日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

運の悪い学生もいるのですね、「テ形」の導入の時に休んだり、「ナイ形」の導入の時に休んだり…。

2016-05-31 08:27:30 | 日本語学校
晴れ。

曇りという予報でしたが、時折射してくる日差しはかなり強くなっています。

学校では「風邪引き」さんが続出しています。暑かったらずっと暑い、そういう国から来た人達にとってはたまらないでしょうね、こういう天気は。多分、「1日のうちに夏と冬が同居している…」、あるいは「一週間のうちに冬が来たり、夏が来たりしている…」。「なんてことだ」と、まあ、そんなふうにため息をついているのかもしれません。

『中級』くらいになっていれば、休んでも、それほどの「実害」はないのですが、『初級』のうちに、風邪を引いたりして、休んでしまうと、これは大変。皆に追いつけなくなってしまうことだってありますもの。

教師の側からも、「あ~あ、今日、『テ形』を導入するのに」とか、「『ナイ形』を入れるのに」といったため息が聞こえてきます。

実際、不思議なもので、運の悪い学生というのはいるのです。これは以前の学生のことなのですが、「テ形」を導入した日に休み、そのあと、どうにか個別指導で理解させられはしたものの、またその次の「ナイ形」の導入日にも休み、「辞書形」の導入日にも休み…、もうこうなってしまうと、頑張りがききません。で、クラスを落として、もう一度となったのですが、二度目の時にもまた同じような日に休み、結局、挽回はできずに終わってしまった…こんな学生もいたのです。

日本語学校には、もちろん、国で勉強をよくしてきたという人も少なくないのですが、それと同じくらい、「ただ学校へ行って座っていた」だけという人もいるのです。勉強するのは学校でだけですから、休むと致命的になってしまうのです。

こういう人に、「宿題をやれ」とか、「漢字を覚えろ」と言っても、なかなかできるものではありません。こういうのは個人作業で、学校でいつも宿題の時間を取ってやらせることができるかというと、(…無理です)。そうなってしまうと、それはもう「宿題ではない」ということになってしまいますし、漢字は毎日書かせてはいるものの、覚える気で書かなければ、これもまた覚えられるものではありません。

「漢字は書けないけれども、読める」と言って憚らない、二年生。昨日、「Cクラス」で、「東」「西」「北」「南」を導入したのですが、見るなり「きた」「みなみ」「にし」「ひがし」と大きな声で読んでくれました。母国でこれらの読みだけは習ってきたという一年生が、「へっ????」という顔をして(どうも自分の方が間違えていたのかと思ったらしい)彼を見たのですが、こちらが違うと言うまで、自信満々の彼は誤りに気がつきませんでした。

つまり、あの順番で、自然に覚えただけのことで(毎日のように、学校で復唱させていたからでしょうし、ランダムに指したときには、できると思って一緒に考えたりはしなかったのでしょう)、個人の練習はあまりできていないのです。

皆で練習(書く)するときに、他の字を書く。一回一回注意するのも、こちらの根気が続きません。わかってやっているのでしょうし、…なかなか始末に負えません。(二年生の中には)できていないことがわかって、一年生と同じ字を書き始める人もチラホラいるのですが、見てみると、他の振り仮名をつけている。

たとえば、「にし」とルビを振っているのに、「東」と練習していたりする。導入するときには、一つずつやっているのだから、皆と同じことをすれば間違えたりしないはずと思うのですが、案外こういうことの方が難しいのかもしれません。

一年生より、できると思い込んでいる「二年生」の方が、実は、要注意なのです。『初級』では。

日々是好日
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新しい「クラス作り」。つまらないことでまた膨張してしまった…。

2016-05-30 14:40:06 | 日本語学校
雨。

本降りです。傘に当たると重い音がします。こうなりますと、梅雨の走りだろうとか言っていられません。そういえば、「虎が雨」は、5月ではなかったかしらんと、調べてみると、陰暦で、5月28日の雨と書いてあります。陰暦で言うと…だいたい1か月くらい先の話になりますから、今日のことではありませんね。でも、そんな感じの雨なのです。

今朝は歩いてきたのですが、「ツキミソウ(月見草)」の花がしっかりとつぼんでいました。雨だし、それに寒いですしね、今日は。元気がいいのは「ドクダミ(蕺)」の花くらいかしら。それと雨に濡れて、一段と鮮やかさを増した緑の葉くらい…。あとは…最近、様々な野草の綿毛が賑わっていたのですけれども、それも雨に打たれて、ひしゃげていましたし…、ない、ない、ないですね。

さて、学校です。

本当に「クラス作り」は、難しい。こういう学校では、小リーダーも育てたいと思うのですが、それらしい人がいても、ごく普通の世話焼きさんくらいなもので、リーダーシップをとれるタイプの人はめったにいないのです。もちろん、…だから、クラス作りが難しいというわけでもないのですが。

自分の国の人だけだったら、偉そうに振る舞えても、他国では、また価値観が違いますからね、そうはいきません。皆、その人を見ます、その人がどんな人なのか、何ができるのか…など。親の財産や身分などが通じない世界へ来て、ちょっと困るでしょうね。…えっ、こんなはずではなかった…戸惑ってしまうかもしれません、最初は。でも、それからなのです。一人の人間として見る、見られるというのは、案外、いいことなのかもしれません。

誰もが認めるもの、同じ人間同士、「共通して認められるもの」。これは国や宗教、民族が違っていても、同じでしょう。

それが備わっていませんと、他国の人間は認めません。ついていかないのです。…それから先へは行けないのです。

こういう学校では、国にも偏り(人数の面で)がありますし、それぞれ来日した背景というのも異なっています。ですから、下手をすると、一番人数の多い国のやり方が幅を利かすということにもなりかねません。ですから、そのときは、教員が口を出し、それを潰さねばならぬのです。そして、日本でのやり方、価値観というものを浸透させていかなければなりません。

もちろん、これは、日本での生活のためでもありますし、進学のため、試験のためでもあるのです。

彼らにそれを説明しながら、納得させていくのですが、慣れてみれば、その方が簡単という場合も少なくないのです。ただ、これには時間がかかります。最初は、アルバイト探しや生活のことなどで、勉強どころではないという人だっていますし。

例年、うまく行き始めたなと思えるのは、いつも一年くらいが経った頃。「日本留学試験」や、「日本語能力試験」のための問題集を始める6月頃なのです。そのころまで、上のクラスにいられた学生達は、多分大丈夫なのです。一年くらいを頑張れたわけですから。

クラス作りというのは、最初は様子を見ながら、締めていくものなのですが、場合によっては締めない方がいいこともあり、こうした方がいいなどと決めつけることはできません。なんでも、相手に合わせて大きな容器になったり小さな器になったりですね。相手だって大人しかったりうるさかったり、言わずとも宿題をする者(少ないのですが)が多かったり、全くいなかったりですし。

1か月か2か月ほどで、どうにか、それなりの形になってきたなと思われても、つまらないことで、またワッとクラスが膨張してしまい、収拾がつかなくなってしまう(毎日様子を見ている人間でなければわからないでしょうが)ことだってありますし。

そうなると、また一から出直しです。それどころか、また別のやり方で攻めていかなければならなくなりますから、もっと煩わしくなります。もちろん、すぐに元に戻るクラスもありましたけれども。本当に「鉄は熱いうちに打て」です。「日本ではこうだ。こうするのだ」が、先に頭に入っていれば、後は簡単なのです…でも、何でも思い通りには行きませんね。

学生達の方だってそう思っているでしょう。

やっと留学できた。アルバイトをして自分の金が手に入った。さあ、好きなことをするぞと思っていたのに、勉強せいと言う。煩わしいなかもしれません。

日々是好日
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「アジサイ(紫陽花)」の花が咲き始めています…困った、困った、まだ早いのです…。

2016-05-26 08:05:08 | 日本語学校
うっすらと雲に覆われていますが、まだ晴れ。そして、風弱し。

昨日の朝はかなりの風で、自転車でヨタヨタと学校に来たのですが、今朝は、日差しも弱く、風も弱く、垣根から散歩中の「イヌ」をのぞき込んでいる「ネコ」の顔も平和そのものでした。

梅雨を前にして、湿度のやや高い日が続いたからでしょうか、灌木の枝の先に、つる性植物の蔓の先端の巻きひげが10㎝ほども伸びて揺れています。バランスを崩すよけいものとしてよりも、生命力の方を感じてしまうから不思議です。

そういえば、巷で「根性大根」として評判になっていた、アスファルトのひび割れから必死で立ち上がっていた大根。昨今は大根のみならず、電信柱の脇のほんの少しの土を頼りに、伸び上がっている草花の姿も、あちらでもこちらでも見られますから、人間なんて、本当になにさ。

それはこの時期の特徴なのかもしれませんけれども。

さて、そんなこんなで自転車をゆっくりと漕ぎながら、あちこちをのぞき込んでいる私、はたから見れば、危ないおばさんとしか見えないかもしれません。

で、今日見つけたのは、開きかけた「アジサイ(紫陽花)」の花。実は6月24日を「鎌倉散策」に予定しているのですが、そこで気を揉んでいるのが「アジサイ」の花の開き具合。

「サクラ(桜)」の花の時も、「イチョウ(公孫樹)」並木の黄葉の時も、もう、気を揉むことばかり。日本人なんて木々や草花の花、そして木の葉の色に、1年中追いまくられているようなもので、本当につまらない存在なのかもしれませんね。でも、だからって、誰かに迷惑がかかるわけでなし…。

「ナニが大切かって?そりゃあ、桜さ」と言う人もいるでしょうし、「そりゃあ、モミジだ」と言う人もいるでしょう。天気予報の時に紹介される「桜前線」や「紅葉前線」に釘付けとなり、休日は車を飛ばしてそれを見に行く。季節に振り回されていると言えば、言えないこともないような、そんな民族。「もっと『自主性』を持って」なんぞと言われても、日本という土地に生まれてしまえば、それが習性となっていますから、疑いを抱いたりしません。ちっとやそっとのことでは変えられないでしょうねえ、我がことながら。

アメリカの爆撃機によって焦土となった大地にも、人は木々を植えてきましたし、中でも「サクラ」は大切な存在でした。「来年、この桜が花をつけるまでは、どんなことがあっても生き抜こう。そう思って飢えに耐えてきた」。そんなお年寄りの話を聞いたことがありました。そして、そういう人々の思いに応えるかのごとく、桜は毎年美しい花をつけ、大きく育つ頃には、それを見るために頑張ってきた人々の暮らしも、豊かになっていったのでしょう。

思えば、桜の花や木々の黄紅葉は、人々の頑張りに対する自然からのご褒美。それを無視するわけにはいきません。(それを)何も言わずとも、人々はしっかりと胸の内でわかっているからこそ、桜や紅葉の美しさに熱狂するのでしょう。けれども、それは本当に掃かない存在です。

地震や台風、津波に晒されている日本人のように。

さて、話は戻りますが、例の「アジサイ」。あと1か月、持ちこたえてくれるでしょうか。いくら悩ましく思っても、その日曜日に「日本留学試験」がありますから、その前に行くことは、ちょっと無理。困った、困ったで、また、私たち「困った」さんになっています。

日々是好日
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「皆さん、○○してください」「…じゃ、あなたは????」

2016-05-23 08:41:18 | 日本語学校
晴れ。

天気図では、高気圧がちょうど列島の上に居座っているような形。こりゃあ、晴れですね。まあ、そう言いましても、朝晩は、やはり涼しい。時には肌寒ささえ感じられますから、真夏日が続いても、まだ5月は5月なのです。

しかしながら、びっしりと葉をつけた樹々が、深い木陰を作ってくれています。もうすぐ、木陰に入っても、まだジトッと暑い…という梅雨時の蒸し暑さが押し寄せてくるのでしょうが、まだまだ、爽やかな「皐月」です。

さて、学校です。

2年目の学生達に「日本留学試験」用の作文を書かせてみたのですが、ベトナム人の学生にも、中国人学生達に見られた「癖」があるようです。

初めの部分か、だいたいは最後に、なのですが、「…(だから)、皆さん、○○しましょう」とか、「…(だから)、皆さん、○○してください」といったものが来るのです。

自分の意見を書く、あるいは自分がどうするを書かねばならぬところに、最後に他に振ってしまうのです。「じゃあ、あなたはどうするの?」。この「自分はどうする」が抜けてしまうのです。

もちろん、こういう、正直に、「自分の考えを書く」という習慣が、これまでなかったのでしょうし、「現状を見つめ、考える(そのときにプラスとマイナスの両面から考える)」という教育も受けてこなかったのでしょう。が、こういうのを見ると、中国人大学生が、作文の最後に、必ずと言って良いほど、「中国のために貢献します」という文をくっつけていたのを思い出します。

「国のためじゃないでしょ、自分のためでしょ。自分の家族のためでしょ」と最初に問いただす(最初は、どうしてそんなことを書くのか意味がわかりませんでした)と、一様に驚くのです。あれから20年ほど経っていますから、今はわかりませんが。

きっと、大学に入るまで、小中高とそういう作文ばかり書かされてきたのでしょう。だから、全く疑問に思ったこともなく、「腹に思っていることと違うことを書くのが『作文』だ」と、思い、そうやって来ていたのでしょう。そういう習慣を捨ててもらうのに、ちょっと時間と説明がいったものでした。

「あなた方の作文を読むのは私だけ。大学の他の先生方や大学の他の者には見せない。だから、本当に思っていることを書いてほしい」。

嫌いだったら嫌だし、好きだったら好き。なんで作文に嘘を書かねばならぬのかと思ったものでしたが、これは反対に、「学校の授業」でだから書かねばならなかったのでしょう。

日本だって、第二次世界大戦中はそうでしたもの。何事も「お国のため」。子供でも、「何々が食べたいとか、何々をしたい」など、本当のことは書いてはならず、「お国のために我慢します」でしたもの。

けれどもね、あの頃は「戦時中」。なのに…。

作文の授業は、お国柄といのものがよく出てきます。

総じて、皆、「社会性」に乏しく、それと同時に「我が国が世界で一番すばらしい。美しいから外国人がたくさん来る。来たがる」と外国に、如何に我が国(のすばらしさ)が知れ渡っているかを書きます。これは国策でしょうかしらん。それとも、先生方もそうだから、(子供が)そう書けば満足して褒めてくれるのでしょう。子供は褒められたがるものですから、相手がそれを欲していると思えばそうします。

もちろん、「自分の国を宣伝する」のなら、それでも良いのですが、もし、意見で、「明」の部分を書くのなら、同時に「闇」の部分も書くのが普通である(と思うのですが)のに、それはまずしないのです。

この両面から、物事を見ていくというのが、どうも難しいようなのです。ですから、作文書きをさせる前に、自由に意見を出させ(「闇」が出たときにはそれを強く褒め)、「明」と「暗」に分けて書いていき、最後に「上」に、「これは『明』であり、あちらは『暗』である」と分けていくと、案外ハッとするようなのです。

そして「物事には両面性がある。それを書いた方が人を納得させやすい」というのを、少しずつ習慣づけていくと、多分、大学に入ったとき、あるいは日本で仕事をするようになったとき(人付き合いをするようになっても)、少しは楽になるかもしれません…と、思うのですが。

そうしないと、「お子ちゃま」の視点で終わってしまいかねません。

日々是好日
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「風邪引き」さんが増えています。

2016-05-19 10:57:12 | 日本語学校
晴れ。

今朝も快晴、五月晴れです。

不思議なことに、最近、学校では「風邪引き」さんが、増えています。

朝晩と日中の気温の差故と、最初は思っていたのですが、そうではなく、日ごとの温度の差の方が原因であるようです。

「どうして、昨日は暑かったのに、今日は寒いの?」、あるいは、「昨日はあんなに寒かったのに、今日はどうしてこんなに暑いの」。そんなことを聞いてくる学生もいるのです。まあ、こちらとしても、それが日本の天気だとしか答えようがないのですが。

きっと彼らはどう対処したら良いのかわからずに、(昨日が暑かったからと)真夏の格好をして風邪を引いてしまったり、(昨日が寒かったからと今日は)ダウンを羽織ってしまい、汗を掻いて風邪を引いてしまったり…しているのでしょう。ままならぬのがこの世のならいですからね、常に薄手のカーディガンを一枚持って、行きましょう…と、言うことは言っているのですが、やはり一度ひどい目に遭わねばわからぬのでしょうね。

学生達の大半は、東南アジアか南アジアから来ているので、こういうのは、なかなか慣れないのです。

以前、『初級』で、四季の説明をしたときに、「みんなの国はどうですか」と振ったことがあったのですが、素直に、「冬はない」と言ったのは、タイとフィリピンの学生だけでした。スリランカの学生さえ、「冬はある」と言いましたからね。彼らの国の冬は「ちと寒い」程度。いわゆる「涼しい」が、「冬の寒さ」というわけなのです。もちろん、一度日本の冬を体験してからは、「う~ん」と言いよどむようになりましたけれども。

ベトナムも中国との国境沿い、山岳部は、確かに寒いようですが、ハノイくらいでは、冬と言ってもそれほど寒いわけではありません。一度、12月に行った時に、騙されたと学生の言うとおりにしたことを後悔したことがありました。

「今度、12月に、ハノイへ行くよ」と言ったとき、ハノイの近くから来ている学生達が異口同音に、「今は冬で、寒い。日本と同じくらい」と強調したのです。調べてみても、そんなことはないはずだがと思ったのですが、いわゆる「体感温度」というのもあるので、一応そんな服も持って行ったのです。ところが、…。

確かに、彼の国の人達は日本人が、冬、着るのと同じような服装でいましたけれども、私たちは肩すかしを喰ったような状態で(…寒くない)、長袖のシャツにせいぜい薄手のカーディガンくらい(夜に備えて)で十分でした…。「そうか、これが(彼らの言うところの)冬なんだ」と変な納得をしてしまいました(こういう些末なことがわからないと、いろいろなところで学生達との間で食い違いが出てしまうことがあるのです)。

とはいえ、日本人も長くその地に住んでいると、体がその気候になれてしまいますから、きっとあれくらいの気温でも「寒い。冬だ」と思うようになるのかもしれません。

新しい人達も、早くこの(日本の)気候になれると良いですね。

日々是好日
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声が出ていない…ナニ疲れなんだろう…。

2016-05-18 08:50:24 | 日本語学校
晴れ。

昨日は朝から夕方までずっと雨が降り続いていましたが、今日は五月晴れ。清々しく、爽やかで、洗濯日和になりそうです。

今朝、学校へ来るとき、空き地に、「マツヨイグサ(待宵草)」の花が濡れて、風に揺れていました。「マツヨイグサ」の花が咲くと、もう夏のような気がしてきます。「カザグルマ(風車)」も見かけましたし。

「ユウガオ(夕顔)」の薄いピンク、「マツヨイグサ」の黄、そして「オオツユクサ(露草)」の青。「カザグルマ」の白と青。これから、街はドンドン華やかになっていきそうです。

さて、学校です。

昨日は雨で、涼しいと言うよりは肌寒く、上は厚手のトレーナーを羽織り、下は裸足という出で立ちでやってくる学生もチラホラ。見つけるたびに「足がない、足がない。無い、無い無い。寒いのだから、靴下を穿く、スリッパを履く」と叫んでいる自分に気がついて、ハッとしてしまいました。…いい年をして、まだこれですからね。彼らと対していると、納まり返っていることなんて、なかなかできません。

習慣の違いとはいえ、靴下を穿いたり、スリッパを履いたりするのは、「嫌だ、嫌だ。気持ちが悪い(こう、彼らは言います)」らしく、これは、一年か二年か、それくらいの年月では変えられないことなのかもしれません。私たち日本人が寒さで手が凍えているときでさえ、裸足でやって来た(もちろん、靴は履いています)強者がいましたもの。そして、「寒い、寒い」と言うのですから、始末に負えません。

けれども、今日は暑くなるそうですから、まあ、見ていれば良く、ちょっとこちらの気持ちも楽…。だいたい、毎日のように言われるのだから、向こうも嫌にならないはずはない…だろうと思うのですが、こちらの「喚き」に応える彼らの顔は、もう満面の笑み。思わず「本当は私は怖いんだぞ」と言ってしまいそうになります。

まあ、それはともかく、「Dクラス(『初級』今年の4月生)」の面々はお疲れのようで、一週間ぶりの「顔合わせ」だったのですが、もう声が出ない…。ボウッとしているか、下を向いている。先週は明るく大きな声がドンドン出て、楽しく授業ができたのに、いったいどうしたことだ。

担任に聞いて見ると、アルバイトを始めた人がチラホラ出ているので、その疲れ。それと、他人がアルバイトを見つけてしまうと、焦ってオロオロしてしまい、その疲れ。そして例の、スマホに首っ引きになってしまう疲れ(一昨年は、夜はずっと映画を見ていて、昼は眠いというベトナムの学生がいましたっけ)。中には、(日本語の勉強や大学に行くためにではなく)そのために日本へ来たのではないかと思われるような留学生もいて、授業中は叱られるので(今迄に三回このクラスで受業をしているのですが、そのうち、一回取り上げました)、耐えに耐えて、終わるやいなや、取り出し、画面から目が話せなくなってしまう人もいる。

親は、子供の言うことは皆信じてしまうようで…、子供が努力をしなければ勉強できないレベルにあることもわからない。親に現状を話したとて、聞きたいことは耳に入るけれども、聞きたくないことは耳に入れないで来ていれば、話せば話すほど、そんなところ(つまり、自分の子供を認めないようなところ)へ、(子供の言うとおり)やらねば良かったとなるのでしょうね。

1か月があっと言う間に過ぎてしまったように、一年も瞬く間に過ぎていきます。そして直に「日本留学試験」も「日本語能力試験」もやって来ます。

同じように「不合格」となっても、次に合格できそうな「不合格」者もいれば、(日本にいるからとはいえ)何回やっても、(今のままの様子であったら)多分期待できないなと思われるような「不合格」者もいます。

また、同じように「合格」をもらっても、そこで止まってしまうであろうと思われるような「合格」者もいれば、次を狙えるような「合格」者もいます。

(非漢字圏の)学生達は、「N3」で、それが分かれるのです。日本にいて、アルバイトなどをしていれば、日本語を聞く機会も、アルバイト先で日本人の友人ができる機会も多いでしょうから、学校で勉強しなくても、それ(N3)くらいは合格できる人もいるようです。その反対に、真面目でコツコツ勉強している人は、漢字の練習や文法の習得に必死になり、アルバイトがそれほど「主」とはなりませんから、「損」をしてしまうのかもしれません。

もちろん、日本人と話もし、学校で漢字や文法などもよく勉強してくれるのが一番良いのですが、そんな小器用な人は、それほど多くはないのです、見たところ。

これは日本人も、外から来た人たちも同じですね。不器用な人を見るたびに、気の毒に思えたり、励ましたくなったりするのですが、翻って考えてみると、私もそんな人間の一人のようです。

日々是好日
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雨が降っています…。

2016-05-17 11:06:29 | 日本語学校
雨。

6時少し前ごろから、ぽつり、ぽつり…と来て、今は、本降り状態…。夕方まで、こんな調子が続くそうです…。

さて、学校です。

この学校は、留学生は60人にも満たない(4月の時点で…。7月、10月、1月と4期募集しているので、これからはまた少しずつ増えるでしょう…が、一番良いのは、やはり4月に来ることです。10月に来てしまうと、一年ほどの勉強で、専門学校や大学の入試を受けなければならなくなりますから、ちょっと大変です)小規模校なのですが、この近くに外国籍の方や、帰化した後、家族を呼んだという方が結構いるので、留学生以外で日本語を学んでいる人も、少なくないのです。

在日の方の多くは、ご主人の仕事の関係で日本に来たとか、日本人と結婚したとか、あるいは両親に呼ばれて日本へ来たという高卒の若者や、高校途中で来日した若者などなのですが、中にはこういう問い合わせもあるのです。

「小学生だが、学校が始まるまで少し勉強させたいから、そちらで教えてもらえないか…」。これは、ちょっと困る…。気の毒だとは思うのですが、その都度、「行くことになっている小学校と相談してください」と答えることにしています。実際、それしか方法がないのです。ここでは、子供向けの言語教育カリキュラムで教えてはいませんし、だいたいそういう教材を用いてもいないのです。

「みんな、簡単な日本語を勉強しているのであろうから、大人も子供も同じではないか」と、きっとそう思って、電話をしてくるのでしょう。けれども、日本の学校教育でも、発達段階に応じて、学ぶべき内容も違えば、教え方も変わってくるように(小、中、高のみならず、小一と小二とでも違うのです)、対象が高卒以上であれば、やはりそういうカリキュラムで教えているのであって、子供には、はっきり言って向かないのです。大人相手の学校では、30分くらいですぐに飽きてしまう子供は入れられないし、入れてしまうと、そちらに手を取られてしまいますから、他の学生達が勉強できなくなってしまいます。

それに授業中に使う言葉も、その都度入れていく日本人の習慣や考え方の説明も、相手が子供であれば、もう、それはできなくなってしまいます。

日本語学校というのは、一応大学や専門学校への進学を目指している人達が多くいて、そこに小学生や中学一年生程度の学力しかない者、あるいは子供のままで勉強の習慣が全くついていない者がきてしまうと、授業が成立しなくなるのです。

以前、それほど学生がいないときには、見かねて入れたこともあったのですが、そうなりますと、他の学生が気の毒なことになります。小学生は、飽きてしまって、30分と続きませんから、その都度あやさなければならなくなる。ここぞという所で、後一押しすれば(外の学生が)できるようになるという所で、遊ばれてしまうと、「おい、おい、ここは幼稚園じゃないんだ」と、多分、学生の方でも思うでしょう、勉強したいとやって来た者は。

そんなわけで、今は、小学生には、小学校の方に相談するようにと言い、中学生には、やはり中学校のほうに相談するようにと勧めています。

日々是好日
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勉強する者にとって、「一時帰国」は大敵です。

2016-05-13 08:36:21 | 日本語学校
昨日は、爽やかな青空でしたが、今日はうっすらと雲がかかっています。湿度が少し出てきたのでしょう。だって、昨日は、本当にからりとしたお天気だったのですから。

陽が出てくれば、だんだん気温は上がることでしょう。夏日ということばが紙面に踊り出してからもう幾日も経っているような気がします。ただ、朝晩は、「やはり、まだ、5月ですね」という感じ。夏は夏でも、まだ初夏なのです。

さて、学校です。

連休が終わって、久しぶりに彼らの顔を見たとき、あれ、同じ顔をしている…。こう感じられることが、何となく面白い。これまでは、連休明けとか、長期休暇のあとなど、「皆、揃うかしらん」なんて心配をしていたものですが、最近は、そんな心配をしなくなっていました。それに、ふと気づいて、またちょっとおかしくなってしまいます。

けれども、こうなりますと、また別の欲が出てきます。「もっと字をきれいに書けるようになれ」とか、「漢字をもっと覚えろ」とか…。もしかしたら学生達、「コイツ、後から後から要求しやがる」くらい思っているのかも知れません。

とはいえ、それほどレベルの高いものを彼らにさせられるわけでもなく、毎日が、まあ、コツコツと蟻さんのような作業を、共にして行くだけなのですが。

教師という立場から見れば、「非漢字圏」の学生達を教え始めて、良かったと思えるは、この点なのです。

中国人学生の場合は、まあ、『初級』はともかく、『中級』くらいからは日本人に対するのとほぼ同じような授業をしていけばそれで十分でしたし、「一級(N1)」を一年ほどで(高得点で)合格できるような学生が多いときなど、(試験後は)日本文学やら、新聞や雑誌の記事やら、あるいは大学入試のための日本人用の問題集などを利用すればそれで良かったのです。だから、言語に関する知識は必要でしたが、淡々としたものでした…。教えるための技術は、それほど必要なかったのです(当然のことながら、現場が教員を育てるわけですから、こちらもそのような技術はなかなか身につけることはできませんでした)。

しかしながら、非漢字圏の学生達に対しては、そんな風にはできません。まず、内容を見て、それに必要な教材を作り、授業の流れを考えていくと言った作業(この順が前後することもありました)をやっていきました。

今から考えれば、「随分無駄なことをやっていた」ようなものですが、教員にとっては、あの一つ一つの作業は決して無駄なことではなかったのです。もちろん、試行錯誤の過程で生まれた徒花のようなものでしかないと言われれば、確かにそうなのかもしれませんが、しかしながら、利用してみて初めて、「だめだ、こりゃあ」ということがわかることも少なくなく、そのような場合でも、一から作り直さねばならないというようなことはあまりありませんでした。改良すれば、事足りたのです。

そのうちに、いろいろな漢字教材も発売され、それを利用しながらできるようになりましたが、あの経験があったからこそ、主体的に利用することができているのかもしれません。

ただ、教材は増えても、授業法だけは「これで終わり」というわけではなく、スリランカ人学生が多いときのものは、ベトナム人学生にはあまり使えず、ベトナム人学生にやるやり方では、スリランカ人学生が欠伸をしてしまうというふうに、母語の関係や彼らの母国での教育法の違いなどから、「非漢字圏」とは一括りにできぬ部分もあるのです。

こうは言いましても、彼らの国で大学に合格できるほどの能力や知識欲がある学生なら、それほどの差はありません。同じように「知識で釣っていけば」それで十分なのです。

問題は、「勉強しようという気持ちはあるし、努力も、ある程度はする。それに真面目である」が、普通のやり方をしていたら、「わからない」で、すぐに意欲をなくしてしまうような人達なのです。

そういう人達には、小さな「成功体験」を重ねさせていき、苦手意識を持たせぬようにさせねばなりません。

『初級』のうちは、「簡単だ。簡単だ」で、(日本語は)面白いとさせ、難しさをオブラートに包んで隠しておく。「できる。言える」と誤魔化されて喜んでいるうちに、ヒアリング力(ヒアリングは時間の問題で、人によって多少の差はありますが、大したものではありません)はついていきますから、実際に、彼らにとって難しい段階である「中級」に達したときに、以前よりも「我慢する力」がついている。

もっとも、これはうまくいった場合のことで、これに「アルバイトがうまくいかない」とか、「(アルバイトが)ない」とか、あるいは「失恋して勉強する気持ちがなくなった」。また、「お金がもらえることがうれしくて(ほしいものが買えますから)、アルバイトに専念してしまった」とか、「一時帰国して、お金を使い果たしたので、勉強どころではなくなった」とか、様々なマイナスの要因が加われば、こうはうまくいきません。

まず、しっかりとした「目的」がある人は、あまり崩れないものなのですが、それでも、崩れる場合があります。

ベトナムの学生の場合は、「一時帰国」するかしないかが「天王山」となります。こちらにしても、懸命に育てようとしていた学生が、一時帰国してしまい、日本語のみならず、それまでに貯めた金も、すっからかんになってもどってくるというのは、あまり見たくない光景なのです。…が、これが多い。

「寮費も払えないという人が、どうして帰れるのか」は、私たちにもわからないところなのですが、実際にやるのです。今は学校の許可がなくとも帰れますから、黙って帰るという人もいます。知れば、当然、私たちは止めますから。

とはいえ、来日後、半分ノイローゼのようになってしまう人もいますから、一律に禁止とは言えず、両親から「帰国願い」が出された場合には認めるとしてあるのですが、親も、この一時帰国がどれほどのマイナスを自分の子供に与えるかが理解できずに、「帰っておいで」コールをしたりしますから、結局は、私たちの気持ちは通ぜずじまいになってしまうのです。

というわけで、新しく関係を持つことになった(ベトナムの)学校には、留学を目指している学生の親御さんに伝えてもらうことにしています。「来日した場合、2年間は帰国させない」と約束してくれと。「一時帰国」は、よほどのことがない限り、本人のためにはならないのです、特にベトナムの学生にとっては。

ベトナム人学生は、1週間の帰国で日本語がきれいさっぱり消えますから(もちろん、ほとんど入っていない人はその限りではありません)。本当にきれいさっぱりと、なのです。「助詞」がきれいにつながっていた学生(珍しいことなのです、ベトナムの学生で、きちんと助詞が使えるというのは)が、1週間の帰国でトンチンカンな文を言い始めて、驚いたことがあるくらいですから。これは、なかなか戻りません。もちろん、稼ぐために日本に来させようという親にとっては、関係ないことなのでしょうけれども。

日々是好日

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4日ぶりの晴れ。

2016-05-12 10:47:21 | 日本語学校
4日ぶりの晴れです。五月晴れという言葉そのまま、本当にきれいな青い空が広がっています。

近くの小学校では、「運動会」の練習が本格的になったらしく、朝の七時頃から、応援の声が響いています。調子を取るためか、威勢をつけるためか、太鼓の音もドンドン、ド、ド、ドンドンと喧しく。

これほど、大きな声や音が出せるということは、全体練習の前に、各クラスでもかなり練習を積んでいたのでしょう。それに、いくらうるさくとも、これは「季節の風物詩」といっても良いものになっていますから、いくら騒がしくとも、誰からも苦情は出ないでしょうね。

それどころか、買い物のついでか、はたまた出勤のついでか、校庭をのぞき込んでいる老若男女までいるのですから、みんな、かつての自分の姿と子供たちの姿とを重ね合わせて見つめているのかも知れません。

街はすっかり初夏の装いになっています。

「シロツメクサ(白詰草)」が繁茂し、その傍らに「ユウガオ(夕顔)」の花がひっそりと佇んでいるような、そんな「空き地」にも、「チョウ(蝶)」や「トンボ(蜻蛉)」の訪ないがあるようですし。

さて、学校です。

ベトナムに4月の末から5月の頭まで行っていたのですが、新しい学校は、(学生達を日本へ)やりっ放しというわけではなく、学生達の親御さんたちともずっとつきあいを続けているようで、彼らとは良い関係が築けそうな気がします。ただ、学校経営には、それぞれ「波」があり(会社経営でもなんでも、経営というのはそうでしょうが)、ご近所さんが終わったときが問題になるのかも知れません。

私たちの感覚では、「稼ぐ」ために日本へ来るというベトナムの学生がかなり減ってきたような気がするのですが、現地では、実際のところ、まだそういう層が少なくないのかも知れません。ということは、それが目的で、形だけの勉強をはじめるという人もいるということです。

そういう人を多く抱え込んでしまうと、後が大変になります。真面目な学生は、そういう人達とは一緒に勉強したがらないでしょうし、学校自体の評価も下がっていくでしょう。で、経営に行き詰まり、とにかく彼らの要望通り日本へ送り込めということになってしまうと、送り込まれた先では、当然困りますから、彼らの学校への評価が下がるということになる。

日本では(日本に来てしまえば)、一見同じに見える専門学校でも、ほとんどの学生が日本人というもの(留学生にとっては、少々試験が難しいのです。日本語や専門知識がある程度ないと、合格できないのです)から、留学生しか行かないというものまで様々なのです。

それで、とにかく日本にいたいという学生は、「(経営のために)学費が払えるなら、誰でもいい」という専門学校へ行き、勉強したいという学生は、学生のほとんどが日本人で、時によっては土日も出て勉強しなければならないという専門学校などへ行くという、そんな棲み分けができているのです(自ら選べるのです)。

それに引き替え、彼の地と日本とはかなり離れているので、相当の情報通であっても、なかなかそれがわからないと見え、真面目な学生が、とんでもない日本の日本語学校に行ったり、稼ぐことしか考えていない学生が、勉強、勉強とお尻を叩き回る日本の日本語学校へ行ったり、そんなちぐはぐな現象が起きてしまうのです。

ベトナムに限らず、送り先の学校や仲介業者は、そこの所をよく考えて欲しいですね。頭数で金を数えたりだけというのは困りもの。もちろん、そういう所は続かないでしょう。一攫千金で、ぼろもうけしてきたベトナムの日本語学校や仲介業者も、そろそろ潮目が変わったことに気づいても良いはず。「もうあのベトナムの学校は嫌だ」と日本の学校に言われているベトナムの学校が、あることも知っています。

うちの学校にいる学生の中にも、彼らに適した日本の日本語学校へ行っていたらと、気の毒に思われる人がまだ何人か残っています。そういう学校であったら、必死でアルバイトをしながら、学校でのんびり居眠りでもできたであろうにと思われるのですが。もっとも、うちの学校でも、二年くらい前から、そういう学生が少なくなり始め、今年度募集した学生の中には、どうも、いないようですが。

もちろん、人には向き不向きというのものがあり、語学だけはどうも…という人も確かに存在します。その反対に、学校に来てただ寝ているだけの人であっても(アルバイトを必死にし、そこで日本人と会話するというやりかただけで)、「N3」くらいまでであったら、合格できる場合もあります。

レストランで働いたり、工場で働いたりというのに、それほど難しい日本語は必要ないのです。かなり難しいと思われても、せいぜい「N4」か「N3」くらいまでで、それで事足りるのです。つまり、日常的にそれくらいの文法なら、使えるようになるということです。

ただ、専門的な知識を身につけたいと思っているのなら、まず専門的な知識を持っている先生が話す言葉が理解できなければなりませんから、「N3」よりも上のレベルの文法や語彙、表現などの力が必要になるのです。

そのつもりで、大学やいい専門学校に行きたい人は、たとえ「N3」に合格できなくとも、頑張って勉強を続けてほしいと思います。

日々是好日
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