晴れ。
今朝も青空。このままずっと、毎日、青空の日が続いていくような感じです。水源はどうなっているのでしょうか。山間部では、梅雨の時期、時々、雨は降っていたようですが、それでも、こうも晴れが続くと…心配になってきます。なにせ、空気と同じくらい大切な「水」ですから。
「『水源地』を外国資本に取られたらどうする?昔は村の共有地だったのに」とか、いろいろ言われていましたね。「水」が、心配になると、また当然のようにその話題が出てきます。「水源地」だけは「貸す」はいいけれども、「売る」はどうもね。だいたい土地を売らない国だってあるのですから(期限付きで「貸す」だけで)。「水源地」を国民の共有財産にしても、バチは当たらないと思うのですが。
「水」と言えば、道ばたの草、いわゆる「野草」は元気ですね…でも、黄色っぽくなっているのも、ちらほら…かな。先日、「ミンミンゼミ」じゃない「セミ」の声が公園の木の上から落ちてきた…と思っていたら、今日は「ミンミンゼミ」が復活していました。その中に「ジー、ジー、ジー」と言う声も混じっていました。暑さが進むと、「セミ」たちもゆっくりと選手交代をしていくのでしょうか。地面の上に「セミ」の体が、落ちているのを見かけるようになりましたし。
さて。学校です。
先週の金曜日は、「入学式」でした。新入生の自己紹介は無事に済み、写真撮影の後、簡単な「茶話会」を、言語別に行いました。多分、こちらの方が大切。
皆にする「入学に当たって」というのも、例年というか「入学式」の都度してはいるのですが、感覚として、あまり役に立っていない。なにせ、彼らに、日本で暮らす上でのイメージがないから。それよりも、個別にする「説明」の方がずっと役に立つ。ということで、「入学に当たって」というのは、だんだんおざなりになっていきます…相手に合わせるというか、金太郎飴でやることではありませんから。
年中行事の説明と同じです。「『みんなの日本語』クラス」と「『N2相当』クラス」を一緒にして、日本語で説明するなんて、どだい無理な話。結局はどっちつかずで何にもなっていない…というのは、「非漢字圏」の学生が増え始めた頃から、わかってはいましたが、クラス毎にするにしても、時間がとれない…ということで、上のクラスだけは私の時間に別にしていました。いつ頃からでしたろう。できるだけ(皆でやるものと)重ならないようにしてですけれども。それでも、限界がありましたね。今は、全く別にしています、説明は。
「こういうものだ」くらいが判っていればいいのです、「初級」は。だいたい。ある程度理解したいと思っている人は、それなりに聞いてくれるのですが、大半はそうではありませんから。作業だけでもいいのです。その名と作業ですね。説明(由来云々)はいらないと思います、上のクラス以外は。もちろん、「N3」の文法を終えたくらいからは、した方がいいと思いますが。
ということで、今回の「入学に当たって」も雑にしてしまいました。気が乗らないのですからしょうがない。無益だなと思いながらするのですから、しょうがない。
で、一番、気になっていた「シンハラ語」班に行き、そこで新入生を一人一人潰していきました。たった三人ですけれども、遠くに住まいを構えたせいで、最近は暑さとそれとで、バテ気味なのです。最初が肝心ですから。
スリランカ人は「聞く」「話す」は長けているので、「初級」の時に「書く」を疎かにしがちで、それ故に、進んだ時に「読む」ができない場合が多く見られる。「初級」のうちは、「日本語、簡単」と言い、そうやっているうちに、次第に、ズリズリと、落ちていくのです。
『みんなの日本語Ⅱ』に入ると、漢字も「N4」に入っていますから、「N5」漢字を適当にやっていると、もう(新しい漢字が)読めないし、書けない。つまり、覚えられないのです。ほかの人たちが「N3」漢字の「テスト」を受けている時に、まだ「N5」ということになる。「N5」漢字を必死に覚えてきた人は「N4漢字」を学ぶには、ずいぶん楽になっているはず…なのに。
個別に、(志望は先だって聞いていましたから、その)確認をし、そのためには…から始めて行きます。そのうちに、彼らから問いが出てきます。それを二年生が通訳して…となってくると、後は楽。彼らからすると、「N2」に合格できる程度の日本語力であったら、何でもできる…だったみたいです。
「『N2』に合格できても、『小学校4年生』の国語の教科書を読みこなすのは難しい。まず、無理だろう」と言うと、驚いていました。ある程度の長さの文章を読むという習慣があまりない人が多いのです。「指示語を訊いても掴めない。主語も判らない」という場合も少なくないのです。もっとも、これも訓練で、ある程度はどうにかなる。もっとも、できるようになる人(当たらずといえども遠からじ)と、なれない人(この学校にいる間には)がいるのも事実です。
今回は、スリランカ班で終わってしまいましたが、もう少し見えてきたら、今度は「ネパール班」に当たるつもりです。
日々是好日
今朝も青空。このままずっと、毎日、青空の日が続いていくような感じです。水源はどうなっているのでしょうか。山間部では、梅雨の時期、時々、雨は降っていたようですが、それでも、こうも晴れが続くと…心配になってきます。なにせ、空気と同じくらい大切な「水」ですから。
「『水源地』を外国資本に取られたらどうする?昔は村の共有地だったのに」とか、いろいろ言われていましたね。「水」が、心配になると、また当然のようにその話題が出てきます。「水源地」だけは「貸す」はいいけれども、「売る」はどうもね。だいたい土地を売らない国だってあるのですから(期限付きで「貸す」だけで)。「水源地」を国民の共有財産にしても、バチは当たらないと思うのですが。
「水」と言えば、道ばたの草、いわゆる「野草」は元気ですね…でも、黄色っぽくなっているのも、ちらほら…かな。先日、「ミンミンゼミ」じゃない「セミ」の声が公園の木の上から落ちてきた…と思っていたら、今日は「ミンミンゼミ」が復活していました。その中に「ジー、ジー、ジー」と言う声も混じっていました。暑さが進むと、「セミ」たちもゆっくりと選手交代をしていくのでしょうか。地面の上に「セミ」の体が、落ちているのを見かけるようになりましたし。
さて。学校です。
先週の金曜日は、「入学式」でした。新入生の自己紹介は無事に済み、写真撮影の後、簡単な「茶話会」を、言語別に行いました。多分、こちらの方が大切。
皆にする「入学に当たって」というのも、例年というか「入学式」の都度してはいるのですが、感覚として、あまり役に立っていない。なにせ、彼らに、日本で暮らす上でのイメージがないから。それよりも、個別にする「説明」の方がずっと役に立つ。ということで、「入学に当たって」というのは、だんだんおざなりになっていきます…相手に合わせるというか、金太郎飴でやることではありませんから。
年中行事の説明と同じです。「『みんなの日本語』クラス」と「『N2相当』クラス」を一緒にして、日本語で説明するなんて、どだい無理な話。結局はどっちつかずで何にもなっていない…というのは、「非漢字圏」の学生が増え始めた頃から、わかってはいましたが、クラス毎にするにしても、時間がとれない…ということで、上のクラスだけは私の時間に別にしていました。いつ頃からでしたろう。できるだけ(皆でやるものと)重ならないようにしてですけれども。それでも、限界がありましたね。今は、全く別にしています、説明は。
「こういうものだ」くらいが判っていればいいのです、「初級」は。だいたい。ある程度理解したいと思っている人は、それなりに聞いてくれるのですが、大半はそうではありませんから。作業だけでもいいのです。その名と作業ですね。説明(由来云々)はいらないと思います、上のクラス以外は。もちろん、「N3」の文法を終えたくらいからは、した方がいいと思いますが。
ということで、今回の「入学に当たって」も雑にしてしまいました。気が乗らないのですからしょうがない。無益だなと思いながらするのですから、しょうがない。
で、一番、気になっていた「シンハラ語」班に行き、そこで新入生を一人一人潰していきました。たった三人ですけれども、遠くに住まいを構えたせいで、最近は暑さとそれとで、バテ気味なのです。最初が肝心ですから。
スリランカ人は「聞く」「話す」は長けているので、「初級」の時に「書く」を疎かにしがちで、それ故に、進んだ時に「読む」ができない場合が多く見られる。「初級」のうちは、「日本語、簡単」と言い、そうやっているうちに、次第に、ズリズリと、落ちていくのです。
『みんなの日本語Ⅱ』に入ると、漢字も「N4」に入っていますから、「N5」漢字を適当にやっていると、もう(新しい漢字が)読めないし、書けない。つまり、覚えられないのです。ほかの人たちが「N3」漢字の「テスト」を受けている時に、まだ「N5」ということになる。「N5」漢字を必死に覚えてきた人は「N4漢字」を学ぶには、ずいぶん楽になっているはず…なのに。
個別に、(志望は先だって聞いていましたから、その)確認をし、そのためには…から始めて行きます。そのうちに、彼らから問いが出てきます。それを二年生が通訳して…となってくると、後は楽。彼らからすると、「N2」に合格できる程度の日本語力であったら、何でもできる…だったみたいです。
「『N2』に合格できても、『小学校4年生』の国語の教科書を読みこなすのは難しい。まず、無理だろう」と言うと、驚いていました。ある程度の長さの文章を読むという習慣があまりない人が多いのです。「指示語を訊いても掴めない。主語も判らない」という場合も少なくないのです。もっとも、これも訓練で、ある程度はどうにかなる。もっとも、できるようになる人(当たらずといえども遠からじ)と、なれない人(この学校にいる間には)がいるのも事実です。
今回は、スリランカ班で終わってしまいましたが、もう少し見えてきたら、今度は「ネパール班」に当たるつもりです。
日々是好日