日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

穏やかな朝です。

2016-12-31 10:55:15 | 日本語学校
暖かくて、風も吹いていません。

毎日がこんなふうだと過ごしやすいのですが、とはいえ、やはり、冬は寒くて、強い風が吹く日もありませんと、人間、馬鹿になってしまうかもしれません。

一年を振り返って…と、考えてみたのですが、毎日、追いまくられていただけのような気がして、いったい何があったのやら、思い出せないのが悔しい。…まあ、嫌なことも思い出さないわけですから、良いのかもしれませんけれど。

ちょいと学校に出てみると、学校へのメールには、学生同士の些細なこと、あるいはちょっとした連絡などが入っています。

若いときには些細なことも大事(おおごと)に感じ、眠れなくなってしまうこともありますから、その都度メールで返事をしたり、電話したりしているのですが、日本語がアマリできない人もいるので、困ることもあります。

まあ、そのときは、メールで返事「1月4日に来なさい」。これは10月生にもわかりますから、これだけですね。

さて、改めましてご挨拶。

本年はいろいろお世話になりました。ブログを随分サボってしまいましたが、サボったおかげで気が楽になりました。サボり癖が付いたのかもしれません。
年があらたまりますと、早速、新しい学生がやって参ります。日本の暦では1月1日ですけれども、世界にはそれが1月1日ではない国もたくさんある。それを互いに知り合うことも、日本語学校の良いところなのかもしれません。

あらたなる年にも、またいいことがたくさんありますように。

日々是好日
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昨日は「大掃除」でした。

2016-12-28 10:10:30 | 日本語学校
晴れ。

昨日、午前中に降り出した雨が、夜になっても止まず、予報と違う…。朝はスッキリと晴れましたが。

本来なら、それでいい…、お天気のことですから、のでしょうが、予報で夜は止むであろうと出ていますと、勝手なものでいい方に解釈してしまいます。で、えっ!まだ雨?という気分になってしまう。

さて、学校です。

大掃除も終わり、1年の締めくくりを皆(教員です)でして、晴れやかな気分で帰ったのが昨日。そして今日はまた学校としての準備が始まっています。

私の場合は、寮の様子を見た後、年が明けてからの授業の準備が主になります。

ネパールへ行き、彼の国の状況も私たちが思っていた以上であることがわかり、ベトナム、スリランカ、ネパールと、非漢字圏の学生達(他にフィリピンやタイ、ミャンマー、ペルー、モンゴル、バングラデシュなどの国から来ています)にどのように教えていったらいいか、どのようにクラスを考えていったらいいか、少しずつ見えてきたものがある…のは確かなのですが、それをいざ授業で活かすとなると、またこれは別問題。試行錯誤は続きます。錯誤であったと気づく方が多いのでしょうが、試みは決して無駄にはなりませんから、まずは「やる」。

スリランカの学生の場合は話せればいい(つまり、「聞く」、「話す」の二分野だけ)という考え方の者が少なからずいて、これが困る。皆がスリランカ人であればそれでもいいのでしょうが、残念なことに大學を目指している人、他国からの人もいるので、この学校ではそれでは通りません。

しかも、それで普通に皆と一緒に上のクラスに行けると思っているのですから、「漢字を覚えていませんから、もう1度やってください」というのが理解できないのです。彼らの国と日本とでは違うのです。

「中級」以降は、漢字交じり文を読まねばならないのに、漢字が読めなければそこで流れ(順に読み進めていく場合)がストップしてしまうと言うのに、このクラスにいられると思うなんて虫がよすぎる…とはいえ、例年何人か出てきますから、別に変でも何でもないのでしょう、彼の国の人たちにとっては。当然のことながら、勉強(漢字)が出来なければ下のクラスでもう一度やってもらいます。

今から思えば、中国人学生が多かったころは楽でした。特に、高校を出たばかりの学生達が多かった時は(何にでも驚いてくれましたから)、日本語だけでなく時事問題も入れやすかった(雑誌や新聞の記事、小説なども準備できたのです)。

ところが、今は非漢字圏の学生達が多いので、なかなかそこまでは行けません。今年やっとその入門編くらいのところができるかなと思いながらやっているのですが、来年卒業までの二ヶ月ほどに、何がどれほど出来ますやら。些か不安でもあります。

もちろん、これとて、ある程度の人数が揃わなければ、クラスとして成り立ちませんから、不可能ということになるのですが。

最終的に上のクラスに残れた者というのは、やはり漢字がかなり書けますし、読めます。「N2」の漢字を入れているときも、「パーツ」を言えば、その「パーツ」を使った漢字が出てきますし、それ故に、こちらが改めて板書しなくても済むということも少なくありませんでした。

ただ、単漢字だけを、まず書けるように、読めるようにするというのが第一義でしたから、その漢字を使った単語をかなりの量、入れるというところまでは至れませんでした。

まあ、あまり欲張りすぎても行けないのでしょう。大学に合格できても、学費が足らぬと言うことから、今度は勉強でなくアルバイトに精を出さざるを得なくなる場合もありましたから。

今、学校にいる学生達は、それほどお金が回る世界から来ているわけではないのです。広い家に住み、国では何不自由なく暮らしてきていても、10万、20万のお金をすぐに送ってもらえるわけではないのです。現金はそれほど持っているわけでないのです、国では豊かな部類に入っていても。

もっとも、以前の中国人のように、200万、300万の金を借りて日本に留学するという人は、ほとんどいなくなりました。つまり、彼らのようにものすごい馬力で働くという人もいなくなったわけで、別の見方をすれば、それくらいの馬力で勉強する人もいなくなったということなのです。

表面的にはあまり波風経たずに、学校での時間は流れています。けれども、「大學を目指せ」、あるいは「いい専門学校を目指せ」と、今よりもっと強く言い始めれば、多少波風が立つかもしれません。

ここにいて、適当に勉強し、適当に働き、外国人が多数を占める専門学校にでも入り、そしてどこでもいいから日本の会社に入れればいいと思っている人がまだまだ多いのです。

日々是好日

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ネパールへ面接に行ってきました。

2016-12-27 16:27:11 | 日本語学校
曇り。

暖かい。お天気予報を確かめてみると、今、17度だとか。

もっとも、昼頃から降り始める雨と共に、寒気がやって来、夜には8度くらいまで下がるという…。今は、冬なのに、まるで春のように生暖かく、ちょっと気色悪い…、そんな感じです。

さて、21日に皆で「ディズニーランド」を楽しんだ後、翌22日に、二人で、広州経由でカトマンズへ行ってきました。22日早朝経つはずが、広州からの便が2時間ほど遅れたせいで、羽田で時間が余ってしまい、ボウ…。時間が切迫していれば、焦ったかもしれませんが、広州でも6時間待つことになっていましたから、その点はのんびりと飛行機が到着するのを待っていました。

乗り換えの広州空港は…、なにせ、広州ですから、もっと充実しているかと思いきや、香港が返還されてから板挟み状態になっているのでしょう、それほどのことはなく、かなり手持ちぶさたでした。

そして、南方航空に乗り換えて、ネパールへ。ネパール空港は思っていたよりもスッキリしていました。まあ、でも、タラップでしたけれども…。若いとき、初めて中国へ行ったときも、タラップでした。そのときは、「タラップだァ」と感動したものでしたが、もうそういう気分ではなく、「階段かァ」と、見るなりドッと疲れが出たような気分…でした。

カトマンズはハトマンズと言われる…日本人だけかもしれませんが…、ように、ハトが至る所にいました。建物の屋根や窓枠のところ、また少しでも出っ張りがあるとそこに止まっています。模様かと思って見ていますと、急に模様が浮き上がって飛び立ったりするものですから驚いてしまいます。ホテルも装飾のためでしょう、出っ張りが多かったので、私たちが泊まった部屋の窓のすぐ下にも(手を伸ばせば届くようなところ)、数羽のハトが夜になるとやってきて、コックリコックリしていました。

きっと、夜のホテルは、外から見ると、まるでハトに乗っ取られているように見えることでしょう。私も鳥が好きというわけではありませんが、まん丸い頭がウトウトと揺れているのを見るのはどこかほのぼのとして、うれしくなってしまいます。いつまで見ていても飽きないのです。カトマンズは鳥たちにとって、生きやすい町と見えます。

カトマンズでは、3組の日本語学校関係者とその方達が連れてきた学生と会ったのですが、やはり百聞は一見に如かずですね。まず一組目で、一週間以上もかけて1課(『みんなの日本語』)というスピード(?)に愕然とし、それが彼の地では普通であるということを知り、そして、1日いる間になぜかそれに納得している自分に気がつきました。

そういう事情であるならば、たとえ、面接の時にまだ「N5」に合格していなくとも、資質がある程度ある人なら、日本に来させて勉強させた方がいいと、そうも思ったのです。

インターネットが発達し、情報が溢れかえっているような現代であったも、行かなければ感じ取れないことも多く、今回のネパール旅行(面接)でもそれを感じました。12時間もかけて(バス)会いに来てくれた学生や先生達、断らざるを得ない人がいたのに、ニコニコして、一緒に写真を撮ろうと誘ってくれたみんな。

世界にはいろいろな国があり、それぞれの国にはそれぞれの事情があり、日本人が日本で思っているようにはなかなか参りません。それを思い知らされたような二日間でした。

学生達の国の様子をある程度感じ取っていなければ、必要以上に学生達を追い詰めてしまうことがあるかもしれません。学生達が来日したら、焦ることなく、じんわりと日本になじめるようにしていかなければならないかもしれないと、少しだけ思いました。

もっとも、学生達が来たら、そんな気持ちがサッと退いてしまって、いつも通りにハッパをかけてしまうかもしれませんが。

日々是好日
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明日は皆で「ディズニーランド」へ参ります。

2016-12-20 15:51:48 | 日本語学校
晴れ。

風もなく、それほど寒さが厳しいわけでもない…。

「暖冬」が、どこやらヒヤッとした感覚を伴ってやって来ています。

「寒いときは寒いがよろしく候」。だれかのまねではありませんが、そう…。「例年通り」という言葉の裏には、「変革を望まぬ臆病者」と共に、どこやら人を落ち着かせる響きがあります。

「人の行いに『自然』が怒って、人を懲らしめる」のか、「『自然』の変化に人が釣らかれて愚かな行いをする」のか、いったいどちらなのでしょう。

ただ最近、人は、「自然」をそれほど畏怖しているようには見えませんから、全く意識の外に措いて勝手な行動を取っているだけなのかもしれません。

日本の民や、あるいは、それほど古来からの文化が切り取られないで残っている国の民は、心の奥底に自然に対する畏怖の情を、まだかなり残していると思うのですけれども…。

さて、学校です。

「日本語能力試験」に続き、「明治神宮外苑のイチョウ(公孫樹)の黄葉狩り」「六義園の紅葉狩り」があり、その後は、何やかにやと授業準備に追われていました。

毎年、学生の質が違いますので、こういう最後のヤマ場が過ぎますと、授業内容を彼らに合わせて変えていかざるを得なくなるのです。

中国人学生が多かったときはそれなりに、あまり変えずに済みましたけれども、非漢字圏の学生が増えますと、そうは言っていられません、来日後一年半、ないし一年ほども経ちますと、生来の資質に加えて、この期間(一年ないし一年半)の重さと言いますか、それが如実に表れてくるのです。特にそういう学生が3、4人ほどもいますと、彼らに背を押されて、私たちも、適当に外国人用の教科書や「日本語能力試験」対策の問題集などをやってしのぐというわけにはいかなくなります。

その都度、この期の彼らには(もちろん、引き続き、『N1』や『N2』対策は必要です。『N1』対策までしていなければ、何を読ませようとしても、結局は徒労になってしまいます)何を加えていったらいいのだろうと悩まされます。

たとえ「N3」に合格していたとしても、文章題は別物で、読み取れないということも多いのですが、合格さえしていれば、「私は頭がいい。私は日本語がよくできる」と思ってしまうようで、それがなかなか困りものなのです。なぜそう思えるのだろうと、あちらから攻め、こちらから攻めして、まずその人自身が「それほどでもない」ところを知らしめようとするのですが、彼らの己に対する信心は微動だにしません。こちらの言わんとするところが全く入っていかないのです。

「これまでの教材は、大半が『外国人用の文章』であり、日本人が読むものではない」と言っても、それしか知らなければ、判りようもないのでしょう。以前、中国人の学生が、『上級』教材を扱っているときに、「日本語の文章は簡単だ」と豪語していたものでしたが、名文家と言われるほどの作家の文章を読ませるようになりますと、途端に何も言わなくなってしまったことがありました。どこの国の文学でも、名文と言われるものには奥行きがあります。それを感じられるかどうかはその人の資質なのかもしれません。

その意味では、多少難しくとも、ある程度のレベルになっていれば、名文を読ませていった方がいいのかもしれません。もちろん、そうは言いましても、勉強の方に心が向いていない人が多い(クラスの中で)場合には、判っていてもそれが出来ないのです。

日々是好日
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「をかし」は、助詞「を」足すことの「かし」である。

2016-12-08 09:08:03 | 日本語学校
晴れ。

お日様が出て、最低気温は4度、最高気温は13度。この数字を見るだけで底冷えがしてくる感じがしてきます。

今年の学生達は、なかなか「しぶとく」て、こんなに寒くなったというのに、靴下を穿いていない学生が、調べてみるとぞろぞろ出てきます。入り口で捕まえて、「はだし!」と叫ぶと、「暑い!」という返事が返ってきます。「暑いわけがないだろう」と、こちらが怯んだすきに、敵は教室へ遁れていきますから、始末に負えません。

とはいえ、教室に行ってみると、しっかり厚手のオーバーやダウンを羽織り(暖房がついているのに)、「寒い、寒い」と言うのですから、わけがわかりません。「靴下を穿かないから寒いのだ」、「Aだから、Bになる」という理屈が、体で判っていないから、こちらの言葉が入っていかないのです。穿くと暖かいのになあとブツブツと言っても、ニヤニヤしています。

例年ですと、さすがにこの頃には、「靴下足」になっているものなのですけれども…。それに、だいたいが南の人たちなのですけれども

さて、学校では、カリキュラムが普通に戻り、「日本語能力試験」は遙か彼方の出来事になってしまった…はずなのですが、一年生はともかく、二年生はそうはいかないようですね。

特に「N2」を受けた学生達は、「難しかった」「覚えていない漢字の読みが出た」と愚痴をこぼし続けています。

これも無理からぬ事で、漢字圏の学生には、かなりの量の単語(漢字も含む)を覚えるように言えても、非漢字圏の学生で、「N2」の漢字を一つ一つ書くところから始めねばならない人たちには、それを含む多くの単語を「はい」と示して覚えるように言えるはずもない(皆、アルバイトをしながら、必死に勉強しているのですから。それほどたくさんの時間があるわけではないのです)。そんなことをさせてしまえば、虻蜂取らずで、一も取らず二も取らずということになってしまいます。

「だからね」と、説明をしておきます。今、勉強しているのは、新しい漢字であって、その漢字を使った単語ではない。その漢字が使われた単語は例として2、3載っているけれども、それで全てのはずはない(でしょう)。こういうのは、一歩一歩すすめていかねばならないものであって、その一歩が出来るようになっただけである。

とは言いましても、「N2」で要求されている漢字がだいたい書けるようになったということは、実は大したことなのです。ただ、彼らは、それだけで、それらの漢字を含む単語が全て読めるようになったと思いこんでいるふしがあり、それが問題なのですけれども(…そんなはずがない)。

で、昨日もまだブツブツ言っているので、早速、気分転換にと、『枕草子』の第一段、「春はあけぼの」を読ませました。「をかし」と言う語も、助詞「を」足すことの、「かし」という理解の仕方で、「これは一語だ」と言いますと、「エー(あり得ない)」。「語中、語尾の『はひふへほ』は『ワ行』で読む」というのは、自分たちで探して行くうちに、判って来たらしく、ゲーム感覚で楽しんでいました。

途中で時間切れになり、「『春は?』『あけぼの』。『夏は?』『夜』。『秋は?』『夕暮れ』。『冬は?』『つとめて』。」をくり返して終わりにしたのですが、春と夏しか説明していなかったのに、「つとめて」なんてよく覚えられたなと思っていたら、「はい、努めます」という答えが返ってきました。「まっ、いいか。まずは『覚える』だものな」。教える方もテキトーにやっているようです。

日々是好日
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ポカポカ陽気。下手なのに「うまい」と言われるのは…、どうも…(困る)

2016-12-06 09:17:34 | 日本語学校
晴れ。

今は、無風状態であるように思われるのですが、夜には北風が強く吹き始めるとか。

昨日今日と、こんな「ポカポカ陽気」が続くはずがない…。昨日は皆、今が冬であることを忘れていました。

ほとんどが定刻に集まり、日本橋で乗り換え、外苑前で降り、そのまま明治神宮外苑の並木道のほうへ向かいました。片側の道の並木はかなり散っており、しかも早朝まで雨が降っていたようで、道もカサコソという落ち葉の音も聞けません。それがちと残念。もっとも、「先生、ない、ない、ない。葉っぱがない、全然な~い」などと言われるほどではありませんでした。…ホッ。

戻りの道の「イチョウ(公孫樹)」は、まだきれいな葉が残っていましたから、そこでいい写真が撮れたようでした。

そして、「六義園」へと向かいます。入り口で2列に並んでいますと、その後ろに並ぶ人が出てきました。最後尾にいた教員が、説明して前へ行ってもらいます。日本人は並ぶのが当然という意識があるので、こんな時、要注意です。

園内を歩いていますと、学生達に声を掛けてくる人がいます。「どこから来たの」から始まって、たいてい「日本語が上手だね」で締めます。言われた方はうれしがりながらも、自分のレベルは判っているはずですから、それを励みにこれからも頑張れれば、私たちもうれしい…。

ところが、こういうのを後生大事に持ち続け、「日本人がわたしは日本語が上手だと言った」で、勉強をしなくてもよいと勘違いする輩も出てくる…のが困る。もっとも、こういう人たちはどこの国にも多少はいて、楽な方楽な方へ流れていくものですから、しょうがないといえばしょうがないことなのですが。

ただ、漢字だって大して書けないくせに、進学を考えなければならないときに、大きな態度を取り始めるから、こちらは大変です。

テストを何回くり返しても、その都度カンニングをしているのを注意されても、「自分はすごい」意識が抜けきらないのです。本当にどこから来るのだろう、こういう了見は。

まあ、この国からは、毎年のように、こういう人が一人か二人、出てきますから、私たちも慣れているといえば、慣れているのですけれども。

他の国からの学生達は、日本語のレベルが低い人はそれなりにそういう意識がありますから、(こちらとしても)言いようはあるのですが。

多分、あの国の人たちは子供のときから、あまり点数で分けられたことがないのでしょうね。…そう言うと、「違う」と言われるのですが。親が小金を持っていたり、親の出自がよかったり、身分がある程度あったりすると、それだけで、そうではない人たちとは、接点がなくなる。つまりみんなで比べられるということがないのです。

(彼らが)居るのは、「仲間」の世界ですし。

皆、普通にしていれば「出来不出来」なんて判りませんもの。…何が出来て、何が出来ないのか…これは大切なことです。完全無欠な人なんていませんから、何が出来るか(得意か、あるいは知っているか)がわかることは、プライドのために必要でしょうし、何ができないか(苦手か、あるいは知らないか)がわかることは「学ぶ」という点からも必要なことなのです。

考えさせたり、ちょっとした新しいことをさせたりしてみてはじめて、「できない」ことが判るはずなのですが、こういう人は、それが「見えない」のです。気づかないのでしょうねえ。気づくようにさせても、「えっ。私が」と、それを告げた人間のほうが「おかしい」という態度を取るのです。それで、うまくいくと思っているのでしょう。おそらく国ではそうやってうまくしのいできたのでしょう。

だいたい、こういう人は「できない」なんて言いませんもの。漢字を覚えるにしても、「ちょっと難しい。でも、判る」と皆、判で押したように言います。もちろん、「じゃあ、読んでごらん」と文章を読ませてみると、読めませんし、意味もそれほどわかりません。

当然のことながら、地道に漢字を書き、覚えようと努力している人の方が、最後には「勝ち」ます。

それを判らせようと努力しても、「暖簾に腕押し」、「豆腐に鎹」「糠に釘」。いらだち、焦っているこちらの方が愚かなのでしょう。そのまま、卒業し、専門学校へ行き、日本の会社で働いている人もいるのですから。多分それでもいいのでしょうけれども。そういう人はそうやってうまく生き延びていけるのでしょうけれども、こういう時期はこちらの方が耐えられないのです。

ただね。それで適当にうまくやれていても、やはりそれはまずいと思うのです。うまそうに振る舞っていても、いつかはバレるでしょうから。

日々是好日
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「紅葉狩り(明治神宮外苑、六義園)」

2016-12-05 08:26:50 | 日本語学校
晴れ。

朝のうちに、降っていた雨は止んだようです。空気はしっとりとしていながら、朝日が眩しい。今朝もきっと富士山がきれいに見えていることでしょう。

ところで、今朝、学校に来る途中、何となく、どこかしら落ち着かないような気がしていたのです。目に映る風景に、あるべきものがないような…そんな感じだったのですが、それは落ち葉がなかったせいでした。

雨が降ったら、雨にたたきつけられて木の葉が散っていたであろうに。それが路肩にたまっていたであろうに。ない。スッキリとしたものでした。見かけても、手のひらのような大きいのが二、三枚あっただけ。桜の葉も落ち尽くしたと見えます。

そんなことを考えていたら、ハッとしました。そうだ、今日は「紅葉狩り」だったっけ。

大丈夫でしょうかしらん。

1度だけ、学校で行ったときに、明治神宮外苑で、見事な「(イチョウの)黄葉」を見たことがありました。けれども、あとは空振り…。今一つといったところでした。

「残念、もう少し早く来られたらなあ」などとぼやいても、それはかなわぬ事。何せ、「日本語能力試験」は、12月の第一日曜日と決まっていますもの。見頃に行くわけにいかぬのです。

というわけで、あるときはまだ半分ほどしか染まっていなかったり(早すぎた)、またあるときは、裸ん坊の枝からきれいな青空が透けて見えていたり(遅かった)、またまたあるときは、黄葉に敷かれた道の上を歩かせてやりたいと思っても、あいにくきれいに掃かれた後であったりとか(とてもとても遅かった)、これまでにもいろいろなことがありました。

もちろん、「『イチョウ(公孫樹)』の黄葉がだめなら、紅葉でいくさ」というわけで、今年は六義園のほうにお邪魔するのですが。

ここに行くたびに「カワセミ(翡翠)」を見かけて、感動していました。でも学生達に「見て、見て。きれいな鳥でしょう」と言っても、彼らは知らん顔。それが少し不満だったのです。が、ベトナムに行ってその理由が判りました。向こうでは、「よく見かけられる鳥」でしかなかったのです、きれいですけれども。郊外にたくさんいました。日本では稀であっても、彼らのところでは、何のことはない普通の鳥だったのですね。

それで、冬の渡り鳥などのほうに目が行っていたのです、彼らは。

興味関心というのも、実際にその地に行ってみなければ気づかぬ事も少なくないのですね。そういうことも知っていくことも大切です、教師のほうは。

日々是好日
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今度の日曜日に、「日本語能力試験」があります。みんな頑張っていますよ。

2016-12-02 09:10:49 | 日本語学校
晴れ。

冬になると富士山がくっきりと見えてきます。空気が乾燥しているのでしょうね。今日は洗濯日和だそうです。

学校の「サザンカ(山茶花)」…もしかしたら、「ツバキ(椿)」かもしれませんが…の花の「赤」を見ると、何だかほのぼのとしてきます。寒くなると、火が恋しくなるからなのでしょう。つまり「暖」、赤い色は心も暖めてくれます。

夏に「白」が、凜とした静けさを感じさせるのと、同じようなものなのかもしれません。

色で心持ちが変化するというのも面白いですね。

さて、何色を見たら、「勉強せねばならぬ」とか、「もう少し頑張ろう」とかいう心持ちになるのでしょう。そしてそれにも、民族・地域などによる差異はあるのでしょうか。

師走に入り、12月の第一日曜日が、例年「日本語能力試験」の日だということもあって、二年生からは、何を言っても、「後でもいいですか」という返事が聞こえてきます。

「その次の週は大学入試なんですけれどもね。でも、これは言わんとこ」。まずは、「能力試験」の方に集中してもらわなければなりません。

もちろん、一年生でも受ける人はいるのですが、二年生に比べれば、どこか、のんびりとした感じ。「まずは、経験」なのかしらん。

漢字が苦手な人、あるいは文法がなかなか覚えられない人を、「もう間に会わないでしょ」と睨みながらも、「『焼け石に水』に、なってもいいから、水をかけ続けろ」と叫び続けています。少なくとも、「あの時、(無駄かもしれないと思いながらも)かけ続けた」という意識だけは残るでしょうから。

プロセスというのは不思議なもので、その経験があるとないとでは、これからの人生においても大きな差が出てくるような気がするのです。努力しなかった人と、結果は同じようなものになったとしても、また目に見えるような形で表れなかったとしても、これが違ってくるのです、言語に関して言えば、二年も経つと。

スッとペラペラ話せるようになって、それですぐに(上達が)止まってしまう人もいれば、努力している割りには、なかなか話せるようにならず、ため息ばかりついていたような人でも、…本当に「継続は力なり」です…、いつの間にか、すぐにペラペラ話して得意げにしていた人たちを追い越してしまう…というようなこともあるのです。少し話していれば、その人の言語に厚みがあるかどうかと言うのはわかります。

だから、特にヒアリングが悪くて音が聞き取れない…それでやる気をなくしそうになっている学生には、口を酸っぱくして言っています。言葉の勉強には、「いつの間にか」という時間があるのだと。

それに、どの国の言語であれ、それを「勉強」するということは、その国の文化なり、歴史なりを学ぶことでもありますから、表層的なものだけで仕舞いにしてはならぬのです。

「ある異国へ行った。そこで生活した。知り合いになったその国の人と話しているうちに話せるようになった」とは、なかなかいかぬと思います。

たいていの「できる人」というのは(この場合は言語ですが)、そうなって改めて、学び始めるものなのです。

おそらくそれは、彼らが「己の足らざるを知っている人」であるからなのでしょう。

さて、こう書いているところに、学生達が来始めました。一人の女子学生が「これまではテストが怖かったけれども、今は、なんだか、待ち遠しいような気持ちがします」。

これも、きっと頑張ってきたからなのでしょう。こういう気持ちになって、受験できるというのは、本当に幸せなことです。

日々是好日

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学生達は、みんな、ごく普通の人たちですからねえ…。

2016-12-01 08:40:19 | 日本語学校
雨。

シトシト雨です。もちろん、寒いことは寒いのですが、冬という感じではないのです。1度、11月というのに、もう粉雪がぱらついたことがありました。けれども結局積もることはなく、学生達はあまり「雪」というもののイメージが掴めなかったことでしょう、あれでは。

自動車の上のシャーベット状のものを集め、両手に掬い取り、ニコニコと持って来られても、「それが『雪』です」とは言えませんもの。心苦しいのですが。

とはいえ、街では、風に吹き飛ばされても、雨に打たれて散り落ちても、少しも減ったようには見えなかった「サクラ(桜)」の木の葉が、目に見えて少なくなってきています。隙間だらけの冬の木になりつつあるのです。

これが「裸ん坊」になりますと、本当に「冬の到来」という感じになるのですが。

さて、学校です。

なかなか(進学に向けて)動こうとしなかった学生が、少しずつ友人知人に訊いたと専門学校の案内を持って来始めています。レベルがそれほど高くはない専門学校は疾うに締め切られ、就職率が高いとか、いい会社が紹介できるようなところしか、今のところ残っていないようなのですけれども、頑張れるのでしょうか。頑張りがそれほどきかないから,心配…。

彼らの国では、本人の実力よりも、縁故や父母の金力政治力などのほうが幅をきかせているのかもしれません。それに、あまり同国人の友人がいない人は、日本のことも、進学ということも、それほどよくは判らないのかもしれません。なかなか動かないのです。もしかしたら、こちらがいくら急かしても、動けなかったのかもしれません。これも「誰かがどうにかしてくれる(はずだ)」的な考え方が、異国に来てもどうしても抜けきらない部分があったからかもしれません。

お尻に火がついて、慌て始めた次第。早い人はとうの昔に合格通知をもらい、涼しい顔で学校に来ているというのに。

こんな彼らでも、大半の者は、半年か一年くらいは真面目に学校に通い、勉強もできていたのです。年を越えた当たりが分かれ目かしらん。

特に適当に話せる、あるいは話せているように見える人たちは、そう。

外国人が日本語を話せば、たいていの日本人は感激してくれます。「もっときちんと話せ」とか、「下手だなあ」なんて言ってくれる日本人はそういません。日本人は日本語が(だけが)特殊な言語と思っているからでしょう。そんなことはないのですけれどもね。

『初級Ⅰ』レベルの日本語で話しても、「上手だ。上手だ」と褒めてくれるのです。

それをうれしいと思い、さらに奮起して刻苦勉励するような人は稀で、そこで学力はストップしてしまうから悲しい…。

「N2」レベルで止まっても、誰も(ここでは私たちのことです)、不平は言いませんが、「N4」レベルで止まってしまうと、つまり「簡単な文章も読めない」レベルですから、先がそれほど明るくないのです。

人というのは、国家・民族を問わず、嫌なことは耳を素通りするし、うれしいことは耳に留まるように出来ています。幸せを感じるようにできている生き物なのです。もちろん、これは目の先一寸ちょっとの世界でだけ通用することなのでしょうが。ところが、人には、それが判らないときている。

よく「鹿を逐う者は山を見ず」と悪い意味で使われることわざがありますが、これは裏を返せば、山を見ずに駆けていけるからこそ、後に大成できるのだとも言えましょう。山ばかり見ていると、つい「あの山は深いなあ」とか、「険しいなあ」とか思ってしまいます。そして、何も行動せぬまま、終わってしまうということにもなってしまうのです。

休むことなく学校に来、習ったことをコツコツと復習し覚えていく(アルバイトでそれほど時間を取れなくとも、30分ほどでもいいのです。毎日することがなによりも大切なのです)。そして(日本にいるのだから)使ってみる。

この地道な作業こそが、上達の秘訣、早道なのです。何でもすぐに判るし、出来るような天才なんて、そんじょそこいらにいるはずはないのです。いないから天才なのです。自分をまず、天才だと思わないことから始めた方がいい…ような人がいると…、ちょっと困ってしまいます。

虚構の世界、つもりの世界に、現実の世界を合わせることなんて出来ませんから。

日々是好日
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