曇り。
「今日は、雨」との予報が、先には出ていましたが、それもだんだん、「雨にならず、曇りかも…」ということになり、それが、さっきまで、少し陽が射しているという具合に…今は、薄い雲が空を覆っていますけれども。もっとも、千葉県も南の海寄りの所では、雨になるかもしれぬそうで、やはり、「ナノハナ(菜の花)」のころには、雨が降る…もんなのですね。
さて、学校です。
昨日、学生の一人が、驚いたように、「えっ。もう木曜日?」。どうも、リュックの中身は増えることこそあれ、入れ替えた形跡はないようですね。いいですよ。土曜日にお一人でどうぞ。
毎日の過ぎるのの速いこと。あっというまに金曜日が来て、そして土曜日です。留学生が乏しくなってからは特にそう。留学生が多かった時には、アルバイトの問題やら、支所に行かなければならないことやら、寮の暮らしについての説明やら、何やかやとあり、その都度、だれかが走り、よって職員室にも、人が欠けているということがよくありました。
今はほとんどが在日の人たちですから、そのそばには日本人がいたり、あるいは同国人であっても、日本の暮らしに慣れた人がいたりで、こちらが何かをしなければならないということはほとんどありません。ただ彼等のレベルや目的にあった日本語を教えていけばいいだけ。
もっとも、高校へ行きたいと言う人が、今は一人、四月からはもう一人増えそうな気配で、これは中学の教科書か何かを以て、別に対策を立てて教えていかなければならなくなりそうです。
これまでも、高校受験対策というのはしてきました。一年か二年に一人か、あるいは二人ほど、そういう人がやって来ていたのです。タイ人、インド人、ペルー人、中国人など。母国で中学校までやってきて、そして日本で一年か二年日本語を学び、それから高校を目指すと言う人もいれば、中学校に通いながら、放課後ここへ来て基本的なことを学ぶという人もいました。
たいていは、日本語と数学くらいで時間切れになってしまっていたのですが、今回はある程度日本語が話せ、聞き取れるということで、もう少し幅広く手助けできそうです。今はまだ日本語の基礎編ですけれども。
ネックになるのが、中学校に通っていたと言っても、漢字がほとんど書けないこと。漢字が読めなければ、「書く」「読む」という作業ができないので、教科書などを通して、基本を入れることができないのです。
ふつうの少女や少年ですし、両親が日本語学校に通わせてでもと思っていると言うことは、経済的にも困ってはいず、知識もあるということ。それでも、多分、日本の中学校では「お客さん」だったのだろうなと思います。
ここで、読ませても、声が小さいのです。最初は、ふつうの子ですし、日本で中学校に二年ほど通っていたということで、それほど手当はしていませんでした。この学校で一年近く学んでいた学生よりも、ずっと話せましたから。
ところが、文章を読ませてみると、声が聞こえないのです。本当に小さな、小さな声なのです。漢字が読めなかったので、中学校では、間違えたり、読めなかったりで、恥ずかしくて、どんどん小さな声になっていったのだろう。まずは、そういう垣根をとっぱらってやらねば。
そういえば、昨年、「今、夜間に通っているけれども、高校に入りたい」と言ってきた少年も、そうだったっけ。で、「初級のクラス」を見せたら、急に緊張が解けて、ニコニコし始めたっけ。
安心したのでしょう。「みんな外国人で、日本語下手だからね。」と言うとホッとしたらしいのです。日本の学校に通っていた、あるいは、今、通っている人には、これが一番。「ああ、おんなじだ」と思えるのでしょう。
随分前のことですが、ペルー人で、日本の高校へ行きたいという少女が、彼女の友人のペルー人の友達二人を連れてきたことがありました。この友達というは高校の受験に失敗して、今、何もしないでいるというので、(その時は、そういう「若者」と接したのは初めてでしたから)ちょっと教科書を読んでごらんと言って読ませてみたのです。中学の教科書はスラスラ読めました(何の教科の本だったのかは忘れました)。けれど、簡単な質問をしてみると、わからないと言うのです。つまり、読めても意味が判っていなかったのです。
途中から入国し、初・中等教育(特に中等教育)を受けるという人には、やはり別のカリキュラムを用いなければ、結局、置いてけぼりの生活しかできなくなる。一応、高校くらいは出ていないと、専門学校に行くことすらできない。将来、「これを身につけたいな」とか、「これについて勉強したいな」とか思っても、どうしていいかわからない。親や兄弟、あるいは彼等の周りの人たちも、その大切さが分かっていないということもあるでしょう。似た境遇の人たちが集まっているわけですから。
この学校から高校に入った人の中には、高校でいい成績を取り、大学に入れた人もいたそうで、もし、日本語がきちんと入っていなかったら、そういう人たちも、(高校に)入れたとしても(高校で)無駄な時間を過ごすということにもなっていたかもしれません。基本さえ入っていれば、高校の先生も手の打ちようがあるのです。
同じように中学校を出たとか、高校を出たとか言いましても、国による差は大きく、高校を出ていれば大丈夫だろうと簡単には考えられません。日本人も、今の日本の教育に不満を抱えている人は多く、100%満足している人はいないでしょう。けれども、先進国とは言われていない国から来た人たちを見ると、本当にため息をつくしかない場合もあるのです。「読解」にしても、計算ができないから、解けないということもある。その場合は算数レベルから考えていかなければなりません。小中の12年分の教育というのは、本当に大変な量なのです。
もちろん、最後は本人のやる気や資質がものを言います。とはいえ、最初の一歩というのは、とても面倒で、時々手に負えないなと思わされることもあるのです。これは高校受験を目指す人だけに言えることではありませんが。
日々是好日