日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

この暑さで…体調を崩してしまう学生が続出

2015-07-17 08:46:58 | 日本語学校
 曇り。

 「台風11号」は四国を直撃し、そのまま突っ切るようす。日本海に出てから、東に舵を切ったら、東北地方が危ない…。何十年も前のことですが、北海道に台風が上陸したことがありました。ちょうどそのころ、友人の母堂が北海道旅行をしていて、這々の体で戻ってきました。

 北国は雨に弱い(雨といいましても、台風とか集中豪雨のようなものですが)というのが、その時の話を聞いた私の感想。東京の街が、2、3㎝の雪で麻痺してしまのと同じです。

 進路先に予想されている北陸地方は大丈夫でしょうか。

 さて、学校です。

「ジメジメとムシムシ」の暑さに、体調を崩してしまう学生が続出しています。特にどうにか三ヶ月を過ごし、四ヶ月目に入ったという今年の「4月生」。

 …先生、元気、ない…。だるいということばがまだ入っていないのですが、多分、そんな感じでしょう。もしかしたら、冷房のつけすぎ、あるいは、冷やしすぎかもしれませんけれども。

 一年間を日本で過ごした二年生達は、「嫌だ。きらいだ」と文句を言いながらも、経験があることから、この時期をどうにか過ごせるようですが、初めての学生達は、ちょっと参ってしまうでしょうね。日本人だって、体調を崩してしまう人が出るくらいですもの。

 とはいえ、4月に来日したか、7月、10月、1月に来たかで、これまた様子が違ってきます。もっとも、言えることは、7月と1月は、ちょっと不利かなあ…。

 7月に来た人は、この梅雨時の蒸し暑さにやられ、1月に来た人は冬の寒さに震え上がり…ですから。

 現在、学生達の、ほぼ全員が南国育ち。暑さは厳しくとも、こういうムシムシはないらしい。インドの学生はちょっと別なのですが、それでも、暑いときは、皆、無理をしないので、国にいたときは大丈夫だったのでしょう。

 ところが、日本では暑さ寒さに関係なく、いつもと同じように仕事をし、また学校で勉強しなければなりません。これが辛い。大変なときはやらなくていいんじゃないの?というのが、彼らの偽らざるところ。特にラマダンのころはそうだったでしょう。一人、インドの女子学生が授業に遅れがちになったり、休んだりしていましたもの。訊くと、「(ラマダンが)終わったら大丈夫」でしたから。

 でも、まあ、あと二週間です。あと二週間頑張れば、8月4日に「日光旅行」へ行った後は夏休み。ちょっとホッとできるでしょう。帰国する学生もいるようですが、ただ帰国した学生は一様に日本語力が落ちますから、気をつけてほしいものです。それから夏休みを日本で過ごしていても、アルバイトと同国人の友人との会話だけで終わっていると、休み明けに青ざめることになるかもしれません。

 二年生は進学を控えての計画、そして一年生はそれなりの計画を立てておかねばならないでしょう。…まあ、これは話だけ。計画を立てるという習慣のない人たち(立てたことすらないのでしょう)が、全員といわなくても、ほとんどですから。

日々是好日


自分の国と違うこと。

2015-07-16 11:48:38 | 日本語学校
 曇り。

 今は雨が止んでいますが、台風が西日本めがけてやってきています。下手をすると上陸後に、カーブを描いて、こちらに向かってくるかもしれません。ただ今は静かです。とても静か…。小鳥の声しか聞こえません。

 さっきまで強く降ったりしていたのですが、一時間ほど前からぱたりと雨の音が消えてしまいました。「中休み」の、この隙にと、大慌てで出てきたのがちょっと悔しい…。もっとのんびりと出てきてもよかった…。

 学校の寮が見える処(この寮は学校の裏のアパートなのですが)に来たとき、階段を下りてくる学生を見つけました。下りきってこちらを振り向くと、すぐに手を振ってくれました。午後のクラスの学生(4月生)ですから、朝のアルバイトに出かけるところだったのでしょう。雨が止んでいてよかったですね。

 さて、学校です。

 昨日、「Aクラス」でのこと。

 歌の練習のあと、(最初は、「異文化」について書かせるつもりでしたので)「『日本に来て、自分の国と違うな』と思ったことはないか」と聞くと、まず、おしゃべり好きなインドのKさんが、「日本の女性は自由」と言います。

 ファッションを楽しんだり、いろいろなところへ勝手に行けるからかなと思って聞いていますと、「夜遅く帰っても大丈夫」とか、そんなことを言い出しました。「インドは危ない、危ない。女の人は夜、歩けない」と言いますから、女性の自由と言うよりも、日本の治安の良さを言ったのでしょう。

 それで「治安」と書き、説明を加えます。すると、フィリピンのAさんが、「警察がいい。とても親切」と言い出しました。確かに、私も学生達がいろいろなことをしでかして、何度か派出所に行ったことがあるのですが、確かに優しい。私の方で「もっと厳しくしてください。もっと怖い顔をして」と言いたくなるほどでしたもの。(だから、悪いことをした学生も、全然警察を怖がらないのです…)。

 で、Aさんの話なのですが、「財布を落としたときに、親切にしてくれた。見つかってすぐに連絡してくれた」と言います。

 これも治安関係かなと思って最初は聞いていたのですが、彼女がえらく感動したのは、財布がなくなったと言って派出所に行った後、警察官が(財布の)中身を聞いたり、その時の状況を聞いたり、(彼女曰く)一生懸命彼女の相手をしてくれたことについてなのです。

 「フィリピンはそうじゃない。お金のない人はかわいそう。お金がある人には親切だけれども」。Kさんも「そうだ。インドも同じ」と言います。

 このクラスには、ベトナム人とスリランカ人が多いのですが、この二国の学生達は何も言いません。スリランカ人は、思っていることはあっても、言うべきか言わざるべきか、こんなことを言うとなんと思われるかしらんと悩んでいて言えないだけなので、先にそっちの方を突いてみます。ベトナムはいつものことですから、ほっておきます。

 スリランカの学生には、この、ちょいちょいが効くのです。言いたいことはあるにはあるのですから(でも、嫌だったみたいですねえ。私のちょいちょいという嫌がらせが)。

 一番若い学生が周りを見ながら言い始めました。すると、そばにいるスリランカ人が「そう、そう」と力づけていきます。きっと彼らは思っていることを皆に相談して、それから私(教師)に言うという習慣がついているのでしょう。一人であれば、誰も相談する人がいないので、自由にできるのかもしれませんが、何人かいると、そうできないのかもしれません。

 彼が言い終えた後、その隣にいた女子が何か言って(自分の考えであるにもかかわらず)彼に言わせようとしましたので、「自分の考えは自分で言う」と一言。


 彼女を助けるためでしょう、他のスリランカの学生がポツリ、ポツリと言い始めました。「日本人はお米をあまり食べない。自分たちはおかずは少しでお米をたくさん食べるのに」と言ったような、小さなことです。が、まずは気づくことから始まるので、「うん、うん」と力づけていきます。そうしないと、私の顔色を見るのに長けた彼らは、私の表情から「そうじゃないと思っている」と感じると、言った人を非難したり、黙らせたりすることがあるのです。

 そのほかにも、(日本人は)小さなことを気にするといった意見もありました。「小さなことというのは」と聞きますと、「たとえば、ぶつかったときにすぐ謝る。スリランカ人はそんなこと、気にしない」と言います。(へえ、スリランカ人もすぐに謝っているように見えるけれども…。そうか、郷に入ってはをやっていただけなんだ)
 
 こんなやりとりを聞いていても、ベトナムの学生達、何にも言いませんでしたね。これからは「貝」さんと呼んでやると前に言ったことがあるのですが、すると、名前が「カイ」という学生。「はい、私はカイです」。

 最後に、日本の70代、80代の人たちが元気だということが話題になりました。ベトナム人は話に加わりませんでしたが、他の学生達は皆「そうだ、そうだ」と言い、中の一人が、バイト先のお年寄りのことを話し始めました。「若い人よりもずっと真面目。きちんと仕事をする。すごい。私たちの国では、60才くらいのおばあちゃんやおじいちゃんは何にもしない」。「そうだ。60才でも、山に行く人がいる」「若い」…。(60才の人は、自分を「お年寄り」とは思っていないと思うけれどもな…)

 それに、彼らには、農民や漁民は貧しいという動かしがたい先入観があって、日本に来てびっくりするのですが、それと同じように、「老人、働く、貧しい」、「老人、何もしない、金持ち」という図があって、一つ一つ打ち砕いていくのが大変なくらいです。若いくせに上から目線で見て、失礼なことを言ってしまうときがありますので。

 以前、こんなことがありました。これは中国人の女性でしたが、バイト先の人たちとスキーに行くことになって、初めて彼らがスキーウェアやら、スキーの道具一式を持っていることに気づき、愕然としたそうです。彼女の頭の中では、「日本人でパートをしている人、貧しい」、だから、「自分の方が上」みたいな気持ちがあったのでしょう。そういう人がスキーウェアだけでも、10万円を超えるようなものを持っている。しかも、子供の頃から冬にスキーに行っていた…。「えええ!!」だったのです。、頭の中で、固定されていたものが、こんがらがってしまったのかもしれません。

 彼らの中では、「海外旅行に行く人は金持ち。行かない人は貧乏」といった具合に、本当に単純な図があって、それで、人を仕分けしていたようなのです。

 そういえば、スリランカ人も「あの人は車を持っているから、お金持ち」と言っていましたっけ。お金持ちは車を持たなくても人が車で迎えに来てくれるのと言っても、あまり判ってくれませんでした。

 海外旅行も、高校生でも、一ヶ月ほどもアルバイトをすれば、一週間ほどの旅行であれば、行けるのです。これはその人が金持ちかどうかなんてあまり関係がありません。今までコツコツと働いてきたから、一度くらい贅沢をするかと言って、二百万か、三百万くらいする南極旅行や船の旅をしてみる、そんな、ごく普通のおじさん、おばさんだっているのですから。

 家を買えるほどはないけれども、車が好きだから、一千万円くらいの車を買おうかなんていう人もいます。でも、買ったらそれでオケラになります。そんな車にのっているからお金持ちというわけではないのです。

好きなことに、あるいはやりたいことに、お金を使う自由があるだけのこと。そしてそれを奇異の目で見る人がいないだけのこと。

 たとえば、バッグひとつにしても、これはこういう身分の人だけがもつのであって、普通の人はたとえ買えるだけの金があっても、買うべきではないし。買ってはならないというような国とは違うのです。

 それで、スッカラカンになっても、本人が欲したものであったら、それでいいのです。偽物では心の満足は得られません。

 だから、○○を持っているから金持ちということは日本では通用しないのです。

 結局、いろいろなことを聞いたり、説明したりしているうちに書く時間がなくなってしまいました。最後は「だから、どんな人に対しても、失礼なことをしないでね」で締めくくってしまいましたけれども。

日々是好日

4月生は、少し慣れた今頃が一番危ない…。

2015-07-15 08:21:05 | 日本語学校
 暑い。

 暑いから(頭がぼうっとしているから)だとは思えないのですが、一日の短いこと。あっという間に、午後の授業が終わってしまいます。

 聞くと若い教員もそうだと言いますから、これは「年のせいではない…」。

 昨日もやってきた学生達を見ながら、「こんなに暑いのに、よくぞ学校へ来てくれている…」と、なんとなく、ホロリとしてしまいました。

 もちろん、教室の中は冷房で涼しいのですが、一歩教室を出ると灼熱地獄が待っています。

 彼らの国では、多分、こんなに暑かったら働かないでしょうし、それにお昼寝の習慣があるかもしれませんし。

 彼らは来日後、慣れない暑さの中(暑さの種類が違うと言っています。特に梅雨時)で(特に7月生はかわいそう。全く体が慣れていませんからね)、休まずに学校に来て、勉強をしているのですものね。不平が出ても、当然と言えば当然。

 しかしながら、それが少し慣れてくると、敵は何も暑さだけではありませんからね。一ヶ月か二ヶ月は、用心していても、三ヶ月が過ぎる頃から、「ちょっとこれ食べてみようかな。みんな食べているし、おいしそうに見えるし」で、慣れないものを口にして、おなかが痛い…という学生が出て来ることもあるのです。

 調理法が間違っていたり、当日食べた方がいいものを、冷蔵庫に入れておいたから大丈夫だろうと、二、三日してから食べたりして、具合が悪くなる…。

 まあ、これまで、大事になったことはなかったのですけれども…。

 一昨日も、そんな人が二人いました。この、部屋は三人部屋ですから、二人だけ????もう一人は???と思ったのですけれども、その、残りの一人は涼しげな顔をして授業を受けていました。

 このときは、彼ら曰く「病気です」の一人が休み、もう一人は学校に、来ることは来たのですけれども、教室の中でうつ伏せになって、「うん、うん」唸っていました。それで、見ていられなくて帰るように言ったのですけれども、いったいどうしたのでしょうね。

 昨日、二人とも、すっきりした顔で、明るく、「おはようございます」なんて言ってやってきましたから、聞いてみました。ところが、いくら聞いても、ニヤニヤしているばかりで、答えようとしません。なにか、言いにくいことをやったんでしょうね。言うとちょっと恥ずかしい…ことかな。

日々是好日

赤とんぼを見ました。今年初めてです。

2015-07-14 09:41:27 | 日本語学校
 晴れ。

 今日も猛暑日になるのでしょう。それをインドの学生に言ったら、「でも、まだ40度になっていないでしょ」…なるほど、ものは考えよう。

 今朝、赤とんぼを見ました。今年一番の「赤とんぼ」です。

 これも、虫の音や「ウグイス(鶯)」の初音の時と同じ。最初に見たり、聞いたりすると、それだけで、うれしくなってしまいます。…でも、「赤とんぼ」はちょっとおかしいかしら。

 初夏に羽化して、暑さに弱い種は山の方に移るが、そのまま羽化した場所に残るものもいる…らしいですから。

 こういうものは、「みやびな」感じがするのですが、ちょっと違うのは、「サカナ」たち。やはり「口」に関するものには動物の本能めいたものが感じられて、俗っぽくなるからでしょうか。 

 魚なんていうのは、「食べる」がかかっていますから、どこか口いやしくなってしまいます。もちろん、人は喰わないでいれば死んでしまいますから、「雅だ」なんのとは言っていられないのですが。

 今でも、初入荷で、初セリがあり、信じられないほどの高値になることもある。…たかが、魚なんですけれどもね。

 とはいえ、古人は「初物」と言い、それを重んじ、「初物を食べると寿命が75日延びる」なんて言っていました。

 「目には青葉 山ホトトギス 初鰹」 (素堂)

 この句が、今に至るまで人口に膾炙しているというのも、最後の「はつがつお」が効いているからかもしれません。

 もっとも、この気持ちは、「サクラ(桜)」の開花宣言や「梅雨入り」宣言(?)などにも通じるのかもしれません。季節を先取りしていくうちに、一年が過ぎていくような気もしますもの。

 ただ、南国の学生達には、これがうまく伝えられないのです。いつも暑くて、いつも同じものがあるという状態に慣れているからなのでしょうか。もっとも、彼らの国でも、季節はあることはある。気温の変動もあることはある。にも係わらず、季節にふさわしい服の色というのは、ないらしい。寒かったときには、下に着るのです。だから一番上の服の色はいつも同じ…。

 夏でも冬でも(日本人のいう冬なのですが)原色だし、きらきらが好きだし…。、

 そういう人たちには、「衣替え」とかいう考え方がうまく伝えられないのです。服の厚着とか、薄着とか、半袖にするとか、セーターを重ねるとか、そういったものではないんですもの。

 目に暖かそうに見えるとか、涼しげに見えるとか、そういった心理的な部分での話なのです。それは「古人の知恵」でもあると、私たちには、そんな気がするのですが。

 初夏の候、「こういう色の、そしてこういう素材の服を着たときには、見た目にも涼しさを伝えることができる」。へえっ…学生達。聞いていないなと思うのは私。

 これは服の素材が、(着たときに)涼しいというだけでなく、周りの者にも清涼感を与えることができると言っているのです。皆が皆、そうであれば、蒸し暑い夏の日も、少しは救われるかもしれないのです。  

 でも、年中暑いところに人たちに、それを言っても、(もちろん判ることは判りますが)服の素材も色合いも、彼らのものとは違いますし、ちょっと難しいでしょうね。

 着物の布地を見せても、ピンとこないらしいのです。なんと言っても原色が好きな人たちですもの。真っ赤とか、真黄っきとか、目の覚めるような青とかの服が多いのです。それに、色の組み合わせにしても全然違うのです。

 山の緑にしても、「同じ緑と言っても、違う。この色の重なり具合が美しい」なんて言っても、キョトンとしているだけですもの。

 文章を読むにしても、こういうことがいろいろと関係してきますから、彼らにとっては大変でしょうね。

日々是好日

テクテク、道を歩く「鳥」たち。

2015-07-13 08:23:32 | 日本語学校
 晴れ。

 昨日も茹だるように暑く、熱中症で運ばれた人が続出していたようですが、今日も昨日と同じように暑く。もう真夏です。

 ついこの間まで、ずっと雨が降っていて、「やはり梅雨だな。毎日雨だ」と思っていたのに、まるで嘘のように晴れ、晴れ、はれ。暑い、暑い、あつい。。台風が近づいてくると、こうなるのでしょうか。

 今日、来る道すがら、ポツリポツリと俯き加減に道を横断している鳥を見つけました。自転車が近づいているというのに、全く意に介さずに…。

 鳥は…歩くのと飛ぶのとどちらが楽なのでしょうね。飛ぶと腕の筋肉をかなり使うでしょうから、飛ぶ方が大変なのかしらん。特に最初の羽ばたきは生半可な力ではできないような気もします。

 よく、トボトボと道を歩いている「ムクドリ(椋鳥)」を見かけるのですが、彼らは、歩く方が楽なのかな。、駅の構内を歩いている「ハト(鳩)」も、そう。気がつくと足元にいて、踏んづけてしまいそう。危ない、危ない。

 「君たちは鳥でしょ。飛んだらどうですか」と、文句の一つも言いたくなる時さえあるのです。人が多いときなんかは特にそう。「わざわざそんなところを歩くことはないでしょ。蹴っちゃうよ」。梁の上から見ていた方が楽そうに思われるのですが、そういうものでもないのでしょうね。歩いた方が、食べものを探しやすいからなのでしょう。

 何だか、こういうのを見ているうちに、「棲み分け」を考えてしまいました。そこにいるのは、それなりの理屈があるからなのです。

 「イノシシ(猪)」や「タヌキ(狸)」などは、よほどのことがない限り人里には下りてきません。けれども「ハシブトカラス」や「ハト」などは、人家に近いところにいますね。東京などの街中にはいないのに、奈良や厳島神社では、「シカ(鹿)」が街の真ん中をトコトコと歩いていますよね。もちろん、車に轢かれたりするので、危ないことは危ないのですけれども。

 「タヌキ」は東京の真ん中にも、大阪の街にもいると聞いたことがあります。野犬もいないし、人家の生ゴミは食べものになるし、案外、過ごしやすいのかもしれません。鎌倉には「リス(栗鼠)」もいますし。

 野生は野生でも、人の食べものを当てにしていると言う点では、完全な野生とは呼べないのかもしれません。とはいえ、こういう異種の動物の姿を見るのは心が安まります。

 共存は、本当に難しいと思いますけれども。

 人もそう。昔、一山越えるともう習慣が違うと言って「よそ者扱い」されていたのに、今では、「日本人」で一括りですからね。

 どんどん、日本が狭くなっているのでしょう。もう「あづま」と「かみがた」の違いなんて言ってられないのです。それに、「お国」という言葉の意味も、一昔前の「(日本国内の)一地方」から、「異国」に変わってしまったようですし。

 考えてみれば、昔の人にとって、「山を越えた里の人」というのは、すでに「異人」であったのです。狭いところで暮らしていた人にとっては、「見たことも聞いたこともない人」だったのでしょう。

 それに比べれば、今の「異国」は、その異国を日本人の誰もがテレビやインターネットなどで見て、知っていますし、行ったことがある所なのかもしれませんし。もしかしたら、むかしの「お国」よりも、「ずっと近い」という気がする処なのかもしれません。

日々是好日

まず、「ひらがな」と「カタカナ」が覚えられなければ…。

2015-07-09 14:20:53 | 日本語学校
 曇り。

 予報では、午前中は雨とのことでしたが、今は、降っていません。とても涼しい、まるで秋のようです。皆、長袖のシャツか、上着を羽織っての出勤です。

 最近、大型犬を見かけなくなりました。年とった人がこの辺りでも増えたからでしょう。数年前までは大型犬とか中型犬をよく見かけていましたのに。そのうち、散歩が大儀になった人たちが、外に出さずともすむ猫たちの方に目が行くかもしれません。困るのはトイレの砂だけ…ですもの。

 さて、学校です。

 『みんなの日本語』の50課近くまで、母国でやってきていた学生まで、「あいうえお」のクラスに入りたいと言います。「漢字圏」の学生であったら、「うん、その方がいいかも」と言うかもしれませんが(『中級』以後は早くやれるので)、「非漢字圏」の学生、特にベトナムの学生は、『初級Ⅰ』までは、他の国の人たちと同じようにやれても(「聞く力」を除いて)、『中級Ⅱ』の中頃から、ボロボロと落ちこぼれてしまう人が多いのです。

 それで、もしそこまで母国でやっているのなら、そのまま(このクラスは、今日から『みんなの日本語Ⅱ』に入ります)続けて、『Ⅱ』の方を二度やった方がいい。それに、三人のうちの二人が問題にしているのは、漢字をそれほどやっていないということだけらしいので、それは個別対応できる範囲内であると告げ、心配しなくてもいいと言っておきました。それよりも、先が大変なのです、ベトナム人は。

 ヒアリングが悪いからでしょう、せっかく日本にいるというのに、日本語が聞き取れないから、学校で学んだ言葉が学校だけのものになってしまう。しかも、そういう人が行けるバイト先は、ほとんどが同国人であるという工場などでしかありません。

 彼らのためには、(ヒアリングにおいては)練習にしても、問題ごとにしても、他の国の学生の倍以上の時間をかけています(その間、他の国の学生は漢字の練習をしたり、単語を覚えたりしています)。それでも、やはり、劣るのです。

 それでも、真面目な学生は、来日後一年ほどは、聞いてわからなくても、文法だけは懸命に勉強しています。だから、時々、「書いてください」と言うのだと思いますが。

 ただ、いくら懸命に、文法を覚えても、一ヶ月も経てば忘れてしまいます(こちらも復習を繰り返しているのですが)。日常的に耳にすることができるからこその留学であって、そうでなければ、国で勉強しているのと同じです。しかも、日本にきてからは、教師は皆日本人であり、文法も単語の意味も、全部、日本語で教えられるのですから、大変です。気持ちだけは勉強するぞと思っていても、なかなか実行が伴いません。

 それ故に、彼らの国での面接の際、特にベトナムの学生には、「できるだけたくさん学んで来るように」と言ってあります(文法理解が難しいようなのです、それに単語の問題もあります)。面接も二度し、一度目には(あまり勉強していなかった学生には)いかに母国で学んでおかねばならぬかを話し、二度目にはその成果を確認しています。

 もちろん、どんなに選んだつもりでも、わずか十数分の攻防です。こちらは日本語、あちらはベトナム語で話しているわけですから、どれほど相手が見えていたかは判りません。その上、間に入っているベトナム人の仲介者が、私たちの言葉をきちんと翻訳できているかどうか、あるいはしている(意思がある)かどうかも判らないのです。

 ただ、こちらの表情とか、態度とかで、歓迎されているかいないかくらいはわかるはずです。

 最初に、「『第○○課』まではベトナムで学んできてください」と、言ってあるわけですから、二度目の面接の時にそれを忠実に実行できているかを見れば、その学生がどうであるかは、言葉は通じなくとも判るはずです。

 スリランカの学生達が大挙してきたときも、ベトナムの学生達が大挙してきたときも(大挙と言っても、この学校は小さいのでしれているのですが)、本当に困りました。勉強する気もないし、勉強する習慣もない人たち(日本人的に見て)をどうやって教えたらいいのか、はっきり言えば、途方に暮れたのです。中国人ならいくら学校に縁のない人であっても、漢字という共通手段がありますから、どうにかなったのですが。

 (彼らの国の)送り先でも、ただ単に「日本へ行きたい」という人を送っていたらしいのです。状況を話すと、「だって、日本へ行きたいと言っていたんですよ」で、終わり。勉強する意思のある人をよこしてくれと言っても、彼らの国では、見分けがつかない(それがわかったのは、彼らが来るようになってから随分経っていました)。

 高校を出ているということがすでにエリートなのです。だから、高校を出た人で「勉強ができない人はいるはずがない」という考え方なのでしょう。私たちから見ると、同じように高校を出ていても、ものすごい差があるのですが、彼らには判らないのです。これはバングラデシュも同じでした。

 バングラデシュからはそれほどの数の学生が来ていたわけではありませんから、比較のしようもないのですが、ある学生が親戚を紹介して入れたときに、あまりにできないので、彼にそのことを言いますと、「そんなはずがない」。で、ひらがなを彼が教えてみたらしいのです。すると、「全然覚えられない…」ことに愕然とし、さじを投げて、「…うそ…。本当に全然できなかった…」

 本当に同国人であっても、(来日後、同じクラスであっても)わからないのです。誰がどの程度であるかということが。

 来日後、クラスで、自分が一番頭がいいと思っているだけでなく、公然と言う学生がいました。私たちは他の学生の方がずっと理解力があって、上だと思っていたのですが。で、その彼に、私が説明しているときに、脇から口を挟み、自分がシンハラ語で説明をし始めるのです。彼にした質問にも、自分が先に答えるのです。間違っていましたけれども。

 「向こうの方が上なのになあ、どうして判らないのだろう」と、最後には、私の方でも、本当にうるさくてたまらなくなったのですが、このときには、さすがに、口を挟まれた方が怒り出しましたね、「おまえには関係ない」と。いったいに、スリランカ人は、あまり怒ったりしないのです。それが習慣になっているのかもしれませんが。

 だから、図々しいのは図々しくやりっぱなし。わがままなのも、わがままのしっぱなし。それを他の人が、嫌だなあと見ている。そしてできるだけ火の粉が飛んでこないように願っている。それがスリランカの学生達のような気がします。

 外国に来れば、少しずつ、「自分の常識」が通じないということを判り始めるはずなのですが。とはいえ、全く外が見えないままという人もいるのも、事実。

 何事かを教えるためには、相手を知らなければならない。けれども、それは本当に難しい。これだと思ってつかんでも、雲のように儚かったりする。まあ、向こうから見ると日本人もそうなのでしょうけれども。

日々是好日

試験が終わった後は、休みたい…やっぱり…。

2015-07-08 08:44:35 | 日本語学校
 曇り、時々薄日が射しています。

 昨日、午後のクラスでは、(7,8時限目に職員会議のため)前半の授業終了後、放課となることを、彼らが来た時に、言ったのですが、喜ぶこと喜ぶこと。「どうして、私の授業がないことを喜ぶの」と私だけが不満顔。それがわかって、またうれしい…僻目でしょうか。

 けれど、多分、「日本語能力試験」が終わって、ちょっと休みたかったのでしょうね。私たちとしては、「まだ、後に、いくつもの関門が控えている。それを越すためにはまだまだ休息はできぬ」くらいの気持ちなのですが。

 ただ、大半の学生達が、試験が終わっても、月曜日には、いつもと何ら変わりなく、学校に来て勉強していました。そこに、わずか一時間半とはいえ、突然のプレゼント。さて、何をしようとうれしくなってしまったのでしょう。

 さて、学校です。

 人が変わると、授業のやり方も、時によっては教材も彼らに適したものに変えていかねばならなくなるのですが、時々、迷いが生じてしまいます。その時は、「原点に戻れ」です。

 いわゆる「真面目な学生」が勉強していた頃に戻り、あの頃どういう教え方をしていたか、それをどう変えていったかと、振り返るのです。

 えてして、こういう「お尻に火がついてから、クルクルと消し回らっている」ような感じで仕事をしていると、AをBに変え、BをCに変え、CをDに変えしてしまっているのです。そして、原点を見失っている自分に気がつくのです。本来ならば、AをBに、AをCに、AをDにというのが正しいのでしょうけれども。

 特に、「漢字圏」の学生が多かった頃のやり方と、「非漢字圏」の学生が大半を占めるようになってからのやり方との違いは大きい。「非漢字圏」においても、母語の関係から、「ヒアリング力」が劣る者とそうでない者、また単語の並び替えに苦労する者とそうではない者。その中でも、「真面目な学生」が多い場合とそうではない場合。また「才気走った学生」がいる場合といない場合。細かく見ていけばきりがありません。

 最近は「『ヒアリング力』に難あり、しかも『漢字がわからない』、しかも『文法』がなかなか覚えられない」、けれども真面目で努力しようとしているという学生が来るようになりました。そうなると、改めて、教え方や教材について真剣に考えなければならなくなったのです。彼らの希望は大学進学であったり、専門性の高い専門学校で会ったりしますから。

 「ヒアリング力」が劣るだけでなく、やる気があまり見られない。しかも、母語の関係上、「文法」が理解しづらい。当然のころながら、「漢字」を懸命に書いて覚えるなんて努力もしたがらない。こういう学生が多ければ、こちらも、それほど本気にならずにすみます。それでも、二年ほどは努力しましたが、一年に四期ありますから、八回ほどはです。
けれども、彼我の目的が違っているのです。こちらが必死になればなるほど、彼らから見れば、気疎い存在であって、邪魔なのです。「目的が違うよ。ほっといて」なのでしょう。

 日本に来るまでの「18年間」ないし「19年間」、あるいはそれ以上の歳月を彼らは自分の国で過ごしてきたわけで、日本に来たから急に不真面目になったのでも、勉強ができなくなったわけでもないのです。

 これが、スリランカやインドの学生であると、「ヒアリング力」はあるので、文法の理解が「初級」程度で終わっていても、「漢字」が全然書けなくても(言えば、書くのですけれども、それだけ。覚えようという気がないので、終わりです)、「聞く」「話す」ができるので、アルバイトは探せますし、適当なスリランカ人ばかりが行っているような専門学校にも行くことはできました。

 けれども、ベトナムの人たちは大変です。「ヒアリング」と「文法」と「漢字」という三重苦、その上、もともと、それほど勉強する習慣はないという学生が多かったものですから。

 ところが、2,3年前くらいから、大学に進めるのではないかしらんという学生が来るようになりました(少しずつ、学生の選び方が、わかって来たということも関係しているのでしょう。それまでは、向こうの言いなりになっていました。まさか、それほど問題が生じるとは思っていなかったのです)。実際に大学に入れましたし、大学でも大事にされ、有意義な生活を送っているようです。

 そうなると、日本語ができないのは、こちらの責任ということになってきます。あまり口頭練習をする習慣のない彼らに、どのようにして口を開かせるか。また単語だけで話そうとする彼らに、文で話すようにさせられるかどうかが、これからの毎日の課題、そして彼らとの勝負ということになってきます。

 まあ、勝負と言いましても、楽しいものですけれども。

 だって、勉強したいという人たちと教えたいという者との協同作業なのですから、楽しくないわけがないのです。

日々是好日

昨日、「七夕飾り」を作りました。

2015-07-07 14:35:57 | 日本語学校
 曇り。

 梅雨の中休みです。けれども、雲は重く垂れ込め、今にもポツポツ来そうです。

 さて、昨日、午前と午後に分かれ、みんなで「七夕飾り」を作りました。

 「鶴」と「星」が人気でした。面白いことに、ベトナムの学生は、その「星」を紙に貼って、自国の「国旗」を作るのです。こういうことをするのは彼らだけ(この学校では)ですから、最初は驚きましたけれども。これも、幼児からの「愛国心」養成教育のなせるワザなのでしょうか。もう、ちょっと、自由な発想があっても良さそうなものですが。そういえば、バス旅行の時も、ベトナムの学生達は「国歌」を歌ったということを聞いたことがありました。

 話を戻します。

 今年は「独創的な折り手」は見られず、皆、教えられたとおり、説明書にあるとおりの折り方で、折っていました。「不器用」さんが、例年になく多かったようで、あっちからも、こっちからも「せんせ~い(わかりませ~ん)」という声が上がっていました。

 こういうのは、やってみるまでは誰が「器用さん」で、誰が「不器用さん」なのかわかりません。で、「えっ。君はこんなにできないのか」とか、「こんなに不器用なんだ」ということがバレるのもこんな時。

 数年前、インド人が学生が、「折り紙」のレベルを超えた、まるで「建築」のようなものを作ったことがありました。また、違う年次なのですが、スリランカの女子学生が、まったくの「折紙芸術」を拵えて、これまたびっくり。本当に彼らのものは、そのまま、終わりにするのが惜しいような作品でした。もっとも、彼女は美大卒業の人でしたが。

 もちろん、そこまではこちらも要求しません。だって、彼らは本当に「できた」人たちでしたから。あれは器用さを越えていましたね。

 先ほども言いましたように、普通の学生達のことです。

 やってみるまでは(うまいか下手かは)判りませんので、午前のクラス(三つが合同です)を適当に四つのグループに分けたところ、一つの班テーブルに、「できないさん」が固まってしまいました。

 折紙を手に取って、「う~ん」。で、そのままなのです。じっとしている(どうにかしろよ。折るなり、曲げるなり、何でもいいから…と思うのですけれども)。そういう人たちに、もう一度紙を手に取らせ、とにかく折るまではやらせたい。でも、やったことがない人にとって、どうもそれは、少々敷居が高いらしい。

 なんでもいいから折ってみれば、「なんだ、こんなものなのか」となるのでしょうけれども、その最初の一歩がね。とはいえ、「やって、やって」と、こちらにやらせようという不届き者はいませんでした。

 一つか二つ、試しに作ってからは、説明書を見て、「折って作りたいけど、できない。(だから)教えて」と持ってくるようになっていましたけれども。それに担当の教員が、「はい、それが難しい人はこれを」と、糊で貼るだけのものを二、三、紹介していました。それで、「わっか」を作って、それなりに達成感に浸れたようでしたから、まあ、よかった、よかった。

 そして、できあがったら、「はい、ポーズ」で、写真を撮ります。全員が終わったら、きれいに飾り付けられた笹を持って、クラス別に写真を撮ります。

 片付けは、終わった人からテーブルや床に落ちたゴミなど(それぞれの守備範囲)を拾っていましたから、それほど大変ではありませんでした。もちろん、最後は、いつもその教室を使っている学生達が、机といすを元に戻していましたが。

 こういう行事は、しなければしなくてもいいものかもしれません。けれども、やると、集団の中でのそれぞれの立ち位置も判ります。それに、助け合いができる者、リーダーシップが取れる者、先を見て動ける者、手順のいい者などが判ります。それに、何にも手伝おうとしない者、全部人にやらせようという者なども見えてきます。

 日本語の勉強とはまた違った部分での理解ができるのです。ここの学生達のように、日本で働きたいという人たちには、もしかしたら、それが、日本語の勉強と同じくらい、大切なことなのかもしれません。

日々是好日

試験が終わると、もうそれで「終わった」と思っている学生が多いので、困ります…。

2015-07-06 17:38:06 | 日本語学校
 雨。

 台風が近づいています。「9号」が来ているなと思っていたら、数日前まで卵だった「11号」が勢力を強めながら、「9号」の後を追って近づいています。なんだか、夏の終わりの天気予報図を見ているような気分になってきます。

 冬の間、カラッカラのお天気だったのに、梅雨が始まっても最初の頃は「空梅雨」かとも思われたのに、最近は「雨、雨、雨」の毎日です。今朝のように、シトシトと降っていなくても、お湿り程度に(地面は)濡れているので、降っていることは降っているのでしょう、感じれらぬくらいの弱さで。

 というわけで、今日も梅雨らしい雨が降っています

 中国の、乾いた大地から来た学生達が多かった頃は、「嫌だ、嫌だ、雨が続いて。嫌だ、嫌だ。あ~あ、嫌だ」と嫌われ抜いていた「梅雨季」でしたが、そういえば、最近は、「今日も雨です」という感想(事実?)が聞かされるくらいで、他には…だれも何とも言いません。みんな、雨に慣れているのでしょう。

 街の通りには、「ムクゲ(木槿)」や「フヨウ(芙蓉)」が白い花を覗かせ、「キキョウ(桔梗)」や「クチナシ(梔子)」が庭に咲いて、雨の日を彩っています。けれども、今年は、「アジサイ(紫陽花)」をあまり強く感じませんね。例年ですと、もっと存在感があったような気がするのですが。もっとも、この辺りだけのことかもしれませんが。

 さて、昨日、「日本語能力試験」がありました。「留学生試験」では、寝坊して参加できなかった学生が一人いたのですが、今回は、みんな、ちゃんと行けたかしらん。「日本語能力試験」は昼からですから、多分、大丈夫だったでしょうね。しかも、試験会場は近かった…はずですから。

 そして、今日から、「Aクラス」も{Bクラス」も、「N3」の問題集から離れて、「教科書」を用いての授業に戻ります。「ヒアリング」力が弱い人たちの教え方は少し判ってきていたのですが、「ヒアリング力に難あり」と、「文法に難あり」の二重苦の人たちには、その人たちが真面目であるだけに、少々苦労させられています。

 「聞く力」の方は何とかなりつつあるのですが、「文法」の方は、「わかった」とは言ってもらえても、それが使えるまでには、なかなか至れないのです…すぐ忘れてしまうのです。「北海道は東京より寒いです」は覚えられても、それが少し複雑になったりすると、途端に「より田中さんは」とかになったりして、いつの間にか意味が逆になったりするのです。教えたばかりの頃は大丈夫でも、それが長続きしないのです。

 他の国であったら、三度ほど復習するわけですし、そのほかにも復習の機会が多々あるわけですから、それでどうにかなるのですが、この国の人たちは、難物ですね。本当に手強い…。

 よく「100年生きていても、今日は初めての一日」なんていうことが言われていますが、教えることも同じ。対象が異なれば、また新たな問題が生じてきます…。まあ、とはいえ、慣れてくると、甲羅にカビが生えてきます。だから、やっていけるのでしょうね。

日々是好日

来日後三ヶ月…だんだん疲れてくる頃…。

2015-07-02 13:49:04 | 日本語学校
 曇り。

 お空の、向こうの向こうまで、ずっとずっと灰色です。この灰色が波立っていたり、その中に、白い雲がぽっかり浮かんでいたり、薄い白雲が風に流されていたり…こともなく、灰色一色の空です。

 湿度は高いのでしょうね、なんてったって、「梅雨」なのですから。

 南の海上では、「台風9号」が発生し、来週の中頃には近づいてくる恐れがあるとか。台風ねえ、台風なんて、夏か秋のものと思っていたのに…。あれ。今はもう夏だっけ…???。

 やはり、どう考えても日本には、四季ではなく、五季あるのです。

 こういうとき、やはり夏とは言えないのです。四季と同格の梅雨季があるのです。梅雨が終わって、蝉が鳴き始めて、初めて夏になるのです。

 さて、学校です。

 昨日の雨も、午後の学生達が帰る頃には止み、止んだら止んだで、「傘を忘れた」と階段を上がったり下りたり。まあ、置きっ放しにしておくよりは100倍もいいことですけれども。

 「7月生」が来るようになって、「4月生」が急に先輩めいて見えてきました。

 とはいえ、いくら日本に慣れても、勉強をやらない人はやりませんねえ。もう『初級Ⅰ』が終わりそうだというのに、ボウッとしている人はずっとボウッとしています。

 同じように勉強を始めたというのに、この三ヶ月の差というのは大きい。言うまでもなく、「学力」の差だけではなく、勉学に対する態度とか、がんばり度とか、見えてくるものは多いですね。

 眠くても(懸命に目をこじ開けて)、教師(日本人)の言うことを聞き取ろう、理解しようとしてきた学生は、(「できない、できない」と言っていても)かなり聞き取りができるようになっています。もちろん、彼らの国で、どれほど学んできたかも関係していますし、それに、母語の関係で、「か」が「け」としか発音できなかったり、「な」と「ら」の区別がつかなかったりという人たちがいますから、誰が上手だとか、そんなことは言えないのですが。

 ただ、「だいたい、こういう(既習の程度や母語との関係、あるいは社交的な性格の持ち主であるかどうかといった、総合的な判断ですが)人たちが、ここまでできるようになれば大したものだ」、あるいは、「ああいう人たちが、三ヶ月も経つのに、まだこの程度であるということは、真面目にしていないな」とかいったくらいのことは、私たちにも判ります。

 それらは、すべて、次にクラス分けの時の参考にしていきますし、毎日の授業の時の、こちら側の姿勢などにも係わってきます。

 ベトナムの学生によく見られたのが、聞き取れない(聞き取れない人が多いのです)から、すぐ(授業中)聞くのをやめる(集中力が続かないのです)。そして、寝てしまうか、隣の人と騒ぎ出すというタイプ。飽きてしまうのです。座っていれば、それで勉強したことになる、聞く必要もないというところなのかもしれません。

 ヒアリング力がある程度あると、日本に来ているわけですから、ドンドン単語を覚えていけるのに、それがないから、せっかく覚えた単語も次から次に忘れていく。で、だんだん面白くなくなっていく。

 とはいえ、この悪循環を断ち切るためには、たとえ、少々聞き取れなくとも、じっと我慢して聞くしかないのです。こういうのは時間の問題で、遅かれ早かれ、皆聞き取れるようになるのですから。

 その時に単語の数が少なかったり、文法の理解が足りなかったりすると、元も子もなくなってしまいます。

 だから、半年は我慢して聞いておかなければならないのです。どのようなことがあっても。

日々是好日

雨がシトシトと降り続いています。

2015-07-01 12:12:06 | 日本語学校
 雨。

 やっと梅雨らしくなってきました。

 ふと、灌木の下に目をやると、笹が溢れんばかりに生い茂っていました。困ったことに、こんな笹を見てしまうと、目が、「ナルコユリ(鳴子百合)」や、「ヤマブキ(山吹)」の花を追ってしまうのです。季節は疾うに過ぎているのですけれども。

 目とは不思議なもので、本当は、脳のなせるワザなのでしょうが、そこに存在しないものを見てしまうのです、心がそれを求めれば。そして見ているうちに、どちらがうつつなのか、分からなくなってしまうのです。きっと、見えているのに、見えない、映っていなくても見えているということなのでしょうね。そういうのが、年と共に増えてきたような気がします…大丈夫かな。

 さて、学校です。

 一昨日来日したベトナムの学生が、早速授業に参加しにやってきました。彼の場合は、一冊目(『みんなの日本語Ⅰ』)は、国でやったということですから、できれば、4月生のクラスに入ったほうがいいということで、試しに勧めてみたのです。

 もちろん、無理だと思われれば、他の7月生と同じ、「7月生クラス」で、「あいうえお」から始めることになります。ただ、昨日の話ですと、ヒアリングに難があっても、聞いているうちに、少しずつリピートできるようになっていたということでしたから、多分、大丈夫でしょう。

 新人効果というのもあるようで、来日後三ヶ月が経ち、中だるみ気味になっていた「ベトナム人4月生」たち、昨日ばかりは、張り切って勉強していたとのこと。これが続くといいのですが。

 学生達を見ていると、(もちろん、様々な事情があり、国で日本語が勉強できなかったと言う人はいます。けれども大略において)国でもきちんと勉強していた人は、来日後も同じように、きちんと勉強ができるのに対して、全く国で勉強しなかった、あるいは、「ひらがな」くらいしか書けないという人は、(本人がいくら、「日本へ行ったら、勉強する」などと言っていても)日本へ来ても、まず「しない」(できないのではありません。普通の能力はあるのです)と見ていた方がいいようです。

そういう学生で、二年間きちんと勉強できた人は、あまりいません。

それはそうでしょうね。ここは日本で、教師は皆日本人です。文法の説明も単語の説明も何もかも日本語でやられてしまいます。それが分かるまで我慢できるということは、まず、相当の根性が必要になってきます。途中で(心が)折れてしまうと言う人が出てくるのも分かります。また、アルバイトが始まると、お金が入ってくるのがうれしくなり、そちらの方が大切になってきます。

 だって、勉強は努力しなければなりませんもの。それに比して、アルバイトは、簡単な日本語で足りますもの、それほど考えなくても、練習しなくても、同じことを繰り返すだけでいいのですもの。そしてお金が入ってきますもの。気も大きくなり、太っ腹になり、散財しても、まだまだお金はあるような気分にもなりましょう。

 数年も前のことですが、アルバイトで、10万円くらい稼いでいたスリランカの女子学生に、「お金は大切に使わなければいけない(すぐに好きなものを買ってしまうのです)。もらったら、貯金しなければいけない」それに、「進学したいのなら、専門学校でも60万円か70万円くらいはかかる」と言いますと、「大丈夫。私はたくさん持っている」と言うのです。で、「貯金はいくらあるか」と聞きますと、「ない」。

 「いったいどうする気なのだ」と驚いて聞きますと、「私はたくさんもらうから大丈夫」「たくさんって…無いでしょう」とまた聞きます。どうやら、彼女、アルバイトで入ってくる10万円ほどで、これらのお金が全部、簡単に賄えると思っていたらしいのです。

 で、「70万円というのは、あなたが、ご飯も食べずに、何も買わずに、半年貯金しても、まだ足りない」と言いますと、「えっ…」。分かっていなかったのは、彼女だけではなかったようで、そばにいた他のスリランカ人女子学生たちまでびっくりしていました。

 これで、少しは、お金の価値が分かったのでしょう。それからはあまり簡単に人にプレゼントしたり、ほしいものを買ったりしなかったようですから。

 それに懲りて、私たちも、その後数年は、スリランカ人女子学生に対しては、別の指導を入れることにしました。アルバイトが見つかった時点で、毎月、銀行にいくら貯金していけるかという計画を一緒に立てていくことにしたのです。

 しかし、それも昔の話。自分たちでやっていけるようになったようです。ただ時々、全く分からない人も出てくるようですけれども。本当に、あるだけ全部使ってしまうのです。
判らないと言うのは、本当に怖い…。

日々是好日