日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「ニュース」のこと。

2020-06-22 08:09:44 | 日本語学校
雨。

さっきまで我慢してくれていたのに、耐えきれなくなったのでしょう、パラパラと雨を降らせ始めました。降り始めると、途端に「梅雨」時の雨になってしまいます。空気がしっとりと雨を含み、匂いまで、雨一色です。この時の雨の匂いは、「アジサイ(紫陽花)」の匂い…「アジサイ」の花の匂いが雨を伝わって漂ってくるのか、それとも、目にするのが色とりどりの「アジサイ」の花と、大きな葉に打ち付ける雨音だからか、それはわかりませんけれども。

しかしながら、もう「アジサイ」も終わりでしょうね。

昨日、地域の公園の美化活動に参加しましたら、公園の低い垣根のあちこちから「クチナシ(梔子)」の花が白い顔を覗かせていました。もう「クチナシ」の季節です。そう言えば「ホタルブクロ(蛍袋)」はまだかしらん。毎年、同じ花を同じところに探してしまいます。それを見つけることが、私にとっての「季節」なのでしょう。公園の「クチナシ」は誰かがそっと植えたのでしょうし、「ホタルブクロ」は野の花、こういうのがいい。

さて、学校です。

6月に入ってから、「二年生クラス」で「世界のニュース」を週一で始めています。今の学生の大半は真面目に見ているようで、少し助かっています。わずか30分ほどですし、こちらも口喧しいことは言わずに、せいぜい最初に地図で国の位置を確認させるから見せているのですが、「Aクラス」にいる在日の方から、「日本のニュースは面白いですね」と言われてしまいました。

これは、どこが面白いというよりも、相手に理解させるように話しているから…なのでしょうし、できるだけ、子供に偏見を持たせぬように偏りなくするというのも、「こどもニュース」の特徴なので、それも関係しているのでしょう。もちろん、人のやることですから、偏りはどんなに注意しても生じてしまうことはあるでしょう。けれども、意図的にそれをやるか、それとも注意しても生じてしまっているのかの差は大きいのです。

それに、人に、ある主義・主張を強制的に注ぎ込もうというわけではありませんから、安心してみていられるのでしょう。もっとも、そういう国から来ている人にとっては、叫びたくなるほど偏って感じられるのかもしれませんが。

先日、テレビを見ていましたら、あるアメリカ人の発言でしたが、こんなのがありました。
「私達には財産を相続する権利がある。父祖が危険を冒して海を渡り、戦って手に入れたものだから」もちろん、同席していた人の多くから、「まだ、あなたのような考え方をする人がいるなんて」と反論されていましたが。

歴史が、たとえ100年ほどのものであろうと、歴史がある国には、必ずと言っていいほど血生臭い何かがつきまとっています。こういうのは、洗っても洗っても洗い流せるものではありません。ただ、人間である以上、どこかで、歴史のどこかで、どの国も、同じようなことをしてきているのです。

学生達が、日本で、自国の価値観とは違うものを見て、少しでも、「あれっ」と思うことがあればと思います。それが自国のものを見直すきっかけにもなるでしょう。

グローバル化というのは、少なくとも、こういう点ではいいものです。

日々是好日
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「梅雨」が急にやって来たような感じです。

2020-06-19 08:55:46 | 日本語学校
雨。

いかにも「梅雨」といった雨が降り続いています。明け方には、「これはしまった。自転車でも行けたかもしれないな」と思われたくらいの降りの時もありましたが、今は、もうそういう了見などどこかへ吹っ飛んで…います。というわけで、重い足を引きずって、テクテクとやってきました。着くと、ヤレヤレです。

「梅雨」と言えば、中国西部から来ていた友人が、来日後、一番嫌だったことに「梅雨時のジメジメムシムシ」を上げていましたっけ。本当に、耐え難いほど嫌だったのでしょうねえ。

もちろん、この季節に馴れた私達であっても、これが、いわゆる蛞蝓が這い回っているような程度(の湿度)であれば、「不快」と感じます。けれども、ここまでおおごとでなくとも、この友人の場合、嫌だったようです。私にとって、「これは、まだ『しっとり』だ」と、思われる程度であっても、「ジメジメ、ジメジメ、ジメジメ…」という風に感じられ、嫌だったようです。

それを、私は、「向こうは『カラッカラ』だからだな」と勝手に解釈していました。しかし、後で、「川もある。川沿いには樹もある」と否定され、言葉の上では、同じように「カラッカラ」であっても、体感としては、かなり違っていたのでしょうね。

人間誰しも、自分の生まれ育った土地が基準ですから、どこへ行こうとそこを基準にして感じ、また、考えるにしても、やはりそこが基準になる…ものなのでしょう。それと違えば、人によって感じ方に幅があるにせよ、時には不快感となる場合もある…。

この友人にとっては、向こうの乾燥した空気が慣れ親しんだもので、彼にとっては一番心地よいものだったのでしょう。

春から夏にかけての、雨にうたれる毎に、新緑の木々は緑を濃くしていく…。そして〆として「梅雨」がある。「梅雨」が終われば、もう完全に夏です(体感でですが)。そのための、ジメジメであり、ムシムシなのです。なんてことはない…と、私は思う。

体に染みこんだ、この感覚というのは、なかなか変わらないというか、変われないものなのでしょう。

もっとも、この友人が、日本の梅雨時に示した、どうにも耐えられない「不快感」というものを、私も香港で味わったことがありました。「ジメジメ、ムシムシ」には馴れているはずであったのに、香港の「ジメジメ、ムシムシ」には参ってしまったのです。…冷房の効いた部屋から出たくない…。

最近の学生は、大半が、ベトナム、ネパール、スリランカから来ていますから、だいたい湿度からすれば、日本の関東と同じようなもの(冬がなかったりはしても)でしょうか。中国北部や西部の人と接しているつもりで、「(この時期の)湿度には参るでしょう」と言っても、「はい」と返事はしますが、少しも応えていない風です。この「はい」は、考えてみれば、「お愛想」ですね。

もとより、皆、自国の気候の方が日本よりずっといいと思っていますから、違えば、多少不快を感じることはあるでしょうが、勉強に、アルバイトにと忙しい毎日で会ってみれば、そんなことを感じる暇がないというのが実情でしょうか。

日々是好日
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久しぶりのブログです。みんな、元気に学校に来ています。

2020-06-17 08:41:21 | 日本語学校
晴れ。

快晴です。湿度が53%くらいらしく、「梅雨」期にしては、かなりの低さ。いつもの、白っぽい水色ではないのです、空が。かといって、高山や砂漠地帯で見られるような、底の抜けたような青でもない。…でも、これで十分です。もっとも、今日で、「はい、さようなら」みたいですけれども。

さて、学校は、相変わらず、「学校でいます」。「コロナ禍」の中でも、隔日で、学生達は来ていました。そして、4月の新学期からは、予定通り、毎日、授業は続いています(ただ、在日の学生さんで、「保育園が休みだから来られない」という方はいますが)。

もっとも、今年、4月生は来日できていませんし(一クラス分の人数がいない)、二年生の数だって、ネパールの学生が皆だめだったので、前の年の半分くらいでしょうね。教室は席と席との距離をとっても十分あります。(なにせ、小さい学校ですから、一クラスの人数が多くない)。

「日本留学試験」も「日本語能力試験」も中止になったとは言え、学力が落ちては、次ぎに備えることができません。11月と12月の試験も、中止になるとは限りませんし。それに、専門学校や大学の入試がどのような形になるか判らないので、手を抜くことができないのです。

大學を目指している学生にとっては、この「6月の留学試験」が中止になったのが痛かった。「総合問題」で、一応の点数が採れるくらいの知識は必要なので、過去問を分野毎に勉強していたのですが、「結果はともかく、受けたかった」。それはそうでしょうね。一回で成功するとは限りませんから。というわけで、中国人学生は午前のクラスが終わってからも、居残りの勉強は続けています。(4月までは、同じクラスで、高校入学を控えた学生がいたのですが、今はいません。もっとも、在日の学生が、よく来るので、寂しくはないでしょう。居残りで頑張る人が、二人か四人はいますから。もちろん、「総合問題」を勉強しているのは彼だけです。)

この、学生達だけではないのですが、つまり、中国人だけではないのですが、こうやって「総合問題」の勉強を一緒にやっていると、いろいろな事に、「へっ?」と思わされることがあります。特に「歴史」分野で。

これは、主に共産圏の国から来た人になるのですが。…高校を卒業してから来ている人が多いので、おそらく国では、他の大部分の人たちも、彼等と同じくらいの知識であろうと推察されるのですが。

「えっ?ベトナムは中国と戦争したことがあるの?」。
これは何百年も昔のことではありません。アメリカとの戦争が終わってからのこと。こう言って驚いたベトナム人も、中国人もいました。だから、仲良くできるのでしょうね。国で、そういう教育はしてないのでしょう。これも国策でしょうかしらん。

それから、
「えっ?中国って、こんなに小さかったの?」。
歴史の地図を見て、そうため息をついた中国人の中学生がいました。かつての領土というのを、見たことがなかったようですね。そう、「後金」といわれた女真族が、「明」という「中国」に攻め込み、「中国」を植民地にして「清」王朝を建てた。この女真族が、チベットも内外モンゴルも東トルキスタンも青海も支配し、自らの一部とした。もっとも緩い統治だったみたいだけれども。だから、中国人は、「反清復明」運動をして、独立したかったのでしょう、当時。もちろん、かつては「元」と名を付けた「モンゴル族」の王朝もありました。これも、中国に攻め込み、彼等から見れば、「植民地」にした。

だから、それぞれの地域が独立したいというのも、歴史的に見れば、理由があるのです。

国が豊かになると、それぞれの独自性を求めたくなるのは人としての常なのかもしれません。イギリスにおける「スコットランド独立運動」もそうでしょうし、スペインにおける「カタルーニャ州独立運動」というのもそうなのでしょう。

「自分たちだけでもどうにかできる」とか、あるいは、「自分たちの税金がどこかへ持って行かれ不平等だ」とか、あるいは「同国内で蔑視された」とか、理由はいくつもあるのでしょうが、結局は同一体になりきれないものを人というのは持っているのでしょう。

また、その反対に、緩い統一、例えば、「EU」のようなものも出てくるのでしょう。一方向だけに流れるはずはありませんもの。世の潮流が右に流れ過ぎれば、かならず反動が起きてきます。それが左であっても同じこと。大きい政府を主張する人が増え、それが実現してみれば、問題も生じてくるわけで、その時に揺れ戻しが起きるのも当然のこと。

ただ、そうやって、だんだんにその揺れ幅が狭くなり、人の心も落ち着いてこられれば、それでいいのでしょうけれども。

人というのはチンパンジーやサルたちに近いとか。そうしてみれば、どうしても同族で殺し合うようにできているということになってきます。

口だけで戦うとか、スポーツやゲームで戦うというのが一番いいのでしょうけれども。

もう学生達が来るようです。みんなが毎日学校に来て、無事な顔を見せてくれるのが、一番うれしい。今は「できる」とか、「できない」とか、あまり言えません。

日々是好日

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