日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

他の同国人の話に、右往左往してしまう人もいて、困っています。あっちが楽だと聞くとすぐそっちを見てしまう…。

2018-10-05 08:48:00 | 日本語学校

小雨。

この頃の雨は、霧雨と言うには少々大粒、かといって小雨と言うにはふさわしくない。どう言えばいいのでしょうね。…今日は一日中、こんな感じで降っているのでしょうか。

最近、空き時間に学生を呼んで、面接の指導をしたり、願書書きや作文の準備などをさせているのですが、なかなか面倒な人もいて、神経を使わされています。

「紹介してください」という言葉と、「助けてください」という言葉を連呼するのです。 どの程度、こういう言葉の意味を判って使っているのかなとも思うのですが、まずは、「自分でできることをするしかない」と答えています。

夏休み前から、「ここはどうか」と勧めてみたところはあるのですが、お金が高いとか、何かわからないことを言い出して、なかなか動こうとはしません。どうかと私たちが勧めた大学にも、なぜかいろいろな理由をつけ、心が動かされないようです。

その時は「はい」と言っても、数日後には、また「行かない」と言い出す。それでも勧めたりしていたのですが、これを3,4回繰り返し(繰り返す度にこちらの話は長くなります。いろいろな角度から説明しなければならなくなりますから)、こちらがもういい加減、「もう、いいか、後は自分で考えた方がいい」などと諦めた頃、別の機会に他の教員がその大学について説明した。すると、勢い込んで、「○○先生が、こう言いました。なになにだそうです。私は行きます」と言いに来た。「そんなこと、とっくに説明しただろう」と、いい加減、嫌になる。でも、行くのはいいから、では、何期に応募するかと相談する。

それで、決まったかと思っていると、また翌日、「行きません。なになにですから」等と言いにくる。「ハア…」。

そして、10月。昨日のことです。一つの専門学校の願書を書き上げ、「ここはとてもいいです。行きたいです。ここを出た学生はなになにで働いています。私もそこで働きたいです」。「そこで、どんな仕事をしているか知っていますか」「???」

「もう一つ受けたいです。心配ですから。この学校はとてもよくて入るのが難しいから。紹介してください。ここはどうですか。あそこはどうですか。」などと言う。私が黙っていると、「助けてください」と言う。で、「どちらでも同じでしょう。大して差はありませんから」

絶対に入れるなんてだれにも言えません。努力して勉強するしかないのです。

「○×という日本語学校は、この専門学校に推薦で入れます。(ここは)できますか?」「できません」。

「そこは同じ系列で経営者も同じ。そこに入りたかったら、そういう日本語学校に行けばいいことです。そうしたら、勉強しようがすまいが、入れるのでしょう、その専門学校に。10人と数が決まっていれば、それだけの人数を入れるのでしょうから」

こちらが合格できるだろうと思っていた学生でも、失敗することがある。彼は「どこでもいい、ここなら絶対に入れる」という言葉が欲しいだけなのでしょうが、そんなこと、だれにも言えません。頑張るしかない。

よく、こういう状態で彷徨う人がいます。決めることができずに、あっちへ訊きに行き、「じゃあ、ここにしよう」。ところが、他の話を訊けば、なぜかそっちが良く思われてしまう。で、「そっちへ行こう」ということになる。ところが、また別の人の話を訊けば、やはり前のところの方がいいということになり、またそちらへ心が傾く。この繰り返しなのです。で、最後は、決めてくださいと言いに来る。

「こちらの方がいい」ということは既に言ってある。同じことを言っても、また他の誰かが向こうが良いと言えば、彷徨い始める。だから、何を言っても、無駄な気がする。どうしようもないのです。とはいえ、リミットは来ますから、いずれ決めなくてはならなくなるでしょう。

その、彷徨っている3ヶ月間、何をしていたかというと、何もしていない。うろついていただけ。心がさまよっていただけ。

「『どうしよう。どうしよう』と言っている間に、漢字の一つでも、単語の一つでも、覚えたらどう?」…でも、できない。すぐ、ほかの人の言葉に引きずられてしまう。

そもそも何をしたいかがはっきりしていないから…。でも彼の場合はそうではないのです。したいことははっきりしている。それなのに、あっちへ行き、こっちへ行きしている。「そのうち、だれにも相手にされなくなりますよ」としか言えませんね。人が言った話にすぐ飛びついてしまうのです。

何ヶ月も相手をしてきたのに(本当に面倒です。同じことを何度も何度も言いに来ますから。日本人が相手だったら、「私が言えることは既に言いました。ほかの人もそうでしょう。あとは自分で考えてください」と、何回か相手をした後、言うだけです。彼には、既に何ヶ月も同じ話を聞いてやり、何ヶ月も同じことを言ってやりしてきました。とはいえ)、「もう、自分で考えなさい」と言うと、捨てられたような気になるのでしょう。

かといって、彼が持って来て、いい専門学校だというのは、別にいい専門学校でも何でもないのです。普通の、大して勉強しないような外国人が行くようなところなのです。

私たちが、いい専門学校というのは、日本人が主であり、入るのは難しいけれども、入ってからきちんと勉強させてくれるところなのです。だから、そもそも話が噛み合わないというのもわかる。

だいたい、私たちに、勧められたとおりに大学を受験した学生は、すでに合格して、落ち着いて次の目標に向かって歩み始めているのですけれどもね。

日々是好日
コメント

学校の教員達のてんてこ舞いが始まっています。どのクラスの担任も大変、大変。

2018-10-04 08:51:45 | 日本語学校
曇り。

空一面、灰色の雲が広がっています。「(今日は)いつ降り出してもおかしくない」などと言われますと、困るのですが、それでも、「それまでは降らないということだ」とも、「降り出さないかもしれないということだ」などと考え、いつも通りにやって来ました。

朝の気温は、20度を切っているそうで、こうなりますと、秋草がもう少し見られてもいいような気がするのですが、目につくのは、まだまだ夏の名残の草花。

「カンナ」も咲いていますし、「マツバボタン」もまだ顔を覗かせています。「キキョウ」の青紫を見つけた時には、ちょっと場違いな気もしたのですが、それくらいの涼しさなのです、今は。そんなこんなどころか、「アサガオ」だって、一輪どころか、五、六輪、咲いています。とはいえ、どこかしら、寒さの中で震えているような気がしてなりません。

まあ、台風だけは相変わらずと言ったところです。困ったことですね。学生達も「また、台風ですか」。そう、私たちも、思いは同じ。

さて、学校です。

進学を控えた人達を、こちらの空き時間に残して、指導を始めています。これは、自分から残りたいと言う学生を、まず先に呼んでということなのですが、残りたいという人は、だんだん決まってきています。

作文の指導も必要な学生、面接の指導だけでいい学生、もちろん、個別に見ればキリはないのですが、大きく分ければ、願書書き以外はそれくらいのもの。それがなかなか流れていかない。

今は、週に3度、二人か、三人ずつを残せばいいだけなのですが、時間は大してかからないのに、それが待ちきれない人がいる。

提出書類をチェックし、不明な点を聞かせにやったり、コピーなどをさせている間に、願書書きの指導をする。書かせている間に、少しずつ、面接の指導をしていく。

ただ作文の指導だけは、間で切るわけにはいきません。途中で止めてしまうと、考え始めていたことまでが消えてしまうのです。

まず、「どうして日本へ来たのか。日本でどんなことがあったのか。その中で成長した部分はあったのか。これからどうしたいのか」という問題について考えさせ、何でもいいから言わせることから始めていくしかないのです。誘導尋問のような形でしかやれないのが辛いところなのですが、そういう事を考えたことも、書いたこともない人達が多いので、初めはしょうがないのです。

どうしても、何も出なければ、「例えば、こんなことを言った人(同国人が一番いいのです)がいるけれども」と投げかけてみる。「ああ、私も」と言えばしめたもの。「そう、それはいつ」とか、「だれが言ったの」とか、「その時どう思ったの」、「それはなぜ」とか、彼等が答えられそうな問いで畳みかけていきます。

だいたい、型どおりの言葉でも、自分が言ったというのは強い。ああ、そうだったんだということを一度思い出させておく。これが次のステップへ行く上からも必要なことなのです。総括ですね、これまでの。

文章にするというのは、ある意味で、それほど大切なことではありません。「振り返った」ということが必要なのです。この1年半、ないし1年を振り返り、「なぜ日本へ来たのか」、「なぜ帰らずに次へ進もうと思うのか」と自ら問い、それなりに自分で多少の深みの差はあっても、納得していくという作業が必要なのだと思います。

それが切られると、こちらの気持ちも、考え込んでいる学生の思考も断ち切られるので、元の木阿弥になってしまいます。だから、邪魔されると、こちらは、キッとなってしまうのです。

この、邪魔をするのが、三、四人いる。「自分の事だけ考えるな。待つことも覚えろ」とかなりきつく叱ったあとは、借りてきた猫になってしまうところを見ると、単に国で甘やかされてきただけのことなのです。それも叱られればショックを受けるくらい、悪気がないといえば、悪気がないのです。

その、彼等の指導の合間に、高校受験の学生達の数学を見ているのですが、まずこの文章題というのが難物。日本人からみれば、小学校から同じような形でやってきているので、なんと言うことはないもの。彼等にしてみても、母語であれば、ごくごく簡単な問題というところなのでしょう。が、それが数学的思考で貫かれた日本語ときている。

説明文といえば、そうとも取れないことはない。けれども、彼等がまだ知らないというか、理解しにくい書き方であるらしく、「N2」レベルの彼等でも、「先生、わからない」。そう言われれば、こちらにしても、「そうか…、でも、公式を覚えなさい」、あるいは「こう問われた時はこう解く」としか、言えません。

台湾の学生にはそれで通用しても、インドの学生にはそれが通らない。「なぜ?なぜ?」と迫ってくる。こちらも、中学を卒業してから、数十年経っているので、公式は見れば思い出し、解き方もああそうだったと思い出しはしても、公式を一つ一つ導き出すやりかたなど、ほとんど覚えていない。

で、結局、「本を置いていってね。どう説明したらいいか、帰ってから考えてくるから」ということになってしまうのです。

そうすれば、素直なもので、「はい」と言って本を持ってくる。こちらは「はぁ」という気持ちで受け取るだけ。台湾の学生みたいに、「この公式に当てはめて考えればいいから。このときはこれ、あの時はあれ」で済めば、楽なんだけれどもなあ。なにせ、私は「文系」なのです。

日々是好日
コメント

ベトナムに帰った卒業生が、会いに来てくれました。ベトナムでも会う予定です。

2018-10-03 08:35:30 | 日本語学校
曇り。

雲が出てきました。秋雨前線の所以かな。それとも「台風25号」が、もうこの地にも影響を及ぼしているのかな。

この雲も「鰯雲」というか、「鱗雲」というか…。子供のころ、習ったばかりの、この秋の雲の名前を友達としきりに口にしていたものでした。…楽しかった。

「羊雲」と、これらの雲の違いなんて、感覚的なものでしかなく、大きめだったら、「ヒツジ」小さめだったら、鱗みたいだから「さかな」と、単純に騒いでいただけでしたが。

春と秋は、とかく空を見る機会が増えるようで、それは子供でも同じこと。大人になると、その「空」が、往々にして「夜空」となってしまいがちなのですが、それでも、通勤時、信号で止まった時など、朝の空を見上げてしまいます。

秋といえば、「台風」というのは、ちょっと嫌ですね。もう「嵐」とは言えませんもの。「ススキ(薄)」や「ハギ(萩)」が強風に煽られて、身をくねらせている様はそれなりに「風雅」なものですが、それが台風になり、いろいろなものが飛んでくるとなると、もう、いただけません。

学校の「キンモクセイ(金木犀)」の花は、先週ごろか、既に咲いていたようで、この花を見るたびに「これは何の花ですか」と訊きに来た内モンゴルの学生のことを思い出します。

一人ならず、内モンゴルの学生達は、特に、樹木に関心があったようで、「モミジ(紅葉)」の葉の紅葉や、あるいは他の木々の「黄葉」、また「木の花」にも強い関心を持ち、「(木に)大きな花が咲いている!」と横浜などの地に行った時には、わざわざ言いに来たものでした。

南国で、雨の多い地から来た人達にとっては当たり前のことで、驚かれることに、却って驚いていたようでしたが。

さて、昨日、3,4年前に卒業したベトナム女性が訪ねてきてくれました。毎年、数回来日し、北は北海道、南は九州まで、二十日間ほどをかけて、走り回っているそうで、今週末に帰国できると、疲れを見せながらも、ホッとした表情で、言っていました。

日本の会社から数倍の給料を示されていても、やはり母国で働きたいそうで、ちと残念。

とはいえ、彼女のように責任感があり、強く、賢く、優しく、自分を失わない人は、どこにいても、大切にされることでしょうから、あとは自分の気持ち次第。やはり自分の国が一番いいのでしょう。考えてみれば、だれしも同じことですね。

いとこを留学させたいということで、少し話したのですが、目の下にうっすらと隈ができているのを見ると、これからキャリーを引いて川口にまで行かねばならないという彼女を引き留めることもできかね、早々に話を切り上げました。

新幹線での移動も、「こだま」ではなく、「ひかり」。経費節減のおり、というか、かなり厳しいのでしょう、日本はベトナムに比べれば、物価が高いのです。

日本にいれば、ずっと楽に数倍稼げるのになあと思いながらも、「ずっと、お弁当しか食べていない。早く帰ってお父さんの料理が食べたい」という彼女の思いは、多分、私たちが思っているより、ずっと強いのかもしれません。

今年の四月生は、ネパールの学生も『みんなの日本語』1冊目は終え、2冊目の途中まではしっかりと勉強していました。漢字もそれなりに勉強してきているようで、1年前の学生達の時のように当惑させられることはありませんでした。

ベトナムの学生は、2、3年ほど前から,『みんなの日本語』Ⅰ・Ⅱを終えてやって来る人が多く、これは不安に感じていません。

ただスリランカの学生だけは、『みんなの日本語』というより、「N5」に合格すればいい的な勉強しかして来ていませんから、来日してから、勉強が適当になってしまい、不安を感じているところです。

以前ベトナムの大卒女子が「あの『N5』の試験なんて、だれでも合格する。私は『みんなの日本語』の第5課しかやっていなかったけれども、合格した」と豪語していたのに、(こっちは)「たまげて」、必ず、(ベトナムの)日本語学校で『Ⅰ』を終えてから、受けさせてくれるように(相手方の先生に)頼んだものでしたが、それも、もう過去の話。

当時は、ベトナム学生の、試験場での「カンニング」が問題になっていた時で、合格しているを錦の御旗に来られて、来日後、全然(日本語が)できていいないのに気づかされる…という悪夢は、もう、今は昔の物語。

とはいえ、こういうことも完全になくなったとは言えず、新しい学校の人と会うこともありますから、必ず、最初は「実際に」面接するようにしています。言葉がそれほど通じないにしても、態度などからうかがい知れることはありますから。

先ほどの卒業生も、初めて会った時には、私の言葉がほとんど聞き取れなかったのに、30分、1時間と話しているうちにどんどん反応がよくなってきたのです。「ああ、この子は凄いな。この学校に来てほしいな」と思ったものでした。

来日後も、その通り、頑張ってくれましたが、やはり心は自分のふるさとから離れられなかったと見えます。情が濃いのです。それが変化を求めさせたり、あるいは止めさせたりしているのかもしれません。

まあ、どちらにしても、私たちは彼女が幸せであれば、それでいいのです。

日々是好日
コメント

秋晴れ。昨日は停電で苦労しました…学生の方が大変だったでしょう。だって、とても暑かったもの。

2018-10-02 09:16:55 | 日本語学校
秋晴れ。

昨日は、昼過ぎまで停電が続き、30度を超す暑さの中で、学生達は「暑い」と言いながらも、平常通り、冗談や、あるいは叱られてショボンとなりながら授業を受けていました。

電気が「やってきた」のは、午後の1時限目の時。ちょうど「BCクラス」の「N3漢字・N3文法」の時間でした。「いつ復旧するかわからないから、一応、スイッチは入れておこうね」と学生達に言っていたのですが、パッと明るくなった時には、皆で「おう」。歓声が上がりました。

やはり明るいのはいい。救われますね。暗い教室で、授業をしていると、座っている彼等の顔が、表情が、どこかしら、暗く感じられてくるのです。なんと言いましても、受験はもう始まっていますし、結果も出始めていますから。

そしてすぐに、エアコンのスイッチも入れました…ホッ。朝の「Aクラス」では、陽も入っていたからでもありましょうが、そんな感じは少しもしませんでしたのに。

よく言われることですが、どん底に落ち込んでいく…ような感じになった時には、とにかく、「暖かくして、腹一杯食べる」。それにプラスして、「明るくする」。

専門学校の試験も始まり、既に合否の「審判」が下り、大喜びの学生もいれば、肩を落としている学生もいます。もちろん、まだ、おおかたは専門学校も大学も受験していないのですが、受験したばかりの学生(合否がまだ判っていない)も、失敗した学生を見れば、なんとなく「…自分も」と不安になるようで、それは特に「BCクラス」の四月生に窺えます。

「四月生」は、2、3人を除けば、みな、それなりに勉強してきました。だから、尚更なのでしょう。何事によらず、そうなのでしょうが、分野には得手不得手というのがあります。数学には長けているけれども、語学は苦手だとか、手先は器用だけれども、覚えるのはだめだとか。だから、日本語の、つまり語学の才だけで全てが決まってしまうというのは、それなりに頑張っている人を目の当たりにしてしまうと、どうにもならないこととはいいながらも、少しばかり悲しい。

もちろん、もっと勉強すればいいというのはあたりまえのことなのですけれども。

「漢字」は努力すればどうにかなっても、「ヒアリン」グばかりは、時間がかかる。1か月ほどですぐに音が聞き取れるようになる学生もいれば、一年かかっても、なかなか音が出せない人もいる。

それに、わけのわからない人も混じっている。全然勉強もしていないのに、「専門学校を紹介してくれ」と、要求だけはしてくる学生。自分の日本語のレベルを無視して、「大学、大学」という学生。

こういう人は、「BCクラス」のみならず、「Aクラス」にもいます。「勉強していないのだから、勧められるような専門学校はありません」。「『N3』にも至っていないのだから、大学は無理です」。どうしてこれが通じないのか判らないのですが、中には、もっとわけのわからない身内が出てきて、「いい専門学校を教えてください」。

だいたい、どこでも、テストがあるのです。簡単に「ここはどうですか」とはいかないのです。だって、落ちるでしょうから。受けるのは、専門学校を肥やすという意味ではいいのでしょうが、当人にとってみれば単なる気休め、無駄遣いです。

受けて落ちれば、留学生として当然のことをしてこなかった己のことは棚に上げ、文句を言うだけでしょう。だいたい、こうなるまでに、勉強するように「どれほど言ってきた」ことか。こちらにしても、どれほど「無駄な」時間を割かされてきたことか。それらを全部無視しておいて、今更なんだ。

彼を紹介してきた人にも、随分言ってもらいました(彼も手を焼いていたのですが、一応、親戚ということで責任があります)。一度ならず、何度も何度も行って、注意してもらったのに、平気の平左。全く何を考えているのか、あれほど日本に行きたいと喚いていたというのに。で、とうとう、その人もさじを投げた…。「あれは、どうにもならん」。

すると、今度は、見たことも聞いたこともなかった身内と称する者が出てきて、電話で「先生と話したい」。で、担任が出た。結局、彼と同じことを言うだけ。「これまで、こちらが言ってきたことを、無視してきたでしょ、それなのに、自分の要求だけは通せというわけ」。でも、相手には、多分、こちらの日本語が通じていない。こんなレベルで、代わりに話をつけようとでも思っているのか…いったい、どういうつもり?

これまで、どうにかなると甘く考え、高を括ってきただけのことなのでしょう。自分の国では、それでも、どうにか、なっていたから…でしょうね。日本とは違うもの。大学のみならず、大学院まで出て来日しているというのに。彼等の国と同じに考えてる。

こういう人は、変われませんから、本当に困ります。

…日本人は、信用を重視するし、口先だけの人は嫌われるのだけれどもなあ。

日々是好日
コメント

台風が過ぎて、夏に戻っています。

2018-10-01 17:57:12 | 日本語学校
晴れ。

「台風一過」で、また「夏」に戻っています。33度になるとか、いやもっと上がるだろうとか言われていますが、本当にムシムシと暑い。とはいえ、空はやっと「『秋』になった」かのように、青く澄み切っています。久しぶり…と、思わずため息が出てしまうのは、九月が長雨に祟られていたせいでしょうか。

さて、学校に来てみると、風で鉢は飛ばされているやら、傘立てはひっくり返されているやら、どこやらのゴミ(今日は、プラスチックゴミ回収の日です。ただし、学校のゴミは事業ゴミになりますから、市のこういう(無料で回収するという)恩恵は受けていません。ですから、出せませんし、また出してもいません。故に、絶対にこの学校のゴミではありません)が、学校の前に鎮座ましましている。

夜中の風の強さに(音ですね)、目が覚めてから、なかなか眠れなかったので、やはりいろいろなものが飛んでいるのは、よく判る。けれども、まあ、ひっくり返っているくらいで終わっていてよかった。

で、インターネットが使えない。コンピューターは電気をため込んでいるので、しばらくは大丈夫でしょうが、インターネットが使えないというのは、縄文人と言われている私にしても、困る。電気がないと仕事にも不自由になる。私など、現代人とは違い、それほど利用していないように思っていても、仕事をしている関係上、最少の部分でお世話になっているのです。「困った、困った」です。

学生から、早々と「電車が途中で停まったから、遅れるかもしれない」と連絡が入りました。この辺りは海の近くですから、電車も風に弱いのです。東西線も、地下に入るまでは(海)風の影響をもろに受けてしまう。きっと満潮時と重なった時は、波もひどかったでしょうね。けれども、いわゆる「高潮」警報は出されなかったようですから(深夜です)、大丈夫だったのかもしれません。

全く、今は、風が少々強いのを除けば、(台風が襲来したことなど)ウソのような…秋の朝です。

とはいえ、また「台風の卵」が発生しているそうですから、クワバラクワバラ…(最近は雷様にしても、台風にしても、大雨にしても、何かに出くわしてしまうと、ついこれが口をついてしまいます)。

休みなく、台風やら、秋雨前線やらの大雨に襲われ、修理したばかりの屋根がまた飛ばされただの、せっかく掻き出した泥水がまた部屋の中に入ってきただの、民の嘆きは尽きません。

「すぐれば、民の嘆きなり」です。「八大竜王、雨やめたまえ」

日々是好日
コメント

久しぶりの「秋晴れ」です。

2018-09-28 08:53:08 | 日本語学校

晴れ。

久しぶりに、青空が広がり、雨だった昨日がウソのよう。早朝の西の空には、白いうっすらとした月が懸かっていました。

虫の声も、心なしか、しめやかになり、ちょっと寂しい。2日続いた「冬」に、やられたのかもしれません。ポトリと落ちたか、そのままバタリと倒れたか…。これから、秋らしい日が続くとしても(来週は秋雨前線と、台風で終わってしまうかもしれませんが)、もう蘇ることはないでしょう。

喧しいと言ったのが申し訳ないくらいの短さでした。

さて、学校です。

昨日の帰りでのこと。買い物しようとスーパーに立ち寄ると、突然、卒業生に呼び止められました。近くのホテルに就職している学生なのですが、住まいは二駅ほど遠くに引っ越しています。ニコニコ顔で、「いとこが二人、来ます」。「どこに来ますか」。「えっ。私たちの学校です」と当然のように言う。「へえ、ここは厳しいし、怖い先生がたくさんいるのに」。「へへへへへ」。慣れたものです。

そう言いながら、二人、エスカレーターで二階に行くと、急に、また、向こうから「先生」と大きな声で一人。見ると、梅酒のパックを抱えています。

「こら。お酒を飲むのか」と一喝しても、少しも動じません。「これはおいしいです」。

訊くと、この二人の他に、今年の四月生が三人、で、男五人で食事をするのだとか。その時に、あのおいしい梅酒をだれか買ってこいということにでもなったのでしょう。「アルバイトは9時からです。まだ時間があります」とうれしそう。

彼等のバイトも、この卒業生の紹介によるもの。みんな一緒に梅酒を飲みながら食事なんていいな。

そして、卒業生と、今度申請するという彼のいとこの話をしていると、この在学生が、また満面の笑みで「私の妹も来ます」。「どこに?」。「えっ。ここに」。「どうして、言わないの?それに、この学校は勉強しないと大変でしょ。大丈夫?」「大丈夫。妹はよく勉強します」。小声で「…先生に言うと、厳しくされるかもしれないから」。

卒業生も、「今、二人は25課くらいを勉強しています。今度N5の試験を受けます。来年の四月までに、N4を終わらせます」と言う。

この学校のやり方を知った上で、卒業生や在学生が、自分のいとこや兄弟姉妹を呼んでくれるのは、本当にありがたい。インド圏では、ここは「女性でも安心だから」と、とんでもない兄弟姉妹を呼びたがる人が、時たまいるので、(それを聞いた時には)ちょっと身構えたりすることもあるのですが、ベトナム人はほとんどの場合、身内を呼んで、困ったと言うことはありません。一人、学校に来なくなった人もいましたが、(日本でアルバイトすると、母国では考えられないようなお金が手に入るので、それで、どうも、駄目になってしまったよう)その卒業生が責任を持って、ビザのある内に連れ帰ってくれました。

ベトナムに関して言えば、最近は「『大学に入りたい』。しかも1年目にして『留学生試験を受けたい。できれば数学も』」なんていう学生も出始めています。もちろん、こうなりますと、数はグッと減ってきます。最初は、学校に来させたり、起こしたりするのに苦労していましたのに、今では、そういう心配はほとんどなくなりました。

これも、とにかく言い続けてきたことが功を奏しているのかもしれません。

「勉強する人が欲しいのだ。できれば、大学に入って勉強するような人が」

当時、学校を休みがちな人が多かったにせよ、中には、きちんと言われるとおりに勉強して、大学などに行ってくれた人もいました。そして私たちもとにかくベトナムに行った時に、面接を通して、たとえ日本語のレベルがそれほど高くなかろうとも、「勉強したい、あるいは勉強できそうな」人を探してきました。

最初の頃、確かに探し方もよく判りませんでしたから、偶然、メールが来たり、連絡があったりした学校に、失敗しても元々という覚悟で訪れていたのです。

今は、ベトナムに関して言えば、ほとんどの学生がきちんと『みんなの日本語Ⅰ』は終え、大学に入りたいと言う学生は『Ⅱ』冊目も終えてきていますから、発音とヒアリングだけが問題という段階にまでなっています。そこが他国の学生達とは違うところなのかもしれません。やはり中国文化圏内と言ってもいいからなのでしょう。

その点、スリランカやネパールなどのインド圏の学生は、とにかく「N5」の試験に合格出来ればいい(日本に来られる)というわけで、基礎をあまり重んじた日本語教育を受けてはいないように思われます。中途半端な所くらいまでで「上がり」としているので、来てからが大変です。まず、「ひらがな」「カタカナ」がきっちり入っていない。

ネパールでの面接からもそれがうかがえました。紹介者も、そういう状態でも入れる日本の学校が少なくないからでしょう。そんなレベルの人を面接に連れてきて平然としています。ネパールには行きましたから、申し訳ないが、この人は無理だと、ばっさばっさとやると、帰りには「自分の所には、他にいい学生がいる。七月にはその人を紹介するから入れてくれ」なんてことを言いに来る。

日本人も甘く見られたもんです。あのレベルでも入れてしまう学校が(多い)から、ここもそうだろうと高を括って、連れて来たのでしょう。「きちんと勉強する人でないと、来てもらいたくない」と思っている(しかも、先にメールでもそう言い送っているし、現地でも言っている)のが、判っていないのです。

名前を書かせてみると、同じ字を四人とも同じように間違えて書いている。これは明らかに向こうの学校の教師の問題です。この字は違います。この字も違いますと名前に出てきた字だけでしたが、言ってやると、これからは自分が教えるから、入れてくれと言う。無理なことを言いますね。そうやれるくらいなら、最初から自分でどうにかしているはずです。

経験からも、こういう普通の人は一度ついた癖を改められるほど強くはない、それほど書くと言うことはできないものなのです。つまり、まず、あり得ない。で、やんわりと、強く断りました。

まあ、自分が行っているのが、ベトナムとネパールだけなのですが、その時、言いにくいことを言えば、その語気や雰囲気で、紹介者のみならず、学生にも、こちらの気持ちは伝わります。それで申請することになった学生も、ちょっとは締まってくれるかもしれません。

日々是好日

コメント

通気のために窓を開けようと言い、そうする度に、冷たい視線に晒される…。

2018-09-27 08:03:53 | 日本語学校
小雨。

雨模様の日が続いています。「秋の長雨」とはよく言われるところではありますが、今年は、この言葉通りの年になってしまいました。そう、和歌に出てくるところの「秋の長雨」です。

平安朝の昔であれば、「みやびやなあ」で、終わっていたかもしれず…。もっとも、下々はそんな悠長なことなど言っていられなかったでしょうが。農作物も雨が続けば不作となるでしょうし…。まず、だいたい、道が歩けなくなる。泥はねもひどかったことでしょうし、荷物の運搬にしても、水たまりや穴ぼこに落ちてしまえば、そこから抜け出すだけでも一苦労だったことでしょう。

日本は、今、おおよそ、その不自由さからは解放されています。とはいえ、一つが解決すると、また新たな問題が噴出するというわけで、不満の塊たる人は、私たちの救世主であったものにまで、非難の矛先を向けてしまいます。

アスファルトの道路が熱を吸収してしまい、「夜になっても涼しくならない」とか、雨水が(アスファルトを)浸みていかないから、「少しでも雨量が増えると、すぐに水の都と化してしまう」とか、言われっぱなしの道が、思えば哀れ。それなりに、私たちは恩恵を被っているというのに、不満たらたらで、そんな道を見てしまう。

そんなこんなを思っても、だからこそ、人々の知恵は増し、科学は発達して来たのでしょうね。不自由を、そのままにしてはおかじと、ねじり鉢巻きで、工夫することによって。そうして、人々の生活は、より便利なものへと、より快適なものへと変化してきた…。。

昨今は、その被害から人々を救うために、水が浸みていくような道路、また熱を吸収しない道路などが、少しずつ実用化されているようですが、なにさま、まだ高い。普及するにはもっと時間がかかることでしょうね。

そう言えば、都市の緑化にしても、かつては「土」が問題であった。新しいビルの屋上ならよいけれど、古いビルはそれほどの重さに耐えられないので、土が入れられない。そういう問題の解決に、軽い土や浅くとも植物が育つ土などが開発されてきた。工夫は力なり。ただし、盲目的に飛びついてしまうと、原発の二の舞です。人々を苦しめることのない開発というのは無理なことなのでしょうか。開発は力であることをわかった上での、欲深い願いなのですが。

さて、学校です。

猛暑の夏が続くかと思いきや、昨日、今日と10月下旬、11月並みの寒さが続き、教室に入る時も大変です。

90分、締め切ったままの教室は、開けると、ドヨヨンンとした空気に満ちているようで、どうもいけません。で、入る時、「ちょっと、開けておいてもいいですか」と訊くと、たいてい「寒いです」という言葉が返ってくるのです。厳しい視線と共に。

そのたびに、「でもね、空気が悪いから」とか「通気のため」とか言って、開けてしまうのですが、どうもそう言った人の目はそれを許していないようで、そこに南国の人達との差を感じるのです。

このドヨヨンンとした空気を、ドヨヨンンではなくて、「暖かい」と感じてしまうのでしょう。その中にいれば、「脳は働きを止め、眠気が人を襲う…」とは、思い至らないようですね。心地よいと感じ、その中にどっぷり浸っていたいと言うふうに思ってしまうのでしょう。

「そうなる前に、窓を開け、空気を入れ換える。そして、シャキッとなって勉強を始める。そうしなければならぬ」という東アジア的考え方は、どうも、彼等には通用しないようです。唯一の味方が、この一年あまりで10キロ以上体重が増えたという男子学生だけなのですから、あまり説得力も無いようですしね。

日々是好日
コメント

金曜日に立ち、月曜日、カトマンズから戻ってきました。香港経由です。

2018-09-26 08:29:40 | 日本語学校
曇り。

午後過ぎから、冷たい雨が降り始めるとのこと。この冷たい雨というのも、よく判りませんね。体感温度という曲者が、人の判断を導いてしまいますもの。。とはいえ、10月下旬どころかもっといった頃ということですから、ホントに「冷たい雨」なのでしょう。

昨日も、確かにもう夏ではなかったけれども、日本には、「湿度」というのがありますから、どうも「ムシムシ」というのが「蒸し暑さ」という感覚を引き出してきます。「カラッと」していれば、「冷たさ」を芯から感じるのでしょうけれども。

さて、先週の金曜日からカトマンズに行ってきました。金曜日は、着いたのが現地時間の夜中ですから、日本ではもうお化けの時間。それなのに、日本時間で目が覚めてしまいますから、どうも疲れは取れません。そしてその日は、3校と面接がしました。

2校はもう、勝手知ったる仲。初めての頃の「きつさ」が、(自分でも)かなり無くなっているかな…と感じられはするものの、でも、遠慮はしません。少しでも遠慮すると、「(この学校は)だれでもいいんだ」と誤解されてしまいます。要求は要求として出していかないと。向こうも、それを窺っているのがよく判ります。

そうやって選んでも、それでも、お国柄というか、土地の人たちの共通理解というか、日本語学校で2年間、専門学校で2年間、それから働いて帰る…というのが抜けないのです。
 
現に、今いる学生達、いくら大学進学を勧めても、この「四年の壁」は揺らぎません。

かといって、私たちも、むやみやたらに、「大学、大学」と言っているわけではありません。専門学校で多少なりとも技術や知識を身につけた方がいい人もいます。それほど勉強の習慣もないし、やる気も無い。ただ人はいい。アルバイト先などでも重宝されているような人は、その人が満足いくような道を進んだ方がいい。もう、「いまさら、勉強???」なのです。それより、「生活」の方が大きいのです。だいたい、来日の、彼等の目的もそうなのでしょうし。ある程度、つまり生活できるくらいの日本語力は身につけたい。けれども、それで終わり。それ以上は「必要ない」のでしょうね。

こちらがとやかく言っても始まることではなし。高校卒業後、数年経っている人は、特にその傾向が強いのです。、

それに比べ、高校卒業後、すぐ来ている人は、できれば大学に行って、視野を広げて欲しいし、知識や技術ももっと身につけて欲しい…と、そう感じてしまうのです。勉強の習慣が、ある程度あり、また日本語のレベルも、こちらが、「今の時期、これくらい」と想定しているだけのことができていれば、多分、大学に入っても頑張れる…。

でも、そこで「四年の壁」です。

母国で待っている人達の意向もあり、本人も決められないのかなとも、初めの頃は思っていたのですが、豈図らんや、その人自身も、その考えにどっぷりと浸かっており、それ以外の道があるなんて思いもよらぬ…みたいです。

学生によっては、大学の方がいいと、明らかにそう思われますのに、どうにもなりません。

今回もネパールの学生のうち、最初から「大学。絶対に大学に行く」と言っていた一人以外は、皆、専門学校へ行きそうな流れです。

そう言えば、ベトナムも初めの頃はそんな感じだった…ような気がします。いえ、ベトナムの場合は、(最初の頃だけですが)私たちの方で,大学を勧めるなんて思いも寄らなかった。「来た」はいいけれど、半年も経たぬうちに、「とにかく、無事、どこかへ行ってくれ」と思わされるような人が何人もいた…。それが次第に、大学を勧められるようになってきている…。

これも、たとえ多少しんどくても現地に足を運び、面接で、言いにくいこともいい、嫌われようがどうしょうが、自分たちの方針を曲げずに、やってきたことが、いい人達との出会いを引き寄せた…のかもしれません。

とはいえ、体調不良や諸般の事情で、行くのを抜いた時には、また戻ってしまいますもの。

「敵」も然る者、軽々しく相手を妄信してはならぬ、決して、手を緩めてはならぬと言うことなのでしょう。

日々是好日
コメント

『健康診断』も、昨日、無事、終了しました。外国人相手でも、慣れているんですね。

2018-09-11 09:23:15 | 日本語学校
曇り。

時折、陽が射してくるという点では、同じ。ただ随分涼しくなり、今朝など20度に至らなかったとか。猛暑の次に、すぐこんな風になってしまうと、体調を崩してしまう人が出てしまいます。

「日本の天気はわかりませんねえ」としたり顔で言ったりする、年齢不詳の若者も出てきたりして、困っています。おそらく、バイト先のおじさん、おばさんの口調に染められているのでしょう。

友達はやはり同じ年代の人を選ばなくては…などと思ってしまうのですが、彼等はこれが、案外気に入っているようで、これもまた、困ってしまいます。

さて、昨日の健康診断。

思いの外にスムーズに行きました。

女子と手伝いの学生は九時に登校。男子は10時に登校…。

レントゲン車、また学校でするのは初めてだと言うことで、少々準備に手間取ってしまいましたが、それでも、だいたい予定通りに終わり、ホッといたしました。

実際に検査をするのは、一階だけで十分だと言うことで、三階の教室は待合室とし、順番がくるまで、女子の時は女子だけ。男子の時は男子だけで待っていてもらいました。その付き合いは、私と言うことで、私も三階の教室に。

女子の第一陣は、手伝いを買って出てくれた人たち、次は10人ずつ、二陣、三陣とし、しかしながら、待っている間も、女子は楽しそうによくおしゃべりしていたこと。ただ、最初の一陣の検査を通して、こちらが先に準備しておかねばならなかったことも判り(例えば、「腰まである髪を結わえておく」とか、「吸って、吐いて、止めて」を練習させておくとか)、待たせている間に、その練習などもしておきました。

女子の第三陣が一階に下りた頃、そろそろと男子がやって来たのですが、10時に来ていたのは、手伝いに来ていた六人を除き、たったの三人。むむむむ…。で、来ていた学生達に、「すぐに、まだの学生達に電話をするように」と言うと、「今、歩いています」という答え。

なるほど。この日は、レントゲン車が停まること故、自転車で来ないように言っておいたので、時間がそれだけズレたのでしょう。その後、10分以内に、5人を除き皆来ていましたから。結局、最後の10人が後片付けまでするという羽目に。

早く来ていればよかったと思ったことでしょうね。

ともあれ、無事に終わりました。

皆様、お疲れ様でした。

日々是好日
コメント

今日は、「健康診断」の日です。

2018-09-10 08:52:10 | 日本語学校

曇り。

青空に、うっすらと灰色の雲がかかっています。今日、時々雨…らしい。

この辺りでは、虫の音が、しきりに聞こえはするものの、それほど種類が多いとは言えず、多分、大半は「コオロギ」でしょう。ところが、鷲宮などの田園地帯へ行くと、いろいろな虫の音が聞こえてきて、それこそ、大合唱という感じ。

チチチチチ…、スイッチョン…、スイッチョン…、ジリジリジリ…、チュルチュルチュル…、チイチイチイチィイ…、ジージージー…、「カネタタキ(鉦叩き)」やら「スズムシ(鈴虫)」、「マツムシ(松虫)」、「クツワムシ(轡虫)」、「カンタン」やら…。草むらからならぬ、木の上からも聞こえてきたようだったので、これは一体???何だ…。調べてみると、木の上で、鳴くような虫もいたようで、なかなか賑やかなことです。

それに、駅の階段の上の方に、なぜか「コオロギ(蟋蟀)」が転がっていましたし…。

さて、学校です。

今日は健康診断。レントゲン車がやってきて、それから始まりです。お手伝いの二年生が男女、六人ずつ9時に来てくれることになっています。

日々是好日
 
コメント

「台風一過」、涼しくなるどころか、夏に戻ってしまいました。…ホントに変ですね。

2018-09-05 14:43:10 | 日本語学校

曇り。時折、強風。でもたまに日が照ったり…しています。

なんともはや。昨日、帰りに、一階のクラスで授業をしていた教員が、「飛んでいた雀が落ちた…」。これを、みんなで目にしたそうな。それくらい、強い風がここで吹いていたようです。学生達が帰るとすぐに私たちも学校を後にしました。「台風21号」は、どうも、「雨台風」ではなく、「風台風」だったようです。

そして、今日。直撃を受けた大阪の様子が幾度もニュースで流れてきました。まるで、地震の後のよう。アメリカのハリケーンの様子を見た時、「ハリケーン(台風)で、こんなことが起こるなんて…」と唖然としたことがありましたが、本当にそうなるのですね。満潮時の高潮での被害も凄かった。関西空港は雨に弱いと言われていたけれども、「雨」どころではない、「潮」の怖さも実感させられました。

ここ、行徳の辺りでは、風はずっと吹き荒れていましたが、早朝、雷が鳴り始めたなと思いきや、地震です。震度は「3度」くらいのもので、大したことはなかったのですが、「台風」に、「雷」に、それに加えて「地震」…か。2年後の夏はどうなるのでしょうね。どこかの都合ばかり考えて、この「地(日本)」のことを考えないと、もっとひどいことになりそうな…まあ、これは、いつも最悪を考えてしまうような日本人のいいところ(?)なのかもしれませんが。

だいたい「サマータイム」など導入せずに、(マラソンのことがよく例に出されるので言うのですが)一番、スポーツをしやすい時期にオリンピックをすればいいのです。そして選手が一番負担の少ない時間帯に(マラソンならマラソンで)走れるようにすればいいのです。どこかの顔色をうかがって、それで金を儲けようなんて、そういう了見自体が問題なのかもしれません。

選手達は一生懸命に頑張っていても、周りが「黒い霧」どころか、変なものでドロドロになっていると、選手まで、だんだんそういう気持ちの人が増えていくかもしれません。スポーツをする人の根底にあるはずの、「(スポーツは)楽しい。それを楽しみたい。そして、その楽しみを皆と分かち合いたい」という気持ちまでもが、色褪せていきそうな気がします。だいたい、何のために、オリンピックが始まり、現在まで続いているのでしょう。

ヒトラーの頃は、「国威」がどーんと全面に据えられ(もちろん、国歌とか国旗掲揚なんてありますから、いつも多かれ少なかれ、出てきますけれども)、それが、戦後一時を経て、「商業主義のもの」となり、金が稼げて、しかも「国威」を示せるものと成り果てた…感が無きにしも非ず。

だんだん、選手達も、見ている人も、オリンピックも金勘定をし始めるようになるかもしれません。

「金」が、「かね」でも「きん」でもいいのですが、「上手」であったり、「強かったり」すれば、すごいなあと思い、元気になる人もいるでしょう。練習には、場所にしても、用具にしても、金がかかる。それなら(したい人がいて、楽しみたい人がいるなら)、国民のために税金を取っている国家がそれを準備するのは当たり前のこと。無条件にすべきなのでしょう。特に、昨今のように、いろいろな問題が続出して、人々が滅入ってる時にはなおさらのことです。

オリンピックに出たいと頑張っている人がいる、その数が増えれば増えるほど、お金は必要になってくる。規模が大きくなればなるほど、今度は国のメンツを考える向きも出てくる。そのうちにそれが当然となってきたりする。そうなれば、その流れに嫌悪を抱く人も出てくる。するとアンチオリンピックみたいなものも出てくるかもしれない。

嫌なものですね。台風が来て、大きな災害が起こってしまうと、国家にとって国民の命を守ることが喫緊の大事じゃないかと思ってしまう。それよりも大切なことなんてあるのだろうか。それができなければ、国家の意味なんて無いのじゃないかなどとも思ってしまう。

悲惨な状況にある人々を見るにつけ。

もっとも、そんなことを学生に話しても、みんなぼんやりしているだけなのです。

あまりに国と人々との距離が遠いのでしょうね。日本はまだ文句を言えるだけましなのかもしれません。

日々是好日
コメント

「台風21号」がやって来ます。この辺りはちょっと逸れそうですが、どうなるかしらん。

2018-09-04 07:51:01 | 日本語学校

小雨。

時折、「小糠雨」としか言いようのないような、細く、細かい雨粒が降ってきます。そう、でも、切れ間があるんですよね、雨の。そこで、その隙を突いて、自転車を飛ばしてやってきました。周りを見ると、それでも、大半の人が傘をさしている。私も1時間ほど早めに出てきたのですが、皆、考えることは同じと見えます。尤も、台風の直撃を受けそうな所とは違い、交通機関は運休とか、間引き運転とか、何にも言ってはいませんでしたが、この辺りでは。

「秋雨前線」や「台風」の接近などにより、いつもにも増して、湿度が高いのでしょう。それ故か、昨日の帰り、空き地の前を通った時、それこそ、久しぶりに、耳をつんざくような虫たちの声が、突然沸き起こったかに思えました。いや、「つんざく」と言っても決して不快というわけではなく、ちょっと驚いたのです。

だって、今年は「蝉時雨」なんていう夏の風物詩も記憶になく、あっという間に、蝉たちは姿を消してしまい、夏は過ぎにけり…。今年は、「蝉」と「秋虫」の共演なんてのも、ほとんどありませんでした。

「…ありませんでした」なんて言うと、ちょっと寂しいですね。まだ、本格的な「秋」にはなっておらず、「夏」の名残を引きずっていると言った方がよい頃ですから。

さて、学校です。

「Aクラス(N2)」クラスの学生達、きれいに「N2文法」が暗記できなくなっていました。「今期、最初の授業だから、見ながらでいい。まずは、正確に」などの温情は必要なく、見なければ言えないのですもの。7月の終わりには、大合唱だったのに、こうまでスッカラカンになっていようとは。それでも、始めは、諄く繰り返しながらやってみたのですが、すぐに方向転換。舵を切った。やってられないよというところ。

まずは、全部を、一緒に読んでいく。…そうすれば、記憶の端が生きてくるかなあ…期待半分で。

そうやっているうちに、何人かはちょこっと「ここ、覚えてる」てな気になった人もいたようです。結論、「そうか、夏休みに一度もプリントを開いていなかったのね」。それが、よ~くわかりました。

ちょっと見れば思い出せる程度には、7月に覚えていたのです。しっかり(揺さぶられても崩れない程度に)グチグチと文句を言ったので、「参った」表情の人が半分ほど。あとは…まあ、いつも通りの顔でした。

それにひきかえ、「B・Cクラス(N3)」は、かなり言葉が出てきましたね。休み中、見ていないのは同じだと思うのですが…。言葉を換えて言えば、それほど「N2」文法は難しいと言うことになるのでしょうか、「非漢字圏」の彼等にとっては。

そして、「Eクラス(七月生)」では、「Dクラス(四月生)」から、「(今の進度では判らないから)もう一度やりたい」という人が、三人ほどやって来ました。7月にも(このクラスを開設する時に)一人来ていましたし、昨日また、新たに、「自分ももう一度やりたい」という人が出たようで、結局、四月生が五人、「7月生クラス」で一緒に勉強することになりました。

「Dクラス」は、『みんなの日本語Ⅱ』を終えてから来ている人もいましたし、40課くらいまでやって来日していた人が多かったので、タラタラとは授業を進めていけなかったのです。もちろん、「ひらがな」「カタカナ」から入りましたし、第1課から教えはしています。けれども、特に1冊目は「既習のものの確認」という感じで授業をしていますから、普通の(アルバイトもし、しかも勉強の習慣も彼等の国での普通並み、その上、スリランカの学生のように14課くらいまでしか教えられていない」学生にとっては、ちょっと大変だったのかもしれません。

昨日の感じでは(昨日は、第1課から18課までの復習)、彼等も楽しそうに「テ形」「ナイ形」「辞書系」を言っていました。「動詞」「形容詞」の単語もだいたい覚えていました。ただ、「ナ形容詞」の活用はちょっと弱かったかな。とはいえ、二度目というのは、彼等にとっては、楽しいらしい。できることを皆と一緒に言えるというのは、そうですね、楽しいものなのです。「盆踊り」が楽しいようなものかもしれません。連帯感も生まれることですし。

もちろん、見事に間違えてしまう所もありましたし、「そりゃなんだ」という顔をされることもありました。が、まずは「一緒に練習すること。わからないからといって、寝ないこと」です。人数も「Dクラス」に比べれば、半分ほどですので、ぼうっとしている学生には叱咤激励ならぬ、からかってやることもできます。

「からかわれ」ても、猫が「猫じゃらし」にじゃれているように、明るい顔を本人も周りもしてくれるところがいい。

『初級Ⅰ』なんてのは、普通、在日の学生が多く入ってくる傾向にあり、その人達と、すでに学校に慣れた人達とは、ちょっと気分が違うことがある。特に、来日後一年、二年と経ち、仕事なんかも始めている人とは、ちょっと違ってくる。

しかしながら、授業に参加し、一緒にこの雰囲気に染まっているうちに、その人達も、学校の学生達の気分と同じようになり、「差別されて文句を言われる」のと、「身内同士のからかい」との差を感じ取れるようになるものなのです。だって、みんな「え~、またァ」みたいな顔をして、「もう、せんせ~ぇ」とやっていますもの。文句を言われても目くじらを立てる必要なんてありません。

だいたい、教師も学生も、そういうものだとやっていますから。

日々是好日
 
コメント

やっと、秋が始まった…ような感じです。風の音にぞ…なんて時代ではなくなったのかもしれません。

2018-09-03 08:41:08 | 日本語学校

曇り。

家を出てみると、ポツ……ポツ……と、何やら感じられるものがあります。自転車を漕いで、角を曲がった辺りから、ポツポツが、気ぜわしくなってきました。かといって、濡れた―というほどではないのです。微妙ですね。頭部の、上の方に何だか、落ちている…くらいのものなのですが、感じられることは感じられる。で、学校に着いてみると、やはり濡れている。ちりも積もればなんとやらでしょうか。

予報では、午前中は雨。けれども、この辺りは、これで終わりかなくらいのもの。もっとも、明日は、大雨のようですから、大変です。新学期始まってすぐの、雨。けれども、今日はかなり涼しいので、学生達は楽でしょうね。んんん。油断大敵、暑さが緩んで、涼しくなった途端に、眠りが深くなって…、その挙げ句が遅刻ということになるかも。特に午前の学生達は…。

さて、学校です。

今日から、東京成徳大学から実習生が2名来ます。一週目は、まずは見学、そして、2週目に研究授業の準備ということになりそうです。

「知らない人が…」。毎年のことながら、一年生にとっては初めての経験。二年生は、一年生の時に協力してもらっていますけれども…、彼等、去年のことを覚えているかな?

二年生というのは、言葉もかなり話せるようになっていますし、在日一年以上の人達ばかりですから、初めての人とのやり取りも手慣れたもの。「やはりなあ」と思わせてくれます。ただ、研究授業の対象クラスである一年生は、最初は、ちょっとドギマギしてしまうかもしれません。だいたい、互いに互いを見つめ合い、なかなか一言が出てこないものなのです。

尤も、だれかが、「あ」なり「お」なりを言ってしまうと、あとは大丈夫。ごく普通に相手になっています。なにせ、彼等の方が、外国人の相手は慣れていますから。

日々是好日
コメント

今年は、「蚊」を、あまり見ていません。

2018-08-31 09:12:23 | 日本語学校
晴れ。

今朝も、猛暑です。

今年の夏は、「蚊」のブンブンという羽音をほとんど聞いていません。それは、よかったねえというところなのですけれども、なんか変。それに、暑さで、木々も参ったようで、葉を日焼けさせています。

普段なら、お盆が過ぎた辺りから、飛び回っているはずの「アカトンボ(赤蜻蛉)」も、まだ姿を現していません。暑さで山から下りる気にならなかったのでしょうか。

季節感が狂ってきますね。

今年は、「チョウ(蝶)」の姿も、「トンボ(蜻蛉)」の姿も、あまり見ていません。夏は、それなりの時機に、咲くべき花々も咲きはしたけれども、あっという間に姿を消してしまったような気がします。決まった時に、「花火大会」があり、「盆踊り」も開かれはしたものの、人が「夏はこうである」という取り決めで動いているだけで、やはりあるべきものがないと…どこか違和感を拭えません。

なんか変だなあ…。ホントに変だなあ…。

さて、学校です。

「夏休み」は、今日で終わりです。今週、学校に来た学生達には、「授業はいつからですか」と確認を取っているのですが、来ていなかった学生は大丈夫ですかしらん。毎期、こういうことになってしまうのですが、多分、心配しすぎなのでしょう。いつもちゃんと来ていますから。

一昨日、「面接」の練習をした学生二人、帰りにニコニコして、「先生、明日も来ます」。この二人、一昨日は九時に来ると言ったのに、スリランカタイムで、来たのは10時過ぎでした。

それで、「何時に来るの?」。「…九時は無理かな…10時なら大丈夫」。「ホントかな?」。「本当です。大丈夫です」と胸を張っていたのに、昨日は…やっぱり、来ませんでした。この中の一人は、「好きなことは?」で、「寝ることです」と答えていましたから、やっぱり…無理だったのでしょうね

というわけで、「面接」の練習は中途半端で終わっています。「実際にやってみる」が抜けているのです。…でも、まあ、大丈夫か。「聞く・話す」は、できる人達ですから。

日々是好日
コメント

今年は、「アカトンボ(赤蜻蛉)」をまだ見ていません…。

2018-08-30 09:22:51 | 日本語学校

曇り。

時折、薄日が射しています。暑いことは暑いのですが、それでも、ちょっと違いますね、特に早朝は。

少し前まで、たとえ、早朝四時であろうと、起きてすぐ、窓を開けたくはなかった。なぜなら、熱風が吹き込んでくるから…でしたのに、今は、余裕でとまでは言いませんが、それでも、開けてもなんということはないのです。しかも、開けると涼しい風が吹いてくる日だってありました。
とはいえ、今年は、「台風」どころか、「秋雨前線」も「大変、大変」です。前から、「台風と重なるから、大きな災害を引き起こすことがある」と言われていたものの、こんなにひどかったっけ…。今年は、まるで「一人でもやれるんだぜ」と自己主張しているかのよう。「(『秋雨前線』って)こんなに凄かったっけ」と、驚かされるような現象が、各地で起きています。

「点」というか、小さな面で、移動しながら被害を大きくしていくのです。何よりも、予報天気図に記された、赤のバッテンマーク(雷様の印)がすごい。あまりに多すぎて、真っ赤っかになってしまい、バッテンの形すらわからなくなるほどです。

例年ですと、「梅雨前線」の方がずっと「災害」と結びついて印象に残っているものなのに。なんとなれば、長いですもの、こっちの方の「雨季」は。だいたい長雨で緩んでいる土壌に、ドッと雨が降ると、土砂崩れになる。雨で水かさが増している川に、ドッと雨が降ると、洪水になる。何よりも、この期間の長さが災害に繋がってしまうのです。

ただ、この「秋雨前線」は、秋を連れてきてくれますから、今年のように猛暑が続いていると、待たれますね。思わず、空を仰いで「今、どちらにいらっしゃいますか、『秋雨前線』さん」なんて言いたくなってしまう。もちろん、涼しさを連れてくるとはいえ、雷雨、雹、竜巻になることもありますから、本当は「くわばら、くわばら」なんですけれども。

さて、学校です。

「夏休み」に、よく学校へきて、勉強していた台湾の学生、いつの間にか、集中力がつき、「数学」が面白くなってきたようです。この分で行くと、数学では高校入試に合格出来るかもしれませんね。あとは「英語」をもう少し頑張らなくてはね。

そして、昨日、9月の2週目に専門学校の試験があるというスリランカの学生が二人、面接の練習に来ました。やはり、助詞が抜けやすい。ヒアリングはいいのですけれども、話すと「ちょっと…」というところです。

そして、4時近くになって、寮の光熱費の紙を取りに来た、今年の四月学生。私と台湾の学生が一緒に勉強しているのを見て、「何を勉強していますか。私も数学を勉強したいです」。

訊くと、本はリュックに入っていると言います。「では、せっかく学校に来たのだから」と、三階で勉強していくように勧めます。少し経ってから様子を見に行くと、「N3」の文法を読んでいました。「判るか」と訊きますと、「ベトナム語で書いてあるから判る」と言います。「では、そこに在る単語は判るか」…、キョトンとした表情。「文法さえ判ればいい。なぜならこれは文法の本だから」。そう思っていたのでしょう。

「非漢字圏」の学生が、なかなか文章が読めない理由の一つに、語彙力の欠如というのがあります。「インド圏」の学生は、だいたいヒアリングがいいので、生活日本語レベルであったら、大丈夫なのですが、語彙の中でも「漢語」つまり、音読みが主の「漢語」のものが、なかなか定着しないのです。まして、ヒアリング力も大して無いベトナムの学生においては、もう「大変さ」が3乗、4乗で攻めて来ているようなものです。

この学生、発音はそれほど悪いわけではない、ということは、ヒアリング力がつくのも、時間の問題でしょう。ということは、今のうちからでも、語彙は増やせるのです。日本にいるのですから。見て覚えた言葉でも、耳にする機会が増えれば、それだけ定着する可能性が高くなる。

で、もう一度、最初から読み直し、知らない単語に線を引いていくよう勧めます。それからまた少し経ってから上がっていきますと、線を引いた、その横に単語の意味を律儀に書いています。

「そんなことをする必要はない。今は線を引いていくだけでいい。読み進めていけば、幾度も出てくる語があることに気づく。その時に調べればいい。その方が覚えられる」

多分、彼はこのやり方でも十分にやっていけるでしょう。もとより一つ一つやっていかなければ落ち着かないという人もいますから、一概に「このやり方がいい」とは言えません。

これから何をしたいかと訊きますと「勉強したい」。「何を勉強したい?」「何でも。何でも勉強したい」

まだ「何を」がないのです。そういう学生がほとんどではあるものの、彼のように「なんでも勉強したいのだが、まだ『何を』がない」人はそう多くはありません。

頑張ってほしいものですね。

日々是好日
コメント