日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「教師と学生の関係」

2010-09-30 07:00:35 | 日本語の授業
 静かな朝です。昨日、マンションの一階から可愛らしい子猫の声が聞こえてきました。隠れ猫です。我慢できずに飼いはじめている人がいるようです。

 昨日は久しぶりに晴れの朝を迎えました。だからでしょうか、一昨日五人も欠席した「Aクラス」の学生達は一人を除いて、皆出席です。一挙に五人も休んだということは、このクラスでは前代未聞のことでしたので、すぐに電話をかけます。「いったい、どうしたんだ。休むなら休むで、どうして電話しないのだ」と。

 このクラスは、来日後、すでに一年半くらいは経っています。それでいて、なおかつ、こういう当たり前の事ができないようですと、卒業してからが思い遣られます。だいたいからして、これまで、こんなことはありませんでした。病気なら仕方のないことですが、それが一日に、突然五人もとなりますと、なかなかそうとは考えられません。すぐに電話です。出なければ、留守電に残しておきます。少しすると、いくつかの「しまった。まずい」という声が電話の向こうから聞こえてきます。返事がなかった者は、昨日聞いたところによりますと、熟睡していたとか。そう答えながら、いかにも幸せそうに笑っています。本当にもう。

 と言うわけで、昨日は、一名を除き、あとは皆やって来ました。これから、「総合」の授業では、世界史の映像を中心に見ていきます。同時に高校の教科書や資料集なども用いていきます。歴史の流れが掴めていないと、あと一ヶ月ほどの授業を受けるときに判らない部分が増えてしまいます。読むのがそれほど得意ではない学生も、映像がその理解を助けてくれます。これに参加していないと、卒業後(教えてくれる日本人がいなかった場合)、新聞を読んだときや、国際関係の授業を受けるとき(大学で)、空白の部分が多くなってしまいます。授業を休ませては駄目なのです。

 帰り際、一昨日休んだ学生達の、一人ひとりにチェックです。嫌みな奴だと思っていることでしょうが、この商売、煙たがられなかったら、ある意味では一人前ではないのです。人に好かれたいとか、事なかれ主義の人は、こういう渦の中では、はじけ飛ばされてしまいます。どの職業でも同じでしょうが、そういう人は、相手からも適当にしか扱われないのです。その人が他の人を扱うようにしか見られるはずがないのです。

 私の場合、それが多少過剰気味で、時には、これでも嫌いにならないかと、力尽くでやるときもあります。事なかれ主義の人は、どこかでぼろがボロボロと毀れだし、結局は立ちゆかなくなってしまうのです。こうするという気持ちを決めたら(間違った方向でやったら、それこそ、総スカンを食ってしまいますが)、それを徹底させる方がいいのです。その人の価値観、倫理観というものが、相手に判った方がいいのです。へたに一人に譲ってしまうと、いつの間にか全員がそれを要求するということにもなりかねません。わずか20人に満たないクラスでも、10ヶ国近くの国から来た人がいるわけですから。価値観、倫理観が皆多少ずれているのです。

 そうなりますと、結局は、皆に軽んじられてしまいます。なにせ、相手は大人です。言葉こそ不自由ですが、彼らの国では立派に生活を営んできているのです。日本人が他の日本人をどう思うのかと、同じなのです。基準こそ、それぞれ違いはするものの、評価を下した後、その相手にどう対するかというのは、どの国の人であれ、それほどの差はないのです。

 学生達を見ていますと、それがはっきり判ります。どんなに厳しくやろうと、その理由さえ納得できれば、彼らは教師に譲ってくれます。ですから、叱られれば、「まずい」と思い、「すみません」と言います。謂われなき叱責と彼らが受け止めれば、それは教師と学生の間に齟齬を来たし、下手をすると捩れに捩れてしまうかも知れません。つまり、信頼関係というのが育たなくなるのです。

 誰から見ても、叱られるのが当然であるという共通認識の下に、学生を叱責すれば、教室の中に、共通の「基準」というのが育ちます。納得できていなくとも、それが「日本では当然だから、それを守らなければならない」という認識です。これさえ育っていれば、アルバイトの時にも役立つでしょうし、日本人の友人を作るときにも、大学や大学院で教授方や、先輩と話をしたり、教えを請うときにも役立つでしょう。皆、日本人なのですから。

 教師というのは、嫌われるのを恐れるようでいては成立しない職業です。けれども、ありがたいことに、ぶれずに態度さえ一貫していれば、煙たがられながらも、それなりに信頼関係は築けます。「コイツの時にはこういうふうにしておかねば、やられる」と学生が判れば、それでいいのです。その多くは無断で休んだとか、断らずに鉛筆を借りたとか、そういう些末な事なのです。が、日本で暮らしていく上では、「どうでもいいじゃないか」では済まされないことなのです。

 それが、自然に行動できるようになるには、三ヶ月から半年はかかります。皆が皆、日本人と同じ感覚で生活してきたわけではありませんから。それも、初めて日本へ来た、初めて授業を受けた、そういう人でなければ、(変えていくのは)難しいのです。鉄は熱いうちに打て、それは本当です。

 すでに日本に来て数ヶ月になる、数年になるという人に、今更言っても、始まらないでしょう。「自分は日本に来て数年になるが、自分の国と同じようにやってきた。それで問題なかった。困らなかった」と主張されれば、「それは間違いである」と汗を流しても言ってやる気にはなれません。私たちから見れば、一体どんな日本人とつきあってきたのだ(多分、同じ国から来た人たちとしか付き合ってはいないでしょう)と思われても、本人はそれが判っていないのですから。

 ただ、留学生として、この学校で受け入れた学生達に対しては、徹底的に汗を搔いて指導します。それが受け入れた責任であるからです。また真摯な態度で学びたいと言って来た人にも、この学校の留学生と同じように指導します。結局は教師も「人」なのです。

 彼ら(日本語を学びに来ている人たち)は、義務教育の年齢の人(小中学生)ではありませんから。母国での習慣というのは、それほど変われないものなのです。また、他国の習慣、価値観というものも、なかなかに理解しがたいものなのです。かなり聡明でなければ無理でしょう。だから、先に具体的なことから習慣づけていくのです、日本でそれなりに暮らしていこうと思うのなら。

 もちろん、すぐに帰ると言うのなら別です。日本語だけ覚えて帰ればいい。それだけのことです。けれども、日本語を学ぶ上で、日本の文化や習慣、歴史を知るというのは、ある意味では必要不可欠のことだと思うのですが。単語を対訳で覚えた。文法も対訳で覚えた。それで日本人とギクシャクせずやっていけるかというと、そういうものではないでしょう。それがわかるかどうか…。結局はそういうことなのです。

これは、日本語だけではなく、どの国、どの民族の言語を学ぶ上でも、当然のことだと思うのですが。

日々是好日
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「詩歌のリズムと響き」。「雨は好き……じゃない。太陽が恋しい」。

2010-09-28 22:53:17 | 日本語の授業
 雨の日はいいものです。今朝も、歩いての登校です(まるで、学生みたいですね)。濡れて潤いを取り戻した木々を見ながら、今朝は、我ながら余裕綽々でした。 昨日は、どうしてこんなに遠いんだとブツブツ言いながらの登校で、まわりを見やる余裕など、全くと言っていいほど、ありませんでした。ところが、今朝、近くで、「ねじれ草」をみつけたのです。秋ですね。雅な名でいうところの、「モジズリ」です。

「みちのくの しのぶもぢずり たれ故に 乱れそめにし われならなくに」(源 融)

 「百人一首」を覚えはじめた頃、「もぢずり」なんて、一体何のことなのか、全く判りませんでした。それが草の名であることも知らなかったのです。もちろん、そうは言いましても、「乱れそめにし われならなくに」で、多分、恋の歌だろうくらいは、推察出来ましたけれども。

 いったい、「百人一首」なんてのは、いわば、ゲームで、トランプの代わりのようなものなのです。「アリスとトランプの女王」が出て来る代わりに、絵札に、「女房」や「坊さん」が出て来るだけです。もっとも、引き札の方は、文字だけで、色気などありませんけれども。

 思えば、短歌や、いわゆる「詩」に属するもの(限りなく詩的高揚をもたらす文章も含みます)は、極端な言い方をすれば、意味なんぞ分からなくともいいのです。心に響いてくる、リズムさえあればいいのです。初めてテレビ講座で、ドイツ語の詩を読んでいるのを聞いたとき、意味なんぞ判らずに、しかも、判らないくせに、不思議に心が高ぶりました。

 シュバルツバルトの森の闇の深みを感じさせられるような、ただ「イイッ(良し)」だったのです。陶酔するような声でした。それは、人の声、つまり音声が語った、森の木々であり、樹々の姿が映った深い湖の緑だったのです。

 こういう感覚は人によって全く違うもののようで、それを友人に話しますと、途端に「エエッ」という反応。「ドイツ語の響きのどこが良いの!」と馬鹿にされてしまいました。けれども、私には、詩に聞こえたのです。確かに意味は判らなかったけれども、あれは詩以外の何物でもないと思えたのです。本当に、同じものを聞いても、それの受け方が違うのです。感性が違うと一括りにしても良いようなものですが、そうとばかりも言えず、どこかしら、戸惑いが抜けきらないのです。とはいえ、ドイツ語の響きを懐かしむ人も居れば、日本語を音楽のようだという人が居てもおかしくはありません。その人には、そう聞こえたのですから。

 ただ、どの言語に限らず、たとえ、意味が分からなくとも、人をして聞き入らせてしまうような優れた響きを、類い希なる詩歌は持っているようです。破調したものは、それなりに。

 さて、学校です。
 朝から昼過ぎまで雨は降り続いていましたが、午後になると薄日が射してきました。3時近くに教室に行きますと、窓からの光がもう少しで学生の顔に当たりそうになっていました。それで、「カーテンを閉めましょうか」と言うと、学生は、「太陽の光です。そのままで大丈夫です」と言います。それでも、目に当たって眩しかろうと、カーテンを閉めたのですが、後からよくよく考えてみまするに、彼は内モンゴルから来ていたのです。ここ数日雨が続きましたので、(雨に)参っていたのでしょう。そのままにしておいた方がよかったのかなと反省してしまいました。彼は、私に気を遣ったのか、何も言いませんでしたけれども。

 そう言えば、内モンゴルからの学生が多い「Aクラス」は、バタバタと病人が続いています。歯を抜いて、腫れたので来られないという漢族の学生までいますからね。どうも、乾燥地帯で育った彼らは雨に弱いようです。私なぞ、雨が降ったことによって、すっかり元気を取り戻しているというのに。

 日本人は、夏の初めの「梅雨」をはじめ、秋には、例年、台風や秋雨前線の停滞もあり、長雨というのに慣れています。その、シトシトと降り続く雨を楽しむ術も知っています。けれども、来日後一年かそこいらの学生達は、なかなかそうはいかないのかもしれません。雨の日は、嫌だと言います。一日中、部屋にいても、やはり嫌だと言います。そこが違うのかも知れませんね。日本人とは。

 とはいえ、一雨ごとに秋らしくなるなどと、ニコニコして彼らに言ってしまった自分が、少々決まり悪くなってしまいます。

日々是好日
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「水たまり、チャプチャプ」、「原石の輝き」。

2010-09-27 21:47:42 | 日本語の授業
 今朝も、一日は、雨から始まりました。自転車は使えませんので、チャプチャプと水たまりを踏みしめながらの登校です。雨は良いですね。いつの間にか、傘を肩にかけ、ルンルンとしています。水たまりを見かけると、よいしょとばかりに飛び越え、時にはその中にジャブジャブ入って、チャプチャプやっています。

 子供の時は、いつもこうでした。そのころは今のように、道も舗装されていませんでしたから、所々にドロの水たまりがありました。そこは乾くとチョコレートのようになるのです。それが好きで、よくそのドロをこそぎとっては、ドロ団子を作ったりしたものでした。

 そして、虹です。雨の後はよく虹を見ました。あまりに虹がありふれていましたので、今ではもう、そのころの感覚を忘れてしまいました。蜃気楼、そして虹です。夏の風物詩というものは。

 そのころ、多分私は輝いていましたろう。輝いていたときには気づかないものなのです。自分は見えませんから。けれども、学生達を見ていて、そう感じることがあるのです。私もかつては彼らと同じように輝いていたと。そう感じさせられることが多いのです。

 彼らは、今がとても大変な時だと思っている。いろいろなものに踏みしだかれ、息も絶え絶えのようである。けれども、私から見れば、輝いているのです。

 アルバイトが見つからない、苦しい。でも、君は輝いている。成績が伸びない。いくら勉強しても、皆に追いつけない。けれども、君は輝いている。そうなのです。

 輝いているのです。私も彼らと同じような頃はあったでしょう。けれども、自分が輝いているなんて感じたことはなかった。それと同じです。今、彼らは輝いているのです、どんなに苦しくとも。私は、それを、彼らに伝えることも、自分の仕事の一部だと考えています。

 私たちは石ころなのです、私たち教師というものは。彼らは、いまだ磨かれざる宝石。それを磨くのが、我等、石の役目。石からは彼らの裡なる宝石の部分がよく見えます。本当に美しいと思います。ただ彼ら自身はそれに気づかない、それどころか自分には何もないと思っている。極端にいえば、それが厄介なことだと思っているのです。

 それもまた然りなのです。彼らからは見えない、だから宝石なのです。誰にも判るものだったら、それは貴重な宝石とは、もう、言えないでしょう。

 原石を見出す。それを研ぐ。それなりのものに仕上げる。そして、それからあとは、彼ら自身の問題です。そこまでやるのが、ある意味では、この学校の使命なのです。

日々是好日
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「秋晴れ」。「白鷺舞う、日本の『水田地帯』」。

2010-09-26 08:17:24 | 日本語の授業
 今朝は晴天です。早朝からスッキリとした空でした。こういう涼やかな日を迎えられますと、久しぶりで(一年ぶりでしょうね、つまり)「秋晴れ」と叫びたくなってしまいます。今年の夏は、まるで、火にかけられた薬罐が、カンカンと音を立てているような暑さでしたから。

 さて、個人的なことですが、毎週一回、土曜日に小旅行をしています。旅行と言いましても、埼玉県へ行って、一時間ほどして、また戻ってくるだけのものなのですが。とはいえ、私にとっては、これは「旅行」と言えるほどのものなのです。膝を痛めてからはずっと職場と家の往復だけのような毎日でしたから(職場も歩いて行ける距離です。ただ私は自転車を使っていますが)。

 まず、行徳駅から東西線で西船橋まで行きます。それから武蔵野線に乗り換えて、南越谷駅まで参ります。ここからは、駅を出て、二・三分歩かなければなりません。新越谷駅へ行き、東武伊勢崎線で久喜へ、そこから乗り換えて、目的地、鷲宮へ至るのです。これをはじめたのは、もう一昨年の桜の頃になります。花の咲く、少し前からでした。

 最初の頃は、乗り換えに慣れていないこともあり、しかも治療が終わってから疲れ果てて寝込んでしまったりしたことも少なくなかったものですから、乗り過ごしたり、違う電車に乗ったりと、てんやわんやが続きました。今では、もうそれも落ち着き、眠っていても乗り換える頃には目覚めると行った理想的な形になっています。

 昨日もそんなわけで、小旅行へ行ってきました。昨日は予約が定時にとれず、いつもより一時間早く行かなければならなかったのですが、それはそれで、発見もあったのです。新越谷から、館林行きに乗れば、久喜で下りることなく、直で鷲宮につけたのです。ずっと、最初に聞いたとおりの路線で行っていましたから、迷うことなどなかったのです。これまで、随分この館林行きを見逃していたのでしょうね。残念、残念。けれども、駅で、よくよく路線図を見てみると、そのまま乗っていたら、どうもきれいな景色の所へ行けそうなのです。鷲宮へ行くだけでも、ホッと心が和むような景色を見られるので、幸せな気分になれていたのですが、そこからホンの少しの距離で、みんながリュックを背負い、わざわざ行くような所へ行けそうなのです。

 都心を突っ切って行くのとは違い、この路線では桜並木や、どこまでも続く水田、そして時には山々の姿を目にすることもできます。

 昨日は、黄金色の稲穂を見ました。遠くから見ると、まるで菜の花が揺れているようです。この水田地帯には、白鷺が何羽も飛んで来ます。餌が多いのでしょう。春先に、帰りにちょっとあの辺りを散歩したことがあるのですが、水が張られた田には、驚くほどの虫や小魚の姿が見られました。見たくはなかったけれども蛇まで見てしまいました。

 夏には、早めに着いたときに、ちょいと足を伸ばしたことがあるのですが、途中で、ウシガエルが大合唱する池を見つけました。おまけにそのそばには桑の実まで、なっていたのです。だれも食べていないのです。鳥まで無視しているのです。コイツはもったいないと味見をしてみると、まずい。やはり、鳥が手を出さないものは、まずいのです。

 これからは散歩にいい季節です。そろそろ歩いてみるのもいいのかも知れません。蛇さえ出なければ、見るだけでなく、あそこで、ウォーキングとしゃれ込んでみたいのですが、どうもあの辺りでは、うちに青大将を飼っている家が多いと見ました。一人では、おいそれと歩くわけにはいきません。

 けれども、こういうところを見ていると、学生達を連れて来て、歩かせてやりたいような気になってきます。今の行徳の辺りでも、鉢植えの花などを見て「きれいだ」と言うくらいなのですから、ああいう田園地帯に連れて行ってやったらどんなに驚くことでしょう。成田空港から行徳に至る道筋、外を食い入るように見つめていた、ミャンマーから来た学生が「ミャンマーと同じです。ミャンマーは本当にきれいです」と言っていた言葉や、内モンゴルから来た学生が、緑の水田を眩しげに見ていたのを思い出します。

 何もない、普通の日本の姿。それは山里でも水田地帯でもいいのですが、つまり博物館や名所旧跡ではない所を歩くというのも、課外活動の一つなのかも知れません。ただ、行徳からは遠いのです。学校では、クラスを、午前と午後に分けています。午前のクラスの学生達には、たいてい午後にアルバイトがありますし、午後のクラスの学生達には午前のアルバイトがあります。

 丸1日を使った課外活動は、すでに年に三回も用意しています。三回まではいいけれども、それ以上になると、アルバイト先からもあまりいい顔はされないでしょうし…。何とも切ないところです。

日々是好日、
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「雨の朝」。「コモドドラゴンに興奮する学生たち」。

2010-09-25 06:17:32 | 日本語の授業
 今朝は雨です。お空も、昨日は一日、我慢できましたのに、今日は、やっぱり雨になりました。夜中にシトシトという雨の音で目覚め、不思議と心温まるような気持ちになりました。雨の音で心が安らぐなんて、秋ですねえ。とはいえ、台風が、雨の雲をこちら側へ引き寄せたわけですから、どこかが被害に遭っているわけで、こんな気持ちになっては申し訳ないのですが。

 しかしながら、部屋の中で、雨音を聞きながら、山里のような風景を見ることができたなら、誰もが幸福だと言うでしょうね、日本人ならば。日本人は、キッパリとした美に「あくがれる」民族というよりも、雨に濡れて煌めく苔を慕う民族なのです。日本の秋の長雨は、本当にいいものです。春の桜に狂うのも、日本人ならば、秋の雨に心を浸すのも日本人。ヤマトとはあまり強調したくはないのですが、時々、非常に愛国的になってしまいます。もっとも、私の言うところの愛国というのは、「日本の風土」という意味なのですが。

 さて、学校です。
昨日新しい学生が二人、やって来ました。一人は中国から、もう一人はミャンマーからです。二人とも好青年で、まじめそう、しかも、お姉さんに連れられてという共通点までありました。ただ来日時の日本語のレベルは少々違っていますので、同じクラスで勉強というわけにはいかないでしょうが。

 「中級」のクラスでは、やっと(教科書の)第1課が終わったものの、まだワークブックの洗礼を受けておりませんので、学生の方でも「中級」の授業の流れというのが今ひとつ掴めていないことでしょう。「教科書」次に、「ワークブック」、そして最後にその課の漢字テストというものを一度経験しますと、「ああ、こう流れていくのだな」ということが実感でき、心づもりも出来ていきます。その上でも、「初級」、「中級」、「上級」の最初の課から授業を受けるのは必要なのです。その段階(初級、中級、上級)において大切なこと、またやり方などを説明していきますから。

 まあ、それはともかく、このクラスでは、来週、一度、「日本語能力試験(N4)」レベルの試験を実施します。在日の学生の中には、「初級」の終わりが、則ち、「N4」レベルに到達できたと誤解している学生もいることですし。在日生が多いクラスの場合は、「初級」の終わりに一度「N4」レベルの試験を実施してみて、まだまだこの試験に参加するには至っていないのだということを肌で掴んでもらった方がいいのかも知れません。

 ミャンマーや中国などの国では、その国の「日本語に関する教育力」というのがかなりあるようですので、「N1」合格というのも、それほど大変なことではないと思われますが、その他の国ではそうはいかないのです。

 つまり、日本語能力試験のような「日本語の試験」で、「4級」合格が「それほど大変なことではなかった」という人が、往々にして、してしまう誤解があるのです。「私はできる。日本語は簡単」とばかりに、すぐに「三級」を通り越して、「二級」を受けるなどと言ってくるのです。「漢字圏」の学生だって、そんなに簡単なことではないのに、当方としては、最初は唖然としてしまいましたが(今はもう慣れました。ああ、またかくらいのものです)。

 日本に二・三年も住んでいれば、例えばインド人であれば、かなり達者な日本語を話します。けれども注意して聞いてみると、そのほとんどが、よくて「初級Ⅱ」の文法止まりなのです。漢字もせいぜい「四級」の範囲で「三級漢字」まで書けるという人もそれほどいません。それでいて、学校に来るなり、今度の試験で「二級」を受けると言うのです。話しているのを聞いても、こちらの話している内容がわかっていないのです。(私の言うことに)適当に受け答えしているけれども、念押ししてみると、トンチンカンな答えが返ってくるのです。つまり、日常会話では、相手を煙に巻くか、相手に、もう一度聞き直すのが面倒と思わせる術を習得しているだけなのです。これでは相手に信用されないでしょう。面白がられるにしても。

 相手に、自分は日本語が出来ると思わせておかねば、この日本の地では何も出来ません。それはどこの国であっても同じでしょう。そういうとき、この学校の学生が姿を現すとホッとします。彼らはわからないことは、判らないと言います。ごまかす必要のない環境にいて、そのことを当然と思いながら勉強していけるのです。わからないことが判っているというのは、まだ教えられていないことは判らない、つまり知らないということで、それは「中級」で勉強するからねとか、それは「ヒヤリング」の時間に勉強するからねといえば済むことです。

 やはり、学校で系統的に勉強できるというのは、良いですね。

 ところで、昨日、「人間と共に生活をしてきた動物たち」を「Dクラス」の中で上げてみました。このクラスには、中国(漢族、モンゴル族)、ベトナム、フィリピン、ネパールから来た学生達がいます。教科書に挙がっていたものの他に、羊、象、水牛などの名が挙がり、ついでに日本の狸や狐などのことを話ながら、動物図鑑を見せていきました。そして、時間が来たので、「休み時間に見ておいてね」と、図鑑を彼らに渡し、職員室に戻ろうとすると、一人の学生が、コモドドラゴンの写真を見つけて、「先生、先生、これは何!」

 すると、誰かが「トカゲ」と言います。そして手で大きさを示します。でもね、それは日本でも見かける小さなトカゲのこと。「これは二㍍ほどもあるよ」と言うと、みんな、キョトン…。すると、また誰かが、「昔、みんな死にました」。ふんふん、これは恐竜のことだな。「いいえ、今でも生きています」すると、その写真を皆がのぞき込みながら、ああでもない、こうでもないと彼らの国の言葉で言い始めます。まるで、バベルの塔が雷で打たれた直後のような様子になりました。

 私はと言いますと、大急ぎで職員室に戻り、コモドドラゴンのDVDを捜します。運良く見つかりました。休み時間も、今日は珍しく、あと10分ほども残っています。早速再生して、みんなで見てみます。すると、もう教室は大興奮です。携帯を使っていた学生も、教室に戻ってきます。トイレへ行こうとしていた学生も、中腰のまま、見ています。「すごい。すごい」中には、「先生、日本にいますか」とか「先生、ここは安全ですか」などと言う学生さえいます。

 楽しいですね。そうしているうちに、「先生、どうして日本人は虫が好きですか」という質問まで出てきました。彼らにとっては、ゴキブリもクワガタもカブトムシも皆、虫で、同じような存在なのです。確かに虫好きの日本人は(食べ物としての好き嫌いと言うのではなく)彼らから見ると、異様な存在なのかも知れません。

 しかし、まずは、なんでも、いろいろなものを、まずは、映像から見ていってもらいましょう。そうしないと環境問題も民族問題も南北問題、南南問題も何も語れませんよ。

日々是好日
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「大雨のはずなのに」。「子供っぽくなっていく『Aクラス』の学生」。

2010-09-23 15:23:18 | 日本語の授業
 今朝、8時過ぎ頃から、雨が降り出しました。昨夜、もしかしたら、(明日)目覚めたときには雨が降っているかも知れないなと期待していましたのに、降ってはいませんでした。しかも、それほど涼しくはなかったのです。

 それが、何時頃でしたろうか、ガラス窓を、雨の一滴がスウッと流れ落ちたのです。テレビでは予報官が海上を切り裂いている前線を指さしながら解説を加えています。本当に強い雨が降るのかしらんと、それでも半信半疑で見ていると、突然、強い風が吹き込んできました。もう生ぬるい風ではありません。それから急に、辺りが真っ白になるような雨が降ってきました。ホンの少しの時間でしたけれども。午を過ぎた頃にはもう止んでしまいました。ベランダが乾いたので、わかります。それから少しして、目を凝らして見ると、小糠のような雨がぱらついているのが見えました。

 空には、低いところで、薄い灰色の雲が流れています。まだまだ降るのかしらん。なんだか中途半端な雨…としか思えないのですが。

 この雨に、人が戸惑っているのに比べ、樹々や草花はホッとしたことでしょう。草花が日照りで枯れてしまうというのならわかりますが、今年は、樹まで大変な思いをしていたようです。陽に灼けて葉を変色させてしまった樹も、少なくなかったようでしたから。特にサツキのような灌木は弱っていたようです。

 例年ですと、日中は暑くとも、日が沈む頃にはザアッと夕立が降って、一息させてくれていましたから、草木も「ちょいと、いい加減にしてよ」と言いたかったことでしょう。

 さて、学校です。
「Aクラス」の学生のうち、先日、教授から返信メールをいただいた者がいます。それで、早速指定された時間に、教授の研究室へ行き、お話を伺ってきました。その時に、読んでおくべき本を教えていただいたのですが、これが、捜しても、なかなかないのです。どうも絶版になっているようなのです。

 私たちもインターネットを使い、どうにか手に入らないかと捜してみましたが、手に入れることが出来ません。それで、「図書館へ行ってリクエストを出しておいで」と近所の図書館へ行かせました。翌日、学生が言うことには、「時間がかかるかも知れない」と言われたらしいのです。

 ところが、火曜日の午後、学校に来るなり、「先生、図書館から連絡がありました。見つかったそうです」。「今から行ってもいいですか。図書館へ行って本を借りてきます」とすぐに許可してもらえるはずと、ニコニコしながら言います。とんでもない、「今から、授業があります。だめです。自転車で行けば、休み時間内に行って戻って来られるから、後で行きなさい」と、その時は行かせずに、授業を受けさせました。

 そして、14時45分になると、飛んで行ったのですが、しばらくすると、ひっそりと戻ってきたのです。しかも、「しまった」という、どこか、いたずらを見つけられた時のような、顔つきなのです。皆、怪訝そうに彼を見つめていたのですが、「先生、今日は振り替え休日で図書館は休みでした」というのを聞き、悪いなと思いながらも、もう教室の中は、爆笑です。

 気の毒といえば、確かに気の毒ですし、笑うなんて不謹慎な…のはずなのですが、「待ちに待ってやっと届いた」と本人も思い、私たちも、彼と同じような気持ちで待っていたのです。彼の表情もおかしかったのですが、肩すかしを食ったような、力が抜けたような感じで、思わず、皆、笑ってしまったのです。

 で、翌日の水曜日、昼に学校に来ても(彼は午後のクラスです)、さすがに「今から行きます」とは言いません。休み時に行くつもりなのでしょう。けれども、「一日待ったんだ。あと4時間ほど待っても良いだろう。水曜日は8時まで開館しているから」と、結局、授業が終わってから行かせました。

 この青年は、来日した頃に比べると、どんどん素直に、そして子供っぽくなっていきます。最初のころは、体中の毛を逆立てて身構えているような具合でしたのに。その緊張が、半年を過ぎた頃からどんどん解け、今では、その「素」のままでいるような気がします。私たちがどうからかっても、もう平気です。そのままに、善意に解釈してくれているようです。

 どの学生もそうなのですが、一年くらい共に暮らしていますと、互いの事が分かってきます。ここでも、繰り返し書いてきたことですが、私たちは、彼らが、母国ではできなかった「自己実現」が、日本で出来るようにと、そのために、「留学生試験」も「日本語能力試験」も、そして、「大学」や「大学院」、「専門学校」の入学試験も考えているのです。それらが、最終の目標であるとは考えていません。

 この学校で、日本語を学ぶことは、そのための第一歩、つまり、一歩でしかないのです。ただ、たとえ一歩であろうと、その向きが誤ってしまうと、将来、彼らの人生設計に大きな影を落とすことにもなりかねません。自己実現どころか、日本での生活も辛いことになるかもしれません。そのために、他の人(いろいろな人が日本にはいます。かつてはいい友人であったとしても、日本での生活に負けてしまって、知り合いを自分と同じ道に引きずり込もうとする人もいないわけではありません)に釣られたり、騙されたりしないように、そして、もし、少しでもおかしくなりそうであったら、注意し、話し合い、考えさせていきます。

 もちろん、最後に決めるのは本人です、すでに二十歳を過ぎているのですから。私たちも力尽くで従わせるようなことはできません。彼らの人生は彼ら自身のものであり、彼らの人生の選択は、彼ら自身が決めるものでなければならないからです。

 ただ、私たちは、本人が学びたいと思い、そして、そのための努力もし、能力もあった場合、また、私たちの指導を受けたいと思い、それを望むときには、私たちに出来る限りのことはします。

 人の気持ちを受け入れられるのも「才能」、誰のいうことを信じたらいいのかがわかるのも「才能」。それは、彼らの祖国にいても、日本にいても、そして他の国にいても、結局、どこにいても、同じことなのです。

日々是好日
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「『口』と『耳』で学ぶ人と、『目』と『手』で学ぶ人」

2010-09-22 17:26:18 | 日本語の授業
 さて、「Dクラス(今年の四月生中心)」では、昨日から「中級から学ぶ日本語」が始まりました。まず、教科書や、ノートの使い方など、全体的な説明した後に、いよいよ第一課の単語の説明です。

 既習の単語が少なくなかったことから、問題なく入っていけました(これも、ちゃんと「初級単語」を覚えていてくれていたからできたことなのですが。以前、ある国の人たちがクラスの大半を占めていた頃には、「中級」になっても、なかなか「初級Ⅰ、Ⅱ」の単語集を手放せなかったのです。「中級単語」の説明であるべきが、「初級単語」段階で終始していたような体たらくでした)。

 それから、本文に入ります。「文」段階の理解ではなく、短くとも「文章」理解に入るわけですから、抵抗感をなくす必要があります。この第一課は、素直な文章というわけではないので、読み取りにくいのです。それでも、部分的に切って説明を加えていけば、どうにかなります。というわけで、読みの練習かたがた、覚えていきます。

 最初ボケッとしていたベトナムのF君も順々に言わせていくと、途端に「へっ」と大慌てで取りかかります。油断大敵です。逃げようとしていたって、順番というのは無慈悲です。追っかけてきますからね。覚えられなければ、何度でも回ってきます。

 途中、ネパール人の在日生のSさんが、ため息をつきながら「若い人はいいですね。直ぐに覚えられて…」。彼の気持ちはよくわかります。私だって中国に留学した頃はすでに30才でしたから。

 彼の場合、在日期間が長かったために、どうしても新しい文型がすんなりとは覚えられないようのです。つまり、意味はすぐわかるので、ついつい使い慣れた(同じ意味の)文型に変えてしまうのです。例えば、「ので」は「から」に変わってしまうといった具合に。

 意味はほとんど同じといいながらも、これでは日本語表現の幅を狭めてしまうことにもなりかねず、その都度、だめ押しを出します。だめ押しをされる度に、「ああ」とため息をついています。「若い人はいいですね」は、彼の腹の底からの呟きなのです。

もっとも、その言葉の裏には、「日本語を最初から学校で学べる人ははいいですね」が含まれているような気もしますが。

 日本での生活の中から習得した日本語というのは、どうしても、決まりきった文法や単語の使い回しに終始してしまいます。私が中国にいる頃にも、「初級」レベルの文法と生活単語で、中国人(学校の先生達ではありません)から拍手喝采を浴びている(?)パキスタン人学生がいました。

つまり、話すことには長けているのです。これは、「漢字文化圏」の学生にはあまり見られない才能です。彼らは「耳」と「口」を最大限に活用し、人をからかったり、言い訳をしたりして見事に生き抜いて見せます。

「漢字文化圏」の学生の方は、多く「目」と「手」を使って言葉を習得しようとします。手で書き、書かれたものを目で追うといった勉強の仕方をするのです。今、中国人学生を見ると、かつての自分の姿と重なってきます。

 これは、往々にして、(異国で生活するとなりますと)かなり不利な立場に追い込まれてしまいます。こういうやり方で身につけた単語なり、文型なりは、アルバイトの時に簡単に使えるというものではありませんから(「上級」を学び終えていても、工場でのアルバイトなどに埋没してしまいますと、「上級」で学んだ単語や文型は、直ぐに忘れてしまいます。使う機会がないのです)。

 もちろん、(日本語に関して)「口」と「耳」だけであっても、日本ではそれなりに生活できます。

 ただ、大学へ行きたいとか、大学院へ行きたい、あるいは日本の会社で働きたいとなると、そうはいきません。これは学問が絡んできますから、日常会話のレベルでも、決まった文型で単語を使い回せば大丈夫と言うわけにはいかないのです。

 というわけで、「Dクラス」のネパール人、Sさんは苦労しています。ただ、彼は、己の足らざるを知っていますし、がまんもできる(普通の人は我慢ができないものなのです。特に、在日期間が長い人は)人であるようです。

 これまでにも、かなり日本語が話せるけれども、漢字が書けないからと学校に来る人がいました。けれども、我慢がきかないのです。学校は一斉授業ですから、「私だけのためにして」というわけにはいきません。そういう質問は、放課後や休み時間にしてもらわなければならないのです。

 彼はそういうところがないので、他の学生達と同じように扱っています。他の二十歳くらいの学生達と同じように。

日々是好日
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「連休明け」。「10月生」。

2010-09-21 10:19:52 | 日本語の授業
 今朝はまた夏に戻ってしまったかの如き…具合です。暑い、暑い、暑い。全く二三日後の雨までは、どうも暑さは続きそうです。

 そういえば、昨日の夜空は、うすい膜がかかったような有様で、月もなければ星もなく、ペランとしていました。湿度が高く、ムシムシしていましたから、今日がこんな具合であるのもうなずけます。

 今年は、10月3日が、「お十五夜様」にあたるそうですから、それまでには、「秋」になっていてほしいもの。暦の上だけの「秋」というのは、わかっていても、寂しいのです。

 さて、学校です。
今週、一人。そして、来週、また一人といった具合に、ポツリポツリと、10月生がやって来るという連絡が入りました。これは、飛行機のチケットがとれたら、とにもかくにも、大急ぎで日本へ来るようにと、学生に言っているからなのです。が、迎える方も大変です。学生の親戚や兄弟知人がいれば、また別でしょうが、「今日は早朝の便、明日は午後の便」「今日は誰々に一緒に行ってもらい、明日はまた別の人に」と計画を立てる教員は目が回るような忙しさ。学校事務もしていますし、毎日の授業も待ってはくれませんから。

 それでも、頑張れるのは、初めての外国というのが、学生にとってどんなに心細いものであるかということを、(教員の方でも)知っているからなのでしょう。

日々是好日
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「突然の秋」。「いざ、『語学留学生による日本語弁論大会』へ」。

2010-09-17 08:10:29 | 日本語の授業
 「一雨ごとに涼しくなる」なぁ~んて、言ってられません。なんてことでしょう。梅雨が終わったと思ったら、突然の猛暑でしたし、「9月になっても暑い、なんてこった」と思っていたら、これまた突然の秋です。

 「夏の中に秋を含み、秋の中に冬の気配がにじみ出る」なんて、それは、いったい、いつの話だったのでしょう。季節感が失われゆく日本人の生活を後追いするかのように、日本の自然から柔らかさ、優しさが失われていきます。

 とはいいましても、自然が先です。これは自明のこと。この自然の変化を見つめながら、人々は新たな季節感を見出し、それに寄り添った表現を創り上げていくしかないのです。人が先で、自然がついてくるというのではなく、人は自然に付き従わざるを得ないのですから。「科学万能で、地球なんぞはどうにでもなる」と驕り高ぶり、思い上がり、自然を征服できたかのような振る舞いは、科学者のみならず、一般人も、今では、もう、そんなことは考えていません。

 これは不思議でも何でもないことです。機械文明とでも言いましょうか、「こういう新しいものを作った。今ではこんなことも出来る」なんて聞けば、それだけで、「自分の国はすごい。我々の民族はなんてすごいんだ」なんていう人たちだっているくらいなのですから。「人類はすばらしい」という表現は、それに比べれば、まだまだ、遠慮がちで、気弱な発言に聞こえてきます。

 よく世界でも屈指の科学者とか、地球を離れたことのある宇宙飛行士たちが、「神がいるような気がする」に類する発言をすることがありますが、おそらく、これも、つまりは、人の力の有限性を語っているのでしょう。

 というわけで、人は自然に従って、生きて行かざるを得ないのです。大地を埋めた花々の姿、昆虫たちの有様が変化すれば、それに寄りかかるしかない人間も変化せざるを得ません。樹々が枯れ、卒塔婆のような姿を晒せば、人の心も同じようになってしまうかもしれません。本当に人間とは弱い存在です。

 さて、今日、学校は授業をお休みして、全員で、「第11回『語学留学生による日本語弁論大会』」へ参ります。参加する学生の応援団として、行くのです。この学校からは、二名が参加します。一人は、学校代表として、内モンゴル出身のB君が、そして、志国際高校(この日本語学校に通いながら、高校卒業の資格を取得し、大学へ進学するため)代表としてYさんが、参加します。

 Bさんのモンゴル族の服も大丈夫。靴こそ揃わなかったものの、きれいな空色で、みんな見るなり、「結婚式の服ですか」。本人は困ってしまって、「普通の服です。お正月とか、お祭りにはみんな着ます」と戸惑い気味にブツブツ。ところが、何を思ったか、急に一転、声を張り上げて、「(私たちの民族衣装は)良いものはとても良いのです。とても高いのです。本当にきれいなものです。こんなものじゃありません」。

 どうも、「これしきのもので感動され、これしきのものをモンゴルのすばらしい民族衣装と誤解されてはかなわん」と思ったらしい。借りて来たのに…いいのかな。

 そして、Yさんは…、どうもバテ気味です。昨日は途中で帰ってしまいました。弁論大会を前にして、疲れてしまったらしい。まだ完全には覚えていないのです…というか、一応、覚えてはいるのですが、皆の前に立つと上がってしまって、忘れてしまうのです。

 水曜日など、「Dクラス(初級)」のみんなの前で(二度目なのですが)、練習発表をしました。その時、途中、二度ほど、忘れてしまったのです。一度など、クルリと後ろを向いてしまって、何も書いていないホワイトボードとお話。しばらく、にらめっこしてから、思い出したのでしょう、またクルリと振り向いて、話を続けたという次第。みんなは笑いをかみ殺しながら聞いていましたけれど。同じ年くらいですから、笑っちゃいけないと思ったのでしょう。

 Bさんは、ちょうど日本語を学び始めてから一年半になります。Yさんも同じくらいになりますが、彼女は、身体が弱く、病院通いで、何度か勉強が途切れたことがありました。けれども、頑張って続けてきたから、高校三年生になれたのです。

 この二人の話は、「Dクラス(今週から『中級』に入りました)」の学生にしてみれば、「わからない」を通り越して、「すごい」といったレベルのものだったようです。それでも、二回目ともなれば、何となく雰囲気や片言から「頑張る」と言っているらしいくらいは掴めたようです。

 Yさんにしてもそうです。緊張しながらも、言い終わってみれば、皆は、「尊敬」のキラキラの目で見つめています。ちょっとは「いい気」になれたでしょうし、自信もついたことでしょう。

 Bさんの話は、このクラス(Dクラス)にはちょっと難しすぎたようでした。ただ、ネパールから来た在日の方(年齢も彼らに比べれば、ズンと上です)は、何度も頷きながらそれを聞いていました。そして、聞き終わったとき、「それは本当のことですか」と問いかけ、自分の国にも同じような問題があるのだと話しかけていました。

 というわけで、今日、第一陣は9時45分に、第二陣は10時45分に出発します。第三陣というか、午前中、アルバイトがあるという「Aクラス」の学生、5名は、各自アルバイトが終わり次第来ることになっています(こう書きますと、よほどの人数かなんてお思いになるでしょうが、ここは小規模校なので、応援団と言いましても、それほど他者に圧力を加えることができるようなかずではないのです)。

 どうしても、アルバイトを休めない何人かは、練習発表の時にうんと拍手してくれましたから、それで十分です。アルバイト先で応援していてくださいね。

日々是好日

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「『傘がありませんから、学校へ行けません』は通用しません」。

2010-09-16 08:02:08 | 日本語の授業
 予報通り、昨夜から重い雨が続いています。もうフグを食べても、「天気予報、天気予報」なんて呪文を唱えたりできませんね。当たったら、こわい、こわい。

 今日いっぱいは雨のようですから、学校の傘立てを傘の保管場所と心得ていた輩は、大変でしょうね。傘がない…。そういえば、数ヶ月前、ある学生が登校していないので、同室者に聞いても、「さあ、わからない」。それで、電話したところ、「傘がありませんから、学校へ行けません」。いくら来日後、すぐとはいえ、「それはないぜ。悠々自適のご隠居か、君は!」。

 しかし、気を落ち着けて、「500円くらいの傘があるから、どこかで買って来なさい」「はい。でも、雨です」「……。」

 いろいろな理由で、休めるもののようで…。もっとも、今では、「(遅れたら)叱られる」とか「嫌みをネチネチ言われる」ということがわかってきたようで、1分でも遅れたら、ソロリソロリと扉を引き、こっそりと入ってきます。私が後ろを向いている隙に。

 学校は毎日来なければならない所。遅刻してはいけない所。「正当な」理由なくしては、休んではいけない所だということを、どうやら、理解し、その通りにしなければならない
と思えるまでにはなってきているようです(ただ、この「正当な」というのが曲者で、国や地域によって、意味するところのもの、概念が異なっていますから、困るのですが…。とはいえ、彼らにわかっておいてもらわねばならない事の一つが、母国の習慣と日本のそれとは違うということ。それが正確に掴め、どうした方がいいのかがわかるまでは、日本の習慣に従ってもらわねばならないということなのです。これはどこの国へ行っても同じことだと思います)。

 そうは言いましても、これらは、母国にいるときには出来ていたことなのです。親かだれかが世話を焼いてくれていたでしょうから。国を離れ、親許を出てしまえば、だれもあれこれ言う人もいない。さあ、本来の自分にもどり、羽を思いっきり伸ばすぞというのが、おそらくは彼らの腹づもりなのでしょう。19才とか20才とかいう年齢で、親元を離れてしまえば、そういう気持ちになるというのわかります。
 
 しかしながら、そういう「芽が出た」瞬間に、それを叩き潰してしまうのも、私たちの仕事。そうでなければ、彼らの希望(進学)をかなえることなんてできっこありませんから。下手に温情を加えてしまうと、それが仇となって、どんな事態に陥るかもしれません。モグラたたきをしているようなものですが、学生達もモグラにされているとは気づかずに、私たちに叩かれているのでしょう。私たちが、知らぬ間に鎚に変身しているように。

日々是好日
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「人には様々な能力がある。語学力も、その中の一つ」。

2010-09-15 12:50:32 | 日本語の授業
 昨夜か明け方にでも、降ったのでしょうか。今朝、起きて新聞を取りに行った時、階段がまた濡れていたのに気づきました。昨夜の雨は、雷様がお出ましではなかったのでしょう。

 「雷様」というと、どこかしら親しみやすく、「雷」というと、無機的で、怖ろしげで、心が通い合わぬような存在に感じられてしまいます。日本語というものは、森羅万象を、時間をかけてながら、少しずつ、人に近づけていく言語なのでしょうか。

 怖ろしい自然現象も矮小化され、いつの間にか、手の届くものになっています。「鬼」にしてもそうですし、神と人との中間的存在というよりも、人に限りない存在として、「親しまれている」のです、すでに。それが、文章として、つまり「物語」としてそうさせているというよりも、日本語のちょっとしたアクセサリーの付け方で、そう、人に感じさせている、そんな気さえしてきます。

 さて、学校です。
昨日は、時間をとって、皆で、「日本語能力試験」の申し込み用紙に書き込んでいきました。「Dクラス」や「Eクラス」の、大半の学生達は、この12月の試験が初参加。それゆえ、新しく設けられた「N3」に、どうもまだ、誤解があるようです。「3」という数字を見て、彼らの頭に、真っ先に浮かぶのは、「三級テスト」なのです。「N3」には「3」という数字がついていますから、「どうしてこれが『三級』じゃないの?」となります。「N4」になると、「格下」になったような気がしているのかもしれません。

 毎年のことなのですが、中には、どうしても、思い込みなどにより、自分のレベルが掴めない学生が出ていきます。「かつて(生まれ育った国や地域で)の自分」という範疇から抜け出せないのです。そういう目で、客観的根拠もないのに、他者と自分とを比較し、勝手に「自分もできる」と主張するのです。

 当然のことながら、お金を払うのは彼らですから、最後に決めるのは、彼らです。もっとも、「N3」レベルの人が、「N1」を受けて何になるのかなと、傍からは見えるのですが。こういう人からいわせれば、(自分の実際の能力に関係なく)彼らが同じレベルと思った人が「N1」に合格していれば、自分も「合格できる」とこうなるのです。彼らにとって、6000円というのは、大金です。無駄遣いだと思うのですが、聞く耳を持たないのです。

 「(自分と同じように『非漢字圏』の学生)Aさんは、同じ日から(日本語の)勉強をはじめた。そして、この7月の『日本語能力試験』の『N1』に合格できた。だから、自分も今度は『N1』を受ける」と言い張ってきかないのです。

 「Aさんは、去年の12月にすでに『二級試験』に合格していた。だから、少々無理かもしれないと思われたけれども、上は『N1』しかなかったから、『N1』を受けたのだ。あなたは、まだ『N2』のレベルにも達していない」といくら言っても判らないのです。

 去年も、一昨年も、そういう学生はいました。私たちから見ると、明らかにこれは「能力」の差であり、また「性格」の差でもあるとしか思われないのですが。

 この「能力」の差というのは、これまでの環境も含みます。知力が普通の人であっても、生まれたところによって、その世間における自分の(能力の)位置づけが変わって来ます。日本でしたら、普通の人は、普通の人ですし、その「自分が普通である」ということが理解できるでしょう。これは、数学や国語などの面でも良いし、音楽や絵画などの面でもいいのです。
 そういう面で、飛び抜けた才能があれば別ですが、大体において平均的であれば、「そうか、自分は平均的だ。頭のいい人はすごいな」とか、「これができる人はすごいな」と来て終わりです。ところが、それが通じない世界が少なくないのです。

 周りに「文字を知らない人」が多かったら、文字を多少知っているだけで、飛び級できるでしょう。常に一番で過ごせますから、自分が「頭がいい、優れている」と思い込んで育ってきているのです。それを二十何歳にもなって「誤りであった。自分は普通の人であった」と、過去の自分を否定するような具合にはいかないのです。それも、本人がそう思ったというよりも、周りがそう思わしめたのですから、常に他者を気にしてしまいます。

 ここは「語学学校」ですから、コンピュータの才能がある人も、絵や音楽の才能がある人も、その能力は発揮できません。それも、「語学力」で多少劣り、くさっている人には、常に慰め旁々、力づけるように言っています。「あなたは、この方面(語学以外のある方面)に才能があるじゃないか」と。「それはすばらしいことなのだから、自分を否定してはいけないよ」と。「だから、今は、すぐに成果が出なくとも、日本語の勉強を続けていなければいけないよ」と。彼らの大半は進学目的でこの学校に籍を置いていますから。

 もちろん、ここで学び始めて、半年以上も経っているのに、「漢字圏」の学生に「N4」を勧めるようなことは、特別なことでもない限り、ありません。ただ「N4」レベルや「N3」レベルから、がなかなか上がれない人がいることも事実です。たとえば、国籍は中国であっても、「漢字教育」をそれほど受けていない人は、漢字の成り立ちや、それによって生じる意味の理解などがわかっていませんから、(「非漢字圏」の学生ほどではないけれども)「漢字圏」といって、一括りにはできないものがあります。

 ただ、学生達にはいつも言っていることですが、「日本語能力試験」で良い成績をとれないからといって、私たちは、その学生が劣っているとか駄目だなどと思うことは絶対にないのです。ただ、教師がそう思っているということを、百万言費やしても、百万の機会を利用して訴えても、どうしても、理解できない人もいることはいるのです。悲しいことですが、すでに、彼らの国でそれを刷り込まれているので、今更変われないのです。

口では、判ると言っても、彼らの行動を見ているとそうではないことがわかります。

 「知識や技術に、優劣はない。人の才能もそうだ」というのは、日本では当たり前の事です(社会に出る前のことですが)が、それが通用しない国や地域が世界中にはたくさんあるのです。

日々是好日
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「自転車がなくなった…盗まれた…盗まれた…なくなった?」

2010-09-14 08:37:21 | 日本語の授業
 昨夜、突然、雷が鳴り始め、あれよあれよという間にザァーとやって来ました。おかげで一日中、ムッと立ち籠めていた湿気がきれいにぬぐい去られ、今朝は、久しぶりの清々しい朝を迎えています。

 自転車で学校へ向かう途中、空を見上げると、青味がかった灰色の雲が、青空にのしかかるように広がっていました。今夜もまた、驟雨が、この町を襲うかもしれません。

「白鳥は悲しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」(若山牧水)

 名歌と言われてきたものには、一人歩きする力も、また他者にそれを認めさせる力もあります。この歌もそうなのでしょう。

 周りに溶け合うことのできぬ「白」という色から、絶対的な孤独や悲哀を感じるか、或いは、それでも存在し続けているということから、誇りや尊厳までも解釈に加えるか。

 私にとっては、この歌は、悲しみや切なさ以外の何物でもないのですが。それは牧水の他の歌におけるものと同じで、どこかしら青春期特有の、ある意味では図々しさやまがまがしさ、嫌らしさまで感じるときがあるのです。まあ、それも、あまりに歌が美しかった場合のことなのですが。

 高校生の頃までは、文字通りの意味にとり、感動したりしていましたが、年をとり、牧水の生き様などを知る機会もあるようになりますと、このギャップに、却って、反感を覚えたりさせられたものです。とはいえ、今は、歌は歌で独立しても良いのではないかと考えられるようになりました。若さ故の思い入れという軛が外れたのです。

 その人がどのような人であれ、どのような生き様をしていようとも、すでに生み出され、作り出されたものは、その人から離れ、一人歩きをしているのですから。また、優れた創作物とは、そういうものでしょう。

 中学生の頃、萩原朔太郎の詩が大好きだという友人がいました。彼女が見せてくれた彼の詩は、どうも私には不気味すぎて、好きにはなれなかったのですが。それでも、友人がよしと言うものには、一見の価値ありと思っていましたから、少しずつ、彼の詩も読むようになりました。そういうふうに、彼の詩集をひもといていくうちに、それ一本ではない人間の心の襞のようなものに気がつくようになりました。

 人は、ほぼ同時に、他者に、異なった自分を見せることがあります。一瞬のうちに夜叉から仏になることもあるでしょうし、感傷家から、冷酷無道の化け物に豹変してみせることもあるでしょう。別に多重人格などではなくとも、人は多面性を持つものであり、また生まれてから死ぬまでという、生き物にしては、決して短いとは言えない時間に、変わる可能性もあるのです。

 彼の詩に書かれているものは、怖ろしげな光景であったり、不気味で何とも表現のしようのないものであったりしたのですが、それ以外にも、やさしげな心情が表されているものもありました。切なさに涙した詩もありました。その中のいくつかは、当時の自分の心にもぴったりし、いつしか幾度となく読み返している自分に気がつきました。もっとも、私が気に入ったものは、友人にいわせると、怖ろしく通俗的であるらしいのですが。

 やはり、食わず嫌いというのはいけません。

 さて、学校です。
昨日「Dクラス」の学生が二人来て、寮に置いていた自転車が、朝、学校に来るときに見たら、「ない」と言うのです。ちょうど朝の連絡会をしていたので、授業に行ってから、聞いてみると、「カギは一つしか付けていなかった。」「うーん、…それはまずい。」「でも、先生。隣に置いてあった自転車もカギは一つだけだったのに、なくなっていない」。「それは関係ない」。それで、自転車がなくなったと、マンションの管理組合に行って言ったら、先生のところへ行くように言われた…先生、どうしよう…。

 日本では、駐車場に止めてある車も、駐輪場にとめてある自転車やオートバイも、停める場所を貸してもらっているだけのことで、何か事故があった場合に対応までしてくれるところは、まずほとんどないでしょう。つまり、場所だけを提供してやるが、その他のことは自分で責任を持てということなのです。
それで、「自転車のナンバーがわかるか」と聞くと、「わからない」と言う。ナンバーがわからなければ、警察に届け出もできません。

 本人達は、誰かに責任を被せたいようですが、これは、日本では自分で考えなければならないことなのです。だから、学校でもカギは二つ以上つけなさいというし、置き場にもうるさいのです。管理組合に、お金を、毎月払っているからと彼らは思っているでしょうが、それは場所を提供してもらっただけで補償費までは入っていないのです。ところが、なかなか、これが、わからないのです。

 難しいですね、日本人はすぐに諦めるという習性があるからでしょうか。そう言えば、中国にいた時に、いろいろな所で、責任のなすり合いで、大げんかをしているのを見ました。ともに、「おまえが保障しろ。金を払え」で揉めているのです。つまり、「自分は悪くない」という前提の下で遣り合っているのですから、決着はつきません。

 例えば、そういうとき、自分が当事者になってしまったりしますと(日本でそれをやってしまうと、村八分にされてしまいますから)思わず、相手の立場に立って考えてしまいます。しかしながら、これは、彼の国では、まずいのです。下手に相手のことを思い遣ってやってしまうと、「あいつは非を認めた」と言いふらされてしまいますから、そういう気持ちもグッと堪えなければなりません。「互いに思い合って」などという、小中で習った道徳が通じないのです。

 日本の習慣では、「私が悪かった」と一方が言えば、他方も必ずといっていいほど、「いえいえ、私の方こそ」と言います。これを偽善として「嫌らしい日本人」という外国人もいるようですが、口汚く罵り合うのに比べれば、たとえ、偽善であろうと(口に出しているうちに共にそういう気持ちになることもありますから)、そっちの方がいいと私は思うのですが。

 多分、自転車をなくして、警察に行っても、ナンバーを聞かれ、「これからはカギを二つつけた方がいいよ」と諭されて終わりでしょう。もちろん、見つかることもありますが、見つからないことの方が多いのです。私だけでなく、日本人は自転車をなくしています(「盗まれている」と言った方がいいのかもしれませんが、「なくした」と言っても、意味は同じです。ただ受ける感じが違うのです。「盗まれた」と言うと、誰かを悪人にせねば落ち着かぬような、そんな攻撃的な何かを感じるのですが、「なくした」という言葉からは、聞いた人に「ああ、かわいそう」という気持ちしか生まないのです。凪いだ海のように穏やかなのです)。まあ、こういうことは、いくら彼らに言っても、焼け石に水でしょう。(自転車が)戻れば、すべては解決する。戻らなければ…どうしても、釈然としない表情でした。

 ただ、ナンバーがわからなければ、「自分のだ」ということを証明することもできません。泣き寝入りで終わるしかないのです。

日々是好日
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「『N1』の結果、悲喜交々」。「大学選び…何を学びたいのか」。

2010-09-13 10:57:28 | 日本語の授業
 東北地方や北陸は大雨という予報が出ていましたから、ここでも少しは影響を受けているのでしょう、行徳にも湿気を含んだ風が吹いています。日中は30度を超えるそうですが、もう猛暑日にはならないとのこと。ホッとしています。とはいえ、この「ホッ」が、こわいのです。学生達には、「秋口に(油断すると)、病気になりやすいから、気を張っていてね」と毎年繰り返しているのですが、今年は、特に力を入れて言っておかなければ。本当に、夏の暑さには、頑張ることが出来た学生達が、コトンと、風邪をひいたり、体調を崩したりして寝込んでしまうのです。

 「Aクラス」では、猛暑の中、一人が熱中症にやられました。「だるい。力が入らない」ということで、病院に行ったら「熱中症」と言われたそうで、ショックを受けていました。が、「スポーツドリンクを飲んだ方がいい」と渡しても、「嫌い…」と嫌がって、口を付けようとしません。塩入りの水で、乗り切るしかないのです。「良薬は口に苦し、好き嫌いを言うな」と言って渡しておいても、多分、私がいなくなったら、こっそり捨てるでしょうしね。

 先日、「日本語能力試験」の通知が来て、彼らに渡したときには、表面上、皆「そうか」くらいの反応にしか見えなかったのですが、これは不合格だった学生に気を遣ってのことだったようで、実際は、悲喜交々だったらしいのです。

 まず、「悲」から。
「私の6年間は何だったのでしょう」。失敗した学生の言葉です。日本語の試験はいくつかあるのですが、この「日本語能力試験」の結果が一番信用できるということで、日本の大学院でも、受験資格として「一級合格」を、あげているところが多いのです。

「私は、大学で6年間、日本語を勉強しました」
確かに、短大で三年、四年大で三年勉強しています。本人はごくまじめで、素直な学生で、才弾けたところがないにしても、コツコツと勉強していくタイプですから、ある程度の時間が経てば、こういう試験には合格できるはずです。ところが、合格できていないのです。

 内モンゴルでも、日本語能力試験に準ずる試験で、「二級レベル」には合格していましたから、来日して、三ヶ月で「N1」を狙っても少しも不思議ではないのですが…。

 本人も期する所はあったのでしょう(私から見ると、「無理だな」だったのですが。つまり、「漢字(文字語彙)」と「読解力」が弱いのです)。去年の4月に来日した学生のうち、四人(内モンゴル二人、朝鮮族一人、インド人一人)が合格していましたから、よけいショックだったのでしょう。

 私が中国の大学で日本語を教えたとき、大学の教育カリキュラムというのが、とても不思議でした。だいたい一年か二年程度で日本語の基礎(「「N1」レベル)が終わるところを、無理に四年に引き延ばしているという感じがしていたのです。当然のことながら、やる気に溢れていた学生も、飽きてしまって、やる気を失いがちです(やる気もあり、努力もする。しかもある程度の能力もあるという学生には、どんどん本人のレベルより、少し高いレベルのものを、内容を加味しながら与えていった方がいいのです)。

 ところが、そうではないのですから、(大学での勉強に)飽き足らない学生は、インターネットを利用して日本の映画を見たり、アニメーションを見たりして、自己満足に陥りがちです。ヒアリング力はつくでしょうが、それは、系統だった計画のない、つまり教育的配慮がなされていない独学でしかないのです。しかも、読解力というのは、母国語教育で獲得しておくべきものなのです(すでに二十歳は過ぎているわけですから)。子供達のように、それを日本語で獲得するというわけには、いかないのです。

 今、彼は必死です。今週、12月の「N1」の申し込みをします。私から見れば、もう一度、「上級」の教科書を学んだ方がいいのではないかと思えるのですが、それは(彼の)気持ちの上からは難しいのかもしれません。(今年の四月に来た)彼と同じような経歴を持つ学生がもう一人います。この青年も、一人で出来ることは皆しているようなのですが、内モンゴルにいる時には、「二級レベル」にも達していなかったのです。

 「一人で出来ること」というのは、「一級の文字語彙」や「一級文法」ひたすら、暗記することでしょう。せっかく日本に来ていながら、生きた日本語を学べる環境にあるというのに、内モンゴルにいたときと同じことをやっているのです。相変わらず、「(頼れる人がいないから)自分で何とかしなくてはならない」というやり方でやろうとしているのです。

 今は、何を言っても聞こえていないようです。中国で、いい加減にやってきていた人だったら、却って説得できたのかもしれませんが、こういうタイプ(これまで、学校や教師に頼らず、一人でやって来た。それで、成功してきた。ここでも、同じやり方で成功できるはずだと思い込んでいる)には、今は、何を言っても無駄なのです。失敗してみて、初めてわかることなのかもしれません。

 去年来た内モンゴルの学生(大卒者、四人)は、母国では二ヶ月ほどしか日本語の勉強をしていなかったそうです。そのうちの一人は、来日したばかりの時、ちょうどこの学生と同じように、非常に頑なでした。頼りになるのは、うちモンゴルの友達のみ、といった感じで、何を言っても「でも、友達はこうした」とか、「でも、友達はこう言っている」を繰り返していました。

 「それで行けるものなら、この日本語学校で学ぶ必要はない。すぐに、その人が行っている大学院へ行ったらいい」とか、「友達(来日してまだ一年くらい)が、それで出来るというなら、言われたとおりにやってみろ。できっこないから」とか。あるときは「その友達が、日本人の我々よりも日本のことを知っているというのか。よく考えてみろ」と言って、よく遣り合ったものです。

 学校は、ビザの関係で出て来る(出席率)ものの、「(勉強は)おまえ等になど頼るか」という態度がありありとしていました。それが半年を過ぎる頃から、変わって来たのです。今では、何でも言いに来ますし、聞きに来ます。頑固ではありますが、「わかれば」、人は変わります。

 さて、この学生はどうでしょうか。日本に適応出来ぬまま、どれほど、損をしていくのでしょうか。普通の能力しかない人間にとって、独学で成功するというのは至難の業です。彼らのところでは、それでも成功できるかもしれませんが、日本では…難しいでしょう。速く頭を切り換えた方がいいのです。ただ、今は何を言っても無駄でしょうが。
   
 今度は「喜」です。
 朝鮮族の大卒の学生でしたので(朝鮮族の学生にとって、日本語はそれほど難しいことではありません。特に大卒者にとっては。それで、こういう人が「N1」に合格できても、私たちはそれほど「よかったね」と言って、共に喜んだりしないのです)、通知を渡し、「合格したよ」と言っただけで終わったのですが、本人はそれでは済まなかったようです。

 わざわざ、授業を抜け出し、他の教員の所へ、「訴え」に行ったのです。
「私はとても嬉しいのです。中国にいた時は、ずっと学校で勉強していたのに、「四級」にも合格できませんでした。駄目だったのです。それが、4月に来て12月には「二級」に合格し、この七月には「N1」に合格できました。私は本当に嬉しいのです」

 そんなに嬉しかったなんて知らなかった…。モンゴル族やインド人が「N1」に合格できたら、一言か二言(喜びの言葉を)付け加えたでしょうが、彼には、何も言ってやらなかったので、溢れる思いの捌け口がなく、他の人のところへ「訴え」に行ったのでしょう。

 さて、来年の三月には卒業せねばならぬ学生達のことです。来年、追い出される運命にあることがわかっていますのに、まだ進路を決めかねている人が少なくありません。中には、専攻すら決めかねている者もいます。これは、本来なら、論外というところですが、日本と中国では、大学のあり方がかなり違っているので、自身でオープンキャンパスへ行き、質問しながら、確かめていくしかありません。大学ごとに色も違いますし。

 日本では、経営学部に入ったのに、地元の学生で経営を希望する者が多かったからとか、そういった理由で、他の学部に回されることはありません。それどころか、大学で経営を学んだのに、大学院で他の学部を受験したいなんて言えば、皆が目を剥いてしまうくらい、専攻が重視されています。大学は学ぶところで、大学院は研究するところ。大学院では大学と同じことはしません。

 大学で、ある専門を学んだ学生ならいざ知らず、他学部の学生、しかも、その専門についてほとんど何も知らないし、学んだこともないという学生が、大学院で何を研究しようというのでしょう。独学で研究書を読みあさって論文を発表したり、研究会へ出席したことのある人なら別ですが、大学四年間、特に専門に分化してからの二三年というのは、それだけの重みがあるのです。

日々是好日

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「重陽の節句」。「電子辞書の『罪』」。

2010-09-10 08:24:36 | 日本語の授業
今、風がありません。海の近くの町特有の、無風状態になっているようです。さっきまでは、涼しい風が吹いていましたのに。こうなると、少々ムシムシして来るようですね。どうも、まだまだ本格的な秋突入とは行かないようです。

 昨日は「重陽の節句」でした。子供の頃は、「菊人形の展示会」とか、「菊の品評会」とかへ連れて行ってもらい、子供心に、9月9日というのは、「菊のお節句」であるなと思い込んでいたものでしたが、昨今は、トンとそういう風情ある暮らしから遠ざかってしまいました。余裕がなければ、そういう生活はできないものです。

 朝、新聞を見て、今日が9月9日であることを知る。ああそうか、と思うそばから、ワサワサと日常が追いかけてくる。どうもいけません。時間に追われるようだと心までせわしなくなってしまいます。他の人からは、私なんぞ、マイペース。ボオッとして1日が過ぎているように感じられていましょうに。

 とはいえ、慣習というものは大切です。日本のように四季に追われるような生活をしてきた国民は、やはり日々に「けじめ」を付けるという意味からも、守った方がいいのでしょう。そうでなければ、はっきりとした夏もなければ、はっきりとした秋もないのですから。すべてはジワジワと進み、ジワジワと去り、そしていつの間にか、去ったはずの季節がジワジワと回ってくる、それが日本の四季なのですから。

 ただ、こういう慣習というものは、子供の頃に経験していなければ、どこかしらチグハグなものになってしまいます。私たちの世代であれば、それを肌で知っているとも言えるでしょうが、その下の世代になると、さて、どうでしょうか。

 高校生の時、 王維の 『九月九日、憶山東兄弟』という詩を読んで、そうかと思い、白話小説『白蛇伝』を読んで、子供の時に見たアニメーション『白蛇伝』などを思い出し、自分の体験と知識が一つになったような気がしたものです。

 これはとても些末な事のようですが、決して「些末」なことではないのです。今、私たちが学生達を校外学習へ連れて行くのも、学校だけでは体験できないものを身体に記憶させておくためです。行った時は、ただ、「楽しかった。また行きたいな」で終わっているでしょうが、後々、なにがしか、日本での生活にプラスに働くものです。その人たちが望み通りの道へと進むため、懸命に努力しようがすまいが、関係ありません。こういうことは、決して、マイナスに働くことはありませんから。自国の文化、慣習、歴史を大切にしてくれる人を、だれが粗略に扱いましょうか。また、おかしな解釈の道へはみ出してしまわないように、そのために、事前授業もし、いわば「道筋」を付けているのですから。

 ただ、連れて行ったで終わってしまったら、学生達は大変な勉強を避けようと、「さあ、また、『遊び』に行こう」なぞと言い出すことでしょう。ですから、最初から「課外活動」は授業の一環であり、「遊び」ではないということを、知らしめておく必要があります。そうすれば、来日後、数回、こういう活動を経験しているうちに、これは「遊び」ではないことがわかるはずです。これも全教員が、一致して理解していなければ出来ることではありません。一人でも、「遊びであるような」中途半端な気持ちでいますと、それはすぐに学生達に伝わってしまいます。

 もちろん、「来日」だけが目的で、「小銭を稼いだ。どこかへ遊びに行きたいけれども、どこへ行っていいかわからない。運良く学校が連れて行くと言う。じゃあ、その時だけ、学校へ行って、遊ぼう」としか考えられない学生は別です。事前授業も受けていないでしょうし、受けても聞き取れないでしょうから(日常会話と、こういう時に使う言葉とは違います。レベルによって、教員達は、日本語のレベルを使い分けていますから、毎日授業に参加していれば、聞き取れるようになっているはずです。それに新たに単語を付け加えるのは、それほど難しいことではありません。その上、勉強した後に、それを見たり、触ったり、聞いたりするわけで、白紙で行って、白紙で帰ってくるというわけでは、決してないのです)。

 さて、学校です。昨日、学生達に、強い口調で注意を促しました。電子辞書の件です。
電子辞書というのは、軽くて持ち運びやすいし、ある意味では、非常に便利なものです。が、使い方を誤ると、往々にして、勉学が進むどころか、停滞してしまうことにもなりかねません。

 何回調べても跡が残らないからです、もう数回、調べているのに、明るい顔をして、また調べています。「前に何回か調べたことがあるのを覚えていますか」と聞いても、キョトンとしています。「調べる」ということに「自己満足」しているのであって、電子辞書が、彼らにとっては麻薬のようなものに成り下がっているのです。電子辞書で調べるのは、調べることが目的ではなく、それによって知識を得ることであり、できれば、一度調べたら二度三度とは調べたくないはずです。ところが、電子辞書に線を引くわけにもいきません。つまり何回調べたのかわからないのです。嬉々として調べていますが、「調べて、教科書に書いて、何になる」としか、考えられないのです。

「Aクラス」で、「留学生試験対策」の「読解」をさせていたときのことです。答え合わせをしながら、語句の意味や文章全体の内容を把握させるため、説明していたときに、チャッチャ、チャッチャと頻りに単語を調べている学生がいます。この時は、内容を説明している教師の言葉を聞き取るための時間でもあるのですから、私の言葉に集中して聞いているはずです。ところが、電子辞書で意味を調べ、教科書に書いて、わかった気分でいるのです。そういう学生は、はっきり言えば、私の授業を受けなくてもよろしい。電子辞書を調べて、それだけで全部済むのならば、うちで電子辞書と格闘していれば十分です。わざわざ学校くんだりまで来ずともよい。

 しかも、チャッチャと調べて、文章の横に意味を書いてそれで終わりです。「電子辞書を、今、調べるな。私の話を聞け。それに、電子辞書で、今、調べている単語は、前にも調べたことがあるだろう。何回調べたか、わかるか。一回調べたら、すぐに単語帳に書いておけ。またその単語に出くわして、調べたら、また単語帳に書いておけ。それを、何回か繰り返したら、自分が如何に調べるだけに満足して、それで終いにしているかがわかるだろう。調べることと覚えることは違う。覚えていることと理解していることは違う。何のために授業に出ているのか考えろ」。

 随分きつい言い方でした。が、実は、このクラスでは、これまでに(電子辞書に関しては)それほど厳しくは言ってこなかったのです。なんとなれば、説明を聞いた上で、どうしても母語で単語に置き換えないと覚えられないという人もいるのがわかっていたからです。同じように「Aクラス」とは言いましても、年度によって、日本語のレベルには大きな差が出てきます。「Aクラス」だからと言って、去年と同じようなやり方が出来ない場合も少なくないのです。で、いつもは、それほどきつい言い方はせず、せいぜいチクリチクリと刺す皮肉くらいにとどめておいたのですが、昨日は、さすがに、ちょっとひどかった。しかも、私の話し中、しょっちゅう調べていた学生は、例外なく日本語のレベルが低いのです。調べることで、自己満足を図っているとしか考えられなかったのです。

日々是好日
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「ヒトと虫たち」。「モンゴル式『接待』」。

2010-09-09 08:34:29 | 日本語の授業
 昨日は、台風変じての熱帯低気圧の影響で、一日中雨でした。重く、鬱陶しいほど重く続く雨でした。お空も、一ヶ月ほども耐えに耐えていた…のではないでしょうが、鬱憤を晴らすかのように降りました。6時頃、アルバイトの件で、学生が一人、やって来たのですが、その彼女の足もぐっしょり濡れていました。もうこうなってしまいますと、夏の風物詩であったはずの「夕立」なんて、かわいいものです。しかも、「夕立がない夏」になっていましたから、梅雨から突然、秋の長雨になったようなおかしな夏でした。

 けれども、昨日の雨のおかげで、今朝は秋を思わせるような涼しさ。これなら、先日まではどこかしら違和感が拭いきれなかった虫たちの大合奏も違和感なく受け入れられます。9月になったというのに、夜になっても、なかなか25度を下回らず、虫の音よりも蝉の声の方が似合うような具合だったのです。

 とはいえ、今年の夏の猛暑を物語っていた蝉たちも、すでに死すべき者は死に絶え、土中に潜り込んだ者は、その地で地上に姿を現すまでの長い年月を生きていくという自然の掟に殉じているようです。

 ヒトは、「醜」という文字から逃れることは出来ません。外見がどのように美しい人であろうと、ヒトである限り、心の翳りは、嫌でも外に現れてきます。それを悲しいことと思うか、或いは生きている証、ヒトとしての証と見るかは、ヒトによって違うでしょうが、虫たちや動物たちに己の心を投影しているときに、ふと投影しきれぬ部分を垣間見てしまい、そういう己を卑しむ時すら、ヒトにはあるのです。

 死を厭い、抗って、足掻いているとき時すら、虫や(ヒト以外の)動物たちの姿が、美しく気高く見えるのは、彼らが(運命というものの)定めのままに生まれ、生き、死んでいくからなのでしょうか。ヒトも生きている限り、運命の神々の操る糸から逃れられない定めであるのに、ヒトはどうして、(同じような事をやりながら)ああも醜く映るのでしょうか。

 さて、学校では、しばらくモンゴルの話題が続いています。
実は、今回初めて、モンゴルの人たちと、いわゆる「お付き合い」をしたと言うことで、(学生が在籍している間は、親御さんと会っても、共に飲み食いはしない)これまでにはわからなかったことが、少しその謎が解けてきたような気がします。おまけに、卒業生が一緒でしたから、わからないことはすぐに聞くことができましたし。彼女とは二年近くを共に過ごし、今(大学進学後)でも、時々学校へやって来ていますから、お互いに気心が知れています。余計な気を使わなくてもすむのです。

 いわゆる「飲み食い」と言いましても、中国式の「飲み食い」というのは、日本のものとは違います。いわゆる親による「接待」です。これは、学生を預かっている身からすれば、公平を期するという意味からも避けねばならぬことです。私たちは「教員」なのですから。

 とはいえ、モンゴル人同士が宴会で食事をする様を間近に見ることができましたし、酒を酌み交わす様子も見ました。距離の観念や時間の観念も自分達(日本人)とは違うということも、また、日本にいる時には、感覚的に捉えられなかったことについても、少し合点がいったような気がします。

 「Aクラス」の学生達と、そういう話をしているうちに、モンゴルの酒の話が出てきました。どうも、彼らの言う「モンゴル酒」というのは、地酒のようなのです。私が、「(皆が)呑んだ後もスッキリしていいと言っていたので、お土産に買おうと、北京空港で探したけれどもなかった」と言いますと、キッパリと「それは、ない(のが当然だ)」。

 評判がいいのなら、また、日本人が呑んでこれは良いと言うものならば、売れるでしょう。どうして、そういうところ(空港の免税品店)に出さないのかが私には判りかねるのですが、彼らの話によると、そこへ行かなければ、「買えないし、飲めない」らしいのです。そして、一人の女学生を指し、「彼女のところの酒はうまい」と言いましたので、そちらを見ますと、本人が頷きながら、「先生、おいしいよォ」とニヤニヤしながら言うのです。

 どうも彼女は「イケル口」のようで、すぐに大学時代からの仲良しが「先生、○○○○はよく飲む」と暴露しました。本人も悪びれることなく、ケラケラ笑っています。彼女の生まれたところの名酒というのは「套馬杆」というのだそうです。他にも、自分達のところにも名酒があると、次から次へと学生達が名前を上げていきます。「呼白王」「草原白」…。皆、その地に行かなければ、ないのだそうです。

 今回卒業生の親御さんが出してくれたお酒は、たしか「草原之王」だったような気がするのですが、違ったかもしれません。学生達は知らないと言っていましたから。

 モンゴルの人たちは、漢族の人たちのように酒や食べ物に関してですが、無理強いはしません。確かに、料理を勧め、酒を勧めはしますが、精神的に苦痛に感じ、もうこの人たちと食べるのは嫌だと思わせるような、そんな脅迫じみた無理強いはしないのです。

 野菜(というか、「草」のような気がしたのですが)は、ほとんど出されませんでした。大半が羊の肉であり、牛の肉なのです。その他のものはと言いますと、それらから作られたチーズであり、ヨーグルトの類なのです。つまり、私は羊の肉は駄目ですし、日本にいるときも、牛の肉は駄目でしたから、ヨーグルトをチロチロ舐めるしか、参加しているのだという姿勢は示せないのです(実はチーズも、それだけであったら、苦手なのです。けれども、これは呑み込むことは出来ます)。

 全く、私という人間は、草原で皆と食べて楽しむというふうにはできていないのです。ただ、動物が大好きですし、羊の頭を撫でてみたい、牛さんを近くで見てみたいとか、そういう漠然とした「草原に対する認識」のもとで、参加したわけで、立派なパオの中での食事なんて思ってもいませんでした。

 これでは「猫に小判」、「豚に真珠」で、申し訳ないことでした。学生達は黙っていましたが、困った奴だくらいは思ったでしょう。

 そういえば、二年ぶりで帰国(内モンゴル)した卒業生も、帰って来るなり、お腹をこわし、大変だったとか。もう食生活も自然環境(気温や湿度など)も、「日本」に適応してしまっているのかもしれません。ただ、私たちと会ったときには、「もう(身体が)戻った。今は大丈夫」と話していました。が、そうは言いましても、また9月の上旬から大学は始まります。日本へ戻れば、戻ったで、モンゴルの習慣が残っている身体には応えることでしょう。また、明日から暑くなるそうですから。

日々是好日
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