先日の奄美大島の、台風による被害は他人事ではなく、日本ではいつ何時、どこの地方でも台風による被害は起こります。
私がまだ若い頃、(梅雨期がなく、通台風の進路に当たらないと言われていた)北海道を台風が通過し、大きな爪痕を残しました。一面泥水に覆われた北の大地が、ニュースで流され、皆、驚きを以て見つめていたことを思い出します。
この台風は、今夏の酷暑と関係があるのでしょうか。夏の終わりを味わえず、秋もそれとわからぬ間に去っていこうとしている今日この頃、つまり、もう冬に入ったかのように思われるときに突如襲って来ようとしているのです、列島を。奄美大島はたまりません。一難去ってまた一難。しかも息つく暇とて与えられていないのですから。
その上、ゆっくりとゆっくりと歩んでいるような、しかも、その視野には日本列島全体が含まれているような、そういう感じがするのです。
日本人は、「美しい大地」と「人の貴い命」とは、同価であると受け取ってきたような気がします。アメリカ軍が日本に攻め寄せ、日本がアメリカに白旗を揚げてからこの方、ほとんどの日本人の目に自国の軍の姿は映ってきませんでした。自衛隊もテレビなどの映像で見るだけでした。
私の「ふるさと」には、自衛隊の基地がありました。けれども彼らの移動は主に真夜中に行われているようでしたし、その姿を見たという記憶はありません。
アメリカに負けてから、とにかく日本の、軍に相当する力は、まだどの国の軍隊とも戦っていませんし、その尊い命を奪ってもいないのです。外国で暮らす日本人にとって、これほど心強い援護射撃はありません。そのまま、自分達の命や財産、尊厳を守ってくれていることに繋がるのです、このことは。
「戦に勝つことが強い」のでも「国民を守る」ことでもないのです。いわゆる「軍に期待されているような行動」を採らなかった「勇気」が、ある時には、多くの異国の人達に感動を与えたり、また異国で暮らす日本人の安心感にも繋がったりしているということを、もっと考慮すべきだと思うのです、日本で暮らす日本人は。
人は派手なパフォーマンスに惑わされることもありますし、大声につられてしまうこともあります。繰り返し、繰り返し、言われてしまえば、まるで操り人形のような行動をしてしまうこともあります。けれども冷静になれる時間と有識者の助言があれば、我に返ることができるのです。
人が「愛国」と口にするとき、その人の心にはいったいどういう作用が起こっているのでしょうか。
日本人は「愛国心」と「ふるさとや人を愛おしむ気持ち」というのに、微妙な差をつけます。
今年の4月、来日したばかりのベトナム人学生が、朝、よく、具合を悪くしていました。中でも、じっとうつむき、問うても力なげにしか返答できなかった日には、必ずといっていいほど、自習室でコンピュータをいじっていました。
それで問い詰めていくと、「お母さんに会いたい」と言うのです。もともと母恋しさがあった。耐えかねて母とネットで連絡してしまった。帰りたさが募る。でも帰れない、帰ってはいけないと母は言う。帰ってはならない、それは判っている。でも帰りたい…で、体調を崩してしまっていたのです。
去年、ネパールから来た学生にも、それと同じようなことがありました。成田に着いた学生には、(たとえ疲れていても、すぐに学校へ連れて来て)無事についたと国の親御さんに連絡させているのですが、彼の場合、なかなかお母さんに繋がらなかったのです。電話が通じても、出て来るのは叔父さんとか従兄弟。まあそれなりに連絡はできたので由としなければならないのでしょうが、その都度、鼻の先に涙の粒をつけているような具合でした。
それが、ある日、突然お母さんと繋がったのです。学校でも、彼の様子を見かねて、お母さんと話せるまで、何回も電話をかけさせていたのですが。やっとお母さんと話していたときの、彼の嬉しそうなこと。歓声ともとれるような大声をあげて、うれしそうに私たちの方を見て、「お母さん」と言ったのです。
それから、ツンととり澄ましていたような表情が、一変したのを覚えています。
日本語で、「愛国心」とか、「愛国心教育」とかいった字を見たり、聞いたりしてしまいますと、何やら「きな臭さ」を感じてしまいます。これは私一人だけのことでしょうか。
誰にもふるさとを思い、郷土の人々を愛おしむ心はあります。それをなぜ特別に言わなければならないのか、しかも他者よりも己のそれが、あたかも勝っているかのように言わねばならないのか。
心とは、本来、比較することなど出来ないはず。大声で殊更に叫んでいる人の方が、静かに沈黙を守っている人より、他者に対する慈しみ、想いがあるかというと、おそらくはそうではないでしょう。
他者を想い、ふるさとを想うという、その心は、親を想い、親戚を想い、友を想い、そして、それらに関係する人たちを想い、そしてふるさとを想い…と、ドンドンドンドン広がっていくはずです。人は小さい存在だけれど、その心は宇宙よりも広いと言われているではありませんか。
それが、他国の友人でもできれば、その人の両親への想いを、自分の両親への想いと重ね合わせて、わかり合っていくことでしょう。結局人は皆同じなのだと。そうやっていけば、「愛国心とは、いったい、何ぞや」と言うことになってしまうはず。
自分の標榜する「愛国」の情が、他者のそれよりも優れていると言い募ってみたり、声高に叫んだり、或いは他者のそういう心を貶めたりするのは、却って逆に、その人の「愛国」の狭小さ、卑しさを露わにしているのではありますまいか。
「愛」とか「想い」とか「愛おしさ」とかいったものは、口にすべきことではないのです。口にしても、とにかく「もったいぶって」やって、然るべきものなのです。大切なものは心深くに鎖して、「仇や疎かに」他人になど「みせてやるべきものかは」くらいの気概があって然るべきなのです。
それを、「わああ、わああ」と公衆の面前でこれ見よがしに喚くなど、愛の心を深くに持っている人に出来ることでしょうか。おそらく、この人の愛は「公用」のものであって、「個人」のものではない、そんな気さえしてくるのです。怖ろしいことですが。
子供の時から、「本当に大切なことは、口にしてはいけないよ。言ったら、失われてしまうから」。どこで誰が訊いているかもしれないから(この「誰」というのには、禍々しき神も含まれています)、その存在に奪われてしまうかもしれないということなのでしょう。これは、古来から言われてきた、言霊信仰と関係があるのかもしれませんが、口の端に上せる時には、それなりの覚悟がいるのです。
学生達に日本語を伝えているとき、「日本人同士だったら、こういうことは言わないし、口にするのは気恥ずかしいなあ」と思うことがあります。けれども、それを説明していかねば、おそらく彼らは何年日本に住んでいようとわからぬままでしょう。
「ひらがな」で書いた方が気持ちが表せる場合と、「漢字」が似合う言葉など、日本語は思いの外に複雑でナイーブなものなのです。
日々是好日
私がまだ若い頃、(梅雨期がなく、通台風の進路に当たらないと言われていた)北海道を台風が通過し、大きな爪痕を残しました。一面泥水に覆われた北の大地が、ニュースで流され、皆、驚きを以て見つめていたことを思い出します。
この台風は、今夏の酷暑と関係があるのでしょうか。夏の終わりを味わえず、秋もそれとわからぬ間に去っていこうとしている今日この頃、つまり、もう冬に入ったかのように思われるときに突如襲って来ようとしているのです、列島を。奄美大島はたまりません。一難去ってまた一難。しかも息つく暇とて与えられていないのですから。
その上、ゆっくりとゆっくりと歩んでいるような、しかも、その視野には日本列島全体が含まれているような、そういう感じがするのです。
日本人は、「美しい大地」と「人の貴い命」とは、同価であると受け取ってきたような気がします。アメリカ軍が日本に攻め寄せ、日本がアメリカに白旗を揚げてからこの方、ほとんどの日本人の目に自国の軍の姿は映ってきませんでした。自衛隊もテレビなどの映像で見るだけでした。
私の「ふるさと」には、自衛隊の基地がありました。けれども彼らの移動は主に真夜中に行われているようでしたし、その姿を見たという記憶はありません。
アメリカに負けてから、とにかく日本の、軍に相当する力は、まだどの国の軍隊とも戦っていませんし、その尊い命を奪ってもいないのです。外国で暮らす日本人にとって、これほど心強い援護射撃はありません。そのまま、自分達の命や財産、尊厳を守ってくれていることに繋がるのです、このことは。
「戦に勝つことが強い」のでも「国民を守る」ことでもないのです。いわゆる「軍に期待されているような行動」を採らなかった「勇気」が、ある時には、多くの異国の人達に感動を与えたり、また異国で暮らす日本人の安心感にも繋がったりしているということを、もっと考慮すべきだと思うのです、日本で暮らす日本人は。
人は派手なパフォーマンスに惑わされることもありますし、大声につられてしまうこともあります。繰り返し、繰り返し、言われてしまえば、まるで操り人形のような行動をしてしまうこともあります。けれども冷静になれる時間と有識者の助言があれば、我に返ることができるのです。
人が「愛国」と口にするとき、その人の心にはいったいどういう作用が起こっているのでしょうか。
日本人は「愛国心」と「ふるさとや人を愛おしむ気持ち」というのに、微妙な差をつけます。
今年の4月、来日したばかりのベトナム人学生が、朝、よく、具合を悪くしていました。中でも、じっとうつむき、問うても力なげにしか返答できなかった日には、必ずといっていいほど、自習室でコンピュータをいじっていました。
それで問い詰めていくと、「お母さんに会いたい」と言うのです。もともと母恋しさがあった。耐えかねて母とネットで連絡してしまった。帰りたさが募る。でも帰れない、帰ってはいけないと母は言う。帰ってはならない、それは判っている。でも帰りたい…で、体調を崩してしまっていたのです。
去年、ネパールから来た学生にも、それと同じようなことがありました。成田に着いた学生には、(たとえ疲れていても、すぐに学校へ連れて来て)無事についたと国の親御さんに連絡させているのですが、彼の場合、なかなかお母さんに繋がらなかったのです。電話が通じても、出て来るのは叔父さんとか従兄弟。まあそれなりに連絡はできたので由としなければならないのでしょうが、その都度、鼻の先に涙の粒をつけているような具合でした。
それが、ある日、突然お母さんと繋がったのです。学校でも、彼の様子を見かねて、お母さんと話せるまで、何回も電話をかけさせていたのですが。やっとお母さんと話していたときの、彼の嬉しそうなこと。歓声ともとれるような大声をあげて、うれしそうに私たちの方を見て、「お母さん」と言ったのです。
それから、ツンととり澄ましていたような表情が、一変したのを覚えています。
日本語で、「愛国心」とか、「愛国心教育」とかいった字を見たり、聞いたりしてしまいますと、何やら「きな臭さ」を感じてしまいます。これは私一人だけのことでしょうか。
誰にもふるさとを思い、郷土の人々を愛おしむ心はあります。それをなぜ特別に言わなければならないのか、しかも他者よりも己のそれが、あたかも勝っているかのように言わねばならないのか。
心とは、本来、比較することなど出来ないはず。大声で殊更に叫んでいる人の方が、静かに沈黙を守っている人より、他者に対する慈しみ、想いがあるかというと、おそらくはそうではないでしょう。
他者を想い、ふるさとを想うという、その心は、親を想い、親戚を想い、友を想い、そして、それらに関係する人たちを想い、そしてふるさとを想い…と、ドンドンドンドン広がっていくはずです。人は小さい存在だけれど、その心は宇宙よりも広いと言われているではありませんか。
それが、他国の友人でもできれば、その人の両親への想いを、自分の両親への想いと重ね合わせて、わかり合っていくことでしょう。結局人は皆同じなのだと。そうやっていけば、「愛国心とは、いったい、何ぞや」と言うことになってしまうはず。
自分の標榜する「愛国」の情が、他者のそれよりも優れていると言い募ってみたり、声高に叫んだり、或いは他者のそういう心を貶めたりするのは、却って逆に、その人の「愛国」の狭小さ、卑しさを露わにしているのではありますまいか。
「愛」とか「想い」とか「愛おしさ」とかいったものは、口にすべきことではないのです。口にしても、とにかく「もったいぶって」やって、然るべきものなのです。大切なものは心深くに鎖して、「仇や疎かに」他人になど「みせてやるべきものかは」くらいの気概があって然るべきなのです。
それを、「わああ、わああ」と公衆の面前でこれ見よがしに喚くなど、愛の心を深くに持っている人に出来ることでしょうか。おそらく、この人の愛は「公用」のものであって、「個人」のものではない、そんな気さえしてくるのです。怖ろしいことですが。
子供の時から、「本当に大切なことは、口にしてはいけないよ。言ったら、失われてしまうから」。どこで誰が訊いているかもしれないから(この「誰」というのには、禍々しき神も含まれています)、その存在に奪われてしまうかもしれないということなのでしょう。これは、古来から言われてきた、言霊信仰と関係があるのかもしれませんが、口の端に上せる時には、それなりの覚悟がいるのです。
学生達に日本語を伝えているとき、「日本人同士だったら、こういうことは言わないし、口にするのは気恥ずかしいなあ」と思うことがあります。けれども、それを説明していかねば、おそらく彼らは何年日本に住んでいようとわからぬままでしょう。
「ひらがな」で書いた方が気持ちが表せる場合と、「漢字」が似合う言葉など、日本語は思いの外に複雑でナイーブなものなのです。
日々是好日