日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

今日も雨です。

2017-06-30 08:57:38 | 日本語学校
小雨。降ったり止んだりとのこと。

自転車で来る途中、雨粒がだんだん重くなっているのを感じました。けれども、無事到着。

ちょうど角を曲がってすぐのところに、いかにも涼しげな薄紫の花が咲いています、そこのお宅のお庭になのですが。見ると、これは洋物ですね。茎が「アマリリス」のように太く、花数も多く、しっかりとしています。

でも、色は涼しそう。こういう蒸し暑い雨の日、見るだけで涼しさを感じさせる色というのはいいですね。

さて、学校です。

ネパールからの「4月生」は、まだ五里霧中といったところ。試験の「形式」が掴めない人が少なくなく、そのたびに、彼我の違いを感じさせられています。だいたい試験問題の形式なんて、どこでも大差ないと思っていたのですが。それが大間違い。

とはいえ、日本で勉強していくためには、これが越えられないと大変です。ということで、順に「問題」の部分を担当することになった教員が、一つ一つ丁寧にやり方の説明をしているのですが、「五課」で説明して、わかったと見えた…でも、また「六課」でやると、ぼんやりしている。で、また説明を加える…の繰り返しで、もうすぐ『みんなの日本語Ⅰ』が終わろうとしています。もちろん、皆の連携作業で、この「ぼんやり」は少しずつ少なくなったし、どういうことかと自分で考えることが出来るようになった…これは、大きい。

だって、最初なんて全く手が付けられず、「先生!」と叫んだくらいでしたもの。

「わかったつもり」で、次も「ああ、わかった…つもり」で、次の次も、「うん、わかった…(まだまだ)つもり」…。そのたびに教師が走ります。

でも、今回は、こちらを呼ばず、自分で考えようとした…これは進歩です。

とはいえ、こちらとしても、あまりにあたりまえのことで、最初は、何がわからなくて当惑しているのかさえ、はっきりとは掴めませんでした。国で『みんなの日本語Ⅰ』くらいはきちんとやっていれば、そういうことはなかったでしょうにねえ。

もとより、(日本語をきちんと)教えられる教師がいないということもあり、彼らを責めてもしようのないこと。

だいたい、言語を学ぶというのは、覚えるだけではないのです。例外もありますが、そこには一定の規則がある。それを説明した本もあるというのに、「どうして、どうして」と、口での説明を求めてしまう。…私は日本人で、ネパールがわからないというのに…。

これは、自分で「まず読む。そして理解しようとする」という習慣がついていないのです。日本語で説明するには限界がありますから、「休」なら、「~ます」が動詞で、「~です」となったら名詞と言っておく。ところが、いちいち…どうして?とくる。

もっとも、最近は、彼らの方で、「~ます」は動詞で、「~です」は名詞(もちろん、これは「休みます」と「休みです」などの説明の時ですが)と言えるようになりました。が、言えることは言えるのですが、問題として出ると、途端に「これは何、先生」と、目で訴えられてしまう。

それがやっと、昨日、前に配ったプリントとホワイトボードに貼ってある表が同じものであることがわかったようで、こちらの方も反省しきり。配ってあるから、同じだからと安心してホワイトボードの表ばかりをみせて言わせていたのは問題だったなと気づいた次第。

問題を解かせ、答え合わせの時、その途中でも、終了後でも、答えの冊子を開かせて、「ここ、この頁に書いてある」と知らしめねばならぬということも、よく判りました。この一手間、二手間が必要だったのです。「この冊子に解答が書いてるから、自分で見ておきなさい」では、だめだったのです。それだけですと、霧の中に包まれたままで、勉強しようと思っていた学生までが、やり方がわからず出来なくなってしまうのです。

その点、国で『みんなの日本語Ⅱ』を終わらせて来ているベトナムの学生たちは強い。「どういうこと?」とネパールの学生達が、ぼんやりしている文法が、母国語でちゃんと入っているのですから。

とはいえ、ベトナムの学生も、以前は大変でした。入れ初めの頃は『みんなの日本語』五課くらいで、「N5」の 試験を受け、合格していたのですから。これはカンニングで通ったのかどうなのかはわかりませんでしたが、「合格」して来るのです。いざ、こちらで勉強を始めると、途端にメッキが剥げ、さあ大変。単語の意味からしてわからない。ベトナムで買ってきた日本語の文法やら単語の本が読めない(これは本当に不思議なのですが)こちらが説明するのだけれども、ドヨ~ンとした表情をしているので、「こりゃ、困ったナ」となる。

それでいて、アルバイトには困らない。生活力がありますから。

それが、きっちりと『みんなの日本語Ⅰ』を終えてから試験を受けさせるという学校を見つけてから、来日したベトナム人学生を教えるのが随分楽になりました。文法も単語もあらかた入っている。『Ⅱ』の途中で来ている人が多いのですが(『Ⅱ』は終わったけれども、ちゃんと勉強したのは「30課」までと、こっそり教えてくれるのでよく判ります)ここでは、使い方、応用を教えていけばそれで事足ります。『初級』で、躓いてしまうと、もう系統性をもたせて教えていくことが難しくなります。

ところが、ネパールの学生は、国の日本語力がそれほどには至っていないのでしょう、そうはいかない。まず、「ひらがな」や「カタカナ」が、「ナンジャモンジャの字」である。よって、宿題を出しても、教師のほとんどの精力はその文字の訂正に使われてしまう。…本当にもったいないのです。

少なくとも、『みんなの日本語Ⅰ』くらいはきちんと身につけて来日して欲しい。「N5」の試験も、それが終わってから受けて欲しい。「合格しているのに、『テ形』ができない」という状態だけは避けてもらいたい。これは、今回、面接したときに、諄いくらい言いました。4月生が来て初めてわかったことでしたから。

日々是好日
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学校の前で、「ムクドリ」が虫を食べていました。

2017-06-29 08:38:25 | 日本語学校
曇り。時々晴れ。

梅雨とはいえ、あまり梅雨らしくない。太い雨が降っていない…ような気がするのですが、これは「気」だけ?かしら。

梅雨に入ってから(土日は除くのですが)、ずっと自転車で出勤できています。これって、少し変。子どもの頃は、傘をさして雨靴穿いてが梅雨でしたし。それに学校帰りなど、雨が止むと、途端にあちらこちらで「チャンバラごっこ」が始まっていたものでした。

梅雨が明けて、夏になって、入道雲や夕立、そして虹。「セミ(蝉)」に「ホタル(蛍)」に…。思えば、歩いて行けるところに「ホタル」がいる川があった…。それも、中学に入る頃には、消えていましたけれども。

子どもの頃に、大きな「カエル(蛙)」を見たことがありました。大人の両手を合わせたくらいの大きさで(子どもでしたから、よけい、大きく感じたのかもしれませんが)。その「カエル」が、石段をノッシノッシと登っていたのです。「カエル」も太ると跳ねないんだと、わけのわからない感慨を抱いて見ていましたが。

実は今朝、学校のすぐ前で「ムクドリ(椋鳥)」が、虫を食べていたのです。道の真ん中にいたものですから、轢いちゃうよと注意を喚起したのですが、知らん顔。虫を何度も地面に落としては、また咥えるを繰り返していました。私がすぐそばに自転車を止めても、こ吹く風。人に慣れてしまって、もう危険とは見做されていないのかもしれません。

そういえば、以前、学校ができてまだ浅い頃。朝来てみると、「コウモリ(蝙蝠)」が、教室で寝ていたり、「トンボ(蜻蛉)」が入ってきたり、それから、「スズメ(雀)」や「ツバメ(燕)が飛び込んできたこともありましたっけ。もっと大型の、「ネコ(猫)」が押し入れで寝ていたこともありましたし。

そのころは、もしかしたら、近所の生き物たちに、ここはあまり知られていなかったのかもしれません。今では、誰もやって来ませんもの。

動物達がやって来なくなったのは、きっとここに人がいることがわかったからでしょう。人は増えました。最初の頃は二人だけ、それからだんだん人が増え、数年前からは、時には6クラス(だいたいは5クラスですが)できることもあり、そうなると、家族的な雰囲気がなくなりそうで、ちとそれが怖い。

どの教員も、学生達の顔を見知っており、だいたいの様子は判るというのがいいですね。

もちろん、わかると言いましても、授業に行っていなければ、学生達の内と外の顔の差は掴めませんから、それほどのことはないのですが。まあ、教員同士の話やら、登下校の折りの挨拶や交わす言葉の片鱗から、あらかたのことは感じ取れます。

ただ、顔は知っていても、名前を覚えるのが難しい。私などには、同じ音に聞こえるのに、学生達は違うと言う。あるいは「イ」が入っていると聞こえるか、入っていないように聞こえるかの違い。または同国人であれば、同じような名前が続いたりすると、もうお手上げ。「御免。間違えた」をしょっちゅう言っていなければならなくなります。

とても失礼なことで、彼らにしてみれば、ムッとすることも多いのでしょうが、最近はもう言い直されることは少なくなりました。もしかしたら、諦められているのかもしれません…。

日々是好日
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季節毎の服の色…って。

2017-06-28 08:37:00 | 日本語学校
雨。

一旦止んでいた雨がまた降り出しています。今朝は涼しく、長袖を一枚持っていると便利。でも、学生たちは、いつも通りの格好でやって来るでしょうね。昨日、半袖だった人は半袖で、長袖だった人は長袖で。

季節によって服を替えるとか、その日の暑さ寒さによって、一枚多くしたり、袖の長さ、服の厚さを変えたりというのは、どうも皆、苦手のようです。

日本には季節に応じて服の色を変えるとか、髪飾りにしても季節の動植物を生かしたものを身につけるとか、そういう習慣があったとかいうのも、皆、「フン、フン」と聞いてはいるものの、きっと耳を素通りしていることでしょうね。

この「左から右」、「右から左」と素通りして、少しも「引っかかっていない」というのが、以前は余りわかっていませんでした。「慣れれば、気がつくかな」などと単純に考えていました。実際、長くて二年、短い学生など一年三ヶ月で、卒業してしまうわけですから、毎日の暮らしの追われているうちに、卒業の日が来ちゃったというのが、学生達の率直な気持ちなのかもしれません。

その間に、こういう習慣を、ある程度、理解する、あるいは感じるというのは、彼らにとって、至難の業(もちろん、生来そういう感覚がある人は、いることはいるのですが)。ですから、それはそれで、しょうがない。それらを感じてもらおうとしても「無理」で終わり。

彼らの国においては、宗教的な大祭が区切りであり、その日までは毎日が延々とただ続くだけなのでしょう(私たちにはそう感じられるのですが)。その中で、彼らにとっては、日本人の季節の移ろいに対するのと同じような感覚で、日々の宗教的な行事などを行っているのでしょう。それはその地に生まれた人たちと風土や歴史との関係で生まれたこと。日本におけるのと同じような制約があるのもわかります。

それに、気温の差というのも、あるかないかくらいのものでしょうから、それほど季節の違いというのも気にならないのでしょう。

四季がある程度はっきりしていれば、季節毎の、時期によっては日ごとに変化して見える山野の様子、生き物たちの有り様などが、嫌でも昨日との違いを告げてくれます、比較的はっきりとした形で。

日本人なんて、「京都の何々の井戸の水と、他郷の水は違う」とかいう微細な違いを感じ取れる人は別にしても、普通の人だって、もしかしたら、ムキになって春の花、春の木、春の鳥、春の虫、春の何々を作りたがっているように見えるかもしれません。そして、それらの季節に合う色、形などを言い募れば、厄介なことと見えても仕方がありません、他国の人に。

都会に暮らす日本人の大半も、そういう習慣が見えるような暮らしは、もうほとんど出来なくなっています。家の中に、ある意味、何もしない人を抱え込むことができなくなっているからかもしれません。

「核家族」なんて言葉が生まれたのも、それ以前と比べてのことだったのでしょう。が、今ではそれが普通の家族の単位になっています。祖父母がいれば、四季の移ろいにも目が向き(散歩の折りに発見することだってあるでしょうし、その折りの話し相手などから聞かされることもあるでしょう)、それを家族に告げたり、家でやってみせたりすることもあるでしょうが、「核」で生活していれば、父母は仕事や家事に追われ、子は学校の行事や友人たちとの付き合いに追われ、季節を感じることなんてほとんどないでしょう。

昔は、それでも運動会や秋の遠足、春の遠足などがあり、季節を感じることも出来ました。運動会では、いつも秋の果物が供され、「秋」と「運動会」とを、セットで感じる人も多かったのです。

でも、今では、運動会も様々な事情から、「春」や「初夏」などに開催されているようですから、そこでは親と子の季節のとらえ方がまた違ってくるでしょう。私なども、「運動会」と聞くと、まず、「ナシ(梨)」や「クリ(栗)」、「ミカン(蜜柑)、「ブドウ(葡萄)」などと味覚が動き出します。でも、今の若い人は違うでしょうね。

移ろいの中で生きてきた日本人にしてからが、こうなのですから、況して外国人においてをやというところでしょうね。

それでも、学生達には、2年目の12月が終わる頃から、翌年の1月ころに、例年通り、そういう季節ごとの暮らしの装いなどについて触れる機会を作っています。

彼らが日本にいる限り、いつか、「あっ、これだったのか」と気づく日が来るかもしれませんもの。もしかしたら、生まれ育った国で暮らした年月よりも、この国で暮らしている年月の方が長くなるかもしれませんし。

日々是好日
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日本人の中にも、いろいろな人がいるのだけれども…。

2017-06-27 09:12:40 | 日本語学校
小雨。

また、降り出しました。今日は梅雨らしく、降ってはやみ、止んでは降りとなりそうです。

学校とは、ある意味では外の世界とかけ離れている面が必要となってきます。…現実に見えることと違うことを言わねばならぬこともあるのです。

特に外国人が相手ですと、「人間は、誰しも嘘も吐く。誰しも手前勝手である。誰しも不平不満で威張り散らしたり、文句を言ったりする」という事実は、脇に措いておかねばならないこともあります。

「決まりを守り、行列を作る」という日本人の中にだって、列に並ばない人もいるし、割り込む人だっている。全くの0というわけではない。しかしながら、それを最初に言ってしまうと、「列に並ばない。割り込む。ゴミのポイ捨てをする」のが、当然だという国から来た人たちは、「ああそうか、日本人だってそうか」とばかりに、来日前と同じ行動を取ってしまいます。黙っていれば、すぐに割り込みはするは、ゴミのポイ捨てをするは、国での日常茶飯事が、日本でも日常茶飯事となってしまうのです。

ですから、「日本人だってする人もいる」という事実は棚に上げて、「ゴミはきちんと持って帰って捨ててください」と言いますし、「きちんと並んでください」とも言うのです、彼らには。

もちろん、そうは言いましても、日本に一年ほども住んでいれば、コンビニの前で、車座になって、ビールを飲んで騒いでいる若い人も見ますし(彼らが去ったあとはゴミが散乱していることもあります)、すぐに切れて、彼らに罵声を浴びせかけるお年寄りにも出会います。

けれども、そのころには、自分たちの国との比較が出来るようになっていますから、「日本は(自分たちの国と比べて)ゴミは散らかっていないし、列の割り込みをする人もいなくい。だから、(日本に住んでいる自分たちも)ゴミのポイ捨てをしてはならないし、列の割り込みをしてはならない」と重い、そうすることが出来るのです。

以前、中国に留学していたとき、留学する者は、初めの2年間をある決まった大学で過ごさねばなりませんでした。これは日本だけに限らず、世界中のありとあらゆる国から来ていた留学生に課せられたことで、言わば「隔離」状態でした。もちろん自由に外に出られましたが、言葉の問題もあり、学校から出ていかないという人も少なくありませんでした。

けれども、この二年間で、あの地でクラスということが、かなりわかったような気がします。外国へ行ったことがある、外国で教えたことがあるそういう教師が大半を占めていましたから、いろいろな国から来た留学生が様々な問題を引き起こしても(中近東の歩くのとある国の留学生同士の喧嘩から大使館が出張ってきた頃もありました)、対処できたのです。その国の言葉で話せばよかったのですから。

それが、あるときから、自由になりました。直接、(中国の)好きな大学への留学が可能になったのです。途端に、それぞれの地で問題が頻発し、中国側は困ったでしょうね。多くの大学では、外国人に慣れていなかったのです、当時。また外国人の方でも、中国の特殊な事情がわからなかったし、教えてくれる人もいなかったので、面食らったでしょうね、非難されて。

今、日本でも、少なからぬ大学が、生き残りをかけて、直接、海外へ出向き、学生を勧誘しています。…もう、それも一段落したようですが。

私たちなどの日本語学校から見ますと、「冒険だなあ」という気がして、危なっかしてくてたまらないのですが。

日本語学校の2年間を通して、留学生たちは篩をかけられたように、選抜されていきます。アルバイトに勉強、慣れない地での生活…、その中で勉強を続けたいと望み、頑張りきれた人は、おそらく大学四年間でも頑張れるでしょう。もちろん、大学との相性もあることで、一概には言い切れないのですが。

日々是好日
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ぼんやり聞いていると……、やはり何も残っていませんでした。

2017-06-26 10:19:08 | 日本語学校
梅雨空。

湿度は高いものの、気温はそれほど高くなく、まあ、この時期としては過ごしやすいと言って良いかもしれません、今日は。

梅雨時の花が咲きそろいました。「クチナシ(梔子)」の花も今年はじめて見ましたし。

さて、学校です。

鬱陶しい日が続くと、体がだるくなるというのは、万国共通のようで、乾燥地帯から来たわけでもないのに、休む人、遅刻する人が増えてきます。来ても、ぼうっとしている人もチラホラ。一年生などは、まだ体が慣れていないのだろう、慣れるにはもう少し時間がかかるだろうと思いながら見ているのですが。

面白いことに、「出席率、命」の学生達は休みません。グタッとしていても、休みません(そういうことを、あまり考えなくてすむような学生の方が休むようです、今年は。例年は、上のクラスの学生は休まず、きちんと授業に参加するというのが普通だったのですが)。これは卒業生からの「伝言」なのかもしれません。「出席率が悪かったら、専門学校に入れないぞ」という。

で、グタッとしながらも学校に来る学生。復習をするという習慣はありませんし、その日の授業に、体は参加していても、頭が参加していませんから、多分、記憶としてはほとんど残っていないでしょうね。

その日はちゃんと皆と一緒に繰り返すことができ、その文型を使って文を作ることもできても、翌日になると、「えっ。そんなこと勉強したっけ」となるようです。

もっとも、こういうことを嫌になるくらい繰り返してきたので、こちらは少しも驚きません。またか、くらいのもの。それでも、担任であれば、毎日授業に入っているので、繰り返していけば、いつの間にか言えるようになっている。とはいえ、この「繰り返し」、ひどいときは2週間くらい前のものもやらねばならなくなるということもありました。

普通は1週間くらい(二課か三課くらい)前から復習しておればよいのですが。…これは、彼らが頭が悪いとか、言語の方面において著しく劣っているとか、そういうこととは全く関係がないのです。いわゆる疲れているだけのこと。

けれども、「毎日来る」というその態度に免じて、来た学生にはそれなりのものが身につくようにしておかねばなりません。

一年生というのは、この地に体が慣れていないゆえに疲れやすくなるというだけでなく、アルバイトをしながら勉強するということにも慣れていません。それに日本語があまりできないので、彼らには軽作業の仕事などないのです。いきおい、仕分け(それも水などの重いもの)などになってしまいます。

もちろん、一回教えただけで、すぐに出来るようになってくれれば、こんな楽なことはありません。けれども、自分はどうかというと、自分だって、そんなにすぐにはできませんでしたもの、(彼らと)同じです。学ぶという点では、出来ないという点では、彼我と大した差はないのです。

それゆえ、「勉強しなかったでしょ」とは言えますが、「だめねえ」とは絶対に言えません(言いたくなったら、代わりに「ブツブツ」言っておきます。私がブツブツと言い始めたら、不満だなと学生達は感じてくれます)。だいたい、言語なんて繰り返しだけなのですから、いいも悪いも、だめもへったくれもあるもんじゃない。

真面目だけれども、発音が悪い学生がいました。彼が「なかなか単語が覚えられない(文型の方も苦手だったのですが)」と言ったので、彼が勉強しているのを見ていると、何回か、小声で言って覚えようとしていました。

それで、「ボソボソ言わないで、大きい声で言ってごらん」と言ったのですが、彼の発音を聞いていると、ドンドン別の音になっていったので、愕然としてしまいました。努力すればするほど、音が正確には耳に残っていなかったのです。それで、書かせてみると、別のことばを書いてしまっていたのです。

今はだいぶよくなりました。が、それは彼自身の頑張りによるのでしょう。まず、毎日学校に来て授業に積極的に参加するということ。下手に発音やヒアリングがいいと、それだけで終わってしまい、「書く」という作業が疎かになってしまいます。そうすると、漢字が覚えられませんから、本が読めません。「N3」くらいまでなら、試験問題にルビが振ってあるので、どうにかなるのですが、それ以上はまず無理ということになってしまいます。

一応、書ける書けないに関わりなく、学校では漢字の時間があるので、少しは目に残るでしょうが、学校を離れてしまうと、よほどのことがない限り、漢字とは無縁の生活になってしまいます。

アインシュタインのような人でない限り、やはり「コツコツ」型が勝ってくるようです、日本語の世界でも。

日々是好日
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「虫」の話から…。

2017-06-23 08:38:23 | 日本語学校
晴れ。

今日も暑くなりそうです。「梅雨の晴れ間」は明日まで続くそうです。

一昨日は帰るとき大風が吹いて、まるで台風のようだったのですが、そのときには既に雨も止んでおり、それから昨日と、そのままいいお天気が続きました。今日も青空が広がり、学生達にしてみれば、「梅雨って(言ったでしょ)、雨じゃなかったっけ。梅雨はどこへ行ったの?」というところでしょう。そんな目で見ているのです。でも、私は知らん顔。

だって、お天道様のことなんて、明日のことなんて、正確な情報を、だれが伝えることが出来るでしょう。だから、知らんぷりしています。ま、問い詰められると困ってしまうと言うのが実情なのですけれども。

さて、学校です。

昨日「Aクラス」で、「『N2』文法」の時間に、「虫」の話になり、学生が、フィリピンの一人を除いて全員「虫嫌い」であることが判明しました。

で、その後を継いだ私、早速、その虫の話をぶり返してやります。小学校の時の(授業の)「虫を育てる」ことの大切さをこのときほど切実に感じたことはありません。…私の時は、幼稚園からでしたが。

まず、学校の先生が「虫が嫌い」ではなかったことも、大きいと思います。草の上を這い回っているいろいろな虫を捕らえては、先生や親に見せに行くというのが子どもの性。毒のある虫でなければ、たいてい褒められましたもの。「きれいだねえ」とか、「大きい虫を触れてすごいねえ」とか、まあ、いろいろ褒め言葉はあるでしょう。そしてにっこりと笑って見つめられたりすれば、子どもは有頂天になり、さらなる冒険をしようと、虫探索に勤しみます。

夏休みの宿題の定番。昆虫採集。これも大きかった。当時でさえ、山に連れて行ってもらって、図鑑でしか見たことのないような虫を貼り付けてきた友だちがいましたもの。

色とりどりの「チョウ(蝶)」やら、「トンボ(蜻蛉)」やら、大小様々な「セミ(蝉)」やら。

「オニヤンマ(鬼ヤンマ)」や「ギンヤン(銀ヤンマ)」は「シオカラトンボ」などより格が上で、捕まえて来たの者は鼻高々でした。「カブトムシ(甲虫)」や「クワガタ(鍬形)」も、今ほどではなかったにせよ、人気がありました。

と、そんな話をしても、彼らはピンともきてくれません。うんともすんとも言わず、却って困ったような顔をしています。

「でも、先生…(ホラ来た、と私は思います)、虫ですよ」…そう、虫です。たかが虫、されど虫。虫好きさんは、日本各地にいて、何ケース(虫が入っています)も部屋に並べて楽しんでいる人もいれば、卵から孵すのだけに情熱を傾ける人もいる。

「クモ(蜘蛛)」が好きな人は少ないかもしれないけれども、「クモ」は「カ(蚊)」を食べてくれる益虫であると思っていますから、苛めたりなんぞはしません。それに下手に苛めたら、攻撃されてしまいますもの、「カマキリ(蟷螂)」と同じです。

この、「クモ」の糸、きれいに貼られた網が雨に濡れてきらきら光っているのを、呆然と見つめた子ども時代を誰もが持っているはず。

「虫」という言葉一つでいろいろなことが思い出されてきます。「文法」の先生もいろいろ語ったでしょうし、私だって、話し始めたら…キリが…来るのはちょっとあとかなくらいのものですから、学生は困ったでしょうね。

とはいえ、これも「雑談」と言うべきではなく、日本人に関する「知識」の一つであると捕らえるべきなのです。

以前、私は、途上国の人達は皆、テレビで放送されていたように、学校で勉強したり、親を手伝って外で働いたりしてきたのだと思っていました。ところが留学してくる学生たちは、女子の場合はほとんどあまり家から、あるいは家族から離れて育っていないのです。

だから、「野」の大切さもわからないし、面白さもわからない。それどころか、そういうことは、「下の階級」の人たちがやることであるとさえ思っているようで、日本人が「米作り」や「虫の飼育」などを学校で学ぶということだって、驚きの一つなのでしょう。

授業が終わって、教室の後片付けやら、机を拭いたりしていると、驚いた顔でそんな私を見ていた学生だっていたのですから。「コイツはそんなことをやるような人間なのだ。下の人間なのだ」めいた目で見ていたのですから。そのとき、はっと気がついたのです。彼らには意識改革が必要であると。そういうことを一つ一つやっていかないと、汗を流して働くことの意義すらもわからないであろうと。まあ、どうせ、日本ではアルバイトをせねば生活できないのですから、自然にわかっていく部分もあるのでしょうが、変な自尊心というのは、なかなか打ち壊せません。

それらは「蔑視すべきもの」ではなく、反対に「羨む」べきものであると。自分たちはそういう教育を受けられなかったことを悲しむべきであると、…まあ、そこまでは言いませんでしたが、そういう気持ちは持つべきであると。彼らの国では、それは、貧しい子供たちの遊びであって、自分たちは違うという見方、態度は忌むべきであると、そう思うのです。

「ヒト」という動物にとって、そういう山野で、のびのびと遊び、色を知り、生き物を知り、風を感じる。そして自由な発想を身につけることほどすばらしいことはないと思うのですが。

日々是好日
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「困ったさん」は、毎期出てきます。 

2017-06-22 08:30:00 | 日本語学校
曇り。

昨日は、悪天候で、午後の学生など、帰るとき、雨こそ小降りになっていたものの、風の強かったこと、強かったこと。総武線が遅延になっていたので、夜遅く(アルバイト先から)戻る学生や、(アルバイトへ)行く学生などに注意すると(残念なことに、こういうちょっと大変なアルバイトをしてるのは、来日すぐの学生に多いのです)、不安そうな顔になってしまいました。

言わねばよかったかとも思ったのですが、もし電車が不通にでもなって、帰れなくなったら、これも困る。「わからなかったら、そばの日本人に聞くのですよ(簡単な日本語ならわかりますし、今はスマホがあるので、助けてくれる先輩もいる…はず)。あるいは駅員さんがいたら、駅員さんに聞くのですよ」と言って帰したのですが。

これが一年ほども経っていると、こちらが何か言う前に、先に「風が強いですね。電車が遅れるかも」なんて言っている。それに、彼らはもう、そういう大変なアルバイトではなく、自転車で行けるレストランやコンビニなどになっているので(もちろん、銀座とかお台場とかに通っている学生もいるのですが)、それほど困りません。結局は、「日本語力」ですねえ。それとレストランやコンビニなどの仕事であったら、「愛想」ですね。

面接に行くことがわかっていたら、必ず、「笑顔」と言っています。「えがお」はわからなくても、「笑って」と笑いかければ、学生も笑う。「そう、そう、その顔。緊張して怖い顔になってはいけません」というところでしょうか。

さて、授業です。

4月に来た、ネパールからの学生のうち、二人は、国で一ヶ月くらいしか勉強していません。しかしながら、懸命に頑張っているのがわかります(彼らの出来る範囲での)。それで、今のところ、彼らを落とさないような授業をしているのです。もっとも、やって来たとは言いましても、他の者も皆、それほどきちんと入っているわけではないので、(他の学生達にとっても)いい復習になっているはずです。

ところが、「習ったことがある」というのと、「既に身についている」の区別ができない人が若干名いて、不満顔。言わせてみると、1グループを2グループで言ってみたり、その逆を言ってみたりと、大して出来はしないのに。わかっていると言わんばかりの態度を取る。

小テストでも、せいぜい中ほどでしかないのに、この「データ」が見えない。で、授業中、初めてその文型を学ぶ学生(1か月勉強したと言っても、ネパールではせいぜい、二課くらいのもの)が、意味がよく掴めずに、…それでも口頭の練習はしますから、間違えたりしますと、「フン、見てられない」風の顔をしたりします。

これはいただけませんねえ。

彼らの国では、「わかっているように見える」「偉そうに見える」ことで、うまくたち回れる(実力とは別に)ことが多いのかもしれません。が、なにせ、ここは学校ですからね。ちょっと注意していれば、底が割れてしまいます。とはいえ、他の学生も、多かれ少なかれ、そういう世界で育ってきているからでしょう、それがわからない。これは困る。そのときには、他の学生にもそれを知らしめるべく、ちょいとした「作業」をしています。

そうでなければ、一斉授業なんてできません。

一斉授業というのは、ある程度、お互いのレベルがわかっていないと、教師もやりにくいし、学生も受けにくいものなのです。

「この人は読むのが苦手だな」とかその逆、「発音が悪いな」とかその逆、「単語を多く知っているな」とかその逆、「漢字をよく知っているな」とか。あるいは「授業中、発言はしないけれども、テストの点はいいな」とか。

誰でも、何かしら欠点はあるし、他者よりもよく出来るところもある(同しクラス内のことですので、髙が知れているのですが)。それを、毎日の学習を通して、互いに知り、認め合い、そして最後には助け合い、励まし合えるようになる…というのが、理想。一対一の授業では得られない醍醐味でしょう。

ところが、己の長所ばかり意識している人というのは、他者との関係が作りにくく、作れたとしても、それは、ほとんどが対等の関係とは言いがたく、こういう多国籍の学校では、往々にして、「困ったさん」になってしまうのです。

言わせると言えない…くせに、ほかの人が間違うと、大きな声で言ったりする。教師が待ってやっているのに、待てないで、これ見よがしに教えたりする。で、こちらが当てると、アタフタとなり答えられない。…いえ、別に嫌がらせではありません。でも、ほかの人の方がずっと出来るところがあるのに、どうしてそれが見えないのか。

来日後三ヶ月での成績なんて、頭の善し悪しも、勤勉さも関係ありません。国で「20課」までやった者は、「ゼロ」スタートのものより出来て当たり前。半年後、1年後を見れば、その差なんて微々たるもの。

本人は自惚れて、偉そうにしていても、半年後、1年後の尾羽打ち枯らした姿が想像できるので、どうにか改心させたいと思うのですが、そういう人ほど周りが見えていませんから、処置なしになってしまうのです。もっとも、本人はそう思っていないようで、だから世の中はうまく回っていくのでしょうけれども。

日々是好日
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ネパールから戻ってきました。

2017-06-21 08:31:22 | 日本語学校
雨。

うちを出るときには、止んでいたのに、着くと少し経ってから、急にざっときました。今日はこんな調子で一日中、降ったり止んだりということになるのでしょう。

さて、先週末から今週初にかけて、強行軍でネパールに行ってきました。

面接は、かねてからの三校の学生達のみ。とはいえ、疲れました。まず、行くまでが辛い。帰ってから翌日が「A,B、Dクラス」の授業が続き、これも疲れた。それから、ネパールでの面接も、相手が余り理解できていないことが多くて、リキが入ってしまい、これも疲れた。相手の学生も、教師の方も、これほど厳しく言われるとは思っていなかったでしょう。向こうも少し参ったかもしれません。けれども、どうでもいい、とにかく日本へ行ってしまえば(やってしまえば)、こちらのものだという学生だけは、いただけません。そのために、辛い思いまでして行っているのですから。

前回、面倒だった広州での乗り換え、入国審査なんども、今回は香港経由で、同一飛行機会社ということもあり、それもなし。香港での乗り換えはあっという間に終わり、帰りのお土産を見たり、余った時間は喫茶店で飛行機を見て過ごし、あまり疲れずに済みました。

ただネパールでの面接が疲れた。「N5」に合格しているというのに、「ひらがな」が書けない、自分の名前が「カタカナ」で書けない…という二人が含まれていたので、倍も疲れた…。

間に立っていたネパール人教師も愕然とし(彼が教えていなかったようです…。「N5」に合格しているというので引き受けたらしい)、すぐに自分が猛特訓をし、来日までに、きちんと筆順正しく書けるようにするから…。

そういえば、一時、ベトナムでもそういう学生によく会いましたっけ。『みんなの日本語』第五課くらいで、「N5」の試験を受け、合格すれば、それで終わり。「N5」は、別に印籠でも何でもないんですけれどもね。試験も受けていないのに、面接で「私は明日試験を受ける。問題ない。絶対に合格出来る」などと言った、「五課」くらいまで勉強した大卒の女性もいましたっけ。すぐに厳しく責めると、むかっ腹を立てて、「そっちの学校には行かない」と喚いていましたっけ。そう、あんなのは来てもらいたくない。適応力もゼロでしょうし。

こういう人が来日してしまうと、あとが大変なのです。日本語云々の問題ではなくなるのです。

以前は、ベトナムでも、「(最初のころは)おかしいな。合格しているのでしょ。あれは『25課』が終わらないと解けないはずなのだけれども…。何もわからないなんてありえないのだけれども」などと、今から考えれば、愚かとしか思われないようなことで悩んでいました(国や民族が変われば、それぞれ、教え方を変えなければなりません。それでこちらの問題ではないかと思ったのです)。

まあ、彼らの「からくり」がわかってからは、きちんと「25課」終了後に受験させるベトナムの学校を探し(「50課まで教えてから日本に送り出して欲しい」と頼んでいます。ベトナムの学生はヒアリングが余りよくないし、文法の理解力も劣っている人が少なくないので、一度ベトナム語で教えてもらっておいた方がいいのです)、今ではそこから二,三人送ってもらっています。

もちろん、「50課」まで教えたことになっていても、学生に聞くと、「合格がわかってからは、それほど気を入れてやらなかったから、『30課』くらいまでは大丈夫だけれども、50課までは…」というのが少なくないのですが。

けれども、「25課」までの内容を問う「プレスメントテスト」では、300点以上とれるようになっています。

ただ、ネパールでは8課くらいで試験を受けさせているようですから、試験用の対策のみで終わっている学生が少なくないのでしょう。

そういう学生が運悪く、来日してしまうと、さあ、大変です。こちらも大変、向こうも大変。

今回、そういう学生がいたので、その二人に、かなり厳しく言ったのですが、そのうちの一人は、「自分の学校の先生が悪い」とむくれていました。それで良いと言われたのに、そう思っていたのに、どうして厳しく責められるのだというところなのでしょう。

これは当たり前のことです。私たちは「日本の入管に認めてもらうために、合格していればいい」という日本語学校の「事務方」の人間ではなく、学生が来日して私たちの学校に来れば、嫌でも教えなければならなくなる「教える方」の人間だからです。だから、勉強の習慣がついていない人は来てほしくない(つまり、勉強する気のない人)。こちらが必死に教えても、左耳から入って右耳から出てしまうような人は願い下げです。

向こうでも何度も繰り返したのですが、出来れば大学へ行きたいという学生が欲しい。もちろん、専門学校でしか身につけられないような技術もあります。ですから、もし専門学校へ行きたいのなら、日本人ばかりが行くようなところを目指して欲しい。

ネパールの学校が、私たちの要求に応えられるような学生を送ってくれるといいのですが。

日々是好日
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今週、ネパールへ行くというと、「マスクと傘を忘れないで」と言われました。

2017-06-13 08:29:10 | 日本語学校
今は止んでいますが、今日は一日中、降ったり、止んだりだそうです。梅雨ですものね。降ったり止んだりは当然のこと。ただ「梅雨寒」は、ちと応える…。

今週の金曜日から来週の月曜日まで、ネパールに行ってきます。ネパールは二度目というより、カトマンズは二度目になるといった方がいいのでしょうが。

今年の4月に六人のネパール留学生を入れ、また7月、10月にも予定しているので、面接兼状況調査として行くのですが、ネパールは遠い。直行便もなく、乗り換えに時間がかかり…疲れました。

初めて行ったときには、広州からの乗り換えに疲れ果て…。だって、何もないのです、空港に。空港を面白くしようなんて、不謹慎かしらん。けれども、空港で5、6時間ほども待つ身になれば…、ちょっとは考えてもいいのではないかしらん。中国の偉い人は、その人が来たら出発するわけですから、待つことなんて自国では考えたことがない…だから庶民のことは知らんというわけでもないでしょうに。

広州は都会だから飛行場もそれなりに整備されているだろうと踏んでいたのですが。まず本屋が一軒しか見つからなかった。空港の人に聞いても一つしかないという返事。それも面白そうなものは売っていなかった…。一体どういう人が、あそこに並んでいるような本を買うのでしょうね。あまり商売上手とは思えない。単に「本屋がなければ体裁が悪い。体裁を繕うために、本屋を作った。何を置くか、中身は問うな」というところかしらん。まず、外国人は買わないでしょうから、中国人相手でしょう。いくらお金がだぶついていても、旅行しているのですから。それに、本というのは嵩張る物ですし…。

まあ、それ以外、待っている間、何もすることがなく、かといってどこかへ行けるわけでもなく、本当に疲れました。ただ、空港関係者はとても親切で、きびきびとしていて感じがよかった。中国は変わったということを再認識しました。住んでいるわけではなく、久しぶりの中国でしたから、もろに感じてしまったのです。

というわけで、今回は香港経由です。

学生達に、金曜日から、ネパールに行くと言いますと、皆一様に、マスクと傘を忘れないでと言います。マスクは一度行ってよく判りました。本当に必要です。傘は…雨季だからでしょうね。

ただいつものことですが、ネパールへ行くと言うと、ネパールの学生達がうれしがり、スリランカへ行くと言うと、スリランカの学生がうれしがる。ベトナムもまた然り。ところが中国の学生は、中国のどこへが大切になり、そのどこが自分の所とあまり関係がないと、知らん顔になる。これも面白いですね。国が大きいから、その国の中で「お国自慢」みたいなものがあるのと思っていると、そういうものでもなく、自分の生まれ在所とは関係のない地名を挙げ、そこの方がいいなどと言う。これも面白い。

4月に来た学生達も、その前に一人か二人来ていた学生も、ネパールの学生は、インドやスリランカの学生に比べ、どこかおっとりして見えます。ただ発音に多少難があるようで、可哀想に思える時があります。一人が間違えると、皆して教えようとするので、途端にうるさくなるのも面白い。

うるさくなると言っても、スリランカの学生に時々見られる、あの、人を小馬鹿にしたような雰囲気はありません。ですから、私も叱らない。ああいう雰囲気は多国籍の学校ではいただけません。それに、そういう習慣がついている人は、何度正そうとしてもだめなのです。もう24、5才になっていれば、そりゃあ、染みついて抜けきれませんよね。だから、半年ほども経って変われなければ、睨むくらいにしています。だって、他の国の学生が気の毒ですから。

だいたい私だけでなく、小馬鹿にされた人も、またクラスの他の学生達も、聞いているだけで気分が悪くなります。時には、(彼は)人を不快にさせるのを楽しんでいるのではないかと思えるほど。コンプレックスの裏返しかもしれませんけれども、自分の方が上だと見せつけたいのだろうなと思われます。けれども、こういうスリランカ人は『初級』レベルの文法をうまく使い回しているだけで、「向上」がないので、学校での勉強には向きません。スリランカ人はそういう人に慣れているのでしょうけれども、日本人は慣れていませんから、そういう人が来ると、また来たかと嫌な気持ちになります。人の揚げ足を取るのではなく、ちっとは自分の勉強をしろよと言いたくなります。ただ彼らはそういう強い言われ方になれていないようで、言われると、ハッとなって黙ります。

こういう学校の学生はいろいろな国から来ており、また民族も異なっています。何度練習してもなかなか「ら」と「な」の音の区別ができない人もいれば、「拗音」が発音できない人、聞き取れない人もいます。けれども、一生懸命にしておれば、日本にいるんですもの、問題なく日本語ができるようになります。漢字だって読めるし、書けるようにもなります。

小器用に振る舞っていても、一年、二年と一緒にいるのですから、すぐにお里が知れてしまいます。そうなると、他の国の人から信用されなくなってしまいます。不器用でもいいのです。一生懸命に頑張っていれば、誰かが見ていて、支えてくれる。それがある意味では日本のいいところだと思います。

自分よりできない人ばかり見て、天狗の鼻をますます高くしていく。それよりも、「あの人はこれができる。自分はできない。だから頑張らなくっちゃ」と上を見て努力していける人の方が人には好かれるのです。

あまり不器用だと困るけれども(本人が自信をなくし、やる気をなくしてしまうからです。そのやる気を復活させるのに、こちらの手間や時間がかかったりするのです)、下手に才気走っている者より、一歩一歩進んでいける人の方が学校で学ぶには適していると思います。

もちろん、頭がよくて、一年ほどですぐに「N1」に合格出来るような学生なら、私たちは、新聞や雑誌、書物などを用い、レベルの上の授業をしていきますが。

日々是好日
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友だちの物でも、借りるときには断るべき…。

2017-06-12 09:12:29 | 日本語学校
曇り。

早朝は、雨雲と見えていた分厚い黒雲も、今は白く、レースのように薄い雲になっています。とはいえ、天気予報によると通り雨が来るかもしれないとか。

馬の背を分けるような雨でしょうね、きっと。

湿度も50%の上をいっているようで、こうなると、いつ落ちてきてもおかしくないかな…。先週の金曜日に、玄関の所にさしておいた傘が、帰るときにはなくなっていた…という学生がいました。

傘は外には置かないでね。まあ、一応、傘立ては、外においていますけれども。濡れた傘は教室の後ろに置き、濡れていなければ手元に置いておく。その方が安全です。数年前、十数本も寄附していただいた傘も、今では、みんなどこかに行ってしまいました。きっと当時の学生達のもとか、あるいは彼らが行った先のどこかにあるのでしょう。初めの頃は1本1本確認していたのですが、忙しいときにはもうそれはできません。そんなこんなで姿を消してしまったのです。もちろんそれだけではなく、貸した私の傘も二本とも戻ってきませんでしたし。

どう言ったらいいのかしらん。借りても、返さねばならぬという習慣(間違えたのではなく)、存在している物は人の物でも(黙って)使うという習慣。これは「習慣」としか言えないのです。当人は悪癖であるとは思っていませんから。これは、なかなか日本人には理解できない。

2,30年も前になるでしょうか、中近東の友だちと、「人の物」「自分の物」について話をしたことがありました。この話は、中国人が、「友だちの物」は「自分の物」みたいな扱いをするのに、苛立った日本人が、その中国人と口げんかをし、「彼らは自分のいうことが理解できないのだ。ケチだと言われた」と憤慨していたことから、始まったのですが。

これは、中国語による喧嘩でしたから、当然のことながら、日本人は言い負けてしまいました。最後は「ウー、ウー」しか言えませんもの。それで、むかっ腹を立てたその人が、相手に通じるかどうかは別にして、日本語で言いたいことを言ったようなのです。言いたいことを全部言ってしまえば、立っていた腹も寝てくれたかもしれません。

これは「習慣」ですから、誰かを責めるというわけにはいきません。「これはしないでね」といちいち言うしかないのです、その人と友だちでいるなら。あるいは避ける方がいいかもしれませんね、そういう「習慣」を持っている人を。

日本では、小学校に入る前から、自分の物には名前を書く。鉛筆の1本1本にも名前を書いておく。落としたらすぐにわかる。そういうのは、習慣であって、「ケチ」と言われれる筋合いのものではない。こう考える日本人の方が、少数派なのかもしれません。

「(友だちだったら)友だちの物は自由に使える」という考え方は日本人には希薄であるように思います。「親しき仲にも礼儀あり」です。「見外」と中国人の友だちに言われようとも、いちいち断るのが当然。それが「(親の)躾」であり、人の物を勝手に使えば、「泥棒さん」とまでは言われなくとも、「躾」がなされていない人ということになり、「親の顔が見てみたい」と言われるのがオチです。

そういうことを中近東の友だちと話していると、中近東の友だちは「友だちのものであれ、人のものであれ、そういうことはあまり気にしない」。ちょっと驚いてしまいました。大家族で、自分が今、使っている物は、大叔母がかつては使い、その妹、そしてそのあとは母、母の妹たち、その人たちの娘たち、そして、今自分が使っている。誰の物だったかなんて考えたこともない」

これは極端な例かなとも思ったのですが、それほど極端ではないのかもしれないと思わされることもあり、思わず「う~ん」。

たとえ些細なことであろうと、いえ、些細なことであればあるほど、人は気づいてもそのままにしてしまうものですから、大ごとになってしまう…こともあります。ホトホト違う文化圏から来た人たちとの、「理解」は難しい。

だから、外国の人と接するとき、相手が自分と「同じ」とは、まず考えません。「違って当然」と考えます。同じであったら、「メッケモノ」くらいに考えます。だから、いろいろなことに出くわしても、それほど腹を立てずに済みます。面白いもので、ある国の人たちに慣れてしまうと、(その人たちに対して)腹を立てる回数が増えてしまうのです。相手のことをわかったつもりになるからなのでしょう。

「違う」と考え、その上で、「一緒にやっていけるかどうか」を見ます。彼らのやり方、考え方は「日本ではまずい」と思えば、そう伝えます。

相手が、それをある程度理解した上で、なおかつ、それをし続けるのであれば、その人がそうしなければ落ち着けないからであろうし、そうであれば、(日本では)それを認めてくれる人の中でしか動けないことになりますから、それを、一応言っておきます。

それでも、譲れなければそれはもう仕方のないことなのです。学生達は皆、高校は出てきていますから、最年少の者で18才。上は30才近かったりしますし、在日の方の年齢は、上限なしです。だから、変われない人も、変わるつもりのない人もいるのです、中には。

それで、日本で問題が出たり、その問題がこじれたりすれば、もう本人の責任です。問題が起きてはじめて、「しまった」と思う…、そして私たちはまた「日本では…」を繰り返すことになる。これは古今東西、同じことでしょうが。

日々是好日
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お天気の話は、…共通理解がとりにくい。

2017-06-09 08:49:35 | 日本語学校
曇り。

雲の切れ目から時折日が射しています。昨日は涼しかったけれども、今日は暑くなるかもしれません。

道の路肩に、まるで秋の頃のように落ち葉が溜まっています。昨日、風が強く吹いたからでしょうけれども、落ち葉ねえ…。そういえば、毎年、この頃、これを不思議だと思っていたっけ。暇な人間ですね。

さて、学校です。

先日、「Aクラス」で、「お天気を知らないと生活に不自由をきたす」めいたことが書かれた文章があり、その説明をしたあと、「みんなの国ではどうですか」と問いかけてみました。

「日本と同じ」と言ったのは、ネパールの学生だけ(中国もそうでしょうけれども、何も言わない)。スリランカやバングラデシュ、ベトナムは関係ないという顔をしている。それどころか、へっ?という顔をして私を見ている。

一人が「スリランカでは、女の人はいつも傘を持っています。外へ出るときは、晴れていても傘をさします。だから雨が降っても困りません。天気予報はあまり見ません」。…雨傘を日傘にしているから、困らない…。では、男の人は?「帽子を被っていますから、大丈夫」。…よく判らないけれども、大丈夫なのでしょう。教室のあちこちで、うん、うんとうなずいたり、そうそうと目で言ったりしている…。

では、田植えの時期とかは?「三回お米を収穫します。植えるのはいつでもいいです」…そうか、じゃあ、好きなときに植えてもいいのだ。「いえ、雨の時、植えます。」…いつから雨になるとか知っておいた方がいいでしょう。「雨が降ったら、植えますから関係ありません」。天気予報を見るのが習慣になっており、いつもお天気に振り回されているのが、なんだかバカみたいに思えてきます。

でも、台風とか大雪が降ることだってあるもの、日本では。だから必要なのだと気を取り直しては見たものの、…それぞれの国には、それぞれのやり方があるようで、雪が解けて、馬の形になったら、稲を植えるといった牧歌的なものはちょっと彼らの国では通用しないようです。

けれども、「異常気象」という言葉を入れて(ほとんどが知りませんと言っていましたけれども)、DVDを見せたとき、本当ですかという反応が返ってきました。信用していない…。

ネパールの学生に、ヒマラヤの氷河がとけて、洪水になる可能性だってあると言ったときには、「えっ、本当ですか」とニヤニヤし、あまり本気にはしていませんでした。それどころか、「そうなら、私たちが知っているはずです」と言っていました。が、DVDを見て少しはわかったかしらん。ただ、まだ、日本語のレベルが「N3」相当ということもあり、導入部しか見せられませんでした。後半や別のDVDには、バングラデシュやインドネシア、ベトナムなどの悲惨な様子がはっきりと見て取れるような映像もありました。そっちは、日本語がわからないと見るのが少し辛いかなと思って、避けたのです。

彼らの国ではほとんどの人がこういうことを知らされていないのでしょう。だから、フィリピンの学生も、「子どもの時の台風と、最近の台風とを比べてどうですか」などと問いかけてみなければ、うまくイメージできないのです。

本当にまだまだですね。この学校を卒業するまでに、こういうDVDを見て、もう少し理解できるようになってくれるかしら。時々不安になってきます。

日々是好日

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電話を掛けてくる人にはいろいろな人がいます。

2017-06-08 08:57:38 | 日本語学校
晴れ。

晴れ…、でも曇ってきました。あと数時間もすれば、本当に雨になるのかしら。

さて、学校です。

学校には個人で留学を申し込みたいという人が、多々電話を掛けてきます。いわゆる「業者」と言われる人たちは別にしてです。外国人が掛けてくるだけでなく、日本人も掛けてきます。大半は、「知り合いに頼まれた…」というところなのですが。

知り合いに頼まれたという人たちは、途上国から来た人たちのことをあまり知りませんから、「よく知らないのだけれども、頼まれたから…」という言い方をするし、情報を得たいという気持ちが伝わってきますから、こちらも、ある程度、経験から得た知識を話します。

「知人というだけでは、弱いかな。あとで面倒なことになる場合も少なくない。途上国の人たちが言う『友だち』という言葉の意味は日本人が思うような意味でないことも多い。それに、『生活』と『旅行』とは違うから。その人の経済的な面、精神的な面、全てを被るつもりなら、別だが」という言い方をすることもあります。相手によってですけれども。

すると、相手が大人で、それなりに社会経験も積んでいる場合、「そうか、日本に来てから」という別の章も加味して考えなければならないのかと理解し、安請け合いはやめて、相手のことをもう一度みてくれる場合もあるのです。

一番困るのは、いくつかの日本語学校に当たって断られてから、ここに電話してくる人。もうかなり腹を立てていますから、同じように(日本語学校に)ためらわれた場合、複雑な様々な問題を切り外し、「人種差別だ」と、怒りをぶちまけるのが常。それが簡単ですから、それをします。

こういう人は、途上国の人が日本で生活する、しかも留学生として生活するという大変さがよく判っていないのです。だから、そう言えるのでしょう。またそういう人を引き受けた場合の自分のリスクというのも考えられませんから、それが出来るのです。説明しようにも、自分の気持ちをぶちまけるだけで、相手の話を聞く耳を持っていませんから、それも徒労なのです。

ただ、途上国の人を呼んでやろうという親切さは保っているわけで、無下にいらつくわけにもいかず、最初はそれなりに対応するのですが、あまりにしつこいとこちらも腹が立ってきます。これで途上国の人とやっていけるのかしら。ちょっと心配になってきます。慣れているはずの私たちだって大変なのに。

恋人を呼びたい。将来結婚するつもりだという人は、怒るのもわかりますけれども、そういう場合は、その人が全ての責任を持つと言います。それで実情がわかって、話が進んだりもするのですけれども。

留学する、させるというのは、面倒なことです。まず、申し込みから壁に突き当たってしまえば、事情がよく分からない人が、怒るのもわかります。けれども、聞く耳を持たなければ、思い込みで怒ってしまえば、たぶん、何事によらず、話はそこで終わりになる。これは当たり前のことです。

どうして日本語学校は人種差別をするのだと、勝手な正義感に燃えたり、また同じことを言われると思って、ヒステリー状態になったり、そこで相手が女だとわかると、途端に、ねちねちと「差別」を繰り返す…。

きちんと冷静に話せる人は、情報を得たいと電話してきているわけですから、こちらの話を聞いてくれます。少なくとも外国人を日本に呼び、教えるだけでなく生活指導もしてきて、様々な問題に出くわしているという点から見れば、こちらの方がデータを多く持っているし、経験を話すこともできるわけですから。

わずか十年あまりの学校でも、それは波瀾万丈でした。善意で始めてもすぐに潰れてしまう学校が少なくないというのもわかります。専門学校や工場、会社がビルがあるからと始める方がずっと経済的にうまくやれるというのもよくわかります。そういうところが見るのは、「経済的に」というだけですから。

けれども、教育という視点から考えると、それはもう大変です。同じ国の人が、5、6人でもまとまってくるようになると、それぞれの国の問題が出てくるからです。生活の面だけでなく、文法上、文字上、その国独自(?)の問題が出てきます。

もちろん、日本に来て、アルバイト代だけでも彼らの国の数倍稼げるということがはっきりとわかると、いわゆる「人格」までも変わってしまった…ように見える人も出てきます。理由はあるのでしょうが、稼ぐことに夢中になり、そういう人が学校に来なくなったりすると、日本で日本語を学び、大学に進んで、たとえば建築を勉強したいとか、経済を勉強したいとか夢見ている人たちまで、その人たちのあおりを食ってビザが下りにくくなってしまいます…。

学校としては、勉強したい。日本で技術なり、知識なりを学びたいという人を育てたいので、5人のうち一人でもそういう人がいるようなら、学校を存続させる価値があると思っているのですが、かなり辛い綱渡りをする羽目に陥ったこともありました。

この学校でも、最初は中国人(漢族、朝鮮族)、スリランカ人、中国人(内モンゴル)、ベトナム人、そして今はネパール人と、中心になる学生達が変わってきました。

同じ中国人でも、最初の頃はわけがわからない人たちが多くやって来ました。スリランカもベトナムも同じ。日本に行けば稼げると、出稼ぎのつもりでやって来たのでしょう。それでも、よく勉強してくれる人はいました。最初の頃は一人でも一生懸命に勉強してくれる人がいるとうれしくなったものでした。彼(彼女)のために何を準備しようという気持ちに、皆がなったものでした。

中国人が少なくなり始めた頃、ある年の4月生のクラスは、スリランカ、ベトナム、タイ、バングラデシュ、ミャンマーと多国籍で、彼らに漢字を教えるのに四苦八苦しました。よく勉強してくれましたから、一生懸命に勉強しているのに、漢字が読めないのはこちらの責任であるとそう思った分、大変になりました。

それで、小学生用の漢字のドリルを参考に、彼ら向けに導入編を作ったり、中級に入ると、教科書の本文に出てくる新出漢字の書き順を一つ一つ書いた物を作ったプリントを準備したりしました。これも教えながら作るので、教科書全部は一時に作れず、次の課がもうすぐ始まると、アタフタしながら作っていました。どれだけ作っては、失敗していたか自分でもわからないほどです。

携帯用には、書道の「芳名録」にいいものがあったからあの形を取り入れようと皆で知恵を絞ったりしました。学校では、そのほかにも、(授業とは別に)様々な学生による厄介事が起こっていましたが、一人か二人は常にそういうものをよく利用して、漢字を勉強してくれる学生がいたので、教えるのを投げ出したいという気持ちには失われませんでした。

もちろん、いくつもの波はありました、学校には。

最近は、ネパールからの申し込みも多く、それで、面接かたがた、ネパールの様子を見に行ってきました。どの国でも同じことなのですが、行かねばわからないことが多いのです。行って始めてわかり、学生を非難するのは間違っていたなと気づくことも少なくありませんでした。

わずか数日、しかも首都であったことで限界はありますが、現地の学校の様子、人々の様子などを見、教室の中の彼らの様子にいくつか合点できるところがありました。

これは内モンゴルであっても、スリランカ、ベトナムであっても、行かなければ見えないことも多く、むやみやたらに嫌だと言っても始まらぬことです。見えてきたわずかなものから類推して、学生と対する、そういう必要もあるのです、異文化の人たちを扱う場合。

例えば、同じモンゴル民族といっても、中国にいる人たちとモンゴル共和国にいる人たちとでは大きな違いがあります。同じように誇り高い民族であろうに、この違いをある程度加味しながら指導していかなければ、原石のまま終わってしまうという可能性だってあるのです。

まあ、あれもこれも、勉強する習慣がついていることが前提ですが。

前、おかしなことを言われたことがありました。「国では、この子は成績が悪かった。日本でちゃんと教えてくれ。勉強の習慣を付けてくれ」「えっ?もう二十数年それでやってきて、相変わらずダラダラしているのに、言葉の通じない私たちが、親の代わりに??何をつける???」

中国人の親からこんなことを言われたこともありました。「国で、物理や数学、英語も成績が悪かったから、日本で教えてくれ」「????」

中国人が中国人を教えてどうにもならないのに、日本人が日本語のよく判らない中国人に数学を教える?物理を教える?英語を教える?どういう意味???

親だってよく判っていないのです。

思えば、本当に大変です。でも、ま、しょうがないか。

日々是好日
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アルバイトの募集がよく来るようになりました。数年前まで、皆、必死に探したものでしたが。

2017-06-07 08:18:44 | 日本語学校
曇り。

今にも泣き出しそうな雲に覆われています。

最高気温が25度に至らないとか、朝の天気予報は見ていないので、どうなっているかわかりませんけれども…。まあ、大丈夫でしょうね、雨は夜半から…と、確か、なっていたような。

さて、学校です。

最近はアルバイトの求人案内が本当に増えてきました。外国人でもオッケー、日本語が拙くても大丈夫というのが。まだ「N4」にも至らない状態でも、学校に通っていれば、いずれは日本語が上手になり、戦力になると踏んでいるのか、それとも、手っ取り早く人手が得られると、ただそれだけの理由で、背に腹はかえられぬという追い詰められた気持ちから、募集に来るのか、それはわかりませんけれども。

とはいえ、半年ほども経てば、会話にはそれほど困らないスリランカの学生などは、コンビニやスーパーなどで、働き始めていますし、ヒアリングに難のあるベトナムの学生でも、先輩の伝手で、「ファーストフード」店やレストラン、居酒屋などで働いたりしています。

銀座やお台場、上野などで働いている学生もいますが、私たちとしては出来るだけ学校の近く、寮から自転車で行けるほどの距離の所で働いていて欲しいのです。それでそういう所から来た募集には、成功するにせよ失敗するにせよ、ダメ元という感じで学生達に連絡させています。

やはり同国人が大勢いる工場よりも、出来ればレストランの方がいいし、経済を専攻したい学生には、少々時給が安くとも、コンビニやスーパーで働いて、物流をわずかなりとも感じて欲しいと思うのです。

とはいえ、新4月生(男子)は、尻込みしています。女子より男子の方が、ズリズリと後ずさりしています。

「電話してごらん。こう言って」
「でも、日本語が下手ですから」
「決めるのは向こう。あなたが決めるのじゃない」
「でも、ちょっと難しい」

女子は
「レストランで働きたい?」
…目をきらきらさせて、コックリとうなずきます。目を見ればわかることなのですが。
「まだ難しいと思うけれども、連絡だけはしてみない?だめで元々だから」
…うん、うんとばかりに首を縦に振ります。

何事によらず、積極的で明るい方が客には喜ばれる。

頭がよくとも、はにかんで前に出てこないと、客の方がいらつく。

生活力の旺盛な女子がいて、男子を引っ張っていくから、こんな男子でもだんだん異国で生活に困らないようになっていく…のでしょう、きっと、今年のベトナム勢は。

日々是好日
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「梅雨」が近づいてくるのを感じます。

2017-06-06 08:01:48 | 日本語学校
今はもう雨が止んでいます。曇り。

風はひやっとしています。今日は長袖が必要ですね。また風邪引きさんが出てくるのではないでしょうか。

さて、街では、「アマリリス」の花が終わりに近づき、「アジサイ(紫陽花)」の花が色を濃くしています。それぞれの存在感が増してくるのはこういうとき。ピンクや青、赤…。そして紫がかったものやら…、どうも一色で表現するとなると、う~ん、難しいとなってしまう。古代、花の名、草木の名で色を表していたのも、宜なるかな。

とはいえ、昔懐かしい「アジサイ」は数をグッと減らしています。華やかで、美しいのですが、新種はどうも見飽きてしまいます。何事によらず、単純な方が、ゆかしく感じられ、長持ちするようです。

新種もいいけれど、原種も街から姿を消して欲しくないですね。だって、おのおのの原風景にあるのは、この、原種の方でしょうから。もっとも、原種と言っても、ドンドン姿を変え、そして残ったというだけのものなのでしょうけれども。

かつて、木造の家が多かった頃、表札の横や、しおり戸の横などに、竹の筒などを掛け、そこに早朝摘んできた野の花を入れたり、庭の花や緑鮮やかな野草を入れたりしていたものでした。平屋が多かったからかもしれませんが、その方がこういう風景には似合います。

そして、そういう黒板塀には梅雨時など「ナメクジ(蛞蝓)」の姿なんぞが見られたものでした。今となってはここいらで「ナメクジ」を探しても、まずいない。な庭木を荒らす害虫として、駆除されたのでしょうか、それとも、彼らにとって住みにくい街になったのでしょうか。

虫たちが住みにくい所は、野鳥にとっても住みにくいところ。鳥たちが住めないところに人間だけが住めるというのも、どこか悲しいですね。ここいらは「野鳥の森」があるほどですから、鳥の姿だけはよく見かけるのですが、確かに、「メジロ(目白)」も「ウグイス(鶯)」も「ヒバリ(雲雀)」も、ここ数年見ていません。

数年前、「ウグイス」の声が聞こえたので、慌てて辺りを見回したのですが、探しているうちに、声が一本調子であるのに気がつき、がっかりしたことがありました。おそらく、テープなどであったのでしょう。「ウグイス」なんどは、縄張り意識が強いので、一羽が声高らかに縄張りを宣言すると、すぐに別の雄が飛んできて、自分の声の方がずっと美しいし、長々と歌い続けられるとばかりに鳴き始め、その縄張り内で、歌合戦が始まるのです。そして負けた方は飛びさり、残った方が美声を張り上げて長々と鳴きつづける。

こういう合戦は、山などでなければ聞けないのでしょうが、久々にちょろっと聞いたものですから、簡単に騙されてしまいました。どうも甘かったですね。やはり、山で聞くのが一番ですね。横浜では庭に「(ウグイスが)飛んでくる」と聞きましたけれども。

日々是好日
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朝は涼しかったけれども、また暑くなってきました。

2017-06-01 13:08:21 | 日本語学校
曇り。

昨夜来の雨が既に止んで、空気はしっとりとしています。天気予報を見て、「東京 午前中、雨」というときは、出勤時には既に小雨になっているか、止んでいる場合が多いのです、ここは。海寄りの地だからでしょうか、千葉県でも、東の端っこ、東京寄りですものね。かなり違います。千葉の予報欄を見ても、違うし…。

しかしながら、6月を雨で迎えるというのも面白い。すぐに梅雨が始まります…の予定なのですが。

最近は、季節も人を裏切ることが少なくなく、いちいち、「例年」は…などと言わなくてはなりません。毎年このようなことが続くと、もう異常が異常ではなくなり、以前と同じような状態であることこそが、異常と言うことになってしまうかもしれません、特に季節の変わり目には。

ロシアでも暴風雨に襲われているようですし、その規模は日本の比ではないようですし。

さて、学校です。

よく在日の方で、日本語を習いたいとやって来る人がいるのですが、その中に、子どもがいて通えないから「日本語学校で勉強しているという証明書を出して欲しい」という方がいます。

日本語学校で勉強したいというのが主である場合は、何の問題もないのですが、中には、証明書を出されると途端に来なくなる人もいます。こういう人が何組か続きますと、どの学校でも困ってしまいます。勉強したいというのは口実で、本当は子どもを預けたいだけなのではないかと、勘ぐらざるを得なくなります。

当然のことながら、保育園が足りないという、日本の行政の問題はあります。が、現時点で実際に困っているのは、外国人だけではないのです。日本人とて同じこと。日本人のお母さんたちが保育園に入れることが出来ないと嘆いているときに、「日本語学校で勉強している」という錦の御旗の下、(実際に勉強しないのに)この人たちが簡単に入れてもらえるというのは、国民感情からしても、ちょっと割り切れなさを感じてしまいます。

もちろん、言葉ができないとゴミの分別や買い物など日常生活にも支障をきたしますから、(日本人にとっても困ること)勉強してもらうに越したことはありません。その方がお互いのためになります。ただ、子どもを預けることができたら、すぐに(学校へ来ずに)パートを始めるというのは、少しいただけない。ここはそういう、カモフラージュのための学校ではありません。

そんなことをされると、市の方でも困るでしょうし、学校でも何だか騙されたような、そして市の方を騙したような、嫌な気分になってしまいます。

それで、今は証明書がいるという方には、3ヶ月分の学費を先に払ってもらうことにしています。だいたい日本語なんて1ヶ月でどうにかなるようなものではありません。『みんなの日本語Ⅰ』が、だいたい三ヶ月かかりますから、最低これだけは学んでいって欲しいのです。だって、勉強するつもりで来たわけですから。

お金のことを言うと、「学校で勉強する」という証明書が欲しいだけの人は諦めるようで、二度と来なくなります。今のところ、このやり方しかないというのが悲しいところなのですが、それでも勉強したいとやって来ている人がいます。

この学校は進学したいという留学生が主ですから、長くて二年、短くても一年三ヶ月ほどを考えてカリキュラムを立てています。彼らはその間、ずっと 勉強し続けるわけで、私たちも長期的に考えながら計画を立てていかねばならないのです。本当に学校で勉強したいという人が来るのなら、大歓迎ですが(そういう人たちは、18、9の若い学生達にとっても刺激になります)、他の目的で来られてしまうと、却って学生達にとって困ったことになってしまいます

そういう人たちでも、ある程度勉強できるようなところがあるといいですね。のんびりと、適当に楽しく。

今、この学校では、それでも勉強したいとやってきているお母さんが一人います。

日々是好日

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