日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「これから、『横浜』へ見学に行ってきます」。

2013-05-31 08:16:36 | 日本語の授業
 今日で5月も最後。いつも1月、2月、3月を「一月往ぬる、二月逃げる、三月去る」と言って、この三月はことのほか忙しいと言われているのですが、実感としては、どの月も忙しい…。

 この五月も、あれよあれよという間に過ぎてしまいました。

 というわけで…でもありませんが、今日は「横浜」へ散策に行って参ります。

 ただ、どれだけ集まれるかが、ちょっと不安なのです。

 最近お天気がどうもおかしいからでしょうか、風引きさんやら、体調を崩してしまう人やらが続出しているのです。もっとも、これもまだ1年に満たない人が大半なのですが。

 この学校の学生(だいたいが、暑い地方から来ている人なので)は、「暖かい」から「暑く」なると、元気が良くなるのですが、このところ、破調を来しているようなのです。

 ちょっと暑くなったかと思うと、肌寒くなったり(まるで「春先」の気温です。もう水無月になろうとしているのに)して、彼らの服の状態を見ている限り、あまりうまく体調管理ができていないような感じなのです。

 「かなり涼しい」と感じられる日に、半袖とか袖無しでやって来たり、「暑いな」と思われる日に、長袖で来たり…。勿論、日本人とても、そういうことはありうるのですが、日本人はこの地に住み着き始めてから、かなりの年月が経っていますので、季節の移り変わりと同じように気持ちも移り変わっていけるのです。それゆえ、多少どうにかなっても、別に大したことではないのです。

 それになによりも、彼らと違うところは、それぞれの時期の楽しみ方を知っている…と言いますと語弊があるかもしれませんが…多分、かれらよりは知っているところでしょう。

 前に、内モンゴルから来た学生が、「あの頃が一番辛い、大っ嫌い」と言っていた梅雨時。まさに「今」なのですが、「アジサイ(紫陽花)」の花を楽しんだり、雨の音に耳を傾けたり(軒先から落ちる音、雨樋を伝わって落ちる音、高い木の梢から幹を伝わって落ちる音、風が吹くと木の葉に溜められていた雨の滴が一斉に落ちる音、アジサイの大きな葉に当たって跳ねて落ちる音、アスファルトの道に踊り跳ねるように見える姿と音、車が上げる水しぶき…)、雨に洗われた夏の木立の緑に目を奪われたりと、古人がいにしえからこの時期の「美」を発見してくれていますから、私たちはそれをなぞって生きて行けばいいだけなのです。まあ、楽に生きているといわれれば、確かにそうなのですが。

 不思議なもので、初めて行った土地でも、なにやら空気に(角を曲がると何があるとかいった風ではなく、それでも)既視感があって、直ぐに馴染める場合と、何年住んでいようと、あくまで他人の状態のままの場合とがあるらしく、彼らにもつい、それを求めてしまうことがあります。

 ただ、ここの学生達は、日本の伝統的な家屋に囲まれて勉強しているわけでも、美しい山野に心を伸びやかにさせながら学んでいるわけでもありません。それゆえ、日本に、既視感を求めても、懐かしさを求めても、どだい無理なこと…なのは、わかりきったことなのですが。

 学生達からみれば、この地は、アルバイトが捜しやすい、都心に近いのに物価が安い、大学や専門学校へ行きやすい、卒業後は仕事を求めやすい(これは相対的にの話です)。私たちからみれば、見学に連れて行きやすい、寮が探しやすい、外国人が住みやすい(この地は、羽田にも、成田にも近く、その上、東京駅にも近いのです。直ぐに地下鉄の東西線が通っていますから、交通の便がいいのです)。

 近代的な日本は感じられても、私たちの心の中心にいつもある「日本」を感じられるかどうかは、ちょっと難しいところなのです。

日々是好日
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「私は『かわいいです』と言った、背の高いスリランカの男子学生」。

2013-05-30 08:44:22 | 日本語の授業
 曇り。昨日と同じように、時折、雨がぱらついています。昨日は結局、お空は我慢してくれたのですが、今日はどうなるのでしょう。昨日、関東地方も梅雨入りしたとのことですし、我慢にも限界があるのかもしれません。たまって、たまって…そして急にドバァと滝のように流れ落ちるということになるのかもしれません。

 ところで、明日は、皆で「横浜」へ行ってきます。その準備として、「A・Bクラス」で、30分ほ、横浜紹介の番組を見せ、少し説明も加えておきました。「C・Dクラス」では、多分、あまり意味はないだろう…ということで、昨日の最後の時間、30分ほどの全体での説明の時に(午前と午後とに分けて)、ダ・カーポの『よこはま詩集』を流し(DVD)、だいたいのイメージを掴ませるくらいにしておきました。後は、持ち物とか、行程などの説明をしてもらったのですが。

 勿論、今は、若者のあこがれの都市の一つであり、流行の発信地でもあるのですが、歴史的に見ても、日本の近代化を論ずる上では、決しておざなりな説明をしてやり過ごしていいような所ではないのです。

 とはいえ、今のところ、「山手」と「港」と「みなとみらい」に分けて説明するくらいしかできません(最初、上のクラスで、うっかり、ペリーの名を出してしまい、それ以後の説明がやりにくくなってしまいました)。「非漢字圏」の人達への説明と、「漢字圏」の人達への説明とでは、少し内容を変えていかねば、時間内に横浜をイメージさせていくことは難しいのです。

 さて、学校です。

 昨日、「Dクラス」でのことですが、16課の「Aさんは髪が長いです」というところで、「Aさんは髪が長くて、目が黒いです」の、「て」の使い方がわからないと言われ、それではということで、質問した学生を例にして言ってみました。

「Rさんは背が高いです」「Rさんは目が黒いです」「Rさんは髪が短いです」と三つの文を出し、それを一つにすると、こうなるとやったのです。

 すると、学生達は途端にやる気ムンムンになって、勝手に文を作り始めました。そのとき、質問者のR君、「かわいいです」と叫んだのです。「ハンサムはいいけれども、う~ん、可愛いねえ」と、彼の顔を見ていると、何を勘違いしたのか、「先生、本当に可愛いです」と、私の目をしっかりと見つめながら言うのです。

 外国の人が来日して、直ぐに耳にする言葉には、いろいろなものがあるでしょうが、この「かわいい」というのも、その一つでしょう。電車に乗っていても、街を歩いていても、キャッキャッと、大騒ぎしている女子中高生がよく口にするのが「きゃあ、かわいい」とか「チョウかわいい」とかいう言葉なのです。

 どこかで聞いて、自分でも使いたくなったのでしょう。ところが、彼が口にするやいなや、とたんに、在日生から「かわいいじゃないよ」という突っ込みが入ります。それではということで、
「Rさんは背が高くて、目が黒くて、髪が短くて、かわいくないです」とやらかすと、言われた本人は、大声で「かわいいです」と叫んだのですが、ノリノリの他の学生達は声を揃えて、最後を「かわいくないです」でまとめ上げてしまいました。

 この文型、意味は直ぐ判るようなのですが、「~て、~て」は「い形容詞」「い形容詞」、「ナ形容詞」ナ形容詞」だけなのか、「い形容詞」「ナ形容詞」でもいいのか、「ナ形容詞」「い形容詞」でもいいのかなどいろいろと質問が出てきます。

 文法書を見れば直ぐにわかることながら、自分が実際に考えて文を作り、人に言ってみなければ、ストンと落ちていかないところもあるのでしょう。質問が多く出るということはいいことです。こういう時には、「もう説明した」めいたことは言わずに、直ぐに例文を作ってやった方がいいのです。その方が記憶にとどまるようですし。もっとも、私も時には、「もう言いました」と意地悪を言う場合もあります。フォローは、必ず、するようにしているのですが。

日々是好日
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「旅行したいけれども、他の国のことがよくわからない…」。

2013-05-29 11:19:38 | 日本語の授業
 曇り。時折、パラパラと雨粒が降ってきます。一昨日は、九州、そして昨日は東海地方と、既に日本の半分ほどが、梅雨入りしています。関東地方でも、今日の天気など、梅雨が始まっているような、いないような、そんな感じなんですから。

 しかしながら、ちょっと早いような気もしています。まあ、確かに五月雨とも言いますが、この頃の雨は(梅雨よりも)「虎が雨」のほうが耳に親しめるように思えるのです。

 さて、学校です。

 一昨日、朝、戻って、それから昼に学校へ行きますと、早速(私を)見つけた「Bクラス」の学生達が、「お土産、お土産」の連呼です。だいたい、その中には、おじさんっぽくみえる学生まで入っていましたからね、「君まで、言うか」です。全く。

 ただ、買ってきたお菓子が数が足りず、「はい、二人で分けてね」と渡しただけだったのですが、こういう小さいの(一口で終わりです)でも、ニコニコ顔で、それで満足したのか、もうお土産の話は終わりです。

 そして、昨日、朝のクラスに行ったのですが、このクラスはベトナム勢というわけで、いろいろなことを聞きたがります。「ベトナム料理は食べたのか」とか、「暑かったのか」とか。こちらもそれに応えるような形で、ハノイの暑さには参ったこと。お金の「0」が多すぎて、計算が追いつかず、ついには学生が「先生、財布を貸してください」と払ってしまったこと。女性が元気が良く、働き者に見えたこと(反対は、わかるねと言うと、へへへへへ…いたのは、男子学生だけでしたから、言わずともわかったのでしょう)。

 それから、このクラスで、金曜日に行く「横浜」のDVDを見せ、説明をしていきます。

 ベトナムの本屋に行ってよくわかったのですが、歴史の本は「字」だけ。写真も絵も何もついていません。学生曰く「だから、みんな歴史が好きじゃないんです。全く面白くないんです」。日本のように小学生の頃から、どうやったら子供達が楽しく歴史が勉強できるだろうかと、手を変え品を変え、つまり写真を取り入れたり、漫画にしてみたりして、やっている国から来てみれば、想像もつかないほどの寒々しさ…でした。

 そうやって(日本人は)勉強してきて、そして高校(特に進学校など)では、きれいな写真つき、しかも理解されやすいように整理された資料集が、安価で手元に届いているわけです。歴史が好きな学生が多いはずです。

 その上、自分の国が(その人のことを)嫌いだから、わざとひどい顔にしてしまったり、恣意的な作為を加えたりすることは禁じられていますし、もし、そんなことをしてしまったら「小人」と見なされてしまうようにマスコミも動きますから、余程のことがない限りそうはならないでしょう。

 というわけで、横浜を見せるにしても、(「外交官の家」はイタリア式庭園)、イタリアなどの知識が、ほんのわずかなりとも、必要になってくるのです。これは午後の「Bクラス」でも同じでした。イタリアの位置の確認から始まり、ルネサンスの説明、当時のヨーロッパの力関係なども入れていくと、いくら時間があっても足りません。

 これも、本当に知らないのです。

 それで、今日、「Aクラス」で、高校の資料集を使いながら、世界遺産(バチカン市国)のDVDを見せてみたのです。実は、このクラスに一人、カトリック教徒の学生がいるのですが、彼はあまりバチカンの様子がわからない、バチカンが所有している美術品も知らない、では、ということで、見せたのですが、見せ始めると、ことはバチカンだけでは終わりません。

 ローマ帝国の版図のことやら、キリスト教が起こった頃のことやらも入ってきます。その都度、「はい、何ページ」とページをめくらせていきます。

 そして、バチカン市国のDVDが終わった後、一人の学生に「旅行が好きですか」「好きです」「どこへ行きたいですか」「…」「どの国へ行きたいですか」「…」そしてニカッと笑って、「イタリア」。

 今、見たばかりだから、「イタリア」と言ったのです。他の国はわからないので言えないのです。彼以外の学生に聞いても同じようなもので、他の国のイメージがないのです。アフリカなら暑いで途切れてしまうのです。とはいえ、とにかく、どこかへ行きたい、旅行したい。でもいろいろな国の知識がないから、どこへ行ったらいいのか判らない…。

 それで、このクラスでは、週三回(私の授業)のうち、一回は世界遺産を見せることにしました。後の二回は社会問題を扱っていくつもりです。日本語のレベルも問題ですけれども、日本で暮らして行くにはそれだけでは足りません。日本語だけであったら、日本に長くいればある程度はヒアリング力もついていき、生活には困らなくなるでしょうが、心の豊かさに繋がっていく部分でも少しずつ知識を増やしていきたいのです。

日々是好日
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「ベトナムでの『ハノイフェア』」。

2013-05-28 09:46:24 | 日本語の授業
 曇り。日本の気候の涼しさに緊張も解けたようです…で、急に疲れが出てきました。

 5月24日の夕方の便で、ハノイへ行ってきました。翌日は、7月生(既に出してあります。30日に結果がわかります)と10月生(志願者)とに会い、それから、学生(ベトナム人学生を日本から一人連れて行ったのです)に連れられて、彼が通っていた大学や彼が行っていたという本屋(古本屋へよく行き、新刊書を扱う本屋へはあまり行かないそうです)へ行き、市場を見(ここは入口で退散しました。かつての中国のようでした)、喫茶店へ行き、コーヒーを飲み…で、1日は終わりました。

 帰りはスコールに歓迎されましたけれども。あっという間に黒雲が広がり、雨が街を叩き付けるように降ってきたのです。皆、慣れているのですね、少しも動じません。オートバイに乗っている人は、やおら、レインコートを取り出し、身に付け、平然と水しぶきを上げながら走って行きます。…こんな雨の中でも走れるんだ…。

 そして26日がメインの「ベトナムフェア」。私たちはホーチミンの方へは行かず、ハノイだけにしたのですが、ハノイだけにしたのは、正解でした(フェアはホーチミンとハノイの2箇所で行われました)。何でも、ホーチミンへ行き、それから一緒に、ハノイへ来た人の話によると…「疲れた、参った。ハノイの暑さなんて何でもない。向こうはもっと暑かった…」らしく、ハノイの暑さに、辟易していた私たちは驚き、同時に、ホッと胸をなで下ろし…よかった…。

 ハノイの会場は、誰でもフラリと立ち寄れるような場所にありました。各ブースには、机が二つ、椅子が六つほど準備されてありました。それぞれが、その三面に、趣向を凝らした絵やら写真やらを貼っていくのです。私たちも到着すると直ぐに、写真貼りです。ここは学生が大活躍。

 大きいのから貼り、そして小さいのへと移ります。学校行事と授業風景に分けて貼っていくわけですが、「そこは階段のように段をつけて貼っていった方がいい」とか、「こっちへは、これは、貼らない方がいい」とか、「見に来る人は学費などを見たいのだから、貼っておいた方がいい」とか、学生がいろいろと案を出してくれます。

 そのうちに、人がドンドン入ってきます。写真に目を留め、足を止めた人に、椅子を勧め話を聞いてもらいます。(学生も)最初は通訳の形で入ってもらっていたのですが、何度かしているうちにコツを掴んだらしく、自分から話していき、必要だった時だけ、私たちに聞くような形になっていきます。それはそうですね。入ってきた人はまだ大学生であったり、卒業後一年目であったりしているわけですから、日本語はあまり話せません。直接、今、日本で学んでいる人から、ベトナム語で話を聞けたほうがいいでしょう。

 来てくれた人の中には、前日、偶然本屋で話しかけられた人もいました。実は、古本屋ではなく、普通の本屋へ行きたいと私たちが行った時、彼が連れて行ってくれた本屋で会ったのです。この、「普通の本屋」というのは、ある大学の出口に陣取っているものでした。そこで、ベトナム語の「N2」と「N1」に対応した文法書とベトナム語の世界地図を捜していた時、「それなら、この本がいい」と教えてくれたのが、この人だったのです。

 いろいろ話しているうちに、彼の妹さんが日本への留学を考えていることがわかり、フェアがあることを話しますと、…知らなかった…。彼のように日系企業で働き、独学で日本語を学んでいる人には、こういう情報は伝わりにくかったのかもしれません。それで(夫婦で)来てくれたのですが、主導権を握っていたのは、奥さんの方。で、結局彼をほったらかしにして、彼の妹さんのことを、二人で、話しました。

 彼女の話では、「今年の8月頃から、派遣で(夫婦で)日本へ行き、仕事をすることになっている。自分達が日本へ行くから、それなら、日本へ行きたいという妹も連れて行こう」となったのだそうです。ただ、日本で準備されている住所が埼玉県という話なので、埼玉から通うのは大変だということ、それから、もう10月生はむずかしいから、一月生として出した方がいいということなどを伝えておきました。

 会場に来ていた人の感じでは女性の方が積極的だし、目的意識がはっきりしているようでした。男性は、自分が留学したいという人よりも、仲介企業として話を聞きたいと言う人が多く、ちょっと(この学校の方針とは)合わないなという人も少なくありませんでした。

 日本へ留学したいから、フェアへ来たという女性は、だいたいしっかりしていました。そういう女性はまず、大卒か、大学生でしたから、当然なのかもしれませんが。

「1年コースはないのか」。
「1年で帰ろうと、2年いようと、それは自由である。ビザの問題だけである」。

こういう人の目的は「大学院でさらに研究を深めたい」ということなのですから、彼らの目的に合わせた方法を私たちも考えます。ただビザの問題がありますから、この学校で勉強すると言って、もらっている間は、きちんと学校へ来て勉強してもらいたいということなのです。

「大学院へ行きたい。どうしたらいいか」
「既に、『N2』をとっているのであれば、この学校で『N1』を目標にして学びながら、同時に大学院の先生と連絡し(実際に会いに行った方がいいのです。大学院では担当教官を選ぶということが何よりも大切なことですから)、自分に合った先生を、自分で(多分、向こうは向こうで選びますから)捜したほうがいいだろう」

 勿論、これは東京の大学院を目指しているならばの話です。なぜなら、ここ、行徳(この学校があるところ)は、東京駅まで地下鉄で30分ほどで行ける所にあり、東京の大学へ行ってみるにはとても便利なのです。地下鉄の近くであれば(本数が多いので)、先生と連絡をして、その時間に行くのも便利、運賃も安くして行けます。しかも都心であれば物価が高いのですが、ここはそれほど高くはない。つまり住みやすいのです。地方の日本語学校から、東京にある大学院を目指すとしたら、交通費だけでもたいそうかかります。以前、東京の大学院を目指したいと、地方の日本語学校を1年でやめにして来た学生がいましたが、やはり最初から教えていないとむずかしかったのです。

 私たちの学校では、それぞれの学生にあわせた指導を心がけています。この学校に来た時からが勝負なのです。他の学校から来ると、当然知っていなければならなかったことがわかっていなかったりして、互いに意思の疎通をはかるのがむずかしいと感じさせられることが少なくないのです。もちろん、毎日来てきちんと勉強していなければ、どこにいても同じだと思いますが。

 「京都か奈良で、大学院へ進みたい」
「それなら、ここには奈良や京都の大学も来ているから、そちらへも行って、詳しいことを聞いたほうがいい。直接、大学の方と連絡をつけてみるのも一つの方法だが、1年ほど京都か奈良にある日本語学校で学びながら、落ち着いて捜してみるのも方法だろう。その方が自分に合った専門や先生と出会える確率が高いだろうから」

 意義深い「ハノイフェア」でした。

日々是好日
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「地球に寄生している私たち」。「ここは日本。彼らの母国語でなんか説明できません」。

2013-05-24 11:22:14 | 日本語の授業
 晴れ。沖縄では梅雨が既に始まっているそうですから、こちらでも、そろそろ、その気配があってもいいような感じなのですが、ここ数日晴れの日が続いています。
 
 人というのはおかしなもので、2日ほども晴れが続くと、何となく晴れの日ばかりであるような気がするものですし、また2日ほど、たとえ降ったり止んだりであろうとも、雨の日が続くと、これまた、毎日が雨であるような気がしてくるのです。
 
 本当に懲りないのが人間なのでしょう。だから、人間は、こういう、「生きている地球」に暮らしていけるのかもしれません。

 「地球に寄生している」のが我が身であると思えば、我が身に寄生している、様々な虫、細菌、ウィルスまでもが、哀れになってきてしまう…ほとほと生き物として生きていくのは、難しいものであると思います。

 さて、学校です。
 頭の善し悪し、能力の多寡はともかく、こういう日本語学校で一番大切なのは、毎日学校へ来るということです。休みが続けば、まず言葉が乱れてしまいます。この言葉の乱れというのは、危ない作業や、機械に使われる作業に従事している時に、往々にして使われている言葉を、じっくりと思考しなければならない時間(学校で)に使ってしまうということなのです。

 危ない作業をしている時に、「ちょっと、そこの人。それを持ってはいけませんよ」なんて、悠長なことを言っていれば、用件まで至らぬ間に、その人は大けがをしてしまうかもしれません。のんびり、文法的に正しい使い方をしようと考えている間に、機械はその人の分担分の仕事をどこかへ運んでしまうかもしれません。だからまどろっこしい言葉は使えないのです。

 けれども、大学へ行きたいとか、外国人ばかりがいるのではなく、日本人が多く学んでいるような専門学校へ行きたいとするならば、それ相応の言葉に慣れておく必要があります。

 実は、昨日、卒業生が一人、ふらりと来てくれたのですが、その時に、「敬語がむずかしい」とため息をついていたのです。

 彼女は、大学に合格していたのですが、家庭の事情で進学できず、観光の専門学校へ行きました。そこで英語でも高得点をマークし、日本語も「N1」に合格して、卒業後は、望み通り、旅行会社に就職することができたのです。

 もっとも、外国人が働いていない職場で、唯一の中国人として働いていると、大変なことも少なからずあると思うのですが、彼女は、同僚とのことで愚痴をこぼしてはいませんでした。可愛い性格なので、日本人とは旨くやっていけているのでしょう。彼女がため息をついていたのは、お客さんとのやり取りの時の「言葉」なのです。多分、単に尊敬語や謙譲語を覚えていれば大丈夫というのではなく、使い方であったり、間の置き方であったりなのでしょう。

 私は次の授業が入っていたので、直ぐに教室に入ってしまい、それほど話せなかったのですが、彼女が帰る時に、一階のベランダの窓を開けて、ちょっと立ち話をしました。

 その(彼女と話している)様子を、来日したばかりの「Dクラス」の学生達にも見ておいてほしかったのです。この「Dクラス」にいるのは、勿論、一生懸命に勉強している学生もいるのですが、それよりも、授業中に、冗談を言って人の気を引きたいとか、スマホを見たり、隣の人とおしゃべりをしたいというような学生の方が、多いような気がするのです。

 「初級Ⅰ」の段階でそれをやられますと、授業が立ちゆかなくなってしまいます。「初級」なんてのは、とにかく、学校に来て、毎日同じことを繰り返して聞き、言うことが、何よりの勉強なのですから。わかったというのは、最初の導入の時に感じればいいことで、あとはひたすら、絵カードを見て、言い続ける。「頭は要らない、考えるな。必要なものはホワイトボードに貼ってあるか書いてある。考えるな、ひたすら耳ダコになるくらい、聞け、そして、言え。言っている自分の声を聞け、友達の声を聞け」なのです。

 勿論、チェックは必要なので、ディクテーションで確かめているのですが(「きれいな」が「きらいな」と言っていたり、聞こえていたりするのです)、それを自主的に見て確認するということはないので(二人ほどはいつも早めに来て確認していますが、それ以外の学生にはその習慣がないのです)、授業中にノートを見る時間を設けておかなければなりません…そうでなければ、間違ったままずっと書き続け、こちらも訂正し続けなければなりません。

 とはいえ、ひらがなの書き癖というのは、生半可なことでは正せません。来日後、二ヶ月ほどになり、それまで毎回書き直しても、いまだに前と同じ字を書き続けている人もいるのですから。

 もう、今は、問題は「ひらがな」「カタカナ」の字形云々ではなくなっています。斜めになっているとか、跳ねが大きすぎるとか、「メ」と「ナ」の区別がつきにくいとかいったことではなくなっているのです。もう、動詞の「て形」に入っているのですから。

 この「ひらがな」「カタカナ」などの「文字」の問題は、本人が余程意識して書いていかなければ、なかなか改められるものではありません。あとは本人の自覚が出るかどうかにかかっています。本人が、何度(教師に)訂正されていようと、大したことがないと思っているなら、「焼け石に水」でしかないのです。もう「文字が云々」ではなく、活用形が違っているとか、単語を覚えていないとかのほうに、重点は移っているのですから。

 最初の緊張が解けてきたのでしょう、スリランカの男子学生達が、少し「いい加減(集中力が切れて、スマホを見たり、友達としゃべり始めたりする)」になりかけてきたようです。こうなると、私たちの、彼らに対する見方は、「母国で勉強の習慣がついていない人達」となってしまいます。

 勉強の仕方を知らなければ教えれば済むことで、これは大したことではありません。それよりも、大切なのは、勉強をする習慣がついているかいないかなのです。勉強をする習慣がついている人と、いない人を同じように考えて教えていくことはできません。もとより、最初は、皆、同じ一つのクラスにいるので、同じ授業を受けることになるのですが、彼らに対する要求の程度が異なってくるのです。

 勉強をする習慣がついていない人達には(もちろん、個人差はあります)、その人毎に、そういう人達に適した指導の仕方というのを考えていかなければなりません。普通なら「7」要求するところを、例えば「5」で抑えておくとか、時には「3」くらいにしておくとか、どれくらいまで到達できれば、「よし」とするかを常に考えながら教えていくことになるのです。

日々是好日
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「スリランカ、インド、バングラデシュ、ミャンマー、タイ、中国の小学校のお昼ご飯」。

2013-05-23 10:07:11 | 日本語の授業
 晴れ。五月らしい爽やかな朝です。昨日に比べ湿度もグンと下がっているとか。こういう日が来ると、貧乏性なもので、また「…ということは、梅雨が近づいていると言うことだな」なんて考えてしまいます。

 今は、自転車での通勤ですが、梅雨が始まってしまうと、自転車は使えません。勢い、歩いて来なければならなくなってしまいます。で、今から、いろいろと焦っているのです。まあ、焦ったってどうにもならない、なるようにしかならないのですが、そこはどうにか楽をしようという根性で、やはり、焦ってしまうのです。

 さて、学校です。

 昨日は、「Bクラス」で、日本の給食についての話をちょっとしました。このクラスには、スリランカ、インド、バングラデシュ、ミャンマー、タイ、中国から来た学生達がいるのですが、日本のように「学校で給食を出し、みんなが同じものを一緒に食べる」という習慣があるところは少ないようです。

 タイでは、食堂で皆一緒のものを食べると言っていましたから、日本の給食と似ているのかもしれません。ただ最初に食べるのは一番小さい子達で、次は…と言うことらしいですから、クラス毎に教室で食べるというのとはまた違うのでしょう。


 私が子供の時には、給食の時に、机をTの字に並べ、六人ずつのグループになって食べたりしたこともあったような気がします。が、だいたいは、授業を受ける時と同じような机の配置で食べていたと思います。食事の時に勝手に席を替わるなんてことは「だめ」でした。それにひきかえ、他の国では、食事は「楽しく」が大切なことのようです。


 一方、中国の学生は帰って食べるようですし、ミャンマーの学生もそのようです。

 えっと思ったのは、スリランカ、インド、バングラデシュの学生達の話です。インドとバングラデシュは小学校も二部制だそうで、午前の部の子供達が帰ると、午後の部の子供達がやって来て勉強をするのだそうです。彼らの話だけで、詳しいことはわからないのですが、昼ご飯は食堂で食べると言っていました。もっとも、私立学校などはそうじゃないらしいのですが。

 スリランカも午前で勉強は終わりで、午後はクラブ活動をしたりするのだそうです。昼ご飯は食べないのかと言いますと、午前中に30分ほどの休憩時間があり、その時に食べると言うのです。なんだか聞いていて、中学校や高校の時の運動部の生徒のことを思い出してしまいました。10時頃の休憩時間に早弁と称して、お母さんが作ってくれた昼ご飯を平らげていましたもの。ただ時間はスリランカの小学生達のように30分なんてありませんでしたから、5分くらいだったと思います、食べてしまうのにかかった時間は。

 思えば、中国の学生達を除けば、皆、暑い国から来た人達で、聞いていてもどこか懐かしいような、のんびりしているような、そんな気になってきます。

 中には、作文で、「(休憩時間に)みんなで集まって、木の下とかに座って食べるご飯はとてもおいしかった。仲間とお弁当を持ち寄って、それを真ん中に置き、好きなものをつまむのだ。友達みんなで食べたからおいしかったし、楽しかった。一人で食べるのは嫌だ。みんなそうだと思う」と、(今の生活から振り返って)過去を大切に思っているのがよくわかる文章もありました。

 また、これは日本の給食との比較でですが、「みんな同じものを食べるのはとてもいいと思う。お金があるうちの子供も、ないうちの子供も、同じものを食べるのだから。子供の時に辛い思いをせずに済む」なんていうのもありました。もしかしたら彼の近くに、そういう子供がいたのかもしれません。彼らは友達をとても大切にするのですが、そこにも、私たちから見れば、かなりの差別があるような気がします。カースト制が残っているとまでは言えませんが。

 以前、「そんなものはない」と断言した、スリランカの女子学生に、「例えば、その種の人達とは絶対に同じテーブルにつかないとか、隣同士の椅子に座らないとか、あるいは玄関から入れないとか…そういうことはないか」と、具体例を挙げて聞きますと、「そういう種の人達がいるのは当たり前だ」と、それのどこが問題なのかと言わんばかりな返事が返って来たことがありましたっけ。インドとまではいかなくても、インド圏でそういう名残めいたものはあるのかもしれません。

 日本にもまだ残っているくらいですもの、どこの国にもあるのでしょう。ただそれを「差別」と認識できるかどうかが違うのです。あまりに当たり前だと思っている国の人達には、こういう問題は生じようがないのです。

 勿論、個人的な好き嫌いは誰にでもあります。これはそれほど問題にはなりません。だいたい、私が好きじゃない相手は、相手だって、私のことが好きじゃないものです。お互いに角突き合わせていればいいだけのこと、これには他者も、広い世間もは全く関係ありませんから。

日々是好日
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「『東京が富士山の溶岩に覆い尽くされたら…どうしよう』と、本気になって心配していたインド人学生」。

2013-05-22 12:05:13 | 日本語の授業
 晴れ。梅雨が始まったようなお天気です。曇り、後、晴れとのことですから、きっともう少し経てば、このムシムシも収まってくることでしょう。まだ五月なんですから、一応。

 ところで、この「ムシムシ」ですが、こういうと、「虫」の漢字を覚えたばかりの「初級Ⅱ」の学生達は、「虫虫だ。虫だ、虫だ」と喜びます。一方、「無視」を学んだ「中級」の学生達は、聞くや否や途端に、「無視無視」と隣の席の学生を指しながら、互いに言い合ってしまいます。

 教える方も、「そうか、外国人学生はそうとるんだ」なんて、最初はハッとさせられたものですが、劫を経てきますと、「こう言えば、ああ出るだろうな」なんて、だいたいわかってきますから、「来た、来た」になってしまいます。

 この点、教師を始めたばかりの人達は新鮮に感じるようで、「○○さんは、すごい。こう言ったんですよ」と職員室で報告することになってきます。みんな、何でも始めたばかりのころは、外国人学生の一つ一つに驚きを感じるようで、一方、学生の方でも、教師が驚いてくれると、「言った甲斐があった」と大喜びするようです。

 さて、学校です。

 先週の金曜日、「Bクラス」でのことです。話が、「火山」とか「地震」などに至った時のこと、一人のインド人学生が、「富士山はいつ噴火しますか」と、真顔で尋ねるのです。「テレビで言っていました。富士山は噴火します。先生は知っていますか」。

 日本人なら、あるいは日本に長く住んでいる人なら、耳ダコの「話題(?)」なのですが(毎年のように、占い師や宗教者、あるいは科学者が発表しています「今年の○月に富士山は噴火する」と)、彼にとっては青天の霹靂だったのでしょう。しかも、「インドから、心配だ、心配だ。逃げた方がいいんじゃないかと電話があった」と言うのです。

 「ははァ~ん」と来ました。2年前の「津波」の時も、外国で「東京が津波に呑み込まれた」とか、「日本が沈没した」とか、そういう話になっていたようで、スリランカの学生が、「東京は津波で沈んでしまった。お前は大丈夫か」という電話を受けたと言いに来たことがありましたっけ。

 福島の津波を、日本のことをよく知らないその国の報道機関が「東京」と言ってしまったのかもしれませんし、中には「故意に」やらかした国もあったのかもしれませんが。

 彼はどうも「確かなこと」が聞きたいようで(無理です)、なかなか私を放してくれません。日本人の私としては、地震とか火山の噴火などというのは、起こりそうな場所や、だいたいの時期(60年以内とか)などは、専門家なら言えるかもしれませんが、私みたいな一般人に、「確かなこと」なんて聞かれても、だいたい困るのです(もしかしたら、かなり不機嫌な顔になっていたかもしれません。ただ、彼は、私がどんなに不機嫌そうな顔をしてみせても、一向に動じません。それで、私も彼の前では、平気な顔をして、不機嫌な顔でいられるのです。却って、周りの学生の方が気を遣ってしまうようですが)。

 だいたい、私たちが知っているのは、専門家が発表したことか、あるいは週刊誌などに書かれたもの(信頼性のないものをも含めて)ぐらいで、それ以上でもそれ以下でもないのです。それを、地震や火山のことを全く経験したことのない人に言っても(想像出来ませんから)不安になるだけで、彼の望んでいるような「安心感」など、与えることなどできないのです(当たり前です)。また、適当なことを言って安心させても、それは「嘘」でしかないのですから、適当なことも言えません。一時的な安心など、地震や津波、火山の大爆発などを前にしてみれば、愚かなこと…でしかないのです。

「誰にも、いつ噴火するかなんてわからない」と言っても、「でも…」と食い下がってきます。

 「富士山の噴火というのは、先の噴火から、だいたい300年くらい経った頃に起きるだろうと言われている。もうそれは過ぎているから、いつ爆発してもおかしくない。毎年のように、だれそれが今年爆発すると言っている。ある意味では、言葉は悪いけれども聞き飽きたような気分に多くの日本人がなっている。ただし、起こることは確か。今日かもしれないし、明日かもしれない。また10年後かもしれないが。ということは、毎年言い続けさえすれば、その人は予言者になれるということだ。いつかは当たるのだから」

 それから、彼は話題を変えて、富士山から「(噴火で)出るもの」について聞き始めました。最初は噴煙のことかなと思ったので、「東京にも(火山灰が)降ってくるだろう。宝暦の頃の噴火では数㌢積もったと聞いたことがあるから」と言うと、顔色を変えて、「大変だ。大変だ」。そりゃあ、まあ大変ですね。電車も走れないし、電気も止まるかもしれないし…。ただ、彼の大変だと、私の大変だとかちょっと雰囲気が違っていたのです。とはいえ、(授業中でしたから)適当なところで切り上げようとしても、かれは「命が懸かっている」とばかりに話をやめようとしません。

 結局、彼は「聞きたいことがあるから」と、皆が帰った後も残っていたのですが。

 それかも、残った彼と話していると、彼が、やっと「赤いの」と言ったので、もしかして「マグマのこと?溶岩のこと?」で、彼が必死になっていた理由がようやくわかったのです。富士山の溶岩が東京まで流れてくると思っていたのです。それがインドからの電話の大きな問題だったようで、「それはないでしょう。富士山の溶岩が東京まで流れて来るなんて…そんなこと、多分、日本人なら誰も考えたこと無いでしょうねえ」。そうか、富士山の溶岩に東京の街が覆い尽くされるとばかり思っていたのか…で、絵を描いて説明しました。マグマは赤で、灰は白で。それでやっと彼も落ち着いたようで、「火山灰だったら大丈夫。まだ東京にいます。溶岩が流れてきたらどうしようと思っていました」

 本当に、海外で、彼らの親御さんや親戚の人達が、何を本気になって心配していたのか、聞いてみるまではわからないことでした。

日々是好日
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「アジサイ、ドクダミ、ホタルブクロ…」。「日本語が面白くなってきた…在日の学生」。

2013-05-20 09:09:35 | 日本語の授業
 雨。シトシトと梅雨時のような雨が降り続いています。

 昨日、久しぶりに花屋に行きますと、「アジサイ(紫陽花)」の鉢植えが売られていました。花色が違うだけではありません。花びら(これはガクだと聞いたことがありますが)の形も違うのです。改良しやすいのでしょうか、毎年、変わっていくような気がします。しかも、何となく、いつの間にか洋物風になってしまったような気さえしまう。華やかで、人目を引くという点では確かに、前にも増してそうなのですが、もはやそこには、青蛙が似つかわしいような風情は感じられないのです。とはいえ、「アジサイ」は「アジサイ」。もうすぐ、梅雨ですね。

 そして、今日、ずっと蕾だった「ドクダミ(蕺菜)」の白い花が咲いているのを見つけました。見るとあちらにもこちらにもザックザク、今にも開きそうな蕾もザックザク。角を曲がると、あるお宅の鉢植えに釣り鐘状の「ホタルブクロ(ホタルブクロ)」が二つほど、俯きがちに咲いていました。「ホタルブクロ」を見ると、もうココロは宮沢賢治の世界へ飛んでいきます。そんなわけで、今朝は雨の匂いを胸一杯に吸い込みながら、ゆっくりゆっくりと歩いて来ました。

 さて、学校です。
 先週の金曜日、「Dクラス(四月生クラスは、いつも、2、3人、早めに来ます)」へ行きますと、なんだか人が少ない…。1時15分になっても、櫛の歯が欠けたよう…。ヤケに人が少ない…。けれども考えてみれば、在日生が三人いるのです。留学生で休んでいたのが二人でしたから、合わせて五人も休めば、ボリュームが減ってしまうのも当然です。5分ほどして、一人、在日生がやって来ました。

 彼は、今年の一月から学んでいるのですが、最初は「タイ(タイ人です)に帰りたい、タイに帰りたい。もうすぐ帰るんだ」と、そればかり。両親に勉強するように言われて、休みがちでも、どうにか、途切れ途切れに続いていた……もっとも、三月は怠けて来なかったのですが…(お父さんが様子を見に来たので、ずる休みをしていたことがばれたのです)。

 それが、その彼が、先日、「日本語、面白いよ」と、四月生達に言っていたのです。そうか、最近張り切っているなと思っていたら、いつの間にかおもしろくなっていたのか…。そういえば、四月生と一緒に勉強するようになってからほとんど休んでいない…遅れても来るようになったし…。

 彼のように17歳くらいで日本へ(無理に、あるいは両親の都合で…かもしれませんが)来てしまえば、もう寂しくってしょうがない。(これまでの生活が一変してしまうわけですから)もう故郷が恋しくてしょうがない…。(母国での友達は)いないわけですから、友人を作るにも一から始めなければなりません。しかしながら、日本語ができない…。つまり、孤立してしまうのです。

 もし、故郷にいたならば、そういうときに友達に電話でもして、一緒に遊んで憂さ晴らしもできたでしょうが、それもできない。寂しくってたまらないのに、両親はただ勉強しろとだけ言う。面白くない。勉強なんて大ッ嫌いだし。で、両親がせっかく勉強できるように設定してくれても、「行きたくない。どうせ日本語なんてわからないんだし…」で、ちょっとふて腐れる。

 ところが、一月から途切れ途切れでも続けていたのが幸いしたのでしょう。四月生の中には「ひらがな」も、彼と同じレベルで満足に書けない人もいましたし、彼は少なくとも、四月生よりも三月は長くいたわけですから、ヒアリングは勝っています。他の人達よりも聞き取れるし、先生の言うことがわかるから直ぐに反応できる。他の学生(四月生)が、尊敬のまなざしで見るだけでなく、「すご~い」なんて言ってくれる。

 それに、まだ若いのです、両親の関係者や同国人の輪などで、知り合いも増え、中には同じくらいの年頃の人もいたでしょうし、その人達の友人で他の国の人や日本人の友人もそれなりにできたのでしょう。どうも日本での生活が面白くなったようです。

 だから、日本語が話せるようになりたいという欲求が出てきたのでしょう。なんにせよいいことです。在日の学生の中では、もしかしたら、今、彼が、一番日本語を面白がっているのかもしれません。勿論、宿題はしてきませんし、覚えろと言われたことも覚えてきません。しかしながら、学校にいる間は本当に面白がって勉強しているようですもの。もっとも、三回ほど、携帯を取り上げましたけれども(他の先生はわかりません)。

 下を向いている時はたいてい携帯を見ているのです。その時は「○○」と名前を呼んで、手を出すと、「え~ん」とか「わ~ん」とか言いながらも、素直に持って来ます。そして休み時間になると「もうしません」と言って返してもらいに来るのです。きっとご両親や親戚にかわいがられて育ったのでしょうね。変な歪みがないのです。勉強しない時も「それはしょうがないか」と思わせていましたし、急に勉強をはじめてもそうか、面白くなったのだな」で終わり。あっけらかんとしたものです。

日々是好日
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「授業中に、宿題をしていた…二人のスリランカ人学生」。

2013-05-17 08:33:07 | 日本語の授業
 快晴。今日も子供達の声が威勢良く響いています。朝っぱらから太鼓のドンドンが鳴り響き、多分、先生に「もっと大きな声で」と言われたのでしょう、がなり立てているような声さえ聞こえてきます。運動会の前はいつもこうなります、日本国内ならどこでも同じような光景が広がっていることでしょう。だから、街の人は、どんなにうるさくとも、誰も文句なんか言いません。皆、「かつて来た道」なのです。

 人と対する時、とどのつまりは、「理性」ではなく、「心情」なのだと思うことがあります。「理性」などは、それが深いところで琴線に触れるかどうかという点で、結局は「心情」に負けてしまうのでしょう。

 これは、どうしょうもないことで、深みがほぼ同じであれば、価値の共有とか、規則云々とかいうよりも先に、心が勝手に仲良くなってしまうのです。これは「理性」でどうにかなるものでもありませんし、知的な処理などでもどうにかできるものでもないのでしょう。

 この「心情」というのも、風雅に感じる心などというものでもなく、多分とても根源的な悲しみとか苦しみとか悩みとか、あるいは喜びや慈しみなどであるのかもしれません。

 それがピタリと合った時、人はいつもその人と共にいたいと思うのでしょう。

 さて、学校です。

 スリランカ人学生が、二人、後半の授業中、宿題をしていたと報告がありました。一人は以前にもしていて、注意を受けていたのに、またしたということでした。

 これを聞いて、不謹慎ながら、まず叱責しなければというよりも、「へえ」と驚いてしまいました。スリランカから来た学生は同時に二つのことができないと(勿論、東京近辺に一年ほども住んでいれば、自然に二つ三つのことくらいはできるようになります)、そういう印象を持っていたのです。そんなわけで、思わず、「すごいね。スリランカ人で、しかも来日後一ヶ月ほどしか経っていないのに、授業中に宿題ができるんだ…」と言ってしまいました。

 もとより、今日、きちんとその理由を聞いてから(どうして授業中にしなければならないのかと)注意するつもりでいますが、やはり今でも、へえ、できるようになったんだと変な感心をしています。

 ただ、彼らは来日したばかりで、まだアルバイトなどできない(日本語の)レベルですし、もしあったとしても、長時間はできるはずがないのです(そんな都合の良いアルバイトなどありません)。

 もしかしたら、見つかったバイト先が非常に遠いところにあり、宿題をする時間がどうしても取れないとか、あるいは家に病人がいて気ぜわしく(今日は)宿題なんかできないからとか、何か理由があるのかもしれません。

 そういう、こちらから見て正当と思われる理由がなければ、二人とも大してレベルが高くないのですから、ボウッとしている間にドンドン授業は進み、いつの間にか置いて行かれてしまう…ようなことにもなりかねません。

 あまり勉学には関心がないように見えていましたから、ちょっと意外なのですが(もしかしたら、友達にノートを貸して写させるためであったのかもしれませんけれども)。

 随分前のことですけれども、どうしても宿題をする時間が取れない学生がいました。私の方でも、無理に宿題をさせて病気になられたり、疲れ果てて学校を休まれたりされては困りますから、「皆と同じ宿題はせずとも良い。その代わりに」と言って、その日に履習した内容をまとめた簡単な文を、三つか四つ、書かせて提出させたことがありました。

 「非漢字圏」の学生には、毎日、必ず、何かを書かせた方がいいのです。これは「量」よりも、毎日続けることの方に重きを置くべきであって、少なくとも、しないよりはずっといいのです。何も「字」を書かないというのはいけません。「書く」という習慣がない人達が多いので、毎日何かを書いていないと、「ひらがな」でさえ忘れてしまうのです。

 彼らの長所というのは、「聞いて覚える」で、その中に、「書く」ことも「読む」ことも入っていません。だから大半の、特にスリランカの学生ですけれども、一年ほどでたいていの学生は、日本語をペラペラに話せるようになるのですが、日本語で書かれた文章は読めないのです。つまり、「書く」という作業が習慣としてないので(あるのは「絵を描く」くらいのものでしょう)、漢字が覚えられないのです。

 聞くと「書いても忘れます」と、もっともな答えが返ってきます。「書きました。でも忘れました」。つまり「書いたんだから、先生、文句言わないで。ちゃんと書いたんですよ」と、彼らにとっては「書いたことがある」というのが正当な理由になり、「覚えるために書く」という前半がきれいに消えているのです。

 ただ、今は私も、こと漢字に関してはそれでもいいかなという気になっています。書いたことがあり、覚えようと努力したことがあり、しょっちゅうだれかとメール交換をしていれば、「書けなくとも読めるし、打てる」ようになるのです。

 もっとも、そうは言いましても、「ひらがな」が書けないのは困ります。というわけで、「初級」の間は何かしら家でも書いてもらうことは続けていかなければなりません。

日々是好日
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「小学校の運動会の練習」。

2013-05-16 08:46:39 | 日本語の授業
 早朝から、元気な子供達の声が響いています。応援歌です。懐かしいですね。こういう歌を聞くと自然に子供の頃のことが思い出されてきます。何せ、日本人なんて、小学校6年間、中学校3年間、高校3年間と、合わせれば12年間も、毎年いつも、1か月ほども練習に費やしてきているのですから。誰にでも運動会に纏わる記憶はあります。

 高校生の頃など、運悪く、その年度は、私のクラスの女子が応援団に属することになっていて、袴何ゾを穿いて空手の型までさせられたのです。まあ、いい思い出ですけれども、応援団の男子団員は全くと言っていいほど面倒をみてくれませんでした…けれども。

 そういえば、いつでしたっけ、近くの小学校で、徒競走のバトンの練習をしている姿を見かけたことがありました。

 この「バトン」の手渡しというのがなかなかの難物で、運動神経の発達している子は、どこら辺りで走り出せばいいのか、ツーと聞けば、カーとできるのでしょうけれども、これも運悪く、運動神経がそれほどでもない人達が集まったクラスに入ってしまえば、そこそこの速さでもクラス対抗などに選ばれてしまうので(一番、速い子は、紅白対抗に出ていたようですが)大変です。だいたい日本人なんてのは、子供の頃から、自分はどれほどのものかというのが、わかっていますから、本当に足が速くなければ、選ばれてうれしいなんて思いもよらぬこと。まず、どうしよう…というのが、多分、多くの子供の気持ち。時には先生に直訴に出たりして、どうにか逃れようとする…子までいましたっけ。

 そうすると、直ちに、クラス会です。その子の名前は出さないようにして、運動会をどうしてやるのかという話から始まって、「参加することに意義がある。勝っても負けても関係ない」とか、「みんなの代わりに参加してくれるのだから、みんなで応援しよう」とか、何と無しに断れないような雰囲気ができ上がってしまうのです。

 運動会というのは、そんなに楽しいことではありませんでしたけれども、終わってしまえば、まあ、それなりに懐かしい思い出です。

 そう思いながら、「バトン」の練習をしている子達を見ていると、やはりいますね、ドンクサイ子が。可哀想に。これは先生が叱ったからといって、できるものではないのです。たまにできて褒められても、当人はなぜできたのかわかりませんから、また失敗してしまう。そうすると、「どうして、さっきはできたのに」と、叱られているのか、残念がられているのか、わからないような言われ方をしてしまう。一番焦っているのはその子なのに。

 もし、渡す相手が走り始めるのが少しでも早かったら、自分が着く頃には全力疾走になっているわけですから、これは追いつけません。小学生なんて、50㍍のうちの、48㍍なりを全力で走ってしまいますと、最後の2、3㍍は、息も絶え絶え、ゼイゼイ状態になってしまいます。それなのに、前を行く相手は走り始めたばかりですから元気いっぱいで、しかも、一等賞を取るぞとばかりに責任感に燃えていますから、これは…当然のことながら…追いつけない。

 焦れば焦るほど、足はフラフラ、相手はますます遠ざかっていく…。前の子も、バトンが来ないと、あれあれという顔になって、振り返りますから、ずっと後ろにいる友達に気づく。そして慌てて引き返す。後から来た子にドンドン追い抜かれれば、嫌でも焦ってしまう。焦っていますから、それは、バトンがうまく渡せないし、取れない。アッアッと思う間もなく、ポトリとバトンが落ちてしまう…さあ、こりゃ大変だと拾おうとするが、こういう時にかぎって、バトンがコロコロと転がっていく。下手をすると別のコースに入ってしまったりする。そして、そこを走っている子と団子になって、一緒に倒れたりしてしまう…ああ、申し訳ない、ごめんなさい。

 ああ、あ、人生ではそういうことなど、日常茶飯事のことなのに、それが子供の頃にわかっていれば、その一つにしか過ぎないということで、それなりにあきらめもつくであろうに、あの頃はこれ一つで人生が終わったように感じてしまうのです。人生を賭けた大ごとのようにさえ感じてしまう。皆が自分を非難しているように見えて、学校に行くのが辛くなったりする…。

 多分、同じようなことは、今の留学生達にも起こっているでしょう。ただ、2年目の学生たちとはいうのは、ずいぶん逞しくなっています。毎日見ているわたしたちは気づかぬことも多いのですが、たまにそのクラスに入った先生から、来たばかりの学生達に比べて、随分大人に見えるなどと聞かされると、だてにここで一年を生きてきたわけじゃないなどと思ってしまいます。

日々是好日
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「日付の最初の『2』に慣れた…」。「不順な天候」。

2013-05-15 08:31:18 | 日本語の授業
 このブログに、今日の日付を入れながら、思わず、「2」から打ち始めるのに、いつの間に慣れたのだろうと、驚いてしまいました、我がことながら。

 まだまだ「1」から書き始めた方がずっと長いのに、今ではごく自然に「2000」の「2」から入れ始めています。

「降る雪や 明治は遠くなりにけり」  中村草田男

 わざわざ「忘却」という言葉を必要としないほど、「今」が自然に身についているのです。よく「苦しかったことは直ぐに忘れてしまう。だから人は生きていける」とは言われることですが、「忘れられる」というのも、人の、生きる力の源の一つなのかもしれません。

 さて、学校です。

 寒かったり、暑かったりが続いています。真夏の恰好をしている学生を見て、注意すると、決まって返ってくるのは、「昨日、暑かったから…」。こういう天候の不順には、なかなか慣れることができないのでしょう。だって、わずか(来日後)一年にも満たない者が大半ですし、長いと言っても、せいぜい一年半ほどなのですし。

 もうすぐ始まる「梅雨」では、「雨」と「蒸し暑さ」がセットになってやってくることになります。お天気も、どこかしら、はっきりしない「ダラダラ」した日が続くわけですから、勢い、身体の方も心の方も「ダラダラ」になってしまいます。

 日本人なら、こういう日の楽しみ方を知っている…本当は、知っていると言うよりも、やむにやまれず、そうしてきた…と言った方がいいのかもしれませんが、雨に洗われた「新緑」に目を洗われたり、「アジサイ(紫陽花)」や小さな「アオガエル(青蛙)」に心をときめかせたり…。

 「この季節には、こうするものだ」とか、「あの季節にはこういうものを見るものだ」とかいったことが、遺伝子情報として入り込んでいるような具合なのです。風土によって培われたのか、あるいはこういう土地に生きる者の術として身に付けてきたのか…。

 一年中がほぼ同じ、あるいは二つの季節しかないという土地に住んできた人達とは少し、生活の型が違うような気がします。本当に忙しないのです。

 こういう感覚にそれほど左右されない人ならいいのでしょうが、少しばかり神経質な学生は、ちょっとしたお天気の変化にも参ってしまいがちです。とはいえ、本当にどこに住んでも同じなのだろうなあと感嘆してしまうほど、動じない学生もいるのです。

 日本人は、(彼らとは違い)もしかしたら、こういう、一見、不順な五季(春夏秋冬と梅雨)を、それなりに楽しんでいるのかもしれません。どの季であろうと、雨が降ったらその季なりの雨、これは他の季節とは違うのです。

 春の雨、夏の雨、秋の雨、そして冬の雨。雨の強弱、そしてその時々の空気、気温などが微妙に入り交じって、その季節独特の「雨」(柔らかさや厳しさ、心地よさや切なさなど)になるのです。軒を打つ雨音も、滴る雨音も、アスファルトに降り注ぐ雨の姿も、その時々の山川草木(人工的な都市の姿をも含めて)が、すべて「雨」の中に注ぎ込まれ、それを楽しむのでしょう。

 とは言いましても、自転車に頼る生活になってからは、雨の日に外に出ることが、かなり苦痛になってきました。一旦外に出たら、出先に座り込んで戻りたくないような気分になってしまうのです。もっとも、戻ってくれば、もうこっちのもの。部屋の中で、しっかり雨を楽しんでしまうのですが。

日々是好日
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「草いきれ」。「学校の前の自転車」。

2013-05-14 08:21:20 | 日本語の授業
 晴れ。真夏のように強い陽射しです。

 最近は、草ボウボウの空き地をよく見かけます、本当に狭いのですけれども。贅沢と言えば確かに贅沢なのですが(普通は直ぐに何かに使われてしまいます。空き地というのは許されないのです、経済的な面から考えますと)、こういう空き地を見ると、ホッとするのも事実。「(家の)庭は過剰な手入れは何もしていません。そのままに放っています」という人もいましたっけ。

 雑草と一言で括ってしまうにはあまりに懐かしいのです。こういう草たちは。

 子供の頃、時々友達と「遠征」したことがありました。まだあの頃は宅地開発もそれほど行われておらず、少し遠出すると、線路の向こうには、田んぼが拡がっていたりしたものです。そこで「レンゲ(蓮華)」を摘んだり(白蓮華を見つけると、みんな「やったァ」ポーズになります)、四つ葉のクローバーを捜したり、あるいは「ままごと」用の草を摘んだり…。あの頃、草は田にも、道端にも、満ちていました。道も、まだ土の姿を留めていましたし。

 こういう逞しい草を踏むと、その度に溢れかえるような青臭い匂いがしたものでした。あれが夏の匂い、誰もが記憶のどこかに大切にしまっている子供の頃の思い出と共にある、あの匂いです。

 それが、今日、久しぶりですね。自転車で、空き地を通りすぎる時、草いきれの匂いが、プンとしました、一瞬ですけれども。

 足が悪くなって外に出られなくなると、無性に野山が恋しくなります。樹々の姿を仰ぎ見たくなります。人は年を取ると、大地に近づくというのは、こういうことも含めて言っているのかもしれません。若い頃よりも、ずっとそばにいたくなるのです。もっとも、野山には必ずいて、神様として崇められている蛇は苦手ですけれども…。

 さて、学校です。

 朝、9時になっても、学校の前には、自転車が一台しか置かれていません。これ、実は私のです。ところが、午後になると、学校の前は自転車で一杯になります。少し遅れた学生は、一階の教室にいる学生達の注目を浴びながら自転車を停めなければなりません。私も、この下の階の学生(四月生のクラスですので、私も、10分前ほどには教室に入っているようにしてます)と一緒にそれをいつも見ています。

おそらくは一緒に出たであろうけれども、いつも同じ人が遅れ気味なるとか、自転車を停める時に、よく鍵でアタフタしている輩がいるとか…。

 見るともなく見ていると、案外、面白いのです。それに、いつも遅刻するくせに、時間前に来た時だけは、こちらを見てガッツポーズをとるとか、遅れてきて、私に気づいた途端、駆け出すとか…。

 実は、よくここで先に停めてあった自転車を、1、2台、倒してしまう学生もいるのです。昨日は、先に停めてあった自転車を、タンタンタンと調子よく順番にみんな倒していき、慌てて起こしていくという作業まで加わっていました。もう時間がギリギリでしたから、慌てていたのでしょう。

 これまで、午前にせよ、午後にせよ、学校の前が自転車で一杯にならないと言うことはありませんでした。ところが、今期は、午前中、自転車がぽつんと一台置かれているだけ。何だか、不思議な気分です。

 とは言っても、だれも学校に来ていないというわけではありません。学校が寮として借りているアパートが幾つかあるのですが、そのうち、ベトナム人学生の大半が入っている寮は学校の直ぐ裏、歩いて2、3分の所なのです。これほど近いと、さすがに遅刻しそうになっても自転車で来ることはないようで(本当は「遅刻しそうになったら、1分でも大切、自転車で来い」と言いたいところなのですけれども)、学校に来る時は自転車は寮でお休みしています。

 でも、何だか寂しいですね。学校の前がガランとしているのは。先日も、用があって、午前の学生の自転車を借りようとしたら、そこでハタと気がついたのです、誰も自転車で来ていない……。

 午後は、自転車でも10分くらいはかかる寮から来ているスリランカの学生達が皆自転車で来ますから、それだけで6台。それにタイの3人の学生も自転車ですし、その他にも…。

 というわけで、頼み事があって学生の自転車を借りる場合は、午後と言うことになっています。

日々是好日
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「焦りが見えない学生達」。

2013-05-13 07:49:59 | 日本語の授業
 曇り。今日は、晴れのつもりでいたのですが。どうも…曇りです。しかも時折、小さな雨粒がぽつりと来ているようです。

 朝、窓の外から差し込んでくる陽の光があるかないかというのは、精神的にどうかということでしかないのでしょうが、心の持ちようが違ってきます。朝、起きた時の、さあ、今日も一日が始まったという…。

 とはいえ、一日は始まっています。6月の『留学試験』まで、1か月ほどしかありません。しかしながら、学生達もあまり焦っていないし、私たちも、心がざわついているかというとそうでもないのです。

 「漢字圏」の学生が「一クラス」を作れるほどいた時には、そして進学のための授業ができるほどアルバイトなりが安定していた時には、6月は、一つの勝負時だったのですが。

 「非漢字圏」の学生が多く、しかも彼らに「ひらがな」か、あるいは「カタカナ」の文字を知らしめるところから始めなければならなかった時には、一年ほどで「勝負させる」というのは、かなり無理なことになってきます。

 それでも、スリランカの学生は「ヒアリング」だけはいいので、それなりに知識を増やしていくこともできるのですが、これがベトナムの学生となりますと、ヒヤリング力がかなり劣っていますので、これも難しいのです。つまり、音が聞き取れないのです。それゆえか、真似をしてでも日本語の音が出せないのです。音の区別ができないので、音を区別させるという、作業にかなりの時間を割かなければならなくなってしまいます。

 例えば、本人は「さようなら」と言ったつもりでも、私たちにはそう聞こえないのです。一体何を言っているのかと思い、思わず「何か用ですか」などと言ってそばに寄っていったことさえありました。もちろん、個人差はありますが、相対的に、「音」が聞き取れない人が多く、来校した時に、彼らの言っていることが少しでもわかると、ホッとしてしまいます。

 しかも、教えて行くにしても、三日かけて目鼻がついたかなと思うと、四日目に休む。それでまた白紙に戻り、土日と休みが続くと真っさらになり…の繰り返しです。彼らからしても、遅々たる進歩(?)にやる気を無くしがち。ただ、不思議なことに、誰も「よく休んだからナ」とは思わないようです。反対に、頑張る人になると、もうヒアリングは棚上げにしてしまい、漢字ばかり覚えようとしてしまいます。

 今年の四月生は、スリランカ勢(この人達は発音に問題があります。久しぶりでした、こういうスリランカ人は。マ行とラ行がごっちゃになったり、拗音がいい加減だったり…とはいえ、ベトナム勢よりはずっと指導が簡単です。後は本人が気をつけることができるかどうかだけです))が多く、ベトナム人は二人だけ。

 この二人のうち、一人は先週の金曜日に来たばかりですので、その時の印象でしかないのですが、発音にそれほどの問題はないようでした。四月に来ていた学生は、多少出ない音はありましたが、それも2週間程度の「発音・文字」練習期間に、どうにかできる程度でしたから、多分それほどではなかったのでしょう。それに彼女は勉強する習慣がついているようですから。

 この学校の、標準的な進度、つまり一年ほどで「上級」に入れていれば、この「六月の留学試験」もきっちり視野に入れることができ、対策も講じておけるのですが、難しいですね(よく勉強するクラスの場合は、もっと早く進めていくことができます。「上級」が終わっていれば、歴史なり、ニュースなり、あるいは彼らの専門なりを取り上げることもできるのですが)。今は、せいぜい「七月の日本語能力試験」くらいしか、それなりの対策を講じることはできないようです。

日々是好日
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「休まないで、毎日学校に来ることが大切。しかも、定時に」。

2013-05-10 08:31:46 | 日本語の授業
 晴れ。無風。
 今日、ベトナムから新しい学生がやって来ます。これで今年の四月生は揃ったことになります。

 迎えに行ってくれるのはベトナムの二年生二人。昨日、新入生の顔と名前を見ていましたから、大丈夫でしょう。彼らの電話番号も既に彼を送り出したところに伝えてあるそうですし。

 さて、「Dクラス」です。
今の「Cクラス」の学生達が、『初級Ⅰ』を勉強していた頃に比べ、かなり重いのです。彼ら(「Cクラスの学生」)は、動詞の活用も(一応です)母国語で学んで来た人達が多かったので、『初級Ⅱ』に進んでも、『初級Ⅰ』の部分でしくじるということはあまりないでしょう。が、この人達はどうでしょうか(『初級Ⅰ』を終えた人は一人しかいません。あとは勉強したと言っても「11課」までです)。

 やはり、「非漢字圏」の人達は、できるならば、母国で母国語による日本語を、『初級Ⅰ」くらいまでは、学んでいた方が、(来日してから)いいでしょう。何と言っても精神的に楽だと思います。少なくとも、単語の意味は母国語による説明を受けているわけですから。もっとも、単語や文法には、母国語による対訳が、たいてい、ついていますから、それでも判らないと言うのはそれほどあるはずはないのですが。

 来日してからは、頭での理解を実用的なものにしていくという作業が主になります。特に、『初級』レベルではそうです。日本語での授業を受けていくうちに、ある時、ストンと肚に落ちていくようになるのです。これは、どの言語を学ぶ場合も同じでしょう。ただ、日本語の場合、中国語を話す人達は、母国で学ぶということは、それほど必要ではないように思われます。人によっては、それが却って災いし、すべてを中国語に置き換えて理解(漢字をです)しようとしたりしますから、大変です。特に上級に進んでいけば進んでいくほど、これは問題になってきます。勿論、これとても、母国での教育レベルによるのでしょうが。

 昨日は、8課の形容詞に入ったのですが、単語を覚えるのが大変そう…、「ナ形容詞」では、やっと「○○な」を覚えたと思ったら、こんどは「○○です」。舌も口も動かないながらも、どうにか「○○です」に対応できるようになったと思ったら、次にもう一つ、「○○じゃありません」が待っていました。そして今度は「イ形容詞」です…。意味はどうにか判っても、姿が変わっていくことに対応できない…。

 もっとも、初めて勉強する時は誰だってそうです。でも、毎日きちんと学校に来て、真面目に言われたことさえやっていれば、大丈夫。そのために、学校では「本時の授業」の前に、同じくらいの時間をかけて、毎日、「復習」しているのですから。ただ、休みが重なると、これは当然のことながら、授業について行けなくなります。

 この、初めの3か月というのはとても大切で、これは、「一日も休むな」というより、「時間通りに来い」と言った方がいいのでしょうか。何となれば、定時に来なければ、毎日の「復習」の時間が欠けてしまうことになり、「本時」の時の勉強がわかっても、それを定着させられなくなるのです。

 毎日、定時に、学校に来なければ、条件反射で言えるようになるための作業がいつも欠けてしまうということになってしまいます。それに、「ひらがな」と「カタカナ」も覚えなければなりませんし(まだ「漢字」には入っていません)。それには、授業が始まる前に来て、ディクテーションや宿題の間違いを確認し、一度ノートに書いておくという作業をした方がいいでしょう。欲を言えばのことなのですが。

 『初級Ⅰ』の内容なんて、「考えてどうにかなる」というような代物ではないのです。だいたい、考える必要などないのです。考えて意味を聞こうとしても、まだ日本語が話せませんから、日本語で聞くことはできません。それに、私にはベトナム語もシンハラ語もタガログ語もタイ語もわかりませんから、答える術はありません。あの(参考書に書かれている)レベルの「単語」や「文法」くらいでいいのです、わかるのは。そしてその使い方を、毎日練習していけばいいのです。後は「ひらがな」と「カタカナ」が書け、読めるようになっておけばいいのです。今までの学生達は、皆、こうやって、日本語に不自由ないようになりましたから。

日々是好日
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「どうして怒り出したのかわからない…」。「手を合わせるということ」。

2013-05-09 09:53:40 | 日本語の授業
 昨日も風が強く、コートが要ったようなお天気だったのですが、やはり初夏と言ってもいいのでしょう、5月ですから。街で「タチアオイ(立葵)」の花を見かけました。だれかが種を蒔いたのでしょう、街路樹の下に、背伸びをするように咲いていました。

 この花は高校の花壇にも植えられていて、どうも花らしくなく逞しすぎる…という感じがしたものです。「花や草というのは、ひ弱げなものである」という先入観が、太い茎を見て驚かされたのでしょう。それからも「バラ(薔薇)」の太い茎に驚かされたりしているうちに、花や草といっても、弱々しげなものと、決まっているわけではないという、当たり前なことに、おかしなものですが、そのとき気がついたのです。

 「バラ」と言えば、今、行徳の公園でも真っ盛り。休日ともなれば、急ごしらえのカメラマンが花を撮ろうと集まっています。しかしながら、忙しいこと。冬が終わらないうちから、人は花の姿を追い求め、あちらこちらへ花狩りに精出していましたし。

 さて、学校です。
 昨日、「Bクラス」で、短文作りから、話が脱線してしまい、人は、喜怒哀楽などの感情は、皆同じだけれども、そこに至る過程やきっかけは異なる。それには「人によって違う」と一言で片付けることができない部分がある。宗教的なものとか風土から来る習慣、あるいは国民性(としか言えないのですが)などからくる違いが、(大まかであっても)存在し、それによって良かれと思ってした行為も、真逆にとられることがあるなどと行った話です。

 学生達も、うん、うんと頷いていましたが、そこで例に出たのが、半年ほど前のタイ人女子学生とバングラデシュ男子学生とのいざこざです。

 ある日、最初の授業が終わって直ぐ、タイ人女子学生が二人、血相を変えてやって来ました。一人は泣きながら訴えます。「Nさんが悪い。とても嫌です」というようなことを言うのですが、「どうしてですか」といくら聞いても要領を得ないのです。「もしかしたら宗教的なものかもしれないし、イスラム系の男子はあまり女性に譲ることをしないから、それで苛ついていて、それが何かのきっかけで爆発したのかもしれない。あるいは彼が冗談半分に要らざることを言ったので、カチンときたのかもしれない」などと、彼女の要領の得ない話を聞きながら、こちらが考えをめぐらしていると、そういう私の姿にも腹を立て始めた様子。とはいえ、彼女も、一緒についてきた女子学も、こちらが納得がいくような説明ができないのです。

 彼女としては、先生に言いつければ、「先生は必ず彼を罰してくれる。だから、それで溜飲が下げられるはずだ」と思っていたのに、私たちがしつこく理由を聞くばかりで、直ぐに彼を呼び出し、怒鳴りつけるなり、罰を与えるなりしないことに、怒りを覚えたのでしょう。

 「理由もわからずに、人を叱責することも、罰することもできない」と私が言っても、「どうして…。わからない。私は怒っているのに」という言葉しか出てきません。困ってしまいました(多分、お互いに)。ちょうど時間になったので、「授業が始まったから、教室に戻りなさい。後で彼からも話を聞くから」と言って返したのですが、彼女の怒りは収まるところを知らず、なんでも(その女性は帰国したのですが)一緒にいた女子学生は、いまだに彼とは口を利かないのだそうです(昨日、初めてそれを知りました)。

 帰りにその、バングラデシュの、彼に聞いたのですが、彼の方でも、「わかりません。急に怒り出しました。私は困っています」。その場にいた他の学生に聞いても、どうも彼のことを気の毒に思っているような雰囲気の言葉しか出てきません。もちろん、彼女らは怒ったままでした。「もういいです」で、帰っていきましたから。

 「理由はよくわからないながらも、怒らせるようなことはしたのだろう。わからなくても、謝っておきなさい(実はこういうことはないわけではないのです。その国の人達以外はわからないということもあるのです)」と、一応、言っておいたのですが、謝っても無視されたらしく、悄げていました、あのときは。

 みんな、この出来事を覚えていたようで(随分前なのに)、これで一挙に(授業が)盛り上がり、学生達がいろいろなことを言い始めました。昨日は、関係者は彼一人でしたから、誰に気兼ねもなく言えたのでしょう。ただ、皆の共通理解とし、(急に怒り出したのは困ったけれども)彼女は勉強も頑張っていたし、いい人ですというのは上がっていました。さすがに、皆大人、気遣いの達人達です。ちゃんと落とし所は考えています。こういうことは、いい人だからとか嫌な人だからとかいうことの埒外にあるのです。そこが難しいところなのですが。でも、結局、あれは「子供と子供の喧嘩です」ということに話が落ち着きました。

 私も自分の経験からの失敗例などを(いくらでも出せます)出したのですが、みんな「へえ」と言ったり、「そうそう」と言ったり、まあ、楽しかったですね。今では笑い事ですけれども、あのときはそれなりにどうしようと悩んだのですけど。

 日本では、宗教の垣根というのが、他の国に比べれば、かなり大らかで、「あの人はあの宗教だから」といって少々警戒されたりするのは、一二の例外を除いて、ほとんどありません。キリスト者も他の先進国に比べればとても少ないですし、イスラム教徒に至っては、身近にいません、勿論、日本人でですが。

 以前、80歳くらいの日本人男性が、(この人は、田舎の資産家で、高校の校長先生でした)こんなことを言っていました。
「知り合いが来る度に、自分達の宗教に入ってくれと言うので、『はい、はい。いいですよ」と言っているうちに、ドンドン増えて、今では30を超えてしまったようだ。自分が死んだら、家族は何で葬式を上げるのだろう。死んだ時、どこの神様のところへ行けばいいのだろう。困ったことだ」
大らかなものです。本人は何とも思っていません、笑って終わりです。でも、これでいいのでしょう。

 といって、これは別に笑い話でもなんでもなく、そういうことはいくらもあるのです。寺ならどこでもいいだろうとか、形の上では仏教徒なのだけれども、知人の神式の葬儀を見て、余計なものが一切なく清らかであったので、(自分の葬式は)あれでやってもらうことにしたとか。

 だから、一神教を固く信じている人達から、「日本人は信用できない。一体、何を信じているのだ」なんて言われるのでしょう。けれども、私はこれでもいいと思っているのです。所詮宗教なんて、「人の心が生み出したものに過ぎないのですから」)。 

 日本人というのは、宗教の持つ「学」や「お話」は喜んで聞いていても、「どの神様も人の幸せを願っているはずだ。だから、神として祭られている存在なら、なんであろうと拝んでおけばいい」くらいの感じで対している人が多いのかもしれません。

 私も、宗教はと改まって聞かれたら困ってしまいますもの。

 とは言いましても、手を合わせて何者かに祈るという習慣だけはあるのです。人の心が生み出したこういう存在、あるいは観念に対して、貴いと思う気持ちは、多分日本人なら誰にでもあるはずです。

 人が幸せになるように祈る、これは、「だれに」が大切なのではなく、「祈る」という行為それ自体が貴いのでしょうから。

日々是好日
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