日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『春一番』がやってきた」。「学生の『好奇心』や『関心事』から、『学びの道』へ」。

2010-02-26 08:42:07 | 日本語の授業
 昨日、春一番が吹いたそうです。言われてみれば、「あれがそうかいな」くらいの感じのものでしたが。もっとも、そうは言いましても、確かに、放課後、「面接」の練習をしている時に、窓がカタカタ鳴っていましたっけ…。しかも、「面接」の練習が終わって、まだ7時半は過ぎていなかったと思いますが、二人で話しながら、窓を閉めようと窓に手をかけた時、そのガタガタ鳴っていた窓ガラスの向こうから、呼びかけるような声が聞こえて来たではありませんか…。

 二人で、「えっ」「えっ」でした。思わず、顔を見合わせ、「ねえ、声がした…?」「したよねえ」。それで、窓を開けて見てみると、なんと、この日、面接試験(終わって、直ぐに「もうだめです」と連絡してきたのですが)から戻ってきて、「もうだめだぁ」を連発しながら帰っていったはずの学生が、ニコニコしながら立っているではありませんか。

 思わず「どうしたの」。「へへへへへへ…。まだ、先生がいるかなと思ってね」と満面の笑み…う~ん。まだ、遊んでもらう気でいるな…。面接の練習が終わった学生が、「先生は年なんだから、もうだめ」と言わでものことを言いながら、(彼女の)背中を押すようにして、帰っていってくれましたが、全く仲のいいこと。

 この人達の「クラス」では、一人が日本で趣味や関心事を見つけると、それがいつの間にか、クラスのみんなに伝染してしまい、皆の共通の趣味や関心事になってしまっていたのです。情報を自然に共有し、それを共に楽しめるわけですから、ますます知りたいと思い、知識は話し合うことによって定着していきます。今は、「冬季オリンピック」の折りでもあり、関心事は「男女のフィギュア」。この「フィギュア」一色に染まっていますが、こういうことは、これだけには限りません。一人が、歌を歌っていると、その歌が自然にみんなの耳に親しんでしまい、他の誰かが同じように口ずさんでいるといった具合なのです。

 こうなると、「クラス」という集合体のメリットが生きてきます。一人が知り得る量も幅も決まっていますが、それが、二人になると、知識は二倍もなり、また、三人になると、三倍にも四倍にも跳ね上がってきます。教師の側はそれを後押ししてやればいいだけなのです。クラス経営は、「見ていればいいだけ」になります。

 つまり、私たちの仕事は、彼らの関心の方向を時折チェックし、もし、問題点が見つかれば、軌道修正し、あるいは必要があれば(知識を)追加していく。それだけになるのです。彼らは現在、日本語のレベルは、だいたい中学生ほどにはなりました。ただし、知識面はまだまだです。深浅は高校生レベルではまだまだ語れません。専門分野を持っているわけではありませんから。けれども、本当に幅が狭いのです。これでは、新しい知識を得ても、楽しめるレベルまでは行けないでしょう。

 そのほかにも、教科書以外の知識のうち、(言語を学ぶ場合)どうしてもその地に行かねば獲得できない部分というものがあります。科学技術が進み、どこにいようと、簡単に他国の言語を学べるようになった今日でも、これは変わりません。その地でしか、感じられない「空気」というものが現実にあるのです。その地の人たちが、現在熱狂していることを、その地の空気のもとで、同じように感じ、熱狂し、気分を共にする…これは多分、その地の言語を学ぶ者からすれば、醍醐味とも言えることでしょう。その地の人々と共通項で括られるということですから(勿論、それが感じられない人は何年その地にいても同じでしょうが)。

 こういう若い人たちが学生の場合、方向を修正してやったり、知識面でのサポートはかなり必要になります。何と言っても若いのです、彼らは。好きなことが、ただの「面白かった」で終わってしまうかどうかは、彼らを見ながらどういう方向に進めていかせるかという教師側の問題になってきます。「フィギュア」の前は、「動物」に夢中だったのですが、ただ「可愛かった」で終わらせるなら、そういう映像を見せてやれば済むことですが、この「動物」というものも、とらえ方一つでいろいろな事を考えるきっかけになり得るのです。

 幅を「環境問題」という方面に拡げてもいいでしょう。またその中の「類人猿」や「サル(猿)」に絞って考えれば、「ヒト」との共通点と相違点、発達の段階でなぜそうなったのかという知識を得ることも出来るでしょう(なぜかを考えるのは、研究者の仕事です。私たちはその研究の成果、「甘露」の部分を味わわせてもらうだけです)。動物園にいる動物たちの幸不幸の観点から考えてもいいでしょうし、ペットの存在から、「命」の問題へと考えを深めていってもいいのです。人と生き物の関係などを考えていけば、初めは、「可愛い動物、大好き」で終わっていた事柄も、それで括れないということに気がつきます。

 こういうものは、(日本には)彼らの現在の日本語のレベル(一級合格後、半年から一年くらい)で充分に対処できるようなものが、たくさんあるのです。ただ書物になりますと、(時間も)長くかかりますので、受験の片手間にというわけにはいかなくなりますが、新聞などの文化欄の記事であったら、それほどの長さもなく、しかも、論者の意見や考え方がはっきりとわかりますから、いいのです。それらを、適宜切り抜いて準備しておけば、彼らの関心の方向に応じて、直ぐに渡すことも説明を加えることもできます。

 勿論、これも、「聞く耳を持っている」学生に対してしか、役に立ちません。何をやっても無表情であったり、何に関心を持っているのかわからないといった、好奇心が欠如しているかにみえる人たちや、考える機能が摩滅している人たちには無用の長物でしょうが。

 さて、今日もフィギュアがあります。意気揚々と学校へやってくることでしょう、受験生達は。一人は今日面接がありますので、戻ってくるとしても、3時過ぎでしょうから、間に合いません。仲がいい彼らは、受験の前日や当日には、いつも「頑張ってね」と声を掛け合っているのですが、昨日ばかりは違いました。

 「かわいそう。フィギュアが見られない…」

 思わず、「ちょっとねェ、君たち…」と言いたくなりましたが。

日々是好日
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「『知らない』ことに気づき、『知りたい、学びたい』と思えることの大切さ」。

2010-02-25 08:38:34 | 日本語の授業
 「木々 おのおの 名乗り出でたる 木の芽哉」
小林一茶だったのか、それとも他の誰かの句だったのか忘れてしまいましたが、最近、公園のそばを通るたびに浮かんで来る句です。

 朝、学校へ来る時にも、街の明るさに心が華やぎます。人々の往来も増えました。ふくらみかけた「ジンチョウゲ(沈丁花)」も、もうすぐ笑み始めることでしょう。

 さて、学校です。今、卒業を控えたクラスでは、大学入学を控え、少しでも知識を拡げてやろうと、各種のDVDを見せています。勿論、その前に、必要に応じて、高校の世界史図録を見せながら説明をを加えているのですが、その成果が少しずつ出てきたような気がします。

 その成果というのも、単に「知識が増えた」ということではなく、「『自分の知識など大したものではなかった』ということに気づく」という類のことにすぎないのですが。つまり、「もっといろいろな事を勉強したい。知りたい」と思うようになったということなのです。これに気づいてくれると、大学に行っても、大丈夫でしょう。何も知らないくせに、変にプライドばかり高い、とんでもない留学生にならずに済みます。こうなりますと、まず、日本人とはうまくやっていけますね。「学ぶ姿勢」が出来たということですから。日本人は、何事によらず、勉強している人が大好きなのです。それに、そもそも、彼らが目指しているのは、学びの府、大学なのですから。

 「知らない」、あるいは「知らなかった」ということを恥ずかしがる必要は全くありません。皆、だれでも外国へ行けば、知らないことだらけなんですから。それに、アルバイトだってそうでしょう。何でも初めてすることは、「知らないし、わからない」という中で始めなければならないのです。だいたいからして、毎日が、初めての一日なんですから。百才の人というのは、一日を百年間重ねてきた人です。そのように百年間続けて来た人であろうと、「今日」という日は、初めて出会う「一日」なのです。

 それに、それぞれ、国情というものがありますから。「学びたくとも、それが出来る環境になかった」という国から来た人もいるのです。ただ怖いのは、「『知らない』ことに気づかない」ことであり、「『わかっていない』ことに蓋をする」ことなのです。

 「知らなかった」というのは、各人がこれまで育ってきた環境によるものですから、本人の罪ではありません。「その国の力」がそれだけでしかなかったというだけのことです。ただ、せっかく日本に来ているのに、それに気づかないというのは、本人の問題です。言葉を換えていえば、せっかく学校に籍を置き、しかも、(学生のために)啓発の努力を重ねる学校にいるというのに、「耳を貸そうとしないし、それがわからない」というのは、「学ぶにも、才能がいる」ということの表れでもありましょうか。

 誰も教えてくれないというのなら別ですが、教えてやっているのに、自分の国で得てきたわずかばかりの知識で、「天下を取った」つもりになって、「知っている」と言う人もいます(「知らないから、、説明してやっているのだろうが」と、その度に、声に出しはしませんが、私は肚の中で呟いています)。それに、彼らの国で得てきた知識というのは、おそらくは、その国を離れたら、ほとんど価値がないとしか思えないような代物なのです。理解や思考といった「行為」に結びつくような「知識」ではないのです。

 能力がない人(人は誰にでも能力があります。ただ、心を開かなければ、能力も開花できないのです。「宝の持ち腐れ」のまま、一生を過ごしてしまう人と言った方がいいのかもしれません)とか、自分の国で得たもので「安住」できるような人だったら、日本に来ない方がいいのかもしれません。だれも、その人を認めないでしょうから、ストレスがたまることでしょう。

 ただこれは、「勉強が目的」で日本へ来た人のことです。「アルバイトが目的」であれば、また話が違ってきます。日本語学校にいる間の関心事というのが、アルバイトが7割か6割、日本語の勉強というのが3割か4割ほどでしかなければ、(私たちとしても)何も言えないではありませんか。そうは言いましても、ある学生は、日本語学校卒業後、先に専門学校へ入り、それから、大学をめざし、大学に合格できた人もいるのです。そこまで頑張ろうというのであれば、彼らが必要な学力だけは、ここで身につけさせておかなければなりませんが、それ以上は、無理でしょう。ただ、そのような学生であっても、毎日学校へ来させます。毎日、学校へ来てさえおれば、将来に備えた勉強というのも、わずかずつであれ、出来るというもの。

 ですから(これからが本題です、遅くなりましたが)、この学校では「変わることを恐れない人」に来てもらいたいのです。この学校に来たら、自国にいる時と同じようにはできないと思います。特に、大学や大学院への進学を目指しているのなら、なおさらのことです。「知らないことに気づく」ということの大切さを知ってもらいたいのです。それから、特に中国人には、「大学へは『学び』に行く」、そして「大学院へは『研究』に行く」という、大学と大学院の違いをわかっておいてもらいたいのです。

 こう書いているのをお読みになって、不思議に思う日本人の方がいるかもしれませんが、現状は日本人が普通に思っているような、そんな簡単なものではないのです。日本人なら、専門を変えたいと思ったら、(たとえ、大学を卒業していても)他学部の三年次に編入するか、大学を受け直すかするでしょうが、彼らはそんな手間暇かかるようなことはしません。単純に「(私は)大学を出ているから、次は大学院です」と言うのです。全く専門が違うのにも拘わらず、言うことは、だいたい同じです。「私は大学を出ていますから」ときっぱりと言います。時に、私は、彼らは「大学」と「大学院」の違いがわかっていないのではないかと思うことすらあるほどなのです。

日々是好日
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「『面接指導』…子供に戻る学生」。「変われる学生、変われない学生」。

2010-02-24 08:12:36 | 日本語の授業
 今日も、「春」が続いています。しかも、朝からお日様まで顔を覗かせています。暖かい一日となりそうです。
 そう言えば、気づかぬ間に、二月ももう下旬となりました。「一月、往ぬ。二月、逃げる。三月、去る」ですね。

 とは言いながら、この頃になると、よく思うのですが、本当に、人は年齢に関係なく、「いろいろなモノを背負って生きている」と。

 この頃、つまり、この学校の学生達でいえば、「大学入試を間近に控えて」という頃のことです。単なる「面接の練習」でしかないのに、自分の子供の頃のこと、小学校や中学校、高校での出来事、父母とのこと、友達とのこと、学校の様子…そして、その時々の自分のこと…。堰を切ったように話し続ける学生がいます。

 昨日も、そんなこんなで、帰りがかなり遅くなってしまいました。途中、スーパーに寄って晩ご飯などを買い込んだりしましたから、それが理由ということもありましょうが、家に着いたのは、もう9時近くなっていました。多分、学校を出たのは8時半近かったのでしょう。

 相対している時間が長かったから、充分練習が出来たかというと、そういうわけでもないのです。もう、彼女は某名門私立大学に合格が決まっていましたから、それほど必死になる必要もなかったのです。それに、「面接の練習」は、その時に一度終えています。とはいえ、不思議なことなのですが、この「面接の練習」は、何度繰り返しても、同じにはならないのです。

 その都度、自分を少し深く見つめることが出来るようになったとでもいいましょうか、あるいは、最初は気づかなかった自分の気持ちに少し気づけるようになったと言いましょうか。一点でも違う答えが返ってきますと、それからの道筋は、変わって来ます。またやり直しです。それに「気づいた自分」と、「気づかなかった頃の自分」とは、もう違う存在になっているからです。

 それが面倒だからと、答えの道筋(或いは思考、情感の道筋とでもいいましょうか)をやり直すことなく、それまでのものに、無理に押し込んでしまいますと、質問に対する答えに齟齬が出てしまいます。もう、心の流れが違ってきているのです。

 「先生、前はそう言ったけど、本当はこうだった。今度は、そう言っていい?」といった場合もありました。「ううん。本当は違うの。こうだったんだ」という自己確認を一人でする場合もあります。「そう言えば、あの時はそうじゃなかった…どうだったんだろう」といったふうに、自分で自分を見つめ直し出すのです。

 私はそういう時、ただの「(彼らが自分を映し出す)鏡」、或いは「存在を消した存在」になります。彼らの話を反復するだけの存在に化してしまうのです。もう、こういうことが一人でできるようになったら、後は放っておいても大丈夫。勝手にドンドン進めていけます。私がするのは、彼らがその作業に一応の「けり」がついた時に、日本語でまとめてやる…それだけのいわゆる「作業」に過ぎません。

 勿論、皆が皆、そうなるわけではありません。が、時々、そうやって大きく変わることができる学生が現れるのも事実です。こういう学生(話しているうちに、次第に自分で自分の心の底に下りていこうとする)と対していると、自分がカウンセラーの役割を果たしているような気がしてきます。

 これは、実際にそうだから言うのですが、中には、日本に来ているにも拘わらず、一年ほどの時間を日本で過ごしているにも拘わらず、彼らの国でいいと評価されていた(他国では全く通用しないと思われます)行動しか取れない学生もいます。実際の自分が見えないというより、見ないのです。まるで、歌舞伎の女形が虚構の女を演じるように、虚構の自分を演じてでもいるかのようなのです。歌舞伎の場合は、高い芸術性を必要とします。それで、皆、納得ずくで見ているのですが、彼らの場合、全く芸術性もありません。しかも独りよがりのものですから、ぼろぼろの二重構造に過ぎません。嘘で塗り固め、それで他者の目に(映って欲しい自分が)しっかり映っているであろうと思い込み、その前提の下で、言葉をつなぎ合わせていきますから、その前提が端っから崩れていれば、相手には、その人がなんと言っているのかさえ、わかりません。他者(この場合は日本人や他民族、他国の人)と意思の疎通が出来ないのです。

 そのままの自分で通用すると思い、それで押し通そうとすれば、私との「面接の練習」は成立しなくなります。私は「突っ込み」ますから。私が突っ込まなくとも、本番では大学や大学院の先生方が「突っ込む」でしょう。本人は鼻高々でも、隙だらけ、穴だらけの構築物ですから、一目で模造品だということはわかってしまいます。私が、本番前に、先に「突っ込む」のは、彼らに対する親心からです。そういう惨めな目に遭わせたくないと思って、そうするのです。勿論、そうされて、喜ぶ人は、まず、いません。だいたいは、恨まれます。それどころか、ひどい人だと言われたり、中には悪口を触れ回られたことさえあります。

 とはいえ、「先生にああ言ってもらったから、今の自分がある」と大学院に合格した後に、わざわざ言いに来てくれた学生もいましたから、結局は私を「罵る」のも、私に「親しんでくれる」のも、人なのです。教育というのは「人」相手の商売ですから、当たり前と言えば当たり前のことなのですが。私も言ってやってもどうしょうもない相手に言ったのはまずかったと反省したりもしましたが、で、やりかたを変えたかというと、そうでもなく、この年になるまで、待たなければならなかったというわけなのです。

 今では、よほど目に余る場合以外は、それをしなくなりました。勿論、それをやって、自分を見直せるような、そういう資質がある学生には、まだ「老骨に鞭打って」しますけれども、ね。

 なんといっても、これは大変な作業で、時間もかかります。それに、精神的にも、非常な集中力を要しますから、疲れるのです。私ももう年ですから、やってやっても、意味がないような相手には、してやらなくなったのです。彼らはもう子供ではないのですから(義務教育年齢の相手であったり、せいぜい高校生レベルであれば、考えます。そういう状態で日本にいても、決して幸せにはなれないと思うからです。大学を卒業しているか、すでにそういう年齢に達しているような人には、無理はしません。彼らが日本とは相性が合わないと思えば、帰れば済むことですから。それに、そんなことで、自分の寿命を縮めたくはありませんから)

 この学校へ来たら、相手を見て、その人の資質や人柄に合わせた教育を施していく。それしかないのです。彼らの国で、しっかりと習慣づけられ、刷り込まれたものは、私たちが一年や二年、懸命に努力したとて、ちっとやそっとのことで変えられるような代物ではないのです。

 というわけで、昨日のことなのですが、「よし、終わった」と、何度か席を立とうとしたのですが(敵は気づいていたと思いますけれどもね、それに)、そのたびに、このかわいい敵は、「ね。先生」、「あのね、先生」と話を続けるのです、帰りたがっている私を無視して。

 この「あのね、先生」と「先生、あのね」と言われ続けているうちに、ひと頃の小学校低学年の作文指導を思い出してしまいました。朝日新聞でも連載があったと思うのですが、子供達が作文を書けないときに、「あのね、先生」とまず書き出して、それから書いていこうという指導であったと記憶しています。全く、昨日の彼女は、その通りだったのです。もしかしたら、昨日、彼女は、小学生の頃の自分に戻っていたのかもしれません。何度も何度も「あのね、先生」、「先生、あのね」と言って、話を続けていきましたから。

 …けれど、昨日は疲れたぞう。今日はビシビシやってやるからな…。実は、まだ作文の指導が残っているのです。

日々是好日
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「『A国』の常識は、『B国』の非常識」。「『学びを通して、進化する』ことの恐ろしさ」。

2010-02-23 08:56:23 | 日本語の授業
 去年から、真向かいのマンションが解体されています。何でも、7階建てが建てられるとか。で、現在、工事の真っ最中。ガーン、バサバサバサ、ガーン、バサバサバサという(石と砂を分ける作業の)大きな音と共に、真向かいのこちらでは、グラグラッと来ます。グラグラッと来るだけでなく、窓ガラスが(鍵をかけてぴったりと締めているにも拘わらず)ガータガタ、ガータガタと音を立てて揺れます。

 言葉にすると、どこやら、優しげですが、実際の音は、なかなかにすさまじいものです。そんなわけで、先日、一人が工事会社に抗議の電話をかけました。すると、直ぐに現場監督の方が飛んできてくれたのですが、どうも「下で、下で」に出られるばかりで、埒があかない。彼には権限はないのでしょうが、毎日を地震の中で過ごしているようなこちら側にしても、たまらないのです。学生達は、「先生、うるさい」と言うくらいで、何の文句も言いません。けれど、だからといって、はいいかというと、そんなものでもないのです。

 結局、「揺れ」を体験してもらったのですが(現場で仕事をしなが感じるのと、離れた民家の中で体験するのとは、また違います)、工期の遅れとか、防音壁のような幕(リースかなと思っていたのですが、これを上までつけてあった時には、ほとんど音がしませんでした)の問題とかあり、現場主任ではどうにもならないのでしょう。ただ、傍若無人に振るのではなく、省くべきところは省き、遠慮できるところは遠慮するということで収まったようです。

 ただ、上の階で授業を受ける学生達は気の毒です。二階にいてさえ、こんなに揺れるのですから。こんな中で本を読んだり、書いたりすれば、船酔いになったって少しもおかしくありません。というわけで、三階のクラス(「Cクラス」)は、お隣の小振りのクラス、自習室で授業を受けることになりました。ところが、午前にこの教室を使っている「ABクラス」はと言いますと、このクラスのお嬢さん達は、全く平気なのです。時々「うるさい」と言うか、工事現場を睨むくらいのもので、小憎らしいほど落ち着いています。

 このクラスでは、現在、DVDをつかって一般教養(…そこまでは行かずとも、多少、無知ではないと思ってもらえる程度の知識)を入れているだけなので、多少教室が揺れても、皆、意に介さないのでしょう。意に介さないというよりも、、もしかしたら、画面に釘付けになっているといった方がいいのかもしれません。

 この「一般教養」というのも、何を指して、「斯かは言ふか」ぐらいなもので、ある意味では、非常に個人的なものです。この基本も(外国人学生が相手ですから)、日本人なら、ちょっと気取った小学生くらいなら知っているような知識としかいいようがありません。これは、「知識」という幅が多少広いものも、簡単に対訳できるような「単語」レベルのものでも、含みます。

 「教養」と、大上段に振りかぶって言えば、少々面はゆいのですが、言葉を換えて言えば、「常識」に毛の生えたものくらいのものなのです。

 この「常識」というのも、よく「『A国』の常識は、『B国』の非常識」とも言われるくらい、不確かなもので、「『常識』力」(「何をもって常識と為すか」を問う力)が問われかねないような代物です。実際のところ、こう言いだしてしまうと、何が常識で何が非常識やらわからなくなったりもするのですが、何事にも限度というものがあると思います。勿論、そう言いましても、現実には、限度などない、極端な例というのも、有り余るほど存在しています。

 アメリカのある州では、現在でも「ダーウィンの進化論」はタブーだとか。これも、私たちの常識が通じない世界です。近いところでは、ブッシュ元大統領が起こした、イラク戦争のアメリカにおける報道もそうでした。当時、アメリカに滞在していた邦人は帰ってきてから日本のテレビ・新聞を見て、びっくりしたとか言われていますし、テレビでその驚きを語っていたマスコミ界の人物を見もしました。日本で報道されていたことは、自由の国、アメリカでは全く報道されていなかったのだそうです。

 これが、共産主義の国とか、軍事政権下にある国であったなら、「さもありなん」なのですが、世界に冠たる「自由の国」、アメリカで、起こっていたのですから、「たまげた」です。こうなると、「驚き、桃の木、山椒の木」などと、駄洒落を飛ばし、ふざけるわけにもいきません。その(邦)人は、アメリカへ(仕事のために)戻る前に、きっとビデオやDVDを借りまくって当時の映像を確認したのでしょうが、アメリカ人で、アメリカにずっといた人には、そういうこともわかりませんから、政府のいうこととマスコミの報道が合致していれば、信じるしかありません。それで、「どうして、アメリカ人は嫌われるのか。みんなのためにこんなに尽くしているのに」という「一」アメリカ人の嘆きも生まれてくるのでしょう。

 私たちも、こういう話に驚きながらも、不思議な気持になりました。「自由とは何か」についてです。「自由である。何を撮影してもいい」という環境という言葉の持つ恐ろしさについてです。撮影する人も、自分は何も制約を受けていないと思って撮影しています。それを見た「社会」も、そういう状態で撮影されたと思っています。そこに潜んでいるトリックには、最初、誰も気がつかなかったのです。

 言われてみれば、非常に簡単なトリックです。「危険だから、民間人は勝手な行動を控えた方がいい。報道陣は米軍と共に行動した方がいい」という、ごく控えめな、至極もっともな提案です。人は誰でも自分を守ってくれる人が頼もしい。初めは警戒していても、時間が経てば、それは感謝の念に変わるでしょう。自分達を殺そうとする人達がいる、その攻撃から守ってくれる人がいる。さて、どちらの側に立った記事を書くでしょう。本当は、記者ではなく、米軍を攻撃していたのでしょうが、その場にいた記者は、それと気づいてはいません。それどころか、彼らの目には「自分を攻撃しに来た憎いヤツ」と映ったことでしょう。

 というわけで、自分達を守る英雄、米軍。記者である自分達を殺そうという敵の軍というステレオタイプの記事が書かれ、また、映像になったのでしょう。

 ベトナム戦争の頃を思えば、「政府は賢くなり、新聞記者は愚かになった」のかもしれません。「政府は学びを通して、進化し、新聞社は、現状に安住している間に、退化した」と言ってもいいのかもしれません。
 片側だけからの主張が、特に人の心に訴える映像を伴っていただけに、その影響の恐ろしさは言葉で言い尽くすことはできません。

 片面からの主張。片側だけの訴えというのは、怖ろしい。特に、「これは新聞記者の報告だ。新聞記者はどちら側にも味方しない。公平である。だから、彼らの報道は、正しい」という落とし穴には、(建前であろうと、それを信じたいという人々の気持ちがそれを助けますから)、言葉にならない恐ろしさがつきまといます。けれども、一言で言えば、それは、欺瞞です。

 「主張は持ってもいいが、一方に偏った報道をしてはならない」というのが、記者魂を生み出しているにしても、人は皆が皆、そうできるほど強くはありません。たとえ、従軍記者であろうと、人は人です。人間に変わりはありません。人は過ちを起こす。これも当然のことです。

 問題は、報道者側の位置なのです。立場ではなく、彼らが現実にどこにいるか(米国軍の戦車に守られて立っていたのか、それとも、米国軍の飛行機に爆弾を落とされている側に、つまり、息を潜めて家に籠もり、家族が身を寄せあってひたすらその時の過ぎるのを待っていた人たちと共にいたのか)なのです。

 「恐怖感」は人の判断力を失わせます。「感謝の念」は、正邪の判断力を奪います。

人は公平に見ることなどできっこない動物なのです。だから、常に、それを心がけておかねばならないのです。
 
 教師も、また然り。

日々是好日
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「『宗教』や『主義』」。「『ヒト』、『ゴリラ』、『チンパンジー』というサルたち」。

2010-02-22 08:05:32 | 日本語の授業
 今朝は暖かいはずだという思い込みから、薄着で出発してしまいました。失敗、失敗、早朝はやはり…寒かった。

 ところで、最近「宗教」と言う言葉がきっかけで、考えさせられることがありました。

 この学校は、現在、在籍している学生の数は、50名ほどでありながら、出身国の数は、かなり多く、11ヶ国にものぼります。けれども、現在、在籍している学生達のうち、大半が、「仏教徒」か、「キリスト教徒」、あるいは「ヒンディ教徒」で、「イスラム教」を信じる人はいません。考えてみれば、珍しいことです。

 先日、一人の「ミャンマー」の学生が、
「先生、『イスラム教徒』は、悪い。お寺を壊したり、人を殺したりする。日本には『イスラム教』はありませんよね。」
と言いました。
「日本人の『イスラム教徒』は、いると思うけれど、多分、とても少ない。私も会ったことはないから。けれども、『中近東』や『パキスタン』、『バングラデシュ』などから来ている人も少なくないので、モスクはある」
と答えると、彼女は少々考え込んでいました。

 「日本は平和なのは、『イスラム教徒』がいないからだ」と、単純に考えたのかもしれませんし、ミャンマーにいる時に、日本は仏教国だと聞いて、日本に来たのかもしれません。

 勿論、国や地域によって、それぞれ独自の文化や歴史があり、日本人が自分達の尺度で考えたり、答えたりするのは危険です。おそらく、彼女は、そういう考え方をしている人々の中で育ってきたのでしょうし、また、実際にそういう(そう信じざると得ない)こともあったのでしょう。ただ、そこには、なぜ彼ら(彼の国の「イスラム教徒」)がそういう行動を採ったか、或いは採らざるを得なかったかという視点は欠けています。

 私たち、日本人は新聞やテレビなどを通して、世界には、「イスラム教徒」以外にも、自分達と敵対する宗教施設を破壊したり、他の教徒を殺したり、或いは打ち据えたりする人たちがいることを知っています。彼女は「仏教徒」ですが、日本の歴史を繙けば、同じ「仏教徒」とは言いながらも、宗派が違うという、ただそれだけのことで、啀み合ったり、戦ったりした例は枚挙に遑がありません。

 これは、宗教云々の問題ではなく、「人間」が、「サル」の仲間の「ヒト」だから起こるのです。

 「ゴリラ」は、雄に比べればずっと小柄で力のない雌や、か弱い子供の仲裁で、巨大な雄同士のけんかもやめると言われています。が、これは、「ヒト」をも含めた「サル」の仲間ではとても珍しいことなのだそうです。「チンパンジー」にいたっては、自分のグループ以外の「チンパンジー」の群れを襲って殺し、時には彼らの肉を食べていたという観察記録さえあります。これは「チンパンジー」だけに見られることではなく、似たようなことは、他のサルたちでもしていたという観察記録を読んだこともあります。

 「ヒト」は、森の哲人といわれる「ゴリラ」に似ればよかったのに、進化の枝分かれの時に、「チンパンジー」の方から伸びてきた存在なのでしょう。

 時に、人は、「あの人は『某国人』だから、悪いに決まっている」とか、「あの人は『某教徒』だから、悪いに違いない」という先入観で人を見てしまいます。

 私も「中国」にいる時に、よく「小日本鬼子」と言われました。私は、何にもその人と関係ないのに(友人と日本語で話している時に、私たちの言葉が、日本語だと聞き咎めたのでしょう)、通りすがりの中国人が、まるで唾を吐くようにそう言ったり、あるいは、わざと聞こえるように大声で言われたりしたことがあります。

 これは私だけのことではありません。中国語が多少ともわかる日本人なら、こういう言葉を聞いたことがあるはずです。これも、日本が中国に(第二次世界大戦でアメリカが、日本に勝利を収めるまで)侵略していたからというのが理由なのです。そして、当時の中国の新聞も、「自分達は、共産党員だから、間違いをしない、するはずがない」といった論調のものばかりでした。

 それは、「建前である」ことは、中国人も皆わかっていたと思います。わかっていても、そういう場に、実際に直面すると、「日本人は鬼子、中国人は輝かしい勝利を挙げたすばらしい人」と区分けしてしまうらしいのです。

 勿論、私も、中国人が、決して単純な思考しか出来ない人たちだとは思っていません。けれども、ある場面に出会うと、まるで思考をストップさせたかのように、ある決まった反応をしてしまうようなのです。(中国で)何年も過ごしているうちに、「ああ、この人達は完全に刷り込みをされているのだな」ということはわかりましたし、慣れもあって、別にいちいち文句を言ったり、(それについて)話し合ったりすることはありませんでした(だいたいが面倒なのです。出会った人すべてに、そうするなんて。なんといっても、そこまでしてやるほどの親切心は、私にはありませんでしたし)。

 それに、こういうことは話したってしょうがないのです。信じたがっているから、信じてしまうのです。信じたくないことを信じてしまうほどには、「ヒト」は素直に出来ていません。必ず、何かいいわけを考えて、信じなくともいいようにしてしまいます。「ヒト」は、こういう分野での知恵は多いのです。つまり、信じているということは、かれらはそう信じたいのです。その方が、楽ですから。

 考えたり、考えようとしたりするのは、骨の折れることです。いくら「ヒト」が、霊長類の中で一番進化していると言われていようと、思考し続けるということは、誰にでも出来る業ではないのです。それに、誰かがそう言えば、けんかしている者同士であろうと、(あるものに)不満を持っている者であろうと、「そうだ。そうだ。その一点にかけては、我々は友達だ。同志だ」と叫べるじゃありませんか。

 中国には、十何億人もいるのです。「自分達は一つだ」という気持にさせには、当時、まだ、手段は「日本鬼子」という共通項で包むしかなかったのでしょう。

 私も中国の当時の様子は、ある程度わかっていましたから、まともには相手にしませんでした。とはいえ、不快であったことは確かです。が、同じようなことは、相手を違え、どの国にも見られるようです。

 スリランカの学生達も、かつてこんなことを言っていました。「イスラム教徒は、人殺しだ」と。けれども、以前、この学校に在籍していた、バングラデシュの学生は(イスラム教徒でしたが)、穏やかで、優しく、また時にはブルース・リーのまねをして皆を笑わせたりと、非常に楽しく、明るい学生でした。すると、彼らは「スリランカのイスラム教徒が悪いのであって、他の国のイスラム教徒は悪くない」と言うのです。

 こうした区分けはだんだんに細分化していきます。どだい、そういう事で人を区分けするのは無理なのですから。そうは言いましても、こうした細分化をしながら、彼らの「思い込み」は、子孫へ、そのまた子孫へと伝えられていくのでしょう。文字がない頃だったら、伝承というのにも、限りがあります。けれども、「ヒト」は、すでに文字を持ってしまいました。しかも、今では、電気の文字まで持ってしまったのです。あっという間に、その地にいる人たちだけではなく、遠く隔たった地にいる人達まで、その一色に染めあげてしまえます。

 そして、ミャンマーの学生は、こう言いました。
「先生は、『仏教徒』でしょう」
はて??…、私は、いったい「何教徒」なのでしょう?

 多分、何でもないのでしょう。何かわからない「運命」とか「天」とか、もしかしたら「自然」なのかもしれませんが、何か、ある存在を信じているようにも思えますが、「宗教」というのとは、ちょっと違うような気がします。私にとって「宗教」とは、「お話」や「昔話」のようなものであったり、「面白い哲学」であったりこそすれ、「某宗教を信じる」というような存在にはなれないのです。

 これは「『某主義』を信じる」とまで、いけないの同じです。何を信じようと、結局は「その人」で決まるのです。「『ヒト』が『ゴリラ』でなく、『チンパンジー』に近い存在である」ということさえ、肝に銘じておけば、何を信じようと、或いは信じていまいと、「ヒト」の行動には、ある種の「節度」が生まれると思うのですが、どうでしょう。

 「倫理」というのも、経験で、「ヒト」が、限りなく「共食い」をする存在であったことを知っていた先人たちが、作り上げた「箍」であるような気がしてならないのですが。

日々是好日
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「明るい朝」。「今一番興味があること」。「『漢文』では表せない部分」。

2010-02-19 08:43:36 | 日本語の授業
 今朝は、昨日までの、下から攻めてくるような寒さは、感じられません。空全体が明るく、鳥の鳴き声まで聞こえてきます。随分前に見かけたきりだったような、「でかい」雄猫が巡回しているのまで、見てしまいました。これらからすると、今日は昨日より、かなり暖かくなりそうな…春の予感さえしてきます。

 昨日のことです。
 午後の授業が終わってから、「大学入試」の面接の準備をしていました。一人が、「今、一番好きなことは?」と「今、一番興味を持っていることは?」という問いに対して、待っていましたとばかりに「フィギュアスケート!」と大きな声で答えたのです。隣に座っていたもう一人の学生も「きれい。きれい。私も見た。好き」といいます。しかも、二人とも、「高橋大輔」だの、「織田信成」だのと、名前まで全部言えるのです。(前に浅田真央や安藤美姫という女子選手の名前を挙げた時には、それほどびっくりしなかったのですが、男子のフィギュアスケートまで見ていたとは)

 まったく、もう。彼らは受験生で、昨日も試験を受けていたのです。けれども、去年の12月に「一級試験」が終わってからは、ずっと数学と首っ引きでしたから…。いよいよ受験の前日…になった…、もうこれ以上できないという気持ちにもなるというのもわからないことではありません。やれるだけやった…という彼らの様子は私たちも見て知っていましたから…呆れはしたものの、それほど強いことは言えませんでした。

 しかしながら、彼らはよく覚えていますね。日本のフィギュアスケート選手の名前も、技も。そして、「面接」の日である今日の放送時間まで、知っています。その上、「私たちの面接の時間は遅いです。見られるかどうかわかりません。大急ぎで、ここ(日本語学校)へ戻ってこなければ」などと宣うのです。その前に、考えておかねばならないことがあるだろうと(ノートを指さしながら)渋い顔をしている私にはお構いなしです。

 昨日の「面接」の準備の時には、この二人と、明日(土曜日)の面接を控えている学生がもう一人、傍にいたのですが、彼女の趣味は全く違います。
「私はロボットを作りたい!ロボット、大好き」なのです。

 彼女は母国の大学でも理系を専攻していないし、日本でロボット工学を専攻できるだけの、いわゆる基礎学力というのも足りません。その上、「漢字圏」ではないので、漢字の問題も大きいのです。それで、文系のコンピュータ関係を専攻することにして、受験の準備をしているのですが、(彼らの国では、大卒でもそれほどの専門的な知識を学べないようで)彼らが出来るということも、多分日本の大学へ入ったら、出来るうちには入らないでしょう。それ(何が出来て何が出来ていないか、何を知っていて何を知っていないか)が、わかるということも、大切なことなのですが、その前に、まず、(大学に)入らないと、いつまでも自分のレベルで満足してしまうということになってしまいます。

 しかし、みんな、好きなことを話す時には本当にいい顔をします。しばらく聞き続けていてやりたいような、そんな表情です。こういうことをずっと話し続けられたら、日本語能力云々というのは、端っから問題にならなくなってしまうでしょうに。そのことに興味を持って、一緒に話せる人が、傍にいるということですから。好きなことを話す、しかも、自分の話したいことを話すのです。単語を覚えることも、文型を考えながら遣うことも、きっと苦にはならないでしょう。

 それで、いつも私たちは「大学は、好きなことを探して受験しろ。四年間勉強しても、飽きないことを選べ」と言うのです。「日本語が…(苦手)」という言葉は、それを遣って、言いたいものが見つけられないから、出て来るだけのことなのです。言いたいことやものがないから、なかなかうまくなれないのです。

 多くの人にとって「言葉」は「道具」でしかありません。「言葉で表現する」ことを「生きがい」にしている人なら別ですが、そうではない、多くの人にとっては、情報を得るためであったり、情報を発信するための道具の一つでしかないのです。

 ただ正確さは必要になります、道具ですから。正しく意味を理解し、正しく発信する必要があります。「表現に凝る」という人以外なら、それほど気にせずともいいのです。

 それから(面接の練習の続きです)、「座右の銘」を聞いてみると、中の一人が「なせばなる」と、その時だけはキリリとした表情で言います。あまりに短く、きっぱりと言ったからでしょう、残りの二人はどうも、一つの単語に聞こえたらしく、「????」という表情で顔を見合わせています。そこで、
「なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人のなさぬなりけり」 (上杉鷹山)
の言葉を説明すると、中国人の学生は速いですね。直ぐに理解します。ただ今度は最初に「なせばなる」とキリリとした表情で言ったミャンマーの学生が、急に不安そうな顔になります。「先生、全部言わなければだめ?」。大丈夫ですよ。一番大切な部分はあなたが言った「なせばなる」ですからね。

この言葉も、信玄公(武田信玄)の
「為せば成る 為さねば成らぬ。 成る業を成らぬと捨つる人のはかなさ」を模したものと言われているそうですが、そのまた前に、
「弗為胡成(為さずんば なんぞ成らん)」 (『書経』)
の精神を伝えたものということですから、中国の古典作品の日本の先人達に与えた影響の強さを感じます。

 かつては「教養」というのは、中国古典をどれほど読んでいるか、そして理解しているかでした。それが、日本語が「独立」し、日本文学などの独自性が増すにつれ、また、幕末からの欧米の文化の導入などにつれ、(「漢文学」の影響は)薄まってきたように思われます。が、まだまだ、おっとどっこいなのです。私たちがそれと気づかぬ、潜在的な部分で、ちゃんと息づいているようです。

 日本人は、「漢語」の優れている部分と、それでは表せない自分達の情感などを分けて文学を発達させてきたような気がします。「漢字」は強いのです。強すぎるのです。AかBか、白か黒かはっきりさせすぎてしまい、己の心・気持・感情を表す場合に、どうしても「違う、違う、違う」と叫びたくなってきてしまうのです。

 日本の歴史の中で、言語というのは(主に「漢語」の影響が大なのですが)、三歩進んでは二歩下がり、二歩進んでは三歩下がりを繰り返しながら、(自分達の言語を)発達させ、文学性を培ってきたのでしょう。

 私が高校生の頃には、「国語」という科目に、「現代文」と「古典」がありました。そして、「古典」も「古文」と「漢文」に分けられてありました。高校生頃ともなると、強く言いたい時には「漢文」的に言い、「よき女の悩める風情」で言いたい時には「和文」的に言うなどと、使い分けていたような気がします。勿論、「漢文」というのは「中国語」ではありません。「古文」の文法で読み下された、れっきとした「日本語」です。

 さて、随分明るくなってきました。二人の受験生は、無事に電車に乗れたでしょうか。7時半に待ち合わせて、一緒に行くなどと言っていましたから。そして、終わってから、昨日同様、「アァァ、先生、頭が真っ白だア」と戻ってくるのでしょうか。

 昨日、別れ際に「終わったことは、もうクヨクヨするな。まだ、明日がある。明るい未来を目指して、頑張るんだ」と、送り出したのですが。

日々是好日
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「春の雪」。「普通の学生」。

2010-02-18 08:47:54 | 日本語の授業
 今朝は雪の中を出勤です。降りしきる雪、これだけ降りしきっているのに…積もらない、道には、積もっていないのです。しんしん、しんしんと降り続いているのですから、少しぐらい積もってくれたっていいだろうと思うのですが、積もっていないのです。美中に一点を欠くとでも言いたいくらい残念でなりません。

 それに、きっと水分も多いのでしょう。何といっても「春の雪」ですから。開き始めた梅の花の上には、微かに積もっているようですが。

 学生達は、朝、目覚めて、大喜びしていることでしょう。「雪の朝」とは良いものです。けれども、入学試験に大学へ行く学生達は可哀想ですね。風邪をひかないといいのですが。電車が時間通りに来て、時間通りに大学へ着けるといいのですが。でも、遅れるとしたらみんな一緒ですからね。そういう時は胆をズンと太くし、デーンと構えていればいいのです。オタオタしたってしょうがないのですから。

 本来ならば、「雪だ!」「先生。雪、雪、雪」と、学校へ来るなり、職員室に駆け込んでくる学生達がいません。瞬時に辺りが華やぐような、彼らの明るい声が聞きたかったのですが…。「ABクラス」も随分人が少なくなりました。

 もう2月も半ばを過ぎましたから、彼らと共に学んでいけるのもあとわずかです。「一月、往(い)ぬる。二月、逃げる。三月、去る」ですからね。それにしても、こういう人たち(つまり、「毎日学校へ来る。言われた通りに勉強する。出来なかったら、猫がしょげかえったような顔になる」という人たち)と一緒にいればいるほど感じられるのは、「毎日顔を合わせることの大切さ」です。これは彼らだけにいいのでも、私たちだけにいいのでもありません。両者共にいいことなのです。

 彼らは、高校時代と同じように、日本に来ても勉強を続け、その「勉強モードの」まま大学へ行く。私たちは私たちで、「なぜ、休むのか」とか、「なぜ、宿題をしないのか」とか、時には「それは悪いことだ。どうしてそんな悪いことをするのか」などと叱ることも責めることも必要なく、彼らが大学へ行けるように「教材開拓」や「教材研究」をし、「指導方法」を考え、それを用いて教壇に立てばいいのです。これだけでいいのですから、天下泰平です。

 勿論、学生が、際だった才能を持っていれば、本を与え、問題集を与えてやればいいだけなのかもしれません。そうやっている日本語学校もあるらしいという噂も聞きました。レベルの高い学生を集めることに必死で、教師の養成などには、全く無頓着だというのです。レベルの高い学生さえ来てくれれば、いい教師なんて必要ないとうそぶいているそうです。まずなにより、人件費が安くて済むのだそうです。

 けれども、こういうのは「教育の王道」ではありません。だいたいからして、そういうところで働く人には、(学生と)共に学び、共にせめぎ合い、共に喜びを分かち合うという、教師の、本来あるべき姿など想像も出来ないことでしょう。また、そういう人しか雇えない経営者が教育に関係できるということにも、疑問を感じます。

 日本語という、いわば我々の土俵上で闘いながら、学生に馬鹿にされているというような哀れな状態で、教壇に立てるような人がいるのでしょうか。もっとも、それすら感じられないからやっていけるのでしょうが。

 ここは学校です。能力の高い人も来ます。けれども、ほとんどは、普通の学力しかありません。普通の学力しかない学生達に、まず日本語を教えていくのです。そして、大学や大学院を目指してもらうのです。「出来るでしょう」というふうには、いけません。最初は、手取足取りで教えます。その他にも、日本の習慣や日本で生活していく上での決まり、また、無駄遣いをしないようになどといったことまで含まれます。

 「漢字圏」の学生なら、「一級レベル」、「非漢字圏」の学生なら、「二級レベル」くらいになれたら、彼らが母国では知らなかったこと、また、知らされていなかったことなどを、映像や新聞記事、雑誌記事などで勉強していきます。その中には、文学作品も含まれます。

 彼らの反応を見ながら、彼らの本来のレベルよりも、少し上で考え、少し背伸びをさせるように指導していきます。20歳前後の学生達には、いくらでも背伸びさせていいのです。今日、1㍉しか背伸びできなくても、一ヶ月後には2㍉背伸びができるようになっているかもしれません。「気は長く、心は丸く、腹を立てず」で、彼らの様子を見続けるのです。

 そこで、毎日顔を合わせるということが必要になってくるのです。いつ彼らが「化ける」のかわかりませんから。彼らの変化は毎日起こっています。けれども、いわば「潮目」というものは、はっきりわかるものなのです。「これまでは、できなかったけれども、今日からはできる」と思える時が見えるのです。その時に始めないと、せっかくのチャンスをを逃してしまうということにもなりかねません。教師には「あれっ」という、学生達の変化をつかむアンテナが必要なのですが、毎日彼らを見ていないと、アンテナには引っかからないのです。
 
 ブログを書いているうちに、雪が小降りになってきたようです。道は濡れているだけなのですが、植木の上や駐車場の車の屋根には少し積もっているようです。心が、ちょっとうれしがっている、そんな気がします。

日々是好日

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「『雪』のイメージ」。「『白一色』の、薄明の世界で、『色彩』に恋する」。

2010-02-17 07:59:03 | 日本語の授業
 今年の2月は、例年に比して「雪」が多いそうですが、学生達が心待ちにしていた「共に見て、喜び、楽しめる雪」ではありませんでした。

 一番望ましい「雪の日」というのは、まず、みんながいる授業中に降り始めること。それも、牡丹雪のように少々大きめで、フンワリと降るのがいい。それから、更に欲を言えば、少しでもいいから路上に積もってもらいたいのです。

 もしかして、この2月に降った雪を見て、南国から来た学生達は「雪とは斯くなるものか」と誤解してしまったのかもしれません。「雪が見られる国、ニッポン」と、それを期待して来た学生もいるようですから。

 ところが、今年は「雪」が降ったとはいえ、第一回目は、横殴りの雨と「雪」が混じり合ったような、かなり強烈な「霙」でしたもの。傘を、風の吹く方向へ傾けてさしていると、バシッバシッと、当たるのです。だいたい、「雪」というイメージから、あんな「氷」をぶち当てたような音は出てきません。北国の「地吹雪」なら、おそらくは、囂々と地鳴りを立てて迫ってくるでしょうし(これは想像です)。

 しかも、少し経つと、傘が重くなるのです。それで、傘を上下させて払うのですが、落ちてくるのは、「氷」、「氷」、「氷」…、「かき氷」のような「氷」です。軽やかな「雪」のイメージからは、想像できないような世界です。

 勿論、シャーベット状ではあれ、翌朝は、白い色も見えましたし、積もりもしました。ただ、その上を歩いても、シャリシャリと軋むような音がするだけなのです。見渡しても、白一色の、心が洗われるような清々しい光景は広がってはいませんでした。。

 それからも、降ったのは、雨か雪か判らないような、あるいは、もうすぐ雪になるかもしれないといったようなものばかりでしたから、北国から来た学生なら判断はつくでしょうが(これは、「いわゆる『雪』ではない、『霙』である」と)、南国の学生達には、何が何やら、さっぱりわからなかったでしょう。時々、判断がつきかねるように、「先生、あれが『雪』ですか」と聞きに来るのです。

 「雨」ではないということがわかっても、「霙」「霰」「雹」と、なかなか「雪」とは見えぬものもありますし。また同じ雪でも、「牡丹雪」「淡雪」「粉雪」「べた雪」など、その降り方や大きさ、また時期が違えば名前も違ってきますし。ただ、白くて、ふわふわ感がある、優しいものを、「雪のイメージ」として、学生達には留めておいて欲しかったのです。北国の出身ではない私にとっての「雪」が、そうでしたから。

 私も日本では南方の出身です。ただし、子供の時には「氷柱」も見たことがありますし、「霜柱」を踏んで学校へ行ったこともあります。早朝、水たまりが「氷」に覆われ、それを片端から潰し回ったこともあります。

 「白銀の世界」とまでは言えずとも、それに近い光景を見た覚えはあります。「霜」が降った翌朝の大地は、陽を浴びて、銀色に輝き、幻想的なものでした。

 今から思えば、何十年か前まで、九州でも「雪」は積もり、小型ではあれ、「雪だるま」も作れました。「雪合戦」をしたこともあります。それが、今では、東京近辺でも出来ないのです。「霙」程度のものでは、「雪」のイメージは膨らんでいきません。試験の時に「雪」が出題されても、イメージがなければ、解きようがないのです。

 学生の時、「雪は青いのです」とか、「雪は上から降るのではなく、下から吹雪くのです」などと、私たちから見れば、コペルニクス的な発想に思われるような話をする北国出身の先生がいらっしゃいました。先生の話の意味は、知識には「教えられるもの」と「教えられないもの」があるということでしたが(少なくとも、私は「雪」を知っています)。

 北極圏に住む人達の「色の感覚」は、それほど優れていないだろうと思っていたのに、それが違っていたということも、驚きの一つでした。「白」を表現する言葉が非常に多いというのです。私たちにとっては、「赤」「黄」「黒」「青」とか、大ざっぱに色を分けるのが普通であるのに、彼らはそうではないというのです。私たちから見れば同じ「白」でも、彼らにとっては、違うというのです。

 これは、ある国や地方から来た学生が「ナ行」と「ラ行」の区別がつきにくいというのと同じです。私から見れば「同じ白」にしか見えぬのに、彼らから見れば「違う白」なのです。しかも、それを表現できるのです。これを聞いた時には、なんという豊かな文化が北の大地に拡がっているのだろうと眼も眩むような思いがしました。「不毛の大地」だと思っていた処が、実は、「豊饒な広がりを持つ大地」だったのです。

 日本の童話作家、小川未明も北国の出身。豪雪で有名な新潟で生まれたと聞きました。彼の童話「赤い蝋燭と人魚」ほど、想いのこもった鮮やかな「赤」はないでしょう。北国の作家は「『色』に飢えている。『色』に恋している」と言われるのも、むべなるかな。

 暖かいところでは、冬でも、様々な色に溢れています。それが北国では、白一色になるのですから。彼らは私たちが気づけないような、わずかな、しかも、微妙な色の違いに心を留め、それを表現していける術をもっているのでしょう。そして、その無彩色の世界に、わずかな一色を、強烈なイメージで灯すのです。それが、あるときは「哀しみ」を表し、あるときは「憤り」を表し、またある時には「喜び」に転じるのも、「春を待つ切なる心」と思えば、当然のことなのかもしれません。

日々是好日
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「桃栗三年柿八年、梨の大馬鹿十八年」。「『毒』は『良薬』になり、『良薬』は『毒』にもなる」。

2010-02-16 08:03:05 | 日本語の授業
 昨日、帰りに小雨が降っていましたので、自転車は学校に残して、歩いて帰りました。学生達は、一日中、小雨がぱらついているような日本の天気にもう慣れたのでしょう。ひと頃のような、「傘を貸して下さい」という騒ぎは、あまり見られなくなりました。これも、四月生が来るまでの静けさ…なのかもしれません。

 そんなわけで、今朝はトボトボと歩いて来ました。とは言いながら、こういう時期、歩けば歩いたなりに、目の保養が捜せます。

 学校から一つめの角を越したところに、毎年、きれいな枝垂れ桜の姿を見せてくれるお宅があるのですが、そのお宅の「ウメ(梅)」の老木に、小さな白梅の花が咲いていたのです。

 まず、「ウメ」が「舶来の美」であったというのに、驚かされます。中国の唐王朝は、あれほどの華やかさであったのに、唐といえば、「ボタン(牡丹)」の花が思い浮かびますのに、どうして万葉人(まんようびと)は「ウメ」の花の方を好んだのでしょう。まだ寒さの厳しい頃に、他に先駆けて咲く、凛とした姿に惚れたのでしょうか。その得難い「香り」を愛したのでしょうか。それとも、あの枝振りが気に入ったのでしょうか。

 日本の山野に自然にあった「ツバキ(椿)」の勁さ潔さ、風にそよぐ「スミレ」の可憐さ。そしてこれも舶来の「モモ(桃)」の愛らしさなどは言わずもがな、それらに比べれば、梅は、はるかに地味な存在です。

 そういえば、少々「品がない」とも言えましょうが、「桜伐(き)る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」とよく言われています。盆栽のように自由にいじれるところも面白かったのかもしれません。どちらにしろ、今の季節、「梅の天下」は暫く続くようです。

 さて、これで思い出したのですが、「桃栗三年柿八年、梨の大馬鹿十八年」ということわざ。古人は、よくよく「馬鹿」とか「阿呆」とかいう言葉が好きだったようです。けれども、私が子供の頃に知っていたのは、前半の「桃栗三年柿八年」だけでした。さすがに「小学校の諺集」には後半は載せられなかったのでしょう。しかしながら、こういう人為的な刪除は、子供が日本語のリズムのおもしろさを知る機会を奪ってしまうということにも繋がっていきます。

 大人になって、明治・大正・昭和前期の本や普通の諺集を読みむようになってから、いかに「無菌を求める学校教育」で、江戸時代までの言葉が、無味乾燥なものになっていったかがわかるようになりました。その例が「共通語」の普及であり、「品のない言葉」の刪除であったのです。

 人は誰でも子供の頃には「毒」があるものですし、よりいっそうの刺激を求めるように「毒」を求めるものです。この「毒」が適度の分量に落ち着くか、それとも溢れるようになるかは、その人が「体験」を通して決めるしかありません。個人の問題です。人にやった「毒」は返ってくるものですから。

 子供の頃には、「毒」を好みます。この「毒」が強烈であればあるほど、惹かれていくものです。「毒」というものを知り始めれば、一度完全に飽和状態になるまで、エスカレートしていくものです。何といっても、これは、各民族が何代にもわたって、作り出し、改良に改良を重ね、蓄積してきたものですから。一代限りの人生では、汲めども汲めども、汲み尽くせるような代物ではありません。

 この「毒」を、人それぞれが、その「肚」に、どれほどの分量で落ち着かせるかは、本人の「体験と度量」次第でしょう。どれほどの「肚」を持って生まれたか、また生まれてからどういう目に遭ってきたかで決まると思います。ただ、子供の頃には、こういう「毒」はどんどん浴びせてやった方がいい。日本語のリズムがわかるだけでなく、意味もわかるようになるからです。そうでなければ、この「深い」意味も、趣も、なかなかにわかりません。まるで外国人が、大人になってから日本語の勉強をしているようなもので、「字面」だけで判断し、わかったつもりになってしまうのです。

 「毒」は「良薬」にもなります。「良薬」も「毒」になるのです。次第に「人工的な国」になり、「衛生的な国」になっていくかに見える日本。「淀み」を、「臭み」を恋しがるのは私一人でしょうか。

 よく、最近の子供は喧嘩が出来なくなったと言います。それでいて、手を出すと限界がわからないから、極端なところまでいってしまうとも言われています。これと同じです。自分が叩かれなければ、その痛みはわからない。自分が言葉で非難されなければ、その辛さはわからない。そういうものです。判った上で、遣うかどうかはその人が決めればいいこと。人に言えば、必ずそれは返って来るということだけわかっていればいいのです。

 どういう場で、どういう相手にそれを遣うのか、また、どういう時には用いてはならなぬのかというのは、一部分だけ学んでも、なかなかに身につくものではありません。

 傍から見れば、それが、たとえ、とんでもない言葉であろうと、言った人と言われた人との肚にピタリと収まれば、それはそれで良いことなのです。

 まあ、これは、多少自己弁護の嫌いが…なきにしもあらず…なのですが。

日々是好日
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「『立春』は過ぎたけど…」。「見れば げに 心もそれになりぞゆく…『水になる』」。

2010-02-15 08:10:45 | 日本語の授業
 ブログの画面は、いつの間にやら、「オニ」サンから、「お雛様」に変わっていました。とはいえ、各地では、旧暦に則った行事として、まだ、「鬼やらい」や「追儺(ついな)」などが行われています。オニサン達の受難は続いているようです。

 けれども、この頃の「オニ」サン達は、少しも怖くないのです。それどころか、ユーモラスで可愛らしくさえあるのです。だからでしょうか、ある地方で、豆を蒔かれて、追い払われても、別の地方では、「可哀想に」と、もてなしてくれたりするのです。どこにも行く当てのない「オニ」サン達を引き受けてくれる神社まであるそうですから。これなども、「病気」を「神」として、大切に扱ってきた先人達の知恵の名残りなのでしょうか。

蝋梅

 暦の上では、「立春」も終わり、春めいてきても可笑しくはないのに、お天気はどうもご機嫌がよくなさそうです。晴れの日も続きません。今日も直に雨が降り出すでしょう。お雛様の花は、明るく可愛らしい「モモ(桃)」と決まっていますが、「モモ」どころか、「ウメ(梅)」の花も、まだまだ満開とは言い難く、椿の花一人が、寒さと戦って気を吐いているようです。

 脚を悪くしてから、山に行くこともすっかりなくなり、山へ行く度に、目にし、かいでもきた花々や樹々の名も忘れて久しいのです。ところが、先日、治療所へ行く途中、きれいな「ロウバイ(蠟梅)」の花が咲いているのを見かけました。全く蠟細工そのままの花びらでした。飴で作ったといっても通用するでしょう。美しいものを見かけた時には続きがあるようで、その帰りには「マンサク(満作)」まで見つけてしまいました。「ロウバイ」と同じ黄色の可憐な花です。

 「ロウバイ」も「マンサク」も山の花木というよりは、庭木と言った方がいいのかもしれません。治療所は静かな田園地帯にありますから、ブラブラと散歩でもすれば、また別の「春の美」に出会えるでしょうが、治療を終えると、だいたいが疲れてぐったりという感じですから、なかなかそうもいかないのです。ただ、鷲宮の駅は、春になると桜に囲まれますから、それが楽しみと言えば楽しみ。やはり、風景の中に樹はなくてはならず、木々の中に、花もまた、なくてはならぬものなのです。

 さて、今週も大学の試験日がやって来ます。今週は、三人、来週も三人、大学を受験します。前回した、面接の練習を、まだ覚えているでしょうか。どうも頼りなさそうなので、今週は、彼らに追われることになりそうです。まあ、こうやって、最後の最後まで追いかけてくれる人がいなかった時期が長かったものですから、こういうことも、どこかしら、楽しみながらやっているような案配なのですが。

万作

 だいたいからして、こういうことには終わりがないのです。練習をしているうちに彼ら自身、自分の見えなかった部分に気づくこともありますし、こちらの方でも、彼らの言わなかった本音に気づき、方向を変えさせるということもあります。こういう時には、一対一でやることは大切です。勿論、その時も、相手の本音を知りたいという者と、何とかして合格したいという者の二者が存在していなければ、それは絵に描いた餅で終わってしまうことです。

 もう、自分が、どうやって気分転換をはかっていけばいいのかわからないくらいになっているのですが、以前は、まだ、月に一度くらいは、近くにある低山に行っていました。東京近郊の山です。秩父は結構険しい山なので、日帰りとなると、なかなかに難しい。それにひきかえ、青梅から奥多摩までの各駅は、どこで下りても、いい一日が過ごせました。体力がないと思えば、渓谷を歩道に沿って歩くだけでもよかったのです。

 それから丹沢や箱根などへも足を伸ばしたことがありました。一番大変だったのは、大菩薩峠でしたかしらん。人が思いの外多かったので、帰りの道を、人がいない方、いない方へと回り込んでいるうちに、結局、迷ってしまったのです。地上(こう言うとおかしいかもしれませんが、確かに、こんな気持ちだったのです)へ、たどり着いた時には、辺りが真っ黒けでした。

 下りて、来た道を振り返った時、山が黒一色であるのに気づいて、ぞっとしたのですが、あの中にいた時には、それでも、林間を透かし見れば、樹々の下にうっすらと白く人跡が続いているのがわかったのです。それで、まだ道がほの見えるくらいの薄闇だった…と思っていたのですが、外から改めて見れば、山は闇の中に、よりいっそうの闇を重ねたかのように思えるほどの黒一色だったのです。あると見えたあの明るさは一体何だったのでしょう。

 山や渓谷など、原始自然とは呼べないくらいのものであっても、そこに行きたくなるのは、人がまだ動物であるという記憶を残しているからなのでしょう。人工物の中に囲まれてそれを当たり前と感じるまでには、なっていないのです。

 山の中で、場所を選んで、ちょっと一休みという時、辺りの光景に目をやれば、そこには至る所に西行が潜んでいます。

 西行という人は、不思議な人で、山などに行かずとも、何かの折りに、ふと目にした歌にしみじみとした思いを触発されたりするのです。荒々しい文覚(もんがく)上人でさえ、どうにもならなかったほどの剛の者であったというのに。

「見れば げに 心もそれになりぞゆく 枯野のすすき 有り明けの月」

 人とは、風景の中に埋没出来るもののようです。自分の中にある、それらとの共通項に直ぐに立ち還ってしまうのでしょう。「(それに)染まる」とも違うのです。ただ、現代人は彼のように心のままに旅をすることも、その地に留まることも難しいのですが。

 けれども、だれでも、谷川の岩の上に腰を下ろして清らかな流れを見つめているうちに、心が自分を離れてそれと和し、いつの間にかそれに化していくのを感じることでしょう。暫く、そうやって遊んでいれば、人間同士のことなど忘れてしまうはずです。

 (自分が)水と共に流れるとまではいけませんが、ある風景の中にあるのです。これは極端でもなんでもなく、日本のように清らかで速い瀬を見つめていれば、だれでもその中にいる自分を感じることでしょう。

 樹や石になることは難しくとも、水の流れになら、なれそうな気がするから不思議です。

日々是好日
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「国、民族によって異なる価値観。その価値観によってなされる言動。学校では…」

2010-02-12 08:18:08 | 日本語の授業
 驚きました。二度目に目が覚めた時は、なんと6時20分。一瞬、何かの間違いではと思ったくらい…驚きました。けれども、それからが速かったですね。6時45分には、こうして学校に着いていましたから。「学校に近い所に住んでいる」ということは、学生のみならず、教師にとっても役に立つようです。

 さて、学校です。
 学生達の価値観の違いについてです。彼らは、それぞれ生い立った国で、先人達が創り上げてきた価値観をもって日本へやって来ます。いろいろな事をしたり、言ったりした時に、こうした価値観の違いというものは如実に表れてきます。

 私たちは日本人ですから、私たちなりの(日本人的な?)価値観を持っています。おそらく大半の日本人の価値観は大して違わないでしょう。また、たとえ多少違っていたとしても、そういう価値観を持っている人が多いということは認識し合っていると思います。
ところが、日本語学校では、日本人は圧倒的に少数派ですから、その時々の学生の出身国、乃至民族に偏りがあれば、彼らの価値観が(学校内で)幅をきかせるようになってしまいます(最初は学校、次はアルバイト先へと、彼らの行動半径が拡がるとともに、その範囲も拡がっていきます)。

 それを、その都度、一番よいと思われるタイミングで潰していかないと、彼らの価値観そのままに、学校が流れていってしまいます。それは、学校だけの問題ではありません。(それでいいと思ってやっているのですから)どこでもやるでしょう。アルバイト先でも、それから進学した先でも、自分の国のやり方でやれば、反感を持たれるのは当然です。その結果として、不幸な目に遭うことになるのです。

 「おかしい。どうしてだめなんだ。いけないんだ。どうしてみんな嫌うんだ」と、人間ですから、不安にもなるでしょう。けれども、そこで、嫌われる所以を、自分一人で考えるには、かなりの労力と知性と時間を必要とします。アルバイトや勉強で暇のない学生達にはどだい無理です。

 それは、経験のある学校側がしなければならないことです。学生に不安を与えないというのも、日本語学校の仕事の一部なのですから。ただ、気の毒なことですが、往々にしてこのような留学生を目にします。

 勿論、日本語学校や、アルバイト先でいくら注意されても、判らない人も、変われない人もいます。けれども、「注意されたことがない」ので、日本でも、自国流のやり方で通している人も少なくないのです。彼らは、自分が日本人に疎まれる理由が解らないのす。だから、日本人は自分を差別すると言って、日本や日本人に嫌悪を抱くようになるのです。

 「鉄は熱いうちに打て」と言います。若いうちに、そのことを知れば、「ここでは、そうしない方がいいようだ」くらいの知恵はつきます。この「若いうち」というのは、年齢もさることながら、「来日して直ぐ」という時間も指します。

 来日後、二週間くらいが勝負でしょう。その間に、およそ日本では認められないような言動が見られれば、直ぐに注意しておかなければなりません。放っておいて、一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎしてしまうと、もう注意してもきかないでしょう、よほど知性のある人でない限り。それくらい、人は変われないものなのです。

 この時に、「ことば」が必要になります。来日直ぐですから、彼らの日本語のレベルは低いものです。せいぜい「本」とか「学校」とか、具象的なものの名前がわかる程度でしかありません。その人達に「これはしてはいけない」と伝えなければならないのです。この場合、「なぜそうしてはならないのか」という説明はカットです。したくとも出来ないのです。私はタイ語もわかりませんし、タガログ語もわかりません、スワヒリ語もわかりませんし、ミャンマー語もわかりません。わからなくとも、「だめ」は伝えることが出来ます、だれでも。なんとなれば、人には目があり、手足を使うこともできますから。

 一つ一つ、「日本と自分達の国とでは、やり方が違うこともあるんだ」ということを、まず身体で覚えてもらうのです。自分達のやり方が日本でも通用するという先入観をこの時期に持たせてしまうと、後々大変なことになります。尻拭いさせられるのは、日本語学校にいる間は私たちであり、進学した後では進学先の学校なのです。そして、一番辛い思いをするのは、学生達なのです。

日々是好日
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「ぴりぴりしている受験生」

2010-02-10 18:38:46 | 日本語の授業
 今朝は、目覚めた時から、春でした。10度ですからね、そりゃあ、春でしょう。けれども、これで春とは、甘い!。今日の最高気温は11度か、それ以下とのことですから、早朝が一番暖かかったということにもなりかねません。

 さて、学校です。
「卒業生クラス」のことです。
例のオシャマサン達のことです。

 本人達は一生懸命勉強していると言うのですが、どうも、私たちから見ると、気を抜いているようにしか見えないのです。緊張感がないというか、切迫感がないというか、それぞれ、すでに一つずつ合格しているので、どこか腑抜けているようにしか見えないのです。

 それで、よく「活」を入れていたのですが、本当は、ピリピリしていたのですね、昨日、彼らの反応から、それがわかりました。やはり、国立大学に行きたいのです。

 実は、今、「卒業文集」に載せるための「作文」を書いているのですが、「卒業生クラス」のうち、書いてきたのは、進学先が決まった数人だけなのです。しかも、下書きを済ませたのは、一人だけ。スリランカの学生だけなのです。彼女は、二回目に一回目のとは違う題で作文を書いてきましたので、それを添削してから、返しました(というわけで、また書き直しです)。その時に、何カ所か判らないところがありましたので、聞いてみたのです。

 実は彼女の問題というのは、少々厄介なのです。本人は全く自覚していませんし、いくら言っても、どうも、納得できないようなのです。

 その問題というのは、日本語の文法や単語レベルの他に、二つほどあるのです。
 一つは、彼女の時間の流れが、私たちとは違うように思えるということです。時間の流れが平面的なのです。箇条書きの世界のように思えるのです。それで、前後がわかるように、時間を逐って書いてみることを勧めてみました。それが無理なら、いつからいつまでここにいたというふうに、数字に頼るやり方でもいいと言ってみました。それが癖になってくれると、少し読みやすくなるのですが。

 それから、もう一つは、ある種の思い込みにより起こるものです。自分の国でだれでも知っていることとか、みんな(自国民)がすばらしいと思っていることは、当然のことながら、世界中のだれもが知っているはずだし、すばらしいと思うはずだと、思い込んでいるのです。

 中国人やインド人にはそういう傾向があるといわれていますが、何といっても両国は大きいので、ある意味では他国を必要とせずとも大丈夫なのです。だから、ああ、やっぱりねで終わるのですが、日本よりも小さい国で、そうなのですから、困ってしまいます。当然、自分が有名でないと思えば、書きません。省略してしまいます。それにより、順序や内容に齟齬が出ても、関係ないのです。意味が通じなくなっても頓着しません。

 それを幾度も、注意したことがあるのですが、多分、わからないでしょう。とはいえ、こういうのは難しいですね。別に日本人である私の言うことがいつも正しいというわけではないのです。ただ、ここは日本ですし、彼女は日本語を学んでいるわけですから、日本人が頭を捻って考え込んでしまうような文章は書かない方がいいのです。

 話が、脇道へ逸れてしまいました。で、そうやって彼女と話していた時のことです。彼女がスリランカの専門学校で日本語を教えていたという話になりました。そして、当時教えたことのある学生のうち、二人が日本に留学に来ているということ。一人は、すでに自分より日本語が上手になっていることなどを話し出し、その時に、その学生が、今、東京大学で日本語を勉強していると言ったのです。その途端、それまで本を読んでいた(各自自分の作業をしていたのですが)例の三人が、パッと後ろを振り返って、キッと彼女を見て言ったのです、「ええっ!東京大学?」。

 私もちょっと驚いて、「その人は国費ですか」と聞くと、「なんかの試験に合格したから、入れた」と言うのです。そんな、スリランカで何かの試験に合格したくらいで東京大学へ入学できるわけもなく、もう一度、「東京大学ではなく、東京の大学ではありませんか」と聞いたのですが、「いいえ、先生。東京大学です」としか言わないのです。多分、相手の学生が「東京大学」と「東京の大学」の違いがわからなかったのでしょう。そして、そのまま彼女に伝えたのでしょう。しかも、この日本語学校の卒業生から、二名ほど東京大学の大学院の方へ行っていますから、彼女も全く知らない大学名ではなかったでしょうし。

 ただ、それから、東京大学で日本語を勉強した後、他の大学に行くと言ったので、やはり「東京の大学」の間違いだということが、私たちにはわかったのですが、さて、彼女にはわかったでしょうか。こういうことは、何度説明しても、それを入れる場所が(頭の中に)ないようなのです。きっと、今でも、彼女の頭の中には、自国の大学が世界で一番(欧米の大学は別のようです)で、日本の東京大学なんぞ、ものの数にも入っていないのでしょう。そういえば、かつて、滑り止めは東京外語大学にすると言った人もいたくらいでしたから。

 ここの日本語学校の卒業生が入れた大学なら、自分(も、この日本語学校の学生だから)でも入れると思っているのでしょう。「日本語能力試験」や「留学生試験」が、年に二度ずつあるので、その時に自分のレベルがわかりそうなものですが、こういう人はなかなかそれが通じないのです。成績が悪くても、それは「運がよくなかったから」で終わってしまい、「だから、あの大学は無理だ」とはならないのです。

 人の能力は様々です。学校の成績が良いから優れているとは言えないように、語学の才能があるから、頭が良いとも言えません。ただ、ここは日本です。日本で日本の大学に入りたければ、当然日本語が必要になります。日本語能力がある程度あることを示さなければ、大学に入るのは難しいのです。

 時々、それが判らない人がいるように思えるのですが、どうしてそう思えるのか、彼らの気持ちがなかなかわからないのです。

 日本の大学のレベルがすでにわかっている学生達は、反応が速い。ピピッと来たらしく、敏感に反応します。「えっ。何っ。東京大学!」なのです。表面には見えなくとも、内心ではピリピリしていたのだということがよくわかりました。

 そして、ちょっと彼らに優しい気持ちになりました。これまでは、お尻を叩いてばかりいたのですが、ちょっと手加減してやろうかなとそれくらいの優しさですが。

日々是好日

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「朝日新聞社」見学。「湯島天神」お参り。「都市計画、『清渓川(ソウル)』」。

2010-02-09 08:23:50 | 日本語の授業
 やや小太りの三ヶ月が、おぼろに浮かんでいます。寒くはありません。こういう月を見ると、「春」の気怠さが甦ってきそうです。今日、昼には東京でも18度にまで上がるとか。昨日の課外活動の時、「今日、寒くなくてよかったね」などと慰め合っていたのが嘘のようです。

 というわけで、昨日は、「卒業クラス」の学生達と、課外活動に行ってきました。

 まず、9時から、10時40分頃まで、教室で授業です。終了後、「卒業式」で歌う歌を一度一緒に読み、まずは一度、聞いてみます。それから食事です。家へ一度帰って食べてくるという者は、時間確認をしてから出し、学校で食べるという者は、買いに走ります(今日はお弁当を作ってこなかったのだそうです)。学校で食べるという者は、この歌を聴きながらの食事です。11時20分頃までですけれども。

さて、11時30分、行徳駅です。午後のクラスに移っていた学生も、ちゃんと来ていました。時間通りに出発し、築地駅に着いてからは、わずかの時間でしたが、市場見学です。見学と言いましても、皆でぐるりと回ってみるだけですが。

 勿論、「競り」などは見られるはずもなく、それでも、いろいろなモノが並べられていますから、皆、興味深そうに見て歩いています。時々「わっ」という驚きの声が聞こえたり、身体が「ギョッ」や「ビクッ」としていましたから、何に出会ったのか想像できましたけれど…。

 生きたカニが、(人に)触られて、手を動かしたり(「わっ、生きてる」です)、なまこのような怪物がベロ~ンと伸びていたりすれば、触ってもへっぴり腰になるのが当然。それでも、目が離れていませんでした。わさびの「本体」を見たのは、初めての学生もいたでしょうし。

 しかし、「安い」とか、「帰国する前、ここに来て買い物する」とかも言っていましたから、まあ、それなりに楽しめたようです。それから順路、「朝日新聞社東京本社」へ向かいます。

 考えてみれば、これまで、「見学時間」は、午前中でした。記者は殆どいなかったし、印刷の機械も動いてはいませんでした。それで、(編集局)「…だれもいない…」。「新聞記者は暇です…」。「みんな、働かないんですか…」などという声が上がっていたのですが。今回の見学は、ちょうど「午後二時発」というわけで、いつもに似ず、記者さん達も数多くいましたし、印刷室では高速オフセット輪転機が、フル稼働していました。そして、自動配送設備室へ行くと、新聞の束は、リニアモーターを使ったコンベアシステムでどんどんと運ばれ、梱包され、仕分けされていたのです。

教訓一、「新聞社には午後行くに限る」。

 そして、見学の最後には、お土産です。最初の説明の前に皆で撮った写真が、新聞の一面にしっかりと載っていました。皆は「初めて新聞に載った」と大はしゃぎ。母国の両親に送りますと言う学生までいましたから、こういう使われ方をしているのを知れば、朝日さん側も本望でしょう。

 「朝日新聞社」を出て、今度は「湯島天神」へお参りに行きます。途中、東銀座を歩き、「歌舞伎座」も見ておきます。もうすぐ、建て替えです。いい記念になったでしょう。で、パチリ。

 「湯島天神」では、少し早いかなとも思いましたが、梅の花を期待していました。階段途中の梅の木は、まだしっかりと固いつぼみ状態で、期待が外れそうだったのですが、境内の梅林では、早咲きのものがいくつかあり、香こそしなかったものの、それなりに「東風吹かば…」の世界を味わえました。もっとも、学生達は「絵馬」見物に忙しく、一生懸命めくっては、読んでいました。

 それから、ご縁(5円)があるように賽銭箱へこころざしを入れ、お願いです。何といっても学問の神様ですからね、合格祈願です。「ムニャムニャ…(ただし、道真公は日本人ですからね、日本語でなければだめですよ)」それが終わると、次はおみくじです。一人が「大吉」、大半は「末吉」か「小吉」で、まずは末広がりに、運気が上昇していくという卦がでました。お返ししている人もいましたが、持っていても別に悪い卦ではありません。

 さて、それから、「都市計画」を専攻したいという学生のために、日本橋へ行き、日本橋川と高速道路を見ます。ソウルに甦った川の姿は、日本でも大きなショックを与えました。「やれば、できるじゃん」だったのです。「やれ行け。それ行け」の時代が終わり、沈み込んでいた日本でも、ソウルの壮大な実験に、皆目を見張り、感動したのです。それから、「今までとは違う、別の方向の豊かさがあるのではないか。しかも、その実現を諦めなくても良いのではないか」と思うことが出来たのです。

 「里山の復活」であり、「ふるさと回帰」とでも言えるものなのでしょう。「欲しいものはだいたい手に入る。けれども、本当に欲しかったものは、失われてしまった」としか思っていなかったのに、それを甦らせたのですからね。「いやー、韓国の人はすごい」と日本人は皆、思ったのです。そして「自分達も、もう一度頑張ればそれを手に入れることが出来るかもしれない」と思ったのです。

 途方もないお金がかかると、知恵のある人たちは、計算をして諦めていたのです。データで出されると、皆弱いのです。でも、「データ」よりも、「こころざし」の方が大切だったということに気づかされたのです。日本でも、小さな町ぐるみの運動で、きれいな川が取り戻せたりしているわけですから、それが出来ないはずはないのです。

 遠くばかり見て、諦めるよりも、みなが、小さなこと、身近なことを、出来ることから一つ一つやっていけば良いのでしょう。都市計画というのは、そのための方向付けをするということ。皆が暮らしやすい町を、一番の弱者の視点から見て考えるということなのでしょう。。

 登山もそうではありませんか。一番体力のない人を、殿にしてはいけません。それと同じこと。どの家庭でも、幼児を一番後ろに置いて勝手に散歩などしないでしょう。それと同じ理屈です。

 日本橋を出てからは、まだちょっと遊びたいという三人がまず別れ、次に秋葉原へ行きたいという二人が別れ、そして行徳駅では、「お腹が空いた」と言って、パン屋に駆け込んだ私たち教員二人が別れ…ました。とはいえ、皆、それなりに楽しんでくれた一日でした。

 明日の新聞「本社訪問」が楽しみだと言っていましたが、今日載っているのを確認しましたぞ。これは、名前を載せた学生へのプレゼントです。

日々是好日
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「大学院へ行く…誰が決めた?」「専攻を選ぶ…誰が決める?」「朝日新聞社と湯島天神」

2010-02-08 07:48:19 | 日本語の授業
 いくら小さくとも、学校は学校ですから、人の出入りはかなりあります。私のように外出が苦手で、部屋の中に待っているだけの人間であっても、それはそれなりに人と人との間に関係じみたものも生まれて来ます。

 卒業しても、大学や専門学校のレポートが書けないと言って(助け船を求めて)来る者もいますし、仕事が決まりそうだとうれしそうにやって来る者もいます。その時に、いろいろな話が出ます。ある者が無事大学院の試験に合格したとか、どうも(ある人は)二度受けて二度とも失敗したらしいとか、そんな話も出てきます。

 とはいえ、失敗した人は、端から研究するタイプではないという場合が多いのです。最初から、自分はこれを勉強したいとはっきりとした目的意識を持って(日本へ)やって来る人は、まず、落ちません。根性が違います。それに、勉強しますから、研究生のうちに。そうではなく、(研究生で、その大学の本科生の授業を受けることによって、専門の不足を補っているにも関わらず)母国の大学にいた時と適当にやっている者は、多分、成功しません。考えるまでもなく、当たり前の事です。

 これは、誰が悪いのでもなく、自分が悪いのです。何のために、日本へ来たのかさえ判らなかったのです、最初っから。

 中国人に多い型ですが、自国の大学で専攻したのは、もう嫌だと言うタイプ。で、「何を勉強したいのか」と聞くと、「判らない。先生、決めて」と言うのです。もう慣れましたが、最初の頃は、本当に戸惑いました。だって、なぜここにいるのか判らないじゃありませんか。別に日本語の勉強だけが目的で来たというわけではないのですから。

 また、そういう学生の関係者は、「この人は、出来はよかったのだけれど、『考』に失敗したのだ」と言います。しかしながら、実際のところ、「失敗」したのではなく、「本当の力」が出たのでしょう。他者はいざ知らず、本人は(自分の能力が)判っていると思います。そこまでは愚かではないと思います。けれども、狡いのか、面倒だからか、それを、自分を大切に思ってくれる人には言いません。(自分のことを)能力があると思いたい人には思わせておきたいのでしょう。

 そして、遊んだり、ずるけたり、適当に気を抜いた生活をしていますから、試験何ぞには成功できないでしょう。何事であれ、「本気の人」には勝てないものです。そして、「本当はこれを専攻したくなかったのだ。だから、本気になれなかったのだ。だから、失敗したのだ」と言うのです。失敗すれば、常に「(それは)自分が本当はしたくなかったこと」ということになるのです。そう言えば、「そうか、そうか、だから失敗したのね」と甘やかす人が傍にいるのですから、きっと。そして、おそらく、これは永遠に続くのでしょう。悪しき螺旋です。

「憎まれて世に住むかひはなけれども かわいがられて死ぬよりはまし」
とは、思わないのでしょうね、こういう人は。

 この学校に来る人で、大学院に行きたいと言う人には、必ず、(専門を)自分で決めさせています。当たり前の事です。もう大学を出ており、普通なら、すでに仕事を始め、社会人になっているはずです。それを、「まだ学びたい」というのですから、それなりの目的と覚悟があって然るべきでしょう。しかしながら、本人の能力や努力、経済的なことなど、諸般の事情から、それ(研究したい専門)が選べないというのなら、まだ判りますが、「何をして良いのかわからないとは、何事か!」と、普通の日本人なら、ぶっちぎれているところです。しかも、「あなた、決めて」ですからね。

 ただ、この学校の教員は、そういう中国人に(哀れなことに)慣れていますから、忍耐強く、指導しています。時にはマンツーマンで話し合い、(学生の)過去を探り、どこかしら引っかかるものを見つけ出させるようなことも試みます。けれど、こういう人は、自分がないのです。見ているのは、入りやすいところ(大学院)だけ。たちが悪いのは、自分の能力も考慮に入れず、とにかく有名校へ入りたいと思っているように見えることです。

 「専門を学びたい。この専門に関する指導を受けたい」と思うなら、どこ(の大学院)でも良いでしょう。どの大学にも大学院にも優れた先生は、必ずいます。勿論、その先生に認めていただけるかどうかは本人次第ですが。もし、だいたいの専攻分野が決まっており、更にその詳しい内訳が知りたければ、(一級レベルに通っているならば)自分でもある程度は調べられるでしょうし、専門さえ判っていれば、私たちも手を貸すことはできます。ただ、何も判っていない人には、やりようがないというのが正直な話なのです。

 おかしなもので、言いようがないので、慣れたと簡単に言っていますが、こういうことは決して慣れられるものではありません。嫌ですね、本当に。とはいえ、もう、過ぎ去ったことは過ぎ去ったこと。いつまでも、ぐずぐずと考えていてもしようがありません。今、現に、ここにいる学生達が一番大切なのですから。

 私たちは、学生達に(この学校にいる限りは)自分達のできる最善を尽くします。卒業しても助けを求めてやってくる学生にも、それなりのことはします(ただ、しょっしゅう来て、代わりにレポートを書いてくれとか言う学生に対しては、我慢にも限界があります。本来ならば、自分がすべきこと。出来なければ、それでまた、しょうがないことなのです。日本人だって、出来なければ留年するしかないのです。一度や二度なら、助けてやらないこともありませんが、そういう学生は、してもらうのが当たり前といったふうで、前に変わりにしてやったことの礼も言いませんし、結果の報告もしません。そして、また持って来たりするのです)

「われながら 心の果てを知らぬかな 捨てられぬ世の また厭わしき」(藤原良経 )

 そうやって、愚かしいことをぐずぐずと書いているうちに、ふと外を見ると、青いきれいな空が目に飛び込んできました。きれいな青です。風もありません。悩む自分が愚かしく思えるほど、きれいな青い空です。

 今日は「卒業生クラス」の学生達と「朝日新聞社」へ見学に行き、それから「湯島天神」へお参りに行きます。

 別に「神頼み」というわけではありません。「人事を尽くして天命を待つ」に近い心境ながら、「行きたい人?」と、先週問うと、皆「は~い」と答えたのです。それで、道真公に「とてもまじめな学生達です。この学生達に幸多かれ」とお願いするつもりで、連れて行くことにしました。とはいえ、彼らは多分、目先の大学や大学院合格でしょうね。それも、またよしと。

日々是好日
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「『日本語であそぼ』利用」。「(日本の)国立の大学院(修士)には簡単に入れる?」

2010-02-05 07:30:20 | 日本語の授業
 やや左に餃子のような月を望んでの出勤です。今朝も寒さは続いています。

 今、「上のクラス」で『枕草子』をやっているのですが、そのついでに、「伊呂波歌」を入れました。ただ、入れるだけでは面白くない。それで「日本語であそぼ」を使わせてもらいました。随分前のものですが、コニちゃんが、歌いながら、フラダンスを踊るところまであるのです。これをもう4回くらいは聞かせているでしょうか、歌うところは一緒に歌うという形で。もう、一人は殆ど完璧に歌えています。後の学生は…、まあまあというところでしょうか。

 「日本語であそぼ」には、こういう時期(一級後、漱石や川端康成のものを一二点読んだ後)、授業で使えるものが三種類ほどあります。一つは「伊呂波歌」をそのままに読み上げています。二つめは、このコニちゃんの歌。三つめは、「冬はつとめて」を読み上げるもの。

 この三つが使えるクラスというのは、この数年で初めてじゃないでしょうか。普通は、ここまでなかなか至れないのです。ある年度は、それどころではない、…つまり、現代日本語でも「一級」に至れないという学生が多かったり、あるいは、「また勉強?」と虚ろな目をされたりで、「こんな余計なものはいらない!」心境になってしまうのです(学校が小さいので、学生の質が揃った時にしか、こういう余分な?ものは教えられません)。

 今年は、「伊呂波」も出来そうですし、その前に「書き下し文(漢文)」も、ちょこっとですが、入れることが出来ました。こうしておけば、大学でアタフタとすることも少なくて済むでしょう。最後は市川市出身の写真家、今は亡き星野道夫さんの文章と写真や映像でしめるつもりでいます。

 中国人の大卒者は(本当に不思議なのですが)、中国の大学のレベルが日本よりも高いと信じ込んでいるようなのです。大学院(修士、或いはその前の研究生)を受験する時に(「卒業論文」をまとめ、翻訳し、提出するのですが、その時に)彼らの四年間がどの程度のものであったのか、判って然るべきだと思うのですけれど、それでも判らない人が少なくないのです。

 ただ、これは平均的な場合です。中国にも、いい大学があり、そこにはいい先生がいて、きちんと指導しているのでしょう。いい「卒業論文」を書いたという人も聞き知っています。とはいえ、そうではない人の方が圧倒的に多いのです。こういう人も、よほどレベルが低いので、「こんな学生はいてもらっては困る」と大学や教員が追い出したというわけでもなさそうなのです。いわゆる普通の学生なのです。

 彼らの「卒業論文」の話です。まず参考文献、或いは資料が圧倒的に少ない。おまけに信頼性に乏しいのまで、参考文献として挙げてある。その上、彼らの文章を読むと、誰の意見か全く判らない。引用したものなのか、それとも自分の意見なのかが、まったく判らないのです(彼らがこんなことを知っているはずがないというところで、判断するしかないのです)。

 中国も改革開放が始まって、もう何十年も経っています。大学でこういう教育もされていないようでは、本当に困ります。まるで、大学の中でも盗作が当たり前となされているように、人は誤解してしまうではありませんか。ここまでは、他人の意見であり、自分の意見ではないというのは、読む人に、はっきりと解るように書かねばなりません。「どうして、他の人の考えを、さも自分が考えたように書くのだと」言うと、「私もそう思ったから」と答えるのです。

 初めは、「わずか半年くらいで、タイトルを決めて、ササッと書いたもの」ということを知りませんでしたので、文句をいっていたのですが、それが判ってからは彼らを責めてもしかたがないということに気づきました。皆がそうであり、それが常識であれば、だれも不満も感じないでしょうし、不審にも思わないでしょう。ただ、彼らが私に見せたものの大半は、日本の大学の学期毎のレポートレベルのものでしかありませんでした。費やされた時間から考えれば、それも無理からぬことです。しかも、まず資料が手に入らないし、文献も手に入りにくいとあれば、四年間の集大成であるとはいえ、書けるはずがないのです。それだけの期間を費やすいわれもありません。

 中国でも沿海地や大都市であれば、そういうものは先進国では通用しないということが判っているのでしょうが、少しでも地方に行くと、もうだめです。私のようなド素人でも、手を入れられるようなレポートが堂々と「卒業論文」として、大手を振って出てきます。当然のことながら、大学では専門に関する本をそれほど読んでいません。三四年次で学んでいるにも拘わらず、入門書のようなもので、ごまかされているような気さえするのです。

 特に、それが、能力があり、その専門に深い興味を抱いていることが判る学生であったりすると、本当に同情してしまいます。「大学は出たけれど、あまり専門を知らない」状態の学生が少なくないのです。これでは、専門学校で多少勉強したというのとあまり変わりはないでしょう。

 それも、外国で言葉の壁があり、これほどしか勉強できなかったというのとは違います。母語で教育を受けているのですから。

 私は、中国の大学でも、日本語を教えたことがあるのですが、能力の高い学生はたくさんいました。日本語科であれば、大学の4年分のカリキュラムの内容であったら、多分、彼らは一年か二年ほどでそれを消化できるように思われました。その時も、後の二三年間はもっと他のことを教えたらいいのにと、残念でたまりませんでした。当時、(彼らには)それらを吸収できる能力があると、誰にでも判るような学生が多かったのです。

 けれども、しょうがないですね。どこで生まれるかは運です。ただ、せっかく日本に来られても、その中国のノリで日本の大学院に入ろうなんてするものですから、研究生の二年間、毎年、つまり、二度も大学院を受験しても、やはり、合格できなかったという大卒者が出て来るのです。ただ日本には、いろいろなレベルの私立大学がありますから、もっと(大学院の)レベルを落として受験すれば、入れないということもなかったでしょうに、国立の大学院を狙ったりするから、失敗するのでしょう。

日々是好日
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