晴れ。
曇りという予報でしたが、時折射してくる日差しはかなり強くなっています。
学校では「風邪引き」さんが続出しています。暑かったらずっと暑い、そういう国から来た人達にとってはたまらないでしょうね、こういう天気は。多分、「1日のうちに夏と冬が同居している…」、あるいは「一週間のうちに冬が来たり、夏が来たりしている…」。「なんてことだ」と、まあ、そんなふうにため息をついているのかもしれません。
『中級』くらいになっていれば、休んでも、それほどの「実害」はないのですが、『初級』のうちに、風邪を引いたりして、休んでしまうと、これは大変。皆に追いつけなくなってしまうことだってありますもの。
教師の側からも、「あ~あ、今日、『テ形』を導入するのに」とか、「『ナイ形』を入れるのに」といったため息が聞こえてきます。
実際、不思議なもので、運の悪い学生というのはいるのです。これは以前の学生のことなのですが、「テ形」を導入した日に休み、そのあと、どうにか個別指導で理解させられはしたものの、またその次の「ナイ形」の導入日にも休み、「辞書形」の導入日にも休み…、もうこうなってしまうと、頑張りがききません。で、クラスを落として、もう一度となったのですが、二度目の時にもまた同じような日に休み、結局、挽回はできずに終わってしまった…こんな学生もいたのです。
日本語学校には、もちろん、国で勉強をよくしてきたという人も少なくないのですが、それと同じくらい、「ただ学校へ行って座っていた」だけという人もいるのです。勉強するのは学校でだけですから、休むと致命的になってしまうのです。
こういう人に、「宿題をやれ」とか、「漢字を覚えろ」と言っても、なかなかできるものではありません。こういうのは個人作業で、学校でいつも宿題の時間を取ってやらせることができるかというと、(…無理です)。そうなってしまうと、それはもう「宿題ではない」ということになってしまいますし、漢字は毎日書かせてはいるものの、覚える気で書かなければ、これもまた覚えられるものではありません。
「漢字は書けないけれども、読める」と言って憚らない、二年生。昨日、「Cクラス」で、「東」「西」「北」「南」を導入したのですが、見るなり「きた」「みなみ」「にし」「ひがし」と大きな声で読んでくれました。母国でこれらの読みだけは習ってきたという一年生が、「へっ????」という顔をして(どうも自分の方が間違えていたのかと思ったらしい)彼を見たのですが、こちらが違うと言うまで、自信満々の彼は誤りに気がつきませんでした。
つまり、あの順番で、自然に覚えただけのことで(毎日のように、学校で復唱させていたからでしょうし、ランダムに指したときには、できると思って一緒に考えたりはしなかったのでしょう)、個人の練習はあまりできていないのです。
皆で練習(書く)するときに、他の字を書く。一回一回注意するのも、こちらの根気が続きません。わかってやっているのでしょうし、…なかなか始末に負えません。(二年生の中には)できていないことがわかって、一年生と同じ字を書き始める人もチラホラいるのですが、見てみると、他の振り仮名をつけている。
たとえば、「にし」とルビを振っているのに、「東」と練習していたりする。導入するときには、一つずつやっているのだから、皆と同じことをすれば間違えたりしないはずと思うのですが、案外こういうことの方が難しいのかもしれません。
一年生より、できると思い込んでいる「二年生」の方が、実は、要注意なのです。『初級』では。
日々是好日
曇りという予報でしたが、時折射してくる日差しはかなり強くなっています。
学校では「風邪引き」さんが続出しています。暑かったらずっと暑い、そういう国から来た人達にとってはたまらないでしょうね、こういう天気は。多分、「1日のうちに夏と冬が同居している…」、あるいは「一週間のうちに冬が来たり、夏が来たりしている…」。「なんてことだ」と、まあ、そんなふうにため息をついているのかもしれません。
『中級』くらいになっていれば、休んでも、それほどの「実害」はないのですが、『初級』のうちに、風邪を引いたりして、休んでしまうと、これは大変。皆に追いつけなくなってしまうことだってありますもの。
教師の側からも、「あ~あ、今日、『テ形』を導入するのに」とか、「『ナイ形』を入れるのに」といったため息が聞こえてきます。
実際、不思議なもので、運の悪い学生というのはいるのです。これは以前の学生のことなのですが、「テ形」を導入した日に休み、そのあと、どうにか個別指導で理解させられはしたものの、またその次の「ナイ形」の導入日にも休み、「辞書形」の導入日にも休み…、もうこうなってしまうと、頑張りがききません。で、クラスを落として、もう一度となったのですが、二度目の時にもまた同じような日に休み、結局、挽回はできずに終わってしまった…こんな学生もいたのです。
日本語学校には、もちろん、国で勉強をよくしてきたという人も少なくないのですが、それと同じくらい、「ただ学校へ行って座っていた」だけという人もいるのです。勉強するのは学校でだけですから、休むと致命的になってしまうのです。
こういう人に、「宿題をやれ」とか、「漢字を覚えろ」と言っても、なかなかできるものではありません。こういうのは個人作業で、学校でいつも宿題の時間を取ってやらせることができるかというと、(…無理です)。そうなってしまうと、それはもう「宿題ではない」ということになってしまいますし、漢字は毎日書かせてはいるものの、覚える気で書かなければ、これもまた覚えられるものではありません。
「漢字は書けないけれども、読める」と言って憚らない、二年生。昨日、「Cクラス」で、「東」「西」「北」「南」を導入したのですが、見るなり「きた」「みなみ」「にし」「ひがし」と大きな声で読んでくれました。母国でこれらの読みだけは習ってきたという一年生が、「へっ????」という顔をして(どうも自分の方が間違えていたのかと思ったらしい)彼を見たのですが、こちらが違うと言うまで、自信満々の彼は誤りに気がつきませんでした。
つまり、あの順番で、自然に覚えただけのことで(毎日のように、学校で復唱させていたからでしょうし、ランダムに指したときには、できると思って一緒に考えたりはしなかったのでしょう)、個人の練習はあまりできていないのです。
皆で練習(書く)するときに、他の字を書く。一回一回注意するのも、こちらの根気が続きません。わかってやっているのでしょうし、…なかなか始末に負えません。(二年生の中には)できていないことがわかって、一年生と同じ字を書き始める人もチラホラいるのですが、見てみると、他の振り仮名をつけている。
たとえば、「にし」とルビを振っているのに、「東」と練習していたりする。導入するときには、一つずつやっているのだから、皆と同じことをすれば間違えたりしないはずと思うのですが、案外こういうことの方が難しいのかもしれません。
一年生より、できると思い込んでいる「二年生」の方が、実は、要注意なのです。『初級』では。
日々是好日