日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「七分咲きの『サクラ』」。

2014-03-31 09:19:20 | 日本語の授業
 晴れ。強い風が吹いています。

 海に近いから、風がそのまま、ここを通っていくのでしょう。とは思うのですが、内陸部の鷲宮などでも、これまた風が強い。(山が近いから)あそこから吹き下ろしてくるのだそうな。

 ところで、桜です。

 まだまだ、
「花散らす 風の宿りは たれか知る われに教へよ 行きて恨みむ」(素性法師)
の候ではありませんが、ここでも、七分咲きくらいにはなっているでしょうか(満開になってしまうと、すぐに、風について行ってしまいます)。都心では、今週半ばほどに、満開になるであろうと言われていましたから、ここでも、多分、そうでしょう。

 「サクラ(桜)」は、蕾が膨らみ始めてからが大変。「いつ咲くか」と、あっちでもこっちでもソワソワし始め、「河津桜」が綻び始めると、この辺りではどうだと騒ぎ出す。咲いたら咲いたで、いつ満開かで大騒ぎ。満開になったらなったで、風は?雨は?と気もそぞろ。面白いことに、一度でも花見をしてしまうと、若者は皆、あっさりとしたもの。もう、今年は終わったとばかりに、サクラの「さ」の字も口にしなくなるのです。

 これが、いつまでも花の追いかけをしているのが、あと何回見られるかと、人生の折り返し点を過ぎた者。他の花だって、大半は1年に一度だけ花をつけ、実を結ぶのですがね、どうも「サクラ」だけに思いを掛けすぎる…。これもサクラが雲のように見えるからでしょうか。雲の向こうには天があり、天の上には人ではない存在がある…というわけで。

 「サクラ」の根っこには人が埋められているとか、不気味な話と縁の深い花なのに…、それでも、単にマスコミに踊らされているとだけは言えないような気がします、この花に対する思いには。

 さて、学校です。

 いつの間にか、グンと暖かくなりました、「サクラ」が咲くほどに。今度、学生達が来る頃には、もう、「帽子を深くかぶり、耳には耳当て、その上、マスクをつけ、目だけを出している」恰好の学生はいなくなっているでしょう。

 この学生達(なぜか、スリランカから来ている学生なのです)、教室でも毛糸の帽子や耳当てを取ろうとはしないのです。最初は「失礼である」と叱って取らせていたのですが、本当に寒いらしいのです。一人が訴えに来ました。エアコンをつけていても、耳だけは、頭だけは、冷たいのだと言います。「本当に寒い(だから、帽子をかぶっていたい)。とてもとても寒い(だから判ってほしい)」。彼等には(日本人とは違い)、寒さは上から来ると思われます。

 これが、二度目の冬となりますと、もうこんなことは言わなくなるのですが。

 残念なことに、こういう状態になるのは、初めての冬の時。つまり、あまり日本語が話せない時なのです。自分達の気持ちを伝えられなくて、「一方的に叱られた…悪いことをしていないのに…」という思いだけが残るのでしょう。

 だったら、二度目の冬を迎えた連中が、代わりに言ってやればいいのに。それもしないのです。どうも、自分達はもう寒くないモンとでも思っているのでしょう。

 とはいえ、彼等には、春や秋の恰好はないようです。「暑い時(夏)」と「寒い時(冬)」しかないらしい。冬の初めには、半袖のシャツの上に、ダウンと相場が決まっています。長袖のシャツとか、厚手のシャツ。あるいはセーターやカーディガンなどを着る習慣がないし、重ね着をするという感覚にも乏しい。それに靴下を穿かない。スリッパを履いていても、気がつくと、時々教室に一人分か二人分のスリッパが忘れられていたりするのです。

 寒さは足元から。だから「靴下を穿いていてもスリッパは脱いではだめ」と、口を酸っぱくして言っても、「気持ちが悪い…」。慣れないものはしょうがないとは言いながら、あれでは風邪を引くのが当然と彼等を見るしかない。そして当然の如く、風邪を引く。しかも、風邪を引いて熱が出ているのに、気がつかない。学校に来た時の顔が赤かったり、頭が痛いとか、お腹が痛いとか言出してはじめて(自分でも)風邪を引いていることがわかり、病院へ行くことになるのです。

 そういう騒ぎも、終わりました。今いる学生達は、もう冬を過ごした経験を持ったわけで、今年の秋の終わりには、もう冬の準備ができていることでしょう。そしてまた新たな「冬知らず」の学生達が来て、同じような騒ぎを引き起こすことになるのでしょう。まっ、それもいいか…という気分になっています。これが、慣れなのでしょう。

日々是好日
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「四月生が一人来日しました。サクラ(桜)に間に合いましたね」。

2014-03-28 09:20:00 | 日本語の授業
 晴れ。

 昨日の雨雲も去り、今日はまた晴れ。青空に、三分ほど咲いた「サクラ(桜)」花が映えて、これまた美しい。

 「サクラ」という花を見るのは、晴れて良し、曇りても良し、雨でも良し。また朝でも昼でも夜でも良し。三拍子揃っているなと見ていると、はたと気づきました。これは梅も同じ、椿も同じ。草花は皆同じなのです。そうでないのは人だけ…なるほど。これは…気づきたくはなかった…。

 さて、学校です。

 昨日、来日したという4月生が一人、おばさんに連れられてやって来ました。全然日本語が聞き取れない様子ですし、14日まで、何もすることがないので、ゲームしたりして遊んでいるだけだと言いますので、明日(28日)から毎日学校に来て、タイから持って来た日本語のCDを聞くように言っておきました。まずは規則正しい生活をしてもらわなくてはなりません。

 この、彼女を連れてきたおばさんが、「タイ人の印象は」と聞きますので、「頑張ろうとするけれども…、頑張れない。で、…諦める、すぐ(頑張れと言われるのが嫌だから、その人のそばから)逃げる」と言いますと、笑って「そう、そう」と言います。聞き慣れているのでしょう。

 最後に、学校のトイレや図書室などを案内しました。ちょうど、その時、三階の教室で、自習していた学生が二人いましたので、ちょっと彼等と話してもらいました。アルバイトしながら、こうやって休みの日にも学校で勉強している彼女に驚いたようでした。彼女達の前のプリントも「2級(読解)」だったので、それ(漢字の多さ)にも、びっくりしたのでしょう。

 まあ、一応、学校に来るように言ってはもらいましたけれども、多分、来ても、続かないでしょう。ただ、門戸はいつも開いています。来る来ない、やるやらないは、既に大学を卒業している本人が決めればいいことです。自分で決めさせてくれと言っておきましたから。

 最初にフル回転させてしまうと、(これまでの例から言いますと)半年持たないのです。「て形」や「ない形」までは、どうにかついて来られても、それが、三つ、四つとなってしまうと、「えっ、三つ目だ…」で、諦めてしまうのです。それで、何事も、ほどほどにということになってしまいます。細く長くできれば何とか続けられるでしょう。継続こそ力なりですから。

日々是好日
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「休み中の『自習』」。

2014-03-27 09:07:45 | 日本語の授業
 曇り。時々、小雨。

 今日は一日中、こんなお天気だそうです。

 学校へ着いてから、ふと水場の「ラン(蘭)」の花を見ると、蕾がかなり綻び始めていました。この「ラン」は可憐な感じが全くせず、蕾がつくまでは、「あの、寸胴の竹」と、私は呼んでいたのです。ランマニアからは、「不届き者」とか、「美の何たるかを知らぬ者」と蔑まれそうですが。だって、花びらだって、ボッテリとして、あまり可愛くないのですもの。でも、蕾は今年もたくさんついています。この学校の水場と相性がいいのかもしれません。

 さて、学校です。
 
 今週の月曜日から春休みが始まって、そして、今日で四日目。学生達はビザの更新やら、学費・寮費の支払いやら、進学の書類について質問やら、一人、また一人と、ポツポツとやって来るので、それはそれなりに忙しく過ごしています。

 そして、今年は、久しぶりに、自習の学生がやって来ています。皆、上の階に上げているのですが、7月に「N2」を受けたいという学生が二人(以前の、「過去問(2級)読解」をさせています)。

 それから、階段から落ちて足が腫れ上がり、学校に来られなかった学生が、来られなかった分を取り戻そうと、一度やってきました。これは急には追いつけませんね。けれども、やらないよりはやった方がずっとまし。

 そして、何を思ったか、「Eクラス」の学生が一人やって来ました。来るなり、「勉強します。勉強するために来ました。ベンキョウです」と公言しますので、「はあ、どうぞ。上の階に行って下さい」と言いますと、「○○さんは来ていますか。来ていない?じゃあ、△△さんは?」というので、すぐにばれてしまいました。どこかで、他の学生が、学校へ行って勉強すると言っていたのを聞いたので、「じゃあ、自分も」とやって来たのでしょう。けれども、ちょっと考えれば、この「○○さん」も、「△△さん」も、休みの時に学校に来てまで勉強するような人ではないということが判ると思うのですけれども。

 とはいえ、寮に住んでいると、アルバイトがない時間というのは、皆まちまちですから、下手をすると一日だれとも会えないということも起こりかねないのです。すると、スリランカの学生は寂しがり屋なものだから、人恋しくなってしまうのです。となると、よく知っている場所で話し相手が必ずいる所、つまり学校へやって来るのです。きっと彼も、学校には同じスリランカの学生がいて、淋しさを紛らすことができる…くらいに考えて来たたのでしょう。一人ではできそうに見えない学生ですもの。

 ところが、豈図らんや、だれもいない。こわい先生がいて、「さあ、よく来た。何々、勉強したい?よしよし、それでは、これとこれを持って行きなさい。そして、こうやって勉強しなさい。今日の計画は?何をどこまでやるつもり」なんて言う。素直な彼は、縮こまって神妙に聞いてはいましたが、一日だけで終わってしまいましたから、多分、懲りたのでしょう。…ちょっと、やり過ぎたかな…。

 とこころで、「N2」を目指している二人の学生達(一人はミャンマー人、一人はベトナム人)のことです。 

 …中国人学生が多かった頃は、「読解問題」にしても、日本人と同じような感覚で捉えることができましたから、それほど困りはしなかったのですが。もちろん、彼等(中国人)だけの時には、「日本人とは違うなあ」としょっちゅう感じていました。

 東南アジア、西アジアへとやって来る学生達の区域が増えてきますと、また人数も増してきますと(この学校には、中部や北部アフリカからも、中南米などからも学生を入れたことがあります。けれども、せいぜい二人か三人で、同時に十人以上在校しているということはなかったのです。だから、それぞれの国の傾向は、それほど掴めませんでした)、どうもそういうやり方では、特に「読解」などはやっていけなくなる場合が多くなったのです。

 一言付け加えておきますと、私がここで言っている対象の学生というのは、こちらの言う通りに、漢字の練習はし、ある程度は読めるし、書ける、また意味も判っているという学生のことで、休みがちであるし、日本語にはあまり興味を持てないという人たちのことではありません。実際に、一年以上いようとも、漢字が書けるどころか、読めもしないという人も少なくないからです。こういう人は、「読解」以前の問題で、まず、アルバイトに困らないように普通の会話ができることを目指すしかないのです、とにかく、日本に来てしまっているのですから。

 ミャンマー人学生は、在日の方なのですが、よくできます。ほとんど手はかかりません。彼女には、未習の単語を入れればいいだけです。

 そしてもう一人はベトナム人学生です。彼女は日本語が大好きで勉強が楽しいと言います。休み中はアルバイトがたくさんできるので、しっかり働いていると思うのですが、それでも、起きるとすぐにアルバイトの時間までと言いながら学校へやって来て、勉強しています。

 学校に来ると、二人に(一緒に来るということはありませんので、いつも別々です)、プリントを渡し、まず最初に自分で考えて解いてみるように言います。それから、仕事の合間に上へ行き、質問に答えたりしているのですが。

 ベトナム人学生は、まず「いつ、だれが、どこで、何を、どうした」を考えねば意味はとれないということが判っていなかったようです。それで、それを言い、解いてごらんというと、急にスルスルと解けるようになっていきました(もちろん、主語が見えないといった難しい部分はありましたが)。その後は、未習の単語や文法に引っかかりはしたものの、大きな困難はなかったようです。帰る時に、「判った、判った」と言いながら、うれしそうに帰っていきましたから。

 読み取り方も、自分達にとっては少しも大きな問題ではなかったので、理屈で考えたことはなかったのですが、それを理屈で身に付けさせなければならない人もいるのです。「日本人に日本語の文章を」というわけではないので、しかも、常に5カ国か6カ国から来ている人がいるので、それなりに、難しい部分もあるのは確かなのですが、それでも、こういう「普通の文章」(法律や経済などには、別の思想があります。それが理解できていなければ、なかなか読み取れないこともあるのです)でも、「判らない」となってしまうのです。

 本当に、彼女には、ちょっと「ヒントを与える」だけでよかったのです。

 これも、休み中に来てくれたから、個別に指導できたので、もし、一斉授業であったら、彼女も遠慮して言わないだろうから、「『判らない』は、『判らない』」で終わっていたのだろうと思います。

 「一文」で、ほとんどが終わってしまっている「初級」から、長文とまでは言えずとも、中長文となる「中級」の読解は、まず初めは、できれば個別指導が望ましいのかもしれません。そういう読み取りのコツを母国で学んでいない人が、かなりいるようですから。

日々是好日
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「昨日、『(サクラの)開花宣言」が出されました」。

2014-03-26 09:12:42 | 日本語の授業
 曇り。

 昨日、関東地方でも「(桜の)開花宣言」が出ました。疾うに出されていた高知県では既に満開になっているそうな。

 「さくら折る馬鹿、梅折らぬ馬鹿」

 浮世絵などでは、華やかな桜の並木をバックに、桜の枝をかざしながら浮かれ歩く伊達男や、桜の枝を手に持つ浮かれ女などが描かれているのをよく目にしていたのですが…、あの桜、あの後、どうなったのでしょうね。

 今は「樹木医」や「桜守」などがいて、何かあった時にすぐ手当をしてくれるようですが…(サクラや老木は、個人の土地のものであっても、半ば公共の財産のような感じなのです)。桜の枝を持つ人の絵を見るたびに、心配になってきます。

 とはいえ、「開花宣言」が出された後は、列島は一挙に花見に突っ走りそうです。二分咲きであろうが、三分咲きであろうが、お構いなし。サクラと言う花は、咲くと決めたら、咲くのですから。満開になるのもあっという間、そして(満開の後)散ってしまうのもあっという間。「曜日を合わせてくれろ」とか、「都合を合わせてくれろ」とかいった人様の都合にはお構いなし。というわけで、うまいこと週末に見頃が迎えられるとは決まらないのです。

 既に咲き始めた「サクラ」の気持ちは、「花開く」となっているのですから、どうしょうもありませんね。もっとも、今日は、今のところ、「花曇り」。夕方くらいから、雨雲がこちらにもやってくるそうですから、一日遅れの「花起こしの雨」になるのでしょう。

 もちろん、人々の思いとしては、春と言えば、「サクラ」。けれども、春を告げるものは、サクラのみではありません。他の花もありますし、それには虫や鳥、魚や動物たちもいます。

 中学生の頃、
「うらうらに照れる春日に雲雀あがり 情(こころ)かなしも一人し念(おも)えば」    大伴家持
の歌と当時の自分とを重ね合わせたことがありました。

 それも、身近にそういう風景が残されていたからでしょう。ずっと年古りてからのこと、同級生だった友人と話している時、彼女もこの歌が印象に残っていたことを知りました。彼女の場合、それが、もっと強烈で、実際に野原で雲雀の巣を見つけ、雲雀が大空に舞い上がるのを見たなんて言っていましたから。もしかしたら、彼女の気持ちには、後半の「心悲しも」がなかったのかもしれませんけれども。

 おそらく、啄木の言うところの「十五の春」というのが、このときの私の気持ち近いものだったのでしょうけれども。

 あの当時と比べ、「自然」が身近でなくなった分、人々の口から、「里山」とか「自然」とかいう言葉が繁く語られるようになってきました。 人というものは、やがては土に帰るものですし、土を懐かしむ気持ちは、どこで何をしていても、結局は在り続けるのでしょう。

 今年、初めて、「サクラ」を見ることになる、留学生達。きっと、「きれい。きれい」と見てくれることでしょう。そして、その中の何人かが、きっと私たちと同じように、「サクラ」と共に年を重ね、思い出を紡いでいくことになるのでしょう。

日々是好日
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「外国へ行くと、人は皆、愛国主義者になってしまう…」

2014-03-25 10:29:20 | 日本語の授業
 晴れ。今は青空が広がっていても、だんだん雲が出てくるそうですが。

 近所に「アセビ(馬酔木)」の花が咲いていました。よく俳句に登場する花なで、それ故にか、あまりいい印象が持てず困っています。見ても「…ああ、こいつか」みたいな感じで…。本当は「可憐な…」と言っても、少しも違和感のないような花なのですけれども。

 先日、川崎大師に行った時、「サクラ(桜)」なのか、「コブシ(辛夷)」なのか、判らない花が咲いていました。そばにいた友人が、「この部分の匂いを嗅ぐと判る」と言って、落ちていた「萼」か何かの匂いを嗅いでいました。なんでも、匂いがあったら「コブシ」、匂いがなかったら「サクラ」なのだそうです。

 私の頭の中には、「サクラ」が咲く前に咲くのが、「コブシ」でしたし、「コブシ」の花は、地味で、白いと思っていましたから、淡いピンクの、この花は「サクラに違いない」だったのですが。結局、「匂わなかった…。でも、これは『コブシ』」で、落ち着いてしまったのですが。…人生、何でも、こんなもんです。

 この時期、野にも山にも、そして街にも、花が一斉に咲くので、「ああ、きれい、きれい。気持ちがいい」で、終わってしまい、またそれがいいのでしょうけれども。時々、ここは「何々の花ばかりを植えているところ」というのがあって、もちろん、きれいですからそれを楽しみに見に行く人もいるのですけれども、けれども、やはり自然に生えてくる花々には勝てませんね。何と言いましても、人の手が入っていないところには、「驚き」や「発見」があって、それが人の心をときめかせるのです。

 山や里を散策していると、時々、思いもよらぬ草花を「発見」したりする。今、その時でなければ、見られないもの、しかも、これらは、行けば、必ず、見つけられるとは限らないのです。

 その度に、こういう「里」に住んで、いつも、こういう発見ができる人は幸せだろうなあと思うのですけれども。とはいえ、住んでしまえば、それが日常になってしまい、別にそれを幸せともなんとも感じなくなってしまうのでしょうけれども。

 外国で暮らしている時、特に、日本を出てから三ヶ月くらい経った頃、どうしてこんな国に来たんだろうと、頭で描いていた姿との違いに、かなり苛ついていました。そして、、「戻りたい」と日本の良さばかり思い出していました。もとより、言葉が不自由であったせいでしょうし、生活がおそろしく不便であったことも関係していたでしょうけれども。

 それが、1年ほども経つと、生活の不便さも、「しようがないな」で終われましたし、言葉も何とか意思の疎通を図れるほどにはなっていましたし、それに、何よりも、その国や他国の友人ができ、国や民族、人による価値観の相違というものが、厳として存在するということにも慣れていました。だって、「それを認めながら、生活するしかない」なのですから。

 これは、今の留学生達と同じです。毎年、新しい学生達が来日して、三ヶ月から半年頃の様子を見るたびに思います。「(あの頃の私と)同じだなあ」と。「そうだ、あの頃は、いつも帰りたい」って思っていたんだっけ。「つまらないところへ来たものだ」と後悔していたんだっけ。

 日本との違いに興じたのも、最初の一ヶ月が限度。それが過ぎると、もう、何もないことに飽きてしまい、また想像していた世界との違いに興ざめしてしまい、「発見」することを放棄していました。本当はいろいろなことがあったでしょうし、できたでしょうに。

 それを思うと、彼等のことも判ります。「私の国は本当に良い国です」と、この頃の留学生達は、口を揃えて言います。そうでしょうとも。自分の国を悪く言わざるを得ない人は本当に気の毒です。だって、この時期は、自分の国が理想化されて脳裏に浮かぶというのが、本当だと思うからです。

 私だって、そうでした。母国にいる時には、悪い所ばかりが見えてしまい、良い国だなんて考えてもいなかったのに、外国へ行くと、人は突然に愛国主義者になるようです。

 ただ残念なことに、こういう小さな学校では、どうしても、ある国からの人々がかなりの数を占めてしまうという「現象」が時々起こり、クラスによっては、一つの国から来た人が大半を占めてしまうと言うこともあるので、この「異文化」や「価値観の違い」が、なかなか判らない人が出てしまうのです。

 これも、毎日学校へ来ていれば、日本人教師とのやり取りから、ゆっくりとではあっても、自分の国とは違うなということが判るでしょうし、また、皆でやる「行事」や「課外活動」に参加していれば、ふとした時に、気づかされることもあるでしょう。

 日本で日本語を学びながら、アルバイトをするということが、日本の文化や習慣に習熟することと相関関係があるように、異郷の人の一人として、他の異郷の人たちを理解していくことにも繋がっていくのです。できれば、この学校の学生達も皆、そうあってほしいと思うのですが。

日々是好日
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「『雪』から、『桜』の話に変わってきた学生達」。

2014-03-24 10:30:30 | 日本語の授業
 晴れ。4月中旬の暖かさと言うけれど、風はまだ冷たく、春の、薄手のコートでは、風邪を引いてしまいそう…。というわけで、自転車に乗ってやって来る身としては、まだまだダウンが手放せません。

 とはいえ、街を行く人たちの服装は、明らかに春。それも、単に少々厚めのコートに変わったと言うだけではなく、スカーフにしてもカーディガンにしても、春色なのです。

 で、足元を見ると、春の草花が、あっちでもこっちでも、背伸びをしている…。

 「タンポポ(蒲公英)」や「ホトケノザ(仏の座)」、「オドリコソウ(踊子草)」、「オオイヌノフグリ」、「ナノハナ(菜の花)」、「ハコベ」…。少し目を上げて、「レンギョウ(連翹)」「ユキヤナギ(雪柳)」「ボケ(木瓜)」…。いやいや、華やかなこと、華やかなこと。

 空の青と重なり合うように、咲いていた「マンサク(満作)」や「ツバキ(椿)」、「サザンカ(山茶花)、「ロウバイ(蠟梅)、そして「ウメ(梅)」などは、それぞれ盛りを過ぎ、静まりかえりそうなその時に、今週中にも、関東地方で桜の開花宣言がなされると言う。そうですよね。20度近くなる日が続けば、そりゃあ、桜も咲こうという気にもなるでしょう。

 「雪」のことを一言も言わなくなった学生達も、休み前には、「いつ桜が咲くのか」と言い始めていました。3月も中旬を過ぎると、どこかしら、もどかしげな気分になる日本人と同じような気持ちになっているのかもしれません。桜を見るために日本へ来た(これは富士山が見たいから日本へ来たと同じような理屈なのかもしれませんが)という学生が多いことでもありますし。

 もっとも、日本人は毎年、同じような気分になるのに比べ、彼等の場合は初年度だけなのです。ただ、後輩達に、「きれいだったよ」とは言ってくれているようですけれども。

 日本人は、確かに、いつも、季節の花に追われているような気がします。花の数がグッと減ってしまう冬にしても、「椿祭り」あり、「梅祭り」あり。また山野へ行っては、「フキノトウ(蕗の薹)」や「福寿草」探しをしている人もいるくらいですもの。冬の終わり、かすかな春の訪れを求めて。

 多分、アルバイト先でもこういう話題は出るでしょうから、日本人は、老いも若きも、また男女を問わず、本当にうるさいなと思っているのかもしれません。

 まあ、天気の話と花の話をしていれば、だれと話すにしても、まず間違いがない(困ることはない)…と日本人も思っているくらいなのですから、意味はそれほどないのかもしれませんが。

 さて、学校です。

 今日は、春休み第一日目。いつもそうなのですが、学生がいない学校というのは、閑散としてしまい、何ともしまりがありません。もちろん、だからといって仕事がなくなるわけではなく、学生がいる時には、いつも「時間がないから、それは休みになってから」と言っていた分をすることになるので、ワサワサしているといえば、確かにワサワサしてる…。

 こういう時に学生が一人でも二人でも、勉強しようとやって来れば、急に学校が引き締まったような感じになるのです。やはり、学校に学生がいなくてはね…。

 と、書いていると、来ました、一人。勉強しようと来てくれた学生が(実は、その前にも二人来ていたのです。が、二人とも勉強とは関係なく、一人はビザの更新のため。もう一人は、預かっていた書類を持ってくるためでした)。ホッとして、課題を出し、上の教室に行かせます。いくら暖かいと言っても、下の教室はまだ寒いのです。

日々是好日
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「勉強とは、学校に居る時にすることのこと。家で…?どうして、勉強を???」。

2014-03-19 13:18:41 | 日本語の授業
 晴れ。そして春です。「ヤナギ(柳)」は、「萌え初め」の頃を超え、言うならば「五分」程度の緑になっています。

 もっとも、明日は寒くなるそうですから、正に春も「三歩進んで二歩下がる」。

 昨日も、下校時に中国人学生が、玄関で、「いい匂い」。これは卒業式の時の花を、まだ飾っていたのですが、「ユリ(百合)」などの花を指して言っていたのです。

 ところが、教員達は花粉症の者が大半で、現在は鼻に蓋をしているような状態…出入もマスクが欠かせません。今も、マスクをしてブログを綴っているくらいなのです。というわけで、薫りとは無縁。綻び始めている「ジンチョウゲ(沈丁花)」の花の香りも、上天気の昨日今日という日には、我々とは無縁の存在。

 実は、留学生でも、すぐに花粉症になってしまう学生がいるのです。スリランカ人の男子学生は、まだ2年と経っていない時に、「私は花粉症です、グスン」とやっていましたし、1年にもならないフィリピン人も、「グスン、グスン。頭が痛い…」ですもの。

 これまでは、何となく体内の花粉の量が一定量を超えたら、症状(花粉症)として外に現れる…といった捉え方をしていたのですが、それが違っていたのかも。もちろん、人によって体内に蓄えられる量が違っているというのも関係があると思いますが。

 さて、学校です。

 卒業生が去って、一番上のクラスになった、「CDクラス」の状況を問われれば、「授業はしやすくなったし、よく勉強するようになった」と、答えるしかないのですが、この「よく勉強する」というのも、日本人の思い描くところとはちょっと違っているのです。

 「よく勉強している」と言いましても、ほんのごく一部の女子学生を除けば、「授業中、ちゃんと集中して聞いている」にすぎないのです。(彼等が)家に帰ってから、何か(勉強らしきこと)をするなんてことは、私をはじめ、他の教員達も考えてなんぞいません。

 彼等にとって、「勉強する」のは、学校という場でであり、それに始まってそれに終わっている…のです。だから「(家で)これこれをやってきなさい」と、宿題なり、課題なりを出すと、それこそ、すごいことをさせられているような気になってしまうようなのです。

 ということで、まずは、宿題をする気もないし、だいたい、するという習慣もない…だから、『初級』の一時期を除けば、(こちら側でも)出さない…のです、余程のことがない限り。

 あまりしつこく(「出せ、出せと)言うと、「書きゃあいいんだろう」とばかりに、答えを写して終わりになってしまうでしょうし。(嫌だなあと思いながら)言っている方だけでなく、「言われる方」にしても、(別に悪いことをしていないのに)いつも非難されているようで居心地が悪い。下手をするとそれが原因で足が遠のくということだってあるかもしれません。

 これが、小学生でしたら、コンコンと説得する…や、遊びを通して何事かをさせるという方法もあるでしょうが、相手は大人だし、アルバイトなどで自由になる時間も制限されている…とあっては、本人の自覚に待つより他はないのです。

 つまり、学校でどれだけ「集中」できるかで、大半が決まってしまうのです。

 これができるようになれば、(毎回のようにどの授業でも復習は欠かしませんから)一ヶ月、三ヶ月、そして、半年もすれば成果は出てくるでしょう。もっとも、欠席が多くなったり、あるいは、授業中も集中できないとか、眠ってしまったりしてしまうと、せっかくの勉強も生かされぬまま終わってしまうことになってしまうのですが。

日々是好日
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「春一番…かな」。「既習の漢字から、二字漢字、三字漢字の意味を考えていく」。

2014-03-18 11:40:55 | 日本語の授業
 晴れ。

 青空が広がっています。今朝の予報では、今日の気温は、17度から9度とのこと。もうすっかり春の気分です。で、「桜はどうかいな」と見てみたのですが、まだまだですね。2月から3月初旬の寒さが祟っている様子。暖かくなっても、まだ半信半疑なのでしょう、「これは本物なのかいな」と。

 とはいえ、ベランダの「カイドウ(海棠)」は蕾をかなり膨らませています。今年は桜より先に咲くかも…なんて気にもなるのですが、この「サクラ(桜)」、咲くと決めたら、全力でつっぱしってきますからね。侮れません。きっと今年も桜の方が先に咲くのでしょう。

 柳は緑を随分濃くしています。もう、春、春、春です。

 さて、学校です。

 「CDクラス」では、「N3文法」をやりがてら、本文中に出てきた漢字の説明をしています。「初級」のうちは、まず基本的な300程度の漢字を覚えるだけでアップアップ言っていたのですが、遅まきながら、やっとその応用編に移ったような気分。こうなると、好奇心や向学心のある学生は面白くなるのです。だって、漢字というのは「象形文字」なんですから。それに「言語」というのは組み合わせなんですから、どの国の言葉であっても。だから、ゲーム感覚で遊べるところがあるのです。

 このクラスは、来年度から高校一年生になる予定の中国人男子を除き、みな「非漢字圏」の人たちですから、漢字の部首の説明にしても、何にしても、感心してくれる人が何人かいるので、説明のしがいがあるというものです。

 例えば、「入金」。この語一つにしても、「金」と「入る」は既に別々に入れてありますから、説明は簡単でいいのです。

 「『入金』の、『入』は?」。「入る、入れる」。「では、『金』は?」。「お金」。「では、どうなりますか」。「ああ、お金が入るんだ」。「で、話の流れとしては、どちらからどちらへ行きますか」。「『銀行へ入金する』だから、銀行へ入れるんだ」。

 「最初」という漢字にしても、「最(もっとも)」を入れさえしておけば、その次に「低い」がきても、「高い」が来ても、「後ろ」が来ても、それなりに想像ができ、意味が掴めていきます。もちろん、形声などの、音だけを表すものもありますから、何でもそれができるというわけでもないのですが。

 コツさえ掴めれば、二字か三字、あるいは四字の漢語であっても、(聞いていくと)面白いように言い始めていきます。出なければ、ちょっとヒントを言いさえすればいいのです。もちろん、正解ばかりではありませんが(だって、まだ漢字のレベルとしては「N4」に毛が生えた程度なのですから)。

 「初級」が終わって、この形でやってみて、早一ヶ月。なんとなく調子が出てきました。もとより、皆が皆、これでできるというわけでもないのですが。以前は、かなり学力があったり、素質のあった学生でも、どこか自然に任せる、本人の能力に任せるような所がありました。こちらとしても、どう対処していいかわからず、(やみくもに…多分、そうだったのでしょう)教材ばかり作っているようなところがあったのです。

それに、非漢字圏の学生といっても、大半はアルバイトで疲れているか、勉強の経験がない人たちが多く、面白いことはしたいけれども、積み重ねることは不得手。教えて、その時は、「ああ」と言っても、次の日はほとんど忘れている。彼等の日本語はアルバイト先で覚えたものというような、そういう学生達が多かったのです。

 もともと、大学進学を目指して来日していると言っても、来日時は、「伊呂波レベル」。(勉強を)やって来たと言っても、せいぜい、「初級の13課」くらいのもの。それを1年とちょっと、あるいは1年足らずで、「留学試験」に参加させるのですから、彼等としても大変です。気力が続かないというのもわかります。暑い国の人たちは、頑張れない人たちが多いのです(これはホントです。日本人だって、アルバイトをしながら勉強を続けろと言われて、できるかというと、大半の人たちはできないと答えるでしょう)。それで、教える方としても、何とか手立てはないものか、試行錯誤を重ねていたのですが。

 ところが、やってみても、学生の方が疲れていれば、効果の有無も判らないのです。端っから漢字は嫌いと来て、覚えているのがせいぜい、10ほどであれば、何もできません。一応、「N4」レベルの漢字を覚えておいてもらわなければ、どうにもこうにも応用ができかねるのです。

 結局は、時間です。そういう学生が来るようになるのを待つという。また一人だけではなく、そういう「非漢字圏」の学生が、複数でいるということ、それがそういうクラスの雰囲気を作り上げているということ。

 そうすれば、海の水を柄杓で飲み干すではなく、すぐに結果が目に見える形で出てきますから、こちらとしても、(教える)方針をさだめやすいのです。そして、初めてやり方を決めていくことができるのです。

 これまでは、そういう力が大半を占めることなく、暖簾に腕押し、何をやっても、お願いだから面倒なことはやめてという目で見られているだけでしたから。

 何でも、どこでもそうでしょうが、相乗効果というのは、とても大切なのです。教師のみの力ではなく、また学生だけの力でもない。教師と学生とが共に学びの雰囲気を盛り上げていく。また、これは一クラスだけのことでもないのです。学校全体がそういう雰囲気にならないと、結局は単発で、あの年の学生達は真面目だったという回顧録で終わってしまうのです。

日々是好日
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「ナノハナの候」。「日本に居るなら、日本語ができなければ、何もできないのです」。

2014-03-17 13:17:35 | 日本語の授業
 晴れ。暖かい。もうこれは4月です。桜の頃です。小鳥たちの声が何となく気ぜわしく感じられてくるのも、彼等が春を感じ取っているからなのでしょう。

 今日は、5度から16度の気温で、洗濯日和(マークが◎でした)になるとのこと。このお天気が月火水と続くそうです。

 「昨日の暖かさは何だったんだろう」と、寒さがぶり返してくるたびに、そう思わされていた2月。足踏みしていた春もやっと本気になってくれたようです。土曜日に行った鷲宮では川沿いある「カワヅザクラ(河津桜)」が、既に満開になったとのことでしたし。

 しかしながら、日比谷線、東武東上線の沿線は、桜と言うよりも、まだ梅の花の候。車窓を飾っていたのは、紅白の梅の花であり、街を離れると、今度は「ナノハナ(菜の花)」でありましたから。

 冬の間は、花々の変わりに富士山が毎週のように姿を見せてくれましたが、その富士山とも、そろそろお別れ。春は冬のように乾燥していませんもの。遠く、霞の中でその姿は消えているのです。

 さて、学校です。

 「卒業式」も終わり、それぞれ新しく旅立つ…はずなのですが、大学や専門学校の学費のためのアルバイトに追われ、なかなかそういうわけにもいかない学生達が随分いるようです。

 この、最初に正規の半期分を払い、安くなる分(大学の場合、三割が相場のようですが。国から補助が出るので)は、後期の分から差し引く…というのは、どうにかならないものでしょうか。

 大学によっては、学生の状況を見て、相談に応じてくれるところもあるのですが、一度痛い目に遭った大学は、もう金輪際、面倒な学生は嫌とばかりに、「じゃあ、来なくてもいいよ」的な態度で迫ってくるので、せっかく試験に合格しても、学生は喜びを噛みしめる遑とてありません。

 国を離れている間に、家族のだれかが病気になったり、急に経済的に苦しくなったりすることもあるようですし。もともと、それほど(日本人から見れば)経済的には豊かであるとは思われない学生達です。母国にいる限りは、生活の苦しさなどを感じずに済んだでしょうが、日本に来て勉強しながら、生活費や学費などを稼ぎ、同時に食事を作り、掃除をし、洗濯をしと、日常的な雑事にまで追い回されている学生達。これが全くできない学生もいるのです。同室者が音を上げるほどに。

 それでも、日本語がある程度できれば、困った時に、人にも相談もできるのでしょうが、半年くらいの間(「初級」段階)は、なかなかそれも難しい。

 日本にいる間は、日本語ができて初めて、スタート台に立てたようなものですから、日本語が不自由な間は、生活の様子にしても、学校での授業中の態度にしても、「全く、これじゃあな」と首を傾げざるを得ないような有り様なのです。彼等は全く自覚していないようなのですが。

 (日本に居る限り)まずは、日本語が上手になること。すべてはそれからなのです。

日々是好日
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「学校とは、学生と教師とで作り上げていくもの」。「『自分が』が多すぎると、軋轢が増える…」。

2014-03-14 13:30:41 | 日本語の授業
 曇り。時々小雨

 昨日の風はすごかった。傘も、骨が折れそうなくらい撓っていましたもの。雨はそれほどでもありませんでしたが、昨夜、自転車でアルバイトに向かう学生達は、相当苦労したことでしょう。

 今朝は、一転して、静かです。風がないと、こうも静かなのかと思われるくらいに。時折、ヒヨドリの鋭い鳴き声が静かな街を切り裂くばかり。

 数年前、駅前広場の、中央にある樹に、ムクドリが集団で野営をし、その糞公害に悩まされたことがありました。が、その樹にもネットが張られてしまい、塒を奪われた彼等は、今度はどこに行ったかといいますと、なんと駅近くの電線の上。電線の上に鈴なりになって留まっていました。そしてその下には、拭っても拭っても糞の跡が…。

 糞をするのも鳥の自由。塒をどこにするのかも自由。群れで過ごそうが、番で過ごそうがこれもまた自由。ただ、人間が縄張りを拡げ、そこでの権利を主張し始めたがゆえに、彼等との間で、いろいろギクシャクし始めたのです。ただそれだけのこと。

 とはいえ、上から落ちてくる糞に、「運がついた」とか言って、やせ我慢を張るには、我慢の限界が…ある。困ったものです。元々は遅れて縄張りを主張し始めた我々人間族の方に非があるのでしょうけれども。

 さて、学校です。

 学校には学生と教師とがいます。他にはだれもいません。で、何をするにも、共同作業で、やらなければなりません。ほとんどは、お手製…ですから。

 力のいる仕事は男子学生にしてもらいますし、高いところでの蛍光灯の付け替えなども背の高い学生にしてもらいます。掲示物を貼る時も同じです。

 「卒業式」や「入学式」の時もそうです。「卒業式」は、一年生達に準備してもらい、「入学式」には、新たに二年目を迎える学生達に、机を移動したり、並べ替えたりしてもらっています。そして茶話会などの後片付けも、学生達に手伝ってもらっています。

 これも、自分から進んでやり、しかも手際のいい人もいれば、最初はどうしていいか判らず、ぼんやり突っ立っているだけの人もいます。時には、私が何でこういう使用人の仕事をしなければならないのかとばかりに、周り(一生懸命に働いている教師や学生達)を睥睨している人もいる…のです。

 初めはどのような状態であろうとも、(日本語学校にいる1年ないし一年半の間に)こういうことを率先してやれるようになれない人は日本ではうまく生きていけないような気がするのですが。

 日本人だって、大変なのです、こういうタイプ、あるいはこういう躾を受けていた人は。ましてや、言葉の不自由な世界で生きていかねばならない彼等です。余計にこういうことに長けていなければなりません。

 これは単に重宝がられるというだけではないのです。実力プラスの何かが必要とされる世界ですから。

 出身だけで人に立てられるということは、まずないでしょう。お金があるからと言っても、立てられるには余程の大金の持ち主でなければ無理です。小金持ち程度ではだめなのです。

 でも、私には才能があるとか、能力があるとか言っても、個人差はそれほどないのです。あるのは、好きで続けていけるかどうか、その時(必要となる時)に、集中力をどの程度持続できるかどうかといった、いわば枝葉の違いでしかないのです。

 以前、「こいつは、どうすべえ」と対処の仕様もなければ処置もできないといった学生が2名ほどいました。一人はスリランカ人で、もう一人はインド人でしたが。

 スリランカの学生は、それでも、アルバイトを通じて、多分少しは変わっていった…ような気がしました。が、インド人学生は本当にどうしたらいいか判らないほど、こういう手伝いを「すべき」時も、傲岸不遜といった態度を取っていました。かといって、できるからとかいうわけではないのです。多分、こんなことをするのは、身分に関わるくらいの気持ちだったのでしょう。

 そういう彼の態度を他の人がどう見ているかということについても、全く無頓着でしたし。おそらく、彼の国では(そういうことは)至極当たり前のことで、彼がそういう態度を取ることによって他の人達が不愉快になっているということにも考えが至らなかったのでしょう。それによって人に嫌われているということにも。判ったのは、最後の旅行の時だったと思います。

 この旅行の時には、学生達は二人部屋に泊まりましたから、相部屋の相手が要りました。それを、誰それとは一緒の部屋は嫌だ、他の人と一緒がいいとか、わがままを言い、それが通用すると思っていたのでしょう。それなのに、名指しされた人が、彼を選ばずに、彼が嫌だと言った人の方を選んだのです。

 このときは顔色が変わっていました。あり得ないといったふうで。あれでやっと自分の「程度」が判ったのかなと思ったのですが、旅行から帰ると元通りになっていましたから、「江山易改,禀性难移」なのでしょう。日本では(彼は)難しいかな。

 時々、それと同じような感じをインド圏からの電話で受けることがあります。多分こちらが女だからそういう態度になるのでしょう。愚かだなと思いますが、やはり「三つ子の魂百まで変わらず」なのでしょう。(日本などへ来ずに)そういう感覚で生きられる世界で生きた方が良いと、こちらでは思うのですが、そういう人でも、まだずっと日本に居座りたいと言います。

 面白いことに、そういう人は、立派な出身である自分が命令すれば、自由人たる日本人でも、命令に従うとでも思っているようです。普段は他の日本人に合わせていても、何かあると、すぐに「お里が知れる」ような行動をとるのです。不愉快だと感じたこちらは、それでも、喧嘩などはしませんが、色よい返事はしませんから、余計に腹を立てて喚き出したりするのです。

 日本は少子化が進み、外国人労働者を入れなければ云々と言われているようですが、こういう私たちのような仕事をする(普通の外国人と接することの多い)人間から見ると、日本でうまくやれると思われる人と、そうではない人との差は歴然としてあるのです。日本の文化や習慣をそれなりに尊重してくれない人、自国の文化習慣、人との接し方をそのまま持って来ようとする人には、困りものなのです。一応、日本では男女同権で行っているので。それに、日本的な情緒が崩れていくきっかけにもなるでしょうから。

 こういう人は日本的なものをまず認めません。自分の国が一番なのです。日本的なものを認められないし、認めなければならないとも思ってはいないでしょう。自分の、母国で培ってきた精神で物事を考えているようですから、変われないし、それ以上の(どこであれ、環境が変わることによって得られる)豊かな精神も、得ようなどとも思ってはいないのでしょう。

 もちろん、変われる人もいます。そういう人は日本でだけではなく、どこの国へ行っても、その国に合わせ、その国の優れた点を素直に認め、その地で生きていくことができるでしょう。どこの国へ行っても成功できるのだと思います。こういう人とは、私たちも一緒にいたいと思いますし、私たちが(一緒にいて)楽しいと思えるくらいなのですから、他の、大半の日本人も一緒にいたいと思うでしょう。

 どうせ、一回切りの人生です。いやな相手とはあまり顔を合わせたくないし、顔を合わせて角突き合わせるようなこともしたくない。

 とはいえ、私たちも外国人学生を見て、翻って「己は?」と思うこともよくあります。学生の方でも、「(日本の習慣や文化、人との接し方などについて)どうして」と聞かれることもあります。これはお互い様なのです。「私だけを見て。私だけを理解して」ではなく、「私も理解して。あなたも理解したいから」でなければ、外国ではどうしようもないでしょう。

日々是好日
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「猿も木から落ちる…。(褒められたのかな)」

2014-03-13 08:44:17 | 日本語の授業
 曇り。

 明日は雨だと、昨日から言われていたのに、今朝窓を開けてみると、青空がチラホラ雲の合間から見えています。おかしいな…けれども、テレビの天気予報では、昼頃から雨がふりだすことを前提にして話が進められています。

 まあ、いいでしょう。行きだけでも、自転車を使えるわけですから。

 さて、学校です。

 昨日「Eクラス」で、「受け身」の復習をしていた時、やっと簡単な形がとれたと思い、その一段階上の「人の紹介」を入れようとしいたのですが。あれあれ、言わねばよかった…。けれども、途中でやめるわけには行かぬと、押していきます。

 一生懸命こちらを見て、理解しようとしてくれている学生を例にして、三人ほどの名を上げていきます。この人とあの人は友達です。この二人は知りませんとかなんとか言いながら、「○○さんは、□□さんに、△△さんを紹介されました」で、説明して行きます。うんうんと、これは社交辞令だなと判った振りをしている学生をまた名指しして、今度は彼を例にしていきます。

 ところが、言っているうちに、急に学生が「先生、違う」。「わあ、先生、間違った」と、半眼で船を漕いでいた連中までが目覚める大騒ぎ。どうも(私が)言っているうちに、言い間違えたようです。しかも、いつもは、判らぬくせに、こういう時だけは耳ざとく、判るんですよね。厭な奴ら。

 そして、一人が突然、「猿も木から落ちる」とほざくではありませんか。「私はサルじゃありません。高いところも嫌いです」と言いはしたものの、感心してしまいました。言うタイミングも、そして使い方も正しい。ことわざというのは、どこかで聞いていても、なかなか使うのは難しいものです。文化が微妙に違うものですから、どこかで歪みが出てしまうようなのです。

 それが、ぴたっと決まったものですから、内心驚きましたし、思わず「参った」と言ってしまいました。

日々是好日
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「日中は、暖かくなると言うけれど……」。

2014-03-12 08:27:22 | 日本語の授業
 晴れ。

 陽が高くなると、空がだんだん青味を増してきました。日中は16度ほどになると聞きましたが、朝はまだ寒く、自転車に乗ってくる身としては、まだまだ「春遠し」なのです。しかも、甘く考えていて、今日は手袋を持って来なかった…「しまった」というのが実感。

 とはいえ、学校に着いて、ストーブをつけてみると、15度という表示が出ました。寒い時は4度、暖かい時でも8度くらいのものでしたから、部屋の中はそれどと凍えてはいなかったようです。

 さて、学校です。

 先週末から今週初にかけて、4月から入学したいという問い合わせの電話が続いています。昨日も、2名ほど見学に見えられたのですが、さて、どうでしょう。

 この、在日の方が勉強するというのは、案外難しいものなのです。

 既習、未習の違いはもちろん、既習でも独学でやったことがあるとか、ボランティアのところでやったとか、あるいは他の日本語学校で勉強したとかありますし。また、来日後の年数も人それぞれですし。ある人は先週来たばかり、ある人は、1年後、また数年経っているという人までいます。

 母国でかなり勉強していても、来日後、すぐに学校に来てくれさえすれば、割合にスムーズに日本語を習得していけるようなのですが、ところが、日本に来てから、半年乃至1年、長い人は2年か3年も、我流で勉強していたという場合、学校に来ても、「思っていたことと違う」という気持ちになって、続けてはいけないようなのです。

 もともと、来日後、かなり経っていますから、ある程度は聞き取れるし、話せる。初めて日本人について勉強を始めたという、多くの留学生とはそこのところが違っています。しかも、「こんにちは」から始めて、流行語まで、日本人とのやり取りに慣れていますから、教師との問答も堂に入ったもの。すぐに言葉が出てきます。

 ところが、正確さを求めて行くと、途端に行き詰まってしまうのです。これまで「助詞」は適当に入れていたり、抜いて話していたりして話していた(日本人はだいたい意味は判りますから、ああ、ああと言って放っておくでしょう。これはどこの国に行っても同じでしょうが)のに、その正確さを要求されるものですから、だんだん面倒になってくる。漢字も読めるようになりたいと、学び始める前は言っていたのに、学ぶ漢字が50ほどにもなると面倒になってくる。まあ、仕方のないことでしょうけれども。

 それを、勉強しに来たのだから、この山を越えようと言ってみても、人によっては、私は年だからで終わり。そこで止まってしまうのです。それは、まあ、最初っからわかっていたことなのですけれどもね。

 こういう人で、頑張れるのは、やはり国で大学を出ていたり、出ていなくとも、勉強する習慣がきちんとついていた人くらいでしょう。

 今、今度「N3」や「N2」に挑戦したいという「非漢字圏」の在日の方が数名いるのですけれども、よく勉強しますね。もちろん、その中には、「言語」を勉強するのが苦手な人もいます。けれども、共通しているのは、「知りたい。勉強したい」という気持ちでしょうか。できれば、日本の大学に入って、勉強し直したいという希望を持っている人もいますし。

 連絡をくださった方が、この人達のように、真面目に続けられるとうれしいのですけれども。

日々是好日
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「昨日は『卒業式』でした」。

2014-03-11 08:52:51 | 日本語の授業
 晴れ。

 昨日に引き続き、「弥生」の月とは思えないほどの寒さです。けれども、空は青く、どこまでも青く、切なくなるほどの青い空が広がっています。この「青さ」は、熱帯地方のものでも、砂漠で見られるものでも、ましてや、高所で見られるような「あお」でもない。この地の「青」なのです。そして、その「『青』という美」に育てられ、また、育てられつつあるのが、私たち、日本人であるのかもしれません。

 色というのは、その地の気候と不即不離の関係にあり、それがその地に住む人たちの心情とも性癖とも密接な関係を生んでいるというのは、本当でしょう。

 日本でも、明治期の画家達が、芸術の都、パリへ行って、一番困ったのが「光」と「湿度」の違いから来る「色の差」。もっとも、彼等は日本の「色」を油絵でも表現できるように努力し、達成されていると言われているようですけれども。

 それにひきかえ、「日本語」は、この地で生まれたものですから、強い(またそれ故に、弱さもあります。滅びるとなったら、すぐに滅びてしまうでしょう。日本人がいなくなればということですが)。時には、自分達の心を移せるものとして、他国の言語を請じ入れたり、省いたりして、発達してきました。物の本によると、成熟期を迎えたのは、『源氏物語』ではなく、『平家物語』であったそうな。

 確かに、『平家物語』は、朗読しやすい。琵琶法師によって、謡われたというか、読み継がれてきたというのかが、根幹にあるからかもしれませんけれども。

 小学生の時、先生に、「作文に困ったら、歩きながら、考えてごらん。そしてブツブツと言い、息を吐ききった時が、句読点と考えて」と言われたことがありました。それからしばらくは、作文に困ることはありませんでした。琵琶法師の末裔たる、日本人としては、その脈が流れているようで、感慨深いところです。

 ところで、昨日は「卒業式」でした。

 「教員の一言を」と言われても、毎日のように、ここで、あれこれ言っているわけで、今さら、「さて、何を言おう」なのですが、昨日、家に帰ってから、はたと思い至りました。

 この「ブログ」、最初はだれを対象にして、書いていいのかも判らず、何だかつじつまの合わない書き方をしていたのですが、それが、中国人の学生が入ってくるようになり、彼等を対象にして書けばいいということになり、随分、気分が楽になりました。聞けば、読む時もあるというので。

 それならばと、彼等を相手にブツブツと言い始め、それが(まあ、いつも読んでいるというわけではないのでしょうけれども、1年に二回か三回でも読めば、ありがたいと思うべきなのでしょう)しばらくは続きました。

 そのうちに、彼等も卒業し、さて、今度はだれを相手にしゃべったらいいのかしらんと考えても、どうも、困ってしまうばかり。で、だれとも対象を考えずに、その日にあったこと、感じたことなどを書き綴っていくことにしました。

 あとで、見れば、「ああ、このときは、途中で学生が来て、アタフタと仕舞いにしてしまったんだっけ」とか、「途中で始業時間になってしまい、残りは、あいた休み時間に、チョイチョイと書いたせいで、どうも一貫性に欠けているな」とか、後悔することばかりなのです。それで、もう別の日に読み直すことはやめにしてしまいました。「その日書いたものはその日で終わり。見直さない」ということで。

 もちろん、そう、決めはしましたが、中国語の翻訳を頼んでいる友人から翻訳文が送られてくれば、厭でも見てしまいます。「言いっぱなし、やりっ放しはだめ」と、学生達には言っているくせに、どうも我が身のことになると、そうは参りません。彼等の苦労がよくわかって、ちょっとやるせない。「もう、しばらくは言えないな、こんなこと」という気分になってしまいます。ただ、これも一時のこと、すぐに忘れて、喚いてしまいます。もっとも、相手はそれがわかっていますから、へいへいと適当に私の相手をして終わりなのですが。

 話は元に戻ります。

 おそらく、今時の学生は、ここにこうして学校のブログがあることすら知らないでしょう。ということは、ここで、彼等に対して私の一言居士めいたブツブツを聞いていないのです。

 自分では、毎日のようにブツブツ言っているわけで、それが適当な発散になっていることだけで満足していればいいようなものなのですが、つい、人というものは愚かなものですから、相手にも伝わっているような気分になってしまいます。ですから、(卒業式の時に、どうぞと言われても)「もういいや(毎日言っているから)何も言わなくても」という気になってしますのです。それどころか、いつもの話の続きめいた話すらやってしまうほどなのです。

 で、昨日の失敗なのですが、それで、つい、「進学したら(もう、かなり日本語がわかるようになっているから)、友達を作ってね」と、言ってしまったのです。

 これも、いつも私がこのブログで、厭になるくらい言っている「好きこそものの上手なれ」の続きで、「大学で専門を一生懸命やっているうちに、友達ができる」だったのですが。この、最後の「友達を作ってね」に過剰に反応した一人の卒業生が、帰りに私のところに来て、「先生、わたしは友達を作るのが、下手なんです。どうしたらいいですか」と悲しそうな顔をして言うではありませんか。

 「『経済を勉強したい。経済学が大好きだ』と言っていたでしょう。それを一生懸命に勉強したら、自然に友達が出来る。君と同じように経済が好きでたまらない人が同じ経済学部には山のようにいるわけだから。きっとお互いに惹き合って、あるいは引き寄せられて、友達はできるから、心配ない。心配する必要なんて全然ない」

 「そうですか」と、ちょっとほっとしたようにして、帰っていきました。が、本当に、(いつもブログに書いているので)前書きなしで言ってしまうくせは、どうにかしないといけないのかもしれません。

日々是好日
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「今日は『卒業式』です」。

2014-03-10 08:54:35 | 日本語の授業
 晴れ。

 ただし、朔風がビュンビュンと吹いていて、寒い。向かい風の中を自転車を漕いでくるのは、(なかなか進まないので、しかも時々あらぬ方に進んでしまうので)辛い。漕ぎながら、例の「よっこらしょ、また一つ、よっこらしょ」と自然にかけ声が出てしまいました。

 しかしながら、いったい全体、この風、どうしたことでしょう。「桃の節句」も過ぎ、もう「弥生」も10日になろうというのに。

 今年は、雪の当たり年(実は「当たり年」なんて言葉は使いたくないのです。皆、大変だったようですもの)でした。年度によっては、結局、一度も積もった雪を見ることなしに卒業するという時もあったのに、今年の卒業生達は、何度見たことになるのでしょう。

 去年、降った雪だって、積もったし、今年の雪なんて何十年ぶりと言われるほどのものが二度もありましたもの。

 「雪の当たり年の学生たち」ということで、記憶に残るのかもしれません。

 去年の暮れまでは、雪を見たことのない一年生達に、如何にも偉そうに「雪見たモンね。へへへへ…」なんて言っていましたのに、今年の大雪のあとでは、「もう、雪、要らない。大変」になっていましたもの。

 こんなことを思いだしているうちに、陽射しが勢いを増してきました。

 お手伝いの一年生達は10時から、卒業生とその他の一年生たちは、12時半に来ることになっています。

 上の階の準備と下の階の準備は、金曜日の後半の授業後に学生達にやってもらいました。最初の時(来日後初めての行事)、机の並べ替えや椅子の片付けなどに右往左往していた学生達が、如何にも手際よくやっているのを見て(もちろん、出来ない人はできないのですが)、なんだかホッとしてしまいました。

 そうです。どこの社会でも、こういうことに、骨身惜しまず働ける人が好まれるのです。そして重宝されるのです。大切に扱われるのです。そのことが、アルバイトを通して、そして、学校のこういう行事を通して、少しずつ学生達にも判っていくのでしょう。

日々是好日
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「『漢字も判らない…』、『ヒアリングも弱い…』…ベトナム人学生」。

2014-03-07 13:18:25 | 日本語の授業
 晴れ。

 うっすらと白い雲がかかって…、美しい空。けれども、また冬に逆戻り……寒いです。

 今年は、「桜」の開花予想が3月末ということでしたけれども、どうなるのでしょうか。三月に入ってから、こうも寒いと…。春の妖精達は、どこで足踏みをしているのでしょう。

 さて、学校です。

 今回から、新しい『初級』の教科書を使い始めたということで、時々、いろいろと問題が起きています。慣れないということもあり、単語カードの準備を間違えたとか、そういうことも度々。

 2月の中旬頃から、この『初級クラス』に、週三で入っているのですが、初めてこのクラスに入った時と比べると、慣れたせいでしょう、もう「ああ、先生だ」くらいの感じで迎えてくれるようになっています。

 昨日は、ベトナムの学生達が「キンカン(金柑)」を食べていました。「酸っぱいでしょう」と問いかけると、「酸っぱい」をめぐって、ザワザワザワ。それで、彼等が知っているレモンを食べて顔をしかめる様子をしてみせると、意味が判ったらしく、「いいえ、いいえ」を繰り返します。一人が「甘い」というと、また「違います」という意見も出てきます

 中の一人が、「甘いです」で、右手を出し、「酸っぱいです」で、左手を出し、他の一人が、その真ん中あたりを手で示します。

 「そうですか。『甘い』と『酸っぱい』の間ですね」と言うと、急に空気が暖かく膨れあがり、「そうです、そうです」と眼をキラキラさせて、言います。随分、意思の疎通がはかれるようになりました。

 異国に来て、まず第一に学ばねばならぬことは、互いの気持ちを、表情で忖度できるようになるということ。 

 私達の顔を見ようとしない学生は(教科書から顔を上げられない)、それだけで「困るな」という気分になってしまいます。もちろん、スリランカの学生達のように、一時間でも二時間でも、こちらの顔ばかり見ていて、教科書を見ようとしない学生も困りますけれども。

 彼等(スリランカの学生)の困るところは、(私が)「教科書を見て」と言い、教科書を読み進めているのに、私の声にリピートするだけで終わってしまっているというところでしょうか。

 つまり目で字を追っていないのです。これでは、単なる「オウム(鸚鵡)」に過ぎません。全く意味が判らなくても、20字であろうが、40字であろうが、リピートできるという奇才(?)には畏れ入っても(すごいなと思ってしまえても)、考える作業ができないのには、困り果ててしまいます。

 もともと「読む」という習慣がないくせに、リピートできるということで、(他の学生達に比べ)「俺様(女性もいるのですが)は偉い」となってしまい、「読む」必要などない(苦手なことですし)ということになるのでしょう。

 しかしながら、これでは「読んで、意味を考えて、答える」という作業を必要とする問題にはお手上げとなってしまいます。実は、今いる学生達の中にも、少なくないのです、こういう人たちは。

 ところで、話を元に戻します。ベトナム人学生達が多い『初級クラス』のことです。

 昨日は、「問題」の日でしたので、問題を進めていったのですが、その時、「聴解」のところで、テープに、(「一」は入っていたのですが)「二」が入っていなかったのです。

 で、急遽、私が、問題を読み上げるということにしました。

 私が問題を読み上げますと、判ってくれるのですよね(私の声に反応してくれたのです)、テープでは一度や二度では、聞き取れなかった学生まで。そうか、ここまでになったのかと、おかしな感動の仕方をしてしまいました。

 ベトナム人の学生は「聴解」が苦手で、これまでは、(聴解は)中国人の学生が一番苦手であると思っていたのに、その下を行っていたのです。

 「下には下がある」。中国人よりひどいということに気づかされるのに(ベトナム人を入れるようになってから)、そう時間はかかりませんでした。

 そうか。中国人は、漢字があるから、救われるところがあるけれども、ベトナムの学生は、「『聞き取り』も苦手、その上『漢字』も判らない」で、二重苦であったのか…。

 それで、彼等が、必死になって教科書を読みながら、リピートを続けても、(ベトナムの学生全部に甘いというわけではないのですが、ある程度までは)文句をいわないようになりました。もっとも、一番いいのは、やはり、見ずにリピートできるようになることなのでしょうけれども。
 
日々是好日
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