日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

教師だって、イラッとするときは、ある。それも少なくない。

2016-09-28 08:19:55 | 日本語学校

今朝も涼しい…と言ってもいいのでしょうが(比較してです)、少しムシムシしています。

昼には30度超えになるとの予報が出ていても、やはり、もう夏ではありませんもの。木の葉は、まだ色を変えてはいませんが、道の辺の草花の方は、ゆっくりと夏のものから秋ものへと変わりつつあります。

「タデ(蓼)」類の姿をよく見かけるようになりました。「ヒガンバナ(彼岸花)」ももう終わりでしょうね。つい2、3日前、、「今年はまだ『ヒガンバナ(彼岸花)』を見ていない」と話していましたのに、昨日見てしまいました。色を失いかけてていた「ヒガンバナ」を。

「田の畦が真っ赤に染まるほど咲いているはず」の存在でしたのに。それが、ここでは見かけると自然と郷愁をそそられる類いのものになっています。

「ススキ(薄)」もそう。土手でもあまり見かけなくなりました。だいたい、「取る」などもってのほか。観賞用のものになり果てています。

こどもの頃には、いつも「お十五夜さん」の時に、「ススキ」を飾っていたものですが、こちらでは、中秋の名月が終わってもまだ、ススキの穂が伸びきっていません。九州と関東の違いなのでしょうか。それとも旧暦と新暦で祭りの時期が異なっていたからなのでしょうか。ススキの種類が違っているのかしらん。これもまた不思議。

こどもの頃、「お月見だから、ススキを取ってきて」と言われて、取りに行くのが姉と私の仕事でしたから、こんな些細なことにも、ちょっと違和感を覚えてしまうのです。

「ススキ」は、買うモンじゃない…ような気がするのですが、「七草がゆ」の「七草」と同じように、季節を買わねばならなくなっているのでしょうね。いつの間にか、買うものだと相場が決まっています。これも判りはするものの、寂しいことです。

さて、学校です。

今年の4月生の上のクラス「Cクラス」では、今、「中級(読解・文法)」教材に入る前に、「初級」の復習をかねて、初級レベルの読み物を読ませています。ここには彼らが知っておかねばならぬ種々のこと(「エコ」という言葉であり、環境や動物保護という考え方であり…)が出てくるのですが、こういうのを映像で少し見せるときに、毎年イラッとさせられてしまうのです。

同国人がいなければ、相手がいないのでまあ、騒ぎようがないからいいのですが、これが、二人いるともうだめ、三人、四人となると、大騒ぎになって注意しなければならなくなってしまうのです。

(見て)話し合うなら文句はありません。そうではなく、「ほら、あんなことをしている。馬鹿みたい。わはははは。」「きゃあ、はははは」ぐらいのもの。彼らの言葉はわからなくとも、単に面白がっているだけであるのはわかります。彼らの表情、動作から「学ぶ」とは場違いの反応が見て取れるのです。

単調なことが延々と続く…そういう生活に慣れているから、日本人などが、編集した映像は彼らにとって刺激的である。見慣れないから、驚いて騒ぐ、だけなのかもしれませんが、いらっとさせられてしまう。

クラスの中に一人でもきちんと見ることができる学生がいれば御の字。時には全滅ということもあるくらいなのです。

まだこのクラスは、こういうものを見るレベル(日本語のレベルではありません)には達していないのだと、途中で打ち切ったこともありました。ちゃんと見方を説明して見せても、彼らの興奮の前では、役に立たないのです。

もちろん、「見るときは寝るとき」と勝手に決めて、寝てしまう学生もいます。

授業で教師が話している(教えている…と言った方がいいのかしらん)だけが、勉強ではありません。彼らに(知識面で)欠けている部分は、「百聞は一見に如かず」ですから、映像で補った方がずっと早いのです。そういう「学び方」が、多分、母国で経験がないのでしょう、わからない。

これができるようになるのは、二年目の後半。うまくいけば、半年ほど。普通は最後の三ヶ月ほど。説明を聞き、考えながら見ることができるのは。とは言いましても、できない人は、二年目が終わろうとも、できません。見せても、相変わらず、来日したばかりのときと同じような反応を示すだけです。

日本人はこういう刺激になれすぎて、テレビであろうと何であろうと、さらなる刺激(誰も見たことがないとか、もっとすごい映像を求めがちなのですが、彼らは違うのでしょうね。彼らはもっと静かなもの、ありきたりのものでも、きっと驚いてみてくれるような気がします。

でも、やはりうまく編集されているものを見せたいですしねえ。いいものはいい。時間が掛かっても、わかるように慣れる人は、いつかは判るもの。そう考えて、イラッを抑えています。

日々是好日
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「冬の布団」は、重いもの?軽いのもある?

2016-09-26 08:23:37 | 日本語学校
暑中から、残暑に行くはずだったのに、残暑と言われるほどのものが今年は、今迄、なかった… 。

猛暑から、突然に涼しくなり、ちと困ったというのが実際のところだったでしょう。とはいえ、夏物を片づけるには早すぎる…。薄手の上着かカーディガンさえあれば、なんとかなる…。

さて、先週はずっとぐずついていました。「秋晴れ」よりも「秋の長雨」のほうに軍配が上がっていた…というのが9月のお天気。洗濯物は一日中、ジメッとしていましたし。

お天気が不順な分、風邪を引いたり、体調を崩したりという学生が増えました。午後のクラスの学生達は、「朝の7時に出かけ、昼の12時に戻ってきて、昼ご飯を食べ、学校に来る」という毎日なのですが、その途中に、雨にやられると、途端に体調を崩してしまうのです。

学校で授業を受けている間に、だんだん萎びたようになってくるので、わかります。中には、それから夕方のアルバイトが控えている場合だってあります。でも、その日は急には休めない。だいたい、風で寝込むという「習慣」がない人たちですから、「悪寒がするときに、○○クスリを飲んで暖かくすれば大丈夫」なんてことも考えたことすらない。

それで、次と、時には、またその次の日も、寝込むということになってしまう。

こういう風土に育った人間とは寒さに対する感覚が違うようなのです。真冬でも裸足の学生もいますし,ダウンの下は半袖というのもザラですし。

そういえば、先日、教科書で「布団が重い」というのがあったのですが、そのときに聞くと、数人が誇らしげに「私の布団は重い」と言っていましたっけ。

「軽くて暖かいというのもある」と言うと、皆、キョトンと顔を見合わせているのです。こんなこんなだと説明して(もとより口だけではわかりませんから、実物を見るに如かずというわけで)、近くのホームセンターへ行ってみてごらんと言っておいたのですが、一人でもそれがわかると本格的な寒さが始まるころには、皆に浸透していていいのです。

前の学生でも、こういうことはありました。そのときはもう冬でしたから、すぐにわかったようでしたが。彼らはまだ、日本の冬を知りませんし、「寒い、寒い」と言いながら、「いつから冬ですか」と訊くくらいですから。…実は四季の感覚がないので、「春は暖かい、夏は暑い、秋は涼しい、冬は寒い」とくり返させていたのです。

今日は、蒸し暑いようですし、今週は暑さが少し戻りそうですから、良さそうなものの、本格的な冬が来るまでは、「寒い」というのが、はっきりとはわからないでしょうね。

日々是好日
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「寒い?」「涼しい?」「暑い?」

2016-09-15 09:28:42 | 日本語学校
曇り。

今は雨が止んでいますが、私がうちを出た時には、ザァーザァーと、土砂降り。自転車で…などという甘っちょろい考えなど、どこかへ行ってしまいました。

で、雨の中をトボトボと歩いて来たのですが、歩くのも、一概に悪いこととは言えない…まあ、ちょっと面倒ですけれども。

あるお宅の庭から、「ムラサキシキブ」の枝が伸びているのを見つけました。もう、秋ですねえ。この紫色の実を見ると、つくづくと秋を感じてしまいます。草花の名の中にはなかなかに雅で床しいものも多く、「ジュウニヒトエ」もそうですし、「ヒトリシズカ」「フタリシズカ」などもそう。

卑俗に過ぎる名のものもありますが、それはそれで「クスリ」と笑ってしまえば済むこと。別に花の名で、誰かが傷つくということはない。もちろん、笑い飛ばせるような名ばかりとは限りません。中にはかわいそうな名もあるのです。

とはいえ、たとえ、それが、当時の貧しい子供たちの悲惨な生活をそのままに表しているようなものであっても、それはそれなりに、今の人の心を立ち止まらせるほどの力はあるのですから、それだけで見上げたもの。

以前は野花と人との関係が非常に近かったのでしょうね。悲しい名であっても、子守歌だって悲しいものが多いくらいですから。

さて、学校です。

だんだんに秋めき、曇り空が続くようになりますと、気温も、もう30度超えという日がなくなってきます。それでも、私たちにとっては、「夏」ですから、真昼時など、長袖でとは参りません。そこが授業をする上での悩みといえば、悩み。その理由は…。

午前の後半や午後のクラスに行きますと、ドアを開けただけでむっとした空気を感じます(ちなみに、熱気ではありません)。で、学生の様子を見ますと、三分の一くらいは長袖を着、中にはカーディガンや上着を羽織っている者さえいます。で、「寒い…」。授業の始まる(9時)ころなど、「寒い、寒い」と真冬のような格好になっていた者もいたとか。

29度くらいですと、(湿度の高い日には)できれば、冷房を入れたいと思うような日だってあるのです。なにせ、教室の中には学生が十数人いるのです。窓もドアも閉め切っていますと、1時間も経てば、ムワッとして、汗が出てくるのです、私など。

ところが、寒い、寒いという学生がいますし、それほど言わなくとも、窓は開けないでほしい…だろうなと(目で)思わせる者もいます。

というわけで、私一人が汗をかきながら教室の中に「存在する」ということになる。

けれども、そう言われてみれば…。以前、10月頃にハノイへ行くとき、「今、ハノイはまだ暑い?」と、ベトナムの学生達に訊きますと、一様に「寒いです」ときっぱり言ったものでした。それで、まあ(完全に信じてはいないにしても)それでも、カーディガンか長袖くらいは持って行ったのですが、まあ、着くと、暑いこと、暑いこと。30度は超えていましたね、夜でしたけれども。

例によって、やられた(よく騙されるのです、学生達に)。ところが迎えのベトナムのガイドさんも、しっかり上着を着ていたり、厚手のカーディガンを羽織っていたりする。そして、「今晩は寒いですね」と日本語で答えるのです。

彼らにとっては、これくらいの気温でも涼しさを通り越して、肌寒さを感じるものであったのでしょう。

今日も、少し早めに来たミャンマーからの学生に聞きますと、「寒い」。「でも、今は秋でしょう。」すると、スリランカの学生が「(秋は)涼しい」。もう一度、「『涼しい』というと心地よさも入ってくる。どちらですか。」と問いかけると、ミャンマーの学生、「やっぱり…寒い」

そうか、やはりそうなのですね。これから、窓を閉めても不快感を感じなくなるまで、ちょっとしたせめぎ合いは続きそうです。

日々是好日
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秋雨前線のせいかしらん。今日もぐずついたお天気のようです。

2016-09-14 08:43:59 | 日本語学校
曇り。昨日同様、突然の雨…になるかも。

一応、9月ですし,秋雨前線が台風の動きの影響を受け、活発化するかもしれず、そうなれば、そりゃあ、雨になるでしょう…けれども。

涼しい…。従来ですと、まだ残暑が厳しい…はずと思っているのですが、もしかしたら、勘違いしているのかもしれません。もう、季節感なんて言ったって、何が何だかわかりません。個人差もあることでしょうし…なんて、なんだか言い訳めいてしまいます。

台風が来る毎に涼しさを増していき、草花の姿も変わっていき、そして秋真っ盛りになる…はずなのですが、台風が来なくても涼しくなっていましたし…。だいたいが8月に、ああまで台風が来るなんて、考えも及ばぬこと。

もちろん、お盆のころはよく台風に襲われ、帰省した飛行機がよその空港に着陸するなんてことはザラでした…とはいえ…。季節に関する愚痴なんて、たあいがないと言えばたあいがないことながら、尽きぬものですね。

まあ、愚痴はこのくらいにして、秋の虫たちの合奏が本格的になってきました。朝はかそけき音も、帰りには大音声となり、辺りに響き渡っています。体はあんなに小さいのに、よくもまあ、あんなに大きな声が出ること。馬鹿にはできません。

さて、学校です。

「日本語能力試験」の申し込みが始まっています。例年、ベトナムの学生達は試験を受けたがらず、スリランカの学生は受けたがり過ぎる。試験が好きなのかしらんとしか思えないのです。コツコツと勉強するのは余り好きではないという人が少なくないにも係わらず…なのです。ここのところがよく判らないのですが。面白い現象です。頑張っているから…それで、「受けたい」ではない場合も、かなりあるかのようにも思えるくらい…なのですけれども。

私たちにしてみれば、真面目に勉強している学生には、「どうかしらん。今のレベルがわかるし、受けることは勉強にもなるから、受けてみれば」と水を向けてみるのですが、ベトナムの学生は、知らん顔。そして、一言、「ベトナムでは『N4』に合格しても何にもならない」。まあそう言われればそうなのでしょうけれども、試験を受けるというのには、それだけではないメリットがあるのです。自分のレベルがわかるというのもその一つ。猿山のサルに終わりませんから。それから、その目標に向かって、頑張ることにより、レベルが自然と上がるというのもその一つ。

確かに、受験にはかなりの金が掛かる…これは困ることです。でも、どうしてこんなに高いのでしょうね。発展途上国から来ている学生達にとって、たとえ日本でアルバイトをしているにせよ、一回6000円というのは高い。決して簡単に、「試してみるか」と思える額ではありません..

4月に来日した学生(二年間日本語学校で勉強できます)にとって、一回かせいぜい二回と考えるのも当然といえば当然。それに大學を目指している人は、『日本留学試験』という難物も控えていることですし。…この試験料も高い。

私たちも学生達を課外活動に連れて行くとき、必ず「交通費」を考えます。もちろん「入園料」や「入館料」というのも関係しますが。高いと学生達は二の足を踏んでしまうのです。たとえどんなに勉強になると思われても、まだそれがわかるほどには、(学生達の)興味関心、あるいは視野が広くはないのです。

こういう日本語学校では、日本語を教える傍ら、視野を少しずつ拡げていけるような活動が不可欠なのですが、いくら東京近郊で地の利があるとはいえ、学生の方が動かないことにはどうしょうもないのです。

まずは、見せる。そこから始めるよりほかないのですが、それが成立しないことには、何にもできません。

一昔前のベトナム人の学生や、その前の中国人の学生達は、こういう課外活動の意味がわからず(わかっても無視)、こういう日は、「学校が休みだから、うちで寝る日」と決め込んでいるような有り様でした。こういう人たちを連れて行くのは本当に大変なことで、集合時間になっても、駅に来ませんから。呼び出しの電話を一人ずつに掛けて起こしたり、駅に行く途中、寮に寄って一緒に連れて行ったり、あるいは出席率が関係するよと脅したり。

今から考えると、こういう人たちにはこちらがどんなにムキになってしても、詮ないことでした。彼らの目的と私たちの目的とは「鶍の嘴の食い違い」で、最後まで接点のないものだったのです。互いに、どうしようのないことだったのでしょう。彼らにしてみれば、ありがた迷惑、よけいなお世話。私たちにしてもせっかく考えた活動なのにと彼らを責める気持ちだけが膨らんでいくという悪循環。

それに比べれば、今は随分マシです。課外活動などの費用だけが問題で、勉強したい、いい大学ないし、いい専門学校に行きたいという気持ちは、大半の学生達には確かにあるのですから。

それゆえ、往復でも(だいたい都内のあちこちに連れて行くのですが)、500円以内に、できるだけ抑えるようにしていますし。

もとより教科書や問題集、参考書などは別です。非漢字圏の学生でも「N2」を目指せるような人たちで、勉強するための本代にお金を惜しむようであったら、それこそ、バッテン。まずは成功できないでしょうね。

日々是好日
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今週から、「新学期」が始まりました。

2016-09-02 08:29:09 | 日本語学校
曇り。時々晴れ。

今朝は涼しいですね。「もう秋です」と言いたくなるほどに。…でも、実際は9月になったばかり、台風接近が続くであろう9月になったばかりなのです。

とはいえ、「セミ(蝉)」の声がパタリと絶え、草むらから虫たちの声がか細く聞こえてきています。

「セミ」を説明するとき、私などは壁にへばりついて、「ミーン、ミーン」とやってみせるのですが、その意味に気づいた学生が、他の学生に説明する時には、仰向けに死んでいる「セミ」のまね。いやはや、…でも、そうなのですよね。彼らは、「セミ」の声を辿って、樹を見上げたりはしませんものね。地面に落ちているあの姿を思い出し「ああ、あれか」と思うだけなのでしょう。

さて、学校です。

今週から二学期が始まりました。スリランカの学生達は、総じて、学校に通っていたときよりもスムーズに話せるようになっているものですから、心配はしていなかったのですが、(「生活日本語」に長けており、アルバイトに足るだけの日本語は、たいてい、聞き取れ、話せるようになりますから)、問題なのはベトナムの学生たち。

休みが続くと覿面に落ちます。音が正確にとれなくなり、発音もあいまいになって、さあ、大変。それのみならず、語順も、ベトナム文法でやろうとしはじめますから、何が何だかわからなくなってくる。果ては、日本語のようだけれども、何語なんて言われるようになってしまう。

で、これまでの経験から、そうなってはいまいかと畏れていたのですが、思いの外に、…大丈夫でした。

これはアルバイトが関係しているのでしょう。以前の学生達は皆、工場でのアルバイトでした。が、最近は、(同国の)先輩たちに紹介されて、レストランなどで働けるようになっているのです。

以前は、学校に来ぬ限りは、日本語を聞いたり、使ったりするというチャンスはなかったのですが(部屋に戻れば、同国人との会話ですし)、休み中も、レストランで働けるとなりますと、「耳」は学校にいたときと同じレベルか、少しぐらい落ちるとしても、それほどの事はない…ということになります。

多分、彼らが国にいたときには、日本に行けば自然に話せるようになると思っていたのでしょうが、実際は大違い。アルバイトが工場でラインに乗っかってのものですと、まずは話すチャンスなんてありませんもの。

せっかく学校で学んでもそれを使う機会がないと、いつの間にか「(日本語の)音」は消えていき、あやふやな音(ベトナム的な音)と化していきます。

学校では、その都度注意していても、生活の中にそれを生かされる場所がないと、弱いものです。すぐに「母語の音」に戻っていきます。

今年来た学生達は、まだ定着といった段階(来日後半年ほど)ではありませんから、大変です。ところが、それほど落ちてはいなかった…(もちろん、「発音」が良くなってはいませんでしたけれども)。これだけでも「御の字」です。

これまで通り、休むことなく学校に来て勉強を続けていれば、「雨垂れ石をも穿つ」です。

きっと彼らの希望通り、進学でき、日本の会社に就職することもできるでしょう。日本人は、真面目な人が好きですから。

日々是好日
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