日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「N2」に合格できたと、大学に入った学生から知らせが来ました。

2016-01-28 08:50:58 | 日本語学校
晴れ。

今日まで晴れだということです。
お昼には、14度くらいまで上がるとか。一昨日も昨日も、そして今日も風がありませんから、余計暖かく感じられるのかもしれません。

さて、昨日、朝、授業が始まる前のことです。

去年の三月に卒業して江戸川大学に入った「スリランカ人学生」から、電話がありました。
これは珍しいと手に取ると「いい知らせです」と開口一番、人を喜ばせるようなことを言う。

そして実際に、私たちを喜ばせてくれました。「『N2』に合格しました」

この学校にいたときは、面倒見はいいし、優しいし、何でも手伝ってくれるし…、その面では本当にいい学生だったのですが、なかなか大人になれないところがあって、つまり頑張りがあまり効かなかったのです。

けれども、真面目でしたし(皆が真面目だと、真面目にやりはじめる。が、周りが遊ぶと自分もすぐ遊びだす)、相手の気持ちが分かる人だったので、大学に入って、日本人の友だちができ、日本のことが体験的に判り始めたら、変われるかな(ほんの少しですけれども、期待を込めて)くらいに思っていたのです。

日本語学校にいたときは、「漢字が嫌い」でした。私がブウブウ言うと、「先生、本当に嫌いね。でも、判るからいいね」で終わり。「N2」がとれるほど頑張れるとは思っていませんでした。

ところが、頑張るようになったのですね、大学に入ってから。

その時に、(彼は)「大学の先生は本当に親切で、日本語を一生懸命に教えてくれる」ということと、同時に、「数学も判らなかった。一緒に(この学校から入ったフィリピン人学生と)、『先生、判りません』と言うと、先生達が根気強く教えてくれた。だから助かったね。少し判るようになったね」と例の口調で話してくれました。

そして、昨日、江戸川大学の先生からメールが入っていました。

彼だけではなく、その前の年に入った二人のベトナム人学生も「N2」に合格したのだそうです。

本当にありがたいことです。

ベトナム人学生はスリランカの学生と違い、漢字は努力して覚えられても、日本語文法がなかなか身につかないのです。音が掴めないということもあるのでしょうが、日本にいてもなかなかその利点が活かせないのです。

その彼らも頑張れたということは、大学の先生方の努力のおかげです。

日本語学校に一年半ないし二年ほどいても、漢字を覚えるだけで精一杯の人や、文法がなかなか身につかない人も、多くいます。この「言語習得」というのは、得手不得手があって、短期間にグンと伸びる人もいれば、コツコツやっていても、なかなか芽の出ない人もいます。

一昨年の12月には、この学校からも、スリランカ人学生とベトナム人学生が一人ずつ「N2」に合格できました。一人は、特別、言語のセンスがあったのでしょう、おしゃべりでしたし…。そしてもう一人は、ここまでストイックに頑張れるかというような、猪武者的なベトナムの女子学生でした。

二人とも、普通よりかなり頑張りがきくというか、必死に勉強できたのです、アルバイトも他の学生と同じようにしながら。この点、この学校に多くいる、普通の(ちょっと定義はむずかしいのですが、平均的な)日本語学校の留学生とは違っていました。

スリランカの学生は、割と楽に「N3」まではいけるのです。毎日、一応、学校に来さえしていれば、それほど真面目に勉強していなくとも、アルバイトで覚えた日本語くらいで、合格できるような…気がしているのですが…(これは、多分、母語の関係でしょうね。日本語とかなり近いのです)。もちろん、自分では日本語がうまいと思っていても、全く試験の埒外にいる学生もいます。

それに比べ、ベトナム人学生は、(日本語の)音がとれぬから文法が定着できないのか、文法がよく判らないから音も二重にとれなくなるのかはわかりませんが、彼らにとって、在学中に「N3」に合格するというのは、至難の業(ほとんどの学生が、「あいうえお」から始めますから)のような気がします。

けれども、大半のスリランカの学生は「N3」をとっても、それで終わり。あとはレベル的に見れば、落ちる一方です。一見、こなされた日本語を話しているように感じられるのですが、ちょっと注意して聞いていれば、簡単な文法を使い回しているだけであるということがすぐに判ります。それに引き替え、ベトナムの学生は次があるのです、比較的コツコツできる人が多いので。もちろん、「N3」までの道は険しい。しかし、「N3」をとった後、引き続き勉強していけますから、「N2」もいけるし、おそらく「N1」も視野に入れられるのでしょう。

本当に、あきらめずに続けていれば、きっとものにできる。言語なんて、誰でもある程度はできるのものなのですから。ただ「結果を出す」ことは難しい。それなりにまた別の努力もしなければならないのです。

日々是好日

日本では、(野生の)鳥を食べません……

2016-01-27 15:57:57 | 日本語学校

晴れ。

今日はそれほど寒くはない…。先日の寒波の後だからでしょうか、小春日和めいた気さえしています。お空も青いし…風もないし…小鳥は囀っているし…。

卒業生クラスに行くと、半分ほどは行き先が決まっていますから、どこかゆったりとした感じ。で、後の半分はまだ決まっていませんから、やらねばならぬことに、しゃかりきり…とならねばならないのに、そうではないところが、スカスカの棒寒天みたい…。

もちろん、一生懸命、彼らなりに頑張っているのでしょうが。

授業中、他の人が面白いことを言うと、心が、途端にそっち側に行ってしまいます。

「こら、こら」と言っても、もうつきあいが二年ほどにもなりますから、こういうことぐらいではこちらが怒らないというのも判っている。チラチラとこちらを見て、その視線が後で話してあげるから(黙っていてね)みたいに見えてしまうから、却って困ってしまう。

本当に、いろいろ(不満は)あるけれども、真面目は真面目なんですよねえ、彼ら…。

つきあいが長くなると、こちらも優しくなってしまいます…困った、困った。

さて、学校です。

昨日、日本と自分たちの国との違いで、びっくりしたことはあるかと尋ねたところ、一人が、「日本人は鳥を食べない」…?食べますよ。

「そうではなくて」と、鳥を空気銃かなんかで撃つまねをして、「…しない」。

そりゃあ、街中に生息している野生の鳥を撃ったり、いじめたりしたらそれこそ大事です。だいたい、普通は何かしてやろうとなんて考えたりしないでしょう。

すばしこい小鳥は別にしても、「ムクドリ」や「ハト」なんかも街中を悠然と歩いていますし、駅のプラットホームでは人が「ハト」に道を譲っていますもの。

印象としては、「ハト」は空を飛ぶものではなくて、道を歩くもの。でしょうか。

もちろん、「鳥打ちさん」なんて職業もありましたし(今もあるかしら、霞網で云々というのもあるくらいですから)、(鳥を捕らえることを職業にしている人も)いるのでしょう。けれども、「食べるために捕らえているか」というと…ちょっと判りません。ペットショップに売るのかなくらいの感じでしか思っていなかったのです。

ただ、最近は、「ジビエ」を広めようという動きもあるようですし、直に、保護対象ではない野生動物を食べることに、それほど違和感を持たないようになるかもしれません。前から、「ぼたん鍋」といって「イノシシ」をだべる習慣はありましたけれども。他の動物はちょっとというところでしょうか。

けれども、野生動物は待っていてもだめで、要るなら、狩らなければなりません。素手では無理ですし、今時、弓矢というわけにはいきませんから、自然、、銃となるでしょうね。たとえ「猟銃」であるにせよ、「銃」と言われると、多分、皆、尻込みしてしまいます。

これまでは、「猟銃会」とかの人たちが、ボランティアで、害獣を倒していたのでしょうけれども、ボランティアであっても、「銃」ですものね。ちょっと、今の日本には合わないような気がするのだけれどもなあ。

これは、中国にいたときに感じたのですが、少なからぬ国の人は、「銃」に、日本人ほどの恐怖感というか、そんなものがないのです。ごく自然に身近なところに銃があるし、軍隊で訓練なんていうのも小さいときから行われているからでしょうか。

まあ、いずれにせよ、日本も変わっていくかもしれませんけれども。

日々是好日

「我慢」と「頑張り」

2016-01-26 08:21:00 | 日本語学校

晴れ。

寒いことは寒いけれども、この寒波が来る前に、綻び始めていた「ジンチョウゲ(沈丁花)」は健在でした。

学校の「沈丁花」もかなり蕾を大きくしていましたから、もうすぐ花開くことでしょう。まさに「冬来たりなば春遠からじ」です。

この辺りは先週の月曜日も、そして今回の寒波の襲来でも、全く雪が降りませんでしたから、学生達は肩すかしを食ったような、そんな顔をしていました。

確かに、報道番組で、「台湾」の人たちが、先を争って「雪見」に出張っている有り様を見るにつけ、南国から来た人たちの、「雪を見たい」という思いが如何ほどに強いものかが推察されます。

ただし、「ここは雪が降らなかった」と気落ちしている学生には、「大学に入ってから、雪見に行けばいい。スキーでも、雪を見ながらの露天風呂でも」と、言ってあります。

日本語学校在学中は、うまいと言われる学生であっても、まだまだ日本語がそれほど自由に話せるというわけでも、若い日本人の友だちが作れるというわけでもありません。しかも、彼らは「旅行者」としてここに存在するのではなく、「留学生」として、ここで生活しているわけですから。

そう、「留学生」とは言いながら、はっきりと「日本で生活」しているのです。

学校に通い、アルバイトにも通い、料理や掃除、洗濯、買い物をしているのです。

だから、見たくとも、遠出であったら、雪見に興じるわけにはいかないのです。学校もあるし、アルバイトもあるのです。

ちょっとかわいそうですけれども、我慢できる学生、楽しみを後にとっておける学生が、最後には、笑えるのです。

ところで、今、ベトナムの学生達には困っています。

部屋代も払えないと言いに来ながら、ベトナムの正月には帰りたいと言います。4月には半年分の学費を払わなければならないし、毎月の生活費もいるというのに。ほとんどの学生がアルバイトで生活費を稼いでいるわけですから、行き帰りのチケット代、そしてお土産代など、そちらに金を使ってしまえば、本来の目的である勉強するための「資金」が枯渇してしまうのは目に見えています。。

例の、知らん顔してやれの了見なのでしょうか。。

親がチケット代を払うからという学生もいますが、親は判っているのでしょうか。国にいる人よりも、アルバイトで得る金は多いとは言いながら、それだけ日本は物価が高いし、学費も必要だということを。その金を捻出するために、彼らは(戻ってきてから)倍もアルバイトをこなさなければならないし、それは、つまり、勉強時間が減るだけでなく、違法行為にもつながるということを。

一人は、早くに言いに来たので、私たちがうっかり間違えて「冬休み中」に帰るのだとばかり思い込んでしまいました。それで、親からの「帰国願い」をファクスで送ってきたら考えると言ってしまったのですが、そのほかの学生は論外です(多分、それを聞いたのでしょうね)。

「帰る学生はもう(日本に)戻ってこなくていい」と言ってあります。戻ってきても、4月からの学費は払えないでしょうから。学費が払えなくて、まだ居座るというのは図々しすぎます。(日本にいて頑張ってアルバイトしても、それでも足りないと言うのなら、考えてやることもできますが)。

だいたいこの日本語学校に在籍している間は帰国させないでくれと言ってあるのにねえ。国に帰っても、お金が足りて、しかも同じように勉強できるとでも思えるのでしょうか(ベトナムの学生は目立って日本語力が落ちて戻ってきます)。

もうかなり日本の情報は伝わっていると思うのですが、こういうことは誰も言っていないのでしょうか。

「我慢」と「頑張り」しかないということを。

日々是好日

「聞く」「話す」と「読む」「書く」…。結局は「聞けるか、話せるか」で、人は判断するものなあ。

2016-01-21 08:32:52 | 日本語学校
晴れ。大寒

「季節の巡り」というか、今年も「大寒」の日を迎えました。

先日、『卒業文集』の指導をしていたときに、スリランカの学生が、「日本に四季があることは判っていた。けれども、日本に来て初めて、夏、秋、冬、春を知った」と書いていたのを見て、ほう…。

実は、スリランカの学生は、よく「私たちの国にも四季はある」と言い張る人がいるのです。もちろん、彼らにとっては「肌寒い」が「冬」であり、彼らの認識下においては、確かに「スリランカにも冬はある」なのでしょうが。

「日本には、四季がある」というのは、正確な言い方ではなく、「比較的はっきりとした四季がある。しかも、だいたい三ヶ月ごとに移り変わっていく」なのです。もう一言付け加えれば、「五季ある」と「梅雨」を含める向きも、最近は多くなりました。

もちろん、彼らが一番期待していたのは「冬」の「雪」なのです。しかしながら、面白いことに、「寒くなければ、雪が降らない」が前提にはなく、「雪は見たい」けれども、「寒いのは御免」なのですねえ。

南国から来た人たちは、「雪を見たい」から、「寒さの冬を我慢する」というのに、はなかなかなれないようで、昨日も、お日様の当たっている席を、ちょっとですが、取り合っていました。…これはスリランカの学生ではありません。

ベトナムの学生は、男女を問わず、日に焼けることを嫌がります。数年前、上天気の日に鎌倉に行ったとき、ベトナム男子が一人だけ、こうもり傘を差して歩いていたので、びっくりしたことがありました。彼の方では彼なりに、びっくりされるなんてと驚いたことのでしょうけれども。

「健康」のためなのか、「美容」のためなのかは判りませんが、本当にベトナムの男子は「日に焼ける」ことを嫌がります。もし、美男子コンテストなんてのが、ベトナムであったら、「美白」がその一番の条件になるのかもしれません。

ひと頃、女子は「美白」、男子は「色黒」を目指していた日本とは違います。

さて、学校です。

卒業を控えての感慨なのですが、この頃になると、何はともあれ、毎日学校へ来て授業をきちんと受けていたかどうかというのが、はっきりと現れてきます。毎日の授業から見ると、ベトナム人は文法も単語の理解も、他の国の人たちに比べてグンと落ちます。手がかかるのです。これは母語の関係なのでしょうねえ。頭も悪くない、勉強する習慣も付いている。けれども、日本語は彼らにとってとても難しいようなのです。

中国語は、いい加減に勉強していても、すぐにペラペラと話せるようになるのに…、本当に不思議ですねえ。

南アジアの学生は、ヒアリングが良いので、普通の能力があれば、だいたい(日本語)「N3」には合格できます。もちろん、年齢的に少し高くなっていますと、きついことのようですが。

ただ、彼らのほとんどが、「N3」止まりの日本語でしかないのです。

これも、手間暇かけて勉強するという習慣が欠けているからでしょう。

以前も、それほど真面目でなくとも、普通の能力(これも説明が難しいのですが)があれば、スリランカ人なら、すんなりと「N3」に合格できていました。ところが、それから、数ヶ月後、専門学校に合格した学生が、(専門学校の方から)日本語のレベルが低すぎるから、「日本語クラス(低いレベルのクラスです)」で勉強するのが条件だというふうに言われ、怒って、「私は『N3』に合格しているのに、どういうわけだ」と喚いていたことがありました。

つまり、それで終わりで、なかなかそれ以上頑張れる人はいないのです(合格したら後は落ちるだけです。本当にわかりやすい人たちで、「自分のような能力の人間が合格した、これで良いのか」なんて考えません。「やったあ。私は頭が良い」で、もともと勉強する習慣なんてありませんから、サボり始めます)。

7月に試験を受け合格していても、別に漢字を覚えているわけでもない、文章を読みこなせるわけでもない、適当に「ひらがな」を拾って(『N3』レベルでしたら、漢字の上にふりがなが付いています)読んでいても、勘でだいたいのところは分かりますもの。レストランなどでは困らない(つまり日常生活のレベルにおいては、生きていけますから)くらいの日本語はできますから。

日本にいて、レストランでホールの仕事をしたり、賄いの手伝いをするくらいでしたら、それでも良いのでしょうけれども…。

大学へ願書を持って行ったときに、毎日きちんと学校へ通い、言われたように宿題を出し、漢字をコツコツと覚えてきたベトナムの学生には、お褒めの言葉がなく、適当に学校へ通い、漢字はほとんど書けないし、読めないというスリランカやインドの学生が、日本語が上手だと褒められる…。世の中なんてそんなものなんでしょうけれども。

日々是好日
 

大学に入るとは…。

2016-01-20 16:12:12 | 日本語学校
晴れ。

今日は寒い。自転車に乗る前に、手袋を探してしまいました。

調べてみると、0度から10度。やはりねえ。学生達はきっと「寒い。寒い」と言いながらやって来ることでしょう。

さて、学校です。

大学へ行きたいという人たちには、皆、「どうして大学なのか」という「理由」があるはずです。

聞いて見ると、「知り合いの同国人が、この大学に入って、それから、日本のいい会社に入った。だから、私もこの大学に入っていい会社に入る」という答えが一番多かった…。困ったことです。

誰でも入れると考えているのです。そして、誰でもこの大学に入りさえすれば、いい会社に入れると思っているのです。

「彼(成功したというその人)は、とても勉強した。頭が良かっただけではなく、努力もした。10月に来日し、書いたり読んだりは、それほどできなかったけれども、通学の時、電車の中で漢字を覚え、卒業する頃には『N2』レベルの漢字は読めるようになっていた。あなたは毎日学校に来ることもできない」。

語学に堪能でなくとも、毎日学校に来ていれば、勉学の時に必要な単語や文は自然と身についているものです。そして、判りたいという態度ですね。それが消えていないのです。それが最低限の条件。それができなくて大学に進学してどうするのだろうという気がするのですが。

日本人なら、テキトーにやって仕舞われても、これが日本の小学校からの教育の結果だから、同じ日本人として、どこかで責めを負わねばならないと思ってしまえるのですが、日本が育てて失敗した人たちじゃあないのです。

まして私がここで使っている言葉もそれほど理解できない。『大学に入れさえすれば、日本のいい会社に入れると思うのは違っている。努力が必要だ」と言っても、多分、「理解」できないのです。彼らの頭では、「あの人ができたら、私もできる。どうしてできないと言うのか」で、その人のそうできた「過程」というか、「努力の跡」というか、そういうのが全く見えていないのです。

普通に話せ(るように思われていても)、アルバイト先で日本語が上手だと言われていても、結局、少しでも考えなければならない問題を与えたとき、何も答えられないし、書けないのです。それでいて、日本の習慣などが少しでも自分たちのものと違っていると、馬鹿にして笑うのです。よく判らない…けれども、多分自分たちの国の習慣が一番で、それと違うと、馬鹿にしてしまうのでしょう。それでいて、日本にいたい。それ自体が矛盾しているとしか思われないのですが、それに気がつかないのです。
  
多分、こういうことを考えるということも、彼らの「守備範囲」ではないのでしょう。

こういう人たちが大学に進んでも、大変だろうなあ(進学先の先生方も、そして本人も)と思います。日本は今、少子化が進んで若者の数が足りませんから、大学でも一人でもいいから入れたい。つまり、頭数です。いい学生を一人でもと思うことができるのは、かなり上のランクの大学で、大半の大学では、そうまではできません。

多分、こういう大学は、入れても面倒は見てくれません。伝達事項も日本人学生にやるのと同じように漢字を入れて書いてしまうと、彼らは途端に「困ってしまう」という実情も判ってくれません。

それほど日本語が上手でなくても、「毎日、大学に通い、勉強するなら面倒を見る」と腹を括ってくれる大学は、私たちのような日本語学校にとって、本当に大切なのです。

そういう大学には、できるならば、学生を選抜して入れたい。私たちが「この学生は、今、それほどの結果は出せていないけれども(『N3』や留試)、大学に行けば伸びるであろうと思える学生である」と思い、また「コツコツと努力をしてきたから、大学に入ってもきっとコツコツと努力を続けるであろう」と思える学生は、こういう大学へ入れて、育てていただきたいと思うのです。

ただ、(そうではない学生でも)受けたいと言いに来られれば、だめだとは言えないのです。テキトーにやっていても、インド圏の学生は、ペラペラと会話はできますから、普通の人たちには上手であるように見えます。「N2」レベルのテストでもしていただければ、すぐに判るのですが、面接だけでは本当に判らないのです。私たちだって、教えてみて、また、テストをしてみて、「へえ、本当に判らないんだ」とか、「書けないんだ」というのに、気づくくらいですもの。

教員は(教えるとなった段階で、あるいは教えなければならないかもしれないと思った段階で)一歩深いところで彼らと対さなければなりませんから、そこで、レベルを知ることになるのです、否応なく。それとても、彼らと向き合うことができるかどうかに係っていますが。

何かを「教える」には、先に相手のレベルが判らなければなりません。だから、話したり、書かせたり、読ませたりして、レベルを知ろうとします。そして初めて、「ガーン」となるのです。ペラペラ話せていたからできるだろうと思っていたら、何も考えてることができなかった。ただテキトーにペラペラしゃべっていただけだった。きちんと学校に来ないし、それを注意しても、何とも思っていない(これを想像力の欠如と言い放つことはできません。もっと違う、たとえば「しつけ」とか、「習慣の問題」かもしれないのです)…。

とはいえ、真面に一生懸命勉強し、きちんとした生活を送ることができる学生しなら、大学四年間というのは、有り難い期間で、頑張っているうちに、卒業する頃には、いっぱしの大卒者になっていてくれるものなのです。

大学に入ることが無駄にならない…そういう学生が一人でも増えてくれればいいのだがと、今年もそう思っています。

日々是好日

『卒業文集』の作文書き

2016-01-19 15:52:18 | 日本語学校
晴れ。

昨日は一日中、雨。帰りには止んでいたものの、湿気が強くなると、体感温度がグッと下がるような気がします。

そして、今日。晴れて、そして寒い。

5度から8度と言いますから、日較差は大してないのです。それでもかなり寒く感じます。学校に着いて暖房を入れても、部屋がなかなか暖まらないのです。

さて、学校です。

卒業生に、『卒業文集』に載せる作文を書かせ始めているのですが、作文を嫌がって書こうとしない学生が、若干名いるのです。「書くのだ」と押してもだめですし、当然のことながら、引けば、きっと大喜びするだけでしょう。

で、「そうですか。じゃ、先生の席をここに移そう」と彼らの目の前の席に座り、くるりと振り向けば対面式で授業ということになります。これが効くのです。嫌がること、嫌がること。「先生、もう…いやだぁ」。「そうか、そうか。では、書くのだ」。

本当に嫌なのですね、これが。渋々ながらも、書き始めたので、この効き目にびっくり。
それで、「はい、一行書いたね。○△さん」。それから、「はい、二行目に行きます、△△さん」「○○さんは、まだ一行目の三字しか書いていません」と実況中継をしてやりました。

これが受けて、ヘラヘラしながら、「もう四行目」とか、自分で報告してくれます。

本当は、書けても、原稿用紙半分程度だろうと思っていたのですが、三人のうちの一人は、人に聞きながらも一枚分書いてきました。「もう一丁」ともう一枚原稿用紙を差し出すと、さすがに「無理です…」と逃げていきましたが。

こちらでそんなことをやっていますと、三列目と二列目がザワザワしてきます。「話すな」。「口を動かすな」。「手を動かせ」とやりますと、三列目の一人が後ろを向いて、「こら。静かにしなさい」。

三列目の後ろは…誰もいません。みんな爆笑で、彼もニコニコ。「よし。壁に向かって言ったな。これから君は壁君だ」「へへへへ。壁君は嫌です」

作文が一応書けている学生は、それならばと他の題を与えても、書くほうに力を注ぐよりも、皆とおしゃべりをしたいのです。手綱を緩め、ちょっとおしゃべりの相手をしてやっても良いかとも思うのですが、何人かはこのとき大学受験のための作文の練習をしていますし。(彼らのうち)書き上げた学生は何度も書きながら覚えようとしていますし。

皆がワイワイガヤガヤと楽しくなれば、きっと心がこっちに向いてしまうでしょう。雑談してやることもかないません。

卒業前の和やかな時間です。まだ受験が終わっていない以外は。

日々是好日


ここ、行徳は、雪になりませんでした…。

2016-01-18 17:58:37 | 日本語学校
雨。なかなか雪になりません。

横浜も積もっているというのに。新宿、渋谷も積もっているというのに。

先日、粉雪が五分ほど舞った時も、南国から来た人たちは大喜びで、思わず「よし、五分だけ自由時間。五分経ったら戻ってきなさい」と解放したくらいでした。たぶん、自分と雪が同時に存在しているということが「嬉しさの素」だったのでしょう。

しかし、余りに粉雪が粉雪過ぎてスマホには映らず、画面を見て、がっくり。

きっと、今度こそはと待ち構えていたでしょうに。

皆、案外、スマホやコンピューターで、ニュースを見ています。一年近くなれば、日本人と同じくらい天気予報をチェックする学生も出ています。

余談ですが、ニュースを見るということはとても良いことで、この習慣がないと、進学するときに困るのです。彼らの常識で動いてしまいますから。他国へやって勉強させようと言うくらいですから、そういうことは当たり前のはずと思われるかもしれませんが、案外そうではないのです。

それ(留学)が結婚のための一種の箔付けであったり、同時に持参金を稼ぐためであったり、私たちが思いもよらないような様々な理由から来ている人もいるのです。女は隣近所親戚一同さえ知っていればいいという考え方が強かったり、世間を知らない方が、それこそ三従の教えそのままでやりやすいと(親などに)思われていたり…。

そういう人に社会問題のかけらなどを尋ねても(大学進学に備えて、作文の練習をしなければならない)、「何もない」「知らない」、で、教えようとしても「わからない」で、終わってしまうのです。

みんな、特に女学生ですが、少しでもニュースに関心を持ってくれたら、うれしいんだけれどもなあ。

日々是好日

まず上手になりたいと思ってくれなければ、何もできません。

2016-01-15 17:38:53 | 日本語学校
晴れ。

今日も良い天気です。お空に淡い綿飴のような雲がふんわりと浮いています。空の青が透けて見えるほどですから、すぐに消えてしまうでしょうね。

さて、学校です。

「卒業文集」の作文書きをしているのですが、このⅠ年半ないし、二年ほどを振り返って感慨に耽って欲しい卒業生達。なぜか明るい。大して書けないのに明るい。下を向いているうちに眠ってしまった学生も、終わる五分前には目覚めて、あれれ、もうこんな時間…みたいな感じ。

日本人が電車に乗って眠ってしまった時のよう。熟睡していても、だいたい降りなければならない駅の直前で目が覚めてしまうのですよね。目覚ましが鳴る直前に目が覚めるのと似ています。もっとも、これは授業ですからね。思わず、許せんと叫んでしまいます。

それに、「書けませ~ん」と楽しげに言っていたくせに、なぜかたくさん書いて見せに来た学生。私がそれを見ている間に、隣の人のをのぞき込んで、やおら、手を上げ、「先生、○○さんは、まだ三行しか書いていません」なんて、告げ口をします。

もちろん、これは専門学校や大学が既に決まっている学生たちのこと。

まだ試験を受けていない学生たちは、そのために作文の練習をしなければなりません。こちらの態度も「どうして」「なぜ」と問い詰めていくことに主眼を置き、ニコニコ笑っているわけにはいきません。学生の方でも、「ひらがな」ばかり書いていると、「日本に来て何日になる」等と言われますから、(他の学生達のように)ヘラヘラ笑っているわけにもいきません。

なぜか、スリランカから来た学生達は、「自分は能力がある」とか、「日本語は上手である」とか、簡単に思い込んでしまいがちで、その分、努力をしませんから、後で困ってしまうのです。中には「N3」の試験に落ちで、「なぜ、私(私のように頭の良い学生)が落ちたのだ」と喚くような女性もいるので、大変です。こちらから見れば、休んでばかりいて、よく言うよと思うのですが、こればかりは変われないようですね。

とはいえ、いざ書かせてみると、聞いたり、話したりするのは苦手でも、コツコツやって来たベトナム人の方が上を行くと言うことになる(もちろん、どこの国にも、そういう人はいるでしょうが)。

内心では「自分の方が上なのに、どうしてこの日本人は自分のことを認めないのだ」くらいに、思っているのかもしれません。

「初級」の間は、アルバイトで覚えた言葉だけを使い回していても、うまそうに聞こえていた…。皆が勉強していたのは『みんなの日本語Ⅰ』くらいのものでしたから。ところが「みんなの日本語Ⅱ」くらいになってくると、だんだん「見かけない」日本語が出てくる。

まあ、「Ⅰ」レベルでも、アルバイトでは困らない。だから、「別に、毎日学校へ来て真面目に勉強する『必要』なんてない」と思うこともできたのでしょう。漢字を一生懸命書いて覚えている学生なんて、アホのように見えたのかもしれません。あんなことしなくても、「自分は日本語が上手だ」と自分も思い、アルバイトの面接でも日本人にそう言われていると言いますから.

ところが、もう「中級」に入ってしまうと、チンプンカンプンになってしまう。やはり、積み重ねができていなければ、弱いのです。なにせ、学校に行かなくてもできる人というのは、絶対的に少ないのですから。普通は誰かに習わなければ、できないのです。

まず、できないと言うことが判らなければ、本当に何も手伝えないのです、私たちも。それ(レベルがそれほどではないというの)が(自分でも)判るのが嫌さに、見ないふりをする、あるいは人に言われないように取り繕う…のではないのですから。

時々、お手上げだなと思ってしまいます。

本当に、せっかくお金を払って、勉強しているというのに。…残念でたまらないこともあるのです。

日々是好日

さてさて、「読解」は、難しいもの…のようです。

2016-01-14 10:17:43 | 日本語学校
晴れ。

きれいな青空です。

だからでしょうか。今朝とても冷えました。朝はここ行徳でも4度ほど。けれども昼には11度くらいにはなるそうで、やはりお日様が出ているのといないのとでは全く違います。

『北風と太陽』なんてお話も、日向ぼっこをしていた経験のある人にはよく判るでしょう。ただ南国の人には、ちょっと無理なようで、キョトンとしています。「北風」も「上着を脱ぐ」も関係ありませんもの。

ところで、日向ぼっこと言えば猫。

昨日、午前も午後も、一階の教室にいたのですが、よくしたもので、外を駆けていく猫の様子がよく見えるのです。ここは、天井から床までガラス窓が広がっているのですが、おかげで、「あれっ」と気がついてから、目をやっても、駆ける猫の姿をかなり追うことができるのです。

行ったり来たり、何を忙しげに駆けていたのでしょうね。小走りで、朝も3度は往復していました。午後も同じです。真っ黒い小柄な猫でした。「ちょいと」と呼び止めてみたくなりましたが、授業中のこととで、…できませんでしたね。

以前、窓に手を当ててのぞき込んでいた子猫の時には、「入りたいの」と思わず問いかけてしまいましたが。

さて、学校です。

今、去年の4月に来た学生達(クラスは二つあって、『初級Ⅰ』から教え始めた「Dクラス」と、『初級Ⅱ』から教え始めた「Cクラス」です)に、『N3』の「読解」を、問題集を使って、少しずつ教え始めたところなのですが、ちょっと面白いですね。

クラスによって性格が違うので、レベル云々を除外しても、教え方を考えねばならず、ちょっと面白い。

実は上のレベルの「Cクラス」のほうに時間がかかるのです。なかなか(彼らが)納得がいかないという部分もあって、当初は一日二問を目安にしていたのですが、急いでも、二日で三問くらいしかできないのです。

「Dクラス」は、『N3漢字』を45分も入れているというのに、サラサラと石の上を水が流れていくように、終わっていきます。なぜか正解は出てこないのですが。…すぐに「終わった」と言い、自信を持って答えてくれるのですが、みな違う。正解を外して、他の番号ばかり言います。へえ、どこが問題だったのだろうと考えてしまいます。先に答えを言わせて、それから考えていくという形をとっています。

このクラスは、この1月にクラス分けをし、残っているのは、真面目に勉強してきた学生だけ。それでも、やはり三ヶ月の差は大きいとみえます。下手をすると同国人だけで話をし始めてしまいます。席は同国人が並ばない方がいいでしょうし、できれば、同性が重ならない方がいい。一国から一人しか来ていないと、その人が浮いてしまいます。

そういえば、『初級』が終わって、『中級』に入るまでの、「読解」の時も、「Cクラス」は、なかなか次の課に進めないときがありましたっけ、初めの頃ですが。一日に(90分私の持ち分です)5行も進めないときがあり、「う~ん。どうしてこれが理解できないのか」と考えさせられたことがたびたびありました。まあ、毎日教えていたので、次第にそのロスは取り戻せるようになったのですが。

このときに、「ああ、そうか、こういうことが判らないんだ」と、以前、教えたクラスの学生達がかわいそうになりました。

判らないことがわからない。だから質問できない。漠然と判るけれども、この漠然で終わってしまい、それ故に質問もできかねていたのでしょう。

中国人学生を教えていた頃には、「それいけ、どんどん」で、ある程度以上になると、日本人を教えるように進めていけましたから、こういう壁にぶち当たることはありませんでした。

全く、100年生きていても、今日は初めての一日とは、よく言ったもの。

対象が換われば、教え方も改めて考えざるを得ず、まあ、そこが面白いと言えば面白いのかもしれません。

日々是好日

昨日、粉雪が舞いました。ホンのちょっとだけ。

2016-01-13 08:50:48 | 日本語学校

晴れ。

きれいな青空が広がっています。…とはいえ、その分、寒い…。

昨日は粉雪が舞いました。もっとも、正味、5分程度のことだったのかもしれませが。

昨日の朝、1、2時間目のことです。チベットからの学生が、窓の外を見て、「雪です」と言った途端、さあ、大変。ミャンマーの学生が二人とも、座ったまま、体を捩って、外を見ます。右に捻っても、左に捻っても、よく見えない。立ち上がって、ミャンマーでなにやら言いながら、スマホを構えます。でも隣の家が邪魔になってうまくいかない。このままでは授業になりません。窓から目が離れない…のです。

雪と言っても、粉雪程度。しかも、淡雪のようでしたし、だんだん水分を含んで霙のようにもなっていきそうな様子。

で、「五分あげるから外に行って写真を撮っておいで。いいですか。五分だけですよ」と言って、大急ぎで出ていきました。ベトナム人は雪を見たことがあるだろうから、大丈夫かなと思っていたのですが、なぜかベトナムの学生もついていってしまいました。

もっとも、すぐに戻ってきて(後で聞くと、階段を降りた段階で、職員室にいた教員に咎められたそうです。それで、慌てて「先生が良いと言いました。五分だけです」。その時も靴を履きながらだったそうですが)、「先生、雪です。私です」とスマホを見せてくれました。

ただ、残念なことに、体中でうれしさを表している彼女たちの他には何も映っていませんでした。雪が小さすぎたのでしょう。

悲しそうにスマホを見、それでも雪のことを話すときはうれしさいっぱいで、「雪を見ました」。

「一番寒いのは2月だからね」くらいしか慰められませんでしたが。

今年は暖冬で、昨日、今日こそ、冬らしく寒いのですが、富士山ももう雪の状態は春を告げるほどだそうですし、…となると、悪くすると、南国の人たちは雪を見ることができないまま、冬を終えてしまうことになるかなと思っていたのですが。まあ、形だけでも降る雪が見られてよかった。

ついでに、数年前はかなり雪が降って、みんな小さな雪だるまを作っていたと言いますと、うらやましそうに見ています。

平気な顔をしているのはチベットの人だけで、「日本は寒いね」なんぞ言っています。チベットのほうがどれくらい寒さが厳しいのかわからない他の国の学生達は、一様に「そうだ、そうだ」。

しようがないので、チベットのほうがもっと寒いと言いますと、他の学生「ほうっ」。

もう、ため息が出てきます。

そして、ABクラス。

作文の授業の時です。

冬休みに一時帰国していた学生たちが土産を持って来てくれました。ベトナムの学生が持って来てくれた中に、ショウガを使ったお菓子が入っていたのですが、それを彼女が説明してくれますと、ベトナムの学生とスリランカの学生がほぼ同時に「しようがない」「いやいや、しょうがある」。

もう二年生にもなりますと、こんなおじさんネタでもうれしそうに言い始めます。それからも、何かあるたびに大正時代のだじゃれとか、明治時代のだじゃれなどを連発し、またそれを聞く他の学生達も、「ほう、ほう」と大喜び。

「こら、静かに書け」と言いましても、こちらの性格はとっくにバレていますから、「せんせい、いっしょに笑いましょう」となる。

まったく、困ったものです。まだ行き先のない人がかなり残っているというのに。

日々是好日

新しいクラスに戸惑っている者もいれば、ホッとしている者もいました。

2016-01-08 11:41:22 | 日本語学校
曇り。

時々雲の間から日が差してきますが、それもホンの一時。すぐに雲の中に隠れてしまいます。

今日は少し寒いような気がします。3度から10度。そのわりには寒さを感じません。きっと風がほとんどないからでしょう。

さて、昨日から、新学期が始まりました。新しいクラスで戸惑っている者もいれば、ホッとしている者もいます。

戸惑っているというのは、下のクラスに降りたから楽勝だろうと思っていたのに、出てみると「む、む、むずかしい…」。

毎日、学校に来て勉強していた頃は、「日本語なんて軽いもんだ」と思っていた…。ところが、軽んじて(あれくらい、簡単だ。学校へ行って、わざわざ勉強せずともいいと思って休みがちになって)いるうちに、どんどん進んでしまい、判らなくなってしまった。

それで、「一つ、クラスを落とせば、まあ、いいか」と思って下がってみたが、前のところまで忘れていて、新しい学生達に全く追いつけなくなっている。で、焦る。焦っても無駄なのですがね。実際は地道な作業が大切で、気持ちの問題でもなんでもないのですけど。

日本人でも、おそらく中国人でも、漢字なんてのは毎日見ていなければ、「エーッと、点があったっけ」とか、「エーッと、ここ、三本だったっけ、二本だったっけ」なんてことになってしまいます。

それが、まだ「N5」か「N4」レベルで、「見極め?」てサボり始めたわけですから、それ(そういう気持ち)が半年か一年ほども続いていれば、そりゃあ、前に覚えていたものまで、すっかり忘れてしまうのも当然です。

ホッとしている者は、「わ、わ、わかる…」で、うれしい。

特にヒアリングが悪い者は、課が進んでくると、単語が覚えられていませんから(覚えても、音が対応していないので、反応できないのです)、皆についていけないのです。それで、イライラしたり、腹を立てたりする…。

それが、判る言葉(聞いたことがある言葉)が、いつも聞けるわけですから、イライラが消えて、ニコニコしている。

こういう学校にいると、さらに上を学びたいという学生よりも、わかるところにいたいという学生のほうが多い…と思われる…ことも少なくないのです。

それで、(教員としては、どんどん先に進むというよりも、(そういう学生に対して)飽きさせない、楽しく毎日来させるほうの「引き出しを増やす」ことが課題になります。

まあ、中国人留学生が少なくなってからは、そういう道、一路と言っても良いかもしれません。もちろん、中には「N2」に合格するような非漢字圏の学生もいるので、油断は禁物なのですけれども。

日々是好日

明日から学校です。

2016-01-06 10:22:53 | 日本語学校
曇り。

朝はそれほど寒くはありません。けれども昨日に比べ、昼は1度ほど下がるとか。このまま、ズルズルと週末にずれ込んでいきそうで…怖い。

とはいえ、冬は冬らしく寒くなければおかしい。朝は5度以下であったり、昼も最高気温が10度以下であったり…。それに雪が降ったり、霙が降ったりすることも、一回か二回はなければ…冬じゃない…。

学生達に「霜柱」のことを話すと、ヘラヘラしています。土の中にある水分が凍って、土を持ち上げるとか言われても、きっと「なんのこっちゃ」と思っていることでしょうね。いつか、「北国の生活」で、「氷柱」が映ったときも、それが現実のものとは思えなかったようで、同じようにヘラヘラしていました。こういう表情の時は、スルッと抜けているのです。

こういうときには「体験」が大切。一度、実物を見たり、触ったりすると、「なるほど、これがそうであるか」といった具合に、百万言費やしたよりもぐっと記憶に留まってくれますもの。

「霜柱」がこの辺りでも見られないかなあ、「氷柱」は無理としても…。

さて、学校です。

昨日、帰ろうとしたとき、警察から電話。前日に同じく警察から電話があったときは「 学生証の落とし物を預かっています」でしたから、「また落とし物かな」くらいの気分で取り上げたのですが…また、あ~あです。

例の、例の国民の問題です。慌てて引き取りに交番へ行きます。途中でもう一人の教員も来てくれて、二人で話を聞きました。

警察の対応も数年前と比べるとかなり厳しくなっています。前のように「こういう国の人はお金がないからなあ」みたいな感じではありません。この国の人たちが余りにそういう罪を犯すので、腹を括ったのかもしれません。厳罰主義になるのかもしれません。

(彼らに)いくら「こういうことは悪いことだ」と言っても判らないのです(そうとしか感じられないのです)。聞くとお金がなかったからと言います、判で押したように。けれども、大して必要なものではないのです。必需品でも何でも無い。無かったら無かったで、どうと言うことはないのです。なぜ「がまんできないか」、それが問題なのです。

おしなべて、「この国」の人たちの「病巣」は、深いと思います。だって、この学校でもこういうことで捕まるのは、「この国」の人たちだけなのですから。もっと貧しい国から来ている人だっているのに。

ということで、あれこれやって、帰りが8時近くなりました。寮にいる他の学生(同国人)が来て(通訳してもらって)話を伝えたりしていたのですが、見ていると二人とも、「悪いことをした」という感覚が欠如している。多分、運が悪かったくらいのもので、しかも、「弁償(封を切っているので、返すわけにもいきません。当然ながら、お金は払います」しているのだから、「『お金は払った。買った』ことになっている」ようです、彼の中では。

これは、どうやって説明して良いか判りません。

昔、中国で、日本人学生が中国人学生にカメラを取られたことがありました。「寮の部屋に呼んだりしている仲だったのに、盗った。返せと言っても返さなかったので、警察に訴えた」。当時のことですから、この捕まった中国人学生は大学もやめさせられ、一生、このことは「記録」に残されることになる。

で、他の中国人学生は、日本人学生を非難して、「友だちを訴えるべきではない。盗られるのが嫌なら隠しておけば良い…(当時は、『中国の実情…日本人にはなかなか判らない…』というのがあって、これで、彼の人生は終わりになるくらいにみんな捉えていたのです。ただ、この日本人にはそれが通じず、日本でと同じようにやっただけだったのです」(今なら、自分たちも豊かになっていますから、すぐに訴えるでしょうね)。

当時は、中国人学生と友だちになると「(友だちだから)一時帰国するときに、カメラを買ってきてくれ」とか「日本製のウォークマンを買ってきてくれ」とか、(そのほかにもブランドの服)とか、よく頼まれたと言います。もちろん、彼らが払うわけもなく、お金は頼まれた日本人持ちです。

日本人にはそういう習慣がありませんから、最初はみんなギョッとするのですが、すぐに慣れて、「お金がないから無理だよ」と答えるようになります。日本人と違い、断られても、それを根に持つ人は、(中国人には)あまりいません。「ああ、そうか。じゃ、他の日本人に頼もう」で終わりなのです。

後から、中国人は外国に行ったとき、お土産を山ほど買って帰るのだということがわかって、「ああ、そうだったのか」と合点がいったのですが、あの頃はそういうことを知りませんでした。外国に行ける中国人は本当に少なく、それがいわば特権みたいに感じられているほどだったのです。

でも、このとき、公園で知り合ったある年配の中国人が、こんなことも言っていたのです。
「中国はぁ、みんなのものはぁ、私のもの。私のものはぁ、私のものだぁ」

当時、「悪平等」とか「daguofan」とかが喧しくなっていて、一生懸命に働いている人と、遊んでばかりいる人とどうして給料がおなじなのだと言う人が出ていました。

私たちから見ると、「違って当たり前」なのですが、当時の中国では「同じだった」のです。それが若い「小幹部」たちには、少々たまらないことだったのかもしれません。もっとも、これは都市部だけのことで、農村部ではもっと穏やかに時間が流れていて、みな貧しいから、みな同じ。お金がないと言う意味では「究極の平等社会」だったのです。

中国も隔世の感があります。社会全体は豊かになったけれども、多分、社会全体が落ち着くには、まだまだ時間がかかるのでしょう。日本も中国も、これからも、山あり谷ありの時代を生きていかねばなりません。本当なら蝸牛の争いをしている場合ではないのでしょう…けれどもね、宇宙全体から見れば、蟻のような地球、その上で角突き合わせて互いを罵り、なじっても意味は無い。然るべき時が来たら、嫌でもあの世で一緒に暮らしていかなければならないのですから。

とはいえ、本当に、国民性…と言って良いのか、他に然るべき語があるのでしょうけれども…それは、難しいし、それを判ったような気になっていても…実は囓っているだけのこと…でしかないような気もします。

ましてや、日本人はこういう感じ方、考え方で動いていると言っても、それを判れと言うのも、それに則って動けというのも無理なこと。

本当に大変です。

日々是好日

今日も、春のような暖かさです。

2016-01-05 08:47:29 | 日本語学校
晴れ。

昨日は本当に暖かく、どうも16度くらいまで行ったようです。今日は6度から14度くらいまでと予報が出ていましたから、週末にかけて、少しずつ寒くなっていくのでしょう。

確か、去年のお正月は大雪のところがあって、大変だなあと気の毒に思ったものでしたが。

私は南国生まれですから、この辺り(行徳)でも、寒いと思うことはあるのです。が、雪国生まれの人たちと話していると、全く思いもしなかった方向に話が進むことがあります。

雪は、南国人にとっては夢みたいな存在です。猫が粉雪を見てじゃれ回るというのも、私たちの気持ちと代弁しているような気がします。が、雪国の人に、「雪」と話しかけると、途端に「嫌いだ。一番嫌」とすぐに言われます。

そして、滔々と「いかに雪なるものが恨めしい存在であるか」を述べるのです。一晩で、道と畑と川との境が消えてしまうこともあるそうで、そうなってしまうと、「いかに恐ろしいか」。また、「東京は冬でも青空が広がる。私たちのところでは、冬はいつも暗かった」

雪雲が重く垂れているのでしょう。そして町の上に覆いかぶさっているのでしょう。そういう人たちの目には、雪を見て「あっ。雪だ、雪だ」なんて大騒ぎしている私などは、それだけで罪作りの人のように思われることでしょう。

想像も付かないことです。ただただ「はあ、はあ」と言う他ないのです。

知っていても、判っていないことがある。知らなくても判っていることがある。

雪一つにしても、そうなのです。

若い頃、北国の人が話してくれたのは、「雪の色」でした。きっとその人は南国の人間を恐れさせないように、「雪のロマンチック」な一面だけ話してくれたのでしょう。

それに生活が絡むと、途端に雪は「凶器」と化してしまいます。

もちろん、これは「雪」だけのことではありませんが。

日々是好日

明けましておめでとうございます

2016-01-04 09:51:48 | 日本語学校
晴れ。16度近くにまで上がりそうとか。全く春です。

遅ればせながら、

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

元日から穏やかな日が続いています。さて今年はどうなりますことやら。

年末に、路が見えてきたという学生が二名やって来ました。二名とも、今年卒業してからどうするか最後まで迷っていたようでしたが…。

一人ははっきりと目的があるが故に迷い、一人は同国人の中でふらついていたが故に迷っていた…。迷っているという状況は同じでも、だから「もう、いいや」となるかどうか…。

まあ、二人とも、私たちがこういう選択をしてくれるといいのだがと、期待していたような方向へ進んでくれそうなので、まずは一安心です。

一人は高校を出てからすぐに日本へ来たということもあるでしょう。自分から他国の人たちと付き合わなくても、彼女の周りには同国人がびっしりといたようでしたし、かつてそうであったように日本にいても暮らして行けたのでしょう。

これは悲しく思うところなのですが、変われない年齢というのもあるようです。もしかしたら、それまでの環境のしからしめるところなのかもしれませんが。

せっかく高校を出てすぐに来たというのに、そういう人たちに囲まれていると、自分もそれで良いと思い、欲(好奇心とか、学習意欲とか)が「ぬるま湯」の中でふやけていくのです。

人と比べることは良いことではありませんが、たとえば中国人であった場合、非漢字圏の学生の中にいれば、自分があたかも「できる人」のように思われ、中国人と比べてどうだという観点が抜けてしまうのです。だって、他の国の人が「すごい。どうして、中国人は漢字ができるのだ」なんて褒めますもの。

「漢字は中国で生まれ、発展し、他国に広がっていった。今は多少は違う形になっているのもあるけれども、中国人が(日本の)漢字で困ることなんてあり得ない」と口を酸っぱくして皆に言っても、己と比較するのでしょう、すぐに「中国人はすごい」となってしまうのです。

まあ、褒められて調子に乗らないでいられるのも、「才能」が必要ですから、いい気になるのも無理からぬことかもしれませんが、そこで、他の中国人であったならと考えることができるかどうか、その想像力(?)が身についているかどうか、これはとても大切なことです。

その人が「上」を知らなければ、御山の大将になってしまうでしょうし、来日以前の環境で、「上」を知っていれば、周りに中国人がいないだけに、却って焦って勉強することでしょう。

もっとも、中には大学院を出て来日し、ここ(日本語学校)では「外国」を楽しみたいとだけ思っていた人もいましたから、一概には言えないのですが。

普通(高校を出てすぐであったり、高校を卒業して仕事をして、勉強する環境になかったりしている)は、周りが勉強しないでいると、自分もそうなってしまうものなのです。全部が全部勉強しないでいるということは、あり得ないのですが、やはり「易きに就く」のは、しようなないことのようで、そういう人の近くに行き、そういう人たちと同じような行動を取るほうが楽なのでしょう。

多分、いくら「勉強できる」タイプであっても、これまでがそうでなかったら、急に「人は人。勉強しろ」と言われても、無理なことなのかもしれません。

見ていると、「勉強する方に、できる方に、近寄って同じグループになりたがる人」、「誰とも群れを作らず、一人で勉強をコツコツとやる人」というのは、多くはありませんもの。

中には、こういう人だっています。
「『大学へ行きたい』なら、『(そのためには)勉強しなければならないんだよ』」と言われると、「えっ?」となるくせに、普通の(日本人が見るような)本を見せ、「こういうのが読めないと大変なんだよ」と言われても、「大丈夫」と答える…。

多分「N5」以上は皆同じなのでしょう。区別が付かないのです、「N3」の文章と「N1」の文章とのレベルの違いというのがわからない。難しいで終わり。「大変だ」とはならないし、「だから、頑張らなきゃ」ともならないのです。

今年初めてなのに、ついつい、愚痴が出てしまいました。

大学は無理であると言っても、全く譲らず、ただ行きたいと言うばかり。私たちも無理だろうとは言えるのですが、だからだめとは言えないのです。だから、「落ちるかもしれないんだけれども、判っている?」くらいで止めています。でも、私たちの言わんとするところの意味は、多分、判っていないでしょうね。

技術があれば、入ってもやれないことは無いであろうとも思われるのですが、「技術無し、日本語力無し、根性無し」では、どうしようもないんですけれどもね。

まあ、何はともあれ、私たちが大学に進んで勉強してほしいと思っていた女の子が、「やる」と言ってくれたので、ホッとしました。

今年は、良いことだけ見て、覚えて…、まずいことは、できるだけ見ないようにし、考えないようにし、それができなければ、片目だけで見るようにしましょう。

本当にどの国の人であれ、民族であれ、おんなじなんですけれども、枝葉の部分で違うのです。そして、それがなかなか変わらないのです、変われないと言った方がいいのかもしれませんが。

他国で暮らす、他国で生きていくということは、まずは、その国の習慣的なルールを守る(たとえば、ゴミ出し、時間に対する考え方、他者との距離など)ことからやってみるべきだと思うのですが、とはいえ、おそらくは、これが一番難しい。

なんでも枝葉の部分が一番難しい。だって、習慣というは、本当に曲者なんですもの。風土から生み出された「民族の癖」みたいなものですから…。

さてさて、今年もいい年になりますように。

日々是好日