日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「雨の日の課外活動」

2012-04-27 08:35:40 | 日本語の授業
 雨が降っています。「『課外活動』の日は必ず晴れる」というのは、昨年度で終わり…、本当に終わりになってしまったようです。

 今年度になっても、4月初めの「花見」では、ギリギリセーフで(空が)持ちこたえてくれましたから、どこかしら僥倖を期待していなかったわけではなかったのですが。

 とはいえ、雨の日の街は本当に美しい。新緑が柔らかな雨に濡れて、光っています。特にゴールデンウィークを前にした、「サツキ(杜鵑花)」や「ツツジ(躑躅)」の類は美しい。「旬」とはこういうことをいうのかもしれません。

 緑の小振りな歯を従えて伸びた枝が、ちょうどロウソクを支える燭台のようで、そしてそこから可憐に覗いている蕾はロウソクに灯った灯のようで、人生で一番いい時期を迎えようとしている少年少女のようにも感じられます。

 さて、今日は「課外活動」の日です。

 課外活動で「上野動物園」へ行く予定でしたが、雨の降り具合を見ながらどうすべきか考えなければなりませんが、この分ですと、計画変更で上野の「科学博物館」の方になりそうです。

 昨日、その旨を「Aクラス」や「Bクラス」で言ったところ、「Aクラス」の方では、「博物館」の方がいいと言う意見が多く、また「Bクラス」の方でも、男子学生の中に、「恐竜」と聞いた途端、大きな反応を見せる者がいて、「そっちの方がいい(多分、他の学生は「科学博物館とは何を陳列してあるのか、あるいはどんなことが体験できるのか」が判らなくて、反応のしようがなかったのでしょうが)」。

 「上野恩賜公園」の中には、「上野動物園」や「国立科学博物館」の他にも、「東京国立博物館」や「国立西洋美術館」など、その他、幾つかの建物が入っています。

 以前、学生たちを連れて「東京国立博物館」に行ったところ、どうもその時の学生たちには(「東京国立博物館」が)合わなかったらしく、連れて行ったものの、中で、「動物園」の方に行きたかった…という学生が何人も出て、ちょっと困りました。「博物館」の帰りに自分たちで「動物園」の方に回った学生たちもいたくらいでしたし。

 何せ、小さい学校ですから、このクラスはこっち、あのクラスはあっちと、分けて連れて行くわけにはいきません。それで時々このようなことが起こったりするのですが。

 彼らにしても、自分たちの国では、首都に住んでいなくて、大きな博物館に行ったことがなかったり、あるいは首都に住んでいても行ったことがあるにしても、あまり教育的な見地からこういう博物館が作られていなかったりして、結局、(博物館の)利用の仕方、見方がわからないという学生も結構いるのです。

 私たちにしても、博物館の守備範囲はあまりに広く、事前指導で何かを入れると言うわけにはいきません。一番いいのは、やはり行って見てみることなのです。

 例えば歴史に関心があるというので、歴史博物館などに連れて行っても、日本の歴史についての素地がなければ、「おもしろくない」で、終わってしまうことだってあるのですもの。

 「何にでも関心を持つ」までには至らなくとも、「いろいろなことに、興味を持ち、そして楽しむ」ことができれば、一番いいのですが。

 そうは言いましても、学校の勉強、アルバイトでかなり疲れている学生たち。いろいろな意味で、今日一日が、彼らの骨休めになり、気分転換になれたらいいと思うのです。そして、連休を無事に過ごし、また明るい顔で学校に来てくれたらいいと、教員一同、そう願っています。

 ところで、連休中、ブログはお休みします。学生たちがやって来る7日まで私も休ませていただきます。
 では、連休を楽しくお過ごし下さい。

日々是好日
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「『授業中、私語が多い』ということ。『カンニングをしてはいけない』ということ」。

2012-04-26 09:38:04 | 日本語の授業
 曇り。陽まで射してきて、どっきり。

 実は、明日、課外活動で「上野動物園」へ行く予定なのです。

 昨年度はなぜか、課外活動は、すっきりとした「晴れマーク」が続きました(その前は、雨あり、風ありの時も少なくなかったのですが)。ところが、どうも「晴れマーク」をもたらしてくれた人たちが卒業したと見えます。

 4月27日が近づくにつれ、「雨マーク」が濃厚になってきたのです。最初は、「ちょっと夕方から雨かな」だったのが、「朝から雨…、何時頃上がるのかな…。下手をすると、学生たちがいる間は雨で、解散になってから(彼らがアルバイトなどへ行くために戻ってから)止むことになるのかしらん…」にまでなってきているのです。

 そんなわけで、「今日は、いっぱい雨に降ってもらって、一滴も残らないくらい降ってもらって、明日に残さないでもらいたい」なんて、勝手なことを考えていたのですが…。お天道様は、そんな勝手をお許しにならないようです。

 もちろん、程度にもよるのですが、重い雨が降るほどであれば、楽しみも半減しますので(一人で行くなら、雨の日の動物園も捨てがたい)、その時は同じく上野にある、「国立科学博物館」へ行くことを考えているのですが、ただ、これはこれなりに、ちょっと心配があるのです。

 既に「中級」に入っている「クラス」以上(「A・Bクラス」)は問題はありません。が、これがまだ「初級」程度のクラスには、まだ日本の集団生活に慣れていない、つまり日本の社会生活に馴染んでいない人が数人いるのです。この人達が博物館で、つい羽を伸ばしたりしはしないかと、ちょっと心配になっているのです。

 おそらくどこの国であれ、病院や図書館では騒いではいけないでしょう。そしてまた、美術館や博物館でもそうでしょう。

 授業中でさえ、時々、彼らの私語が気になる時があります。まあ、初めのころに比べれば、随分マシになりましたけれども。最初のころは、「もう大人なのに、(授業中)人(教師)の話を黙って聞くことができない(全く授業と関係のない話を、大声でする)なんて、いったいどういう教育を受けてきたのか」と頭に来たりしていましたが、慣れというものは恐ろしいものです。私の方でも、かなり、この面では、ズボラになってしまいました。

 もちろん、時には、私語が(私が黙っていられないほど)うるさく感じられ、(他の学生の邪魔になりますから)叱責しなければならないくらいの時もあるのです。それで、彼らが、こういう博物館で静かに観察したりできるかどうか、少々疑わしいのです。

 ただ、授業中、少しずつではありますが、以前に比べれば、随分小さな声で話せるようには、なっています。けれども、それが、一人二人ではなく、もう少し増えてしまうと、またそれがさざ波のように十人くらいの同国人の中で拡がっていきますと、「いい加減にしろ」とでも、言いたくなってしまうくらいなのです(実際には言いますが)。

 小さな声で、一人二人が話すくらいであるのなら、こちらもそれほど目くじら立てるほどのことはないと平然としていられるのですが、これが五人六人となりますと、もう授業が騒音の中で運ばれていくような感じになっていきます。

 一度、彼らの国の中高校へ行ってみたいですね。いったいどんな教室で、どんな授業を受けてきたのかを知りたくなります。こういうのは習慣ですから、(母国の)中学校や高校できちんと授業を受けることができていた学生は、他の国へ行っても同じようにできるはずですし、ガヤガヤと教師の話をそっちのけにして騒いでいた、またそうすることが許されていた人たちは、今さらそれを変えろと言われても、一朝一夕には変えるなんてことはできっこありません。

 好きな道ならいざ知らず、大半の学生にとって、「日本語を学ぶ」というのは、日本にいるための一つの方便にすぎないのですから。

 以前、スリランカの学生が多かった時に、スリランカの中高学校へ行って、「なるほど」と、この日本語学校の学生たちの習慣の一部がわかったような気がしたことがあります。

 教室と言いましても、それは長い講堂か廊下といったようなもので、クラスとクラスの間には、全く仕切りというものがありません。そこに幾つかのクラスが入っていて、どこからどこまでがこのクラスで、どこからが隣のクラスなのか、椅子の向き、子ども達の見ている方向を確かめなければ、全くわかりませんでした。

 子ども達はギュウギュウに詰められて座っているように見えましたが、彼らとしてはあれくらいの(人間)距離がちょうどいいのかもしれません。皆の視線の向く方向には黒板があり、教師が立っています。教師を見ている子どももいれば、他のクラスの子を見ている子どももいます。隣に座っている他のクラス(であろうと思われました)の子と遊んでいる子どももいれば、身振り手振りよろしくおしゃべりに明け暮れている子どももいました。

 これでは、日本流のクラス経営なんてことはあまり考えられていないだろうなという気はしましたが、(日本にいるスリランカ人学生が)日本的な空間とは違う空間、人と人との距離の中で育ってきたのだということは判りました。

 それから、スリランカ人学生に対している時も、何となく手心を加えるようになったような気がします。カンニングをしても、「ああいう(スリランカの)教室であったら、カンニングが簡単に出来たであろうから、(答えが)判らなければしてきただろうな」とか、「テストの時、答えを聞いたり、聞かれたりするのは、多分彼らの世界では助け合いとこそ言え、不正な行為とは言わないのだろうな」とか、そんなことでしかないのですが、心の余裕というのは大きいのです。

ベトナム人学生も、恐ろしくなるほどカンニングをします。おそらく彼らはこういう呼び方はしていないのでしょうけれども。(テストの時)聞くのも教えるのも、当然の行為であると思っているとしか思えないのです。日本人のいわゆる「カンニング」に込められた「悪いことをしている」という響きは彼らには通じません。

 あの国で短大を出ているわけですから、決してレベルが低い人たちというわけではないのでしょうが、これは判らないようですね。彼らと話していると、「カンニングをしてはいけない」と言う私の方が、「間違ったことを言っている」かのような気分になってきますから、これはこれで恐ろしいことなのですが。

日々是好日
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「昨日、アルバイトがあったかなかったかが、直ぐに判る教室」。

2012-04-25 12:02:31 | 日本語の授業
 時折、かすかな陽が漏れてくるほどの、お天気です。西の方では、かなり(お天気が)崩れているようですから、明日はこちらでも荒れるかもしれません。とはいえ、朝の気温は、もう15度ほど。このまま静かに初夏へと移っていくのでしょうか。まあ、そんなことはないでしょうが。

 さて、学校です。
 「1月生」と「4月生」の「混合クラス」では、教壇に立つだけで、前日、誰がアルバイトをしたのか、しなかったのかが、はっきり判ってしまいます。前日、アルバイトがあったと、顔に書いてあるのです(それは冗談ですが)。上のクラスの学生たちは、来日後半年か一年は経っていますので、ある程度(アルバイトの辛さに)慣れているのですが、「初級」の学生たちはまだそうはいきません。

 「上のクラス」の学生たちから見れば、そんなこと大したことじゃないというようなことでも、(アルバイトを始めたばかりの学生たちは)疲れ果て、教室に入って、椅子に腰かけているうちに、ああいい心持ちだと、大きな声でのリピートまで適度な子守歌に聞こえてしまうのでしょう。

 「上のクラス」の学生たちは、アルバイトを始めた頃の、山場(慣れぬことにより、学校へ来ても疲れており、睡魔との闘いをしているという)は、もう過ぎています。彼らからすれば、「来た道」であって、萎びた菜っ葉のようになっている下のクラスの学生たちの気持ちがよくわかるのでしょう。手伝えるところは手伝ってくれているようですから。

 もちろん、これは、アルバイトに慣れたというより、「今の」アルバイトに慣れたということなのです。またアルバイトを変われば、一から出直しと言ってもよく、工場での作業から、レストランやコンビニで働くようになれば、また「今度の」アルバイトに慣れないことによる「疲れ」はやって来ます。けれども、まだ若いということは強い。二度三度ともなれば、回復も早く、それだけ日本の社会の様子(片鱗なりとも)見えてくるようです。

 上のクラスを教えていて面白いのは、皆(アルバイトで)得た経験というか、知識が少しずつ違っていることで、教室での話がそちらに向いた時に、自分たちの経験を話してくれることです。

 アルバイト先に年配の人が多く、そう言うところからの知識が入っている者もいますし、バイト友達が高校生ばかりで、「若い者の実態」などに蘊蓄を傾ける者もいます。ただその頃(そういう話が出来る頃)には、(この日本で)何をしたいかという目的意識が少しずつ育っているのが普通ですから、たとえ(アルバイトで)疲れたとしても、だから、もう勉強は「や~めた」ということにはならないのです。

 何事であれ、目的意識を持つというのはいいことです。日本に来てからずっとぼんやりしていた学生も、何かのきっかけで目的が見えてくると、俄然張り切って、もう別人のようになってしまいます。

 特に大半の学生が親元を離れて、自立して生活をしているのですから、(この目的というのも)誰から強要されたのでもない、自分で考えて決めたことなのですから、どのような結果になろうと、「しりをどこにも持って行きようがない」のです。

 とはいえ、かなり日本語が話せるくせに「先生、私にマクドナルドのアルバイトは勤まるでしょうか」なんて聞きに来る学生がいます。彼はこうやって、自分で自分を仕切って、チャンスを逃してきたのでしょう。アルバイト探しの時には、「自分のレベルは」なんて先に考えない方がいいのです。

 それはみんな相手が考えてくれます。だめだと思うのも、大丈夫だと思うのも先様で、勤めたいと思っている学生ではないのです。こういうものを探す時は、「当たって砕けろ」精神で行くしかないのです。そうすれば、どこかでホロリと隙間が出来るものです。そうして少々難しく思われることでも、やっていけるようになるのです。まず、何事かしてみなければなんにも出来ません。

 ぐずぐず考えたりせずに、「当たって砕けろ」精神で、探しに行くのが一番です。

日々是好日
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「海鳥の声」。「長い長い名前の『書き間違え』」。

2012-04-24 08:30:41 | 日本語の授業
 早朝、四時半頃ともなりますと、窓を開ければ、海鳥の声が辺りに谺して聞こえて来ます。「野鳥の森」から聞こえてくるのでしょうか、以前お狩り場であった辺りですからそうかもしれません。あるいは、近くの海か浅瀬か、それとも海に注ぐ川の方から聞こえてくるのでしょうか。学校へと急ぐ道では、朝の空に、幾群れもの鳥たちが矢印の形で飛んでいくのが見られます。

 数年前、「鳥インフルエンザ」が話題となっていた時には、近在で猫や犬を飼っている家ではかなりパニックになっていたようでしたが、今では、それもどこやら。大らかに鳥の空飛ぶ姿を眺めている…というのも、なにやら不思議な気が致します。

 さて、昨日雨の中をやって来たスリランカの学生。今朝はルームメートといっしょに、朝、九時前に来ることができるでしょうか。誰よりも喜んでいたのは、彼と同室になるスリランカ人学生。スリランカで、一緒に机を並べて日本語を勉強していたと言います。よく彼とは(来日後も)電話するのだそうで、成田到着の日時にしても、向こうの日本語学校からの連絡前に、私たちは彼からの情報として知っていたくらいでしたから。

 実は、彼(昨日来た学生)だけが来るのが遅れたには、理由があるのです。名前の書き間違いという、本当に単純なミスなのです。ただし、彼らの国の人に限っては、これは私たちがいうところの「ミス」ではないようなのです、彼らの気持ちの上では。

 スリランカの学生たちは、自分でも名前のスペルを書くのを間違えることが「よく」あります。多分これも、長いことヨーロッパ諸国の植民地になっていたことと関係があるのかもしれませんが。自らの文字ではない文字で、自らの発音とは相容れない文字で、己の名を記さねばならない時に、どの国の人間であれ、陥る「ミス」といってもいいのでしょうが、それプラス、名前の長さで、なかなか等閑にされない大きな問題となることもあるのです。例えば、今回のように、「名前が少々違ったことにより、問題視され、(来日の)許可が下りなかった」というふうに。

 スリランカ人の名前(もしかしたら、皆ではないのかもしれませんが)は、長く、七つも八つも、名前(?)が続くのです。日本的に言いますと、「佐藤、田中、松子、瑞恵、豊美、郁恵、聡美、飯塚」みたいな感じでしょうか。どこまでが、姓で、どこからが名であるのかは、私には判りませんが。

 時々、日本に来ている学生でも、間違えることがあります。来日後、幾つか書類を書かなければならない時があるのですが、その度に、スペルが変わっていしまう学生も、いないことはないのです。

 事情をよく知らなかった頃には、「もう、いったい、あなたは何という名前なの。自分の名前を間違えるなんて」と、声を張り上げたりしたものでしたが、それも彼らの身になって考えれば、「そう言われても…」だったのでしょう。

 発音は、当然のことながら、同じです。ある時は一つスペルを入れ忘れたり、ある時は多かったり、また他のスペルであったりする。「それは仕方がないことであって、目くじらたてるほどのことではない。皆、やっていることなのだから。」というのは、彼らの心中の弁。

 多分、彼らの国ではそうでしょう。「ああ、法律上では、ここにもう一つスペル(これがよく音なき音であったりするのです)が入っていたのね。でも、読む時は同じだから、まっ、いいか」。

 それが、日本に来ると、「名前に、スペルの間違いが一箇所ある。自らの名前を書き間違えるはずがない。(この書類には)信憑性がない(か、あるいは無限に疑わしい)」となってしまうのです。もっとも、日本では当たり前のことですけれども。

 というわけで、以前、「留学生試験」や「日本語能力試験」で、名前をアルファベットで書かねばならないところでは、私たちが必ず、入念にチェックしていました。普通なら、自分の名前だから間違えるはずはない…で終わってしまうところでしょうけれども。

 とはいえ、今では、「自分で、もう一度確かめなさい」で、十分な学生たちが来てくれるようになりましたので、それほどの手間はかからなくなりましたけれども。

日々是好日
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「街は、『サクラ』のピンクから、『ナノハナ』の黄色へ、そして『ツツジ』の赤へ」。

2012-04-23 14:40:37 | 日本語の授業
 昨日から雨は続いています。今は止んでいますが、また降り出すそうで、今日は一日中雨でしょう。ただこれは「春雨」です。前の雨とは違います。空気が引きしまっていないので直ぐに判ります。

 朝、新聞を取りに出た時、モヤッと纏わり付くような空気に神経が緩むような気がしました。もちろん、気温は低めで、決して、それだから「春雨」と言っているのではないのですが。

 さて、町はピンクの「サクラ(桜)」から一転して、顔を覗かせ始めたのは「黄色」の花々。つい先日まで、「サクラ」のピンクを頂点に、春は紫や青系の花が多いと思っていたのに、あっという間に、「ナノハナ(菜の花」の黄と「タンポポ(蒲公英)」の黄に取り囲まれていました。それに「ヤマブキ(山吹)」の黄も…。)

 それから、白も多い。「ナシ(梨)」の白、「マーガレット」の白、「ドウダンツツジ(満天星)」の白、「モクレン(木蓮)」の白…。

 ただ、これは土曜日までのこと。

 今朝の(昨日の雨のあとで、しかも、これから今日一日、ずっと雨は降るらしいのです)、街は、また違った装いになっていました。街路樹(この辺りは「ハナミズキ(花水木)」などが多いのですが)の植え込みや、生け垣などに、赤の「ツツジ(躑躅)」が、勢いよく花を開かせていました。街は、あっという間に、「赤」系が大勢を占めるていたのです。

 一年ほどを日本で過ごした、あるベトナム人の学生が言っていた言葉を思い出します。「日本は本当にきれい。いつもたくさんの、いろいろな花がある。街を散歩するだけで、ワクワクする」。

 とはいえ、どこの国でもそうでしょう。それぞれの国に見合った春が来るわけで、旅人はその「春」に感動したりするのです。遅い春に、ドイツ(北部ドイツです)に行った友人がこう言って、感動していましたもの。「(ドイツでは)いちどきに、花の季節になる」。

 さて、新入生です。
 今日、スリランカから、一人、やってきます。マレーシア経由で、先程クアラルンプールを発ったそうで、日本に着くのは午後六時半と言います。成田で、あれやこれやして、結局、寮に着くのは、夜の九時か十時頃にはなってしまうでしょう。

 明日、元気な顔を見せてくれるといいのですが。

日々是好日
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「もう遅刻しませんから、部屋に来ないでください」。「『学ぶ』とは『真似る』こと」。

2012-04-20 09:55:41 | 日本語の授業
 曇り。うっすらと陽が射してきました。けれども、おそらく、今日一日中、こんな天気なのでしょう。土曜日まではこんなふうにすっきりしないお天気が続いて、そして、日曜日に、どうやら、ドッと来そうなのですが。お空は、日曜日にまとめて降るつもりで、今、我慢に我慢を重ねているのでしょうか。

 最近、新しい先生に(まずは、学校に慣れるためになのですが)、「初級」と、「中級(ヒアリング)」の授業を見に来てもらっています。人が増えるというのはいいことで、学生たちは、(学校に)来た時に、どうやら、目で、新しい人の姿を捜しているようです。古株の私と目があった時、なぜか「しまった」という顔になるのですが、まあ、それもご愛嬌。

 先日、「あるクラスで、こんなことがあった」という報告を聞いて、教員皆で、大笑いしたことがありました。

 「昨日の朝、どうしても起きられない学生がいた。それで、私(その教師)が、部屋まで行き、布団を引っぺがし、『起きなさい。起きなさい』と、大きく揺すり、それでも起きないから、バンバンと叩き回し、またそれでも起きないから、もう一度大きく揺すり、また叩き…。そうしてやっと起こして学校へ行かせた」

 その話を聞いていた(その日、五分遅刻してきた)学生が、「先生、もう遅刻しませんから、部屋に来ないでください」と言ったらしいのです。

 「だれもそんなつもりで言ったのではなかったのだけれども」と言いながら、彼女は大笑い。皆も大笑い。その気弱げに言った学生というのは、実は、1.9㍍近い巨漢なのですが。彼も(日本に)来た時には、「我こそは」という感じで、公道を闊歩していたのです。それが、一月経ち、二月経ちしていくうちに、どんどん子どもに返ってしまって、今は本当に無邪気に勉強しています。

 学生たちは、高校を出たばかりであっても、また大学を出てから来ていても、どうも、この学校で半年近くも過ごしてしまうと、みんな子どもに返ってしまうようです。安心してしまうのでしょうか。「学ぶ」というのは、言葉であっても何であっても、まずは「真似る」でありますから、それを気取ってできない学生というのは、いつまでも(何事であれ)上達なんかできない…ような気がします。

 もちろん、相手が大人であることは、私たちも重々判っています。ただ、教室にいる時には、特に「初級」や「中級」を勉強している時には、子供でいた方がいいのです。子どもに「先になれたもの勝ち」と言うと語弊があるかもしれませんが、そういう部分も少なくないのです。また、日常生活においても、「素の自分」を出せた方が、日本では(人に)好かれるような気がします。

 何といっても、(いくら能力があると言っても、来日したばかりの時は、)言葉においては非力なのですから、偉そうに恰好をつけていたって何ほどのこともないのです。

日々是好日
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「お金は必要。でも、一番大切なものじゃない」。

2012-04-19 09:37:52 | 日本語の授業
 晴れ。7時を過ぎた頃から陽が射してきました。

 さてもさても、苦学生にとっては、「お金」の問題は大きいと見えます。彼らの大きな関心事は、まず「お金」なのです。

 「Dクラス(10月生)」で、「ほど」を使った「短文作り」をしてみますと、
「お金はそれほど大切なものではない」、「お金ほど大切なものはない」など、お金に関するものが、ワンサカ出てきました。

 ただ、ちょっと他のクラスと違うところは、このクラスでは「これを勉強したい」という強い目的意識を持っている学生が数人いることで、だからでしょうか、一人が「お金が一番大切なんじゃない」と言えば、「でも、お金は必要だ」と、結局は同じことを言いたいのでしょうが、彼らのお金に対する揺れる心を表しているようです。

 これが、他の、あるクラスでは「お金が欲しい」だけで終わりで、あとはなく、何のためにお金が必要なのかが考えられない状態であるのがわかるのですが。

 「勉強したいです。でも、お金がないと困ります。だから、『お金は大切』です。でも一番大切なのは、お金じゃない」という順繰りの流れがはっきりしていて、「笑ってごまかす」とか、「適当にしてしまう」というところがないのがいい。

 もっとも、このクラスは、いわゆる「子どもクラス」で、最初は平然と偉そうに澄ましていた学生も、今では皆と一緒に、(教師が彼らの言うことに)構わなければ、「拗ねたり、いじけたり」しています。まず、「素」の自分を出せることが、(特に外国で生活していく上では)一番大切なのですが、どうやらそれが出来つつあるようです。

 「『お金は天下の回り物』。だいたい、学生なんて、どこでもみんなお金がないんだから」と言うと、なぜか、みんな、すぐ明るい顔になってしまいます。育ちがいいのでしょう。前向きの明るい話(自分一人だけではない、みんなそうなのだという話)を聞くと、「ああ、そうだね」と、素直に思えてくるようです。まあ、全員がというわけではないのですが。

 春を迎え、「サクラ」が終わり、そして、物、皆、声高に己の名を口にするようになった万物成長のこの時期、道端のあちこちで「根性君」が顔を出し始めています。

 アスファルトの地面の、ほんのわずかな亀裂から、あるいは側溝のセメントとセメントの、ほんのわずかな隙間から、
「根性カタバミ」君、「根性スミレ」君、「根性ホトケノザ」君、「根性キュウリソウ」君、「根性ヨモギ」君、「根性トキワハゼ」君、「根性ナズナ」君、「根性タンポポ」君、「根性ノゲシ」君…。枚挙に暇がありません。

まして、「況んや人は」です。

 お金は大切ではないと言いながらも、時々お金に潰されそうになっている苦学生達。本当に「お金は天下の回り物」。これまで通り、ずっと頑張っていけば、だれかがきっと頑張っている君を見てくれることでしょうし、お金も回ってくるでしょう。お金は止まることが大嫌いだから、いつかは自分のところに来て、そして、また困っている別の人のところへいく…そのまわってくる額を少しずつおおくしていけばいいのだから。

 そう、君たちの言うとおり、お金は大切だけれど、一番大切なものではない。お金は何に使うかで、活きもするし、死にもする。ない時は本当にないのだ。だから、これはこれで、しょうがない。とにかく毎日を一日ずつ頑張っていくしかないのだ。

 と、考えて、これまで、この学校では、待つことにしていました。ところが、卒業したあとに問題が出てきたのです。当時、この学校を出てからのことをあまり考えていなかったと言えば言えなくもないのですが。

 なぜそう考えていなかったかと言いますと、大半の留学生にとって、生活が大変なのは日本語学校で日本語の勉強をしている、この時期だけであるのです。一年半、乃至二年も学校で(休まず、集中して)日本語を勉強していますと、ほとんどの学生はコンビニやレストランなどでも働けるようになっています。まず、生活するくらいのアルバイトはできるようになっています。

 それからのことは、(日本語が判らぬが故に、アルバイトが見つけられないといった)来日後半年ほどのことに比べれば、雲泥の差、随分楽になっているはずです。だから、あとは大丈夫だろうと思っていたのです。

 ところが、それが甘かったのです。
(学校を卒業して、もう)日本語も大丈夫、アルバイトも順調。ところが彼らは大学や専門学校でも、私たちの学校のように、一人一人の留学生のことを、身を以て理解しようとし、それぞれの状況に応じた対策をとってくれるだろうと、考えていたようなのです。そして、失敗してしまった…のです。

 そこでは、私たちの学校(小さい学校だからできるといえばそうなのですが)のように肌理の細かい対応をしてくれはしなかったのです。私たちが甘かったといえば確かに甘かった。日本社会では、一度はそれを許しても、二度三度とは許してくれません。それが学生たちには判らなかったのです。言えば何とかしてくれるだろうくらいに考えてしまったようなのです。

 「お金がない?学費が決められた時までに払えない?では、アルバイトを紹介してやろう。そこで働いたらいい」

 そう言われても、大半の学生たちは、「自身の『体力』や『気力』に応じた働き方」しかできません。それでギリギリいっぱいなのです。それ以上は出来ないのです。日本で、大学に入れるほどの力を持っている「非漢字圏」の学生たちは、その多くが彼らの国では中流層かそれよりも少し上の階層から来ています。だから、無理は出来ないのです。「それ以上をしよう、せねばならぬ」という「ガッツ」は、あまりありません。ただ勉強をしたいだけなのです。

 そういう人達に、「お金がないなら、アルバイトを紹介しよう。それをするがいい」と言っても、彼らから見ると、(今、しているアルバイトだけで、もうアップアップですから)「学費を期限までに払わないから、罰を与えられた。苛められた。嫌な人たちだ」になってしまうのです。

 私たちの学校にいる時でも、例えば、「アルバイトがない?では、このアルバイトはどう」と、新聞などで見た求人広告などを見せても、(説明を聞いて)「ここは遠いから嫌だ」とか、「今のアルバイトが六時から九時までだから、行きたくない」とか、そういう言って、「選り好み」をしたりしていたのです。

 「今、お金がないこと」、即ち、「貧乏で、何でもお金になることならする」ではないのです(それが多くの日本人が、彼ら留学生を誤解しているところなのですが)。

 で、今では、もちろん、学生の状況に応じて(彼らが自分たちの状況を言ってくれますから)待つこともありますが、気の毒だと思いたくなる自分たちの心に鞭打って、決められた時に払うよう、急かすようにしています。そうしなくてすむものなら、そうしたくはないのですが。

 もちろん、中には、彼らの国の習慣で、「お金がない者は、ないんだから、払わなくてもいいはずだ」的な感じで、日本でも生きて行こうする輩もいますから、ことは一筋縄ではいかないのですが。

日々是好日
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「日本人とは」。

2012-04-18 13:20:27 | 日本語の授業
 晴れ。地面にはうちひしがれた恰好の「末期の花びら」や、「蕊」、「萼」などが無残にも貼り付いていました。数日前の若々しい落花とは大いに趣を異にする情景です。

 昨日夕方に降った雨風にやられたのでしょう。「花ニラ(花韮)」も、ぐんなりと頭を垂れています。とはいえ、草は強い。陽が上がり、もう少しすればまたシャキッと胸を張って道行く人を振り仰ぐことでしょう。

 ところで、昨日のことです。授業が終わってから、来日したばかりのインド人学生が話しかけてきました。最初は、「(連休の時)、お父さんの法事で帰らなければならないのだが、その時に教科書を買ってきたい。ついては、これから(この一年で)どのような本を学ぶことになるのか、それを知りたい」といったようなことだったのです。

 私もちょっと困って、なぜかというと「初級」ならいいのです。だいたいいつも同じですから。けれども「中級」以降というのは、「必ず」が、つけにくいのです。

 それで、その時に、「主教材(読解)はどうしても、皆のこれまで(母国で)の読解力が関係してくる。それに「初級」がよくできるからといって、「中級」からの文章がわかるかというと、そういうものでもない。ある意味では、常に、この「クラス」の現状、つまり、文章の理解度(理解の程度)を確かめながら、(教科書の選択さえも)換えていかなければときもある」などと話したのですが、「だいたいでいいから知りたい」と言ってきかないのです。一応、「計画ではこうだ。変わるかもしれないが」と話したのですが。

 「留学生試験」が始まってから既に数年経過しています。出版社のほうでも対策が錬られてきたようで、的を「日本語能力試験」にではなく、「留学生試験」のほうに絞った参考書や教科書などが、だんだんに出てくるようになりました。

 新しい、いいものが出版されれば、当然のことながら、これまでの本をやめてそちらの方に換えざるを得ません。ということは、(国で)買ってきても、それを使うことが出来ず、却って出費がかさむということにもなりかねないのです。

 もちろん、全く無駄だというわけではありません。学校で教材として使われなくとも、自分でやればいいことなのです。が、ただ「漢字圏」の学生は別として、「非漢字圏」の学生にとっては、自分一人で、「中級」以上の教材を扱うということはかなり手に余ることのようで、「もらったはいいけれども、どうしていいか判らない」と、結局はタンスの肥やしを増やしているという学生も少なくはないのです。教えてくれる人がいれば、また話は別でしょうが(皆、アルバイトが忙しくてどれどころではありません)。

 他の教科書を用いることになるかもしれないし、同じ教材であっても「改訂版」が出れば、それを使うかもしれない。日本で出版されるのと同時に出版されるということは、まず、なかろうから、買ってきても無駄になるかもしれないと、何度も何度も、それこそ口を酸っぱくして言ったのですが、どうも頭のスイッチが「買ってくる」というほうに切られているらしく、最後は、こちらの方が音を上げて、買いたいなら買っておいでみたいな感じになってしまいました。

 それから、彼の日本人観が始まりました。曰く「日本人は冷たい」。どういうことなのかと聞きますと、

 曰く、「だれかが引っ越してきた場合、インドなら、その近くに住んでいる人が自分の家に招待してくれる(つまりパーティを開いてくれる)のが普通なのに、日本人はそれをしてくれない」
(こんな都会で、しかも住む人がコロコロ変わるようなところ、つまりアパートで、そんなことをする人がいるのでしょうか。田舎なら、そういうこともあるかもしれませんが、都会では、皆、忙しいのです。彼に聞くと、道などで会った時には挨拶をしてくれるそうですから、それだけでもよしとすべきでしょう)。

 曰く、「日本人は他の人がお金を出すパーティではたくさん食べたり飲んだりするくせに、自分がお金を出すパーティではほとんど食べたり飲んだりしない。ケチだ」。
(人を招待しているくせに自分が気持ちよく酔っぱらったりしたらどうなるのです。そばで聞いていたベトナム人学生が「自分のところでも、日本人と同じ。招待した人はお客さんが、たくさん飲んだり、食べたりしてくれるように気をつけているから、そんなに食べたり、飲んだりはできない」と言っていました)

 曰く、「たとえば、三ヶ月間の契約の仕事を私がしたとして、(その期間は)よく電話をかけてくるくせに、(その期間が)終わったら、全く電話をかけてこない」。
(契約期間が終わったのに、どうしてまた電話をしてくるのでしょう。友達ではなく、仕事上の付き合いでしかないのですから)

 どうも彼らの人間関係というのは、関係を持ったら、すべて友達になってしまうというウエットなも世界であるらしいのです。そして、自分がそうだから、相手もそうあってほしい。いや、そうなければおかしいとなってしまうようなのです。その結果、(口にしなくとも当然のように)相手にそれを要求してしまい、それをしてくれない人を恨んだり、非難してしまうようなのです。

 聞いているうちに、困ったなという気分になってきました。

 彼はいい人で真面目であるとは思いますが、多分、日本で暮らすとなると、ちょっと困ることになるかもしれません。今、ある程度日本語が話せるだけに、日本の文化や習慣についてあまりに無智であることが気になるのです。しかも、インドで日本人相手に簡単な仕事までしていたそうですから、よけいに面倒なことになるかもしれません。

 けれども、日本である程度暮らせば、それなりにウエットな部分を捨てざるを得なくなるでしょうし、あるいはそういう日本人と親しくなるかもしれません(そうなったら、それはそれなりにすばらしいことですけれども)。これは、良くも悪くも、万国共通の、都会での暮らしなのでしょう。行徳のことを都会なんて言ってしまったら、笑われるかもしれませんけれども。

日々是好日
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「入学式」。「『1000円払っても、2000円分くらいの知識を勝ち取れ』とは言ったものの」。

2012-04-17 18:17:10 | 日本語の授業
 曇り。花曇りと言ってもいいのか知らん。地面には桜の名残がまだ散っていますから。

 さて、昨日は入学式でした。シュークリームが苦手なベトナム人学生のために、学校では「どら焼き」も準備してみました。ベトナムに数回行った教員によると、「どら焼き」に似たものが、機内食として出たというのです。

 見ていると、確かに「どら焼き」はそれほど抵抗もなく食べられていました。すると、中に一人、「シュークリーム」を口にしている男子学生(一月生)がいます。思わず「あなたは大丈夫なのですか」と聞いてみると、「いえ、好きじゃない…」。どうも他の国の、他のクラスの、しかも、多分女性でしょう、が渡してくれたらしく、それで、嫌だと言えないまま、食べざるを得なくなったというわけ…らしいのです。

 こういう時にも、気の弱い人は大変ですね。渡してくれた人がよそ見をしている間に、こっそり隠したり、誰かにやったりすればいいものを、相手に悪くてそれもできない。顔を見ているうちに、悪いけれども、笑ってしまいました。それくらい、いかにもおいしくなさそうに、それでも「食べなきゃならない、苦しいなあ」という顔で食べていましたもの。

 そんなこんなで、いつものように、午前で、「入学式」は終わり、午後の受業は、これまたいつものように、1時15分から始まりました。初めの一コマは、「初級Ⅱ」の44課から50課までのテストでした。全体的にあまりよくはなかったのですけれども、これらの文法の知識も、せんじ詰めれば、読んだり、書いたり、聞いたり、言ったりできるようになるための、いわば、道具なのです。

 もちろん、基礎がしっかりしていなければ何事もうまくいかないのは当たり前ですが、ただ、その基礎を何度やっても、それなりに満足できる人と、飽きてしまって勉強にならない人とがいるのです。

 後者の場合は、それなりに進めていきながら復習を多くしていかなければならないのですが、この復習をするにしても、教材は必要になってきます。スッと理解ができなければ、理解を促していくために、読解材料がいるのです。

 ところが、このクラスは、教科書を買うという話をした途端に暗い雰囲気になってしまい、しばらくは授業が成立しなくなってしまいます。勉強をしなくてはと思っているということは判っているのですが、これは教員としても辛い。

 寺子屋時代のように、(いつも同じことをやって)それなりに力がつくのを待つ…なんてことは今時、できることではありません。それに寺子屋時代に習得できた知識や技能と、昨今の知識や技能とを比べてみると…とてもとても、比べることなんて出来ません。比較の対象にすらならないでしょう。

 というわけで、皆は頑張らざるを得ないのです。
「いいですか。1000円払っても、『2000円分の知識や技術技能が身につけば、それでよし』くらいの腹でかかってきてください(べんきょうしてください)」と言ったものの…はてさて、どれくらいわかってくれたでしょうか。みんな笑っていましたけれど…。

日々是好日
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「最後の花見」。「新しく来た学生」。

2012-04-16 18:23:54 | 日本語の授業
 晴れ。
土曜日の寒さ、雨が嘘のようです。土曜日に「花見」を予定していた人たちは、さぞかしがっかりしたでしょう。けれども、日曜日があったので、ぎりぎりでお花見が出来たという方もいたのかもしれません。

 とはいえ、「花を散らす雨」は、また違った趣で、私たちを愉しませてくれます。今度は「サクラ(桜)」の花びらが、他の木々や建物、道を飾るのです。私がいつも行っている治療院のそばには、関東でも屈指の神社があるのですが、そこの神社の「サクラ」が、またよかったですね。ここはいつも静寂と清らかさに満ちていて、いかにも「神社は過くあるべし」といった風情なのですが、「サクラ」が散って道や木々に落ちていると、急に華やかに色づいて見えてくるのです。いつもは白木の木目や屋根の黒や金具の金が、我々を遠ざけるほど厳かであるのに、そこに「サクラ」のピンクが加わると俄然、雅になってくるのです。

 お参りに行く道の途中から、参道が「サクラ」の絨毯と化しているのがわかりました。鳥居のうちが「サクラ」の川となっていたのです。ぐるりと周りを回ってみますと、「モミジ」の若葉の上に「サクラ」の花びらが散り落ちて、これまたかわいらしいのです。歩こうとしても、足の下ろすことができないほどに散り敷いています。全く、「サクラ」の花びら、花びら、花びらなのです。それなのに、また風に誘われ、雨に打たれして、花びらは落ちてきます。いったいどれほどサクラは花びらを持っているのでしょう。

 ほのぼのとしながら駅へと向かっていますと、今度は「ナノハナ(菜の花)」のお出迎え。「ナノハナ」の優しい黄色の列が風に揺られ、「ツキミソウ(月見草)」のように揺れているではありませんか。それに、帰りの電車の中から見えたのは、「ナシ(梨)」畑の白い花でした。

 これから、どんどん花が開き始めます。花が開き、そして散りますと、次に出てくるのは木々の緑です。日本は鮮やかな季節を迎えようとしています。

 さて、学校です。金曜日にベトナム人学生が三人到着致しました。なかなか成田から戻ってこないので心配していましたら、なんと他の学校の学生たちの手伝いをしていて遅れたというのです。

 学生たちを迎えに来ていた学校もあれば、迎えにかなりのお金を要求していた学校もあったそうで、それが嫌さに学校からの迎えを頼まなかった…友達に頼んだけれども、まだ来ない…というわけで、我が校の学生が二人(迎えに行ったのは教師を含めて五人です。なぜか頼んでいなかった学生が一名ついてきていた…のですが)、必死に携帯を使って、友達を捜してやっていたのだそうです。

 迎えに出た教師のも(学校に戻ったら)仕事がありますから、少しでも早く戻りたい。昨日の夜中にハノイを発った新入生も疲れているので、早く自分の部屋へ行って休みたい。ところが(他の学校の学生たちを)手伝っている学生たちは、「先生、あと一分、あと二分、あと三分」と言って(彼らを)見捨てようとはしないのだそうです。

 それで、教師が知り合いなのかと思い、「友達なの」と聞くと、「いいえ、今、会ったばかりです」と言うのです。彼らは親切なのか、それとも日本で苦労しているから、他人事ながら、我がことのように思われたからなのか、まあ、それは判りませんが。

 戻ってきた教師曰く、「なかなか親切で、いい子達じゃん」。これも戻ってきたからこそ言える言葉でしょうが。

 というわけで、今日が、「入学式」です。

 実は既に来日していた4月生は、「Cクラス」の学生たちと勉強を始めています。ただ「入学式」だけは、彼らを待つことにしていたのです。ただちょっと残念ですね。千鳥ヶ淵での「お花見」は終わってしまいました。今年は「サクラ」の花の期間がいつもにまして短かったような気がします。来年もいいお花見が出来るといいのですが。

日々是好日
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「『えっ。たか~い。『日本語の教科書』も高い。『日本語能力試験』も高い。みんな高い」。

2012-04-13 09:47:07 | 日本語の授業
 風もないのに、「サクラ(桜)」の花びらが落ちてきます。仰ぐと、「スズメ(雀)」です。花びらを嘴でちぎっては落としているようです。遊んでいるのでしょうか。それとも蜜を捜しているのかしらん。

 また歩いて行きます。しばらく歩いて、小学校のそばまで来ますと、校庭の「サクラ」の樹から、今度は花が、丸ごと花ごと、ポトリと落ちてきます。上を透かし見ますと、五六羽のヒヨドリがセッセと、花の奥に嘴を突っ込んでいます。その度にポトリ、ポトリと、花が落ちてくるのです。風に吹かれて散った花びらの中に、丸ごとの花がよく見受けられたのも、彼らの仕業によるのでしょう。

 もう大方の「サクラ」は、花を半ばほども落とし、葉桜といわれるような姿になっています。残念がる向きもあるでしょうが、花に馴れた私たちにすれば、これはまたこれで、いいようもなく美しい春の景色なのです。花一色(ひといろ)の時よりも、遙かに風景に馴染んで見えるのです。一時の美神の姿から、木々本来の姿に立ち返ろうとする、そう思えるからでしょうか。

 さて、桜の話はさておき、学校です。
 「Dクラス」では来週から「中級」に入ります。他のクラスに比べて、漢字を覚えたがるなと思っていたのですが、それも春休みの前までのこと…だったようです。一昨日、久しぶりに「三級」の漢字を幾つか書かせてみますと、哀れな状態となっていました。

 こちらが怒ると、さあ大変。あっちでもこっちでも、言い訳が始まります。「問答無用」と切り捨てますと、今度は「それ、なあに、先生」。で、たちまち漢字の件で叱られたことを忘れてしまい、関心は「もんどうむよう」の方へ移ってしまいます。

 「う~ん。応えない奴ら」ということで、話を切り上げて、新しい教科書の説明に入ります。「教科書」が二種、『中級から学ぶ日本語』と、『現代日本語コース中級Ⅰ』、そして学校の方で(教科書に沿うような形で)作った「漢字」「語句」「読み」などのことを話します。前に、もらえる人はもらっておくようにと伝えてありましたので(『中級から学ぶ日本語』以外)、金額の合計を出して伝えます。その前に、一冊ずつ、一部ずつの値段を言ったのですが、その都度、「ええっ」という、半分本気で、声が上がります。

 もうすぐ来日後、半年が過ぎようというのに…。もうそろそろ慣れてきてもいいと思うのですが、日本の「もの」の値段に。多分、頭では、判っているのでしょう。判っていても、聞くと、思わず「ええっ」となってしまうのでしょう。確かに外国人用の本は高いとは思いますが、使う人が少ないからしょうがないのです。私たちはそれなりに納得しているのですが、彼らにとってはそうはいかないようです。

 それで、また説明します。教科書を買う段になると、毎回、学生はこんな反応を示しますから、嫌でも、こちらも繰り返し、そう言わざるを得ないのです。また「日本語能力試験」や「留学生試験」の申し込みの時にも、同じようなことが起こります。学生は、判っていても、やはり言いたくなるのです。それで当方としても、毎回同じことを言う羽目になってしまうのです。

 知識を獲得するためにはお金が必要であるということ。知識というものは、それほど得難いものであるということ。それ故、そういうものを獲得した人は、日本では、尊敬されるということ。そんなことまで話しておきます(これは金を稼げるから、金があるから尊敬されるというのではなく、知識・技術・技能など、人が得がてにするものを持っているから尊敬されるのです)。

 国によっては、勉強にはお金がかかるということが、なかなか判らない人も出てきます。もちろん、どんな政治体制の国であろうと、判る人にはわかります、だってその人達はそれを求めても、自分の国では得られなかったのですから。もしかしたら、国というよりも、「育ち」の違いがあるだけなのかもしれません。彼らの家庭で、知識などをそれほど重視していなかった場合、その獲得のために大枚のお金を払う必要を感じないのです。日本では、何事であれ、勉強にはお金がかかるというのは、当たり前のことなのですが。

 日本に来て、たくさん勉強したければ、その分、本を買わなくてはならないし、試験に参加したいと思えば、それなりの問題集を買わなければならないし、参加するための受験料も払わなければなりません。

 もちろん、日本にはいろいろな日本語学校があります。日本で、「出来れば、大学に行きたいとか、レベルの高い専門学校へ行って高度な技術を身に付けたい」とかいうのでなければ、(これは聞いただけで本当かどうか判らないのですが)二年で初級のカリキュラムしか準備していない日本語学校もあるそうですから、そちらに行って、ゆっくりと勉強したほうがいいでしょう。

 それから、日本は資本主義国家であり、彼らの国よりは、おそらく、遙かに自由であると言うこと、それゆえ、買う人が多ければ、本であれ、服であれ、安くなるのだが、外国人向けの本は買う人が少ないので、高くなってしまうということ。

 それに、日本でアルバイトして得られるお金を彼らの国で働いて得られるお金と比べたら、それは桁が違うほどのものであるということ。だから、物の値段が高くても、賃金と比べたら、それは驚くほどのことではないということ。

 今の学生たちは、よく缶コーヒーなどを自動販売機で買ってきて飲んでいるのですが、毎日それを二本買うのをやめれば、一ヶ月で5000円くらいは出てきます。この我慢が出来るかどうかなのです。お金がなかったら、我慢できるところから我慢していくのは当然です。けれども、それを母国でやったことがないから、以前と(母国にいる時と)同じような生活をしてしまい、結局アルバイトで得たお金も、そんなことでなくなってしまうのです。

 そういう節約をした後に、どうしてもお金がないというのなら、まだわかるのですが、そうではなく、私たちから見れば、もっと節約できるのにと思われる生活をしておきながら、「お金がない。だから教科書のお金が払えない。寮費を待ってくれ。学費を待ってくれ」というのは、どうしても理解に苦しむのです。

 彼らも、きっとそれはよくわかっているのでしょう。けれども、日本に来て、何でもすぐに欲しいものが手に入る生活に慣れてしまうと、つい買ってしまうのです。自動販売機はどこにでも置いてありますし、何でも買えるコンビニもそうです。ある物を買いに遠出しなければならないというのではないのです。それに学生たちは日本にいれば苦学生的な生活をしなければならないのですが、母国ではそうではありません。少なくとも中ほどの層から来ているのです。あまり我慢ができないのです。

 勉強させたいという親御さんには、(学生たちが)来日後、出来れば半年、出来なくても三ヶ月分くらいの生活費(一年分の学費は既に払ってあります)は持たせてほしいと言ってあるのですが、それも親の方でも日本の物価のことが判らないので、彼らなりの判断で持たせるということになるようです。「いくらぐらい」というのは言ってあるのですが、身を以て体験していないとそれが呑み込めず、あるいは判ったとしても、そこまでは準備できず、ということになり、この学校に来ている留学生達の大半は、せんじ詰めて言えば苦学生です。アルバイトをして自らの生活を立てて行かなければなりません。

 本当に、まずは生活、勉強は後になってしまいます。アルバイトが決まらないと、不安で勉強に集中できません。甚だしきは一週間程度で、親が持たせてくれたお金の大半を使ってしまった学生もいました。秋葉原や銀座にいって、欲しいものを見ているうちに、10万円くらいは直ぐになくなってしまいます。ついつい買ってしまうのです。

 日本語学校に入ってからは、まずは勉強です。そして最初は、どんなに欲しいものがあっても、お金は使わない。勉強と食べるだけ。それ以外は使わない。我慢します。そのうちに日本語が上手になってアルバイトが見つかるようになれば、少しずつ好きなことにもお金を使うことが出来るようになります。

 けれども、もしその人が真剣に勉強したいと思っているならば、普通の進度(漢字圏の学生たちと同じ)で勉強していけるでしょう。半年ほどで『初級Ⅰ・Ⅱ」を終え、それから、『中級』を終え、『上級』を終え、『留学生試験』や『日本語能力試験』などの対策の問題集を学び、それが終わってからは、日本の文学(簡単な古典を含む)を読み、時事問題(環境や政治、経済など)を新聞や雑誌、そしてDVDなどを使った教材で学んでいくいくことになるでしょう。勉強すればするほど、上の教材を買わなければなりませんから、お金は要るのです。

 「自分をどこに置くか、自分の目的はどこか」で、お金を何に使わなければならないかが決まって来るのです。

日々是好日

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「咲くサクラ、散るサクラ、道を走るサクラ」。

2012-04-12 08:25:16 | 日本語の授業
 道を歩けば、サクラ(桜)、サクラ、サクラです。咲くサクラ、散るサクラ、道を走るサクラ。登校途中の子ども達の頭にもサクラ、駐車中の自動車の屋根にもサクラ、灌木の上にもサクラ。窓から外を見やれば、サクラが飛んでいますし、下を見やれば、風に巻かれて、渦の中で舞っているサクラまでいます。

 本当は、昨日の雨で、すっかり散ってしまっただろうと思っていたのですが、豈図らんや、まだまだしっかりと枝に残っていました。かなり落とされてはいたようですが、それでもサクラの美には変わりがありません。枝についているサクラが、今日の青空に映えて、まるで絵はがきのようで、見ている方が少々恥ずかしくなってくるほどですもの。

 そんな中、ピッカピッカの一年生達が親に手を引かれて歩いて行きます。まだ道を覚えていない子がいるのかしらん。それとも、親の方が(車が走っている登下校の道が)心配なのかもしれません。と、小学生達を見ていると、真新しい学生服を着た中学生までいました。「ピッカピッカの一年生」とはよく言ったもの。着慣れて、なよなよしてしまった学生服ではこの感じは出せません。しかも、男の子達の服はダボダボですから、直ぐ判ってしまいます。まるで服が歩いているみたい。一年先、二年先を見て作ってあるということが直ぐに判ってしまいます。

 さて、学校です。
 昨日、あまりにトロイ学生に、「う~ん、君は蛍光灯だ」と言ってしまいました。きょとんとしている彼女はさておいて、周りの学生がそれは何だとがやがやがやがやし始めます。それで、教室の蛍光灯を指さして、「これ」。たちまちベトナム人学生が大喜び。キャッキャッ言いながら、「せんせ~い、同じ、同じで~す」。

 「そうか、ベトナムでも、こういう子を蛍光灯と言うのだな。確かスリランカでもそうだったっけ」と職員室に戻った時、それを言ってみますと、私と同年代の人には直ぐに判って、「ひど~い。あの子にそんなことを言ったの。かわいそう」という声が上がったのですが、若い人には通じません。「何ですか、それ」

 「へえ~、そうなのか。わからないのか」と、また別なところで納得してしまいました。彼らの世代はコンピュータでも何でもかんでも、パッとつくのが当たり前で、パッとつかないとおかしいのです。あの、かつての蛍光灯の、ジワ~とした「のんびり、ホンワカ」感というのは、もう全く過去のものになって、彼らには伝わっていないのです。だいたい見たことがないのですから、伝えようもないですね。

 とはいえ、蛍光灯だって出来たばかりの時は、新時代の幕開けみたいな存在であったはず。この「のんびり行こうぜ」式のやり方と今は思われている蛍光灯も、当時はそれなりの存在感はあったのでしょう。

 トロイ学生が、どこかしらかわいく思えてきました。もっとも、これは教室を出た時だけのことですけれども。

日々是好日
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「昨日の、千鳥ヶ淵での花見」。

2012-04-11 11:06:48 | 日本語の授業
 さて、今日は、「昨日の明日」です。

 昨日の桜は、これまた見事なものでした。学生たちはたくさんの花見客をものともせず、あっちでもこっちでも写真を撮っていましたし、私たちも学生たちを見つけては、「はい、パチリ」で、いい写真がかなり撮れました。

 (普通の)ボートや、アヒルさんボートが、お濠にいくつも浮かんでいたのですが、その中に、一人で乗っているボートがありました。目ざとくそれを見つけた学生がボソリと、「かわいそう」。ところが、私はそれを見て、「ずるい」。

 同じものを見ても、年が違えば、自然に心持ちも異なってきます。そう言った私を、彼は冷たい目で見ていましたが、心では「全く、もう」(と呟いていたこと)でしょう。

 そもそも、「千鳥ヶ淵」へ花見に来る若い客の大半は、できれば、ボートに乗りたいと思っている…のです。それを写真が撮りたいからといって、独り占め(たとえたった1艘でも)しているのですから…。だいたい、贅沢ですし、ずるいのです。もちろん、プロであれば、しようがないことですが(諦めます、こちらでも)。

 ところで、「千鳥ヶ淵」には、「サクラ(桜)」だけではなく、「ツバキ(椿)」も、咲いていました(やや盛りを過ぎたかしらん)し、「オオアラセイトウ(諸葛菜)」もまた、至る所で見受けられました。それに垣根の下に目を凝らして見ていくと可憐な「スミレ(菫)」まで咲いているではありませんか。「シャガ(著莪)」も「サクラ」の大木の根元に植えられていましたし、その他にも春の草花をたくさん見つけました。

 去年の花見の時には、風がかなり強く吹いていましたから、「満開のサクラ」を見たと言うよりも、「風に流されているサクラ」に驚嘆したと言った方が的を射ていたのかもしれません。

 写真を撮った時に、皆の顔の前を桜の花びらが流れ、一葉が、白一色になってしまったこともありました。皆の顔が花びらに埋もれていたのです。それに比べれば、今回は、まだやっと満開宣言が出されたくらいでしたから、そういうこともありませんでしたし。

 今年も、花に誘われるように、お濠の周りを歩いていますと、(昼近くなり、気温がぐっと上がったからでしょうか、それともお日様の暖かさを帯びた風に誘われたからでしょうか)、ハラハラと桜の花びらが散り始めました。その度に、あちこちから歓声が上がります。美しいものを見た時の、人の感性というのは、皆同じであるようです。国籍も男女も年齢も何もかも関係ないのです。「美」を感じる心とは、それほど、何にもまして強いものなのでしょう。

 今年も、いいお花見をすることができました。

 そして、「昨日の明日」である「今日」。

 目覚めると、夜のうちか、明け方にか、雨が降ったようです。地面がぐっしょりと濡れていました。今日は、夕方から晩にかけて、かなり強い風が吹くとのこと。皆、一番いい時に、一番美しい桜を見ることが出来たわけで、今年度も最初の花見から縁起がいい。

 今年もいい年になりますように。

日々是好日
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「今日はお花見です。それで思い出したこと」。

2012-04-10 08:38:06 | 日本語の授業
 快晴。風はほとんど感じられません。まずは、「花見日和」と言ってもいいでしょう。けれども、散る桜をこよなく美しいものとする向きから申しますと、少々辛いところですが。

 昨日、今日で、満開と報じられた各地の桜ですが、日曜日、テレビを見ていますと、朝七時前であるにもかかわらず(今日行く予定の)千鳥ヶ淵では、花見に興じる人がごった返していました。

 画面を見ているだけで、「ここは、通るだけ、見るだけです。お早くお通りください」という声が聞こえてきそうでした。彼の地で酒を飲んだり、席を拵えて食事をしたりすることは禁じられています。ただ、いくら通るだけ、見るだけとは言われましても、写真は撮りたいし、じっくりと立ち止まって見ていたいというのは、人の常。誰でも美しいものを見ていながら、素通りすることなんてこと、できはしません。

 今年は、どうでしょう。写真を撮り、撮られするのに夢中になるフィリピン群は、一名を残して3月に卒業してしまいましたから、もしかしたら、案外スムーズに過ぎていけるのかもしれません。

 ところで、「明日は課外活動」という時、行きたくないという学生が出ると、必ずと言っていいほど、思い出す光景があります。

 数年前でしたか、高校を卒業したばかりの学生でしたが、来日して第一回目の「課外活動」を翌日にしたある日のことです。「課外活動」の説明をして職員室に戻っていると、二人が緊張した顔つきで「明日行かなくてもいいですか」と言いに来ました。来日したばかりで、日本の物価高に、そして何よりもアルバイト探しや、またアルバイトが見つかればその疲れとかで、「学校の勉強(教科書を使った)がないのなら、ゆっくり寝たい、休みたい」とでも思ったのでしょう。

 少しかわいそうに思いましたが、たとえ一日休んでも、翌日からは同じような(ある意味では無味乾燥とした)生活が控えています(中国人でも高校を卒業したばかりの学生というのは、ただ大学へ行きたいという目的で来日しているだけですから、アルバイトと学校での教科書による勉強しか考えられないのです)。それと、課外活動に参加する意義とを考えると、やはり参加した方がいいと思い、「不行」と答えてしまいました。彼女らにはおそらく私の言わんとするところの意義というのは、(その時)わからなかったことでしょう。

 彼らが彼らの母国での中高校の時、どのような課外活動を経験していたのかは判りませんが、日本の日本語学校で経験するのとは明らかに違っていたと思います。彼女らは、諦めたように(悄然として)帰っていきました。翌日はちゃんと言われたとおりに定刻に駅に来たのですが、しかしながら、その顔には「無理に来た。先生の言うことは『没道理』。どうして絶対に参加しなければならないのか、こんなの時間潰しの遊びだろうに」と書いてありました。

 それくらい、心身共に疲れていたのかもしれません。夢を抱いて日本に来ても、「日本語が話せない、聞いてもわからない」となると、アルバイト探しも大変です。たとえアルバイト場所が見つかっても、得られた賃金は(労力に比して)微々たるものでありましょうし、またそこに着くまでが一苦労であったでしょう。彼らは学校や寮の近くでそういうものが捜せるほどの日本語力はありませんでしたから。

 ところが、みんなで駅に集まり、点呼を取り、地下鉄に乗り、降りてから東京の街を歩きしているうちに、顔がどんどん明るくなっていったのです。「課外活動」の一つの目的、「気分転換」がうまく行き始めたのでしょう。

 人は誰でも他の人に認められたい。工場では、どうしても採算を上げなければなりませんから、日本語力がなければ、いくら私にはできると思っていてもそれを認めてもらえません。発揮できないのです。それに学校では机について勉強するだけ、大きな声で話をしたり、大声で笑ったりすることにも制限があります。

 ところが、課外活動では、同じ国の人と思う存分話をしたり、あるいは同じ苦労をしている他の国の人と身振り手振りで意思を通じ合ったり、大声で笑ったり、走り回ったり、写真を撮りあったり、つまり、自分を解放できるのです。

 来日して一二ヶ月は、勉強でもアルバイトでも、ある意味では毎日が何かに縛り付けられているようなもの。甚だしき時は、身動きが取れない状態だと自分で自分を押し潰そうとしてしまっているようなこともあるのです。何せ日本語がまだ出来ませんから。誰に何を訴えようにもその手段がないのです。多くは、自分で何とかしなければならないと決意して来日していますから、誰を恨むわけにも行かないのです。

 けれども、ひとたび教室から外に出れば、いつもは怖い顔をして「勉強しろ」とばかり言っているかのように感じられていた教師もそれを言いません。大目に見てくれます。それどころか一緒になって大騒ぎしてくれます。街もいつも見ているにもかかわらず、急に美しく親しげに見えてきます。

 自然と心が解けていき、街行く人を見、いつもとは違って皆と冗談を言いあい、走ったり、笑ったり。日々の生活から解き放たれて、本来の19才の彼女らに戻れたのでしょう。課外活動の時の彼らの顔は、教室で見るときの表情とは全く違っています。

 それからあと、彼らは二度と、「行かなくてもいいですか」と言わなくなりました。

 もちろん、毎学期(四月、七月、十月、一月)と、新入生が入ってくる度に、そういう学生は出てきます。けれども、必ず、「だめ」と言われ、最初は渋々と参加し、一度参加した後は、多くは二度とそう言わなくなります。もちろん、この「多くは」という意味は、本来の目的通り、勉強しようと思って来日した留学生に限ったことですが。

日々是好日
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「春の花」。

2012-04-09 10:44:56 | 日本語の授業
 快晴。昨日は夜、月がくっきりと見えました。春は空が霞んでいるのが普通であるような気がしますのに、ちょいと儲けものをしたような気分です。

 ベランダにおいてある鉢植えの「カイドウ(海棠)」が、可愛らしい蕾を大きく膨らませています。今週、暖かさが続くようでしたら笑み始めるかなと楽しみにしているのですが。

 ところで、この「カイドウ」の花は、日本人も大好きであると思われますのに、どうも漢詩から離れて想像できません。唐物は、当時、庶民から遊離した、いわゆる「ハイカラ」であったでしょうから、そのイメージがいまだに続いているのかもしれません。それ故にでしょうか、どこか心に根付いていないような気がするのです。

 とはいえ、愛らしい花であることは間違いありません。その横には去年の春、買ってきた「しろつばき(白椿)」が花開いています。どうもこの「ツバキ」は、直ぐにポトリと落ちてしまうので、悲しいし、楽しむどころではないのですが。

 これまでは、「花は野に置け」で過ごしてきたのに、去年辺りから、急に植物じみてきました。つまり、植物の世界では、馴染みのない奴ということになるのでしょう。と言うことで、私の様子が、いかにも借り物っぽいので、彼らにしても親しめないのかもしれません。

 さて、学校です。
 明日は「千鳥ヶ淵」にお花見に参ります。まだ日本に来ていない「四月生」が五名ほどいるのですが(彼らはまた来年があると言うことで勘弁してもらい)、「在校生」足すことの「新学期に間に合った四月生」とで、行って参ります。

 実は私、土曜日一足早く越谷で花見をしてきました。そこは土手というか、堤に桜が植えられていて、その河原で花見をしてきたのです。

 まずは、土手を歩いて、どこか良さそうな場所を探します。花はまだ三分か四分咲き、しかも、あの日は肌寒く、風も強いといった、あまり花見には相応しくない一日だったのですが、大きい木が多いのと、枝をズンと河原に向けて垂らしているという形がよかったのです。それが風に揺れてなかなか風情が感じられ、満開であったなら「さもこそあらん」と想像できるような有様がよかったのです。その想像で花見をしたと言えないこともないのかもしれませんが。

 実際、毎年のように花見をすると言っても、絶好の日、絶好の状態というのは、なかなかあるものではなく、皆、かつて自分が見たことのある、すばらしい桜を脳裏に思い浮かべながら、現実の花を見ているのでしょう。

 とはいえ、河原では、焼き肉パーティをしている人が多かったのが気になりました。あの煙と匂いというのは、いささか無粋ですね。花が消えてしまいます。というわけで、結局、Uターンして、入り口に近いところで花見をすることにしました。土手を歩き始めた時、だれも席を取っていない一角があったのをおぼえていたのです。多分、あまりに入り口に近かったので、却って、人が下りていかなかったのでしょう。

 それで、人と争うことなく、ゆったりと花見をすることが出来ました。土手をかなり下っていったので、土手を歩く人声が全く気にならなかったのです。思えば、私の子供の頃はこんな場所があちこちにありました。そこを子供は、遊ぶ基地にしたりしていたものです。ある友人なんぞは、そんなところで雲雀の巣を見つけたことがあるなんて言っていましたっけ。

 枝が何本も頭上を越えて伸びていて、遠くを見ると嫌でも、桜の花が風に揺れているのが見えます。川の向こう岸には、川戸へ移行して車が走っているのが見えるのですが、それが少しも興を削ぐことになりません。遠景だし音が聞こえないからなのでしょう。

 河原でぼんやりしていますと、「ハト(鳩)」が数羽、寄って来ます。「キジバト(雉鳩)」に混じって真っ白い「ハト」も居ます。河原の草を、しきりに突いていましたから、虫でもいたのでしょう。そのうちに「スズメ(雀)」たちがやって来て桜の木の上に群れたり、河原に下りてきたりして遊びはじめました。本当に「スズメ」は古来から親しまれてきた生き物であることがわかります。風景の一部になっているのです。

 と見ていると、風景を切り裂いて飛ぶものがいます。「ツバメ(燕)」です。二羽います。確かに「ツバメ」の飛び方と比べると、「スズメ」は鈍くさくて愛らしい。「あっちは何かで、こっちは私」と言いたくなってしまいます。

 風がかなり強かったのですが、うまいことに土手の下は風が遮られたかしたのでしょう、ほとんど感じられませんでした。とはいえ、だんだん寒くなってきました。

 帰りに駅の近くの駐車場で「スギナ」を見つけました。なんと「ツクシ(土筆)」の坊やまでいました。土曜日は(遠くからでしたが)、電車の中から「レンゲ」も見ましたし、河原では「オドリコソウ(踊子草)」や「ホトケノザ(仏の座)」などの中で、チョイとものを食べられましたし…、なんだか、やっと春になったような気がします。

 季節を感じるには、心のゆとりが必要です。

 新しく来る学生達が、一日でも早く、日本の生活に慣れ、日本の四季を自分の生活の流れのなかで捉えることが出来るようになればいいですね。

日々是好日
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