日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「台風襲来」。「『青』と『緑』」。「『研究テーマ(大学院)』を考える」。

2009-08-31 08:12:51 | 日本語の授業
 早朝、一時、止んでいた雨が、また重く降り始めました。昨日は、パラパラと来たり、突然止んだり、また降ったりと、あてどない様子でしたが、今日は、本格的な「台風の雨」になりそうです。

 路上で、真正面から、雨や風に打たれていた「アサガオ(朝顔)」は、頭を下げたり、ラッパの口を閉じたりと、随分項垂れているように見えました。が、木々の蔭や建物に庇われているものは、いつも通りの清けさで、雨や風などどこ吹く風という有様。儚げな花ながら、ちとふてぶてしくさえ思われます。一方、「ムクゲ(木槿)」は、まだ目覚めていないかのよう。花びらをしっかりと閉じて挨拶さえしてくれません。目覚めるためには、お日様の光が必要なのかしらん。では、今日一日は、風に全身を揺らしながら、おねむで終わりでしょう。

 来る時は、まだそれほど雨が強くありませんでしたから、あっちを見たり、こっちを見たりしていたのですが、そうやって歩いていた時のことです。一枚、黄ばんだ木の葉が、フラフラと落ちてきました。思わず、道ばたの「イチョウ(銀杏)」の木を見てしまいます。いえいえ、まだまだ、しっかりとした緑の葉をつけています。「黄葉」になるのは、何ヶ月も先のことでしょう。

 ただ、お盆も過ぎ、残暑と言われる暑さと、秋口の涼しさが交替で来るような時期ともなりますと、一雨ごとに、草木の「冬支度」が進んでいくような気がします。ちょうど、雨に打たれて、燃えるような緑に変化していくのが、春から初夏にかけてであるのと、対になっているのかもしれません。

 そういえば、
「目に(は)青葉 山ほととぎす 初鰹(はつがつお)」(山口素堂)
なんて句がありました。

 「青葉」は、あくまで春から夏にかけて、初夏の緑の色なのです。いにしえの王朝人は、青と緑を分けて見てはいなかったということを、聞いたことがあります。時によっては、「青」という色を借りて来た方が、「山川草木」のイメージを正確に表せたのかもしれません。抽象的な世界と具象的な世界が渾然一体となって表されても、少しも不自然ではなかった人々が羨ましくも感じられます。

 勿論、この「いにしえ人」は奈良朝か、平安前期くらいまでのことで、衒わずに、そうなれた時代に生きていた人々のことです。

 ただ、この、江戸期の「素堂」の句に対しては、同じ江戸期の
「目と耳はただだが 口は高くつき」
という古川柳のほうが似つかわしいのでしょうが。

 さて、学校では、大学院の専門について悩んでいた女性が、やっと自分なりの言葉で語り始めました。「何を研究したいのか」と問われた時に、人の言葉で、人の経験を語っても、何にもならないのです。それは、「今まで何を勉強してきたか」を語っているに過ぎないのですから。高校までは、高校までの勉強の仕方があります。大学では、二年までと三年からでは、学び方が全く変わっていきます。三年からは、いわば、大学院を目指す人にとっては、その予行演習といえるかもしれません。高校までの勉強のやり方と同じようなやり方でやろうと思っても、日本では認められないのです。自分の意志で、研究するものを決めなければなりません。ですから、それができない人は、まず、「自分捜し」から始めなければならないのです。どうして、自分はこの専門を選んだのだろう。何がやりたくて、大学院へ行こうと思ったのだろうと、それが判らなければ、意味がないのです。

 日本人からすれば、どうして、研究するものを見つけていないのに、大学院へ行こうとするのだろうと不思議に思われるのですが、これは、教育の体制が違うのですから、しょうがありません。個人で決めることができる範囲も分量も、先進国の方がずっと広く、しかも、多いのです。国で、そういう経験をしたことがなかった人たちに、自分で決めていいのだと言っても、直ぐには反応できないのです。

 これが、日本で大学を卒業していれば、二年の後期に自分で、卒論の指導教官を選び(勿論、相手が厭だと拒否したら、他の先生を見つけなければなりませんが)、研究テーマを決め、それに関する文献を読み、或いは、必要ならば、フィールドワークや市場調査などを行うということが経験できているのですが、そういうことをほとんど経験したことがない、或いは出来ない国からの大卒者は、まず、意識を変えてもらうということからしなければならないのです。そうしなければ、運良く、研究生(「大学院」に入る前に、その大学で一年か二年、専門を勉強させてもらい、それから「大学院」を受験するという立場)になれても、おそらく、「修士」の試験には合格できないでしょう。勿論、日本では少子化が進んでいますし、「誰でもいいから、来て欲しい(学費や入学金が手に入りますから)」という大学院なら、いわゆる誰でもいいのですから、入れるでしょう。そのままでも、文句を言わないでしょう。ただ、(自分で何を研究するかも決められなくて、訊きに来るのですから)邪魔な奴だとか、うっとうしい奴だとかいったふうには見られるでしょうが。

 この中国人の彼女は、そういうタイプではありません。おそらく中国でも、勉強が出来て、しかも、先生の言ったことを素直にやってきた」という、まじめで、勤勉な学生だったのでしょう。けれども、大学院に行って、研究したいという学生は、ある意味では、わがままで、ある程度利己的でなくてはならないのです。皆が皆そうでなければならないというわけでもありませんが、周りばかり気にしているような人は、なかなか大成できないのも事実だと思われます。

 いい子になろうとか、いい子に見られたいなんて考える必要はないのです。業績とまではいかなくとも、成果を上げられればいいのですから。研究に必死になれば、人を傷つけることもあるでしょうし、傷つけられることもあるでしょう。しかしながら、好きなことが研究できる立場にある、このことだけに満足して、一心不乱に研究に立ち向かっていかなければならないのです。そうでなければ、中国で大学院に入った方がずっと楽です。言われたことを、これまで通りやっていればいいのですから。

 日本で大学院に入るということのメリットは、研究テーマを自分で決められると言うことにあります。それを見つけ出せない人は、日本の大学院を目指しても、途方に暮れるだけだと思います(勿論、今私が言っているのは、レベルの高い大学院でのことです)。

 彼女は、先週の末にやっと明るい顔になれました。ただ、まだまだ「とば口」と言ったほうがいいでしょう。木曜日に一つ「見つけた」と言いに来たのですが、まだまだ序の口です。あと一ヶ月か二ヶ月の間には、それが、変わる可能性の方が大なのです。本を読みながら、「これなら、私も経験ある。そうだ。あの時、こんなことを感じたのだった」と自分を、新たに見出していく過程で、見つけた(専門に多少関係のある)一つの出来事にすぎないのです。けれども、それでもいいのです。そういう習慣がこれまでなかったのですから。そうした発見を、いくつもいくつも重ねて、そうしてやっと、本当にしたいことが見つけ出せるのでしょうから。

 特に彼女の場合は、いろいろないきさつがあり、私たちの学校で預かったのは、今年の四月からでした。普通の学生達は、二年間を、ここで過ごしています。その間、(中国人学生のことは、ある程度私たちには判りますから)最終的な彼らの目的のための、指導を受けているのですが、彼女は、それを受けずに、いきなり、大学院のための指導に入ってしまったのです。これは、日本語が出来ればいいというものでもないのです。それでは終わらない、きめの細かい指導をしておかなければ、大学院に入ってからが大変なのです。

 まあ、それはともかく、本当にしたいことが見つかるまでは、「出来た。見つけた」という結果報告(?)に、一つ一つ返事をしていくのが私の役目になるでしょう。また、「この先生は怖い。先生の処へ行くのが怖い」と思われては、元も子もありません。気をつけないと…。

 ただ、勉強や研究に関することでは、優しく親切にしているだけでは、だめな部分も少なくないのです。厳しく、追い詰めて、追い詰めて、とことん追い詰めて、途方に暮れるといった状態にまでさせて、それから、「どうしたらいいのか」を自分なりに考えていかなければならないのです。こういうことは、人が教えられることではないのです。自分で発見しなければならないのです。何でもそうです。まず、自分捜しをしなければ、人は新しい一歩は踏み出せないのです。

日々是好日
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「夏」。「就学生が一人もいない『初級クラス』」。「日本語学校の特色」。

2009-08-28 08:57:02 | 日本語の授業
 今朝も「秋晴れ」と言いたいところなのですが、同じ上天気でも「秋晴れ」なんてとんでもない。この暑さは夏です。夏の暑さがぶり返し、朝からギンギラギンの太陽が照っています。向かいにあるマンションの窓からの照り返しも、かなりきつい。太陽の「N字」攻撃です。おちおちブログも書いていられません。その上、右横からは、白いマンションの壁に反射した光が攻めてきますし…。

 こう、あっちからもこっちからも、光攻撃でやられてしまいますと、どうしても、「お天道様」を恨みたくもなってしまいます。けれど、「お天道様」を恨むなど、ああ、もったいない、もったいない(「お日様」がなければ、野菜も育ちませんし、お米を食べることもできません。人間も直ぐに病気になってしまいます)。本当は、こういう気持ちを抱くことすら、「お日様」に対して、申し訳ないのでしょうが…。ところで、この、三四日の「秋」の前は、こういう光に毎日晒されていた…はずですよね。どうしてあの時はそう感じなかったのかしらん。我ながら不思議です。

 さて、学校です。
 今朝も、水遣りから一日は始まりました。フンフンと楽な気分で水を撒いていますと、花の間から、うらぶれた「シジミチョウ」が二頭、フラフラと出てきました。顔を見ても、その疲れ具合が判るはずもないのに、どうもやつれた様子に見えてしまいます。もしかしたら、ホースの水を浴びるまで、眠っていたのかもしれません。水をかけられて、目を覚ましでもしたのでしょう。その上、水の、あの勢いですから、堪えられなかったのかもしれません。そう考えると、申し訳ないような気持ちで一杯になりました。悪いことをしてしまいましたね、チョウチョウさん。

 それから、「初級」の「Eクラス」です。つまり、このクラスは、本来、「七月生」のクラスであるはずなのですが、「七月生」として来日した学生が、すでに「三級レベル」であったこともあり(この一つ上のクラス「Dクラス」に入ることになりました)、この「Eクラス」には、「7月生」という就学生は一人も入っていません。

 それで、この8月24日からの新学期には、休み前から在籍していた二名と、一ヶ月ほど前から、また勉強したいと申し込みに来た女性(この中国人女性は、六年ほど前に、一ヶ月ほど勉強していたのです)の、併せて三名から始まるものと、(休み前は)考えていました。

 ところが、そのうちの一名(14才のタイ人)は、休みの間に、中学校に行けることとなり(実は、前々から、こういう日本語学校へ来ていても、義務教育段階の子供の身になってみれば、辛いことである。出来るだけ早く、学校へ戻した方がいいということは、親御さんにも話してありました)、二名から始まるはず…だったのですが、それが、先週一人、今週一人の申し込みがあり、今学期は、四名で始まることになりました。

 こういう、民間の学校は、「就学生(大学、大学院、或いは専門学校を目指す)に日本語を教え、進学指導をする」というのが、主な仕事のはずですが、この学校は、外国人が多い地域に建てられているということもあり、クラスの半分くらいが、就学生ではなく、在日の人であるということも、少なくないのです。それも、最近は、高校生段階や、中学生段階の人まで入ってくるようになりました。

 勿論、義務教育を受けるべき年齢の者が、ここにどれだけ長くいても、「中卒」にはなれませんし、また、同年齢の友達がいて、一緒に遊べるというわけでもないのです。それに、高校を卒業していない者が、ここにいるだけで(高卒者)になれるというわけでもないのです。つまり、そういう人たちは、日本語だけではだめなのです。義務教育を受けるべき年齢の者は、出来るだけ早く、学校に帰せるようにし、また、高校を卒業していない者は、通信講座なりを受講できるレベルにし、できれば、高卒の資格を取れるようにする。そういうことも、いつの間にか、こういう学校の仕事の一つになってしまっています。

 ただ、手を広げすぎて、人手が足らなくなるという不安はあります。人も学校も万能ではありませんから。それに、いくらそうして欲しいと言われても、そういうことにまで、幅広く手を出しすぎて、本来ならば、大学や大学院に入れてやらねばならない人たちに影響が出てしまっては、何のための学校か判らなくなってしまいます(勿論、みんな心配しないでください。ここにいる学生、来る予定の学生の面倒は、しっかりみます)。とはいえ、高校まで卒業させておかないと、将来、一人で、この日本で生きていくのは難しくなるでしょう。何と言っても、彼らにとっては、日本は異国なのですから。

 さて、話を元にもどします。「Eクラス」です。
 こういう「初級クラス」は、途中から入ってくる人が多いので、初めは人数が少なくとも、開講しておいた方がいいのです。去年の「初級クラス」もそうでした。あれよあれよという間に、人が増えて、おまけに、卒業するはずだった人(他の日本語学校から来た人で、途中から入ってきたので、ヒアリングが弱かったのです)まで、「まだ、いたいから」と居座ってしまうような有様でした。

 実は、この人には感謝しているのです。叔父さんですから、若い人たちにいろいろな話をしてくれました。初めからこの学校で勉強している人たちは、他の学校のことを知りません。どこも、ここと同じだと思っています。ところが、違うのだということがわかってびっくりするやら、感謝してくれるやら…(これは、自画自賛です。うぬぼれかな?)。若い彼らには、比較できるものがありませんから、実際の処がわからないのです。まあ、それも無理からぬ事ですが。

 それを聞いて、まじめな人は、ホッと胸をなで下ろし、学校で適当にやっておけばいいとか、アルバイトが主であったような学生は、羨むというような具合です。

 本当に学生を日本へ紹介する機構は、ちゃんとそれを確かめてから、学生を日本へ送って欲しいものですね。この学校に、遊びが主であったり、働くことが主であったりする者が来てしまうと、私たちにとっても、彼らにとっても不幸です。お互いに不幸は避けたいものです。

 というわけで、この学校では、まじめに勉強をしたいという学生を募集しているのです。

日々是好日
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「秋晴れ」。「開放感」。「言葉の遊戯」。「「読解プリント」。「黒いヒメヒマワリ」。

2009-08-27 08:01:45 | 日本語の授業
 今朝は、秋晴れです。全くの上天気。光に反射して辺りがキラキラしています。遠く彼方に、一筆でさっと刷いたような、ちぎれ薄い雲が見えるのですが、それも微かなもの。まずは、青一色とでも言うべき空でしょう。

 昨日の午後、授業のため、一階に下りていくと、「Dクラス」の学生が、ガラス戸を開け放っていました。そして、「先生、気持ちがいいです。私は好きです。いい匂いがします」と、ニコニコしながら言います。私は思わず、クンクンと匂いを嗅いでみたのですが、何の匂いもしません。怪訝そうな顔をしてみせますと、「風がいいです」。

 ともかく、爽やかな風で、これまで、冷房に鎖されていた教室で、授業を受けなければならなかった彼にしてみれば、風が感じられる処にいる、即ち、極楽だというわけで、それが「いい匂い」という表現になったのでしょう。

 夏休みの前は、「後、幾日経つとお正月」の気分で指折り数えていたくせに、休みが始まってしまうと、彼らとしても、随分学校が恋しかったようです。二週間の休みのうち、何度か来られた学生は別にして、アルバイトを詰めていた学生は、新学期が始まると、少し早めに学校に来て、食事を済ますや、職員室に上がってきて、何やかやと話したがります。他の学生達が来るまで、恋々として教室に下りて行こうとはしません。

 とにかく、友達と話したい、教師のだれかと、無駄話をしたいといったところなのでしょう。

 このクラスでは、一人ひとりの欠点を見つけては、「(私が)あげつらい、(学生達が)あげつらわれる」ということが恒常化しております。一人の学生も逃しません。この「一人も逃さないで、あげつらう」というのは、傍から考えるよりも、かなり難度が高く、普通の教師はなかなかまねができないところなのです。というふうに、私は自負しているのですが、そういうやり方で、追い詰められて(日本語が)上手になった「Aクラス」のおしゃまさんたちは、今、やられたのと同じやり方で、私をとっちめてやろうと、日々待ち構えています。つまり、これは、必ず我が身に降りかかってくることなのです。やる方も、彼らが卒業するまでは、緊張状態が続きます。教師の方でも、体力が、ある程度なければ、続けられることではないのです。


 まあ、これは、例年のことなのですが、この「Dクラス」の誰にとっても、今、あげつらわれているのは、明日はわが身ということになります。そういうわけで、それならば、先に、人様をあげつらってやれと、牙を研ぐというのが習わしのようになっているのです。最初は、当然のことながら、「自分のことをあげつらって、苛めた」私(教師)が、その対象となります。日本語のレベルが上がってくると、互いに、「やられたり、やり返したり」というのが出来るようになるのですが、まだまだ、乳歯が生えてきたくらいですから、そううまくいきません(けれど、うまくいった時は、本当に嬉しそうです)。

 私に、的を絞って、皆でやってやろうと努力(?)しても、(日本に来てから)まだ半年も経っていないのですから、牙の研ぎ方も甘く、返り討ちにあってしまうのが常だったのです。ところが、それも、夏休み前と後で少し変わってきました。休みが明けてみると、あろう事か、以前私がよく使っていた手で、攻めて来るではありませんか。もっとも、まだまだ下手ですけれどもね。そんな甘い攻め方で、私が音を上げるであろうと思うなんておこがましい。そんなのは、百本束ねてきたって、私にしてみれば、屁の河童。

 それどころか、「どんどん来い。どんどん来い」と、こちらは余裕たっぷりの態度を見せつけてやります。とはいえ、彼らの成長が、ある意味では嬉しいものですから、負けて見せてやりますと、中には図に乗って、下手な攻め方で、攻めてくる輩が出てきます。下手なのはだめです。そこは、一本投げ、また蹴手繰りなどの技を使い、片っ端から潰してやります。

 何と言っても、教師ですからね。ここは私の土俵の上です。初めから勝負ありなのですから。と、のんきに構えているわけにも生きません。力の差を見せつけておかないと、あら探しばかりに長じて、その手段に頼って言葉を磨こうとする「Aクラス」のおしゃまさん軍団と同じになってしまいます。まあ、このクラスは平均年齢が、彼らよりも三四歳高いので、そういうことはないでしょうが…。

 この「Dクラス」も、もう「初級Ⅱ」の教科書の40課に入ります。10月からはそろそろ「非漢字圏」の学生にとっては大変な「中級」レベルに入っていきます。そのためにも、少しずつ「読解」問題をしていかなければならないのですが、夏休みに学校へ来て、そういうプリントを読んでいたのは、中国人の学生ばかりなのです。本当に来て欲しかった「非漢字圏」の学生は、ほとんど来ず、来ずとも大丈夫と思われる中国人学生ばかりが、学校へ来て、一生懸命勉強していたのですから、なかなか思うようにはいかないものです。

 と言うわけで、今週の金曜日から、「読解(と言いましても、初級レベルの読解です)」プリント」を渡すことにしました。初めは「非漢字圏」の学生だけにやるつもりだったのですが、この二三日の様子を見ていますと、休み中に来られなかった中国人学生が、休み中のプリントを、他の人から借りてやっていたのです。そして、答えを教えてもらいに、職員室にまで来たのです。「あれれ、中国人もしたいのかな」と少々驚きましたので、昨日の授業の時に、「やりたい人はいるか」と聞いてみたのです。すると、スリランカの学生を除く皆が手をあげました。「勉強だよ、宿題なんだから。やるつもりがない学生は手をあげないで下さい。先生たちは忙しい」と嫌みを言いますと、「します。します」。そのうちに、「先生、私も欲しい」とスリランカの学生までが言いに来ました。

 そこで、「今までの宿題をしていない人は、それが終わるまで、渡さない」ということ、それから、「来週の月曜日に提出できなかった人は、次のは渡さない」ということを約束してもらいました。

 ちょっと「かわいそうかな」とも思ったのですが、まず、「毎日の宿題」です。それが出来る人が、更なる高見を目指すために、上のレベルの問題をさせるというわけですから、宿題すらできない人には、こういうプリントは関係ないのです。別に出来ないのに、同じクラスだからという理由で、皆が同じ宿題をやらねばならないということもないのです。

黒いひまわり


 さて、どれほどの人が今までの宿題をやって見せてくれることでしょう。中には二冊目に入ってから、余り提出していない人もいたようでしたし…。

 ところで、前に中国人のYさんにいただいた黒い「ヒマワリ(?)」が咲きました。「ヒメヒマワリ」のような小振りの花なのですが、不思議な美しさですね。一緒にいただいた白いアサガオは今週から咲いて、今日も、優しげな明るさを放っているのですが、もう一種が、黒い花だったとは…確かに変わった花だとは聞いていたのですが。

日々是好日
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「コメツキバッタ」。「民族の記憶」。

2009-08-26 07:54:38 | 日本語の授業
 「処暑」を過ぎたとはいえ、まだ八月なのです。それが、虫の音はともかくとして、木々や花々の色まで、水底で静まりかえっているように見えるのはなぜなのでしょう。こうなってしまうと、「夏は暑くなくっちゃ。残暑は残暑なりに、過ごしにくくなくっちゃ」などと騒ぎ立てたくなってしまいます。

 今朝も水遣りの時に、「コメツキバッタ(本名はショウリョウバッタと言うのだそうです)」を見つけました。水をかけられるのが厭なのか、飛びだして、横のブロック塀にへばり付いてしまいました。

ところで、この「コメツキバッタ」も、私の中では、「秋の風物詩」の一つなのです。

コメツキバッタ


 子供の頃、近くの公園の中に、芝を周りに敷いた広場がありました。その芝が秋になると枯れて、虫取りの絶好な穴場となるのです。虫を捕まえるのは、簡単です。そこここを、軽く手ではたけばいいのです。一番多いのは、この「コメツキバッタ」でした。サッカーをしていても、鬼ごっこをしていても、何をしていても、だれかが「虫だ」と言って、魅し取りを始めると、直ぐにみんな夢中になって、あちこちで「パタパタ、パタパタ」とはたき始めます。

 大きいのが飛び出した時は、ちょっと息を呑み、小さいのは直ぐに捕まえるというのは、おそらくいつの時代でも同じでしょう。飛行距離の長い「トノサマバッタ」が飛び出した時は、感動ものでした。飛ぶ時の音で、なぜか、子供の闖入を怒っているように感じられたのです。さすが「殿様」です。見上げた根性の持ち主は、カマキリでした。人を見ても怯えるどころか、反対に、グイと睨み付けるのです。そして、釜のような手を持ち上げ、脅しにかかるのです。かく言う私も、一度捕まえようとして、ガブリとやられたことがありました。それからは、見つけても「桑原、桑原」状態でした。虫とはいえ、なかなか子供が簡単に手を出していいような代物ではありませんでした。

 彼らは、枯れ草の匂いと共に、私の中に存在しています。お盆が過ぎて、海にも行けなくなり、子供が公園に戻ってきた時に、迎えてくれ、遊び相手となったのが彼らだったのです。全く、虫たちにとって見れば迷惑な話でしょうけれど。

 夏休みに、山に連れられて行った時、「ナナフシ」や「シャクトリムシ」を見つけたことがありました。あの姿を見たら、きっと誰でも歓声を上げてしまうでしょう。本当に「節」があるのです、「ナナフシ」には。また、「シャクトリムシ」は、一尺、二尺と数えながら伸び縮みしているように見えるのです。

 つるべ落としに、秋の日が沈む頃、さて、ススキを見ながらの帰宅です。子供の頃は、学校でも家でも、「お月見」という行事がちゃんと生活の中に組み込まれていたような気がします。今は、スーパーで「お供え」を買えば、あとは月の出を待つだけという具合ですけれど。

 今、学校には、「民俗学」を大学院で専攻したいという学生がいます。「民俗学」というのは、「民族の記憶」を辿っていかねばならぬ部分が多々あるように思われますのに、それが彼女には希薄なのです。実体験の中に「記憶」に通ずる部分がほとんど無いのです。抽象的なとらえ方では、「本を読んだ。面白かった」で終わりになってしまい、研究には結びつきません。それが、判っているようには感じられないのです。これは、理屈ではないのに、彼らは、理屈に過ぎないことのように思っているようで、私としても、なかなか次の「一歩」が踏み出せないのです。「肌身で感じたこと」がない限り、これは何であってもいいのですが、彼ら自身による「一歩」は始まらないのです。

 「性格」と言ってしまえば、簡単ですし、ある意味では、確かにそうなのでしょう。ただ、日本人には、誰にでも、おそらく故郷を持たないといわれている、大都会の「マンション生まれ、マンション育ち」の若者であろうと、身体が覚えている部分が、どこかしら、あるであろうに、彼らにはそれがあるように感じられないのです。

 必死で漢族と伍していこうとしてきたからでしょうか、それとも、その中で生きていかねばならぬから、無意識のうちに、「民族の記憶」を消してきたのでしょうか。改めて自由になり、「(民族の)記憶」があることで、優位に立てるはずなのに、振り返ってみると、自分には失われており、再生が出来なくなっているような状態だとでも言うのでしょうか。

 抽象的には、己が民族に対する「誇り」と「あこがれ」があろうと、一旦失われたものを、自らのうちに獲得し直すというのは、大変な作業です。本当に最初は小さなボタンの掛け違いであり、思い違いであったとしても、それが一年、二年、十年、二十年と経ってしまえば、異なった記憶に押しつぶされ、またそれが積まれていけば、本来の民族の記憶をどこに押し込んでいくことができましょう。自分の中から、自分の民族と重なり合う部分が、どんどん少なくなり、薄れていくしかないのです。

 私のような日本人であれば、記憶のどこを切り取ってみようと、民俗学に通じるといえばいえるような部分が出てきます。ところが、そうはいかないところに、抽象的に生きざるを得ない彼らの悩みがあるようなのです。

 ただ「人生とは、その人が意志した程度にしか意味を持たないものだ」とか、「ある人々は意志し、ある人々は、戦わずして諦めていく」とか、言われています。
やると決め、そのつもりで日本でやり直すつもりなら、至らないところを素直に認め、歩んでいくしかありません。

「なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは 人の なさぬなりけり」
も、確かに真実なのですから。

 まず、意志したら、突き進んでいくしかありません。ほじくり返す過程で、バッタが飛び出そうと、ミミズがのたくろうと、気にしてはなりません。「目的は一つ。やり抜く」という気概を持って、まずは、書物をひもといていくしかないのです。

日々是好日
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「ゲリラ豪雨」。「日本と中国の大学、大学院」。

2009-08-25 08:22:12 | 日本語の授業
 どうしてこうなのでしょう。まだ八月だというのに、今朝の涼しさは「秋」です。
「そよりとも せいで 秋立つことかいの」  (鬼貫)

 昨日の帰りも、耳に感じるのは、もう「セミ(蝉)」の声ではありません。公園や空き地の草むらから、秋の虫たちの「四重奏」、「五重奏」が響いてきます。上から降ってくる「セミ」たちの叫びではなく、地の底から湧き、目の高さから波打って迫ってくる、大地をとよます声なのです。もっとも、一つ一つは、「チンチロリン」と遠慮がちであっても、なにせ、大軍ですからね、つんざくようなと思えることもあります。

こんな風ですから、もう全くの秋になったと思ってもいいのでしょうか。とは言え、このように明け方が涼しくなり、人もぐっすり眠れるようになると、いよいよ泥棒さんの出番ですね。別に待っていたというわけではないのですが。虫の季節があれば、泥棒さんの季節もあるようで…皆さん、戸締まりには、気をつけましょう。

 ところで、昨日、午後2時を過ぎた頃でしょうか、突然激しい雨が降り出しました。それまでは、本当にいいお天気で、しかも、大陸から来た乾燥した空気が、関東を覆っていましたのに、なんということでしょう。バラバラと、重い大きな音を立てて降ってきたのです。その音がした途端、職員室にいた教師の一人が、弾かれたように「ゲリラ雷雨」と叫んだかと思うと、窓をガラリと開けました。そして、窓に貼り付いたまま、空を仰ぎ見て、「向こうの空は晴れている。雲が切れている。降っているのはここだけ。やっぱりゲリラ雷雨」と、さも嬉しそうに言ったのです。

 昨日は、幸せにも、「雷様」のお出ましはなかったので、「雷雨」ならぬ「豪雨」で終わったようでしたが。

 思えば、昔は「馬の背を分けるような俄雨」とか、「通り雨」とか言い、イメージも「歌川広重」の「東海道五十三次絵」のようなものでした。これは「浮世絵」ですから、色が、油絵のように重くないのです。遠近法を取り入れているといっても、そこはそれ、版画ですから、いかにも軽やかで、平面的です。それが風や雨を捉えるのに適していたということもあるでしょう。これこそ日本の雨と感じられるようだったのですが、さてさて、近頃の雨は「ゲリラ」ですからね、余り穏やかとは言えません。ほんに昔はおおどかなものでした。
「本降りになって 出ていく雨宿り」(古川柳)

 この古川柳のとおり、休憩時間になって、慌てて、裏の寮まで走った男子学生がいました。理由を聞くと「洗濯物が…」。近いと言うことはいいことですね。と言っても、もう間に合わなかったような気がしましたけれど…。

 さて、この卒業後の学生たちの進学のことです。昨日、日本の大学や大学院の様子について、少し説明をしました。午前は「AB合同クラス(去年の7月、或いは10月に来日」と、午後は、中国人学生の多い「Dクラス(今年の4月、或いは7月に来日)」にです。

 以前、漢族の学生が多い頃には、最後には、収まるべきところに収まっていましたので、それほどの勘違いや思い違いといったものもなく(勿論、いつでも、自分はすごいのだと自信過剰、夜郎自大の人はいました)、大学に行きたい人もそれなりの大学へ、大学院へ行きたい人もそれなりの大学院の研究生になれていたのですが、今年、来年は、少々大変だぞということに、この夏休み中、気づいたのです。

 それは、同じ中国人であっても、民族が違うことから来ているような気がします。或いは、民族系の大学を出ているかどうかということでもありましょうか。漢族の学生に比べ、中国にいる時の(日本の大学、乃至大学院に対する)情報量が少ないのです。また、民族系の大学で四年間勉強していますので、ある意味では、自分の民族に対するプライドが、思いの外、高いのです。

 自分の民族に誇りを持ち、伝統文化を守り、それに殉じていくというのは、すばらしいことなのですが、それも度を過ぎると、いい方向には廻らなくなります。若いうちに、それに凝り固まってしいますと、外に出た時(ここでは外国、即ち日本です)に、本来ならば吸収できるような知識まで、色ガラスで見てしまい、ストレートに入っていかないのです。学ぶ上で、「限界」が、他の人たちに比べ、早く来てしまうのです。限界を自分で作ってしまっているといった具合なのです。

 何が何でも、「民族の枕」を被せたがってしまうのです。そういうプライド(当然、日本では通用しません)と、「自分の国の大学院の試験はこうであるのに、日本ではなぜ」ということから来る迷いで、にっちもさっちも行かなくなってしまっている人が出て来る可能性が高いのです。

 この学校に二年もいれば、その間に、前の学年の学生達の様子を見たり、話を聞いたりして、自分の番が来ても落ち着けるのですが、今年来たばかりの学生で、来年卒業を目指している学生の場合は、そうはいきません。まだ、頭も身体も、彼らの祖国の故郷の大学そのままなのです。

 その人に話を聞いた、「Dクラス(今年の四月生)」の学生が、「中国では、大学で何を専攻していても構いません。大学院の試験に通ればいいのです」と言いましたので、「では、大学で四年間勉強していた学生と、全く勉強していなかった学生の学力の差はないの?どっちでも同じということは、そんなに大学で勉強することのレベルが低いの?」と聞き直しますと、黙ってしまいましたが。

 彼らの国では、「卒論」と言いましても、それは、日本の大学で、学期末テストの試験代わりに出させる「レポート」並みのもの(卒論は半年で書きます。つまり、大したものは読めないまま、書いて提出してしまうのです。なんといっても、たかが、半年ですよ。時間がありませんから、読めないのです。当然のことながら、考察云々は、あまり威張れるようなものではありません。しかも、引用したものか、自分の意見なのかの区別すら、ついていないのですから。)でしかありませんから、大学で、ある分野を専攻したと言っても、総花的なもので、大した内容ではないのかもしれません。特に人文科学や社会科学系の分野においては。

 日本では、大学二年までで、一般教養、或いは、専門に関するものであっても総花的なものは終わり、三年からは、指導教官を選び、主に卒論書きのための準備に入る。勿論、講義は受けるけれども、専門性の高いゼミなどに参加したり、週1で開かれる研究室の勉強会などに出て、卒論書きに関連のあるもののために費やされるのだと言っても、ピンと来ないようなのです。大学院の試験では、この卒論のテーマや内容がとても重視されると言うことも、自分たちが書いた卒論のレベルを思えば、そのことの重要性はもとより、大体がその意味すら判らないのでしょう。

 漢族の場合も、一年ほどは、それに近い状態ではあったのですが、現実的な人たちのことですから、「これじゃあ、日本では通用しない」と言うと、「じゃあ、どうすればいい」と来ます。「こういうふうにすればいい」と言うと、「わかった。そうする」と、初めは不十分ながらも、時間が経つにつれ、様になってきます。そうやって、それなりの時間内で、どうにか出来ていたのですが、この人たちは、(彼らのようには)そううまく臨機応変に対応できないようなのです。

 それで、本来ならば「ABクラス」だけでよかったのでしょうが、再来年卒業予定の「Dクラス」の学生にまで、少しずつ大学や大学院の説明を始めたというわけなのです。彼らには、まだこういうことを日本語で話しても、意味はわかりませんので、私の拙い中国語での説明となってしまいましたが。

日々是好日
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「今日から『新学期』」。「勉強の習慣」。「アルバイト」。

2009-08-24 08:22:06 | 日本語の授業
 今朝、窓を開けると、冷やっこい風が滲むように入ってきました。もう20年近くも前になるでしょうか、中国を旅行していた時のことです。色の違う川が、一つになるのを見たことがありました。川の色が違うのだと、まずはそれに驚いたのですが、見ているうちに、二筋の川は、初めは寄り添いながら、川を二分するかのように流れて行き、そのうちに溶け合い、一色になっていきました。

 考えてみれば、川の流れが急でなければ、土の色に左右されてしまうのは当然のことです。また比重も違うでしょうから、急には混ざらないのも当然のこと。ただ、水は透明であると思い込んでいる日本人にとっては、沼や池はともかく、川に色があるなんて、驚きでした。

 風もそうです。目には映らないのに、涼しさや爽やかさを感じたり、甘さや辛さを運んできたりします。「見えないけど、あるんだよ。見えるけども、ないんだよ」などという言葉が浮かんできそうです。

 さて、今日から新学期。みんなちゃんと覚えているかしらん。時々惚けたのがいるので、ちょっと心配です。いつもは来ないくせに、「お盆休み」の時だけ来て、「先生はいなかった」なんて言っていたのがいましたから。

 まあ、そんな学生の方が普通なのかもしれません。却って、夏休み中も毎日学校へ来て勉強していた学生の方が変なのかもしれません。こんなことを書くと、また、「厭な先生」とか、「変なのは、先生のほう」なんて言われてしまいそうですが。

 新学期から「Eクラス(7月生)」に入るため、先週、毎日のように、朝から来ていた中国人の女の子の補講も、金曜日で終わりました。最後に、お母さんも私も「無理をしなくていい。追いつけなかったら、もう一度やればいいから」と慰めたのですが、本人は「大丈夫。頑張る。『Eクラス』について行けるように、来週から午後も残って勉強する」と言っていました。が、下手に無理をしてしまうと、長続きません。慣れない人が、急に頑張るというのも、ある意味では困ったものなのです。

 母国で、「毎日、決まった時間、勉強する」という習慣がついていないのに、日本に来て急にそれをやるというのも難しいことです。これは、中国人だけがそうというわけではありません。日本人の子供が、外国に行って、同じようにやろうとしても無理でしょう。また、来日した、他の国の子供たちもそうでした。ちょうど彼女と同じくらいか、もう少し下のお子さんたちが、そうでしたね。最初はいいのですが、二三日で飽きてしまうのです。

 この学校で学んでいる人の大半は、一年ほどで「一級レベル」に達し、それから、出来るだけ早く新聞や文学、DVDなどを利用して、常識的な社会知識を学んでおかねばならないのです。なぜなら、彼らの目的は、日本の大学や大学院、或いは会社の正社員になることなのですから。ですから、子供向きの、いわゆる、退屈させないように冗談をいったり、遊ばせたりしながらの「日本語教育」はしていないのです。

 それで、まず、こういうお子さんを預かる時に、必ず親御さんの方へ言っておく事の一つに、「大学」や「大学院」を目指している学生の邪魔になってもらっては困るということがあります。本来、中学生以下の子供は、公教育で面倒をみたほうがいいのです、同じ年齢の友達もいますし。ただ、中学はでたけれど、高校には入れなかったという子供たちは難しいですね。まあ、どちらにしても、勉強する、或いは、したいという気持ちがなければ、むやみやたらとは預かれないのです。他の学生達が困りますから。

 それに、中学生や高校生くらいの年齢の人は、まだ「常識的な知識」が入っていないので、日本語の勉強(つまり、「日常会話」が出来るほどの文法であり、単語)であればいいのですが、それ以上に進んでしまうと、もう手に負えなくなるのです。

 今、一人、16才の中国人少年が「上級」クラスにいます。彼は日本語が話せないご両親のために、入管へ行ったり、不動産屋へ行って話したりと、一見日本語が上手であるかのように見えますけれども、実際問題として、「上級読解」は、随分苦労しているようなのです。中国人の場合、そういう知識は、高校を卒業していても、「ない」というのが普通です。まして、田舎の方の中学校くらいでは、大変でしょう。それなりに頑張っていますが、それでも、「授業」は、かなり辛いようです。

 彼も、最初は勉強の習慣がついていませんでした。ただ、素直だったのです。「素直さ」というのは、「学び事」をする場合、何よりの宝となります。ここで勉強する時の「定刻に来て、授業が始まるまで、二時間か三時間勉強しておく」という約束事のうち、彼は、定刻に来るということだけは守りました。私たちもそれでいいと思っていました。勉強した経験のない子供に、時間は守れ、勉強はしろと言っても無理なことです。来てしまえば自習室に籠もると言うことになりますから、多くの時間は自由に使えます。けれども、その時に、勉強している人たちを知ることが出来るのです。朱に交われば赤くなるというではありませんか。

 というわけで、まじめに来るのが精一杯という情況がしばらく続きました。おそらく、初めの頃は、その時に三十分でも勉強していたら、「御の字」だったでしょう。それが、いつの間にか、自分から宿題をするようになっていましたし、予習や復習までするようになっていました。

 これは、皆が、そうなれるというわけではありません。彼の場合は、本来、そういう「まじめさ」を持っていたのでしょう。が、母国ではそうできなかった、つまり、根はまじめだけれども、環境に流されやすいタイプだったのです。

 先日、「中国へ帰っても、故郷には戻らない」とおかしな事を言いますので、訊いてみました。すると、「故郷へ戻ったら、日本へ来る前と同じことになります。悪いことをします。遊びます。まじめにしません。絶対に勉強しません。これは誓えます」。そんなことは誓わなくてもいいと言ったのですが、多分、彼の言ったことは本当なのでしょう。似たような事をフィリピンからきた少年も言っていましたから。彼は17才くらいでしたでしょうか、結局は帰されましたが。

 ところで、就学生たちのアルバイトの事です。「アメリカ発の金融危機」は、もう底入れしたとか言われているようですが、技術もない、日本語もうまく話せないという人たちにとっては、まだまだ「不況」は過去のことではありません。工場の仕事も、日本語がかなり話せる人たちから埋まり、また時間に制限のない日系の人たちから決まっていくので、生活費は自分の力でと考えて来日した、「初級レベル」の就学生たちにとっては、厳しい状況は続いています。

 最近は、こんな人たちまで、日本語が下手だと仕事がないと言って来るようになりました。日本人と結婚して、すでに何年か日本で生活し、日本語も日常会話程度なら話せるという人なのです。

 ここはボランティアの方がやっている日本語教室というわけではありませんので、学費を聞いて、考え込む(この学校より「高い」ところはあるでしょうが、まず、普通レベルです)といった人もいますが、こういう人たちでも、「日本語力」が壁となって、これまでの仕事を失うことにもなってしまうのかと、改めて、この不況の根深さについて考えさせられてしまいました。

 「四月生」でも、まだ仕事が決まっていない学生が何人かいます。「日本語力」が同じくらいであった場合、見た感じが明るくて、気さくな方が、仕事が見つかりやすいというのは、日本人でも外国人でも変わらないようです。ハローワークへ行って仕事を紹介されても、直ぐに断られてしまうというのは、何か他に理由があるのかもしれません。ある学生は、逆上ってしまって、何も聞き取れなかったと言っていましたから、場数をもっと踏んだ方がいいのかもしれません。

 ただ、アルバイトが一つでも決まると、落ち着くようなのです。それまでは、断られるたびに、自分を否定されたように感じて、いたたまれなかったようなのですが、一つでも認めてもらえると、急に自信がついて、もっと日本語を使えるところで働きたいなどという欲も出て来るようなのです。こういう面の「欲深さ」は、芭蕉扇で煽って、火焔山にでもしてやりたいくらい、こちらとしても歓迎すべきことなのですが。

日々是好日
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「日本人は『頑張る人』が好き」。「頑張っているから、皆、助けてくれる」。

2009-08-21 08:28:55 | 日本語の授業
 今朝は風も凪いでいます。暑いな…と思っていたら、急に吹き始めました。私の、この呟きが聞こえてしまったのでしょうか。

 最近は、よく、「セミ(蝉)」が、窓ガラスに当たります。例の、バタバタとしか言いようのない、鈍い羽音でやって来て、バンとぶち当たって、そして、シューとかキューとかいう音を引きずって落ちていくのです。一体、どうしたことでしょう。去年までは、気がつきませんでした。コンクリにぶつかる「セミ」さえいます。鳴き疲れて、方向感覚が狂ってしまったのでしょうか。それとも、これも、末期の「正常なる相」の一つなのでしょうか。

 さて、進学を目指している学生達です。「夏休みはかき入れ時だ。頑張れ」というのは、日本人でも、受験の時に聞く言葉ですが、彼らの今の状態は、正にこれと同じなのです。特に、国立を目指せるかどうかという、ギリギリの線上にいる学生たちにとっては。

 新学期が始まってしまえば、もうまとまった時間がとれなくなってしまいます。その前に、「数学」・「化学」・「物理」・「英語」などを、一通り見ておいた方がいいのです。勿論、これは、すでに「一級レベル」に達している学生たちのことです。まだ「一級レベル」に達していない学生たちは、「上級」の教科書の復習や「一級文法」を覚えた方がいいのです。レベルによって勉強の仕方も変わって来ます。同じように、今年の末から来年の初めにかけて、大学や大学院を受験するからといって、みんながみんな同じ勉強をする必要はないのです。日本語の「読解のプリント」をしたあとは、それぞれが必要とするものを勉強します。

 夏休みなど、かなりまとまった時間がとれる時に、一度、サアッと見ておきませんと、休みが終わってからは、他のことに時間がとられてしまって、結局ズルズルと行き…だめだったということにもなりかねません。とはいえ、ほぼ毎日来ることが出来たのは、結局三名だけでしたね、来年卒業予定の学生のうち(あらかじめ、事情があって来られないといいに来ていた学生は省いています)。

 午前か、午後だけ来るという学生は、復習や受験のために必要な教科の勉強をその時にすれば、もうそれだけで充分なのですが(勿論、日本語を忘れないように、一級レベルの読解は用意してあります)、朝いつも通りに来て、午後もアルバイトまでずっといるという学生には、また別の用意も必要になります。なんといいましても、毎日、勉強かアルバイトというのは辛すぎます。と言って、どこかに連れて行くというのも、本末転倒、受験に失敗したらどうしようもありません。

 それで、彼らが専攻したい分野のDVDを用意しておきました。「経営関係」、「国際関係」、「IT関係」、「観光関係」のものです(この学校は小さいので、大した数の学生はいません。しかしながら、それ故にこそ、目が届きやすく、彼らの希望をあらかじめ聞いておくこともできるのです。つまり、こちらが彼らの希望に即した、「新聞の切り抜き」や「本」、「DVD」なども用意しておくことができるというわけなのです)。

 ただ、去年の10月に来て、まだ「一級レベル」に達していない学生は、この範疇には入っていません。見ても無駄だからです。それに費やす時間があるなら、「上級」の教科書の単語や「一級文法」を覚えた方がまだましです。(見せれば、こういう中途半端な学生は、口を揃えて「判る」と言います。で、画面を消して、音だけ聞かせて訊くと、初めて耳では解っていなかったと言うことが、彼らにもわかって「愕然とする」のです)

 とはいいましても、(すでに「一級レベル」に達していようとも)学校へ来なければ、見せません。当たり前の事です。彼らが努力しているから、私も自分の当然の仕事の他に、努力するのです。努力もせず、約もを守らず、おいしい果実だけ、手を伸ばして「くれ」と言う人間に誰が、一日中その人のために尽くすものですか。辛抱しながら、頑張って決められたことを守っている。だから、こちらもそれに応じる分だけする気になるのです。

 以前、こういう学生がいました。この学校の学生ではありませんでしたが。彼は、アルバイトも頑張っていましたが、学校にもまじめに通っていました。「よく頑張っているな」などと、面と向かって褒めたことはありませんでしたが、その頑張りは、教師たちには判っていました。それで、進学を控えた頃、彼だけには特別に、アルバイトへ行くのが遅い日や、休みの日に、遅くまで指導してやったのです。すると、途端に学校に来なくなりました。個人教授をしてもらえるのなら、それに越したことはない。一見不必要に見える授業に(私たちは、無駄な授業をしてはいません。長い目で見た場合、絶対に役に立つ授業なのです。けれども、アルバイトに疲れているのに無理をしてまで…と思ってしまうのでしょう)他の学生と一緒に受ける必要はない。判らないことは、自分一人教えてもらえる時に聞けばいいと考えたのでしょう。人間とは弱いものです。そういう風になる彼の気持ちもよく判ります。けれども、直ぐに、そういう特別待遇をやめました。

「あなたは、どんなに疲れていても、毎日学校へ通っていた。毎日学校へ来るというルールを守っていたのである。だから、その努力に見合うだけのものを、特別に教えようと思った。これは、大概の日本人ならすることである。努力をしている人には、影になり日向になり助けてやる習慣があるのだ。誰に対しても、そうである。それなのに、最低限の約束を守らなくなった。そういう人には、もう、特別に教えてやる義理はない」
彼は、直ぐに態度を変え、また毎日来るようになりました。当然、私も、引き続き、面倒をみてやりました。

 これは、日本的な考え方かもしれません。そうしてやっても、(してやる人には)一文の得にもなりません。けれども、多分、日本人は頑張っている人が好きなのです。どうにかして、そういう人の力になりたいと直ぐ考えてしまうのです。

 もしかしたら、本人は、誰にも判ってもらえず、自分は辛いと、孤独感に苛まれているかもしれませんが、こう言う場合、必ず、誰かが見ています。そして、その頑張りを応援しています。(本人は気づいていなくとも)挫けそうになる自分を励ましながら、決められたことを必死でやっている人を、誰も見捨てたりはしません。そして、その人を(例え、その場で手を取って助けてくれなくとも)何かの場合に、助けてくれるのです。

 あからさまに助けたり、大声で褒めたりするのは、日本人の癖として、やりませんけれど(わざとらしくて、厭らしく、嫌みに聞こえます)。勿論、その逆の場合もあります。うまくやっていると本人は思っていても、どこかでばれているのです。だれかが見ているのです。どちらにせよ、誰にも認められないと悩む必要はないのです。

 とは言え、夏休みも今日で終わりです。来週の月曜日からは、また、一斉授業が始まります。三四人、新しく日本語の勉強を始めたいという人がいるようですから、多分、「一日授業」を受けに来るでしょう。そして、ここへ通うかどうか決めるでしょう。
 さてさて、毎日学校へ通っていなかった人たちは、どうしていたでしょう。日本語を覚えているかな。もしかしたら、今のクラスはもうだめで、下のクラスへ行かなければならない人も出るかもしれません。どちらにしても、皆の顔を見るのが楽しみです。

日々是好日
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「日本の『風俗習慣』とは」。「日本語学校で行うべき『些末な事』」。

2009-08-20 08:54:59 | 日本語の授業
 昨日までの三、四日の「最低気温」が、25度を切っていたのを、天気予報を見て知りました。「さもありなん」という感じです。ところが、同時に、「明日はまた夏がぶり返す」という予測が立てられていましたので、「つかの間の秋であったか」と、ため息をついてしまいました。けれども、へへへへですね。今朝になってみると、それほどの事はないのです。

 確かに、先の数日に比べれば、ムッとするような熱気を感じないこともないのですが、とは言いましても、やはり、そこはそれ、秋は確実に近づいているのです。

 出勤途上、家々の庭から、はみ出すように置かれている植木を見るにつけても、つくづく、「緑」は「争わない色」であると感じます。花がどういう色であろうと、その色を引き立てながら、なおかつ、秘やかな「自己主張」ができるのです。そんな緑ですのに、壁が「青」であれば、「緑」の服を着た人の魅力を失せさせてしまうとは、不思議なものです。人間の「感性」というものの不思議を思います。でも、きっと、虫には、またそれぞれの色彩に対する感性があり、また獣にも、そういう感性はあるのでしょう。人だけのことではないのでしょうけれど。

 さて、17才の高校生。授業「二日目」に入りました。申し込みの時に、「中高の時の成績は、まあまあだった」と、本人が言いましたし、「好きな教科は、国語(中国語)である」とも申しましたので、「それでは、という授業(つまり、それに見合った授業)」をしてみました。けれども、どうも、「看板に偽りあり」のようでした。

 それで、昨日も一緒に来たお母さんに聞いてみたのです。「成績は、よくなかったでしょう」と。困ったように頷いていましたが、同時に「授業の速度を緩めてくれ」とも言いましたから、それはそれでいいのです。何も速くやればいいというものでもありませんから。この学校のやり方が判れば、それでいいのですから。

 こういう中高生か、或いは、高校を出て直ぐの少年少女の場合、最初、(授業の)速度の手加減が少々難しいのです。はっきり言って、本人は勉強したくはないのですから。親の都合で勉強させられている(親のために勉強しに来てやっている)くらいにしか思っていない子も少なくないのですから。

 今では、日本語をかなり流暢に話せるようになった少年(初めて会った時は14才でした)も、「今だから言うけれど…」という感じで、「自分は親に置いてけぼりにされたのだ(学校に捨てられた)」みたいなことを言っていましたし。

 その上、「態度(躾と言った方がいいでしょうか)」の問題もあるのです。こういう親御さんの場合、「子供に不自由を強いている」という「引け目」があるからかもしれませんが、何でも子供の言いなりになっています。「よかれ」と思ってのことでしょうが、傍から見れば、そういう自分に対する一時的な慰め、つまり、自己満足に過ぎないのですが。で、そんなわけで、世話を焼きすぎるものですから、子供の方では、いつの間にか、世界が自分を中心に回っているくらいに感じてしまっているのです。そういう自分中心の態度も、一つ一つ、注意して変えさせていかなければなりません。勿論、この少女が、これからもずっと日本にいるというならばですが。

 日本語学校では、よく「日本文化」や「風俗習慣」などを教えていると言われています。言われていることは言われているのですが、それで、では、「日本文化」や「日本の風俗習慣」とは何ぞやと問われれば、確とした答えなど、誰にも出せはしないでしょう。どこかしら「鵺の如き存在」なのですから。

 一般に、日本語学校では、「日本文化」と言えば、まあ、着物を着せてやったり、茶道をしてみせてやったりですし、「風俗習慣」などは、「お雛様」や「七夕」行事で終わりになってしまいがちなのです。が、特に「習慣」という言葉は、普段日本人が用いていないことには使うべきではないのではありますまいか。

 面倒かもしれませんが、簡単な一つ一つの「礼儀」、「礼儀」とまでは言わないまでも、「してもらったら、ありがとうと言う」から始まった「一連の日常行為」を、その都度、指導していけば、茶道や華道の「もてなしの心」や、どうしてこういう「作法」をするのかが、自然に判っていくのではないかとも思うのです。「一回『茶道の授業』をした。それで、『文化の授業』をしたことにする」のではなく。

 彼女の場合も、一昨日来た時には、他の学生もいませんでしたし、初めはお母さんがつきっきりでしたので、私も様子見といった具合でしたが、昨日は違いました。彼女が来た時には、既に二三人の学生が来て、自習をしていました。(DVDを見たり、CDを聞かねばならぬ学生には、上の教室を使ってもらいました)

 最初、彼女の(私に対する)態度に、学生はが驚いたり、眉を顰めたり、ちょっと私の表情を窺うような様子をしていましたが、そのうちに、日本語(日本語なら、この少女にはわかりません)で、「先生、大変ですね。」と言い出す始末。昨日来ていたのは、すべて中国人の学生だったからでしょう。

 それで、私も、「今は注意しない。注意して、もう学校へ行くのは嫌だと言い出したら、何にもならないから。日本語の勉強をしなくて困るのは、彼女の方なのだから」と言っていたのですが、途中で考えを改めました。そういう状態のままでいることに、却って罪深いものを感じてしまったのです。とりわけ、今、ここで自習している学生にとっても、あまりいいことではないと思ったのです。

 まず、左手を机の上に伸ばして、その上に顔をおいて、ぐたっとした様子で授業を受けようとしていた彼女に、「姿勢を正しなさい」。すると、案外素直に応じるのです。根は随分素直な少女のようです。

 それからも、戻って来た時に、口にガムを含んでいましたので「授業を受ける時には、ガムを食べない。失礼である」。出させました。

 この日、一人でも出来るところは、一人でCDを聞きながら勉強するようにさせていましたので、9時から5時までの間に、何回か私も中座をしました。(予定では、朝だけ教えることにしていたのですが、そういうわけにはいかなかったのです。態度や動作に注意を要するところが多々あったのです。別に重箱の隅をほじくるつもりはありませんが、日本においては、皆、ある意味では、いつも集団で動きます。団体行動というのには、波長の違う異分子を排除せねば成り立たないという冷たさが伴います。そういう目に遭わないで済むように、最初に少しずつ手を入れていった方がいいのです。鉄は熱いうちに打てとも言いますし)

 これは、彼女だけのことではありません。来日したばかりの学生は、日本語が出来る出来ないに拘わらず、要注意なのです。

 夏休みに、来てまだ一ヶ月くらいしか経っていない「7月生」を例にとってみましょう(「日本語能力試験(三級合格)」の学生)。学校へ勉強に来て、CDを一度借りたとします。借りて使ったら、そのまま教室に起きっぱなしなのです。理由を聞くと、「明日も来て、また使うから」。「これは、学校のもので、あなたのものではない。何かあって、あなたが明日来られなかった場合どうするか。他に使う人がでた場合どうするか。面倒でもその都度、戻さなくてはならない」。

 また、借りたり、戻したりする時のことです。一度借りれば、どこに何があるかぐらいは判ります。そうすると、教師に何も言わずに、持っていくのです。それに気づいて、慌てて注意しに行きます。「借りる時も、勝手に持っていかない。必ず教師に出してもらう。返す時も勝手に戻さない。必ず教師に言って返す」。

 彼女のつもりでは、「先生が忙しそうだったから、そうした」だったのでしょう。けれども、これはだめです。日本には暗黙の約束事が、数多く存在し、それを少しずつ了解していかないと、日常生活にも支障をきたすのです。たとえば、「襖」や「障子」の部屋においても、そうです。紙ですし、しかも、鍵もついていない。開けられるのです。でも、だれも勝手に開けたりしない。親の躾が出来ていれば、子供でもそうしません。変でしょう。大体、見えているのですから。けれども、中にいる人の許しがなければ開けてはいけないし、見えない振りや聞こえていない振りをしなければならないといったことさえあるのです。

 それが、約束事として、「茶道」や「華道」などの芸事、また「能」などの芸能にも通じているのです。少々口幅ったい言い方をすれば。

 「日本文化」や「日本の風俗習慣」を教えるなど、大上段に構える必要などないのではありますまいか。経験はいい。形を見せることも、できれば味わってみることもいい。別に否定はしません。けれど、それのみであって、日常の、些細なことではあるけれども、とても大切なこと(だと私は思います)をいい加減にしていては、本末転倒と言うべきででしょう。

 よくこういう日本語教師を見かけます。学生に対してですが。「また、勝手に○○を持って行っている。それに挨拶もしない。全く、なんていう人たちだろう。だから、○○国人は嫌いだ」

 「また」というくらいなら、一度目にやった時に注意すればいい。何も注意せずに、陰で悪口を言うのも間違っている。また、注意せずして、急に叱るのも間違っている。それに、叱るというのもおかしい。なぜなら、彼らの国では、それが礼儀なのかもしれないのだから。

 こうは言いましても、こういう仕事の大半は、毎日その学校にいる教師の役目なのです。非常勤で、「授業」だけしか参加しない人には、要求すべきではありません。大体、そういう人は学生と意思の疎通もできていないでしょうから、却って、学生との間に、軋轢が生じるということにもなりかねません。つまり、学生の様子や状態を見ながらの注意は荷が重すぎるのです。勿論、それ故に、毎日学校に来ている教師の責めは、それだけ重いということにもなりますけれど。

日々是好日
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「『天変地異』と『戦争』」。「『ヒト』と『サル』」。「学べるのも『平和』であるからこそ」。

2009-08-19 08:40:40 | 日本語の授業
 今朝も、秋風の中での出勤です。遠くに見える公園の木々も、緑の色がすっかり鎮まって見えます。時は人を置き去りにして過ぎていくものなのですね。ほんの数日前に、柳の緑が萌え始めたのに気づいたような気がしますのに、今では生気を失った、ぱさついた葉が音を立てて揺れています。花々の色合いも秋の色に変わり始め、一足飛びに、華やかな紅葉の季節になってしまうのでしょうか。お盆の前には、連続していた台風も、なりを潜め、最近は、その代わりと言っては何でしょうが、毎日のように頻発する地震が、秋の色に染まり始めた日本列島を襲っています。

 古来より「天変地異が続くと、戦争が起こる」と言われてきました。それは事実でしょう。飢えや生計の苦しさに堪えかねた人や国が、ぎりぎりの状態にまで追い込まれた末に、どの方向に向かってしまうかは、これまでの人間の歴史が、それを証明しています。

 「人間の歴史とは戦いの歴史である」ということも、よく言われてきました。もしかしたら、これまで、地球上に生まれた「人の数」よりも、「争いの数」の方が多いのかもしれません。それなのに、賢明であるはずの人は、今だに、それから教訓を読み取れないでいるのです。

 人と人が争うということ、その中でも、最悪の選択とも言うべき「戦争」から逃れるためには、、天変地異が起こった場合、人はどうしなければならないのか、また、国は何をしなければならないか、答えは一つしかないと思われますのに、いつもその答えは退けられてしまいます。「戦わない」というのは、難しいことですし、威勢もよくないからなのでしょう。その答えを導き、そのために一心に、与えられた仕事をしていくだけの才覚も能力も、そして胆力も人々を思う気持ちも、その国の政治家にはないのでしょう。国民のレベルがそうだから、仕方がないと言ってしまえばそうなのですが、それでも悲しいことです。戦争だけは、自分が死ねばいいのでしょうという具合にはいきませんから。他者の死をも、意識しておかねばならない行為なのですから。

 答えは一つ。このことさえ、皆が自覚できていれば、解決策も見いだせるであろうと思われますのに、そうはなりません。皆が一番よく知っているはずなのに、人はどうしても、その理屈に殉じることができないのです。「ヒト(人)」と「サル(猿)」の差というものは、DNAの解析から導き出されたそれよりも、もっともっと小さいのかもしれません。

 戦争や災害に見舞われた地の人々は、
「まず、生きること。恥とは何か。自分には関係ない。たとえ、恥知らずといわれようとも、人の皮を被った獣といわれようと、まず何よりも、生きていくこと」
が、大切だと言います。その通り、「命あっての物種」なのですから。けれども、ここで、盗みや殺しが起こらないように(「サル」は子殺しさえします)、こういう不幸にあわなかった地の人たちは何をすればいいのでしょうか。

 また、人々がそういう道に走らないように、日頃からどういう教育をしておかなければならないのでしょうか。ヒトは「育てられて、人間になる」のです。育てられなければ、人間にはならないのです。社会が、自分たちが望む人間を作り上げていくのです。

 特に、最近は「個人の力」で、どうにかなるといった部分が極端に減ってきました。「社会」が変わるか、あるいは「社会」が手を伸ばさなければ、解決できないことが増えてきたのです。ただ、他の国と比較すれば、そういう大前提が崩れても、日本でだったら、何とか生き延びることはできるような気がするのですが。少し前まで、「幸せ」という言葉が安っぽく感じられていました。ところが、今は、皆が皆、使い古されたこの言葉を求めて右往左往しているような状態です。

その一面で、
「幸せなんて考えたことない。まず、今日の食い物だ。それから、寝場所だ」
という言葉が、戦後、高度経済成長を経た日本で、これほど紙上を賑わしていることはなかったでしょう。これは、途上国から来た人の話ではありません。日本人の話なのです。

「ひだるさ(飢え)と 寒さと恋と 比ぶれば 恥ずかしながら ひだるさぞます」という句を見たのはいつのことでしたっけ。

「世の中は 食うてはこ(糞)して 寝て起きて さてその後は 死ぬるなりけり」(一休 )

 頓知でお馴染みの「一休さん」は、壮絶な一生を送った人でもありました。「水上勉」の『一休』を読んだ時、改めて、(その悩みの大きさに)若かりし頃、幾たびも死を思い、そして、遂げられず、世を逆しまに生きたのも、宜なるかなと思ったものです。

 戦乱の世であった、あの頃の人々の悩みと、今の世に生きる我々の悩みとは、全く違うのでしょうが。ただ、人が人に加える「暴力」というものの、絶対的で最悪のものといえば、それは「戦争」に尽きます。人が人を殺して、それが「誉れ」になるわけですから。戦争は、人が人間的な部分で認めてきた価値観をも、まったく覆してしまいます。英知を授かっているはずの人間が下したものとは思えない代物になってしまうのです。

 ヒトというものは、「プラスの進歩」を遂げる部分と、「マイナスの進歩?」を続ける部分とがあるような気がします。「マイナスの進歩」とは、ヒトが獣よりも小利口に、小狡くなった分、醜くなってしまったところとでも言いましょうか。しかし、人は、自分の中にそれを発見した時、自分を哀れみ、憎むという行為に出るでしょうか、それとも、それに喜びを見出してしまうでしょうか。普通ではない、他の人よりも「優れている?」と思って、「面の皮の厚さ」や「恥知らずさ」に誇りを持ってしまうかもしれません。

 日本語を学ぶため、そして、学んだ後、大学や大学院へ行くため、休みの間も毎日のように学校へ来て勉強している学生達を見るたびに、平和でなければできない事であると思います。まず、外国へ行くこともままならぬでしょうし、来日後、アルバイトを捜すこともできないでしょう。彼らは「国」が面倒をみてやるからということで、外国に出された、いわゆる「エリート」たちではありません。来日後はすべて自分の力でやらねばならないという普通の若者達です。

 戦争は「飢餓」よりも何よりも、「人間の尊厳」を奪います。「希望」や「夢」をも奪います。「尊厳」や「希望」や「夢」を奪われた人間が、人でいられるかというと、私には自信がありません。どのような状態であろうと、人間は「尊厳」を守られていなければなりませんし、「希望」や「夢」を見ることのできる環境も必要なのです。

 日本では、太平洋戦争に敗れた後は、「戦い」という言葉からずっと離れた所で、生きることができました。国民の大多数が、「平和とは空気の如きものである」と思っているという、世界でも稀な国の一つです。けれども、「平和」というものは、守っていかなければ、すぐに崩れてしまうものなのです。ヒトはサルから、まだそれほど進化した生き物ではないのですから。

日々是好日
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「水やり」。「『詩』、『短歌』」。「『感じる』、『思う』、『考える』」。

2009-08-18 08:54:11 | 日本語の授業
 北京の友人からのメールでは、あちらもすっかり涼しくなったとのこと。当たり前の事ながら、季節が移っていくのは、日本だけのことではありませんでした。

 昨日、水遣りを頼んでいた学生が来ていなかったことに気づいたのは、家に戻ってからのことでした。その時は、明日学校へ行ってから、まず真っ先に水を遣らねばと思っていたのですが、今朝、目覚めたのは、もう五時半を随分すぎてのことでした。いつもよりも一時間も遅かったのです。

 実は、教師の一人が、国外旅行から、きのう無事に戻ってきたのです。行き馴れた中国ならいざ知らず、よく知っているというわけでもない地への旅行でしたから、少々心配だったのですが、昨日の午後、無事に成田に着いたという連絡がありました。知らず知らずのうちに、多少緊張していたのかもしれません。その疲れが出たのでしょう。

 というわけで、今朝、学校へ着いたのは、もう7時前後になっていました。こんなにゆっくり来たのは、もしかしたら、このブログを書き始めてから、初めてのことだったのかもしれません。

 まず、自転車を止めて、直ぐに飢えていたであろう植物への水遣りを始めました。私は草木とも相性がよくないので(だれでも育てられるというアロエまで枯らしてしまったことがあるのです)、水遣りは避けまくりだったのですが、そうも言っていられません。それで、「私の毒に当たらないように」と念じながら、水遣りをしました。きっと彼らも、のどが渇いていたので、相手を見ていなかったのかもしれません。ス~イ、ス~イと水が浸みていくのが判ります。そのうちに、水をかけられて、慌てた「コメツキバッタ」まで、植木鉢の中から飛び出して来るではありませんか。何となく上目遣いで、恨みがましく見られてしまったような気がしましたけれど。

 外の水遣りが終わり、学校の中に入り、下の教室の窓を開け、階段の処の花に水を遣っていた時のことです。つい先日まで、囂しく鳴きとよめいていた「セミ(蝉)」の声が、随分遠くから、しかも、弱々しく響いてきました。もう「そろそろ」なのかもしれません。お盆も終わったことですし、虫たちの様相も変わらねばならない頃になったのでしょう。

 ふと「山の蝉鳴きて 秋は来にけり」という実朝の歌が浮かんできました。別にここは山というわけではありません。海沿いの地なのですが、耳をつんざかんばかりに鳴く秋の蝉の声と、弱々しく、それでも細い木にへばり付きながら鳴いている町の蝉の声が悲しくも重なり合ったのです。

 「歌」というのは不思議なものです。どの民族の詩歌でもそうでしょうが、その国の民の心を揺らしてしまうものを含んでいます。共鳴させるための道具のようなものなのかもしれません。勿論、他国の民の心をも動かしもしますが。

 中学生の頃、姉が誕生日祝いにと「世界詩集」と「日本詩集」をセットで買ってくれたことがありました。それまでも、詩は好きでよく読んでいたのですが、中南米やインドの詩人の詩を、意識して読んだのはこの時が初めてだったと思います。この詩集は、国別に詩を並べるといったものでも、詩人ごとにまとめたものでもありませんでした。

 けれども、読んでいくうちに、何人かの詩人の詩に心がスウッと寄り添っていくのが感じられました。中学生程度でも感じることの出来る「心の波」か「表現の波」があったのでしょう。池に石を投げれば、さざ波は立ちます。落ちた処から水の輪が静かに広がっていきます。子供でもイメージできるというのは、大変にいいことです。特に、「翻訳」という濾過機の役割は大きいのです。一旦、この国(相手国)の民の感情や心の動きに添いながら訳すことも必要だと思います。勿論、これは「諸刃の剣」で、下手をすれば、「生まれた詩、そのものの美しさ」を殺してしまうかもしれません。ただ、もし、読んだものが、その国の生の言葉で、しかも、その国の味わいのものだったとしたら、それでも、あんなに心が動かされていたかというと、自分でも判らないのです。

 その時に、国別に好きな詩の数を数えていったのです。すると、圧倒的にドイツのものが多かったのです。自分でも不思議な気がしました。それまでにも、ドイツの童話が好きでしたし、ゲルマンの伝説も好きでした。ドイツの小説家の小説も、確かによく読んでいました。けれども、いえ、やはりというべきでしょう、ドイツの詩も好きだったのですね。

 ただ、この時に、インドの詩人「タゴール」の名を初めて知ったのです。そのあと、中国に留学生して、「魯迅」のものを読んでいる時、久方ぶりにこの詩人の名を目にしました。確かに、あの詩集にあった詩は、宗教的な色合いのものではありましたが、近代人の知性が感じられました。しかしながら、自分と同じ世紀に属する人であったのかと思うと不思議な気がしたことを覚えています。

 ところで、日本の歌です。和歌というものは、「上の句」と「下の句」にわかれていて、「上の句」が「下の句」を誘発させたり、「下の句」から「上の句」が読み出されたりしているのですが、個人的な気持ちからいきますと、なかなか「上の句」が先に浮かぶという具合にはいかないのです。

「あおによし」とか「たらちねの」とかいった「枕詞」があるものは、もうこれは、子供の頃からの、一種の慣れ親しんだ、いわば「習慣」めいたもので、釣られて直ぐに次の言葉が浮かんでくるのですが、大半の歌は、「下の句」の方が、スッと出てくるのです。

 例外は、確かにいくつかあります。それは、かなり即物的なことばが、上下の句に含まれている場合なのですが。例えば、先ほどの「山の蝉鳴きて 秋には来にけり」です。「上の句」は、「吹く風の涼しくもあるか おのづから」なので、例えば、自転車などを漕いでいる時に、風を感じれば、「吹く風の涼しくもあるか」なんぞは浮かんでくるでしょう、けれども、大半は、「下の句」なのです。つまり、「一首丸ごと」すんなりと浮かんでくる、また詠ずることができるのは、稀なのです。一言申し上げておけば、これは、別に年のせいというわけではありません。

 若い頃からでした。つまり、いいとこ取りなのでしょう。「詩をすべて諳んじてみしょう」とか、「歌をいくつ覚えられるか」なんて努力したことはありませんでしたから、好きな歌や詩の一部分を、折に触れ思い出し、それで充分満足できたのです。もちろん、子供の時分は、友人とゲーム感覚で、虚仮威しに覚えたりしたことはありましたが、直ぐに飽きてしまいました。人を偽ることはできても、自分を偽ること、また偽り続ける事なんて、そう長くはできません。

 だからでしょう。自分の中には「感じる」「思う」が主であって、「考える」という作業がズンとわきに追いやられているような有様なのです。「考える」ことも必要かなという時もあるにはあるのですが、流れの中にたゆたいながら、「思い、感じる」ことに馴れてしまいますと、その過程でしか、しかも一瞬という短い間でしか、「考える」に近い行動がとれなくなっているのです。

今の自分の授業もそんな気がします。学生の様子を感じながら、流れていくといった態なのかもしれません。

日々是好日
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「機器との相性」。「土台となる『中国古典』」。

2009-08-17 08:59:02 | 日本語の授業
 朝晩、随分凌ぎやすくなってきました。今(午前6時30分)も、涼しい風が職員室を吹き抜けています。ここまで読んで、羨ましいなと思われた方もいるでしょう。けれども、それは大間違い。少しも、いい気分で書いたりなどしていないのです。それどころではないのです。

 この、私の、コンピュータが「いけない」のです。どうも、この「コンピュータ」は、私のことが嫌いらしいのです。今も、一字打つごとに、数秒(字が)現れるのを待ち、現れた後、定着させるのにまた数秒かかるといった具合で、なかなか思うように書くことが出来ません。昔のワープロであれば、(そんなものでしたから)待てたのですが、最近の機器は、頭の中の流れと同じくらいの速さで、(字が)現れるのが普通ですから、却っていけないのです。

 「彼らも(機器)も、もしかしたら、(私という)相手を見て、こんな行動(反応)を示しているのではないかしらん」などと、ついつい、勘ぐってしまいたくなってしまうのは、わたしだけなのでしょうか。そう言えば、随分、昔、やむにやまれぬ事情から、自動車の運転をしていたことがありました。その時も、こんな具合でした。人は「機械のせいじゃない、運転の下手な人のせいである」と言います。けれども、どこか、違うのです。それでは、解決できない何かがあるのです。わたしも、相手(機器)の反応を見ようとするのですが、彼らは彼らで、何かに覆われていて、本心を見せようとはしないのです。まあ、実際問題として、私は、この「運転する」というのが、嫌で嫌で、本当に嫌でたまりませんでしたけれども。

 明日は運転しなければならないとなると、何事にも無頓着なくせに、急に神経質になって、その夜から食べられなくなるのです。当然の事ながら、当日の朝も食べられません。もう嫌ですね、あんなのは。運転しなくてもよくなってから、すぐに免許証も返上しましたし。

やっと、ああいう「複雑な存在」から逃れられたと思っていたのに、現代に生きる人間というのは、困ったものです。逃げても逃げても、ああいう存在から、切れることが出来ません。思わず「悪縁」とか「腐れ縁」とかいった、言葉が浮かんできてしまいます。自分が作ったり、想像することのできない存在からは、本当は遠く離れていた方がいいのでしょう。

 自動車にしてもそうです。歩くのが一番です。けれども、足を悪くしてしまうとそれもままなりません。というわけで、今は自転車にお世話になっているのですが、(風を感じるには良いにしても、やはり、人の速度ではありませんから)自分を見失ってしまうこともあります。

 さて、戯言はこれくらいにして、今日は学生達を見るのも、5日ぶりということで(つまり、このブログも5日ぶりということです)、ちょっとドキドキしています。だれが、勉強しに来てくれるでしょうか。休み一杯、アルバイトを詰めたという報告をしてくれた学生は別にしてですが、先週は、やはり、学校の寮に住んでいる学生が多かったようです。近くて便利ということもありますし、寮でぼんやりしているよりは、学校に来れば、だれかいて気が紛れるということもあったでしょう。また、来れば、(日本語の)プリントもありましたし、「優しい」先生もいましたし。

 実は、学校へ来るのは、5日ぶりというわけではないのです。土曜日に、やって来たのですが、仕事をしていると、急に入り口に人影がして、「先生、ごめんなさい」と言うではありませんか。驚いて見ると、「初級Ⅱ」のKさんでした。「お姉さんが、朝、水をやるのを忘れていました」と言いながら、如雨露を片手に入ってきたのです。

 彼ら、三人兄妹は、学校の直ぐ裏手にある寮(アパートを学校が借りて、寮にしているのです)に住んでいます。呼べば、すぐに答えられるほどの距離ですので、頼んでもそれほど負担にならないであろうと、休みの間の水遣りを、「上級後」のクラスのHさん(真ん中のお姉さんです)に頼んでいたのです。Hさんがウッカリ忘れていたので、妹を代わりによこしたというわけなのでしょう。

 この日は、(休みで)授業もありませんでしたし、ブログを書くつもりもありませんでしたから、朝、来て直ぐに、(私が)水を遣っていたのです。それで、彼女の口から、「ごめんなさい」という言葉が出たのでしょう。

 面倒をかけていたのは、こちらの方です。あなたが謝ることはないのですよ。けれども、「約束していたのに、忘れていた。悪かった」と思って、ついつい、この言葉が(彼女の)口から漏れたのでしょう。

 今、この学校には、内モンゴルから来た学生が、9人います。よくモンゴル語を話す人たちは、日本語が直ぐ上手になると言われているようですが、だんだんクラスが上がってきますと、そうでもないということがわかってきます。

 「初級」や「中級」レベルであれば、確かに漢族の人たちに比べて、早く「ヒアリング力」もつきますし、「会話」も流暢に話せるようになります。けれども、文化的な知識や、漢字の言葉、理解力などが必要になってくる「上級」に入ってくると、だんだん成績が思ったほど伸びてこないのです。勿論、個人差はあるでしょうが、同じように「中国を中心にした文化圏に属する」民族であるにしても、「中国古典に対する温度差」に多少の違いを感じてしまいます。これは、中国の「朝鮮族」の人に対しても感じたことですが。

 これは、同じ民族であっても、「韓国人」と「朝鮮族(中国人)」が文化的に違っていると思えるのと同じようなものなのかもしれません。

 中国人である「朝鮮族」の方が、既に「中国古典」を己の一部として吸収している「韓国人」よりも、漢文化の中に「のめり込んで」いないのです。「韓国人」は、ある意味では、歴史的に見ても、「儒教文化」に淫してきたと言ってもいいくらいであるということを聞いたことがあります。大陸の一部であるということ、つまり地続きであるということから、無批判に受け入れざるをえなかったということもあるでしょうが。

 それに比べ、海を隔てていることから、取捨選択できるだけの「時間的余裕」を持てた日本においては、儒教的考え方に、反するような思想がかなり早くから芽生えていたようです。「儒教文化」という土台は同じなのですが、それから伸びた部分で随分異なってしまっているのです。文官・武官などという言葉では、伝えることのできない「もののふ」などという概念も、どう翻訳して良いのかわからないものの一つですし。おまけに、今では、「中国古代文化」よりも、「ギリシア・ローマ文化」の方が親しみがもてるという子供達も少なくありませんし。

 彼の国(韓国)では、日本よりも、(儒教文化の中に)ドップリ浸かっているのでしょう。それ故でもありましょうが、「(漢字交じりの日本語の)文章」の理解には、本場の中国人以上の理解力を示す人もいます。それに引き替え、中国国内における「朝鮮族」は、さほどでもありません。これは、「韓国」が、既に先進国の仲間入りが出来るくらいに、(文化的に)幅広く吸収できる状態にあるのに比べ、「(中国の)朝鮮族」は、まだそれほどの知識を得る状態には至っていないということも関係していると思われますが。

 「韓国」における「中国古典」に比べ、「朝鮮族(中国人)」の「中国古典」は、どこかしら(彼らにとって)外国のもののような匂いがするのです。自分の物じゃないといった感じなのです。「独自色を出さないと、飲み込まれてしまいそう。それ故、その中に浸ることのできない」、そういったもののような気がするのです。却って、日本人の方が無防備で、「中国古典」に親しんでいるといってもいいでしょう。

 この学校には、今、(日本語学校にしては、珍しいことに)「韓国人」はいません。それで、「韓国人」を含めずに言うのですが、「『漢族』が多い方が、授業はしやすい(つまり、『上級』であった場合、飛ばして進めるということです)し、『朝鮮族』や『(内)モンゴル族』の人が多いと、それほど飛ばせない」のです。

 そうは言いましても、個人差は確かにあります。何年か前、驚くほどの読解力を見せてくれた「朝鮮族」の学生が、二人いました。話を聞くと、一人は、中国で「韓国の小説」を読みふけっていたそうでしたし、もう一人は、勉強したことを(予習・復習もなしに)、その場ですべて覚えてしまえるという才能を持っていました。教えた本人(私)が忘れているような些細なことさえ、すべて覚えていました。

 この二人は、特殊なのだと思います。他の「朝鮮族」の学生は(大卒であれ)、肝心な部分で、思考回路がズレてしまうという(不思議なズレで、漢族にはない「ズレ方でした)ことがありました。それも、おそらくは「中国古典」の知識の部分のズレなのでしょう。いえ、そう思えただけなのかもしれませんが。(「土台」が同じ場合、例え、理解の仕方が、「中国」と「日本」とに分かれていようと、指摘すれば、軌道を修正できるということも少なくありません。けれども、この「土台」がなかったり、別なものに置き換えられていた場合、それは難しいのです)。

 これは、一般的なことなのですが、総じて、文化的な教養(これは、「日本的な」漢文に関係のある教養、乃至は、それに基づく知識)が必要になるレベルになりますと、「朝鮮族(中国人)」の人も、「(内)モンゴル族(中国人)」の人も苦戦しはじめるようです。

 今年の4月生は、「内モンゴル」から来た学生が多いので、「(日本語の)長文」を理解し、また「漢字」が複雑になり始める頃から、大変になるかもしれません。勿論、他の「非漢字圏」の学生に比べたら、ずっと楽なのでしょうが。

日々是好日
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「もう一度、『12日と13日は、お盆休みです』」。

2009-08-12 17:47:59 | 日本語の授業
 さてさて、最後まで残っていた学生達も帰りました。その中には、昨日青ざめていた学生も含まれています。なぜか、ニコニコしながら学校へ来たのですけれど…。彼は、どうしても、直で「修士」になりたいようですね。私たちから見ると、日本語のレベルがある線までいっていないと、それから先の発展が、望めないような気がするのですが。

 天才と呼ばれる人なら、いざ知らず、我々のような普通の才をもって生まれてきた者というのは、なかなか思うようにはいかないものです。そこの折り合いの付け方が、難しい。下手をすると、再起不能になってしまいます。かなり要領のよい人でも、基礎的な部分を習得せずには、何事も立ちゆかないものです。人生、80年、90年ともなりそうな彼らです。この先、多少、寄り道をしたとて、それを意義あるものにすれば、なにも後悔などする必要もありますまいに。

とは言ってもしょうがないですね。試してみるのも悪いことではありません。望むらくは、失敗したとしても、それに堪えるだけの強さを持たんことを。

 で、最後まで残っていた三人のうち、二人(「Aクラス」、「Bクラス」)には、DVDを渡し、課題を出しておきました。そして、「さようなら。明日のことは知っていますね」と言うと、「Dクラス」の女の子が、「何、何、明日、なんですか」

 もう、同じようなのがいた…。この分では、明日、何人か来そうですね。今日来た学生には、一人ひとり念押ししておいたのですが。

 まあ、無駄足を踏まないことを祈っています。
 では、また、来週の月曜日まで。

日々是好日。
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「明日から『お盆休み』です」。「『夏休み』でも、学生の顔が学校にあるのは、うれしいことです」。

2009-08-12 11:12:34 | 日本語の授業
 今日は、昨日に引き続き、のんびりとした朝を迎えています。お昼ご飯を買うために、ルートを少々変えて出勤しました。この道は、いつもの道に比べて、かなり道幅が広いのです。で、楽勝のはずだったのですが、そうは問屋が卸しませんでしたね。道が凸凹なのです。と言って、穴が空いているというのではなく、四角のコンクリートの板が、50㎝幅で並べられているような按配で、その境ごとにガクンガクンと突き当たって、自転車が跳ねるのです。前に通った時には、緊張していたから、気がつかなかったのでしょう。今度通る時は、向かい道の方にします。危なくってかないません。

 けれども、そこを通っている時に、「秋」を見つけました。オレンジ色の「コスモス(秋桜)」が咲いていたのです。大輪の「ヒマワリ(向日葵)」も、大振りな茄子紺の「アサガオ(朝顔)」も近くに咲いていましたから、夏は夏なのですけれども、まさに「目にはさやかに見えねども」、秋は秘やかに近づいていたですね。

 そう言えば、今朝は7時に家を出たのに、風は「秋の風」でした。涼しかったのです。台風「一過」のせいでしょうか、昨日も帰りの風は「秋風」でしたし、虫の音も「秋」を感じさせるものでした。(実は、昨日、また、自転車がおかしくなって、自転車屋さんに行ったのです。直ぐに見てもらえたのですが、空気を入れる時は、そのまま空気入れを突っ込めばいいのであって、一回一回ねじを捻って緩める必要がないのだということを教わりました…というか、叱られたのです。「そういう噂があるようですが、そんなことはしなくていいのです」と。)

 こんなことを書いていると、平穏無事で何事もなく、「休み」は過ぎていくように思われますが、昨日「一波乱」ありました。大学院を目指している学生が、書類提出日を間違えていたのです。彼の場合、6月にも、一度、「大学院の先生にメールを送っておかねば」ということを言ったことがあるのですが、その時も「試験は2月です。どうしてこんなに早くから考えますか」などと言われ、思わず、その「のんびり屋さん振り」に絶句したことがあったのですが、昨日の場合は、笑って済ませるわけにはいきませんでした。

 「休み」になってから初めて来た昨日(彼のクラスは8月10日から「休み」です。昨日は12日でしたから、まあ、文句を言うほどでもなかったのですが…休んだのは二日だけでしたから)、大学院の事を話していて、ついでに確認くらいのつもりで、大学院のホームページを見てみると、なんと8月24日が書類の提出日になっているではありませんか。

 それからが大騒ぎ。、若いE先生が、直ぐにいろいろなことを調べてくれました。そして、大学院の方にも連絡を入れてくれたりしたのですが、まず何よりも、問題になったのは、書類の一部をまだ国から送っていないということでした。聞けば、一週間ぐらいで届くということでしたので、直ぐに連絡して送ってもらように言いました。ただし、間に合わなかったら、「北海道でも九州でも、京都でも、どこにでも行く。東京近辺だけとは考えるな」ということになったのですが、彼は固まっています。私立は早かったのです、締め切りが。

 と、大騒ぎをしているうちに、「今日、学校の様子を見たい」と、中国人の方からの電話です。で、私は、すぐに駅へ走ったのですが、待ち合わせ場所の確認などで右往左往して、会えたのは、かなり時間が経ってからのこと。

 汗を拭き拭き、三人で、学校へ戻ってみると、まだ彼は固まったままでした。「…んん。まだいたのか…。固まっているよりも先にすることがあるだろう」と思ってみても、彼の心は、そううまく働かないようです。

 まず、今晩、やるべき事を書かせ、(こういう場合、聞いているだけではだめで、必ず書いておかねばなりません。まだ、心の大部分を「どうしよう」が占めているのですから)まず、それをしておくこと。後のことはまた後でするしかないと言い聞かせ、帰そうとしますが、まだ、ぼんやりしています。ちゃんと帰れるのか知らんと不安になってきます。

 まあ、その間、私は、日本語を学びたいという女の子(高校一年生終了後、来日)とお母さんに、ここでの勉強の仕方などの説明をしていたのですが、自習室から出て来る学生(昨日は、併せて12人ほどが勉強に来ました)や、高校の教科書を返しに来る学生などの相手もしたりで、行ったり来たりしていました。けれども、こんな学生達との遣り取りが二人の気持ちを和らげることになったのかもしれません。駅であった時よりも、女の子は随分話すようになりました(やはり、女の子の方が男の子に比べておしゃべりですね。中国人でも、男の子が「アー」とか「オー」とか言っている間に、女の子なら10言くらい話せます)。

 とは言え、この、17歳の女の子、Bさんと、お母さんは、最初、「日本の日本語学校とは、一体どういうものであるか」また、「日本語教師とは、どう対すればいいのか」などと、不安に思っていたのでしょう。中国語で話しかけたものですから、親にしてみれば、「中国人の教師がいる、安心だ」くらいに思ったのかもしれません。もっとも、それは、「とてつもない」勘違いであると、気づかせるのに、それほど時間はかかりませんでしたけれど。

 授業の時は、すべて日本語でやるし、予習・復習・宿題もあるということ。それに始業時間に遅れないようにすること。また、午前の授業が終わった後は、自習室で、「Aクラス(来年の三月卒業予定)」の学生達と自習すればいいことなどを話したのですが、彼女が一番気になっていたのは、「7月生」たちに、追いつけるかどうかということのようでした。まだ「初級Ⅰ」の「八課」だから、問題ないと言っても、教科書を見て、「こんなに厚い」と訴えます。そして、「判らなかったら、また来年、一からやるからいい」などと言います。

 親御さんの方も、よく判らないのでしょう。それでもいいかなんて顔をして見ていますから、「とんでもない」と一喝。「何を考えている。中国人なら誰でも追いつける」と彼女に言います。

 夏休みの間は、お母さんも仕事があるそうで、「(彼女が)一人で家にいてもしょうがないだろうから(一人で自習する分には構わないから)、学校に来なさい。まだ、正規の学生というわけではないから教えられないけれど」と言っても、やはり、まだ不安のようです。

 最後に、お母さんが、「来週から、ここで教えてもらえないか。一週間でもいいから、少し勉強しておいたら、『7月生』のクラスに入っても、それほど困らないだろうから」と言いましたので、来週の月曜日から、この学校の学生になることになりました。で、その前に、この数日を利用して、「ひらがな」と「カタカナ」だけは覚えてくるように宿題を出しておきました。

 勉強で「負けたくない」という気持ちがあるのは、いいことです。中国でも、頑張っていなければ、そうは思わないでしょうから。で、来週の月曜日から、私が彼女の面倒を一週間みることにしました。とは言いましても、午前中か午後だけです。あとは、一人で出来る作業をさせます。他の学生がおもしろがって手を出さなければ…ですけれど。

 と、ここまで書いたところで、学生が一人、自習室から出てきました。「今から、アルバイトに行きます。先生、また明日」と言うではありませんか。
 もう、全く。あれほど皆に念を押していたのに…。

 「明日から、『お盆休み』です。先生は来ません。学校も休みです」と言うと、「ええっ!いつ決めましたか」。「とっくに。休みの前にも言いました。掲示もしてあります。忘れているのは、君だけです」。

 「……。もう、来ない。勉強しない」と拗ねまくりで帰って行きました。まあ、月曜日に来たときに、「いい子、いい子」してあげましょう。

 しかしながら、今、私が気がつかなかったら、明日、一人、学校に来て、しょんぼりしていたことでしょう。本当に、しっかりしているのかしていないのか、判らないお嬢さんです。

日々是好日
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「緩やかな日」。「明治期の日本人のような『外国人』」「『天災』と『人災』」。

2009-08-11 09:28:50 | 日本語の授業
 正直なもので、「朝一」で授業がないと、一日がのんびりと始まっていくような、そして、こんな緩やかな毎日が続くような、そんな気さえしてきます。

 「さあ、スタート!走れ。走れ。走るのだ~。」と、だんだん声を荒げていく自分が消えていくのです。特に、一年の中盤を過ぎ、「上級」も終わってしまった「クラス」を教えるとなると、毎日が「100㍍走」のようなものなのです。授業の準備に追われてしまいますから(以前の教材の中には、もう情報が古すぎて使えないものも出て来ます)。

 また、大学院やら大学やらの受験指導のうちの、「論文書き(実態は、作文かレポートのようなものなのですが、それでも、ある種の主張と、観点、それに、正確な現状把握などが求められます)」の指導などは、学生達がいる「9時から17時」の間には、とてもとても終えることなど出来ません。

 「上級」までは、いわゆる「教科書なるもの」がありますので、学生のレベルを多少加味すれば、それなりに終えることはできます。けれども、それ以上になりますと、毎年の学生のレベルを無視しては、授業が成立しないのです。文学教材などは、「読めばいい、読んだことがあるだけでもいい」と思い切ることはできますが、ある種の社会科学的な知識を要するものになりますと、本人の資質の他に、来日以前に受けてきた教育が係わってきて、厄介なものになるのです。

 以前、「対外援助」なるものを、教材に選んだことがありました。その時、「スリランカ」の学生が、どうしても、その論の趣旨が判らないのです。いくら教えても、首を捻っているのです。そして、「だって、あげたい人がいるのでしょう。それにもらいたい人がいるのでしょう。あげたいんだから、もらいたい人にあげたんでしょう。『もらってあげた』だけのことなのに、どうしていろいろ考えなければならないの。それだけのことでしょう」と、そこで停まってしまって、先へ進めないのです。

 彼の「クラス」には、後で、「ムハマド・ユヌス(グラミン銀行)さんの『授業(バングラデシュの高校生に自立の必要性を説くといった内容のものです)』」を見せました。そして、少し話し合いましたが、とうとうこの考え方も彼の心には届かなかったようでした。といって、彼が愚かというわけではないのです。一年半ほどで、ヒアリングだけは「一級」レベルになれたくらいですから。ただ、漢字など努力を要するものはだめでしたが…。それでも、短大を経て、大学へ行くことはできました。

 これも、「スリランカ」の学生でしたが、先進国のデータを出し、日本のものと比較するという授業をした時のことです。何かを捜しているのです。聞くと「スリランカのデータは?」。先に先進国といわれる国の名前も出しましたし、いわゆる「先進国とはなんぞや」という概念の説明もしました。それに、そこには「中国」の名前もなかったのです。それなのに、どうして「すばらしい国」である、「スリランカ」がないのか、合点がいかないのです。(勿論、何を以て「先進国」といい、「途上国」というかなどの難しい「論」はここでは取り上げません。「進んでいる」とか「進化」とかいう概念も、問い詰めていくと、一言では言えなくなってしまいます。「定義」が揺らいでいるというのが、実情なのですから…)

 「見れども見えず」なのです。先入観があるものですから、「数字」でさえ見えないようなのです。実際に見ているのに、「自国の常識」が厚い膜となって、彼らの目を塞いでいるのです。これは、来日までに受けてきた教育(「家庭教育」、「学校教育」、「社会教育」など)のなせるワザなのでしょう。ですから、同じ「スリランカ」の学生の中で、はじめて、一人の男子学生が、「先生、日本はすごいね。こんなことまで出来るんだ」と言った時には、本当にホッとしましたし、驚きもしました。この国の人間でも、それが判る人がいるのだと思ったのです。

 それまで、この国から来た人たちは、かなり能力が高いと思える人間でも、「彼の国の限界」から抜け出せなかったのです。すぐに「私の国はすごいです。高校生の数学の成績は世界でもトップです(よく判らないのですが)。私の国には何でもあります」と公言して憚らないのです。多分、国で、いつも、みんな、そう言っていたのでしょう。「井の中の蛙である」と言うことは簡単ですが、余りに真剣なので、皆(他の国から来た学生)何も言えなくなってしまうのです。この国の人達は、真実そう信じているのだとあきれるやら、施す術がないと諦めるやらして…。ただ、いつもは黙っていますので、とても控えめに見えるのです。それで、好印象はもたれるのですが、話してみると、いろいろと難しいことも出てきます。

 しかし、あの青年は、違いました。この学校にいる時も、日本語だけではなく、その他、何でも貪欲に学ぼうとしました。「勉強する時間がもっとほしいねえ」が口癖であったことからもそれがうかがえます。アルバイト先でもそうだったようです。「これはいい。これはすごい。これは学ぶに足る」と、自分にとって役立つものを、どこででも発見できる目を持っていたのです。

 彼を見ている時に、ふと「明治の日本人」を思い出しました。明治時代の先人達も、きっとそうだったのでしょう。ただ、日本の場合、国を挙げて学ぼうとし、また、学んだ知識を直ぐに翻訳して(なんとなれば、大多数の日本人は、欧米の言語を知りませんでしたから、日本語にせぬ限りは、知識を共有出来なかったのです)、(日本の)万人に供しようとしました。そこが違うのです。多くの国では、学んだ知識は「飯の種」ですから、翻訳など面倒な事はしませんし、また、それを読んで学ぼうとする人もいないでしょう。これは「人々のためになる」とか、「日本の発展のためには必要だ」とか思って、自国の言葉に訳すということも少ないようですし。まず、出版されたら、直ぐ売れるといった、いわゆる翻訳業が産業となるような、社会構造なければ、教育レベルも欠けているのかもしれません。

 この青年が「すごいね」と言って見たものを、他の来日した同国人達も、皆見ていたのです。けれども、誰も気づきませんでしたし、そう言った人もいませんでした。もう、こうなってしまうと、彼は、既に、自分の国内で、同じ弦を鳴らせる人を失ってしまったということになるのかもしれません。

 話が、ドンドン飛んでいきます。

 一昨日、ここでも震度4程度の地震がありました。そして、今朝も震度3程度の揺れを感じました。今朝は、地震発生時からずっと(6時頃まで)、地震の揺れの様子や、高潮のニュースが流れていました。普段ですと、「(高潮も)満潮と重なったら大変だ」くらいのものですが、なんといっても、今にも台風9号が来ようというのですから、皆、緊張してしまいます。雨で、地盤が緩んでいる上に、地震、そして、台風の直撃。まさに、三重苦にでもなりそうな有様なのです。ただ、救いは、地震や台風になれている国民性でしょうか。

 ここ行徳でも、台風の影響による雨が降っています。

 「天災」からは、逃れることが出来ませんが、その中に幾分かでも、「人災」的な要素が含まれているとしたら、人が人を死に追いやるということにもなり、殺された人々は浮かばれません。そう考えてくると、この世に(恨みを残して死んだ)「お化け」や「幽霊」の棲み家があると思っていた方がいいような気にさえなってきます。ただ、それで畏れてくれるのは、心か弱き人々であり、面厚き、心猛々しき人々は、そういう(心優しき)「お化け」や「幽霊」さえも、踏みつけて、構わぬものでしょうから、(そうなると、「お化け」や「幽霊」のファンである私としても、彼らにこの世で苦しんでもらいたくはありませんから)一刻でも速く、この世を見捨てて、成仏してくれと願わずにはいられなくなるのですが。

日々是好日
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「雨」。「夏休み」。「大学院をめざす」。「『高校卒業』程度の学力の大切さ」。

2009-08-10 08:47:24 | 日本語の授業
 今朝は雨です。昨晩は、まだ「早朝は自転車でも大丈夫だろう」と思っていたのに、朝の4時には、既に道は濡れていました。家を出た時には、やや優しげな雨であったのが、小学校の辺りから、ザアザア降りへと豹変し、学校が見える頃には、集中豪雨のようなありさま。傘をさしていたのに、ずぶ濡れです。

 今は、雨も少々収まっていますけれども、雨音はやはり重いですね。音を聞き分けながら、窓を開けたり閉めたりしています。私の後ろの窓はちょうど風の具合で雨が降り込んでくるのです。小降りだと窓を開けても大丈夫。本格的な雨だと、とんでもないことになってしまいます。

 この雨も、きっと9号(台風)の影響でしょう。いつの間にか、もう9号ですものね。毎日、梅雨みたいと言っているうちに、既に「台風シーズン」に突入しています。本当に「今年の夏は変!」。ただ、毎年、「今年の夏は変!」と言っているような気がするのは私だけでしょうか。

 さて、学校です。

 自習室を利用しているのは、自転車通学の学生が大半ですから、今日は静かかもしれません。こんな雨ではね。学校の裏にある寮から来る学生は、別ですけれど。なんて言ったって、歩いて二三分でしょうから。

 今週から、「Bクラス」も「Dクラス」も夏休みになりましたので、学校は完全な夏休みということになります。それで、自習室が換わります。下の、一番涼しい教室が、自習室になって、学生達を迎えるということになります。そこに降りていって、時々、睨みをきかせていれば、学生にしても、勉強以外出来ないわけですから、「困った。困った」でしょうね。

 そういえば、今年卒業して大学院の研究生になった学生から、「あとは、9月の口頭試問を待つだけ」という連絡が入りました。まずは、一安心。何事も一歩一歩ですね。

 中国人の大卒者の大きな問題点は、「自分は何でも知っている。ただ『修士』や『博士』の称号を得たいから、日本の大学院へ行くのであって、知識を得たり、研究したいためではない」という態度にあります。

 勿論「世界数学オリンピック」などでは、一位を中国人の若者達が独占しています。けれども、この成績と、日本に来る若者達の知識・技能レベルを見比べると、本当に同じ国で、同じような教育を受けてきたのか知らんと思ってしまうのです。誤解を招かないために、一言付け加えますと、彼らは決して愚かではありません。それどころか、まじめで、中には、それこそ、高校では一生懸命勉強していたのだろうなと感じさせるような愚直さを持った者さえいるのです。

 多分、中国などの学校では、一人を、いわゆる「秀才」にするために(目立たせるために)、千人の子供達(あるいは、一万人かもしれませんが)を顧みていない(犠牲にしている)のではないでしょうか。その999人(或いは9999人)は、一体どこへ行ってしまったのでしょう。

 日本では、「高卒者」が社会を下支えしてきました。「高校卒業」程度の学力さえあれば、後は一人でもなんとかやっていけます。仕事においても、必要だったら、自腹を切って本を買い、勉強すれば、その道の「専門家」にもなれます。日本の高度経済成長の頃、そういう人がどれほどたくさんいたことでしょう。必要なことを(一人ででも)勉強できるだけの力を、社会がつけてやらねば、その人は自滅していくしかないでしょう。それは、どの分野ででもいいのです。仕事で必要な分野でも、好きな分野でも、構わないのです。

 一人ではちょっと…という人には、通信大学もあります。夜間大学もあります。独学できるほどの頭さえあれば、休みの時に、自由に図書館へ行って、好きなだけ勉強すればいいのです。その図書館にない本は「リクエスト」すれば、図書館が責任を持って揃えてくれます。

 つまり、社会で生きていくためには、最低、「高卒」程度の学力がいるのです。ところが、勿論、中国人だけではありません、スリランカやタイ、ガーナなどから来た学生もそうです。特に「世界史」や「政治」「経済」「地理」など、つまり、「社会科学」系のものにおいて、顕著なのです。それから、「哲学」や「芸術」関係の「人文科学」系の一部分ですね。これらは、下手をすると、普通の日本中学生のレベルにも遠く及ばないかもしれません。

 勿論、日本の教育界でも、問題は山積しています。特に、こういう教育環境を整えても、勉強したがらない子供達が少なくないということは大きな問題となっています。けれども、それは、日本人に、「国民全員が、高卒程度の学力は持っていなければならない」という共通認識があるからなのです。その「高卒程度の学力」さえ、備えていない若者が増えてしまっているから、(日本)社会がパニックになっているのです。端っからそんなことを考えていない「国」だったら、普通の事ですから、問題にも何にもなりはしますまい。それどころか、愚民政策を施すことが出来ますから、大喜びかもしれません。

 話を元に戻します。大学院へ行きたいという「外国人学生」のことです。

 彼らは、まして、その道の専門家になるために、大学院に行こうというわけですから、言語的な問題の他にも、特に「社会科学」系や「人文科学」系の知識が必要になります。しかしながら、多くの場合、絶対的に、その知識の量が不足しているのです(しかも、怖ろしいことに、その自覚がないのです)。そういう学生に、どうやって、それを埋めさせていったらいいのか…。いえいえ、その前に、何よりも、彼ら自身に、自分は何にも知っていないということを自覚させなければなりません。

 何も知らないのに、「知っている」と言ったり、出来ないのに、「できる」と言ったら、それは、大学院の先生を「騙す」ことになります。私たちにとって、彼らの、その「とてつもなく、へんてこりんな」自信ほど、面倒なものはありません。その上、大学院を目指しているわけですから、それほど若いというわけではないのです(つまり、もう変われない人が多いのです)。

 とは言いましても、日本社会では少子化が進んでいますから、大学や大学院では、人が来てくれることに、文句はありません。それどころか、大歓迎でしょう(学費が、人数分入るわけですから)。ただ、忘れてもらっては困るのは、「いい」大学や、「いい」大学院では、人を選ぶということです。「誰でもいいから来て」という大学や大学院だったら、ある程度の学力があれば入れるでしょうが(それから、学費は高いです)、そうではない大学や大学院も少なくはないのです、特に「国立」では。

 いい大学院に入りたいというのであったら、それなりの能力も学力も努力も必要です。おそらくその人が思っている以上のものが必要になってくるでしょうす。なぜなら、偶然から入ってしまったとしても、入ってから「劣等感」に苛まれることになるのは、その人なのですから。

日々是好日
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