日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『限定は否定である」か…。でも、…」。

2014-05-28 08:40:13 | 日本語の授業
 曇り。

 朝早くには陽も射していましたが。

 渋谷の方では、朝から、20度を超えているそうです。が、ここはまだ風が涼しさを運んできてくれています。海の近くは風があるので、助かります。もっとも凪の時は、へばってしまうのですが。

 今日の最高気温は、25度を超すかしらん。昨日は昼の一時期だけ、暑かったけれども、あとは、肌寒いと感じられるような1日でした。今日は、さて、どうなりますことやら。

 今朝、自転車を走らせていますと、稀少鳥類の「スズメ(雀)」が、灌木の間からこちらを覗いていました。すぐそばには、フンワリとしたお布団が出来そうなほど、人の膝までの高さに「ササ(笹)」が生えていましたのに(そこへは行きません)。さすがに「ササ」は、密生しているので、(中に入ってしまうと)抜け出せなくなるかもしれず、また、羽を痛めてしまう畏れもあるというのでしょう。よくわかっていますね。それなりに隙間のある樹の方が良いのでしょう。

 「スズメ」や「メジロ(目白)」など、小さな鳥は、すぐに「ヒヨドリ(鵯)」などの二回りほども大きな鳥に苛められるので、隠れられる処がある方が、安心できると見えます。

 時々、学生達の顔を見ながら思うのですが、確かに、「限定は否定である」と。一度、決めつけてしまうと、人というのは、なかなかそれから抜け出せないのです。まるで、「ササ」の中に閉じこめられた「スズメ」のように。

 けれども、かといって「定義付け」めいたことをせぬと、計画が立てられないのです。この「定義付け」を毎日、あるいは数時間毎にでも変えていければ良いのですが。

 もちろん、最初は「困ったな」と思われていた人でも、本人の気持ちが変わって、どうにかなった…ということもありました。けれども、国民性というか、民族性というか、その国の人が団体で来てしまって、彼等だけの価値観が変わらぬまま、日本で生活することになってしまうと、ことは面倒になってしまうのです。

 彼等、あるいは(先に来ていた)彼等の親戚や友人からの話だけで、日本で生きていこうとすると、それはうまくいかない…でしょうね、多分(もっとも、ものは考えようで、それでよければ、まあそれでもいいのですが)。というわけで、そっちに流れてしまう人の方が多いのです。こうなると、(外国へ出たからと言って)変わることはない…でしょうね。

 人は都合の良いことのみ、耳に優しいことのみを、選んで聞いてしまうように出来ているようですから。

 「あの人はうまくいった」は、即「自分もうまくいく」とは限らないのです。その人には、他の人にない要素なり、条件なりがあり、(自分にはない)その要素で引いてもらった…かもしれないのです。それなのに、その人と自分との共通点だけ(ここでは、日本語のレベル)を比較して、自分の方が(ほんの僅か。実際は大して違いがないのですが)上だ。だから、自分だってうまくいく…と考えてしまうのです。あるいは、自分の長所(?)を、どこからか拾ってきて、自分の方がうまくいく…はずだと思ってしまうのです。

 当然のことながら、「思い込み」ですから、うまくいきません。すると、「変だ。どうしてだ」と不満を抱いてしまう。

 日本の大学では(おそらく、日本以外でも、ある程度、公教育が進んでいる国であったなら、大学進学が、ごく普通のこととしてあるでしょうから)、多少、日本語の力が劣っているとしても(意思の疎通が出来なければ、無理ですが)、「やりたいこと」がはっきりしている、あるいは「そのために来日したのだ」と明言することができることを重視しています。だって、考えてみれば、大学の先生というのは、その専門に何十年もかけているわけです。それに興味のない奴なんて入れたくはないはずです。

 ただ、ビザのために、「大学の方が得だ」と考えて、「運良く」入れても、1年も経たないうちに、音を上げてしまうでしょう。だって、大学ですもの。痩せても枯れても大学ですもの。外国人で、勉強する気のない人が入ってどうするんだ?になってしまいます。

「やりたいものがあるかどうか。そして他の人にそれを伝えることができるかどうか」。そして、そのために来日したのであれば、その専門を学ぶためには日本語の習得が必須でありますから、「(日本語を学ぶために)学校を休まずに勉強することができたかどうか」。つまり、そういう習慣が養われているかどうかなのですが。

 日本語学校に来る学生達は、その殆どが、お金が潤沢にあるというわけではないのです。その中で頑張っていければ、それは自信にもつながるでしょう。将来、何事かがあった時でも、「あの、一番辛かった時でも、あれだけ頑張れたのだから、これくらい大したことはない」と思えることでしょう。それもこういう学校で学んだ一つの財産なのです。

日々是好日
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「雨」。

2014-05-27 09:09:00 | 日本語の授業
 雨。

 昨夜からの雨がまだ降っています。夜中には強く降ることもあったようでしたが、今は、いわゆる「こぬか雨」。家を出る時に、「まあ、いいか」と、そのまま自転車で来てみれば、良いどころではなく、着いた時には、かなりグッショリと濡れていました。そうなると、この頃の雨はたちが悪いようで、寒ささえ感じてしまいます。失敗でしたね。

 さて、そろそろ「アジサイ(紫陽花)」の花が、色を付けはじめました。「鎌倉旅行」は六月の予定なのですが、ここはちと早いのかもしれません。鶴岡八幡宮へ行き、大仏さんを拝み、「アジサイ」を見、江ノ電で海へ向かう。このコースでは、いつも海でどれだけの時間を過ごすかによって、帰りの時間が決まってしまいます。いろいろな国の人がいるので、予定がつかないときもあるのです。

 中国の内モンゴルから来た学生が多かった頃は、なかなか海から上がろうとしないので困りました。「帰りますよ」と言っても、海から出ないのです。海を見るなり、「入ってもいいか」と聞き、「いい」と言うと、途端に駆けだして、海の中に入っていくのです。そして膝くらいの高さのところで、波が来るたびにキャアキャア言ってジャンプして楽しむのです。1時間でも2時間でもそうしているのです。飽きないのですよね、困ったことに。

 こちら(私たちだけではなく、海のある地方から来ている学生達)としては、待っているのも疲れてしまって、いったい何がそんなに楽しいのだろうと、不思議でたまらなかったのですが、初めて海に入ったとすれば、そういうものなのかもしれません。皆、あきらめ顔で待っていました。

 それと反対に、ネパールの学生などは、海が近づいて、潮の匂いがし始めた時、「臭い。これは何?」なんて言っていましたっけ。…そうか、知らなければ、「臭い」なんだ…。と変な納得をさせられたものでしたが。

 ところで、学校です。

 留学生の中には、日本に親戚がいて、その人に呼ばれてきている人もいます。もちろん、途中で喧嘩して、面倒なことになったりする場合も少なくないので、要注意であることは確かなのですが、仲が良すぎて、ちょっと困るということもあるのです。

 呼んだ方が、彼等は日本語を学びに来ているということを軽く考えて、勉強の方を二の次にしてしまうのです。その家族が温泉に行く時には、一緒に連れて行き、学校を休ませる。それが、まだ『初級Ⅰ』であったりすれば、3日で二課進んでいるわけですから、動詞の「て形」に入る時なんぞであれば、それは、戻ってきた時に、一時的であるにせよ、ついて行けない状態になってしまう。


 もちろん、一応、その前に電話で「学校を休む」と知らせてくるので、無断で休むのは悪いと言うことは知っているのでしょうが、「行ってはいけません。あなたは旅行に行かないで、学校へ来ます」と言っても、どこまで聞き取れているやら…。

 言葉の上では判っていても、どうしていけないのかが判らなければ、それは自分の考え、あるいは親戚の考えに従うでしょうね。

 中国で働いていた時も、親戚が北京に遊びに来るから駅まで迎えに行くと言って会社を休む人がいたので(堂々とそれを言って休むのです)、ひっくり返るくらい驚いたものでしたが、これも、それが常識とされていれば、驚いたり、いけないことだと思うことの方が非常識。必死で「染まってしまったら、日本で働けなくなる」とガードを固めてしまった私の方が変な人なのです。もっとも、私と同じように腹立たしげに見ていた人も、いることはいましたが。

 易きにつくは、いとたやすきことなれど、己を律するというのは、面倒なことなのです。「いいじゃないか、みんなやっているし、大した仕事じゃないから」と、そこに勤める人、皆が、思い始めてしまうと、仕事なんてのは、ドンドン、レベルが下がってしまいます。

 そうでなくても(積極的に休まなくても)、人は生き物ですから、病気もするし、他の人に頼めないような用事も出てくる。自分は大丈夫であっても、家族に具合が悪い人が出てくれば、休まざるを得ないということもある。その度に引け目を感じるのは嫌なものだから、たいていの者は、駅に、遊びに来る者を迎えに行く(体が悪ければ別ですが)なんてことに、休みなどはとらない…中国にいる時には、そんなことを考えるのは、日本人だけだなんて言われたものでしたが…本当にそうかな。

 大したことでなければ、それは休みを取らない方が良いのです。もちろん、職場で、皆が皆、暇で暇でしょうがないというのであれば、それは気散じに、駅へ行って親戚と一緒に遊んだり、食事したりするのは楽しいでしょうけれども、それでも、それは勤務時間内なのです。日本人から見れば、それはちょっと不謹慎であるような気がするのですが。

 それと同じようなことを、学生達にも感じさせられることがあるのです。

 「そんなに厳しくやらなくても良いじゃないか。適当にやって、だれかが面白いことを言って、それでみんなが楽しければ、それで良いじゃないか。みんなアルバイトで疲れているんだし…」。そう考えていると思わざるをえない(実際にそう言います)ような国の人がいるのです。

 もしこれが、彼等と一緒のクラスで勉強する人というのが、勉強があまり好きではない中国人とか、「非漢字圏」の学生であっても、彼等とほぼ同じような考えの人であるとかすれば、問題はないのですが、一生懸命に勉強していても、ヒアリングがかなり悪くて聞き取れないとか、漢字をなかなか覚えられないけれども、懸命にしている学生とかであった場合、これは大変なことになるのです。

 もちろん、(私の方では)どちらに合わせるかといえば、当然のことながら、後者に合わせます。すると、器用にすぐに聞き取れ、話せるようになる彼等は、(教室で冗談を言って受けを狙って面白くやりたいだけですから)漢字を覚えたり、文章読解の緒(指示語や動詞の種類の確認であったり、接続詞や接続助詞の意味など)などを聞いているのは、面倒でつまらないのです。飽きてしまうのです。

 皆が皆、そういうタイプであれば、そちらに合わせて、適当に勉強させていけばいいわけで、ある意味では、教師は努力する必要がないし、楽かもしれませんが(いえ、きっと、反対に疲れてしまうでしょう。なんとか、それでも勉強させていこうとして)。

 いやはや、大変です。

日々是好日
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「外国へ行くという意味。多分、1回目は、行ってみたいだけ…でしょうけれども」。

2014-05-26 08:47:56 | 日本語の授業
 曇り。とはいえ、今は、時折、陽が射しています。このまま、学生達が登校し、下校するまで保つといいのですが。

 先日、この学校で学んでいる中国人女性から、こんなことを訊かれました。

 この学校の語学ビザで、例えば、二週間とか1か月、来日できないかと。

 こういう日本語学校ではそれはできないと答えましたが。彼女の話には、まだおまけがあって、日本が好きな人が多いのだと言うのです。そして日本に来たい人も多いのだと。

 だから、例えば、ヨーロッパとか米国では、短期、その国で語学を学ぶことができる。それと同じように、日本のこういう学校でも出来るのではないかと思ったらしいのです。

 多分、彼女が言っているのは、公教育で、大学や高校などが、自分達の学生や生徒を短期語学研修に出すというような形のことなのでしょう。

 それにしても、中国と日本、かなりの緊張が高まっている中で、単に日本に来たいだけと言うのではなく、日本が好きだから来たいと思っている人が少なくないというのは、面白い現象ですね。一昔前でしたら、国の言うことを全部鵜呑みにして、すぐにでも戦争が始まるかのように、おめきまわっている人が大勢いたと思いますのに。

 1年や2年というのは、かなりの犠牲を要するけれども、例えば一ヶ月程度なら職場で休みを取ってという形でも来られる。だから、そういう形で来たい。つまりは、そういうことなのでしょう。

 中国人も、日本に来ている人達を見ている限り、以前のような、何が何だか判らないという人たちは減ってきました。一時期は多かったコンピューター関係の人たちの家族も、また少しずつ増え始めているようですし。

 生活が落ち着いている人たちは、反日と叫びながら、他人のものを壊して騒ぎ回ったりはしないでしょう。外から自分の国を見る目を養い、唯我独尊では何も出来ないのだということが判ってくれればいいのですが。そう言いましても、まだまだ、中国の膨大な人口から見ていけば、そういうことが出来るのも、ほんの僅かの、一握りの人だけ。

 しかもそういう人達に限って、ただの「成金」みたいなもので、学ぶ力が乏しいと来ている。貧しくとも、辺境の地に住んでいようとも、学ぶ力のある人達に外へ行ってもらえるいようにならないかなと思うのですが、そういう教育制度にはなっていないから、しょうがないことなのでしょう。

 日本人は、たとえ、学校で教えられていなくとも、いろいろな形で様々なことを見ることも出来るし、読むことも出来るのですが、彼らの国では学校で教えられていないことを知ることは、多分、かなり難しいことなのでしょう。

 私が高校の時、大学受験で日本史を選んだ生徒が、第二次世界大戦前後はまず出題されないから覚えなくてもいいと言われていました。もっとも、大学に入れば、嫌でも目にし、耳にすることですし、夏休みに国外へ旅行に行けば、嫌でも聞かされます(以前、カナダに行った中国人で、「中国人がこんなに嫌われているなんて、知らなかった。自分達も加害者と言われているなんて知らなかった」と言っていた人がいましたが、そう言うことに気がつく中国人もわずかなものなのでしょう)。

 外国へ行けば、向こうの人の考え方を聞くこともあるし、自分の考えを述べなければならないこともあるでしょう。自分の考えを人に語るには、知識がなければなりませんから、当然、それらに関する書物をひもとくということになる。一方的に自分を「善」として語れば、日本人以外の外国人はすぐに反論しますから(日本人は、どうしてこの人はこういう考えでいられるのだろうと、その人の精神状態を先に考えるという傾向があるような気がします)、普通はギュウッという目に遭わされてしまいます。

 …ただ、あの国で、それ(いくつもの立場の人たちの考えを知ること)ができるかどうか。知った上で、そこにいる人たちの考えを聞き、聞いた上で、自分なりに考えをまとめていく。こういう作業ができるかどうか。

 多分、多くの人ができないような立場にあるのでしょう。だから、以前、この学校に来ていた中学生が驚いたりするのです。「えっ。中国って、昔、こんなに小さかったの」って。

 彼は知らなかったのですね。元王朝は異民族の王朝であり、当時、現在の漢民族は支配されていた、つまり彼等の植民地だった。また清王朝も異民族の王朝であり、現在の漢民族はチベットやウイグル、モンゴルの人たちと同じ立場であった。…などということを。だから、天地会や洪門会などが「排満復明」などと言って独立運動をしていたのだということを。映画を見て笑いながら、それに気がついていない…という人は彼だけではないのでしょうが。

 私は香港の武侠映画が大好きで、当時、よく見ていました。日本で言うところの明治維新ですよね。多くの武人達が英国と闘っていた…けれども、今、考えると、これはすごいことです。

 あのころ、香港は、まだ英国の統治下にあったわけで、それなのに、あそこまで英国をこてんぱんにやっつけるようなものを描けたと言うことは…英国、すごい。アヘン戦争なんて、どれだけ出てきたか判りません。やはり、英国は、なんだかんだと言っても、先進国であり、懐は広いのです。逆を考えてみればすぐに判ることですが。

 中国も、一部の人たちが大金持ちになり、外国へ旅行に行き、自分達とは違う文明を目にする機会も多くなった…とはいえ、それを機に、自分達のことを考えることが出来るかというと、…ちょっとそれは怪しい。こういうことは、まず、国が公教育でやっていかなければ、難しい。

 「行った。見た。買った」で終わっては、せっかくの国外旅行が何の役にも立たないと、多分、国の外へ旅行に行けない、彼等の同胞は思うような気がするのですけれども。

 日々是好日
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「『日本に来させればそれで終わり』というのではなく、『来させてから』の方が、より大切」。

2014-05-23 18:22:47 | 日本語の授業
 晴れ。

 昨日も大気が安定していなかったのでしょう。日中も突然の雨。それから、夜になってから、雷様がまたお出ましに。

 留学生達は、「…ほんとうに、日本の天気は判らない」。そんなことを言っているくせに、折りたたみの傘をいつも持っていなさいという言葉には反応が鈍い…。高を括っていたのでしょうね。急に雨が降り出すと、しまったという顔をして、恨めしげに外を見る人がいるのですが。

 学生達が帰る頃には、既に、雨は止んでいましたし、あらたに降り始めもしていませんでした。だから大丈夫だったのですが、それでも、毎日折りたたみの傘は持っていた方がいいのです(置いておくと、降った時にだれかに持って行かれてしまいますから)。特に午後の学生達が帰るのは、もう夕方とも呼んでいいような時間帯ですから。この時間帯には、夏場でも夕立に見舞われることはよくありますもの。

 さて、学校です。

 先日、あるインド圏の人に会いました。10月生(の募集に)は、まだ間に合うかと聞かれたので、「インド圏の人も、10月は避けた方がいい」と言っておきました。すると、大変なのは、お金の問題だけだと言います。

 これは、「日本に寄越すだけ」という仕事をしている人と、「来てから」を考えなければならない立場の私たちとの差が、如実に出たようなやり取りでした。

 もちろん、留学費用がなければ、留学はできない相談です。でも、ぎりぎりで来ていても、結局は、何も出来ないのです。「それから」が見えないのですから。それに、インド圏の女性であれば、アルバイトや生活などの援助をする人がいない限り、中国人女性やベトナム人女性のように働ける…とは、限らないのです。

 こう言いますと、黙ってしまいました。「来させれば、それで終わり」というのは、あまりにも安直な考え方。来てから、(彼等の)生活が軌道に乗るまで、日本にいる人が呼ぶのであれば、それを見守る義務もあると思うのです。学校側も努力はしますが、やはり文化も生活のパターンも、そして何よりそれを訴える言葉が違うのです。判る人が世話をした方がいい。それができなければ、やはり、呼ぶのは控えた方がいいと思うのです。

 こういう、日本の日本語学校へ来られる人たちは、十分と言えずとも、そこそこの財力がある人の子弟であったり、親戚であったり、また身近に貸してくれる人を持っていたりする場合が多いのです。もちろん、そうではない人達もいることはいました。けれども、結果として、それでも頑張れるだけの頑張り力を持っている人は、それほど多くはなかったのです。

 この学校は小さな学校です。そこまで出来ない人を「いいですよ」と言って、来日させ抱え込み、かつぎりぎりで頑張っている他の学生達の援助をするということはやはり無理なのです。ぎりぎりで頑張っている学生達を待つことはできます(財政的に)。けれども、それだけです。ある程度の経済力がなければ、やはり勉強なんて、普通の人は出来ないのです。

 結局、その「インド圏」の人の言いたかったことは、金の問題さえクリアできたら、日本に来させることができる…だけだったのですが、私たち学校側としては、「(来てから)頑張れるかどうか」、日本語が出来なければ、当然のことながら、アルバイトは辛いものとなります。だれかの紹介で(アルバイト先へ)行っても、日本語がゼロに近い状態であったら、それは「(日本語が)上手になってから来てね」と言うことになってしまいます。

 「来られた」で、終わりではなく、「来た。それから」が問題になるのです。

 10月生として来られても、四月に来た学生に比べて、次の進学時までに、既に半年損をしているのです。アルバイトで稼いで、貯金をするにしても、半年分足りないわけです。しかも、日本語を日本で学べる時間も半年足りていないのです。

 スリランカから来ている学生で、国で日本語の「初級Ⅰ」を学び終えてやって来ている場合、不思議なことに、それ以上がなかなか行けないのです。もちろん、「初級Ⅱ」程度までは何とかなります。けれども、それ以上のものが身につかないのです。それ以上を学ぶ力(知識欲)がないか、あるいはそれ以上を学ぶ必要がないと思っているかは判りませんが。

 1年経っても、「進歩がないな(もちろん、少しは違います)」と、適当に(社会問題とかはだめですが)聞き取れるし、ペラペラと話すことだけは話せますから、(この進歩のなさに)がっかりさせられてしまうのです。

 だって、日本にいてアルバイトしているわけですから(彼等は殆ど、会話というか、耳から吸収するので)工場やレストランの賄いででも働いていれば、そういう単語は、自然と身に付けられていくことでしょう。でも、それで終わりなのです。

 学校で学ぶもの、特に「中級」以降は、たとえ会話の時間であっても、もう少しずつ、「非日常」と言いますか、(彼等の現在の状況からしてみれば)大学での学園祭の事であったり、プレゼンテーションのことであったりするので、…関係ないし、想像もできない。ある意味では、それは日本の生活(アルバイト先で話し、同じ国の人とだべる)とは、全く関係がない「抽象的な概念の世界」の事のようにでも感じられることでしょうから、判らないし、また判ろうともしないようなのです。

 判らないだろうな、(こちらは)判らないだろうと思っているけれども、相手にはそれが通じない。本人は「皆、判っている。簡単」と思っているので、話してみても、完全にすれ違いになるのです。

 「そうか、こういうところで頭の良さというのは出てくるのだな。頭のいい人達はこういう説明をする必要がないもの」と、こちらでは、何度も、こういう、それでも「徒労」を、繰り返しながら、思うのです。

 スリランカ人学生が増えると、こういう事をさせられる機会も増えてきます。出来ていないのが歴然としているのに、どうして出来ていると思えるのだろうと、不思議に思われるのですが、(本人は)聞き取れ、話せているつもりだから、そうなるのでしょう。けれども、本当は理解も出来ていないし、こちらの意図も全くわかれないのです。スリランカ人を教える上での、これも大きな壁の一つなのですが、相変わらず、今日も、こちらの歯車は、空回りに終わってしまいました。そしてその度に、疲れるのです。

 とはいえ、相手が求めているのは、別に、より高いレベルの日本語を学んで知識を得たいとかそういったことではないのです。こちらが、相手のために空回りをする必要も無いのです。本当に。考えれば考えるほど、自分が馬鹿だなあと思います。けれども、教室に入れば、また同じことを繰り返してしまうという愚。きっと来週も、またそうしてしまうのだろうなと思います。もちろん、これはお互いに不幸なことなのでしょうが。

日々是好日
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「羽田への送り」。

2014-05-22 10:55:01 | 日本語の授業
 晴れ。

 雲一つないと言いたいところですが、真っ白な薄い雲が青い空をゆっくりと流れています。

 昨日は朝から雨でした。しかも本格的な雨で、自転車で来た学生も、歩いて来た学生もあちらこちらが濡れていました。

 そして、11時過ぎごろ、教員二人で、見送りの女子学生一人を連れ、ある学生を送りに羽田へ行ってきました。

 「頑張ったね、さようなら。元気でね」というような別れではなかったので、どうも気が重かったのですが、彼女の説得もあり、本人はどうにかあきらめがついたよう。羽田に着いた時には、もう、以前の表情に戻っていました。

 それから、大学の授業が終わってからすぐに駆けつけたという二人も加わって、四人で楽しそうにベトナム語でおしゃべりをしていました。日が暮れる頃、雲が切れ、富士山の輪郭がくっきりと浮かび上がって見えました。

 日本に来る時も、三人一緒だったという男三人。多分、ベトナムに帰ってしまえば、いつも一緒にいられるはずもなきことながら、異国で共に年を重ねたというのは、曰く言い難い「因縁」めいたものが感じられるのでしょう、そこはそれ、特別な仲になっています。それで、取るものもとりあえず駆けつけたというわけ。

 そして、見送りが終わり、羽田を出たのは、夜の10時半を過ぎていました。

 疲れたことは疲れたけれども、もうこんな別れは嫌だというのが、実感。やはり、別れは涙が伴うものであれ、一方が、なにかしら不条理を感じたままというのは、どこか割り切れなさが残ってしまうのです。

 国が違えば、物事に対する感性も違うし、また罪の意識も違ってくる。(日本では)こうなってしまったら、もう外国人がここで発展していくことはできない相談であると、日本人である私たちには、言わずもがなのことであるのに、彼等にはそう思えないのです。

 大したことではないのに、どうして私はこんな目に遭うのかと、自分の不幸ばかりが目の前にちらつき、「申し訳ない」もなければ、だから新しくどうしたらいいのかも見えないのです。

 こういうことになっても、今まで通りにできると、なかったことに出来ると思っているようにしか思われないのです。

 とはいえ、「(だから)再起を期すには、国に帰るしかない。ここにいても何も出来ない」が、頭で理解できなくとも、(これは時間がかかります。こういう国の人は、もしかしたら、一生わからないことなのかもしれません)まずは、そういう状況に身を置かせるしかないのです。「(そんなこと)大したことじゃない…」という思いが、彼らの国ですでに養われている習慣から拭いきれないのです。
 
 再起を期すには戻るしかない。もちろん、(これがわからないのは)言語の問題もあるでしょう。けれども、その前に、どうしても、「大したことじゃない、そんなこと」という考え方が、確固としてあるのです。だから、腹に落ちていかない…。

 こればかりは、変えられない。すでに二十数年を、それが、当たり前の、彼等の国、母国で育って来ているわけですから。これは、彼らの国の問題であって、日本の学校の問題でも、日本の国の問題でもないのです。

 ただ、難しいですね。私たちの方では、現時点で、彼にとって一番いいであろうと思われるやり方を、彼に勧めているわけですが、果たしてどこまで理解できたものやら。

 彼が、羽田への車中で、語っていたとおり、コンピューターと日本語の勉強を真剣にやり、大学を卒業して戻ってきた彼女と新しい生活をやっていけるようになれればいいのですが。

 さて、そんなわけで、2日間、「四月生」のクラスを見ていませんでした。「Aクラス」なんぞは、勉強する人はする、そうでない人は今まで通りと、この「今まで通り」というのがあるので、どこか心に余裕があるのですが、この「四月生」、来日後1か月が過ぎ、そろそろ「地」が頭を擡げはじめる頃。擡げだした人も既に三人ほどいるので、油断大敵なのです。

 擡げたなと思ったら、コツンと一叩き。どうにかなる人はそれで、一度引っ込みます。けれども、どうにもならない人はそれくらいのものでは屁とも思っちゃいません。ただ擡げの角度、高さはしばらくは「心持ち遠慮」が続くでしょう。

 擡げたと思ったら、コツン。ちょっと鎮まって、また擡げた時、コツン。これの「繰り返し」なのです。

 ただ、異国人同士、そうは言っても、見えないところも多いのです。時には勘違いしていて、その手を緩めすぎていたり、コツンやらずに待った方が良かったのに、コツンとやってしまったりと、毎日が、本当に、初めてのことが重なっていきます。

 100年生きていようと、1000年生きていようと、新しい日は、だれにとっても初めてのことばかりとはよく言ったもの。

 皆、その中で右往左往しているのですから、1000年には遠く及ばない洟垂れ小僧程度の私が、時にはにっちもさっちもいかなくなるのも理。まあ、そう思いながらやっていくしかないのでしょうが。

日々是好日
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「『運動会』、子ども達の元気な声」。

2014-05-19 08:07:59 | 日本語の授業
 晴れ。

 この一週間、いろいろなことがありました。

 あまりの慌ただしさに、そして、それも終わった今、皆、どこかしら、ぼんやりとしているような感じなのです。

 今、近くの小学校から子ども達の元気な声が響いてきています。そう、「運動会」が近いのでしょう。

 昨年と同じように、この時期になると「運動会」が開催され、そして、その前に、駆けっこやら、バトンの手渡しの練習やらが、朝早くから行われています。今も、例年のように応援団の可愛い声や、大太鼓・小太鼓のドンドンという音などが谺しています。これも練習。こういうのが何週間も続くのですから、付き合う先生方は大変なことですね。

 人間の活動は、季節から逃れることができません。だから、それが続けば、慣習となり、まるで、その民族の遺伝子に組込められでもしたかのように、思い起こされてくるのでしょう。その活動が終わっても、そうなのですから…。季節の中に浮かんでいるのが人間、まるで植物です。

 「入学式」といえば、「桜」。それと同じように、「運動会」と言えば、今では「五月晴れ」。

 今の子ども達は、大人になってから「運動会」を思う時、きっと澄み切った「青空」が心の中に広がることでしょう。私たちが「運動会」と聞いて、ミカンの香が自分の周りから漂ってくるような気がするように。

 さて、今日、午後の受業は少し早めに終わり、そして明日は告別式。参加できる学生には来てもらいたいと思っています。学生達はきっと驚くことでしょう。そしてどうやって慰めたらいいかわからずに、途方に暮れることでしょう。

 けれども、不思議なことに、こういう悲しみの気持ち、思いやりの心というのは、すぐに相手に伝わるのです。それだけではなく、(相手の)心を労り、慰めてくれるものなのです。

 そして、こんな時、「本当に、人間というのはすばらしい」と思うのです。

日々是好日
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「日本語に、ひらがな、カタカナ、そして漢字があることは判っていたことでしょ」

2014-05-16 08:51:05 | 日本語の授業
 晴れ。

 爽やかな朝です。湿度が低いと、こうまで気持ちがいいものなのかと思ってしまいます。空も、正に五月晴れ。どこまでも青く、そこに白い雲がぽっかりと浮かび、ゆっくりと流れていきます。

 いいなあ、ベランダで布団を干し、その、取り込んだばかりの、フカフカの布団の上に寝転んで、ゴロニャンとやってみたい。猫になりたくなるのは、正にこのような日。

 さて、学校です。

 今、学校では、スリランカ人学生とベトナム人学生が勢力を二分するような形で勉強しています。地理的なことを云々しても意味はないと思うのですが、以前、中国人学生が多い時には、彼等とベトナム人学生を比べて、(ベトナム人学生たちに)ため息をついていました。ところが、今は、スリランカ人学生とベトナム人学生を比べて、(スリランカ人学生達に)ため息をついているのです。全く、勝ってと言えば勝手なのですが…、本当に。

 これも、以前、この学校に来ていたベトナム人学生の多くが(二、三の例外を除き)、それほど勉強するつもりがない、あるいは、勉強する習慣がなかったからでしょう。

 けれども、今は、以前に比べて、アルバイトの量はそれほど減っていないにもかかわらず、よく勉強してくれています、特に女子学生が。これだったら、大学を目指せよと言いたくなってしまいます。もちろん、(大学で何をするのかがよくわからない人達も多いので)とんでもないという顔をされてしまうこともあるのですが、行けば変わるでしょう。

 このように頑張れる人たちには、もっと多くを学んでほしい。大学での、四年間というのは、決して無駄ではないのです。

 それに、日本語なんて言うのは日本で生きていくための道具に過ぎず、それをうまく使いこなせるようになるためには、(直接、仕事と思うよりも先に)もっと知識を増やしたほうがいいのです。

 それに比べ、大半のスリランカの学生達が幅を利かせられるのは、『初級』まで。『中級』に入って漢字交じり文を読まなければならなくなったり、使い方の難しい副詞や、少々難しい文型などが出てくると、途端にバンザイになってしまうのです。

 これは、資質によるのか、あるいは、こういうことを考えるのが苦手なのか、あるいはその両方なのかもしれませんが。

 立ち止まって、少しでも考えてみれば、判ることだと思いますし、その時に判らなくても、毎日学校に来ているうちに、自然と判っていくと思うのですが(これはインドの学生でも、バングラデシュの学生でもできたことです)。彼等だけが、(漢字があるから)できないというのは通用しない…と、思うのですけれどもね。

 なんでも口実を探して、「…だから、できないのは当然だ」と言いたがります。

 「(漢字も日本語も)難しい、難しい。それに眠いけど…」と言いながら、夜勤が終わってすぐに学校に来て頑張っている小さなベトナム人女子学生を見ても、何とも思わないのも不思議。でかいスリランカの男子学生が、口実ばかり探しているのが、却って、へえ~という感じになってしまいます。

 ああいう国では、女が気ぜわしく働いているのも、大の男が言い訳ばかりしているのも普通であって、不思議ではないのでしょうかね…なんて、知らない人にそう思わせてしまうのは、決して彼らの国にとっていいことではないと思うのですが。

 日本だったら、「女の子が頑張っているのに、男のくせに恥ずかしくないのか」って、怒鳴りつけられてしまうところ…まあ、これも九州の人間だけが思うところなのかもしれませんが。

日々是好日
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「私たちが考える常識も、他国の非常識…かもしれない…」。

2014-05-15 17:19:10 | 日本語の授業
 雨。

 昨日は暑くなるという予報でした。しかしながら(確かに、28度ほどにはなっていたようでしたが)、実感として、そんなに暑いとは感じられなかったのです。暑かったのは、ごく僅かの時間だけ。しかも、その僅かな時間を過ぎると、暑いどころか、涼しいとさえ感じられるほどだったのです。

 そして、今日。

 昨日に比べれば、10度ほど近くも下がるとのことですから、寒いと言った方がいいのかもしれません。もちろん、雨は困りますけれども、これくらいの方が過ごしやすいと言えるでしょう。

 さて、学校です。

 「初級Ⅰ」のクラスでは、皆、だんだん遠慮がなくなり、会話練習など、違う国同士の間でも、和やかにできるようになっています。実は言ってはいけないことなのですが、昨日、四列目の学生の表情やら、仕草やらがどう見ても「ゴリラ」にしか見えず、我慢できなくなって、「だめ、○○さん、その顔はだめ。そんな顔をしてはいけません。△△△みたい」と思わず口走ってしまいました。そして、目から涙が出るほどにおかしくておかしくて…笑ってしまいました。これがなかなか止まらない…。

 「ゴリラ」が判った学生はクスクス笑っていましたが、本人はそれが判りませんから、キョトンとして、またおかしな顔をして見せます。本当に…困ったな。

 ただ、この、人を動物に見立てるということ、これがある民族や国民にとっては、まずい場合が、多くあるので、互いに意志が通じい、信頼関係が築けてからでなければなかなかできないことなのです。

 いつも、帰りには玄関で彼等を見送るのですが、その時に、彼を見ると、また同じような顔をして笑うのです。本当に困ったなあ。

 一言付け加えておきますと、日本人は、あまりそれを「悪いことだ」とは思っていないのです。もちろん、日本で、ある地方の人の祖先は何々という動物であったなどという話(神話)はあまり聞いたことがないのですが。

 多分、この何々民族の祖先は何々という動物であったという神話は世界各地であるのでしょう。そしてそれと同時に、人に見立ててはならぬ動物というのも、それぞれあるのだと思います。

 ただ、日本人は、動物をすぐに人格化してしまうのです。ペットの動物も、そして野生の動物でもそうです。カラスも勘三郎となったり、狐もおたきとか、花とかいう名前が付けられてしまったりするのです。

 子どもの頃のあだ名に、スピッツみたいに可愛かったから、「スピッツちゃん」といわれた人もいましたし、三毛猫みたいな顔をしていたから「三毛ちゃん」と呼ばれるようになった人もいました。かく言う私も、ゴマフアザラシの赤ちゃんと呼ばれ、それがいつの間にか「ゴマちゃん」となった時期もありました。

 中国では、「犬」と呼ばれることを嫌い(もちろん、日本でも中国と同じような意味で使われることはあるのですが、ただ、その時にも、日本では「ワンちゃん」と呼ぶと、途端に可愛くなってしまうのです)、日本人のように、ごく普通に、「あの人は犬顔だね」とか「猫顔」、あるいは「狸顔」「狐顔」「リス顔」などとは言っていませんでした(日本ではごく普通に言っていたのです。自分で、私の顔は何々と言うこともありましたし)。。

 日本では、「人と動物たちの間の垣根が非常に低い」と言うよりも、それは並列であるような気がします。「上下」ではないのです。「対等」と言った方がいいのかもしれません。それ故でしょうか、日本人は、どうも、人を上下で縛るのが苦手であるような気がします(もとより、日本社会でも、会社や学校など、人が組織を作れば、必ず上下関係というのは生じるのですが)。

 日本の商社マン家族が東南アジアやアフリカなど、賃金格差のあるところ(日本と比べてです)に赴任した場合、その奥さんがどうしても現地のお手伝いさんを使いこなせないと悩んでいたというのを聞いたことがあります。(日本人同士でそうしているように)対等に扱うと、相手がこちらを馬鹿にする(慣れていないのでしょう)。それで、命令口調でやると、今度は相手が馬鹿にされていると怒り出す…。

 こういう家族も日本ではごく平均的な家であって、お手伝いさんなんて雇ったことはないというのがふつうでしょう(たとえ、大金持ちであっても、他人をうちに入れるのが嫌だと言う人も少なくないのです)。ですから、小中高大学と、常に「皆、同じ」で生きてきたのです。会社に入り、課長や部長になり、人を使う術を学んできた人であっても、それとお手伝いさんに対するのとはまた違います。となれば、これは難しい…。

 多くの国では、こういう身分になれる家庭の人というのは、お手伝いさんの一人や二人は雇ったことがあるような家で育っています。だから、子どもの時から、親がお手伝いさんをどう扱っているかということを見てきているのです。

 その差は大きいと思います。

 けれども、私はこの話を聞いた時、だから、日本は暮らしやすいのだなと思ってしまいました。生まれた時から、人様を使って家のことをあれこれさせてきたという家庭が多い国よりも、自分のことは自分達でやっているという普通の家庭が多い国の方がいいと思うのです。

 ただ、世界にはいろいろな国がありますから、そしてやり方というのがありますから、そういうところへポンと放り込まれたら、困ってしまうでしょうね。

日々是好日
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「異文化」

2014-05-14 16:59:23 | 日本語の授業
 晴れ。

 今日は28度になるそうで、テレビでは熱中症の心配をしていました。学生達も、休みの時間に、ジュースを買いに出ていくということもあるようで、その度に、「一日にいくら、一週間でいくら、一か月でいくら、1年でいくら、2年では…かかる」をやっているのですが、これに反応してくれる女子学生は、もともと、ジュースなどを買ったりしないので、言う必要もないのです。

 本当に判ってもらいたいのは、アルバイトで手に入れた金はすぐに使ってしまい、貯金をするという習慣のない人たちなのですが。

 アルバイトで(なにがしかの金を)手に入れても、一週間と経たないうちに使ってしまい、そして後の三週間は「(何を言っても)金がない」。「金がない」というのは恥ずかしいことなんだと言っても通じません。

 もちろん、アルバイトがない時や、来日直後は彼我の物価の違いに面食らい、財布の紐を締めたりはしているでしょうが、しかしながら、日本とは違い、「助け合い」の国が多いのです。

 金がなかった時は、友人に借り、そして金が入ったら返す(学校で貸しても、100%戻るということはないのですが、友人同士であれば、必ずと言ってもいいほど戻すようです)。この借りた金も、「借りたモノ(もともとは人様の金)だから、考えて使え」と、私などは思うのですが、彼等はそうは思わぬようで、借りたら(もう自分の手に入ったら、その時点で)自分の金。で、すぐに無駄遣いしてしまうようなのです。いわゆる「普通の生活」のために使ってしまうのです。ビールはよく飲む。果物も高いモノを買う。そんなことをしていたら、アルバイトの金などすぐに底をついてしまうのに。

 けれども、何回言ってもだめなのです。

 日本人は、普通、人に金を借りるのは嫌だと思う、恥だと思います。とにかく借りないですませられるようにしたいと思う。…でも、これは、日本人だけのこと。彼等の考えではそうではないのです。

 日本人であったら、一生懸命働いて、そこそこの金が手に入った場合、それはその人が頑張ったからであって、他の人とは関係ないこと。そんな頑張った人の懐に手を突っ込むような真似は恥ずべきことである。…そういう考え方は、彼等の世界では通用しません。貸さない奴は「けちんぼで、悪い奴、嫌な奴」になってしまうのでしょう。だから、習慣として、貸す…としか考えられない。

 金があったら、今、手元不如意の人に貸すべきである。貸してほしいと言われたら、貸すべきである。日本人であったら、まず、その、手元不如意の人が借りたくないと思うので、そこからして違うのです。言われたら貸すかもしれないけれども、まず、普通の人は、困っていても、「貸して」と言わない。

 それを恥ずべきことと思うのです。甲斐性なしとは、だれにも思われたくない(これも、日本がアルバイトであれ、頑張って働けば、まだまだどうにかなる社会だからでしょう。他の国の状態をみると、日本はまだまだ個人が頑張れる社会だと思われるのです)。

 彼等の社会では、「貸したり」、「借りたり」は、日常茶飯事のことであって、何でもないのです。だから、この国(日本)でも何とかやっていけるのでしょうが。しかしながら、人に貸せるほどの金を持っていないのです、皆。それなのに、「貸して」と言われたら貸してしまい、結果として、学校に「教科書代は払えない。お金がないから」。「学費が払えない。お金がないから」となる。

 本末転倒というか、何を先にしなければならないかが彼らの国と私たちの国とでは違うとしか思えないのです。

 多分、「公」と「私」という観念がないわけではないのでしょうが、それは彼等にとって「政府」と「人民」であり、日本人が言うところの「公私」ではないと思われるのです。

 「会社のモノを勝手に使ったり、持って帰ったりしたら、どろぼうと同じ」「公のモノを勝手に使わない。それは皆のモノだから。決して私のモノではない」と言っても、彼等にとっては、「公のモノは、即ち皆のモノ。つまり私のモノ」となってしまうのです。

 これは、一朝一夕には改められません。風土からかなとも思うのですが、歴史的、あるいは社会体制からかなとも思われるのです。学校のペンを勝手に使う学生に、毎回、それは「皆のモノ。公のモノ。私してはいけない」と言っても、だから「私が使います」となって、結局、日本人の頭の中は「???????」で、終わってしまうのです。

 これは、「翻訳する」と違ってしまうというのではなくて、そもそも、頭の中に、それに相当するような語彙もなければ、思想もないのです。

 古代に影響を受けたはずの中国人との間でさえ、これは「根っこからして違うのではないか」と思われる時があるくらいなのですから。

 古代中国文明に日本人は確かに影響を受けた。けれども、それは書物を介してであった。直接的な影響は受けていないように思うのです。纏足や宦官などは日本にはありませんし、中国人がもっとも尊ぶ玉にしても、古代に曲玉があったくらいで、だいたい、石を尊ぶという考え方は日本には稀薄であるような気がするのです。

 日本人は、その、輸入した書物を、日本人的な思考回路を通して理解し、形式としていった。もちろん、中国は中国で古代から様々な曲折を経て、今の中国文明を作り上げています。この、中国大陸という肥沃な土地は、周辺の騎馬民族からすれば、「肥肉」に他ならず、モンゴル民族や満州民族によって支配され、その度に揺れ戻しが来たり、方向を変えざるを得なかったりしたでしょうから。もちろん、日本は日本で、自分達なりの理解を発展させていった。

 古来から、多くの日本人にとって、中国とは文字に書かれたものでしかなかった。その中に描かれていた、いわゆる、かつて、文革などで打倒された知識のある人たちしか知らなかったと言ってもいいでしょう、昔から。民衆同士の付き合いなんて、100年にも満たないことでしかないのです。

 それに、だいたい、ここ何百年もの間、日本には文官、武官なんてなかったのです。貴族と武士とがそれに相当すると言えばいえるかもしれませんが、鎌倉時代から、貴族というものは神社などに関係していたり、お家芸(音楽とか踊りとか)を伝えているにすぎず、実権なんてありませんでしたもの。武士が「武」を根っこに据えながら、政府を作り、政策を実行していったのです。

 悪いことをしても、貴族には切腹なんてありませんでしたが、武士は何か悪いことをすれば、すぐに腹を切らされたわけで、しかも、末代まで恥は続きます。そのモラルは、鎌倉、戦国時代、江戸と、次第に農民にも職人にも商人にも伝わっていったのだと思います。もちろん、それに反撥するような文化も花火のように上がっては消えていきました。とはいえ、しっかりしたモノがなければ、人は反発できないものです。

 思わず、いろいろなことを考えてしまいました。けれども、人は生まれ育った土地や歴史、文化習慣などから離れられないのです。余程、意識的に生きていかない限り。

もちろん、人を変えてやろうなどと、増上慢なことを思っているわけではないのですが、それでも、少しずつでも、この地にあった生活パターンを築いていかなければならないと思うのです。ただ、本当に、知れば知るほど、それが難しいなと思えてくる今日この頃です。

日々是好日
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「学校に来たら、すぐに机の上に、本やノートなどを出しておく…という習慣」。

2014-05-13 08:50:28 | 日本語の授業
 小雨。

 昨日、ちょうど帰りに大粒の雨に降られてしまいました。「来た、来た」と大慌てで自転車を走らせて戻ったのですが、着くともう小降りになっています。こんなことならスーパーに寄るのであったと、プンプンしながらうちに入ったのですが。

 もっとも、ずぶ濡れにならずにすんだだけましだったのかもしれません。いつぞやは、学校に来る途中、やられましたもの。着いた時はグッショリ、濡れ鼠でした。本当に僅かの距離ですのに、雨の威力たるや、ものすごいものです。

 あれ、ここまで書いて気がつきました。急に小鳥たちの声が喧しくなっています。すぐに雨が止むのでしょう。

 さて、学校です。

 『初級Ⅰ』のクラスでは、机の最前列から最後列に至るにしたがって(四列しかないのですが)、学生達の声が小さくなるという、お決まりの現象が起きています。これが、同じ『初級』でも、2冊目に入っていますと、「眠い人は後ろへ」と言えるのですが、まだ、「形容詞」が入ったばかりという四月生には、それはできません。

 それに、日本語が殆ど話せない彼等は、アルバイトなんてありませんもの。ただ単に勉強する習慣がない、あるいはする気がないだけで、私たちが、「こんなに眠いのに、よく来た」と言いたくなるような、ある種の学生の状況とは違うのです。

 宿題も、やらない。もっとも、これは、「これまで(母国で)そういうものをやったことがないから、やらなければならない」という「気持ち」がないからなのでしょう。ディクテーションにしても、こちらが見て訂正した後、ノートを返す時に、「間違えてあるところをもう一回書きなさい」と言っても、そういうことをしたことがなければ、そんなことを言われているなんて想像もつかないのでしょう。

 日本では小学校の時に、少しずつこういう習慣がつけられていきます。ですから、全く言葉がわからない国にいっても、教室で、こういう状況であったら、「おそらく、こんなことを言われているのだろう」と察することができると思うのですが、彼等はそうではないのです。

 もちろん、言われなくても、すぐにノートを見てチェックする学生はいます。けれども、それは、彼一人だけのことで、教育の一環としてそういうことがなされているわけではないようです。

 もっとも、日本の学校に於いても、皆が皆、同じことをしなければならなかったというわけではありません。

 若い教員と話して、中学校に入っても、担任が当日の持ち物検査をしていたと聞き、「へっ?」。私たちのところでは、それは、各担当教員の問題で、担任がすることではありませんでした。まあ、授業が始まる前に、その授業の教科書やノートなどを出しておかなければなりませんでしたが。

 日本語学校に来る学生達の多くは、最初、午前であれ、午後であれ、学校に着くと、そのまま、何もせずに椅子に腰かけています。机の上にはまだ何も出していません。つまり、始まる前に、来たらすぐ、教科書やノート、鉛筆や消しゴムなどを机の上に出しておくという習慣がない人たちが多いのです。

 教室に行ったらすぐに、「机の上に教科書を出しておきなさい」と、初めのころは言っていたのですが、そうすると、教科書だけ出すのです。で、ノートも鉛筆も出さない…。「全部出せ」と言っても、「全部とは何かいな」くらいのもので、ピンとは来ない。

 それでも、毎日きちんと学校に通ってくるうちに、少しずつわかってくるようなのですが、そうではない人たちは、いつまで経っても、この「学校に来たら、すぐに教科書やノートなどを机の上に置く」ということができないのです。日本の会社に入れても、次を考えて行動することができなければ、使い物にならない人と思われてしまうのではないかと、…それを言っても、わからない…。

 もっとも、四月生は、四月に来たばかり、やっと一ヶ月ほどが経ったばかりですから、今まだ、準備できるのは、せいぜい教科書一冊くらいのもの(もう、毎日使うモノを覚えてよと言いたくなるのですが、それもグッと堪えて)。「単語の本」と言うと、慌ててカバンからそれを出す。「鉛筆」と言うと、今度は、また鉛筆を探す…。「全部机の上に置いておけよなあ」とため息をつくのですが、国での習慣というのはなかなか変えられないのです。

 けれども、そういう学生達を見ていると、日本のやり方の方が特殊なのかもしれないなという気がしてきます。「すぐに次の作業ができるように。時間を節約できるように。タラタラしない」と、効率ばかり追求している…ような気がするのです。

 彼等は、一つ終わると、隣の人とペチャクチャおしゃべりをし、あちらこちらを見、また一つ終わるとペチャクチャとおしゃべりし、周りを見る、非効率この上ない…ことはそうなのですが。けれども、彼等は、別に、大学に入りたいのでも、いい専門学校に入りたいのでもないのでしょう。適当に日本語学校で2年、専門学校で2年、それが終わってそれなりに日本語が聞いて判る程度になったなら、どこか友達が勤めているところに引いてもらえれば、それでいい。あるいは帰国するかもしれない。

 だったら、こちらがそれほどシャカリキになって、勉強させようとしないほうがいいのかもしれない。慣れないことをさせられる彼等は、被害者になったような気がするでしょうし。

 もっとも、『初級Ⅰ』は、だれでも、楽に楽しめて、それで終われるようなレベルですから、それでもいいのですが。

 ただ、大半の学生達の来日の目的は、日本の会社で働くことですから、そのためにも、ある程度は考え方を改めてもらわなければならないところもあるのです。

日々是好日
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「母語が違うと、文化が違うと、…大変…一斉授業は。その上、それほど勉強する気のない人たちは」。

2014-05-12 08:34:10 | 日本語の授業
 晴れ…でしたが、もう少し陽が翳ってきました。風もかなり強くなったようです。

 天気予報によると、夜には雨が降り出すとのことでしたが、この分で行くと、学生がまだいるうちに、この前のような突風が街に襲いかかり、激しい雨が降るかも知れません。確か、今朝の予報図には、雷様のマークがついていなかったような気がするのですが。とはいえ、また、雷様が鳴りだしたら、ちょっと大変ですね。一度にグッと暗くなりますもの。

 さて、学校です。

 スリランカ人学生達に手を焼いています。どうやって(学力を)伸ばしていったらいいのか判らないのです。同じくらい人数のいるベトナム人学生は、なんとなくわかります。きちんと学校に来て、しかも寝てさえいなければ、おそらくゆっくりとではあるでしょうが、(以前の中国人学生達の)2倍か3倍ほどの時間を掛ければ(漢字がありますから)、「中級」文法もわかるようになるでしょうし、単語も覚えられるでしょう、この学校にいる間に。

 ところが、スリランカの学生は、そうやって他の国の学生達と同じに出来る人が少ないのです。『初級』までは、つまり、「あまり考える必要がない、特別に憶えようと努力する必要のない」ところまでは、他の民族の2倍も3倍も早くできるのですが。もちろん、母国でやって来ていたり、きちんと毎日学校に来ていたらの話なのですが。

 ただ、彼等は、それからが、ずっと平らなままなのです。真面目に一生懸命している人も、です。「話す」「聞く」は、「初級文法」を駆使すれば、日常会話には事欠きませんから、大丈夫ですし、日本にいるわけですから、単語は自然に覚えていけます、生活の中で。

 しかしながら、「本を読んだり、考えたり」が、つい、こちらも「無理かな」と思ってしまうほど、出来ない人が多いのです。全然入っていかない…術がないと思われてしまうのです。

 話すことは、すぐに上手になります。不法滞在で日本にいて、少しも学校に行ったことがないと言う人でも、ペラペラと話せます。これも、文法が日本語に近いから楽だと言っていましたから(タミルの人たちはもっとすごかった)、モンゴル国の人がすぐに日本語をマスターしてしまうのと同じなのでしょう。

 でも、これでは何のために学校に通っているのか判らないじゃありませんか。

 少なくとも、彼等を見ている限り、学校に行っている人と行っていない人の(学力といえるかどうかは判りませんが)差がはっきりとは見えないのです。だから、彼等を力づけようもないのです。

「あの人達も話せるし、聞き取れる。でもね、みんなは学校で勉強しているから、こんなことも判るし、あんなことも出来るようになっている」とは、言えないのです。

 だって、そういう人達と大して差なんてないんですから、大部分のスリランカ人学生は。下手をすると、何を言っているのか判らないくらいなのです。学校に行くチャンスのない働くためだけに日本にいる人たちの方がずっと見事な日本語を使いこなしていると思われるほどなのですから(生きるための日本語ですから、強い)。

 きっと聞いて覚えていくのでしょうね。文章を読んで意味を掴むということが苦手な人が多いのでしょうね。でも、それでは、後がないのです。「進学したい」と言っているのですから。

 教壇に立っていると、不思議と見えてくることがあるのです。もっとも、これも会社であっても、どういうところであっても、人が集まるところであったら、同じなのでしょうが。つまり、ここまではいけるだろうが、あそこまで無理だろうという感じなのです。

 それが、彼等には、「あっ、止まった」という感じで来るのです。そこにいったら、後はこちらが手を変え品を変えしてやってしても、入っていかないのです。全部、跳ね返されてしまうような感じなのです。

 しかし、「初級」が終わってすぐに、この「停止状態」が来るというのは、いくら何でも早すぎます。もちろん、そうではない人もいるのですが(そういう人は、「特別」という気がするのです)。それに、『中級』に手がかかるくらいにまでなる人もいるのですが、それとても、そこで止まってしまうのです。

 そんな状況のまま、「N3」に合格する人もいるのですが、合格したと言っても、(合格した後)一か月か二か月もそのままで(安心しているのでしょう)いるうちに、レベルがどんどん落ちていきます。「もういいや」と思ったら、完全にやらないのでしょうね、考える作業ができないのです、文章を読んでするという作業が。

 「これをして」とか、「ああやって」とか頼むと、自分で考えてすぐにしてくれるのですが。

 それに「幼いから、できない」のではないのです。ベトナム人にはこういう人がいましたが。その時は、「そうか、(高校を出てすぐに来たから)子どもだから、そこまでは考えられないんだ」と思ったものでした。が、彼等はそうではないのです。頭も悪くない、普通の大人です。そうであっても、(だからこそでは、ないのです)できないのです。

 『初級』と『中級』『上級』では、勉強の仕方が、全然違います。内容も少しずつ、考えねばならなくなっていきます。文化的な要素も出てきます。それがどうもわからないらしい。だから『初級』の時と同じように、何回もリピートして覚えていけばいいくらいに思っているのでしょう。

 軽く考えているくせに、学校に来た時には、(難しいと言って)呆然としています。そしてどうも放棄しているように見えるのです。それでも、『初級』は彼等にしては簡単すぎますから(私たちはそうは思わないのですけれども、聞いて判るから嫌なのでしょう)、戻るのは嫌。とはいえ、彼等だけのクラスを立ち上げるほどの数はいない…本当に大変です。

日々是好日
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「五月晴れ。けれども、昼過ぎから崩れるとか…」。

2014-05-09 08:51:26 | 日本語の授業
 晴れ。

 正に「五月晴れ」。

 とは言いながら、昼過ぎから、大気は不安定になるそうで、予報では、関東甲信越地方に、落雷、竜巻、突風、降雹、急な激しい雨…が来るかもしれない…とか。

 今どきに起こり得る、不安定な状態を言い尽くした…かのような気もするのですが、けれども、昨日も昼過ぎから突風が吹いていました。

 自転車がバタバタと倒れたのが、ちょうど午後のクラスの休み時間。自転車がなぎ倒されたのを見て、慌てて外に飛び出したのが、中国人の女性、ただ一人。不思議でしたね。普段なら、スリランカの男子学生がすぐに出ていくのですが、こんな時には、ところが、後の人たちは見慣れた光景だとばかりに、平然とおしゃべりを楽しんでいるばかり。

 それを見ている私も、彼女一人がああして、飛び出したのが、何となく判るような、そして、他の国の人たちがそうしなかったのも、何となく判るような、そんな気がしていました。不思議といえば不思議なのですが、ああいう光景も見慣れているような、そんな気がしたのです。

 中国にいる時も、凡そ、中国と国交がある国はすべて、あの学校に集められていたような状態でしたから、日本にいては、決して出会えなかったであろう国の人たちとも話をする機会はありました。けれども、やはり、(単なる友達として対するのと)教師として対するのとは違います。

 学生同士であったなら、少しでもそりが合わないと思えれば、すぐに遠ざかることができましたし、むろん、話をする必要などもありませんでした。だいたい、嫌な相手に無理に合わせる必要もありませんでしたし。

 互いにいくら軋むような関係であっても、同じ所にいなければならないというのとは違って、学生であったら、そばには気の合うような人たちがたくさんいましたから、そちらと話していればよかったのです。

 ところが、教師として、他の国の人たちに対さねばならなくなると、そこは、もう耐えきれなくなるような鼻持ちならない相手とも、嘘ばっかりついている相手とも、毎日のように顔を合わせなければ(角突き合わせなければ)なりませんから、ストレスがたまります。

 こちらが嫌だと思っていれば、たいてい相手もそう思っていますから、互いに辛いはずなのですが。ところが、面白いことに、そういう人に決まって、自分を高みに置いていますから、平気なのです。

 「私は変わらない、お前が変われ」。あるいは、「私は正しい、文句のあるお前が間違っている。なぜなら、私は偉いから」。

 この「偉い」というのは、平等社会で育った私たちには、到底理解できないようなものなのでしょうが、見ていると、日本語でいうところの「自分を偉いと思っている」以外の表現が浮かばないのです。

 貴族時代の、「6位」とか、そんな連中の持っていた、曰わく言い難い、自尊心みたいなものです。「胡麻官」であっても、貴族は貴族ですから。多分、彼等なら、ああいう感覚でいたのだろうな、と、平民である私は思ってしまうのです。

 どうしてあんなしょうもない人間(ごめんなさい)が、「偉い」と思えるのだろう、ああいう失礼極まりない態度を取ることができるのだろうと、不思議でならないのですが。多分、彼らの国では、それで通用するのでしょう。もちろん、同じような態度であっても、インドとスリランカでは少し違うようでしたが(他のインド人が、そういうインド人に対する態度と、他のスリランカ人がそういうスリランカ人に対する態度とは)。

 向こうだって、嫌われたくないでしょうに、どうしてああいう態度を取るのでしょう。時々不思議になってしまいます。見ていると、(彼等の)国でも、これまで、そういう態度を取っているということで、友人関係にヒビが入ったり、嫌われたりと、そういうことが起こっていたようには見えないのです。

 もちろん、そういう人でも、毎日学校に変わっているうちに変わることはあります。ただ、そういう人に限って、休みが多いのです。おそらく、学校に来ても、思い通りにならないから、不満なのでしょう。ここでは、自分が思っているようには、だれも見てくれません。だいたい、国を離れたら、あとは「その人だけの力」です。自分が他者から尊重されたいと思ったら、それなりの努力をすべきです。けれども、そういう人は、国にいる時のままで、押し通そうとするのです。

 これでは、だれだって、嫌になるでしょう…けれども…同じ国の人が多いと、それでも、通じてしまうのです。だから、やはり、いろいろな国から、少しずつ来ている方がいいのです。

 日々是好日

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「学校に来るということは、日本語の勉強のためではないのです」。

2014-05-07 08:43:42 | 日本語の授業
 晴れ。

 昨日の寒さがまだ残っています。関東地方も内陸部で遅霜が降りていたという話です。

 とはいえ、今日、昼にはまた20度を超すそうですから、ちょっと一安心。この連休で更衣とばかりに、服の入れ替えをしていた人も多かったようですから。

 前半、後半と分かれたとはいえ、連休が続きました。さて、学生達は勉強の「体勢」に戻れるでしょうか。「ずっと教室にいること。きちんと座っていること。必要なことをメモできること…」。せっかく、ある程度身についてきたことも、休みが続くと、白紙に戻ってしまう…こともあり、ちょっと不安です。

 もちろん、国でこういう習慣がついている人は別ですが。

 実は、(日本語学校に来る人たちの中には)そうではない人が少なくないのです。

 何も言わずとも、必要な箇所に線を引く、メモを取る、教師が話している時には黙って聞く。テストの時には周りを見ない、隣に聞かない、また見せない。

 日々の授業の時には、(日本語を)教えることもさることながら、「人が話している時には、その人の話を聞く」「一方的に話さない」をはじめとして、さまざまな事も同時に伝えていかなければならないのです。だって、彼等の希望は、最終的には、日本で就職することなのですから(だいたい、アルバイトでも、店長や班長が話している時に、隣の人と雑談していたりしたら、問題です)。

 この学校に来ている人達は、最近では、ベトナム人を主とする東南アジアの人たちとスリラン人を主とするインド圏の人たちに、大きく分かれるようになりました。

 以前は、「漢字圏」と「非漢字圏」とで一括りにし、クラスを分けたりしていたのですが、最近は、「非漢字圏」の中を、これまた、きちんと学校に来ているかどうかで分けるようにしています。いくら素地があっても、学校に来ないのでは話になりません。だいたい、漢字が「覚えられない、読めない」では、『中級』教材に対処できないでしょう。

 これが、「研修生」であったなら、会話ができればいいだけでしょうから、スリランカの学生は楽勝なのですが。

 彼等は『初級』までは、何とかなるのです。読めなくても、「聞く」「話す」はお手の物ですから。ですから、ヒアリングにも難のあるベトナム人学生などが愚かに見え…てしまうのでしょう。露骨に表情に出す人がいるくらいですから。これも、失礼なことです。そうすべきではないのですが、判らないのです(それを言えば、私が頭のいいのが、わからないとばかりに自分が可哀想だと喚かれるのがオチですので、もう、最近は黙っています)。

 ただ、私たちはそう(彼女が頭がいい)とは見えませんけれどもね。

 母語というのは、不思議なもので、例えば日本人であったなら、英語を勉強するにしても、アラビア語を勉強するにしても、どの国、民族の言語を勉強するにしても、文字がある言語であったなら、必ず、まず、「書く」と思います。「文字を書いて、書いて、書いて覚えようとする」でしょう。

 日本語の文字には、漢字あり、ひらがなあり、カタカナあり、そして時にはローマ字ありで、書かなければ身につかぬとばかりに、子どもの時から、学校でも「書いて」、宿題でも「書いて」、何もすることがなかったら、まず、「書いて」を繰り返してきたのです。これは、「寺子屋」の時代もそうだったのでしょうから、文字が書けなければどんな商売もできなかった…のでしょう。

 それが、先生の顔だけを見て(という印象)勉強してきていれば、書くなんてことは習慣にないので、やらない…のでしょう、いくら言っても、「できない」で終わり。「難しい」で終わり。

 中国にいた時も、不思議に思っていました。中東の人たちも、アフリカの人たちも、ラテンアメリカの人たちも、東南アジアの人たちも、「書かない」のです(欧米人で当時、中国に来ていた人達は、私費でしたし、漢字に興味を持っている人たちが多かったので、漢字はよく書いていました、少なくとも私の身近にいた人たちは)。そして、簡単な文ならすぐに暗記できて、それを繰り返して、中国人と、すぐに流暢な会話ができていたのです。

 日本人は、ちょっとでも、自分達の漢字と違うと、こ「りゃ、覚えなけりゃ」と、何度も何度も書くモンですから、必死になりどころが彼我では全く違う。

 もちろん、文章を読むとなると、彼等はお手上げなのですが、「話す」「聞く」は、すぐに中国人並み(?)にできる(ように聞こえる)ものですから、出会う中国人は皆、「すごい、頭がいい」と彼等に言い、日本人は話せませんから、「頭が悪い」とまでは言いませんが、腹では思っていたようでした。

 それが、そのまま、日本語を学ぶ中国人にも見えて、面白い。中国人も日本人も、まず「書く」のでしょうね。ただ、最近の若い人たちは、少し違ってきているようですが。

 スリランカ人にしても、インド人にしても、パキスタン人やバングラデシュ人にしても、「書けない」「読めない」でいたら、(日本語を学ぶ場合)「中級」以後は難しいのです。

 少なくとも、以前、卒業した学生(スリランカ人、インド人、パキスタン、やバングラデシュ人で)で、日本で希望する会社に就職できた人たちは、よく書いていました。漢字の数が千を超えると、どうしても「どちらだっけ」と、書く時に迷ったり、忘れたりしてしまうのですが、読むことは読めていましたし、メールで正しい漢字を選んで送ることはできていました。彼等は、いつも学校に来ていましたから、それができたのでしょう。

 『中級』でも、『初級』と同じつもりで、「『初級』は簡単だったから、『中級』でも、簡単にできるだろう」と考えていたら、大間違いなのですけれどもねえ。却って、孜々として漢字の練習を地道に続けていた人の方が、文章が読めて、いつの間にか知識も増えているのですけれどもね、どうしても、それが判らない人がいるのです。これも、子どもの時からの思い込みなのでしょうか、それとも、「ありがとう」でも言えたら、すぐに「すごい。上手」と言ってしまう日本人が悪いのでしょうか。それとも、「下」しか見えない(自分より劣っているところしか見えない)その人自体の問題なのでしょうか。

 「非漢字圏」の人たちを私たちが見るのは(つまり、どのレベルかという視点から)、いくらペラペラ話せていても、「どの程度の文法を使って話しているか」ということと、「漢字」の数なんですけれどもね。

日々是好日

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「皐月になりました」。「日本へ来たからって、安心しないでね。まだ道は長いのだから」。

2014-05-01 11:52:40 | 日本語の授業
 雨。

 糠のような雨が降っています。小糠雨とはよくぞ申したと言いたくなってしまうほどです。この雨も(ジワジワと明るくなってきましたから)、もうすぐやむことでしょう。

 さて、今日から「五月」です。もう「皐月」なのですねえ。これも、月が変わる毎に、「もう○○月となりました。速いものですねえ」と言っているような気がするのですが、でも、これは、毎度のことながら…、実感なのです。

 すっかり緑を深めた「桜」の樹も、枝垂れた枝に、小舟のような鋭い緑の葉をつけた「柳」の樹も、時間の速さを物語っているような…。

 そして、直に六月(『日本留学試験』)、続けて七月(『日本語能力試』)がやって来ます。学生達は日々の暮らしに追われていますから、この、一ヶ月先、二か月先というのがどうもハラに落ちていかないようなのです。

 (試験の)2週間くらい前になって、「もうすぐ、試験だよ」と言えば、やっと「ハッと」でもしてくれるのでしょうか。いや、きっと何人かは、「へ?!なに?それ?」なんて表情をするでしょうね。あるいは、「嫌だァ。忘れてた」なんて言い出す人もいるかもしれません。

 その点、在日の方は違います。買い物がスムーズにできるようになるためであれ、あるいは、日本の会社で働けるようになれるためであれ、目的がはっきりしているのです(そうでなければ、金は払いません)。既に、日本にいるのですから。

 留学生達は、まず、日本に来ることが目的の一つなのです。これは、日本に来ることがと言ってもいいでしょうし、あるいは、国を出ることがと言ってもいいと思うのですが。ただ、来てしまえば、国で勉強の習慣が全くなかったり、家事の経験がなかったりすると、もう(日本に)来ただけで満足してしまい、次を考えられない人も出てきたりするのです。

 「もう、(日本に)来られたから(つまり、外国へ来たから)、いいや。後は適当にしておこう」くらいの感覚で過ごしてしまえば、1年だろうが、2年だろうが、年月はあっという間に過ぎてしまいます。そして、「進学」せねばならぬ時を迎えるのです。

 何事であれ、「適当」にして、何ほどのものが得られるかと問えば、もちろん、「知れたもの」でしかないでしょう。普通の能力の人が、普通に勉強して、普通ほどの成績を得られるなら、休みが多い普通の人は、それなりに、あちこちで一つ一つ欠けていきます。それがなかなか理解できないのです。困ったことですが。

 まずは毎日学校へ来ること。変な理屈をつけて、休み、それを当然と言い続けているような人もいましたが、今、またそういうタイプの人が学校に来ています。前の人と同じ国の人です。この国にはどうも、そういう傾向がある人が多いのかも知れません。

日々是好日
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