑いときに来て、まだ暑さが残る中を帰っていくのですから)。

 さて、今日、自転車で来る途中、横断歩道を渡ろうとしていた猫と目が合いました。互いに初対面なのに、渡る前に、私の顔を見たのです。猫はあちら側から渡ろうとしていました。それで前に立っていた私を見たのでしょうね。道には自動車がすでに途切れることなく流れています。その時「どうするの」と問われたような気がしたのです。それで、「青」になったとき、私の方でもあちらを見て、それから渡ったのですが、それを見ていた猫も、大急ぎで渡ってきます。道の中ほどですれ違ったのですが、耳の大きな小顔の猫でした。

 こうやって人を使いながら、町中でも逞しく生きているのでしょう。けれども、不思議ですね。猫や動物の目には、人よりもずっと多くの、そして、豊かな感情が詰まっているような気がします。言葉で理解し合うという習慣がない分、「思い」を伝え合う手段として、「目」にものを言わせているのかもしれません。

 昨今は、以前ほど「怖い話」が放映されなくなりました。以前は、夏になると、必ずといっていいほど、「怪談」とか「ホラー映画」とかいうのが、あっちこっちの局で放映されていたものです。流行らなくなったのでしょうか。いえ、そうではなく、きっと、現実生活の方が、よほど「ホラー」だと人々が思うようになったのでしょう。余裕もなくなったので、妖怪やお化けなどが住みにくい世になったのかもしれません。暇でなければ、妖怪やお化けの出番はありません。人の正体を見てしまった妖怪やお化けが、あまりの怖さに、(彼らの方が)ズリズリと後ずさりをしながら、(この世から)逃げてしまったのかもしれません。

 思えば、かつての日本は、妖怪変化はもとより、異文化の吹き溜まりでありました。それを、自分達なりに消化していく過程で、日本的なものが生じ、それを昇華させて日本文化が形成されていったのでしょう。ただ、それには、気の遠くなるような時間がかかりました。現代のように「即答を求められなかった」から、うまく出来たのでしょう。こういう内容のものは、「即答」も、そして「機械的に」答えることも不可能ですから。

 グローバル化が進んでいけば、そのうちに自他の区別がつかないようになるかもしれません。例えば、英語にしても、イギリス英語とオーストラリア英語は違います。エジプト人が話す英語とインド人が話す英語も違います。英語を学んだことのある人だったら、すぐに判ると言います、どこの地域出身かは。

 それが、おそらく、わからなくなるでしょうね。怖いことです。「一元化される」というのは怖い。何でも多様がいいとは言いませんが、言語においては、多様である方がいいのです。よく親御さんの中で「はい、どちらもやらせています」と胸を張って言われる方がいますが、ある年齢までは思考するための言語を育成して置いた方がいいのです。考えを進める道具としての言語です。あれもこれもと欲張っていたら、天才は大丈夫でしょうが、普通の子供はどこかに無理が行きます。

 日本は、アジアの他の国々と違って、アメリカや英国に行きたかったらすぐに行けます。お金もアルバイトでどうにかなるでしょう、「これだけをやりたいのだ」という強い信念さえあれば。

 日本語も、他の歴史や文化のある国の言語と同じように、片手間で習得出来るような言語ではないような気がするのですが。

 小学生や中学生で日本へ来て、結局は知識も学習言語も習得出来ないまま、日本に居続けなければならない子らを見るにつけ、昨今の英語教育熱が危ぶまれてなりません。「全員が、勉強すれば(頑張れば)、外国語で会議が出来るはずだし、外国語で文学が語れ、しかも書くことが出来るはずだ。つまり、なんでも出来るはずだ。だからそれを目指そう」というのは、危険なことではないでしょうか。そんなことのために、子供達の貴重な時間を潰させるよりは、野山か海にでも連れて行って遊ばせた方がいいし、すばらしい日本語の文学を読ませた方がいいと思うのですが。

日々是好日
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「学びて考えざるは…」。「『サルとヒト』、『ハエとヒト』」。

2010-08-26 08:15:05 | 日本語の授業
 今日も、芸無しで「暑い」から始まります。ただ、今年の夏は暑いだけなのです。入道雲がニョッキニョキというのもありません。時折気を持たせるかのように、薄い雨雲めいたのがやってくることがあるのですが、おそらくは、雨になる前に暑さで蒸発していまうのでしょう。地上には落ちてきません。とはいえ、目ざといのが、すぐに「降るぞ、降るぞ、久方ぶりの夕立だ」と大はしゃぎで触れ回ってしまいますから、外れたときには、倍も落ち込んでしまいます。思えば、天の神様も罪作りですね。何もそこまでしなくても良さそうなものを。

 あまりに暑さが続くので、(暑さに対する)不平不満がタ~ラタラなのですが、実際には、夏は暑くて当然なのです。けれども、どこかしら変だと思ってしまうのは、そこに、夏の「風物詩」が感じられないからなのでしょう。

「きんぎょう~え、きんぎょ(金魚)」といった長閑な声を期待して言っているのではありません。自然の中にあって、あるときは「炎暑」を更に燃え上がらせたり、あるときは「炎暑」の中の「涼」であったりするもののことなのですが、それがないのです。ですから、平面的に、つまりべた塗りの「あつっ」という気持ちだけで終わってしまうのです。だから、一層暑くなるのです。

 この理は自然に関することだけではありません。何事でも、そうなのです。勉強にしてもそうです。フッと息を抜いても良い時があるのです。息をもつかせぬくらい、攻め立ててやらせるときがあるように。

というふうに、どのような話題であれ、餅は餅屋に還ります。

 さて、「Aクラス」は、「経済」に入りました。このクラスは大卒者が多いので、高卒者のように素直に聞いて、覚えてというふうにはまいりません。途中で話が遮られることもあります。その時は時間の許す限り、彼らの相手をしてやります。それが時には、日本の就活やホームレスの問題であったり、アメリカにおける不法滞在者の越境に関することであったりするのですが、その時も政治体制の違いからか、どうしても彼らに理解されないこともすくなくありません(理屈の上ではそれがありうると言うことは判るようなのですが、そういうものを見てきたことがないから、腑に落ちない。どうも頭の中でパッチワークのようになっているらしいのです)。

 ある学生がこんなことを言っていました。(日本語学校の)授業で習ったことは(中国にいたときも)知っていた。けれども、それについて考えたことはなかった。つまり、事件と事件の関係やら、どうしてそのようなことが起こったかについて考えを巡らせたり、教師から説明されたことがなかったのでしょう。

 彼らの場合、「知っている」で終わっていて、一番大切なそれから後がないのです。「歴史を学ぶことは、今を生きる上での指針を得ること」。まさに「学びて考えざるは…」です。人間覚えることが多すぎれば、考える時間なんてなくなってしまいます。愚かな国民を育てるには、暗記しなければならないテストをドンドン出しつづけていけばいいのです。暗記することに熱中して、考えなくなりますから、為政者にとってはまたとない便利な国民が育つということになります。

 これは、かつて中国の王朝でやっていた方法です。

 ある大臣が皇帝に言います。「最近、賢い官吏が増えて、いろいろと言うようになって、ほとほと困っています」「そうか。では、科挙の試験問題を難しくしろ」そうすると、知っていることだけを誇るしか脳のない官吏が増えて、大臣も皇帝も幸せになりましたとさ。

 先例というのは、過去に何があったか。そしてその時にどう対処したか。その結果はどうだったかという知識です。ただこれを知っているだけでは駄目ですし、同じような事をするだけでも駄目です。社会も人も変化しているのですから。ただ古代や中世には「先例」を知っていて、それと同じにしていけば、「学識のある人」と言われていまして。それ故に、「知らない人を哀れみ、己の地位を誇る」で、満足してしまったのです。「知る」ことは難しくはありません「知る」ことに比べ、、それを基に考えを廻らすということは難しい。様々な問題を考えていけば、人の能力に差があることに気がつきます。

 「知識」が欲しかったら、本を読み、覚えればいい。けれども「考える」は、差が出ます。どんなに一生懸命に考えても、人には及ばないというときがあります。

 歴史を学ぶというのは、将来に備えるためです。けれども、全く同じことは起こるはずがありませんから、過去に起こった事実をまとめ、引き比べながら、今をどう生きたらいいかを考えるのです。誰にとっても、この「今」という時間は、初めての経験です。100才であろうと、10000才であろうと、誰にとっても初めてなのです。

 社会は著しい速さで変化していきます。昨日の真理は、もう今朝の真理とは限りません。おそらく「真理なんてない」と、大半の人は思い込んでいることでしょう。様々な分野における変化が、互いに関係し合い、考えても考えても縺れてほどけないということも少なくありません。

 人間の能力を遙かに超えた構造を持ってしまった社会の中で、人はどうやって生きていったらいいのでしょう。人の知性なんて、2000年前も今も大して違っていないのですから。

 確かに現代人の「知識」は増したでしょう。けれども、増したのは、知識だけです。「理性は、判断力は、観察力は」と、一つ一つ挙げていきますと、途端に気が滅入ってしまいます。人は、古代人が考えつかなかったような残虐な方法で人を殺すようになっていますし、戦争が始まった場合、人を殺すことに罪悪感を味わわないように、兵士を訓練する方法まで考え出しています。(昔はせいぜい、集団催眠くらいだったでしょう。巫女か魔術師が、「神のお告げだ。敵は悪魔だ」と言えばそれに乗せられもしたでしょうが。現代人はそれは嘘だと言うことを知っています。知っていて、教育されるのです、人を殺す道具に)

 そういうことを考えていけば行くほど、進化という言葉とはほど遠い、人類の姿が見えてきます。「ヒトは人を殺すサルだ」とは誰の言葉だったでしょう。サルとゴリラは進化の過程で枝分かれし、ヒトは「サルの流れ」上にいるのです。ゴリラの方だったら、同じ種で殺し合うこともせず、共食いもせずににすんだでしょうに。

 とはいえ、そういうヒトの「種としての悲しみ」を知った上で、人は生きていかなければなりません。「ヒトは愚かなことをするサルだ。けれどもそれが愚かであることを知っている。と同時に、すばらしいこともなし得る」。そうでなければ、まだサルのほうが、(後悔して苦しまずにすむだけ)ましというもの。

 サルに限りなく近い存在であるとしか思われていなかったヒトも、昨今の遺伝子学では、サルどころか、ハエにも限りなく近い存在であることがわかってきました。こうなると、ますます困ってしまいます。やはりヒトは地べたを這い回るより生きる術はないのでしょうか。

日々是好日
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「休み中の…」。「日本の歴史…時代区分」。

2010-08-25 09:50:37 | 日本語の授業
 どうしても、「今日も暑い」で、始まってしまいます。暑い、暑い、暑い。おまけに向かいのマンション建設の工事だけではなく、お隣(私の席のすぐ後ろ)のマンションまで、外壁の工事をするとのことで、うっとうしくも黒い網が張り巡らされました。まあ、私は後ろのことですから、見ぬこと浄しで、知らんぷりですみますが、私の向かいの席の若い先生は、少々お気の毒。

 さて、学校です。
「Dクラス(午前)」のベトナム人二人(同室)は、どうも「夏休み中」の習慣が抜けきらぬようで、それなりに足掻いているのが見て取れます。これも身から出た錆ですから、同情はしてやりません。「23日から授業が始まることはわかっていたはず」で、バッサリと切ってやります。

 だいたい、「先生、『休み中』は3時に寝ていましたから、起きるのは大変です」なんてほざくのですから、許せません。初日は、一人は定刻に来ましたが、もう一人は10分遅れくらいでしょうか、それも私の「起きろコール」で目が覚めたのでしょう。ゴキブリさん状態で、コソコソと入ってきました。

 定刻に来た学生も、授業中、ずっとぐったりしていました。それで、理由を聞いてわかったのです。「休み中は毎日、午前3時に寝ていた」というのが。その学生も昨日はどうも沈没していたらしく、学校はお休み…でした。例の初日に遅れてきた学生はと言いますと、昨日は頑張って来たのですが、持病の胃痛が始まったのでしょう、キシキシと胃が痛むようで、時々眉を寄せています。「帰るか」と聞いても、大丈夫と言います。休んだり、遅刻したりすれば、その倍以上の「お土産」が返ってきます。頑張れば、頑張ったなりの、或いはそれ以上のものが返ってくる。学校での勉強なんて、そういうものです。

 これが学校を卒業して、社会に出てしまいますと、そうはまいりません。頑張っても認めてもらえないということも少なくないのです。頑張ったら、頑張っただけのものは得られるというのが、学校の良いところなのでしょう。

 さて、「Aクラス」では、昨日、「青年」の部をやりました。古代ギリシアのソクラテスから始まって、大まかな哲学の流れを見ていきます。それから、日本の伝統思想などを見ていったのですが、日本に入った段階で、最初にやったのが、これまでに何度も教えてきた、日本史の時代区分です。

 彼らは、この学校に入ってから、すでに一年以上が経っています。「鎌倉」には行きましたから、「鎌倉時代」は大丈夫。「日光東照宮」にも行っていますから、「江戸時代」も大丈夫。「聖徳太子」や「法隆寺」で勉強しましたから、「飛鳥時代」も無事通過、「明治」も「昭和」も「平成」も大丈夫。「平安時代」も「奈良時代」も問題なく過ぎたのですが、「先生、『室町』って知らない」で、がっくり。

 日本文化をやりたかったら、「室町時代」は避けて通ることができないと言ってもいいほど大切な時代なのですが、それだけに「日常」からはかけ離れているのです。「金閣寺」の時代と言っても、「室町時代」の文化が「金閣寺」で一括りに出来るかといいますと、そういうわけでもなく、これは「近代」が始まりを告げたともいうべき「乱世」なのです。で、触りません。もし、時間があれば、DVDで何かを見せてやりましょう。聞くよりも見た方がいいのです。あくまで「印象」なのですから。

 それから、「古墳時代」は、明日、「巨大古墳」を見せてやろう(DVD)ということで、通り過ぎ、「縄文時代」の説明です。もうこれは「火焔土器」の写真だけ。それだけでこの時代の豊かさがわかります。実際には時間があれば、DVDなどを使えるのですが、「留学生試験」の試験内容には入っていないのです、古代日本史は。それで、いつも、時間切れになってしまいます。

 日本語学校で勉強していくと言っても、どうしても時間的な制約がありますから、何事によらず、浅く広くで、だいたいを知るという段階で停めておかねばならないのです。それが、何を教えるにしても、(当方からすれば)やるせないところ。とはいえ、学生達が専門を決めるとき、そして、大学で科目を選ぶときに、(こういうことも)役に立たないわけではない…くらいで、自分を慰めています。

日々是好日
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「新学期、第一日目」。

2010-08-24 09:49:20 | 日本語の授業
 今日も暑い日になりそうです。

 さて、昨日は、「新学期」第一日目でした。
 学生達の様子はどうだったかと申しますと、まあまあ…でした。少々の例外を除けば、まあ、よしとしなければならないでしょう。これはクラスのレベル(『初級Ⅰ』、『初級Ⅱ』などの)によって違いが出て来るようです。

 例えば、『初級Ⅰ』の前半で「休み」に入った場合と、『初級Ⅱ』の中ほどで「休み」に入った場合とでは、「休み中」、同じくらい怠けていても…「休み明け」の状態が違うのです。

 『初級Ⅰ』で「休み」に入った場合は、多少勉強を怠けていても、まじめにやっていた人に比べて、それほどの差にはなっていないようなのです。却って、日本に馴染んだという部分がプラスに働いて、「休み前」は、ほとんど勘が働かなかったところも働くようになった…かに見える人すらいるのです。どちらにしても、この段階では、「休み前」、学校で学んだことは、それほど多くはありません。しかも、中には、当時、突然に「日本語なるもの」を聞き、目を白黒しながら教室に座っていた人さえいたのですから。

 もちろん、「休み中」も勉強を続けていた人は、「数」にしても、「日にち」にしても、正確に覚えています。そこは差が出ます。これは仕方がないことなのですが、単語を忘れているにしても、クラスの空気は、それ故に緊張するというようなことはないのです。それどころか、「久しぶりに教室に出た。前は聞き取れなかったのに、何となくわかる気がする。へえ、もしかして、私、上手になったのかな」といった余裕すら感じられるのです。

 それにひきかえ、問題は『初級Ⅱ』です。差は歴然たるものでした。「夏休み中」に日本語から遠ざかっていた学生と、コツコツと宿題に励んでいた学生との差が、これほど大きくなるとは考えてもいませんでした。

 「学生」と、ここで私が言っているのは、「非漢字圏」の学生のことです。「漢字圏」の学生は、「休み前」と「休み明け」とで、はっきりと感じられるような違いはありません。それに、多少サボっていたとしても、今週は、授業でも復習をかなり取り入れていきますから、それで十分補えると思います。ところが、「非漢字圏」の学生はそうはいかないのです。『初級Ⅰ』の範囲であれば、どうにかなっていたかもしれないくらいの学生でも、授業中にリピートが出来なくなっていくのです。『初級Ⅱ』は、一文がかなり長くなっています。その上、一文の中に含まれる文法事項も一つや二つではありません。単語の数も比較にならないほど増えていることですし。

 これまでは、「休み明け」の初日にこういう比較をしたことがありませんでしたので、気にもしていなかったのですが、気をつけて見てみると、どうも、なかなか面白いものです。

 それから、『上級Ⅱ』のクラスでは、「夏休み」の影響は、まだ表面的には出ていません。オープンキャンパスに行って、日本人学生や先生方と話をし、大学進学が現実味を帯びて来た学生や、大学院への進学を考えている者の中には、教授方との連絡など、目の前にすでに道が見え始めている学生も出始めたようですから、日本語の勉強云々というよりも、実際的な面での勉強が始まっているのでしょう。単語の数や文法の理解などと言ったものは、専門分野に関する書物を読んでいくうちに身につけられるでしょうし。

 「夏休み」というのは魔物ですね。これまでは、「休み中」の補講が長く、「夏休み」がないと学生達から悲鳴が聞こえている…ような状態だったのですが、今年のように十分に長期休みがあると、母国で勉強の習慣がきちんと付けられている学生と目的意識を持っている学生は強いけれども、勉強の習慣も付いていないし、目的も別にないといった学生は、やはり、外国へ来ても、さあ勉強とはいかないようです。

 とはいえ、「休み」は明けました。「休み前」と同じように、宿題をしてこなければ「カーン」とやられます。しつこくチェックも入ります。勉強の習慣が出来ていなかった学生も、習慣がないではすまされません。直に「勉強モード」に切り替わることでしょう。

日々是好日
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「今日から新学期」。

2010-08-23 08:48:41 | 日本語の授業
今日から新学期。

さて、学生達はどんな顔をしてやってくることやら。
資格変更で、アルバイトもかなりできるようになってから、初めての長期休暇でした。今期から、集中して勉強が出来るようにと、まとめてアルバイトに励んだ学生もいたことでしょう。

勉強はドンドン難しくなりますぞ。

では、みんなの顔を楽しみに。

日々是好日
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「お盆休み」。

2010-08-13 11:30:51 | 日本語の授業
 今日は、13日の金曜日、です。これが、私が中学校とか高校の時でしたら、この日にちと曜日だけで、それはもう、みんな、ワクワクドキドキの一大イベントみたいなものでした。こういう名前の、怖い映画が流行ったことが原因だったのでしょうけれど。とはいえ、今どきの子供達は、これよりもっと怖い物語に馴染んでいますから、13日が金曜日で何なんだくらいのものでしょうね。

 休みなのに、学校に来ています。こういうことはしようがないことなのです。この学校は小さな学校で、こういう夏休みとか冬休みなどの長期の休暇でないと、教師達は休みをとるわけにはいきません。で、この夏休みも交替で休みを取るということになります。渡しは後半に休みを取りますが、今日からのお盆休みがその前後を分ける境目ということになります。

 いつもは分担して学校のことをしていますから、自分の持ち領域で、なにかが発生しても、そこはどうにかすることが出来るのですが、そうでなかった場合、何がどこにあるのか、何をどうすればいいのか、わからない。オロオロしてしまいます。しかも、特に期限を切られた場合など、頭の中が真っ白になり、次にシッチャカメッチャカになるという次第。昨日もそんなことがありました。慣れている人からすれば、「どうしてなの。こんな簡単なことが…」なのでしょうけれど。

 そんなわけで、ちょうど、電話がかかってきたり、また電話をかけたりして、オタオタしていた時、卒業生のサンゴがやって来ました、「忙しそうね」と言いながら。そして、書類を捜し出し、またそれを調べなどしている私を見て、同情半分、あきれ返り半分の表情で、いかにも「慣れないことをしているなあ」と見ています。

 彼女は、貸していたDVDを返しに来たのです。ついでに「先生をからかってやるか」くらいは肚にあったでしょうね。けれども、私が「ああでもない、こうでもない」をやっているので、これは駄目だと観念したのでしょう。「新しいのはな~い?」と自分で探し始めました。それを尻目に見て、私は私で、エッサカホイサカやっています。

 それでも、じっと待っていたようでしたが、ついに、こりゃあ、今日は駄目だなと思ったのでしょう(あきらめも速いのです)、「先生、帰るね」と言って帰っていきました。

 自習室で勉強していた学生が帰るとき、(その中の「Dクラス」の学生に)大きな辞書を持って帰ってもらいました。彼らがいつも使っているのは、小さな携帯用の辞書です。あれでは「初級」の時はいいけれども、それ以上になったら役には立ちません。23日に持ってくるように言って、貸し出しです。多分、アルバイトでお金が貯まったら、先輩連のように、電子辞書でも買うのでしょう。夏休みを利用して、漢字問題集を勉強しておくように言っておきましたから、その意味調べに使ってもらえるはずです。

 もっとも、寮には先輩もいます。聞けば、教えてくれるでしょうし、電子辞書も貸してくれるかもしれません。とはいえ、「初級」の間は、やはり、辞書になれて置いた方がいいのです。大学に行けば、専門の様々な辞書に触れることになります。そのすべてが電子辞書で調べられるというわけではありませんから。

 さて、郵便物も出しましたし、今日から三日間は休みですから、だれも来ません。昨日も、もしやと思って(99%以上の確率で、忘れているだろうと思われる学生に)聞くと、「えっ。休みですか。どうしてですか」。それで、一人ひとりに言っておきました。ですから、だれも来ません。

 静かに仕事ができるはず…ですが、今日はしたくないのです。と言うわけで、今日は帰ります。

 休み中、だれも事故なんて起こしませんように。また事故なんかに遭いませんように。皆無事に明るい顔で、新学期を迎えることができますように。

 それでは、8月23日まで、ごきげんよろしゅう。

日々是好日
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「休み中の『宿題』」。

2010-08-12 10:43:12 | 日本語の授業
 さて、今日一人目の学生が来ました。昨日は第一陣が昼過ぎでしたから、出足は少し早目ですね。

 総じて、この学校の学生は、学校が嫌いではありません。もちろん、宿題があり、特にそれをやっていない時には、敷居が高いかもしれませんが。それでも、「先生、やっていませ~ん。明日ね」と、そう言ってやろうと待ち構えている輩もいるくらいなのですから。

 宿題というものは、やれるならやるに越したことはありません。やれば本人のためになると思って、宿題にしているのですから。ただ、「やれなかった、或いはやらなかったから、学校に行けない」というのは、願い下げです。(時間的にも)やるだけの余力があろう、しかも、勉強したばかりだからまだ覚えてもいよう、で、その上、一人でも出来るだろうから「宿題」なのであって、宿題が重荷になって学校に来られなくなるくらいなら、宿題なんぞ出さない方がいいのです。

 こういうことを、大きな声で言いますと、「そうか、わかったあ、じゃあ、や~らない」なんぞと言われてしまいそうなので、小声で言うのですが、宿題は宿題、あくまで添え物なのです。刺身のつまみたいなものなのです。一番大切なのは、毎日学校に来ることであって、学校に来て、先生や友達と一緒に勉強することなのです。

 宿題をしなかった時に、先生が叱るのは、「おはよう」とか、「元気?」とかいう、いわば、挨拶のようなもの。そう言われたからといって、仕事に行けないというものでもないでしょう。

 ただ、この夏休みの宿題は、少々多すぎたかもしれません。「Dクラス」には、たくさん出しました。休み明けに、それを見て苦労するのは、教師の方なのですから、宿題は少ない方がいいというのは、学生だけが思うというわけでもないのです。

 それにひきかえ、「Aクラス」の方の学生は、「ヒモが切れた奴凧」状態でしょうね。オープンキャンパスだけには行くように言い、彼らもその日をちゃんとメモし、友達と約束をしていましたから、大丈夫だとは思うのですが、どうも、彼らの(日本語の)レベルとは、かけ離れたところばかり選んで、予定に入れているようなのです。

 まあ、これも、「行けばわかる」式の、待ちの姿勢で行くしかないでしょう。それぞれの大学には、日本語能力試験で○○○点以上、留学生試験で☆☆☆点以上と、だいたいの目安は出してあります。「行ってみたかったから行った」くらいならいいのですが、「本気で行ってみた」というのなら、困りますね。何のためにだいたいの目安を出してやったのかわかりません。

ただ、良い大学では、本人の「やる気度」も見てくれますから、「運気」の善し悪しも関係しているのかもしれません。

日々是好日
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「これは何だったか…多分…あれでしょう。払います」「んんんん?」

2010-08-11 10:42:50 | 日本語の授業
 今日も暑い一日になりそうです。とはいえ、台風の影響でしょうか、空の低いところで黒雲が足早に流れています。その上の白雲やら空の青さが透けて見えるほどの薄さなのですが、黒雲は黒雲、もっとも、これでは、雨を降らせることはできないでしょうけれども。

 さて、一昨日、昨日と、学校は午後になると賑やかになっています。その中には、暇だからとか、相手がいなくて寂しいからだとか言う理由でやってくる者もいるようですが、それでも良いのです。外国人学生にとって、学校の存在とは、一つは学ぶべき所であり、もう一つは頼るべき所(休み中は、暇つぶしの場所と言った方がいいのかもしれません)なのですから。

 昨日、寮の電気代と水道代を持って来た学生が、ポツリと「先生、単語もわかりません。みんな忘れてしまいました」。それで、「アルバイトがない時には、学校に来て勉強したらいい。ここには辞書もあるし、調べられるでしょう」と言うと、「ああ、そうですね。明日来ます」と言って帰っていきました。多分、これも、ご「愛想」なのでしょうが

 だいたい、この学生は、「電気代」「水道代」と言いながら、いざ、私がメモしようとすると、「先生、多分…」なんぞと言うものですから、しこたま叱りつけてやりましたのに。やられても、それでも懲りないのです。金額もまた「多分」です。それで、係の先生が来週来るから、その時にもう一度確かめなさいと言って、彼が最初言っただけの金額はもらっておきました。

 休み中、何もすることがないという学生は要注意(変な人に引っかかってしまう可能性が高いのです)ですが、アルバイトや、何かしら、やるべきことがあるという学生は大丈夫なのです。忙しくて、変な人と付き合ったりする暇なんてないのですから。そんなことするくらいなら、家へ帰って寝てしまうでしょうし。

 彼も、アルバイトが忙しいと言っていました。とはいえ、忙しいと言っても、彼のような人の忙しさは、普通の日本人の感じる忙しさとは違います。「あれは忙しいんじゃない。悠々迫らずというところだな」としか見えなくとも、彼にとっては「忙しい」という言葉の範疇に入る「忙しさ」なのです。

 本当は眠くてたまらないはずなのに、少なからぬ無駄口を叩きながら、それから、靴とスリッパも履き間違えながら、帰っていきました。彼と同じ国から来た人は、この近辺にはたくさんいます。けれども、そういう人たちと付き合う気がないだけでも、彼はまじめなのだし、しっかりしていると思います。頑張り方は日本人とは違っていても、そういう常識は持っているのですから。

 一旦、国を離れてしまえば、異国の生活は、母国とは違うと言うことに気がつきます。年齢にもよるでしょうが、自由さに、最初は、夢中になるようです。呑み込まれてしまうのです。「何時に寝ようと自由。酒を飲もうと自由。遊ぼうと自由。四六時中監視している両親も、これはいい、あれは悪いと指示する宗教関係者もいない。何をすべきか、何をすべきではないのかを、決めるのは本人です。ただ、急にあなたが決めなさいと言われても、決められないから、自然、心地良い方に流れていく。一緒にそうしようよという仲間もいるし」となるのでしょう。この自由さを享受しているときには、その結果が見えませんから。

 最初は、「頑張って勉強するのだ。アルバイトもするのだ」と思っていても、母国では考えられなかったようなお金が、一ヶ月の給料で手に入るとなれば、その意気込みはドンドン薄れていきます。お金があるのだから、いくらでも使えると思い込んでしまうのです。これぽっちのお金はすぐになくなってしまうのだということがわからないのです。

 日本は彼らの国よりも、アルバイトでお金は入ります。けれども、それでも足りないくらい物価が高いのです。専門学校や大学へ行きたいとなれば、アルバイトだけでは足りません。ただ、母国での習慣上、それが計算できないという民族もいるのです。

 一ヶ月に10万円もの給料が手に入れば、もう天下を取ったような気分になります。一見無駄遣いとしか思えないようなことでもしてしまいます。母国の親や兄弟、友達にプレゼントを贈ります。10万円あれば、何でも出来るような気になってしまうのです。本当は、それで、寮費も光熱費も、電話代も払わねばなりません。半年後、一年後の学費のために月々貯めていかなければなりません。大学や専門学校を視野に入れているのなら、入学費や学費も考えていかなければなりません。

 日本は、先払いの国ではないのです。電話代も使っただけ、後で払います。それがどうしても理解できないので使ってしまい、払わなければならない時には、お金がなくなっているということになります。あのお金はどこへ行ったのと聞いても、「わかりません」。

 こういう民族には、代わりに、銀行で、毎月先に取っておくようにしてもらった方がいいのじゃないかと思うくらいです。もちろん、自分がその気にならない限り、お金を貯めることはできないのですが。10万円の給料しかない時に、電話代を二万も三万も使ってどうする。日本人ならこう思うでしょうが、10万円というお金の後ろに限界が見えなければ、たくさんだから、いくら使ってもいいということになってしまいます。

 今年、短大に入った学生は、彼と同じ国でしたが、最初に、「アルバイト代は月にいくら」「それから、毎月、いくら貯金できる」をやりました。「来日後、寮費にいくらかかるか、学費にいくらかかるか、大学へ行きたかったら、いくら準備しておかねばならないか」を図に書いて、それから、お金の収支を計算させたのです。

 彼女はとても素直でしたから、言われたとおりにお金を貯め、ほとんど問題なく(お金の問題は)やっていくことができました。けれども、これも、女性だったからでしょう。

留学生にとって、お金の問題は本当に大きいのです。ただ、一生懸命アルバイトしてお金を儲けても、勉強を十分にしていなければ、それも空しいと言うことになります。一生懸命に勉強した。だから、良い大学に入れた。だから、奨学金をもらえた。アルバイトは少ない時間すればよくなった。これが順当なのではないでしょうか。

日々是好日

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「カードを落としても…大丈夫?」「オープンキャンパス、『研究ツアー』で感激」。

2010-08-10 10:58:37 | 日本語の授業
 今朝は晴れています。晴れているといっても、天心の部分だけ。台風の影響でしょうか、不気味な黒雲がお屋根の下から、ムクムク、ムクムクと少しずつ背伸びを始めました。予報通りに、また雨が降り始めるのでしょうか。昨日も帰りはびしょ濡れになりましたし。嫌な予感がします…。

 昨日は、昼少し前から、大忙しになりました。「Dクラス」と「Eクラス」の女子学生が一人ずつ前後してやって来たのは、まあ、いいとして、あろうことか、その後に、休み中はおよそ見ることはあるまいと思っていた学生一人を含む、二人がやって来たのです。そして、一人が「先生、これは、何ですか」と、警察からキャッシュカードが見つかったという通知書を見せたのです。しかも、宛先は二人ではありません。

 もう一人の同室者が、キャッシュカードを落としていたのです。そんな話は聞いていない。いったいどういうことだと言っても、二人とも「わかりません」と首を振るばかり。埒があかないので、当事者を呼ぶように言ったのですが、「いない」とか「いる」とか、遊んでもらっているつもりでふざけます。「とにかく、呼べ」と鬼のような顔で言いますと、あわてて電話をします(彼らの寮は学校のすぐ裏なのです。直線距離なら5㍍はないでしょう)。

 「先生、来ないって言っている」。「来ないなんてことがあるか、すぐ来い」と、今度は閻魔様に化けてやります。びっくりして、慌てふためいて電話します。来るように説得しているのが、よくわかります。ベトナム語もわかるんだ…と変な感慨に耽ったりしたのですが、しばらく経ってから、ゆるゆるとやって来ました。

 来るなり、「先生、わかりません。でも、大丈夫。新しいのを作ります。カードがなくても、通帳があります」で、知らん顔。いつなくしたのかと聞いても、「わからない。でも、土曜日だった。先月かな」埒があきません。

 そこで、通知書に書かれているとおりに、銀行の方に連絡し、紛失手続きをします。それから、学生に、必要なものを持って警察署へ行くように言います。そこでも、「駅の交番?」「交番じゃありません」「じゃ、遠いから行きたくない」

 警察署でカードを受け取ったら、また最寄りの銀行へ行き、新たな手続きを取らねばならないと言います。その時に必要なものはこれこれと、これもまた、ひらがなで書いて渡します。

 「先生、今日はもう遅いから、明日行きたい」「警察署だけでも、今日行きなさい」最初にいた二人のうち、一人はあまりのことにあきれて、トンズラしてしまいました。もう一人が、我慢強く待っています。「すぐに行きなさい」と、追いだして、五分も経たないうちに、電話です。「先生、明日行きます。いい。」

 いいも悪いも、本人の問題です。一応カードは切らなくとも、警察署にあるので、安全ですし。もう、こちらも根負けして、「わかった。じゃあ、明日行きなさい」

 これは、民族の問題でも、何でもなく、性格の問題なのです。母国ではお金に不自由した経験を持っていない学生達は、カードをなくすことが大変なことなのだと、いくら言っても、ピンと来ないのです。まして、今回は警察署からの「見つかった」という知らせですもの。警察の人や届けてくれた人の厚意に感謝するためにも、すぐに行かねばならないと思うのですが、大丈夫また作ればいい。」で、終わりなのです。

 日本語を、ある程度、一生懸命に勉強してくれれば、そして、アルバイトにも励んでくれれば、彼らの国と日本とでは「違う」ということがだんだんにわかってくるので、それほど心配はしていないのですが、それらがなかった場合、意思の疎通というのが、なかなかうまくいかないのです。

 こういう人は、本人が高を括って、知らん顔をしていますから、そうじゃないと言っている方はかなりくたびれてしまいます。この時もそうで、疲れました。「ああいう相手だから、リキを入れなくてもいいよ。入れてもしょうがないじゃない、本人が何とも思っていないんだから」と言われれば、全くその通りなのですが、そうは行かないのです。それで空回りしてしまい、疲れてしまうのです。日本人は、慣れていないのです。こういう手合いには。

 彼らを帰して、上の階の自習室を覗きます。大人しく二人は勉強していました。そのうちに、「Aクラス」の二人が、オープンキャンパスの報告にやって来ました。大学のオープンキャンパスとはいえ、大学院を目指す人にも、それなりの対応をしてくれたようで、二人とも大満足の様子でした。

 一人が、もらった手提げから、教授にいただいた本を出して、見せてくれました。「先生(教授)は、今、どこにいるのかと聞きました。それで、水野外語学院で日本語を勉強していますと言いました。先生(教授)は、よかった。今は日本語の勉強を一生懸命しなさいと言いました」

 何でも、その研究室に中国から直に入った研究生がいたようで、論文書きやレジメなどに四苦八苦していたそうなのです(日本語が出来ませんから、当然です)。「日本語学校で日本語を勉強しているのか。それなら、少しは(私が)楽だ」くらいは思ってくださったのでしょうか。

 「先生、今日もさっき電話をもらいました。その研究室の先輩から。中国人です。暇だったら、いつでも良いから、研究室に遊びにおいでと言ってくれました。そして先生(教授)はとてもやさしいよと大きな声で言いました。でもね、先生。先生(教授)はそばにいたみたい。笑い声が聞こえたもの」

 彼女はすっかり満足して、ニコニコしています。先生(教授)はやさしくて親切だったし、研究室のみんなは明るくて元気で、やさしそうだった。ただ、先生(教授)にいただいた本が、彼女の今の日本語のレベルではまだ読めない…のです。けれども、これも、少しずつですね。本人は頑張る気でいっぱいです。早速ノートを作って、判らない言葉を書き写しながら勉強していくと言っていましたから。

 もう一人の男子学生は、目指す教授のもとに連れて行かれて、緊張しまくりだったようです。「びっくりしましたよ、先生。あの先生(教授)の所へ連れて行かれたの。学生に(教授の)名前を言ったら、ああ、今、いるからって言われて」。「いろいろ聞かれました。大学の専攻とか、日本語の勉強のこととか」「研究ツアーでそれぞれの研究室を見ました。あの先生(教授)の研究室はすごかったです。何でも必要なものがそばにありました」

 彼が一番感動したのは、あの先生の研究室だったようです。研究室みたいでした(研究室なんだけれど)と言っていましたから。

 彼は、研究者の研究室というものを初めて見たのでしょう。研究室を見れば、その部屋の研究者が何を研究しているか、何に関心を持っているかがはっきりわかるという類の研究室だったようで、「先生、あんな所で研究したい」と、何度も繰り返していました。

 すぐに礼状を書いたかと聞くと、まだと言う。それで、一時間と時間を切って、礼状書きです。二人は、初級の二人が勉強している部屋を避けて隣の部屋で書いていました。実はそこが一番暑い部屋なのですけど。冷房はいらないと言って…モンゴルの人は、暑さには強いのかな。

 「(教授が)怖かったらどうしよう(行った女子学生)」が、杞憂でよかった。「(目指す教授とは)会えっこない」と思っていたのに、会えてよかった。二人にとっては、すばらしいオープンキャンパスでした。

 とはいえ、この二人は、ここ半年ほど、専門を絞るために、自分の(専門に対する)思いを書いたり、内モンゴルでの経験を書いたりしてきていたのです。そして、ある程度絞れてからオープンキャンパスに行ったからこそ、目指す先生と会えた時に、それなりのことを話すことが出来たのです。そうでなかったら、行っても何ほどのことも見いだせなかったでしょう。反対に嫌がられたかもしれません。少なくとも、大学四年間をその専門に費やし、しかる後に更に研究を深めたいと来ているはずなのですから。

日々是好日
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「久しぶりの雨」。「『上級』後」。

2010-08-09 11:20:27 | 日本語の授業
 夏休みが始まって、六日目です。昨日の夜から降り続いた雨も止んで、少し陽も差してきたようです。

 さて、学校です。
 さすがに、疲れたのか、今日はまだだれも来ていません。聞こえてくるのは、蝉の声と、工事の音だけです。

 一人でいると、いろいろな事を考えてしまいます。本当は、新学期が始まってからの準備をした方がいいに決まっているのに。

 「上級」が終わったクラスは、「高校の現代社会」を使い始めてすぐに夏休みになってしまいましたから、新学期はちょっと大変でしょう。

 「四月生」の「初級クラス」は、「40課」まで行きたかったのですが、「富士山旅行」のための「事前授業」や、その一環としての「DVD」などを見せているうちに、あっという間に終わってしまい、(残念ながら)後1課という所で夏休みになってしまいました。

 「初級」「中級」「上級」までは、一応のレールがあるので、後は学生の資質やクラスのカラーなどで、多少手を入れるくらいでなんとかなりますが、「上級」を一応終えてしまってからが、少々面倒なのです。始めの頃は、なかなかできませんでしたし。まず、それほど資質のある学生が集まらなかったということもあります。それどころか、反対に、何度「初級」を教えても、どうにもこうにもならないという学生が集まったということもありました。

私たちは、教員上がりですので、「空論」は駄目なのです。手探りでも、学生達を見ながら、彼らにあったものを考えていくしかないのです。「誰にでも合う」というのは、「誰にも合わない」ことなのです。「経験論」を信奉しているわけではないのですが、「理論家」崩れだけは、いやですね。「論」を振り回すだけで、「現状」を見ようとしないような輩にだけはなりたくないものです。

「『上級』を終えて、少し時間がある」というレベルの学生達が、一定の人数、集まるようになってから、少しずつ、引き出しの中が増えてきました。「ああしよう、いや、こうした方がいい」など、学生達が母国で学んできた知識の量の多寡や幅、そして学生達の資質などを加味しながら、いろいろ考えていきます。

 本当に「(日本の)高校」までの内容を、彼らの母国で十分に習得できている人は、殆どいないと見てもいいくらいなのです。先進国から来ている学生はそれほど考えなくてもいいのですが(彼らは日本語だけを学ぶためにこの学校に通います。日本で大学や大学院に進学するために日本語学校に入るという手段は取りません)。

それで、一般的な知識を入れるための授業もしていかなければならないのです。が、今回は、それでも、直で「世界史」には入れませんでした。

 まあ、それもしょうがないことです。彼らが大学や大学院へ進んだ時に、少しでも一般常識的な知識が足らぬが故のハンディキャップを背負わずに済むように、考えてやるしかありません。

 これも、「留学生試験(総合問題)」の受験対策と言えば、そうも言えるでしょう。とはいえ、去年、理系に進む学生に、「『総合問題』は受けないから、その時間『物理』や『科学』、『数学』をやりなさい」と言って失敗しました。(「留学生試験」を)受ける受けないに拘わらず、知識を獲得するためには、授業には参加させておかなければなりません。そうでなければ、「留学生試験」が11月に終わった後、いよいよ(各大学独自の)入学試験準備が始まるという時に、それができないのです。何も知らないのですから(理系といっても、話に世界史的な内容も、経営や哲学も入ってきます)。

 先週の金曜日。読解力が少々劣っている学生が、「世界遺産」のDVDを貸してくれとやって来ました。大学は「会計」を専攻するつもりです。知識に「幅」をもたせる上でも、中国人や途上国から来た学生達には、総合大学へ入ってもらいたいですね。一年や二年の時に、専攻と違う科目をドンドン受講して、視野を広げてもらいたいのです。

 この学校にいる時も、夏休みなどの長期休暇なら、(「二級」か「一級」レベルに達している場合だけですが)「あれが見たい、これが見たい」と言っても、怒りません。それどころか、注意事項を与えて、授業に関するもの以外は見せてやります。

 彼らの専攻に関するものでも同じです。日本では、誰でも、簡単に他の国へ行くことができます。大学生でも、アルバイトをして、海外旅行へ行きます。長期滞在は無理でも、一二週間の旅行なら、一ヶ月か二ヶ月、集中してアルバイトすれば、行くだけのお金は貯まります。見聞を広めると言う意味からも、これは得ですね。

 日本では、お金持ちだから、海外旅行ができるというわけではないのです。それに、テレビでも、様々なテーマの下に、世界各国に関する映像が流れていますから、それを見て、その国に行きたくなる人も出るでしょうし。卵が先か鶏が先かみたいな具合ですが、どちらでも良いのです。

 外国というのが、「遠い存在」である学生達を見て、彼らと日本の若い人たちの違いを感じています。グローバル化に両手を挙げて賛成というわけではないのですが、世界には様々な人がいる。様々な習慣がある。考え方もそれに応じて変わっているということを知るのは、とても大切なことです。天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)なんてのは、お釈迦様だけの話なのですから。

日々是好日
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「進学するための、『基礎的な知識』の必要性」。

2010-08-06 11:44:12 | 日本語の授業
 今日も猛暑です。隣の工事現場には、「ハウルの動く家」に出てきそうな大型の機械がデンと鎮座ましまし、司令塔宜しく体を回転させながら、鉄の杭を持ち上げたり、引き下ろしたりしています。

 最近、(これほどエアコンが普及しているというのに、数年前のパリのように)連日のように、熱中症で死亡したらしいという記事が報道されています。私たちの世代は、エアコンは身体に悪いとか、夜寝る時には扇風機であろうと、遠くに置き、しかも「お休みタイマー」を(長くとも)一時間後くらいにかけておかなければならないとかいうことを、耳タコのように聞いてきました。

 しかしながら、ここ数年の暑さは、想像を超えたものです。猛々しいとしか言いようがないほどなのです。家に帰れば、エアコンは付けっぱなし、温度設定は少々高めであろうとも、朝、起きるまでフル回転。また、そうでなければ、夜眠れないのです。

 数年前ですが、今の東京の気温は、「明治維新」の頃の、鹿児島の気温だというのを聞いたことがあります。若い頃、鹿児島に行き、あまりの暑さ、太陽ギラギラに、音を上げたことがあります。、今、東京に住んでいる人は、百数十年前の薩摩人になっているわけです。この暑さに、耐えきれないと感じるのも…宜なるかな。

 さて、学校です。昨日は、午前中に二人、午後に「初級クラス」の学生が、補講に参加するために二人。大学院についての相談に二人。それから、卒業生が一人、DVDで世界遺産を見るためにやって来ました。

 (日本の)いい大学を目指したり、専門で大学院まで行こうと思っている人は、(日本に来てから、)母国で基礎的な知識を如何に教えられていなかったかに、気づくようです。

 「四月生」であれば、(一応普通の能力の学生であれば)二年目の六月に、外国人向けの「上級」が終わりますから、それからわずかなりとも、「基礎知識」を入れていく時間はとれます。ところが、「10月生」で、しかも、それ(10月)から「日本語を始める」というのであったりすると、「日本語」だけで終わってしまうと、いうことになりがちなのです。ちになるのです。

 先進国であれば、日本と同じように、そういう知識は学校教育の段階で入っていることでしょう。もちろん、学校の勉強が嫌いであったり、本を読むのが苦手であったりすれば、話はまた別でしょうが、普通に勉強をしてきた人であれば、一応の知識は義務教育の段階で獲得しているはずです。それから、高校、大学と進んでいけば、その過程においても、まずこういう知識の欠如云々で困るということはないのです。

 が、中国は大きいのでしょう。地方であっても、その地方で一番といわれる大学を卒業していても、日本に来たら、まず白地図を埋めていく作業から始めて行かなければなりません。そうでなければ、世界の「環境問題」や「南南問題」、世界の「紛争情況」や、またその拠って来るべき世界史の授業が進めていけないのです。

 さあ、「日本語能力試験」の「N1」に合格できた。次はそれを生かした授業をするぞと思い、そのための準備をしていても、(相手が)なにがなんだかわからないでは、進めて行きようがないではありませんか。

 それで、「白地図」であり、「色塗り」なのです。そして、彼らが手を動かしている間の「(私の)物語」なのです。

 昨日来た、大卒者と卒業生、三人とも、中国人です。彼らには、少なくとも、自分達には基礎的な知識が欠けているということを認めるだけの「肚と力」がありました。しかも、卒業生の彼女の方は、知識や技術に尊卑の別はないということに、気づくのに半年もかからなかったでしょう。それに反し、大卒者の方は、それを認めることができるのに、一年かかりましたが。

 中国人の学生は、母国でアルバイトの経験がないからか、あるいは、考え方に封建的な色彩が濃いためか、「わたしは○○である。私ほどのものがそんなことが出来るか」という意識が強いのです。

 職業に貴賎はない。好き嫌いとか、上手下手はあるにしても。それゆえに、日本のように「職人さん」と、一芸に秀でた人を尊ぶことも、学者やエンジニアを職人肌ということもないのでしょう。

 日本はやはり、「職人の国」なのです。職人さんを尊び、その技を生かせるだけの力をもった経営者が出現した時に、初めて、世界的な企業になれるのでしょう。技術があるから、会社がある。経営者がそのことを忘れ、増上漫になった時に、会社は滅ぶということを、忘れなければ、多分、日本は不況が続こうとも、「輝き」は失われることはないでしょう。

 腕に技術を持っている人は、どこででも生きていけます。これは、私たちの年代だけのことではありません。

 ある知り合いの息子さんが、数年前に医学部に入りました。かれは超有名大学に合格していたのですが、そこを蹴っての選択です。その時の言葉が振るっていました。「これからの世の中、手に職をつけておかねば、生きていけない」。彼の言うところの「職」は、職人さんの職であり、技術ということなのです。抽象的な知識をさすのではなく、「出来ること」、しかも、すべての人が一目置かざるを得ないという「技術力」なのです。それが職人さんの強みであり、すばらしさなのです。彼らの世界では「知っている」だけでは駄目なのです。口先だけのやつと見なされてしまうます。一言「やってみろ」で、カタがつく世界、「できる」でなければ駄目なのです。

ただし、これは日本人のこと。日本語がまだ十分ではない彼らは、知識の獲得に汗を流してもらわなければなりません。

日々是好日
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「先生!この大きな虫は何ですか」。

2010-08-05 10:08:44 | 日本語の授業
 今日も猛暑。もう、こうなっては酷暑です。暑い。暑い。暑い。「暑いと言えばますます暑くなるから言うな」と、皆に言っている人間が、こんなことを言うのも何ですが、暑い、暑い、暑いのです。

 昨日は、いい子の学生達もお休みでした。向かいの工事も、一日中お休みで、非常に静かな一日でした。

 で、昨日、出勤した教員達で、「富士山一日旅行」の反省会をしました。いろいろ出てきます。お菓子やジュースを配る時間やそのやり方。教員たちの座席をどうするか、カラオケなどの司会や担当、その方法など。これらは皆、次回の参考にいたします。

 そう言えば、あの日、内モンゴルの西部地方から来たモンゴル族の学生が、「セミ(蝉)」を知らなかったのに、みんなはびっくりしましたっけ。

 その男子学生は、「蝉」を見て、叫び声を上げたのです。「先生!大きな虫がいます」。中国人は蝉の幼虫さえ食べます。そうか、モンゴル族は蝉を知らないのかと、私たちは、なぜか感動してしまったのですが、東部地方から来た同じモンゴル族の女子学生が、「先生、私は知っています。」と冷たい目。彼はどぎまぎしてうろたえていましたけれど。
 
 確かに、荒れ地には蝉はいないでしょう。木や適度に湿気のある土がなければ、幼虫にもなれないでしょう。彼が知らないというのもわかります。

 さて、もう10時です。9時半頃に学生が一人来ました。富士山の「白糸の滝」で撮った集合写真を見せてやろうと、彼を呼びますと、「先生、私はいません」。呼んでやった教師は、がっくりしていました。「運の悪い人…」

 この写真は、写真に凝りまくりのフィリピンの女子学生が写したものです。彼女は三脚まで持って来ていたので、私たちも驚いたのですが。

 学生達よ、おいで。おいで。学生が来なければ、学校にはなりません。学生と彼らを教える教員がいて、初めて学校なのです。極端な話、他のものは要らないのです。

日々是好日
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「昨日の『富士山旅行』」。「富士山の中で、『富士山はどこ』」。

2010-08-04 16:43:33 | 日本語の授業
 今朝も晴れ。猛暑は、しばらく続きそうです。

 さて、昨日は「富士山一日旅行」でした。
 朝6時45分出発、「行徳」に戻ってきたのは、もう暗くなってから、夕方の7時50分でした。途中、それほど渋滞に悩まされることも、学生達を捜しに走り回ることもなく、至極真っ当に進み、「(富士山の)五合目」「河口湖」「氷穴」「白糸の滝」では、予定よりも多めの時間をとることが出来ました。

 その上、ガイドさんと運転手さんが、去年(日光一日旅行)と同じペアで、(学生達が)外国人だからという気遣いもせずにすみました。だいたい、初めてのガイドさんは「これはわかりますか」と、簡単なことを聞くのです。また、その反対に、彼らにとっては非常に難しいことを、(日本人なら子供でもわかるから、簡単だと思い)口にしたりもするのです。日本語を学んでいる外国人が何をわかり、何をわからないかという勘がついていないのが普通なので、こちらも気を遣うのです。

 とはいえ、今回、「富士山」では、雨に泣かされました。
 「東京」は上天気だったのに、「富士山」の山懐に入ると、お天気は一転して、ポツリポツリと雨が窓ガラスに付くようになりました。それがいつの間にか、線に、そして、それが、流れにと変わっていきます。そうなりますと、皆はもう気が気ではありません。雨雲が切れた時に、バスの中から雲海を見て、幻想的な気分になれても、心はすぐに「五合目はどうだろう」になってしまいます。

 そうして着いた五合目は…、雨でした。しかも、あいにくなことに本降りになっていました。というわけで、集合写真を撮ることも出来ず、お参りを済ませた後は、店に入ってお土産を買うか、郵便局から富士山スタンプのある葉書を送るかするしかありません。皆はせっせと三四軒あるお土産屋さん巡りをしています。私も皆と一緒に回っていましたが、そこここで中国語が聞こえてくるのに驚かされました。みんな、中国にいる時と同じよううに、大声で話しますから、実際の人数よりも多く感じられます。中国人留学生までが、「中国人、うるさい」と言っていましたから、本当にそうなのでしょう。(かれらの)ガイドさんまで中国人のようでしたから、日本の習慣とか注意事項とかをどこまで伝えられているかよくわかりませんし。

 まあ、今は、日本も不況ということで観光業界は中国人観光客が落とすお金を頼みにしているようですが、(こういう節度のない観光をさせていますと)、この(不況)時期が終わってから、後遺症が出てくるかもしれません。観光というものはお互いに相手の文化や習慣を重んじながら行うべきもの。それをお互いにわかっていなければ、中国人観光客がお金を落とさなくなった時に摩擦が生じるかもしれません。
 まあ、日本も昔は、ヨーロッパへ買い物に走っていましたから、あまり偉そうに言えませんけれども。

 ところで、「富士山」から「河口湖」へと向かっている時のことです。バスの中で、7月に開講したばかりの「Eクラス」の学生や4月に来た「Dクラス」の学生が、「先生、『富士山』に行きますか」と、(本人にとっては真剣な)問いかけてきました。「今、ここが『富士山』です。みんなは『富士山』の中にいるのです」。…キョトン(「どういうこと?『富士山』を見ていないのに…)。

 それから、『河口湖』で昼食です。『富士山』は、(ここからでも)黒い雲に覆われ、姿を見せてくれませんでしたが、雨は降っておらず、お日様の下で食事ができました。

 昼食を摂ってからは、これも定刻より少し早く出発して、「氷穴」に向かいます。一時ひんやりとした空気を楽しみ、それからまた地上に出てきます。それでも「富士山」の写真が撮れなかったので、このまま帰るのは心残りなのでしょう。学生達は何度も「残念です。『富士山』が見られませんでした」と言っていました。

 「『富士山』に行った」では駄目なのです。「『富士山』を見た」でなくてはならず、当然「『富士山』の(あのなだらかな三角形の)姿を写真に撮った」でなくてはだめなのです。

 ところが、「朝霧高原」を走っている時のことです。誰かが「見えた!『富士山』だ!」。その叫びを聞き、「まさか」と思いながらも、学生達が指さす方を見てみますと、「富士山」の頂上が雲の上から小さく覗いているではありませんか。学生達はこれ(小さな小さな三角形)でも大満足なのです。「『富士山』だ」という一声で、車内は興奮の坩堝と化してしまいました。

 もう、本当に大騒ぎなのです。写真に留めようにも、バスは走っています。人家が邪魔になります。樹々も迷惑です(撮せない)。人家や樹々が途切れたと思っても、次に(富士山が)現れた時には、また雲の中です。その度にため息が漏れてきます。もちろん、「写した」という喜びの声も混じってはいましたが(それでも、より美しく、より大きく、撮りたいと、皆、躍起になっているのです)。

 その、みんなの興奮の様子を見て、同情してくれたのでしょう、運転手さんがどこか良さそうな所に一時停車してくれることになりました。みんなは、またまた大騒ぎです。「道の駅」に停めてもらい、「展望台」へ飛んでいきます。すると、雲の衣をまとった富士山がわずかに頂きを見せて現れているではありませんか。バスの中では見えなかった裾野を長く引きずって。皆は、ここからがいい、いや、向こうの方がいいと場所を決めるのに必死です。とはいえ、瞬く間に、姿が雲間に消えていきます。…しまった。さっき撮るんだった…。で、またため息です。

 私は、少々飽きて、遠くから聞こえてくるウグイスの声に耳を傾けていたりしたのですが、学生達はそうはいきません。百点満点とまでは行かなかったようですが、それでも、富士山の頂上を見たということで、かなり満足はできたようです。運転手さんとガイドさんに感謝です。

 それからは、心満ちた様子で、「音止滝」と「白糸の滝」を見に行きます。バスから降りて少し歩いていると、左手から、ゴウッという滝の音が聞こえてきました。学生達は、バラバラと駆け寄ります。かなりの落差で水が迸るように落ちています。「音止の滝」です。見ると、そこにきれいな七色の虹が架かっていました。

 皆は「きれい」「すごい」の連発です。そして、お互いに撮ったばかりの写真を見せあっています。他の人の見事な写真を見ると、「私だって」と対抗意識が掻き立てられてしまうようで、「次へ行こうよ」と声をかけても、なかなか(「白糸の滝」の方へ)向かおうとはしません。中には、これが「白糸の滝」だと勘違いしていた学生もいたようで、「白糸の滝」はこれじゃないと言うと、「へ?」という顔をしていました。

 それでも、何人かを誘って、「白糸の滝」の方へ向かいます。階段を下りてすぐ、遠く白糸の滝が見えたところで、「おおっ」。小さな橋の上から、金色のニジマスを見つけて「おおっ」。中国人学生は、すぐに「食べても良いですか」とか「おいしいです」とか言うのですが、皆、清流と瀑布の音に感動したようで、いつもに比べて、そんな冗談を言う人は少なかったようです。



 内モンゴルから来た学生達は、一般的に漢族の学生達よりも環境意識が高く、樹や花などに対する感受性も鋭いような気がします。「白糸の滝」でも、滝ではなく水をじっと見つめていたり、「氷穴」においても、途中の「青木ヶ原」の「樹海」の樹々に感動していたりと、彼らが受け止めている「日本の美」というのは、もしかしたら「日本の自然の美」に他ならないものなのかもしれません。

 特に「富士山」は水の美しいことで有名ですし、「樹海」の樹々の、溶岩の上、土のないところにおける、苔に覆われた剥き出しの根の驚くべき力強さなど、これほど「生命」を強く感じさせるものはないでしょう。

 まあ、ともかく、事故がなくてよかった。みんなが楽しかったと言ってくれてよかった。車内のカラオケなどでも一人が独占することなく、多くの学生が歌い、しかも日本語の歌が多くてよかった。
 私たちも、くたびれましたけれども、学生達の嬉しそうな明るい顔を目にすれば、また次回も頑張ろうという気にもなってくるのです。

 きっと、昨日はみんな、ぐっすりと眠れたことでしょう。そして、明日からの活力を蓄えておいてください。明日からは、また勉強に、アルバイトにと頑張らなければなりませんから。

日々是好日
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「夏。山の天気は、『人心』、『花心』」。

2010-08-02 07:47:41 | 日本語の授業
 8月に入りました。名実共に、「夏」です。梅雨明けのあの「暑さ」が異常であって、「八月」に入ってからなら、(暑さを)我慢できるというのもおかしな話ですが、気持ちの上では、これ、本当です。

 外から「ミーン、ミーン」という鳴き声が聞こえてみます。「蛙の声が、聞こえてくるよ、ゲロゲロゲロ…」ならぬ、「セ~ミの声が、聞こえてくるよ、ミーンミーンミンミン…」とでもいうところでしょうか、。

 そういえば、学校の外階段にも、一匹、ひっくり返っていました。私の足音で、急に正気にかえったのでしょうか、びっくりしたように飛んでいきましたけれども。

 さて、夏です。夏、夏、夏の夏です。しかしながら、言えばいうほど暑苦しくなるのはどうしてでしょうね。今、キョウチクトウ(夾竹桃)」や「ヒマワリ(向日葵)」、そして「アサガオ(朝顔)が、夏の日差しの中で、わが世の春を謳歌しています。最近は植木でも、庭木でも、「洋物の花」や、「南国の花」が増えました(学校の中も同じです。カタカナ名の花が所狭しと飾られています)。私などから見ると、これは少々辛い。(見ても)確かに、きれいだとは思うけれども、それに纏わる思い入れがないのです。そういう中で、昔懐かしい、和名を持つ花などを見かけると、途端に旧友にでも会ったような、ホッとした気分になってしまいます。

 ところが、野山は違います。手入れをせずとも、雄々しく生え広がるような手合いばかり。日本の風土に合った輩が、しのぎを削って伸び太ろうと待ち構えていますから、洋物で成功したものは確かに少ない。成功すれば、それは外来植物として新聞に載ってしまいます。もし、蛇を怖じぬ人であれば、野山へと出かけもするのでしょうが、この時期、一人で日本の野山へ出向こうとするのは、蛇嫌いからすれば、自殺行為。そこここで蠢いています。

 ただ、野山に行けば、その山の高度、陽の入り込み具合(日向か日陰か)などによって、可愛らしくも色とりどりの、様々な山野草と出会うことが出来ますから、それはそれで、お勧めです。もっとも、都心でも、野趣に溢れた公園を選んで参りますと、これもまた、懐かしい花々と出会うことができます。中には野良猫の巣窟とかしているような公園もありますから、彼らを一日中見つめていても、また面白いのです。

 ところで、隣の工事現場では、土日を挟んで、少し様相が変わったようです。見慣れない機械がデンと据えられていますし、金曜日にはなかったおかしな恰好をした機器が転がっていたりしています。これからの一ヶ月は、一番暑い時期で、工事関係者の方にはお気の毒ながら、夏休みの4日から21日までの間に、出来るだけ工事が進んでいると良いですね。

 ただ、更地にする時には、地震のような音や響き、また大揺れが耐えられないほど続きましたのに、建てる段になりますと、これがなかなかしおらしい(音にしても、揺れにしても)。それでも、杭を40㍍でしたか、何本も新たに打ち込むという話でしたから、また学生が「先生、地震です」と叫ぶかもしれません。

 さて、明日は「富士山」へ行ってきます。お天気が気になるところですが、なぜかあの日だけ、東京は曇り…。で、富士山は雨…。

 山の天気は変わりやすく、以前にも、晴れていたかと思うと、急に土砂降りの大雨に見舞われたりしたことがありますので、それほど(公式予報を)信じているわけではないのですが。何と言っても、予報は予報。しかも、富士山は雲の山です。何が起こるかわからない。雲は風によって生じ、また雨も呼ぶものと相場は決まっていますから。とはいえ、バスの予約も終わっています。ルビコン川を渡るしかありません。ええい、一か八かだ。出たとこ勝負だ。しかしながら、心の中では、晴れ女、晴れ男はどこだと、眼をきょろきょろさせるという、「無駄な努力」をしています。

 ところで、先週の金曜日に最後の事前指導ということで、持ち物やら、服やらの注意をしました。まず、運動靴です。決して、決して、「お祭りだ。さあ、晴れ着を着よう」とばかりに、高いヒールの靴を履いて来ないように。転んでけがをするのは自分でしょうが、周りの人間はそのためにオタオタと走りまわらねばならぬということで、かなり迷惑です。だいたい、普通の恰好をしていても、(景色に)見とれていたり、氷穴の中を中腰で歩いたりすれば、滑ったり転んだりすることもあるのです。我から進んで、おかしな恰好をする必要などないことです。

 それから、歌の練習はかなり進んでいるようでした。何人か、口を開こうともしない学生もいるのですが、歌が苦手という人も(私も含めて)いるのは当然で、言語を学ぶ上ではかなり不利ではあるものの、生まれつきはしようがないのです。みんなの歌声を聞いて、楽しめばいいのですから、無理強いはせずともそのままにしておけばいいのです。だいたい、「フンフンフン」と唸っていれば、参加したことになるのですから。

 後は、当日の「席取り」です。これは早い者勝ちです。ただ、六時半出発で、私は六時にバスが到着するはずのところで待っていることになっていますから、それより早く来ないようにと念押しをしておきます。

 去年でしたか、私が自転車をとめに学校へ向かう時に、そこを通りかかると、すでに二三人の学生が来ていました。全く、落ち着いて自転車も置きに行けないじゃありませんか。はやる心はわかるのですが、(来るのは)何時から何時までの、「何時から」の方を強調しておかねばならぬ人には、それを二重三重にも強調しておきます。とはいえ、5分か10分の差で、富士山へ至までの快適度が決まるわけですから、普段は頑張れない人も頑張るでしょうし、普段は遅刻の常習犯の人も、今日だけはとばかりに、頑張って起きようとするのでしょうね。

日々是好日
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