日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『愛国心』と『ふるさとや祖国への想い』」

2010-10-29 08:45:42 | 日本語の授業
 先日の奄美大島の、台風による被害は他人事ではなく、日本ではいつ何時、どこの地方でも台風による被害は起こります。

 私がまだ若い頃、(梅雨期がなく、通台風の進路に当たらないと言われていた)北海道を台風が通過し、大きな爪痕を残しました。一面泥水に覆われた北の大地が、ニュースで流され、皆、驚きを以て見つめていたことを思い出します。

 この台風は、今夏の酷暑と関係があるのでしょうか。夏の終わりを味わえず、秋もそれとわからぬ間に去っていこうとしている今日この頃、つまり、もう冬に入ったかのように思われるときに突如襲って来ようとしているのです、列島を。奄美大島はたまりません。一難去ってまた一難。しかも息つく暇とて与えられていないのですから。

 その上、ゆっくりとゆっくりと歩んでいるような、しかも、その視野には日本列島全体が含まれているような、そういう感じがするのです。

 日本人は、「美しい大地」と「人の貴い命」とは、同価であると受け取ってきたような気がします。アメリカ軍が日本に攻め寄せ、日本がアメリカに白旗を揚げてからこの方、ほとんどの日本人の目に自国の軍の姿は映ってきませんでした。自衛隊もテレビなどの映像で見るだけでした。

 私の「ふるさと」には、自衛隊の基地がありました。けれども彼らの移動は主に真夜中に行われているようでしたし、その姿を見たという記憶はありません。

 アメリカに負けてから、とにかく日本の、軍に相当する力は、まだどの国の軍隊とも戦っていませんし、その尊い命を奪ってもいないのです。外国で暮らす日本人にとって、これほど心強い援護射撃はありません。そのまま、自分達の命や財産、尊厳を守ってくれていることに繋がるのです、このことは。

 「戦に勝つことが強い」のでも「国民を守る」ことでもないのです。いわゆる「軍に期待されているような行動」を採らなかった「勇気」が、ある時には、多くの異国の人達に感動を与えたり、また異国で暮らす日本人の安心感にも繋がったりしているということを、もっと考慮すべきだと思うのです、日本で暮らす日本人は。

 人は派手なパフォーマンスに惑わされることもありますし、大声につられてしまうこともあります。繰り返し、繰り返し、言われてしまえば、まるで操り人形のような行動をしてしまうこともあります。けれども冷静になれる時間と有識者の助言があれば、我に返ることができるのです。

 人が「愛国」と口にするとき、その人の心にはいったいどういう作用が起こっているのでしょうか。

 日本人は「愛国心」と「ふるさとや人を愛おしむ気持ち」というのに、微妙な差をつけます。

 今年の4月、来日したばかりのベトナム人学生が、朝、よく、具合を悪くしていました。中でも、じっとうつむき、問うても力なげにしか返答できなかった日には、必ずといっていいほど、自習室でコンピュータをいじっていました。

 それで問い詰めていくと、「お母さんに会いたい」と言うのです。もともと母恋しさがあった。耐えかねて母とネットで連絡してしまった。帰りたさが募る。でも帰れない、帰ってはいけないと母は言う。帰ってはならない、それは判っている。でも帰りたい…で、体調を崩してしまっていたのです。

 去年、ネパールから来た学生にも、それと同じようなことがありました。成田に着いた学生には、(たとえ疲れていても、すぐに学校へ連れて来て)無事についたと国の親御さんに連絡させているのですが、彼の場合、なかなかお母さんに繋がらなかったのです。電話が通じても、出て来るのは叔父さんとか従兄弟。まあそれなりに連絡はできたので由としなければならないのでしょうが、その都度、鼻の先に涙の粒をつけているような具合でした。

 それが、ある日、突然お母さんと繋がったのです。学校でも、彼の様子を見かねて、お母さんと話せるまで、何回も電話をかけさせていたのですが。やっとお母さんと話していたときの、彼の嬉しそうなこと。歓声ともとれるような大声をあげて、うれしそうに私たちの方を見て、「お母さん」と言ったのです。

 それから、ツンととり澄ましていたような表情が、一変したのを覚えています。

 日本語で、「愛国心」とか、「愛国心教育」とかいった字を見たり、聞いたりしてしまいますと、何やら「きな臭さ」を感じてしまいます。これは私一人だけのことでしょうか。

 誰にもふるさとを思い、郷土の人々を愛おしむ心はあります。それをなぜ特別に言わなければならないのか、しかも他者よりも己のそれが、あたかも勝っているかのように言わねばならないのか。

 心とは、本来、比較することなど出来ないはず。大声で殊更に叫んでいる人の方が、静かに沈黙を守っている人より、他者に対する慈しみ、想いがあるかというと、おそらくはそうではないでしょう。

 他者を想い、ふるさとを想うという、その心は、親を想い、親戚を想い、友を想い、そして、それらに関係する人たちを想い、そしてふるさとを想い…と、ドンドンドンドン広がっていくはずです。人は小さい存在だけれど、その心は宇宙よりも広いと言われているではありませんか。

 それが、他国の友人でもできれば、その人の両親への想いを、自分の両親への想いと重ね合わせて、わかり合っていくことでしょう。結局人は皆同じなのだと。そうやっていけば、「愛国心とは、いったい、何ぞや」と言うことになってしまうはず。

 自分の標榜する「愛国」の情が、他者のそれよりも優れていると言い募ってみたり、声高に叫んだり、或いは他者のそういう心を貶めたりするのは、却って逆に、その人の「愛国」の狭小さ、卑しさを露わにしているのではありますまいか。

 「愛」とか「想い」とか「愛おしさ」とかいったものは、口にすべきことではないのです。口にしても、とにかく「もったいぶって」やって、然るべきものなのです。大切なものは心深くに鎖して、「仇や疎かに」他人になど「みせてやるべきものかは」くらいの気概があって然るべきなのです。

 それを、「わああ、わああ」と公衆の面前でこれ見よがしに喚くなど、愛の心を深くに持っている人に出来ることでしょうか。おそらく、この人の愛は「公用」のものであって、「個人」のものではない、そんな気さえしてくるのです。怖ろしいことですが。

 子供の時から、「本当に大切なことは、口にしてはいけないよ。言ったら、失われてしまうから」。どこで誰が訊いているかもしれないから(この「誰」というのには、禍々しき神も含まれています)、その存在に奪われてしまうかもしれないということなのでしょう。これは、古来から言われてきた、言霊信仰と関係があるのかもしれませんが、口の端に上せる時には、それなりの覚悟がいるのです。

 学生達に日本語を伝えているとき、「日本人同士だったら、こういうことは言わないし、口にするのは気恥ずかしいなあ」と思うことがあります。けれども、それを説明していかねば、おそらく彼らは何年日本に住んでいようとわからぬままでしょう。

「ひらがな」で書いた方が気持ちが表せる場合と、「漢字」が似合う言葉など、日本語は思いの外に複雑でナイーブなものなのです。

日々是好日
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「テレビの中の日本と、現実の日本」。

2010-10-28 15:29:33 | 日本語の授業
 昨日、NHKの夜9時のニュースは、「お天気」で始まりました。札幌の7センチの積雪(雪かきをしている人達の様子)、新潟のスノータイヤの取り付けが始まったこと、宮崎の霧氷のついた枝など。それから、急に寒くなったことによる「寒さ対策グッズ」やら、コンビニで「おでん」をほおばる人の姿やら。

 一日の終わりに、こういうものから始まるニュースを目にすると、何やらホッとします。ニュースというものは、だいたいが深刻なものが多く、もちろん、ニュースですから、単に一日にこういう事件が起こたということばかりではなく、人々を啓発したり、社会の移りゆく姿などを映し出すこともその一つの役目なのでしょうが、毎日が、「困った。困った。大ごとだ、どうしよう」というニュースばかりだと、見る方としましても、芯から萎えきってしまいます。

こういうのは、いつも最後に、まるでニュースのおまけのように、付け足されているだけでしたから、それがニュースの大切な部分であるということを、えてして忘れがちになってしまいます。時々、こういうふうな構成でやってもらえると、「そうなのだ。雨が降ろうが槍が降ろうが、私たちの日常は、こんな風なのだ」と肩の力を抜くことができるのです。

 毎日が毎日、「おい、おい、おい。安穏とお茶なんか啜っている場合じゃないぜ。日本が大変だ。世界が大変だ。日々の政局を解説せよ、世界はどう変貌していこうとしているのだ。大問題の経済を取り上げろ、日本はこれからどうなるのだ?。また自殺者が出た。また殺人事件が起こった。ここでも熊が出没して被害を与えた。外来植物や動物がはびこっている。どうにかしろ…」と、そういったニュースが全面にグッと出て来る画面ばかりだと、毎日が戒厳令の中で暮らしているような、そんな気分にもなってくるのです。

 だいたいからして、日本における一般庶民の生活というのは、そういうものではないのですから。「今日も無事に仕事が終わった。うちに帰って一杯やろう」と思っていたり、うちでコタツに入りながら、ミカンを食べていたりしているのです。

 一般的に言って、ニュースというのは、大事件を扱うものと相場が決まっていますし、人々の意識の、一歩も二歩も先を歩き、人々を啓発していかなければならないものですから、重大事件を報道したり、人々の生活に直接間接的に関係が生ずるかもしれないことを報じるのは当然のことなのですが、普通の人の目線を忘れたり、日常とのバランスをうまく取っていないと、受け取る人の気持ちに、好ましからざる影響を与えてしまうということにもなりかねません。新聞雑誌ラジオなどに比べて、映像があるだけ、テレビは世の人々に強烈な印象を残します。ニュースを見ているだけで、悲観的になったり、胸が締め付けられたり、心が凍ってしまったりするのです。

 まあ、これは蛇足ですが、いつでしたか、数年前のこと。当時、この学校にいた中国人の学生が、「日本は悲惨だ、寝るところもない人ばかりだ」とか、「日本の若者はおかしい、毒物ばかり吸っている」とか、「日本の老人はかわいそうだ。日本人は皆、親不孝者だ」と言っていたので、訊いてみると、皆、テレビからの情報でした。

 日本にいるのは日本人ばかりではありません。外国から来ている人も大勢います。その人達に、ある程度の知性や理解力、想像力がなければ、(テレビで見たままを)それが日本の現状だと思い込んでしまうのです。ただ、この学生には、「では、聞くけれども、自分の周りの日本人を見てごらん」と言うと、一瞬驚いた顔をして、それから首をかしげていました。日本にいるのですから、正真正銘の日本を見ています。それから判断すれば、誰にでもわかることでしょう。

 テレビの報道は、ある意味では一面的なものでしかないのです。が、それだけで、全部を食ってしまいかねないほど強烈な印象を残してしまうのですから、厄介です。

 「日本のテレビは、奇妙奇天烈なこと、人様がやっらないようなことを追い求めている。視聴率というものがある以上、それは逃れられないことだ。しかしながら、それが全てであるかのように思ってしまうと、とんでもないことになってしまう。常に周りの人を見よ。周りで生活している人を見よ。報道を過信してはならない。」

 報道では、人々に問題意識を植え付けるということも仕事の一つです。ですから、社会の底辺からの報道だったり、闇を抉ってのものだったりすることも多いのです。これは、一応先進国と言われていたり、自由主義の国であったりすれば、(それは報道の責任であるので)当然のことなのですが、国によってはそれに慣れていないという場合もあるのです。

 私がまだ中国にいた頃のことですから、80年代の終わりか、90年代の初めのころだったでしょうか。テレビのゴールデンタイムのニュースで、「今、入ったばかりの情報だ」と言って、赴任したばかりの各国の大使が、中国の指導部のところへ挨拶に訪れているニュース?が延々と流されていました。

 それを見て、「中国は立派なものだ。各国の偉い人が皆、挨拶に来る」と言って喜んでいた中国人もいましたから、なるほどな、こういうやり方もあるのかと感服したものでしたが(今はわかりません)。そういう国から来ていれば、「臭いものには蓋」が当然ですから、日本や西欧のように、マスメディアは第四の権力であり、政府批判をせねば存在そのものが疑われてしまうという考え方はわからないでしょうし、資本主義の世界ならではの、どんどん新奇なこと、珍奇なことへと走る人間の心理を汲み取って番組を制作していかなければ見る人がいなくなるという状況もわからないでしょう。

日々是好日
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「叱られることは、悪いことではない…」。

2010-10-27 15:34:24 | 日本語の授業
 今日は木枯が吹くかもしれませんね。
いつも通り、新聞取り兼ゴミ出しに行ったのですが、確かに寒い。いつもよりも厚い服を着て出て正解でした。朝のニュースでは、今朝の気温は10度ちょっと、昨日の朝より5度以上も低いらしいのです。しかも、日中も15度程度にしか上がらないとか。これは寒い。何でも、例年ですと、11月下旬から12月上旬頃の気温とか。

学校へと歩いているとき、空の黒雲がだんだん切れていくのが見て取れました。そして白い雲とその奥の青空が顔を見て始めたのです。多少寒くなったとしても、久しぶりの青空です。秋の長雨も続くと、皆参ってしまいます。

 昨日の帰りは、薄手のコートを着ていても、汗ばむほどでしたのに、今日は、もう少し厚手のコートにしなければならないでしょう。このような気温に慣れていない、今年来たばかりの学生達は、(服装の管理は)大丈夫でしょうかね。昨日、フィリピンから来た学生が、ダウンを着、その下に毛糸のセーターを着て来ていて、「先生、暑い、暑い」と言っていましたから、何をどれだけ着たらいいのか、これは彼らにとって、しばらくの間は頭痛の種になるかもしれません。

彼にとっては、寒いか暑いかの二者択一しかないのです。フィリピンにいたときと同じか、それとも、噂に聞く「冬」なのか。冬であれば、冬の格好をして出るものと決めているのかもしれません。少し寒いときの格好というのが、まだ想像できないのでしょう。

 さて、学校です。
今年も、もうすぐ11月になります。11月ともなれば、大学や専門学校の入試が本格的に始まります。大学院の研究生の願書も発表されます。

 専門学校へ行く者も、目的があれば良いのですが、そうではない学生には、まず、彼らなりの目的を見つけさせてやらなければなりません。そういうクラスを担当している教員は、そのために、授業時間だけではなく、そのほかにも時間を見つけては、彼らとの話し合いを重ねていかねばなりません。彼らは学校で勉強しているだけでなく、アルバイトもしているのです。アルバイト時間も皆まちまちですから、「さあ、(授業時間中に)一斉にやるぞ」とはいかないのです。

 彼ら(「非漢字圏」であって、まだ日本語能力試験で「二級」レベルには至っていない学生)にとって、一番の不幸は、、行った専門学校で十分な手当をしてもらえず、孤独感に苛まれ、結局はそこでの勉強から逃げてしまうことです。

 それなりに友達もでき、それなりに勉強が面白ければ、この学校にいたときと同じようにやれるでしょう。勉強ばかりするというのではなくとも、少なくとも、学校に来るのが嫌ではないという状態です。学校に来れば、やる気がそれほどなくとも、それなりのものは学べるし、友達と冗談を言ったり、先生に叱られたりする(この学校の学生達は、誰でもよく先生に叱られます。しかも叱られることを嫌がっていないのです。それは、無視されて冷たく扱われるよりも、ずっと彼らにとっては心温まることなのでしょう、叱られに来るとしか思われないような学生もいるのですから。誰にとっても、異国で、いてもいなくてもかまわないように扱われるほど悲しいことはありません)。

 というわけで、無断欠席や遅刻すれば、「叱られるな」とコソコソと入って来たり、それでも、(誰でも無視されるのは嫌ですから)帰るときや何かの折りには、「いるぞ。来てるぞ」と存在感をアピールしようとするのです。もっとも、ばれていますから、よほどうまくやらない限り、うまくはいきません。

 ただ、同じように、入り口で捕まえても、学生一人一人に応じて、責め方、叱り方は変わってきます。ある学生には「遅いぞ」という一言であったり、時には「昨日はどうした」と理由を聞かなければならないこともあるでしょう。また、他の学生には「よく間に合ったね」と勇気づけなければならなかったりもするでしょうし。しかしながら、これもそれも、学生一人一人の事情に、ある程度通じていなければできることではありません。

 ですからというと、少々変かもしれませんが、学校に存在する者は、学生と教員という二種類であるべきなのです。教育的配慮もなしに罵声を浴びせかければ、いかに学生のためであると言い張っても、結局は罵りの意味以外の何物でもないのです。学生の気持ちも、それによって、ズタズタにされたり、ある時は怒りではち切れそうにされたりしてしまうでしょう。

 もちろん、そこは様々なやり方があるわけです。ただ、親切すぎる対応というのは、こればかりはあまり褒められたものではありません。それは学生の実情を知らぬが故の、適当なごまかしであったりしますから。なにも親切そうに見えればいいというわけでもないのです。叱るべき時に叱らねば、あるいは注意すべき時に注意しておかねば(何事も早め早めにした方がいいのは確かです。もっとも、これは難しい。他に手のかかる学生がいたりすると、そちらの方に目がいって、結局もう一人の学生を落としたりしてしまうことだってあるのですから。だから、教員が一丸となって、全ての学生達の状況が把握できた方がいいのです)、あとで大変なことになってしまいます。これは学生にとってもです。

 注意したり、叱りつけたりできるのは、学生達との間に、そうしても、相手が悪意に取らないという信念と、この先生なら悪いことをするはずがないという教師に対する学生の信頼がなければ、なかなかできることではありません。教師の方でも、そう信じることができなければ、叱ったり、注意すべきではないのです。

日日是好日
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「苦手な分野、得意な分野」。「『上』には『上』があるということ」。

2010-10-26 09:50:03 | 日本語の授業
 今日は、朝が一番気温が高いとか。つまり、日中ずっと、雨か曇りということなのでしょう。北海道の方では市街地でも雪が積もるそうですから、関東地方でも、今晩は、さぞかし寒いことでしょう。早速、夕方からアルバイトに入る学生には伝えておかねば。

 夏は暑いので、雨に濡れても何とかなるのですが、今時の雨というのは油断できません。今朝のようにムァッとした空気に押し包まれているときならば、大丈夫でしょうが、急に真冬の「みぞれ」になったりしますから、用心するに越したことはないのです。

 さて、学校です。新入生も少しずつ入ってきました。
 新しい学生達が入ってくると、お互いに、まず、「こは、いかなるお人であろうか」とお見合いを始めます。けれども、同じ大学や高校、また同じ地域から来ている人が重なってきますと、時々、ああ、こういう状態であったのであろうなと推測できるような場合が少なくないのです。そして、それが、その地域の、ある特徴として、教員が心しておかねばならないことの一つになったりするのです。

 もとより、一人一人、違うことは前提として言っているのです。しかしながら、それも含めて共通項で括れる部分というのは、あります。それを、日本語教師の中には、「偏見だ。人間は皆同じだ」と、方向違いの避難をする人もいるので、困りものなのですが。

 中国やインドなど、古来から大国と呼ばれ、今はまた新興国として実力をつけてきた国から来た学生に見られることの一つに、「勉強に対して高をくくっている」ということがあります。聡明であれば、何も言わなくとも、「おしなべて、学問というものには限りがない」ということがわかるはずなのですが、普通の人は、なかなかわからないもののようです。(日本人は、学校生活や仕事を通して、嫌でも判ることなのですが、不思議ですね。いい年をしても、ずっと天狗のままでいられる人も少なくないのです)

 そういう人に会うたびに、おそらく、国では、大したことを教わっていないのだなと哀れにも思い、同情することにもしているのですが、それでも、度を超すと、厳しく接するということになってしまいます。「いい加減にしろ」というところなのです。「上」には「上」があるということを「知らない」というのは、非常に不幸なことです。ある意味で、自分で世界を狭めてしまうということにも繋がりかねません。

 誰でも、自分の「土俵」で勝負できれば、それに超したことはありません。が、総じて、そうは問屋が卸さないのです。苦手な分野で何事かをしなければならない羽目に陥る場合の方が圧倒的に多いはずです。自分には不得手な分野があるということ、その分野には自分よりも優れた人がいるということを知っておくということは、夜郎自大になるのを防ぐ一番の方法なのです(そうすれば、次は、自分の得意な分野にも、上があるということがわかるでしょう)。

 もちろん、若いと言うことは、そういう経験に乏しいわけですし、そういうことが許されなかった世界から来ていれば、違う世界の深みというものも理解できないことなのかもしれません。けれども、そこは、「教える」ことができます。ただ、教えられて、それを「受け入れる」ことができるかどうかは、なかなかに…厄介なことなのです。

 人によってはそれが判るまで、一年も二年もかかることがあります。もし、日本語学校でそれを教えていなければ、判らぬまま、日本の専門学校か大学へ入り、自分の国でしたのと同じようなことをし、そして、日本人に好意を持たれずに過ごし、反日になるということもあり得るでしょう。時々そういう人を見かけます。最初は、哀れだと思っても、すぐに嫌なやつだという気持ちの方が勝ちますから、あまり親切には扱えません。

 もちろん、学生として受け入れていれば、それなりの手当はします。が、これは時間がかかることですから、ちょっと(二三ヶ月)学校で勉強して、どうにかなるというものでもないのです。

 若さの特権は「お山の大将になれる」ことですし、そして、「己の限界を知って苦しむ」ことです。天狗のまま、一生生きていける人なんているでしょうか。天狗にならないためには、上を知ることが何よりです。それも、「この人の親が党のトップだ。だから、この人は金を持っている。力を持っている。だから偉い」などというのではなく、「普通の人の知り得ない知識や経験を持っている。深い考えを持っている。自分はとてもかなわない」という意味での、「上」なのです。

 学生達には、よくDVDを見せます、勉強が忙しくなると、見せたくともその時間をひねり出すことができなくなるのですが、一応、大学や大学院を目指している学生には、研究者が嬉々として研究を語っている様子や、真剣に研究にいそしんでいる姿などを見せるよう努めています。彼らの頭の中の「大学」や「大学院」とは違う世界があることを知ってもらいたいからです。

 それは、ある種の人には効果があり、ある種の人には効果がないのです。これは何事によらずそうですが。ただ、一人でも二人でもいい、こういうことが判って日本にいるという人を増やしたいと思います。己の分際、身の程を知っていれば、人をそしることも少なくなるでしょうし、思ったままに喚いたり叫んだりする人も減るでしょう。

 また、それが、彼らと同じ観念を抱き、彼らと同じことをしてきた人達から、切り離されて、自由の地で、先入観なしに、自分の目で見、耳で聞き、考えるという世界に繋がることだと思うのですが、どうでしょう。

日日是好日
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「原風景」。「『科学技術館』参観」。

2010-10-25 08:24:47 | 日本語の授業
 昨夜来の雨も上がって、涼しい空気の中を、颯爽とはいかぬまでも、まあ、ほど良い速さで、自転車で駆けて参りました。このあたり(行徳)は、樹が少ないので、とても寂しいなどと言いますと、内モンゴルや乾燥地帯から来た学生達は、異口同音に「そんなことはない、とてもきれいだ」と言います。

 もの皆すべて、相対的な評価の下に成り立っているわけで、今、このようなことを言っている彼らも、日本に四・五年でも住んで、この環境に慣れてしまうと、今度は母国の環境になじめなくなって、「樹がないね」とか、「花が少ないね。色に乏しいね」とか言ったりするのでしょう。

 とはいえ、「原風景」というのは、「強烈な印象を」というか、「傷跡」を脳に与えるもののようで、誰でも、自分の「原風景」に似た土地を見ると、曰く言い難い心持ちになるようです。
 
 私とても、そうですもの。多分、そういう風景の土地で生い育っていない人にとっては、ある意味では殺風景なものなのかもしれませんし、ごちゃごちゃしたものに見えるかもしれませんがね。

 人は年をとると、土に帰ると申しますが、原風景に戻るというのは、その一歩手前の状態なのかもしれません。まあ、どちらにせよ、懐かしい気持ちというのは、快いものです。

 さて、金曜日は大変でした。午前、午後と分かれて、二部にわたって「課外活動」で、科学技術館へ行ったのですが、折悪しく、小学生さんの団体が幾組も来ていて、特に午前の部はさんざんでした。もっとも、それなりに学生達は楽しんでいるようでしたが。

 体験コーナーは子供達に占拠され、立錐の余地もないとはこのこと。彼らがやってみたいと覗き込んでも、なかなか「潜り込め」ません。蟻のはい出る隙間もないとはこのこと。小さな人たちがしっかりとガードを固めています。そして、「大の大人が、どうしてそんなにやりたいの」と言わんばかりの、怪訝そうなまなざしで見つめます。なかなか食い込めませんでしたね、彼らの中に。

 実際、五階から見ていったのは失敗でした。皆が「五階から」という案内書の説明に、引きずられたのがそもそもの失敗でした。実際に体験できる二階から上がっていった方が、いろいろな事が体験出来たかもしれません。私が、皆とはぐれて、学生達を捜し回り、五階から二階へ下りた11時頃には、二階にはまだあまり人がいませんでしたもの。体験コーナーも十分余裕がありました。

 一方、午後の学生達は、最初こそ、子供の多さに驚いていたようでしたが、三時頃に、次々に小学校の名前が、マイクで呼び上げられるや否や、子供達がさっと集合場所に戻っていったのです。それからは、もう私たちの「貸し切り」状態。4時過ぎまでいたでしょうか。まあ、私は足が痛いやら、腰が痛くなるやらで、疲れましたが、午後からの学生にとっては充実した一日だったと思います。

 そうそう、そう言えば、「こんなことに」と思ったのですが、彼らは「自転車」コーナーに感動していました。「こんな形の自転車があったなんて」とか「こんな部品なんだ」とか、驚いていました。あまりにじっと見つめていたので、私まで、何かあるのかなと見てしまったのですが、まあ、日本人なら、いろいろな機会にそういうものは見たことがあると言ったくらいのものだったのです。けれども、彼らは「目が釘付け」でした。そう言う彼らを見るにつけ、「そうか、そうなんだなあ。知らないことは本当にたくさんあるのだな」と、ますます(教師としての)責任を感じてしまいます。

 それに、午前の学生達は、「DNA」などの映像に大声を上げ、はしゃぎ回っていたということでしたから、大卒も、高卒も「知らない」という点では、同じなのでしょう。

 これからは、卒業を控え、一応、「『一級レベル』に達している」という「Aクラス」では、(20世紀の映像が終われば)いろいろなDVDを見せていくことになります。日本語さえ、ある程度わかり、好奇心や向学心がある人なら、食いついてくるようなものを、「録画貯め」していますからね。大学や大学院に進んでも、それを知らないから(日本人との)話ができないということができるだけないように。

 もちろん、これは、「授業時間を割いて」というわけにはいきませんから(割いたとしても、せいぜい10分)「休み時間で」ということになります。

 「非漢字圏」の学生達が増え始めた頃から、休み時間の30分のうち、20分を漢字の時間に使うようにしていました。残りの10分も、よく「浸食」されていましたから、彼らは十分な休み時間があり、その時に何かするという習慣が、あまりないのです(トイレに行くときも「先生、今、いいですか」と聞くくらいですから)。それで、7月の「日本語能力試験」が終わってからは、毎日少しずつDVDを見せていくことができるのです。

 これが、アルバイトに疲れ切っていたり、勉強する習慣がついていなかったり、また、好奇心とかがないような学生が、クラスの三分の一ほどを占めてしまいますと、なかなかそうはいかないのです。せいぜい個別に漢字の勉強や教科書の写しをさせることで、終わりになってしまいます。見せても、喜んでなどくれないでしょう。それよりも、友達と雑談して気分転換を図りたいとなるでしょうから。

日日是好日
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「今日は、皆で『科学技術館』へ参ります」。

2010-10-22 07:59:45 | 日本語の授業
 今朝は、曇り空です。
歩いていても、もう汗を掻かなくなりました。「エノコログサ(狗尾草)」の穂も、黄色く枯れています。空き地には「セイタカアワダチソウ」の姿も見られるようになりました。いつの間にか、この外来種も日本に定着してしまったようですね。「ススキ(薄)」も決して負けていないようですし。

 秋ですね。春は、外に出るたびに、「新しい春」を見つけて、ホクホクして帰ってきたものですが、秋は秋で、色づく木の葉を見つめ、秋草の姿を求めしたくなります。もうすぐ、全山、錦の「黄葉・紅葉」が見られることでしょうし。もう少し、もう少しというところです。

 さて今日は、「課外活動」の日。皆と一緒に「科学技術館」へ参ります。ここへ行くのは、行徳からですと、とても便利なのです。駅から九段下まで、東西線を使えば、一本で行けますし、時間も三十分とかかりません。おまけに乗り換えはありません。

 いくら小さな学校だとはいえ、やはり全員で行くとなると、引率には、それなりに苦労があるものです。以前はよく迷子が出たり、集合時間を守れない(大幅に)輩が出たり、団体行動がとれない人がいたりで、予定を大幅に狂わされたり、時には、迷惑をかけた人の所へ謝りに回ったりと、面倒なことが続出していました。ところが、言いたくはないけれども、最近は、学生の質が上がったのでしょうかね、それとも以前と比べてと言うことで満足しているのかもしれませんが、引率も随分楽になりました。それに、携帯電話という便利なものがありますから、迷子になっても、電話してくれればすぐに迎えに行けますし。

 まあ、いまだに大変なのは、集合時間を、きちんと皆に守らせるということくらいでしょう。それも強いて言えばくらいのことでしかないのですが。

 授業の時には、遅れることなく来られても、「課外活動」で、どこかへ行くとなると、ついつい気が緩んでしまうのでしょう。それに、「課外活動」を遊びに行くことと勘違いしてしまう国の人もいるようで、「これは見学なのだ、日本を理解していくための勉強なのだ」と、いくら説明しても、キツネに抓まれたような顔をしていたりするのですから。

 向学心や好奇心が、ある程度備わっている学生なら、(一回でも一緒に行けば)判るようで、それ以後は心待ちにしてくれます。「先生、次はいつですか。今度はどこですか」と訊いたり、行けなかった人に「残念ね。良かったよ」とか「かわいそう。面白かったのに」とか言ってくれたりします。その中でも、私たちにとって一番嬉しいのは、大学へ進んだ学生が、「先生、私たちの学校では、いろいろな所へ連れて行ってくれたよね。大学で日本人の学生も行ったことがないって言っていたよ。私は、ここも行った、あそこも行ったって言ったら、みんなびっくりしていた」と言ってくれたことでした。よほど鼻が高かったのでしょう、それを、報告に来てくれたくらいでしたから。

 ただ、今回のように初めてのところは、インターネットで調べて、それを学生に事前に知らせるくらいしか出来ませんから、事前指導らしいことはやってやれなかったのです。とはいえ、多分、こういう「科学技術館」のような所は、素人による事前指導などせずに、「行って、見て、やってみて、面白かった」で、いいのでしょう。最新の科学技術による「自動車やロボット、コンピュータ、宇宙、そして未来都市」などが紹介されていますから。そういうものを、「知る」ことは、学生たちにとって大切なことなのです。私たちが百万言費やして説明しても、「一見」には勝てません。

 日本語学校で、日本の風物を見せたり、伝統文化を紹介したりするのも、確かに日本理解を助けるものではありますが、どの国にも、二重三重の「素顔」があるものです。伝統を大切にせねばと守っていく姿を見せるのも一つでありますし、現代の科学技術をそれなりに消化し、利用しながら生きていく姿を見せるのも、一つなのです。

 昨日、成田に着いたばかりの学生も来ます。「疲れただろうが、行った方が良い」と言うと、すぐに「一緒に行く」と言ってくれました(寮ですので、他の学生達が面倒をみてくれます)。この学生は、早速、駅で切符を買うことから、日本理解が始まります。もし、終了後、都内のどこかへ行きたいようでしたら、一日券を買った方が安上がりでしょうし、いちいち切符を買うのが面倒であれば、パスモなどを買っておけばいいのです。結局は同じことなのですから。

 彼らにとっては、ほとんどの日本人が、定期券ならぬ、そういう「電子マネー」を自然に使って行動しているというのも、多分、「珍しい図」でしょう。多くの国は、「格差問題」でわき上がっている日本よりも、もっと「格差社会」なのですから。使える人はそう多くはないでしょう。

 と言うことで、今日は午前中は皆で見学し、昼頃に現地で解散することになるでしょう。続いてみたい者は、残ればいいことですし、アルバイトがあって戻らねばならぬ者は戻り、遊びに行きたい者は行くということです。もっとも、私たちは、午前に来られなかった「午後のクラス」の、何人かの学生達を九段下の駅へ迎えに行きます。そして、また彼らと見学しますが。九段下からであれば、銀座も日本橋も渋谷も近いのです。見聞を広めてみてもいいでしょう。

日々是好日
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「雨の朝」。「水を貯えた木」

2010-10-21 12:08:55 | 日本語の授業
 今朝は雨です。パラパラと、雨と呼ぶにはかなり間遠に雨粒が落ちてきます。「アカメ」の植木の下など、まだ全然濡れていません。それくらい雨ともいえないような雨なのです。しかしながら、「アカメ」をしっかりと見てみれば、枝も幹もぐっしょりと濡れています。葉の上には大きな雨滴が溜まっています。風が一吹きでもしようものなら、バラバラと音を立てて崩れていくことでしょう。

 見ているうちに思い出したのですが、十年以上も前のこと、朝、奥多摩のどこかの山を廻っていたときのことです。晴れていたのに、急にパラパラと来たのです。雨かと驚いて仰ぎ見ても、青い空と白い雲が流れているだけ。いっこうに雨の降りそうな様子はありません。林の中は、風のそよぎすらなかったので、気がつかなかったのですが、上空を風が渡ったのです。それで、梢が揺れ、堪えていた露を落としたのです。

 山では林の中と木々の梢の方とでは、全く風の様子が異なります。上空では重い木の枝を軋ませるほどの風が吹いていたのです。それで、朝方の露が零れたのです。林の中はいろいろなことが起こります。急に足下を走っていった影の姿を見定めようと目を凝らすと小ねずみだったり、石が落ちてくるので慌てて崖の上を見上げると、キジバトが歩いていたり…。そして、この雨滴です。

 これが冬になりますと、早朝など、葉末に溜まった雨滴が氷になっていますから、この小さな氷の欠けらが、風が梢を渡るたびに、キラキラと小さな光となって、地上に落ちてくるのです。それを山の中腹にでもいれば、煌めきが緑の針葉樹の上に降りかかり、そして消えていくという幻想的な光景を見ることもできるでしょう。まあ、できると言いましても、私だって見たことはたったの一回しかないのですから、余り威張れたものではないのですが。

 これは降りかかる桜の花びらの中を歩くことができたというのと同じくらい、いわば僥倖と言ってもいいようなことなのです。とはいえ、山は、いつも、行けば、なにがしかの贈り物をしてくれます。それは春であれ、夏であれ、季節を問わず、時を問わず、同じことなのですが。

 もっとも、私が行けるような山ですから、せいぜい500か600㍍くらいの低山ですし、時には、「登る」とも言えないような、里山程度のものなのです。が、それでも自然の恵みは十分に与えてくれます。実際に、自然に恵まれていると私は思うのです、東京は。ずいぶん都心に近いところでも、そういう山がたくさんあるのですから。特に青梅線の青梅駅から先であれば、どこで降りてもいいのです。行きは、朝一番の電車に乗り、帰りも早めに下りて、電車に乗れば、疲れを翌日に持ち越すこともないでしょう。

 ただ、混むのです。電車が大変なのです。山好きといっても、私のように、そう高い山には上れないという人間は多いようですし。難を言えば、行きはいいのですが、帰りに何時間も立っているのは、こたえますね、山に登るよりも。

 今、在籍している学生の中には、大学院で森林や、ガーデニングを専攻したいと考えている者がいます。彼らに日本の山を歩かせてやりたいと思うのですが、なかなか時間が取れません。彼らも日本の山とはなんぞやと思っていることでしょう。日本に来たばかりの頃も、成田から行徳に到るまで、窓から見える水田や所々に残っている林に、感動していたくらいですから。

日日是好日
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「静かな日本」。「後世の人々に託す」。

2010-10-20 16:20:05 | 日本語の授業
 昨日帰りに「ホトトギス」の花を見かけました。「ムラサキシキブ」は名前の由来からでしょうか、その色とたたずまいからでしょうか、ゆかしさがうかがわれるのに対し、「ホトトギス」は、ちょっと雰囲気が違います。「マムシソウ」や「ハシリドコロ」などの仲間のような感じがするのです。もちろん、毒を持っていようが、いまいが、花に罪はなく、見る人間の気持ち次第なのですから、困ったものです。美しく見えてしまうのも人の心次第。醜く見えてしまうのも、その人の心次第となってくれば、全ての責任は…自分に返ってきてしまいます。

 さて、学校です。日本では、中国とは違い、静かで落ち着いた生活が続いています。学生達も、「勉強に、アルバイトに」と精を出しています。一度だけ、ネパールから来た学生に、「中国人が日本に来られないのは、中国政府の問題ですか」と聞かれたのですが、それも、私にはわかりません。個人的な問題なのか、国家間の問題かなんて、私たちには判断するすべがありませんから。

 日本では、大声を出した人の方が勝ったり、騒ぎ立てた方が得をしたりするようなことは、ありません(変な人は日本にもいるので、100%ないとは言い切れないのですが)し、そんなことをすれば、「馬鹿みたい(没涵养)」と小馬鹿にされるのがオチでしょう。馬鹿にされるのが判っているのに、わざわざそんなことをするような人もいません。

 日本人で、しかも、日本で生まれ、日本で、人並みの教育を受けてきていれば、自分の到らざる所、自分の能力の限界というのは、嫌でも判らされています。それがまた、教育の大切なところなのでしょうし。できるところばかり主張してもしようがないのです。私はこれもできないし、あれもできない。だからこそ、できるものが輝くのです。

 自分が大した者であると、思い込んでいたり、それに基づいた行動を取ったりすれば、世間から、それなりの反発を喰らいますから、どんどん角が矯められていきます。またそういうものなのです。

 「分際をわきまえる」というのは、日本ではとても大切な言葉です。これは、今では、「身分に応じた」という意味合いではなく、己の能力、つまり、知識や経験、またそれに基づく判断力や先見性なども含み、そういうものをどれほど持っているか、を自分なりに理解しての言葉なのです。それが自分には余り備わっていないこと判っていれば、こうだこうだと騒ぎ回ることもしないでしょう。有識者の判断を待てるはずです。

 これは政治家の意見を待つといっているのではありません。社会から、この人は優れていると見なされている人による判断です。

 日本は島国ですから、確かに、島国根性というものはあります。けれども、島国であるが故に、他者の優れているところを早く見つけ、学び、身につけていかなければならないのです。ただ、これは、優れているから、その人なり国なりのやり方を学ぶと言っているのであって、声が大きいから、その人の言うことを聞くとか、集団で高圧的に騒いでいるから聞くというのではありません。

 かつて来日した小平氏の振る舞いは、日本人の間に静かな感動を呼び起こしました。来日したときに、様々な日中間に横たわる問題について、「自分達には知恵が足りない。こういう問題は、未来の人に託そう。その頃にはもっと知恵があるだろうから」というような内容のことを言ったそうです。今、騒いでいる人達は、彼よりも知恵があると思っているのでしょうか。

 中国人で来日した、トップクラスの政治家は少なくありません。その中でも、小平氏は、日本人に強い印象を与えた一人です。彼は無邪気に日本の進んだ科学技術に驚き、中国のために力を貸してくれと経済人に頼むことができました。こういう率直さと抜け目のなさが、さすが中国人だと日本人をして舌を巻かせたのです。同時に、当時の財界人をして、「どうぞ私たちにできることなら何でも言って下さい、お手伝いしましょう」と言わしめたのでしょう。

 あの頃の日中両国の各界のトップ達より、現在の私たちの方が知恵があるでしょうか。まず、なにより、今の人達の方が待つことができないでしょう。それだけでも、劣っていると言うことがわかります。

 まず、己の身の程を知り、今できないことなら、未来の人々の任す。それができないからと言って、自分の今に不満があると言って、おもしろがって騒ぎ回れば、先人達がせっかく築いてくれた道も鎖されてしまうでしょう。

 かつて人が歩いていた道も、歩く人がいなくなれば、もう森に返ってしまいます。少なくとも、後世の人々からそう言われることのないように、今、生きている私たちは、お互いに考えていかねばならないでしょう。

日日是好日
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「『風邪ひき』さん」。「冬、人それぞれ」。

2010-10-19 13:03:21 | 日本語の授業
2010/10/19

 さて、秋も初秋とはいえない候となりました。「アカメ」などの植木が力を取り戻したのに比して、秋草の勢いが失せてきたように感じられます。やはり「虫の音」あっての「秋草」であり、「繁き秋草」あっての虫たちの合唱だったのでしょう。

 つい先頃まで、(例年であったらお盆が終わった頃によく現れて、チクリと刺していた)小型の蚊がまだ姿を見せていましたのに、これも、いつの間にか、いなくなってしまいました。このちっこいのに刺されると、痒いのです、痒くて痒くてたまらなくなるのです。すぐに真っ赤に腫れて、もう「カユ、カユ」になって、ボリボリと掻きむしってしまうくらい痒いのです。

 今年の夏は、暑かったばかりではなく、雨も降りませんでした。長く続く夏に、陸上に住む動物たちもへばっていましたが、海中に住む生き物たちの方がずっと大変だったことでしょう。珊瑚虫も、水温が上がったために、かなりの数が死んだということを聞きました。海の生物は、水の世界でしか生きられません。水温が一度でも上がると、これはもう死活問題になるのです。

 海流の流れも移動し、これまでは陸の近くまで来てくれていた魚たちがずっと沖合を去っていくということにでもなれば、人間も困ります。魚たちにすれば、その自然のままに移っていくだけなのでしょうが。もちろん、それで、これまで売れないからと大切に扱ってこなかった魚を見直すことにもつながったようですから、これからの生活を考えていく上の、一つのきっかけになったと見なすべきなのかもしれません。

 世界の気象が変わっていけば 当然、日本のそれも変わっていくでしょうね。日本の四季の風物詩も、もしかしたら、10年後には、別のものを指して言われているかもしれません。色合いも穏やかなものから、もう少し、はっきりしたものになるでしょうし。それに従い、日本人の自然への表現も変わっていくことでしょう。そして、知らず知らずのうちに、それが、本来の日本の風物詩であったということにもなっていくのかもしれません。そして老人達が懐かしむ風景と、若者達が懐かしむものとが異なっていくのかもしれません。まあ、それも流れでしょう。人はその中で生きていくしかないのですから。

 そして、学校ではと言いますと、また「風邪ひき」さんが、増え始めました。この学校は小さいので、あるクラスで、一人、「風邪ひき」さんが出ますと(電話連絡か、寮の同室の学生が、職員室に言いに来ますから)、教員の誰もが知っているということになります。これも、暑かったり、寒かったりと気温が不安定だった9月に一回ありました。そして、確実に冬に向かって歩み始めたと見える今週からも、その「風邪ひき」さんの波がやって来そうな…予感がします。

 北国から来た学生達は、日本の寒さを気温だけで判断してしまいがちです。日本の寒さには湿度が伴うということがわからないのです。それで、冬になると気をつけろと具体的にどうすればいいかをいくら言っても、初めて日本の冬を経験するという学生達は一様に、「大丈夫です。私たちの所は零下10度。時には20度(彼らの所では、冬はマイナスが当たり前ですから、気温を言うのに、マイナスという言葉を付けません。ただの20度というのです)」と、日本の冬など、「へのカッパ」という態度をとります。

 ところが、冬になってしまいますと、彼らの口から「変だ。まだ零下じゃないのに。寒い」なんて言葉が洩れたりするのです。そのたびごとに、こう言ってはおかしいのですが、「畏れ入ったか。日本の冬を見くびるんじゃないよ」と言いたくなってしまいます。

 一方、南国から来た学生達は、湿度には慣れていますが、冬の気温というのが、なかなか掴めないのです。それで、どんなことをしてしまうかと言いますと、外出の前にシャワーを浴び、髪まで洗ってしまうのです。登校するときにも、冬の朝でも、これをします。そして、半乾きの髪のまま、冷たい風が吹きすさぶ中を、自転車を漕いできて、「寒い、寒い」と言ったりするのです。

 こういう学生には、「冬になったら、外出の前に、シャワーを浴びてはいけません。浴びても髪の毛が乾くまで外に出てはいけません。シャワーを浴びなくても、失礼ではありません」などと言っておかねばならないのです。彼らにとっては、外出の前にシャワーを浴びるというのがエチケットなのですから。

日日是好日
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「深まりゆく秋」。「学生に要求するとき」。

2010-10-18 07:16:53 | 日本語の授業
 あれ、もう月曜日です。まったく、土日は、今まで溜め込んでいた録画の整理に費やし、あっという間に終わってしまいました。今年こそ、秩父かどこか山里へ行きたいものだと思っていますのに、この分では、危ない、危ない。しかしながら、「今年こそ、行くぞ、行くぞ」です。これは、先に決意を固めておかなければなりません。行くぞ。

 さて、雑多なことに、時間も気もとられているうちに、秋は少しずつ歩みを速め、上着を着ねば新聞を取りに出るのが躊躇われるほどになっています。そう言えば、朝夕の虫の声は随分小さくなりました。耳をつんざくほどだったのが、かそけき音へと移り、そして何の気配もしなくなった…となるのでしょう。人よりもずっと短い時の生き死にを、繰り返しながら。

 とはいえ、その気になれば、日本ではまだまだ季節を愉しめます。お金がなくとも、時間がなくとも、愉しもうという気にさえなれば、愉しめるのです。ただ、その気にならなければ、あっという間に冬になり、そして、ああサクラが散ってしまったと嘆くと言うことにもなりかねないのですから、アブナイ、アブナイ。

 そう、学校の学生達も同じです。

 教師という職業の「都合の良い」ところは、「自分のことを棚に上げておかねばならぬ?」ということでしょう。本来ならば、自分ができない事は人に強要すべきではありませんし、自分でも躊躇うようなことは、相手の躊躇を素直に認めるべきなのでしょう。

 けれども、教師がそれをやったら、自分よりも教育程度が低い状態に学生達を追い込んでしまいます。いえ、追い込むと言うよりも、その境遇に甘んじさせてしまいます。

 それゆえに、「私は無理だけれども」とか、「私には出来ないけれども」という言葉はタブーなのです。教師が、自分にできないことでも、その学生ならできると思えればこそ、相手に強く言っているのであって、教師の方で、自分にはできないということを知ってさえいればいいのです。そのことを、忘れなければよいのです。そして、それをやり遂げた学生を「あなたはよく頑張った」と、すべてが終わった段階で、褒めればいいのです。

 この「忘れない」、そして、「頑張れた人を褒める」という姿勢さえ維持できれば、教員自身も、少しずつであろうとも、もちろん「浅く広く」か、「狭く深く」かは、その人の個性によるでしょうが、それなりに成長していけるのです。

 つまり、己の能力の限界というか、己の分際を肝に銘じておくということです。なにせ、人様に、自分のことを棚に上げて要求するのですから。

日々是好日
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「『読解力』、導入の仕方を考えなければ、多々ある理解できないこと」。

2010-10-15 10:18:17 | 日本語の授業
 今朝も雨です。昨日も、一昨日もそうでした。今日も一日、また同じような天気になるかもしれません。学生が来る頃から晴れるという…。 

 昨日のことです。
 『上級』の「ワークブック」を教えていた若い先生が、「う~ん」と唸りながらやってきました。「どうも学生達に、理解させられなかったような気がする。ワークブックに載っている問題は答えられるし、答えも正しい。けれども、他の内容を問うような質問をしていくと、答えられないのだ。とても理解できているようには思えない」と言うのです。

 彼女は、学生をよく見ていたからそれが感じ取れたのでしょう。授業の時に、お決まりの質問をし、それが答えられると、それで、めでたしめでたしという教師も少なくないのです。学生達が理解できていようが理解できていまいが、関係ないのです。構わないのです。教壇に立って、しゃべっることがすなわち授業であると、つまり自分だけの作業で終始しているのですが、それが授業であると、彼らは理解しているのです。

 日本人を教えるのも難しい。けれども、外国人に教えていく場合、特に『中級』後半からは、「単語の意味を言った。文法を説明した。彼らは解ったと言った」では済まされないのです。その「済まされない」というのは、学生がその文章を理解していく上での妨げになっているものが、文字からだけでは解決できないということなのです。あるときは、それが慣習によるものであったり、政治体制の違いによるものであったり、また、教育環境の違いであったりするのですが、それにしても、まず、学生が理解できていないと言うことを知らねばなりません。それが見て取れることが、教師としての第一歩なのです。

 「教育」と言いますと、去年、面白いことがありました。今年の卒業生の中に教育学に興味を持っている学生がいましたので、「ハナマル先生(朝日新聞の土曜版)」を切り抜いて見せたりしていました。どの先生の話だったのかは忘れてしまいましたが、いつものように彼女に渡し、私はそれなりで、他のクラスの授業に行ったのですが、戻りしなに、ふと自習室を覗くと、彼女を入れてあと二人、小さな頭をくっつけあって記事を夢中になって読んでいました。

 聞くと、「いいな、いいな。日本の小学生はいいな。幸せだな。私たちもこんなにしてもらいたかったな。こんな先生はいいな」と、異口同音に言うのです。

 もちろん、日本の小学校に勤めている教師の誰もが、そんなふうにできているわけではありませんが、日本の公立の小中学校であったら、教師は、そういう努力をすべきものであるという共通理解はあると思います。

 「有名大学に何人合格させた」という看板は、予備校や塾が掲げていることで、もし、そんなことばかり言っている公立学校があったら、誰もがおかしいと思うでしょう。教育とはそれだけではないと、生活一般があるじゃかいかと、そう思うことでしょう。私立や予備校や塾というのは、人が集まらなければお金がなくなると言うことですから、死活問題です。ですから、様々な手を使って、スポーツや勉強で人集めをします。

 けれども、有名大学に何人というのと、いろいろな勉強に興味を持ったり、おもしろがって、一人で調べたりできるようになるというのとは、まず根本的な違いがあります。結果だけを重視するのか、それとも過程の方も考えるのかということです。原因・理由、そして、ある程度の結果を導き出す過程あっての、成功であると、たとえ一見回り道のように見えようとも、そうするだけの忍耐力が教師にあるのかということにもなります。

 この「ハナマル先生」たちが教えている子供達は、特別な子供達ではありませんし、この先生達も英才教育を目指してやっているわけでもありません。ただ、どうやったら楽しく授業ができるか、そうやったら子供達に興味を持ってもらえるか、生き生きとした授業ができるかを、常に考えているという基本的な姿勢は共通しています。

 それで、いろいろな作業をさせたり、したりしているのです。最初は教師が始めても、子供達が面白いと思い、興味を抱いていけば、その授業は一人歩きを始めます。子供達の中から新しいアイデアが出てくるのです。そうしたら、自分の考えに固執することなく、そのアイデアに沿って授業をしていけばいいのです。彼らは柔軟性も持ち合わせていますから、授業の途中であっても、軌道修正ができるのです。それで、また新たな考えが生み出されたり、もっといい結果につながったりするのです。

 以前、学生達がこんなことを言って、私を驚かしたことがありました。
「自分の国の先生は、頭のいい学生とか、お金持ちの学生だけが大好きで、そういう人達を贔屓する」
「有名大学に自分のクラスから何人入れたかだけが大切。入れられたら、学校や政府からたくさんお金をもらえるから」
「父兄も、先生の給料の何倍ものプレゼントをしたり、お金をあげたりする」
「当然、先生は喜んでもらって、その子供に特別な待遇をする」

まるで、悪い私立学校です。

 日本で、教師として大学で養成された人間は、まず、子供の個々の才能を伸ばすように指導を受けてきますし、贔屓なんてとんでもない。もし贔屓と人に思われるような行為をしたら、すぐに学年主任や校長教頭から、指導を受けますし、「問題教師」という芳しからざるレッテルも貼られてしまうでしょう。それに、先生に、(自分の子供を)よくしてもらおうと思って大金をやったり、高価なものをプレゼントしたりしたら、もらった先生だけでなく、その人も、警察のご厄介になるかもしれません。

 何よりも、公教育では、(クラスの成績の)底上げが大切だと言われます。できない生徒をなくすることに力を注がざるを得ないのです。だから、日本では、できる子供は放っておかれて、それが反対に問題になったりするのです。「もっと勉強したいから、塾に行くしかないか」なんて思われて。クラス担任は、どちらかというと、問題児といわれる子供や、勉強ができない子供の方に手をかけなければなりませんから、勉強ができる子供や問題を何も起こさないこどもは、却って寂しいかもしれません。

 国によって、教育の目的も違いますし、学生に対する扱いも違います。何でもかんでも、一番、一番、一番。一番じゃなければだめだ。そして、有名校へ入学させるのだと、親が大枚の金をはたき、運良く、子供が有名校へ入学できたとしても、その後、その子供が国の財産の一つとみなされ、自由がなくなり、自分の好きなこともできなくなったとしたら、その子の人生というのは、また子の幸せを願うのが親だとしたら、この親はいったい何なのでしょうね。

 なぜ頑張ったりしたのでしょうね。「頑張ったから、できることが拡がった。世界が拡がった」というのではなく、却って「世界が狭くなり、可能性がなくなった」と言うことになるとしたら、それでも、人は、「有名校、有名校へ」と靡くものなのでしょうか。

 もっとも、こんな考え方をするようではだめですか。学生には「選択肢が拡がるよ」とか、「友達がたくさんいるよ」とか言って、大学を勧めているのですが。

日日是好日
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「秋雨」。「読解力」。

2010-10-14 12:05:49 | 日本語の授業
 今朝、窓を開けたとき(暗かったせいでしょう)、雨が降っているのに気がつきませんでした。外に出ようとして、初めて気がついたのです。階段が濡れています。そして、空気までしっとりと濡れているようです。今朝のような雨が、春先や秋の初めに降ると、いかにもそれらしくていいですね。紅葉や黄葉に色づけされた山の姿が瞼に浮かんできます。心がウキウキしてくるのです。ああ、どうしてこの地は山のそばにないのでしょう。

 アスファルトの上ではなく、黒い土の上に散り積もった落ち葉を踏んでみたくなります。柔らかく、ふっくらとした土のにおいがすることでしょう。

 といった、まあ、ない物ねだりをしながら、階段を下りていき、郵便受けを開けてみると、(新聞が)ビニールに包まれていません。ということは、新聞屋さんが配達に入ったときには、まだ、雨が降っていなかった…ということです。ふむふむ、そんな程度の雨だったのか…。

 エレベーターというのは、どうもいけませんね。私の住んでいるところにも、あることはあるのですが、重い荷物に泣かない限り、利用しようとは思いません。朝っぱらから、あの、ブウ~ンという音を聞かされると、一日がチャップリンの『モダンタイムズ』で始まったような具合になってしまいます。やはり、階段の方がいいのです。外の空気が少しでも吸えますし。

 こんな日が日曜であったら、しばらくベランダに出て、ウハウハしてもいいのですけれどもね。平日はそんなこともしていられませんけれど。

 さて、学校です。
「初級」のころは気づかなかったのですが、「中級」に入った学生達の読解力に問題があるということが分かってきました。文章を読んで、それなりの情景を思い浮かべるという訓練が、あまりできていないのです。おそらく小学校や幼児教育の段階で、そういう教育をされていなかったのでしょう。

 つまり、日本語学校で、そういう訓練もしていかなければならないということなのです。「中級」レベルというのは「読む」分野だけではなく、「聞く」分野でも、既に読解力を要する内容に入っていますから、同じことが問題になってしまうのですが。それに、「キーワード」を見つけ出すという作業も苦手のようです。少しずつ、コツを教えていかなければならないでしょう。

 国や民族によっては、国のレベルがそこまで行っていなかったり、そのことの大切さが教育現場でそれほど理解できていなかったりすると、(家庭でそれを期待できなければ)読解力に問題が生じてしまいます。これは本人が劣っているからというわけではないのです。

 ただ、そういう教育を既に受けており、来日後、日本語のレベルだけを上げればすむという人達に比べれば、かなり不利でしょう。私たちにしても、個人指導を加えなければ鳴りませんから、手間もかかります。が、なんといっても、学生の方が苦しいでしょうね。彼らの国では、このレベルでも、「可」とされていたわけで、何の問題もなかったのですから。

 もしかしたら、日本語学校で、読んだ後、図や絵を描かせたり、イメージを言葉にしてみたりといったことまでしなければならなくなるかもしれません。これはまず自分を解放させるという面でも大切な予行演習なのです、本格的な文章を読み出す前の。

 それでも、言葉の概念が入っていない人もいるのですから、まだましなのかもしれません。

 そういえば、こんな学生もいます。「非漢字圏」のある国から来ました。一年半ほどの間に、「二級」漢字まで、全て覚え、書けもします。文章も、(声に出して)読めます。一見、問題はないようですが、漢字一字一字は読めても、文章全体の意味がつかめないのです。担任が苦労しながら、質問していくと、(気体と液体についての文章だったのですが、まずそれらの)言葉の意味するものが、イメージできていないのです。だから、大きな固まり(500字程度でも)になると、誤解してしまうのです。

 本人は、焦ります。単語も覚えたし、文法も覚えた。その上、漢字も書けるし、読めもする。けれども…、問われても、答えられない。答えても間違ってしまう。自分は文章の意味が分かっていないのか…。いったい、あと、何をすればいいのだ…。

 このような場合は、来日するまでに、母国でどういう読み方をしてきたか、あるいは、指導されてきたか。また、国語算数理科社会音楽美術家庭科などの分野でどれほどの教育を受けてきたかということが関係してきているようなのです。日本語学校では、そういう文章に出くわしたときに、一歩一歩、穴を埋めていくしかありません。とはいえ、日本語学校で勉強できる時間は限られているのです。卒業するまでにできるだけのことはしなければならないのでしょうが、難しいですね。

 ですから、この学校では、できる限り、機会を捉えて、科学館や技術館へ学生達を連れて行っています。授業が切れるのはつらい(進度の関係です)し、外に出るわけですから、授業とはまた違った面倒なこともあります。しかし、そういうところで実際に見たり、させてもらったりして、母国では受けられなかった教育の、ある部分というものが補われるということもあるのです。それを通して、いざそれに関する文章を読んだときに、イメージでき、読解の助けになるということもあるのです。

 ああ、全く、仕事には、これで終わりということがありません。一つができるようになると、また別の「目」が見つかってしまうのですから。

日日是好日
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「秋の実りと動物たち」。「将来のことは誰にとっても未知数。決めつけないことの大切さ」。

2010-10-13 17:15:57 | 日本語の授業
 今朝、窓を開けると、地面が濡れていました。新聞を取りに階段を下りていくと、ポタリポタリと雫がまだ落ちています。たぶん、やんだのはそう前のことではなかったのでしょう。ところが、しばらく経ちますと、雨音が微かに聞こえてきました。今日、雨が降るなんていっていたっけと、お空に聞いてしまいました。もちろん、知らん顔でしたけれど。おまえなんかの知ったことかくらいの気持ちだったのでしょう、お空としては。

 新聞を開くと、野菜の高騰やら「クマ(熊)」の出没やらが、載っています。今夏の酷暑のせいでしょう。本当に暑かったもの、身動きが出来ないくらい暑かったもの。乳牛も暑さのせいで、アップアップ、牛乳の出荷量が減ったとか、そんなことが報道されていたのも、ほんの一ヶ月ほど前のことでした。

 クマとしましても、山に食べ物がなくなれば、当然、食べ物がある(人の所謂)里に下りてきます。里とは勝手に人間が呼んでいるだけの所で、彼らからすれば、かつては、そして今も、彼らの領分なのですから、堂々とやって来ます。そして、畑の作物を取ったり、庭の柿を食べたりします。切ないですね。人も田畑で耕作するには、時間も費用もかけています。

 クマと人との戦いは、力のある方が勝ちます。しかしながら、山の幸が少ないということは、クマだけでなく、「サル(猿)」も「シカ(鹿)」も、またその他の小動物にとっても食べ物がないということ。飢饉なのです。人はそれなりに手段を講じたりすることができますが、彼らはそれができません。他の天地を求めて移動することも、余所から食べ物を取り寄せることも出来ないのです。

 今年の冬をどうやって乗り切るのでしょうか、秋の実りが期待できないとなったら。

 テレビの天気予報では、今日一日ぐずつくと言っていました。が、何のことはない、学校に着く頃には、いいお天気になっていました。陽が射しているところは暑く、汗ばむほどです。最高で24度くらいと言っていましたが、体感温度としてはもっと上でしょう。秋の味覚が例年のように楽しめるには、まだ少しかかりそうです。下手をすると、その前に冬が来てしまうかもしれません。

 さて、学校です。
昨日、大卒の学生に進路のことで話しかけてみました。国によっては、大学を卒業した後、よほどのコネがない限り、(母国で)就職が難しいところもあるのです。彼らが考えているのは、日本で大学院に入って、それから母国に戻り、どこかの大学か短大の教師になれればという、それだけなのです。

 私たちとしては、せっかく日本に来て、いろいろなものを勉強できる環境に、今、いるのです。そういう自覚をもう少し持って、自分の将来を、弾力的に考えてもらいたいのですが。

日日是好日
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「虫の話から、命の話へ」。

2010-10-12 06:20:09 | 日本語の授業
 まだ暗い空に、それよりも一層黒い雲が、広くかかっています。これが、太陽が地平線上から上がるや否や、明るい世界へと変貌を遂げてしまうのですから。お天道様には、どんなに足掻いたとしても、地球上の生き物は、かないっこありません。

 神や仏と言ってもいいし、もしかしたら、単なる太陽と言ってもいいのかもしれませんが、もの皆すべて、地球上の生き物、すべての急所を握っているのは、この太陽なのです。それなのに、太陽もまた生まれたというのです。ビックバンの話やら、宇宙が膨張を続けている話やらを聞いたり、見たりしますと、自分が、未だ、天上の宮殿から地上を見下ろしていたギリシアの神々の方にずっと近い存在だと感じさせられてしまいます。

 映像や話などで聞くことはあっても、そして、そうなのかと思うことはあっても、まだまだ感じるには至らないのです。その点では、地を這う虫と変わらないのです。

 この連休は「地球上の生き物、生き物」で、テレビは明け暮れました。それを見ながら、日本の小学校の教育というのはすごいと改めて感じさせられました。

 外国人に、虫の話などをすると、すぐに「日本人は、虫を食べる」と、すぐそういう方向へ行ってしまうのです。中には、「だから日本人は気持ちが悪い。自分達はそれをしないから、優れている」と暗にほのめかす輩さえいるのですから。そんな理屈があるのかと思うのですが、思い込みの強い民族、また「自分達至上主義」が習いとなっている民族というものはいるようで、決して譲りません。

 もちろん、時間があれば(この学校に、一年ほど通っていれば、自然に変わるでしょう)譲らせることも出来ますし、その方が、(日本にいる限り)彼らのためになると思うのですが、こういう人たちの大半は在日なのです、留学生ではありません。在日者で、しかも年が長けている人は、なかなか自分の考えを変えません。注意はしますが、それで、だからといって、彼らは困るわけではなく、自分の方が優れていると辺りを睥睨して、終わるだけなのです。周りは嫌な気分になりますし、迷惑なのですが、そういうことに気づく人たちでもなく、本人は至って満足しているのです。

 日本にも、伝統的に「イナゴ(蝗)」を食べてきた地域はあります。今は、一見、豊かに見える日本も、かつては日照りや豪雨で食べ物がない時代がありました。しかも、数年に一度は大飢饉に見舞われていたのです。そのころの人は何でも食べられるものは食べていました。最初に食べた人は勇気があったのでしょうが、それがいつの間にか伝統となりますと、様々な味付けがなされるようになってきます。

 日本を理解しようとするなら、ただ「食べる」と、自分にとって好奇な方へ目を向けるのではなく、「(虫を)愛ずる」という習慣の方へも目を向けて欲しいのです。「生き物を愛ずる」と言う教育にかけては、日本はたいそうなものだと思います。私が中国や日本で知り合った多くの国の人の中で、日本人ほど「虫を愛ずる」民族はいないと思います。もちろん、「ゴキブリ」と聞いて逃げ回る人や「クモ(蜘蛛)」が苦手だと言う人は、います。けれども、「カネタタキ(鉦叩き)」や「コオロギ(蟋蟀)」、「カブトムシ(甲虫)」や「クワガタ(鍬形)」、「セミ(蝉)」や「トンボ(蜻蛉)」など、99.9%以上の日本人の心の中に、しっかりと存在しているのです。子供時代の仲間として。

 これが、なかなか外国人には判りません。私なんぞも、こう言うと嫌われてしまいそうですが、幼稚園の頃は趣味で「毛虫集め」をしていました。今は触りたいとも思わないのですが、毛虫がきれいな虫に思えたのです、毒虫に出くわして、やられるまでは。

 それでも、今でも、山里に行って珍しい色の毛虫を見かけると、しばし見入ってしまいます。彼らが物凄い勢いで、緑の葉を食べている様子がとてもかわいく思えるのです。当然のことながら、害虫として殺さねばならぬ時もあります。その時もたじろいだりはしません。対等の者としてそれをします。命を奪うのですから、ごめんねとは言いますが。

 中学校の時のことです。生物クラブでしたので、よく先生が実験をしていました。そのため、「カエル(蛙)」を皆で集めていたのです。雌は生かし、雄は殺します。それを見て、「かわいそう」などと言おうものなら、先生が猛反発して、「草も樹もゴキブリもすべて命です。生きています。あなたは毎日ご飯を食べるでしょう。その時、かわいそうなんて思っていますか。向こうから見れば、あなた達の方が鬼です」。

 生きているということに関しては同じ。ただ様々な面で人は強者となりました。そのままだと、身を寒さから守る毛も生えていませんし、闘うための大きな歯も鋭い爪もありません。走って逃げるにしても、直ぐに疲れてしまいますし、それほど速くは走れません。弱い動物が持っている木に登り逆さになるという能力も、泳いで逃げる力も、強い動物を追い払う毒も持っていません。

 それなのに、今は大半の動植物を殺して食べることが出来るのです。

 これは、やはりおかしいことなのでしょう。おかしいと感じられることには、必ずどこか無理があります。無理を重ねれば、滅びの道に落ちてしまいます。

 だから今、他の生き物と同じような生き方に少しでも戻っていこうというのでしょうし、かつての自分達の姿を思い出そうというのでしょう。

 仏教では、神が「人が生きていくために動物を作った」という考え方はないと教わってきました。命はすべて同じ、軽重はありません。その点からいきますと、命があるものは、皆平等で、草も樹も虫も、皆、人と同じということになります。そしてその中で戦いをしているのです。生きるためには食べなければなりません。そのためには他者を殺さなければなりません。

 生き物は生き続ける限り、殺生をやめるわけにはいかないのです。思えば、生き物というのは、その存在自体が罪深いものであります。

日々是好日
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「秋晴れ」。「親の経済力、信用度」。「柿が熟していくように」。

2010-10-11 10:16:45 | 日本語の授業
 今朝は晴れ。快晴です。しばらく、曇りか雨の日が続いたものですから、こうも、名の通りの秋晴れになりますと、カーテンを揺らす風にもハッとしてしまいます。

 秋というのは、長雨が続くという印象もあれば、爽やかな晴れの日が続くという思いもあります。夏は、照りつける日差しと夕立…だったのですが、今年は違いました。酷暑が続き、片割れの夕立が消えていたのです。そんなわけで、秋までおかしくなっているような気がしていたのですが。

 ただ一雨ごとに涼しくなるというのは、今年は違っているようです。昨日昼過ぎごろに雨は止んだのですが、途端に、ムシムシしてきましたから。今年は冬が来るのが早いと聞いていましたのに、それでも、一直線に冬に至るというわけにはいかないのでしょう。

 学生達と二三日離れていると、彼らの日本での生活の「大変さ」に、思いが至ってしまいます。これはあまりいいことではないのです、教師という職業に従事する者としては。こうなってしまいますと、ついつい厳しい要求を出すことが出来なくなってしまい、手綱を緩めてしまうのです。そして、結局は「彼らのためにならない」ことになってしまうのです。

 毎日のように顔を合わせていれば、そこは習慣で厳しくのぞめます。また、反対に、長期休みですと、課題を出してありますから、それが出来なければ、という具合に、心理作戦で、こんなことにはならないのですが。

 彼らは、来日後は、ほとんど日本語が聞き取れない状態で、毎日、日本語だけの授業を受けなければなりませんし、寮に戻っても、しばらくは、知らない者同士の緊張が続くでしょう。一二週間で、それが一段落すると、今度は生活費や学費のためにアルバイト捜しです。アルバイトがすぐ捜せれば、まあ、そこで一息つけるのですが、そうでなければ、持って来たお金が物凄い勢いでなくなっていくのをぼんやりと見ているしかないのです。

 日本と、学生達の母国とは、物価が違うのです。初めは、大金を手にしているつもりで、日本でも買い物してしまうのですが(これは彼らが母国にいるときに、物価のことは連絡が行っているはずなのですが、でも、来るまでは、実際のところは判らないのです)、いざ、自分の国のお金にして計算してみると、「魂消てしまう」ようなのです。あれだけたくさんあったお金が、あっという間になくなってしまうわけですから、それは「ビビリ」ます。

 アルバイトが三ヶ月、四ヶ月、半年経っても見つからなければ、勉強にもだんだん身が入らなくなってきます。彼らをこの学校に留学させたいとやって来たときには、金銭的な援助はすると言っていた兄弟親戚達も、すでに結婚していれば、なかなか十分なお金を出してはやれないようです。その結果、学生自身の力で何とかさせることにもなりかねません。

 高校を出たばかりで、働いたこともない、しかも日本語の力もない学生に、一人でそれをやれと、期待するのは、土台無理です。お金の問題が解決せぬまま、「大学へ入るための学費・入学金も自分で稼げ。大学も良い大学に入れ」というのは、無い物ねだりに近いのです。

 高校を出たばかりで来日した学生達の多くは、学びたいものがあるわけでもなく、ただ他の多くの者のように、「大学へ行きたい」だけなのですから。

 日本人だったら、アルバイトでお金を貯めて、それから外国へ留学するということもできるでしょう。けれども、こういう(日本語学校に留学生の資格で来ている)学生達の母国は、日本とは全く違います。だいたい仕事がないのです。当然、アルバイトなんてありません。また、運良く、アルバイト出来たとしても、日本と同じくらいのお金はもらえませんから、貯めることもできないわけです。だから、両親の力、或いは一族の力が必要になってくるのです。

 前にバングラデシュから来た学生がいました。聞くと、「一族が金を出し合って自分を留学させてくれた」と言いました。「父が羽振りがよかった頃は、父が一族の中で金が必要な者に援助していた。だから、これはお互い様だ」と言うのです。彼の場合は、しっかりした一族のようでしたから、収入が十分ある者も一人や二人ではなかったのでしょう。

 一族に頼る者もいれば、近在の知人に頼る人もいます。こういう国では、アルバイトで留学するための資金を稼ぐことも無理ですし、銀行を利用するという考え方もあまりないようです。お金が必要になったら、知人縁者に借りると言います。多分、担保は家であったり、土地であったりするのでしょう。留学を目指すような学生の家は、現金収入こそ少なくとも、立派な家や十分広い土地は、皆だいたい、持っているのです。そこが日本とは違う所なのですが。

 親にそれだけの経済力、ないし他者からの信用があれば、それが資本となって、子供は日本でも何とかできるのでしょう。

 ただ中国でも、それからネパールなどの国でも、学生達には、以前のようなガッツが見られないのです。平均的に「いい子」なのですが。現実に負けてしまう例が少なくないのです。最初は良い大学を目指していても、途中で「大学ならどこでも良い」に変わり、次に「金が安い方がいいから短大へ、或いは専門学校へ」と変わっていきます。多少言語能力に差があっても、皆、普通の人たちです。無理に頑張らせて、行かせても長続きしません。どこかでプッツンしてしまうのです。本当に大学を望んでいる学生は、短大や専門学校卒業後、「大学に行きたいから教えてくれ」とやって来ます。

 以前、日本語力は少し足らなかったけれども、頑張れば大学で伸びるのではないかと思われた学生が何人かいました。しかし、大学をちゃんと卒業できたのは一人だけ。後の学生は、やはり無理だったのです。無理に大学を受けさせても、いざ大学へ行って勉強する段になると、難しいと、諦めてしまうのです。その中で、待つということがやはり出来なかったのです。大学の先生方も努力してくださっていたようでしたが。

 大学へ行きたいと心から願っていれば、卒業時には無理でも、短大か専門学校へ行き、力をつけてから、やり直すこともできます。それを待っていて方がいい場合もあるのです。何事も無理強いはいけないのです、たとえ本人のためを思ってのことであっても。自然に柿が熟していくように、それを待つのも教員としての仕事なのかもしれません。

日々是好日
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