日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

今日は大掃除。今日から1月4日まで学校はお休みです。学生は1月7日からです。

2015-12-25 09:21:40 | 日本語学校
晴れ。

今日もきれいな青空です…と言いたいところですが、雲が出てきましたね。

昨日もお天気が、変でした。朝は寒く、冬至も過ぎたし、「これから寒さも本格的になるぞ」と身を引き締めましたのに、それなのに、11頃になると、まるで春…。コートを着て外に出た私が、ちょっと間抜けみたい。汗を掻いてしまいました。

さて、学校です。

昨日も昼過ぎから大忙し。今日が学校の大掃除の日とあって、昨日のうちにやってしまいたい学生も紛れ込んでいたのでしょう。

上下水道代、電気代、ガス代などの通知と同時に、一人いくら(寮の部屋ごとに、担当の教師が一人分を出し、学生達に渡しています)と書かれた紙を取りに来た人。

勉強に来た人。

大学の事前テストをやりに来た人。

専門学校の合格を報告に来た人。

寮費を払いに来た人。

専門学校の出願書類を書きに来た人。

帰るに帰れず、結局1時間ほども付き合ってしまった教員もいました…こちらが気づかず申し訳ない…。

勉強に来た学生と話しているとき、一つ、大きな誤解を、彼がしていることに気がつきました。

彼は本来農業を学びたい…だったのですが、日本の農業大学の入学試験には(留学生用なのに)英語があるのです。彼は英語はやっていない…で、他を専攻することにしたのですが、つまり(農業)経営です。

そして、話しているうちに、「日本では農業はどこへ行ったら、見られますか」と聞かれ、一瞬、言葉に詰まってしまいました。

「千葉県にも農業をしている人がたくさんいますよ。沿岸部には漁業をしている人もいるけれど、千葉県は大きな山もないし、農業県と言ってもいいでしょう」
「ええっ!見たことがありません。どこにいますか。船橋もビルや家や、車ばかりだし…」

彼は、農業をしている人を見たことがない…。千葉県には農業をしている人がいないと思っている…。

羽田空港ならいざ知らず、成田空港へ新しい学生を迎えに行くときには、電車の中から、農業地帯が…というか、田園地帯が見えるはず…それなのに、それと農業とを関連づけていないとは…。

しかしながら、そう言われてみれば、確かに働いている人は見受けないですね。私も、毎週、埼玉へ行っているのですが、だんだん田舎の光景になりはしても、そこで働いている人というのはほとんど見かけたことがない。だから、彼がそう思うのもしようがないことなのかもしれません。

来年の授業の時に、できれば、とりためたDVDの中から、関連のあるものを見せていき、誤解が解けてから…卒業と言うことになれたら良いのですが。

ところで、今日の大掃除が終わったら、学校はお休みです。一月四日から教員は出勤します。学生達は七日からです。

日々是好日

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一応、今日は「クリスマスイブ」なんですけれども…。

2015-12-24 10:36:51 | 日本語学校
今日は「クリスマスイブ」です。けれども、ここはのんびりしています。

曇り、昨夜は雨が降ったようです。地面がかなり濡れていました。

時々なのですが、ズレるのです、天気予報と。短めですね。雨が六時からと言っても、8時からであったり、午前中と言っても、6時頃には止んでいたり…。

とはいえ、今日はかなり寒い。昨日も寒かったけれども、かなり寒い。最低気温が7度で、最高気温はお日様が顔を出した時で13度となっていますが、今はまだ10度にも達していないでしょう。

学生達の行動半径は思いの外広いようで、「安い服を教えてください」と学生に聞かれて、(私が)戸惑うと、他の学生が「どこそこが安い。今、バーゲンだから」とか、「いやいや、あっちの方が安かった」とか言ってくれるので、安心。私の出る幕はありません。

アルバイト先が少し遠くになると、それだけ、彼らの知識も増えていくようで、東京方面がアルバイト先だと、その路線が彼らの縄張りになり、船橋方面がアルバイト先だと、そちらが縄張りとなる…。

(アルバイトが)終わってから、ブラブラしたり、あるいはちょっと前に行って、店を覗いたり、今は「駅チカ」が充実していますから、それも楽しいでしょうね。けれども、ほしいからといって、安易にお金を使ってはいけません。外国で勉強するにはお金がかかるものです。まして、進学しようと思えば、それなりに貯金もしなくてはなりません。

それが判ることから、自立した留学生活が始まるのでしょう。

日々是好日

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やはり、(ウサギさんより)カメさんの方が、うまくいくみたい…。最初はトロいと思われても。

2015-12-22 12:06:33 | 日本語学校
晴れ。

上天気です。昨日は曇りがちの空だったので、ちょっと気分も曇りがちだったのですが、今日はスッキリ!といったところです。早朝は星も数えられるほどでしたが…見えました。町はクリスマス気分で(ネオンが灯り)明るいので、こういう光に消されてしまう部分もあるのでしょう。もし、町のネオンが皆消されていたとしたら、もっとたくさんの星たちが見えるでしょうね。

さて、学校です。

昨日は、計四人が学校に来ました。
最初に来たのは三人です。一人は寮費を払いに。一人はアルバイト先に長期休暇の証明を出したいからと。この二人は7月生と10月生です。そして付添に二年生が一人。
午後は一人が勉強に。でも勉強は…「私一人だけ…」と、とても不安そうでした…。

何ででしょうね。いつも思うのですが。授業の時と、こういう時とでは、表情が全く違うのです。懐かしいのかなあ。一日でも余分に顔を見ていないと新鮮に映るのかなあ。勉強しなくて良いから、普段通りの、つまり地の顔に戻れるのかなあ。

というわけで、来た人は皆、とてもうれしそうにやって来て、うれしそうに話して、うれしそうに帰っていきました(うれしそうに帰るのはよく判るのですけれども、他がね)。「勉強するんだぞ」みたいなことは言ったのですが、それとても、何だか良いふうに受け取ったみたい。言われたからといって、がっくりとはこないのです。

こうなると、私の方でも厳しいことは言えませんね。「よかったよかった。うれしそうに帰っていった」で、何だか、心がほのぼのとしてきます。何せ、(最初に来た三人のうちの二人は)「一年生」ですからね。しかも、ベトナム人の、ヒアリングが悪い部類に入る人たちで、授業中は聞き取れないと、それはそれは難しい顔をしてしまうのです。

特に、その中でもヒアリングが悪い一人の学生は、私の言った「勉強」が聞き取れたらしく、この「音」に甚だしく反応していました。私が言うたびに「おっ」という顔をして、喜ぶのです。「判るぞ、わかるぞ」といったところでしょうか。よかったね。しかも彼は、レストランのキッチンで働けることになったらしく、それを気遣う私に、「大丈夫」のポーズ。

付き添いの二年生が、宅急便の仕事でも「彼は本当によく働く」と褒めていました。それを察知したのでしょう。またガッツボーズ。

聞き取れないと勉強する気をなくしたり、日本にいることに意味を持てなくなったり、マイナス方向に進みがちなので、「ヒアリング」が悪い学生は特に要注意なのです。

もちろん、それでも、これまでの学生の中には、(ヒアリングが)劣っている分を漢字で補い自信を取り戻していた人もいました。ヒアリングなんて、苦手な者も結局は時間が解決してくれるものですから、実直に勉強しているうちにどうにかなるものなのです。…が、それまで我慢が利かない人も少なくないのです。

スリランカの人は、アルバイトで日本語を覚える人が少なからずいて(基礎は国で、やってきています)、日本での長期休暇が終わると、急に流暢に日本語を話し出したりするのです。「流暢に」といいましても、文法は「初級Ⅰ」(N5)レベルなのですが、使い回しがうまいのです。単語はアルバイトで必要な言葉だけですけれども。

だから、日本語学校の教師などは、「ああ、また」とがっかりしてしまうのですが。

これで通用してしまうと(アルバイトでお金は稼げますし、そこではそれなりに重宝されてしまいますから)、もやは地道に勉強しようなどという気持ちにはなれません。大半が、目的がそれほどあるわけではありませんし……。真面目だけれどもなかなか話せるようになれないベトナム勢を見て、優越感に浸る人も出たりします。もっとも、半年が経ち、一年が経ち、一年と半年が経ち…などしますと、コツコツと漢字の勉強をしてきたものの方が勝ちます。なんと言いましても、漢字交じりの本が読めるのです。

やはりウサギさんには限界があるのでしょう。「テキトー」にすることに慣れてしまうと、そこから先へは…なかなか行けません。

カメさんになれというわけではありませんけれども、やはりカメさんの方が、強いかなあという気がしてきます。特に、卒業を控え、進学先にあたふたとしている人を見るにつけ…。

日々是好日

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先週の金曜日は「ディズニー・シー」へ行って参りました

2015-12-21 10:16:37 | 日本語学校
曇り…のち、薄曇り。時々晴れ。

寒いとはいうものの、まだ手袋は必要ないようですね。

先週の金曜日。皆と一緒に「ディズニー・シー」へ行って参りました。

本当に良いお天気で、リゾート内のモノレールに乗るとすぐに、雪をかぶった「富士山」がくっきりと浮かび上がって見えました。皆(特に10月生)が大きな歓声を上げたのもわかります。初めて見たら、「おお、あれがフジサンか」となるでしょう。日本人だって初めて見たときは、「おおっ」となりますもの。

もっとも、すぐに右側に見えてきた海の方へ目は移っていったようでしたが。青い海と青い空。それほど寒くはなかったので、皆ウキウキしていました。

ディズニー・シーステーションで降りて、皆が揃うのを待ちます。ほとんど時間通りに来ていましたが、遅れて来たのはそれなりに予想ができた人たちで、ちょっとこれからが問題ですね。二年生ではない者もいたようでしたから。

アルバイトでどうしても遅れるという学生(もちろん欠席の学生も)は、それが分かった時点で連絡してきていましたし、連絡もなしに、いかにもお大尽風に鷹揚に遅れてきていた学生は、皆を待たせていても平気であるという点で、「どうしようもない」という感じ。もっとも去年はこういうスリランカの学生がかなりいた。それに比べれば、(そういうスリランカ人が)少数派になったのがわかったという点で、まずまずというところでしょうか。

来たばかりであれば、時間にだらしないとか、国で自分は特別という意識が抜けないのだろうとか想像でき、これからの「教育」で変えていくことを考える…のも一つの手(とはいえ、三つ子の魂百までです。いったんついてしまった習慣というか、傲った考え方というか、そういうものはなかなか変えられるものではありません)。もう1年以上も日本にいてこれでは、「変われない」人たちに限りなく近づいているということになるでしょうね。

だいたい、別になんの用事もないのに、人を寒空に待たせておいて何とも思っていないということからして、問題ですね。アルバイトではどうしているのかしらん。きっと「お金をもらう」場合は別なのでしょう。本当はそんな関係でないときの人と人との関係の方が大切ですのにね。

さて、金曜日は、ちょっと「あれっ」と拍子抜けしてしまったアトラクションもありましたが、それ以外は、前と同じで、まあまあでした。「怖いのが好き」という学生が多く、自由活動になった途端に、そちらの方へ走っていったようでしたし、二年生は去年の「ディズニー・ランド」でやり方が判っていたからか、「パーフェクトクリスマス」を待っている間に、ファストパスを取りに行った強者もいました。

最後は、例年通り「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮」で、解散。私たちは食事の後は、残る者あり、帰る者ありでしたが、学生達は大半が10時までいるとのことでしたから、きっと夜の光のショーも楽しんだことでしょう。

何ごともなく、無事に家に帰ってくれたであろうことを祈って。

日々是好日
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慌ただしい「師走」。

2015-12-17 08:46:13 | 日本語学校
晴れ。

慌ただしい師走です。

大学進学は…一校を除いて、来年のこと…なので、今は音なしの構えです。まあ、願書の下書きくらいはしていますが。学生達も、日々の勉強に勤しむしかないと思っているようで、テキトーに来ていた学生も、今は皆勤のようです(…皆勤じゃなければ、入れたとしても後がないでしょうね)。

理を話しても判らない。…「努力しなければ、就職はできない。それは専門学校へ行っても、大学へ行っても同じ」。これがわからない。

(大学に)入れさえすれば、後は自動的に良い会社に入れるとでも思っているかのよう。そう信じ込んでいる学生は、この「信念」がピクリとも揺らがない。勉強しなければ、入っても大変だよと言っても、馬耳東風、いくら言っても暖簾に腕押し、最後にはこちらのほうが悪い人になってしまう。いえ、悪い人になっても、彼らが困らなければそれで良いのですが、結果は、私たちの言ったとおりになって、(彼らは)行き場所がなくなってしまうのです。

だいたい、四年間何もできないわけですから。こういう人は…勉強する習慣もそれほどないのです。何せ、漢字という曲者がありますから、意識して覚えるようにしておかないと、すぐに忘れてしまいます。一方、日本語学校で、二年近く頑張れた学生は、やはり大学に行っても頑張れるものなのです。

だいたい、「N5」の漢字も書けなくて(つまり、本がほとんど読めないということです)、大学に行って「何を、どうする気だろう」と思うのですが。

彼らの腹づもりでは、「誰それさんは、何々大学に入った。そして日本のいい企業に入った。だから、自分もその大学に行けば、心太式にうまくいく」なのです。その人が来日後どういう努力をしていたのかは全くの白紙なのです。過程について考える気が無いというか、おそらく考えてみるに値することだとは思っていないでしょう。

もちろん大学側も、学生はほしいでしょう、だれも行かなければ経営が悪化しますから。ただ、教育機関に共通して言えることは、「やる気」のある学生がほしい。能力云々はそれほど表には出しません。

これも、人の能力というものが、目に見える形で出てくる場合と、簡単には判らない場合とがあるからでしょう。潜在的なものを見抜くには、選ぶ側にその能力が求められてきますから、それが見抜けなかったら…、ちと「恥」。

第一印象というのは、大切ですが、そればかりでもないし…。

だいたい、人を選ぶというのは、「僭越である」「傲慢である」と思われても仕方がないことなのです。

自分のことすら、人はそれほど判っているわけではありませんし。

ただ、選ばねばならない。

で、目安がいる。まずは出席率。成績。それから人柄。

本当は目的がはっきりしているのが一番なのでしょうけれども。こういう日本語学校に来る学生のうち、はっきりした目的と強い意志を持っている者は、それほど多くはありません。

大半が、漠然と「車をやりたい」とか「経済をやりたい」とかいった程度であり、彼らがこれまで生きてきた「空間」がそんなものであったから、それしか知らないから…そう思ったくらいの動機でしかないのです。…これはそれが立派な動機ではないというわけではありません。ただ、アルバイトで金が入ったりしてきますと、そちらの方にすぐに目移りしてしまうくらいの目的でしかないと言っているだけなのです。

「いろいろなものが学べるよ」ということを知らしめるために、できるだけ、オープンキャンパスに行けというのですが、そのわけはこれなのです。とはいえ、どこを見るというわけでなしに、ただ、行けば良いからと言っても、それは無理なことなのでしょう。…一つか二つ見に行ければ御の字です。

日本語学校の学生は、現地で(勉強をちゃんとやるだろうと)選んだつもりであっても、来日後、アルバイトでこれほどのお金が稼げるのかとそちらの方に心が奪われてしまう人も少なくないのです。

もう10年以上前になるでしょうが、中国人の学生が、「私は、月に10万円余り稼いでいるが、これはお父さんが韓国に出稼ぎに行って稼いでいたお金よりももっと多い。お父さんは日本で稼ぎたいと言っている。どうしたらいいか」なんて言って来たことがありましたが(もちろん、「それはしない方がいい。あなたの方まで火の粉が飛んでくるよ」と断らせましたが)、ベトナムやスリランカの学生達はそれどころではないでしょう。今はもっと稼いでいるようですし。

最初は「大学へ行きたい」と言って目をきらきらさせていた学生が、3、4ヶ月もすると、「働きたい」と相談に来たりすることもある。「技術も知識もなく、また日本語も不十分なままでは何もできないから、きちんと腰を据えて勉強した方がいい」と言っても、多分、彼らにはそれでも(かなり安い金でも、また保障もそれほどなくとも)良いのでしょう。なにより、そういう彼らでも雇いたいという企業があるから…かもしれません。

これは、その国なりの事情があり、私たちが日本人の目でみて、こうした方がいいと言っても、彼らにとっては、そうではないのです。そして当然のことながら、自分たちの価値観、必要で動きます。彼らの国での必要性に応じた動きしか取れないのです。

そのたびに、こういう学校の限界というのを感じます。

もっとも、どの国から来た人でも、やる気がある人、勉強が好きな人というのはいるのですけれども。

日々是好日
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(試験だったけれども)…試験会場の大学が、「面白かった」…。

2015-12-08 13:21:45 | 日本語学校
曇り。

小雨のぱらついているところもありそうな、そんな空模様です。

さて、昨日は見事な青空で、黄金色の「イチョウ(公孫樹)」の葉が、その青に映え、きれいな写真がたくさん撮れたようです。難を言えば、一つだけ、道がきれいに掃かれていて、散り敷かれた黄の道が見られなかったことだけ。

例年(お天気が良いときですけれども)、道も「黄」一色であり(落ち葉です)、なおかつ、視線を上げていけば、「イチョウ」の「黄」に切り取られた「青」空が見え、心が晴れ晴れとしてくる…のですけれども。

きっと、前日まであった「イチョウ祭り」の後片付けで、きれいに掃かれてしまったのでしょうね。ちょっとそれが残念…。

人も少なく、のんびりと写真を撮りながら歩けました。それに、並木道の真ん中ほどで、遅刻組の六人が追いつき、ゆっくりと場所を「小石川後楽園」へと移します。

ここでは「紅」ですね。あっちでもこっちでも、「モミジ(紅葉)」のあるところには人が集まり、上を見上げたり、写真を撮ったりしていました。ここでも人があまり多くなかったので、自分たちのペースで楽しめました。

今年は「赤」と「黄」が同時に楽しめてよかったですね。来られなかった学生はちょっとかわいそうでしたけれども。

ところで、「紅葉狩り」の前日の日曜日、この日は「日本語能力試験」でした。で、昨日、無粋だなと思いはしたものの、「どうでしたか」と聞いてしまいました。

答えはそれぞれでしたが、面白かったのは、今年の4月生、「N3」を受けた二人の反応。「どうでしたか」と言われるなり、目をきらきらさせて「面白かった。大学は面白い」。

彼女たちは「N3」を受けたものの、「経験」くらいの気分でしたから、二年生のように「受からなきゃ」と追い詰められていたわけでもなかった…それで、気持ちに余裕があったのでしょう。「楽しかった」と写真を見せてくれました。

「日本の大学は面白い」。この「面白い」というのは、いったいどういう意味の「面白さ」なのかよく判りませんでしたが、いかにも楽しそうに、日曜日に撮った大学の写真を見せてくれました。

正門の写真から何からいろいろありました。「へえ、こんなものが面白いんだ」と私たちとしてはそちらの方に興味をひかれたのですが、もちろん、初めて見れば、何でも面白いのでしょう。

で、思わず、「よかったね。試験を受けて」と言ってしまいました。彼女たちの方でも、大学が見られてというふうに受け取ったのでしょう、ニコニコしていましたから。

昨日(紅葉狩り)は、集合時間、10分後には電車に乗れていましたし、遅刻した学生も自分たちでそれぞれの場所に到着できましたし、道を歩くとき、(私たちも)時々広がって自転車の進路妨害で注意した以外は、大きな声を出さずに済みましたし…いろいろな意味で、いい一日でした。

学生達もきっとそうだったでしょう。

日々是好日
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紅葉狩り

2015-12-07 08:20:54 | 日本語学校
晴れ。

冬晴れと言えるような良いお天気です。

今日は、「紅葉狩り」の日。学生達と一緒に、まず「明治神宮外苑」の「イチョウ(公孫樹)並木」を見て、それから「小石川後楽園」に行って「秋の景色」を楽しみます。

「イチョウ」の黄葉は、青空の下では、それは美しい金色になりますから、今日がそれであってほしいのですが、どうでしょうか。

「イチョウ祭り」が終わった頃でしょうから、見頃から考えると、ちゅっと外れかもしれません。とはいえ、「イチョウ」の「黄葉」と、庭園の「イロハモミジ」などの「紅葉」とは、多少時期がずれていますから、もしかしたら、「紅葉」の方が「当たり」になるかもしれません。

皆とは、行徳駅で「9時」の約束。

前回から、「もう待ちません」と告げてあります。確かにこうすると、時間通りに来ている人たちが寒さに震えながら待つというおかしなことにならずとも済む。南国だからとか、時間にルーズなのは国民性だから、なんて言っていたら、彼らはいつまで経っても日本に慣れることはないでしょう。だって、アルバイトでは時間を守っているんですからできないはずはない…。とはいえ、さて、大丈夫かしらん。

日々是好日
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「肉食」の話とか、「虫」の話とかで盛り上がる一年生。

2015-12-04 08:25:11 | 日本語学校
晴れ。風強し。

強い北風です。落ち葉があらかた吹き飛ばされ、路肩にはあまり落ち葉が溜まっていません。小学校の「サクラ(桜)」の紅葉は大半が散ってしまったようです。ハラハラと散り落ちても散り落ちても、「まだまだあるぞ」ふうだったのに、やはり尽きるときはあるのですね。樹の向こうの青空が透いて見えます。

なんだかこれも人生の一コマのよう。

さて、学校です。

昨日は、二回目の「日本語能力試験模試」でした。で、授業はなし。試験が終わってから、「聴解」を聞きたいと残るのは、「一年生クラス」(試験に参加する人がほとんどいないのに)で、大半が参加する「二年生クラス」では、「帰りたい」。

それぞれ(日本語学校を出てからの)道が決まっていれば(決まっていないのもいるのに)、多分、試験に合格したいと願っている学生と、「専門学校に行けるために」一応、参加しただけ(合格するかどうかはそれほど重きを置いていない)の学生と、大きく分かれ、また、大学志望の学生も、学費や入学金のためにアルバイトを増やしている時期だけに、強いて(残ってまで)「聴解」を聞きたいとはならないのでしょう。

ところで、一昨日の「Dクラス(今年の4月生)」での「速読」授業の時のこと。「肉食」…の話でまた盛り上がりました(前回は「虫の話」で盛り上がりましたけれども)。

スリランカでは「牛」と「豚」は食べない。「これは宗教的な理由ではない…、で、食べても良いけれども…食べない…」。理由は…、若い彼らにはわからないそうです…。どうも古くからの習慣なのでしょうね。とはいえ、これも、きっと宗教と深い関係があるのでしょう。長い年月の間には、いろいろなことがあり、たとえ、父祖の信じていたものと、現在違う宗教を信じていても、以前からの習慣ないし風習は脈々と残っているのでしょう。

宗教というものは、原始的であればあるほど、しきたりや風習には根拠がある。案外「なぜそうしているか」というのは、科学的なメスを入れていけば、すぐに判ってしまったりして…。もちろん、入れないほうがいいという面もなきにしもあらずで…、たいていの場合、入れない。だから、宗教であり、「掟」とか「しきたり」というのでしょう。

ネパールも同じようです。

フィリピンでは、「豚」は食べない。これは宗教(カトリック)によるもので、ついでに「『蛸』も食べないけど、理由は判らない」と言う。しかしながら、ユダヤ教の影響でそうなっているのかもしれませんね。

で、中国とベトナム。この二国の人たちは何でも食べる。ただ中国では、猫は食べないという。ベトナム人はおいしいと言う。本当かなという気がちょっと私にはするのです。挑戦族が多く住んでいる町の市場で、売られている成犬を見たことがあるのですけれども、太ってはいませんでした。

最初、「へえ、こんなところで、ペットを売るんだ(市場で見たのは初めてでしたから)」と言ったら、中国人が「食べるんだ」と返答した。ちょっとしばらく何も言えませんでした。これは、北京の人が日本のスーパーで、魚が丸ごと売られているのに衝撃を受けるのと同じようなものだったのかもしれません。

…でも、本当に食べるのでしょうか。

それから、一人が「どうしてたくさん鳥がいるのに、『とりにく』の『鳥』は『鶏』なの…?」。

実のところ、私にだってわからない。「ツグミ」だって、「ハト」だって、食べられる。けれども、日本では「とりにく」と言えば「鶏の肉」を指し、それ以外のものではないのです。

今年の4月に来た学生達。私たちに、「日本で驚いたこと」を言いたくてたまらない。それから、「自分たちのところではこう」も言いたくてたまらない。それから、「あの人達は何々」と他の国のことも言いたくてたまらない。

この「何々という国では、どうこうしている」というのは、眉唾物が多く、言われた国の学生からは「違う」という声が上がること頻り。おそらく、そう言った学生の国では、「どこそこの国ではどうだこうだ」とか言われているのでしょう。こういう場合、奇を衒った話が多くなるというのも仕方がないことなのかもしれませんが。

こんなのは、実際にその国の人に聞いて見なければわからないことが多いので、違う国から来ている学生が多くいれば、それだけ、彼ら自身の知識も増えるでしょうし、話自体も豊かになっていきます。だから、こちらとしても面白い。

「作文」の時間も「導入」で、決まるので、こんなことをやるのですが、どうしても「書かせる時間」が必要となる。その点、読解は「理解」が主なので、話をどんどん膨らませていくことができる。だから、良いのです。問題をやっているときは「し~ん」ですが、終わってから(あるいは導入の時)は、わいわいがやがや。

もっとも、今回は、「ああ、もう終わり(時間が来た)」で、「残りは次ね」となってしまいましたが。

日々是好日
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