日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「梅雨時の草花」。「庭、個々の草花。学校、個々の人々」。

2009-05-29 08:00:53 | 日本語の授業
 今朝も雨です。時折、激しい雨音が伝わってきます。けれども、おしなべて、「シトシト雨」といったところです。しかしながら、「梅雨入り」は、本当にまだなのでしょうか。この雨音は、「アジサイ(紫陽花)」が恋しくなる、「クチナシ(梔子)」が見たくなる、そう言う気分にさせるのです。「梅雨」時の雨音なのです。

 通勤途中に、お花が好きなのでしょう、いろいろな草花を植えているお宅があります。他のお宅の庭と違うのは、いわゆる「ガーデニング」なんか、屁の河童とばかりに、ただ好きな花を並べているだけといったところでしょうか。鉢植えも、あっちこっちに、乱雑に(?)置かれています。「ああ、これも好きで、置いているだけなのだな」と感じられるほど、全くコーディネートされていないのです。そんな中に、真っ白な「テッポウユリ(鉄砲百合)が、いました。スックと立って、まるで人格を持った存在でもあるかのように、辺りを睥睨しています。その上、白バラが、「バラ(薔薇)」という優雅な名が恥じ入りそうな具合に、ワッサとばかりに、塀からはみ出しています。統一されていないから、こちら側も、身構えて見る必要がありません。それ故に、「庭を見る」というのではなく、「花」だけを見る、その中の個体だけを見てしまうのでしょう。

 秋口は、これとは反対の気分になります。荒れた庭がいい。草花の「個」が薄らいで、「野」になる「景色」がいい。きれいに並べられ、洋風の花がかしこまっているものよりも、大風になぎ倒されても、一時後には、ムクムクと身を起こすような、そんな野の雰囲気の漂っている庭の方が懐かしくなります。

 庭というものは面白いものです。
 完璧に手入れされ(持ち主の個性が強く出)、他者の思想は全く受け付けないように見える庭もあれば、勝手気ままに、いろいろな草花が植えられ、収拾のつかなくなった庭もあります。また、(芸術としては)隙を見せてはいるものの、それなりに植えた人の愛着が感じられ、心が安まるような庭もあれば、鳥たちが運んできたものしかない、そんな庭もあります。植えた人と見る人の心の揺らぎが、時折、その心象風景を変えることはありますが、心と景色が結びついていることは確かでしょう。

 しかし、こんなことを言っていると、「人間という奴は、勝手なことばかり、考えてやがる」と、彼らは思うかもしれません。

 「庭」も「学校」も、ある面では似たようなところがあります。
「学校」とは、「人を育てる」、或いは、「ある知識、ないし技能を伝えていく」ところです。「細胞」は、一人ひとりの「学生」であり、「教師」なのですが、人間の身体と同様、一定の調和がとれていないと、病気になってしまいます。その調和を取らせていくのも、「細胞」の一つである、「教師」の仕事です。もし、「教師」達に、「学校」というものに対する共通理解、認識がなければ、たちまち毒は全身に回ってしまい、「学校」機能は失われてしまうでしょう。

 教師とは、「『学校』という場所にいて、定められた時間に、『教室』に行く」というだけではないのです。特に日本語学校では、その学生達の大半は、アルバイトをしながら、大学へ行こうと努力している人達です。

 彼らが、勉強に使うことの出来る時間には、限りがあります。それ故、学校が肩代わりして(授業中に)させねば、たぶん、疲れ果て、その本来の目的を達成することは出来ないでしょう。そういうわけで、教室で学ぶ時間というのは、かなり貴重になります。ですから、その本来の目的達成のために、障害となるようなことをする人は困るのです。

 「Dクラス(四月生)」であれば、既に一ヶ月半ほどを、この学校で学んでいるわけですから、「そのレベルが達成できている」というのが理想で、それ以下でもそれ以上でもないのです。まだ、この学校で教えていない単語をひけらかしたり、文型を使って言って見せたりということをして、他の学生達を混乱させるのは、ある意味ではルール違反です。また、授業中に、或いは、それ以外の時間に、このクラスは簡単だから、もっと自分だけにいろいろなことを教えて欲しいと言いに来るくらいなら、上のクラスに行けばいいのです。

 ただし、私たちが、「Dクラス」で基礎をやった方がいいと、彼らをこのクラス(「Dクラス」)に入れたのには、またそれなりの理由もあるのです。「いい加減に覚えており、使うにふさわしくない単語を羅列しているだけである」と、私たちが判断すれば、基礎をやってもらうために、「初級」に入れます(なんと言っても、「四月生」には、時間がありますから。日本での、三ヶ月というのは、日本語を学ぶ場合、母国でのかなりの時間に相当すると思います)。ある程度の常識があれば、課外活動などを通して、「上のクラス」との差が見えてくるはず。そう(三ヶ月前に来日した学生達のように)なるために、今、何をすべきか、私たちが口を酸っぱくして言う理由もわかるはずです。

 それがわかれば、たとえ、三ヶ月しか違わない「クラス」であろうと、彼らが入って勉強するのは、難しいということに気づくでしょう。もちろん、「修復不可能」と見なせば、直ぐに彼らが望むクラスに入れます(他の学生が、文句を言わなければ)。が、実際問題として、彼らが勝手に思い込んでいる自分のレベルと、実際のレベルとは違うのです。

 中には、本当にレベルが、初級ではかわいそうと思われる学生もいます。けれど、上のクラスにやって、その人が頑張れるかというと、そうでもないのです。わかるまでの、一週間ないし二週間が待てないのです。知能の問題と言うより、気力と負けん気の問題でしょう。

 「Cクラス」には、何年も前に大学で、少し日本語を勉強しただけだから、「初級Ⅰ」から勉強したいと言って、この学校に来た人も入っています。そう言って来る人は、少なくないのです。けれども、会って見て、素質(つまり言語を習得する上での)がある場合は、直ぐに「試しだから」と(騙して)上のクラスの授業に参加させます。すると、そういう人は、たいてい、始めは「うーん、少し難しいけれど、大丈夫かな」と聞きます。「私は大丈夫だと思う」と答えます(心からそう思っているのですから)。「よし、それなら、頑張ってみよう」と、実際のレベルより、少し上のクラスで頑張り、一二週間もすれば、遜色なく出来るようになるものです。

 一つは、彼らの「素質」、もう一つは、「誰の意見を信じるか」という、学ぶ上での「力」です。信じてはいけない人を信じてたり、その反対に、信じなければならない人を信じなかったりすれば、当然、その人は、失敗します。

 「四月生」の中には、そう言う「差別化」が、かなりの程度で進んでいます。

 (彼らが)来日してからの、この一ヶ月半という期間は、こちらも、ただ授業しているだけというわけではありません。彼らの性格、気力、精神力、協調性、頭脳の体力めいたものまで、見ているのです、当たり前の事ですが。それを、今後の授業計画や、教師としての心づもりにもいかしていかなければなりませんから。普通の頭脳の持ち主であっても、気力がなければ、それなりのことしかしてやれないのです。直ぐにアップアップするでしょうから。

 「このクラスは、せいぜい『一級止まり』か」とか、「このクラスなら、それ以上の、『かなりのこと』まで出来る」とか。だいたい、彼らがこの学校に来てから一ヶ月くらいで、それは見えてきます。「一級」後、半年以上時間があるクラスであったら、かなりのことがしてやれます。つまり、その準備にこちらも追われてしまうので、早めに準備をしておかなくてはならないのです。が、そうでないクラスの場合、こちらも教えるのに、追われません。つまり、規定の「外国人用の授業(一級合格レベル)」だけで、事足りるのです。

 教師としては、私たちが授業に追われるくらいの人達が来てくれたらと願わずにいられないのですが…。どうもそうはいかないようです。

日々是好日
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「(留学生試験の)記述指導」。「『異文化』を体験し、『共生』を考える」。

2009-05-28 06:33:43 | 日本語の授業
 今朝は雨に始まりました。
 学生達が学校に来るとき雨が降り、帰るときに止んでいると、学校の傘が増えてきます。当たり前の事なのですが、雨が降っていないと、皆、傘のことなど、きれいさっぱり忘れてしまうのです。雨が降っていたから、「あっ。学校の傘、借りっぱなしだった」と、返し忘れた傘に気づくのでしょう。

 いくら口を酸っぱくして、「急に雨が降り出すと困るでしょう。だから、借りた傘は必ず、翌日には、戻しておいてね」と言っても、人間ですからね、やはり忘れてしまうのです。だいたい、「晴れているもの、雨のことなんか…」ということなのでしょう。
 「梅雨」が近づきますと、余計に傘の管理は難しくなります。一日中降っていれば、それはそれでいいのですが。

 さて、「作文指導(留学生試験の記述問題用)」の話です。
 「学校で、皆で一緒に食べる」ということが前提です。先日、書いてもらった作文を返しながら、(書く上での)注意を、「中級クラス」にいたしました。書かなければならないのは、「うちから、各自、お弁当を持って来た方がいいか」、それとも、「学校で、有料で、提供してもらったものを食べた方がいいか」です。

 問題の意味がわからなくて(つまり、漢字がいくつか泳いでいたので、それで、読むのをあきらめたのでしょう)、「卒業式のパーティ」のことを書いた人が、一人。最後は、チョコレートとか、ケーキの文字が躍っていましたから、なかなかに捨てがたく、クラスで、披露してしまいました。みんな大爆笑。本人も文句を言っている割には、得意げな表情でしたから、もしかしたら、スターにでもなったような気分だったのかもしれません(困ったものです)。

 それで、気持ちが多少解れたのでしょう、こちらの注意が終わった後で、一人が、「賛同したことを書くのか」、それとも「(A)、(B)共にいいところを書くのか」と聞いてきました。言われてみれば、あの出題文は、そう読めないこともない。けれども、最初に、「どちらがいいかを書く。その上で、その賛成理由を書き、それから、他方の長所を述べた上で、賛同しなかった理由も少し書く」と言っておきましたから、こちらの注意を聞き逃していたのでしょう。改めて確認です。

 この「記述問題」は、非漢字圏の学生にとっては、かなり厄介なものです。読めない漢字があると、それだけで放棄したり、エイとばかりに、勘で書き進めていったりと笑い話にもならないようなことをする学生が出てしまうのです。それで、問題の内容はともかく、「こういう形式で出されている。それ故、こういう書き方をして、意見を述べていった方がいい」ということだけは、事前に指導しておきます。

 まあ、自分の経験から、論を進めていくのが一番いいとは思うのですが、それでは、「自分はこうだったから、他の人も当然そうであるはず」との思い込めが表面に出てしまうということにもなりかねず、これを抑えさせるのが案外難しいのです。しかしながら、書いてもらったものを読んでいくうちに、彼らの国の意外な素顔がわかることもあり、作文指導は、そのまま、異文化紹介にも繋がることがあるのです。こうなりますと、私にしてからが、「指導のために見る」というよりも、「おもしろがって読んでいる」ことになってしまいます。

 さて、話を元に戻します。例の「小学校の学校給食」の話です。

 中国人の学生曰く、
「学校で作ってもらったのは、毎日同じだから、つまらない」「高い。うちで作った方がずっと安い」「栄養を考えていないから、身体によくない」(日本の小学校の給食は、毎日メニューが変わります。しかも、栄養士がついていて、子供の栄養を考えて作られています。その上、うちで同じものを作るより、ずっと安い。)
インド人の学生曰く、
「先生は忙しいです。料理を作るのは大変です」(なんと、インドでは、時間が空いている小学校の先生が、学校給食の作り手だったのです)

 「最初に、『これは私の経験です』とか、『私の国では』という『一文』ないし『一言』を入れておかないと、誤解を招きやすい」ということに気づいてもらうのは、とても大切なことです。「自分がそうだったから、他の国や地域の人達もそのはずだ」というのは、彼らに限らず、だれでもおかしてしまう「間違い」あるいは、「勘違い」なのです。その前提のもとで話を進めていき、赤っ恥をかいたという経験が、私にもあります。

 それは、中国で、中国語を学んでいるときのことでした。当時、私のクラスには、日本人が三人、北朝鮮人が三人、パキスタン人が一人、チュニジア人が三人という具合に、人数こそ少ないものの、日本では見たことも話したこともない国の人がいました。その時に、何かの調子で、話が、北京にも(魯迅が小説を書いていた頃)ラクダ(駱駝)がいたと先生がおっしゃったのです。

 「ラクダ」と聞いて、私の頭は完全に「月の砂漠」です。チュニジア人の友達が、日本にもラクダがいるかと聞いたので、「日本には、動物園か観光地にしかいない。それも、ラクダに乗るということは特別なこと(一種の夢の実現。まあ、大げさに言えばそうです)であるから、ラクダを飼っていても採算がとれるのだ。なぜなら…。」そして、駱駝が観光地で、もて囃される理由を、『月の砂漠を…』の歌詞を用いながら、説明し始めたのです。が、誰も聞いていない。どうも、「ラクダ」という言葉から、そんなことをイメージしている日本人が理解できないようなのです。私が語った後、それでも、礼儀上、こちらを向いて、聞いたふりをしていたチュニジアの美人が、「ラクダの肉はうまい」とポツリ。

 彼らの頭の中には、「月の光に照らされた白い砂漠。どこまでも続くその上を、なぜか悲しげな表情をした王子様とお姫様が、ラクダに乗って進んでいく(イメージでは、帰る当てのない旅)。後に残されるのは、ラクダのはかない足跡。全く風のない世界。白い月。ああ。」といったロマンチックな情景など、全くない、食べ物としてのラクダしかそんざいしていないのです。百歩譲っても、荷運びようの動物です。

 私も、こうやって一つ一つ学んで来ました。住む場所が違うと、それだけで生き方も考え方も変わってきます。その違いを非難し合っても、何も生まれません。そういう不毛の議論を繰り返すのではなく、その違いをおもしろがってもいいじゃないかと。またそうしながら、妥協点を見つけ出していけばいいじゃないかと。人間は、まだ、地球上の、しかも、わずかばかりしかない陸の上でしか存在できないのですから。

 「異文化」というのは、身体で覚えていかないと理解できないところがあります。若いうちに外国に行ってみることの良さもそこにあるのでしょう(日本人なら、同じような先進国に行くのではなく、途上国にいってみた方が、自分の存在を確認できる「よすが」になるかもしれません)。

 今、「Aクラス」では(「上級」も終わりに近づきましたので)、どうしても中国人が多くなっています。それで、時々、「他のクラス」での出来事などを語って聞かせるようにしています。中国人だけでは、教室の中の「異文化」は味わえません。毎日、共に教室にいてこその、異文化発見であり、体験であり、そして、共に生きていくという意味の「共生」なのですから。

日々是好日
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「『かつて』の情景が、『今』の情景を追いやる」。「学ぶ上での『限界』」。

2009-05-27 10:34:48 | 日本語の授業
 今日は薄曇り。春が終わり、初夏が始まり、そして、「梅雨入り」の前には、このような空が、よく現れます。早朝は、気温が上がっていませんから、湿度を意識せずにすむのですが、日が高くなって来るにつれ、蒸し暑さが募ってくるかもしれません。

 時々、ザァーと急に降り出した大粒の雨と、アジサイの大振りの葉が目に浮かぶことがあります。葉は雨粒に打たれて、膝を折ったような格好になっています。これは、アジサイに限りません。いつであれ、その季節が近づくと、ある決まった情景が浮かんでくるのです。「夏はこれ」、「秋はこう」、「冬はああ」と言った大ざっぱなものではなく、かなり細かなものです。

 頭の中で、こんな情景を思い浮かべているうちに、自分の身体は、その季節にあるにも拘わらず、「現実の自分」は、「今」を見ずに、かつて経験した「あの瞬間」だけを見つめているのだということに気がつきました。もう「体験」できたから、どうのこうのというのではないのです。こうなってしまうと、「新たな」とか「新鮮さ」とかいうのは、もう自分には期待できません。日々を「昨日かくてありけり。今日もかくてありなむ」と、ただ埋めていく作業をするだけということになってしまいます。感覚が錆びてしまったのでしょう。

 それに引き替え、「教育」というのは、「人間の可能性」を見据えて、日々の活動を行っていくはずのものです。異国から、この学校に来たばかりの時は、皆、同じなのですが、それが、一日過ぎ、二日過ぎしていくうちに、私の中から、彼らの持つ可能性への期待は、一つずつ、消えていきます。

 勿論、彼らが来る前から、多分これは、彼らには期待できないだろうとわかっていることはあります。それは、あるときは、これまで、彼らが育ってきた地域から来る「限界」であり、あるときは、既に結婚ないし同棲をしているということから来る「限界」です。

 途上国では、教育の目的で、女性を、一人で、外国にやるというのは、あまり考えられないことです。特に、アルバイトをしなければ、学費が足りないくらいの経済状態では(当然のことながら、旧宗主国へやる場合は、別です)。それで、恋人が先にその国に行ってお金が充分にあると思ったがゆえに、彼を追う形で国を出たか、結婚しているので、二人で生活するために行くという形になってしまいます。

 途上国と言いましたが、そういう国の人達の多くが、驚くほど「計算」が不得手なのです。私も「計算」は、不得手なのですが、月に、十数万くらいしか稼げなければ、それで、二人が大学か専門学校へ行けるとは、まず、考えません。日本人なら、誰でもそう思うでしょう。けれども、こういう人にとっては、月に十万であれ、稼げれば、それで、極端な話、家でも買えると大喜びするようなのです。

 依然、学生同士が話しているのを聞いたことがあります。一人の学生が、
「私は、百万円稼いで、国へ帰ります。帰ったら、何もしません。働かずにのんびり暮らします」
と言っていました。それを聞いた中国人は、驚いて、
「本当ですか。百万円だけですよ。それで、あと何もしなくても、大丈夫ですか」
と叫んでいましたが。おそらく、彼は本気でしたろう。「百万円」あれば、一生、豊かでのんびりした生活ができると、その国では、彼も思い、彼の周辺の人達も思っているのでしょう。

 ですから、恋人を呼ぶことも、また、その恋人に、日本へ来たら、日本語を学ばせ、専門学校へもやってやることも、可能だと思っていたのでしょう。また、それを聞いた、女性の方も、「すごい、月に20万近くも稼ぐんだ。お金持ちだ。自分が行って、食事の世話をしてやれば、自分も日本語が勉強できるし、専門学校へも行ける」と、単純に考えたのでしょう。それも、母国にいれば、常識なのであって、不思議でも何でもないことなのでしょう。

 彼らの国で暮らす場合と、日本で暮らす場合と、お金の桁が、二つほども違っているということが、なかなかわからないのです。

 こういう世界から来た人達、特に親が送金する力がそれほどない場合、お金で失敗しがちなのです。初めてアルバイトをして、10万円近くもらったら、大喜びで、親や兄弟、友達にプレゼントをするのです。その他にも、その人達の誕生日のプレゼントやら、なにやらに、どんどんお金を使ってしまいます。貸してやることも、平気のようです、なにせ、国にいたときには考えられないお金を手にしているわけですから。まるで、栓の抜けたバケツのように、使ってしまうのです。こういう彼らですから、初めのうちは、月に一万でも貯金できたら、御の字です。

 二万円と、二百万円の区別がつかないのでしょう。10万円の収入があったら、それで、大学へ行く費用から、プレゼントを贈る費用から、部屋代まで何から何まで、十分出来ると思い込んでしまうのです。この傾向がわかってから、この国から来る人には、最初に、月にいくら貯金しなければ、大学に行けないのだということを、わからせる時間を別に設けることにしましたが、これも、限界がありました。

 「地域」の差、プラス「風土」の差(穏やかな気候であれば、頑張る気持ちに乏しいし、暑ければ、動かない習慣がついています)、プラス「個人差」なのです。向こうでは、お金に困ったことがなくても、日本では、お金に困ります。欲しいものは、皆お金がなければ買えません。しかも、生活水準が全く違うのです。目にすることがなければ、それでいいでしょう、別に我慢する必要もないのですから。しかし、現実に目の前にあるし、手に取ってみることもできるのです。

 欲しいものは、これまで、躊躇なく買えていたわけですから、我慢して買わないということも、直ぐには習慣にならないでしょう。日本へは、労働できているわけではなく、勉強するといって来ているわけですから、勉強しなければ、日本にいる資格はなくなります。けれども、欲しい、で、買ってしまう、で、お金がなくなる、で…。

 勉強すると言って来日していても、すでに結婚しているのなら、直接、大学か大学院へ入った方がいいでしょう。頑張れないのです、日本語学校では。しかも、勉強の仕方が、彼らの国とは違います。

 ここでは、特に、「初級」の間は、うちで頑張って覚えなくとも済むように、出来るだけ、授業中に、「耳」、「目」、「口」を使って勉強していきます。この単純な作業が、心理的にでしょうか、うまくできない人もいないわけではないのです。それは、中国人の場合が多いのですが。とにかく、「理解」にかかりっきりで、「理解」できたら、それで終わりと思い込んでいるのです。「理解」よりも、大切なのは、何度も繰り返して、言い、聞き、目にし、「身体」で覚え込んでいくことなのに。この授業方法になかなか親しめないのです。

 「わかる、わかっている」を繰り返し、結局、「わかっているけれど、使えない。どうしたらいいんだ」ということになってしまうのです。これは、私たちから見れば、自業自得にすぎないのですが。あれほど授業中注意したのに、その時は、「(文法が)わかっている自分は、教室で、小雀のようにピーチクパーチクやっている奴らより偉い」とでも思っていたのでしょう。出来ないのは当然です。

 こういう手合いは、もう処置なしです。これは、習慣や思い込みによる限界でしょう。こちらも、「いくら大変でもいいから、努力のし甲斐のある人」を教えたいのです。その前提の理屈がわからなくて、「我流を通す」なら、私たちとしても、手の出しようがありません。私たちの言う通りにやる。だから私たちも、彼らのして欲しいことを援助する。この最低限のルールは、破れないのです。これは、子供相手の仕事ではなく、対象は、ほとんどの場合、すでに成人なのですから。

日々是好日

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「アジサイ」。「自転車通学、『鍵がない』」。

2009-05-26 07:14:53 | 日本語の授業
 鉢植えの「アジサイ(紫陽花)」の「花頃」は、まだまだのようですが、自転車で通う道には、もうアジサイが咲いていました。この辺りは、ピンク系が多いようです。「紫」や「青」は、あまり見かけません。

アジサイ

 「アジサイ」と言えば、山に多く自生していたのは、「ガクアジサイ」と「タマアジサイ」。共に群生です。「ガクアジサイ」は、花も、どこかしら荒々しく、「山の主」といった体でしたが、それに比べ、「タマアジサイ」は、可憐さが目立ちました。咲いていたのも、日の当たらない、奥まった所でしたし。

 真珠のような「蕾」が、いくつも付いていて、それが、ぽっかりと割れると、小さな花が、ちらりと顔を覗かせるのです。その上、わずかばかりですが、清涼感のある香りもありました。雨が降ったわけでもないのに、大きな葉は、いつも濡れていたような気がします。多分、近くに、滝か瀬でもあったのでしょう。日本の山野草には、やはり「雨水」が似合います。

 さて、学校です。
 もうすぐ梅雨が始まりますが、梅雨になると困るのが、自転車通学の学生達。まずシトシト雨に慣れていない。毎日のように降り続くというのにも慣れていない。勢い、どう対処していいのか、悩むということになります。

 しかも、この学校に通ってくる学生達の大半が、自転車通学なのです。本当に、大半がご近所に住んでいます。通学だけだったら、歩いても大丈夫なのですが、帰りにアルバイトへ行くことなどを考えると、やはり、自転車で来た方が便利なのでしょう。

 ただ、それ故に、「チェーンが切れた」とか、「先生、鍵がない」とかいった、小さな騒ぎはしょっちゅうで、上級の学生でしたら、こちらが黙っていても、勝手にしてくれるのですが、それが、「中学生さん」であった場合、大変です。ウロウロしては、
「ありません。どうしてでしょう。ないのです。」
必ず、見つからない原因はあると思うのですが…。
 勿論、一緒に探してやることもありますが、それも、一度か二度だけです。三度目になったら、「自分で考えろ」と、放っておかれるということになっています。

 先日も、15歳のL君が、自習室で勉強してから、さて、帰ろうと自転車の鍵を探したところ、「ない…」。それからが大騒ぎ。まず、来たのは職員室。
「先生、鍵が落ちていませんでしたか。」
「落ちていませんでした。」
「本当ですか。変ですね。」
チラリと疑わしげに見て、それから、次は、階段の上り下り。自習室と職員室の往復です。

その挙げ句、
「先生、大丈夫です。いいことを考えました。先輩の自転車を借ります。実は、鍵は、もう一つうちにあるのです。それを取りに行って来ます。」
いかにも得意げに、「発表」しに、やって来ました。その手には、確かに先輩の鍵が。

「その前に、自転車に、鍵が差し込まれたままになっていないかどうか、確かめた方がいいのではありませんか。」
その言葉に、ハッとして、玄関から駆け下りていきました。そして、意気揚々と戻ってきて、
「はああ、すごいですね。先生は、やはり先生です。頭がいいです。」
彼に頭がいいと言われた教員は、ため息をついていましたが。

 自転車を止めてはいけない所に止めて、撤去された学生もいれば、盗まれたという学生もいます。「どうして日本で」と不思議に思うようですが、実際に自転車はよく盗まれます。自転車の鍵は、少なくとも二つはつけておくというのが、鉄則でしょう。二つつけていれば、それだけで被害に遭わなくてすむ確率は上がります。

日々是好日
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「『脱皮』できない蛇。『脱皮』を手伝う『先輩』」。

2009-05-25 06:23:36 | 日本語の授業
 昨夜は、「雷様」が大暴れしていたようでしたが、今朝は嘘のように静まりかえっています。肌寒ささえ感じています。

 先週の土曜日、治療院からの帰り、友人と一緒に、川の土手を歩いてみました。歩いているうちに、用水路に気がつきました。川から取られた水が田を潤し、その上を、風が渡っているのです。川の中では、枯れた蘆が音を立てて揺れています。その根元には、新しい蘆が緑の色をどんどん上へ上げようとしています。日差しは強いのに、耳からも目からも、涼しさが伝わってきます。

 途中で、蛇(多分、青大将)を見かけ、大慌てで、ルート変更。今度は、「田の畦道」を歩いてみることにしました。そこで見た水田には、思っていたより、ずっと多くの生き物が住んでいました。

 目にすることは出来ませんでしたが、「ドジョウ(泥鰌)」さんもいたのでしょう。時々、泥の中から泡がプクプクと浮かび上がって来ましたから。「アオガエル(青蛙)」さんも、それに、まだ小さな「オタマジャクシ」さんもいました。

 よく判らない生き物もいましたね。一見、「オタマジャクシ」のように見えたのですが、しゃがみ込んで、よくよく見てみると、頭の辺りも少し違うのです。「ヘイケガニ(平家蟹)」のような具合なのです。それに何より、尾の辺りが二股になっている。その他にも、メダカのような姿でいながら、葉緑素の色が、しっかり外ににじみ出ている、そんな生き物もいました。

 「畦道」にも、いろいろな草花も生えていました。餌になる生き物がいるからでしょうか、サギ(鷺)も、その美しい姿を水田の水に映していました。水の張られたいない休耕田からは「ヒバリ(雲雀)」の鳴き声が聞こえていましたし、その傍を「キジバト(雉鳩)」が重そうな身体で、歩いていました。
 ただ、山が近くにないのが、寂しい。山がこの風景の中にあれば、「日本人の原風景」と言ってもいいような、そんな情景になるのに。

 さて、学校の方は、四月生の「クラス」にも、わずかながら色が出てきました。この色にそった授業をしていけば、どうにかなるでしょう。それと共に、少しずつ、「上のクラス」の学生達が、「下のクラス」の学生達を手伝う様子も見受けられるようになりました。これも、よくしたもので、彼らなりに「選択」しているのです。話をよく聞く者には、親切にしていますが、自分の要求だけ主張して、偉ぶっている者には、それほど親切にはしていないのです。どうも適当にあしらって、それで終わりにしているようなのです。

 これを見ていると、高校を卒業して直ぐに来た、「おしゃまさん達」も、随分大人になったものだと思わずにはいられません。自分の「勉強」や「生活」だけでも大変なのですもの。変われない人、せっかく日本に来たのに、それを享受出来ない人には、同胞であっても、冷ややかな態度になるのは、当然のこと。別に責められるべきことではありません。人に親切にしてもらえるというのも、「才能」なのですから。

 ところで、木曜日に来た少年のことです。、まだ「ひらがな」も、キチンとは覚えていませんし、「カタカナ」は白紙状態です。それで、明日(金曜日)には9時に来るように言っておいたのに、10時を過ぎても姿を現しません。少々腹の虫を押さえかねていたところ、お母さんから電話がありました。「たった今、警察から電話があったので、もう驚いて驚いて」と言いながら、学校に、彼が姿を現していないわけを話し始めました。

 「遅れないようにと、朝八時にうちを出た。学校まで三十分くらいなので、それで十分だと思っていたところ、どうも道に迷って、行徳の街をウロウロしていたらしい。最後に(行徳)駅に戻って、派出所に助けを求め、そこから、うちに電話をしてきた。改めて、道を教えたのだが、辿りつけるかどうかわからない」と不安げに言うのです。

 どこにいるのかわからなければ、当方としても探しに行けません。駅にじっとしていてくれたらまだしも、もう動いているわけですから。着いたら電話をするからと、一応切って5分くらい経ったでしょうか、少年がばつの悪そうな顔をして、やって来ました。学校に着いたのは嬉しかったのでしょうが、遅れたので叱られると思ったらしいのです。直ぐに、お母さんには電話をしましたが、繋がらなかったので、先に少年を三階にあげ、タイの少女の勉強につきあわせます。

 とにかく、朝は「ひらがな」の勉強だけで、終わったようです。目的がまだはっきりしていないのです。漫然と勉強しても、何にもなりません。彼の場合も、まず、勉強の目的をはっきりさせることですね。「日本語能力試験(一級)」に合格と言っても、何のために合格したいのか、はっきりさせておかなければ、勉強してもあまり効果がないのです。でも、しょうがないですね。まず、机について、教科書を見る、それから、始めなければなりませんから。

 そう思っていたのですが、金曜日の午後の授業が終わってからのことです。この少年と話していたところ、「Aクラス」の台湾人、Kさんが、顔を覗かせ、「今、研究生になろうか、それとも直ぐに会社を探そうか、ちょっと悩んでいる」と話しかけてきました。三人で少し話し、それから、彼ら二人で仲良く帰っていったのですが、急に少年一人が戻ってきたのです。トントンと階段を上がって、しばらくすると下りてきました。

 そして、ガラス戸の向こうから、「CDを借りました」と言うのです。さっきとは、全く様子が変わって見えました。きっとKさんが、大学進学を勧めてくれたのでしょう。来たばかりの学生に一番効くのは、先輩からの一言です。その上、この学校には、いろいろな国から来た人がいます。経験も様々です。当然のことながら、年齢にも大きな幅があります。こういう人達から得られるものも大きいのです。特に、若者がそうです。大学なんて考えられないと思っていても、何がきっかけで、どういう人生が、開けていくかわかりません。まず、彼は日本に来られたのですから。それを一つのきっかけに、大きく伸びていってもらいたいものです。

日々是好日
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「新しい学生」。「勉強の習慣をつけてもらう」。

2009-05-22 06:23:06 | 日本語の授業
 今朝は、どうも「梅雨入り前夜」といったような風情です。辺りはしっとりとしています。しかも、涼しげな風まで、吹いているのです。多量の雨を必要とする草木も、がさついてはいません。どこか、気配も穏やかで、安心しているような雰囲気です。こういう日はいいですね。「アジサイ(紫陽花)の季節」の足音が聞こえてくるようです。

 「大気が、雨の匂いに満ちている」。そう言うと、乾燥地帯から来た人達は、おかしな顔をします。けれども、雨は匂うのです。夏、夕立が襲ってくる直前は、特に強く感じます。水分の量が、一気に増してくるわけですから、ある種の緊張感に包まれます。肌に、まとわりつく、大気中の「水」を感じます。それで、人も、犬猫のように、慌てて家路を急ぐのでしょう。
 ただ、昨今は「ヒートアイランド」とかで、そんな悠長なことは言ってられなくなりましたが。

 さて、学校です。昨日も一組、見学に見えました。一昨日、中国から日本に着いたばかりという、背の高い、17歳の少年です。背の高さは、ガーナやインドの学生達と同じくらいでしょうか、187㎝あると言っていましたから。

 (1時15分からの授業に間に合うように)1時5分に、行徳駅に着くという連絡がありました。それで、午前の授業の後片付けもそこそこに、駅まで迎えに行くつもりで、階段を下りていくと、ちょうど、15歳のL君が帰るところに出くわしました。ニコニコしながら、
「先生、どこへ行きますか」
と聞くので、
「今から、授業を見に来るという中国の人を迎えに、駅まで行きます。その人は、17歳といっていたけれど。L君も一緒に行ってくれますか」
「いいです。手伝ってあげます」
と、大いばりで、請け合ってくれました。

 面白いですね。このL君も、今でこそ、こういう一人前の顔をしていますが、彼も来たばかりの頃は何もわからなくて、不安で一杯だったはずです。わずか、一年も見たぬ間に、変われば変わるものです。今では、ご両親の通訳役をしているそうですから。

 彼のご両親は、二人とも、日本語が話せません。彼が、ご両親に連れられて、この学校に来たときは、まだ14歳でした。話しかけても、緊張していて何も話そうとはしません。お母様が、一人で、鉄砲玉のようにまくし立てるだけ。学校の見学が終わっても、黙っています。これでは、いったい、ここへ来て日本語を勉強するというのは、彼の意志なのか、それとも、ただ親に言われたから来ているだけなのか、私には判りません。

 それで、勉強したいというのは、自分の意志なのかどうかを聞いてみました。直ぐにお母様が、代わりにしゃべろうとします。が、それを制して、「あなたの考えはもうわかった。今は彼の意見を聞きたい」。すると、やっと、一言ポツリ、「勉強したい」。

それで、
「ここには、大学や大学院へ行きたいという人が勉強に来ている。あなたのような幼い人がここで、勉強するのは、大変かもしれない。その上で、聞くのだけれど、頑張れるか」
彼は、がんばると言います。
「頑張れるなら、来なさい。けれども、ここは、暇だから、時間つぶしに来るというところではない」ということも、強く言っておきました。これは、半分はご両親に向けてのことです。

 ご両親は、いわゆる学校とは、あまり「縁の無い所」で生活してきた人達です。そして、それなりの成功を収めている。子供が勉強しなくても、強制するつもりはないようなのです。帰り際に、お父様が、「この子は、馬鹿じゃない。けれども、勉強が嫌いだ。勉強しない。日本語は、少し話せればいい。それだけ出来れば、自分の所の田舎では喰っていける」。やはり、私の思った通りです。
 ただ、このご両親は、教師の意見を尊重してくれましたので、やりようはあります。

 中国では、田舎においては特にそうなのですが、そう考える人は、少なくありません。なんと言っても「人治主義」のお国柄ですから。多少勉強が出来るよりは、偉い(権力を握っている)人、つまり、地縁、人縁のほうがずっと役に立つのです。「勉強」は、あまり重視していないのです。おそらくそんなものは、言葉は悪いのですが、「屁の突っ張りにもならん」と思っているのでしょう。
 そう思うのは、確かに自由ですが、そんなつもりで、ここに子供を来させてもらっては困ります。来るからには、勉強は強制させてもらいます。

 それで、まず、机につくという習慣をつけることから始めました。
朝九時に学校に来ること。それから、今日の勉強の課題をもらって、午後の授業まで、それをすること。
 学校にいれば、私たちの目が届きますから。小さい学校なので、彼がいる自習室も、普通の教室の直ぐ隣なのです。教室に行く途中に、様子を見たり、注意を与えたりすることもできます。それに、授業のない教師が覗いて、わからないところを教えることも出来るのです。

 彼は、「その通りにします」と答え、その言葉通り、朝九時に、学校に来て、一人で勉強し、お昼を食べると、今度は授業に出るという毎日を続けました。始めの頃は、直ぐ飽きていたようでしたが、少しずつ勉強のやり方がわかったのでしょう。また、日本語が、ある頃から急に、目に見える形で上手になっていったので、自信もつき、それと共に勉強も面白くなったのでしょう。
 まだ、勉強を始めてから、一年には満たないのですが、今では、ご両親の通訳として、入管などへ付き添って行くそうです。彼の今の目標は、「一級合格」とのこと。

 昨日来た少年も、年こそ、L君より二つ上ではありましたが、少し不安げな表情は、去年の夏のL君と同じでした。勉強の習慣も付いているようには見えませんでしたし。

 ということで、ここで勉強する条件は同じ。まず、勉強する習慣をつけてもらう。
これは、何も難しいことではないのです。始めは、机につくということだけでもいいのです。そして、わかっても解らなくてもいい、日本語のテープを聴くのです。

 そんなことをしながら、「ひらがな」や「カタカナ」を書いていれば、日本語にも少しずつ馴染んでいけます。母国で勉強の習慣が付いていない人が、急に日本に来て勉強し出すなどということは、普通に考えてもあり得ないことです。焦ってもしょうがないのです。自分の国でご両親も、また、彼の国の教師達も、出来なかったことなのですから。

日々是好日
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「『画一化』と『多様性』」。「『言葉』は守れるか、また、守るに値するか」。

2009-05-21 08:23:27 | 日本語の授業
 こうも暑いと、学生達の「今は夏ですか。春ですか」というのに答えられなくなってしまいます。本当にどちらなのでしょう。体感では、蒸し暑いと「梅雨です」と言いたくなりますし、グッと冷えてきますと、「梅雨寒」という言葉の前に、「花冷え」という言葉が浮かんできます。

 さて、街では、「アジサイ(紫陽花)」の鉢植えを、よく見かけるようになりました。まだまだ、蕾は固く閉じられていますが、あの大きな葉はかなりの存在感を示しています。そして、「アジサイ」が咲き、これで、一雨でも来ますと、水田の「カエル(蛙)」さんの出番です。「筑波山 蛙の合唱団」、もう、つんざくばかりの蛙の合唱です。今では、それも、「遙かな記憶の世界」の出来事でしかなくなっていますが。

 「ネコが夜、顔を洗ったら、明日は雨」とか、「蛙が、ワ~ン、ワ~ンと耳に谺するように鳴いたら、明日は雨」とか、お天気の事を語る時、動物たちの名がよく出てきます。けれども、こういう動物の名も、いつかは、「ニホンムカシドウブツ(日本昔動物)」として、図録に載ることになるかもしれません。ネコや犬は、ペットとして健在ですが、「昔話」や「諺」に残っている多くの動物たちが、今では随分遠い存在になってしまいました。

 新しいものを開拓していくのは、確かにすばらしいことですが(なんと言ってもそうやって人類は、現在の地位を築いたのですから)、古人の書物に記載されていた鳥獣花草、又、虫たちも、いずれは、その座を外来の珍獣たちに譲っていく、そういう運命にあるのでしょう。もしかしたら、この日本語も、「日本古来」の動物たちと同じ運命にあるのかもしれません。

 かつて、どの地においても、その地の民草は、先祖伝来の言葉を用い生活してきました。しかしながら、「高位」の者、また、いわゆる「学問のある者」たちは、我先に「先進国」の言葉を学び、用いてきました。それが、「エリート」の証だったのでしょう。「先進国」の知識は、「実」用にも、また「虚仮威し」用にも役立ちますから。

 昔、日本においては、中国語がそうでした。が、日本は島国でしたから、輸入された文化もゆっくりと熟成され、また、「直接」輸入されるというよりは、大半が文字を通しての「間接」輸入でしたから、不要なもの、適さないものは、切り捨てることができました。それに、民草に広がる頃には、和風の味付けがなされて、余り原型を留めぬものになっていたという部分も大切です。
 明治期の「文明開化」の折、「フランス語」も「ドイツ語」も、「英語」でさえ、かつての「中国語」ほどの地位を、占めることが出来ませんでした。

 文学を好む人達は、「ロシア文学」に惹かれていましたし、絵画を好む人達は、パリへパリへと靡いていきました。そして、それぞれの言語が、彼らの書物を通して、少しずつ、民間に漏れていったのです。けれども、「日本語」は、まだまだ元気がよかった。「日本語」のリズムも発声も健在でした。

 「英語が出来なければ、(たとえ同じ能力があっても)損をする、不利になる」という「事実」、或いは、そういう「思い込み」が、第二次世界大戦での敗戦国、日本の貧しかった人々を突き動かしたのかもしれません。英語と米語は同じと見なしていいでしょう(実は、私は中学校の時の教科書が「イギリス英語」で、高校になると「アメリカ英語」に変わりました。「ははあ、単語も多少違うのだな」と、習っていた単語も少なかったのですが、そう思ったのを覚えています)。

 なんといっても、イギリスは植民地をたくさん持っていましたから。しかも、イギリスの政府は、日本の政府と違って、植民地経営の才能がありました。その国にいる人達が、お互いに喧嘩をして、その矛先が自分たちに向かないようにと、うまくやっていたのです。アメリカは、そのイギリスの言葉を、そのまま自分たちの国語にしてしまいましたから、当時のイギリスの名声(?)や世界的な地位までも、譲り受けたような形になっています。もう今では、「えっ。英語って、イギリス人も使うの?」くらいの感じでしょうね。

 今、私たちは、こうやって、細々と外国人に日本語を教えていますが、「日本語教師」の職につくにしても、英語が話せると便利と言われています。日本に来る外国人は、圧倒的に旧植民地の人が多いので、教育もその当時の宗主国の言語を利用しているようです。

 「英語が話せない」と言うと、あからさまに「軽蔑」の表情を見せる、そういう「旧イギリス植民地」から来た人もいます。もう、「ガンジー」の思想、或いは悲願は彼らには伝わっていないのでしょう。
「私たちの子孫が、この国の言葉で、この国の歴史を語ることができるように」という願いです。
 そのために、彼は、武器を持たない戦いを続け、いつしか、それは、「ガンジーには現実が見えてない」という批判にまでなり、最後には、その国の民の手によって、凶弾に倒されたのでしょう。

 世界には、いろいろな「民族」がいます。そして、それと同じ数だけの「民族の言葉」があるはずです。けれども、実際はどうでしょう。本当にそうでしょうか。
 これも、「神殿」と「信者」の関係と同じです。かつて、世界には、おびただしい数の神殿がありました。今でも、過去の栄光を物語るような、すばらしい神殿を目にすることができます。しかし、その多くは「滅びの象徴」として残っているのです。

 信ずる人がいなくなれば、彼らの「神」は亡びます。当然、「神殿」も亡びます。建物は「文化遺産」となって、雄大な姿を留めていても、信者がいなくて、何の「神殿」でしょう。もう「神殿」と称することさえ、かつての信者に対する冒涜になってしまうと思われるほどです。もはや「人の心が救いを求め、祈りを捧げる」という「神殿」ではありえないのです。廃墟と化しているだけ。

 「言語」というものもそうでしょう。使う人が少なくなれば、「言語」は、ますます痩せ細り、「表現の幅」を失っていきます。そんな不便な言葉を誰が使いたがるでしょうか。「後世に引き継ぐため」という義務感だけが一人歩きしているような言語を、守る必要がどこにあるでしょう。

 「言語」は「工芸品」などとは違います。「技術」は守ることもできるし、「甦させることもできるのです。それに、その中から、一人でも傑出した技術者が現れでもしてくれたら、第二、第三期の黄金時代を築くことも夢ではないのです。けれども、「言葉」は違います。

 責任ある地位にいる人々は、もっともらしい顔で「目先の事ばかりにかまけてはだめだ」と言います。では「目先」の事というのは何でしょうか。「目先の事ではない」というのは、どんなことなのでしょうか。

 日本人は、もう、かつての日本人のように、「美術に惹かれたから、フランス語を学ぶ」とか、「哲学に惹かれたから、ドイツ語を学ぶ」とか、そういうふうには、なれないのでしょうか。そういう多様さを認める社会には、なれないのでしょうか。「得だから」あるいは、「損はするまい」と、そう言う気持ちで、人間の根幹に拘わるような「言語」を選んでよいものでしょうか。

 「グローバル化が進む」というのは、人々が「多様なものを知る」ことができるようになるのではなく、単に「画一化が進む」に過ぎない。「すべて均されてしまうということに繋がる」という話をよく聞きます。
 それをしかたがないことだと認め、流されていくのに任せるのか、それとも、多様な存在を守ろうとすべきなのか。
 一人ひとりができることは限られているけれども、大きな社会が「目先の利害得失」で動こうとするなら、小さな個々人一人ひとりがやっていくよりほかないのです。

 皆、違うのです。同じ人間なのに、同じものを見ても、感じ方も、考え方も全く違うのです。勉強の仕方も違うし、拠って立つ所の価値観も全く違う。
 勿論、「日本の大学に入りたい」、「日本で生活したい」、「日本の会社に入りたい」と言うならば、日本的な価値観を強制しなければならない時もあります。が、この学生達の民族的な多様さが、時々、本当に得難いものに思えてくることがあるのです。

 いつもは叱ってばかりいる彼らを抱きしめて、「そのままでいい。そのままの自分を失わないで」と言いたくなることさえあるのです。

日々是好日
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「四月生の『アルバイト』」。「母国での『日本理解』」。

2009-05-20 08:36:11 | 日本語の授業
 今朝も晴れています。朝、「今日こそは、暑くなりそうです」と、「今日こそ」に力が込められた予報を聞きましたが、確かに昨日は外れました。暑くはならなかったのです。遠慮なく言わせてもらうと、暑いどころか、寒かったのです。うちを出る時には、「今日は暑くなる、暑くなる」とそれだけが、耳に谺していましたので、ついつい一枚余分に持って行くのを怠っていました。早朝も寒くなかったわけではなかった…のに。この時期、日較差がかなりあるので、安心していたのです。失敗、失敗です。本当に、フグを食べての呪文、「天気予報、天気予報」を久しぶりに思い出してしまいました。

 そういえば、かつて、予報が外れるたびに、「ごめんなさい。また、外れてしまいました」と謝る、可愛らしい「天気予報叔父さん」がいましたっけ。彼の「ごめんなさい」を聞かんがために、そのチャンネルに合わせてしまうと言う人もいたほどでしたから。外れても誰も責める人はいなかったのです。
 責めるどころか、天気予報が外れれば、彼の「ごめんなさい」の一言が聞けるわけですから、そっちの方が面白いと、皆、思っていたのでしょう。こうなると本来の「予報」の意味がなくなってしまうので、彼としても、メンツがありますから、当てたかったのでしょうが、何十年も前のことです、今ほどの精度はありません。衛星を利用するということもまだありませんでしたし。
 というわけで、「(予報が)外れて、ごめんなさい」は、よく耳にしました。

 さて、四月生のクラスが始まって、一ヶ月を超えました。学校での勉強に慣れてくると、次は、そろそろアルバイトに焦り出す段階に入ります。いくら彼の国では、「中の(お金に困らない)」の生活をしていたとしても、日本ではそういうわけにはいきません。(国でなら十分すぎる)と思われたお金でも、日本では、油断すると、直ぐになくなってしまいます。一ヶ月、5千円ほどもあれば、一家四人が充分に暮らせるという国から来た人もいるのですから。

 国においても、「日本の物価」の高さについて、すでに聞き及んでいるはずなのですが、実際に来るまでは、やはり、なかなか想像できなかったのでしょう。来日後、ショックを受けている学生も少なくありません。
 その上、(そのことに気づいて)国からお金を送ってもらおうにも、外貨を送るには煩瑣な手続きが必要であったり、政情不安のために送れなかったりすれば、不安がますます募ります。それも、もっともなこと。18歳で、初めて外国へ来て、こういう目に遭ったら、だれでもそうなるでしょう。

 この学校では、到着後、まだ国のご両親に電話をしていない学生がいたら、必ず、学校から電話をさせています。そうでないと、本人も落ち着きませんし、何よりもご両親が不安でしょう。普通は、知人がいたり、兄弟や親戚がいたりで、それほど気にかける必要なないのですが、今回、ネパールから来た、18歳の学生が、そうでした。聞いた時に、「まだ、お母さんと話していない」と言いましたので、学校から電話をさせたのです。

 ところが、なかなか繋がらないのです。繋がっても、お兄さんが出たり、お母さんが留守だったりと、その度に、がっかりして、本当に寂しそうな顔をするのです。このR君が、初めてお母さんと電話が繋がった時の嬉しそうな顔は、なかなか忘れられるものではありません。パアッと花が咲いたように、明るい表情になったのです。

 R君は、一見、生意気そうで、ちょいと潰した方がいいかなと思っていたのですが、あの表情を見ると、もうそれはできませんね。きっと内心、不安で、はちきれそうだったのでしょう。それで、逆に、つっぱっていたのかもしれません。今はもう本当にいい子です。上のクラスのインド人学生が、ヒンディー語で、日本の事、この学校の事、アルバイトの事などをみんな話してくれましたから、不安も拭えたのでしょう。

 世界には、様々な国があり、人々はそれぞれ異なった風土で、異なった宗教を信じ、異なった政治体制、或いは政治状況の下で暮らしています。(事務的な手続きが)、日本のようにスムーズにいくのは、稀と言ってもいいでしょう。それを、腹の底にたたき込んでおかないと、無用の苛立ちを覚えたり、腹を立てたりと、無駄なことにエネルギーを使ってしまいがちです。まずは、用心、用心です。

 さて、「アルバイト」に話を戻します。「アルバイト」を探すにしても、日本語がある程度できなければ、空振りの連続ということになってしまいます。これは、ただ「話せ」たり、「聞き取れ」たりするだけでも、だめなのです。勿論、来日後、まだ一ヶ月足らずですから、できるといってもしれたものです。

 今、私が言いました「ただ話せたり、聞き取れたりだけでもだめ」の、「話せる」と「聞き取れる」にも、二つの意味があります。一見、日本語が「聞き取れ」、「話せ」ているように見える学生であっても、彼らの思考回路(つまり、自分の国の習慣)で話し、彼らの思考回路で、日本人の話を理解してしまうことしかできないと、望み通りの仕事は得られません。

 これは、往々にして、母国で「かなり日本語を勉強した」という学生に見られることなのですが、「文法」や「単語」を覚えたに過ぎず、日本について非常に薄い表層の部分だけしか知らぬにもかかわらず、「日本を知っている」と思い込み、その自分の判断に基づいて行動してしまうので、日本人と摩擦を生じてしまうのです。まずは、日本人に好かれません。当然のことですが。

 おそらく、こういう人は、母国でも「雰囲気が読めない」タイプか、「他者の気持ちがわからない」タイプと見なされていると思うのですが、そこはそれ、普通は自分の国では慣れていますから、何とも感じていないものです。それが、日本(異国)に来て、同じことをやれば、皆が眉を顰めて、排除しようとしますから、どうも「おかしい」ということに、初めて気づくのでしょう。

 この学校には、同じ国の人間だけがいるわけではありません。この60人足らずの小さな学校には、インド、中国、タイ、ミャンマー、エクアドル、スリランカ、スーダン、タンザニア、ガーナ、フィリピン、ネパール、モンゴルと12ヶ国から来た人が学んでいます。しかも、皆が皆、就学ビザで来日しているというわけではなく、他のビザで来日している人も半分以上いるのです。当然、価値観も異なってきます。

 ただ困るのは、こういう「4月生のクラス」の構成員の日本語のレベルが一定ではないということです。もう数年も日本語を学んだ経験があるけれども、文法がメチャクチャで、上へは上げられないという人から、本当に「イロハ」から始めた学生まで、日本語の既習歴を言い出したら、もう収集が付かなくなるくらい、いろいろなレベルの人がいるのです。

 クラスの学生達の日本語が、多少、格好をつけてくる二・三ヶ月後までは、たとえ文法がメチャクチャでも、数年勉強したことのある人間の方が、(日本語が)うまそうに見えてしまうので、一目置かれがちなのです(これも、二・三ヶ月後には、ほとんどの場合、逆転してしまうのですが)。
 そこで、教師の出番です。教師が、そういう学生が、大きな顔をして、幅をきかせたりしないように、うまくコントロールしていかなければなりません。そうしなければ、悪くすると、学生達が、無意識のうちに誤った知識を注入されて、道を外してしまうかもしれないのです。(日本語という)共通言語はまだできていませんから、勢い、「力業」ということになります。勿論、この「ちからわざ」は、腕力を指しているわけではありません。

 教師は、「クラスという船」の「船長」さんですから、相手を従わせるだけの「声と姿勢」を持たねばなりません。その上で、彼らの「望み」を聞き、適当なクラスに入れたり、席を与えたりする、そういう作業も必要になります。「差配する」というのは、今も昔も、簡単なことではありません。ただ、何が学生達にとって一番大切であるか、また来日の目的を叶えていくためには、どの方法が一番いいかを考えていけば、自ずから結論というものが、出て来ます。教師にとって何よりも大切なのは、その声に従うということです。教師が迷ったら、学生もふらついてしまいます。そうすれば、クラスは崩壊してしまいます。まず、現実を見、判断する。そして、判断したら、その自分を信じる。間違っていたら、直ぐ改める。学生から見た場合、それが直線に見えればいいのです。内心の葛藤は、外に表してはなりません。学生が迷います。

日々是好日
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「身体が覚えている『四季の巡り』」。「『昨日の自分』と『今日の自分』、そして、『明日の自分』」。

2009-05-19 08:01:40 | 日本語の授業
 今日もいいお天気です。天気予報では、昨日よりも暑くなると言っていました。それに、「梅雨」の話も出ていましたっけ。何でも「梅雨入り」は、6月の始め頃になりそうとのこと。不思議なものですね。季節が「春」になれば、次は当然、「夏」になる。その始めには、必ず、雨が降り続くということになる。そんなことはわかりきったことのはずですのに。どこかで、その土台が崩れていくような、危なっかしい気がしてならないのです。

 「春」が来て、「初夏」が始まり、「梅雨」になり、「梅雨明け」と共に、カッと灼けるような「夏」が来て、「台風」の季節となり、朝夕に涼しさを感じる頃、「秋」となり、木の葉が落ち、「木枯らし」を見、そして「冬」、そして、「春」、そしてまた…。

 この大地に住む人間が、この当然とも言える「季節の恵み」を享受出来なくなる日が来るかもしれないなんて、今は、考えられないのですけれど…。
 それでいて、この地に住みついている人間というモノは、その準備を、知らず知らずのうちに、既に「心」の中に浮かべているのです。

 中国に長く暮らしていた時もそうでした。頭ではわかっていても、その時期に、身体が覚えていることが起こらないと、どこかで「不調」を来たしてしまうのです。北京の冬はカラカラでしたから、(日本で過ごす冬のように)寒さで悩むことは、ありませんでした。身体は、当然のことながら、ある種の「爽快さ」を感じていたはずです。ところが、豈図らんや、心では、反対に、「何か変だぞ」とばかりに、ジメッとした、下から突き上げてくるような冷えを懐かしんでいたのです。

 もちろん、これは、(日本人の身体に)否応なく染みついている感覚にすぎません。好き嫌いとは全く関係がないのです。
 ただ、来日後、初めての「梅雨」を過ごすことになる、乾燥地の人達は、たまらないでしょうね。暗い雨の日が続きます。しかも、ムンムンと蒸し暑いのです。子供の頃、「梅雨」時に、カレンダーの裏側に生えた、「黴」を見つけたことがありました。見つけた時は、感動モノでしたけれど、人間まで黴びてしまったら、大変です。「黴」は一度生えたら、完全に取り除くのは、なかなかに難しいことなのです。「黴」とて、ヒトと同じ生物なのですから、抵抗するでしょうね。

 雨にウンザリさせられている時は、それを逆手にとって、この期ならではの、雨に濡れた草木を見るに限ります。ちょうど、その頃に盛りを迎える「アジサイ(紫陽花)」がいい。名所にわざわざ行かずとも、近所に「庭木」として植えられていたりしますから、ちょうどいいのです。それに、「アジサイの鉢植え」も少なくありません。

 「アジサイ」の大きな葉には、透き通った肌を持つ「アオガエル(青蛙)」が、一番似合います。言葉を足しますと、昼は「アオガエル」で、夜は「ホタル(蛍)」がいい。「アオガエル」も、「ホタル」も、都会ではすっかり姿を消してしまいましたが、闇の中で光る、葉先の滴かと見紛うばかりの、ホタルの緑の光は、美しいものです。雨に濡れて、心まで黴びてしまう前に、この期ならではの、美しいものを見て、心を和ませてもらいたいものです。

 「時間」というものは、流れていく…これは、地球上に住む人間にとって、山で生まれた河が海に向かって流れていくのと同じように当たり前の事なのですが…、もし、時間に「意志」があったら、どうなるのでしょう。季節が逆流したり、チャランポランになったりするのでしょうか。「当たり前」と考える、その「常識」の土台さえ崩れてしまいそうです。

 「昨日の自分」は、「今日の自分」ではありませんし、「明日の自分」も、もう「今日の自分」ではあり得ません。誰でしたが、ある人が「人生に同じことを経験するということなどあり得ない。どのような人であれ、今日という日を、初めて経験するのだから」と書いたものを読んだことがありましたが。

 私たちは、ともすると、まるで毎日、同じ事を繰り返しているかのように思いがちです。しかしながら、確かに、自分も「昨日の自分」と、「全く同じ」ではありえないし、学生達もまたそうです。毎日の変化は、特別なことが起こらない限り、目に見えないほど、それはそれは小さなものです。けれど、その小さな変化を掬い上げることによって、人は、もっと大きな変化を生み出せることもあるのです。勿論、その逆もあるでしょうが。

 今の「Aクラス(去年の7月生中心)」に、授業に行って面白いのは、彼らがあからさまな好奇心を示してくれるからなのです。
「え?それは何」。「え!」。「ほう!」。「どうして」。「ああ」。「あ~あ」。
もう少し、日本語が出来たらと、残念に思われるくらいなのですが、それでも、いろいろなことに興味を持ってくれるのが、一番ありがたい。その好奇心を満足させる形で授業を進めていけばいいのですから。(心の)殻が厚くて、どんな刺激にも応えず、ボウッとしている学生は、本当に手に負えません。それでいて、(そういう人に限って、何も知らないくせに)知っていると思い込み、それを人にも言うのです。

 もちろん、みんながみんな、そうというわけではありません。ただ、こういう人は、すでに、自分の価値観ができあがっているのです。今更、いろいろなモノを貪欲に吸収するというわけにはいかないのでしょう。これは、年齢には関係ないのです。若くとも、神経が鈍磨していれば、何も吸収できないでしょうし、たとえ80歳を過ぎていようと、若者のような新鮮な気持ちで、毎日を過ごしている人なら、いろいろなモノをいつまでも吸収することができるでしょう。つまり、おもしろがって人生を送ることが出来のでしょう。

 ただ、この学校に、若くして入り、学びたいという人が、こうあってもらっては困るのです。つまり、「昨日もかくてありけり。明日もかくてありなむ」と、とにかく毎日の生活を享楽的に過ごせればそれでいい、日本にいるのに、日本語が話せなければ困るから、ここに来ただけだというのでは、困るのです。

 「言語」というものは、その地の「文化」や「風習」、「風土」、また、それらを築いた人々の「考え方」や「感じ方」と密接に結びついています。「『(日本語の)文法』を勉強した。『一級』の単語を覚えた。合格した」で、終わりというわけにはいかないのです。数字では計れないもの、データには表れないものを、学ぶ必要があるのです。「言語」というものは、それらの「表層」に現れた、「目に見えるもの」に過ぎないのです。その「言語」が拠って立つ所の、人々の生業を垣間でも見ておかねば、文章を読んでも、人々と話しても、おそらく「深いところで」理解し合うというわけにはいかないでしょう。
 
 そのためにも、日本で大学へ行こうという人には、少なくとも「文学」の入り口くらいまでは、学んでもらいたい。ただの「知っている」ではなく、日本を「感じて」欲しいのです。

日々是好日
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「『叱る』、『注意する』とは」。「ここで日本語を勉強する場合の『向き不向き』について」。

2009-05-18 07:32:02 | 日本語の授業
 昨日の大風が、うそのように静まりかえっています。電線が唸り、木々が身をよじるように揺れていました。鳥の声さえ聞こえませんでした。きっと彼らも、どこかで息を潜めながら、嵐の過ぎるのを待っていたことでしょう。何はともあれ、ひどい大風でした。

 さて、学校です。先週の金曜日のことでした。
 授業が終わった後、いつものように教室を片付けていると、窓の外から、サッカーボールに興じている学生の声が聞こえてきました。そこは一般道で、車も走ります。大急ぎで見ると、ガーナ人学生のKさんが、
「先生、上手でしょ」
と、見て見てと言わんばかりに、ボールで曲芸をして見せます。それに取り合わずに、
「車が来るから、危ないです。道でボール遊びをしてはいけません。やめなさい」

 Kさんは、叱られたと思ったのでしょう。大慌てで、
「しません。私はしません。私のボールではありません」
と、タイから来たE君に渡します。

 E君にも、「危ないから、やめるように」と言ったのですが、わかりません。ただ見てもらいたい、褒めてもらいたいの一心だったのでしょう。ボールを蹴り続けながら、こちらをチラチラと見ています。

 かわいそうに思ったのですが、これからの事もあります。厳しい声で、
「あなたが危ないのではない。車に乗っている人が困る。やめなさい」
と言うと、私の剣幕に驚いたのでしょう。自転車の籠に慌てて隠して、「さようなら」と物凄い勢いで、駆け抜けて行きました。

 これを傍から聞いている人がいたら、「なんという学校だ。とんでもない教師だ」と思われたかもしれません。しかし、まだ、互いに「共通言語」を持たないうちは、注意するにしても、甘い態度でそれをしてはならないのです。冷たく言い放った方が、相手がわかる場合が多いのです。

 伝えるべき「言葉」がないのですから、語調や態度、それに表情でわからせなければならないのです。そうやって、「なぜかはわからないが、ここでは、そうしてはいけないのだ」ということを、知らしめねばならないのです。そうでなければ、依然として、「(彼らの)お国流」で「理解」し、こちらの言わんとするところが、正しく伝わっていかないのです。いくら冷たく言い放とうと、日本語のレベルが上がるにつれて、相互理解は出来るようになりますから、「相手に悪いかな」とか、そんなことは考えなくともいいのです。反対に、彼らがそれをやり続け、日本人から嫌われたり、危ない目に遭ったりしたら、どうなるのかと言うことの方を、教師は考えた方がいいのです。

 「現場に立つ教師」というのは、皆に好かれようと思っていては出来ない商売です。実際には、嫌われるのを承知でしなければならないことの方が多いのです。そこが、単なる講師や、また研究者と言われる人達と違うところでしょう。目先の親切や、甘い言葉は、長い目で見た場合、彼らを害することこそあれ、決してためにはなりません。
 注意する時も、そうすべき「時」と「場」があるのです。まず、「その場」で、「その時」に注意するというのが原則です。そうしなかったら、次のチャンスを狙うか、または、もうそのことで注意するのはあきらめた方がいいのです。それくらいの気持ちでなければ、叱ったり、注意したりしてはいけません。嫌われようが、迷惑がられようが、今、そうしなければならないのだという切羽詰まった、こちらの気持ちが、うまく相手に伝わらないのです。

 もちろん、日本語がある程度のレベルに達していれば、それなりの説明は出来るのですが、そうでなければ、日本にいても、自分の国と同じ習慣で生き、同じ考え方で物事を処理しようとしますから、日本人との間に必ずと言っていいほど、軋轢を生じます。これは、どこの国へ行っても、また、どこの国の人が外国へ行っても同じことです。

 実をいいますと、E君は、まだ義務教育の年齢です。私たちも、彼をこの学校で預かるのに、躊躇したのですが、「学校に行っても虐められた。これは日本語が出来ないせいだ」と、ご両親が硬く信じ込んでい、断ろうにも断れなかったのです。

 彼の日本語のレベルというのは、(日本の学校に一時期行ったことがあるからでしょう)簡単な日常会話なら、多少わかるようですが、まだ、きちんとした「ひらがな」も書けません。「学校に行き、座ってさえいれば、勉強したことになる」と、ただそう思って、ここにいるのであろうとしか思えないような少年なのです。

 この学校に来ている学生というのは、大半が、大学や大学院を目指しています。勉強しなければならない理由があり、ここへ来て、勉強しているわけですから、出来なければ自己責任です。大学や大学院に行けないだけなのです。つまり、ここでは、こういうタイプの少年を預かれるようなカリキュラムは立てられていないのです。

 もちろん、以前にも(また現在も)、中学生クラスの少年や少女を預かったことがあります。ただ彼らは、よく勉強をしました。母国で成績がよかったというフィリピンの少年も少女も、勉強をする習慣が付いていましたし、母国では勉強を全然しなかったという中国人の少年も、「ここへ通うなら、9時から4時45分まで、学校で勉強する(当時、彼のクラスは1時15分あから4時45分まででした)のが条件」と言えば、それを守ってくれました。守っているうちに、勉強のやり方を覚えたのでしょう。どんどん成績が上がり、今では、日本語が話せないご両親の通訳となって、入管などへついて行けるようになっています。

 当たり前の事ですが、勉強しなければ、日本語は「習得」できません。座っていて、適当に、聞いた言葉を繰り返したり、テストの時は隣を見たりというのは、彼らの国や学校では許されていても、ここでは許されないのです。それに、みんな日本でもそれでいいのかと、勘違いをしてしまいますから、他の人の勉強の姿勢にも乱れを生じさせてしまうのです。
 本当に彼のような、精神的にも幼い人は、もし、日本に居続けるというのであれば、少しでも早く中学校に戻った方がいい。同じ年頃の少年と同じ教室にいて勉強した方がいい。そう、彼のためにも、思うのですが…。

日々是好日
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「『聞き取れている』と思い込むことの、危うさ」。

2009-05-15 08:08:13 | 日本語の授業
 五月晴れです。昨日は朝は申し分のないお天気だったのに、夕方には、風が出てきました。闇が深まるにつれ、風は強さを増してきます。ちょうど帰る途中、小学校と幼稚園と、そして、公園の砂場とが重なっている、いわゆる「魔の三角地帯」があるのです。悲惨でしたね。道も緩やかなカーブになっているので、眼を瞑って駆け抜けるわけにも行きませんでしたし…。これからは、「風が吹けば、ルート変更」と、己の頭に言い聞かせておかねばなりませn。

 さて、学校です。
 実をいいますと、この学校は本当に小さいので、学生をそれほど収容できないのです。が、それでも、だんだん来てくれる人が増えて、こちらの要求(「勉学に対する姿勢」等の要求です)も出せるようになってきました。ただ、地域にも貢献すべく門戸を開いていますので、最近は常に20人ほどが「就学生」以外ということになっています。中には、学校に通うのに不便だからと、近くに引っ越ししてくる人もいます(最寄り駅は、東西線の行徳駅ですから、日本橋まで20分と都心に通うのにも便利なのです)。

 もちろん、日本人の配偶者がいる方や、御主人や奥さんの「家族滞在」で来られている方の中には、「初級レベル」で終わる方も少なくはありません。母国で既に、勉強の習慣がついている方はいいのですが、そうでなければ、大人になって、それもいい年になって、今更慣れないことをするというのは、かなり辛いということもわかります。それに、「聞く」「話す」は適当に出来ても(この「適当」というのが曲者なのです。助詞はまず、無視していますし)、書けないどころか、読めもしないという人も、実際のところ、いないわけではないのです。

 変な話ですが、こういう「長く日本で生活している」方々を教えるということは、また別の意味からも、日本語を教えていく上で、いい勉強になるのです。その人が「聞ける」と言うのも、来日後数か月の「初級」の学生が、テレビを見て、「みんなわかる」と言うのと、理屈は同じことなのでしょう。どれほど長く日本にいようと、「読む」という作業を疎かにしていると、人は実際には「聞き取れていない」もののようなのです。

 「日本語の文章」を読んでもらうと、すぐに解ります。中には、日本人と同じくらい上手に日本語を操る人もいるのですが、「文章の意味」がわからないのです。「話せる」「聞き取れる」と思い込んでしまうことの、怖さを感じさせられてしまいます。人も自分もそう思ってしまうのです。実際は「聞き取れていない」のにもかかわらず。けれども、適当に「話を合わせる」ことが出来るので、多分その人と話をしている日本人も、その人が聞き取れていないことに気づいてはいないのでしょう。

 こういう人が来た場合、ちょっと人が悪いのですが、軽いテストめいたことをしてみます。始めは「自分は、話せたり聞いたりは出来るけれど、漢字の問題もあるし、読んだり、書いたりが難しいんだ(つまり、日本人の話は聞き取れていると言っているのです)。でも本当に勉強したいんだ」と言っている人でも、短い文章を読んでもらって(もちろん、私が朗読もして見せます、漢字の読みの問題もありますから)、その意味を尋ねると答えられないのです。

 何十年日本に住んでいようと、その人の日本語は、「日常会話レベル」以上のものではないのです。「いい」とか、「好き」とかは言えても、「説明したり、考えたりできる」日本語ではないのです。

 若いうちに、それが出来るようにしておくと、楽なのですが、それが出来ない環境に育っていると、とても大変です。どこでも、日本のような教育が受けられるかというと、そうでもないのです。もちろん、こういう人は、いろいろな理由を拵えて直ぐに来なくなります。気の毒には思うのですが、これは仕方のないことです。中には、同じような境遇にあっても、ここで、一年近く頑張れる人もいるのですから

 こういうと驚かれるかもしれませんが、日本語を学んでいくということは、同時に今まで知らなかった様々な知識を吸収していく過程でもあります。常に、日本語学校で、日本語の「イロハ」だけを勉強しているわけではないのです。

 特に、中国人には、漢字の問題もありませんので、『上級』に入った頃から、少しずつ「ニュース」に親しんでもらいます。まず、「新聞」などで取り上げられる「単語」です。特に「話題」となっている「言葉」です。その漢字の「読み方」がわかりますと、後はそれに類する話題を多く耳にすれば、自然に知識は入ってきます。
 「一級テスト(7月実施)」が終われば、こちらとしても、教材を選ぶのに、かなり自由になれます(中国人の場合は、だいたい一年余りで「一級」レベルです)。つまり、教材に幅を持たせていくことができるのです。それからは、文学教材、新聞などで、「人文科学」系や「社会科学」系のものが多くなるのですが、工学部を目指している学生がいる場合は、「自然科学」系のものも、読み物として取り入れていかねばなりません。

 このような「読み物」を通して、日本語の世界を拡げてもらい、日本人と対等に、様々な話題について語ることの出来る「土台」を築いておくのが、日本語学校の役割でもあるのです。

 ただ、ここで学ぶことのできる期間は、最長「二年」と決まっていますので、「イロハ」からやれば、もう「土台の土台」レベルで終わってしまうでしょうが、それでも、やるとやらないとでは、次に進んだ場合に大きな差が出てきます。中には、「(自国では)常にトップだった。(国では)いい大学を出ている。自分は頭がいいのだ。何でも知っているのだ」と自負している人であろうと、日本では違うのです。彼らの全く知らない世界が、ほぼ万人に対して、彼らから見れば、完全に近い形で開放されているのです。

 こういう勉強の仕方をして、ある程度の期間、頑張れた人は、上に進んでいっても、何とかなるものです。何か嫌なことや、困ったことがあったとしても、少し立ち止まって考えてみれば、どこかで、ここで学んだことと繋がりがあるのに気づくでしょう。そうすれば、何かの手がかりはあるわけです。「真っ白」よりも、「手がかり、足がかり」がある方が、その土地で歩んで行くには、便利です。少なくとも、気は楽です。

日々是好日
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「『Dクラス』、一昨日の効果あり」。「『座席』を教師がきめることの大切さ」。

2009-05-14 08:17:37 | 日本語の授業
 今朝は晴れ。カラリとした五月晴れの、いいお天気です。
 昨日は、お天気で失敗しました。朝、授業の時、大きな顔で、「今日は一日中、いいお天気だそうですよ」と言ってしまったのです。すると、一人の学生が、「先生、昼頃から雨だと言っていました」。「…」。すかさず、一人が「あ~あ、先生」

 彼女の言った通り、昼頃から空が曇り始め、学生が帰る頃には、大粒の雨が…。「みんな、外を見つめ、「先生、傘を貸して下さい。持って来ていない…」

 この雨は、夜まで、降ったり止んだりを繰り返していました。私も帰る時には止んでいたので、ルンルン気分で出たのですが、途中、ザーッと降る雨にやられてしまいました。降り方も、「雷様が後ろに控えているにちがいない」と思わせましたので、もう大慌てで、いえ、泡を食ってと言った方がいいような慌てぶりで、自転車を漕いで帰りました。しかしながら、こういう時は危ないですね、家路を急ぐ人は皆同じですから。それこそ、本当に「クワバラ、クワバラ」です。

 ところで、昨日の「Dクラス」です。一昨日とはうって変わって、非常に気持ちよく授業ができました。熱されて、プワプワ、ボヨボヨしていた空気が、少し締まってきたようです。一昨日、「鬼瓦」となって授業した甲斐がありました。私も大変で疲れ果ててしまったのですが、受けていた彼らも、きっと参っていたことでしょう。あの日、ちょうど二組の見学者が来ていたのですが、恐れをなして逃げ帰ったようです。(此のクラスも)もう一ヶ月ですからね。見学者が来たからと言って、遠慮して、せっかくのチャンスを逃すわけにはいきません。午後ずっと(授業を)持つ機会など、ほとんど無いのですから。

 それに、考え方を変えて、「座席」に、少し手を加えたことも幸いしたのでしょう。この「座席」というのは、特にいろいろな国から来ている学生が多いクラスの場合、うまく嵌れば、大きな威力を発揮しります。勿論、失敗したら、悲惨な結果になるのですが。この「座席配置」には、どういう「クラス」にしたいのかという、教師の思想が出てきます。「座席」を見れば、教師の考え方がわかるのです。

 いうまでもないことですが、皆の心が、最初から授業に向いている(意欲に燃えている)のなら、話は別です。そういう「クラス」なら、学生の自主的な動きに任せても、それほど大きな問題は起こらないでしょう。それどころか、教師があまり手を入れないほうがいい場合も少なくはないのです。原則として、彼らは「子供」ではなく、「大人」なのですから。

 けれども、日本語学校(一ヶ国か、二ヶ国ぐらいの学生しか集めていない学校ではありません)の場合、国籍の違う、いわば、雑多な人(ごめんなさい。ちょっと表現がきついかもしれません)が、それぞれの思いを抱いてきているわけですから、自然に任せてしまうと大変なことになってしまいます。

 各々の気持ちを忖度し始めると、キリがないのです。それで、ありのままの現実を認めさせることが、第一の作業になります。母国を離れて、つまり、母国での彼(彼女)に対する評価も、親族の地位も、学歴も、一旦消してもらうのです。白紙にしてしまうのです。そして、この教室における「地位」だけをそれぞれに認めさせるのです。今の日本語のレベル、それから言語に対する勘、意欲、そして、にじみ出る人柄などですが、そのプラスの面が、クラスの皆に伝わるように、授業や休み時間などを利用して、教師は努めていかなければなりません。その土台が出来ていないと、皆、母国の尾っぽを引きずって、勝手な一人歩きを始めます。それは、大半の場合、不幸な結果に繋がります。

 それを断ち切った上で、授業に臨ませていかないと、大切な授業まで、ぎくしゃくしてしまいます。そのためにも、「座席配置」は大切なのです。普通は、自分の席の近くの人と話したり、会話で組んだりする機会が多いので、それらの日常活動を通じて、自然と「自分の位置」が判っていくものなのですが、「配置」が、うまくいっていないと、それがなかなか出来ないのです。

 教師の方も、彼らを直ぐに理解できるわけではありません。彼らの主張や訴えでも、始めは黙って聞いておかなければなりません。彼らの思い通りにしてやるというのと、理解しておくというのとは違います。そのためには、彼らの言葉がわかる人が必要です。そう言う場合、私たちは「上のクラス」の学生達の力を借ります。在日の方が学生となっている場合は、彼らを連れてきてくださった方の力を借ります。

 「上のクラス」の学生の力を借りる場合、いいことがあります。彼らは既に、この学校で、数ヶ月を過ごしているわけですから、私たちの気持ちもよくわかっています。その上、彼らなりに見えてきたものがあるようで、単なる通訳でなしに、その経験を交えながら、こちらの意図を汲んで説明してくれますから、こちらが多くを語らずともすむのです。そうして得たものも、一つの材料として、加味しながら、「これから、『クラス』を、どういう方向に持って行けばいいのか」を、教師が考えていくのです。

 この「Dクラス」も、一昨日、「Cクラス」の学生に来てもらい、「Dクラス」の一人の学生に(私の考えを)説明してもらいました。「彼女は約束を守らなくても平気だし、ディクテーションも隣の人のを見てすましている。しかも、ひらがなとカタカナを覚えたら、もう、それで事足れりと思っている。そんなことでは、大学なんて狙えない」と、かなりきつい口調で言いました。間に立った「Cクラス」のSさんは、心の中では「そら、来た」と思ったことでしょう。彼もしょっちゅう言われていますから。しかし、随分穏やかに、自分の経験も交えながら、彼女に説明してくれました(思わず、途中で私が笑い出したほどです。私のつたない英語でもわかるほど、遠慮がちに、わかりやすく、噛んで含めるように言っていましたから)。

 と言いましても、私の口調からも、表情からも、わかったことでしょう。私の不満の程度が、決して、それくらいではないということが。彼女は言語に対する勘も、頭も悪くないことはわかります。しかし、いくら頭がよくても高を括っていれば、直ぐに出来るはずのことも出来なくなってしまいます。そう言う学生を嫌と言うほど見て来ましたから。
 彼の説明が功を奏したのでしょう、昨日の朝は、約束どおり、9時に来て勉強をしていました。

 それから、私も迂闊だったのですが、いわゆる中学校における「ホームルーム」と同じように、そういう時間を取るべきだったのです、このクラスでは。授業の前に、彼らを席に着かせ、前日のノートを配り、チェックしたり、書き直したりするという作業をさせておくべきだったのです。そして、一言でも、注意を与えておくべきだったのです。
 今回は、私が、午後の「二コマ目」でしたので、前の先生に遠慮して、それを行っていなかったのです。しかしながら、このクラスでは(それが習慣になってしまうまでは)、私が授業前に行って、彼らを座席に着かせておいた方がいいようです。
 直ぐに膨れ上がって、飛び回ってしまいますからね、この「原子」さんたちは。

日々是好日
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「クラス作り」。「クラスで『中核』を育てる必要性」。「育った後のクラス」。

2009-05-13 07:58:53 | 日本語の授業
 やはり雨が降りましたね。少しホッとしています。少なくとも、今日、一日は「せんせ~い。うそついたあ~」と言われなくてすみますもの。もうせっかく人が心配して言ってやっていると言うのに、それを種に、こちらに難癖をつけようと待ち構えているのですから、油断も隙もあったものじゃあありません。

 まあ、いずれにしても、雨が降って、お空の湿気をとってくれたおかげで、今日はカラリとした気分で過ごせそうです。昨日の天気予報を見て驚いたのですが、昨日は湿度が60%もあったのだそうです。ジメジメと暑かったはずです。一足早く梅雨に入ったのかと思ってしまいました。

 さて、話は変わって、学校です。
ほんとうに「クラス作り」は、難しい。途中で、クラスを引き継いで、それから締めに締めているのですが、新しい「四月生」のクラスは、原子が熱で膨らみ、勝手気ままに飛び交っているような具合なのです。これが、固体とまではいかなくとも、液体状態になるまで、あとどのくらいかかりますかしらん。昨日は疲れ果てました。

 「一コマ」くらいなら、どうにかこちらのペースで引っ張っていけるのですが、「二コマ」ともなりますと、大変です。机にじっとついていることができない人(勘違いしないで下さい。大半は大人です。中学生が二人いますが、問題になるのは、そのうちの一人だけです)が何人もいますから、彼らに飽きさせないようにしながら、しかも、授業を通して、ある程度の達成感を味わわせるというのは、至難の業です。終わると、ドッと疲れてします。しかも、その間に、民族的な問題もあるのでしょう、席替えをしてくれ(いわゆる、わがままです)とか、また、授業後には、自分たちは特別だと勘違いをしている人が、自分だけに、(授業後に)会話の特別レッスンをしてくれとか言いに来たりするのですから。

 民族的な問題は、すぐに切り捨ててしまうわけにもいきません。私たちが理解できないような歴史的な関係もありますし、国によっては、他の民族を見下げたような教育を受けているといった場合もありますから。(彼らが)若ければ、来日後、こちらの態度一つで、いかようにもなってくれるのですが、もう年を食っている人(大学卒業後くらいの年齢という意味です。この場合は、いわゆる「知性」がないと難しい。感情の中で養成されたものには、理性の入り込む余地がないのです)は、なかなか、こちらの思うようにはなってくれません。それに、田舎から出てきて(狭い世界で)、そこでは自分はすごかった、日本でも通じるはずと思い込んでいる人もいるのですから。そんなの、この日本ではどれほどのものでもないのに。

 それにしても、疲れました。こういう現場に、長時間立つには、かなりの体力が必要です。早く若い教員に、実力をつけてもらわなければ、その前に、こちらが、くたばってしまいそうです。

 このように「クラス」が、まだ成立できていないというのも、このクラスでは、「中核」になれそうな人の、日本語のレベルが、まだ低いからなのです。なんと言っても、この学校に来てから、一ヶ月が過ぎたか過ぎないかという人が大半です。しかも、「イロハ」から、始めている人も少なくはないのです。

 今、このクラスで「幅をきかせている」のは、来日前に、日本語を学んでおり、多少、話せたり、聞き取れたりする人(これも、私たちから見ればたいしたことはないのですが、ほとんど話せない人から見れば、それでも、大したモノなの)です。この差というのも、その人達の日本語のレベルを、今、育てている「中核予備軍」が、三ヶ月ほどもすれば、追い抜けるだろうと思えるほどのものでしかないのですが。まあ、いずれにしても、それまでは、教員の方も辛抱、辛抱です。

 そうすれば、前向きに勉強に取り組み、授業を真摯な態度で聞くという人達が「中核」になりますから、きっと、今ある、彼らの上のクラス「Cクラス(今年の一月生)」、「Bクラス(去年の十月生)」、「Aクラス(去年の七月生)」のようになれるでしょう。

 これらの「三クラス」では、休み時間も、トイレに行ったり、用事があって職員室に行ったりする他は、ほとんど皆、席についています。教科書を見ている人や、授業でわからなかったことを友人や教師に聞いたりしている人も少なくありませんし、雑談をするにしても、だいたいが皆一緒、一緒に反応するのです。
 授業は、真摯な態度で受け、復習と宿題は、必ずする。そういう習慣がもう付いているのです。最初は、皆、いろいろな国から来ていますから、雑多なのですが、今では、「ここには、勉強をしに来ているのだ」という一番肝心なところが、共通項として括れるほどになっていのです。

 勿論、この学校には、就学生だけでなく、在日の人も来ています。また、そう言う人達の子供が、日本の小中で虐められてついて行けないと言ってくる場合もあります。けれども、その時も、「この学校は、大学や大学院に行きたいとか、日本の会社で勤めたいとかいう、はっきりした目的をもっている人達のための授業をしている」ということは告げています。万年、「初級の授業」というわけには行かないのです。少しでも早く「一級レベル」にして、その上の授業をしていかなければならないのです。

 もう8時近くなりました。そろそろ最初の学生が来る頃です。「おはようございます」の後には、「先生、ここがわかりません」とか、「テープ(CD)を貸して下さい」とか言ってくるでしょう。そして、教室に入って、みんなが来るまで、静かに勉強しているのです。あの「Dクラス」の学生達も、少しでも早くこうなって欲しいものです。

日々是好日
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「昨日、三人戻ってきました」。「戻ってきて、その後…」。

2009-05-12 07:46:22 | 日本語の授業
 今朝は辺りがぼんやりと霞んで見えます。夜は、「一時、雨」ということでしたから、もう、湿度もかなり高くなっているのでしょう。

 そんなわけで(そんなわけでもないのでしょうが)、昨日は、半袖で、「しまった」でしたが、今日は長袖で「しまった」ということになってしまいました。本当に、難しい。「衣更え」なんて言うのもありますしね、日本では。人間は「衣類」というものを「発明」したおかげで、極寒の地でも、生きることが出来るようになりました。が、同時に、「衣類」に振り回されるとことになってしまいました。

 ここで言っているのは、「ファション性」云々ではなく、動物的な「勘」のことなのです。ヒトから失われつつあるようなのです。「危険を察知する」と言えば、「たいしたものだ」でしょうが、そうではなく、「寒そうだから、服を一枚余分に持って行く」とか、「今日は暑くなるだろうから、半袖にする」とかいう、そんな程度の勘のことなのです。
 そんなことでも、みんな予報に頼ってしまい、自分で「感じよう」とはしなくなっています。なんと言っても、帰ってから、必ず見るのは「天気予報」であり、早朝、起床後に、まず見るのも、「天気予報」なのですから。それでいて、服の選択を誤ってしまうのですから、もう処置なしです。我ながら情けない。

 さて、学校です。
 「上級クラス」では、昨日、結婚式のために北京へ帰っていたOさんと、パリへ行っていたSさんが、久しぶりに顔を見せてくれました。とても楽しかったそうです。「授業の前」にはそう言っていました。「授業中」は、当然のことながら、そんな「余裕なし」でした…でしょう。

 たくさんお土産をもらったので、文句は言いたくないし、本来ならば、言えないところでしょう。しかも、Sさんのお土産には「口封じ」の意味も込められているような気もしましたし…、けれど、そこは知らん顔です。なんといっても、ここは学校ですからね。私も、こう見えても、一応、教師ですからね。

 ジワジワと真綿で絞めるような、また、時には、ズキンとするような皮肉や当てこすりで、シバイてやりました。もっとも、彼らもなれていますから、首をすくめて、嵐が過ぎ去るのを待つばかり。下手に抵抗すると、もっとひどい目に遭うということがわかっているのです。しかも、周りで見ている学生達も、「来るぞ。来るぞ」とばかりに、それを楽しんでいるふうなのです。お互いに、つきあいが長いですからね。まあ、虐めるのも、昨日で終わり。あとは、努力して思い出してもらうしかありません。

 そうして、同じように虐められたのは、Sさんと一緒にパリへ行っていたRさん。彼にとって不運なことに、昨日、私はちょうど彼のいるクラスに授業にいくことになっていました。彼が属しているのは、「初級Ⅱ」の「Cクラス」です。彼も、日本語はSさん状態でした。

 午前のクラスで、Rさんのことを、Sさんに聞くと、曰く「彼は大丈夫です。頭がいいですから」。けれども、その程度の頭の良さでは、久しぶりの日本語の授業(私)に、太刀打ちできません。
 気を遣って、何事によらず、英語で話しかけるKさんに「Rさんは、日本語をすっかり忘れているから、英語なの。へえ~」。「初級」の学生は、まだこういう皮肉に慣れていませんから、Kさんは、固まっていました。Rさんも、とにかく、今日を無事に乗り切る…ことに専念しているだけ。それこそ、しまった!しまった!だったのでしょう。

 それから、Rさんには「一言」言っておきました。これは、インド圏の学生には、とても大切なことなのです。

 「インド(の学校)では、休んでも、休まなくとも、頭が、多少いい人なら、充分やっていけるのだろうが、日本で日本語を学ぶつもりなら、それは通じない」
ということです。

 「せっかく覚えた漢字も直ぐに消えていく。それどころか、(彼が留守をしていて)休んだ分の三課ほどは、初めから入っていないのだから、復習の時間が復習にならない。どうにも授業について行けなくなる」。

 この学校では、アルバイトをして、それほどの時間を勉強に割けない学生のために、毎日の授業の中に、「その課の復習」と「これまでの復習」の二つを、必ず入れています。だから、学生自身が、知らぬ間に、日本語が定着しているのです。が、ここで、気をつけていただきたいのは、「彼らが知らぬ間に」ということなのです。

 ところが、その「毎日の学習」という、勉強における「連鎖の輪」が切れてしまうと、突如として、「個人」で、「生の現実」に向き合うことになってしまいます。学校に来て、最低限の教師の要求に応えてさえいれば、それなりに上達しているのですが、「学校に、毎日、来て、勉強する」という前提がなくなってしまうと、拠って立つべき大地を失った人同様、茫然自失ということになってしまいます。他の学生達は、「今まで通り、出来ているのに」です。

 もちろん、「いつも答えを見て写す」、或いは「人のを見る」という習慣のある人は別です。ディクテーションも「隣の人のを見る」を、常のこととしている人も別です。
 「外国へ行ったら、自分の力で頑張らねばならないのだ」という自覚のある人のことです。「そういう人は、こうだ」と言っているに過ぎません。

 それから、彼には、こうも言いました。
「どうして、帰国してから、友達に、今何課を勉強しているのか聞かなかったのか。先生には気まずくて電話できなくとも、友達には電話できるだろう。それもしないで、学校に来て、これまでと同じようにわかるはずだと思っているとしたら、大間違いだ。三課分の単語、それに文法。今日の分の単語、そして文法。大急ぎで勉強しておかないと、ついて行けなくなる。これは、自分の責任でやれ(当然のことながら、質問は受けます。けれど、病気やよんどころない事情で休んだのではなく、自分の都合で休んだ学生にまで、時間を割いて授業をしてやるということはしません)。直ぐに下のクラスでやり直しだ」

 彼は聡明でもあり、常識もある人ですから、私の言っている意味も判ったでしょうし、私の言っていることが本当だと言うこともわかったでしょう。そして、わかったら、そうするでしょう。その点、いくら言っても、「無駄」という人達とは違います。

 まあ、そんなわけで、一言では終わりませんでしたが。

 全く、ハハハハハです。しかしながら、学生も大変ですね。できない人には何も言いませんが、出来ると見込まれたら、もうネチネチとしごかれるのですから。

日々是好日
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「な鳴きそ」。「『詩歌』の導入」。

2009-05-11 07:28:48 | 日本語の授業
 土曜、日曜と暑い日が続きました。確か、昨日の天気予報では、今朝まで暑さは続く…はずだった…のですが。ところが、うって変わって、今日、月曜日の早朝は、寒いです。涼しいのではありません。寒いのです。天気予報を信じて、外に出た私は、一瞬、半袖で、失敗したかなと思ってしまいました。「春先の肌寒さ」と、どっこいどっこいの気温のような気がしましたもの。

 話は少し変わりますが、最近、「な鳴きそ、な鳴きそ。いたくな鳴きそ」と言う言葉が、耳にこだましていました。牧水の
「ともすれば、君口無しになりたまふ 海な眺めそ 海にとられむ」
を学生に紹介してからのことなのですが。「な」「そ」の使われた詩歌は流れがよく、口ずさむのには最適なのです。どこかしら「口寂しい」時には、特にそうなのです。

 そんな時、「今朝の万葉集」で、
「神奈備の 磐瀬の森の 呼子鳥 いたくな鳴きそ 我が恋増さる」
が紹介されていました。ただ、この「な」と「そ」は、私にはどうしても「命令」のようには響かないのです。強くは聞こえないのです。不思議ですね。専門的に学んだことがないから、現代人の耳で聞いてしまうのでしょうか。

 『万葉集』は、ちょうど中国における『詩経』のようなものです。時代は、ズンと新しいのですが。表されている「心」も簡明でわかりやすく、技巧もあるようでない。それを素朴と言っていいのかどうかはわかりませんが、素朴と言えば素朴であることは確かなのでしょう。しかし、それ故にこそ、知識の有無によらず、時代を超えて通い合うもの、共感を呼べるものがあると思うのです。

 これが『新古今集』などともなりますと、そうはいきません。『古今集』時代の技巧が、さらに抽象的に昇華され、字句の隙間から、たゆたい始めてきますから、門外漢には、ちょっと手が出せません。しかも、その共感を呼ぶものにおいても、「現代人の苦悩」に近すぎて、なにやら、却って、苦悩の度を深めてしまいそうで、怖くなるのです。

 その点、『万葉集』や『詩経』などはいい。『万葉集』の「挽歌」にしても、死者の館の敷居が高くないので、死者と生者の区別をそれほど感じずに済むのです。
 親しんだのは中学生の頃でしたが、当時の幼い頭でも、彼らと響きあるものを感じることができました。それから現在に至るまで、年こそ重ねてはいるものの、知識の分量はたいして変わっていないからでしょう、同じような感興を、今でも味わうことが出来ます。こういう感覚は、脳の新皮質の、その底に、ジワッと溜められているものなのかもしれません。

 ところで、外国の人に、日本の詩歌を味わってもらおうとする時、悩むことの一つに「音」を主にするか、それとも「内容」を主にするかということがあります。もとより、一つ一つが異なった詩ですから、あるものは「内容」から入った方がいいでしょうし、あるものは、「音」を楽しんでもらった方がいいのでしょう。金太郎飴のようにはいきません。

 もちろん、古代のものは、その「意」あるところを説くにしても、古代人は「朗詠」したものでしょうから、「音」も無視するわけにはいきません。ただ、これは難しいようです。私にしても、「『唐詩』の『押韻』を楽しんで」と言われたことがあるのですが、困ってしまいました。中国の人のようには楽しめませんでしたから。

 こういう場合は、もう簡単に、知識として蓄え、何かあった時にわかればいいくらいに考えておいた方がいいのかもしれません。

 なぜなら、たとえば、「表面的には、この花の美しさを表しているが、本当は人の命のはかなさを詠っているのだ」と語ったところで、それが真実かどうかなど誰にもわからない。美を感じる心は、特に詩人においては強烈で、七面倒な理屈など、後からとってつけたと思えなくもないのです。

 もしかしたら、歌人がその歌を詠んだ時、人のはかなさなど、その意識のどこにもなかった…かもしれませんもの。人は、美しいものに出会った時、ただ、その美の中に浸りたい、できうれば、溺れたいとこそ思え、人の命云々など、そういう理屈めいた感慨は、自他を客観的に見つめた時にしか、浮かび上がってこないものでしょうから。詩は理屈であってはいけないし、また、それを理屈で解釈してはいけないような気がするのです。

日々是好日
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