日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「梔子の花が咲いた」。「成田へのお迎え」。

2011-06-30 09:54:38 | 日本語の授業
 暑い。暑い。暑い…です。今朝は、早朝から既に30度近くあったのではないかしらん。そう思わせるようなムワッとした風が吹いていました。窓を開けても早朝のひんやりした風ではなかったのです。フワフワと泳ぐような感覚で新聞を取りに行き、植木に水を遣り…。もっとも、うちを出る頃にはすでにベランダの水は乾いていましたけれども。

 夜、気温が下がらなかったのでしょうね。いよいよ夏がやってきたのかと思わせるような昨日からのお天気です…。鬱陶しいなあと思っていたのですが、うれしいことが、一つありました。

 実は何週間か前に、鉢植えの小さな「クチナシ(梔子)」を買ったのですが、この花、どうも期待に背くヤツで、つぼみをつけたのはいいのですが、それからが悪いのです。少し綻びかけるなり、すぐに黄ばんでしまうという体たらくなのです。それだけならまだしも、そのまま二三日すると、そのまま枯れて、ポトリと首を落としてしまうのです。ええい、験が悪い。

 それで、、まだ五,六輪残っていた、その半枯れのつぼみを、みんなはさみでチョン、チョン、チョンと、ちょん切ってしまいました。そして、来年こそは頑張ってねと、油かすをやって、そのままにしておいたのですが…。それが、いつの間にか、新しいつぼみをいくつもつけ、ドンドンドンドンそれが膨らんできたのです。その時は、「またか。でも試しにおいておこう」くらいの気持ちで、水やりだけは欠かさぬようにしておいたのですが、今朝見ると、きれいな白い花が一輪開いていたのです。

 なんとなく、今日はいいことがありそうな、ちょっと得をしたような気分です。

 そうこうしているうちに、空港へ迎えに行った教員から電話が入りました。三人のベトナム人学生は、到着後一時間ほどで出てきたそうです。それですぐに学校へ戻るとのこと。ただ、三人の荷物が多いので、行徳駅に着いたら、男子学生の迎えを頼むと言います。そういうわけで、昨日自分も成田に迎えに行きたいと言っていた男子学生が一人、授業中に抜け出して、駅まで迎えに行ってもらうことになりそうです。

 九時五分前、学生たちが団子のようになってやってきました。その中に、一人、お昼ごろ成田へ迎えに行ってもらう予定の学生もいます。「一人で大丈夫か(成田までの道で、そして成田空港で)」と聞きますと、「先生じゃないから大丈夫」と言います。この暑いのに、まあ、そこでまた、追いかけっこです。二年生は、既に一年この学校で学んでいますので、ここまでなら大丈夫という、その線引きができています。

 こういうものは、身体で掴むしかないのです。日本で生活していく過程で、つかみ取っていくしかないのです。来日したばかりの頃は、どこやらオドオドして見えた学生たちも、一年も経つと、経済的にも自立していることからくる自信と、日本人とも普通に話すことができることからくる落ち着きとが備わり、授業の時に普通のDVDなどを見せても、必要な知識をいれるだけでよくなってきます。そうなってくると、多分、大学へ進学しても、それほど大学の方々に迷惑をかけずともやっていけると思うのですが…この二年生たち、あと少しですね。

日々是好日
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「梅雨の晴れ間」。「明日、新入生が四人来ます」。

2011-06-29 13:57:42 | 日本語の授業
 昨日の湿度は、朝の九時台で78%。学校についた頃には、既にナメクジ状態になっていました。情けない。これっぽっちの湿度でタラタラ、デレデレになるとはと、歯がゆいやら焦れったいやら。

 そういえば、昨日の明け方には、雨が降っていたようでした。しかしながら、お日様の光が強まるとすぐに、真夏の暑さがぶり返し、いつの間にか、「今日も暑いですね」を繰り返しています。

 そして、今日です。今日は朝から、お日様がお顔を覗かせ、「今日も暑いぞ」と警告の光。とはいえ、市川市の今日の湿度を見てみますと、昨日とは違い、昼には50%台くらいにまで下がるそうで、これもお天道様のお力でしょうか。もっとも、夜中には、80%台に戻るようですから、今は、やはり、梅雨なのです。

 周りの梅雨時の花を見てみますと、「キキョウ(桔梗)」が盛りを過ぎ、色を抜かれて、フニャフニャになっています。花屋さん曰く、「今年もこれで終わりかなと思ったら、油かすをやり、『お疲れさん』と寝かせて置いて下さい。そうすれば来年もきれいな花を咲かせてくれますから」。

 今は、「クチナシ(梔子)」がまだ元気で、白い姿を見せてくれています…、いました。が、どうも、この強い陽射しには勝てないようですね。花びらがダラリと垂れ、喘いでいるようにも見えます。「アジサイ(紫陽花)」まで、光の中で、うらぶれて見えますもの。あれだけ大きな花なのに、存在感がまるでなくなってしまうのです。やはり、雨あってこその、アジサイなのでしょう。

 さて、学校です。

 明日、ベトナムからの学生が三人、そして中国からの学生が一人、成田に着きます。迎えに行くのは、いつも教員と在校生。時には、在校生が、自分だけでも大丈夫と(言い)彼らだけで行ってもらうこともあります。その時には、西船橋辺りで、(学校に)電話してもらい、手の空いている教員が、行徳駅に迎えに行くことになっています。

 四人とも、学校の寮に住むことになっています。中国からの一人は駅と学校のちょうど中間点にあるところに、そしてベトナムからの三人は、学校の裏の、呼べば答えられるところに行き、荷物を置いてから、学校に来てもらいます。まずは、「日本に着いたよ」と国の御父兄に連絡して、安心してもらわなければなりませんから。

 というわけで、学校の裏の寮に、明日学生が来るということを伝えがてら、荷物を置くためのカラーボックスが揃っているかどうかを確認しに行ってきました。ついでに下の部屋も覗いてみます。そして、明日学生が来るからよろしくねと言うと、「自分も迎えに行きたい」と言うのです。「君は勉強しなければなりませんから、もう行く人がいるから、君は行かなくてもよろしい。学校で勉強です」。
 
 そう言うと、この学生はいかにも不本意であるとでも言いたそうな様子で、引っ込んでしまいました。この暑さの中、成田空港まで行くのはかなり「しんどい」ような気がするのですが、どうも、こういうことは(学校の勉強とは)別のようです。

日々是好日
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「人の感覚と『運気』と」。

2011-06-27 08:24:06 | 日本語の授業
 早朝は肌寒いほどの風が吹いていました。ほんの少し小糠を振った程度の雨を伴って。霧雨と言うには、軽やかすぎて、どうも相応しくありません。もっとも季節も違いますが。「涼しいな…これで良いのだろうか」と思っているうちに、だんだん蒸し暑くなってきました。過ごしにくいお天気ではありますが、心の片隅からは、「これで良いのだ。梅雨だもの」という声が聞こえてきます。

 「進取」の気概と、それの足を引っぱるという「守旧」という言葉と、社会が転換期を迎えると、その二つの歯車が軋み始めます。本来ならば、共にバランスをとりながら、人々を引っぱっていかなければならない大切な考え方でありましょうに。

 「現代人は、現代に生きるからこそ、歴史を学ばなければならない」と、よく言われます。歴史のどこに目を向けるかで、立場も変わってくるのでしょうが、その視点の如何にかかわらず、歴史に、「興り、隆盛し、衰弱し、滅ぶ」という流れがあることは、誰もが認めるところです。

 ただ、そこに「腐っても鯛」が出てくるのですね。その国が、一度でも隆盛したからには、それだけの理由があるはずです。もちろん、衰退期を迎えるにもそれなりの理由がある。それを学者たちは、必死になって見つめ、その理を解きほぐそうとする。

 今は「進取」の方に軸足を置いてほしいというのが、大方の日本人の気持ちなのでしょうが、この何が「進取」で、何が「守旧」であるかというのも、なかなか悩ましいところです。

 使われ方が悪くて、「守旧」なる言葉は、おかしなイメージしか持たれなくなってしまいましたが、いわば「スローライフ」も、本来「守旧」的なもののはずです。

 世界が、ひっくり返るほど先鋭化しすぎたおかげで、いつの間にか、人間の脳みその中で、「新しく、新しく」がグルリと一周し、亀さんのようにのろのろ歩いていた「スローライフ」の世界にまで戻ってしまいました。

 そんなわけで、世界の一番後ろをトロトロと歩いていた、「守旧」の極地、「スローライフ」が、今、一番「ナウいのだ」なんて言われるようになってしまったのです。

 ただ、その「守旧」と言われるものにも、その「守旧」の程度があります。既得権益を守るという意味での「守旧」というのは、これからは滅びに向かうだけだろうななどと人に予感させます。「今あるもの(地位なり、名声なり、富なり)を握って離さない」という「いぎたなさ」感が、どこかしら漂ってくるからでしょうか。

 人の感覚というのは不思議なものです。生き物の能力という点で、生来のものをまだ保持しているのかもしれません。人の感覚と「運気」とは、同じ流れ上にあるような気がします。「汚いな」とか「いぎたなし」とかを、他人に感じさせるものの方には「運気」は近寄って来ないような気がするのです。「一途な」人、「ひたむきな」人が、どうも運命の女神はお好きなようです。

 学生がやってきました。アルバイト探しです。早速持ってきた雑誌を見てみましょう。

日々是好日
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「『梅雨』が一番嫌い」。「日本の転換期に出くわした…のだろうか」。

2011-06-24 10:17:46 | 日本語の授業
 今朝は、雲を輝かす光で夜明けを感じました。今朝も雲が厚く垂れ込めていました。風は強い。南からの風と言いますから、近づきつつある「台風五号」の余波なのかもしれません。昨日、朝のうち、一時、雨が降りました。もっとも、それも一時で、あとはお日様が真夏のような光を浴びせかけ、学生達も、「暑い、暑い」と騒いでいました。

 「梅雨」時の暑さというのは、海岸近くや、高原で育った人達にとっては、たまらないものらしく、日本で一番嫌だったのは、「梅雨だった」などと言う人もいたくらいです。彼らの国ではまだ、朝夕には自然の風が町を冷やしてくれているのでしょう。エアコンの風は、いくら涼しいとはいえ、自然の風には及びません。自然の風には不快感がないのです。

 日本の「梅雨」時の辛さというのは、外はジメジメで、ムシムシしているというのに、建物や車の中は、ひんやりどころか、場所によっては鳥肌が立つくらいの寒さ。そんなところから来ているのかもしれません。人は、生活している以上、冷房の入ったところにずっと居続けることもできません。移動するには、まず湯気の立っている地面の上を、駅まで歩いていって、そこから、よく冷やされている電車に乗らねばなりません。その繰り返しです。その都度、不快不愉快になるのです。

 そんなこんなで体調を崩したりすれば、冬の風邪とは違いますから、気分的にも、ぐったりしてしまいます。特に日本の風土(四季プラスの「梅雨」)と全く違う国から来た人達は、冬の風邪よりももっと不快でうっとうしい夏の風邪に参ってしまうのです。おまけに、夏というのに毛糸のカーディガンや、膝掛けを持ち歩かねばならないなんて…。だれかが「不条理だ」なんて叫んでいましたが。

 まあ、今年は、いわば、大きく方向を変えられるかもしれない年。こういう生活はやはりおかしかったのです。皆、前しか見ていなかったのです。少しずつ歯車が狂い、状態が悪化していったというのに。

 何人かがそれに気づき、声を上げても、政治家も有識者と言われていた人たちも、専門家も経済界の大御所も、本来ならば、日本丸を曳いていかねばならない、リーダーであるべき人達が、人々に注意を促そうとはしなかった…。どうしてしなかったのでしょう。もしかしたら、そこにこそ、この問題の核心があるのかもしれません。

 これでは、いつの間にか戦争に突き進んでいったわずか数十年前の日本と同じです。みんな聞いていた、知ってはいた。けれども気づいたのは、神の鉄槌から起こされた人災の後。あの戦争の時は、「みんな知らなかった。知らされていなかった」と言われています。けれども、今は、報道の自由が幅広く保障されている今の日本では、みんな知っていたのです、聞いたことはあったのです。判らなかったのは、その意味さだけ。どの情報が大切で、どの情報が嘘であるかの判断ができなかったのです。これは国民を責めるべきではありません。みんな悪かったからなどとも言うべきではありません。専門家の責任であり、国のリーダーと見なされ、高給を取っていた人たちの責任なのですから。

 何でもそうですが、流されていくのが一番楽なのです。惰性の法則なんぞと言わなくても、そういう流れに身を任せているのが一番楽なのです。人に苦痛を強いるのは、嫌われますから、たとえそうせねばならぬ地位にあっても、責任感のない人はそれをしないでしょう。いい人ぶって多くの人を不幸に陥れる結果になっても、おそらくしないでしょう。

 元に戻そうとしたり、方向を変えようとしたりするのは、そのままでいたいという人の意志を無理にねじ曲げることになります。経済的な面での損失(新製品を発売し、それを買い換えさせていくことで、お金は廻り、経済発展という目的は達せられていたのですから)も考えなければなりませんし、それを言う人には胆力気力も必要になってきます。

 今、正に、そういう生活の見直しが、少しずつ行われているのでしょう。こういうことでもなければ、おそらくは、あと何年か、あるいは十数年か、どん詰まりにいくまで続いていたかもしれません。「何事か起こった時に初めて、その人の本性がわかる」とも「能力がわかる」とも言われていますが、この震災で、「名を上げた」人もいれば「名を下げた」人もいます。

 そして、多くの人は、「このままじゃいけない。どうすればいいのかは判らないけれども、とにかく、行動しなければ」と思ったのです。日本の再弱点は、リーダーがいないことです。皆を、その時点で最も正しいと思われる方向へ、100年後の日本を見据えながら、引っぱっていけるリーダーが…。

 命令したがる人はいます。身の程知らずの人もいます。少し前までは、普通の代議士は誰も、自分が総理大臣になれるなんて考えたことはなかったでしょう。それが今では「あのレベルで総理になれるのなら、オレだって」と、なることだけが目的になってしまい、不幸な国民を、ますます不幸にしています。

 ほんの何十年か前までは、「総理に(なってください)」と言われても、「私は分を知っていますよ」と言えるだけの人はいたのですが、今では「陣笠」までが、あわよくばと狙っています。もしかしたら、日本の選挙制度というのは、どこかに問題があるのではないでしょうか。投票率が80パーセントを切ったら、その選挙は無効であると、ならないものでしょうか。

 とはいえ、「義務感と責任感と政治家としての能力を併せ持ち、しかも胆力に富み、計画性も先見性も、おまけに指導力も人的魅力もあり」となると、もう、これは神様でなければ、無理です。土台、日本人はだれもそんな人など求めていません。日本人は、少なくとも、専制君主や、いわゆる英雄なるものの怖さは知っていると思います。独断と偏見で、何事も快刀乱麻にしてのける英雄などはいりません。

 普通の人は自分が失敗したら、自分で損をして、責任をとって、それで終わりです。けれども、立場の如何では、自分一人だけの責任では終わらないのです。多くの人を巻き添えにしてしまうのです。そのことの怖さを知らない人に、責任の所在を尋ねても無駄でしょうが。 

 語るべき内容を持った人に、訥々とでもいいから国民に語りかけてほしいのです。この国をどの方向に持っていきたいのか、100年後のこの国のあるべき姿とはどういうものであるのか。一人で考えて答えを出すのは無理でも、有識者と語り合い、大まかに(細かいとだめです。すぐに揚げ足取りをしたがる政治関係者がいますから)方向付けてほしいのです。

 それさえあれば、日本人は一人で考え、助け合い、どうにかやっていけると思います。政治に求められているのは、頑張ろうと言う人たちの手助けをすることだけなのです。その人たちの気力を奪うことではないはずです。

 時々、外国人の友人や留学生から、日本はどうなるのかと聞かれることがあります。彼らに何の答えもできません。結局、国策抜きで、政治家の蝸牛角上の争いは別にして、今みんなどう答えればいいのかわかりません。もっとも、彼らは彼らで日本の政治家の馬鹿騒ぎをしていますから、答えを強いたりはしないのですが。

 「今、みんな、頑張っているから。節電して、原子力抜きでもやれるように頑張っているから、多分、日本人は大丈夫だと思う」としか言えません。

 こういうのは嫌ですね。どうして若い時から政治に志を立て、人々のために尽くそうと学び、経験を積んできた人が、代議士になれずに、親の威光でなってから、国費を遣って勉強するから大丈夫なぞと言う人たちが、代議士になって高給を取っているのでしょう。「学んでから代議士になれよ」と、身銭を切って学んでいる若者たちや中高齢者は思うでしょうね。

 少しでも早く、今時の政治家が、普通の人と同じような感覚になれることを祈っています。それが最低の、一番の要求でしょうが。

日々是好日
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「隠れ家」。「隠し犬、隠し猫」。「エアコンをつける」。

2011-06-23 08:21:37 | 日本語の授業
 早朝、寝苦しさを感じ、目を覚ましました。窓を開けても風が入ってきません。外に出ても無風状態。ところが、植木に水を遣っているうちに、涼しい風が吹いてきました。ほっとして、あれは凪であったのかと思いながら新聞を取りに行きますと、途中でポツリ、ポツリと雨が降ってきました。油断できません。雨が降っていなくても、一応、今は梅雨なのですから。

 空気が、湿度を含んで膨張し、我慢できなくなったときに涼しい風が吹いて、思わずポツン。雨の原理はわかりませんが、子供の時に夕立が降る前も、ちょうどこんな具合でした。

 降る前に一瞬、雨の匂いが立ち籠めるのです。そうなると、皆、「それ、夕立が来るぞ」とばかりに、大慌てで、木の陰に隠れたり、どこやらの軒先をお借りしたり。子供は、昔は、だいたい皆、公園で遊んでいましたから、雨が降った時に隠れるのは、公園の三つ重ねの土管の中でした。雨風がしのげますもの。しかも、そこは一種の秘密基地のようなものでしたから。

 私くらいの年の者には、秘密基地とか、親や教師に隠れて皆で飼っていた犬や猫の記憶とかがあると思います。
 クラスの誰かが、捨て猫か捨て犬を見つける。
 どこの家でも既に動物がいるか、あるいは動物嫌いの親がいる。
 拾ってきたことで、叱られる。
 「捨ててきなさい」と言われる。
それがクラスのみんなを一巡する頃、皆の気持ちの中には共同体意識が芽生えてきます。皆がいらないというのなら、それなら、私たちが育ててやるのだという独特の高揚感ですもちろん、そこには自重を促す子供も出現します。とはいえ、子供に理屈は不要です。理屈が入ってくると、皆の耳はそれを通せんぼしながら行動し始めます。

 なぜか心を少しときめかせながら。給食の残りやおやつ、時には冷蔵庫の中から晩のおかずをこっそりとひいていったこともあったでしょう。そして、動物の隠し場所に行く。最初はヒモに繋いでいても、誰かが自由を奪うのはよくないなどと言い始めます。それでいつも最後は、放し飼い状態。なぜか一人ではなく、何人かの友だちと一緒に行きます。呼ぶとすぐに来てくれるのがうれしくて、そこで一緒に遊んでしまうので、いつの間にか親には知られているのですが、子供はそれには気がつかない…。

 そのような記憶は、彼(あるいは彼女は)みんなのもの、みんなで育てていかなければ死んでいたかもしれないものという気持ちとそういう存在を護るという意識を自然に育てていくような気がします。最後はだいたい尻切れトンボで終わってしまうのが常でしたが、それでも、その間の記憶というのは、鮮明で、断片的な映像がある瞬間にハッと呼び覚まされることがあります。

 「皆のもの」だったからよかったのでしょう。いったん、だれかが、「私の」なんて言い出していたら、途端に仲違いが始まり、共同作業なんてやっていられませんもの。

 そこには、計画を立ててくれるリーダーがいて、そして芯から動物好きの友だちがいて、何人か「うっかりさん」が出ても、いつの間にかカバーしてくれていて…そういういくつもの条件が重なっていなかったら、相手は生き物ですから、数ヶ月から一年もの間、餌をやり続けることなんてできるものではありません。もちろん、動物たちの気持ちの中には、餌をくれるて、一緒に遊ぶヤツくらいの認識はあったでしょうが、飼われているなんぞ思ってもいなかったでしょう。

 さて、学校です。
昨日は暑かった。下の教室も上の教室も暑かった。しかも、お向かいが工事中でドンドン、ギシギシ、カーンカーンと、四六時中、機械音が鳴り響いていますから、窓は開けられません。というわけで、使いすぎないようにしながら、エアコンのスイッチを入れてしまいました。

 あれ、ここまで書いたときに、雨音です。パラパラと降ってきました。そういえば今朝は朝焼けが出ていませんでした。厚い灰色の雲に覆われた空の何カ所かが、少し薄くなっていて、そこから光が洩れる…程度のお天気でした。しかも、時期に見えなくなりましたから。

 ところで、話を元に戻して、学生達です。
朝、上の教室に行きますと、エアコンはついているのに、東側の窓が開いています。
「誰がエアコンをつけましたか」。
「○●さんです」。
明るいですね、全く。文句をいわれるとは、露ほども思っていません。
「あの窓が開いています。エアコンをつけるときはチェックをしましょう。それにドアも開いています。誰が閉めませんでしたか」。
「せんせい~で~す」。
「先生が入るときには開いていました」。
「じゃあ、◇◆さん」。
「私が入るときにも、開いていました」。
「じゃあ、…わたしです」。

 まるで子供の会話です。けれども、毎回、こうやって大笑いしながら授業が始まっているのです。これを喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら…。何となれば、テストで芳しくない点数を取っても、「先生、困りましたね。でも頑張りました。」で、ニコニコ。で、終わりなのです。

 クラスには少々神経質な学生もいるので、こういう雰囲気は、そんな彼女にとっては悪くはない…のですが、しかし、いつもこうだと、ちょいと考えさせられてしまいます。

 だって、『留学生試験』が終わったばかりですよ。その上、『日本語能力試験』が迫っています。ですから、本当なら、もうちょっと締まってもらいたいなというのが偽らざる私たちの気持ちなのですが。

日々是好日
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「朝焼け」。「学校で日本語を学ぶ」。

2011-06-22 13:49:27 | 日本語の授業
 今朝は、久しぶりにきれいな朝焼けを見ました。東の空の低いところが、線を引いたようすっと赤く染まり、それがだんだん拡がり、明るくなっていくのです。見始めた時は、まだ大半が夜の闇に包まれていました。お日様がひょいとお顔を覗かせる場面は見損なってしまいましたが、それでも、いい一日になりますようにと手を合わずにはいられませんでした。

 列島の西の方では、梅雨前線が活発で、様々な被害が出ています。ところが、こちらでは、まるで梅雨が明けたかのような上天気です。どうやら、今日一日中、「カンカン照り」になりそうで、それを聞くだけで汗が吹き出しそうになってしまいます。

 さて、日本語学校です。

 日本語学校というのは、来日し、日本語ができなくて困っている人に、ボランティア感覚で日本語を教えていくというところでもありませんし、とにかく日本に行きたいからという人に便利な手立てを提供するところでもありません。専門学校を頭の中に思い浮かべていただければよくわかると思います。違いは、対象が皆、外国人(帰化している人の子供の場合もあります)であるだけです。

 日本人も、英語やフランス語を習いたければ、そういう学校やクラスに入ります。学びたいと(考えて)入るわけですから、目的は勉強です。お金を払うわけですから、適当に(遊んでとか、楽しんで)とは、まず、考えないでしょう。元金の分は学び取るべきであり、それができなければ、行くのをやめてしまうでしょう。

 日本人だったら、お金を払うのが嫌な場合、学びたい言語が母語である人と友だちになって、「教え合いっこ」するという手もあります。けれども、お友達で教え合うというのは、教えるは「副」であり、「主」ではありません。教え合う人が、共に教師ではありませんから、系統だった内容とか教え方とかを考えずに、「テキトー」にやってしまうのが普通です。もちろん、それを責めるべきではありません。そういう暗黙の了解の下になされるのが、「教え合いっこ」なのですから。

 もし、「教え合いっこ」でも充分、学校で学ぶのと同じくらい「早く」、しかも「正確に」、充実した「内容」と「知識」を身に付けることができるはずと考えているようでしたら、それは期待はずれに終わることでしょう。それどころか、そのことにかかずらい過ぎて、単なるお友達でしかない相手に、専門的な説明を求めたり、五分五分でやるべき時間を一方的にとったりして、「あの人といるのは嫌」と言われてしまうことだってなきにしもあらずです。殆どの相手は、そんなことなんて考えてはいませんから。あくまでお互いの親睦のためのものなのですから。

 もちろん、(日常)会話が目的であれば、それはそれとして、とても良い方法だと思います。お子さんなどがいれば、お互いの生活圏が重なっているわけで、自分に必要な単語、文章をよく耳にすることができるでしょうし。ただ、そこはそれ、自分なりにチェックしたり、勉強しておかねばならないでしょうが。なにせ、人がやってくれるわけではありませんから。

 以前、中国人の友人が言っていたのですが、日本に派遣された彼女の上司が、日本語が全く話せない奥さんを連れてきたことがあるのだそうです。彼女曰く、「この人は学校で勉強して日本語を覚えるタイプではないけれども、驚くほど早く日本語が話せるようになった。あれくらい(の日本語)で充分」。
ただ、こうやって得た、この人の日本語はおそらく「これ、いくらぁ」とか、「おはよぉ」みたいなものにすぐに変わってしまうことでしょう。本人がよほど自覚していなければ。

 学校でまじめに勉強している学生でも、だいたい「初級Ⅱ」レベルくらいから、アルバイトの面接に成功するようになるのですが、そこで、アルバイトに精を出して学校の勉強が疎かになってしまうと、すぐ、こういう「工場内作業で使うような日本語」になってしまいます。

 アルバイトの時には、効率が命ですから、まどろっこしくて、丁寧な「日本語」など使う人はだれもいません。耳にするのは「指示を与えるだけの日本語」であったり、休憩時間に「ダベリング」をするための日本語くらいでしょう(レストランやコンビニでアルバイトができるようになるのは、だいたい「上級教材」に入ってからです)。

 とはいえ、彼らが目的とする大学や専門学校、大学院などへ行くためには、いわゆる「まどろっこしくて、彼らの身近な人たちが誰も使っていない」日本語を学んでいき、忘れないようにしておかねばならないのです。

 「留学生試験」などを経験した後では、それほど説明せずとも判ってくれるのですが、(初級段階であれば)注意すると、「でも、先生。日本人は、みんな、学校で勉強するような日本語では話していない」と、訴えたりするのです。

 ただ、人によっては、安易な方に流されていき、入試の頃になって慌てたりするのです。できるだけ、そういう愚を繰りかえさせないようにしてはいるのですが。

日々是好日
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「試験はどうだった?明後日の方向を向いた学生たち」。

2011-06-21 18:08:42 | 日本語の授業
 早朝、急に大気が膨らみはじめたと感じた瞬間、ポツリ…雨が降り出しました。しめやかな雨です。こういう雨の日、森を想います。木々の緑は思いの外、幾重にも深く重なり合っており、これくらいの雨では、葉の上に溜め込まれて、それで終わりです。決して大地に零すことはありません。重なり合った枝や葉が、大きな傘となり、下にいる私たちを護ってくれるのです。

 そして、上空を強い風が渡った時、突然、一斉に、ザーッ。白いシャワーを浴びかけるのです、安心しきっている私たちに。

 森に思いを馳せているうちに、ふと涼しげな風が頬を掠めました。そして静かに雨滴はか細くなり、間遠になり、見えなくなり…。

 さて、学校です。

 いくら、日曜日の「留学生試験」のことを聞いても、学生たちは顔を「明後日の方向」に向け「笑ってごまかせ」を決め込んでいます。まあ、一番、判っているのは本人たちでしょうから、結果が出るのを楽しみにして(?)待つことにいたしましょう。

 時々、自分の限界、学生たちの限界、彼らが日本で学んでいくことの限界について考えさせられます。私たちは少しでも、その幅を拡げさせようとしているのですが、そのたびに、小さな摩擦が生じます。軋轢になるのです。

 アルバイト先が同国人ばかりだと、いくら学校で道理を説明しても、それが通じないのです。結局、授業の時以外は、母国同然の生活をしているのですから、それは異国にいるという感覚に欠けてしまうのも当然なのかもしれません。そういう人たちは日本人が大勢働いているようなところでは働けないのです。外国にいる時には母国にいる時よりもずっと柔軟性と適応力が必要になります。またそれを求められるのです。それがないから、いつまでも自分たちの国の人たちが働いているところでしか働かざるを得ないのでしょう。これは言葉だけの問題ではありません。もとより共に不可分の関係ではありますが。

 クラスに他の何カ国もの国から来た人達がいて、しかも他の国の人たちは彼らのような行動をとっていないのにもかかわらず、自分たちのやり方でやって少しも変だと思わないのです。注意すると大丈夫だと言います。自分を外から見るという訓練も、大声を出せば、他の人に迷惑がかかるということにも思いが至りませんから、平気です。

十数年前まで、中国人でも、そのような行動をとる人たちが少なくありませんでした。ところが、いつの間にか、そういう人達は、来なくなりました。国が豊かになるというのは、もしかしたら、そういうことなのかもしれません。そういう人たちはわざわざ日本などへ来なくとも、自国で十分に仕事を見つけられるようになったのでしょう。

 それどころか、今いる中国人学生は、そういう行動をとる国の人たちを、最初は驚いて、次に怪訝そうに、そして今では面白そうに見ています。他者にどう思われているのか気づかないのは、彼らだけなのかもしれません。

 私も最初は黙ってみていました。もちろん注意はしますが、相手を理解しようとすることの方が、まず大切だったのです。とにかく受けとめて、受け入れる、最初は。何事に拠らず、まず善意に解釈してみる。どうして彼らがそうしなければならなかったのかを考えていくという作業の連続です。なにせ、その国から来た人達を教えたことがありませんでしたから。そして、そうしながら、少しずつこれは躾けも何もできていないからしているにすぎぬとか、得手勝手な行動にすぎぬ、単なるはた迷惑であるなどと思うようになってから、切るべきは切り、厳しくすべきは厳しくしを始めました。

 彼らは、一人であれば、そういう行動もとれなかったでしょうし、他の人の眼も気になったでしょう。ところが、一人ではないのですから、我が世の春です。一つのクラスに何人もいるのですから。その国から来ている学生たちは、皆同じように、授業中であるにもかかわらず、勝手に席を立ち、いつの間にかいなくなり…。そうでなかったら、大声で(彼らは大声ではないと言いますが、判らないことを訊ねるにしても、授業中です。他の学生たちは声のトーンを落として小さな声で話します)、時には甲高い奇妙な声を上げることもあります。これは、勉強をするためにきている、その他の学生たちの大迷惑になります。

 遅れてきた同国人の学生が教室に入ってくると、またそこで、声をかけ、ペチャクチャ話そうとする。それが彼らの国では習慣なのでしょうか。いったい彼らの国ではどういう教育をしているのかと疑いたくなります。

 彼らの行動すべてが、彼らの国を測る物差しとなるのです。私たちだけではなく、他の国から来た人達も、多分、彼らの国というのは、ああいうレベルの国だろうと思って見ていることでしょう。そのことについても、当然のことながら何とも感じていないと思います。

 こういうことが、この学校の伝統になっては困ります。人は誰でもそういう要素を多少は持っているのです。「あいつが大丈夫なら、自分も」と、そう考えてしまう弱さを誰もが持っているのです。「そういうことは許さない。してはならない」ということを、きちんと判らせなければ、まねをして、(授業中であるにもかかわらず)携帯電話に出てしまう人が出てきます。

 最近、そういう学生がずっといませんでしたから、わたしたちも、ある意味では無防備になっていたのです。「やるはずがないのにしている、もしかしたら、何か大事でもあったのではないか」と、そう思ってしまっていたのです。

 今では、もう私たちも相手の様子は知れましたから、次に引き継がないように、きっぱりと抑えつけています。実は抑えると言っても、やりようは様々で、他の学生たちは何の問題はありませんから、せっかく学校に来ているのに、こんなつまらないことに巻き込まれて不愉快な思いを抱かせては、かわいそうだし、申し訳ないのです。

叱れば、叱っただけの、共に後味の悪さが残ります。本当はこんな思いはしたくはない。ここは勉強しに来ている人たちの学校であり、大学や大学院へ、また専門学校へ、高校へ進学したいという人達のための学校なのですから。

日々是好日
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「『明日は我が身』という言葉のもつ難しさ」。

2011-06-20 14:25:35 | 日本語の授業
 曇り。外に出るとムアッとした雨の匂いがしました。空は夕方くらいまでは保つようですが、それから後は、にわか雨が降るかもしれないとのこと。午前の学生たちはおそらく傘の用意なしでやってくるでしょうから、「濡れて帰ろう」となるか、「せんせ~い、傘、貸してください」となるか、でしょうね。

 借りても返せばいいけれども、何人かの不心得者は持ってくるのが面倒なのでしょう。雨が降ったら持って来ますと言うけれど、雨が降ったら降ったで、またそれをさして帰らなければなりませんから、すこしも返すことにはなりません。なんだかキツネにつままれているような気分になってしまいます。

 とはいえ、時折、陽の光が、雲の切れ間から射してきますから、もしかしたらもちこたえられるのかもしれません、今日一日くらいは。「白日」と言いたいほどの弱さなのですが。この雲の切れ間というのも、切れ間というより、風に流されている分厚い雲と雲の間に、たまたま陽が透けるほどの薄い部分があったというだけのもの。昼を過ぎると涼しい風まで吹いてきました。そのうち、雨が降り始めるのでしょうか。

 さて、学校です。
実はこれまで「明日は我が身」、つまり「今は、人がそのような憂き目に遭っているが、いつ自分の身に降りかかってこないとも限らない」というような文章を、なんと言うこともなく、軽く読み飛ばしていました。もちろん説明は加えるのですが、比較文化的な説明はしていなかったのです。教えるときに、大丈夫かなという一抹の不安めいたものは感じていたのですが、それがこれほど納得できていなかったとは。

 中国にいるときも、あるとんでもないことが起こった場合、大半(中国人のみならず)が他人事と見なすのに対して、日本人だけが我が身のこととして捉え、「怖い怖い」と感じていたようでしたし。

 他の国の人たちに、「今日はあの人たちだけれども、明日は判らないよ。こっちの身に降りかかってこないとも限らないでしょう」といくら言っても、大方の学生たちは、腑に落ちぬような表情をしていましたし。

 この学校にいる学生たちも、思えば、ちょうどあのときの友人たちと同じような茫漠とした表情だったのです。で、突っ込んでみると、彼らは彼らで、言葉の表面的な意味だけを理解して、それで事足れりとしていたようなのです。

 日本人には、原始的といっても良いのかもしれませんが、「人、皆、同じ」といった意識があります。ですから、Aさんがひどい目に遭ったとすれば、まず99%の日本人が「自分もそういう目に遭うかも」と思うでしょうし、そう思わずに済ませられるような日本人は、殆どいないと思います。

 もとより、だから何をするというわけでもないのですが、皆、人に起こったことは自分にも、遠からず起こると思っています。地震は、地位の高低、富の多寡に関わりなく、人を襲います。生き残れた人も、「運」や「咄嗟の判断力」など、限りなく個人的な要素の強い、いわば賦与されたものによって逃れられただけのことで、そういう時には、「身外の物」は、大した力を持っていないのです。

 その、こういう感覚を、風土によって育まれたものと見なせば、そういう風土に育っていない人には、いくら言葉を尽くして説明しても、その理解は、表面的なものに終わるだけでしょう。これは実際にそういう目に遭うとか遭わないとかいう話ではなく、そういう運命は、誰にでも、平等に襲いかかってくるということ、その可能性があるということが判っているかどうかということなのです。

 都市部と農村部で、まるで人に等級をつけるように、きれいに分かたれていたり、カースト制の下で、自分たちのカースト以外の人を認めなかったりして、いわば生まれながらにして、平等「感覚」が育ちようもなかったりすれば、「明日は我が身」という言葉なんて、結局は何が何だか、判らない不可思議千万の言葉でしょう。

 考えてみれば、こういうことはまだまだたくさんあるのでしょうね。

日々是好日
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「『留学生試験』は明後日なのに」。

2011-06-17 09:42:06 | 日本語の授業
 水たまりの影が揺らぐので、降っているのがわかる、そんな雨です。

 6月も中旬を過ぎ、もう17日になりました。「留学生試験」と言っても、ぴーんと空気が張り詰めないのはどうしてでしょうか。「19日は何の日」と聞けば、「ハ~イ。父の日デ~ス」と、明るく谺が返ってきます。これで良いのかなと首を傾げながらも、どこか、たぶんこれで良いのだろうなんて思ってしまうのです。

 まあ、こんな風に生きて行ければ幸せかもしれない…なんていう気にさえなってきます。それも、明るく楽しげな、「ケセラセラ」という雰囲気のフィリピン勢が三人もいるからでしょうか(中国勢はモンゴル族が大半を占め、一人いる漢族の学生は勉強にそれほど乗り気ではない)。

 このフィリピン勢のうち、二人は去年、「Bクラス」にいて、「N1」に合格するまでは勉強したいと言うことで残った学生なのです。うち、一人は、叱るとすぐにシュンとしてしまうくせに、それが長続きしない(本当は神経質なのだと思いますが、叱られても、棄てられないということが判っているせいでしょう、すぐに立ち直れるのです)。しかも、楽しいことがあると俄然張り切ってしまうのです。

 ただ漢字はよく練習しています。去年の「Bクラス」は、「Aクラス(7月のころ、N1合格者あるいはそれに準じる学生が多くいた)」があったから、そういう名前になったまでで、まじめさは決して「Aクラス」の学生たちに劣りませんでした。

 しかも、クラスの大半を占めていた「非漢字圏」の学生たちは、漢字をよく覚えていました。「漢字」だけをとってみれば、「N2」に合格できる学生が何人もいました。ただし、それと文章を読み取る力というのは別物のようで、例えば日本人で言えば、英語でもドイツ語でも習った後、「聞く」「話す」はなかなか「Dランク」からあがれないけれども、「読む」だけは、すぐにかなり難しいものでも読みこなせるようになるというのと、対照的なのです(だから、なぜ読み取れないのかが、最初は判りませんでした)。

 これは、母国で受けた教育、つまりそれによって得られた知識の分量と、かなりの程度、関係があるようなのです。例えば「空気を圧縮する」。まず「空気」で躓きます。みんな「知っている」と言います。けれども「判っていないのです」。「気体」とか「固体」、「液体」に話が及ぶと、眼が泳いでしまう学生が何人も出てきます。お湯を沸かしている状態を想像させ(「氷」「水」「蒸気」「そして見えなくなる」という過程)、理解を促しますが、これとて、一番良いのは「小学生」の時の実験でしょうね(できませんが)。

 次に「圧縮」で固まってしまいます。この二つが一つの文の中に入っているのです。それを常識として500字程度の文章は成立しています。教師は、本来なら、結び目を一つ一つ解いていって説明しなければならないのでしょうが、一クラスの中には、そういうことは常識として知っている学生も半分はいるのです。個別作業を常にやらねばならないことになると、なかなか一教師の手に負えることではありません。ということは、やる気があり、質問し、自分から教師に迫ってくる学生以外は、面倒が見切れないということになってしまいます。

 日本において、普通の日本語学校に来る人たちは、大半がその国の一般的な(高校までの)教育を受けてきた人たちです。母国では「エリート」でも「超エリート」でもありません。もちろん、諸般の事情があり、母国での教育制度に馴染めなかった、あるいは教育理念、教授法などに親しめなかったという才能のある人もいます。そういう人が、もし日本人の教育方法などを抵抗なく受け入れられるようであれば、すべてはうまい具合に回転しはじめます。言語だけではなく、広範囲において、驚くほどの進歩を見せる場合もあるのです。ただ、それはごく稀なこと。普通は、母国である程度の知識が習得できていなければ、それは、読解力を問われたときに、大きな壁となってしまいます。

 日本語学校というのは、ただ日本語を教えればいい、「日本語能力試験」で「N1」なり「N2」なりをとらせればいいというのではありません。大半の学生たちが、専門学校や大学、大学院を目指してやってきています。そうなれば、日本語を教えるだけでなく、予備校めいたこともしなければなりません。これも、合格すればいいというのではなく、大学一年二年の時まで、困らない程度の知識もいれておいてやらなければならないのです。そのための準備もしているのですが、これは対象者(学びたいという意欲のある学生)がなければ、結局は意味がなくなってしまうのです。

 少しずつでも知識を増やすために、いろいろな知識も入れておきたいと教師の方で願っても(それは同時に日本語の単語を増やすことにも繋がります)、まさか「初級レベル」の学生に見せるわけにはいきません。「地球の進化」や「宇宙の成り立ち」、「戦争の世紀と言われる20世紀の残されたフィルムを通しての歴史」、「世界各地で起こっている紛争」、「環境問題」、「世界遺産の危機」…駆け足で見せ、説明を加えるにとどまるにしても、ゼロで大学に入るのと、予備知識めいたものがあった上で大学に入るのとは違います。

 皆は日本で大学入学を目指しているわけですから、日本の問題も入れておきたいのです。日本一国を見ても、問題の多いことに驚くでしょう。そして彼らが、自分たちの国の諸問題にまで眼を向けることができれば、卒業後何を目指したいかのよすがになるかもしれません。日本では、孤独死、不況、絶縁社会など、様々な問題が私たちを取り巻いています。大学に入って、カリキュラムの選択をするときに、こういう知識のある人とない人とでは全くそれ以後の四年間が変わってきます。

 レベルの高いクラスであっても、こういうものを腰を据えて学ばせてやれるのは(「入門」めいたものは、「上級」の教材に関係した部分で入れています)、12月に実施される「日本語能力試験」が終わってからなのです。ただ、「試験に合格したから」もうすべて終わり、という学生の何と多いことか。「日本語能力試験」が終わったから、それで日本語学校の仕事なんて終わりでしょう」と見なす学生の何と多いことか。だから「一時帰国したい」、あるいは「学費が足りないからアルバイトに精を出したい」と、それぞれやるせない事情はあるにしても、そこで切れてしまうのです。

 きちんと授業が終わるまで勉強を続けることのできた学生は(座っているだけではなく)、それほど多くはないでしょう。そこまで残って勉強できていれば、大学に入ったときに、それなりに役に立つのですがでしょうが、なかなかそうはいきません。

 私は、日本語の本が曲がりなりにも読めるようになった「N1」以後(二、三ヶ月ですが)が、日本語学校として、本当に活躍できる時期だと思うのです。しかしながら、それが判ってくれる学生は、なかなかいません。

日々是好日
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「病になるときには、病になるがよろしく候」。「おのれをおきて だれによるべき」。

2011-06-16 09:27:28 | 日本語の授業
 空は一色です。白っぽい灰色。どんよりとした雲が空を埋めています。

 今日は夕方頃から雨になるとか。西の方は大雨ですから、それが半日かけてこちらにもやって来るということなのでしょう。理にかなっていると言えば理にかなっています。こういう風に自然の猛威も徐々にやって来ると、少しは心の準備もできるのに、地震や火山の噴火などは、そうなってくれないところが辛いところです。せめて人の心だけは、心の織りなすままに、怒り、泣き、喜ぶとはならないものでしょうか。

 かつては、高僧が、
「病になるときには、病になるがよろしく候。死ぬるときには、死ぬがよろしく候」などと言ったり、
「貧賤に際しては、貧賤をおこない、患難に際しては、患難を行う」などということわざがあったりしたと聞いています。今は耳にすることなど全くありませんが。

 ただ、人というものは、
「見惑思惑(けんわくしわく)の迷雲」に閉じこめられた煩悩の主でありますから、知っているからできるかというと、そういうものでもないのです。
「わずか三合ばかりの病に、八石五斗のもの思いをなすべからず」と言われても、「ああもうだめだ」と、もう、それだけで死に至る人も出てきます。

 もちろん、人間は、
「八石五斗の病でも、三合ほどのもの思い」で済ませられるときもあるでしょう、心の持ちよう一つで。それが一筋の「希望」であったり、あるいは「守らなければならない者や物」の有無で決まったりするのでしょうが。

「おのれこそ おのれのよるべ おのれをおきて だれによるべき」であり、
「よくととのへられし おのれこそ まこと えがたき よるべをぞ得ん」なのでしょう。

 実は、昨日ある人から本が送られてきたのです。郵便受けにそれらしい物を見、送り主の名を改めたときに、もしやと思っていたのですが、やはり新興宗教の誘いでした。

 以前もそういう物が送られてきて、その時はやんわりと断って、事なきを得たのですが、今度は「そろそろいいでしょう」めいた語調での誘い。これはもうはっきり書かなければならないかなという段階です。

 以前送られてきたときに添えられていた手紙には、「こういうものに興味がないと思いますが、私はこれで救われたのでお送りします。嫌だったらいいのです」くらいのものでした。ですから、相手の気もちを傷つけないようにと、私の方でも配慮して書けたのですが、もういけませんね。彼女はどっぷりと浸かりきっているようです。こういうもののためなら何でもするくらいの気持ちになっているのかもしれません。

 留学生とこういう新興宗教というのとは、あまり関係がないように見えるかもしれませんが、外国から来た学生たちの中には、日本に来てから、「嵌ってしまう」人もいるようです。

 彼らは、長いこと親元を離れていますから、優しい言葉に飢えていたということもあるでしょう。また、「日本人と友だちになりたいけれども、なかなかなれない。この人たちは声をかけてくれた。友だちになれるかな」くらいの気持ちで引きずられてしまうということもあるでしょう。なかにはアルバイトを紹介してやるとか、パーティがあっていろいろなご馳走を食べながらおしゃべりできるからとかいう「飴」につられることもあるようです。

 特に、元、あるいは現共産圏の人の中には、注意しておかないと、大変なことになる場合もあるようです。彼らは常に「主義がある」状態(つまり、答えは決まっている社会です)に慣れているので、それがないと、風に揺れる草のようにフラフラとなってしまうようなのです。

 国ではだれかの言うとおりに、そつなくやってさえいれば、それで十分だったのに、この国ではそうではない。自分の国にいた時やっていたように「主義」を振りかざして叫んでも、みんなが奇妙なものを見るような目つきで見るだけで、だれも乗ってこようとはしませんから、それもできない。彼らの国では、すぐに、みんな異口同音に「そうだ」と言いますから、(それだけで)「みんな仲間だ」みたいな感覚に浸れたでしょうが、ここではそうは行かないのです。そういう「刷り込み」みたいな教育が、「一番人間をだめにする」的な共通認識だけは日本人にはありますから。

 「自分の頭で考えろ」と言われたり、「自由に決めていい」などと言われると、途端に途方に暮れて、頼りなくなってしまうのです。

 留学生へのものは、かつての「オウム真理教」が、共産主義体制が崩壊した後のロシアに食い込んでいったのと同じような原理で行われているのかもしれません。

 心の問題というのは、一対一の関係で終始さるべきもので、人様にとやかく言うべきものではないはずです。信仰心というものは、限りなく「個の世界」に属するはずのもので、その時に生じる集団というのも緩やかであって然るべきではないでしょうか。例えば原発反対で同じ考えを持ち、同一行動を取ろうとも、その「考えや行動というもの」は枝葉にすぎず、大本(おおもと)は、やはり自分一人で向き合い、考えていくべきなのででしょう。

 もとより、人は弱い。弱いけれども、そういう気持ちでいるのといないのとでは全く生き様が異なってきます。人のせいにせずに生きるだけの強さがない限りは、こういう心の問題に人を立ち入らせるべきではないし、それをさせようとすべきではないのです。群れたいという人が集まったり、あるいは故意に(人を)群れたがらせようというような宗教は、どこか「まがい物」めいた匂いがします。一人で寂しいから集まるというのなら、それは、単なる「頼母子請」に過ぎぬ程度のもので、宗教なんぞではないのです。集まりのお金も、お茶代程度で終わって当然です。

 そういうものに惹かれる自分を知った上での行動が、必要となってくるのではないでしょうか。

日々是好日
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「一律ではない『教室内の体感温度』」。

2011-06-15 11:25:43 | 日本語の授業
 曇り、時折薄日が射してきます。涼しい風が暖簾を揺らしています。

 今日は最高気温が22度くらいとか。もっとも、教室の中は、その通りというわけではなく、大声を出して、体で作業をしなければならない「初級」と、それほど目立った動きをせずとも済む「中上級」とでは、体感温度がかなり違ってきます。それに、座って、せいぜい書くことぐらいしかしない学生たちと、立って動き廻らねばならない教師とでも、異なってきます(私が「暑い、暑い」と言うと、あらぬ方を見やりながら「ダイエット」と輩さえいるのですから)。

それに、南から来ているから、暑さに対する抵抗力が強いのかというと、一概にそうとも言えないようで、「自分のところは南国だけれども、こんなに暑くない。本当に日本は暑い」と言っていた南西アジアや東南アジアの人たちもいました。

 そういえば、冬の寒さについても、ベトナム人の学生は、「日本の冬は怖くない。全然寒くない」とも言っていましたっけ。「ベトナムでも北の方は中国(?わかりません。彼がそういっただけです)から冷たい風か吹いてくるから、気温は10度でも、東京の冬と同じくらい寒い。東京の気温が2度とか聞いていたから、どんなに寒いのかと思って来たけれども、ちっとも寒くない。へいちゃらだ」。

 まあ、国それぞれに日本の寒さ暑さに対する感じ方は違うようですから、私たちがこうだろうと想像して、あれこれ注意しても(本人が納得できないので)、注意のしがいがないという部分もあるのですが、ただ、いくらそうであっても、どうしても一言言いたくなるということもあるのです。それは、南国の人たちが、真冬であろうと、靴下を履きたがらないということなのです。

 真冬でも、裸足につっかけ(まあ、皮の上等なやつですが)で学校に来たりするのです。いくら学校がすぐそばにあるといっても、これは寒い。いっぺんで風邪を引いてしまいます。上はダウンや、まあこれ以上着込めないというほどの服に埋まりながら、下は裸足。日本の「寒さ」というものは、下から入ってくるのです(湿度が高いからということもありましょうが)。「寒い、寒いという前に靴下をはけ」と怒鳴っても、「気持ちが悪いから、嫌だ」と逃げられ、言うことを聞こうとしないのです。

 これを初めて見つけたのは、スリランカの学生でした。彼らだけかと思っていたら、ベトナム人もそうでした。インド人もそうでした。嫌がるのです。靴下さえ履いておけば、かなりの程度、震え上がるような寒さから逃れられるであろうに、どうも耐えられないようなのです。もっとも一年くらい経ったら、黙っていても靴下をはいてくるようになりましたが。

 ところが、先週、上にダウンを着て、突っかけを履いているインド人学生を見つけました。当然、裸足です。梅雨寒のお天気でしたから、ダウンを着ずとも、靴下を履けば、それで十分しのげると言ったのですが、嫌がるのです。彼は在日歴が三四年と、形の上では、他の学生たちに較べて随分長く日本にいることになるのですが、やはり、どうしてもこういう習慣は変えられないのでしょう。

 風邪を引くとか引かないとか、あるいは寒いとか寒くないとか、そういう判断や基準では、どうも彼らとやり合っていけないようです。

日々是好日
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「ホタルブクロ」。

2011-06-14 14:24:35 | 日本語の授業
「ホタルブクロ(蛍袋)」が、戸建ての庭に咲いています。そういえば、園芸店でも売られていましたっけ。この花に初めて気がついたのは、友人に「トトロの森」なるところへ連れて行ってもらったときでした。街のすぐそばなのに、深い森があり、すぐに陽が沈んでしまうのです。つまり、昼を過ぎるとすぐに夕方…夏なのに…。

 これは修験道の部落でも言われたことですが、「注意しろ。山はすぐ日が落ちる」。山に、笹をかき分けかき分け、入っていくと、すぐに陽が届かなくなります。日本の山は、いくつかの例外を除いてですが、大らかに山裾を広げていると言うよりも、山同士がせめぎ合っているような具合なのです。だから昔話にある、山と山との争いなんていうのが、非常に現実味を帯びて感じられるのです。

 しかも、谷につながる道も多く、歩いている時に、冷やっこい風が下ってくることも昇ってくることもあります。友人曰く、「こんなところに家を建てると、すぐ病気になってしまう」

 それに、山と山とが押しくらしている、境目というところもあるそうで、そこを通ると、神経の鋭い人なら、「ここが境」とわかるのだそうです。私なんぞは何とも感じられないのですが、なんでも、胸が締め付けられるような圧迫感があるそうです。私が「何も判らない」というと、どうしてそれが判らないのかと、反対に奇妙な目で見られてしまいました。

 これは家の中でもそうなのだそうです。部屋でも建物でも、ちょうどバランスの取れているところ、つまり中心があるのだそうです。うっかりしてその真下なんぞで寝てしまうと、悪い夢を見たり、寝苦しかったり、下手をすると病気になってしまったりするとか。

 これは何となく判るような気がしました。寝苦しかった時、布団の位置を変えたり、タンスの位置を変えたりすると、急に居心地がよくなるということもありますから。


 さて、山はこれくらいにして、「ホタルブクロ」です。薄紫であったり、白であったりするのですが、おとなの指ほどの長さがある、筒状の花です。鐘のように下を向いているので、童話の世界の主人公、ウサギやキツネや狸、リスなどが、蛍を入れて、提灯のようにして持って歩くというあれです。

 私が初めてこの花を見たときには、辺りは既に薄暗くなっていましたし、そばの岩肌には苔がびっしりと生えていました。ですから、これは山の花であると、街では育つまいとそう思ったのです。ところが、一頃、山野草ブームがあったからでしょうか、こういう本来山の花も平地や海沿いでも育てられるようになっています。とはいえ、やはり山の気を吸って育つべき花なのでしょう。街にあると、どこかしら借り物の花のような気がしてきます。つまり幸せではないのでしょう。

 実は最近、学校も、花づいています。先月、横浜へ行って、大きなバラの花を見て感動したからでしょうか、「Aクラス」の学生たちも、学校に置いてある鉢植えの花に興味を持つようになりました。昨日も一人、男子学生が、玄関に置いてある花を指さして、「先生、これはきれいな花ですね。名前は何といいますか」。すると、傍の教員が、「これは南国の花です」と言って名前を教えていました。「ニューギニア系インパチェンス」というのだそうです。見事な赤色をしています。

 この学生も、これまで花のことを言うようなタイプには見えなかったのですが、まあ、いい変化なのかもしれません。つまり花を見て愉しむ心の余裕ができたということなのでしょうから。

日々是好日

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「アジサイ」。「節電」。「山の幸、海の幸」。

2011-06-13 14:22:43 | 日本語の授業
 早朝は、重い雨が降っていました。時々うねるように音が高くなります。この雨音を聞いているうちに、だんだん「梅雨入り」したという実感が湧いてきました。「アジサイ(紫陽花)」の花も、いつも通りに咲き始めました。けれども街が、そのために華やかになるというわけでもなく、雨粒が大きな葉に当たって弾かれるような音を立てているだけです。

 「アジサイ」の花は、小花が集まってまん丸い形を作り、ちょうど手鞠のような具合に咲くのですが、それでも、決して「派手」な花ではないのです。七化けするといっても、その色合いは、どこかしら、雨に寄り添っているように、しっとりとしています。

 時折、強い雨に打たれて、項垂れ加減に首を引きのばしている姿を見ると、何がなしに切なくなってしまいます。逞しい野生のものだというのに、どうしてこういう気分になってしまうでしょうか。小花の色も、赤よりも青がよく、青よりも深い紫が良いのです。「白鳥が染まずただよう」青は悲しい色で、あまりにも「アジサイ」という名に相応しく、見ているうちに、青のほとりに心が吸い込まれていきそうになってしまいます。

 原発は終熄していないのに、東京でも急速に「日常」が戻ってきました。もちろん、綻びはあちらこちらで見られます。原発の影響は大きく、つまり電力不足から来る「節電」が、人々の話題をさらっているのです。

 「電力不足」、「じゃあ、どうする」。「節電だ」。「どうしたらいい」。「電球を間引く。冷蔵庫の中にカーテンをつける。ゴーヤで緑のカーテンを作る。」「今年も去年のような酷暑だったらどうする」。「これを使ったらいい。」そして様々な機械やら器具やらが登場しています。

 日本人が自然に即した生活をしている限りは、この島は神の恩寵の島であったのです。四季折々の「山の幸、海の幸」が、ぼけっと口を開けている人間の口に中にも放り込まれていました。もちろん、この島の人々は昔から働き者でしたが。科学技術が進歩し、資源がないなどといわれるまでは、十分この国の民草を養うことはできていたのです。何の問題もありませんでした。静かに物資は循環していましたから。資源などなくとも、それなりにあるもので暮らしていけたのです。思えば、皆、それほど欲張りではなかったのでしょう。

 自然は、人々に神の恩寵と思われるほどのものを与えもすれば、試練も与えます。この列島に住んでいる限り、その試練から逃れることはできません。台風にも地震にも火山の噴火、集中豪雨、鉄砲水、津波などが絶え間なく人々を襲ってきました。そして何十年か経ち、人々がその恐怖を忘れた頃にまたやってきました。日本とは災害列島といわれるほどに、確かに災害の多い島なのです。しかしながら、だからといって、人々がこの地から逃げ出すかというと、殆どの人は、それでもこの地から逃れようとはしませんでした。

 現代のように便利で清潔な街でなくとも、他の地へ行こうとは思えないでしょう。どこの国の人であれ、先祖から受け継いできた「原風景」というのがあります。生い育った場所に対する思い入れもあるはずです。

 被災地の人たちは苦しいと思います。「津波や地震なら耐えることができるし、がんばれるだろう、けれども、見えないし、予測のつかないものとは戦えないし、共存もできない」というのが本当のところでしょう。今さら仮設住宅に移っても、何年かしたらそこを出なくてもはならない。その時に、仕事は?家は?生活は?何もかも見えないのです。

 今、多くの人たちは、彼らのためにどういうことができるのか解らないでいます。義援金といいながら、あのお金はまだそれを必要としている人に、それほど渡っていません。そうしているうちに、心がドンドン崩れていくであろうことは火を見るよりも明らかです。そして、それと同時に、皆、明日は我が身と思っています。この島に生きている限りは、そうなのです。

 私は、今、不思議な気分でいます。平安末期、『梁塵秘抄』の世界とダブるのです、今の世が。一寸先が見えない世界。あの頃、庶民は「今に狂おう」としました。「今」を見ようとしなかったのです。正視して、どうにかしようとしても、どうにもならない世の中だったのです。

 現代はどうでしょう。あの頃の世より、いくらかでもマシになっているでしょうか。若者が「ただ狂え」と虚無的になってはいないでしょうか。考えて、こう生きていこうと決められる世になっているのでしょうか。時々、ふと判らなくなることがあるのです。

日々是好日
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「白いキク(菊)のプレゼント」。

2011-06-10 09:44:37 | 日本語の授業
 曇り。時折雨がぱらついています。沖縄は既に梅雨が明けたというのに、関東地方はこれからが本格的な梅雨の始まりです…かな

 さて、今日は二回目の模擬試験。作文はどこまで書けますことやら。「Bクラス」の方はまだ原稿用紙の書き方もおぼつかない人が少なくありませんから、ちょっと大変そうですが。

 ところで、昨日、鉢植えの赤いバラが職員室のテーブルの上に置かれていました。冬の終わり頃に咲いていたバラが枯れたので淋しいと買ってきたのだと言います。確かに花がそこにあるだけで風景は緊張します、一点に凝縮すると言いますか、焦点が決まるのです。葉物が心を癒すのとはまた違っていいですね。

 このバラの花を見ているうちに、以前、ミャンマーから来た学生が持ってきてくれた白い「キク(菊)」のことを思い出しました。実は、今、学校に置かれている花のなかには、学生たちが卒業後や、何かうれしいことがあった時に持ってきてくれたもの、あるいは学生の関係者がプレゼントしてくれたものもあるのです。

 この学生が、この鉢植えを持ってきてくれた時、早速、花好きな一人が、「あらあ、きれいな花。どうしたの」と訊いたのですが(お祝い事か、何かがあってのことかと思って)、ただ単に駅で見かけてきれいだったから買ってきたらしく、却ってこちらとしては、持ってくるのは大変だったろうになとどうしてそんな気になったのかと不思議な気になったことがあります。

 (実は、日本語学校というのは、上に行けば行くほど、教科書が増える仕組みになっています。『初級』よりも『中級』、『中級』よりも『上級』、そして『上級』よりも『その後』の方が教科書も、参考プリントも増えるのです。だから上のクラスの学生たちは、皆リュックでの通学となります。そんな中での鉢植えのバラでしたから、ちょっと驚いたのです) 

 ところが、その学生との話を、傍らで聞いていた別の学生が、花を見て「えっ、菊。白い菊…。それはお葬式の時に使うのでしょ」。それを聞いて、持ってきてくれた学生は、一瞬どうして良いのかわからないような表情になってしまいました。

 白い「キク」と言いましても、彼女が持ってきてくれたものは、とても華やかな感じのもので、ちょっと見には「キク」とは思われないようなゴージャスなものでした。お弔いの時に飾ったり差し上げたりするものとは、全く違います。静かな悲しみを湛えた素朴な白菊は、神道的な味わいがあると言えましょうが、彼女の持ってきてくれたものは、もっと洋物っぽく、客間においても少しも遜色のないものでした。だから、日本人は、だれもそんなことは思わなかったのです。

 それで、「こういうのは、いいの。きれいで、ぱあっと部屋が明るくなるでしょう。だから普通の家でも飾っていますよ。みんな、好きですよ」と言って、学生にはお礼を言ったのですが、なかなか難しいですね。彼女の顔つきは、いわゆる「ビミョー」なままでしたから。

 お葬式の花と言ってしまった人も、彼女の国ではそうだったのかもしれませんし、日本暮らしが長い人でしたので、お弔いなどに行く機会があったのかもしれません。それに、テレビなどでもそういう場面を見たことがあったのかもしれません。だから、うっかり口を滑らせてしまったのでしょう。とはいえ、先生たちに喜んでもらおうと、ニコニコしながら、自分が見て「とてもきれい」と思った花を持ってきた学生にとっては、少々辛いことになってしまいました。

 日本人に限らず、普通、多くの国では、贈り物をもらったときに「ありがとう」と礼を言います。この礼の意味は、「贈り物」に対してよりも、相手の心遣いに対しての礼の部分の方が大きいと思います。例え、それが、自分たちの国の習慣からすれば、少々、首を傾げざるを得ないようなものであろうとも、その人に不平を言うようなことは、まず、ありません。そんなことは、(もし、その人が長くその国で暮らすのであれば)あとで、コソッとこの国の習慣ではねと言えばすむことですし。

 ただ、彼女のように、「(自分が見て)きれいだと思ったから、だれかにプレゼントしたくなった」という気持ちで、贈る場合は、他のことなど斟酌する必要などないのです。心のままにすれば、それはきっと素直に相手にその人の心は通じると思います。

 ただ、いろいろな場合がありますから、プレゼントをする場合は、やはり、その国の事情に通じた人に訊いた上で、やったほうがいいとは思いますが。

日々是好日
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「カリカリ、カリカリが、収まった」。

2011-06-09 09:21:58 | 日本語の授業
 陽が射し始めました。晴れ。

 人生、「雲煙過眼」で行こうと思っても、なかなかそうはいきません。結局、そうできないということは、芯から納得できていないし、そういう覚悟ができていないということなのでしょう。
 
 「こうやるぞ」と、いくら大声で誓っても、できないものはできないのです。なんともはや、年を取れば取るほど、丸くなるというのは嘘です。それが、自然であるというのは、嘘っぱちです。年を取ろうとできないものはできないのです。いろいろなことが起こる度に、カリカリ、カリカリと来てしまいます。

 さて、それはそうなのですが、このカリカリが、ちょっと収まりました。

 朝のクラスに移ることを勧めていた学生が、今朝やっと来られたのです。既にアルバイトを見つけている学生にとって、午後のクラスから午前のクラスに変わるということは、決して簡単なことではありません。時には、アルバイトを探し直さねばならぬということもあるでしょう。

 これが、「Aクラス」程度の日本語力がすでに備わっていれば、それほど苦労はしないでしょうが、まだまだ「初級」程度でありますから、そう決めるだけでも、悩んだことでしょう。

 今朝は、彼女が来るまでに、ここに、不平不満をダラダラと書き連ねていました。けれども、朝、やって来る彼女を見て、その不平不満が、どこやらへ、吹っ飛んでしまいました。本人がやる気を見せてくれたわけですから、私たちも教師として、彼女を教え、そして本人の希望通りに大学へ行けるよう、力づけてやればいいのです。

 (本人の言語)能力の有無なんて関係ありません、たかが言葉なんですから。やる気、つまり意志だけで、十分。まずは、毎日学校へ来ること。定時に来ること。そして、自分と同じように頑張っている友だちと一緒に勉強していくこと。それを倦まず弛まず続けるということ。

 学校での言葉の勉強なんて、こんなことに尽きるのです。

日々是好日
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