晴れ。「熱帯」が、戻ってきました。
遠く海上で発生した台風のせいだというのですが、…「暑い」。この「ムワァ感」はどういったらいいのでしょうね…空気が膨張しているような感じです。
こうなってしまうと、高原や山にでも行かない限り、エアコンが手放せません。「津波」の年を思い、罪悪感に駆られはするのですが…使わないと、眠れない。眠れないと…。
というわけで、少し高めに設定しながら、夜、使わせていただいています。
最近は、「輸入に頼らないエネルギー源を」ということで、様々な分野の方々が日夜研究に勤しんでいる…のですが、それがなかなか実を結ばない。いや、実を結べないように見える。それが活かせるようにするのが、本来なら、行政や立法の役割のはずなのに、どうも足を引っぱっているとしか思えないのです。今は割高になろうとも、使う人が増えれば、そして10年後にもっと効率よく作れれば、この国に住む人々は、我慢できると思うのですが。…この人達は、国民を信じられないのでしょうかしら。
10年後、20年後の人々の「暮らしの豊かさ、充実」を語り、「そのために、今は我慢してくれ」と人々に頭を下げることのできる、哲学のある政治家は出てこないものでしょうかしら。
これほど大切な政治ですのに、どこを見ても、政治家の悪口しか聞こえてこないのはなぜかしら。プラトンを引くまでもなく、人々の「幸福の鍵」を握っているのは、政治家と思われますのに。
そんな政治家を(国民は)育てなければならないのでしょうし、また、そういう政治家が選挙に出やすいように、そして、そういう人の考えをきっちりと人々に知らしめることができるように、制度も改革していかなければならないのでしょうに。…でも、どうやって????
そんなこんなを決めるのは、既成の政治家ときているのですから、土台無理な話ですかね。自分に、あるいは自分の息子に都合の悪い制度を作ろうなんて気にゃならないでしょうからね。10年後、20年後の国民のためになんて、思いやしないでしょうね、そんな連中は。それでいて、自分で「(私たちは)選良だ」なんて言えるのですから、お寒い話です。そして、「そんな人を選ぶのが厭だ(立候補しようという人以外は、政治家が皆悪いと思っているからでしょう)」と、投票に行かない人がますます増えてくる。ほくそ笑むのは、国民を信じていない政治家だけなのに。
本当は、そんな人ばかりではないと思うのですが、見えてこないのです、真面目な政治家が。マスコミは偏向記事だと突っ込まれるのが厭さに、中立を装っているので、育てなければいけない政治家が見えないのです、一般大衆には。こんな悪循環、断つべきでしょうに。
マスコミも、責任を持って、「わが社はこの人を応援する」と、やってもいいのではないでしょうか。(新聞)社を賭けるくらいの意気込みでやれば、いいのに。(見込み違いで)社会から糾弾されるのが怖いから、彼等自身も、必死になって、その人を見極めようとするでしょうし、また、その新聞を読んでいる人も、それで、成長していけるでしょうに。
この世の中に、半可通の「中庸」と「中立」ほど、厭らしいものはないと思うのですが、どうでしょう。
さて、学校です。
「4月生」は、少しずつ範囲を拡げながら、自分の力で歩き始めようとしています。中にはまだまだ、おんぶに抱っこの人も、おんぶに抱っこしてもらっても歩けない人もいるようですが。
そして、そんな時に起こりがちなのは、「迷子」。
昨日も、そんな人が、二人出てしまいました。
午後の授業の時、いつも来ている二人がいません。それで、同室者に、「二人が来ていないけれども、どうしたの」と聞くと、「用事があって、少し、遅れる」と言うのです。でも、この授業には間に合いませんでした。
終わって、職員室に戻ると、教員から、二人から電話がかかってきて、「スマホの地図を見てもわかりません。駅に行きたいです。学校に行きたいです」と言っていたとのこと。どうも、行った先で道に迷い、帰りの駅を求めてさまよっているらしい。
「日本人に聞くようにと教えたのですが、どうですかね。帰り着くでしょうかしらん」との話。
二人のうちの一人は、この近所(寮は学校の裏です)でも、迷子になっていましたから、論外として、もう一人は頼りになると思っていたのに、片方の迷子病がうつったのかしら、彼の方が焦っていたとの話。迷いなれている人は、案外、動じないものなのかもしれません。
まあ、二人は無事に、後半の授業が始まる前に戻って来ましたから、これでまた一つ成長したことでしょう。この暑い盛りに、遠くで迷っていたわけですから。
来日後、3か月は、先輩が連れて行ってくれた先でアルバイトをし、少し日本人との話ができるようになったであろう頃、次のレベルのアルバイトを教えてもらい、今度は自分達だけで行ってみる。これも勉強です。ただし、二人のように、いつもは休まない人であればの話ですが。
何となれば、『初級』の授業はとても大切だからです。一見、変哲もない、単純な繰り返しのように見えても、この繰り返しこそが、これからの「骨」となり、「筋」となるのですから。
これを軽んじて、適当にごまかしていると、『初級』が終わった時点で、「あら、大変」ということになるのです。
この学校では、「非漢字圏」の人が殆どですから、『中級』に入る前、漢字のみならず、文法も『初級』の復習と『中級』の導入とを兼ねた授業を1か月か2か月ほどすることにしているのですが、その時、「思い出せない」のです。
1回目に習ったことは誰でも、すぐに忘れてしまうものなのです。ですから、それを忘れていても、誰も責めはしません。2回、3回と、(毎日の復習以外に)適度な間隔をおいて、繰り返していくことによって、初めて身につけられるのですから。
だいたい、初めて習った時なんて、何が何だかわからなかったでしょうね、懸命に口頭練習をしていても。ところが、日本での暮らしが長くなり、日本人と話す機会も増え、暮らしのことも少しずつ判ってくると、「ああ、そうか」と合点がいくようになる。ヒアリングも同然のことながらよくなってくる。「その時に、もう一度」というのがいいのです。
とはいえ、『初級Ⅱ』が終わる前に、夏休みというのが入ってくる。この夏休みをどう乗り切れるかで、これからが決まると思うのですが、さあ、この人達はどうでしょうね。
日々是好日
遠く海上で発生した台風のせいだというのですが、…「暑い」。この「ムワァ感」はどういったらいいのでしょうね…空気が膨張しているような感じです。
こうなってしまうと、高原や山にでも行かない限り、エアコンが手放せません。「津波」の年を思い、罪悪感に駆られはするのですが…使わないと、眠れない。眠れないと…。
というわけで、少し高めに設定しながら、夜、使わせていただいています。
最近は、「輸入に頼らないエネルギー源を」ということで、様々な分野の方々が日夜研究に勤しんでいる…のですが、それがなかなか実を結ばない。いや、実を結べないように見える。それが活かせるようにするのが、本来なら、行政や立法の役割のはずなのに、どうも足を引っぱっているとしか思えないのです。今は割高になろうとも、使う人が増えれば、そして10年後にもっと効率よく作れれば、この国に住む人々は、我慢できると思うのですが。…この人達は、国民を信じられないのでしょうかしら。
10年後、20年後の人々の「暮らしの豊かさ、充実」を語り、「そのために、今は我慢してくれ」と人々に頭を下げることのできる、哲学のある政治家は出てこないものでしょうかしら。
これほど大切な政治ですのに、どこを見ても、政治家の悪口しか聞こえてこないのはなぜかしら。プラトンを引くまでもなく、人々の「幸福の鍵」を握っているのは、政治家と思われますのに。
そんな政治家を(国民は)育てなければならないのでしょうし、また、そういう政治家が選挙に出やすいように、そして、そういう人の考えをきっちりと人々に知らしめることができるように、制度も改革していかなければならないのでしょうに。…でも、どうやって????
そんなこんなを決めるのは、既成の政治家ときているのですから、土台無理な話ですかね。自分に、あるいは自分の息子に都合の悪い制度を作ろうなんて気にゃならないでしょうからね。10年後、20年後の国民のためになんて、思いやしないでしょうね、そんな連中は。それでいて、自分で「(私たちは)選良だ」なんて言えるのですから、お寒い話です。そして、「そんな人を選ぶのが厭だ(立候補しようという人以外は、政治家が皆悪いと思っているからでしょう)」と、投票に行かない人がますます増えてくる。ほくそ笑むのは、国民を信じていない政治家だけなのに。
本当は、そんな人ばかりではないと思うのですが、見えてこないのです、真面目な政治家が。マスコミは偏向記事だと突っ込まれるのが厭さに、中立を装っているので、育てなければいけない政治家が見えないのです、一般大衆には。こんな悪循環、断つべきでしょうに。
マスコミも、責任を持って、「わが社はこの人を応援する」と、やってもいいのではないでしょうか。(新聞)社を賭けるくらいの意気込みでやれば、いいのに。(見込み違いで)社会から糾弾されるのが怖いから、彼等自身も、必死になって、その人を見極めようとするでしょうし、また、その新聞を読んでいる人も、それで、成長していけるでしょうに。
この世の中に、半可通の「中庸」と「中立」ほど、厭らしいものはないと思うのですが、どうでしょう。
さて、学校です。
「4月生」は、少しずつ範囲を拡げながら、自分の力で歩き始めようとしています。中にはまだまだ、おんぶに抱っこの人も、おんぶに抱っこしてもらっても歩けない人もいるようですが。
そして、そんな時に起こりがちなのは、「迷子」。
昨日も、そんな人が、二人出てしまいました。
午後の授業の時、いつも来ている二人がいません。それで、同室者に、「二人が来ていないけれども、どうしたの」と聞くと、「用事があって、少し、遅れる」と言うのです。でも、この授業には間に合いませんでした。
終わって、職員室に戻ると、教員から、二人から電話がかかってきて、「スマホの地図を見てもわかりません。駅に行きたいです。学校に行きたいです」と言っていたとのこと。どうも、行った先で道に迷い、帰りの駅を求めてさまよっているらしい。
「日本人に聞くようにと教えたのですが、どうですかね。帰り着くでしょうかしらん」との話。
二人のうちの一人は、この近所(寮は学校の裏です)でも、迷子になっていましたから、論外として、もう一人は頼りになると思っていたのに、片方の迷子病がうつったのかしら、彼の方が焦っていたとの話。迷いなれている人は、案外、動じないものなのかもしれません。
まあ、二人は無事に、後半の授業が始まる前に戻って来ましたから、これでまた一つ成長したことでしょう。この暑い盛りに、遠くで迷っていたわけですから。
来日後、3か月は、先輩が連れて行ってくれた先でアルバイトをし、少し日本人との話ができるようになったであろう頃、次のレベルのアルバイトを教えてもらい、今度は自分達だけで行ってみる。これも勉強です。ただし、二人のように、いつもは休まない人であればの話ですが。
何となれば、『初級』の授業はとても大切だからです。一見、変哲もない、単純な繰り返しのように見えても、この繰り返しこそが、これからの「骨」となり、「筋」となるのですから。
これを軽んじて、適当にごまかしていると、『初級』が終わった時点で、「あら、大変」ということになるのです。
この学校では、「非漢字圏」の人が殆どですから、『中級』に入る前、漢字のみならず、文法も『初級』の復習と『中級』の導入とを兼ねた授業を1か月か2か月ほどすることにしているのですが、その時、「思い出せない」のです。
1回目に習ったことは誰でも、すぐに忘れてしまうものなのです。ですから、それを忘れていても、誰も責めはしません。2回、3回と、(毎日の復習以外に)適度な間隔をおいて、繰り返していくことによって、初めて身につけられるのですから。
だいたい、初めて習った時なんて、何が何だかわからなかったでしょうね、懸命に口頭練習をしていても。ところが、日本での暮らしが長くなり、日本人と話す機会も増え、暮らしのことも少しずつ判ってくると、「ああ、そうか」と合点がいくようになる。ヒアリングも同然のことながらよくなってくる。「その時に、もう一度」というのがいいのです。
とはいえ、『初級Ⅱ』が終わる前に、夏休みというのが入ってくる。この夏休みをどう乗り切れるかで、これからが決まると思うのですが、さあ、この人達はどうでしょうね。
日々是好日