日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

もう、花粉症になった人がいます。

2016-03-31 13:28:30 | 日本語学校
晴れ。

「もう、7割ほどの(杉)花粉が飛んでしまった」そうですが、これを素直に受け取って喜ぶのか、あるいは「まだ3割も残っている…」とため息をつくのか…。それが、幸不幸の分かれ目…。もちろん、素直な人が幸せな道をひた進んでいるということになるのでしょうけれども。

今朝も目薬を差し、マスクをして学校に来ています。

けれども、一昨昨年までは、病院に通って薬のお世話になっていたわけですから、それに比べれば、うんと楽になった。目薬が効いたのか、あるいは体が慣れたのか…まあ、慣れたということはないのでしょうけれども。

学生の中には、来日後まだ二年にも満たないというのに、この頃になると、鼻をグシュグシュいわせ、目を赤くしている者も出ています。早いなあというのがこちらの感想なのですが、日本人と同じように、マスクをしているのが面白い。彼らの国ではマスクなんてしたことがなかったでしょうし、(来日してすぐの頃は)日本人のマスクを見て違和感を覚えていたでしょうに。

しかしながら、「郷に入っては郷に従え」。その土地の人と同じようなものを食べ、同じように過ごすのが一番「いい」のでしょう。病気になったときも、その土地の人に聞き、2,3日、その土地の人が、その病になったときに食べているものを食べた方がいいのか、あるいは、すぐ医者に行ったほうがいいのかをちょっと考えて(ときどき、その通りにするのはまずいなあと思われるような所もあるので)決めればいいのです。

ただ、学生達は自分の国から持って来た薬を飲む人の方が多いのです。怖いことに、それで、なんでもやり過ごしてしまおうとします。もちろん、それで大丈夫な場合もあるでしょうが、長引いたりしますと、思わず、医者に行けと言ってしまいます。

特にこの時期はまだインフルエンザが流行っていますから、そうした方がいいのです。前に、このインフルエンザのことがどうもよく判らなかったらしい、南国の学生が、(インフルエンザにかかっているのに)大学の入試に行くと駅まで行っていたことがありました。

ちょうど、「ちゃんと起きていますか」コールをしたときに、わかったのですが(していなければ、そのまま大学へ行っていたでしょう)。(多分)ニコニコして電話口に出て、「今、駅にいます。インフルエンザですけれど、先生、大丈夫」。慌てたのはこっちで、思わず「だめ。すぐに部屋に帰りなさい」と叫んでしまいました。

大急ぎで、大学に連絡し、事なきを得たのですが、もしそのまま行っていたら、大変だったでしょうね。

前に、(これは違う国の学生ですが)肌に張り付いている小さな黒い虫の写真を(蝶の幼虫のようでした、形は)私に「見せ、「これは、だめ。これは大変な動物(虫です)」と言った学生がいました。彼は、この虫が日本にもいるかどうかを聞きたかったようなのですが、私にはわかりませんでした。おそらく南国にいる、何かの毒性の強い虫だったのでしょう。

「南京虫とかは、話に聞いたことがあるけれども、ちょっと違う。いないのではないか」と言いますと、「私の国にはたくさんいます。ほんと、これは怖い」と言います。

思わず、日本に連れてきていないでしょうねと言ってしまったのですが、ヘラヘラ笑っていた彼。意味がわかったでしょうか。

もっとも、蝉におびえて、「日本には大きな虫がいる。部屋に飛んできた。怖い」と叫んでいた北の国の人もいましたけれども。

日々是好日

「読む」という習慣。

2016-03-30 08:55:08 | 日本語学校
晴れ。

昨日、お日様も照っていたし、かなり暖かかったので、近所の「オシマザクラ(大島桜)」が五分咲きくらいになったかなと思っていたのですが、帰りに見てみると、さほどでもなく、ほんのちょっぴり増えたかな…くらい…。ちょっと残念でした。

ところが、今朝見ると、四分咲きほどになっていました。ついでに自転車を回して、近所の「シダレザクラ(枝垂れ桜)」を見に行くと、これはもう七分くらい咲いていましたね。きれいなのですが、心なしか、年々花数が減っているような…樹の力が衰えてきたのかもしれません。

さて、学校です。

初日に20分遅れてきた学生、昨日はそれを挽回するかのように遅れた分早く来ていました。二人いるからでしょうか、授業のあと、4時過ぎまで、復習したり、練習問題を解いたりしています。こちらが言ったことがストレートに伝わるので、本当に助かります。「あなたの目的はこうだろう。そのためにはこうした方がいい」で、そうしてくれるのです。

やはりなんと言いましても、中国の人(を教えるの)は楽です。勉強の仕方が、あるいは目的への姿勢がというべきかもしれませんが、似通っているからでしょう。これは「書く」を主に置いている文化から来ているからかもしれません。もちろん、弱点も同じ。まあ、似たり寄ったりと言った方がいいのかもしれませんが。

国によっては、漢字など、面倒だから、書かない(話せれば、それで事足りる)…つまり、漢字を覚える気が無い…いえ、(10回ぐらい書いて覚えられるものなら)覚えたいとは思っているでしょう。ところが、実際のところ、苦労して覚えようとしても(覚えたつもりになっても)、翌日にはあらかた忘れてしまっている。ということで、馬鹿らしいと思うのでしょうね。努力に見合わないという、彼らなりの、物事に対する秤があるのでしょう。

だから、一言で終わりです。「漢字は難しい(私は努力していないわけではない。漢字に責任がある、私にはない)」。でも、そういう文化の中で培われているのです、日本という国の習慣も何もかも。そこで行き詰まってしまうと、もちろん、外国人は私たちと違う部分があるので、面白がられる面もありますが、けれどもそれも一面に過ぎず、すぐに飽きられてしまうでしょう。で、(日本は)嫌だになってしまう。

これが、帰化したり、日本の会社に入って長続きしたりしている人を見ていると、最初はどうであれ、長くいるうちに「漢字は覚えなければ」ということがわかってくる。で、覚えようとする。前の時のように彼らの国のやり方でやるのではなく、日本式のやり方で覚えようと、どうも、そうしている風がある。

そうですね。日本人だってそう。どこかの国へ行って、その国で、ある程度の期間、過ごそうと決めたなら、その国の言葉を覚えたり、文字を覚えたりして、その土地の人と馴染みたいと思うようになるはずだし、またそれに応じた努力もするようになるはず。

ということは、漢字を覚えようとしていない人は、もしかしたら、日本とは余り「縁」のない人なのかもしれませんね。どんなに聞き取れたり、話せたりしていても、「読めない」のですから。

最近は、日本でも「『読み書き』よりも『話す聞く』が大切だ」と言われるようになってきました。 もちろん、これまで、余りに「読み書き」偏重だったから、そう言われるようになったのかもしれませんけれども…。

文化ですかしらん、他国の東アジアの文化圏から離れて、他の文化圏の人たちと関係を持つようになると、彼らの国では「読んで理解できる」というのは、ほんの一部の人たちに許されたことであって、大半の人たちにはその権利がない…だから、母国のものであってもそれほど読みこなせないのではないかと思うようになってきました。

母語による文法説明が書かれた物があっても、読もうとしない学生が少なくないのです(単語くらいはいいのですが)。そして、私の、日本語による説明の方に耳を傾けて理解しようとするのです。中には読んだ振りをする者もいるのですが、読めていないのはすぐにわかります。この国で出版されたものだからかなと思ったりもしたのですが、向こうの国で出版されているものであってもそのようなのです。

そういう人たちが、日本では、日本語で書かれた文章を読まされる。これは大変です。「読解力なんて、言わんでくれ」と本来なら言いたいところなのかもしれません。こういう、本を読むという習慣は、子供のときから培われていないと、付け焼き刃ではなかなかうまくいかないものなのです。どこを注意して読めばいいのかさえ、わからない人もいるのですから。

日本語を学ぶことを通して「読む」という習慣をつけ、また(文章を)「読みこなせる」ようにする。

もしかしたら、彼らにとってそちらの方が大切であるかもしれません。

日々是好日

オオシマザクラは五分咲きくらいになったかしらん

2016-03-29 17:00:31 | 日本語学校
晴れ。

五月晴れとでも言いたくなるようなきれいな青空です。春は霞空と相場が決まっていたはずなのに…。まあ、どちらにせよ、青空の下で「サクラ(桜)」を楽しみたいものです。

近所の「オオシマザクラ(オオシマザクラ)」は二分咲きくらいになったでしょうか。でも、この上天気で五分咲きほどにはなるかな…。

さて、昨日は、あたふたと、あっという間に時間が過ぎてしまったような…具合でした。

いつものことですが、予定は未定で、そして、今回もそのまま終わりそうです。

「休みになったらやり残していた分、やっておいた方がいい分、み~んな、きれいにやってしまうぞ」と、休みに入る前は…思っていたのですが、なかなかその通りにやれた例はなく、終わってみると、ポロポロと取り残されたものがさびしげに散らばっている…の図が目の前に広がっている…。

今回も、まだあと、2週間ほども残っているというのに、もうそんな気分になっています。

補講で学生を呼ぶのはいいのですが、その学生が真面目であったりすると、途端に、時間が足りなくなってしまうのです。おまけにそちらの方に気が行ってしまって、他のことは、何も手につかなくなってしまうのです。とはいえ、職員室の模様替えをするとのことでしたから、(よけいなものは)できるだけ持ち帰り、また片付け、また処分し、どうにかその空間を空けておきたいものだと思ってはいるのですが、飛び飛びにやってしまうと、何をどこへ置いてしまったのかさえわからなくなってしまいます。本当に日頃が大事ですね。今更ながら、身にしみて感じています。

昨日も、遅ればせながら、学費などを持って来た学生がいて、ついそちらのほうにかまけてしまいました。これ幸いと話しかけてしまうのです。なにせ、二年生が卒業してしまうと、一年生だった彼らが2年生になってしまい、進路が気になってしまうのです。

で、進路を聞いたり、アルバイトの状況を聞いたりしてしまいます。もちろん、収穫はありました。やはり、2年目に入ろうとする学生は、違いますね。最初のころ、何を聞いても、「わかりません」と言っていたのに、少しずつ何をしたいかが言えるようになっています。

もちろん、最初から目的があってがんばっている学生もいるのですが、それはよくて半々くらいでしょう。

日本で何を学べるのかが具体的にわからぬまま留学している人が多いのです。

この学校には、スリランカとベトナムから来ている人が多いのですが、共通して見られるのが、「日本料理を習いたい」。ただ、これは難しい。発展途上の国から来ている留学生にとって、120万円(あるいはそれ以上)もの学費は、なかなかおいそれと出せるもので
はありません。それに、こういう専門学校は、授業時間も長く、アルバイトを、それほどできないのです。学費のためにもアルバイトが欠かせない学生達にとって、これは痛い。

そんなわけで、これまでに、あきらめて、他の専門を選んだり、帰国したりした学生がいました。本当に残念なことでしたけれども。

そのほかにも、自動車について学びたいという学生も多かったですね。これも日本料理と同じで、アルバイトの時間がとれないということと学費の高さがネックになって、なかなか初志を貫くことができませんでした。

もちろん、レベルの高い学校は学費が高いのも、授業時間が長いのもわかりますから、それについて文句を言っているわけではないのですけれども。

日々是好日

休み中も、休みではない学生もいます。

2016-03-28 16:32:38 | 日本語学校
小雨。今は止んでいます。

天気予報では、突風や雹の可能性もあるとか言っていました。それでも、自転車で来たのですけれども。

ところが、学生達が来て、勉強している間に、雨は完全に止んでしまいました。

曇ってはいるけれども、この分で行くと大丈夫でしょう。

さて、学校です。

約束していたとおり、中国人学生が9時に来て(一人20分ほどおくれましたが)、12時半頃まで補講を受けていました。

この学校のように、「非漢字圏」の学生が増えてしまうと、中国人の学生達が、どのクラスに属するかが難しくなるのです。

ダラダラとやっても(もちろん、ヒアリングと会話能力は向こうの方が数段上です)、気分転換に来たとか、友達がほしくてきたとかいうのなら話は別ですが、もし、「N2」や「N1」に合格したいというのであれば、かなり時間が無駄…になるでしょう。

そこで、休み中に『初級Ⅰ・Ⅱ』をやりあげて(中級に行っても復習は続けます)、上のクラスに行かせた方がいい。まあ、上のクラスと言いましても、『中級』なのですが。ということで、今、やり始めたところです。

もっとも、本人にやる気がなければ、いくらこちらがお尻を叩いても、何にもなりません。一人は、多分就職でしょうし、もう一人は進学でしょうが、目的があるということはいいことです。

というわけで、12時半まで、補講し、午後は(食事後)、学校で復習と予習をするように言っています。今、様子を見に行ってきたのですが、がんばっていました。

これを休み中、月曜日から金曜日まで、毎日続けられるかしらん。ちょっと心配ですが。

日々是好日

「休み中」は、学生といろいろ話すチャンスです。

2016-03-25 09:34:48 | 日本語学校
晴れ。

今日は少し寒いけれども、快晴です。やはり「花曇り」の空よりも、青空の方が桜には似合います。早く満開にならないかしらん。予報では4月1日あたりとのことでしたけれども。

近くにある「オオシマザクラ(大島桜)」の木は、全体が淡い緑に見えます。公園の桜が淡いピンクに染まっているのとは違うので、すぐにわかります。花の色は白ですものね。

昨日、北京から来た友人に会ったのですが、東京は寒いと繰り返し言っていました。「桜の頃って、こんなに寒かったかしらん。もっと暖かいと思っていたのに。北京では冬のコートは要らなかったので、持って来なかった」と寒さに震えていました。

そういえば、私も北京にいた頃、4月が近づくと急に気温が上がって、まるで初夏のようになったので驚いたことがありましたっけ。一斉に初夏になるのです。ジワジワと季節が移っていく日本とは違いますね。もしかしたら、空気中の水分の量のせいかしら。

さて、学校です。

昨日は朝から、来客です。在日の方で、4月から入学希望です。優しそうなお父さんが頭の良さそうな青年を連れてきました。で、つい話し込んで(進路やら、教科書の説明で)いると、学生が寮の水道代の請求書を取りに来ました。アルバイトが休みだと言いますので、少し待ってもらいます。

彼とは少し話したかったので、待ってもらっていたのです。来客が帰った後、Ⅰ時間余り話しました。進路のことなど、随分簡単に考えていたようで、「友達はどこそこで正社員になった。だから、自分もそうしたい」。「(母国で)短大しか出ていなくて、しかも日本語のレベルも大したことがない外国人がいったいどんな仕事につけるというのか」から話し始め、彼の気持ちも聞いていきます。

こういう話は、彼らが日本に来た時から(そのときどきの教員が)しているのですが、腹に落ちていく時期というものもあるので、いくら話しても全く耳に入っていない(返事だけは「はい、わかりました」というのですが)ということもあるのです。

なおも詳しく話を聞いていきますと、日本で正社員になったという、「友人」は、在学中のアルバイト先の工場に、日本語学校卒業後、そのまま正社員として勤めるという、例のパターンでしかないのです。しかも手続きに何十万かの金を払って。

選択先は、「とにかく日本で働く」なのか、それとも「やりがいのある仕事をしたい」なのか。これから先、30年先のことも考えてみるように言いながら、話していったのですが、それ(こういう話をしたのも)は、彼が一応、こちらの話が「わかる」学生だからなのです。

頭は悪くはないし、リーダーシップもある。しかし、夜の工場でのバイトを金・土以外にもしてしまうと、学校には来たものの、眠るだけになってしまう。当然のことながら、成績はドンドン落ちていきます(他の人に比べて自分は「できている」と思っていたのに、ある日、他の人は読めるのに、全然読めない自分に気づき、愕然とする…)。

結局「気がついたら何もない自分に気づく」になってしまうのです。「あの人が正社員になれたのなら自分も」と思う。なぜなら「自分の方が『できる』から」。そのほかの偶然性(アルバイト先がたまたまそういう所であったなど)は、全く見えていないのです。しかも、どんなアルバイトであるかなども、考慮に入れていません。日本で働きたい…だけ(もちろん、それだけでもいいか、いいだろうなあと思える人もいます)。

私たちから見ると(彼の場合は)もったいないのです。原石のまま終わるのか…、なのですが。

国にいるときの周りの話。そして日本に来てからの周囲の(同国人)話。日本に来たからといって、変わったというわけではないのです。もう、ベトナムもそういう段階から脱却できてもいいような気がするのですが、なかなかそうはいかないようです。

ただ、一応(一応ですが)、きちんと勉強するということ、そして日曜日の夜の工場のバイトは考えるという段階まではどうにか行けたようです。この学生はできなければ、できないと言いますから(前に話したときも、いくら話しても「卒業後は就職したい」の一点張りでした)、多分、考えることは考えるでしょう。

もっとも、これから半年が勝負ですね。その間も同じようなことを繰り返しているようだったら、結局、そのまま、実を結ばずに終わってしまうと言うことになってしまうかもしれません。

10年後、あるいは20年後に、自分はどのような「位置」に立っていたいかを想像する力も必要なのでしょう。

日々是好日

「花冷え」の1日になりそうです

2016-03-24 12:01:42 | 日本語学校
小雨。二月並みの寒さだとか。

皆、「花冷え」だと言っています。だって「サクラ(桜)の開花宣言」が出されたばかりですもの。

この「サクラ」、特に「ソメイヨシノ(染井吉野)」はそろそろ寿命が尽きる頃だそうで、各地で騒動が続いています。「老木が倒れたらどうする?」「それで事故が起きたら?」「人死にが出たら?」心配の種は尽きません。

「サクラ」が咲いている場所も問題だそうですが、「サクラ」に限らず、樹木に対する人々の思いは強く、ご神木と言われる樹木だって、おそらく万単位であるでしょう。

だいたい「サクラ」というのは、戦争に負けたあと、希望を託して植えた場合も少なくないので、いくら年老いたといっても、「切る」ことに同意しかねるのです。焦臭い気持ちで伐採に反対する人がいるとしても、また単に「風景」として楽しみたいという人がいたとしても。

1945年ごろは、誰も、日本がこんなに近代化が進み、こんなに車や電車が走るようになるとは思ってもいなかったでしょう。そのころは、皆、飢える寸前のところで、生きていたのでしょうから。

まあ、そういうわけで、「サクラ」は大変。おそらく、騒動を引き起こしている人々をよそに、「サクラ」は、(心では)倒れるときが来たら、自然に倒れたいと思っているだけでしょう。華やかな「ソメイヨシノ」だって、無理に作られたと言えないこともないのです。「昔ながらの『ヤマザクラ』」であったなら、これほどのウキウキ(感)を呼び覚まさないでしょうが、代わりに、ごくごく自然に人々は楽しむことができたでしょう。もしかしたら、その方が良かったかもしれません。変な「武士は桜木」なんて(本来なら潔さを伝えるための言葉だったでしょうに)こともなかっだでしょうから。

さて、昨日、「防災センター」へ行ってきたのですが、ちょっと肩すかしを喰ったような感じでした。

行く前に、「地震を体験できる」とか、「消火器の使い方を教えてもらえるのではなかろうか」とか、あるいは「『煙の中を歩く』コーナーがあるかもしれぬ」とか、散々吹聴していたので、タブレットを使った体験には、学生達も戸惑っていました。アニメーションも、これはわざわざ来なくとも、どこでも見られるみたいな感じをもってしまったようでしたし、ちょっと失敗したかな…でしたね。

外国人の学生達には「防空ずきん(古いですが)」を被るとか、そんな小さなことでも「体験」が加えられていれば、それなりに臨場感が味わえて、満足できた…、ちょっとは心に留められたかもしれぬと思うのですが、あれは、まずかった。外国人のためのメニューではなかったのでしょう。

課外活動には適したお天気であっただけに、来年はもうちょっと考えて他の所へ連れて行きましょう(学生達、御免ね)。

というわけで、今日から「春休み」です。二年生は、アルバイトを増やしたり、あるいは「引っ越し」したりと、ちょっと忙しいようですが、いつも困るのは、「新入生」がいつ来るかと言うこと。

知り合いがなければ、皆、寮に入ります。それで、在校生に成田か羽田へ迎えに行ってもらわなければならないのですが、先だっては、ネパールとの連絡がうまくいっておらず、だれも迎えに行けないということがありました(向こうの学校の知り合いが迎えに行って事なきを得たのですが)。

ベトナムからも夜中の12時過ぎに出発する便で来るとなると、(同じ学校から来ている)在校生もいつ日本に到着するかが途端に曖昧になってしまいます(当日か翌日かがわからなくなるようです)。それで、すぐに確認のメールを彼の国に入れなければならなくなります。

スリランカの場合は、楽です。向こうの学校から(向こうの学校を卒業した)学生に連絡が行き、彼らが迎えに行き連れてくる…。部屋も彼らが決めてやるので、こちらとしては教えるということだけに専念できるのです。まあ、これはうまくいけばの話で、実際は、迎えに行くところまではうまくいくけれども、それから先は揉めて、(それが始まると結局はこちらが出張らざるをえなくなる…という場合も少なくないのです。

とはいえ、ベトナムからの第一陣は4月4日にやって来ます。ちょうど「サクラ」が満開の頃ですね。

日々是好日

「防災センター」へ参ります

2016-03-23 08:34:01 | 日本語学校
曇り。

近所で「ハナニラ(花韮)」の花が咲いています。「ハナニラ」が開いたとなると、と思い、少し奥まったところでこの時期咲いているはずの「シャガ(射干)」の花を探してみると、ありました、ありました。こちらも咲いていました。

「シャガ」は、里山でよく見かけていた花です。地味なのですが、白と黄と、うっすらとした紫の水玉が、樹の下陰に映え、不思議と目立つのです。

それに、「サクラ(桜)」の頃になりますと、「オオアラセイトウ(諸葛菜)」の花も咲いているはずです。

こう「○○が咲いているはず。なぜなら、『サクラ』が咲いているから」とか、「『ミツマタ(三椏)』が咲いたから、△△も咲いているはず。」とかいった言い方は、多分、あまり科学的ではないのでしょうね。

これは、「サクラが咲いた。だから服も桜色を入れないと」とか、「フジ(藤)が咲いた。だから紫を入れないと」とかいった、古くからの慣習(身についたもの)にも似たところがあるのでしょう。

ドイツ人の友人に、よく「だから、日本人は変だ。理論的ではない」と言われていたのですが。

もしかしたら、日本人は「花」にいつも追われているのかもしれませんね。「更衣」だなんのかの言っていても、結局は花の季節にその花の一部と化すような色彩の中に身を置きたい、自然の一部と化していたいということなのかもしれません。

さて、今日、皆と一緒に「防災センター(東京臨海広域防災公園)」へ参ります。

こちらの自然は怖いものですが、怖い、怖いと逃げていても逃げきれるものではありませんし。

「あの頃の津波を見たい」と言う学生が時々います。ただ、東北から離れたところにいた私たちにとっても、まだ、あの「津波」や「原発」は、歴史になっていないのです。だから、見せても、どう彼らに言ったら良いのかわかりません。それに見たくない気持ちもあるのです。これは、不思議なことにだんだん強くなって来るような気がします。蓋をしようにもできるものではありませんのにね。人間とは、どうしようもないものです。

その点、「防災センター」では、必要なことを必要な形で見せてくれ、体験させてくれるというので、ありがたいのです。

学生達も、少しずつ日本で暮らすことが、楽しいばかりではないことに気づくでしょう。

あの震災の時、たくさんの留学生が帰国しました。この学校でも、多くの中国人留学生が帰国しました。そして一人を除いて皆、戻ってきました。その一人というのも、日本に戻れなくなった(帰国したときの家庭状況がそれを許さなかった)からのことで、「日本に戻りたかったけれども…」という連絡がありました。

「危ない、危険だ」と言われている日本に戻るのと、中国にいるのとどちらが良いと思ったのか。戻ったというのも、彼らが、自分で選んだ結果です。彼らは日本に戻り、ある者は大学へ、ある者は大学院へと進みました。

これからも、自分で決断しなければならないことが多々出てくることでしょう、自分の人生ですから。それに、大きな決断を若いときに既にしたという経験があるわけですから、きっと後悔しないような決断を下すことが出来るでしょう。

願わくば、彼らが日本に戻った、そして手に入れたものが、これからも引き続き、いい結果を生んでいきますように。日本にいる者として、願わずにはいられません。

日々是好日

『桜の開花宣言』が、昨日出されました。

2016-03-22 08:42:17 | 日本語学校
青空が見えるかなと思ってみると、雲に覆われていたり、今日は曇りかなと思っていると日が射してきたり…そんなお天気です。

昨日、東京に「桜の開花」が宣言されました。

最近は郊外に出るのが楽しくてたまりません。

土曜日には、車窓から、「レンゲ(蓮華)畑」を見ました。子供の頃には、「シロレンゲ(白蓮華)」を探し歩いたものでしたが、最近はシロレンゲどころか、レンゲ畑そのものがなくなり、見つけると、もう、皆で「歓声」です。

「今迄は 踏まれていたに 花野かな」(一茶)

そういえば、随分前に「高尾山」に登ったとき、頂上付近で「スミレ(菫)」が群生しているのを見つけたことがありました。北京の大学でも群生していましたね。中国人には、日本人ほどには(この花への)愛着がないようで、「野草」と一言で片付けられてしまいたが、昔懐かしい、「紫」の濃いスミレでした。

さて、学校では、二年生が卒業してから、随分静かになりました。卒業前後、所属が変わるからでしょうか、しょっちゅう、職員室に出入りしていた彼らがパタリと姿を見せなくなった…そのせいもあるのでしょう。が、在校生は、卒業していった学生達に比べると、総じておとなしいのです。

卒業生は男子の方が多かったような気がするのですが、在校生は男子よりも女子の方が目立つのです(多いのかしらん)。中国人が多かった頃は、女子が増えるとそれだけ賑やかになっていました(「箸が転がっても笑う、そのままでした)。けれども、スリランカ人は女子が増えれば増えるほど静かになるのです。男子が多い方がずっとうるさいのです。お国柄が伺えて、ちょっと面白いですね。

と思って、チェックしてみると、女子が多いのは、「C・Dクラス」だけ。「Eクラス」と「Fクラス」は断然、男子の方が多かった…。でも、不思議ですね。「E」も「F」も女子の方が目立つのです。

女子の方がずっと真面目だからかな。

日々是好日


柳が少しずつ濃くなっています。

2016-03-18 08:37:32 | 日本語学校
晴れ。

いいお天気です。暖かく、そして風もなく… 。遠くの景色がぼんやりと見えています。

江戸期のものに、「霞立つ」…「足もないのに、立つとはこれいかに」というのがありました。本来ならば、「春霞」で、風情を感じて然るべきでしょうに、「何々がごとし」という川柳を思い出すと、思わず「ぷっ」と吹いてしまうから困ります。

さて、柳も「青める」と言えるほどになってきました。「ユキヤナギ(雪柳)」も、あとはハラハラと散るばかり。「スノードロップ」を木陰にたくさん植えているところがあって、わずかの風にゆらゆらと揺れている様は、ちょっと幻想的ですね、特に夜などに見ると。

昨日、学校でコンピューターの不都合やらを見てもらっていたのですが、途中から、(最初の頃は、説明を聞きながら、「ニワトリが飛んでいる…」くらいだったのですが)「あれ、ブタが飛んでいる、クマも飛んでいる、ゾウまで飛び出した」になり、果ては「イルカも飛んだ、シャチも飛んだ、クジラまで浮いている…」と、まるでチンプンカンプンでした。

ヒアリングの悪い学生が、集中力に欠けてしまう気持ちがよく判ります。判らないのに、一生懸命聞けというのは、どだい無理なこと。途中からぼんやり…。

説明してくださる方は、こういう客に慣れているのでしょうか。質問しようにも、何が何だか判りませんもの。他の人がいろいろと聞いて、答えてもらっています。

私など、うっかり「10」を入れてしまったのですが、それに関していろいろ聞かれても、どこがどう不都合なのか、確としたところが判らない。で、今は大丈夫なのかという問いに、判らないから大丈夫でしょうと、今のところはそう答えるほかないのです。

「10」を入れたと言って、「どうして」と問われても、なぜどうしてなのかも判りませんし…。本当に困ったことです(自分で困った困ったと言っているのですから世話はない。どうして困ったことなのかが分かる人はもっと困っていることでしょうに)。

コンピューター会社は、単に「打った」り、「送った」りしているだけの人用に、「危ないもの」は送ったりして欲しくありません。最先端の技術だけを求めている人ばかりではありませんもの。私みたいなトンチンカンな者も使っているのです、一応現代の機器を。

あまりに進歩しすぎると、これまでは10年、20年使えていたものが、あっと言う間に使えなくなり、「ゴミ」と化すということにもなってしまいかねません。どうにかならないものでしょうかしらん。同じものを、ある人は「8」のまま使い、ある人は「10」で使い、またある人はずっと上の物を使いできないものかしらん。

もう、これは他の機器と対応出来なくなりましたと言うのが、当たり前の世界にいるのがちょっと怖いですね。人は一万年前も今も同じ気持ちで動いているというのに。ネアンデルタール人が亡くなった人を悼み、遺体の周りに花を撒き弔ったというのに、劣ることはあっても、それ以上ではない現代人類。

それが科学ばかりが発達しても、人はそれに追いついていけるのかしらん。それに「使いこなせる」というのも、何をもって使いこなしているといえるのかしらん。人の心は変わっていないのです。

まあ、高校生の頃から、「シーラカンス」とか、「縄文人」とか言われていましたから、そう扱われるのになれていますけど。だから、別に不満はないのですが。ただ、送信は別にしても、私など、今だってワープロ機能で「御の字」という部類に属するのですから、そういう人間でも、人の迷惑にならない程度に、コソコソと使えればいいのですけれども(何だか書いているうちに、ゴキブリになったような心境になりました。ゴキブリには気の毒ですけれども)。

さて、独り言はこれくらいにして、学校です。

昨日「CDEクラス」で、「N3」の模擬試験を行いました。他の国の学生に比べ、一番差があるのがベトナムの学生です。

ヒアリング力と、(母国で)うちで勉強するという習慣があるかどうかが彼らを分けているような気がします。

スリランカなどは、ヒアリングがいいので、うちで勉強しない人は単に漢字で劣るくらいのもので、「N3」くらいは何とかなるのです。以前もそうでしたから。もちろん、良いと言いましても、相対的なものですが。

ベトナムの学生は、漢字や、単語までは覚えられるのです。特に真面目な学生は。ところが、文法がなかなかストンと落ちていかない。だから読み取れないし、聞き取れないのでしょう。

この「文法」も、(真面目な学生は)「覚えろ」と言われた例文はきちんと覚えて来るのです。もちろん、時間が経てばきれいに忘れてしまいます。ストンと落ちていないまま「やみくもに覚えた」だけですから、それは責められないのです。

いつかは一つになるだろうと、微かな期待の下で、こちらとしてもやっているわけですから。

ただ、こういう真面目な学生は、この学校にいるときには結果として目に見える形で出なくとも、大学に進んだときには、出てきますから心配要らないのです。それを知っているから、私たちとしても続けていられるのです、本当のことを言いますと。

まあ、試験の結果から見ると、資質的に、4月生も7月生もそう差はないという気がします。7月生は、まだ「N3」の教材に入ったばかりですから、今、(4月生と7月生を)一つにすることは無理であっても、多分資質的には7月生のほうが上でしょうから、将来的には無理ではないでしょう。授業の時の「ノリ」も、一番いいのです。それに積極性もありますし。

「家に帰ったら寝てしまうから、アルバイトが始まるまで、学校で勉強していてもいいか」と訊きに来たのも彼ら。他のクラスでも最初は訊きに来たのですが、すぐに続かなくなりました。1,2回でやめてしまうのです、それは思ったより大変なことなのです。それが続いていますからね。数年前、中国人の留学生が、いつも5,6人残って勉強していたのを思い出しました。

日々是好日

暖かくなると眠くなる…のは、判るけれども…頑張れ。

2016-03-17 10:09:27 | 日本語学校
晴れ。

青空が広がっています。今日は20度近くまで上がるそうです。

「ハクモクレン(白木蓮)」の花も終わりに近づきました。「ラッパスイセン(喇叭水仙)」や「ボケ(木瓜)」はもう少し大丈夫かしらん。まあ、木瓜は一ヶ月くらいは咲き続けるでしょうけど。

そういえば、今年はどこにも行かなかったからでしょうか、春先に咲く木の花をあまり見ていません。少し郊外へ行くと、そんな木の花があちらのお宅でもこちらのお宅でも咲いていて、華やかな気持ちになれるのですが、今年はちょっと気づくのが遅れましたね。

さて、学校です。

「C・Dクラス」のこと。
昨日、眠そうな顔をした学生がいたので、隣に、「寝そうになったら起こしてやってね」と言ったのです。その時は、彼、「はい、はい」と殊勝な声で返事をして、ちらと隣を見ていたのですが。

ところが、私が正面を向いた途端、目の端に、同じようにあくびをしている彼の影が…。

キッと振り向いて、「おい、おい、おい」です、全く。欠伸というのは確かに移ります。でもね、言われてすぐにそれはないでしょう。

もう、全く頼りにならないんだから。

「春眠暁を覚えず」…、確かに。ただ、もう9時は過ぎていましたけど…。

月曜日は、寒かったし、火曜日もそれほど暖かくはなかった、で、「寒さの冬」と同じように身体が縮こまっていた。ところが、(昨日は少し)暖かくなったので、身体がクニャ~ッとなるような感じで軟らかくなって…、楽になって、ついつい…フワ~ッとなったのかもしれません。

まあ、この二人は、睡魔と戦いながらも頑張っているほうですから、まだ冗談が言えるのですが。

どのクラスでも、半年ほども経つと、クラスの勉強に、ついて行けない人が出てきます。それにはいろいろな事情があるでしょうが、アルバイト探しに失敗したことで、そうなったという人も少なくないのです。

来日時に、簡単なアルバイトが出来るくらいの日本語力さえついていれば、先輩が近くの工場を紹介してくれますから、そこで働くこともできます。当座はそれでしのげるのです。ところが、面接で、申請することが決まってから、勉強をやめたりしますと、来日後は大変なことになってしまいます。

これは、勉強に対する姿勢も関係しているのでしょう。

もっとも、中には、こんな人もいましたから、皆が皆、不真面目というわけではないのです。

彼が勉強していた学校では、『みんなの日本語Ⅰ』しか教えてもらえなかった。けれども、自分で『Ⅱ』を買って、単語を覚えたり、文法の説明を読んだりしていた…。こういう人は日本へ来ても、ベトナムにいたときと同じように、勉強するです。だから、問題は全くありません。

ベトナムとスリランカの場合は、向こうで面接をして、「今はこれくらいの(日本語の)レベルだが、申請して、決まるまでに、これこれの時間がある。決まってから来日までにもこれだけの日数があるから、『みんなの日本語』の50課までは行けなくとも、1冊目は終われるだろう」などと胸算用してオーケーを出すのです。が、申請することが決まった途端にやめてしまう人もいるようなのです。

これは、日本へ来てから判ることなのですが。

もっとも、ベトナムの日本語学校の中にも、厳しい学校はあります。申請していたのに、途中で「この学生の申請を取り下げてください」と言ってきたりするのです。聞くと「(勉強を)続けるという約束で申請したのに、すぐにやめてしまった。こういう学生は日本へ行っても勉強しないだろうから」。

これはすごいと思いましたが、こういう学校は少ないでしょうね。「学生が勉強しようがすまいが、手数料さえ手に入ればいい。後は野となれ山となれ」とまでは思っていないかもしれませんが、「手数料」しか目に入っていないのです。いくら書類に不備がなくとも、こういうところから入れてしまうと後が大変です(学校は寝るところと心得ていたり、勉強が目的ではありませんから、つい楽な道を選んで、事件を起こしたりしてしまう)。

最初は判らなかったけれども、こちらもだんだん知恵がついてくるので、こういう学校などには、そこが紹介した人と会って、その人とある程度の話が出来なければ断るということを繰り返すしかないのです。

そういうところとは面接が大切なのです。もちろん、外国人の面接で何が判るかと言われればそれまでなのですが、行って、学生のみならず、相手の学校や教師の様子などを見るしかないのです。いくら志が高い学校であっても、学生が揃っていなければ、何も出来ません。

一番いいのは、相手国の学校を信じることができ、そこが推薦する人なら大丈夫だろうと思えることなのですが。確認だけですみますもの。そうなれば、お互いに楽なのですが。

日々是好日

忘れたら、調べてから書いてもいいですよ。あまり大きい声では言えませんけれども

2016-03-16 13:16:04 | 日本語学校
曇り。

今日も少し暖かくなるはず…だったような気がするのですが、やはりダウンははなせません、まだまだ、寒さの春のようです。

「Eクラス」の学生達、やっと、漢字を少しずつ覚えてきたようですが、ディクテーションの時に、いつもの「さあ、今日は何年何月何日何曜日?午前午後?何時何分?」に加えて、昨日は「今日の天気は?寒い暑い?風は強い弱い?」もやってみました。

すると、いや~な顔をする学生がいる反面、「んん…。あれだったっけ」とか、「え~とえ~と」とうれしそうにうなり始める学生もいるのです。

これは、別に、何を見てもかまわないのです。(こちらを)気にして見ない学生もいるのですが(あえて見ろとは言いません。だって見なくても書ける学生だっているのですから。点が足りなかったり多かったりしたとしても)、ノートやら漢字の本やらをひっくり返して探している学生がいても、私はな~んにも言いません。

「調べられる」というのも、一つの過程なのです。いったいどの漢字がそれであるのか、見ても、選べない学生だっているのですから。だから、見て、「これだ」と決められる学生は、日々懸命に覚えようと努力している学生とも言えるのです。それに、まず、調べようという気になってくれる、そうなれたということに、まずは乾杯なのです、こちらの気持ちとしては。

みんな知っていることだったら、調べられるし、また見つけたらうれしいでしょうしね。

もちろん、「もう『漢字の時間』に習った?」と聞いてからのことなのですが。

日々是好日


昨日は卒業式でした。去年の卒業生も来ました。みんな楽しかったと言ってくれました。良かった、良かった。

2016-03-15 16:42:38 | 日本語学校

晴れ。

昨日は、「卒業式」でした。一日中、雨が降り、冷たい雨が降り、残念でしたが、教室の中は、もう暑いくらいでした。あっちの窓も開け、こっちの窓も開け、もちろん、入り口の近くの学生に断ってからですが。

今年の卒業生も男子が多く、背広にネクタイとなると、カラスの軍団のようになってしまいます。ところが女子がきれいなんですよね、スリランカの衣装(サリーとは言わないのだそうですが)のまあ、色のきれいなこと。インドの女の子はグッと渋めの黒のサリーではないイスラムの民族衣装で来ました。ベトナムの女子ともう一人のインドの女子は、入社式の服で来ましたね。

なぜか在校生に混じって、昨年の卒業生も来ていました。

いつものように、式の前に、練習をしておきます。
「在校生、卒業生、全員」、それから「起立、礼、着席」でしょう、卒業生には、証書をもらうときの返事なども付け加えておきます。

式がいつものように(なぜか厳粛と言うより、笑い声が絶えないのですが)終わると、在校生や昨年の卒業生が、上の階でパーティの準備をしてくれます。その間、卒業生は写真を撮ったりして待ちます。

時間になると整列して会場へ。

今回はあっと言う間に料理が捌けました。時々いろいろなものが少しずつ残ったりして片付けが面倒だったりするのですが、今回はあっと言う間になくなり、さて、卒業生達の2年間のスライドショーが始まります。そして教員の一言、学生の一言も終わり、最後に締めの三三七拍子で、お開きに。

片付けも速かったですね。ただ五時を過ぎますと、アルバイトに行かねばならぬ在校生が一人また二人と姿を消していますから、大きなホワイトボードを移したり、重い机を運んだりするのに男手が足りなくなってしまいます。そこで存在感を増すのは、去年の卒業生。私が手を出そうとすると、「先生、あっち行って」で、「はい、済みません」(つまり邪魔なのです)。以前とは全く立場を異にしてしまいました。

というのは、この去年の卒業生のうち(二人のうちの一人は最初から、サッサと段取りよく出来ていたのですが)一人は、来日すぐは、こういう行事の時に、立ち尽くしていたんですよね、しばらく。

それで、今でも覚えているのですが、「何をぼうっとしている」と(何せ、図体が大きいですから)言ったことがあったのですが、その時、彼に「先生、何をしたらいいのか判らない。教えてくれたら、できるから、教えて」。

そうか、母国では勉強だけしてきたのだなとその時よく判りました。

スリランカの学生は、ちょっと大変で、さっと手を貸してくれる男子学生もいるのですが、「えっ、私がやるのですか!(私のような身分の者に机を運んだり、そんな作業をさせるのか)」と腕組みして、こちらを睨むような者も、以前には、いたのです。

それで、(スリランカの学生の中で)手伝わなかったりする人がいると、こりゃだめだなと思ってしまうのですが、彼の場合は、単に(手伝いたいけれども)、どう動いていいかわからないで、固まっていただけだったのです。

それが、すごいですねえ。ここに一年と九ヶ月ほどいて、そして大学にほぼ一年くらいいただけ(もちろん、アルバイトでもこなされているのでしょうが)で、指示を聞きながら、テキパキと動けるようになってきている…。

こういう成長した姿を見るのもいいですねえ。ただ、単位を一つ落としそうだとか言っていましたから、モゴモゴと褒めるだけにしておきましたけれども。

海外からの学生は、高校までの教育のやり方も違いますし、教えてもらっている中味も違うので、(外国の)大学に入ると、それからが大変だと言います。日本の普通高校で(全教科を学びます)学ぶようには学んできていないので、数学ができない人に経済は無理だよなんてのが通じません。大学には行ってから、あっぷあっぷしているようなのです。

けれども、きっと2年目にはもっと大きい顔をして来ることでしょう。みんなそうやって卒業しているのですから。

日々是好日

卒業式です。でも、雨で、寒いです。

2016-03-14 10:06:19 | 日本語学校
卒業式です。

今は雨が止んでいますけれども、今日は一日中、雨だそうです。

こういう「式」の日に、雨が降ると、「遣らずの雨」だのと、すぐ風流なことを考えてしまうのは困ったこと。どうも日本人はいけません。もとより学生達はそんなこと、全く考えていないようです。

彼らを見ていると、日本人は、(何ごとによらず)区切ることが好きな民族であるような気がしてきます。それは楽しいからとか、規則だからとか、何かそんなこととは関係なく、一年が過ぎると去年のことをすべて水に流して(忘れ)「新しい人生」が始められるような気になってしまうような、そんな気分に近いようなものかもしれません。

だから「去年今年貫く棒のごときもの」とか、去年も今年も、そして来年も繋がっているんだよとわざわざ言わなくてはならないのでしょう。

一区切りごとに「新生」するような、人間が新しくなるような、そんな思い込みが生まれてしまうのはどうしてでしょうね。

そこへ行きますと、南国から来ている学生達、1月でも8月でも同じような暑さという国から来た人たちは何を区切りに生きているのか、どこか掴みかねるところがあります。

季節には頼れないとなると、そこは無理をしても、宗教的なものとか、年齢で区切らざるを得ないのでしょう。

日本なんて「年齢」で区切らなくとも、季節の移り変わりで、区切れてしまうのです。花が咲き、散り、木の葉が芽吹き、散っていく。しかも途絶えることなく、わずかずつ、ズレるように陽は移ろい、季節は変わっていく。儚さも、逞しさも、自然の移ろいの中にすべての答えがあるような。それ故に見ずとも良いものさえ、自然の中に見いだそうとし、見つけてしまう(ごり押しのような振る舞いかもしれませんが)のかもしれません。

卒業式も、学生達にとってみれば、単なる「パーティ」に過ぎぬのかもしれません。お「引っ越し」なのです。それに意気がって意味をつけているように見えるかもしれません。

しかしながら、(彼らは)日本で、あと数年は生活するわけですし、うまく大学を卒業できれば、片足は日本、もう一方は自分の国ということになるかもしれません。

「『入学式』や『卒業式』は、『幼稚園』でも、『小中高(学校)』でもあるよ。もちろん『大学』でも。そして『会社』に卒業式もあるよ」というのは、彼らにとって、どこか不思議な気がすることなのかもしれません。

しかしながら、こういう、「区切る」ことで、いくつもの人生を生きていこうとする日本のやり方に少しずつ慣れていってもらわなくてはね。

その一つが、「卒業式」なのです。

日々是好日

「また冬に…」。「読解も聴解も、難物…」。

2016-03-11 08:54:20 | 日本語学校
雨。

今日も冷たい雨です。
昨日、学生達は、また冬の格好に戻り、「寒いです」と言いながら帰っていきました。

それなのに、一度、「裸足に突っかけ」スタイルに戻ってしまうと、もうだめですね。上はダウンのくせして、足元を覗くと、しっかり裸足。こちらの視線を感じて、ニヤニヤか、ニコニコ。何か文句を言われる前に、帰っちゃえと胸算用していることが歴然。まあ、もう、しょうがない…。

さて、学校です。

日本人からすると、本当に不思議なのですけれども、「読解」の時間のこと。

「読み」の練習も終わり、文法事項の説明も終わって、質問をしたときのこと。文章を読み直さずに答える学生の多いこと。インド圏の学生はだいたいこれです。耳に残った言葉から推して測っているのです。もちろん、一言二言であったら、それはできるでしょうが、200字から300字ほどの文章から答えを探す場合でも、これをやるのです。

覚えているのかなあと半信半疑で、でも、かつては、相手を信じていたのです、ちょっと(なぜなら、日本人は、普通、小さい頃から読み直しを半ば強要されて育ちます。「理解できないのは読みが足りないからだ」と言われても、反発する人はそれほどいないでしょう。)。だから、本を見ずに答えられる(本当は答えようとする)のは、特殊な技能の持ち主か、記憶力の秀才かくらいに考えてしまうのです。すごいなあと思ってしまうのです。

ところが、何回か彼らを教えて判ったのは、単に「読む」習慣がなかったからだということ。

もう、それからは、常に「本を見ろ。読め。答えは文章の中に書いてある」を叫んでいます。人が新しくなる度に(一年に4期ありますから、そのたびに新人が入ってくるというのです)、同じことを言わねばならなくなってしまいます。

普通は、問を受けたら、文章を読み直すのですがね、答えを探して、学生というものは。答えが判らなくとも、一応、下を向いて本を再読している振りはするのですがね、学生なら(これは日本人的なやり方と言われれば、確かにそう。少なくとも、彼らとは違う)。

この人達は、(質問を受けても)じっと私の顔(質問者、この場合は教員)を見ています。そして答えようとするのです。(質問した箇所の)すぐ前に書いてあれば、記憶に残っているかもしれませんが、2行に亘って書かれている箇所に答えの部分があったり、しかも接続助詞が二つか三つ入っていて、(内容が)二転三転したりすると、記憶に残っている単語を適当に言っても、「当たる」とは限らない。

で、そのたびに、「読め」と言わねばならなくなります。

読む習慣がないのです。おそらく(「おそらく」ですが)、子供の頃から、「聞いて判った(聞いて判るくらいのものしかやっていないのではないか)」で終わり、「読んで考えて」は、やって来てはいないのではないか。

もちろん、議論しながら、相手の話を聞き、考えを深めていくという教育の方法もあります。しかしながら、いくつかの知識(的なもの)を小出しにしながら確かめていった限りでは、高校までに学んできたものは、決して多いとは言えないのです(忘れたとしても、欠けらくらいは残っているはず)。これは大卒であっても同じようです。本人は気がついていなくて、自分は(何でも知っている)と胸を張っているのですが、本当にお寒い限りなのです。これで「えばって」いて良いのだろうかと却ってこちらの方が不安になってしまいます。

ある程度の知識がなければ、考えを深めることはできませんし、まず読み解こうなんて気にもならないでしょう(まずは「知らない」ことを認めなければなりませんが)。だから、読解が苦手なのでしょう。これは「言語」の問題ではない、日本語の知識の有無という問題でもないのです。

知識を入れていくためにも、文章を多く読ませた方がいい。そして「説明」していった方がいい。説明を加える過程で、なぜそういう考えに至るかを考えるようになれる人も出てくるでしょうし、それをきっかけに伸びていける人は伸びていけるでしょう。

知識があった上で、でも、考えたくないというのとは違うのです。得手不得手があって、その方面には関心がないというのとも違うのです。

時々、日本語に関するものだけを教えればいだけであれば、どんなに簡単だろうと思うことがあります。あるいはちょっとした知識を加味してやればいいだけであったら、どんなに楽だろうと思います。

「文法」や「単語」は、段階を追って入れていけばいいし、「読解」や「聴解」のその時々に応じて、量や質を上げていけばいいだけでしょうから。

ところが、「文法」の「単語(これは難しい。彼らの言葉にならないものもある)」は一応入った。理解した。けれども「読んでもわからない(何が書いているの)」、当然のことながら「聞いても内容が掴めない(何を言っているのだろう)」、「聴解」もできないということになる。

時々、彼ら(学生達)とは、全く違う世界にいるのだと思うことがあります。もちろん、どちらの世界の住人の方が幸せなのかは判りませんが。

日々是好日

桜はもう咲いているのに、「開花宣言」はまだ…???

2016-03-10 08:43:07 | 日本語学校
曇り。真冬のような雲が垂れ込めています。

けれども、「ハクモクレン(白木蓮)」の花はもう盛りを過ぎそうですし、道端には「スノードロップ」の可憐な花が咲いています。

「サクラ(桜)」の開花まであと少し。

そう言うと、学生達が、どこそこではもう桜が満開だったと言います。それは「桜」の種類が違う、早咲きのものだ。私が言うのは「ソメイヨシノ(染井吉野)」という種のことと言いますと、小さな声で、でも、日本人がその花を見ながら、「桜、桜。もう咲いたのね」と言っていたと言います…。

そうですね。各地から様々な種類の「桜」が咲いたという知らせが届いています。これが面倒。いや、面倒ではないのですが。日本人からすれば、あの種の桜が咲いた後はこの種の桜が咲き、その後はこれで、そして締めはこれ、と言うふうに、ご近所の桜をぐるぐると回り、花見を楽しむことができ、いいのですが。

留学生達にしてみれば、初めて見た「桜」が、ピンクであれば、桜はピンクと言うことになりますし、それが「枝垂れ」であれば、「シダレザクラ」が「本当の桜」と言うことになります。で、白で、大振りの花びらをもつ「オオシマザクラ(大島桜)」を指して、桜が咲いたねなどと言おうものなら、疑わしげな目で見られることになる。

思えば、もう、ある種の「桜」が咲いているというのに、「『桜前線』は、ただいま北上中。来週くらいから桜は開花の予想」なんて聞けば、はてなと首をひねるのも当然。おかしな国だと思っていることでしょうね。

日々是好日