小雨。降ったり止んだりとのこと。
自転車で来る途中、雨粒がだんだん重くなっているのを感じました。けれども、無事到着。
ちょうど角を曲がってすぐのところに、いかにも涼しげな薄紫の花が咲いています、そこのお宅のお庭になのですが。見ると、これは洋物ですね。茎が「アマリリス」のように太く、花数も多く、しっかりとしています。
でも、色は涼しそう。こういう蒸し暑い雨の日、見るだけで涼しさを感じさせる色というのはいいですね。
さて、学校です。
ネパールからの「4月生」は、まだ五里霧中といったところ。試験の「形式」が掴めない人が少なくなく、そのたびに、彼我の違いを感じさせられています。だいたい試験問題の形式なんて、どこでも大差ないと思っていたのですが。それが大間違い。
とはいえ、日本で勉強していくためには、これが越えられないと大変です。ということで、順に「問題」の部分を担当することになった教員が、一つ一つ丁寧にやり方の説明をしているのですが、「五課」で説明して、わかったと見えた…でも、また「六課」でやると、ぼんやりしている。で、また説明を加える…の繰り返しで、もうすぐ『みんなの日本語Ⅰ』が終わろうとしています。もちろん、皆の連携作業で、この「ぼんやり」は少しずつ少なくなったし、どういうことかと自分で考えることが出来るようになった…これは、大きい。
だって、最初なんて全く手が付けられず、「先生!」と叫んだくらいでしたもの。
「わかったつもり」で、次も「ああ、わかった…つもり」で、次の次も、「うん、わかった…(まだまだ)つもり」…。そのたびに教師が走ります。
でも、今回は、こちらを呼ばず、自分で考えようとした…これは進歩です。
とはいえ、こちらとしても、あまりにあたりまえのことで、最初は、何がわからなくて当惑しているのかさえ、はっきりとは掴めませんでした。国で『みんなの日本語Ⅰ』くらいはきちんとやっていれば、そういうことはなかったでしょうにねえ。
もとより、(日本語をきちんと)教えられる教師がいないということもあり、彼らを責めてもしようのないこと。
だいたい、言語を学ぶというのは、覚えるだけではないのです。例外もありますが、そこには一定の規則がある。それを説明した本もあるというのに、「どうして、どうして」と、口での説明を求めてしまう。…私は日本人で、ネパールがわからないというのに…。
これは、自分で「まず読む。そして理解しようとする」という習慣がついていないのです。日本語で説明するには限界がありますから、「休」なら、「~ます」が動詞で、「~です」となったら名詞と言っておく。ところが、いちいち…どうして?とくる。
もっとも、最近は、彼らの方で、「~ます」は動詞で、「~です」は名詞(もちろん、これは「休みます」と「休みです」などの説明の時ですが)と言えるようになりました。が、言えることは言えるのですが、問題として出ると、途端に「これは何、先生」と、目で訴えられてしまう。
それがやっと、昨日、前に配ったプリントとホワイトボードに貼ってある表が同じものであることがわかったようで、こちらの方も反省しきり。配ってあるから、同じだからと安心してホワイトボードの表ばかりをみせて言わせていたのは問題だったなと気づいた次第。
問題を解かせ、答え合わせの時、その途中でも、終了後でも、答えの冊子を開かせて、「ここ、この頁に書いてある」と知らしめねばならぬということも、よく判りました。この一手間、二手間が必要だったのです。「この冊子に解答が書いてるから、自分で見ておきなさい」では、だめだったのです。それだけですと、霧の中に包まれたままで、勉強しようと思っていた学生までが、やり方がわからず出来なくなってしまうのです。
その点、国で『みんなの日本語Ⅱ』を終わらせて来ているベトナムの学生たちは強い。「どういうこと?」とネパールの学生達が、ぼんやりしている文法が、母国語でちゃんと入っているのですから。
とはいえ、ベトナムの学生も、以前は大変でした。入れ初めの頃は『みんなの日本語』五課くらいで、「N5」の 試験を受け、合格していたのですから。これはカンニングで通ったのかどうなのかはわかりませんでしたが、「合格」して来るのです。いざ、こちらで勉強を始めると、途端にメッキが剥げ、さあ大変。単語の意味からしてわからない。ベトナムで買ってきた日本語の文法やら単語の本が読めない(これは本当に不思議なのですが)こちらが説明するのだけれども、ドヨ~ンとした表情をしているので、「こりゃ、困ったナ」となる。
それでいて、アルバイトには困らない。生活力がありますから。
それが、きっちりと『みんなの日本語Ⅰ』を終えてから試験を受けさせるという学校を見つけてから、来日したベトナム人学生を教えるのが随分楽になりました。文法も単語もあらかた入っている。『Ⅱ』の途中で来ている人が多いのですが(『Ⅱ』は終わったけれども、ちゃんと勉強したのは「30課」までと、こっそり教えてくれるのでよく判ります)ここでは、使い方、応用を教えていけばそれで事足ります。『初級』で、躓いてしまうと、もう系統性をもたせて教えていくことが難しくなります。
ところが、ネパールの学生は、国の日本語力がそれほどには至っていないのでしょう、そうはいかない。まず、「ひらがな」や「カタカナ」が、「ナンジャモンジャの字」である。よって、宿題を出しても、教師のほとんどの精力はその文字の訂正に使われてしまう。…本当にもったいないのです。
少なくとも、『みんなの日本語Ⅰ』くらいはきちんと身につけて来日して欲しい。「N5」の試験も、それが終わってから受けて欲しい。「合格しているのに、『テ形』ができない」という状態だけは避けてもらいたい。これは、今回、面接したときに、諄いくらい言いました。4月生が来て初めてわかったことでしたから。
日々是好日
自転車で来る途中、雨粒がだんだん重くなっているのを感じました。けれども、無事到着。
ちょうど角を曲がってすぐのところに、いかにも涼しげな薄紫の花が咲いています、そこのお宅のお庭になのですが。見ると、これは洋物ですね。茎が「アマリリス」のように太く、花数も多く、しっかりとしています。
でも、色は涼しそう。こういう蒸し暑い雨の日、見るだけで涼しさを感じさせる色というのはいいですね。
さて、学校です。
ネパールからの「4月生」は、まだ五里霧中といったところ。試験の「形式」が掴めない人が少なくなく、そのたびに、彼我の違いを感じさせられています。だいたい試験問題の形式なんて、どこでも大差ないと思っていたのですが。それが大間違い。
とはいえ、日本で勉強していくためには、これが越えられないと大変です。ということで、順に「問題」の部分を担当することになった教員が、一つ一つ丁寧にやり方の説明をしているのですが、「五課」で説明して、わかったと見えた…でも、また「六課」でやると、ぼんやりしている。で、また説明を加える…の繰り返しで、もうすぐ『みんなの日本語Ⅰ』が終わろうとしています。もちろん、皆の連携作業で、この「ぼんやり」は少しずつ少なくなったし、どういうことかと自分で考えることが出来るようになった…これは、大きい。
だって、最初なんて全く手が付けられず、「先生!」と叫んだくらいでしたもの。
「わかったつもり」で、次も「ああ、わかった…つもり」で、次の次も、「うん、わかった…(まだまだ)つもり」…。そのたびに教師が走ります。
でも、今回は、こちらを呼ばず、自分で考えようとした…これは進歩です。
とはいえ、こちらとしても、あまりにあたりまえのことで、最初は、何がわからなくて当惑しているのかさえ、はっきりとは掴めませんでした。国で『みんなの日本語Ⅰ』くらいはきちんとやっていれば、そういうことはなかったでしょうにねえ。
もとより、(日本語をきちんと)教えられる教師がいないということもあり、彼らを責めてもしようのないこと。
だいたい、言語を学ぶというのは、覚えるだけではないのです。例外もありますが、そこには一定の規則がある。それを説明した本もあるというのに、「どうして、どうして」と、口での説明を求めてしまう。…私は日本人で、ネパールがわからないというのに…。
これは、自分で「まず読む。そして理解しようとする」という習慣がついていないのです。日本語で説明するには限界がありますから、「休」なら、「~ます」が動詞で、「~です」となったら名詞と言っておく。ところが、いちいち…どうして?とくる。
もっとも、最近は、彼らの方で、「~ます」は動詞で、「~です」は名詞(もちろん、これは「休みます」と「休みです」などの説明の時ですが)と言えるようになりました。が、言えることは言えるのですが、問題として出ると、途端に「これは何、先生」と、目で訴えられてしまう。
それがやっと、昨日、前に配ったプリントとホワイトボードに貼ってある表が同じものであることがわかったようで、こちらの方も反省しきり。配ってあるから、同じだからと安心してホワイトボードの表ばかりをみせて言わせていたのは問題だったなと気づいた次第。
問題を解かせ、答え合わせの時、その途中でも、終了後でも、答えの冊子を開かせて、「ここ、この頁に書いてある」と知らしめねばならぬということも、よく判りました。この一手間、二手間が必要だったのです。「この冊子に解答が書いてるから、自分で見ておきなさい」では、だめだったのです。それだけですと、霧の中に包まれたままで、勉強しようと思っていた学生までが、やり方がわからず出来なくなってしまうのです。
その点、国で『みんなの日本語Ⅱ』を終わらせて来ているベトナムの学生たちは強い。「どういうこと?」とネパールの学生達が、ぼんやりしている文法が、母国語でちゃんと入っているのですから。
とはいえ、ベトナムの学生も、以前は大変でした。入れ初めの頃は『みんなの日本語』五課くらいで、「N5」の 試験を受け、合格していたのですから。これはカンニングで通ったのかどうなのかはわかりませんでしたが、「合格」して来るのです。いざ、こちらで勉強を始めると、途端にメッキが剥げ、さあ大変。単語の意味からしてわからない。ベトナムで買ってきた日本語の文法やら単語の本が読めない(これは本当に不思議なのですが)こちらが説明するのだけれども、ドヨ~ンとした表情をしているので、「こりゃ、困ったナ」となる。
それでいて、アルバイトには困らない。生活力がありますから。
それが、きっちりと『みんなの日本語Ⅰ』を終えてから試験を受けさせるという学校を見つけてから、来日したベトナム人学生を教えるのが随分楽になりました。文法も単語もあらかた入っている。『Ⅱ』の途中で来ている人が多いのですが(『Ⅱ』は終わったけれども、ちゃんと勉強したのは「30課」までと、こっそり教えてくれるのでよく判ります)ここでは、使い方、応用を教えていけばそれで事足ります。『初級』で、躓いてしまうと、もう系統性をもたせて教えていくことが難しくなります。
ところが、ネパールの学生は、国の日本語力がそれほどには至っていないのでしょう、そうはいかない。まず、「ひらがな」や「カタカナ」が、「ナンジャモンジャの字」である。よって、宿題を出しても、教師のほとんどの精力はその文字の訂正に使われてしまう。…本当にもったいないのです。
少なくとも、『みんなの日本語Ⅰ』くらいはきちんと身につけて来日して欲しい。「N5」の試験も、それが終わってから受けて欲しい。「合格しているのに、『テ形』ができない」という状態だけは避けてもらいたい。これは、今回、面接したときに、諄いくらい言いました。4月生が来て初めてわかったことでしたから。
日々是好日