日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「高校へ行きたい」という学生。今はまだ「日本語初級」だけれども…。

2021-02-26 09:25:34 | 日本語学校

曇り。

「今日は、雨」との予報が、先には出ていましたが、それもだんだん、「雨にならず、曇りかも…」ということになり、それが、さっきまで、少し陽が射しているという具合に…今は、薄い雲が空を覆っていますけれども。もっとも、千葉県も南の海寄りの所では、雨になるかもしれぬそうで、やはり、「ナノハナ(菜の花)」のころには、雨が降る…もんなのですね。

さて、学校です。

昨日、学生の一人が、驚いたように、「えっ。もう木曜日?」。どうも、リュックの中身は増えることこそあれ、入れ替えた形跡はないようですね。いいですよ。土曜日にお一人でどうぞ。

毎日の過ぎるのの速いこと。あっというまに金曜日が来て、そして土曜日です。留学生が乏しくなってからは特にそう。留学生が多かった時には、アルバイトの問題やら、支所に行かなければならないことやら、寮の暮らしについての説明やら、何やかやとあり、その都度、だれかが走り、よって職員室にも、人が欠けているということがよくありました。

今はほとんどが在日の人たちですから、そのそばには日本人がいたり、あるいは同国人であっても、日本の暮らしに慣れた人がいたりで、こちらが何かをしなければならないということはほとんどありません。ただ彼等のレベルや目的にあった日本語を教えていけばいいだけ。

もっとも、高校へ行きたいと言う人が、今は一人、四月からはもう一人増えそうな気配で、これは中学の教科書か何かを以て、別に対策を立てて教えていかなければならなくなりそうです。

これまでも、高校受験対策というのはしてきました。一年か二年に一人か、あるいは二人ほど、そういう人がやって来ていたのです。タイ人、インド人、ペルー人、中国人など。母国で中学校までやってきて、そして日本で一年か二年日本語を学び、それから高校を目指すと言う人もいれば、中学校に通いながら、放課後ここへ来て基本的なことを学ぶという人もいました。

たいていは、日本語と数学くらいで時間切れになってしまっていたのですが、今回はある程度日本語が話せ、聞き取れるということで、もう少し幅広く手助けできそうです。今はまだ日本語の基礎編ですけれども。

ネックになるのが、中学校に通っていたと言っても、漢字がほとんど書けないこと。漢字が読めなければ、「書く」「読む」という作業ができないので、教科書などを通して、基本を入れることができないのです。

ふつうの少女や少年ですし、両親が日本語学校に通わせてでもと思っていると言うことは、経済的にも困ってはいず、知識もあるということ。それでも、多分、日本の中学校では「お客さん」だったのだろうなと思います。

ここで、読ませても、声が小さいのです。最初は、ふつうの子ですし、日本で中学校に二年ほど通っていたということで、それほど手当はしていませんでした。この学校で一年近く学んでいた学生よりも、ずっと話せましたから。

ところが、文章を読ませてみると、声が聞こえないのです。本当に小さな、小さな声なのです。漢字が読めなかったので、中学校では、間違えたり、読めなかったりで、恥ずかしくて、どんどん小さな声になっていったのだろう。まずは、そういう垣根をとっぱらってやらねば。

そういえば、昨年、「今、夜間に通っているけれども、高校に入りたい」と言ってきた少年も、そうだったっけ。で、「初級のクラス」を見せたら、急に緊張が解けて、ニコニコし始めたっけ。

安心したのでしょう。「みんな外国人で、日本語下手だからね。」と言うとホッとしたらしいのです。日本の学校に通っていた、あるいは、今、通っている人には、これが一番。「ああ、おんなじだ」と思えるのでしょう。

随分前のことですが、ペルー人で、日本の高校へ行きたいという少女が、彼女の友人のペルー人の友達二人を連れてきたことがありました。この友達というは高校の受験に失敗して、今、何もしないでいるというので、(その時は、そういう「若者」と接したのは初めてでしたから)ちょっと教科書を読んでごらんと言って読ませてみたのです。中学の教科書はスラスラ読めました(何の教科の本だったのかは忘れました)。けれど、簡単な質問をしてみると、わからないと言うのです。つまり、読めても意味が判っていなかったのです。

途中から入国し、初・中等教育(特に中等教育)を受けるという人には、やはり別のカリキュラムを用いなければ、結局、置いてけぼりの生活しかできなくなる。一応、高校くらいは出ていないと、専門学校に行くことすらできない。将来、「これを身につけたいな」とか、「これについて勉強したいな」とか思っても、どうしていいかわからない。親や兄弟、あるいは彼等の周りの人たちも、その大切さが分かっていないということもあるでしょう。似た境遇の人たちが集まっているわけですから。

この学校から高校に入った人の中には、高校でいい成績を取り、大学に入れた人もいたそうで、もし、日本語がきちんと入っていなかったら、そういう人たちも、(高校に)入れたとしても(高校で)無駄な時間を過ごすということにもなっていたかもしれません。基本さえ入っていれば、高校の先生も手の打ちようがあるのです。

同じように中学校を出たとか、高校を出たとか言いましても、国による差は大きく、高校を出ていれば大丈夫だろうと簡単には考えられません。日本人も、今の日本の教育に不満を抱えている人は多く、100%満足している人はいないでしょう。けれども、先進国とは言われていない国から来た人たちを見ると、本当にため息をつくしかない場合もあるのです。「読解」にしても、計算ができないから、解けないということもある。その場合は算数レベルから考えていかなければなりません。小中の12年分の教育というのは、本当に大変な量なのです。

もちろん、最後は本人のやる気や資質がものを言います。とはいえ、最初の一歩というのは、とても面倒で、時々手に負えないなと思わされることもあるのです。これは高校受験を目指す人だけに言えることではありませんが。

日々是好日
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「桜狩り」から戻ってきて、「はい、お土産」。こちらは今日、「冬」だけれども…。寒い。

2021-02-25 09:11:28 | 日本語学校
晴れ。

昨日より、ちょっとばかり寒い…ような気がします。暖かい日が続いて、そして昨日、今日と「冬がまた、やってきて」、だからか、一際寒さを感じます。けれど、こうやって(一進一退で)春が身近な存在になってくるのでしょう。

一昨日の休みに伊豆へ行ってきた(河津桜狩りでしょう)という学生が、お土産を持って来てくれました。残念ながら、和菓子…。最近、こういう私の苦手のお菓子を持ってくる学生が増えた…というか、外国人から見ると、日本人は皆、和菓子が好き(…なはず)。だからこれを買っていった方が無難だろうとなるのでしょう。

そういうことから見ると、以前の学生はやはり大したものでした…こういうことで大したものというのも変ですが。こちらの話をよく覚えていたらしく、お土産に「あんこ」物は避けていましたね。

話したのは、単なる例文づくりの時とか、日本の食べ物の紹介とかだったと思うのですが。例えば、「納豆」。西日本では苦手な人が多いのですが、関東で暮らしている学生から見ると、日本人で「納豆」が食べられない人はいない(はずだ)となるのでしょう。なぜなら、皆(これとても、アルバイト先の人)食べているから。…記憶にある限り、私の子供時代の町では、「納豆」は売っていなかった。多分、売っていても買う人はいなかったでしょうから。「(納豆の)菓子」はありましたけれど。

だから、姉が離乳食として「納豆」がいいということで、「納豆」を使うと言ったとき、家では大騒ぎになりましたね。まな板から、包丁から、新しいのを買ってきて、それ用とした。「納豆」を使うときには、台所に彼女一人。皆、退避するといった具合。

今から見れば、大笑い…ですけれども、その時はそれどころではなかった。

狭い日本だって、広い。西と東、北と南、それだけでなく同県であっても、昔の藩の違いからか、好き嫌いにはいろいろと差がある。個人というには、まとまりすぎている差。

中国にいたとき、タイの学生が自炊していたその匂いを嗅いで、カンボジアの学生が、祖国の匂いと同じだと言っていましたっけ。国同士も遠くて近い。近くても遠いのが人と人…。

で、食べ物の話です。私達も往々にして勘違いして、たとえば「ベトナム人なら、こうだ」と決めつけてしまうのです。全く知らなければまだしも、生半可に知っていると、こういう失敗をよくしてしまう。

例えば、今なら、スーダンの学生。前に、スーダン人でこの学校で学んだ人はいくたりかいたけれども、年齢的に彼等よりもかなり上の世代だったし、いつも放課後残って勉強するといったわけでもなかった…。で、今、放課後残って勉強している学生。勉強の合間に彼等の話を聞くことも多く、(ある程度、相手のことがわからなければ、例文で相手に理解させることもできない)聞いていると、本などで得られた知識以外のこともよくわかり(わかると言うか、これは一人一人違うのでしょうが、一応、今、目の前にいる学生はそう考えている、そういう経験をしているといった程度なのですが)、驚かされることも多いのです。

砂漠の話をしたときも、野生動物の話をしたときも、船や海の話をしたときもそう。ベトナム人やネパール人の時もそうでしたが、差がありすぎるのです。中国人の場合は、内陸部から来た人は「海が見たい」と素直に話します。けれども、彼等の話はどこかそうではないような気がするのです。どこか、別の屈折があるように感じられる場合が少なくないのです。そう感じられた時には、こちらとしても、安易にその話に踏み込めなくなるのです。それぞれが、それぞれの国の社会、歴史を背負っているのですから、どんなに若くとも。

日々是好日
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陽は照っているけれども、冬が戻ってきたかのよう…。

2021-02-24 09:12:14 | 日本語学校

晴れ。

毎年のことながら、「二月は逃げる」ですね。もう24日になっています。今朝はまた冬に戻って…寒い。

とはいえ、大雪が降っている日本海側と違い、こちらではお日様が燦々と照っています。お天道様の力を借りて、家の中では、窓さえ閉め切ってしまえば、ヌクヌクと過ごせます。…もちろん、今はコロナ禍の中にあり、換気はしなければならないので、ヌクヌク…とまではいきませんが。

さて、学校です。

今、「Eクラス」に、一週間に一度だけ行っているのですが、ここには、日本にある程度いるけれども、まだ「ひらがな」も書けないという人もいれば、「ひらがな」どころか、日本語が全然わからないと言う人もいる。

担任は、(授業から)戻ってくる度に、「あれがまだ覚えられていない」とか、「まだ早く読めない」とか、不満は尽きないようですが、週一で行っている者から見れば、「ほっ。読めるようになっている」とか、「前よりよく言えるようになっている」と、「ほっほ、ほっほ」という感じで、不満はありません。

留学生と違い、全くのゼロの人もいるわけですから、そう早くはいけません。なにかしら、耳に馴染んでいる部分でもあれば、どこかで繋がるということもあるのでしょうが、それもなければ、そりゃあ、時間はかかります。けれど、着実に、できること、わかることが増えているようですから、まずは安心してください。

ところで、放課後残って勉強している学生達の中に、知恵がついてきた者がいるようです。この「知恵」、どうやったら、楽ができるか、つまり「省エネ」という点での「知恵」なのですが。

帰るときに、戸締まりを各自に頼んでいたのです。例えば、「前の窓は○○さん、シャッターは△△さん、後ろの窓は、◎◎さん、閉めて」というふうに。

で、一人が偶然、後ろの窓を閉めるときに、「なんだ、すぐ窓の下に私の自転車があるじゃないか」と気づいた。「それじゃあ、ここに荷物をポイと置いてやれば、重いリュックを担いで上がったり下りたりしなくてすむ」と思ったのでしょうね。

それからは、私が「はい、終わり」と言うなり、荷物をまとめて、後ろの窓にダッシュ。荷物をポンと置いて、そして、窓を閉めるのです。多分、中学生のカバン並みに重い…午前の授業の本、ノート、そして、午後の授業の本、ノート。それから…、そう、とにかくみんな入っているのね。

慣れてくると、みんな考えるようになる。重い荷物を抱えて、階段を上って、また下りて…というよりも、一階にいるときに窓の下に置いてある自転車の籠に入れてしまえば、その方がずっと楽。抜け目なく立ち回れば、楽ができる。まあ、そのおかげで、朝、皆より早く来るようになったようですから(自転車の置き場所を獲得するため)、いいこともありますね。

日々是好日

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今、学校で自習する人が、何人かいるので、ちょっと面白い。

2021-02-19 09:28:15 | 日本語学校

晴れ。

天気予報で、真冬の頃と同じような「1度」とか、「4度」とか言われても、あの頃のような寒さは感じられません。今日もそう。…春近し。

今朝のニュースで、桜島が雪化粧しているのを見てびっくり、一瞬でしたが。東北かどこかの山かと思いました。鹿児島の市街地にも雪が降ったとあり、町の様子が出ていました。こちらは雪なんてさっぱりだというのに。

少しでも寒いと「雪が降りますか」と訊いていた留学生達の姿が見られなくなって、久しくなりました。「日本に行けば雪が見られると思っていたのに」と最初のころはいかにも恨みがましく言われていたものでしたが。それもなくなってみると、妙に懐かしく思い出されてきます。

霰か霙かわからないようなものが、少し降ってきたのに気づいて、「雪だ、雪だ」と大騒ぎをし、スマホ片手に飛び出していったはいいけれど、戻ってきて見てみると何も写っていなかった…で、がっかり。国に(映像を)送ろうと思っていたのに…。そういうことも、かつてはありました。

こうしてみると、留学生が大勢いた頃には、いろいろな事に驚かされたものでした。外国人には慣れていたつもりでしたが、やはり一人一人に対すると、違いますね。もとより、国や民族、地方による違いもありますが、それよりも、表面に出ていない、様々なことを一人一人考え、感じ、思っていたのだということが感じられました。

人は追い詰められたとき、本音が出るものです。同国人がそれほどいない(いても気が合わないということもあります)状況であれば、特にそうでしょう。誰にも、どこにも訴える術がなければ、そのまま、こちらに言うしかありませんから。

この学校には、スリランカ人が多かったことも、中国人が多かったこともあります。ベトナム人が多かったり、ネパール人が多かったこともありました。けれども、いつも一色に染められたことはなく、フィリピン人やタイ人、ミャンマー人、インド人、バングラデシュ人、パキスタン人、インドネシア人、台湾人、香港人、モンゴル人、スーダン人、ガーナ人、ペルー人、チリ人など、その他の国から来た人たちが、いつも半分か三分の一ほどはいました。小さい学校ですけれども。

この「行徳」という町にはいろいろな国から来た人たちが多く住んでいるということも関係しているのでしょう。それは、コロナの影響で留学生が来られなくなった今でもそうです。

ただ留学生達とは違い、在日の人たちが学校に来て日本語を勉強したいというのには様々な理由があり、留学生達のように一本ではいきません。留学生達は高校か大学卒業後に来ていますし、高校卒業後の人たちは「N5」に合格してからの来日です。皆、ある程度、国で勉強してから来ているのです。

ところが、在日の人たちはそうは簡単にいきません。「日本語なんて聞いたこともない」という「ゼロ」の人もいれば、「話す・聞く」は不自由しないけれども、文字だけができないという人もいます。そういう人たちが、一番向いているであろうクラス、あるいは本人の希望で、レベルを落とすか、あるいは上のクラスに入ることになりますから、ある意味、その時間だけでなく、足りないところは別に補わなくてはならなくなります。

その都度、担任や彼等を連れてきた人たちと相談しながら、文字に難のある人たちはそれを、ヒアリングや読みに難のある人たち、文法が苦手な人たちと、別個の指導を加味していかなければなりません。

『初級』の「いろは」からであれば、ある期間残して、つきっきりで指導し、追いつかせるということもできます。もちろん、本人がやる気があって、しかも勉強できる時間と学費が確保できればの話ですが。お金がかかることなので、やる気がないときに学校に通わせると、負担が大きすぎます。時々、親は勉強させたいけれども、本人にはやる気がない。もともと勉強の習慣がなくて、教室にすわって時間を潰すだけになる…これは教える方も困ります。それで、最初に学校に来たときに、本人に確認を取るようにしています。やる気も必要性も感じていないのに、何時間も机に縛り付けられることほど辛いことはありませんから。その時は、やる気になったときに、来させるように親御さんにも、連れてきた人にも話します。

もちろん、学校に通っているうちに、日本語が一通り話したり訊けたりするようになると、勉強が楽しくなる場合もあります。活動範囲が広がるのです。面白いことを見つけることもできるようになるでしょうし。

『初級』が、一応終わり、「N3レベル」前後からは、質問も個別なものになっていきます。その場合は、時間があるときに、教室での自習を勧め、手が空いている教員が教室に行って学生達の質問を受けるという形になります。

質問も多岐にわたり、習った単語の意味がはっきりとは判らないというものから、文法の構造がわからない、読解文であれば、読めたけれども(つまり漢字の読みや単語の意味などではなく)、筆者の言わんとするところがわからないというのまで、一人一人に別個に対応するのでなければ、おそらく、そのままにされてしまうところでしょう。

ただ在日の人たちの助かるところは、ある程度自由になる時間があるということです。30分でも、一時間でも、あるいは学校が閉まる時間まででも、残れるというところなのです。

一斉授業をしているときには、あまりに学生達の差が大きすぎて対応仕切れない部分も、こうやって残って質問してくれると、早めに問題が解決していけます。学生達の問題点もわかりますし。留学生の場合、勉強も、アルバイトも掃除、洗濯、食事の用意も皆、自分でやらねばなりませんから、いつも残れると言うわけでもなく、よほどの理由が、例えば、『日本留学試験(総合問題)』などでもない限り、そこまで無理はできないようです。

今、授業の時間以外に残っているのは、「Eクラス」が二人、「C・Dクラス」が4人です。こちらも小学校の先生のように、教室にいて、自分の作業をしながら、質問を受けているので、別に面倒ではないのです。

日々是好日
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新しいクラスが始まって2週間。ちょっと緊張が解けたかしらん。

2021-02-18 09:03:56 | 日本語学校

晴れ。

昨日、吹き荒れた風は、今はすっかり収まり、至極のんびりとした朝を迎えています。

今は静まりかえっていますが、少し前までは、鳥の啼き声のうるさかったこと、うるさかったこと。多分、3種か4種の鳥がいたでしょうね。ピーチク、パーチク、そして甲高いのやら、チチチチチという小さな声まで。そういえば、ここは「野鳥観察舎」の近く。うるさくなるのも当然かもしれません。

今の「C・Dクラス」と「Eクラス」は、まるで在日生のクラスのようです。留学生が昨年来られなかったからなのですが、まあ、人数に比して国の数は多いですね。

「Eクラス」は開講したばかりですから、まだお互い、様子見といった感じ。日本語もままならないことですし、言いたいことがあっても、目やジェスチャ―で伝えるしか術はありません。

とはいえ、この学生四人のうち、フィリピン人一人を除けば、スリランカ、パキスタン、ネパールといったインド圏の人たち。宗教こそ違え、どこか習慣や動作など共通する部分もあるように見えます。

その点、「C・Dクラス」の学生達は、もうすっかり慣れて、楽ですね。読み間違えても、平気ですし、うれしそうな顔をして、間違えた人を見やる者さえいます。お互い様と言うところなのでしょう。

しかしながら、実際のところ、このクラスの留学生は二人だけで、あとの六人は皆、在日生。在日生といいながらも、そのうちの三人は進学(大学と専門学校と高校)を目指していますから、扱いは留学生と同じようにしています。このクラスには、ベトナム、スーダン、フィリピン、中国、ネパーから来た人たちがいます。

昨日、「卒業文集」のための作文を指導すると言って、指導教師が、以前の「卒業文集」を探していました。聞くと「作文書きで、緊張させないようにしなければ…」と言う。どうも、「書く」と言うことが苦手な人が多いらしく、昨年の一年生の書いたものを見せると緊張するかもしれないと言うのです。だから、ずっと前の、作文書きをさせるのに、汗を掻かされていた頃の学生のものを見せたいらしい。

なるほどというわけで、随分前の、スカスカの作文集を渡したところ、「こりゃあ、いい。自信がつくかも」で、持っていきました。学生達は興味津々、うれしそうに見ていたらしく、多分、大丈夫だろうということになりました。

昨年の学生達は、一年生でありながら、書いたものは「黒」かった。スカスカどころか、びっしりと文字が並び、黒さを感じると言うことは漢字が多いということでしょう。

さて、彼等、今年の一年生はどういう作文を書いてくれるでしょう。スカスカの作文を見て、ホッとして、楽に書いてくれるといいのですが。

日々是好日
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私の頭の中にある「クマ(熊)」の姿と、学生が描いた「クマ」の姿は違っていたかも…。

2021-02-17 09:27:15 | 日本語学校

晴れ。強風。

風がかなり強く、気温も低めだとは言え、もう真冬の頃のような寒さは感じません。地熱の関係もあるのでしょう。寒かった頃と同じくらいの気温でも、マフラーなしでも、どうにか来られました。だいたいマフラーを忘れる…ということ自体、「サクラ(桜)」の季節が近づいたということなのでしょう。

「ウメ(梅)」はやはり、冬ですね。「スイセン(水仙)」もそう。「ウメ」や「スイセン」の花を見つけると、なぜか「…まだ冬なんだ」と思ってしまいます。

最近よく見かけるのが「サザンカ(山茶花)」。それも赤の「サザンカ」。子供の頃、周りに咲いていたのが、皆、白でしたから、最初に赤の花を見たときは、「う~ん、これは『ツバキ(椿)』??」と思ってしまいました。でも、花びらが萼までしっかりと開ききっていましたから、「ツバキ」ではないとは思いましたけれども。

見慣れた色、形が違うと、どうも別のものではないかと思ってしまう、それは誰にでもあることなのかもしれません。

さて、学校です。

以前、動物番組を見ていた時、日本人の感覚からすると、「クマ(熊)」とは思えない「クマ」が出てきて、びっくりしてしまいました。もしかして、授業の時に、私は何も考えずに、「クマ」と言い、「クマ」の様子を真似たりしていたのだけれども、その「クマ」がいる所から来た学生の頭の中には、私のものとは全く別の「クマ」動いていたのかもしれません。数年前まで、その「クマ」の生息地から来ていた学生もいましたから。

今は、スマホで、すぐにいろいろなものの姿を出すことができ、かつてのような「誤解」は少なくなってきました。が、時には、説明の時、そのものの動きが鍵になることがあるのです。私がまねをして、「○○はそんな動きをしない」と言われれば、はたとこちらも気がつくのですが、相手の方でそれなりに消化して、適当に理解してしまうと、全く違う映像が残ると言うことになってしまいます。名は同じ「クマ」(「クマ」は「クマ」でも前にいろいろな名前がつけられていますし)でも、日本の「クマ」とは違う姿をしていたり、また、中には「クマ」と名付けられていても「クマ」の仲間ではないものもありますし。本当にややこしい…。

まさに「百聞は一見に如かず」なのでしょう。

コンピューターやスマホでの検索は素晴らしいけれども、それはそれで、こちらがそれを知らなければ調べることもできません。だから、その地に暮らし、その地の空気を感じるだけでなく、その地の生き物を見るということも大切なことになって来ます。四季のある国にはその移ろいを意識して、もし二季(乾季と雨季)の国ならば、その二季を感じて。

日本人が満開の「サクラ」を見て、「移ろい」や「虚ろい」をなぜ感じてしまうのか。夏の夕暮にふと忍び寄る涼しさから「秋」を連想して寂しくなってしまうのか。

古代ローマの住居の壁や床には、当たり前のように「死に神」が描かれていたというのを聞いたことがあります。日本人からすれば、あまりに直裁的で、見るのも聞くのもちょっとばかり怖いことなのに、それが皆で「飲めや歌え」のような場にあると言うことは、…。

『梁塵秘抄』などを思い出し、「盛りも今だけよ、花もすぐに朽ちてしまう。遊べるときに遊べ。飲めるときに飲め」と大騒ぎしていたのか。あるいは、栄華を誇っていたが故に、いつ終わりが来るかもしれないという恐怖に取り憑かれていたのかなどとも考えてしまうのです。これはあまりに日本人的すぎるかもしれませんが。

同じ日本という国であっても、今の私達から見ると、同じ国の住人ではないような気がする時代もあります。万葉の時代は、感情に支配されていたような気がするし、東山文化の頃は内に内にへと心が向いていたような気がするし、戦国末期、安土桃山の頃は外へ外へと体も心も向いていたような…。時代が人をそうさせたと言えばそうなのでしょうけれども。

とは言いましても、人は人。悲しい時、苦しい時には泣くし、うれしい時には笑う。皆、幸せになることを願い、不幸な人を見るのは忍びないと思う。

でも、そうじゃないような人もいて、そういう時はこちらも反応に困る。例えば「人が親しい人との別れに涙し、別れることが忍びなくてその人を必死に追いかけている」。その転びながらも必死に走っている姿を見て、ゲラゲラと笑っている人たちがいる。人だから同じ反応を示すべきだとまでは言いませんが、こちらとしても、そんな時、どういう反応を示していいかわからないのです。教室にいる皆がそういうわけではないのですが。これは国別の感覚みたいな所もあり、個人とは言い切れない部分もあるので、どうしてなのかとどうしても考えてしまう。でも、理由など掴めません。何事によらず、考えてわかることなどほんの少しなのです。不思議だなと思ったことの大部分はわからずじまいなのです。

けれど、残念なことにそれが繰り返されれば、段々にこちらも不愉快になって来る。困ったものです。同調もできないし、文句を言うこともできません。なぜそうなのかがわかりませんから。一度、映像の説明をしたことがあります。この人達はこういう関係で、だから云々と。でも、変わらないのです。

こういう場合は、もう見て見ぬふりをしてしまいます。本当に人というのは難しい。

日々是好日
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外国に来ても、国での「(階級か、特権か)意識」というのはなかなかに捨てられないもののようです。

2021-02-16 09:06:14 | 日本語学校
晴れ。

時々、「あれ?」と思わされることがあります。穏やかな生活の中に垣間見られる差別です。「私はあの人達とあまり話したことがないのだ」とか、「気が合わないから」、「知らないです」といった言葉。同国人であっても、そう。私達から見れば、親しげに話しているようにみえるし、とてもそんな言われ方をされるような人同士には見えないというのに。

異国の、私達日本人から見れば、その人達の、「母国における階層」やら、「学歴」、「家系のる誇り」などは知ったこっちゃないのです。外国にいるときぐらいは離れて欲しいと思ってしまうのですが(これは日本人もそうでしょうけれど)。

欧米の人たちとの付き合いがあまりなかったので、これらの国のことはよくわからないのですが、それでも、名前を聞いただけでどの階層か、その人達が(自分たちと比べて)就職に有利かどうかはわかるといった話を耳にしたことはあります。

況んや、アジア、アフリカにおいてをや。

比較的穏やかで、いろいろな意味での階級的な差がありそうに見えない国でもそうなのです。

はっきりとすぐにそれが見て取れれば、こちらも驚いたりはしないし、心の準備もできているので、それなりに短文作りなどで生かしていけるのですが…。そういう「先入観」がないと、ちと大変。

見て取れると言えば、インドのある種の人たちはそうですね。人柄はともかく、威張り具合や自分で何もせずに人をこき使おうとするので、すぐにわかる。だから、そういう人には、こっちもわざとやってやりません。フンという顔をしてやる。

スリランカの学生は、車を見るのです。「あれは○○、これは○○だ」。つまり、こんな車に乗っている人は、皆、大金持ちで偉い。一方、車を持っていない人間は屑で金がないと見做して馬鹿にする。

ネパールもそうらしいですね。だいたい、皆、車が欲しいという。そして「金持ちは車に乗る。次がオートバイ、貧乏人が自転車に乗る…」と信じている。日本に来てびっくりしたでしょうね。自転車が蔓延っていますもの。

そう言えば、パキスタンの学生がこんなことを言っていました。「自分は、子供のときから、先生に英語が上手に話せたら金持ちになれるから勉強しろと言われて、懸命にしてきた。それが豊かになれる道だと思ったからだ。ところが、日本に来ると日本人は英語が話せないのに、私達よりも金持ちなだ…どうして」

フィリピン人もそんなことを言っていましたね。長く日本にいる人が多かったので(年齢おそれなりに上です)、かなり日本慣れしている人が多かったのですが、それでも車を持っているのは金持ちだという考え方は、皆、持っていると言っていました。

私なんぞ、故郷では「でかいアメ車に乗っているのはだいたい暴力団関係者」と、皆、みていましたから、車で金の有無を見るなんてのを初めて聞いたとき、へっ?と驚いたものでしたが。

前に、中国にいたとき(80年代後半です)、男の子の一人が香港でフランス製の20万円の自転車を買ってきたというのが噂になったことがありました。おそらく彼が、その10倍の自動車を買っても噂にならなかったでしょうが、高い自転車だったから噂になったのだと思います。皆、羨ましかったのでしょうね。私は当時、自転車に乗れなかったので、へえ、男の子はこんなのに感動するんだと思っていたものですが。

そういう、趣味に金をかける、多寡を問わずにです。そしてそれに羨望のまなざしを注ぐというのは、得がたいことかもしれませんね。

いくら金があっても、買い物に行くとき不便だからと自転車で往復する人もいれば、金がなくても無理してローンで買う人もいる。だいたい無理して買うような人は、芯から車が好きなんでしょうね。「へえ、どうして、無理して買うの」と訝しく思っても、「好きだから」と言われれば、皆それで納得してしまう。

そういう居心地の良さを最近、日本に対して感じるようになりました。

日々是好日
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走ったと言った二人、梅の花に気がついたかな

2021-02-15 16:12:48 | 日本語学校
曇り。

直に雨が降り出すそうな。

久しぶりに遠くのスーパーに行ったのですが、途中、紅梅やら白梅やらの、美しい姿を見せてもらいました。草花というのもいいけれど、自転車に乗っているときは、やはり樹木の方がいいですね。

「春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね香やは隠るる」 凡河内躬恒

「香り」と言いましても、覚えはなく、さっと通り過ぎただけで、その時の「紅」の濃さだけが強く印象に残った…、なかなか都人のようにはまいりません。

これが自転車などでなく、「歩き」や「走り」であったら、そこに立ち止まったりすることもあったでしょうね。

そう言えば、「ジョギングをしている」と言っていたスーダンの二人組。金曜日に授業が終わってから職員室に戻ろうとしたとき、一人が、「どうして、今日は『走ったの?』って、訊かないの」

振り向くと、「昨日も、今朝も走ったのに」と不満そう…。…褒めてもらいたかったのかな。訊かれたら、胸を張って「走った」と言いたかったのでしょう。

「(前に)三回訊いて、『はっ?』だったものね。四回目は普通は訊かないよ」。で、「どれくらい走ったの?」。「三十分くらい」。「へえ、すごいね。30分ずっと走っていたの」。すると顔を見合わせて、「○○は歩いた」「ん?」この○○、「ちょっと…」。

この「ちょっと」が曲者で、「ちょっと(走った)」という意味なのか、それとも「ちょっと(歩いた)」という意味なのか、顔を見合わせていた二人の表情からはちと断じかねた…。この○○、これまでの学校生活の中で、体育教育というものの経験がない。その彼女が少しでも走るようになったというのは、大した変化です。

さて、学校です。今、感心なことに、昨年に引き続き、午前のクラスの学生も、五時近くまで残って勉強しているのですが(やり方、やる部分などはこちらから指導を入れています)、金曜日はベトナムの学生が、「今日は早く帰りたいです(残るのは自由なのですが)。今日はパーティをします」一瞬、コロナの事を思い出し、「誰と?」。

どうも、家族で春節のお祝いをすることを「パーティ」と称したらしい。そこで、「どうぞ『新年おめでとう』」と言って帰しました。

学生達も、私達同様、「緊急事態宣言下」の「自粛」が続いています。こんな中で、「手洗い」が生活の一部になったのは本当に良かったこと。国によっては、(私達、日本人から見れば)水飢饉に近い状態が普通であるようなところもあります。故に、日本人のように子供のときから当たり前の「手を洗う、ハンカチを持ってくる」という習慣がないのです。それが、コロナで、今では、ごく自然に学校に来たらすぐ手を洗う、外から帰ってきたら、また手を洗うということができるようになってきました。

まあ、今は特別ですが、この習慣が続くといいですね。

日々是好日
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みんな真面目に勉強していると、それなりに、こちらとしても欲が出てきます。

2021-02-12 09:01:25 | 日本語学校
曇り。

日の出ている間は「晴れ」とのことだったのに、朝から厚い雲に覆われています。

昨年は留学生が1名しか来られなかったので、現在、授業を受けているのは12名(今年度卒業生を除けば)だけ。ほとんどが在日の受講生です。

在日の方はそれぞれ事情があり、「急に国に帰らなければならなくなった」とか、「仕事の都合で1週間も休んでしまったので、もうやる気がなくなった」とか、様々な事情で、続けることができなくなる場合が少なからずあります。

帰国する前は「戻ってきてから続ける」と言ってはいても、1か月もいない間に、そのクラスの授業内容もかなり進んでしまうので、(戻ってきてから)元のクラスに戻れるかというと、それは、多分、無理、。それで、やる気が失せてしまうようなのです。

在日の人の「日本語を学ぶ理由」というのも、一つは「現地の言葉が話せるようになりたい」、もう一つは、「独りぼっちで寂しい。友達が欲しい」、あるいは「気分転換をしたい」というものが大半ですから、それもわかります。やっと親しくなれた人達と別々のクラスというのは確かに嫌でしょう。

そこにいたいというのなら、それでもいいけれども、ただ、無理にそこに座っていても、「学ぶ」という点から見ますと、あまり益はありません。こちらとしても、時間があったら、それなりに放課後、面倒を見てやれるけれども、進学を目指している学生が何人かいたり(その人達には、授業とは別に教えなければならないことが多々あります)、毎日一生懸命勉強しているけれども、なかなかうまくならないという人の補講をしてやったりということもしなければなりません。で、そちらの方に時間を取られてしまうと、長期間休んでいた人の面倒まで手が回らならなくなる…。

目的が「勉強」だけであったら、そちらの方を重点にして指導できるのですが、「気持ち」までとなりますと、なかなかそれは難しい。

「初級レベル(『みんなの日本語[Ⅰ]、[Ⅱ]』)」くらいが終わっていれば、日常生活には困らないでしょうし、この間、毎日通っていれば、それなりの日本人の雰囲気にも慣れ、挨拶にも慣れているでしょうから、途中で止めてしまっても、多分、やっていけないことはないでしょう…そんな気はします。。

それが、途中で止めてしまうと、せっかくの言葉も中途半端になってしまいます(定着する前ですから)。もちろん、それぞれ事情のあることですし、それは充分にわかっているのですが。

その点、今の在日の受講生の中には、3名ほど進学を希望している人がいるので、こちらとしても計画を立てやすい…。

もちろん、他の受講生にしても、7月に「日本語能力試験」があり、「N3」か「N2」を受けるという目的を持たせています。とにかく「目的」というのは必要です。それがない場合は特に。

最初の「申し込み」の時に、一番訊きたいのは、「どうして日本語を学ぶか」ということ。これが当たり前のようでいて、なかなか当たり前ではないようで、訊かれて困る人もいるのです。

結婚を機に来日した人は、たいてい、「日常生活に困らない程度まで」と言います。ただ、続けて勉強していきますと、他の人たちの様子を見たりして、だんだん欲も出てくるようなのですが。その反対に、「専門学校に行きたい」と言っていても、子供ができたり、慣れない勉強に疲れたりして(高校や大学を卒業して、数年経っていれば)諦めてしまう人もいます。

留学生と違うところは、途中でどうなるかわからない所。

それが一番、困りますね。「いるのなら、いてもいいですよ。座っていても、いいですよ。あとは勝手ですよ」と、なれないが故に、難しい。

日々是好日
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同じ国でも体育の授業があったり、なかったり…。

2021-02-10 11:00:43 | 日本語学校
晴れ。

お日様が照っていると、それだけで、ポカポカ、心もホカホカしてきます。やはり、それだけ、春が近づいているということなのでしょう。

今まで一番年下だった女子学生が、同国の、更に年下の学生が来てから、俄然、お姉さん風を吹かせ始めています。もっとも、時々やられているようですが。この二人、先に来ていた学生は(国で)地元の学校で勉強し、後から来た方は(国で)インターナショナルスクールに通っていたそうで、だからでしょうか、同じように国でのことを訊いても答えが違うのです。得てきた知識が違うような気がします。

そして、一人が、「日本の学校の方がいい。国の学校は勉強だけ。面白くない。日本の学校はいろいろな所へ連れて行ってくれたり、いろいろな事をさせてくれたりする。日本の方がいい」と言うと、もう一人は「日本と同じ。いろいろした」。地元の学校に通っていた方は目を丸くして「えっ」。みんな自分と同じと思っているところが、狭い世界にいたということなのでしょう。

クラスで、国の動物のことを話させた時、ネパールやベトナム、中国、フィリピンの学生たちは、自分たちの国の動物の事を話せます。名は日本語で何というかわからなくとも、絵や写真(最近はスマホですぐに写真を出せる)を見せてくれれば、こちらもだいたいの名前を告げることができます。

しかし、姉貴風を吹かせていた方は、「いない」と断言します。…考えてよと思わず口にしたくなる。ところが、後から来た方が「いる。ハイエナ」。「それは何?」スーダン語で説明してやっています。でも、わからない。「ハイエナがいるなら、食べ物になる他の動物もいるでしょ」。そう言うと、二人は、そうかという顔つきでまた考えています。例えば…シカみたいな…というと、一人が気づいたようにスーダン語で何か言い、「いる、いる」と言います。でも、もう一方はぼんやりして、よくわからない顔をしている。これは本当に知らないな。

スーダンの北の方には、確かに砂漠が広がり…、とはいえ、砂漠地帯でも生き物はいるはず。考えたことがないのかな。多分、気にしたこともないのでしょう。自分たちとは無縁の存在と思っていて、見れども見えずなのかもしれません。それどころか、自分の近くだけしか見ずに育てられているのかもしれません。そうだったら、そりゃあ、日本に来て驚くでしょう。自分たちの所とは違うと。もしかしたら、日本の女性のように、一人で山に登ったり、旅行したりするということの方が驚き呆れるようなことなのかもしれません。

後で気がついたのですが、「ラクダ」や「ヤギ」のことを言えばよかった。アラブだし、エジプトやエチオピアに近い国なのだから、同じような動物がいたろうと。こうなったら、野生であろうが、家畜であろうが関係ありません。国にいる動物の名さえ出ればいいのです。

この二人、姉さん風を吹かせていた方は、国の学校では体育の授業がなかったそうで、「日本で大学に入りたいというのなら、大変だぞ。体育の授業があるんだぞ」と脅しておいたら、時々、朝、二人でジョギングをしているとのこと。驚いて、「そりゃあ、すごい」と褒め、その後、三日ほど、「今朝、走りましたか」と尋ねると、そのたびに「へへへへ。走ってな~い」。やれやれ、三日坊主だったのか。それとも、一度か二度で終わりだったのか。

ともあれ、一度でも、走ったということはよいことで、前にもインドの女子学生が、「アルバイトから戻ってから、毎日、ジョギングをしている。日本では、夜、女の人が一人でジョギングしても怖くないからいい」と言っていましたっけ。彼女も国ではスポーツと縁がなかったようで、来日を機に、このようにできることが増え、活動が広がるのは本当にいいこと。そういう面では、日本は、比較的楽で、暮らしやすい国なのかもしれません。

日々是好日

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新しいクラスが始まりました。昨日の三人と、今日来た一人で、四人になりました。少しずつ賑やかになりそうです。

2021-02-09 09:51:33 | 日本語学校
晴れ。

寒い。今日はまた、一際寒さを感じます。風が出ているとの話でしたが、ここいらあたりは、吹いていないようです。寒い朝は、風がないのが何より。とりわけ、自転車を飛ばして来る身にとっては。

さて、昨日、新しく「Eクラス」が開講しました。昨年の四月から留学生が来られないので、新しい学生と言いましても。ご近所の三人です。この三人のうち、一人は卒業生の奥さんですし、もう一人はこの学校で少し勉強したことがあった人の弟です。この弟はまだ若く、今いる一番若いスーダンの女の子と同じ16才。

この新入生三人は、スリランカ、パキスタン、フィリピンとみな出身国が違うので、昨日の授業の時、「も」の導入に、些か困った…。

だいたい、いつも、一組か二組は同国人がいるので、簡単にわかってもらえていましたし、それに、留学生というのは「N5」に合格して来ていますから、基本の部分はわかっていますから、(もし留学生だけでしたら、こんなところは)スッ飛ばしの部分になります。留学生だけの時なんてのは、母国では学べなかった部分を入れたり、正すくらいのことでよかったのです。初級の、しかも最初の最初なんてのは。

ところ、在日の人相手では、そうはいきません。中には、「ゼロ(日本なんて国があることすら知らなかった)」の人もいます。当然のことながら、日本語なんて、聞いたことも見たこともない。「へえ、これが文字…」そういうレベルなのです。そうかと思えば、既に在日10年なんて人もいる。こういう人は、ある程度ヒアリング力(生活日本語での)がついていますから、却って学ぶということが難しくなったりする。言葉数にしても、文型にしても、生活範囲でのことは既に事足りていますから。

というわけで、文法に手こずってしまうのです。文型練習がとても大変…と言う。…漢字じゃないのです。学びたいと学校に来たときの希望というのは「日本語がちゃんと話せ、できれば書けるようになりたい」だったのに。ヒアリング力があることが却って邪魔になって、文型がいつもこれまで使っていた方に流れてしまって、うまく新しい文型が入らない。いくら新しく文法を習っても、「この文(文型)でこれまで来たから」とそれを無視(入っていかないのです。だいたいが同じだからと思ってしまうようですね)。

単語一つにしても、勘違いで生活していた部分もあって、習い始めて「えっ!違うでしょ」となったりする。気持ちはわかります。もう既にある程度できているのですし、それで生活してきたのですから。

ところが、どの国においても、「こういう場合は、そういう言い方はしない方がいい」なんていうのもありますし、同じ意味であっても、書き言葉的なものもあれば、そうではないものもある。その上、それぞれが自国独特の身振り手振り、イントネーションなども加えてのものになっていますから。時々は「それはちょっと…あんまりだろう」と思わされることもある。

その点、今回の入学生は、そういう色合いがあまり入っていない人たちで、その意味ではそのまま教えられたとおりにスッと学んでいくだろうと思われるのです。しかも、ここで学んだ人の弟や妻ですから、何事かあれば、すぐにそちらに連絡できますし。

…と、書いているうちに、授業を見たいと言うネパールからの人が一人、お父さんと一緒にやって来ました。

こうやって、少しずつ増えていってくれると良いですね。三人では、ちと物足りませんもの。

日々是好日
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「節分」には「恵方巻き」、「立春」には「豆腐」。忙しいこと。

2021-02-04 13:04:23 | 日本語学校
晴れ。

昨日は「立春」。今日、「春一番」が吹くかもしれないと、天気予報のおじさんが言っていましたが、今のところ、風はなし(いや、吹いてはいるのでしょうけれども)。春とはいえ、まだまだ寒い。

「節分」には、「恵方巻き」を食べ(卒業を控えた学生達と一緒に、学校で巻き寿司を作りました。例年ですと、一年生にも食べさせてくれたのですが、今年はなし。一年生は「豆撒き」だけでした)、「立春」には「豆腐」。そして2月6日は「風呂の日」らしい。風呂関係の様々な新製品を、いろいろと紹介していました。

「コロナ禍」の中では、非難する人はだれもいず、それどころか、こんな中、頑張っているねと声援を送りたくなってしまうくらいです。マスコミもそのような人々の気持ちを反映して、懸命に、宣伝できるものを探し出しては、電波に乗せて広めているようです。生き残るためには何でも利用し合う、それしかありませんね。

「『コロナ慣れ』してはいけません」と言われても、どこか、諦めというか…、だいたい毎日のマスクにも慣れましたし…。

昨年の春は、「今年は、『花見)』をしなくてもいいじゃないか、来年見れば」と言っていたのが、今年も「花見」とは関係のない年になりそうです。尤も、「桜(サクラ)」にとってみれば、どっちでもいいことなのでしょうけれども。

自転車に乗っていると、素通りしてしまいそうな街角に、冬の終わりを告げる花を見つけることがあります。昔の人は、こういう感じ方の方が多かったのかもしれません。

昔の人は、冬の寒さを、今の人たちよりもいっそう強く感じていたからこそ、春の訪れを待ち、ほんのわずかでもそれが感じられれば、喜んだのでしょう。もちろん、それが形式張ってしまうと、鬱陶しい面も少なからずあったのでしょうが。

今よりも人工のものが少なかったから、「都」から少しでも遠ざかり、「鄙」に行けば、すぐにそう感じることができたのでしょう、わずかなりとも。あるときは「香り」だったり、あるときは「触った感じ」だったり…。

今は「人工の香り」が巷に溢れ、「かすか」というのが懐かしく思えるくらい。だから「ほのか」とか「かすか」な感覚に気づいたとき、ハッとしてしまうのかもしれません。

その時の「心情」が先にあって、景色に触れた時、それが滲み出て、風景と一体化して言葉になる…、なっていたのかしらん。

情けないことに、私など、早朝、月を見ても「餃子のようだ」としか思えないのです。「雅」とは、ずっと縁のない生活をしています。

日々是好日
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近くのスーパーやコンビニで、卒業生をよく見かけます。

2021-02-03 08:40:03 | 日本語学校

晴れ。

昨日の雨がうそのように晴れ渡っています。そして空には明るい白い月が…半ば欠けながらも。

風はないけれども、寒いですね。

最近、よく行っていたコンビニが閉まってしまったので、学校の近くの他のコンビニに行くようになりました。

最初に行ったとき、「先生」と呼ばれ、あれ…。見ると、レジにいたのは卒業生でした。昨今は、皆、マスクをしていますから、気がつかなかった…。彼女は、私が店に入ったときから、見ていたので、見慣れた仕草とかから判断できたのでしょう…太っているからすぐにわかったのかな…。が、急に呼びかけられた私は、ハッとして、見て、それと悟ったくらいのもの。 

聞くと、大学はリモートが続いているものの、どうにかやっているらしい。外国人はどうしても、不利ですね。日本人だって、高校生とは違う大学生活を経て、やっと心の準備やらができるくらいですから。二年間くらい日本語を勉強したくらいでは、専門用語だってそれとはわからぬでしょうし、日本人の学生達と友達関係を築くのだって難しいでしょうし…。

今朝も行くと、今度は見慣れない人から、「先生でしょ」と言われました。前に行った時に卒業生が「日本語学校の先生だ」と「説明」したらしい。どうも、彼女ら、皆、同じ国の人…かな。

この辺りは外国人が多いので、スーパーでも、コンビニでも、外国人が働いているのを良く見かけます。以前は、アルバイト募集を見て、学生が連絡しても、「外国人でしょ」とけんもほろろに断られていたものでしたが、それがいつの間にか、外国人がいなければ立ち行かなくなっています。これはおそらくこの辺りだけのことではないでしょう。

留学生にとっては「いい時代になった」というところでしょうが、その対象の、留学生も、コロナ禍で来られなくなっています。

で、学校では、(日本に)行きたいけれども行けないという(昨年の4月生です)学生達のために、リモートで授業を始めることになりました。向こうの学校の了承は得ています。もっとも、学生達の本当の気持ちは、「日本へ行きたい」でしょうから、これも、コロナが収まるまでのちょっとの)期間だけのこと(そうだといいですね)。

早くみんなの顔を見て、いつものように授業ができたらいいですね。

昨年は、コロナのせいで、鎌倉にも、富士山にも、紅葉狩りにも、江戸博にも、どこにも連れて行くことができませんでした。行ったのは、八景島シーパラダイスだけです。

引率した教員が学生達は大喜びだったと言っていたので、課外活動の大切さを実感させられました。こんな、当たり前が当たり前としてやれる世の中に早く戻れるといいですね。

日々是好日
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学校では、もうすぐ留学生が一人を残して、皆卒業してしまいます。でも、在日の方々が頑張ってくれています。

2021-02-01 11:22:12 | 日本語学校
曇り。

今日も寒い…。今年は立春が2月3日ということで、節分は2月2日。で、今日は1日。早いもので、睦月が過ぎて、もう卯月です。この分で行くと、「1月、往ぬる」「2月、逃げる」「3月、去る」と気忙しく過ぎてしまいそうです、例年通り。

コロナ禍は収まるどころか、ますます猖獗を極めている…と、私達には見えます。減っているとか、聞きはするのですけれども。

中国の対策で、「『春節に故郷に帰らない』、『どこへも行かない』人に金を出す」、というのがありました。それ、本当ですね。そっちの方が、気持ちの上では、ずっと正しい。

だって、どこかに行きたい人は、自分の楽しみのためですから、普通、自腹で行く。自腹で行くのが当然。なぜそんな人のために金を出してやるのかわかりません。使われるのは税金なんですから。酒を呑みたいという人、おいしい料理を食べたいという人も同じ。

そういう人たちでありながら、今、行っては誰かに迷惑をかけるからとぐっと我慢して、行かない、あるいは行っても長っ尻せずに、早めに帰る。本当なら、そうしてくれる人にありがとうと金を出し、コロナが収まってから、医療関係者にお疲れ様と温泉旅行なり、観光地なりに行けるようにはからう。それだったら、税金を使われても、だれも文句は言いません。その人達が、今どんなに辛い思いをしながら、頑張っているのか、わかっていますから。

経済、経済と言うけれども、日本人の大半が、コロナにかかって、病院が崩壊したら、どうするんでしょうね。皆、できるなら、いろいろなところへ行きたいのですから、コロナが収まれば、金を大盤振る舞いせずとも、行きますよ。その間、ホテルなり、飲食店なり、関係する店を存続さえさせていれば。

本来なら、政治家というのは、青臭いと言われようと、理想を語り、その理想で人を迷わすだけの力量が必要のはず。特にリーダーシップが必要とされる地位に就いた者には。

「祭り」の実行委員だってそうなのに。「村会議員」だって、そうなのに。もっとも、小さな村くらいなら、「人徳があるから」で、周りの者たちがわかってくれるということもあるでしょうが、一国では「わかってくださいよ」では通りません。

いい人がそんな地位に就いたら、自滅してしまいます。だから、身の程を知るということが大切になるのでしょう、長生きをするためにも、自他共に。

身の程を知って、それなりに生きていく。だれでしたか、以前、あるカミソリと言われた政治家が、インタビューで、「あなただって総理になりたいでしょう。考えたことがないのか」と突っ込まれた時に、「だいたい、入社した最初に、わかることでしょ。皆をみて、『コイツは課長止まりだな』とか、『部長までは行くな』とか言うのは。政治の世界も同じ。それが判らなければ、その世界で仕事はできないよ」とかなんとかと言って、話をはぐらかしたことがありましたっけ。

ふと、そんなことを思い出しています。

一億二千万人の命、生活を預かるわけですから、普通の人なら重圧に負けて当然。その重圧に負けないでやれるくらいの「何か」が、あるかないかが決め手になると思うのですが。もとより、その何かというのも、いいもの(理想とか、責任感とか義務感、信仰心など)とは限りません。「出世欲」「物欲」など人間の業から来ているものもあるでしょう。

ただ、それが桁外れに大きいと、凡人はそれに呑み込まれてしまいます、で、その人をリーダーとして認めてしまう…。

人は愚かで弱い生き物ですから、それも、仕方がない…。

ただ、ただ、コロナ禍の中にあっても、うまくできている国があると、つい不満を感じてしまうのです。私に限らず、多くの年配者や弱者を抱えている人たちは、できるだけ出歩かないようにしています。これは政府が言うからとかそんなことではないのです。報道機関が、現状を知らせる。専門家と言われている在野の人たちがこういう状況だと教えてくれる。それを見て、「動かない方がいいな」、「友達から会おうと連絡が来たけれども、今はやめておこう」、「欲しいものがあるけれども、今それを買わなくても死ぬわけではあるまいから」とかいろいろと考えて、自分を抑えているのです。

中には、出たがりの人もいるでしょう。一日中家にいるのは気ぶっせいだと言う人もいるでしょう。そういう人でも、そういう気持ちを抑えて我慢している…。コロナにかかると、いろいろなところに迷惑がかかる。自分が苦しむだけではないのです(もちろん、そうやっていても、かかることだってある。そしていろいろな人に迷惑をかけ、「どうして私が…、ほとんど家を出ていないのに…」とか苦しみながら悩まざるを得ないことだってある)。

どうも政府機関に取り込まれている、いわゆる専門家グループは、その中にいろいろな専門家がいすぎて、個々の分野の専門家の声が全然聞こえてこないのです。だから、却って皆が御用学者のように見えてしまうのです。

そろそろ解放してやってもいいのではないかしらん。そしてそれぞれの思いの丈を吐露させてやってもいいのではないかしらん。自由に。今のままでは、始めに「答えありき」で、それに応じない人たちの意見は雲消霧散状態。私達には本当の所はどうなのか、全くわからないのです。いわゆる公式の「発表」を聞いていても。

民は愚かに見えようとも、追い詰められれば自分で考え始めますからね。

今のところ、この学校の学生達は、コロナ禍の中でも頑張って皆、勉強を続けています。特に、在日の方達の頑張り方がすごいですね。

日々是好日
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