早朝、一時、止んでいた雨が、また重く降り始めました。昨日は、パラパラと来たり、突然止んだり、また降ったりと、あてどない様子でしたが、今日は、本格的な「台風の雨」になりそうです。
路上で、真正面から、雨や風に打たれていた「アサガオ(朝顔)」は、頭を下げたり、ラッパの口を閉じたりと、随分項垂れているように見えました。が、木々の蔭や建物に庇われているものは、いつも通りの清けさで、雨や風などどこ吹く風という有様。儚げな花ながら、ちとふてぶてしくさえ思われます。一方、「ムクゲ(木槿)」は、まだ目覚めていないかのよう。花びらをしっかりと閉じて挨拶さえしてくれません。目覚めるためには、お日様の光が必要なのかしらん。では、今日一日は、風に全身を揺らしながら、おねむで終わりでしょう。
来る時は、まだそれほど雨が強くありませんでしたから、あっちを見たり、こっちを見たりしていたのですが、そうやって歩いていた時のことです。一枚、黄ばんだ木の葉が、フラフラと落ちてきました。思わず、道ばたの「イチョウ(銀杏)」の木を見てしまいます。いえいえ、まだまだ、しっかりとした緑の葉をつけています。「黄葉」になるのは、何ヶ月も先のことでしょう。
ただ、お盆も過ぎ、残暑と言われる暑さと、秋口の涼しさが交替で来るような時期ともなりますと、一雨ごとに、草木の「冬支度」が進んでいくような気がします。ちょうど、雨に打たれて、燃えるような緑に変化していくのが、春から初夏にかけてであるのと、対になっているのかもしれません。
そういえば、
「目に(は)青葉 山ほととぎす 初鰹(はつがつお)」(山口素堂)
なんて句がありました。
「青葉」は、あくまで春から夏にかけて、初夏の緑の色なのです。いにしえの王朝人は、青と緑を分けて見てはいなかったということを、聞いたことがあります。時によっては、「青」という色を借りて来た方が、「山川草木」のイメージを正確に表せたのかもしれません。抽象的な世界と具象的な世界が渾然一体となって表されても、少しも不自然ではなかった人々が羨ましくも感じられます。
勿論、この「いにしえ人」は奈良朝か、平安前期くらいまでのことで、衒わずに、そうなれた時代に生きていた人々のことです。
ただ、この、江戸期の「素堂」の句に対しては、同じ江戸期の
「目と耳はただだが 口は高くつき」
という古川柳のほうが似つかわしいのでしょうが。
さて、学校では、大学院の専門について悩んでいた女性が、やっと自分なりの言葉で語り始めました。「何を研究したいのか」と問われた時に、人の言葉で、人の経験を語っても、何にもならないのです。それは、「今まで何を勉強してきたか」を語っているに過ぎないのですから。高校までは、高校までの勉強の仕方があります。大学では、二年までと三年からでは、学び方が全く変わっていきます。三年からは、いわば、大学院を目指す人にとっては、その予行演習といえるかもしれません。高校までの勉強のやり方と同じようなやり方でやろうと思っても、日本では認められないのです。自分の意志で、研究するものを決めなければなりません。ですから、それができない人は、まず、「自分捜し」から始めなければならないのです。どうして、自分はこの専門を選んだのだろう。何がやりたくて、大学院へ行こうと思ったのだろうと、それが判らなければ、意味がないのです。
日本人からすれば、どうして、研究するものを見つけていないのに、大学院へ行こうとするのだろうと不思議に思われるのですが、これは、教育の体制が違うのですから、しょうがありません。個人で決めることができる範囲も分量も、先進国の方がずっと広く、しかも、多いのです。国で、そういう経験をしたことがなかった人たちに、自分で決めていいのだと言っても、直ぐには反応できないのです。
これが、日本で大学を卒業していれば、二年の後期に自分で、卒論の指導教官を選び(勿論、相手が厭だと拒否したら、他の先生を見つけなければなりませんが)、研究テーマを決め、それに関する文献を読み、或いは、必要ならば、フィールドワークや市場調査などを行うということが経験できているのですが、そういうことをほとんど経験したことがない、或いは出来ない国からの大卒者は、まず、意識を変えてもらうということからしなければならないのです。そうしなければ、運良く、研究生(「大学院」に入る前に、その大学で一年か二年、専門を勉強させてもらい、それから「大学院」を受験するという立場)になれても、おそらく、「修士」の試験には合格できないでしょう。勿論、日本では少子化が進んでいますし、「誰でもいいから、来て欲しい(学費や入学金が手に入りますから)」という大学院なら、いわゆる誰でもいいのですから、入れるでしょう。そのままでも、文句を言わないでしょう。ただ、(自分で何を研究するかも決められなくて、訊きに来るのですから)邪魔な奴だとか、うっとうしい奴だとかいったふうには見られるでしょうが。
この中国人の彼女は、そういうタイプではありません。おそらく中国でも、勉強が出来て、しかも、先生の言ったことを素直にやってきた」という、まじめで、勤勉な学生だったのでしょう。けれども、大学院に行って、研究したいという学生は、ある意味では、わがままで、ある程度利己的でなくてはならないのです。皆が皆そうでなければならないというわけでもありませんが、周りばかり気にしているような人は、なかなか大成できないのも事実だと思われます。
いい子になろうとか、いい子に見られたいなんて考える必要はないのです。業績とまではいかなくとも、成果を上げられればいいのですから。研究に必死になれば、人を傷つけることもあるでしょうし、傷つけられることもあるでしょう。しかしながら、好きなことが研究できる立場にある、このことだけに満足して、一心不乱に研究に立ち向かっていかなければならないのです。そうでなければ、中国で大学院に入った方がずっと楽です。言われたことを、これまで通りやっていればいいのですから。
日本で大学院に入るということのメリットは、研究テーマを自分で決められると言うことにあります。それを見つけ出せない人は、日本の大学院を目指しても、途方に暮れるだけだと思います(勿論、今私が言っているのは、レベルの高い大学院でのことです)。
彼女は、先週の末にやっと明るい顔になれました。ただ、まだまだ「とば口」と言ったほうがいいでしょう。木曜日に一つ「見つけた」と言いに来たのですが、まだまだ序の口です。あと一ヶ月か二ヶ月の間には、それが、変わる可能性の方が大なのです。本を読みながら、「これなら、私も経験ある。そうだ。あの時、こんなことを感じたのだった」と自分を、新たに見出していく過程で、見つけた(専門に多少関係のある)一つの出来事にすぎないのです。けれども、それでもいいのです。そういう習慣がこれまでなかったのですから。そうした発見を、いくつもいくつも重ねて、そうしてやっと、本当にしたいことが見つけ出せるのでしょうから。
特に彼女の場合は、いろいろないきさつがあり、私たちの学校で預かったのは、今年の四月からでした。普通の学生達は、二年間を、ここで過ごしています。その間、(中国人学生のことは、ある程度私たちには判りますから)最終的な彼らの目的のための、指導を受けているのですが、彼女は、それを受けずに、いきなり、大学院のための指導に入ってしまったのです。これは、日本語が出来ればいいというものでもないのです。それでは終わらない、きめの細かい指導をしておかなければ、大学院に入ってからが大変なのです。
まあ、それはともかく、本当にしたいことが見つかるまでは、「出来た。見つけた」という結果報告(?)に、一つ一つ返事をしていくのが私の役目になるでしょう。また、「この先生は怖い。先生の処へ行くのが怖い」と思われては、元も子もありません。気をつけないと…。
ただ、勉強や研究に関することでは、優しく親切にしているだけでは、だめな部分も少なくないのです。厳しく、追い詰めて、追い詰めて、とことん追い詰めて、途方に暮れるといった状態にまでさせて、それから、「どうしたらいいのか」を自分なりに考えていかなければならないのです。こういうことは、人が教えられることではないのです。自分で発見しなければならないのです。何でもそうです。まず、自分捜しをしなければ、人は新しい一歩は踏み出せないのです。
日々是好日
路上で、真正面から、雨や風に打たれていた「アサガオ(朝顔)」は、頭を下げたり、ラッパの口を閉じたりと、随分項垂れているように見えました。が、木々の蔭や建物に庇われているものは、いつも通りの清けさで、雨や風などどこ吹く風という有様。儚げな花ながら、ちとふてぶてしくさえ思われます。一方、「ムクゲ(木槿)」は、まだ目覚めていないかのよう。花びらをしっかりと閉じて挨拶さえしてくれません。目覚めるためには、お日様の光が必要なのかしらん。では、今日一日は、風に全身を揺らしながら、おねむで終わりでしょう。
来る時は、まだそれほど雨が強くありませんでしたから、あっちを見たり、こっちを見たりしていたのですが、そうやって歩いていた時のことです。一枚、黄ばんだ木の葉が、フラフラと落ちてきました。思わず、道ばたの「イチョウ(銀杏)」の木を見てしまいます。いえいえ、まだまだ、しっかりとした緑の葉をつけています。「黄葉」になるのは、何ヶ月も先のことでしょう。
ただ、お盆も過ぎ、残暑と言われる暑さと、秋口の涼しさが交替で来るような時期ともなりますと、一雨ごとに、草木の「冬支度」が進んでいくような気がします。ちょうど、雨に打たれて、燃えるような緑に変化していくのが、春から初夏にかけてであるのと、対になっているのかもしれません。
そういえば、
「目に(は)青葉 山ほととぎす 初鰹(はつがつお)」(山口素堂)
なんて句がありました。
「青葉」は、あくまで春から夏にかけて、初夏の緑の色なのです。いにしえの王朝人は、青と緑を分けて見てはいなかったということを、聞いたことがあります。時によっては、「青」という色を借りて来た方が、「山川草木」のイメージを正確に表せたのかもしれません。抽象的な世界と具象的な世界が渾然一体となって表されても、少しも不自然ではなかった人々が羨ましくも感じられます。
勿論、この「いにしえ人」は奈良朝か、平安前期くらいまでのことで、衒わずに、そうなれた時代に生きていた人々のことです。
ただ、この、江戸期の「素堂」の句に対しては、同じ江戸期の
「目と耳はただだが 口は高くつき」
という古川柳のほうが似つかわしいのでしょうが。
さて、学校では、大学院の専門について悩んでいた女性が、やっと自分なりの言葉で語り始めました。「何を研究したいのか」と問われた時に、人の言葉で、人の経験を語っても、何にもならないのです。それは、「今まで何を勉強してきたか」を語っているに過ぎないのですから。高校までは、高校までの勉強の仕方があります。大学では、二年までと三年からでは、学び方が全く変わっていきます。三年からは、いわば、大学院を目指す人にとっては、その予行演習といえるかもしれません。高校までの勉強のやり方と同じようなやり方でやろうと思っても、日本では認められないのです。自分の意志で、研究するものを決めなければなりません。ですから、それができない人は、まず、「自分捜し」から始めなければならないのです。どうして、自分はこの専門を選んだのだろう。何がやりたくて、大学院へ行こうと思ったのだろうと、それが判らなければ、意味がないのです。
日本人からすれば、どうして、研究するものを見つけていないのに、大学院へ行こうとするのだろうと不思議に思われるのですが、これは、教育の体制が違うのですから、しょうがありません。個人で決めることができる範囲も分量も、先進国の方がずっと広く、しかも、多いのです。国で、そういう経験をしたことがなかった人たちに、自分で決めていいのだと言っても、直ぐには反応できないのです。
これが、日本で大学を卒業していれば、二年の後期に自分で、卒論の指導教官を選び(勿論、相手が厭だと拒否したら、他の先生を見つけなければなりませんが)、研究テーマを決め、それに関する文献を読み、或いは、必要ならば、フィールドワークや市場調査などを行うということが経験できているのですが、そういうことをほとんど経験したことがない、或いは出来ない国からの大卒者は、まず、意識を変えてもらうということからしなければならないのです。そうしなければ、運良く、研究生(「大学院」に入る前に、その大学で一年か二年、専門を勉強させてもらい、それから「大学院」を受験するという立場)になれても、おそらく、「修士」の試験には合格できないでしょう。勿論、日本では少子化が進んでいますし、「誰でもいいから、来て欲しい(学費や入学金が手に入りますから)」という大学院なら、いわゆる誰でもいいのですから、入れるでしょう。そのままでも、文句を言わないでしょう。ただ、(自分で何を研究するかも決められなくて、訊きに来るのですから)邪魔な奴だとか、うっとうしい奴だとかいったふうには見られるでしょうが。
この中国人の彼女は、そういうタイプではありません。おそらく中国でも、勉強が出来て、しかも、先生の言ったことを素直にやってきた」という、まじめで、勤勉な学生だったのでしょう。けれども、大学院に行って、研究したいという学生は、ある意味では、わがままで、ある程度利己的でなくてはならないのです。皆が皆そうでなければならないというわけでもありませんが、周りばかり気にしているような人は、なかなか大成できないのも事実だと思われます。
いい子になろうとか、いい子に見られたいなんて考える必要はないのです。業績とまではいかなくとも、成果を上げられればいいのですから。研究に必死になれば、人を傷つけることもあるでしょうし、傷つけられることもあるでしょう。しかしながら、好きなことが研究できる立場にある、このことだけに満足して、一心不乱に研究に立ち向かっていかなければならないのです。そうでなければ、中国で大学院に入った方がずっと楽です。言われたことを、これまで通りやっていればいいのですから。
日本で大学院に入るということのメリットは、研究テーマを自分で決められると言うことにあります。それを見つけ出せない人は、日本の大学院を目指しても、途方に暮れるだけだと思います(勿論、今私が言っているのは、レベルの高い大学院でのことです)。
彼女は、先週の末にやっと明るい顔になれました。ただ、まだまだ「とば口」と言ったほうがいいでしょう。木曜日に一つ「見つけた」と言いに来たのですが、まだまだ序の口です。あと一ヶ月か二ヶ月の間には、それが、変わる可能性の方が大なのです。本を読みながら、「これなら、私も経験ある。そうだ。あの時、こんなことを感じたのだった」と自分を、新たに見出していく過程で、見つけた(専門に多少関係のある)一つの出来事にすぎないのです。けれども、それでもいいのです。そういう習慣がこれまでなかったのですから。そうした発見を、いくつもいくつも重ねて、そうしてやっと、本当にしたいことが見つけ出せるのでしょうから。
特に彼女の場合は、いろいろないきさつがあり、私たちの学校で預かったのは、今年の四月からでした。普通の学生達は、二年間を、ここで過ごしています。その間、(中国人学生のことは、ある程度私たちには判りますから)最終的な彼らの目的のための、指導を受けているのですが、彼女は、それを受けずに、いきなり、大学院のための指導に入ってしまったのです。これは、日本語が出来ればいいというものでもないのです。それでは終わらない、きめの細かい指導をしておかなければ、大学院に入ってからが大変なのです。
まあ、それはともかく、本当にしたいことが見つかるまでは、「出来た。見つけた」という結果報告(?)に、一つ一つ返事をしていくのが私の役目になるでしょう。また、「この先生は怖い。先生の処へ行くのが怖い」と思われては、元も子もありません。気をつけないと…。
ただ、勉強や研究に関することでは、優しく親切にしているだけでは、だめな部分も少なくないのです。厳しく、追い詰めて、追い詰めて、とことん追い詰めて、途方に暮れるといった状態にまでさせて、それから、「どうしたらいいのか」を自分なりに考えていかなければならないのです。こういうことは、人が教えられることではないのです。自分で発見しなければならないのです。何でもそうです。まず、自分捜しをしなければ、人は新しい一歩は踏み出せないのです。
日々是好日