日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「八月最後の一日」。「教室の中では窺い知ることの出来ない能力」。

2012-08-31 09:55:54 | 日本語の授業
 八月も最後の1日。子供の頃は「明日から学校…という一日」。友達に会えるのが待ち遠しい…だけでは終わらないのが子供の夏休み。夏休みの宿題という重い荷が…。それを何年も繰り返していたわけですから、大したことのない子供でしたね。まあ、それも、今となっては、どこか、懐かしい…。

 今朝は、空が染まっていませんでした。東の空は、一面、雲に覆われ(実際は白い雲でした)、光の「ひ」の字も見当たらない。そして、風は…涼しいのです。この涼しさを感じ取ったのか、虫の声が草むらから聞こえて来ます。勿論、お日様が顔を出すと、さあ、選手交代、蝉声です。今朝は合唱とまでは行かず、ポツンポツンと、ソロで演奏です。時々、「ジリジリ」とか、「ワアッシ、ワアッシ」という声も聞こえてきましたから、他の種類の蝉もいたのでしょう。

 さて、昨日、入管に行ってきました。入管には随分前に一度行ったきり。道を詳しく聞いていたので、頭の中ではわかったと思っていたのですが、実際に歩くとなると、そうは行かないのです。品川駅に着くとすぐ、そばにいた駅員さんに「東口」を聞き、改札口では「バス停」を聞き、それでも反対側に歩いて行ってしまい(そこで、どうもおかしいぞと思ったのです)、ちょうどそばに立っていた、腕に「警視庁マーク」をつけた女性警官に聞き、やっとバス停にたどり着くことができました。

 面白いことに、この中で、一番親切だったのは、警視庁のマークをつけていた女性。ちょっと怖そうかなと思いながらも、背に腹はかえられぬと聞いたのですが、彼女は「あらあ、反対ですよ。あっちを見て。向こう側に行ってください」という風に、実に和やかで人間的。でも、考えてみれば、駅員さんは聞かれすぎていて、どうしても事務的になってしまうのでしょう。

 バス停の近くではちゃんと矢印がありましたから、大丈夫だったのですけれど。いえ、その「近く」に行くまで、ちょっと迷ったかもしれません。実際は、私の後ろから走ってきた人がいたのです。その人が猛ダッシュで階段を駆け下りて行ったので、思わずその先を見ると、入管行きのバスが止まっていた…。それでヨチヨチと階段を下りていったのです。まず乗れてホッとしました。あとはバスが連れていってくれますから。

 この学校から出したのは、全部で六人です。三人が中国から、そしてベトナム一人に、スリランカが二人です。中国とベトナムからの人は大丈夫でしたが、スリランカの二人は落ちていました。

 戻って一分もせぬうちに中国から電話です。合格を伝えると直ぐに手続きに入ったようです。そして一昨日「私のお姉さんは大丈夫でしょうか」と電話してきた、妹さんに電話です。「お姉さんは通りましたよ」。うれしそうな明るい声で、「よかった」。彼女の声は本当にいい。そばにいる人を力づけ、心を明るい方向へ持っていってくれるような声です。天性のものなのでしょうが、それにお人柄が加わって、おっとりとした品のいいものにしているようです。

 そして、しばらくしてからスリランカから電話。だめだったと伝えると、「そうですか」と言って、後からの連絡を待つとのこと。おそらくはだめかもしれないと予想していたのかもしれません。今度はスリランカは出ないようだという噂があちこちか出ていましたから。でも、もし、真面目で勉強をしたいという学生だったら、本当に残念なのですけれども…。

 何年も前のことになるのですが、スリランカからはノーパスのようにどんどんビザが出ていた時期がありました。勿論、勉強を一生懸命した人もいましたが、中にはどうしてここに来ちゃったんだろうと、私たちの方がため息をつきたくなるような人たちもいました。

 私たちにため息をつかせるような人たちでも、学校に来ることは来るのです。そしてちゃんと席について勉強しているかのようなふうを装うこともできるのです。でも、書くのは「ひらがな」がやっとでした(スリランカ人はヒアリングがいいので、直ぐに話せるようになります。ただ、それで終わりなのです)。漢字は専門学校に進む時に、やっと学校の名前と住所が書けるようになったくらい。

 面白いことに、漢字を書くように言えば、10回でも20回でも、それこそ100回でも、書くのです。けれども覚える気が全く無いのでしょう、書くのがマルにバツであっても三角であっても同じであったような気がします。言われたからするだけだったのでしょう。それで、今では、漢字を指導する時に、以前にも増して、一字一字の意味を教え、意味を考えろと諄く言うようになった気がします。日本人はどこかしら、書けば覚えられると思い込んでいるような気がします。一万回書いても、覚える気が無い人は覚えられないのです。とはいえ、この人達が悪い人たちというのではないのです。私たちから見ると、勉強する年齢(たぶん、彼らは23か24が境目なのでしょう。それより若ければどうにかなるかもしれませんが、それ以上だと、「勉強よりも「生活、人生」の方に目が向いてしまうようなのです)を超えているかなという感じ、あくまでこれは「精神的」な部分においてなのですが。

 あの頃、スリランカの学生が交通事故を起こして亡くなってしまうという痛ましい事件がありました。その時の彼らの団結力のすごさには、本当にびっくりしました。事故を起こした学生に近い人の中から、一人の学生が中心になって、必要なお金を集め、遺体を祖国に運んでいったのですが、これは彼らにしてみれば、だれかがやらねばならないこと。勿論、皆が皆、彼のように出来るというわけではないでしょう。けれども、中心になってやるということは、あまり割のいい役目ではありません。それにもかかわらず、やり遂げたわけで、その時に教室の中では窺い知ることの出来ない、彼のリーダーシップと責任感の強さを感じました。

 それまではごく普通の学生で、しっかりしているとは思いましたが、あそこまでできるとは思っていませんした。かれが全部の責任を負ってやってしまうと、また以前のように皆の中に埋没してしまったのですが。

 日本にいて、漢字交じりの文章が読め、書けるということも、その人にとっては、才能の一つでしかないのです。人間には言語の他にも様々な才能、そして能力を生み出している資質というものがあり、それは、何事かことが起こらない限り、他の人にはわからないことなのかもしれません。

 勉強しないし、出来ない人が多かった、当時のスリランカの学生の多くは、私たちにとって悩みの種でしたし、ああいう事件は二度と起こしてはならないことですが、あれがあって初めて、私たちにわかったことがあったのです。しかし、どうしてこういうことができる人たちが、ダラダラと戦争と続けたり、国を発展させていけないのでしょうね(スリランカはだめ、発展なんて出来ない。政府が悪いとよく耳にします)。そこには、個人の資質とは全く無関係な別の問題があるような気がするのですけれども。

 ここまで書いてきて、思わず、笑ってしまいました。よく、欧米の友人から、日本人もそう言われるのです。「東北大震災の時にも感じたことだけれども、以前から、どうして日本人は一人一人優れているのに、政治は子供みたいなのだ」と。わかりません。多分、日本人は優れていないのでしょう。だからああいう政治家しか選べないのです。制度が悪いと言って、制度をいじったことがあったけれども、ますますひどくなったみたいだし。もしかしたら、今の制度というのは日本人に合わないのかもしれません。いわゆる欧米式の民主主義で世界を席巻できるかというとそうでもないのでしょう。ただ、日本人は、今、自分たちの姿を正確に掴めなくなっているから、自分たちにあった政治体制を作り出せないでいるのかもしれません。

 江戸期には、薩摩に代表される若衆宿や、名主を始めとする村組織、最後には制度疲労を起こしていたものの、幕府の組織などがありました。村組織などもしっかりしたものが、すでに、初めて農民が数十年も自治をしたという室町期からあったのでしょう。むろん、民主主義とは相容れない部分も多々あるのでしょうが、それでも、数百年から千年以上をかけて作り上げられてきた、日本の風土にあった体制を基に、欧米の、参考にすべきものは参考にして、じっくりと作り上げていけば、いつかは、日本人が、日本という島で、幸せに暮らせるようになるのかもしれません。

 それに、鎖国をしていた江戸末期の方が、異国の情報を正確に得ていたような気がするのです。それに、その頃の方が、責任感のあるプロの政治家がいたような気もするのですから不思議ですね。多摩地方の豪農たちを始め、庶民も、政治に対する関心が強く、また明治、大正時代でも、案外、井戸塀政治家がいたようですし。

 政治家の数が少なければ、皆もそれなりに選ぶのでしょうが、数が多いと、言葉は悪いけれども、味噌も糞も一緒ということになってしまいます。まあ、これはどの職業においてもそうでしょうけれども。

日々是好日
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「またまた『猛暑』」。「『履歴書』書き」。

2012-08-30 08:02:59 | 日本語の授業
 今朝も東の空が紅く染まっていました。同じように「紅く染まる」と言いましても、「夕焼け」と「朝焼け」とは別物のような気がします。一日の終わりに、運良く、「夕焼け」なぞを見ることが出来たりしますと、「きれいね」で、見呆れる…それでお仕舞い。けれども、これが「朝焼け」になりますと、フラメンコのダンサーよろしく、紅蓮の炎に黒い雲が浮かび上がっているわけですから、その日の心理状態如何では、より一層、落ち込んでしまうことだってあるのです。

 さて、今日は「猛暑」ということで、不思議なことに、ここ数日、黙り込んでいた蝉が、また激しく鳴き始めました。いったいどこに潜んでいたのでしょうね。6時になるかならないかのうちから、「ミンミンミンミン」と大合唱。近くの公園の蝉たちでしょう。空から降ってくるような声が響き渡っています。本当に虫たちは正直ですね。

 人間というものは、「決まり事」に弱いものですから、困ってしまいます。

 「『立秋』も疾うに過ぎたし、秋の虫の声も響き始めた。時には吹く風に秋の気配すら感じることもある。もうそろそろ秋だ」で、秋一色にしてしまおうとしていると、豈図らんや、まだまだとばかりに、蝉たちが必死に大合唱を始めます。勿論、やはり、一頃に比べますと、迫力は少々欠けるようですが。

 で、その中を学校へ参ります。

 昨日は、電話での問い合わせが数件あったのみ。実は、来るかもしれないし、来ないかもしれないという人がいて、そのことで、どうも落ち着かなかったのですが(結局、来ませんでした。電話もありませんでした)。こういう時に学生が来てくれると、勉強をみてやれて良かったのですがね。

 学生達は、学校に来るまでが大変で、中には来てしまうと、なかなか帰りたがらず、学校でなが~い、なが~いおしゃべりを始めてしまう学生もいるのです。「先生、話したいです」と言って。

 普段は、どの教師も、忙しいですから、「はい、あとで」なんて言うのですが、こういう時だと、みんな余裕を持って相手をしてやれるので、本当は学生にとっても、ラッキーというところだと思うのですがね。それなのに、来ないとは…。

 一昨日、重なって来ていた学生の半分が、昨日、来てくれていたら、ちゃんと落ち着いて面倒をみてやれたのにと残念。けれども、5時のチャイムが鳴ると同時に、ベトナムの三人娘がニコニコしながらやって来ました。ちなみにこのうちの一人は卒業生です。

 七月にやってきたばかりの学生が、来週の月曜日に面接に行くので、履歴書を書きたいと来たらしいのですが。しかし、まあ、そのおつきあいに二人もやってきて、多分、これは遊びに来たのでしょうね。まあ、どちらにしても、彼らの寮は学校の裏ですから、いいのですけれども。

 ところが、彼女が書いている間に、話してみると、このうちの一人が、日本語という言葉にさえ反応しないのです。寮で、同じ国の人たちとばかり話していると、そうなってしまうのも無理からぬこととはいえ、これはあまりにひどい。うんと文句を言ってやりましたが、もうこちらの正体がバレバレになっているので、全然応えません。にこにこしながら、「大丈夫、大丈夫」。いったい何が大丈夫なのやら。

 七月生は、無事に書き終えると、テーブルの上のお菓子を見て、「先生、お菓子がたくさんあります」で、ニコニコ。お菓子を一つずつ手に入れて、これまたニコニコ顔で帰っていきました。面接が無事に終わるといいのですけれども。

日々是好日
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「休み中、学校に来るのは…お手伝い、お手伝い」。

2012-08-29 08:39:01 | 日本語の授業
 今朝、五時少し前、10分くらい前でしょうか、東の空がきれいに染まっていました。明けるのがだんだん遅くなってきたようです。

 それに、今朝は蝉の声を聞きませんでした。小学校の外に、蝉の死骸が二つ、転がっていましたから、もしかしたら、あれが、昨日、最後の力をふりしぼって鳴いていた主なのかもしれません。植物にとっては、死と復活とを彷彿とさせる一年であっても、動物にとっては、生と死とが背中合わせになっているとも言える一年なのでしょう。

 「今度、生まれ変わるとしたら、何になりたい?」「石になりたい」…私たちが子供の頃から、こういう子はクラスに一人か二人はいました。樹でもだめなのです。岩でも違うのです。彼らが言うのは河原の石なのです。コロコロと山を下り、川の底で波に押され、転がされ、そして河原に打ち上げられた石。皆、河原で石拾いをしたことがあるから、出た言葉だったのかもしれませんけれども。なぜか海の砂というのもありません。大きすぎず、小さすぎず、存在感がないわけでも、ありすぎるわけでもない、平凡な、目立たない並の小石。

 こういうものに価値を見出して言っているのか、あるいはこれは嫌、あれもだめで捨てていった挙げ句に残ったものなのか、それはわかりませんけれども。

 さて、学校です。

 昨日は、案外忙しく、午前中はアルバイトを探したいという、七月生の手伝いで終わり、午後も、アルバイトの面接に来るように言われたけれども、場所がわからないという学生の手伝い、それと、多分これは面接で断られるであろうと言うことで、その他のアルバイトも探し(タウンワークを持って来ました)、そして4時頃、パスポートをなくしたという学生やって来て、またお手伝い。

 七月生は、まだ漢字がそれほど入っていませんから、住所を書くのも大変なのです。ちょうどいい機会ですので、ついでに練習させて、そして、履歴書書きです。それから電話のかけ方や、聞かれるであろうことなどを想像して、「もしもし」から練習です。午後に来た学生は、3ヶ月くらいは経っていますから、もう少し楽でしたけれども、すっかり文字を忘れていました。「カタカナは…(忘れてる…)」。「ひらがなはそう書いてはいけなかったんでしょ。(また間違った書き方をしている…)」。来れば叱られる…と言うことを思い出しただけでも、めっけもの…ですかしらん。

 とはいえ、この人達は、八月の十七日まで、確か、補講をしていたんですけれども…忘れるのが速すぎる…。

 それに、二人とも、体力はなさそうです。体力が必要そうなアルバイトは…ちょっと無理かもしれません。特に午後に来た学生は…。できれば、女性が主となって働いているような場所、そして重いものを持たずにすむような所を…と考えていくと、なかなかないのです。

 帰り際に来た、パスポートをなくしたという学生。大使館の電話番号を教えて自分で電話をかけるように言いますと、きちんと出来ていました。普段はお姉さんの影に隠れて、何にも出来ないように見えますのに、自分でやらなければならないということになりますと、案外しっかりとやれるのですね。ちょっいと見直しました。もっとも、パスポートをなくしたという件では、そうとうこっぴどく、お姉さんに叱られたそうですけれども。

日々是好日
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「大学で何を勉強したいかを考えることができるのも、能力の一つ」。

2012-08-28 14:48:51 | 日本語の授業
 身体がこの暑さに慣れたのでしょう、今朝の風は、とても涼しく感じられました。

 小学校の校庭にある、「サクラ(桜)」の樹の上から、蝉の押し殺したような声が聞こえてきました。秋の蟬というと、どうも嫌な感じがするのですが、真夏の蝉の、「我が世の春」と言わんばかりの「時雨」声に比べれば、栄枯盛衰を悟ったような、そんな悲しみの声とも感じられ、路上に蝉の亡骸が落ちていないことさえ(一二週間前まで、そこここにいくつも落ちていました)哀れに思われてきます。

 この声も、少し前までは、「あちこち」からだったのですが、「今」では、蝉のいる樹を特定できるのですから、蝉にとっては受難の季節。木の下に子供の影が見え隠れしていますもの。

 樹々の木の葉が、若葉色から濃い緑に変わり、黒ずみ、そして陽に灼けて縁を巻き上げられ、静かに切り離されていくのも、多分、もうすぐのことなのでしょう。

 ところで、今日から、教員が二人、北京へ出張します。今頃は電車の中かしらん。この「行徳」という町は、「羽田」へも近いし、「成田」へ行くのも便利な所にあるのですが(勿論、成田より羽田の方がずっと近い)、羽田に国際便が止まるようになってから、「今度の学生は、「羽田」から、それとも「成田」から」と注意しなければならなくなりました。

 先だっても、学生の知り合いが迎えに行くというので(その時は学校の教員は行きません)、直接、学校に連れてくるようにと頼んでおいたところ、その人から電話。「疲れました。今日はそのまま自分の家に連れて行きます」。

 聞くと、(外国から来るのだから、)「成田空港」だと思い込んで、何の疑いも抱かずに、東京から一路、「成田」に向かい、そこで、じっと待っていたのだそうです。ところが、いくら待っても、学生が出てこない。それで不安になって、空港の係員に聞くと、その便は「羽田」と言われ、慌てふためいて、今度は「羽田」に向かい、やっとの事で学生と会えたというのです。

 ほっとしたのでしょう、会えたのはいいけれども、その時には精も根も尽き果て、「家は直ぐそこなのに、またどこかへ行かなければならないのか。もうどこにも行きたくない。もう嫌だ」ということで、学校に、断りの電話をかけてきたという次第。

 この人は、運良く会えたからよかったけれども、学生が、来たばかりの異国で、一人ぼっちであったとしたら、やはりとても不安で、悲しく、辛く、寂しかったことでしょう。

 さて、昨日、大学進学を控えている学生が、専門のことで、ちょっと相談があるといってやってきました。私はお客さんがいて、他の部屋にいたのですが、終わってからそちらへ向かうと、「オープンキャンパスへ行って、いろいろと(教授に)聞いてきた。それで、専攻を考え直したい」と言うのです。

 彼女は、国で大学を出ており、日本でも、その専攻を引き続き学んでいくつもりだったようなのですが、私たちにしてみると、それでいいのか?というような感じだったのです。

 いろいろなことに興味を持ち、どちらかというと、狭い専門の枠の中で、何かをコツコツとやっていくようなタイプにはあまり見えませんでした。それよりも、幅広くいろいろな人と付き合い、自分の世界を拡げていった方がよいようなタイプに思えたのです。それで、幾度となく、それとなく他の分野も見て見ないかと誘ってみたのですが、その頃は、まだ専門一筋で、あまり聞く耳を持たなかったような気がします。

 いくら大学を出ていようと、日本に来て他のことを学びたいという気になるのは当たり前のこと。学べることがたくさんあるのですから。ただミャンマーからの学生で、やはり頭がいいなと感じさせるのは、彼らが大学からやり直そうとすることです。大学四年間を学んだものとそうでないものとの差をしっかり知っているのです。

 この点は日本人と同じです。大学四年間を高校での勉強と同じようなやり方で過ごしてきた人たちは、必ずと言っていいほど、「私は大学を出たのだから大学院へ行く」と言います。「全く専門が違っていても」です。この四年間に学びうるものの大きさが想像出来ないのでしょう。「四年間(その専門を)やって来た人と戦うの?かないっこないでしょう」と言っても通じません。多分彼らの国の大学院はそれくらいのレベルなのだろうなと私たちは思うのですが(研究生活の入り口というよりも、口を開けてエサを待っている状態、教えてもらう気でいる)、そう思われているということすら理解できないのです。

 だから彼女のように「勉強したいです。だから大学へ行きたいです」という学生がいるとホッとするのです。ミャンマーからの学生も、これまでは、国で大学を出ているから日本では専門学校でいいという人が多かったのですが、それが去年、一昨年辺りから大学へ行くのが普通になってきました。これも一歩一歩ですね。 

 とにかく、学ぶには、「好き」というのが一番。現時点において、多少、能力的に劣っているように思われていても、人というものは、好きなことであれば、それこそ懸命になれますから、いつの間にか、その人の(表面に現れているところの)100%を超えていたということだって少なくないのです。「10」くらいの能力しかないだろうと思っていたのに、好きなことを倦まず弛まずやっているうちに、いつの間にか眠っていた脳細胞までもが活発に動き出し、「20」や「30」、時としては「50」もの力になっていることだってあるのです。

 だから、進学先を相談された時、「卒業後、得だから」とか「みんなが行っているから」とかいった理由で選んでいるようでしたら、いつも、もう一度考えてみるように勧めているのです。答えが出なくとも、それを考えてみたことがあるというのも、最後は、その人の力の一つになっていくのでしょうから。

日々是好日
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「蝉の声から、秋の虫の声へ」。

2012-08-27 08:37:23 | 日本語の授業
 暑い。

 九州は、日中に、二度か三度も雨が降り、その他にも、三日ほどは、雨が未明に三時間くらい降り、エアコンとは、おつきあいする必要が全くありませんでした。勿論、万々歳であったかというと、そんなことはなく、その代わり、蚊の大群に悩まされ、身体中、蚊の喰い跡だらけという体たらく。どちらがいいのかわかりませんけれども、身体は完全に秋モードになっていました

 それなのに、行徳は、身体に纏い付くようなモワッとした空気に包まれています。暑さで気体が膨れあがっているのかもしれません。もう、これでは、エアコンなしでは過ごせません。それでも…だるい、だるいというか、けったるいのです。

 どうも、戻ってきて直ぐに、この暑さにやられてしまったようです。何と言いましても、秋から夏に戻ってしまったわけですから。

 摂氏で表せば同じ気温。そうであっても、やはり「春から夏」というのと、「秋から夏」というのは違います。この、「春から夏」というのも、今年は、行きつ戻りつといった有様で、体調を崩す人が少なくはなかったようですけれども…。

 というわけで、植木に水を遣った後は、開け放っていた窓を閉め、エアコンにお出ましを願っています。一度、秋の心地よさを味わってしまった人間は、もう体力も気力も何もかも、続きません。どこまで大丈夫かななんて根性は、今は全く消え失せてしまいました…。

 気温は真夏ですが、昨夜、歩いていましたら、秋の虫の声が聞こえて来ました。そして今朝、蟬時雨はどこへ行ってしまったのでしょう、喰われ残りの鴨ならぬ、残んの蝉が、「ミ~ンミ~ンミ~ン、ジリジリジリ」と、消え去りそうな声で鳴いています。

 そういえば、夏の移ろいを表すに、よく蝉の声を用いていましたっけ。それなのに、ここでは、「ミンミンゼミ」の声しか聞こえない…。「ミ~ンミ~ンミ~ン、ミー」の他にも、「ワッシワッシワッシ」もあるはずだし、「ツクツクホ~シ、ツクツクホ~シ」と秋の虫のような鳴き声、「ジリジリジリジ~」や、「ニイニイニイニイ」、ヒグラシの「カナカナカナカナ」もあるはずなのに…、どうも、行徳では「ミ~ンミ~ンミ~ン、ミー」の声一本で夏は終わってしまいそうです。

日々是好日
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「補講、最後の日」。

2012-08-17 10:59:42 | 日本語の授業
 晴れ。ギンギラギンの太陽が、カッカカッカと照りつけています。

 それでも、木陰はまだましなのです。木陰にいると、スウッと涼しい風が吹き抜けていくようで、ホッとするほど。やはり、真夏の時とは違います。お盆も過ぎたことですし、残暑なのでしょう。

 で、「補講」も、今日で最後です。やっと最後の日を迎えたというのが正直な気分。念のため申しますと、これは学生の気分ではありません(おそらく彼らもそうでしょうが)私たちも、なのです。

 七月に来たばかりの学生達を二、三週間くらいしか教えないで、そのまま放ってしまうというのも酷なことです。少なくとも、動詞の「て形」くらいは、わかってから休ませた方が、(休み中)動きが取れるだろうということで、始めた今年の「初級Ⅰ」の補講。

 例年ですと、この「補講」というのは、大学や大学院を目指している学生の多い、一番上のクラスでやっていたことなですが、今年は、このクラスも、勉強よりも学費を稼いだ方がいいということで、なし。代わりに、一番下のクラスでやることにしました。

 「初級」とはいえ、中国人が多かったりしますと、彼らは伝手を頼ったり、自分で面接に行ったりして、それなりに(休みが長くとも)有意義に過ごせるのですが、どうも最近の学生達は、ダラダラと過ごしてしまうようなのです。

 そして、新学期が始まると、(日本語が)真っさらの状態の人たちが、それでもすまし顔で教室に座っているということになり、教師はまた一から教えなければならないのかと頭を抱えるということになってしまう…。勿論、全員が全員そうだというわけではありません。けれども、この学校では一クラスの学生数が10人くらいですので、それが3人いても、途端に授業が重くなるのです。

 そうは言いましても、この、「補講」の意味が判る学生が、このクラスに、どれほどいることでしょう。学校としては、この補講で実際にお金が儲かるわけでもなく、教師にしても、自分で自分を忙しくしているだけなのかもしれないのですが(2週間経って新学期になった時、また「みんな忘れた」で、始めなければならないかもしれないのです)。

 勉強する習慣があり、しかも能力のある学生であれば、誰が教えても同じでしょう。自分で自分を律することが出来る人は、どんな環境におかれてもどうにかなるものです。

 ただ、普通に頭がいいだけの人に(国で自分より頭がいいとか、成績がいい人を知らないという「お山の大将」的な人なのですが)に限って、人よりも(自分の)いいところしか見えませんから(なぜか、自分の出来ないところに気がつかないのです。それで何回も同じ間違いをしてしまうと言うことになるのですが)、そういう学生は最初から自慢の鼻をへし折ってやらねばなりません。が、これが、案外難しいのです。彼らは、自分を信じること大で、他者の言が届かないのです。もしかしたら、多少、ナルシストの気があるのかもしれません。まあ、人というのは、だから、どのような時でも幸せでいられるのでしょうが。

 また、努力していても、それほど上達が目に見えない学生には、その都度、最初を振り返ったり、将来のことを語りかけたりして気が萎えないようにしてやらねばなりません。もっとも、これらは、勉強のために来たという学生についてです。

 とはいえ、最初から、日本に来るのだけが目的であって、来てしまえば、もう目的が果たされたわけで、あとはアルバイトを探すだけになってしまうような学生にも(拾い上げることが出来るなら)、「今後」を見据えた話を折に触れ、していき、建設的な生活をさせていかなければなりません。

 日本語を、「あいうえお」と教えるだけが、こういう、日本における日本語学校の役割ではないのです。

 そうは言いましても、この七月生の中にも、それほど勉強する覚悟のない人たちがいないわけでもないのです(来られない理由がわかっている学生は別です)。「もう、日本に来てしまった。お金があれば、皆で騒いで使ってしまう。後は適当に学校に来るけれども、別に国にいる時から勉強なんて好きではなかった。国にいてもしようがなかったから来ただけ。来たからといって、そんなに勉強をする気もない。皆とワイワイガヤガヤ騒げるなら、学校へ行ってもいいけれども、そうでないのなら、あまり行きたくない。だれかが誘ってくれれば、そちらの方へ行った方が面白いから、学校へ行かない」。

 なるほど、そうだろうなとも思います。もうみんな大人ですから(二十歳は過ぎています)、勉強する習慣を日本でつけるということも難しいでしょう。やりたいことが見つかっているなら、嫌いな勉強でも、頑張れるでしょうが。ある意味では、かなりかわいそうだと思います。こういう人たちは、30分なり、60分なりを、机についてジッとしておくというのもきついことのでしょう。「(やって、)ああ、上手になった」とわかるまで我慢がきかないのです。だから、いつも中途半端になるのかもしれません。

 子供の時に、この「成功体験」がないと、人は大人になってもなかなか我慢がきかないものです。その意味では、気の毒な人たちなのです。こういう人たちは、どの国にも、どのような社会にもいます。

 だから、何か自信を持てるようなもの、好きなことを探し出す手伝いをしてやりたいのですが、本人にそうしたいと思う気持ちがなければ、これも難しいことなのです。

日々是好日
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「『補講』終了まで、あと2日」。

2012-08-16 08:25:33 | 日本語の授業
 秋風が吹いています。けれども、天気予報によると、今日も猛暑とか。最高気温が33度、最低気温が27度ということであれば、確かにまだ夏。しかも、猛暑であるのは間違いないのでしょうけれども。

 昨日の帰り、空に羊雲が浮かんでいるのを見つけました。羊雲を見つけると子供の頃のことが直ぐに蘇ってきます。私は方向感覚が劣っており、友人宅へ行くと、その度に道に迷っていました。行きは2人ですから大丈夫なのですが、帰りは1人と決まっていますから、どこかの角を間違って曲がってしまうか、そうでなければ曲がらなければならない角を曲がらなかったのか、してしまうのです。その時、途方に暮れた空に浮かんでいたのが、羊雲だったのです。道に迷うのに季節は関係ないはずですのに、なぜか羊雲なのです。

 この雲を見る度に、あの頃の、「行きはよいよい、帰りは怖い」を思い出してしまいます。

 実際、それからも、いろいろな人に、「角を曲がる時には目印を決めておけ」と注意されました。でも、その時、心にあったのは、「決めてる。でも迷う」だったのです。が、今になってみれば、目印とも言えないもの。それで、結局、いつも、愚かなことを繰り返すということになってしまいます。

 草木は目印にはなりませんね。それから犬とか猫も。草木は花をつける時期が決まっていますし、犬猫は移動します。それなのに、これらのことだけが強く記憶に残っており、店の名とか建物の様子とかは全く記憶にないのです。違う季節に行けば、そりゃあ、間違えるに決まっています。木に咲いていた花が散っていたり、角を曲がった時に見かけた猫は別のところで寝そべっていたりしますもの。あの頃は、子供だったからねと笑うこと勿れ、今だって、結局はそうなのです。

 そう書いている間に、蚊に刺されてしまいました。チクときたので、バシッとやり、でも、もう、プウッと赤く腫れています。お盆を過ぎると、途端に、蚊も、相当根性が悪くなるようで、えげつなく何でもかんでも食いついてきます。シマシマ模様の小さなヤブ蚊と私たちは呼んでいましたが。

 さて、学校の補講も、あと2日となりました。毎日続けられた学生には、それなりの成果があったと思います。

 その国の人なら、誰でも、話せ、聞き取れるという言語という魔物。彼らと仲良くなる唯一の方法は毎日続けていくこと。これしかありません。七月に来日して、2、3週間で、この魔物と「はい、さようなら」となっていたら、多分、9月に新学期が始まった時には、また一からやり直さなければならなくなっていたことでしょう。とにかく来日後一ヶ月ほどは続けられたわけですから、この間、真面目に勉強をし、また9月の新学期までの2週間も、それを失わない程度には復習しておけば、新学期が始まってもそれほど狼狽えずにすむはずです。休み中、(「Eクラス」の担任から)引き継いでから、「14課」の「て形」には、一応、入ることが出来ましたから。でも、「動詞のグループ分け」で終わりでしょうね。「繰り返しの練習」が金曜日から出来なくなるわけですから。

 あとは、彼らの休みの過ごし方次第です。

 彼らの大半は、まだアルバイトがありません。面接に行ったという学生も、この補講が終わってから少しずつ始めてみると言っていましたし。時間だけは十分にあるはずです。ただ、この時間をどう使うかが問題なのです。この間、いろいろな所へ行くのもいい勉強になるでしょう。アルバイトの面接に行ってみるのもいいでしょう。

 ただ、もし毎日、同国人とダラダラと過ごすだけであったら、何のために補講に参加したのかわからなくなってしまいます。10月に新入生が入ってきた時、「もう一度、一緒にやろうね」ということにもなりかねません。勿論、その方がいい人もいるのですが。

 ところで、昨日、浦安地区でお祭りがあったようです。台湾から来た大学生が、スリランカ人留学生に、一緒に行こうと誘っていました。聞くと、どうも盆踊りらしいのです。「飛び入りで参加できるかもしれない。どうぞと言われたら、みんなの輪の中に入って、見よう見まねで踊ってごらん」と勧めてみました。

 みんなと一緒に、踊ってみてくれるといいのですが。きっといい思い出になることでしょう。それに「盆踊り」は、毎年、この時期、いろいろな所で行われています。これからもきっと参加して、踊る機会はあるでしょう。まず、一度、試してみることです。そして、どんどん、いい思い出を作り続けていってほしいものです。

日々是好日
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「少しずつ、か弱い声で『抵抗』を始めた学生達」。

2012-08-15 08:41:11 | 日本語の授業
 曇り。早朝に涼しい風が吹くようになりました。人というものは、大切なことも直ぐに忘れてしまいます。そして煩わされるのは、目先のことばかり。大局的に考えるとか、百年の計などというのは、無縁の存在なのです。ところが、自然は、やはりすごい。自然はそういう人間などお構いなしに、時が来れば、暑くなり、涼しくなり、寒くなりを繰り返している。(雨や雪が)降るべき時には降るし、(風が)吹くべき時には吹くのです。本当に敵いません。

 人と人との間で、何かをされたり、したりした時には、相手を忖度することも出来るのに、自然にはそれができません。「そういうものだ」で、すべての扉は閉められてしまいます。人は彼らを崇めつつ畏れることしかできないのです、実際のところ。

 それなのに、今、日本では、10㍍の堤防がだめなら、15㍍で。15㍍の堤防がだめなら、20㍍でと、どこか体験が経験になっていない論議が延々と続けられています。しかも、どれもためにする議論のようにしか思えないのです。多分、それが作られれば、その過程で数年かは飯が食えるという人たちが出てくるのでしょう。そして人間にとっては、また同じことが繰り返されるという恐怖よりもそちらの方が、大切なのです。既に一年以上も経っているからには。

 そして、身内を失った人たちには、ロウソクを灯す力しかないのです。自分のなすべきことを力一杯やっていく、皆がそれをしていれば、国は立派に立ち直れるし、動いていく。

 これはもはや理想でしかないのでしょうか。

 そうやって、日々を生きている一般大衆はどこに流されていくのでしょう。投票率が90%とは言いませんが、80%以上ないと、当選とは認めないというふうになれば、小中高で政治や暮らしについてもっと学べるようになるでしょうにね。

 既得権のある人達は自分を守りたい、これは人情ですから、彼らを責めることはできません。人はそういう立場になれば、誰だってそうするでしょう。彼らは、普通の、ただのおじさんであり、おばさんであるのですから、それは当然なのです。ですから、そういう人たちとは、関係のないどこかで、人文社会系の専門家達が考え、議論し、決めていくべきなのでしょう。どうしたって自分たちに都合のいいことしか決められないレベルの人間達に決めさせるというのは、酷なことです。

 さて、補講している教室では、学生達が少しずつ抵抗をし始めるようになりました。
「はい、10分休憩」と言う声に、あちらこちらから、「15分がいい」「20分がいい」などと、小さな声が返ってきます。まあ、こういうのを蟷螂の斧というのですけれどもね。

 とはいえ、この暑さのなか、大半の学生は(といっても、全員揃っても10人なんですけれども)遅刻もせずに、やって来ているのは、立派なモノ。

 学校に来て、挨拶をして、宿題のノートを出して、個表を取って、下の教室に行き、席に着く。ここまでで汗びっしょりです。

 よく来てくれるなあと思います。せっかく来てくれているので、お礼の意味で、お説教をしてあげました(お説教だけではありません)。
 
 その一。
ディクテーションは、テストではない。皆がどこが出来ていないかを、私たち(教師)が知るためにするのである。そして、次の時間にそこを重点的に復習したり、注意を促したりするのだ。だからカンニングをしてはいけない。自分のためにならないから。

 その二。
遅れてきた時には静かに入ること。勉強している人の邪魔をしてはいけない。また勉強している人たちも、その人と大きな声で挨拶をしたり、話をしてはならない。理由を聞くのは、授業中であれば、教師だけである。

 その三。
アルバイトをしたいと少しずつ活動を始めている学生がいます。アルバイトに使えそうな文型や単語は、彼らの話からアルバイト先なども考え、教えています。これは、少しでも教科書に、(アルバイトと)関係のありそうな文例が出てきた時に、教えていくのですが、たとえば、こういう時にはこう言った方がいいなどと、出来るだけ具体的に言うようにしています。なかには、「ああ、そうか」などと己の経験を鑑みて言い出す学生もいるので、現実味を帯びてくるのでしょう、皆、真剣に聞くようです。

 日本の日本語学校で学ぶ日本語には、特に来日して直ぐの場合ですが、一つは、大学や専門学校で学べるようになるための日本語、そして、もう一つは実際に生活していくため日本語が必要になります。特に、来日したばかりの学生達には、アルバイトの面接の時にどう言ったらいいのかとか、アルバイト中の言葉などを知ることが焦眉の急になります。勿論、この二つともとても大切なことです。

 とはいえ、お説教ばかりで、固くなってしまっては堪りません。第一、私が面白くないのです。それで、時間がある時にはDVDなどを見せて、日本を知ってもらおうとしています。こういう時でなければなかなか時間が取れませんもの。

 それから、今日、二回目の「漢字テスト」をします。この漢字テストも、「勉強してこなかったので、自信がない」という学生には、その間、いつも漢字の練習をさせるようにしているのですが(テストがあるから出席しないというのだけは避けたいので)、ただし、まだ二回目ですからね。これの練習をしていないからテストに参加しないはないでしょう。論外なので、授業が終わってから、残して練習させ、テストを受けさせるつもりでいます。少しでも勉強して参加した方がいいか、それとも空きっ腹を抱えて残った方がいいか、二択です(まだ、皆、アルバイトがないのです、七月に来たばかりですから。だから出来ることなのですが)。

 それでも、漢字が嫌いで(多分)、漢字は難しいとしか言わず、練習をおざなりにしかしていなかったスリランカの学生が、昨日のディクテーションの時に、「八月十四日、火よう日」と昨日の日付と曜日を漢字で書くことができました。少し気持ちが変わったかなと期待しています。今から転けては始まりませんから。

日々是好日
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「学生達の一番の教師は、同じクラスの異国人」。

2012-08-14 08:49:09 | 日本語の授業
 「ノウゼンカズラ(凌霄花)」が朱色の花を咲かせています。重い朱色です。ふと気がついたのですが、「カンナ」の朱色によく似ているのです。この色が街に拡がり始めますと、夏の終わりという雰囲気になります。小さなヤブ蚊が出没し、そして台風が列島を襲来し始める…。

 ところが、最近は、それが、どうも、変わってきたらしく、台風が梅雨時に来たりします。気候変動が起こりますと、「当たり前」であったことが「当たり前」でなくなり、日本人の感覚のバロメーター、「季語」も、だんだん姿を変えていくのかもしれません。

 今日は雨になるとか。

 さて、日本列島には、北海道を除き、全体的に、大きな雨雲がかかっているように見えます。天気予報によると、この辺りでも、もう雨が降っていてもおかしくないはずなのですが、グッと堪えているらしく、涼しい風が強く吹いているだけです。

 補講中の、「Eクラス」の学生達は、皆、この近所に住んでいますので、多少の雨は平気でしょうが、それでも雨が降りますと気になります。自転車で来るのは四名、他は「歩き」。

 昨日、教科書を置いて帰った学生は、今日も来るのでしょうか。「教科書だけが参加」なんてことになりかねないから怖い。そして、昨日、無断で欠席した学生は、今日、どうするのでしょう。「10課」を過ぎる頃からもう全く参加できなくなっていましたから、我慢が効かなくなっているのかもしれません。わからなくとも毎日出席していると、だんだん日本語が聞き取れるようになるものなのですが、それがわかるのにも能力がいるのでしょう。1課の短文でも、キョトンとしていることがありますから。わからなくても、とにかく参加して欲しいですね、すると、ある日、突然聞き取れたりするのです。ただ、今はこれ以上、速度を落とすことは出来ません。もっと速くやってもついて行ける学生も、この「始まったばかりのクラス」にはいるのです。

 昨日は、一名が欠席したものの、他のクラスから一名が参加して、で、結局は同じ数で授業をしました。「BCクラス」の一名は、「中級」の勉強が難しいらしく、何度も下のクラスに入れてくれと訴えていましたが、頑張れば出来るので抑えていました。同じように下のクラスに行くにしても、既に「初級Ⅱ」の中程まではきちんと入っていますから、「中級」がある程度進んだところで、そういう(「初級Ⅱ」の中程のクラスに)行ってもいいのです。

 非漢字圏の学生である場合、「中級」が、漢字圏の学生達と同じように学んでいけると言いますと、それはかなり難しいことらしく、それほど多くはいません。やはり彼らの国で、大学に合格していたとか、またそれが出来るだけの成績を残していたとかいう学生くらいです。短大出とか、高卒で来ている学生達の場合、かなり真面目にやっていても、漢字というハードルがなかなか越えられないのです。また、漢字を覚えたら覚えたで、今度はそれで書かれた文章を読んで行かなければなりません。

 勿論、例外もいます。「無理かな、無理かな」と、ひやひやで、お尻を叩き続けたフィリピンの男子学生が、中国人クラスで「上級」の教科書が終わるくらいまで頑張れました。その時は不満だったのですが、今思えば、漢字テストなどもかなり頑張って点数をとっていたのです。こちらではもう少し頑張れると思っていても、彼にとっては限度いっぱいだったのでしょう。

 本人曰く「大変です。覚えても、直ぐ忘れるのです」。とはいえ、直ぐ忘れると言っても、一度は覚えられるだけ練習していたわけですから、それが積み重なれば強い力となります。書くのは忘れても、読めるのですから、これはすごい。

 バングラデシュ、スリランカ、ミャンマー、インド、ガーナ、ネパール、タイなど、中国人学生と一緒に頑張れたという学生は、それなりに漢字が書けていましたし、読めていました。いくら日本人と同じようにペラペラ日本語が話せていても、日本語の文章が読めないと、もう、それで、ある意味での信頼は失われてしまいます。特に社会に出ますと、そうなのです。

 先日、卒業生と一緒にパーティをした時、集まってくれた顔ぶれを見ながら、いろいろなことを思い出していました。すうっと頭に浮かんでくるのです。今は、皆、日本の社会で、それなりにうまくやっているようですが、ここまで来るには、山あり、谷ありの人生だったでしょう。それでも、懸命に頑張ってきたとことは、見る人が見ればわかります。何事も自分だけの力では成功するはずがないからです。彼らの後ろには、きっと、だれか、後ろから支えてくれる人たちがいると思います。

 この卒業生の顔なのですが、顔というより表情といった方がいいのかもしれませんが、もう既にオッさんじみた顔つきをしていても、貫禄満点の態度や身のこなしであっても、会えば、私たちには、直ぐに彼らが初めて学校に来た時の表情が蘇ってくるのです。

 来日一年目というのは、途上国から来た学生達にとって、辛いことが連続して起こる時とでもあります。勉強然り、アルバイト然り、また同室者との軋轢もまた然り。

 それらを乗り越えて、勉強し、大学に、専門学校に、大学院にと進み、またそれから、日本の会社に就職することができたという学生は、適応力もあったでしょうが、それだけでは異国で認められることはないはず。日本人にとっても厳しい世の中になっているのですから、(彼らにとっては)それどころではなかったでしょう。

 来日後、最初の年に、この学校で学び得たことも少なくなかったはずです。これは教師が教えたというよりも、異国人同士がクラスメートになり、その中から学んでいったこともたくさんあったと思います。

 以前、スリランカ人学生と中国人学生が一つになったクラスがありました。スリランカ人の男子学生というのは、面白いですね、教師がそばで立ち働いても、知らん顔をしているのです。動かないのです。

 この動かないというのは、例えば、教室で配置換えをするとします。その時、机を動かしたりするのですが、手伝わないのです。両腕を組んで教師が働くのを見ているのです。まるで監督しているかのように。最初はそういう学生達とは思いませんから、「そっちの机を持って。何をぼんやりしているの」とか言ったのですが、すると「えっ。私ですか。私がするのですか」と、言われたことに愕然としてしまうのです。

 インドと同じでカースト制が残っており、机を運ぶのはこのカーストの人、お茶を運ぶのはあのカーストの人と決まっているのかなと思い、その時にはそれ以上のことは言わなかったのですが、それに比して、クラスにいた中国人男子学生の働くこと働くこと。

 「先生、この机はどうしますか。あれはあのままでいいのですか」と積極的に全体を見て考えながら動いていきます。(中国人女子学生は、あまりこういうことはしませんでしたけれどもね)普段は仲がそれほどよくない学生同士であっても、教師にさせまいとして自分たちがどんどん手を出しやってくれるのです。

 最初はスリランカ人学生もあっけにとられて中国人男子学生の動きを見ていましたが、私たちにしても、手伝ってもらえればうれしい、特に重いものとか力を必要とするものなんかを彼らは軽々と持ち運んでくれますから、その都度、礼を言いますし、「すごいね」を連発したりもします。

 この影響力はすごかったですね。最初は、あれほど傍観者を決め込んでいたスリランカ人男子学生がだんだん変わっていったのです。一年が過ぎる頃には、中国人学生と同じように、「あれ、とって」という声に直ぐに反応し、動くようになっていました。

 働かない者を必要とする会社は、日本にはありません。「だれかがするさ、自分の仕事ではない」と決め込んでいたら、それは直ぐに表に出てきますから、誰からも必要とされなくなっていきます。彼にとって一番の教師は、同じクラスメートであった中国人男子学生であったかもしれません。

 この学生も先日のパーティには来ていました。本人はそれほどの影響力があったとも知らず、また、私たちがそれについて感謝していたということも気づいておらず、相変わらず、馬鹿なことばかり言っていましたが。

日々是好日
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「その国のやり方が合う人もいれば、合わない人もいる。これはどこの国でも同じこと」。

2012-08-13 16:43:54 | 日本語の授業
 「立秋」を過ぎると、吹く風までが優しく感じられてきます。「ヤナギ(柳)」の葉が陽に灼かれて白く巻き込まれています。風が吹くと、葉と葉が擦れ合って、カサカサという乾いた音まで聞こえてきそうです。「イチョウ(公孫樹)」の葉も青々と茂り、いつの間にか、下の方の葉が赤黒く縮れ始めています。秋の気配をいち早く嗅ぎ取っているのかもしれません。

 さて、夏休みの補講、第二週目です(今週で終わりなのですが)。土曜日に治療院からの帰り、金曜日に「ずる休み」をした学生とばったり会ってしまいました。彼は金曜日のことなどすっかり忘れて、「先生」と、いかにもうれしそうにニコニコ顔。これでは叱れません。彼の隣にいた一人が、私の表情を見て、それと悟ったらしく、小さな声で注意を促します。すると、ハッとして、如何にもばつの悪そうな顔をしてみせます。

 もうしょうがないので、月曜日はどうしますかと言いますと、「えっ、月曜日?」。「月曜日とはなんぞや」という顔です。まさか1日休んで、そのせいで、曜日を全く忘れてしまったというわけでもありますまいに。

 もう一人が慌てて、「昨日の夜、宿題をしました」と言い訳めいた口調で言います。まだ「11課」に入ったばかりですから、うまく日本語を操れません。それでも、彼らは一応11課くらいまではやってから(日本に)来ているはずです。けれども、このベトナムの学生達は、「ナットテスト」の「四級」に合格していても、みんな、初めて日本語を勉強しますというような顔をしているのです。勿論、「(日本語の)音がとれない」ということも関係しているのでしょうが、10人いたら、7、8人は、ボウッという顔で反応せず、甚だしきに至っては「ひらがなとはなんぞや」という雰囲気でいますから、なかなか…手強い…のです。

 かといって、「悪い」というわけではありません。「子供っぽい」というか、「幼い」というか、「勉強の習慣がほとんどついていない」というか、つまり、そういう種類の問題なのです。特に高卒の学生達は、まるで「小学生」のように、一から教えてやらねばならないので、ため息をついてしまいます。

 「はい、教室に入って席に着いたら、教科書を出します。鉛筆と消しゴムを出します。」 から始まって、遅れてきた人が来た時には、「黙って入ってきます。他の人も楽しそうに話しかけません」。

 遅刻してきた学生と、なぜか、そこでひとしきり(教室にいる者との間で)、賑やかな挨拶が始まってしまうのです。授業の最中であるにもかかわらず、邪魔されて苦虫を潰している教師も、中断させられて、あっけにとられている他の国の学生たちも、そっちのけです。そして、如何にも世間話のように、話し、笑い声まで上げています。

 授業が始まったらルールがあるだろう、会社や工場で働く時にもルールがあるだろうと思うのですが、注意すると、その時は「はい」と言って黙るのですが、1分と持ちません。直ぐにだれかが一言二言何か言い、それからまた話は続いていきます。「あなたが来る前、教室でみんなは何をしていたのですか」と言っても、多分、ピンと来ないでしょうね。

 今まで勉強していたのが嘘のようです。遅れてくる学生が一人ならまだしも、二人、三人と続くと、その度に授業は中断します。彼らは誰もそれ(来れば話すということ)を不思議だとは思っていないようすです。送れてきた者も、遅れてきて、皆の邪魔をしてしまい申し訳ないとは思っていないようで、まるでスター気取りで大いばりで入ってきます。

 それで、黙る習慣がつくまで(時には三ヶ月、悪くすると1年ほどの期間)、「はい、遅れてきた人は黙って入ってください。話してはいけません。席に着いている人も、その人に何も言いません。前を向いて勉強を続けてください」。時々、こういうことを何度も繰り返していると、ここはどこかいなという気になってきます。

 昔、中国の福建省から、(学校に)入れてみると、明らかに出稼ぎ労働者風で(蔑視しているのではありません。親しくなると彼らの方が下手な大卒者などより、よっぽど仁義に厚く、常識が通じていたりするのです)あったことがありました。

 まず、机の前にきちんと座るということができないのです。いえ、出来はするのですが、30分ほどで「先生、これは大変」。つまり、もう少し自由に座っていいかという意味なのですが、いいと言いますと、これまた今度はこっちが大変。自由というのも、私たちが思っているような教室内の自由を遙かに超えた自由になってしまいます。それで、こちらも、知恵がついてきますから、困ったなという顔をして、「本当はいけません。けれども、ちょっとならしようがありませんね」と言う。そうすると、そんなものかと思ってくれるらしく、それほど羽目は外しません。時々は年長者が若いのに注意してくれたりします。彼らの言葉で、「先生が困っているじゃないか。だめだ、そんなことをしては」というふうに。

 このベトナムの学生達はそれとは違うのです。一応高校は出ているはずですから。ところが、勉強の仕方とか、教室内での態度とかがそれほど教育を受けていないように思えないのです。何かあると、直ぐにわあっと教室が膨張する、抑えられないのです。直ぐに騒ぎ出す。多分、一人か二人であればそれができないでしょうが、三人を超えると、もう自制できないのです。彼らの国でやっていたようにやってしまうのでしょう。

 それで、聞くと、「いや、ベトナムの先生は厳しい」と言います。けれども、私たちから見ると、その厳しさというのは、私たちが当然こうでなければならないと考えるものとは全く違った方面での厳しさに過ぎぬのではないかと思えるのです。

 10分も20分も遅れて入ってくるとすれば、他の国(ミャンマー、中国、スリランカ、インドなど)から来た学生は、「済みません」と言い、身を縮めるようにして、コソコソと空いた席に座ります。ベトナムの学生達のように、遅れてきたら、いつもより大きな声で皆と挨拶しなければならないとも、教室内に素手にいる学生であったら、それに応じて話さなければならないとも思っているようには見えないのですが。

 これは数が多いからとか、少ないからというのとも違うような気がします。スリランカの学生が大半を占めていた時、遅れてきた学生がいると、皆、彼の顔を見て、それから私の顔を見ます。私の表情が厳しかったら、何も言いません、遅れてきた学生も、教室内にいる学生も。

 ラテン系で賑やかなことが好きなフィリピンの学生でも、来日後最初の頃は、何か言いたそうな顔をしているのですが、私の表情に気づくと、目で相手に挨拶をするくらいで、何も言いません。

 これがどうして出来ないのかなと思います。普通は三ヶ月か四ヶ月、長い時には卒業する頃になっても、まだワアワアやっているのです。最後はこちらとしても、勉強の邪魔になる、うるさいとしか言えません。二年間も同じことを言わせるなと思うのですが、卒業生の中には、そういう人もいたのです。

 これは、日本語のレベルによるのかもしれないと、最初は考えていましたが、「N3」に合格していてもそれをやる人がいたのです。それで、どうも、この国の人たちには、他の国の学生達のように、日本語のレベルが上がると日本人の様子に慣れて、こういうことはしなくなるという理屈が通らないのかもしれません。

 今、この「Eクラス」には、ベトナム人学生が5人。下手をすると卒業時までこのことがわからないかもしれないなと感じられる人が1人。前よりはずっと楽になっているとはいえ、一人でもベトナムの時のままの人がいますと、(もともとベトナムで育った人たちですから)、直ぐにその人に反応して騒ぎ始めます。

 困ったことですね。私も年が年ですから、以前のように体力でやり合うことができません。それに、多分、この人達は、それを変える必要もないような気もするのです。人はそれぞれにあった土に根を生やし、花をつけるもの。授業に支障がない限り、今はそれほど厳しくしないというか、しなくとも人はそれぞれにその人にあったところで、それなりの花を咲かせられるものだという気がしているのです、

 頑張りたいと思っている人の方に、その分、力を注いだ方がいいと思うようになっているのかもしれませんが。

日々是好日
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「来日直後の(日本語力の)差は、大したことではない。来てからどれだけ頑張れるかにかかっている」。

2012-08-10 13:43:48 | 日本語の授業
 昨日は、蕁麻疹が再発した一人を除き、9名がやって来ました。もっとも、一人は10時半ごろに、コソコソと入って来たのですけれども…。

 母国で一応、『初級Ⅰ』は、終わったという学生でも、「N5(日本語能力試験)」に合格してから来たという学生でも、私たちから見ると、意味を取り違えて理解している場合や、動詞や形容詞の活用を間違って覚えているという場合などがあり、決して油断できないのです。

 そういう場合は、特に、早めに手を打っておかないと、結局、そのままズルズルと行ってしまうものなのです。時間が経ってしまうと、もう「癖」になってしまいますから、改めさせるのは至難のワザなのです。間違っていても、アルバイトはできますし、日本人には意味は判ります。それで放っておくということになるのです。本人に改めようという意識がなければ、私たちが喚いたってどうにもできません。

 というわけで、こちらとしては本気で、かなりきつく、注意するのですが、これが、なかなか納得できないようなのです。どこかストンと落ちていくところがないのでしょう。

 彼らの心の裡では、「でも、私は『N5』に合格している…」とか、「もう『初級Ⅰ』は、勉強している…」とかいった気持ちが先に立つのでしょう。

 「助詞」の「へ」を、「で」にしたり、「に」にしたりする学生がいます。これは後ろに来る「動詞」で覚えろとしか、現段階(「初級10課」程度)では言えないのですが(勿論、彼らの手元には、母国語で書かれた「対訳の単語」や、「文法の説明」があります)、素直に聞けず、別の「は」や「が」に関する質問に置き換えて聞き始めるという学生も出てきます。

 これは往々にして、変な自信をもって来日している学生に見られることなのです。その時には、「それは『第○○課』でやる。今、やることではない」と、言って切り捨てるのですが、何度それをやっても、繰り返して言い続けるということもあるのです。系統的に学ぶというのは、一段一段階段を上っていくことと同じであるということが、これまでに学習できていないのでしょう。

 もしかしたら、彼らの狭い世界(彼らの国の日本語学校のクラスとか、あるいは彼らの町の高校だったのかもしれませんが)で、トップだったという意識が働いているのかもしれません。これは、勿論、誰にでも起こり得る感情です。ただ、年を取ると共に、「上がある」ことが、聞き知ってわかったり、あるいは実際に身を以て知ることもありますから、そういう夜郎自大な感情は削り取られていくのが普通なのですが。

 ある程度能力のある学生でも、一旦、こういう気持ちになって、それから抜け出せないでいると、日本語学校で学べる二年間なんて、あっという間に過ぎてしまいます。自分は「できる」と思っていたのに、他の者の方がどんどんレベルが上がっている。自分が聞き取れないことが聞き取れていたり、書けたりしている。「えっ。いつの間に、こうなったんだ」。この時の気分は堪りませんね。出来るなら味わわずに済ませてやりたいものです。

 そのためにも、最初に学生達を預かった時に、そういう傾向のある学生達は一人一人潰していきます。早めに手を打っておかないと伸びる芽も伸びなくなってしまいます。

 とはいえ、こういう学生の多くは、母国で、自分のやり方で成功したという「経験」を持っていますから、なかなかこちらが言うとおりにしません。

 例えば、「中級」を例に取りますと、「皆で読む」作業一つをとってみても、一緒にできないのです。一人だけ読まないのです。だから、一人一人読ませていく時に、彼らの国語のリズムになっていたり、漢字が読めなかったりする。「私は全体が理解できなければ読めない」という理屈で。

 「初級」でも、単純な作業、たとえば、「動詞のます形」を「ない形」や「ば形」などに換えていく時でも、そんな簡単なことはできるから面倒だとでも思っているのでしょう、やりません。私と目があった時に、叱られては困ると思ってか、口を動かしてみせるくらいなものです。

 ところが、当てて言わせてみると、出来ない部分がボロボロと出てきます。考えて覚えなければならない場合と、機械的に繰り返していけば、自然に、労せずして覚えられる場合とがあるのに、全部平面的にやってしまおうとするからでしょう。

 しかし、本人が、いくら出来ると踏んでいても、あら探しのベテラン(教師)が、鵜の目鷹の目で見ているわけですから、「あら」が出ないわけがないのです。

 この「あら」が、出てきた段階で、心を改め、皆と同じことをしていけばいいのですが、それは「あり得ないことだった」くらいの気持ちで等閑にしていると、一ヶ月も経った時には、真面目にコツコツとやって来た学生に追い抜かれてしまいかねません。

 最初は、(日本語が出来なかったので)下に見ていた学生であっても、資質的にはそう差があるわけではありませんから、あとはどれだけ真面目に休まずにコツコツ出来るかで決まります。下手をすると、母国での1年分なんて、来日後の一ヶ月にしかならないことだってあるのです。「あいうえお」のクラスで、「みんな下手だな。自分はすごいんだ」と思い込み、しかも、その間、こんな簡単なことなんて馬鹿らしくてなんて考えて、のんびりしていたわけですから、失っていくばかりです。日本に来て日本語学校で勉強していても、「増やすという作業」をしていなければ、それは当然、いつの間にか、ぎょっとするくらいの差になっています。

 それがわかっていても、「おいらが一番」意識はなかなか消し去ることは出来ないらしく、今度は追い越されたという現実を無視しようとかかります。プライドだけで生きていくのは非常に難しいことだと思うのですが、その段階で呼び出して話し合ってもなかなか埒は明かないのです。既に二十歳を疾うに過ぎている人と、異国の人間が、互いに意思の疎通を図れる言語を持たぬまま話し合うわけですから、そこは互いにある程度の柔軟性や勘の良さが必要になってきます。つまり、他者の考えを読み取る力であり、感じ取る力といったらいいのでしょうか。

 何事も、これまでのやり方に固執しないで、教師が勧めるやり方をこころみるべきでしょう。今、こういうやり方をやっているのだがと、教師に相談すれば、勉強できる時間や様々な事を考慮して、こういうやり方でやってみたらどうかと提案してくれるはずです。

 自分のやり方でやっても、おそらく出来るようになるのは、想定内の「自分」でしかないのです。

 そこに他者の目を加えると、自分の気づかなかった自が発見されることもあるでしょうし。それによって新たな自分を築けることだってないわけではないのです。

 この学校では、今、学生数は40人余り。その学生達を見る教員が八人で、16の目が常に学生達を見ているのです。

 この学校には、学生と教員しかいませんから、授業中、学生がこう言ったとか、こんなことがあったとかいった話が常に職員室で流れています。担任が、それを聞いて、ついと立って教室に行って話を聞いたり、注意を与えるということもあるのです。また、私たちには言いにくくとも、非常勤の、他の先生には言えるということもあるでしょう、それを聞いて私たちが(対処の仕方を)考え直すということも少なくはないのです。

 常勤の私たちはどうしても、注意を与えなければならない場合が多く、いきおい、強面になってしまうのですが、その点、非常勤の先生方は、おおらかに学生達を見ることが出来ますから、彼らにとっても、ホッと出来る時間になるのです。また、そういう先生は褒めるのがうまいのです。そして、学校全体としては、そこで微妙にバランスを取っているということになるのでしょうか。

 ブツブツとよく文句を言っている私にしても、もしこれが、週に三回程度(教えるのが)でしたら、自分に叱る資格があるかどうか悩んだことでしょう。勿論、誰もそれができない、つまり、叱ることに長けた教員がいない学校であれば、人任せにせず、しゃしゃり出るしかないでしょうが。

日々是好日
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「試験中に、助け合うという習慣をやめて欲しい」。

2012-08-09 10:29:13 | 日本語の授業
 昨日、全員が揃いましたので、簡単な「疑問詞のテスト」をしました。速い学生なら、10分くらいで終わってしまうようなものです。しかしながら、こういう簡単なものでも、わからないとなると、おおっぴらにカンニングをする(隣の人のを覗き込んで写す、聞こえるような声を出して聞く…多分、彼らの国の言葉が教師にはわからないので関係ないと思っているのでしょう。誰にでもカンニングをしているということがわかるのに)人もいれば、またカンニングをしやすいような状況をつくってやる(見やすいように答案を寄せてやる。もちあげてやる。言ってやる)人もいます。

こういうのを見たりしますと、いやだなあと思うのは、私たちだけではないのかしらんという気持ちになって、本当に落ちこみます。

 この「Eクラス」は、他のクラスの、彼らの国の人たちとは、少し違うかなと思っていただけに、やはり同じか…。期待していた分、落胆も大きかったのです。

 勿論、最初は(最初の5分くらい)、大半が書くのに忙しく、積極的に教えてやろうという人もいませんでしたし、私が怪しそうな素振りをしている人をチェックしていましたから、チラチラと私の顔を窺っているだけで、速く教えろと他者に催促する様子も見えませんでした。

 ところが、書き終わって出そうという人が出始めると、もう我慢できなくなったのでしょう。途端に辺りが騒がしくなりました。

 聞かれれば、あの国の人間だけでなく、ミャンマー人もスリランカ人も教えるのです。というより、教えたがるのです。だから訊くのでしょう。ただ、ミャンマーから来ている学生は注意する(それは日本ではしてはいけないことだ)と直ぐにやめましたし、スリランカから来ている学生は、叱られた理由はわからずとも叱られることが嫌なのでしょう、黙りました。

 黙らず、懲りもせず、おおっぴらに教え続けたり、聞き続けたりするのは、あの、例の国の人たちだけです。「カンニングをする・させる」という教育が、骨の髄まで染みついているのでしょう。困ったものです。こんなことをやられると、他の国の人たちまで、自分の力で頑張るが馬鹿らしくなってきます。

 これは「小さな小さなテスト」に過ぎません。本当に、人のを見たり、聞いたりする必要もないような小テストなのです。また出来なかったら出来なかったで、私たちが復習の時に力を入れて教えますから、そのままに書いておいた方が彼らのためになるようなものなのです。利害関係や、損得が絡んでいるものではないのです。

 わからなかったら、わからないと言ってプリントを返せばいいことです。そうすれば、その間何をしておけばいいかをこちらが指示します。それなのに、それが嫌なのです。皆と同じことをやっていたいのでしょう。けれども、他者に訊いて点数を稼いでもそれが何になるのか。全くわかりません。

 カンニングするくらいなら、まだ、教科書を開いて調べながら書いた方がいい。少なくとも、他の人の迷惑にはなりません。

 訊かれると答えるというのは、彼らにとっては、いわば条件反射のようなもので、それが運悪く日本でやった、試験の時にやった、だから不運であった…にすぎぬ。

 試験中、一人が何か聞くと(私にはこの言葉の意味が判りません)、途端に同国人の三人が積極的な動きをするのです。彼らにとってはごくごく当たり前の行動なのでしょう。

 「黙ってやりなさい」と言っても、止まりません。つまり、そんな馬鹿なことを言う方がおかしいのです。彼らが彼らの国でカンニングをしても、だれも(教師も含めて)注意したり、それはいけないことだなどと言ったりはしなかったのでしょう。

 私が五回も、六回も注意しているのに、まだ聞くし、答えるのです。「◇○さん、教えてはいけません」「はい」と答えるそばから教えているのです。暖簾に腕押し、糠に釘、いらだつ方が負けだと思っても、腹は立ちます。どうしてこんなことをするのかと。

 相手は当然のことをしていると思っていますから、ニコニコ顔です。私が叱っている意味が全く判っていません。

 本当に、彼らの国ではカンニングは当たり前で、(試験中に訊かれて)教えないことの方が非常識なのかもしれません。聞くところによると、この国の人たちが集まっていた「日本語能力試験」の会場では、遠慮もなしにカンニングをする人やら、答えを求めたり教えたりする声やらがしていたと言いますから。

 それから見るに、彼らの国というのは、真面目にやる人間が馬鹿を見るという社会なのではありますまいか。どうしても、協力してカンニングを成功させるということと、助け合い精神に溢れたいい社会、微笑ましい社会とは結びつかないのですが。

 私たちも、この国の人たちは、(経験から)他の国の人に比べて、その行為が非常に甚だしいとは思っているものの、だからといって、最初から決めつける気持ちはありません。

 けれども、同じでしたね。こんな小小テストでもやるのですから。たまりかねて、注意したのですが、私の声など馬耳東風。「やっぱり、そうか。同じなんだ」としか(失礼でですが)考えられませんでした。

 それで、次の時間の「一課から八課」までの「まとめのテスト」では、席替えをしてやってもらいました。それでも(カンニングを)やったといいますから、筋金入りです。もうこれは「カンニングをしたり、テスト中に教え合うのは当然」精神が心の中にへばり付いていて、なかなか引き剥がせないと見えました。

 資格を取るためのテストでも、大学などの入試でも、こんなふうにやるのでしょうか。また、監督する人も、黙ってさせているのでしょうか。これでは、本当の力、能力は、全くわかりません。そうやって(他の国の)誰からも、その能力を信じてもらえなくなる日が来るまで、この根性は変わらないのでしょうか。

 以前からいる学生達でも、それがかなり改まった学生と、全く変わらない学生とがいます。これも本人の資質が関係しているのでしょうが、日本語が上達している学生達は、他の国の学生達と一緒に試験を受けても、彼ら同士教え合おうとは、もうしていないようです。

 ところが、そういう彼らでも、下のレベルの人たちと一緒になりますと、途端に態度が以前のままになってしまうのです。聞かれれば教える。自分でやりなさいなどは口が裂けてもいわないのでしょう。

 それで、昨日、授業が終わってから、どうにか少しは日本語が通じるという女子学生を呼んで、「あなたが教えたら、多分、あの人は勉強しないでしょう。いつも教えてもらって答えを書けばいいというこ気持ちになるでしょうから。教えると言うことは、彼女のためになりません。わかりますか」と聞いてみました。

 彼女は(聞いて)驚いていました。もしかしたら、こういう、普通の国なら、小学生にでも話すような理屈を、彼らの国では、これまで、学校で聞いたことがなかったのかもしれません。みんながカンニングをしていれば、誰もその成績を信じないでしょうし、信じないことが常識になってしまうでしょうから。何も信じられなくなるということは、励みになりません。日本でも「あれが欲しい」と思って懸命に頑張る人がいるくらいですから。

 少なくとも、日本でそれをやったらだめです。こういう「常識」が、彼らの、常識になるのはいつのことでしょうか。もっとも、彼らの国では、(戻れば)必ず、それをやるでしょうし、やらなければ、居場所が内でしょうから。とはいえ、せめて、日本ではやらないようになってほしいものです。

日々是好日
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「蕁麻疹で病院に」。

2012-08-08 08:43:12 | 日本語の授業
 今朝は曇り空です。陽の光がないからでしょうか、秋の風が吹いています。立秋を過ぎると違うなどと、太陰暦と太陽暦を無視したことまで考えてしまいます。

 「セミ(蝉)」が、ポトポトと落ちていたのも、もしかしたら、こういう気配を感じ取り、気焦りしてしまったのかもしれません。そう思うと「命をかけて歌う」蝉の声までが、悲しげに聞こえてきます。おそらく、これが「秋の訪れ」の正体なのかもしれませんが。

 花期が疾うに過ぎたはずの「キキョウ(桔梗)」…、それなのに、一輪の花が…。色も盛りの頃の、濃い青ではなく、ごくごく薄い青なのですが。それでも、夏の夕涼みの頃の、水に打たれた「桔梗」というのではなく、残んの花…といった感触なのです。秋が近づいてきたような気配に、人まで感傷的になってしまいます。

 8月は、朝からカッと日が照り、汗をダラダラと流しながら行き来をする…ほうが、やはりいいのかもしれません。こんなに涼しくては、どうもいけません。心と体がバラバラになってしまいそうです。

 さて、学校です。

 補講二日目。休みが3人出ました。二人は連絡なし。このうちの一人は、一昨日は元気に勉強できていましたから、きっとそろそろ来るぞと、皆でみていたので、まずは想定内。慣れないアルバイトで、体力的にも参っていたのです。気力の方は…ちょっと怪しい…。

 もう一人は、いつも真面目に出席していたので、連絡がないのはおかしいと思っていると、皆に遅れて(もしかしたら、わざと時間をずらして)やってきました。全身に蕁麻疹が出ていました。皆に見られるのが嫌だったのでしょう。

 聞くと前日の夜、寿司を食べたというのです。更に聞くと、ベトナムでも「カニ(蟹)」を食べてこういうことになったことがあると言います。けれども、「昨日、食べたのは魚と野菜だけ。カニは食べていない。それなのに…」。でも、やはり蕁麻疹でしょう。そのままにしておいてはいけないということで、保険証を取りにやります(寮は学校の裏、歩いて2、3分のところです)。10分ほどで戻ってきたので、皮膚科に連れて行きます。

 ここは新しくできたばかりの病院。医者も看護師も皆女性です。待合室の窓ガラスが、なかなか凝っています。全体的に優しい色合い。これなら、病院でも怖くない…。

 保険証を出し、初めての来院であることを告げると、早速、質問用紙を渡され、いろいろな事を書き込まなければなりません。とはいえ、これが案外難しい。それでも、スマホに助けられ、一つ一つ書き込んでいきます。勿論、わからないところはパス、後で聞きます。

 名前を呼ばれて、三番の診察室に入ります。看護師さんが、先に渡した紙を見ながら、問いかけたり、診察の準備をしたりします。看護師さんの優しい応対に、彼女も緊張が解けたのでしょう。受け答えが、少し、スムーズにいくようになりました。

 先生が来て、質問するのですが、どうも何が原因で蕁麻疹を起こしているのかが、よくわからない。何せ、来日一ヶ月ほどの外国人ですもの、お互いに、困ったという部分はあるでしょう。それで信頼できるのはデーターということで、採血して調べることになりました。

 (先生が)看護婦さんに、保険の有無を訊ねていましたから、お金のことを気遣ってくれたのでしょう。こういう検査は少し高いようです。彼女のほうでも、病院で払った時には、何も言いませんでしたが、処方箋薬局で待っている時に、「病院のお金は高いです」と言っていましたから、ちょっと驚いたのかもしれません。

 その時、彼女に、「この学校で、あと一年半。大学に入ってからも四年間、日本にいることになる。何が原因で蕁麻疹が出たのかを調べてもらった方がいい。それが日本での暮らしを随分楽にすると思う」と言いますと、それなりに理解したようでした。

 普通の話が出来る相手でしたから、助かりました。時々、何を言っても、全く(話が)通じなくて困り果ててしまうことがあるのです。これは、言葉の問題というよりも、彼我の常識や、育った家庭環境、社会環境などの違いによって引き起こされる方が大きいように思われるのですが。

 それでも、たいていの場合(例外もあります)、日本語がある程度、わかるようになってくると、彼らのほうが日本に慣らされて、それほど問題を感じなくなってきます。ところが、来日してすぐの場合、これは案外難しいものなのです。同じ国の人で一年以上も日本語を勉強している学生が、彼らの国の情況などを加味しながら通訳をしてくれて、それで、やっと意思の疎通を図れるというのが、普通なのです。

 いくら彼らの国の言葉が話せても、向こうで彼らの中に入って生活し、彼らの気持ちを理解していなければ、なかなか、こういう説明ないし説得は出来ないもののように思われます。

 で、処方箋を書いてもらい、近くの処方箋薬局へ行き、薬を出してもらいます。その時に、(この学校を)卒業してから、どうしたいのかと聞いてみます(こういうことは、折に触れ、皆の教員でやっています。課外活動もまた然り、休み時間もまた然り)。まだ『初級Ⅰ』なので、わかる言葉は知れたものなのですが、それでも、やりたいものがあって、日本へ来たらしく、「会計」をやりたいと言います。

 けれども、勉強の様子や彼女の性格、知識欲などを考えていきますと、もう少し幅広い分野で活躍できるような気がします(私たちの共通理解)。これも学校にいる間(一年半)に、関連する分野を、折々に、見せていけば、自分がやりたいことがもう少しはっきりとわかっていくことでしょう。

 薬局で、塗り薬を二種(顔と身体で、分けて塗るように言われました)、飲み薬を三種もらいました。説明書も、写真や色が多用されていますから、大変わかりやすく、あとは、簡単に言葉を添えていくだけで十分でした。ただ漢字はいけませんね。「朝」とか「晩」とか書いてあるのですが、わかりません。それにルビを振っていかなければなりません。まだやっと漢字に入ったばかりのところですから。

 とはいえ、「三級」までの漢字が、書けたり読めたりしますと、大半のことはわかるようになります。日本で独り立ち出来るかどうかは、やはり漢字にかかっているようです。

 まずは、「初級」が大切であると、改めて、そう感じさせられました。

日々是好日

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「セミ」。「夏休みの補講、第一日目」。

2012-08-07 08:34:08 | 日本語の授業
 知らぬ間に「キョウチクトウ(夾竹桃)」の花が盛りを迎え、鉢植えやフェンスに巻き付いた朝顔が華やかに夏を彩っています。

 それなのに、今日はもう「立秋とは秋立つことかいな」と言われた「立秋」とか。「大暑」が、つい昨日終わったようにも感じられますのに…。

 昨日、不意打ちの雨と雷様の到来があったからでしょう。今朝の風はかなり涼しく感じられました。それでかすかな期待を抱いて、天気予報図を見てみますと、…真っ赤っかに戻っていました。気温も、きっとグングンと上がっていくのでしょうね。

 こんなふうでは、やはり「残暑お見舞い申し上げます」とは言いにくい。もう少しか、もっとずっと後になりそうです。今頃の、この暑さは、これは「残暑」ではない、「酷暑」であると、皆思っていますもの。

 最近は道端に落ちている「セミ(蝉)」をよく見かけるようになりました。落ちてもなお、羽ばたこうと、足掻いている姿も見ることはあるのですが、たいていは、そのまま力尽きた恰好で、天を仰いだまま、蟻に引かれていく日を待っているかのよう。まるで、「ツバキ(椿)」の花がポトリと落ちた時のような死に様です。

 同じ昆虫の「死」であっても、「ハチ(蜂)」が死に至る時のような恐ろしげな様子はありません。まるで無機質の物体がそこに置かれているかのようにも感じられるのです。

 友人の一人が、死んだら「サハラ砂漠」の砂になりたいと言っていましたが、もしかしたら、「セミ」の死というものは、それに近いのかもしれません。

 さて、学校です。

 夏休みも二週間ほど毎日来る事になっている「Eクラス」のことです。 

 これまでは午後1時15分始まりでしたのに、富士山から帰ってくれば、午前9時始まりになっている。富士山からの帰りのバスの中で諄いほど「9時ですよ。9時ですよ」と言われた。けれども、土曜日曜と休みが続いて…忘れた…となっていないかな…、大丈夫かなと、心配していなかったといえば、嘘になります。けれどもまあ、三四人遅刻は沁ましたが、皆、揃いました。

 とはいえ、さすがに三日空きますと(金曜日は富士山、そして土曜、日曜と続き、昨日は月曜日でした)、習ったばかりの(8課の)単語はきれいに消えていましたね。8課から、形容詞が出てきます。それで、新出語のほとんどが「な形容詞」「い形容詞」でした。試しに、先にカードだけ見せて言わせてみたのです(ちょっといじわるでしたかしらん)。途方に暮れたような顔がずらりと並びました。。

 単語が覚えられていないと、何も出来ません。それで、単語を覚えるところからやり直しです。「~です」はどうにかなっても、「~くないです」と「~じゃありません」がごっちゃになっていたり、「~くないです」が「~いくないです」になっていたり。声を合わせて言っている彼ら自身、困っていたのではありますまいか。

 それでも、夏休み第一日目にしては、まずまず。ネチネチと言われる嫌みにも、微笑みながら「口答え」できるようになってきましたし。私たちにしても、これが出来てくると、そろそろアルバイトをしてもいいかという気分になってきます。(アルバイトの場で、日本人や外国人に)やられっぱなしですと、彼らも、そして私たちも少々辛いのです。

 一ヶ月足らずで、下手でも、そしてとにかく形だけであるとしても、これができるようになったのですから、まあ、御の字でしょう。このクラスは、夏休みで、勉強かたがた、日本に遊びに来ている「台湾」の大学生以外は、皆、非漢字圏の人たちですから、「初級」を速くものにしておけば、「中級」で多少足踏みしたとしても、(頑張れば)「N2」くらいまでは狙えるでしょう。もっとも、アルバイトが始まると途端に崩れるという学生もいないわけではありませんから、アルバイトを始めた時から二週間ほどが要注意なのですけれども。

日々是好日
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「『富士山一日バス旅行』を終わって」。「今日から『夏休み』」。

2012-08-06 08:27:08 | 日本語の授業
 今朝の風は、いつもより涼しく感じられます。これも台風の影響なのでしょうか。天気予報によると、今日は、日本列島のどこで雨が降ってもおかしくないし、雷様もご来場になるやもしれぬとか。今日から補講の学生達は雨傘を持って来た方が無難のようです。

 さて、先週の金曜日、皆で「富士山」へ行ってきました。バスで行ける「五合目」までだったのですが(何人か登山口のほうに行こうとしていました)、それでも遠くから富士山の頂きが雲の間から見えた時には、大歓声が上がりました。やはり、「富士山」は、日本人だけでなく、彼らにとっても特別な山であるようです。

 それから「河口湖」へ行き、昼ご飯を食べ、10分でもいいからボートに乗りたいという学生達を引っぱるようにして(ボートの管理人のおじさん達も言ってくれました、「10分じゃあ、なあ」と)、バスに乗せ、いざ、「風穴」へ。

 「風穴」には、思いの外、氷が残っていました。かつては大切な氷室のような役を果たしていたことがわかるように、貯蔵されていた当時のままの姿で、「蚕の繭」や木の実などがおかれてありました。それから突き当たりには「ヒカリゴケ(光蘚)」が。ただこれはあまりはっきりとはわかりませんでしたが。

 学生達は「風穴」の入り口に立っただけで、「寒い」と慌てて上着を羽織ります。下から冷たい風が吹き上げてきたのです。温暖化の影響で二年前に行った「氷穴」はそれほど氷が残っていなくてがっかりしたのですが、この風で、学生達は一気に期待が高まったようです。

 「風穴」を出て、駐車場に行くまでがちょっと大変でした。何人か、「青木ヶ原の樹海」の怖さを知らない者が、ズンズンと奥へ入ろうとします。写真を撮りたかったのでしょう。

 「樹海」のことは、行く前に、説明しておいたのですが、彼らには少し難しかったのかもしれません。想像できなかったのでしょう。それで最後は、「自殺者」で脅して勝手に奥へ行かないように言っておいたのですが、今ひとつわかっていなかったようです。最後尾についていた教員の声で気がつきました。直ぐに、言われたとおりに戻ってきたので、ホッとしたのですが、いつものように遊んでもらうつもりで、どこかへ行ってしまったりしたら、私たちでは捜し出すことが、出来なくなっていたでしょう。

 そして、最後は「富士山」の華、「白糸の滝」です。ところが、下りて行ったものの、例年のように汀まで行けないのです。ロープが張られ、下りられないようになっていたのです。

 それで、「滝」のすぐそばの土産物屋さんに聞くと、去年の台風で、ちょうど滝と反対側のところから水が出て、汀の岩を押し流したのだと言います。この水は、土産物屋さんのところまで来て、水にドップリと浸かり、水が退いた後は、泥だらけになってしまっていたそうです。橋向こうの土産物屋さんのところでは重たい冷蔵庫まで流されたのだといいますから、すごい水だったのでしょう。

 未練たらたらで、残された岩のところを見たのですが、確かに危なそうです。足場が悪く、下手をすれば岩がまた崩れてしまいそうです。安全のためにはしようがないのでしょう。とはいえ、「白糸の滝」へ行くということは、滝の近くまで行くことができ、透明度の高い水に、足や手を浸せ、岩の上でぼんやりとできるというのが、醍醐味で、それができないとなりますと、このためにとっておいた一時間半は、ちょっと長すぎたようですね。

 だからというわけでもないのですが、上に上がっていく途中で、大きな猫と中型犬とが、お店の中で、仲良くお昼寝をしているのを見つけました。思わず駆け寄って、触ってもいいか尋ねますと、いいとの返事。もう撫でまくり触りまくりをしてしまいました。

 それからお店の方と世間話をしたのですが、富士山のあの辺りは、動物が多くて、まるで動物園のようなのだそうです。

 出てきた名前だけでも、「タヌキ(狸)」、「アライグマ(洗い熊)」、「ハクビシン」、「ムササビ(鼯鼠)」、「クマ(熊)」、「サル(猿)」など。まあ、雑談ですから、「ムササビ」の子供が入り口のところで寝ていたとか、取りごろになった「椎茸」を猿が食べてしまったとか、そんな話なのですが。それから猟犬も八頭ほど変われているそうで、こういう犬は、親子(親は手加減をしても子は手加減が出来ないそうです)でも、兄弟でも、喧嘩は血を見るのだとか、ただ、どの犬も犬同士ははげしく噛み合うけれども、このおじいさん(おばあさん?)猫には優しくて何もしないとか …。

 私の苦手な「爬虫類」の話が出てきたところで失礼してしまったのですが。観光ルートから少し外れると、富士山はやはり昔のままの、富士山であるようです。

 そういえば、富士山からの帰り、バングラデシュの学生が一人、「シカ(鹿)」を見つけたと言っていました。一昨年はカモシカが道に出てきて、みんな大喜びだったのですが、今回は鹿。ただし、見たのは一名のみ。これはちょっと寂しいけれども、まあ、いいということにしておきましょう。行徳の辺りですと、飼い猫に飼い犬、そして鳥くらいですもの、人以外の生き物で、見ることが出来るのは。

 帰りはカラオケで大いに盛り上がり、勿論、「海老名」の辺りで渋滞に巻き込まれはしましたが。それでも、おかげで横浜の夜景を見ることが出来ましたし、羽田空港の近くでは本当にまん丸で大きなお月様が進行方向の窓に大きく大きく映っているのも見られましたし…。

 予定より30分くらい遅れて、8時少し過ぎに行徳に到着。そして解散。「初級Ⅰ」の「Eクラス」だけは、夏休み中は朝の9時からということを何度も念押しして、後は自由にということでしたが、夏休み、アルバイトに精を出す以外に、休みの時は学校に来て勉強してくれるでしょうか。どうしても来なくてはならぬという三人にはそれとなく言っておいたのですが、やはりアルバイトが先でしょうね。普段勉強を優先させている分、休み中はなかなかそうも言えません。

 けれども休み中に、二三回くらいは、皆の元気な顔を見たいものです。

日々是好日
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