晴れ。
快晴です。風もない。とはいえ、のんびりしていたら、また十字路で転びそうになってしまいました。角っこに近いところにいて、前に「鉄の棒」が立っていたのです。「これは用心しなければ危ないかも」なんて思っていたら、案の定、うまく行きませんでした。
「おっとっとっと」と、どうにか体勢を立て直したつもり…だったのですが、今度は道の真ん中で、また転びそうになってしまいました。近くにいた人が動けなくなっている…(固まっていた。転ぶと思ったのでしょうね。だいたい道は坂になっている)し、信号で止まっているドライバーもじっと見ている…多分、待っている人は何もすることがありませんから。で、もう(自転車に)乗るのを諦めて、降りようとしたら、短い足が引っかかってしまって降りられない。ドタバタしてしまいました。信号が変わっても誰も動かなかったので、やはりドライバーは「危ねええ」と見ていたのでしょうね。下手をすると加害者になってしまうかもしれないし。
どうにか降りられはしたものの、結局、次の角まで歩いてしましました。そろそろ自転車も無理になるかもしれません。とはいえ、このコロナ禍の中、膝の手術くらいで病院の手を煩わすのも気が引ける。
さて、学校です。
それぞれが受験の準備にまっしぐらだった三人も、二人は終わり、一人は今日で終わりになる。ということで、中心は来年の高校受験を目指している一人と、自分も数学をやりたいという一人、この二人に移ります。
中心といいましても、これは補講の中心ということですが。
昨日は、例の食塩水の問題です。これが難しい。ということで、「さて、3%の食塩水、1000㌘は」と、水槽の絵を描いて、下に食塩、上は水とします。「食塩は何㌘入っている?」どうも質問の意味がつかめなかったようですが、最後にはどうにか答えが出ました。ます、大切なのは、この式です。
1000×百分の3=30 どれが食塩水で、どれが%で、どれが塩か水(水の量も出てきますから)かを、下に書いておきます。
ここに戻れば、他の問題も自然と解けていきます。求めるものが食塩であったり、%であったりするだけのことですから。
すると、一人が、
「じゅあ、消費税は?」と聞いてきました。
「今、消費税があるでしょ。消費税がかかって、いくらでしょ。消費税の分はどうやったらわかるの?」
すごい。さすがです。食塩水から消費税にいったか。感動してしまいました。そのまま応用できます。原価、定価、売値というのは、先日の問題でやりました。確かに食塩水なんて言ったって、至って空虚な問いですからね、彼らにとって。消費税で、ぐっと身近なものになります。
ちょっと退屈そうだったもう一人も、俄然活気づいて、身を乗り出してきました。
「式は同じ。こうやって入れていけば、消費税としてかかっていた分がわかる」
二人は目がうれしそうに「わかった。そうだったのか」
日本人は「距離と時間」とか「リンゴとミカン」、「食塩水」というのは、ちょっと懐かしい数学というか、算数の問題です。だから、なんか馴染みがあるので、大人であっても別に気になりません。聞くと、「ああ、あれか」くらいのもの。
しかし、こういう問いに出会ったことのない人たちにとっては、「なんで食塩水なんだ」ですよね。「距離と時間」の時も、「スマホでわかるのに」と言われたし、ちょっと大きめの数の割り算をさせようとすると、すぐにスマホでやろうとする。そういえば、ベトナムもそうだったなと思いながらも、「自分で計算しろ」と仕舞わせたのですが、確かに計算も大きな数は苦手。
スリランカの学生の時も思ったのですが、早くから専門を分けてしまうということの弊害を感じてしまいます。高校までは基本的なものは皆に教えておいた方がいい。高校を出ているのに、なんでここ(日本語学校)で、小数点のついた数や簡単な分数のかけ算割り算、足し算引き算(通分が苦手のようです)を教えなければならないのか。その上、マイナスがつくと、途端に混乱してしまう。と、思ったものだったのですが、旧植民地におけるイギリス式は貴族社会の名残なのかしらん。
日本の場合、数学が苦手であっても、習ったことは習った。つまり、見ているし、聞いてもいる。これは大きいと思います。習い直せば、「ああ、こうだったのか」ということもあるでしょうし、大人になって教科書を見ながらやり直せば、勝手に合点がいく場合だってあるでしょう。やったこともない、見たこともないというのとは、全く違います。
というわけで、昨日は消費税のことがわかって、「やり甲斐」「習い甲斐」があったように思います。文章題に入って、ちょっとわからなくなっていたのですよね、この二人。馴染みのない問題でしたから。
日々是好日
快晴です。風もない。とはいえ、のんびりしていたら、また十字路で転びそうになってしまいました。角っこに近いところにいて、前に「鉄の棒」が立っていたのです。「これは用心しなければ危ないかも」なんて思っていたら、案の定、うまく行きませんでした。
「おっとっとっと」と、どうにか体勢を立て直したつもり…だったのですが、今度は道の真ん中で、また転びそうになってしまいました。近くにいた人が動けなくなっている…(固まっていた。転ぶと思ったのでしょうね。だいたい道は坂になっている)し、信号で止まっているドライバーもじっと見ている…多分、待っている人は何もすることがありませんから。で、もう(自転車に)乗るのを諦めて、降りようとしたら、短い足が引っかかってしまって降りられない。ドタバタしてしまいました。信号が変わっても誰も動かなかったので、やはりドライバーは「危ねええ」と見ていたのでしょうね。下手をすると加害者になってしまうかもしれないし。
どうにか降りられはしたものの、結局、次の角まで歩いてしましました。そろそろ自転車も無理になるかもしれません。とはいえ、このコロナ禍の中、膝の手術くらいで病院の手を煩わすのも気が引ける。
さて、学校です。
それぞれが受験の準備にまっしぐらだった三人も、二人は終わり、一人は今日で終わりになる。ということで、中心は来年の高校受験を目指している一人と、自分も数学をやりたいという一人、この二人に移ります。
中心といいましても、これは補講の中心ということですが。
昨日は、例の食塩水の問題です。これが難しい。ということで、「さて、3%の食塩水、1000㌘は」と、水槽の絵を描いて、下に食塩、上は水とします。「食塩は何㌘入っている?」どうも質問の意味がつかめなかったようですが、最後にはどうにか答えが出ました。ます、大切なのは、この式です。
1000×百分の3=30 どれが食塩水で、どれが%で、どれが塩か水(水の量も出てきますから)かを、下に書いておきます。
ここに戻れば、他の問題も自然と解けていきます。求めるものが食塩であったり、%であったりするだけのことですから。
すると、一人が、
「じゅあ、消費税は?」と聞いてきました。
「今、消費税があるでしょ。消費税がかかって、いくらでしょ。消費税の分はどうやったらわかるの?」
すごい。さすがです。食塩水から消費税にいったか。感動してしまいました。そのまま応用できます。原価、定価、売値というのは、先日の問題でやりました。確かに食塩水なんて言ったって、至って空虚な問いですからね、彼らにとって。消費税で、ぐっと身近なものになります。
ちょっと退屈そうだったもう一人も、俄然活気づいて、身を乗り出してきました。
「式は同じ。こうやって入れていけば、消費税としてかかっていた分がわかる」
二人は目がうれしそうに「わかった。そうだったのか」
日本人は「距離と時間」とか「リンゴとミカン」、「食塩水」というのは、ちょっと懐かしい数学というか、算数の問題です。だから、なんか馴染みがあるので、大人であっても別に気になりません。聞くと、「ああ、あれか」くらいのもの。
しかし、こういう問いに出会ったことのない人たちにとっては、「なんで食塩水なんだ」ですよね。「距離と時間」の時も、「スマホでわかるのに」と言われたし、ちょっと大きめの数の割り算をさせようとすると、すぐにスマホでやろうとする。そういえば、ベトナムもそうだったなと思いながらも、「自分で計算しろ」と仕舞わせたのですが、確かに計算も大きな数は苦手。
スリランカの学生の時も思ったのですが、早くから専門を分けてしまうということの弊害を感じてしまいます。高校までは基本的なものは皆に教えておいた方がいい。高校を出ているのに、なんでここ(日本語学校)で、小数点のついた数や簡単な分数のかけ算割り算、足し算引き算(通分が苦手のようです)を教えなければならないのか。その上、マイナスがつくと、途端に混乱してしまう。と、思ったものだったのですが、旧植民地におけるイギリス式は貴族社会の名残なのかしらん。
日本の場合、数学が苦手であっても、習ったことは習った。つまり、見ているし、聞いてもいる。これは大きいと思います。習い直せば、「ああ、こうだったのか」ということもあるでしょうし、大人になって教科書を見ながらやり直せば、勝手に合点がいく場合だってあるでしょう。やったこともない、見たこともないというのとは、全く違います。
というわけで、昨日は消費税のことがわかって、「やり甲斐」「習い甲斐」があったように思います。文章題に入って、ちょっとわからなくなっていたのですよね、この二人。馴染みのない問題でしたから。
日々是好日