小雨。
いわゆるシトシト雨です。7時頃、意を決して出てきたのですが、あと10分ほども待っていれば(自転車で来られたのに…)と、…本当に残念でした。
家の中で、クマの子のようにウロウロと、窓を開けて外を見ては、また戻り、また窓を開けて外の様子をうかがうを、繰り返すこと数度。その結果(テレビの天気予報も参考にして)、9時頃まではこの状態は続くであろうと、それ故に10分やら20分ほど待っても同じであろうと…勝手に決めつけ、それならばと、傘を差しながら、ヨチヨチ歩きで来たのですが。
小学校のグラウンドに出たあたりから、傘を差さずとも歩けるほどになり、こうなってくると、戻って自転車にしたほうがいいのか、あるいはこのまま学校に行った(当然のことながら、また歩いて帰るわけです)方がいいのか、頭の中ではせわしなく、計算してしまいます。かといって、戻る気があるのかといえば、それはないのです。それでも、考えてしまうのです。堂々巡りなのですけれども。
しかしながら、人という生き物は、もしかしたら、脳の中で「考える」と称していることの99.999%以上は、埒もないことなのではないのかしらん。
ただ、頭の中を何かで埋めておかないと落ち着かないのでしょう。それが宝の切れ端のようなものであろうと、塵芥のようなものであろうと、この空間の中に何かあればそれで、好しとしてしまうのです。
春雨とも感じられるこの空気に浸り、味わっていれば、それで好かろうものを。そんなつまらないことを忙しなく、どっちが楽かと計算してしまう…我がことながら、愚かしいことです。
とはいえ、歩いたおかげで、「サクラ(桜)」と「ヤナギ(柳)」をゆっきりと見ることができました。「ヤナギ」は遠くから見ると、ぼんやりとうす緑に染まっているようで、「サクラ」も花のつぼみはまだ固く、開きそうにないのですが、しかしながら、枝や幹は、うっすらとピンクに染まっているように見えました。まさに「春遠からじ」。今日は、最高気温が15度か16度ほどにもなるそうで、まさに春。そして明日は一転して真冬の気温だそうですから、大変です(風邪ひきさんがまた増えることでしょう)。
さて、学校です。
昨日、卒業予定の学生たちが、皆で、「朝日新聞社」見学に参りました。あそこへ行くといつも、学生たちの写真をアップにして編集された新聞(一面だけです)を帰りに持たせてくれるのですが、それが午後の学生たちが帰るころには、玄関に貼られてありました。
午後の学生たちも、昨日、彼らが新聞社に行くことは知っていたようで、私の顔を見て、「アサヒ、アサヒ」というのです。思わず、ビールのほうかと思ったのですが、その後に「新聞、新聞」が続いたので、ああ、知っていたのだと思いました。
一人が、「私たちは?」と問いかけてきましたので、「来年」と言いますと、「えっ!」。どうも数日後かそれくらいに、自分たちも行けると思っていたらしいのです。スケジュール表には載っていないのに…。
昨日、ちょっと問題になったのは、旧正月を前にした、一時帰国のことです。長期休暇に帰ると言うのさえ、いい顔はできない私たち。今は学校の許可がなくとも自由に帰れるので、授業があろうがなかろうか、帰りたいときに帰る学生がチラホラ出ているのです。
このクラスにも一人出てきました。先週末に、「帰りたい」と言いに来たのです。授業終了後に早速呼んで、大学に行きたいというのに、「授業に出ずに帰るとはなにごとか…」
以前は、一時帰国した後、経済的に逼迫して、戻ってきても、勉強どころではなくなる学生が少なくありませんでした。多分、国に帰ったときに、いい顔をしたいということで、お土産など分不相応に買ったりしたのでしょう(飛行機代、帰国している間のできなかったアルバイト代等)。そして戻ってくると、部屋代が払えない、学費が払えない、教科書のお金も払えない…で、大変でした。そして最後は、専門学校の学費が払えなくて、人に借りる羽目になったりしていたのです。
なぜ、こんな簡単な計算ができないのかとも思われるのですが、それもしようがないことで、いくらこちらが口を酸っぱくして、後で困ると言っても、だめなのです。それで、一時帰国したい者は、両親からその旨を書いたものをファックスで送ってもらうことにしているのですが、それとても、長期休暇に帰る場合です。授業があるのに帰るとは、しかも親がそれを認めるとはなんぞやというところなのですが、多分、親御さんの方でもそれがわからないでしょうね。
スリランカの学生の場合は、問題は経済的な面だけです(もちろん、漢字は忘れますが)。ところが、ベトナムの学生は、日本語の音がとれないまま帰ることになります(在日一年ほどの場合)ので、日本語がきれいさっぱりに近い状態になるほどに消えてしまうのです。
最近はベトナム人学生も、経済的にそれほど困っていない人が来るようになっているのですが、それでも勉強の方から言いますと、帰らない方がいいのです。どんなに帰りたくとも、大学に入ってから、一年目の夏休みまでは、がんばっていた方がいいのです。
帰りたいという学生さん、あと一年は、がんばってね、「サクラ咲く」が見えるまで。
日々是好日
いわゆるシトシト雨です。7時頃、意を決して出てきたのですが、あと10分ほども待っていれば(自転車で来られたのに…)と、…本当に残念でした。
家の中で、クマの子のようにウロウロと、窓を開けて外を見ては、また戻り、また窓を開けて外の様子をうかがうを、繰り返すこと数度。その結果(テレビの天気予報も参考にして)、9時頃まではこの状態は続くであろうと、それ故に10分やら20分ほど待っても同じであろうと…勝手に決めつけ、それならばと、傘を差しながら、ヨチヨチ歩きで来たのですが。
小学校のグラウンドに出たあたりから、傘を差さずとも歩けるほどになり、こうなってくると、戻って自転車にしたほうがいいのか、あるいはこのまま学校に行った(当然のことながら、また歩いて帰るわけです)方がいいのか、頭の中ではせわしなく、計算してしまいます。かといって、戻る気があるのかといえば、それはないのです。それでも、考えてしまうのです。堂々巡りなのですけれども。
しかしながら、人という生き物は、もしかしたら、脳の中で「考える」と称していることの99.999%以上は、埒もないことなのではないのかしらん。
ただ、頭の中を何かで埋めておかないと落ち着かないのでしょう。それが宝の切れ端のようなものであろうと、塵芥のようなものであろうと、この空間の中に何かあればそれで、好しとしてしまうのです。
春雨とも感じられるこの空気に浸り、味わっていれば、それで好かろうものを。そんなつまらないことを忙しなく、どっちが楽かと計算してしまう…我がことながら、愚かしいことです。
とはいえ、歩いたおかげで、「サクラ(桜)」と「ヤナギ(柳)」をゆっきりと見ることができました。「ヤナギ」は遠くから見ると、ぼんやりとうす緑に染まっているようで、「サクラ」も花のつぼみはまだ固く、開きそうにないのですが、しかしながら、枝や幹は、うっすらとピンクに染まっているように見えました。まさに「春遠からじ」。今日は、最高気温が15度か16度ほどにもなるそうで、まさに春。そして明日は一転して真冬の気温だそうですから、大変です(風邪ひきさんがまた増えることでしょう)。
さて、学校です。
昨日、卒業予定の学生たちが、皆で、「朝日新聞社」見学に参りました。あそこへ行くといつも、学生たちの写真をアップにして編集された新聞(一面だけです)を帰りに持たせてくれるのですが、それが午後の学生たちが帰るころには、玄関に貼られてありました。
午後の学生たちも、昨日、彼らが新聞社に行くことは知っていたようで、私の顔を見て、「アサヒ、アサヒ」というのです。思わず、ビールのほうかと思ったのですが、その後に「新聞、新聞」が続いたので、ああ、知っていたのだと思いました。
一人が、「私たちは?」と問いかけてきましたので、「来年」と言いますと、「えっ!」。どうも数日後かそれくらいに、自分たちも行けると思っていたらしいのです。スケジュール表には載っていないのに…。
昨日、ちょっと問題になったのは、旧正月を前にした、一時帰国のことです。長期休暇に帰ると言うのさえ、いい顔はできない私たち。今は学校の許可がなくとも自由に帰れるので、授業があろうがなかろうか、帰りたいときに帰る学生がチラホラ出ているのです。
このクラスにも一人出てきました。先週末に、「帰りたい」と言いに来たのです。授業終了後に早速呼んで、大学に行きたいというのに、「授業に出ずに帰るとはなにごとか…」
以前は、一時帰国した後、経済的に逼迫して、戻ってきても、勉強どころではなくなる学生が少なくありませんでした。多分、国に帰ったときに、いい顔をしたいということで、お土産など分不相応に買ったりしたのでしょう(飛行機代、帰国している間のできなかったアルバイト代等)。そして戻ってくると、部屋代が払えない、学費が払えない、教科書のお金も払えない…で、大変でした。そして最後は、専門学校の学費が払えなくて、人に借りる羽目になったりしていたのです。
なぜ、こんな簡単な計算ができないのかとも思われるのですが、それもしようがないことで、いくらこちらが口を酸っぱくして、後で困ると言っても、だめなのです。それで、一時帰国したい者は、両親からその旨を書いたものをファックスで送ってもらうことにしているのですが、それとても、長期休暇に帰る場合です。授業があるのに帰るとは、しかも親がそれを認めるとはなんぞやというところなのですが、多分、親御さんの方でもそれがわからないでしょうね。
スリランカの学生の場合は、問題は経済的な面だけです(もちろん、漢字は忘れますが)。ところが、ベトナムの学生は、日本語の音がとれないまま帰ることになります(在日一年ほどの場合)ので、日本語がきれいさっぱりに近い状態になるほどに消えてしまうのです。
最近はベトナム人学生も、経済的にそれほど困っていない人が来るようになっているのですが、それでも勉強の方から言いますと、帰らない方がいいのです。どんなに帰りたくとも、大学に入ってから、一年目の夏休みまでは、がんばっていた方がいいのです。
帰りたいという学生さん、あと一年は、がんばってね、「サクラ咲く」が見えるまで。
日々是好日