日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

ベトナム人学生は、イスラームを知らなかった…。

2018-06-28 08:45:15 | 日本語学校

小雨。

数日前の予報では、今日は「晴れ」のはず。一歩も二歩も譲っても、「曇り」だったはず。そして、「なぜ、こんなに晴れが続くのでしょう。梅雨なのに、変ですね。このまま8月の真夏のような陽気になってしまうのかしらん」と続いていた…はず。

ところが、今朝は曇っていました。お日様カンカンとはなっていませんでした。風は強くとも、雨ではなかろうと自転車で来たのですが、それが8時前くらいから、雨が、風に吹き飛ばされるようにバラバラとやって来ました。

ホントに油断も隙もあったもんじゃない。でも、一応、梅雨は梅雨ですものね。もしかしたら、今日、一日中、こんな感じなのかしらん。確かに、晴れでも油断するなとは聞いていたような気がするけれども…。

さて、学校です。

ベトナムの学生達、昨年の4月に来た学生にしてからが、イスラームを知らなかった…。

昼の、「Bクラス」において、「イスラム教の人達は男女が分かれてモスクに入ります云々」のところを、ごく普通に説明していたのですが、彼等の表情にはたと気づいて、ベトナムの学生に「イスラームを知っていますか」。

昨年の4月に来た学生も、7月に来た学生も…「何ですか、それは?」。話の流れから、食べ物と思った者も、…いた。

ネパールやスリランカ、フィリピンから来た学生は知っていました。国内にイスラム教徒の人達がいるからでしょう。やおら、高校生用のタペストリを配って、見ながら説明しても、ベトナムの学生、何のこっちゃという表情。聞いたことも見たこともなということがよく判ります。他の国の学生達がスマホを利用して、躍起になって女性や男性の写真を見せても、キョトンとしている。

一応、これだけは知っておいてと、「世界宗教であること。信者の数が、キリスト教徒に次いで多いこと」。

それから、翌日のこと。おそらくは、このクラスでもおなじだろうなあと思いつつ、「Aクラス」のベトナム人学生にも訊いてみると、予想通り、「知りません」、キョトン。

今、世界ではイスラム教をめぐってさまざまな問題が噴出しているのですが、対岸の火事なのでしょうね。といって、「アメリカ同時多発テロ事件(9・11事件)」などを例に挙げるのは憚られる。学生の中にはイスラムの人もいることですし。

ただ、この「行徳」は外国人の数がかなり多い町です。イスラム教徒の人達もたくさん住んでいます。一番わかりやすいのは、ヒジャブというスカーフのようなものの存在なのですが、それも知らなければ気がつかないという例え通り、話しても、「そうですか?」キョトン。あれは、ファッションの一つであって、宗教とは関係ないものと思っていたのでしょうね。いろいろな服装の人達がいますから。

「日本には、イスラム教徒はあまりいないけれども…、今からこの近所で馴れておいてね」で、授業に戻ったのですが、いままで(一年以上)、知っているものと思い込んで、やり過ごしていたのが悔やまれます。

おそらくはこれだけではないのでしょうねえ。本当に注意しなければならないことです。

日々是好日
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「『夏至』が過ぎると、途端に暑くなったような…気がします」

2018-06-25 08:47:59 | 日本語学校

晴れ。

洗濯日和です。「夏至」が過ぎての晴天。今日は軒並み「30度超え」だそうで、梅雨時だとはいえ、やはり…もう夏です。

「鎌倉の旅」が終わると、関心が、一挙に「アジサイ(紫陽花)」から他所へ行ってしまいます。これって、多分、花を楽しんでいないのです。仕事の一部になってしまうといけません。子供のころは、雨に打たれる「アジサイ」の花や葉を飽きずにずっと見ていたのになあと、思えば、どこか寂しい…。

「アジサイ」にアタフタしている間に、この辺りでは「クチナシ(梔子)」がしおたれ、「ヤマボウシ(山法師)」の花が咲くようになっています。そういえば、「アヤメ(菖蒲)」も姿を見なくなっていました。

「6月なのに、30度超え」とか、「梅雨末期のような豪雨になっている」とか、人は勝手なことを言っていますけれども、季節はそれなりに移りゆき、それを日本人は、やはり24節気で捉え、今年はいつもと違うなんて、よくわからないことを言っているのです。

学生達にとっては「初めての日本の『今』」ですから、「暑い」や「寒い」とは言っても、例年と比較するようなことはありません。私たちも、もしかしたら、そのほうがいいかもしれません。

多くの人がある意味で、自然から遠く離れたところで生活しているわけですから。

とはいえ、「ウメ(梅)」の実と共に、「シソ(紫蘇)」の葉が店頭に並べられるようになりましたし、「ラッキョウ(辣韮)」なんぞもあります。四季折々の年中行事が行われて初めて、人々は、「今は夏である」というようなことを、知るようになるのかもしれません、季節が現実から失われてしまおうとも。

何だか、だんだん怖い世界になりそうですね。「人は年を取ればとるほど、地面に近いところに行きたがる」というのは母の台詞。腰が曲がり、小さくなれば、それだけで大地に近づく。アスファルトの道から土の道へ。人工の道から外れて、名もなき草が生える道へと。そして土に戻るのでしょうね。

さて、学校です。

鎌倉といえば、七里ヶ浜へ行く途中、ネパールから来た学生が、日本の神々のことを尋ね、その時、「仏陀」を「神」と言ったのです。そういえば、日本人は「仏陀」は「仏陀」で神とは別物というとらえ方をします。漢字の「仏」も、「ブッダ」の意味にも、「仏教」の意味にも、「仏像」の意味にも、また死者、あるいは霊魂の意味にもなります。

どうも、彼等の言う「ネパール仏教」では、バラモンの神々の中の一柱が「仏陀」である…そんな感じもします。…違ったかな。彼等の宗教にしても、私の信じるのは「仏教だ」と言う人もいれば、「私はヒンズー教」と言う人もいて、彼等の宗教というのも、どうも、よくわからない。国を挙げて、彼等の信仰を集めているクマリ(生き神)という少女は、シャカ族の中から選ばれるというし…。

「仏教」「神道」と分けてしまえる日本人は、ある意味では単純なのかもしれません。そういうと、そんなの慣れから来ているだけだよと言われてしまいそうですが。

日々是好日
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花のテーマパークが花盛りです。

2018-06-22 09:32:50 | 日本語学校

晴れ。

梅雨時には「稀な」晴れということで、今日はあちこちで洗濯物の花が咲くことでしょう。

昨今は、日本でも花のテーマパークが広がり、「スイセン(水仙)」「ウメ(梅)」、「ツバキ(椿)」、「サクラ(桜)」、「フジ(藤)」、「アジサイ(紫陽花)などの伝統的なものから、「シバザクラ(芝桜)」、「ネモフィラ」、「ツツジ(躑躅)」、「ユリ(百合)」、「バラ(薔薇)」、「ヒマワリ(向日葵)」などを集め、辺りを一色で染め上げ、何千、何万もの花が、一望できるというそんな景色を作り上げ、それを皆で楽しむというやり方が増えてきました。

そういう美しさに感動するにつけ、どこかしら不自然さを感じてしまうのも自然の一部分たるヒト故のことでしょうか。一色に染め上げられてるというのは、本来、無理な景色なのです、美しいことは美しいけれども…。

これは、有名になった途端、川沿いに咲いていり、畦に咲いていた花が、そのままの姿を保てなくなるというのと似ています。観光資源として公園化された中にその存在をおしこめられてしまうのです。もう完全な人工の産物と化してしまうのです。花は集められ、人々が歩きやすいように、歩道が整地され、設計された景色となってしまうのです。

人は、かつて、自然を模倣して「庭」を作ろうとしたのではなかったのかしらん。「山居」を求めて街中に作ろうとしたのではなかったのかしらん。それが、反対に、「山」や「丘」に、人工の「自然」を作ろうとしている。

不思議な気がします。開発される地が増えれば増えるほど、もしかしたら、人は「人工的な自然」を求めるようになるのかもしれません。…まあ、自然というものは、確かに怖いものですから、人工化されれば「いいとこ取り」したような気にもなったりする…。

とはいえ、山野を歩いている時、ふと目に入った景色、その中に「色(花)」があれば、それだけで、その場が特別なものになるのもヒト。雨が似つかわしい花、断崖絶壁に咲いてこその花もあることですし。

やはり、「野におけ 蓮華草」という考え方の方が、日本人には親しいような気がします。

さて、学校です。

昨年の「四月生」も一年を過ぎ、もうすぐ「日本語能力試験」を迎えようとしています。漢字圏の学生達の場合は、『初級』さえ、無事に通過できたら、あと「読解」なんて、本人の「母語の読解力」の有無によるなどと軽く考えることができていたのですが、「2級(N2相当)」以上のものでは。

ところが、非漢字圏の、そして途上国から来た人達に関しては、それが、なかなか、できません。できる人は本当に稀で、この学校に関して言えば、数人いたかどうかというところ。その数人も、母国で大学入試に成功しているか、あるいは在学中にこちらへ来たということで、高卒者と同列に論じることはできません。

「指示語」まではどうにかなっても、「接続詞」の理解がなかなか進まないのです。「これは母国のあれだな」という置き換えが、捗らないということが主な原因であるような気もすぐのですが。それから、文構造の問題で、「主語」が掴めないのです。文末の「動詞」から行くのが一番簡単なので、「だれが」と問いかけていけば、だいたいは分かります。しかしながら、次の「だれに」や、あるいは「主語」や「目的語」に修飾部分が係っていたりすると、もう混乱してしまいます。

この指導のための、いい問題集が、やっと出てきたので、今回、それを少し使ってみました。7月からは、下のクラスで本格的に入れることになっているのですが、使ってみると、「Aクラス」の学生にしてからが、だんだん声が小さくなっていきます。考えれば考えるほど分からなくなっていく…。

教師から見れば、この、「来日後、一年以上たっている。アルバイトでも基本的には困ることがそれほどない。日本人の話がだいたい聞き取れているつもりになっている」という人達が、一番の難物なのです。

「話す・聞く」時には、「相手の身振りや表情」が見えますから、馴れると、それで判断しているに過ぎないのですが、それがわからない。授業中、いくらそれを言っても、あるいは注意しても、おかしな自信は揺るがないのです。「テストの時に、いい点数が取れなければ分かるはず」と思えるのに、漢字が書けなくても、彼等の自信は覆ることがないのです。

おそらくは、外国語(この場合は英語)が話せる、聞き取れるとは言っても、彼等自身が、勉強して身につけたものではなく、子供のときから、映画を見て覚えたとか、観光客に話しかける周りの英語を聞いて育って耳が馴れたというような身につけ方だからでしょう。

外国語は、きちんと「勉強しなければ、だめだ」ということが分からないのです(悪い言い方ですが、努力も必要です)。遊びながら覚えた英語と同じように、聞いて話せれば、十分だと思ってしまう。「これでは、アルバイトができる程度の日本語でしかない」と言っても、わからない。彼等のレベルを測る物差しには、「読む・書く」が土台無いのです。

それが、本当に困ります。話せるだけの人なのに(初級レベルかせいぜいN3レベルでしかない)、本人も、その人を取り巻いている人もそれで満足しています。

問題集を通して、その都度その都度、分からせていくしか術はない(普通の人には)ような気がします。

まあ、レベルは低いくせに、「私は日本語が上手だ」と自惚れたまま、この地で生活していけるなら、それが一番幸せなのかもしれませんが、時々そういう卒業生が、日本人社員とうまくやれない(責任は日本人社員にある)と愚痴をこぼしに来ることがあるのです。

私たちから見れば、「日本人の話す言葉が正確に理解できないくせに、判っているふりをしているのが相手に分かるからだよ(それが度重なれば、若い社員は我慢できません)」なのですが、それを言っても、「わからない」ふう。

日本人でも年配者やもう退職している人は、「外国人が頑張っているなあ」と、かなり日本語レベルの低い人でも受け入れてくれるのでしょうが、若い日本人で、しかも同じ会社の社員であれば、(自分よりも10歳以上も上で日本語の下手な外国人が、いかにも何でも判っているふうに偉そうなことを言えば)反感を持たれてしまいます。

まずは、自分のレベルを知ること、そして努力をすること(それが謙虚さにもつながります)、これが大切になるのでしょうね。他に特別な技術や知識があるなら別ですが。

日々是好日
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日曜日に、救急車で運ばれた学生が、昨日、戻ってきました。

2018-06-21 13:04:04 | 日本語学校

曇り。

あるお宅の花壇の中に、小さな「ホタルブクロ(蛍袋)」が咲いているのを見つけました。もう時期は過ぎたと思われるのですが、昨日、今日のような天気の日は、如何にも彼の花に似つかわしいように思われます。なんだか笑みが零れてきそうです。

昨日の雨も止んだものの、まだ空は、重たい灰色の雲に覆われています。空がしっかりと雲に固められているような感じなのです。何かがこぼ垂れて落ちてくるようには見えません。今日一日中こんな天気なのかな。湿度は100%だそうです、今現在。

さて、学校です。

日曜日に、救急車で近くの病院に運ばれた学生が、昨日、無事に戻ってきました。ストレスによる胃炎だそうで、本人も、なぜか、ホッとした様子。訊くと、前からしばしば胃の痛みがあったらしい。自分でも一度検査を受けなければと思っていたと言います。いくつも検査をして異常がないことが別ったので、安心したとのこと。まずはよかった。

病院から、学校のスタッフと一緒に戻ってすぐに教室へ。友人に教科書を持ってきてくれるように頼んでいたそうで、そのまま授業に参加します。それから駅に置いていた自転車を(駅前広場で救急車の運ばれたのです)取りに行くと言っていたのですが、私が一階で授業をしていると、…彼が戻ってきた…。

放置自転車と言うことで、「2000円」払わなければならないと言われた。それで、お金を取りに来た…。救急車で運ばれたので、これは不可抗力のような気もするのですが、もしかしたら、駐輪してはいけないところに止めていたのかもしれません。

「日本語能力試験」がもうすぐあるので、これも、私たちにとっては気がかりでした(本人はもっと焦っていたでしょう)。ストレスになるほど勉強していたのに、参加できなかったら、悲惨ですよね。今週の校内模試には参加できなかったけれども、来週またありますから、その時に頑張ってほしいものです。

日々是好日
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7月から、新しいクラスで、臨みます。

2018-06-19 10:07:32 | 日本語学校
晴れ。

昨日、仕事がなかなか片付かなくて、ハッと気づくと、重い雨が降りだしていました。さっきまで降っていなかったのに…と雨雲さんを恨んでも、せんないこと。その中を突破して帰り着いた時には、もう髪の毛からも服からも、滴がぽたぽたと…。自転車に乗っているときから、グッショリでしたから、それも当然のことでした。帰り着いた時、出会った二階の方から、「あらまあ、ずぶ濡れ…」。「はい、突破してきました…」。

学生達も大変ですね。彼等の国では、自転車で行き来するというのは、あまりないことなのでしょう。カトマンズ出身の人やハノイからの人は、たいていオートバイで移動していたと言っていましたから。

さて、学校です。

7月からクラス編成もあり、また上のクラスでは、新しい教科書を採用するということもあり、準備にオタオタしています。「Aクラス」に関しては、主教材を変えるので、まずは「素読」用に教科書の本文を打たねばならない。新出漢字をピックアップして、漢字表を作らねばならない。…この二つは、前にだいたいのことはしていましたから、少し余裕があります。後は見直しだけ。筆で書くのはすぐできるから、後でもいいし…。

ところが、単語表がいけない。ダウンロードできる対訳としては、ベトナム語のものだけ。英語の対訳もついていない。単語を自分で調べられるようにするのが主目的であるとしても、「ない」というのはいただけない。使いにくいのです。

それで、慌てて、単語表を別に打たねばならないことに…。

実は、初めの頃、この語彙表をダウンロードできることに気づかず、こちらで新出単語や、おそらくは学生が覚えていないであろう単語をリストアップして作りかけていたのです。それが語彙表があることに気づき(や~めたと)、安心しきっていました。これは迂闊、失敗でしたね。最初によく読んでいれば、今回のように慌てふためかずにすんだものを。

教員の仕事が多いというのは、多分、本当です。けれども、どの仕事に於いても、そう。教員だから多いというわけではありません。どの職場においても、仕事が増える人と、そうではない人とがいます。同じことを繰り返せることでそれでよしとする人と、そうではない人がいるわけですから。

(他者が)表面的には、見えない仕事をしていることに気づけるかどうかが、おそらくはその人がその職業において伸びるかどうかの分水嶺でしょう。  
ただ教員の場合は、学生あっての教員ですから、その時の学生の状況如何で仕事が増えたり、減ったりします。また、日本語学校ですと、勉強をよくする学生が多い時と少ない時、レベルが高い時と低い時によって、仕事の質もかわってきます。

この学校においては、どの学校においてもそうでしょうが、授業がメーンです。学生の質がある程度揃っていて、しかも、よく勉強する場合、「押しまくる」ことができます。1日に「1」で終わるのではなく、時には、「2」でも、「3」でも入れることができるでしょうし、半年後、一年後を見ての指導も入れることができるでしょう。

その反対に、それでやっては授業自体が成立しない場合もあります。そういう場合には、「隙間」を幾箇所か、入れていかねばなりません。緊張が続かないというか、「息抜き」が必要になってくるのです。この「空間」も学生によって異なってきます。いえ、学生と言うよりも、一斉授業ですから、「クラス」と言った方がいいのかもしれませんが。

クラスによって、授業のやり方(用いる教材も含めて)が、大きく変えざるを得ない場合もあれば、ほんの少し手心を加える程度で終われる場合もあります。しかしながら、微妙な部分を説明しろと言われても、それは難しい。そういうものは、ある程度の経験を通して、導かれるものであり、他者が云々言っても、どうにもならないものだからです。

私はこのやり方で行くというのも、そのやり方が「その人自体」によく適っており、他のやり方では不自然になるからでしょう。ただ、ある程度のことができる人であれば、どういう道を辿ろうとも、結果は同じになるでしょう。この結果という言葉の定義も難しいのですが。

学生に、「自分のことを大切にしてくれている」と感じられるのが一番です。(教員も)質問があったら、逃げない。また、(学生に)質問をしてもらえるようにする。その他にも、個人的な悩みもあるでしょうし。もっとも、この中には彼等の甘えから来るものもあります。そこは確と区別して臨まなければなりません。

もちろん、勉強だけに集中でき、授業が終わっても残って勉強してくれるほどの学生が一番いい。以前、中国人学生が多かった頃は、アルバイトの時間まで、よく5,6人残っていたものでした。こちらも、手隙の時間に「質問は?」と行けば、それなりの成果は上がります。

今は、午前の学生で、一人だけ、今年度の高校入学を目指して頑張っている台湾の学生がいるのですが、最初の学校で、「(中国人クラスでは)書くだけ」という授業であったせいか、「初級内容」は、散々なもの。漢字圏の学生ですから、それでも「N2」の文章は読めますし、文法も覚えることができます。この学校に移ってから、もうすぐ一年になりますが、本腰を入れて勉強を始めたのは、ここ半年ほどのこと。一人の教員が、初級の「助詞」の手当に行けば、また他の教員が自習室を覗いては、「何か質問は?」と訊く。

本人曰く「こんなに勉強したことはなかった」。こちらも「そうだろう」。

彼女は、今度の「N2」の合格を目指して懸命に勉強しています。「『N1』まで行かないと、中学修了とはいかないよ」がどうも効いているようです。

不思議なもので、懸命に勉強している人は顔つきが違います。いい顔になってきたのです。人と比べて慢心しているとか、下の人を見下しているとか、そういう顔ではありません。自分の勉強だけに必死になっているのです。

「こんなに若くても、人ははいい顔になれるものなのだ。懸命さは何よりも強い」と、感心すること頻りです。

日々是好日
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私は貧しい人にお金をあげます。だから私はいい人です。…????

2018-06-15 08:15:21 | 日本語学校
曇り。

直に本格的な雨になるそうです。学生達はどうするかな。だいたい「突破」を決め込んでいる学生ですら、帰りには「傘がない。せんせ~い」と甘える輩もいるくらいなのですから。

もっとも、数年ほども前に、知り合いを入学させたいと来られた日本人女性が「寄贈」してくれた20本ほどの傘も、ものの2,3ヶ月も経たぬうちに全滅してしまったということもあり、(学生に)そう言われても、「皆、傘がない」としか言わないことにしています。

人の物という認識がないのか、単なる面倒(返却するのが)であったのか、それとも悪しき習慣である「貸して当然」という傲慢さからのものだったのかはわかりませんが。

私のもので、この数十年、ずっと存在し続けた傘(忘れても、なぜか戻って来たのです)も、「一度貸したが最後とはこのことか」という有り様。当時はまだ馴れていなかったので「濡れるのが気の毒」ということで、貸してしまったのです。それが、運悪く金曜日でした。月曜日に持って来ていない…で、催促する。翌日も、翌々日も持って来ない。「あまりしつこく言うのも申し訳ないか」と、普通(日本人同士の場合)は互いのことを考えて言わないのですが。でも、外国人だからもしやということもあろうと、次にきつく催促すると、友達に貸した…えっ、借り物でしょ。では、友達に返してもらえ。次は、友達がなくした、です。

と言うわけで、今ではよほどのことがない限り貸さないようにしています。濡れても、自分の責任。梅雨時に限らず、折り畳みの傘は常に持っておくように言ってありますし、何か言えば学校がやってくれるだろうと自分で考える習慣のない人が多すぎるというのも理由の一つです。

前に、新幹線の掃除の様子を、DVDで見せたことがありました。すごいと思ったらしいのですが、そこで一言。「乗客が汚しに汚していたら、これはできません。皆が気をつけて汚さないようにしているから、掃除の人も(もちろん、手順を考えたり、工夫はしているでしょうが)、こういう短時間での作業ができるのです。『仕事は相身互い。相手の人が楽になれるように(お互い様であるから)』が、できる国でなければ無理でしょう」

果たしてこれが判ったかどうか。

もう二十数年前になるでしょうが、当時、友人と中国国内を列車で移動していた時のこと。習慣でごみをビニール袋に入れ、掃除にきた車掌に渡すと、「ありがとう」。その後偶然に、車掌が窓から、他のごみと一緒に、そのごみ袋を捨てているのを発見して、ショックを受けたことがありました。何のためにごみを集めていたのか判らない…。無駄だったのか…です。
 
それで席に戻ってから、やって来た車掌にそれを訊きただすと、「線路で、そのごみを拾って生活している人がいる。もし、捨ててやらなかったら、彼等はどうやって生活するのだ」。これは日本人には考えられない「理屈」です。その時は、彼にどう言ってやったらいいか判らなくて、絶句したままで終わってしまったのですが、「少なくとも、こういう考え方は『社会主義を標榜する国』ではないな」と、思いました。

人が捨てたごみを拾って生活する。それを公然と認めている社会に、平等とか公平という観念は育たないだろうと感じたのです。

日本人も、今、「格差が広がっている」と声を上げていますが、それは格差がないのが当然という社会だから挙げている声であって(それが共通理解だからです)、それを当然とし、その上で成り立っている社会では、そんな声など上がりはしないでしょう。

それは、ここに来ている留学生にも感じられるものです。

自分の国にお金がない人がいる。貧しい人がいる。それは、皆、知っています。じゃあ、どうするかというと、「お金をあげます」と言う。

日本人だったら、「違うだろう」です。まず、だれでも同じ教育を受けられるような仕組みを作らなければならないだろうし、お金がない人にお金をやるのではなくて、仕事を準備するべきだと思うでしょう。働く場がないからお金がないのです。

しかしながら、彼等とて、留学させられるだけの金を身内が用意できていたとしても、国へ帰れば、仕事はないと言います。だから、日本人的な理屈は成り立たないのです。

初めの頃は、「『お金がない人にはお金をあげます』。その心は、『だから私はいい人です』という得意顔」が、虫ずが走るほど嫌いで、若いのにどうしてそんな上から目線ができるのだと思っていました。けれども、彼等は、ずっとそのような社会にいて、少しも「問題を感じていない」のです。お金のない人に現金を渡すことのできる人、すなわちいい人とだれもが認める。その「常識」の上で、成り立っている社会。それは人の尊厳を傷つけるものだなどとは、毛ほども思っていない社会。

そして、日本に来てもそれを少しも疑っていない人達。疑えないのでしょう。高校を出てすぐに来ていなければ、変われないのだろうなと思うことがたびたびあります。

もちろん、日本にも問題は多々あります。けれども彼等の抱えている問題ほど根深くはない、こういう一点に於いては。なにせ、彼等自身がそれを問題としていないのですから。

日々是好日
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先週の金曜日、「鎌倉」へ行ってきました。「海」が一番楽しかったらしい…。

2018-06-13 07:35:06 | 日本語学校
曇り

さて、先週の金曜日に、皆で「鎌倉」へ行ってきたのですが、やはり一番楽しかったのは、「海」だったらしい。

戻ってきてからの、次の月曜日、「楽しかった。海で遊んだのが一番楽しかった」…とは、言っているものの、彼等の「楽しかった」は、せいぜい波打ち際でのジャンプのこと。

波がうち寄せるごとのジャンプなのでありました。ただ、当日は風がかなり強く、サーフィンをしている人がいつもよりも多く感じられました。わずかばかりあった草むらに座って皆を見ていた私の顔も、すぐに砂まみれになり、走っている彼等の顔も、髪の毛も砂でざらざらになっていました。

「泳いではだめか」と、何人かの学生が訊きに来ました。訊きに来たのはスリランカとバングラデシュの学生達で、ネパール人はどうも、泳ぐというところまで感覚が至らなかったらしい。

ただ遠くから見ていると、ベトナム人だけは別のグループを作ってしまっていたようで、ある程度の人数になってしまうと、すぐにこの傾向が出てしまうところが、ちと残念。すぐに、自国だけで固まってしまうのです。クラスではそうでもないのですが。

その点、今のスリランカの学生は、どこの国の人とでも一緒に楽しめるようです。学生のタイプが変わったのか、あるいは日本語力のなせるワザなのかは判りませんが。

往々にして、日本語力に欠けていると、群れをなしてしまうという傾向が出てしまいます。

特にスリランカの学生は、数年前まで、女子学生が朝早く起きて、皆の分の昼ご飯を作ってくる、持っているのも女子学生という状態が続いていました。ところが今回は、ちゃんとコンビニかどこかで買った昼ご飯を持って来ていました。だからでしょうね、一緒に食べている中に、いろいろな国の学生が混じっていて、固まっている様子は見られませんでした。

もちろん、仲良しの同国人だけで食べている人達もいましたが、皆が皆、そういう状態ではなかったところが、なぜか救いという感じ。

それから、帰りのこと。

「湘南江ノ島駅」から「大船」までの「モノレール」の旅も楽しめたようです。中には教員に、「落ちますか」と訊いた人もいたようで、「落ちたら困ります」「ふーん、そうか」くらいのものだったのでしょう。

この「モノレール」は覚えにくいらしく、「電車」とか「違う電車」と言ってしまうのです。…テストの問題に「モノレール」が出たらどうしょう。こういうときには大体「絵」がついているものなのですが、ヒアリングであったら、だめですね。そもそも、「電車」なるものがないという国もあり、「電車」だけで、類似のものを全て言い表してしまう傾向があるので、ちょっと大変です。月曜日にもそう言っていました。「あの、いつもと違う電車」と。

ただ、「楽しかった」は、いいけれど、「今度はどこへ行きますか」で、次に控えている「留学試験」のことも、「日本語能力試験」のことも、どこやらへ吹っ飛んでしまったらしい。

「その前に、試験があります」で、「はぁ~」。

苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。もっとも、若い彼等にとって、「苦」の多い「今」も、日本語がある程度できるようになると、「楽しみ」の方が増してくるようで、こうなって初めて、「日本語力」の有無、多寡によって「生活の質」が変わってくるのだというのが実感できるのでしょう。

何せ、日本にいるのですから。

日々是好日
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明日は、皆で「鎌倉」へ行ってきます。遅れそうな人達には、一人ずつ、ツン、ツンと突いておきました。大丈夫かな。

2018-06-07 18:31:59 | 日本語学校
曇り。

直に晴れるそうですが、まだまだ雲は厚そうです。

昨日は「芒種」で、「梅雨入り」し、いよいよ本格的な雨のシーズンが始まるそうです。それどころか、台風に発達しそうな熱帯低気圧が、また、この「雨前線」を刺激しそう。

近年は、以前にも増して、降れば大雨、降らねばカラッカラのお天気で、「豊葦原の、穏やかな風土」というのはどこへ行ったのやら…なんて思っている人は、とんでもない人。

昔から、この、いわゆる「瑞穂の国」は、「日照り」やら「大雨」やら、「地震」「津波」「陸上・海底の火山噴火」などで苦しんできました。

とはいえ、そういう大地の上での「生」というのに、「馴れきっている」と…なにせ、生まれた時からそういうものがどこかしらで起こっていましたから、そのままに受け入れる(…もちろん、悲しみや苦しみがあっても)という生き方にどこかしら馴染んでいるような気がします。

そういう自然が原因で他国へ行きたいという日本人は…聞いたことがありませんが(もしかしたら、いるのかもしれませんね)大半の人は、大地とはそんなものと、どこか諦め半分で受け入れているような気がします。

近い存在の人たちを、それが原因で失ったとしても、その人達が眠っているこの大地を見捨てて、この国を離れて遠くへ行ってしまうような気には、なかなかなれないのでしょう。

そういう気分というか、人気(じんき)というか、そういうものは、ある種の国民性とも言えるような気がします。

これを語っても、ある種の国の人達には、おそらくは判らない。大陸で彷徨うことが既に先祖からの習いみたいになっている国の人には、「生きられないのなら、どこか他の土地へ行けばいい」となるのでしょう。これは互いに理解し合うのは難しい。なんとなく判るように思われても、それをストンと「わかる」のは難しい。そういう人はすぐにどこか安住の地を見つけて出て行くでしょうし、どちらにしてもこの地を逃げ出してしまうことでしょう。

だから、この地をよくしようとは思わないでしょうし、こんな土地で生きるためにはどうすべきかという生き様も身につかない。

何事によらず、相互理解というのは難しいものです。この人達はこうするとか、この人達はこう感じ、こう思うくらいしか、互いに見えないのです。

さて、学校です。

昨日、今年日本の高校を受験したいと入ってきた台湾の学生と話をしました。最近、毎日学校に残って勉強をしていたのです。今は「N2」合格が目標です。

余りに「助詞」がめちゃくちゃなので、「(前に、他の学校で『みんなの日本語Ⅰ』を勉強していたと聞いていたので)勉強しなかったな」と言うと、顔を真っ赤にして怒るのです。「した。しました。でも、(この学校では宿題としていたのを)書くだけだった」

どうも、『みんなの日本語』のB問題を授業中にやるというのが、前の学校の、いわゆる「授業」だったらしい。

中国人には、あれは必要ありません。必要なのは、「話す」「聞く」分野の授業であって、「読む」「書く」は、基本的には宿題(教師がついていない場での)で十分なのです。

(前の学校では)中国人と他の国の人達とは、教室が別であって、(中国人クラスの)授業の時には、いわゆる「作業」をずっとしていた。…宿題もなかった。本人は、それなりに一生懸命に(言われたことを)していたのに、私にからかわれた、頗る付きの「心外」であったらしい。

とはいえ、彼女が既に彼の学校でもしていたという「問題集」の助詞の部を今ここでも、せねばならぬということになって、嫌がると思いきや、にこにこ顔でやるのです。そしてこの学校で(初級のクラスで)やっている、単語カードと動詞文の組み合わせを喜んでやるのです。

随分楽しそうです。少しずつ話せるようになったのがうれしいのかもしれません。それに
勉強に限らず、ある一つことを懸命になって勉強すると、自信がつくのかもしれません。表情もこの学校に来た時とは全く違ってきましたし、何より物怖じしなくなりました。

人は変われる。彼女の場合は勉強を通してですが、ここまで一生懸命にやっているとそれだけでも自信はつくのでしょう。

最近、明るくしてくれる話題に、少々事欠いていたので、彼女の存在は貴重です。

日々是好日
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「結果」が惨憺たるものであっても、「私は日本語が上手である」という意識は変わらない。平然としている。すごいなあ。

2018-06-06 08:37:27 | 日本語学校
時々雨。

今は止んでいます。家のドアを開けた時には止んでいたので、「よしっ」とばかりに…、自転車にしたのですが、最初の角を曲がる頃に、大きな雨粒がボツボツと…。慌てて傘をさし始めた歩行者があちこちに見られる中を、その中を弾丸のように…とは行きませんでしたが、大急ぎで漕いできました。

これで「アジサイ(紫陽花)」の花もやっと一息つけることでしょう。強い陽射しに煽られていると、声は聞こえないけれども、「ひぇ~」と言っているような気がしていましたもの。花というか、萼の部分に力がなくなって、ヘナヘナになっていたのです。

と言っているうちに、今度は少し薄日が射してきました。が、今日は一日中、雨の予報が出ています。またすぐパラパラと来るのでしょうね。

教室の中では、やっと「宇Aクラス」の学生達が締まりかけてきた…ような感じがします。そういう時期なのでしょう。「Bクラス」では、まだまだ、のんびり屋さんが多いようです。きっと、どうにかなると思っているのでしょうね。進学の話をした時だけ、キリッとした表情になるのですが、授業に戻ると、またフニャフニャになってしまう。これまで母国でも、こんな状態でも、それなりに、どうにかなっていたから…でしょう。点数という形で結果が出て、それで評価されるというのが、なかなかピンと来ないようです、いまだに。

結果が点数で、歴然とした形で出ていても、「私は(日本語が)わかっている。日本語ができる」と、彼等にしてみれば釈然としない思い…この結果に対して。だから、その、紙で出された結果は、どうでもいいことになってしまうのでしょう。

確かに、外国語の評価というのは難しい。

日本にいて、アルバイトもソコソコできていれば、大半の外国人留学生は、「自分は日本語が達者である」と思い込んでいます。こちらとしては「アルバイト先で困らなければ、それで終わりかよ」と言いたくなるのですが、確かにそういう人達にとっては、それで「終わり」なのです。決まり切った言葉を聞き、それに対して適当に洒落の一言でも飛ばせれば、これで上がりなのです。

「学校で勉強する七面倒くさい日本語(「N3」以降)は、実生活ではほとんど耳にしないから(勉強しても)無駄である」と、多分そういう思いの学生は…少なくない、いや、確かにいますね。

…日本語に限らず、彼等の言語に対する感覚というのも、そこまでのことで、適当に話したり、聞けたりすれば、それで「学習は終わり」なのです。外国に行った時に、お土産店の人達が見事な日本語で「安いよ」とか、「これ、買ってよ」とか言っていますよね。あのレベルでしかないのです。尤も、彼等は金を払って勉強しているわけではない。観光客に聞いて、その言葉を覚えているだけなのでしょう。それにひきかえ、学生達は、学ぶために金を払っているのです。だから、勉強しようという気にならないのが不思議。「元を取らねば」という気にならないのかしらん。そこが不思議。彼等にしてみれば、日本に来たのだから、既に元は取ったということになるのかもしれませんが。

「聞き取れない(だから勉強しなければ)」とか、「彼ら(日本人)が言っている言葉の意味は、もしかしたら自分が思っていた意味とは違うかもしれない」などと、疑ったり、悩んだりしないのです。

正確に聞き取れていなくても、自分の思っていた意味で押し通し(心の中で)、相手があきれて遠ざかっていったら、「それで良かった」と思うか、あるいは「彼等は私の言う意味がわからないんだ(困った人達だ)」と、自己を正当化するか…どちらかである人もいます。

適当に判ってしまうから、そうなってしまうのかもしれません。まあ、日本語に限らず、いくつもの言語を使えると言いはしても、おそらく皆、その程度のものなのでしょう。

「言語とは文化である。ある程度以上になりたいと思ったら、その国の文化を知らねばならない。知らずして、その言葉のレベルは上がり得ない」なんてことは面倒くさいのでしょうね。

とはいえ、「N3」レベルを過ぎ、「N2」レベルの学習に入っていくと、自ずからして、日本の文化や日本人の習慣・風習を知らねば、どうにもこうにも意味がとれないという部分も出てきます。そこには、「日本の」のみならず、日本人から子供のころから慣れ親しんだ(他国や他民族の)文化もごく自然に入っています。

本当に、言語の学習には「切り」というものがありません。「上がり」というものがあったら、楽なのでしょうけれどもね。まあ、どの分野のものも同じでしょうけれども。

日々是好日
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日本語学校で勉強する日本語は、あくまで基礎に過ぎないのです。

2018-06-04 12:25:11 | 日本語学校

晴れ。

きっと今日も暑くなるでしょうね。

「梅雨が来る、来る」と言われながら、まだ空は…青い。水曜日は雨になりそうですが、火曜日頃から曇りがちになり、水・木は本降り、そして金曜日も小雨がぱらつく…はずだった…。それが、いつの間にか予報では金曜日は晴れになっています。まあ、いいんですけれどもね。きっとどこかの「晴れ女」か「晴れ男」が、頑張ってくれたのでしょう。これで、鎌倉への荷物も減ります。

この辺りの「アジサイ(紫陽花)」は、ほぼ皆咲き揃っています。ああ、ここはピンクだったのか、ここは紫(青)だったのかと、あちこちに目をやり、その忙しいこと、忙しいこと。とはいえ、自転車ですから、あっという間に通り過ぎてしまいます。

昨年か、一昨年前か、雨が多いときがありました。ちょうどそのころが「アジサイ」の見頃で、雨が多いと、自然、歩く日が増えますから、じっくりと観賞することができました。

「セイヨウアジサイ(西洋紫陽花)」と言いますか、華やかになって逆輸入された「アジサイ」を植えているお宅も多く、色だけではなく、形も楽しめました。

普通は、「ヤマアジサイ(山紫陽花)」か、「ガクアジサイ(萼紫陽花)」。奥多摩辺りを散策しているときに、川沿いの木陰で見た「タマアジサイ(玉紫陽花)」というのもよかったですね。あれは花の香りだったのでしょうか、辺りの水の匂いだったのでしょうか、香りが立つとはこのことか…と思われるような涼やかなものでした。

さて、学校です。

大学進学を目指して欲しいような人達まで、専門学校と言い、焦っているように見えます。その上、落ちたら、大学なんぞと、よく判らないことを言っています(もちろん、日本語のレベルが低い人達は、のんびり構えています。少しも切迫感がないのです。例年のことですが)。

昨年度末のビザが取得できなかった学生達のことが、よほど応えているらしい。

特にベトナムの学生達。

昨年末、ビザが下りなかった学生。確かにアルバイトの時間がかなりオーバーしていたけれども、「N2」受験前は1ヶ月アルバイトを休み、勉強し、合格していた。出席率も95%を超えていたし、大学にもが合格していた…。それでも、ビザが下りなかった…。他の国の学生はここまでは頑張っていなかったけれども、それでも日本語は達者に話せ、アルバイトの面接に行けば、まず問題なく合格していた。

今年の学生達は、合格出来るものなら、少しでも早く合格しておきたい…のでしょうね。例年よりも、もっと早く騒ぎ出している…。

けれども、専門学校に合格出来ても、だめなものはだめなのです。専門学校がビザを出すわけではありませんから。

私たちは、よく勉強し、成績もそれなりにいい学生には、本人が専門学校へ行きたいと言っても、普通は大学を勧めています。行けば、楽しいことも多いし(1年目は、大変でしょうが)、何よりも周りが日本人ばかりですから、日本語が上手になります。ここのように外国人ばかりの学校で、それぞれの国のことで驚くことはあっても、日本のことは、あくまで教師の話の中のことでしかないというようなことはありません。

「アルバイト先で、いつも日本人と話している。日本人の友達がいる」なんぞ言っても、それは日常会話をしているにすぎぬことであって、小学生や中学生レベルの文章が読めるようになったわけではありませんし、彼等と直接に向き合って何事かをするということでもないでしょう。それゆえ、これまでは、日本人との間に、それほどの違和感は持たずに済んでいるのです。

ところが、大学へ行き、周りがほとんど日本人であるとなりますと、日本のルールがそのまま皆のルールになりますから、日本が直接に大挙してやって来たような感じになってしまうようです。矛盾点もどんどん出てくるでしょうし、嫌悪感が強まるかもしれません。

大学に行ってはじめて、ここが「日本だ。異国だ」と認識できるのかもしれません。

今年のベトナム人学生は、なぜか、「大学を…」と言いかけると、逃げる学生が多いのです。昨年とは大きな違いなのですが。

日々是好日

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誤りと判っていても、口から出てしまう…こともある。

2018-06-01 09:36:31 | 日本語学校
晴れ。

来週には、「梅雨」が始まりそうそうです。もちろん、今か今かと待っているわけではなく、「8日までは、来ないでくれ…」と思っているのです。多分、無理でしょうけれども。

8日は、皆で「鎌倉」へ行く予定なのです。

予定では、「鎌倉駅」から「若宮大路」を通って、「鶴岡八幡宮」へ行き、「江ノ電」に乗って、「高徳院」の「大仏」様のところで、昼食。それから、「アジサイ(紫陽花)」で有名な「長谷寺」へ行き、そのまま下って「由比ヶ浜」へと至る。帰りは、「江ノ電」で、「江ノ島駅」から「湘南江の島駅」へ行き、モノレールに乗り換え「大船駅」へ。そこから一路「東京駅」へ。「東京駅」からは「大手町駅」まで徒歩、そして「東西線」で、ここ「行徳」に戻る。

雨の中に佇む「アジサイ」の花を見るのはいいけれども、「由比ヶ浜」ではね。さすがに困ります。山のない国から来た人達が、束の間、海の波と戯るれることができるのはこの時だけ。「由比ヶ浜」へ至ったとき、雨が降っていると、海の中へザブザブと入っていくのは、ちょっとためらわれるでしょう。

以前、内モンゴルの人達が、なかなか海から上がって来なかった時のように、波が押し寄せるたびに、ジャンプして喜ぶなんてこともできないでしょう。

来週は、水・木と雨が降りそうですから、金曜日のことが心配になります。

そうこうしているうちに、この辺りでも、「ホタルブクロ(蛍袋)」や、「シャガ(著莪)」の花が姿を消し、夏の花(盆過ぎというのが私の思い込みなのですけれども)、「カンナ」が大きな花を咲かせています。まあ、「タチアオイ(立葵)」は、まだのようですが(実はこの辺り…私の行動半径は知れているので、どの辺にどのような花が咲くかは、何となく判っているのです。で、そのころになると目でそれを探してしまう…)。

さて、学校です。

スリランカの学生のこと。どうも「先生、これが欲しいですか(「こうする必要がありますか」と言うべきなのですが)」という言い方が抜けきらない。「それは誤りです。云々」と、説明を繰り返しているうちに、使わなくなる人も出てくるのですが、1ヶ月ほどもすると、また使っている…それに気づくとまた注意する(の、繰り返し)。

よく使ってしまうので、判っていないかというと、そうでもない。意味はわかっているし、使うべきではないということも判っている。でも、気がつくと口をついて…出てしまう。こういうのを、しっかりと改めるのは、なかなか難しいようです。

それに、「~てあげる」「~てもらう」「~てくれる」も、ややもすると、使い方が曖昧になってしまう。『初級』で教えたときにはそれなりに入っていた(その時は)…、でも、日常生活で使う機会が少ないからか、使うべきでないときに「~てあげます」なんて言ってしまう。これは相手の心証を害しますから、却って使わない方がいいときの方が多くなってしまう…。

ネパールの学生は、「~してもらいたいです」くらいの意味のところを、「~てもいいです」と言ってしまう。相手には、上から目線のように感じられてしまうのです。これも、日本人の中にいると、不利に働いてしまいます。

文法的には誤りでなくても、言われた方の気持ちを考えると、見過ごすわけにはいきません。こういうところが、国ごとに出てくるのです。これは国民性とは違うところで出てきます。母語の言い回しの影響であったり、あるいは習慣であったりするのですが、こういうのは変えるのが本当に難しい。

私も、中国にいるとき、つい「ごめんなさい」とか、「済みません」を使ってしまうのです。すると友達からは「見外」という言葉で、非難ではないけれどもからかわれてしまう。最後には、友達同士ですから、しょうがないみたいな感じで「認めて」もらっていたのですが、そうではない場合、使わないようにしようとすると、こちらが非常に疲れてしまう。

これが、年若くして、中国に行ってしまうと、すぐに影響されて、今度は日本社会に馴染めなくなってしまう。

どちらにも適応できるというのはなかなか難しいことなのです。

学生達も、この学校を出た後、進学して、大学に行けば、後四年、専門学校であっても、後二年か三年は日本にいることになる。その上、ほとんどの学生は日本での就職を望んでいますから、まだまだ日本にいることになる。

日本の社会というか、日本の会社社会でそつなく生きていくためには、特にこの文末の表現というのは大切になります。

面倒がられても、しつこいと思われても、言い続けていかなければならないことなのでしょう。何事でもそうでしょうが、教える立場のものは、嫌われることを恐れていては何も出来ません。「嫌がるなら嫌がって見ろ、嫌うなら嫌って見ろ」くらいの肚づもりが肝要になってくるのです。教師という職業は、いわゆる、だれからも好かれたいという「いい人」には、きつい仕事なのかも知れません。

日々是好日
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