日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「桜」。「歳の長けた就学生」。

2010-03-31 11:57:24 | 日本語の授業
 近所の「シダレザクラ(枝垂れ桜)」が満開になりました。道行く人達は、そのお宅の見事な「シダレザクラ」を見上げては、ため息をついたり、微笑んだりしています。この「桜」は、東京でよく見かけられる「ソメイヨシノ(染井吉野)」とはまた違って、色もかなり濃いのです。とはいえ、公園の並木の「桜」はまだまだ固い蕾。今年は、「花の雲」は見られそうにありませんから、せいぜい楽しんでおきましょう。

 今朝、若い先生が学校に来て、途中で出会った学生のことを話してくれました。彼はこれから千鳥ヶ淵に行くつもりだったようで、「まだ早い。今行っても、『二分咲き』か『三分咲き』くらいだ」と言ってやると、では「新宿御苑」にしようかと腕組みしていたそうです。

 「新宿御苑」には、何種類もの「サクラ(桜)」があるので、早咲きのものはすでに咲いているでしょうし、それに、いろいろな種類の花木が植えられていますから、「サクラ」に拘らなければ、他の花木を楽しむという手もあります。けれども、もし「サクラ」というのであれば、一番いいのは、やはり今週の日曜日に「お花見」に出かけることです。そして、一人では行くのではなく、お友達を誘って、みんなでお弁当をもって行ってみてください。日本人の習性というものもわかって、面白いですよ。

 さて、今年の卒業生たちも、いよいよ大学のオリエンテーションなどが始まり、学校へ来る暇がなくなってきました。「(卒業して)寂しい、寂しい」と言っていた学生達の「(当座の)寂しさ」も、直ぐに忙しさに変わっていくでしょう。みんなが「楽しい、楽しい」と言って、大学や大学院、専門学校へ行ってくれるのが、(私たちにとって)一番うれしいことなのですが。たとえ難しい学問であろうと、それを学びたいと言ってその大学を選んだのですし、そのために勉強して来たのですから。それに、大学へ進めば、同じ学問に興味のある友人が出来ます。その人達と常にその学問に関する話をしていれば、日本語の上達の進度も日本語学校にいた時とは比べものにならないくらい速くなります。自分ではわからなくともそういうものです。基礎(一級レベル)は、ここでしっかりと勉強しているのですから。

 さて、こういう勉学に励み、他のことではほとんど問題を引き起こさなかった学生達が卒業してしまうと、早速、引っ越しやらアパートやらの問題が生じてきました。やはり、これも学生の「質」の差でしょうか。勉強に集中し、アルバイトにも頑張っている学生達は、そのほかのことには、あまり欲を出しません。日本語学校で勉強するということは、彼らにとっては通過点でしかないのです。そのために無駄なお金を使おうとは思わないようです。

 しかしながら、大学や短大を出て、しかも年齢もすでにかなり長けている人たちにとっては、そうではないのです。高校を卒業して直ぐの人たちのように、「今、頑張っておけば、後でいい大学に入れる。そうすれば好きなことが勉強できる」とか、「今は我慢の時だ。大学に入れば、本を買ったり、アパートを捜したりしてお金がかかるから」とかは考えられないようなのです。

 今(日本語学校で勉強している時)も、「適当に楽」で、「適当にいい暮らし」をしたいと考えているのでしょう。高校を卒業したばかりの学生達には、「今は我慢しておくんだよ。勉強している人たち(つまり、学生)は、お金がないのが当たり前。お金がない時は、いい部屋に住みたい(当然、部屋代も高くなります。その他にも、光熱費や水道代など、いわゆる生活費は必要です)とか、贅沢をしたいとか言ってはだめだよ。そういうことは、自分で稼げるようになってから考えなさい」というのが通じるのですが。

 以前は、中国人でも、年齢が高い方が我慢ができました。ところが、中国も変わって来たようですね。高校を卒業して直ぐの学生達の方が、「大学へ行きたい」という気持ちが強いのです。頑張りがきくのです。

 この学校では、勉強する学生が欲しい。だから、日本での暮らしを「リッチに」「適当に」過ごしたいという学生には、あまり適しません。非常に適しません。

 それから、ルールを守らない学生にも適しません。「私たちはこうだ」は、この学校では通じないのです。日本のルール、これは、法律上は罪ではなくとも、モラルが問題になるのです。「自分達のところはこうだ」で、とんでもないことをやるような学生は、来てもらいたくないのです。

 高校を出たばかりの学生達には、「いいこと」と「悪いこと」が直ぐに伝わるのですが、中国で、すでにおかしな習慣がついている、年の長けた学生たちには、難しいですね。私たちから見ると、どうしてこんな学生達が来てしまったのだろうと思ってしまうのですが。

日々是好日
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「『春休み』二日目」。「竹の子を 竹になれとて 竹の垣 (小西来山)」。

2010-03-30 10:01:46 | 日本語の授業
 昨日の騒ぎが嘘のように、空は青く澄みきっています。昨日は大変でした。雨が降っていたと思ったら直ぐに陽が照りはじめ、予報は外れたなと思っているうちにまた雨。帰る頃にはそれが霙に変わっていました。それで自転車をおいて帰ったのですが、歩いているうちにまた雨は止み…結局最後はどうなったのでしょう。

 とにかく、今日は晴れです。桜はもう三分咲き。この分で行くと、一番いい頃に、日本を留守にするということにもなりかねません。残念至極。せめて、金曜まではしっかりと見ておくことにいたしましょう。

 それから、「歩いてお得」、そのままに、今朝は久しぶりに「ツクシ(土筆)」を見ました。子供の頃は、皆(この土筆が「スギナ」の子であるというので)、いつ杉になるのかと待ちわびたものでしたが、今となっては、それももう笑い話です。

「竹の子を 竹になれとて 竹の垣」(小西来山)
「その物を育んとして、その物を損ふ」と言いますから、余計なお節介とでもいう意味なのでしょうか。物はそう生まれついてさえいれば、放っておいてもそう育つもの。余計な手出しは、天性のものを損ないこそすれ、ためにはならないということなのでしょう。

 思えば、俳句には「虫」や「蟇」など、花鳥風月とはあまり関係のないものが多く見られます。

「蟇(ひき)歩く 到りつく辺(へ)もあるごとく」   (中村汀女)
「かげろふ(蜉蝣)や 塚より外に 住むばかり」        (丈草)
「毒ありて うすばかげろふ(薄羽蜉蝣) 透きとおる」       (山口誓子)

 戦後、「俳句…第二芸術論」というのが出ました。俳句には、…そうかもしれないなと感じるような作も確かにありました。短すぎますから、よほどに言葉がこなされ、精神が昇華されていないと、ただの「呟き」と同じになってしまいます。ただ、不思議なことに、(自分を顧みますと)咄嗟に脳裏に閃いたりするのは、短歌ではなく、俳句の方なのです。短歌は長すぎるのです。俳句の方がため息でもつくように、ホロリと思いを出すことができるのです。

 言葉を換えて言えば、それは名作と呼ばれるような小説の、「冒頭の一節」のようなものなのかもしれません。俳句とは元来が「連歌」の冒頭句、「発句」です。「付け句」はないけれども、ある広がりを予感させる「冒頭句」なのです。そこには、表されてはいないけれども、物語を紡いでいける力が秘められているのです。

 そういう「言霊の力」がある限り、また、思いを「凝縮・昇華」できる限り、「俳句」は、やはり、文学であり、芸術でありつづけることができると思います。

 ところで、学校です。
 昨日は学校に勉強に来たり、また、勉強に来た学生を茶化しに来たりと自由に遊びに来ていました。その他にも(今日(3月30日)から「オリエンテーション」が始まるという大学もありましたので、昨日は)午後に入管に行ってビザの変更をするという学生が午前中、チェックをしてもらいに来ていました。

 さて、今日はどうでしょうか。例の一人は予備校が始まるまで頑張ってもらわねばなりません。まじめにやっていなければ、怒ります。とは言いながら、英語の勉強をはじめた途端に眠ってしまったと言っていましたから、先が思いやられますね。まあ、甘えていられるのも、今だけでしょう。来月からは、日本人と一緒に予備校で頑張らねばならないのですから。

日々是好日
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「『三日見ぬ間の桜』…チラホラ」。「『古典(漢文)』、共有しているかどうか」

2010-03-29 09:51:08 | 日本語の授業
 今朝は、どこやら湿っぽい空気の中を出て参りました。出頭には降っているようにも見えていませんでしたのに、微かに雨の匂いがするなと思っているうちに、スルスルとその匂いが濃くなっていき、あっという間に、「霧の粒」が頬に当たり始めたのです。その「霧の粒」もだんだんと重くなり、そして、学校に着いた頃には立派な雨、「小糠雨」となっていました。

 とはいえ、今はもう、小鳥達の鳴き声もあちこちから聞こえてきています。少し明るくなったようです。雨は…止んだのかもしれません。

 「世の中は 三日見ぬ間の桜かな」
とはよく言ったもの。月曜日の今日、いつもの道を通っていますと、わずか(土日と)二日ほど見なかっただけでしたのに、道なりに植えられていた「桜」が、すっかり紅を濃くしていました。なおも、目を凝らしてよくよく見てみますと、どこやら、チラホラと白っぽいものまであるではありませんか。

 今日は2月並みの寒さという予報。この中でさえ、けなげな「桜」は、一進一退を繰り返しながら、春を告げようとしているのです。もし、明日、明後日と(予報通り)グンと暖かくなれば、いちどきに笑み綻ぶかもしれず、そうなれば、「ああ、悩ましいこと」ということになってしまいます。何となれば、その時には、もしかしたら、(我々は)氷点下の世界で震えているかもしれないのです。

 世の人々が、「花見酒」に酔い、しかもその時が「おぼろ月夜」であるかもしれず、しかも、中国から戻ってきた時には、すでに散っているかもしれないのです。

「わきて見む 老木(おいき)は花もあはれなり いま幾度か 春にあふべき」(西行)
これは木のみならず、人にもいえることでしょう。

 桜に関して言えば、年をとると共に、若い頃には全く感じなかった「感傷」さえも覚えるようになりました。蕾の膨らみ加減、花の咲き具合、そして散る姿、残んの様。そのどれもに、他と比べようのない喜びや悲しみ(落魄)を覚えてしまうのです。若木の桜であれ、老木であれ、いいのです。一重であれ、八重であれ、構わぬのです。「さ・く・ら」という音の響きに鋭く反応してしまうのです。

 とはいえ、桜を愛でる気持ちとひきかえに、失ったものもあるわけで、
「いとどしく 過ぎゆくかたのこひしきに うらやましくもかえる浪かな」(『伊勢物語』)
という気持ちもなきにしもあらず。

 さて、学生達です。先週の木曜日に、学期末の試験を終え、一応の結果を見ました。今の「Dクラス」が4月からは「Aクラス」になるわけです。形の上ではそうですが、なかなか実際のところ、同じように授業ができるかというと、そういうわけにもいかないのです。それゆえ、試験結果と日常の様子などから、来期の教科書選びを話し合っています。

 このクラスには、「中国人」学生と「ミャンマー人」学生がいます。このうち、「中国人」学生の方は、一口に「中国人」と言いましても、そこには違いがあるわけで、「漢族」と「朝鮮族」と「モンゴル族」とがいるのです。

 「朝鮮族」は、「韓国人」をみてもわかりますように、「読解力」さえ、自国で当たり前に育っていれば、日本語を学ぶ場合、まず誰でも困りません。「漢族」も(日本の古典の半分は漢族の文化から来ていますから)、ヒアリングは別ですが、「読解文」の理解は困りません。問題は、「モンゴル族」の学生達なのです。

 彼らは「現中国語」は話せます(このクラスの「モンゴル族」の学生達は、小中と「モンゴル族」の学校に通って、高校卒業までは、「モンゴル語」で授業を受けていました「中国語」は外国語の一環として学んでいたようです)。読めることは読めても、読解力がそれで育っているかどうかは、はなはなだ難しいところなのです。その上、これまでに中国語でもいいから文学作品を読んで育っているかというと、そうではない人も少なくないのです。

 聞くと、「漢語の古典」は学んだことがないとか。「日本人」や「韓国人」は、「現」中国語を聞いても全くわかりませんが、文章を見えれば、だいたいの意味はわかります。(日本人や韓国人と)いわば、逆なのです。

 日本人は、いわゆる「漢文」を「古典の素養」として学校で習っていますから、「漢文」の基礎はあると言えましょう。その上、「現」中国語であろうと、文法も日本語の書き下し文にして、ある程度は読んでいけますし、もし多少わからなくとも、前後の文意から、或いは漢字一字一字の意味から類推していけますから、それなりに把握くらいはできるのです(もちろん、勉強したことのない人が、80%とか、90%わかるということはありえません。日本において、「漢語」が絶対だった時代から、すでに150年近くが過ぎているのです)。

 それゆえ、彼らにはそれ(「読む」ということ、「読みこなす」ということ)をあまり要求できないのです。「漢族」や「朝鮮族」であれば、当然のように流していける部分も、説明を要するのです。どうも、彼らの「読解力」に関していけば、「非漢字圏」の学生達、つまり、「ガーナ」や「インド」から来た学生達とそれほどの大差がないという人が少なくないようなのです。

 間違う箇所もだいたい同じなのです。「答え」としても、不思議と同じ箇所を言うのです、間違っているのですが(「ガーナ」から来ている学生も、「インド」や「ミャンマー」から来ている学生も、漢字は見事に読みこなしますし、書けます。漢族の学生以上に文章をスラスラと読むのですが、文章を理解できているかというとそうではないのです)。

 というわけで、このクラスには来学期から、「二級・一級」用の漢字問題集も学校でやっていくことになりました。まずは漢字一字一字の理解からはじめた方がいい人が、…人か、いるのです。

 おっと、そう書いているうちに学生がやってきました。実は、先週の金曜日が、補講最後の日だったのですが、勉強のリズムを壊さないためにも、出来るだけ学校に来るように言っておいたのです。辺りを見回すと、陽も出てきたようです。

日々是好日
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「『花の名』、『ものの名』」。

2010-03-26 08:44:24 | 日本語の授業
 降り続いた雨も、ちょいと一休み。微かではありますが、陽も差してきたようです。これで、少しは暖かさが戻ってくることでしょう。

 さて、先日の「卒業旅行」のことです(この「卒業旅行」という言葉も、どうしても慣れ親しんだ「修学旅行」のほうに、ついつい心が傾いてしまうのですが)。」JRの法隆寺駅を出てから、「斑鳩の里」を「法隆寺」目指して、オッコラショ、オッコラショと(これは私だけだったようです)歩いていた時のことです。桜は、この里では、まだ固い蕾でしたが、「モクレン(木蓮)」の花はちょうど満開の時を迎えていました。

 学生が、「あの白い花は何?」と聞きましたので、名を告げ、「中国にもあるでしょう」と問いかけますと、居合わせた中国人学生は、互いに顔を見合わせて、どうも知らぬ様子。一人が怖ず怖ずと「あるけれども、もっと小さい」。

 どうも彼女の言っているのは、「モクレン」よりも一回りほども小さい「コブシ(辛夷)」の花のようなのです。それで、そう言ってやると、また他の一人が「日本人は花の名前をよく知っている…」

 もちろん、どの国にも草花の名に詳しい人はいますし、中国にもいるでしょう。ただ、彼女の意味する「日本人」というのは、ごく普通の、平均的な日本人なのです。確かにそれは、本当で、私も中国にいる時によく驚かされたものです。どうして中国人は花の名をこんなにも知らないのだろうと。

 今は、多少は変わったかもしれませんが、多分、知っているのは「金目の花(高価な花)」くらいなものでしょう。テレビなどで宣伝されていたり、高級デパートなどに飾られていますから。野や道端に咲く、名もない可憐な花というものに、全く興味を示さないのです。もしかしたら、子供の頃から、そういう教育を受けていないからなのかもしれません。(誰でも知っているだろうから、話の継ぎ目にでもと思って)名を聞いても「あれは、雑草」で一括り。何の役にも立ちません。

 その時は「そりゃあ、ないぜ」と嫌な気分になったものですが、価値の基盤をどこにおくかというのは、こういうところにも表れてきます。

 生物学者であった、亡き昭和天皇は「雑草という草はない」と断言されたそうですが、確かに、人に名を聞かれて「知らない」と言うことはあっても、「雑草」という答え方はないと思います。

 華やかで、見栄えのよい大輪の花も確かに美しいし、心を浮き立たせてくれます。しかしながら、道ばたに咲く野の花の、風のそよぎにも耐えかねたる、その風情に、美を見出し、その美を口承(詩歌や古典芸能)で、伝えていくというところに、日本人の感性というものが、潜んでいるような気がするのです。

 それに、「名を問う」ということ行為には、単に(花の)名を知りたいという気持ちだけではなく、その名から浮かび上がってくる「花の人生」、あるいは「物語」といった方がいいのでしょうか、そういったものにも、心が惹かれるからなのです。

 木や草花に限らず、動物や虫魚、また鳥にも、その名が由来した古来からの物語りがありました。明治になり、「文明開化」の波が押し寄せてくるようになりますと、それに、欧州の神話や伝説までもが加わってきます。子供の頃に、聞いたり読んだりした、それらの物語のいくつかは、年が長け、大人になると同時に消えていってしまうのですが、何かの折りにふと甦ってくることがあります。消えていったかのように見えていても、豈図らんや、しっかりと心の奥底にしまい込まれていたのです。自分の人生と同じ分量で、記憶の一部となっていたのでしょう。

 高校生の頃、新聞で「アフリカの一部族は、親からもらった『本当の名』を人に知られることを畏れる」という文章を読んだことがありました。「『本当の名』を知られると、その名に『呪い』をかけられるから」というのです。「名」即ち、「その人」というわけなのでしょう。けれども、(多分、現代社会に生きる日本人であっても)それを聞いて一笑に付すというわけにはいきますまい。名前には、不思議な力があるという考え方は、日本人にも、よくわかるからです。

 「『ものの名』を知る」ということ、また「『ものの名』を知らせる」ということには、心から心に通じるような「ある種の意味」が、あるのかもしれません。それ故、人は、「少年A」でも「青年B」でも良さそうなものなのに、名を知りたがり、また、名をつけたがるのでしょう。

日々是好日

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「卒業生の『来し方行く末』。雨の日の、徒然なるままに」。

2010-03-25 09:21:21 | 日本語の授業
 昨日に引き続き、雨です。シトシトと小雨が降り続いています。春雨と言いましても、「菜種梅雨の候」と言った方がいいのかもしれません。少々遅きに過ぎるようでもありますが、寒いのです。しかしながら、こう降り続いていますと、「卒業式のお天気」というのを考えてしまいます。

 振り返ってみれば、これまでの人生の中での、「卒業式の頃」というのは、だいたい、こんなものでした。「遣らずの雨」なのです。「ふりみ降らずみ」と言いますと、「神無月」の長雨を思い浮かべてしまいますが、季節は違っても、「趣」は同じなのです。

 そう思いながら、現在のこと、今年の卒業生の、彼らの「来し方行く末」を考えています。

 若い頃というのは、「今」しか見えないものです。「今」しか見えないが故に、「今」の情況に一喜一憂してしまいます。そして、「いいこと」は見えなかったり、直ぐに忘れてしまったりします。この「いいこと」というのは、誰かに教えてもらったり、助けてもらったりしたことです。誰かが教えてくれたり、助けてくれたりするのは、まだ「そういう価値がある」と思っているから、してくれるわけで、そう思われていなかったら、だれもしてはくれないでしょう。よほど暇人か、親切な人でない限り。

 若い頃、そうしてもらえるのは、まだ「可能性」があると見なされているからで、もし、それ以上の「発展性」や「将来性」を認めてもらえなければ、それで終わりなのです。できない人はまだまだたくさんいるわけで、上の人や友人の目はそちらの方へ移ってしまうことでしょう。

 このようなことは、若いうちには、得てして、気づかないものです。見えませんから、自分がしてやったり、手伝ってやったりしたことばかり覚えています。だから、「(気持ちが)腐りやすい」のです。常に自分が「損をしている」とでも思ってしまうのでしょう。その上、自分が出来ることばかり見えていますから、それを基準にしてすべてを推し量ってしまいます。できない事は見えていないのです。
 ただし、いつまでもそういう「根性」であると、人は離れていきます。

 私が中国にいた時、職場で、ある中国人と一緒になりました。仕事が、彼にはすべて「線」でしか見えていなかったのです。「私は一時間働いた。だから○○元」「あなたも一時間働いた。だから同じ○○元(この元というのはお金の単位です)」。
 
 そこには「能力の差異」も、それによる「仕事の質」も(また、その仕事を共にする人たちへの影響も、つまり、これは教育的効果があるのです。とは言いましても、そういう資質がある人にだけしかわからないことですが)、できあがり(の状態)も、まるで含まれていませんでした。同じ仕事をしても、彼よりも見事にやってのける人がいることがわかっていなかったのです。もしかしたら、彼にとってはそれはどうでもいいことなのかもしれません。「やった。終わった」で、文字通り、終わりだったのでしょう。だから、計算に入れることができないのでしょう。こういう人が上司になったら、悲劇ですね。

 「平等主義」の結果がこれなのかと、「寒々しさ」を通り越して、「恐ろしさ」さえ感じたものでしたが。とはいえ、最初は「あっけにとられた」のです。彼がどうしてそれを言いだしたのかがわからなかったので。もちろん、それで引き下がるような私ではありません。(実は、これは、私の友人に対して言われたことだったのですが)まず、二人の能力の差を箇条書きにし、それからその一つ一つを「棒グラフ」にして見せてやりました。そうすると、一方はドンドン太くなり、片方は「線」から少しも変化しません。「線」から「平面」に変えることの強みはこれですね。一目瞭然です。「量」の概念が入れられたのです。

 グローバル化が進み、否応なく、資本主義世界の渦に巻き込まれている、現中国の若い人たちの中にも、この「悪しき平等主義」は残っているのでしょうか。来日した学生達を見ていると、時々その残映を感じさせられることがあるのです。

 だいたいこのような人の頭には、「質」の違いも「能力」の差異も関係ないのです。日本にもいないわけではありませんが、そこには明らかな違いがあります。その組織の中には、「仕事ができる」という意味が判っている人が少なからずいるということです(日本の組織の力の強さというのは、もしかしたらそういうところにあるのかもしれません)。もちろん、日本でも、そういう人が少ないと、「悪貨が良貨を駆逐する」ことになって、組織はてんでにバラバラになり、声が大きい人が力を得てしまうことになってしまいます。能力差が見えない人が多くなると、前提は崩れてしまうわけですから、組織はメチャクチャになってしまいます。そうすれば、「会社はつぶれる」しかないのです。

 とはいえ、仕事の中には、誰がしても同じこともあります。せいぜい、一時間にいくつ袋詰めが出来るかぐらいの差で、同じということもあるでしょう。けれども、これとても、一時間で一つか二つの差であろうと、差は差です。一週間経てば、また年経てば、と計算していけば(普通の経営者はそうするでしょう)、当然のことながら、それは「数をこなせる」人の方を、経営者は雇うでしょう。

 何事によらず、「質」が絡んできますと、面倒になってくるのです。「質」を見分けることができる人の数は、「数」が判る人よりもグッと減るからです。しかも、職業ごとに「大切な職掌の分野」が異なってきますから、それも「知っている」人となりますと、またまた、人数は減ってきます。それで、結局、「私が一番仕事をしているのに、他の人は私を手伝わない」と、皆が思うようになるのでしょう。

 小さな機構では、他の人の仕事は見えているようで、実は見えていないことが多いのです。実際のところ、単に顔が見えているに過ぎないのです。「仕事が判る」人が見れば、言うまでもないことでも、仕事が判らない人から見れば、すべては「線」ですから、「立体」どころか「平面」ですらないのです。

 いろいろ心配しても、しょうがないことですね。世はおしなべて、「七下り、七上がり」であり、また、いくら才弾けていようとも「人の心は九分十分」で、考えることに大差はありません。普通の人が辿っていく道を、彼らも同じように辿り、同じように失敗を繰り返し、それを糧として(伸びられる人は)伸びていくしかありません。

 それは、わかっているのですが。

日々是好日
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「(学生達が)本当に、卒業して」。「行く桜 残る桜も 行く桜」。

2010-03-24 08:06:05 | 日本語の授業
 今朝は雨。もう「春雨」と呼んでもいいのでしょうが、気温はグッと下がるらしい。「花冷え」の候なのでしょう。東京もすでに「開花宣言」は出されていることですし。

 最近は、小学校の校庭の「ヤナギ(柳)」の樹が気になります。以前は、毎日のように見ていましたので、その変化は微々たるものでした。ところが、奈良・京都から戻ってきて見ますと、その変化は微々たるものどころか、大々的になっているようにさえ感じられたのです。

「やはらかに 柳あおめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」(石川啄木)

 私が中学校の頃には、「近代詩」が流行っていました。流行らせたのは、隣のクラスの女の子で、ご贔屓は、「萩原朔太郎」。私はどうも、あの手の作家は苦手で、ごく普通に「白秋」とか「啄木」とかを読んでいました。ただ「白秋」は比較的遠く、近かったのは「啄木」の方。今でも「啄木」の歌を読むと、どこかしら当時の自分とダブって感じられるようなところがあります。

「不来方(こずかた)のお城の草に 寝ころびて 空に吸われし 十五の心」(石川啄木)

 さて、「卒業旅行」に、一緒に行ってくると、学生達が完全に卒業したような気分になるから、不思議です。そして、昨日は、そういう気分になった、初めての「教室」でした。

 「卒業旅行」から戻り、そして「連休」が終わり、火曜日に学校へ行くと、朝9時に来ていた学生達の、見慣れた姿が、上の階にないのです。下の階の学生達はいつも通りにやってきますのに。そして、個表をとる時に、教員連に挨拶をし、教室の中へと姿を消していきますのに。彼らの見慣れた姿がないのです。

 「子離れ」、「親離れ」とかは、よく言われるところのものですが、教師にもそれは当てはまるのかもしれません。

 しかしながら、こんな感覚を味わうのは久しぶりのことです。それ程、互いに密着して生活していたのでしょうか。私の役割はただ教室のうちでのことだと思っていましたのに。もしかしたら、最後の最後まで学校へ来て勉強を続けていた彼らと教師連の関係は、たとえて言えば、「『膠』と化していた」のかもしれません。ただ、そうは言いましても、時期が来れば、彼らは旅立っていきます。きっと新しい夢を紡いでいくことでしょう。

 というわけで、残された学生達のことです。良寛ふうに言えば、
「行く桜 残る桜も 行く桜」 (本歌「散る桜 残る桜も 散る桜」 良寛 )
なのでしょうが。

 これまで「初級」だった「Eクラス」では、「初級」の復習を続けながらも、「中級」に片足を突っ込んでいます。やっと「中級」になったので、「よ~し」とばかりに、授業に必要な単語を少しずつ入れていましたのに、(連休が明けて戻ってくると)きれいに抜けていました。何と言いましても、彼らにとっては四連休。こういう馴染みのない(概念の)日本語を入れ、そして定着させておくには、(日本語を学んだ)期間が短すぎるのです。「初級」レベルの日常会話は、どうにかなるほどにはなっていても、「書き言葉」「読み言葉」における日本語は、まだまだのようです。

 ただ、それも、「本文」という語やら「段落」、「接続語」「程度」「逆接」「並列」とかいったくらいのもので、たいしたことはないのですが、繰り返しが足りないのです。最初に少し説明をし、あとは実際に触れていくなかで、覚えさせようと思っていたのですが、直ぐに「卒業旅行」に行ってしまったのが、失敗でしたね(このクラスは「非漢字圏」の学生が多いのです、しかもまじめに食いついてこようとする学生が何人もいるのです。「漢字圏」の学生なら、書けば済むことでも、「聞いてわかる」に、しておかなければならない理由の一つはここにあります)。

 よく、駆け出しの教員は「入れた」という言葉を勘違いして、それで「終わった」と思うらしいのですが、「入れた」は導入。「入る」かどうか、「定着するか」どうかは、「どれほど繰り返せるか」によります。

 とは言いましても、単に「繰り返し」てもだめなので、学生達の様子を見ながらやっていくわけですから、そこは「塩梅」の加減が必要になります。何事も人間相手ですから、金太郎飴のようにはいかないのです。

 「ひらがな」や「カタカナ」が書ける程度で、来日していたり、「(日本語は)初めて」というレベルであったりしても、それ以後の半年くらいで、日常会話は、一応様になります。ただ、その程度の人たちが、いわば「話し言葉」から「書き言葉」へと、学ぶ内容を変化させていく場合、「非漢字圏」の学生達であれば、この変化は、少々荷が勝ちすぎるようなのです(「初級」のうちからかなり「読解問題」を入れていても、やはり普通の、高校を卒業しただけという学生には大変です)。

 それでも、「初級」が終われば、形も内容も「中級」に移ります。あまりまじめでなければ、それなりに進んでいったで終わりなのでしょうが、一字一句が気になるタイプの非漢字圏の学生がいれば、少々面倒になります。一字一句説明しても、言葉は悪いのですが、そのレベルでは意味をなさないのです。うまい授業というのは、「初級」から「中級」へ移ったばかりのころは、とにかく「サアッと流す。わかったつもりにさせる」なのです。そうしても、九課か八課が終わった頃に(もう一度)見させると、「あら。簡単」で終われるのです。くどくやれば、学生に苦手意識がついてしまいます。

 およそ言語を学ぶ場合、「苦手」とか「嫌だ」とかいう気持ちに、一度でもなってしまうと、もうよほどの意志の力がない限り、それ以上上のレベルにはいけなくなってしまいます。もちろん、これはまじめに勉強している学生のことです。適当にやろうとしてる人なら、私たちも適当に扱うより他ありますまい。義務教育の人(中学生)ではないのですから、彼らなりの目的があるでしょう。

 とはいえ、こういう人たちが「中級」に進む場合、「教室用語」もまた「初級」から「中級」に進みます。その時に日本人と同じように「子供の表現」から「大人の表現」へと移らせていくのは、却って面倒な結果を引き起こしてしまいます。それよりも最初から(大人の表現を)入れた方がいいのです。日本語は一年程度でも、すでにそれなりの年齢の人たちなのですから。

 ただこれも、「どれだけの数、それを耳にできるか」、また「適当な時期に系統立てて整理されているか」が一つの鍵になります。もちろん、最初に説明はしなければならないのですが、それは導入段階の、いわば儀礼的なものに過ぎず、彼らの必要に応じて為されたものではないので、直ぐに頭から消えてしまいます。それで、彼らが「あれ?違うぞ」とか「おかしいな、違いはなんだろう」と思い始めた頃に、もう一度、系統立ててやる必要があるのです。そうすると、「入り」が抜群によくなるのです。とはいえ、この「時期の選択」というのは、授業に行っていなければ掴めません。人(学生であろうと、教師であろうと)が違えば、授業のやり方も変えなければならないのと同じです。

 それに比べれば、やっと「上級」に入ったという「Dクラス」では、「今週末、「『学期末テスト』をやるぞ」が効いているらしく、しごくしおらしいのです。「例文作り」も少しずつ声が上がるようになりました。本当に少し前まで、「『シ~ン』のクラス」と言われていましたのにね。

 こうやって、また一年が過ぎていくのでしょう。日本語学校というのは、彼にとってあくまでも通過点。うまく行った学生は、自分の弟や身内を呼ぼうとするのですが、これが、また、うまくいくものでもないのです。兄弟のうち、一人でもまじめであれば、兄弟中のまじめさをすべてそのひとが吸い取ってできあがっているようなもので、新たに来た者には、その片鱗さえ覗えないということも少なくないのです。顔つきこそ似てはいても。

 一応、成功したとはいえ、おそらくは、その人の成功体験が、手かせ足かせとなって、次の段階へ進んでいけなくなるということもあり得ます。また呼んだ身内に縛られてしまうということもあり得ます。
 
 とはいえ、(新聞やテレビなどでいろいろ言われてはいるものの)日本という国は、まじめにコツコツとやっている外国人には住みやすい国なのかもしれません。日本語学校で教えている限り、そう思えるのです。

日々是好日
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「『奈良・京都卒業旅行』から、もどって」

2010-03-23 08:22:09 | 日本語の授業

「『奈良・京都』卒業旅行」から、日曜日の夜、無事に、行徳に戻って参りました。

 参観したのは、「奈良」では「法隆寺」、「東大寺」、「奈良公園」。「京都」では、「二条城」、「金閣寺」、「三十三間堂」、「清水寺」。そして、「清水寺」からは徒歩で、ブラリ、ブラリと歩きながら、「四条」、「祇園」、「円山公園」、「八坂神社」を見、19時22分発の「のぞみ」で、帰りの途についたという次第です。

 予定では、「興福寺」や「春日大社」も入っていたのですが、「法隆寺」があまりに見所が多かったのと美しかったので、ついつい長居をしてしまいました。それに、ここではガイドさんが無料でついてくださり、細かなところまで説明をしてくださったので、学生達の勉強にもなったのです。ガイドさんの話が何パーセントわかるのかなと心配ではありましたが、要所所で頷いたり、質問したりしていましたから、だいたいはわかったのでしょう。

 出発前、わずか三日間でしたが、一応、「奈良・京都」の歴史も入れておきましたし、DVDも見せておきました。行かなければ、言葉だけで消えてしまったでしょうが、この旅では本物を見ることが出来ました。学生達曰く、「先生、帰って教科書(高校の教科書)を見れば、よくわかるから大丈夫」。

 これは、あくまで、「勉強八割」の旅行なのです。せっかく皆で一緒に行ったのに、写真ばかり撮って説明を聞いていなかったり、ふざけて遊ぶことばかり考えていたりするような人たちであったら、(私たちがわざわざ)連れて行く必要はありません。すでに、日本語学校で二年近く、日本語を学んできたわけですから、勝手にどこかのツアーに入って行ってくれば済むことです。

 頑張って勉強して来たからこそ、また、そうであるからこそ、ガイドさんの説明にも耳を傾けるのでしょうし、理解しようと努めるのでしょう。とはいえ、そうはいいながらも、二十歳を過ぎたばかりの人たちです。鹿を見て歓声を上げ、「鹿せんべい」をやって追いかけらたり、頭を撫でたりしては、大喜びしていました。もしかしたら、この旅行で一番楽しかったのは、あの鹿との「交流」だったのかもしれません。

 しかし、何事であれ、終わりは来ます。「東京駅」から「行徳駅」まで、およそ30分くらいですが、彼らの口数は極端に減り、途中で、「卒業しても、学校へ行ってもいいのか」とか、「来週も学校へ行ってもいいのか」などという言葉がポツリポツリと漏れてきました。

 「構わない」と言いはしましたが、ここは「突き放した方が、彼らのためになった」のかもしれません。ただ、彼らのように一生懸命に勉強してくれる学生は、私たちにとって、大切な存在なのです。そして、おそらくは、これから進むことになっている「大学」にとっても。

 このように(不安を)感じているのも、それも、新しい環境に慣れるまでのことでしょう。(大学での新しい生活が)始まってしまえば、もう「後ろを振り返らなくなる」というのが、若さの特権です。忙しくて、忙しくて、もう私(日本語学校の教師)たちのことなど構っていられなくなるはずです。また、そうでなければなりません。そうでなければ、反対に、「困ったこと」なのです。

 (日本語学校を)卒業してから、(大学に)入学するまでの、この二・三週間というのは、忙しいことは忙しいけれども、ちょっと「宙ぶらりん」の感じがして不安なのでしょうか。まあ、そういう時は学校へ来て、本を読んだり、DVDを見て勉強したり、後輩とおしゃべりしたりして気分転換を図ってください。そして、その時には、どうぞ、後輩に、いろいろ教えてやってください。どうも、中国人には、日本の教育のやり方というのが、なかなかわからないようですから。とは言いましても、これは中国人だけのことではありません。インド人にも、スリランカ人にも言えることです。












 とはいえ、こういうふうに、卒業してしまうと、見えてくるのは、彼らの陰に隠れていた、来年の卒業生達のことです。さて、彼らはどうなりますかしらん。今年の卒業生のようにはならないであろうということは予測がつきますが、どこまで、私たちについてきてくれるでしょうか。この面での能力がかなり劣っているということだけはわかりますけれども…。

日々是好日
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「いよいよ、明日から『奈良・京都』の卒業旅行へ」

2010-03-18 17:56:49 | 日本語の授業
 不思議なもので、この春の初めのこの時期に、「木の芽」に目が行ってしまうのです。ちょうど桜が咲き始める前の、寂しい時期(とは言いましても、「マンサク」の花も見ましたし、「桃」や「モクレン」も、白・紫を問わず見受けました。その上、「ボケ(木瓜)」の花までも見かけました。近くの小学校では、「ギンヨウアカシア」でしょうか、黄色の小花がアワアワとかすみ草のように咲いていました。

 それなのに、心は「木の芽」なのです。花のつぼみではなく「木の芽」なのです。裸の樹々の枝の先に、少しばかり見えた、小さな小さな緑の珠なのです。寂しい光景にも思われますが、考えてみれば、人というものなんて、案外そんなものなのかもしれません

「命とはうるさきものかも 人中にまじれば わびし 独りあればさびし」(窪田空穂)

 さて、明日からの一泊旅行を控え、なぜか「オシャマサン」三人組と坊ちゃん系の青年一人は、「事前授業(奈良・京都卒業旅行)」にくたびれ気味。とはいいながら、「先生、これ、持って帰っていい?」と聞く者あり、また、持って帰って、翌日「先生、持って帰った」と事後承諾を得る者もあり。普段はこんなことは許さないのですが、彼らは本当に頑張って勉強してくれましたから、お互いの信頼関係ががっちりと出来ているので、私としても我慢できるのです。それで、「特別に許す」としました。

 学校にあまり来ない。勉強も大してしない。言われたことも聞かない。約束も守らない。そういう人には、この学校は、この学校の教師というものは、かなり煙たい存在に見えるのかもしれません。勿論、(教師の)一人が厳しく当たれば、後でフォローしてくれる人(教師)がいますから、こちらとしても、思いっきり厳しく出来るのですが。

 とやいえ、「もう今日で最後の最後だよ」と言っていたのに、「先生、これ、学校に置いておいて下さい」などと、なかなか出て行きそうにない学生が…何人かいるのも、困りものなのですが。

 というわけで、いよいよ明日から「奈良・京都」へ、学生達と共に、卒業旅行に行って参ります。

日々是好日
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「『卒業旅行(奈良・京都)』を控えて」。

2010-03-17 07:45:17 | 日本語の授業
 昨日はカラリとしたいいお天気でしたが、今日は少々曇りがち。とはいえ、昨日の暖かさで一気に春は進んだようです。こうなると気もそぞろになってきます。いわゆる「サクラ(桜)」の開花はどうかいなとなってしまうのです。。

 授業では、「奈良・京都卒業旅行」を控え、大変です。「日本史」は、「留学生試験」用のものしか教えていませんから、特に「古代」は大変なのです(彼らと向かい合って授業をしていると、少々かわいそうになってきます。何の因果でこんなところに座っているのだろうくらい考えているのではないかとも、思えてくるのです)。

 私も、最初は簡単に考えていたのです(それほど歴史は長くないとはいえ、説明しても覚えられるはずはありません。人名だけでも大変ですから。DVDをみる時の助けになればいいだろうと)。それで、ザッと流せばいいかくらいに(「事前授業」なしに連れて行くわけにもいきませんし)考えていたのです。ところが、土曜に(その前までは、「世界史」にアタフタとしていました)、計画を立てていみると、三日で終わるどころか、どんなに簡単に流しても、一週間はかかると出てしまったのです。それで大慌てで、やり直しです。

 そうは言いましても、「世界史」もまだあと少し残っていましたし(理系の学生は「世界史」を教えていませんでしたので、肝心要の部分の前で終わることになってしまいますが、文系の学生は、一応「留学生試験」のために大航海時代以後はやったことになっています。ですから、その前までの授業予定でした。もっとも、彼ら曰く「試験が終わると同時に記憶から消えてしまった」らしいのですが)。

 学校では他のクラスの授業も普通に続いています。

 「奈良・京都卒業旅行」も、わずか一泊二日に過ぎませんが、教員は皆、知恵を絞っています。旅行会社との連絡もさることながら、計画も食事処などを(経済的には皆厳しいので)含め、忙しいこの時期に走り回っているのです。これは、ここまで頑張って来た学生達に喜んでもらいたいという気持ちでやっているのです。学校側が連れて行くわけですから、当然のことながら、教育的目的もあります。「遊び」ではないのです。

 私も、最初は「奈良と京都の歴史」くらいで、足早にやって三日と踏んでいたのですが、後から後から出るわ出るわ。何で一週間と言わなかったのだろうと無理なことを考えてしまいます。とはいえ、一週間もとってしまったら、「世界史」は、どうなっていたのでしょうね。

 というわけで、もう、日本史は「お話、お話」で行くことにしました。継体天皇から始まり、嵯峨天皇までは「天皇家と蘇我氏」「天武系と天智系」「天皇家と藤原氏」の三本仕立てで、これは昨日やりました。学生からは、「先生…はやい…」と言われましたが、後で見せるDVDに助けてもらえば、少しは記憶に残るでしょう。

 今日は、「鳥羽天皇」あたりから、徳川の三代くらいまでやり、明日の京の文化でまとめとするつもりです。

 なんといっても、「法隆寺」が入れば、「蘇我氏」と「天皇家」の確執も入りますし、「東大寺」が入るなら、「吉野の誓い」から「聖武天皇」、「称徳天皇」へと続く流れも見ておいた方がいいのです。また、「平安京」へと向かうなら、「桓武天皇」の皇位への執着、肉親同士の血で血を洗う闘いと「藤原四家」と皇族との争いも見逃せません。「興福寺」や「春日大社」が入れば、「藤原四家」、そして離合集散を繰り返すその一族内の闘いも入れざるを得ないのです。

 ただこれは、どうやって印象に残させるかが勝負になります。何と言っても、彼らは日本の歴史をやっていないのですから。それに宗教と政治も絡んでくることですし。歴史を年代ごとに流してみても駄目なのです。日本人ではありませんから。それに時間もない(彼らはすでに卒業しているのです)。こう言う場合は、一点豪華主義にやって、一つでもいいから覚えさせていく。そのためには、何がいいか…とは言いましても、私も日本人。これも説明したい。これも言っておきたいで、欲深く詰め込もうとしてしまいます。その結果は…何も覚えていない…となるのは目に見えているのですが。

 と言うわけで、歴史の本筋から離れて、「お話」に徹することに決めたのです。

 そして、関連するDVDを見せ、「旅行」の雰囲気を盛り上げていきたいと思っています。あくまでも、これは学習の一環なのです。

日々是好日

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「浅草散策」。「(卒業生の)就職報告」。

2010-03-15 08:50:45 | 日本語の授業
 今朝は曇りがちではありますが、まだ暖かく、朝のニュースで、札幌がマイナス10度というのを聞きますと、何やら嘘のように感じられてしまいます。小さくとも細長い国、日本は、(その国土から言えば)北方に属することになる関東地方でさえも、北海道などと比べますと、かなり暖かい地であることがわかります。

 さて、「ヤナギ(柳)」の木の芽が随分膨らんできました。離れたところからでも、その「膨らみ」は見て取れます。「緑の玉簾」の時期になったのです。こうやって次第に春は深まりゆく、のでしょう。そういえば、つい先だって、「ウグイス(鶯)」の初音を聞いたと思ったら、今度は「メジロ(目白)」の番のお出ましです。冬場は「カラス(烏)」の声しか聞こえなかったのに。華やぎますね、何もかも。

 さて、金曜日の「浅草散策」のことです。
 散策に出る前に、確認をとってみますと、「Eクラス」は初級クラスでありながら、すでに(浅草には皆で)行ったそうです。「Dクラス」は大違い。「Dクラス」の学生達は、学校が連れて行かない限り、どこへも行けないタイプのようで、予告すれば、自分達の計画(アルバイト先に許可を得ておく)の中に組み込み、楽しみにしてくれています。授業の時には活気に乏しく、不満に感じることもあるのですが、こう言うのを見ると、やはり、学校側がしっかりリードしてやらねばと思ってしまいます。

 行きの電車の中では、今年の大学受験を控えた女子学生が二人、頻りに日本の大学のことを聞きます。卒業生の様子から、「千葉大」や「横浜国立大学」などの、「国立大学」がかなり難しいということがわかったのでしょう。地方の国立大学であれば、(日本人が受験するのとは違い)外国人学生にとってみれば、それほど難しいというわけでもないのですが、こういう(都内や近隣の)国立大学は、やはり難しいのです。東京近隣にすでに住んでいる外国人留学生は、あまり地方へ行きたがりませんもの。

 ある意味ではこれはいいことです。いつまで経ってもそれがわからずに、長く(日本語学校に)いれば、どこであろうと入れると(自分のレベルを考えに入れることが出来ずに)思うような学生に比べれば、格段の進歩です。自国で自分の学力というのは、わかっていると思うのですが、こういう学生はわからないのです。不思議なのことに思うのですが…。

 しかしながら、それも電車の中だけのこと。浅草に着いてしまえば、写真やら見物やらで、直ぐにいつもの子供に戻ります。

 「浅草」についたら、まずは、「吾妻橋」へ。そこから、「東京スカイツリー」を見上げます。まだ半分ほどでしょうか。そして写真を撮ったり川を見たりしているうちに、一人が「先生、あれ、あそこ。サクラが咲いている」で、皆は大騒ぎ。去年の四月に来ていた学生は、課外活動で「千鳥ヶ淵」へ行っていますから、サクラを知っています。けれども、「七月生」、「十月生」、「一月生」は見ていません。中にはその少し手前に見えた黄色い花を「あれ、あの黄色いの」なんて言っています。

 ホントにもう、黄色い「ウコンザクラ(鬱金桜)」はなかなか見られないの。珍しいの。普通、東京の川岸に植えられているのは、「ソメイヨシノ(染井吉野)」で、白っぽいピンク色をしているの。ここで、また一つ勉強、「サクラは雲のように見えます」。

浅草・雷門

そして、「雷門」で写真を撮り、美術系を専攻したいという学生には、「雷門」脇の「和紙の店」を紹介しておきます。

 「仲見世」では、自由にさせます。インドやスリランカから来た女子学生は、豪華な着物地で作られたパーティ用のバックにうっとり。帰国の時には、自分用に買って帰りますと言っていましたし、かわいい姉様人形にも、これはお土産用と区別をつけていました。

 「お水舎」で、手を浄め、口をすすぎます。それから「お参り」なのですが、その間にも、誰かの、「えっ。飲めるの?」という声と、中上級者の「日本の水は飲める」という答えが聞こえてきます。そうしているうちに、一人のスリランカ人学生が、あの寒空に靴まで脱いで、足を洗おうとしているのを見てしまいます。これも、彼らの国の流儀なのでしょう。寺院には、足を洗い、裸足で入っていくのです。

 それから、お香を焚き、願をかけながら、その煙を身体にかけます。事前に、「身体の悪い処に、このお香の煙をかけるとよくなる」と言っておいたからでしょう、皆は煙の流れていく方へ流れていく方へとクルクルと回っています(煙が風の向きで回るのです)。で、結局、若い先生に「何度もやっていると、元に戻ってしまうよ」と言われてしまいました。

 「お参り」を済ませると、さて「おみくじ」です。この浅草の観音様の「おみくじ」には「凶」の札が多いのです。しかも内容が皆違うのです。かく言う私も、また「凶」を引き当ててしまいました。勿論、「凶」は「観音様」にお返しします。それから、次から次に「おみくじ」をひいて持ってくる学生達に、彼らのレベルの言葉で説明をしてやります。おかしな言い方ですが、学生達の今の様子をそのままに描かれてあったりする札もあるのです。あまりに合っていると、説明しながらも、妙な気分になってきます。勿論、「凶」をひいてしまった学生には、説明して、観音様に身代わりになってもらいます。

 「お参り」を済ませてから、元来た道を戻ります。途中、「伝法通り」に寄った時のことです。そこの店の看板に、「おおもり櫛店」と書いてあったのですが、一人の男子学生が、にやにやしながら、「これはわかります。私と関係がありますね。私はいつも『おおもり』です」。こちらとしては、「へっ。なぜ櫛と彼が関係あるのだ?」くらいのものだったのですが、「いいですね。『大盛り』ですか。たくさん食べられます」で、わけがわかって大笑い。どうも、その「おおもり」がひらがなだったので、勘違いしたらしいのです。店先には櫛が並んでいたのに、まったく、どこを見ていたのやら。ホントにもう、いつもトンチンカンなんだから。けれど、負けず嫌いの彼は、「でも、『もり』です。私と関係があります。私が専攻したいのは、『森』ですから」と言い張って聞きません。

 とはいえ、相変わらず、みんな写真が好きですね。あっちでポーズ、こっちでポーズです。ところが、面白いことに気がつきました。中国人学生なのですが、普通、漢族の場合、男性は女性のための「写真撮り係」に徹します。女子学生から、「写真撮って」と言われれば、それこそ大喜び。言われなくとも、「撮ろうか」と自分から売り込みにかかります。ところが、モンゴル族の男子学生は違うのです。漢族の女子学生が頼んでも、迷惑そうな顔をしています。どうも「我が道を行く」で、やりたいらしい。「なんで俺が」くらいの感じなのでしょうか。見ていると、どっちも面白い…図なのですが。

 それから、「雷門」の処で、皆と別れます。もう一度「仲見世」に寄って買い物をしてから帰りたいという学生は、来た道を戻ります。アルバイトの時間が迫ったという学生はアルバイト先へ直行します。どちらにしても、「道がわからない」という学生には、誰かが声をかけてくれますので、助かります。途中で、食事を済ませ、学校に戻ると、学校で勉強していた学生が出迎えてくれました。土曜日の大学入試に備えて、勉強していたのです。

 そして、卒業生のお客さんです。ちょうど約束通りに、3時にやって来ました(出かけていたので、下のシャッターを降ろしていたのです。戻って、ガラガラと開けた時、そこに立って、うろうろしていた彼を見つけてびっくりしました)。

 実は、木曜日にも、一人、卒業生(スリランカ人)が来ていたのです。彼の場合、(この学校を出て)本当は自動車の専門学校へ行きたかったのですが、試験が難しくて、最初は行けずに、IT系の専門学校へ行ったのです。そして、そこを卒業後、本来の希望通りに再度受験し、合格して「機械・自動車」を勉強して、今回、無事にそこを卒業できたという次第。そして、機械の会社に就職が決まったので、その報告に来てくれたのです。

 で、金曜日に来たのは、バングラデシュから来ていた卒業生でした。就職先はIT関係の会社で、現在は日本と上海とでやっているそうですが、将来的にはインドや香港も視野に入れているとのこと。先の学生の場合は、友人が紹介してくれたのだそうですが、彼の場合は、一人で頑張って捜したのだそうです。20社ほども受けたと言っていましたから、大変なのは、日本人も外国人も同じのようです。

 こういう「うれしい報告」は、いつ聞いてもうれしいものですね。

日々是好日
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「『卒業旅行』を控えて」。「一歩退いたら、二歩のさばる」。

2010-03-12 08:42:16 | 日本語の授業
 空は晴れ渡っています。けれども、私の心はそういうわけには行きません。鬱陶しいのです。「卒業旅行」のことを考えると、もうイライラしてくるのです。

 最初、「今年は、みんな最後まで頑張ったから、『卒業旅行』をやってみないか」という話があった時には、教員一同、納得しました。それくらい、例年の学生達に比べて頑張っていたのです。

 それなのに、何が鬱陶しいのかというと、一年以上経っていても、まだ日本のルールがわからないインド人学生に対する怒りです。この「卒業旅行」の対象者は「頑張った人」です。「頑張ったから連れて行く」のです。勿論、卒業生だったら、「それなりに頑張ったから、連れて行く」でしょうね。何と言っても、この学校を出て新しい世界へ羽ばたこうというのですから、門出を祝う意味も含まれます。

 ところが、これに「頑張ってもいない」しかも「在校生で卒業は来年」とうインド人が、自分も行くなどと言いだしたのです。「君は卒業生ではない」「頑張ってもいないから参加資格はない」と言っても意味が通じないのです。ごり押しすればいいと思っているのです。「お金は自分で出すし、ホテルも自分でとるからいいはずだ」と言うのです。「お金がないから」といういつもの理屈はどこへ行ったのでしょうね。

 私の方が行きたくなくなりました。たとえわずか2日の日程であろうと、「楽しみ、そして心置きなく送り出したい」という当初の趣旨からはドンドン外れていきます。こういう気持ちで行って、なにを「頑張って勉強し、そして新しい世界に行こう」という、本来の「参加者」にしてやれるというのでしょう。

 まったく、何という人たちなんでしょうね。在校生が卒業生の卒業旅行に(友達がいるからと)割り込むというわがままが許されるような学校が、日本にあるでしょうか。もう一年以上も、この地にいるというのに、まだこういうことがわからないほど、彼は愚かなのでしょうか、日本語が下手なのでしょうか。

 いえ、そうではありません。日本語で、かなり意思の疎通を図ることができます。そうであるからこそ、こんなにイライラしてしまうのです。この学生が、もし、来日時から、「これは、だめだ。きっといつまで経っても母国の文化・習慣に引きずられてしまうだろう。日本の習慣を理解できないままで終わってしまうであろう」と、思われるような学生であれば、また話は別です。こちらにも、心の準備というものができていますから、それほどのことはありません。

 つまり、もう慣れっこになっているのです。「(一年経っていとうと、また5年、10年経っていようと)相変わらずだね。自分の国でやっていたように、ルールも守らないし、相手(日本人)の気持ちも理解できないんだね」と笑っておわりにすることも出来ましょうが、来日時には、「あれ、これは、少々、どうにかなるかな(日本人を理解できるかな)」と期待を抱かせた人が、一年経っても、変われないままでいれば、もうズンと肩の荷が重くなったような気がしてきます。暗黙のルール(外国人にはわかりづらいので、この学校の学生達には、折に触れ、常に説明しています)が感じられずに、(自国にいる時と同じように、自分の要求を主張し)騒げばいいといった感じでやってくるのを見ると、もうため息どころの問題ではないのです。

 そういうタイプの学生の共通点は、「学校に毎日来てはいない。それから、来日直後に同国人の友人からアルバイトを紹介されている。しかもそのアルバイト先は、同国人が開いたレストランであるとか、仕事をしている人たちも同国人が占めているとかいったところ」なのです。

 日本にいながら、自分の国の価値観を持ったままでいても許されるし、自国の習慣でやっていけるわけですから、これでは変わりようがありません。その上、唯一、日本人の価値観、乃至習慣を知ることの出来る場所、つまり学校を疎かにしているわけですから。

 それにもう一つ、こういう人の特徴は、「日本語なんて簡単だ。一人でもできる」と思い込んでいることなのです。こういうのを中国的に言えば「小聡明」、日本語的に言えば「小利口」なのでしょう。言語の拠って立つ所、つまり文化・風土・歴史が見えないのです。

 見えないけれども、存在するもの、見えないものの中にこそ含まれている「存在」を理解できないし、感知もできないのでしょう。こういうのは、最初は、その国の人に言ってもらわなければなりません。ものみな、見え、理解できると思う人は、それでその人の進化は止まります。どん詰まりにいたったのです。見えないものに気づき、それを探ろうとするからこそ、信仰が生まれるのでしょうし、科学が発達するのでしょうし、また哲学がそれを深めていくのでしょう。

 私は、授業の時に、見えないものについてもよく語ります。もちろん、これは「信仰」や「科学」や「哲学」といった深遠なものではありません。「空気」とか「雰囲気」とかいった半分見え、感じられるもののことです。また、学生達が、日本でのアルバイト先で出会ったことについて聞いてきた時にも、(授業で)取り上げるべきであると判断した時には、説明を加えることもあります。それらも、後で考えてみれば、そのほとんどは、日本の文化・風土、そして歴史に関することが多いのです。

 「日本列島」という、この島国が地球上における位置、またその形から話が進むこともあります。死刑に処することを畏れた平安貴族のことに話が及ぶ場合もあります。信仰がないかのようにも見える日本人の「宗教心」についても話したことがあります。こういうことは無形有形の形で、彼らの目の向き方、生活の仕方、或いは(日本への)理解度に影響を与えていくものと、私は思っています。

 普通、「毎日学校へ来る。そして毎日授業を受ける。学校が催す課外活動には参加する。その事前指導にも参加する。アルバイトは自分で苦労して見つける。できれば、日本人ばかりのところがいい、それが無理なら、(アルバイト先は)同国人に取り巻かれないにする」ことさえ気をつけていれば、来日直後には、「岩石だ」とお手上げだった学生も、日本のルールをまもれるようになるのです。

 これは、日本語学校だけでやっても無理です。日本語学校で、いくら口を酸っぱくして指導していても、アルバイト先が自国の文化で完全に覆い尽くされていれば、それは「暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐に鎹」なのです。しかもその人によかれと思って言うことも、「馬の耳に念仏、猫に小判、豚に真珠、犬に論語」で、指導している時の(私の)気分というのも「蛙の面になんとやら」なのです。自国にいる時と全く同じことをしていればいいのですから。

 今回も、このイライラはこういうことが原因なのです。相手はインド人です。ちょうど対照的な二人がいましたので、この差というのは、はっきりと浮き彫りになりました。初めは日本人の空気が少し読めるようになったインド人学生の事をいいます。

 彼は来日直後から、「インド風」を吹かしていました。いわば、「天上天下唯我独尊」というやつです。いくら言っても聞かない。全く耳に入らないのです。どれだけ叱りつけたことでしょう、こういう手合いと戦う時には理屈を言ってもだめです。もう力尽くでしかないのです。ですから、全部説明なしの「頭ごなし」です。

 とはいえ、相手は大卒のインド人です。若いとはいえ、頭はいい。これは直ぐにわかることです。その上、単に頭がいいだけではなく、外国で生きぬいていくための知恵、つまり臨機応変の才もあるように見受けました。ただ問題は、彼にとって「インドが世界のすべて」なのです。もっと詳しく言いますと、「インド人で、しかも英語力がある人」が世界の中心なのです。モンゴロイドで、しかも英語など話せない人間は、吹けば飛ぶような木っ端のような存在でしかないのです。

 多分、彼はこの学校に来た当初はそう思っていたでしょう。それが頭ごなしにやられるわ、「ひらがな」の横にアルファベットで書いているのを見つかれば、全部消せと怒鳴られるわ、見つからないように隠れてこっそりと書いていても、それをやめるまで睨み付けられるわ、もう最初の頃は自尊心もズタズタだったでしょう。でかい図体をして、物陰で泣いているのを何人かの教員に目撃されていますし、泣こうが喚こうが、私は手を緩めませんでした。

後で、彼はこっそりと私に言いました。
「日本は先進国だから、みんな英語を話していると思っていた。だから、インドの大学を出た後、日本へ来たのだ。自分は日本でビジネスをして、ビッグマンになりたかった」

 勿論、「それがわかったのに、なぜ今日本語の勉強をしない」と、数倍の勢いで、怒鳴りつけられたのは言うまでもありません。

 とはいえ、漢字の問題だけで、話すのを聞いていれば、全く流暢で淀みがなく、達者なものです。 
 来日直後から半年ほどは、こういう調子でしたけれども、あの頃から一年半が過ぎまし現在では、私のの表情や雰囲気から、直ぐにいろいろな事が察せられるようになっています。何か言った後「あっ。これ、駄目ね、先生」とか「お願い、駄目でもやって」とか、どれくらいが日本人の許容の範囲であるのかが、わかるようになっているのです。「自分の国ではこうだけれども、日本人はそれを認めない」ということがわかるほどには、(日本人を)理解できるようになっているのです。ですから、今は、彼について苛立つということは、ほとんどありません。ちょいとおしゃべるが過ぎるだけです。

 それにひきかえ、来日直後は、かなり日本人教師の間で評価が高かったもう一人のインド人学生は大変です。最初は「気遣いができる」とか、「相手の表情を見て話せる」とか、およそインド圏の学生では考えられないようなことが、かなり出来ているように見受けられたのです。

 ところが、一年と半年が過ぎようとしている今現在、彼の評価は、下がる一方です。最初はあれくらいわかっていたのに、それが、来日後すでにこれほどの日数が経っているのに、平行線状態、少しも変化していないのです。進歩していないのです。(日本を)学んでいないのです。

 今回も卒業生の「卒業旅行」に、「自分も行きたい」と言いに来ました。本来ならば、彼の友人のもう一人のインド人も就学生ではありませんし、まじめに勉強して「一級」を目指す、「二級」を目指す、或いは大学進学や大学院進学、日本の会社就職を目指しといったタイプではありませんでしたし、アルバイトだけやっているのは寂しいから気の向いた時に来るくらいの人でした。ですから、頑張った人たちに対するご褒美として、今回初めてやる「修学旅行」に、参加できる分際ではなかったのです。それ故、自分も参加したいとやって来た時、初めは、だめだと言いました。けれども卒業生が「一緒のクラスだったし、いた方が楽しいから」と言うので、渋々特別に認めたのです。

ところが、それを聞きつけて、「自分も彼の友達だから行きたい」とやって来たのです。

 いったいどういう理由で、卒業生の中に、卒業しない学生が潜り込んだり出来るのでしょう。彼らには、「一生懸命、頑張ったから、先生達が特別に考えてくれた」ということも理解出来なければ、そういう中に在校生が大きな顔をして入り込むことの図々しさが、忙しい中、計画してやった人の心にどれほどの苛立ちを与えるのかといった気遣いも感じられないのです。

 彼は、あまり学校へ来ません。アルバイト先もインド人の輪の中です。結局、この学校では何も習得出来ずに出ていくのでしょう。

日々是好日
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「案ずるより産むが易し」。「病になるときには…」。「無理が出来ない人には無理をさせない…」

2010-03-11 08:59:41 | 日本語の授業
 「案ずるより産むが易し」とはこのことでしょう。今日の空は、青く、柔らかく、陽光は、静かに、大地に降り注いでいます。
 気持ちも、スッキリしましたとまでは行きませんが、一応区切りはつけることができたようで、これからのことはこれからのこと。話し合いながら考えていくしかないでしょう。長い一生です。今日明日で決着のつくことでもなし、まずはじっくりと腰を落ち着けながら、急いでやっていくしかないでしょう。

 一昨日、「どうしよう。お母さんに叱られる…」と目を真っ赤にして青ざめていた少女も、昨日、定刻に(いつも通り遅刻です)やってきました。聞くと「お母さんは、いいと言ってくれた」らしい…。

 本人が思うよりももっと(親は)、この一年半の彼女の頑張りようを見ていたのかもしれません。それに、親が思っているよりももっと、外では(学校では)彼女のことを評価していることに気づいたのかもしれません。ある意味では、もう自分の手を離れていることがわかったのでしょう。

 彼女のためには、学校の方でも(来年の大学入試を目指して)、別個のスケジュールをたててやらねばならないでしょう。もっとも、それは、私よりももっと組むのが上手な人がいますので、そちらに任せて、私は私で、また出来る範囲で、準備していくつもりです。本人と相談しながら。それも、まずは、今日から。善は急げと申しますから。

よく言われることですが、
「貧賤に際しては、貧賤を行い、艱難に際しては、艱難を行え」
また、
「病になる時には、病になるが宜しく候、死ぬ時には、死ぬが宜しく候」

 足掻いたって仕様がないのです。「現実はこう。結果はこう」であれば、受け入れるしかないのです。そして、その中で「最善の方法は何か」を考えるしかないのです。また、それがある意味では一番の近道にもなるのです。

 とは言いましても、「死ぬ時」に、ここまで自分を預けきることは出来ません。「おめき、ののしりあへり」の地獄絵巻そのままの世界に入ってしまうかもしれません。

 西行の
「うらうらと死なんずるなと思ひ解けば 心のやがてさぞと答ふる」  (西行)
という境地は、万人の憧れるところではありましょうが、いざとなると、なかなかに凡人の到達できるような境地ではなし…。

 とはいえ、
「煩悩は妄想によって生じたその本心の変形した姿である」
ことは事実のようで、

 江戸中期の臨済宗中興の祖、白隠禅師も、
「わずか三合ばかりの病に、八石五斗のもの思いをなすべからず」
「病に害されるのではなく、自分のつくった妄念に喰い殺される人もいる」
とのこと。

 それはそうなのでしょう。確かにそうなのでしょうが、ふと気づくと、水屑のように流されている自分に気づくのです。

 さて、来期からは、「四月生」が入ってきますから、「DCEクラス」が、上のクラスとなります。今年に入ってからですが、何度も「Dクラス」の学生から、「先生、この『Dクラス』が、今の『Aクラス』になるのですか」と聞かれました。

 さすがに、いくら(出来ないくせに)うぬぼれの強い人であっても、自分達と一年か半年しか違わない現「Aクラス」との、実力の違いはわかったのでしょう。そうは言いましても、形の上では、当然のことながら、現「Dクラス」が、次の「Aクラス」となります。

 しかし、どうも沈滞気味なのです、この現「Dクラス」の学生達は。欲がないというか、好奇心がないというか、向学心がないというか。与えられたものは、それなりに覚えようとしているようですが、けれども、そこには「面白い、面白い」と弾んでくれるような、また、そこまでは外に表さずとも、面白がってくれているような「目の輝き」はないのです。

 もしかしたら、今年卒業した学生達の方が、特殊であったのかもしれません。前年度のような、もとの学生達の様態に戻っただけなのかもしれません。それはそうなのでしょうが、どうも教えている時に、こちら側の方でも面白かったものですから、ついついその幻影を追ってしまうのです。彼らは彼ら、この人達はこの人達であるのはわかっているつもりですのに。どうも、いけませんね。

 この学校はとても小さな学校です。その上、四期に分けて募集しますので、一期ごとの人数も少ないのです。ただ、こうしてこまめにしていますと、追いつけなくなった学生達がもう一度、下のクラスへ行き、勉強し直すことができるのです。上のレベルに行ける学生達を、足踏みさせるわけにはいきませんから。

 勿論、「初級Ⅰ」は、まず、皆、問題ありません。「初級Ⅱ」も、まじめにやってさえいれば、問題ありません。「日本語能力試験(三級)」までは、「漢字圏」であろうと「非漢字圏」であろうと関係がないのです。却ってヒアリング力のある「非漢字圏」の学生の方が、「聴解」でいい成績が取れますので、総得点では、上に行くくらいです。

 ただ、「三級」と「二級」の間が、「四級」と「三級」の間ほどには簡単に埋まらないのです。

 それゆえに、「中級」の中ほどで、いつも「もう一度やってみてはどうか」と声をかけていたのですが、これとても、私たちにしてみれば、(もう一度やった方が)本人のためになると思って勧めていることなのですが、中には、それが全く伝わらないという時もあるのです。

 子供の時から、こういう「競争社会」で生きてきた覚えがないのでしょう。これまでは、座っていれば、「心太」式に上へのぼって行けたのでしょう。「理解する?わかる?テストなんて、判った人が隣近所に教えればすむことだ」くらいに考えてきたのでしょうし。また、努力もせずに、「楽しくなくなった(何ヶ月もあいうえおと繰り返すはずもありません)から行きたくない」などと、進学目的で来日していながら、わけの分からないことを言う人もいます。

 ですから、クラスでは少々「困り者」になっても、そういう人は(もとのクラスに)置いておかざるを得ないのです。以前は、「本人のためだから」と説得に説得を繰り返し、体力をすり減らしてもいたのですが、結局、何にもならなかったのです。メンツも関係してくるのかもしれません。こういう人は、だんだん来なくなるのです。学校に来てさえいれば、(何㍉かであろうと)少しは、上達するわけですから、(もうこのこういう人たちには)そちらの方がいいのだろうと、今では、この面での「強引さ」は打ち止めにしています。

 日々是好日

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「さて、次へ。それぞれの道」。「重荷を背負って、日本で生きる若者たち」。

2010-03-10 08:33:23 | 日本語の授業
 「卒業式」の晴天が、嘘のように、昨日は冷たい雨が降りました。気温もあっという間に下降し、いつの間にか粉雪交じりの雨へと変わって行きました。しかも、そのうちに強い風まで吹いてきたのです。

 今朝の空も重くどんよりと曇っています。低く垂れ込めた濃い灰色の雲は、雪雲のようにさえ見えています。

 あと一人、受験を控えている学生がいるとはいえ、今年の国立大学は超難関でした。「留学生試験」の日本語で350点近くとっていても、理系では無理だったのです。「物理」や「数学」が重かったのです。領域によっては未習のものも多く、中でも「数学」はかなり荷が重かったようです。

 「『留学生試験』の範囲」と「『大学』が要求する試験範囲」とが、ずれていれば、わずか一年半ほどで、「『日本語』もやる(イロハからです)、『英語』もやる(復習だけではだめで、プラスαが必要です)、『数学』の未習の分もやる、『物理』『化学』もやるというのは、彼女にとって、どんなに大変だったでしょう。

 「日本語」や「総合問題(文系用)」なら、私たちでも対処できるのですが、他の学科は彼らの母国で出来ていないと、新たにやると言うのはなかなかにできることではないのです。

 来日時には18才で、おどおどして見えた少女もいつの間にかグッと背が伸び、知的に美しくなっていました。けれども、失敗は失敗です。現実は現実として受け止め、これからを考えなければなりません。

 「国立大学」で、どうして失敗したのかを見てみると(有名私立「六大学」のうちの一校を受験し、これには合格しています。ただ、彼女がやりたい学科ではなかったようなのです。(この、大学での専門を選択するというのも、中国から来た学生にとっては難しいことで、中国であったら、簡単に、理系だったら、「コンピュータ」、外国語だったら「英語」、文系だったら「経済」と、いわば、何も考えずに決めていたようなのです)そう思い込んでいたものですから、この時(大学案内や大学のホームページを見始めた頃です)も、選んだのは「コンピュータ」でした。それしか思いつかなかったし、いくらその前に「こういうことも学べるし、ああいうことも学べる」と、いくら私たちが紹介しても、なかなかこの、思い込みという「氷」は、ほどけなかったのです。

 ただ、この専門を選択する期間を通して、日本では様々な学科があり、各大学には、優秀な教授陣が揃っているということもわかったようでした。それに、知識を広めるために、世界遺産を見せながらの、世界史の授業や、世界各国の様子など(この中には紛争地域も含まれますし、教育問題やや宗教問題も含みます)を学んでいったことも関係があったでしょう。そのうちに自分の中で「『建築学』を学びたい」という夢が膨らんでいったようなのです。

 これが就学生ですと(大学入試に失敗した場合)、「一度、専門学校へ入って、その間、再度『留学生試験』を受け、高得点をマークし、大学を受験する。しかも、その時には理系は避け、文系で戦ってみる」という方法も考えられるのですが、彼女の場合、家族滞在なので、それをせずとも済むのです。そして、この一年は受験に没頭できるはず(「日本語」以外の科目の勉強です。「日本語能力試験(一級)」では、すでに350点をものしていますから、復習程度で済むはず。問題は「留学生試験」のうちの「数学Ⅱ」、「物理」、「化学」、そして、各大学が要求する「数学」や「物理」などの母国における未習の領域です)なのですが、ことはそう簡単にはいかないようなのです。

 ここで問題になってくるのが、彼女らの父母の存在なのです。彼女らの父母のうち、ある者は苦労しながら、韓国で稼ぎ、子供に教育を受けさせてきましたし、ある者は、日本人と結婚し、永住権を持っています。ただし、教育をそれほど受けていない世代なのです。彼らが生まれ、育った時期(つまり、中等教育や高等教育を受けるべき時期)というのが、「文革期」であり、「改革開放の初期」、いわば混乱期とでも言うべき時代だったのです。

 その頃の中国は(私は、1982年か1983年頃、一度旅行で中国へ行ったことがあります。それから1985年に留学という形で中国へ行き、何年か滞在し、また1995年に今度は仕事で滞在しました。ですから、この混乱期の中国の事を曲がりなりにも体験して知っているのです)、とにかく「稼げ、稼げ、稼げの世界」でした。しかも、誰も、そう思っていないのに、「お金を欲しがるのは、西側に精神的に汚染された人間だ」と、新聞でも公の場でも叫ばれていた時代でもありました。建前と本音の二重構造が、彼らの遺伝子の中にまでしっかりと組み込まれているのではないかと疑われたほどです(これは日本人なんかの比ではありません。全く信じ込んでいるのですから、恥ずかしげもなく、大きな顔をして叫べるのです)

 彼らの親の世代は、「どこでもいい、何でもやる」、「やった者勝ちだ。勝てばいいのだ、稼げればいいのだ」という混乱した世界の渦の中で、戦ってきたのです。このような混沌とした世界の中で、足掻きながら、それなりに稼ぎ、それなりの貯蓄を得、生きてきた人たちなのです。つまり、そういうやり方で闘い、一応の、彼らなりの成功を収めたという人たちだったのです。そういう「成功体験」があるのです。当然のことながら、子供にも自分達と同じやり方をするように強要します。彼らには「教育」の大切さがわかりません。そういうことを考えずに、また考えることを許されないで、「まずは『今日の糧』のために」生きてきたのですから。

 韓国よりも日本に来た方が稼げるとなれば、当然、目は日本に向きます。やいのやいのと娘を急かします。何事があろうと、構わない。けれども、一言言っておかねばならないのは、日本は「法治国家」なのです。「カネ」さえやれば、或いは「権力(どれほどの権力かはわかりませんが、例えば、日本の市役所に勤めている平公務員であろうと、彼らからすれば『官』なのです。何でも作り出せるし、官は官同士助け合いますから、ばれる心配がないのです。つまり、それが彼らの言うところの権力なのです)」さえ握っていれば、どうにかなるという国では、絶対にないのです(そうする人は、誰かが見ていますから、直ぐに警察のご用になります)。

 若い彼女らは、一年も日本で過ごせば、「法を守る」ということも、「教育で自分の将来が決まる」ということもわかります。ただ、親はわからない(悪いことに、「成功体験」がありますから)。在日の親であれば、必死で勉強をしている子供に、「勉強して何になる。工場で稼いだ方がいい」と言いますし、母国にいる親であれば、「日本へ行けるルートを考えろ。稼げるから」と、やっと大学に入れた娘をせっつきます。

 彼女たちはそんな重荷を背負いながら、日本で生活をしているのです。私たちは、それを絶対に許しません。そんなことをしたら、彼女たちは「お先真っ暗」になります。せっかくいい大学に入れても、「悪いことをしている」感覚が常につきまといます。「そんなことは皆がやっているから何とも思わない」という感覚しかない親たちとは全く違うのです。

 そういえば、いつの間にか来なくなった中学生の少年がいました。「日本語能力試験(二級)」までは合格できるのですが、それ以上は(中国でも勉強していないし、本を読む習慣もなかったので、「一級」合格は)難しかったのです。私たちは、とにかく「高校だけは出ておかないと、将来何もできなくなる」と言ったのですが、ここでも親が出てきました。彼をこの学校に預けた時からが、「少し(日本語が)出来るだけでいい。そうしたら、働けるから。あまり出来なくてもいい。少しで充分」。

 とは言うものの、親の意に反して、この少年は、勉強をするようになりましたし、高校教材の世界史図録を見れば、「えっ。中国ってこんなに小さかったの?」に気づく位の聡明さは持ち合わせていました。しかし、親は「高校なんて行く必要はない。自分だって学校が嫌いだった。勉強は出来なかった。学歴なんてない。けれども、どうだ。一廉のモンだろう」なのです。

 彼らの「親の世代」と、この「グローバル化の世界」を生きる若者たちとではまったく社会の個人に対する要求が異なっているのです。子供の方はうすうす感づいていても、親の方は、そうではありません。「成功した経験」が邪魔になって、見えなくなっているのです。その上、親の中には、「自分達はこうだった。こうやって生きてきた。そして成功した。だからおまえも、私が言った通りにしろ」式に子供達の将来を決めてしまうのです。子供の個性も能力も社会の変化も何も考慮せずに、世界は彼らの時代とは全く変わっているというのに。

 それが、多分、今の中国の、「国家としての限界」なのかもしれません。

 そうは言いましても、今、ここで頑張っている学生達だけは救いたいのです。この若者達だけは、望み通り勉強をさせてやりたいし、親が彼らの足を引っ張るのをやめさせたいとも思うのです。

日々是好日
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「卒業式」。「卒業パーティ」。「『卒業式』は終わったけれど、まだ追い出されてやらない」

2010-03-09 07:45:04 | 日本語の授業
 さて、昨日、「平成22年の『卒業式』」は、晴天の下、何事もなく行われ、何事もなく終了いたしました。「式」の途中から目がウルウルの学生がいたり、また「卒業パーティ」では、卒業生の一言や涙に、もらい泣きしてしまったり、慌てて後ろを向いてしまう在校生がいたりで、近年になく涙っぽい卒業式になってしまったようです。

卒業式パーティ

 そのくせ(普通ですと、泣くのに忙しい年度には、料理が残ってしまうという傾向にあります)と言っては何ですが、「卒業式パーティ」のために、用意した料理は、きれいさっぱりなくなっていました。「涙も出すし、騒がしいし…」と思っていたら、その分のエネルギーはため込んでいたのですね。

 その上(食い物の恨みは怖い)、卒業生が一人、パーティが終わってから、「先生、私はケーキが食べられなかった」と訴えに来ました。(どうも、後で聞くと皆に訴えていたらしいのですが)実際に彼女の行動を見ていた人によると、切り分けられたケーキを後ろの人に手渡したりしていたのは事実らしいのですが、ただし、他の料理もぱくぱくと食べていた…らしいのです。他の料理に手を出しているうちに、どうも(ケーキを食べる)チャンスを逸したらしい…。

 もう、何でもすぐに訴えに来るんだから…とはいえ、ケーキ如きに目くじらを立てるななどとも言えません。こういう習慣をつくらせたのはこちら側なのですから。何でもかでも「先生、こうだった」とか「ああだった」とか言いに来るようにさせたのは、実際のところ、私たちだったのです。

 それでも、今年の卒業生の特徴は、「素直になる」のが速かったということでしょうか。「子供のようになる」のが速かったのです。一度、そういう幼子にもどると、あとは言われるままに素直に覚え、素直に学び、解いていくという作業がスルスルと出来るようになります。これが心の垣根が太く強く高いとそうはいかないのです。

 勿論、ここでは一言で、「素直になる」とか、「幼子のようになる」とか言ってしまいますが、同じようにそう言いましても、それで、直ぐに「先生」と言いながら、寄ってこられる学生と、他の人が傍に行っているからと遠慮してしまう学生がいるのも事実です。

 遠慮することを知っている学生は、何かあっても一人の時以外は耐えてしまいます。私たちにしても(大丈夫だろうからと)、ついつい叱ったり注意したりという作業を疎かにしてしまいがちになるのです。けれども、考えて見ますれば、他の学生達と同じように18才か19才で来日し、頑張っているわけで、しっかりして見える分、一人で耐える分量も多いということになります。それに、またこれまでも(母国にいても)多かったのでしょう。そういうことまでも感じさせられた「卒業式」でした。

 学院長が、一人ひとりの入学時からの思い出を先に述べてくれたので、次の私としては、「時計と格闘」です。もう計画では「パーティ」の始まる時間…というわけで、あっという間に私は、祝辞を終えてしまいました。戻ってくる途中、在校生の間から「…ハヤイ…あり得ない…もう終わった…」という呟きが。多分、授業中の私と絡めて、「…」だったのでしょうが、授業とは違います。

 卒業生に対してもそうです。毎日の授業ですべて出し切っています。言いたいことはすべて、教室で授業の時に言っています。「今更何をか言わんや」なのです。彼らと(授業という形では)それほど多く触れる機会のなかった他の教員とは、自ずから違ってきます。特に、今年の卒業生は、卒業後も(なぜか)授業がまだ続くわけですから。

 で、主に聞き役に徹します。とはいえ、参加学生の数が多く、パーティでは用意した教室に入りきれなかったので、(外から)声を聞きつつ想像するといったくらいのものでしたが。

 というわけで、「卒業式」は無事終了しましたが、来週の金・土曜、つまり3月19日と20日の「修学旅行」が終わるまでは、「世界史」の続きと、そして直前の三日間は「奈良・京都の歴史」を勉強しますので、実質的な卒業は、この「修学旅行」が終了してからということになります。

 そういえば、若い先生から「はい、教科書が残っていたよ」とか「このプリント、あなたのでしょう」と手渡された「オシャマサン」達。「おかしい、不条理だ」と喚いていましたっけ。「私たちはまだ卒業していません。ああやって、持って帰りなさいって言われると、もうここの学生じゃないみたいです。悲しいです」。けれども、卒業式の二三日前に「はい、忘れ物です」と卒業を控えた学生に手渡すのは、毎度のこと。このように、抵抗されるのは初めてでした。この分で行くと、何かをわざと置いておくという悪さまでしかねません。

 「これまでのことは忘れて、新しい生活のことだけ考えるようにしなさい。これからは全部自分一人でしなければならないのだから」と言うと、「大丈夫。直ぐに聞きに来ますから」と言う。全く「いたちごっこ」です。けれども、これは本当のことです。特に若いうちは、「今」だけを見た方がいいのです。「終わったことにいつまでも未練を抱いている」というのは、言葉を換えて言えば、「今」がうまくいっていないからなのです。私たちにしてみれば、そちらの方が、ずっと心配なのです。

 ここを忘れてくれる方がいいのです。ここを忘れるほど、大学生活や大学院生活が楽しい方がいいのです。そうすれば、私たちも「ここで叱り、嫌な思いをさせ、泣かした」ことが無駄にならないと思えます。いつまでも「居座ろう」などと思わず、新たなる道へ。
 
 昨日はその「門出」の一日でした。

日々是好日
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「水仙に狐遊ぶや宵月夜」。「『クラブ活動』って、アニメの世界でのこと」。

2010-03-08 08:28:31 | 日本語の授業
 「水仙に狐遊ぶや宵月夜」   蕪村

 蕪村の俳句のほとんどは、読んだ途端に、目の前に情景が拡がっていきます。まるで、映画のように、「動き」を伴いながら。しかも、こういう句では、夕暮れ時に、夕顔の白い花が開いていくのをスローモーションで見ていくようなそんな気にさえなってしまいます。

 さて、今日は「卒業式」。(この学校を)出たくないと言っていた学生達も、これからは新しい道を進んで行かなければなりません。私たちも、彼らを追い出さねばならないのです。こういう時、いつも蕪村の句が浮かんでくるのです。そして、今回はこの「キツネ(狐)」の物語でした。キツネと言いますと、国によってはあまりいい印象を持たれたいと言うこともあるでしょうが、私の中では、「宵」「水仙」「キツネ」と続きますと、もうそれは「夢幻」の世界へのキーワード、今回のように対象者がはっきりしていれば、彼らとの思い出が去来するということになります。

 今日、卒業する学生達のうち、大半は、一昨年、少々緊張しながらも、明るい顔をして入学してきました。ところが、何人かがちょっと違っていたのです。一人は「世の不幸を一身に背負った」かのような顔をして、ただ立ち尽くしていただけでしたし、一人は無表情で、どうでもいいのだ張りのない顔をしていました。もう一人は、「馬鹿にされまい、自分は一廉のものである、何でも出来るのだと人にも見せよう」として空回りしているのが回りにも露骨にわかりました。この三人は、いわゆる「クセモノ」だったのです。

 その彼らも、いつの間にか、明るい表情や素直さを取り戻し、アルバイト先でも頼りにされるようになっていました。また、勉強の面でも、一緒に勉強していた人たち(在日の方達です。彼らの目的は進学ではなく、日本での就職活動のための「日本語能力試験(一級)」合格でした。しかも、できるだけ短時間で)に影響されたのでしょう、毎日のように放課後、学校に残って勉強していました。

「オシャマサン」の一人が言っていました。
「先生、最初は、放課後残っていても、あまり勉強していなかったのです。みんなとおしゃべりするのがとても楽しかったのです。それで残っていただけだったのです。ところがある日、Tさんに叱られたのです。『あんた達は、何しに日本へ来たの。勉強するためでしょう。勉強しないで、おしゃべりばかりして…うるさい』」
「それから、ハッと気がついて勉強し始めたのです」

 勿論、最初あまり勉強していなかったことぐらい、お見通しでしたよ。なんて言ったって、自習室のすぐ下が職員室。笑い声やらおしゃべりの声やらみんな聞こえていましたもの。それを、さも大切な秘密を明かすように囁くのが、なんともはや愛らしい。。

 とはいえ、一人はほっといても勉強する方でしたし、もう一人は、ちっとやそっと意見したぐらいで動揺するようなタイプではありませんでしたから、こういうふうに「ハッとする」のは彼女くらいでしたでしょう。

 ただ彼らが一様に言っていたのは、
「先生は怖かった」

 私は、人様から「怖い」と言われるような覚えはないのですが、叱る時には「必死になって」叱ります。「中途半端」な叱り方は、決してしません。多分それが、ある種の迫力になって、「怖さ」として(彼らに)感じられたのかもしれません。

 ただ、これも、彼女たちがまだ柔らかい感性を持っているから感じられたことであって、何年いようと、中国にいる時と同じように、日本でも高を括って、適当に生活している学生もいます(聞けば、必ず、「一生懸命にしています」と言います。中国ではそういうようにしつけられているのでしょう。まるで条件反射です)。

 「なぜ教師が叱るのか」ということが理解できなくとも構わないのです。「叱られ」てショックを受ければそれでいいのです。これがまず第一歩。こういう簡単なことでも、相手の心に届けばそれでいいのです。これが心に届くかどうかというのは、本人が考えているよりも、大きなことなのです。

 母国にいる時と同じようにしても、誰からも反感を持たれないし、それどころかうまくいくと思い込んでいる人には、何を言っても効果はありません。私たちは注意するのが教育的義務の一つだと思っていますから、繰り返しますが、普通は嫌でしょう。注意してやっても、何とも思わないし、感じない。これは感性の問題だと思うのですが、本人に自覚はありません。外国人に慣れている私たちでも嫌だと感じるくらいなら、アルバイト先の日本人は当然のことながらもっと嫌だと思うでしょうし、不快感も持つでしょう。こうやって、あっという間に二年間が過ぎ、残されたものは、誰にも受け入れられない自分だけということになってしまいます。「さて、進学」と言う時になっても、本人が(勝手に)行けると踏んでいるところへは、手が届かない。その時になって慌てふためいても、だいたいはもう間に合わないのです。

 そうならないために、いろいろな注意を(入学時から)しているのですが、しかしながら「一事が万事」と言えましょう。学校で、これほど「手取足取りで」指導してもどうにもならないのですから。うまくいかないと言うことは嫌な思いをさせられるということが多いということです。そして、そういう場合は、往々にして、自分を責めずに相手を責めるということになってしまいます。お互いに不幸なのですが、こういう人はいくら言ってやってもわかりません。自分の国での教育がしっかり根を下ろしているのです。よそへ行けば、違う場合があるということがわからないのです。

 若いうちに外国へ行った方がいいですね。もちろん、行く国はしっかりと選んだ方がいいのです。そうしないと、却って反対に悪い習慣が身についてしまいます。そうなれば、(日本人の場合)もう日本へは戻れません。

 この学校に「就学生」としてくるような、普通の学生達(特別の才能があるとか、特別の金持ちの子供とかではなく、ごくごく普通の能力の持ち主であり、普通の家庭で育った人たち)を見ているとつくづくそう思います。

 「中進国」のリーダー格といわれ、今では世界の市場あるいは、世界の経済を引っ張っていくかのように見える中国でさえ、「難易度の高いものを早い段階で入れるのが、立派な教育」と信じ込み、それを実践しています。(「日本では、小学校五年生で勉強するのに、中国では三年生で勉強する」と誇っている親を見たことがあります。子供の発達段階や発達心理などを全く考慮せずに詰め込めばいいと思っているのです。全くどうしようもない人たちだなと思うのですが、親たちは教育の専門家ではありませんから、責めるわけにはいきません)。


 日本の教育の理想は「全人教育」です。これは理想であって、理想は実現できないものと相場が決まっているのでしょうが、この理想はすばらしいと思います。その中では、「遊ぶ」のも教育なのです。遊ばせることの必要性がわかり、それを実施できるかどうかは、ある意味で「社会の成熟度」を測る尺度になるでしょう。

 中国で「進学校」を卒業した学生と話していた時のことです。「小学校でも中学校でも、高校でも、修学旅行はなかった。遠足やバス旅行など何年に一回くらいの経験しかない。卒業式は勿論、入学式もなかった。毎日、勉強、勉強、勉強だった」と言います。しかし、それで、何が得られたのかは私にはわかりません。だって、普通の事(世界の歴史や自国の歴史、各国の神話、社会の動きやら国と国との関係やら、日本では普通の中学生や、ちょっと本や新聞を読むのが好きだったら小学生でも知っているようなこと)を何も知らないのですから。

 「体育」の授業も「音楽」の授業も時間割表には載っていても、実際に学んだわけではありませんから、できません。指導者がいないのかなとも思うのですが、オリンピックでは、あれだけの数の中国人が上位入賞を占めているのですから、そういうわけでもないでしょうに。以前のソ連と同じように共産圏の国では、本人が好きだからとかやりたいからやるのでなく、才能があると(某筋に)見なされれば、国家プロジェクトの末端組織とされ、そこに組み込まれてしまうのでしょう。それにしても、選ばれなかった人たちは、そういう(スポーツをして遊ぶ)機会を奪われているわけですから、気の毒なことです。

 私も中学も高校も進学校でした。けれども、中学の時には「冬には雪中登山」、「夏には山でキャンプ」でした。勿論、そのほかにも遠足やらバス旅行やら、修学旅行やら経験しましたし、クラブ活動もそうです。中学の時には、夏には山へ行くというのにひかれて「生物部」に入ったのですが、山の中で、蝶の後を追いかけて迷子になったり、トンボの捕り方(クルクルと手の指を回して、トンボの目をくらませ、簡単に捕まえるのです)を先生が見せてくれたり、帰りに見たまん丸い月の大きかったことなど、楽しかったことは数えきれません。

 普通の日本の学校を卒業していれば、皆、ほとんどこれと同じようなことを経験しているはずです。そして、それのどれもが現在の自分の感性を作る上での一つ一つの成分となっているのです。

 「オシャマサン」の一人はこんなことを言っていました。「『クラブ活動』なんて、アニメーションの世界でだけのことだろうと思っていた。ところが日本の学校では本当にあるのだと言う。それを聞いて、羨ましくてたまらなかった。大学へ入れたら、絶対にクラブ活動をしてみたい」

 さて、今日は昨日とうって変わり、皆の「これから」を祝福するかのように、青空が拡がっています。これからもいろいろな事があるでしょう。中には辛いことも悲しいこともあるでしょう。けれども、どんなことがあっても、一興懸命にしていれば、だれかが見ています。そして助けてくれます。このことを忘れずに、これからも誠実に生きていってください。

日々是好日
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