日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「朝日新聞社見学」。「一時帰国について」

2015-01-27 18:16:11 | 日本語学校
 小雨。

 いわゆるシトシト雨です。7時頃、意を決して出てきたのですが、あと10分ほども待っていれば(自転車で来られたのに…)と、…本当に残念でした。

 家の中で、クマの子のようにウロウロと、窓を開けて外を見ては、また戻り、また窓を開けて外の様子をうかがうを、繰り返すこと数度。その結果(テレビの天気予報も参考にして)、9時頃まではこの状態は続くであろうと、それ故に10分やら20分ほど待っても同じであろうと…勝手に決めつけ、それならばと、傘を差しながら、ヨチヨチ歩きで来たのですが。

 小学校のグラウンドに出たあたりから、傘を差さずとも歩けるほどになり、こうなってくると、戻って自転車にしたほうがいいのか、あるいはこのまま学校に行った(当然のことながら、また歩いて帰るわけです)方がいいのか、頭の中ではせわしなく、計算してしまいます。かといって、戻る気があるのかといえば、それはないのです。それでも、考えてしまうのです。堂々巡りなのですけれども。

 しかしながら、人という生き物は、もしかしたら、脳の中で「考える」と称していることの99.999%以上は、埒もないことなのではないのかしらん。

 ただ、頭の中を何かで埋めておかないと落ち着かないのでしょう。それが宝の切れ端のようなものであろうと、塵芥のようなものであろうと、この空間の中に何かあればそれで、好しとしてしまうのです。

 春雨とも感じられるこの空気に浸り、味わっていれば、それで好かろうものを。そんなつまらないことを忙しなく、どっちが楽かと計算してしまう…我がことながら、愚かしいことです。

 とはいえ、歩いたおかげで、「サクラ(桜)」と「ヤナギ(柳)」をゆっきりと見ることができました。「ヤナギ」は遠くから見ると、ぼんやりとうす緑に染まっているようで、「サクラ」も花のつぼみはまだ固く、開きそうにないのですが、しかしながら、枝や幹は、うっすらとピンクに染まっているように見えました。まさに「春遠からじ」。今日は、最高気温が15度か16度ほどにもなるそうで、まさに春。そして明日は一転して真冬の気温だそうですから、大変です(風邪ひきさんがまた増えることでしょう)。

 さて、学校です。

 昨日、卒業予定の学生たちが、皆で、「朝日新聞社」見学に参りました。あそこへ行くといつも、学生たちの写真をアップにして編集された新聞(一面だけです)を帰りに持たせてくれるのですが、それが午後の学生たちが帰るころには、玄関に貼られてありました。

 午後の学生たちも、昨日、彼らが新聞社に行くことは知っていたようで、私の顔を見て、「アサヒ、アサヒ」というのです。思わず、ビールのほうかと思ったのですが、その後に「新聞、新聞」が続いたので、ああ、知っていたのだと思いました。

 一人が、「私たちは?」と問いかけてきましたので、「来年」と言いますと、「えっ!」。どうも数日後かそれくらいに、自分たちも行けると思っていたらしいのです。スケジュール表には載っていないのに…。

 昨日、ちょっと問題になったのは、旧正月を前にした、一時帰国のことです。長期休暇に帰ると言うのさえ、いい顔はできない私たち。今は学校の許可がなくとも自由に帰れるので、授業があろうがなかろうか、帰りたいときに帰る学生がチラホラ出ているのです。

 このクラスにも一人出てきました。先週末に、「帰りたい」と言いに来たのです。授業終了後に早速呼んで、大学に行きたいというのに、「授業に出ずに帰るとはなにごとか…」

 以前は、一時帰国した後、経済的に逼迫して、戻ってきても、勉強どころではなくなる学生が少なくありませんでした。多分、国に帰ったときに、いい顔をしたいということで、お土産など分不相応に買ったりしたのでしょう(飛行機代、帰国している間のできなかったアルバイト代等)。そして戻ってくると、部屋代が払えない、学費が払えない、教科書のお金も払えない…で、大変でした。そして最後は、専門学校の学費が払えなくて、人に借りる羽目になったりしていたのです。

 なぜ、こんな簡単な計算ができないのかとも思われるのですが、それもしようがないことで、いくらこちらが口を酸っぱくして、後で困ると言っても、だめなのです。それで、一時帰国したい者は、両親からその旨を書いたものをファックスで送ってもらうことにしているのですが、それとても、長期休暇に帰る場合です。授業があるのに帰るとは、しかも親がそれを認めるとはなんぞやというところなのですが、多分、親御さんの方でもそれがわからないでしょうね。

 スリランカの学生の場合は、問題は経済的な面だけです(もちろん、漢字は忘れますが)。ところが、ベトナムの学生は、日本語の音がとれないまま帰ることになります(在日一年ほどの場合)ので、日本語がきれいさっぱりに近い状態になるほどに消えてしまうのです。

 最近はベトナム人学生も、経済的にそれほど困っていない人が来るようになっているのですが、それでも勉強の方から言いますと、帰らない方がいいのです。どんなに帰りたくとも、大学に入ってから、一年目の夏休みまでは、がんばっていた方がいいのです。

帰りたいという学生さん、あと一年は、がんばってね、「サクラ咲く」が見えるまで。

日々是好日
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「外国では、自国でのことなどは関係ない。皆、今のその人を見て判断する…のだけれども」

2015-01-26 09:59:40 | 日本語学校
 昨夜、雨が降ったようです。空気がしっとりとして、まるで春雨が降りでもしたかのよう。

 「ヤナギ(柳)」が芽吹き、「ロウバイ(臘梅)」が花開いても…、少しも違和感がないような感じです。けれども、まだ一荒れも、二荒れもするでしょうね。だって、まだ一月ですもの。

 今日、卒業予定の学生たちは、皆で「朝日新聞社」へ参ります。午前中の見学ですから、うまくいけば、高速で(新聞が)印刷されていく様子も見ることができるでしょう。もっとも、その前に行く、「築地市場」のほうが面白いかもしれません。ただ、早朝に見学するというわけにはいきませんから、ちょっと寂しいかもしれませんが。

 一方、残された学生たちは、「お勉強」です。

 この「卒業予定者のみ」という予定表に書かれている漢字が、まだ読めないこともあって、先日の「お台場の未来館」見学の時も、それを見た一年生がニコニコしながら、二三日前に、「駅ですね」なんぞと言うものですから、言われたこちらが、ハッとなって、大慌てで、「君たちではない」ということを確認しに回らねばなりませんでした。

 この「張り紙」(予定表)も、(わからないだろうから)見ていないかというと、案外見ているらしく、思わぬレベルの人が、「ああだった」と言ったりするのです。それに、兄弟で来ている学生もいるものですから、兄が卒業生で、いろいろ行くとなると、妹の方でも、自分も行けるものと思い込んでしまう。

 兄の方では、入学金や次の学費のためにお金を貯めなければなりませんし、入試の準備もせねばならない。それで忙しいというのに、妹の方では、「見学」を「遊びに連れて行ってくれる」と考えて、待ち望み、兄を急かすと言うことにもなってしまう。

 この「課外活動」のことなのですが、これは「遊び」ではないのです(勉強半分、気分転換半分と言ってもいいかもしれませんが))。まあ、「見学」なのです。見聞を広めるためなのです。もちろん、日本情緒豊かなところへ行けば(東京ですから、江戸情緒ということになるのでしょう)、楽しいし、思わず写真もパチパチとたくさん撮りたくなってしまう。着物を着て、髪を結って歩いている人が通れば、「一緒に写真を撮ってもいいですか」と言いたくなってしまう。

 それに、「未来館」のように、進んだ科学(ロボットや未来のコンピューター技術)などを見せれば、機械が好きな学生は見入ってしまうということになる(まえに「メディア祭」に連れて行ったこともありました。このときは、中国人学生が主でしたから、日本語のレベルもかなり高かったので、行けたのですが)。

 「日本のロボットを国で見た。日本でロボットを勉強したい」と、そう思い、来日した学生がいても、基本的な学力(この場合は、物理や数学)がないと、大学の試験には合格できません。当たり前ですが。

 日本語はかなりがんばった…。けれども、いざ、専門分野を学びたいと、大学を目指そうにも、取っ掛かりがないのです。彼らの知識を日本語に置き換えるだけであれば、どうにかなるであろうけれども、母語で受けた教育の中に、そういう基礎知識、あるいは学力が入っていなければ、いかんともしがたいのです。これがなかなかわからない(手先が器用で、国で機械の修理もできた。だから大丈夫となってしまう)。

 「私は国の高校でよい成績であった」と言われても、学んでいる分野が異なっていたり、端っから、相手にならないようなレベルであったりするのです。

 もちろん、すぐに「これは無理だな」と、次を考えることができる人もいます。けれども、日本語学校に来る人は、国で大学に合格できなかったという人が多いのです(中には、国で大学を出たという人や修士まで行ったという人もいますが)。いくら外国人は別枠の試験であるといっても、文系ならいざ知らず、理系はかなり厳しいのです。

 以前、中国人が多かったときは、判で押したように皆、「がんばって、東京大学に行きます」と言っていました。最初はこちらも「へっ?」という感じだったのですが、すぐに慣れ、「そうですか。がんばってね」と答えていました。すぐに、言わなくなるので、ほっといてもいいことに気がついたのです。

 「どうして私は大学には入れない?」と言われても、「漢字が読めないし、書けないし、だから本が読めないでしょう」と答えるしかないのです。そうすると、「あの人は読めないのに、先生は大学を薦めた。私だって同じだ」となる。「同じではない。彼は国でその仕事をしてきた。そして必要があって、日本でもっと進んだやり方を学ぶために来た。この経験というのは大きい」。

 面白いことに、差別化が全くない(としか思われないような)国から来ると、人の能力や才能の違いがわからないのです。みんな同じと思っているとしか、こちらには思われないのです。彼我には大きな差があると、私たちには見えますのに。一人がうまくいくと、あの人がうまくいくなら、自分だってうまくいくはずだと、皆が皆、そう思い、しかも思うだけではなく、主張しはじめるのです

 だから、こういう人たちには、カンニングができないような状態で、試験を受けさせ違いをわからせるか、面接で質問し、彼らにはその種の知識がないことをわからせるかするしかないのですが、それでも、(頭がいいはずの)私は、大丈夫と言い張る手合いもいて、大変です。

 もちろん、試験を受けるのは自由です。が、そのための準備などはやってやらなければならないのです。それで、これだけは覚えるようにと言って、渡しても、努力ができないのです。やりません。アルバイトで忙しいと言ったりします。思わずこちらが「本当にやりたいの?」と言うと、「やる、やる」と言いますが、結局、何が何だかわからないのでやりようがないのでしょう、できませんから、しません。何もしなくても合格できると思っているのだと不思議になるのですが、彼らの国ではそれでも通用するのかもしれません。

 小さな村の秀才で、きっといつも頭がいいと言われて育ってきたのでしょうね(わかりませんけれども)。早く、自分が、普通のレベルであるということに気づかぬと大変なことになると思うのですが(日本人なんて馬鹿なもので、ついつい、相手を傷つけぬようにと「皆、だれにでも才能はある。それぞれ異なった才能を持っているから」と、そんなふうに言ってしまうのです。すると、彼らは自分の都合のいい方に解釈して、私はやっぱりすごいとなってしまうのです)。

 他の人が理解できるのに、自分一人が理解できないと言うことがわからない。「そんなこと、あり得ない。(他の人がわからないなら理解できるのだが、自分だけがわからないなんて…)」で、そこで思考を停止してしまうのです。だって、あり得ないことが起こっているのですから、だから、「考える必要なんてない」で、切り捨ててしまうのです。

 わからせようと努力すればするほど、「嫌なやつだ。この人は私を嫌っている」となるのでしょう。そうなると、たとえ日本人同士であっても、うまくはいきません。まして言葉の足りない外国人なのですから、アルバイトにせよ、日常生活にせよ、それは大変なことになります。で、結局、何年いようと、自分たちの国の人たちの輪から出られないのです。知識も、何年日本にいようと、同国人が語る日本を受け売りするしかないのです。

 一事が万事ということなのでしょう。とはいえ、日本にいるからには、日本語の能力ですべては決まってしまうのです。いくらぺらぺら話せているように思われても、「N5」か「N4」くらいの文法で終わっていると、よほど好きなことが見つからない限り、そのままなのでしょうね。残念なのですが。

日々是好日
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「雪が降ればいいな…」か、「雪はもう充分…」か。

2015-01-22 07:58:08 | 日本語学校
曇り。

昨日は雨でした。とても冷たい雨で、午前の学生たちは震え上がっていました。「雨じゃなくて雪だったらよかったのにね」と言うと、「いえいえ、雪はいや。もうたくさんです。去年たくさん見たし、アルバイトへ行くとき、とても大変だった…。雪は怖い」という返事。

とは言いましても、昼には粉雪が舞いはじめた、教室に入ってきた午後の学生たち(去年の四月、七月生)は、一様に「雪、雪」と大はしゃぎ。

この一年の差は大きい…。午前の学生、大半は今年卒業を控えた人たちなのですが、彼らの去年の冬と言ったら…(散々なものでした)。

「雪が降り、夜にはそれが凍り、そしてまた降り、また凍り」の日があるかと思えば、強い北風を伴った「みぞれ」が、強く傘を打ち、自転車を走らせようにもなかなか思うようにはいきません。それではと、歩いてみても、いつの間にか肩にうっすらと氷がまとい付いている。

道も、よくてシャーベット状、悪ければ、ツルツルで、スッテンコロリとなる。

彼らは、もう雪に幻想は抱いていないようなのです。

ただし、これが、まだ雪を見たことのない在日一年に満たない人たちはとなりますと、これはもう幻想の塊。少しでも白いものがチラホラしそうになると、授業中であろうと首を長く伸ばして外を見たがる…。

まあ、いずれにせよ、一度はしっかりとした雪を見せてやりたいものですね。できれば、うっすらと積もったものを。

日々是好日
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「『ジンチョウゲ』のつぼみが膨らんできました」

2015-01-14 14:04:32 | 日本語学校
 晴れ。

 「ジンチョウゲ(沈丁花)」のつぼみが膨らんでいます。かなり赤らんでいるのに(まだ小さいのですが)、気がつきませんでした。うっかりしていましたね。

 その脇の鉢植え、「ツバキ(椿)」の赤い花のほうに目が行っていたのです。それに台所に咲いた「シャコバサボテン」が、日一日と花数を増していたので、そちらの方が気になってしまっていた…ということで、脇に据え置かれていた、地味な灌木「ジンチョウゲ」は、気の毒なことに目が行かなかった…。

 この「ジンチョウゲ」ばかりは、花がつかないと誰も気がつかない、花がついても香らないと無視されてしまうという日陰の花。なんだか人生を見ているようで、一際いとおしくなってしまいます。もっとも、気がつかなかったのは私なので、偉そうなことはいえないのですが。

 さて、学校です。

 学校では、午前・午後と二部に分かれ、午前は三クラス、午後はニクラスと、現在のところは、そうなっています。ただ午前の大きい教室は、卒業生が占めていますので、今年の三月になれば、また移動が始まるのですが。

 卒業生クラスというのは、今回は一応、一クラスにまとめているのですが、願書提出日が迫れば、受験を希望している学生を引き出して、小教室で書かせたり、また、試験日が迫れば、その受験生を引き出して、小教室で個別に指導をしたり…といった具合に、いつも何人、この教室にいるかがはっきりしているわけではなく、ちょっと落ち着かないのです。 

 前もって、早めに何かするという習慣がない人たちが多いので、余計、こちらの方がお尻に火がついたような感じになって、シャカリキになってしまう。…本人はいたって長閑なものです。もちろん、不安ではありましょうが。

 不安なものだから、自分たちのことは、いつしてくれると言いに来る。実際に私たちがやるのは、補助めいたことが大半で、彼らがやらねばならないことの方が多いはずなのですが、去年から彼らがやるべきことを言ってあるにもかかわらず、実際に始めてみると、「あれもやっていなかった、これもやっていなかった」で、何にも進んでいかない…、毎年のことながら、大変です。

 とはいえ、今年はそういう学生の数が、いつもにもまして多い気がする。たぶん、これはどの日本語学校も同じでしょう。去年は急に留学生の数が増えたような気がするのです。

 この学校にも、留学したい、させたいという個人や機関からだけでなく、在日の人からの問い合わせも以前にも増して増えたような気がします。

 在日の方の中には、「近くの学校にも聞いたけれども、そこはいっぱいだと言われた。だから…」という方もいました。もちろん、こちらの学校でも、もう余裕なしという状況なので、お断りするしかないのですが。

日々是好日
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「卒業生の兄が弟(スリランカ)を、卒業生の兄が妹(ミャンマー)を連れてきました」。

2015-01-09 11:56:31 | 日本語学校
 晴れ。 

 昨日はかなり風が強かったので、今日はきっと富士山がきれいに見えることでしょう。朝、星も少し見えましたし。

 冬になると、なぜか犬の散歩をする人とよく出喰わします。今日も外へ出たとたん、パグを連れた人と出喰わしてしまいました。人の方は驚いたようでしたが、犬の方では動じることもなく、「フン、こいつか」みたいな顔をして、ジロリとこちらを見るだけ。それから何事もなかったかのように、スタスタ歩いて行ってしまったのですが、たぶん、犬好きだったら、パグのあの表情はたまらないというところでしょうね。

 あの目を、「ギョロ目」と言うか、「ドングリ眼」と言うか、「いたずらっぽい目」と言うか、「天使のような目」と言うか(これはないか)は、わかりませんけれども。

 さて、昨日から授業は始まったのですが、午後、卒業生が一人、成田に着いたばかりの妹さんを連れてやってきました。ミャンマーからの学生です。

 彼は小柄ですので、妹さんの方が大きく見えます。妹さんが、両手をポケットに入れていたので(態度がでかく見えます)、それを言うと、すぐに注意してくれます。彼女の方でも、思ってもいなかったことのようで、びっくりして、慌ててポケットから手を出しました(習慣になっているのか、それから何回か入れそうになったのですが、その都度、彼が注意していました)。市役所に持って行かなければならない書類も彼女の代わりに書いてやっています。いいお兄さんですね。

 それを見ていると、彼が来た時のことを思い出しました。当時、二年生クラスに、一人、ミャンマーから来た学生がいたのですが、彼女が、まるで姉のように、彼の面倒を見てくれましたっけ。

 彼は来たときが大変だったけれども、妹さんはお兄さんがいるからいいですね。黙っていても彼がしてくれますから。

 この学校には、兄弟姉妹で来ている者、親戚で来ている者などが少なからずいるのですが、これは、こちらが百万言費やすよりももっといい。在学していたときに、まじめに勉強していた学生には何も言わずとも、こちらのやり方はわかっていますから、大丈夫ですし、それほどまじめにやっていなかった学生には、「こちらのやり方はわかっているはずだ。それでも弟を呼ぶのか」と凄みをきかせて言ってやることもできます。

 日本語学校での二年間というのは、本当に大きい、たぶん、彼らが思っている以上に。
 
 日本で二年間を過ごした人というのは、たとえ日本語が下手であっても、ある程度のアルバイトが、既にこなせるようになっていますから、ゼロではありません。片言なりとも日本語も話せますし、日本人の気持ちなるものも、少しは推察することができます。

 ただ、籍は学校に置いていても、まじめにやっていた人とそうではなかった人との差は歴然たるものがあります。やはり此の二年というのは、とても大切なのです。

日々是好日
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「小寒寒波、寒い中、新学期が始まりました」。

2015-01-08 13:25:43 | 日本語学校
 晴れ。

 また、いつの間にか、家を出るときに、月が西の空にかかるようになりました。

 昨日からの寒さは「小寒寒波」というそうで、小寒からが一番寒いのだとか。北海道をはじめ、東北地方、そして日本海側では大雪が続いています。ニュースでもまず最初に、雪の模様が映し出されるくらいです。

 こちらは寒いとは言いましても、お日様がカンカンと照っています。「洗濯日和」なるマークが出ているほどですし。寒くとも、雪国のように灰色の雲が重く立ちこめるというのとは違います。やはりお天道様の力は偉大です。

 さて、学校です。

 今日から新学期が始まりました。

 休み中、風邪を引いて病院を探したというのが、何人かいましたし、年末から年始にかけて水疱瘡にかかったという人も、二、三人いました。

 昨日、間違えて、学校に来たのが二人、確認の電話をかけてきたのが一人。今日は今日で、教員が電話をかけると、「えっ。今日から学校ですか」と言ったのが一人。まだ三ヶ月ほどしかたっていない10月生は、ちょっと別にしても、ほかの学生は許せないな。

 10月生は、何か言われても、まだ「はい、はい」と言うだけなのです。わからなくとも、空気は読めるようになっていますから、「はい、はい」と言っておけば、まず、間違いはあるまいというところなのでしょうか。…だから、今日のことを正確に知っていたかどうかも疑わしいので、何も言えない…。

 一月生は、毎年少ないのですが、このところ、日本語を勉強したいという在日の方からの連絡が、結構多いのです。もちろん、机の数にも限りがありますから、断らざるを得ないのですが。

 今日から、彼らもほかのクラスと共に授業を始めていますが、今日、成田に着くというスリランカ人が一人、明日、成田に着くというミャンマー人が一人。共に卒業生の兄弟姉妹で、一緒に住むので寮の心配もいりません。

 こう書くと、何となく「天下太平」のようですが、本当は「天下大変」なのです。卒業を控えた学生たちのうち、まだ行き先が定まっていないのが半数以上。というか、決まっている人たちの方が少ないのです。そのくせ、国から送られているはずの書類が、…ない。つまり送ってくるように頼んではいないのでしょう…。それで学校にコピーはないかと言いに来る。去年、あれほど言っておいたのにと言っても、本人に自覚がないからこうなってしまうのでしょう。自分のことなのに。

 こういうことは一事が万事。書類文化とは関係のないところで営みを続けてきた人たちにとって、何かというと、「書類を出せ」と言われるのは、耐えられないことなのかもしれません。とはいえ、これに慣れなくては、日本で暮らしていけないのです。もっとも、いくら言っても、のれんに腕押しの人たちがかなりいる…。今年の卒業生は、そういう大変な人たちがいつもに比べてかなりいるような気がするのですが…。

日々是好日
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「一月吉日、八日から学校は始まりますよ」

2015-01-05 12:09:45 | 日本語学校
 晴れ。

 青空が拡がっています。

 北京の友人から、お正月は北京も青空であったと、そして最近は青空である日が増えたと、そういう知らせがありました。

 めでたいことです。

 日本人の脳裏には、北京と藍天というのがセットであった(梅原龍三郎の「北京秋天」)…のですが、それも不名誉な昨今の大気汚染のせいで消えかけています。

 とはいえ、もしかしたら、これも昔から北京の秋だけのものであったのかもしれません。以前。北京にいたとき、『駱駝祥子』という映画を見せてもらったことがあったのですが、北京の町に驚くほどラクダがいて、そして風が吹くと砂埃が舞い立っていました。空はどこじゃ、砂塵しか目に入らぬと、そういう気分にさせられました。

 ラクダというのは砂漠の動物であり、その映画では、北京は全くの砂漠地帯でした。私の頭では、当時、北京と砂漠というのは全く結びつかぬ図でしたから、愕然としてしまいました。もちろん、当時、北京に住んでいましたから、乾燥している町であると言うことはよくわかっていました。けれども、映像で目の前に突きつけられると、…ちょっと違うのですよね。日本のように雨が多い国とは違うと言うことは頭ではわかっていても、です。

 学生達も、来日して、冬を初めて経験しても、やはりどこかで、うまく折り合いが付いていないのでしょう。

 寒さを体験していても、まだストンと落ちていっていないのでしょう。その表れが、たとえばいつもここで書いている靴下であり、また布団なのでしょう。

 日本には更衣というものがあり、もう6月だからそういう服はだめだよとか、そういう、目に見えない「決まり」がありました。最近は、それを「無理に」無視するのではなく、かなり自然に、無頓着になってはいますが、改まった場所などでは、それではならぬときもあります。

 だからと言うわけでもないのですが、そろそろ秋口の服を出さねばとか、冬物の服を出さねばとか、至極、忙しいのです。もっとも、若い人達は四季同じ服を用い、重ね着などというファッションで、うまくこなしているようですが。

 ただ、冬の寒さを知っていてそうするのと、そうではないのとでは、話が違います。

 それで、寒くなるといつも、教員は、玄関で待ち構えていては、「どうして、靴下を穿きませんか」と言うのですが、それも、もしかしたら、責められている、叱られているという受け取り方をされていたのかもしれません。最近は、「へへへへ。寒くなァ~い」なんて言うようになっていますから、叱られているなんて思ってはいないようですけれども。

 さて、学校では一月生が一人、二人と成田に到着しているようです。元日に来るとか、3日に来るとか言って、こちらを途方に暮れさせた人も、結局は友人に迎えを頼むということで決着が付いたようですし。

 ということで、学校は8日から始まります。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
                             一月吉日

日々是好日
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