日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「新しいアルバイト…『道に迷いました。駅はどこですか?』…学校に電話されても…そこはどこ?」

2014-07-31 08:19:31 | 日本語学校
 晴れ。「熱帯」が、戻ってきました。

 遠く海上で発生した台風のせいだというのですが、…「暑い」。この「ムワァ感」はどういったらいいのでしょうね…空気が膨張しているような感じです。

 こうなってしまうと、高原や山にでも行かない限り、エアコンが手放せません。「津波」の年を思い、罪悪感に駆られはするのですが…使わないと、眠れない。眠れないと…。

 というわけで、少し高めに設定しながら、夜、使わせていただいています。

 最近は、「輸入に頼らないエネルギー源を」ということで、様々な分野の方々が日夜研究に勤しんでいる…のですが、それがなかなか実を結ばない。いや、実を結べないように見える。それが活かせるようにするのが、本来なら、行政や立法の役割のはずなのに、どうも足を引っぱっているとしか思えないのです。今は割高になろうとも、使う人が増えれば、そして10年後にもっと効率よく作れれば、この国に住む人々は、我慢できると思うのですが。…この人達は、国民を信じられないのでしょうかしら。

 10年後、20年後の人々の「暮らしの豊かさ、充実」を語り、「そのために、今は我慢してくれ」と人々に頭を下げることのできる、哲学のある政治家は出てこないものでしょうかしら。

 これほど大切な政治ですのに、どこを見ても、政治家の悪口しか聞こえてこないのはなぜかしら。プラトンを引くまでもなく、人々の「幸福の鍵」を握っているのは、政治家と思われますのに。

 そんな政治家を(国民は)育てなければならないのでしょうし、また、そういう政治家が選挙に出やすいように、そして、そういう人の考えをきっちりと人々に知らしめることができるように、制度も改革していかなければならないのでしょうに。…でも、どうやって????

 そんなこんなを決めるのは、既成の政治家ときているのですから、土台無理な話ですかね。自分に、あるいは自分の息子に都合の悪い制度を作ろうなんて気にゃならないでしょうからね。10年後、20年後の国民のためになんて、思いやしないでしょうね、そんな連中は。それでいて、自分で「(私たちは)選良だ」なんて言えるのですから、お寒い話です。そして、「そんな人を選ぶのが厭だ(立候補しようという人以外は、政治家が皆悪いと思っているからでしょう)」と、投票に行かない人がますます増えてくる。ほくそ笑むのは、国民を信じていない政治家だけなのに。

 本当は、そんな人ばかりではないと思うのですが、見えてこないのです、真面目な政治家が。マスコミは偏向記事だと突っ込まれるのが厭さに、中立を装っているので、育てなければいけない政治家が見えないのです、一般大衆には。こんな悪循環、断つべきでしょうに。

 マスコミも、責任を持って、「わが社はこの人を応援する」と、やってもいいのではないでしょうか。(新聞)社を賭けるくらいの意気込みでやれば、いいのに。(見込み違いで)社会から糾弾されるのが怖いから、彼等自身も、必死になって、その人を見極めようとするでしょうし、また、その新聞を読んでいる人も、それで、成長していけるでしょうに。

 この世の中に、半可通の「中庸」と「中立」ほど、厭らしいものはないと思うのですが、どうでしょう。

 さて、学校です。

 「4月生」は、少しずつ範囲を拡げながら、自分の力で歩き始めようとしています。中にはまだまだ、おんぶに抱っこの人も、おんぶに抱っこしてもらっても歩けない人もいるようですが。

 そして、そんな時に起こりがちなのは、「迷子」。

 昨日も、そんな人が、二人出てしまいました。

 午後の授業の時、いつも来ている二人がいません。それで、同室者に、「二人が来ていないけれども、どうしたの」と聞くと、「用事があって、少し、遅れる」と言うのです。でも、この授業には間に合いませんでした。

 終わって、職員室に戻ると、教員から、二人から電話がかかってきて、「スマホの地図を見てもわかりません。駅に行きたいです。学校に行きたいです」と言っていたとのこと。どうも、行った先で道に迷い、帰りの駅を求めてさまよっているらしい。

「日本人に聞くようにと教えたのですが、どうですかね。帰り着くでしょうかしらん」との話。

 二人のうちの一人は、この近所(寮は学校の裏です)でも、迷子になっていましたから、論外として、もう一人は頼りになると思っていたのに、片方の迷子病がうつったのかしら、彼の方が焦っていたとの話。迷いなれている人は、案外、動じないものなのかもしれません。

 まあ、二人は無事に、後半の授業が始まる前に戻って来ましたから、これでまた一つ成長したことでしょう。この暑い盛りに、遠くで迷っていたわけですから。

 来日後、3か月は、先輩が連れて行ってくれた先でアルバイトをし、少し日本人との話ができるようになったであろう頃、次のレベルのアルバイトを教えてもらい、今度は自分達だけで行ってみる。これも勉強です。ただし、二人のように、いつもは休まない人であればの話ですが。

 何となれば、『初級』の授業はとても大切だからです。一見、変哲もない、単純な繰り返しのように見えても、この繰り返しこそが、これからの「骨」となり、「筋」となるのですから。

 これを軽んじて、適当にごまかしていると、『初級』が終わった時点で、「あら、大変」ということになるのです。

 この学校では、「非漢字圏」の人が殆どですから、『中級』に入る前、漢字のみならず、文法も『初級』の復習と『中級』の導入とを兼ねた授業を1か月か2か月ほどすることにしているのですが、その時、「思い出せない」のです。

 1回目に習ったことは誰でも、すぐに忘れてしまうものなのです。ですから、それを忘れていても、誰も責めはしません。2回、3回と、(毎日の復習以外に)適度な間隔をおいて、繰り返していくことによって、初めて身につけられるのですから。

 だいたい、初めて習った時なんて、何が何だかわからなかったでしょうね、懸命に口頭練習をしていても。ところが、日本での暮らしが長くなり、日本人と話す機会も増え、暮らしのことも少しずつ判ってくると、「ああ、そうか」と合点がいくようになる。ヒアリングも同然のことながらよくなってくる。「その時に、もう一度」というのがいいのです。

 とはいえ、『初級Ⅱ』が終わる前に、夏休みというのが入ってくる。この夏休みをどう乗り切れるかで、これからが決まると思うのですが、さあ、この人達はどうでしょうね。

日々是好日
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「勉強したくないのに、勉強しろと言う。多分、向こうは向こうで、そう思っていることでしょうね」

2014-07-30 18:56:05 | 日本語学校
 晴れ…少しずつ、薄い雲が、青空を覆い始めているような…そんな、感じなのですが。

 正直なもので、梅雨が終わると、我が世の春とはばかりに、「セミ(蝉)」たちの声が囂しくなってきました。そして、少し早めに羽化したのでしょう、時々、道や階段にひっくり返っている彼等の先達を見かけるようになりました。

 昨日も、そして今日も、マンションの階段の所に仰向けになっていました。仰け反ってはいたのですけれども、まだ力が残っていると見えて、人の気配を感じると、すわっとばかりに飛び立つのです。

 「セミ」…。そういえば、「セミ」の声が聞こえなかった夏もありましたっけ。気温がどうのこうのと言われるよりも、人々は動揺しましたね。日本は比較的四季がはっきりしていますから、その時、鳴くはずの虫が鳴かないとか、咲くはずの花が咲かないとか、どうも、人々はそちらの方が、記憶に残るようです。

 さて、学校です。

 昨日、9月に実習に来るという「東京成徳大学」の学生さんが二人、留学生達の様子を見にやって来ました。ついでに(?)授業参観をしたのですが、最後に、感想を聞くと、「外国人が多かった…」。教室に少人数の外国人が行儀良さげに座っているという「図」を想像していたのでしょう。

 彼女らが間近に見たのは、まあ、真面目な女子学生は前2列に座っていますから、後ろ2列の男子学生ばかりだったのかもしれず(これは力関係で、最初は2列目に、ズラリと女子が並んでいたのですが、いつの間にか、それが二手に分かれて、朝のアルバイトが終わってから駆けてくる男子学生は、勢い、残った後方の席に着くということになってしまいます)。学生達も、よく、授業を見に来る在日の外国人がいるので、そんな感じでいたのかもしれません。一応、日本人の大学生ですよとは言ってはおいたのですが、学生達の様子は変わりませんでした。つまり、いつもと同じだったのです。

 こういう「初級」クラスはまだ、問題がそれほど出ていないので、「安泰」に見えるかもしれませんが、これが2年目になりますと、問題続出ということになってしまいます。普通は上のクラスでは、形だけでも、それなりにルールというか、クラスの掟みたいなものが共通理解としてあるものなのですが、今年は、どうも、ばらつきがあるようで、思わず、これも判らないのかとイラッと来ることも少なくないのです。

 普通は、日本語のレベルに合わせて、日本理解が進むものですから、本来ならば、日本語が一番上のクラスは、教えに行っても、何をするにも、困ることが少ないものなのです。つまり、こちらとしても、授業に集中できる…はずなのですが。

 最近は、なかなかそうはいきません。

 つまり、「初級」まではいいけれども、「中級」は無理という感じなのです。「中級」と「上級」もかなり差があると思うのですが、「中級」で食いついてこられた人は、「上級」になった頃には、それなりに食いつき方がわかってくるものなのです。だから、大丈夫なのですが、「初級」と「中級」の間には、もっと深くて対処のしようがないくらいの溝があるような気がします。

困ったことですね。こっちも手を焼いているのですが、彼等の方でも、同じように思っているのかもしれません。話させてくれればいいのに、勉強だとか、また無理なことを言っている…そう、思っているような気がしてなりません。

日々是好日
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「アルバイトと生活」。

2014-07-29 08:57:48 | 日本語学校
 晴れ。

 まあ、今朝は、例年の夏が、戻ってきたような、按配でした。先週末なんて、ひどかったですからね。まるで日本ではないような暑さでした。あんな中では思考停止になってしまいます。エアコンがフル回転したというのも頷けます。

 とはいえ、いつの間に、日本はこんな暑さに見舞われるようになったのでしょう。こんな暑さが続くようでは、川の虫も魚も、温くなった水の中で、酸素不足になって、死んでしまうのではないでしょうか。流れが速く、冷たいわき水が豊富に湧いてくる地だからこそ救われているのであって、そうでなかったら、大変なところでした。だいたい、日本の川は、流れが急であることを除けば、細くて、浅くて、水なんて、すぐに蒸発してしまいそうに見えますもの。

 子供の頃は、水もヒンヤリ感じられていたものでした。井戸なんてのもありましたし。近所には、必ず井戸のあるお宅があって、雨が降らないときでも、そこから貰い水なんてできましたし。

 地方によっては、今でも地下水を汲み上げて水道水として使っているところもあるのですが、それに比べると、都会の水は生温かく、そのままでは、ちょっと飲む気にはなれません。もちろん、冷やせば、可なりいけると思うのですけれども。

 こう言うと、何という傲慢さと言われてしまうかもしれません。飲み水にも事欠くような国や地域は地球上にごまんとあるのですから。

 さて、学校です。

 午後の学生など、学校に来たときには、皆、汗びっしょりになっています。来日したばかりの時には、紐のついた革靴を履いて、身なりもビシッと決めていた学生も、最近は草履履きでやって来ます。まあ、学校の裏の寮に住んでいるのですから、それでいいのですけれども。

 こう、蒸し暑いと、運動靴を履くという気にもなれないのでしょう。靴箱を見ると、まあ、似たような草履、つっかけが並んでいること。さすがに女子学生は、可愛い草履やつっかけで個性を主張しているようですが。

 そして、もうすぐ夏休み。

 「夏休みも、ずっとうちにいるのではなくて、一週間に一度は顔を見せて下さいよ」と言っているのですが、さて、どうでしょう。春休みの時も、「はい、毎日来て、勉強します」なんて言っていたのに、一度も顔を見せない人がいたことですし。

 今、長期休暇の時には、1日、8時間のアルバイトが認められるようになっていて、頑張るという人も少なくないのです。時々、彼等のアルバイト先から、夏期休暇はいつからいつまでかという問い合わせがあるのですが、先方もよくわかっているのですね。

 午後の、まだ日本語が、たどたどしいベトナム人学生達が行っているアルバイト先は、学生曰く「水の工場」。

 この、アルバイトにも、いろいろな事情があるようで、つい、3、4年ほど前は、ベトナム人学生が、スリランカ人学生を羨んでいました。「ベトナム人はだめだ。知らん顔をして、だれもアルバイト探しを手伝ってくれない」と言って。

 その頃、スリランカ人学生は少なくて、年に、一人のこともありました。同国人が来て、少しでも日本語が話せるようになると、すぐに自分のアルバイト先に面接に連れて行っていたのです。だから、ベトナム人学生は、それを羨んでいたのでしょう。何よりも、自転車で行けるというのがいいと言って。

 その頃、ベトナム人学生が行っていたのは、電車とバスを乗り継いでの工場。しかも交通費は全額出るというわけではなく、生活が大変という人たちは多かったのです。

 ところが、今は、全く逆になりました。ベトナムから学生が来るとすぐに、寮のベトナム人学生が自分のアルバイト先に面接に連れて行っています。「日本語が話せないのに、大丈夫?」と訊くと、「みんなベトナム人だから大丈夫」という答え。しかも、午後の学生達には、早朝の仕事が紹介できるので、少しずつアルバイトに慣れていくこともできます。それに、先輩がいるので心強い。これも大きい。

 このように、ベトナム人学生のアルバイトは好転しているようですが、うって変わって大変になったのは、スリランカ人学生。年に、3、4人ほどであったら、ああいうアルバイトの紹介もそれなりにできたのでしょうが、それが一時に10人ほども入ってくるようになると、もう収拾がつかなくなってしまいます。

 人が増えると、もう同国人だから紹介する、助け合うではなくなり、出身が同じ地域だからになり、次は友達だからになり…、というふうに、どんどん枠が狭まり、一人で来ている人には誰も見向きもしなくなる…。

 彼等の持っているアルバイト先も、一杯一杯になってしまったのでしょう。かといって、自分で開拓できるほどの人はいない。皆、口を開けて、だれかがエサをくれるのを待っているような状態になっている。

 来る方は来る方で、だれかが紹介してくれるだろうから、すぐに働いてお金が入ってくるだろうと思いこんでいる。だから、紹介してもらっても、相手に対する感謝どころか、却って、(他と比べて)足らぬものを見て、不満の方が強まってくる。日本にいる方も、そんな、大して知らぬ奴に、どうしてこうまで親切にせねばならぬのかと思い、勢い、当たりがぞんざいになる。こうなると、自然、いろいろな軋轢が生じてくる。

 とはいえ、生活が安定しないと勉強どころではありません。

 アルバイトがないという学生ほど、学校を休みがちになりますし、来てもうっぷして寝てしまう。何もしないのなら、その間、勉強すればいいのにと思うのですが、そうは言ってられず、きっとあちらこちら、知り人の知り人、少しでも関係のある人達を回っているのでしょう。

 しかしながら、これも、「日本に行けば簡単にお金が儲けられて、簡単に勉強もできるよ」と、だれかに踊らされたか、勝手に踊って捕らぬ狸の皮算用を目論んだか、どちらにせよ、「何でも楽にできる」と踊らされることほど、怖いものはないのです。

日々是好日
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「(何事によらず、)コツコツと頑張る人の方が、日本にあっているような気がします」。

2014-07-28 08:24:45 | 日本語学校
 昨日の雨が、涼しさを運んで来てくれたようで、今朝は久しぶりに、窓を開けても熱気が入り込んでくるという感じはしませんでした。もちろん、朝早くからミンミンミ~ンという声が響いていましたが。

 学生達も、きっとへばったことでしょう、あの酷暑に。南国の人達が、「日本は、どうしてこんなに暑いんですか」と堪らぬように言っていましたから。

 とはいえ、夏休みまであと一週間ちょっと。恒例の「富士山一日旅行」が、来週の月曜日ですから、これが終わると夏休みに入ります。というわけで、最後の追い込みにかかっているの教師達。

 そういうことを、露ほども思っていない4月生は、多少、使えるようになった日本語で「先生、夏休みは金曜日(8月1日)からですよね。へっへっへ」などと言っています。こちらがうっかり、「そう、金曜日」などと言おうものなら、大喜び。

 いったい、何がそんなにおもしろいのかとも思うのですが、ちょうど日本語を使いたくてたらまなくなる時期なのでしょう。何でもいいから言えることがあったら、言ってやろうと待ち構えています。もちろん、これも性格によります。

 「もう少し、日本語を使った方がいいんだけれどもな」と思われる何人かの学生、一生懸命に、教室では、口頭練習を繰り返しているのですが、教室から離れると、途端に口が重くなってしまいます。で、結局、ニコニコとこちらを見ながら、「私の顔を見て。そして、私の意を汲んでくれ」になってしまいます。

 この「4月生」は、やっと「仮定形」を入れたところで、夏休みになってしまい、当方としてはとても不安なのです。このクラスは、もともと(日本語に対して)器用ではない人たちが集まっているので、(真面目は真面目だと思います、比較的)私の気持ちとしては、「9月が怖い」。

 このことは、彼等自身も、思っているようで、『みんなの日本語Ⅰ、Ⅱ』の「問題集」の話をしましたら、五人ほどが欲しいとやって来ました。両方欲しいといったのが三人、『Ⅱ』だけ欲しいと言った人が二人。

 これも、先週、実施した「四級試験」の結果が関係しているのかもしれません。一生懸命頑張っても、思っていたような点が取れなかったという二人と、できたから楽しくなってもっと問題を解きたいと思うようになったという三人。中間はいませんでしたね。前の二人は、よくやる気になったなとこちらがちょっと驚いたくらいでしたから。

 他の人たちは、「教師が、『やれ』と言えば、(宿題を)するけれども、言われなければやりたくない」組ですから、せいぜい、夏休みにアルバイトを頑張ってもらって、後顧の憂いなく新学期を迎えてもらえれば、私たちも、それでいいのです。

 中国人学生が多かった頃は、これ(問題集)も、全部買わせて、日々の宿題にしていたものでしたが、それもだんだんに廃れていきました。「非漢字圏」の学生達にとっては、答えを言うよりも、文字を書く方が大変なのです。というわけで、今では、せいぜい、「B」と単語くらいしか宿題としては出しておらず、それとても、3か月ほども過ぎる頃から、提出者が半分ほどになっています。

 まず、スリランカ人学生は出しません。書けないのでしょう、ペラペラ話せても。中級になっても、「わたしは」が「わたしわ」と書いてしまう学生がいるほどですから。これは提出させたときにいくら訂正して返しても、個別に指導しても、見ていないし、聞いていないので、どうしようもないのです。やる気がなければ、何をさせようとしても、またさせても、身につきません。子供ではないので、より、そういう面が面倒ですね。ここは一応、学校なので、時には強制することもあるのですが、そうすると、三白眼で睨むという輩も出てきます。

 文字を書く習慣がないのか、あるいは、(上には、なかなか行けないのですが)「初級」程度ならすぐに話せるようになるから、できると思い込んでいるからなのかは、わかりませんが、この宿題を提出するかしないかで、こちらとしてもスリランカ人学生のレベルを察することができるのです。出来ない人に出せと言っても、土台無理ですから、そういう人は、1年か一年半ほどもかけて、ゆっくりやってもらうしかないのです。

 けれども、面白くないでしょうね。自分ではできると思っているのですから。実際にテストをしても点が取れないのに、(できると思い込んでいますから)そのテストは「ふん」と鼻でせせら笑うくらいの対象でしかないのです。それに、いつまでも簡単なことばかりさせられているという気にもなるでしょうから。

 それに比べれば、毎日の宿題を地道にやってくる「4月生」の方が、ずっといい(とは言っても、間違いも多いのです。国でも、それほどいい点は取れていなかっただろうなと推察はできるのですが)。

 テストの結果が悪ければ、がっかりし、「問題集」を買って、しようと思うのですから、それだけでも、大したもの。1000円に足らぬほどであるにもかかわらず、高いと言って歯牙にもかけぬ人が多い中で、たとえ成績が振るわなくとも、それにめげることなく、頑張ろうという、その姿勢がすばらしいのです。

 彼には、「日本人は、そういう人が大好きですよ。頑張って下さい」と思わず声をかけたくなってしまいます。

日々是好日
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「長期休暇を前にして」。

2014-07-25 08:14:12 | 日本語学校
 晴れ。

 相変わらず、厳しい暑さが続いています。

 今朝、来る途中のことです。笹の草むらから、涼しげな虫の音が聞こえて来ました。昨日は、空から蝉の声が「ミンミン」降ってきたのに、まあ、今朝は涼やかだことと、少し、涼味を感じながら学校に来てみますと、蝉はここにもやって来ていました。

 向かいのマンションの植え込みに、2本ほど、2、3㍍ほどの木があるのですが、そこから、ドスの利いた蝉の声が、グワ~ンと響いていたのです。高さがちょうどよかったのでしょう、声がこっちのマンションに当たって、谺するという感じで。

 だいたい、あんなちっこい体で、どうしてあんなにボリューム感のある声がだせるのでしょう。最近、二つの『初球』クラス(一つは毎日、もう一つは週二に過ぎないのですが)に行くことになったせいで、「喉が、喉が」と、毎日、騒いでいる私には、とても信じられないことなのですが。

 さて、学校です。

 学校では、いつも、長期の休みの前に、幾つかの「約束」を学生達にしてもらうことにしているのですが、その「約束」を、「A・B・C」クラスで、しました。もう一つのクラス「D」は、7月に入ってきたばかりなので、先に、二年生に通訳してもらい、済ませてあります。

 「お金やアルバイト、パスポートなど」について、してはいけないこと、注意しなければならないことなどを書き、それが判ったら、その印としてサインしてもらいます。

 これが終わったら、ベトナム人学生だけを残して、他の学生達は帰ってもらいます。彼等には、特に長期休暇の際に気をつけておいてもらいたいことなどを話します。

 もとより、こんなことを一つ一つ約束させる必要もない…人たちが大半なのですが、一つでもそんなことで問題が起こると、悔やんでも悔やみきれないのです。抜本的な対策を講じることができない以上、とにかく、しつこく、しつこく、地道な作業を続けていくしかないのです。

 こういうことを、長期の休みのたびに繰り返していると、何人かは、「必要ない」とか、「面倒」とか言ったりするのですが(これは毎度のことです)、蓋を開けてみると、そういっていた人達の方が、いろいろな方面に迷惑をかけるようなことをしでかして、最後は自分で自分の首を絞めるような結果になっていたりするのです。

 こういう説明の時に、ヘラヘラして聞かない(聞き取れないということはないとおもいます。通訳を入れていますから。上の人たちが理解できている範囲で、下の人たちが理解できれば、それでいいことなのです)人を見つけたら、要注意。

 これは本当なのです。「ああ、自分達の国の人間は異国の人に、そう見られているのか、いやだな」「聞きたくないな。とても厭なこと」という表情になるのが普通だと思うのですが、ヘラヘラして、「だれもしないよ」とか叫んだり、「早く帰りたい」とか言っているのは、まず、(このことの)意味も重大性も認識できないということなのです。つまり、こう言うことに対する理解力も想像力もないというわけなのですから。

そして、まだ、日本語があまりうまくない、今年のクラスには、一週間に一回は先生達に顔を見せてくれるよう頼んでおきました。週一ででも、顔を見ることができると、安心します。もっとも、そういうと、途端になぜかうれしそうな笑い声があちらからもこちらからも。来る気が無いなというのがすぐ判りましたけれども。

日々是好日
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「大暑」が終わって。

2014-07-24 13:05:21 | 日本語学校
 昨日は、「大暑」でした。

 自然はまことに正直なもので、昨日の朝、今年初めて、蝉の鳴き声を聞きました。そして、今日も。コンビニに寄ったときのことでした。そばの樹の上から、「ミ~ン、ミ~ン、グズグズ」という鳴き声が…。「ミンミン蟬」かな。

 数年前、やはり「富士山の一日旅行」でのことです。「白糸の滝」を見て、それから上がってきたときのこと、「カナカナカナカ…」という澄んだ声が。そうでした。うっかりしていました。久しぶりに山に入ったので、山の様子を忘れていたようです。あの声を聞くと、すうっと汗が引いていきます。蝉の中でも、やはり、「ヒグラシ」の声が一番ですね。

 季節は、その時々の思い出と深く結びついています。夏が来ると…とか、蜩の鳴く頃は…とか。そういった、淡い思い出でしかないのですが。今から考えると、贅沢なことです。

 今は、そんなもの、お金を出したって、なかなか買えるものではありませんもの。

 さて、学校です。

 学校では、富士山旅行への準備と共に、夏休みの過ごし方なるものにも取り組んでいます。この「長期休暇」というものが甚だ難物で、この期間、自分で自分を制することができるかどうか、それが試されているのですが。よくて、一生懸命に働く、悪ければ、その働いた金を使って、みんなで騒ぐ。

 もう大人ですから、お金が大切なものであることを少しは判ってもらいたいのですが、これが判らない。無駄遣いしないようにと言っても、判らないのです。同じ金額であっても、日本の国で遣うと考えた場合のお金の価値と、彼らの国で遣う場合との違いがわからない。何だか、自分はお金持ちになったような気になって、遣ってしまうのです。これが治らない限り、いくら言っても無駄なのでしょうね。

 そんなこんなを言っているときに、一人のスリランカ女子学生が、「日本人はみんな自分の家がない。スリランカ人はみんな持っている」と、如何にも自慢げに言ったのです。「へえ、日本人はみんな家がないんだ。そうなんだ。じゃあ、どうして、そんな日本に来たの」と言いたくもなろうというもの。

 これまでにも、いろいろな機会に、日本の社会のことを説明しているのですが、自分に都合がいいことしか耳に入っていかないのでしょう。しかも、アルバイトできる場所が決まっているので、いつの間にか、それ(そこにいる人たちやその人達の話)から考えて、日本人を見下げているのでしょう。私たちの方がずっとすごいというふうに。彼女の性格から考えて、きっと、スリランカ人に言いふらしているだろうな。でも、いつも、こうやって、半可通の人が、他国のことを(こうこうだと)広めていくのでしょうが。

日々是好日
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「課外活動のこと。判らなかったら、まず行ってみる。それが大切だと思うのだけれども」。

2014-07-23 18:33:40 | 日本語学校
 晴れ。

 今日は「富士山一日旅行」の事前指導、第1回目です。

 当日のお天気もこのようにいいといいのですが、やはり富士山に鎮座ましますのは女神様。今日はご機嫌がいいかと思って油断していると、急に、プイと拗ねて、横を向いてしまわれたり…。一日中、いいお顔が拝見できるかといえば、そんなことはないのです。ご機嫌斜めなりという時も、結構多いようですし…。

 まあ、今からそんなことを心配していてもしょうがないことで、「いいときもあれば、悪い時もある。それが人生さ」くらいな感じで、その日を待つしかないのでしょう。もちろん、台風さんに、ご遠慮下さいと祈っておくことだけは忘れませんが。

 さて、今日のことです。

 例年通り、「富士山」のDVDを見て、それからバスの中で歌う歌の練習をして…と、やっておいた方がいいことは、多々あるのですが、それにしても気になることが一つ。

 クラスによっては、「あの人が行かないなら私も」という感じになっているところがあるようで、これは珍しい。だいたい、いつも、「富士山旅行」だけは、そんなことはないのですが。

 この学校では、一年ごとに、代わりばんこで、「富士山」と「日光」に行っているのですが、「富士山」は人気があっても、「日光」は、今一つというところ。で、去年は「日光」だったのですが、。最初は、「『日光』なんて知らない。行きたくない」なんて言っていた学生もいました。ところが、戻ってくると、「楽しかった」。「へ~え。どこが」と訊くと、途中の「バスの中」。事前指導に凝っていた教員はガックリ来ていましたけれども。人によって楽しさもいろいろ。できれば、この「富士山」のDVDを見て、「私も行きたい」という気持ちになってくれるといいのですが。

 とはいえ、これは学校の活動。学校側が、一人ではいけないだろう、行くチャンスもないだろうと思われる場所、あるいはせっかく日本に来たのだから、行っておいた方がいいと思われる場所に連れて行くわけで、やはり、特別な事情のない限り、参加しておいた方がいいのです。

 ただ、「寮に住んでいないとか、寮に住んだことがない」という学生が多いクラスでは、縦の付き合いも横の付き合いもなく、ただ「自分のクラス」だけで、終わっていますから、クラスのだれかが一人でも行かないと、インフルエンザに感染でもしたかのようにバッタバッタと倒れてしまうようなのです。行けば、新たな知り人もでき、情報も得られると思われるのに。

 判らなかったら、騙されたと思って、まず行ってみる。食わず嫌いはなくす。せっかく外国に来たのですから、

日々是好日
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「やはり、何事であれ、地道に頑張った方が、報われる…ものでしょう」。

2014-07-22 09:45:40 | 日本語学校
 昨日が「海の日」で、お休み。そして、今日が「梅雨明け」になるかも…。

 梅雨が明ければ、いよいよ本格的な夏になる…、本当は、「本格的な夏になるから梅雨が明ける」のでしょうが。このところ、、学生たちは、グロッキー気味。

 そりゃあ、そうでしょうね。「アルバイト、学校」、あるいは、「学校、アルバイト」で、ボウッとしていたって、ケッタルイ日本の夏が、ますます、気怠くなってくる…。これじゃあ、リキも入りません。

 彼らの国では、こうなのでしょうか。ただ「学校に来ている」だけなのに、それを賞賛さるべきことと固く信じている人がいる。そして、そういう人に限って、自分の日本語は相当なものであると信じて、疑わないのです。

 上のクラスでは(その頻度はかなりのものだと思いますが)、こんなことを言っています。

 日常会話(複雑な思考を要しません。会えば「おはよう」と言い、具合が悪そうな相手には「大丈夫ですか」と言う程度。またアルバイト先は、工場での仕分けくらいでしょうか)で、事足れりと思うなら、それも悪いことではない。

 また、レストランでも、毎日同じことをし、言っているだけであったら、それは、「日本語では、『日常会話』レベル」と言っても、過言ではない。これでいいのなら、それもまた可なり。

 ただ、日本語はそれで終わりなのではない。それくらいの日本語で、自分の日本語は完璧だなんて思われては…困る。

 たとえ、漢字の問題があろうとも、それを見事に飛び越えたり、すり抜けたりしている人もいるのですから。これは、文法にしても、同じです。

 もちろん、とは言いましても、なかなかわかってもらえません。今くらいのレベルの日本語でアルバイトがうまく行っていたり、日常会話に困らないからないのでしょうね(クラスの半分くらいは、もう、今さら言う必要はなくなっているのですが、どうしても、これが理解できない人がいるのです。で、こちらもしつこく言わざるを得ないのです。本来ならば、1年ほども経った上のクラスでは、言う必要のないことなのですが)。

 こういう人に、共通して言えることは、「読む」という習慣がないことなのです。

 だから、「聞けた」「話せた」で、終わりになってしまうのです。多分、こういう人の母語のレベルも、それくらいのものなのでしょうか。だから、それで何が問題なのかとなってしまうのです。で、それ以上の(日本語の)勉強の必要性がない。あると感じられない。「これで、大丈夫なのに?どうして?」と、なるのでしょう。

 口を酸っぱくして、勉強しろと、「N3」やらの文法を引っ張り出して指導するのですが、テストに強いという民族もあるようで、全く判っていないのに(読めていないのです。だいたい、字が嫌いですから)、「N3」なんかは、スルスルと通り抜けてしまうのです。却って、一生懸命に読もうとして、時間がかかっている人の方が落ちてしまう(人生は皮肉なものです)。

 もっとも、こんなのは、すぐに底が割れてしまいます。だって、「N3」文法で話して、(もっとも得意な「話す」「聞く」ですのに)話が通じないのですから。

 やはり、何事であれ、地道に頑張る人の方が、結局は、報いられるのです。

 だって、「上手だと思っていたのに、本当は下手だった」というよりも、「下手だと思っていたのに、本当はできていた」の方が、「ほうっ」となり、倍も認められることになるのは当然じゃありませんか。

日々是好日
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「『初級』の4課くらいで、『私はできる』意識は捨ててよ」。

2014-07-18 08:26:27 | 日本語学校
 曇り。

 今日も大気が不安定のようで、早朝は小雨がぱらついていました。昼過ぎに、突風、雷、そして雨になるかもしれないとのこと。結局、梅雨の終わりごろなんて、何でもありのお天気なんでしょう。

 さて、学校です。

 「Dクラス(七月生)」は、昨日、かなり言わせ続けたのに、最後まで、殆どの学生が崩れませんでした(あれだけ言わせ続けたのに、それに、ついてこられたのはすごいと思います)。もちろん、遅れてきて、耳が慣れていない学生も一人いましたが、それでも、しっかりとこちらを見ていましたから、直に追いつけることでしょう。

 もっとも、例外らしき人も、三人ほどいました。三人とも、自分はできると思い込んでいるようで、どこか、投げやりに見えました。スリランカの女性なんて、あくびを繰り返していましたから、よくわかりません。まだアルバイトもないのに。他の人と比べて、それほどできるわけでもないのに、どうしてそう思えるのでしょうね。こういうタイプは、いくら注意しても、それがわからないのです。

 スリランカ人は、適当にやっていても、すぐに日常会話程度はできるようになります。それで、往々にして、「自分は日本語ができる。頭がいい(不思議ですが)」と思い込んでしまう人が出てきます。そして、すぐに反応できない他の国の人を小馬鹿にしたような態度で見る人もいたりするのです、時々。

 数年前のことですが、注意したら、三白眼で睨まれてしまいました。きっと、思いもよらぬことで、何を言っているんだという気がしたのでしょう。

 とはいえ、すぐにペラペラ話せるようになるのは、スリランカ人だけではありません。以前、中国にいるときなど、日本人以外は、皆、すぐにペラペラになったのです。それで、なかなか聞き取れないし、話せるようにもなれない日本人の方が不思議がられていました。「試験は、あんなにできるのに」って言われて。

 もっとも、できるといっても、たかだか『初級Ⅰ』の4課です。やろうと思えば、いくらでも先に進めます。単語一つでも先に覚えておいたほうが得なのですが。しかし、こういう手合いは、いつまでも「自分の天下が続く」と思い込んでいるので、親切で言っても、親切で叱ってやっても、その通りには受け取ってくれません。勢い、だれも、何も言ってくれなくなってしまいます。すると、おかしなことに、「やはり自分はできるんだ」という捉え方をするようですね。もしかしたら、ナルシストなのかもしれません。「非難されるのはまっぴら。褒められて当然」というふうに。

 人は、己をも含めてですが、我が身を省みることができなければ、なかなか先へ進めません。とは言っても、好きな道だけは別。どんなに下手でも「好きだ」が、一番強い。このときは己を顧みる必要なんてありません。したって意味がありませんもの。だって好きだもので終わりなのです。

 残りの二人の男性の方も同じで、「こんな簡単なことをする必要は、自分にはない」みたいな態度をしています。そういうところから、人はポロポロ落ちていくのだと言うことがわからないのでしょう。もっとも、一人は、日本に長期滞在し、経験を深めたいだけのようですから、こちらがそれほど気を遣う必要はないのでしょう、学ぶという点において。

 もう片方は、如何にも自分はできるという様子をしていますが、初級の時なんて、一週間でも早く始めた方が勝ちというところが大で、しかも、この時間というのは、真剣にやっている者に、あっという間に追い抜かれていくのです。今は、皆より知っていたり、出来るところが多いかもしれないけれども、一週間後なんて誰にも判りません。「ウサギとカメ」の話は、こう言うところでも真実を伝えていたりするのです。

 その上、彼は、馬鹿なことを言って、人の気を引こうとするのです。昨日は一発、ガツンと言ってやりました。すぐにわからなくなるでしょうから、授業の妨害をするようになったらたまりません。まだ、基礎の基礎。勉強を真剣にやる人を放って、こんなのに付き合う時間はありません。最初から、ああいう態度でいられるということは、一事が万事と申します、注意してみていなければならないのかもしれません。

 余分なものを打ち払いながら、素直に伸びていく芽を伸ばしていく。ただ、彼等は大人で、しかもそれぞれが異なった文化、習慣の中で育っているのです。これは、一朝一夕では変えられません。しかも、いけない習慣だと私たちが思っていても、また彼等もそれを気づいていても、流されていくのが彼等の習いであれば、そうするのです。

 ただ、それを日本人をはじめ、他の国の人たちは不快に思っているということは伝えておかねばなりません。ここにいる限り、それは知っておかねばならないことでしょうから。

日々是好日
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「『大学へ行きたい』『えっ。授業中、いつも寝るか、携帯をいじっているだけなのに』」

2014-07-17 08:31:18 | 日本語学校
 曇り。

 予報では、晴れでしたが、この辺りは曇っています。それに気温がかなり高く、ムシムシするとのことでしたが、風があり、涼しささえ感じられています。

 風があると本当に違います。この、人が快適に生きていく上で必要な、風の流れを遮るような建物が増えてきたから、いろいろな災難が生じてきたのかもしれません。結局は人災なのでしょう。地球上で最悪、しかも、最も醜い生き物が、ヒトというわけです。

 ヒトは、己一人の力では出来ないことを、今ではロボットと言ってもいい程の機能を備えた機械を使って、やり散らかしています。地球を抉り、傷つけ、苛んでいるのです。

 「自分一人の力で、持てないようなものを、持って行くな」とは、よく言われるところでありますが、これは旅行時だけのことではないでしょう。ヒトが人力では造れないようなものを造り、それを誇って、大国と称する。これは戦争に勝って誇るのと同じくらい、無意味で厭らしいことです。しかも、それは地球にとっても、あまり好ましいことではないはずです。

 太陽の光があまり届かない、北に住めるようになるまで、人類はどれほどの時を費やしたことでしょう。高いところに住めるようになるまでにも、やはり多くの時間がかかっています。

 その間、少しずつ、適さない個体は除去されていったのです。地球から見れば、私たちはカビや雑草と同じ。そのカビや雑草が力を持ち、自分に適さないからといって、母体である地球までも大改造しようとしている。これでは、地球が弱っていくのも当然のこと。では、どうすればいいのか。今さら、江戸の昔に戻れるはずもなし、本当にどうすればいいのでしょうね。

 さて、学校です。

 「私も大学へ行きたい」と言う学生が、増えています。もちろん、出席率も悪く、授業中も寝ています。

 外国人で、大学まで行ける人は、それほど多くはありません。なにせ、アルバイトをしながらですから。

 (自分の)国でも、勉強なんてしたことがなかった。騒ぐのは好きだかが、先生の言うとおり、書いたり、読んだりはだめ。すぐに飽きてしまう。日本語学校レベルの勉強でも、音を上げて、学校へ来ても眠っている。ちょっと考えさせようとか、覚えさせようとすると、他のことを始める(そういう習慣がないのでしょう)。起きているときは、隣と話すか(母国語で)、携帯で遊んでいる。

 で、「大学に行ってどうするの」と訊いてみると、「大学の方がいいでしょう」と答える。

 ビザが取れやすくなるとか、「大学生」と言いたいとか、多分そんなことくらいしか考えていないのでしょうが。

 大学へ行くには、日本語のレベルが、N2レベルにまで至っていなくとも、余程の目的意識(やりたいこと)があるとか、勉強の習慣がついているとか、好奇心があるとか、何か一つ、そういうものが必要になるのではないかと思われるのですけれども。

 そういうものは全くない。

 以前は、大学は彼等にとってかなりハードルが高いものでした。ところが最近は、見学にいってみると、ちょっとした専門学校よりもレベルが下じゃないかと思われるようなところもあるのです。だから言うのでしょうね、彼等は。あそこの学生はみんな勉強していない…だから、自分と同じだというふうに。でも、先生は困っていましたよ。そこは専門学校から大学に上がったところでしたけれども、来る学生は同じと言うことで。

 でも、そんな大学を出ても、仕事を捜すのは大変でしょうね。「来たら入れてやる、金払え」くらいのつもりで入れるわけで、出るときの面倒なんて、みない。また、見たくても見られない。だって、入ってくる人たちが、もともと勉強なんて好きではないのですから。

 おまけに、こういう大学へ行く日本人は殆どいませんから。「えっ。日本の大学って外国人ばっかりなの」と拍子抜けしてしまいそう。けれども、生き残らんがため、だれでも、来る人は入れてしまうような大学も出てきているのです。ただ、外国人の彼等は、それほどお金が続きません。だから、途中「退場」なんてことにもなりかねませんし。これは彼等にとっても不幸。

 それならば、まだ、面倒見のいい専門学校へ行った方がずっとまし…だと、思い、そちらを勧めるのですが、判らないのです。まあ、どちらへ行ったとしても、勉強しないでしょうから、彼等にとっては同じなのでしょうけれども。

 本当に、日本語のレベルが低い人は、「大変だよ」と、いくら言っても、判らないのです。日本語のレベルが、ある程度ある人は、こちらが授業中にさまざまな事を話していますから、日本のことがある程度、理解できているのでしょうが。

 そうではない彼等は、大学が(心の中で)遙か遠くであったスリランカ人の狭い知識(スリランカ人同士の話です。わかっていないくせに、よく話しているのです。これこれだと。眉唾も少なくはないのです。どうしてそうなるのか判りませんが、彼らの国ではそういう思考回路で話は発展していくから問題ないのでしょう)や情報を聞いて、彼等なりに考えていくようです。自分に都合がいいようにと。

 日本語がペラペラ話せているように見えても、実際は日本語の能力が、かなり低い彼等には、理解できないのです、いくら説明しても。少し前までは、ある程度、身の程が判っている人が多かったのに、いつからこうなったのでしょうね。しかも、四年間は長い。日本語学校でも、テレテレして勉強していないのに、大学で四年間何をするつもりなのでしょう。お金がもったいないと思うのですけれども。

日々是好日
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「新しいアルバイト」。

2014-07-16 08:44:28 | 日本語学校
 薄日が射しています。

 今日は「晴れ」とのこと。蒸し暑さは相変わらずですが。

 とは言いましても、昨晩、きれいな月を見ました。空気中に水分が多いので、朧になるかと思っていましたのに、くっきりと白い光を放っていました。そうですね、もう「ツキミソウ(月見草)の季節と言ってもいいのでしょう。

 さて、学校です。

 「四月生」のクラスでは、新しい動きが始まっています。

 来日後すぐは、週に、二、三回、一日、三時間くらいのアルバイトがあるだけだったのですが、それが、『初級Ⅱ』が始まって少し経つころから(3か月経過)、もう少し条件のいいアルバイトができるようになり、その面接が始まっていると言うのです

 「面接に行くために休む」と言うと、叱られるのが判っているので、小出しにやって来ます。昨日は授業終了少し前に、息せき切って走って来たのが三人。まあ、休まず、やって来ただけでもいいかと、つい、甘くなってしまうのですが。帰りに(毎日、後半の授業がない時には、だれか教師が玄関で送り出しています。昨日、後半の授業がなかったので、私が送り出しました)、私の顔を見て、申し訳なさそうに笑いながら、例の三人「ごめんなさい」を連呼しています。

 うち、一人は、職員室のテスト用紙に目が行ったらしく、「ごめんなさい」と言いながら、「テストはいつですか」なんて聞いています。

 しかし、学生達の表情を見ていると、すぐに判ることがあります。アルバイトがうまくいっているかどうかということなのです。うまく行っている学生は、表情も明るいし(余裕がありますから)、勉強にも意欲的に取り組める。

 ところが、うまく行っていないと、暗くて、うつむき加減になってしまうのです。だから、少しでもいいアルバイトが見つかると、私たちの方でもうれしいのです。

 他にも、その前日のことですが、後半の三時半から面接に行きたいと、一人、やって来ました。だめだと言いはしたのですが、まずは生活を安定させることが先決問題。向こうもそれが判っているのでしょう、ニコニコしながら(申し訳なさそうなニコニコなのですが)言います。まあ、当方も昔のように、あまり強くは言いません。

 それで、「どうせなら、もう三時から行きなさい(休み時間に出ればいい)。授業の最中に出られると迷惑だ」と言いました。ところが、それがうまく伝わらなかったようで、「大丈夫。三十分は授業が受けられる(だから、三時に出るのは嫌だ)」と言うのです。

 まあ、今のところ、このクラスでは、ずる休みの習慣があまりないようですので、目こぼしをしています。

 そして、昨日遅れてきた三人のうちの一人、その前日に、自転車の整理をさせに行ったとき、「レストランか料理店で、賄いの仕事をしたい。そんな仕事はないか」と訊いて来ました。

 彼は、ベトナムで面接したとき(来日前)から、料理学校へ行きたいと言っていましたし、寮の彼の部屋(四人部屋)では、一番料理がうまいというのです。もっとも、一人は何も作れないと言いますし、もう一人も、へへへと言って笑っていましたから、それほどでもないのでしょう。残りの一人は何でもできるタイプですから、料理もできるのでしょうが、彼のように大好きと言うほどでもない。で、結局、時間があれば、この学生が、楽しそうに料理を作るということになっているようです。

 得意を活かせるアルバイトが見つかるといいですね。

日々是好日
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「新しいアルバイト」。

2014-07-16 08:44:28 | 日本語学校
 薄日が射しています。

 今日は「晴れ」とのこと。蒸し暑さは相変わらずですが。

 とは言いましても、昨晩、きれいな月を見ました。空気中に水分が多いので、朧になるかと思っていましたのに、くっきりと白い光を放っていました。そうですね、もう「ツキミソウ(月見草)の季節と言ってもいいのでしょう。

 さて、学校です。

 「四月生」のクラスでは、新しい動きが始まっています。

 来日後すぐは、週に、二、三回、一日、三時間くらいのアルバイトがあるだけだったのですが、それが、『初級Ⅱ』が始まって少し経つころから(3か月経過)、もう少し条件のいいアルバイトができるようになり、その面接が始まっていると言うのです

 「面接に行くために休む」と言うと、叱られるのが判っているので、小出しにやって来ます。昨日は授業終了少し前に、息せき切って走って来たのが三人。まあ、休まず、やって来ただけでもいいかと、つい、甘くなってしまうのですが。帰りに(毎日、後半の授業がない時には、だれか教師が玄関で送り出しています。昨日、後半の授業がなかったので、私が送り出しました)、私の顔を見て、申し訳なさそうに笑いながら、例の三人「ごめんなさい」を連呼しています。

 うち、一人は、職員室のテスト用紙に目が行ったらしく、「ごめんなさい」と言いながら、「テストはいつですか」なんて聞いています。

 しかし、学生達の表情を見ていると、すぐに判ることがあります。アルバイトがうまくいっているかどうかということなのです。うまく行っている学生は、表情も明るいし(余裕がありますから)、勉強にも意欲的に取り組める。

 ところが、うまく行っていないと、暗くて、うつむき加減になってしまうのです。だから、少しでもいいアルバイトが見つかると、私たちの方でもうれしいのです。

 他にも、その前日のことですが、後半の三時半から面接に行きたいと、一人、やって来ました。だめだと言いはしたのですが、まずは生活を安定させることが先決問題。向こうもそれが判っているのでしょう、ニコニコしながら(申し訳なさそうなニコニコなのですが)言います。まあ、当方も昔のように、あまり強くは言いません。

 それで、「どうせなら、もう三時から行きなさい(休み時間に出ればいい)。授業の最中に出られると迷惑だ」と言いました。ところが、それがうまく伝わらなかったようで、「大丈夫。三十分は授業が受けられる(だから、三時に出るのは嫌だ)」と言うのです。

 まあ、今のところ、このクラスでは、ずる休みの習慣があまりないようですので、目こぼしをしています。

 そして、昨日遅れてきた三人のうちの一人、その前日に、自転車の整理をさせに行ったとき、「レストランか料理店で、賄いの仕事をしたい。そんな仕事はないか」と訊いて来ました。

 彼は、ベトナムで面接したとき(来日前)から、料理学校へ行きたいと言っていましたし、寮の彼の部屋(四人部屋)では、一番料理がうまいというのです。もっとも、一人は何も作れないと言いますし、もう一人も、へへへと言って笑っていましたから、それほどでもないのでしょう。残りの一人は何でもできるタイプですから、料理もできるのでしょうが、彼のように大好きと言うほどでもない。で、結局、時間があれば、この学生が、楽しそうに料理を作るということになっているようです。

 得意を活かせるアルバイトが見つかるといいですね。

日々是好日
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「(七月生の)入学式の準備」。

2014-07-15 17:27:46 | 日本語学校
 晴れ。

 蒸し暑い日が続いています。

 昨日は、七月生の「入学式」でした。最後のベトナム人学生が、先週の金曜日に到着し、皆、揃いました。総勢、16名。皆、「伊呂波」からの勉強です。 

 新学期が始まって早々、集団生活に慣れない人たちの間で、ちょっとした「いざこざ」がありましたが、おかげで私たちも彼女らに、どう対していけばいいか、踏ん切りがついたような気がします。

 これが、一人とか二人であった場合、なかなか(彼等の習慣などが)判らず、後で臍を噛むといったことにもなりかねないのですが。

 ところで、入学式のことです。

 式は、下の教室で行いました。午後の男子学生、何人かに、重いジュースを買いに行ってもらいました。早めに来て買いに行ってもらったのですが、戻ってきてから、教室の机を図書室に入れたり、(そこから)丸椅子を出してもらったりと、大忙しです。そして少し早く来ていた女子学生に、ホワイトボードを花で飾ってもらったりしていきます。

 皆、よくお手伝いをしてくれます。動かないなと見ていたスリランカの男子学生も、いつの間にかベトナムの男子学生に混じって、手伝っています。机を畳んだり、椅子を畳んだりが、思いの外に難しかったようで、きっと、ベトナムやスリランカでは、置いておける空間がかなりあるので、(場所や物を)兼用したり、しまったりする必要がないのでしょう。

 こういう手伝いが出来る人は、だんだん、日本的な「知恵」(狭い空間を巧みに遣うばかりでなく、広く錯覚させる。また、ものを収納する術など)に長けていくのでしょう。

 彼等にとっての「異文化」は、どこにでも転がっています。自分に必要な異文化を理解し、それに習熟して我がものにするということは、この異国で生きていくためには必要不可欠のことであると思います。そして、私たちもできるだけ、こういう機会に彼等に練習してもらいたいと思っているのですが、なかなかそれをしない(あるいは、できない)人がいるのです。

 親の地位や財産がどれほどであれ、日本でそれを誇る必要はないのです。「それだけで(親が持っているだけで、おまえのじゃない)、いったい、お前は何ができるのだ」と馬鹿にされるのがオチですから。

 こういう手伝いが、自然にでき、私たちの言っている意味がすぐに判る人は、日本のどの社会に行っても重宝されることでしょう。すでに「日本ではこういう時、こうするのだな」が判っているのですから。「(机を運んだり、椅子を並べたりといった)手伝いなんて、使用人がすることだ」ではないのです。日本では、後に、大会社の社長になる人だって、新米の会社員の時には、やっているのですから。これも、日本語(日本の習慣を通しての)を我がものとするための、「学び」の一つなのですから。

 ただ、式が終わった後、「さあ、3時から授業」と言いましたら、(こういう彼等でも)かなり抵抗していましたね。終わったら、すぐに帰れると思っていたらしいのです。一言、「甘い」と言って、カンラカラカラと笑ってやりましたけれども。

日々是好日
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「みんな、同じ学校で勉強するのだから、仲良くしなければ」。

2014-07-14 09:50:28 | 日本語学校
 蒸し暑い日が続いています。

 何やかやと忙しく、ブログも半分ほど書いて、そのままになり、結局、出さずに終わることも、しばしば。どうも気持ちが続きません(授業から帰って、続きを書くと、気持ちが切れているので、うまく行かないのです)。本当は、皆が来るまでに書いて出してしまいたいのですが、最近はメール連絡やらが来ていて、その返事に追われ、ブログの方を後回しにするということもありますし。

 さて、早速、スリランカから来た女性陣が一悶着を起こしています。けれども、こちらも、「ああ、あのタイプだな」くらいのもので、オタオタすることもなく(嫌な気持ちにはなりますが)、慣れというのは怖ろしい。

 以前なら、素直に驚き、誠実に相手の身になって考え、対処を講じていた…でしょうけれども。少しでも勝手ができないと、身の程を知らずに、自分の得になるように騒ぎ立てる。しかも、それが、おもしろいことに、一人が喚き始めると(最初は黙っていた)残りの者も、喚かねば損とばかりに騒ぎ始める…つまり、例の、スリランカの女パターンです。

 以前は、これで、相当、苦労しました。「まさか、あんなに大人しそうで、嘘なんてつきそうに見えない人が、そんなことで、ギャアギャア言い始める」なんて、呆気にとられた部分もあったのでしょうね。だから、真面目に、「どうして、そういうことを言い始めるのだろう。何が原因なんだろう」と、相手の立場に立って考えたりしていたのです。

 もっとも、当然のことながら判りませんでした。ただ単に「自分に都合のよいようにするために、相手を貶めていただけ」とか、「自分が嫌がらせをされるのが嫌だから、性格の強い者と一緒になって、立場の弱い者に嫌がらせをしているだけ」だったとか。

 慣れてくると、「なあんだ」というような理由でしかなかったのです。誠実に対そうとする者の方が馬鹿を見る、ことだけは判りましたけど。

 まあ、これも勉強ですね。他の国の女子学生達の間では、まず、こんなことは、起こらないのですが。あっても、ちょっと変わり者が、何かの理由で揉めるとかで、私たちにもすぐに理由がわかります。「まあ、こりゃあ、気が合わなくて当然だ」というふうになり、それで終わりです。

 「私の方が可哀想だ。私の方が正しい。私の方がひどい目に遭っている」とか、「台所が狭い。衣装タンスがない。もっと広い部屋がいい」とかいったふうに、自分の欲求を喚いたり、自己を正当化したりはしないのです。皆、黙って寮に入り、準備された部屋で生活しています。自分で借りるには、それなりのお金がなくてはならないことがわかっているのです。

 だいたい、寮生活が嫌だったら、来日する前に、部屋の準備はいらないと、そう連絡してきているはずです。そして、部屋が借りられるほどのお金を準備してくるものなのです。

 それが、判っていないから、怖い。

 分不相応な要求を、当然のようにする。部屋を借りるとなると、寮費くらいのお金では終わりません。外国へ来て、何でも思い通りのことができると思っている方がおかしいと思うのですが、思っているから、怖い。
 部屋を借りるのは、簡単にできることではありません。学校の方でも、頼まれた人数分は、無理算段しながら準備するけれども、時には、人数的にギリギリと言うこともある。

 それに、自分で部屋が借りたかったら、お金だけでなく、言葉もある程度できなければならないのです。

 …けれども、今では、もうこの手には乗りません。「ああ、来たな。例のタイプの女だ」で終わり。本当に、何カ国も相手にしていると、そして、それが、一国から一人や二人ではなく、時には、20名くらいも来ていると、なんとなく、判ってくることがあるのです。国民性というか、この国の男はこう出るなとか、この国の女はこういう時にこう言い始めるなとかいうことなのですけれども。

 もちろん、判ったからといって私がどうできるということではありませんが。これには、こういう連中にでも、誰にでも、しぶとく応対できる人がいるのです。もっとも、この人だって、何度煮え湯を飲ませられたのかわかりませんが。そして、その後は、皆で、よく見張っておく。言いに来ても、すぐには信じない。裏をとる。嫌なことですけれども。人を最初から疑いの目で見るというのは。

 どこの国の人であれ、外国で、「約束を守る、他国の人と仲良くする」ことができなければ、いずれ、どうにもならなくなってしまうのです。

 自分の国にでもいるつもりで、我を通そうとしているのでしょうね。そしてそれが通らないと、他者への攻撃を始める。

 頭がよければ、「(タイプ別に)こういうタイプは攻撃したら、ヤバイだろうな」とか、「嘘を言っても、後でばれる」ということが判るのでしょうが、それが判るほどではない。そのくせ、自分は人より上だと思っている。つまり、彼等の今まで育って来た社会が本当に狭いのです。だから社会性が育っていない。

 彼等の国では、親の地位(もっとも、それも、彼等の村レベルでしょうけれども)で、それなりに大切にされてきた。でも、異国ではそれは通じません。彼らの国と同じようなタイプの国であれば、それなりに通用するかもしれませんが、社会がある程度豊かで、安定している国では、まず無理でしょう。

 とはいえ、煙ったがられても、こういう人はそれが判らず、我が通らねば、より弱い立場の人をはけ口としてさがすのでしょうね。最後には、嘘がばれて、余計に見下げ果てた奴と思われるだけなのに。

日々是好日
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「台風は?」。「新しいクラス」。

2014-07-11 18:37:06 | 日本語学校
 曇り。

 時折、サワサワと、霧のような雨が降ってきます。けれども、今はそれもなし。

 今朝、目覚めたとき、「ん?雨の音がしない…」でした。今日は台風が関東地方を直撃し、六時頃から、休校にするかどうかを決めなければならない…はずでしたのに。

 ところが、シ~ンと静まりかえっています。鳥の声も聞こえません。風も吹いていません。ただ蒸し暑いだけ。あわててテレビを見てみると、台風は千葉県の辺りと言っています。

 そうか。上陸すると勢力は弱まると言うけれども、もう弱まったのだな。またここには暖かい海水がないので、発達のしようもないのだな…ということで、もう話題は、台風よりも、活発化した梅雨前線の方に移っていました。

 学校に着くと、しばらくしてから、成田に迎えに行った学生から「第二か、第一か」との問い合わせがありました。「あれれ、教えてもらったとき、寝ていたのか」もちろん、こんなことは言いません。親切にも行ってくれたのですから。

 ベトナムの学生は、総じて大荷物を持ってやってきます。昔は中国の学生も、布団やら米やらを担いできたものでしたが、それと同じように、米を担いでやって来た学生がいました。もちろん、親心なのでしょうけれども、これは困る。一人で、持てない量を持ってきてはいけないのです。迎えに行くのは、「道が判らないであろうから」であって、荷運びの手伝いに行くのではありません。

 今日の学生はどうなのでしょうか。姉が一人、弟が来るというので、行っていますが、親が彼女(姉)にと言って持たせた物も入っているかもしれません。

 さて、学校です。

 昨日は、「七月生クラス」二回目でした。一回でかなり打ち解け、その二回目ですから、楽です。ただ、この「初級」の初めの頃というのは、道具がかなり多く、余程手際良くやらないと、どこへ行ったっけということになりかねないのです。

 そして、この、「手際よく」が、なかなか、できないのが私ということで、いつも教卓の上はシッチャカメッチャカになっています。

「初級の授業は大変なんですよ。え~と、アレはどこへ行ったっけ。あっ、あった、あった。ではあっちの方はいずこへ」。これを毎度繰り返されると、学生の方も飽きてくるでしょうが、ところが新入生は、何をやっているのかなと温かく見守ってくれています。もう少し経つと、先生、また忘れたァなんて言いかねないのですが。

 今度の「七月生」は、だいたいがおとなしそうに見えます(最初からうるさい「○月生」というのもいるのです。少しでも見ていないと、すぐに同国人と声高に話し始めたりするのです)。黙って、そんな私を見ているのですから。もしかしたら、困った人だなあなんて思っているかもしれません。

 授業というのは、教師と学生が共に築いていくものです。たとえ講義形式であって、一方的にしゃべっているように見えても、いつも、対象となる存在を認識しながら、話を進めているのです。

 それが『初級』ですから、「講義」どころではなく、「さあ、一緒に言いましょう」、とか、「さあ、みんなで読んでください」とかいった作業が殆どなのです。しかも、まだ授業の進め方がよくわかっていませんから、その練習も兼ねたものですから、彼等にとっても未知なる分野ということで、最初は凸凹してしまいます。もっとも、1か月もすれば、慣れてきて、私たちの方が何も言わなくても、ある程度は勝手にやってくれますから、お互いに楽になります。 

 そして、一つ上の「4月生クラス」くらいになりますと、(もちろん、一番後ろの席にいて、携帯をいじったり、隣の人と話している人は別ですが)、こういう指示が出たら、こう言えばいいなんてのが判っているので、余計なことに時間を割く必要もなく、スルスルと授業が進んでいます。

 とはいえ、「初級Ⅱ」は彼等にとってかなり手強い相手。『初級Ⅰ』の20課くらいから、気弱になりがちの学生達を、「14課の『て形』をやったときは大変だったでしょう。でも、今は「Ⅰグループ」や、「Ⅱグループ」なんてのはすぐ判るようになった。もう、『て形』なんて簡単でしょう。だから、例えば、40課を勉強するようになったら、『あれ、30課なんて簡単だったんだ』なんてことになる。30課は難しくない。難しくない」と、口頭練習の他に、時折こんなことを言って、騙し騙ししながら、進めているのです、授業を。

 もっとも、これは本当のことです。苦手とか、判らないなんて思わせたら、、すぐにやる気を無くしてしまいます。だから、教師なんて、如何に嘘をつくのがうまいかで、決まってしまうようなところもあるのです。これは、内緒なんですけれども。

日々是好日
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