日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「面接」を受けるのは簡単でも、する方は難しい。

2018-11-29 08:50:22 | 日本語学校
曇り。

如何にも冬…といったお空の感じですが、でも、それほど寒くはない…。このまま、紅葉が進み、樹は葉を落とし、裸木になっていくのでしょうか。

さて、学校です。

(受験に)失敗する事はあり得ないだろうと思われていた学生が、失敗してしまいました。どこが悪かったのでしょうね。「必ず受かってみせるぞ」という意気込みというか、「崖っぷちだ」という切迫感かが見せられなかったのかもしれません。「ここなら、大丈夫だろう」と高を括っていて、それが態度に出てしまったのかもしれません。

それにしても、親切で優しい性格ですから、まず偉そうな態度に出ることは、あり得ないのですけれどもねえ。どうして落とされたのかわからない…ことがまた起こってしまいました。

まあ、彼には、「こういうのは、向こう(専門学校)も見るが、こちら(彼のことです)も見るものだ。縁がなかったんだね。それほどの学校でもないのだから、縁がなかったら、それはそれで、スルリと躱し、他を見よう。縁のある学校が見つかるかもしれないし、そこで頑張って『N2』をとれば済むことだから」と言ってあります。

別にこれは慰めではないのです。彼の方も、さらりと躱し、失敗の内にも入らないようなこんなことは忘れて、他(校)を当たることでしょう。

実際、私たちが現地へ行き、応募してきた留学志願者と会うのと、こういう受験の時の面接とは似て然るべきところが多々あると思います。

「提出された資料を見る。面接の時の前後の様子・態度を見ておく。面接で(日本語を)どれだけ学んできているか見る。入ってからを想像しておく。

私たちが現地へ行って面接する時には、他にも、何点か注意しておくことがあります。

日本語の学習量が足りなかった時には、その紹介者、もしくは連れてきた教師を見る。同時に、同じ学校の学生達の(しでかした)間違いも見ておく。

学生の問題ではなく、教える側の実力不足から来ていることもあるのです。その時は、それを指摘しておきます。「ひらがな」や「カタカナ」といった入門の段階で、同じ学校から来た学生が、皆、同じ間違いをしていれば、それは学生の問題ではなく、教師の側の問題ということになります。その学校と提携しても、そこから来る学生は、いつも同じことができないのですから、それは大変です。何事も最初が肝心。最初に間違えて覚えてしまうと、忙しい日本に来てから改めるのは至難の業です。

日本語はさほど学んでいなくとも、見所がありそうだと思えば、既習のうちの、問題をいくつかさせてみます。できるできないにかかわらず、その様子を見ます。わからないと匙をすぐに投げてしまえば、もうこの学校では無理だなという判断をします。それなりに考えて解こうとしているのが見て取れれば、一応、合格サインを出します。勿論、二度目の面接の時に、努力が見られなければ、「申し訳ないけれども、約束を守っていないから」という理由で遠慮してもらいます。

この学校では面接に教師が行きます。教える時の事を考えてみるのです。来てからのことが大切なのです。勉強する気のない人が教室にいれば、それは他の学生達にも影響してきます。個別の授業ではなく、一斉授業なのですから。

以前、スリランカの学生がクラスの雰囲気を壊して、ギクシャクしてしまったということがありました。聞き取りが悪い学生を小馬鹿にしたのです。当然のことながら、私は馬鹿にされた方の学生につきます。何となれば、彼の場合は努力をしていましたから。(普通は、皆、こういう真面目な学生には、一目置くものなのです。あの人は「漢字を頑張っているからすごい」とか、あの人は「発音がいいからすごい」とか。スリランカの学生の場合は特別だったのでしょう。カンニングはするは、「わかるから、勉強する必要はない」と欠席するは。私たちにはなぜ彼が「自分は頭がいい」と思っているんだろうね、ヘンだねくらいのものだったのですが)。彼の言い分は「自分はわかる。あの人達はわからない」…から、馬鹿にしていたのでしょうね。「聞く」「話す」だけの世界なのに。

とはいえ、最初問題があっても、なんてことはないのです。国や民族によっては、日本語の文法がさほど難しいものではなく、スラスラと話せるようになるということもありますし、音を聞き取ることもそれほど難しくないということもあるのです。またそれと反対に、努力しても音の区別がなかなかつかず、また音が出せないという人達もいます。

もし、「文法」「聞き取り」「漢字」の三重苦にあっても、「文法」を必死で覚え、「漢字」をとにかく練習していれば、それは「いい学生」です。ヒアリングなんて、日本に10年もいれば、どのように音が聞き取れないという民族であろうと、だれだって聞き取れるようになります。

その反対に、努力を怠り、アルバイトだけに通用するような単語だけしか知らず、「初級」の文法を使い回しているだけで、しかも、漢字も書けなければ、何十年日本にいようと、「単語「文法」「漢字」はお寒い限りということになってしまいます。

数年前の、例のスリランカの学生は、この学校にいる時には、「自分は頭がいい」という唯我独尊の気分から抜け出せませんでした。普通なら潰されるであろうくらい、こちらも言ったのですが。不思議ですねえ、こういう御山の大将気分の人は、自分に不都合なことは耳に入らないのです。

「漢字は、やらないから、できないだけだ」と言うのです。つまり、「やるだけの能力がないからできない」とは思わないのです。彼に馬鹿にされていたベトナムの学生は、努力の結果、自分の力で大学に入れたのですけれどもね。

うれしいことに、今ではそんな学生はいません。できなければそれなりに、できる人もそれなりに上を目指して頑張っています。

日々是好日
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「寒くなる、寒くなる」と、脅していた私は、「狼おババ」?

2018-11-27 08:43:47 | 日本語学校

小雨。

「雨になっている」と言いましても、これは霜月の雨ではない…かな。濡れても、「それほど、冷たい」という感じはしません。霜月も、もう下旬の終わりごろ…もうすぐ、師走が来ようというのに、これですからね。最高気温が、まだ18度もあると言います。昨日も昼は、上着が要らぬほどでした。今日は雨が降っていると言いましても、暖気を運んでくるような感じで、「一雨ごとに寒くなる」とは無縁ですね。

この辺りでは「サザンカ(山茶花)」が咲き始めました。生い茂った濃く厚い葉を、よくよく見てみますと、ぎっしりと蕾がついています。今年は、秋が来たのやら、夏に戻ったのやら、何が何だかわからぬ間に、冬が来るのであろうと思っていましたのに、霜月になりましても、冬は始まっていないような感じです。時々「寒い日」はやって来るのですけれども、すぐに戻ってしまうのです。それこそ、「三歩進んで二歩戻り、二歩進んで三歩戻る」です。

さて、学校です。

学生達は、靴下を穿いていない者が、まだ半数はいますね。「寒くなるよ」と脅していた私が、「オオカミ(狼)おババ」と言われそう。というわけで、ちょっとばかり、休憩しています。

昨日、4回目の模擬試験を行いました。「N4」~「N1」までです。どうして、こうも結果にばらつきが見られるのでしょうね。テストの時、全体的に成績が振るわぬ…で、あれば、試験問題自体に問題があったからかもしれませんし。実際のところ、今一つ、昨今の試験問題の傾向がわからないのです。できうるならば、「日本語能力試験」の問題を公開して欲しいもの。

ベトナムでも中国でも、おおっぴらに、「前回の試験はこれだ(どうしてわかるのでしょうね)」とか出ていますのに、日本で公開されていないというのも、少々おかしな話です。やはり、正規の試験問題で練習した方がいい(信頼できるのです)。こちらにしても、学生のどこに問題があるのかわかりやすいので、助かるのです。

これが公開されていた頃(もう公開されなくなってから随分経っていますが)には、校内で試験を繰り返すごとに、点数が上がっていくのが学生達にもわかりますから、それなりに励みになり、試験の受け甲斐というものもあったように記憶しています。

もっとも、今のように、全てスマホで問題が(多分、海賊版でしょうが)わかってしまうと、そういう励みもなくなってしまうでしょうね。校内のレベルチェック試験の時も、中には前年の学生からもらった答えだけ暗記してくる者もいたくらいですもの。そういうわけで、現在は、こういうテスト問題は回収せざるをえなくなっています。

まあ、泣いても笑っても、12月3日で終わり。…泣いても笑ってもというのは、少々ヘンですかしらん。「非漢字圏」の学生は、「N3」「N4」はそれなりに必死になるのですが、「N2」になると、どうも、それほど必死になっているようには見えないのです。日本語学校にいる間に「N3」まで取れればいいと思っているのか(「N3」が取れれば、もうホッとして、気が緩んでしまい、やる気をなくしてしまっているのか)はわかりませんが。

一方、「漢字圏」の学生は、「『N2』『N1』命」ですね。急に真面目になる人が増えてきます。もちろん、真面目な顔をするようになっても、真面目にやるかどうかは別問題ですけれどもね。

日々是好日 
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お日様が照っていますが、寒い…朝です。

2018-11-21 11:31:18 | 日本語学校
晴れ。

この「晴れ」のお天気も、夜にはどうなりますことやら。最近は天気の予報が出しづらいらしく、どうもはっきり言えないようです。一つには、実際、予想しにくいという面もあるでしょうし、出しても「昨日、違ったじゃん」と言われそうな雰囲気もあるからでしょう…。ひと頃に比べ、天気図の解説が多くなったような気がします。「どうだ、大変だろう。この時期、予報を出すってのは生半可なことじゃできないんだぞ」と、見せつけているような、そんな感じが、しないでもない。

昨日の帰り、雲間から星が見えていました。月も下界を皎々と照らしていました。もうすぐ満月かな…。明日は晴れでしょうなんて言いながら、学校から帰ったのですが、その通り、今朝は晴れです。寒い…。手袋が恋しくなりました。こう感じるのは今季初ですね。

学校の「キク(菊)」も、盛りは疾うに過ぎたかのよう。数年前には、背が低く、花が咲けば丸々として見えていたのに、今では、背高さんになっています。ここまで背高さんになってしまうと、フラフラと不安定に見え、菊らしくないですね。あの長い茎を50センチほど詰めれば、菊らしく見えるかな…。でも、これはこれなりに、今の姿のままで結構…と、皆思っているかな。

さて、学校です。

一人、また一人と合格者が出てはいますが、どうして落ちてしまうのかわからないような人もいます。その中には、真面目で、それだけに試験問題をテキトーに書けないし、面接でも、テキトーに答えて笑ってみせるということができない人もいる。

日本語能力という点だけから見れば、確かにそれほど高いとは言えない。1年半ほどで、「非漢字圏」であっても、「N2」に合格する人もいるのですから。「N2」に合格できていなければ、やはり日本語能力を見られてしまうと、他者に劣っているということにもなってしまうのでしょう。

でも、でも…なんですよね。口はそれほど動かないけれども、相手の言っていることはだいたいわかるし、言われたとおりに動ける。頑張り屋で、日本の会社に入ったら、労を惜しまず働くであろうと思われる。…リーダーにはなれないかもしれないけれども、信頼はできる。

「不届き者かそうではないか」くらいは見て欲しいのですが、欲張りかしらん。

年齢も、高校を出てすぐに来ている者もいれば、数年経っていて他の何かを学んできている者もいる。その面では、経験があるのです。ただ、学んできたと言っても、言葉ではない他のものなのですが。

言葉だけ達者でも、どうにもならない人もいる…んですけれどもねえ。

不合格になって、肩を落としている人を見るたびに、「縁がなかったんだよ」ではなく、「君の良さがわからないんだから、ほっときな。さあ、君の良さをわかってくれるところを探そう」となってきます。

こういう真面目な学生には、だれでもいいから入れてやるというような学校ではなく、きちんと学べるような専門学校を探したいのですが、ペーパー(たとえば、「N3」の合格証)がないと、どうもはっきり言われないけれども、足切りかななんて思わされるような感じになってしまう。…辛いですね。

…彼は、また、もう一つ受けたようです。合格してホッとした顔を見たいのですけれどもねえ…。

日々是好日
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先週の土曜日で、入試のヤマ場は過ぎたような気がします。

2018-11-19 08:32:36 | 日本語学校

曇り。

空き地が枯れ葉色に染まっています。ついこの間まで、まだ緑が多かったのですけれども。時々、道に跳び出していた虫たちも、いつの間にか姿を見せなくなりました。

時々、お庭から大きな夏みかん(?)がぶら下がっているのが見えます。赤い「カキ(柿)」同様、「だれも喰わねえ」というような存在なのかしらん。どうも毎年、あの辺りで見かけているようなな気がするのですけれども。

さて、学校です。

先週の土曜日に、いくつかの専門学校・大学で試験があり、一応、受験のヤマ場は過ぎたような気がします。中国人学生が多かった頃には、翌年までも、それが続いていましたし、勉強しない人が多かった頃には、それはまた、それで、なかなか油断できない日が続いていました。

「非漢字圏」の学生に、中国人学生のように、三つ(レベルを違えて)受けてみるというのは、ちときついようですね。どちらにせよ、今年中に、行き先を見つけられれば、私たちもホッとできるのですが。

先日、今はもう専門学校を卒業して、日本の会社で働いているという卒業生が、妹を来日させたいと、その申し込みにやって来ました。授業中だったのですが「先生、元気ですか」と、ひょいと顔を覗かせてくれたので、この機を逃すものかと、すぐに「専門学校の話」をしてもらいました(今年、彼が卒業した専門学校に三人ほど合格しています)。

ところが、話を聞いていると、どうも彼の頃と今とでは状況が違っているような気がしてきました。彼等は本当にいい時期に卒業したのかもしれません。これは、専門学校の様子だけではなく、外国人を取り巻いている状況がということなのですが。これには、日本政府の対応が変わってきたということもあるでしょうし、それを見て、今こそ稼ぎ時と、ベトナムでも日本でもいろいろな人が蠢き始めている…ということもあるでしょう。

これが、彼等にとってプラスに働けばいいのですが、逆になってしまうと、いくつかの先進国でそうであったように、先に来た外国人があとから来ようとする外国人を排斥するというようなことも起こってきます。それはいやですね。

専門学校にしてみても、外国人が増えたということで、強気になっており、前のように、希望者を募りに、こういう学校にやって来るということが少なくなってきました。前はどんなレベルの人でも、来さえすれば、こちらで何とかするから(主に問題になるのは出席率でした)というような学校もありました。私たちの方でも、「出席率は、まあいい方だけれども、どうも日本語のレベルが」というようは人にはそういう所へ行ってもらい、就職までどうにか繋いでもらうというようなこともありました。彼等の希望は日本で就職するでしたから。

以前の、こんな学生は、専門学校に進んでも、レポートが書けないとやって来たりしていました。けれども、そういうのも、最初のころだけで、最近はそんなこともなくなりました。専門学校の方でも、外国人を相手にすることに、慣れてきたのでしょう。

それに、非漢字圏の学生も、最近は、卒業までに(12月の)「N3」に、だいたい合格できるようになっています。半分ほどでしょうか、7月の「N3」に合格出来たのは。これが、七月の「N3」試験に、全員合格ということになれば、専門学校進学がもっと楽になるのでしょうけれども。

日々是好日
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思い込み。…知識の無さからくるものなのでしょうけれども、入れようがないですね。

2018-11-14 08:47:39 | 日本語学校
晴れ。

本当に、大変。進学のことです。毎年のことなのですが、数人、こちらがどう説明しても、考えを変えない人がいます。中国人ばかりの時には、しかたがないで終わっていたのですが(なにせ、中国にいる時に、嫌になるくらい経験していましたから)、スリランカ人にしても、ネパール人にしても、また然り。同じなのです。

どこで、どう聞いたのか、「あの専門学校に行けば、あの、レベルの高い、ある大学に入れる…。」そう言ったのは、…おそらく同国人の、しかも身近な人であろうことはすぐに推測できるのですが。成功した人はいたかもしれないが、皆が皆、そうできるとは限らないということが、わからないのです。これも彼我のレベルが掴めていないから…来ることなのでしょうけれども。

その、ある大学というのも、「レベルが高いです。とてもいい大学です」と言うばかり。で、日本の大学のことを知っているかというと、東京大学も、京都大学も、よく知らない。で、何を以ていい大学と言っているかということも、多分、わかっていないでしょうね。だれか、身近な、ある人がそう言った。それで、それを唯一無二のものとして「信仰」しているだけのこと。

彼の場合、経済的に少々問題があるとはいえ、真面目でしたし、やりたいことが比較的はっきりしていましたから、そういう人に適した専門学校(よく面倒を見てくれるのです)を勧めたのですが、どこからひいてきたか、彼が学びたいと言うことと全く無関係な専門学校の願書を持って来た。

「????なぜ???」「ここは予備です。本当にいきたいのはこっち。でも、ここは難しい。入れないと思います」。…でも、彼が持って来たのは、レベルが高くもないし、それほどいいとは思えないような、ごくごく一般的に外国人が行くような学校。専門とも何の関係も無い。けれども、いくら聞いても、同じ答えが返ってくるだけ。「いい学校です。普通の人はなかなか入れない」。まるで洗脳されたみたい…。こういう人は毎年出てくるのですけれども、もう少し日本語レベルの低い人が多かったのです。

もう、こうなったら、いくら説明しても、「同じだよ」と言ってもだめなのです。勝手にさせるよりしかたがないのです。お金を払うのは向こうですから、最後は行きたいと言うところを受けさせるしかないのです。で、受けて、合格した。それから、如何にそこがいいかを言い募りながら、学費の心配が始まります。

こちらでは経済状態なども加味しながら、やって行けそうな所を勧めたのですが、聞かなかったのは向こうの方。今更という気がしないでもない。だいたい助けようもないのです。最後は「いきたいと言ったのは自分でしょ。自分で考えなさい」としか言いようがない。

「思い込み」が強い人は外国で生活していくのは難しい。もちろん、自国でも大変は大変でしょうが、生まれ育ったところでの「思い込み」は、どこかしら救われるところもある。けれども、外国では、もともと現地の人達とは考え方が違っていますし、その上、習慣が違っていたりしますから、わずかな「思い込み」と「頑固さ」が併わさったりしてしまうと、時には取り返しのつかないことにもなりかねない。

そのたびにオタオタしてしまうのでしょうね。柔軟な人は、同じようなことをスルスルと「ウナギ(鰻)」のようにすり抜けていくのでしょうに。

日々是好日
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「柿食ひに来るは 烏の 道理かな」…

2018-11-13 08:37:07 | 日本語学校

晴れ…かと思いきや、灰色の雲が威張してきました。

明け方かに雨が降ったのでしょう。地面が濡れています。最近、ざっと降った雨のおかげで、早朝など、空気がしっとりとして、なかなか趣があります。

風邪のせいで、ひところボウッとしていました。それゆえか、治まってくると「カキ(柿)」の色が目に鮮やかに飛び込んできました。残っていたのですね。でも、ついつい、渋かな…などと思ってしまいます。だいたい甘いのは人様が口に入れる前に、鳥たちに盗られているもの。

「柿食ひに来るは 烏の 道理かな」   …多分、釈 宗演。

禅宗の偉い坊様とは知りませんでしたが、若い頃、この句を見た時、「道理かな」に、えらく感じ入ったことがありました。「勝手」といかないところに、「深さ」が感じられたのです。私などでしたら、簡単に「勝手」と言って、ケラケラと笑ってすませたでありましょうに。

柿といえば、「桃栗三年 柿八年 梨の大馬鹿十八年」等と言いますが、本当に「モモ」と「クリ」は三年で、「カキ」は八年で実り、「ナシ」は十八年もかかるのでしょうか。子供のときは、語呂がいいので、そのままそらんじていた言葉も、ふと立ち止まって考えてみますと、あやふやなものとなってしまいます。それほど「体験」というのが無いのでしょうね。何事によらず「現場」が遠ざかってしまいますと、人は言葉だけを弄び始めてしまいます。

もちろん、「現場」がすぐわかるものもあります。こういうものはいいですね。ホッとしてきます。

「寝転んで 篠をつくづくながむれば 内へ半分 雨の降る家」  朱楽菅江だったかな?

庵がいいですね。縁がちょっと広めな。木々の匂い、草の匂い、そして虫の音。

この「虫」に学生達は反応するのですけれども…。「いや~」って。

さて、学校です。

先日、「Eクラス(初級Ⅱ)」で、少々揉めさせてしまいました。このクラスは、七月開講のクラスで、一応12月の「日本語能力試験(N4)」合格を目指して、セッセコがんばっているのですが、時々、正規の授業内容とは別の箇所で学生達を戸惑わせてしまうことがあるのです。今回はミニ会話から、「クジラ(鯨)」。

海が身近な「インドネシア」、「スリランカ」の学生、「中国」、…今回は「ネパール」は大丈夫だった。ところが思いもよらぬことに、「インド」の学生が躓いた。英語で言えば、「わかる」と言う。言いはしたが、どこか私の説明に納得できぬよう。話しているうちに、「でも、魚でしょ」。なるほど、知ってはいたが、魚と理解していたか…。「えっ。魚じゃない…????」

聞くと、インドは海があることはあるけれども、海とは無縁の山岳部出身。…だから、(間違っても)当然…本人はそう思っているらしいけれども、…当然かなあ…。

そう言えば、昨年、「ネパール」の学生が、「アザラシ(海豹)」で転けた。海にいるのは「皆、魚」と理解していたようで、泳いでいる姿を見せれば、よけい、こんがらがってしまう。最後は、ニタッと笑っている「アザラシ」の写真を見せて、お仕舞いにしたけれども。

それに、「ペンギン」。知ってはいる。知ってはいるけれども、泳いでいる姿というのはどうも、描けないらしい。…でも、鳥でしょ(「鳥がどうして泳ぐんだ」と言いたいらしい。「泳ぐのは、ペンギンの勝手でしょ」と、こちらは言いたい)

それからは、文章題に動物が出る時は、写真でなく、映像でと心がけていたけれども、まさか「クジラ」で躓くとは思っていなかった…。

もとより、私とて、「『ラクダ(駱駝)』を食べる」というのに、驚いたことがあったから、人のことは言えない…。ひと頃ブームで、見ればだれもが、かわいいと言って大騒ぎしていた『アルパカ』だって、ペッと唾を吐きかけるから、用心しなければならない動物であることも、ペルーの学生に教わるまで、知らなかったし…。

「躓き合う」というのは、考えてみれば、なかなかいいことなのかもしれません。

日々是好日
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「正社員にする」という餌にひっかかりそうな学生がいます。口約束だけで、何もしてくれないというのに。

2018-11-09 08:46:03 | 日本語学校
小雨。

霧雨でしょうね。ほんのわずか、肩に掛かってきました。今朝、自転車で来る時、「ムラサキシキブ(紫式部)」の実を見つけました。毎年、あの辺りで見ていたなと、見るともなしに目で追っていると、ありました、ありました。見られて、ちょっとホッ。

最近は白の「ヒガンバナ(彼岸花)」やら、紫の濃い「スミレ(菫)」やらを見る機会がないまま、季節が過ぎてしまうことが多かったのです。時は流れているのはわかっていながらも、「季節」を「見る」ことが、人間にとっては大切であるような気がします。

さて、学校です。

願書を出さねばならない日が迫っているというのに、風邪をひいて1週間ほども休んでいる学生がいます。途中までは書けているのですが、まだ「切手を貼っていない、写真がない、清書をしていない」というわけで、こちらの方が焦ってしまいます。

仲良しさんに聞いてみると、ずっと寝ていたのだけれども、アルバイト先から「人がいないからどうしても」と乞われて、一日行ったことがあったそうな。行ったはいいけれどもそこでフラフラになり、途中で帰ってしまったのだそうな。それから、またぐあいが悪くなり、まだ寝ているとのこと。土日でどうにか治して、来週の月曜日には書けるようにしておくように伝えてとは言っておいたのですが、どうでしょう。ギリギリになるかもしれません。

可能性のある学生なので、大学に入れてやりたいけれども、今の段階(日本語のレベル)では、どうしても非漢字圏の学生は行ける大学が決まってしまいます。学んだ漢字に限界があり、文章がまだそれほど読めないのです。

そういうわけで(そういうわけででもないのですが)、アルバイトのことです。アルバイト先が近ければ、戻るにしてもそれほど体力は使わずにすみますし、具合が悪くなれば友達に迎えに来てもらうこともできるでしょう。それが電車でとなると、なかなかそう簡単にはいきません。

この辺りでも、「N3」レベルくらいであれば、アルバイトに不自由はしないのですが、やはり少しでも時給が高いところとなりますと、東京へ出た方がいいということになってしまいます。日本橋まで電車で25分くらいですから、体調さえよければ、留学生にとってそれほど苦にはならないでしょう。けれども、一旦事あれば、やはり近場の方がいいということなってきます。

学生達には口が酸っぱくなるほど言っているのですが、時給が「50円」高くなるにしても、(交通費、行き来にかかる時間、万一災害が起こった時へのことなどを加味すれば)近いところで探すべし。

もちろん、彼らにとってみれば、「今、無事であるし、1週間28時間働くとして、50円高ければ、1週間で1400円の違いがでる」ことは案外大きいのです。1150円か、1100円の違いというのは。

そんなこんなで、アルバイトのことを話していると、二年生の女子学生が、「先生」とやって来ました。彼女は大卒です。「正社員になれる。面接に行って内定をもらった。だから朝のクラスにしてほしい」と言うのです。聞いてみると、どうも話がおかしい。まず、その会社からは何の書類も出ていない。怪しいと思って、学校から確認を取るために何度も電話をしたのですが、だれも出てこない。彼女には、日本人でも悪い人がたくさんいて、そうやってアルバイトをする人を探している場合があるのだと説明しても、なかなか納得しません。彼女は日本の会社に入りたいのです。

だいたい、「正社員にする」という餌で、何もわからない外国人を釣り、「安価なバイト料で働かせる」。そういう話を聞いたことがあります。彼女が行くと言っているのは、ここから遠い工場です。多分、「正社員」という餌でもなければ、だれも行かないでしょうね。もっと時給の高いところがこの近辺に、たくさんありますもの。

人が足りなくなると、真面目で人慣れしていない人がすぐ狙われてしまいます。せっかく頑張ってきたのに、こんな変な会社に捕まり、ビザがなくなるというのは耐えられません。彼女がそれを納得してくれて、合格した専門学校に行ってくれるといいのですが。

日々是好日
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「願書書き」は大変です。

2018-11-08 08:56:19 | 日本語学校

晴れ。

日が照っています。「サクラ(桜)」は、まだ紅葉というか、黄葉していません。

だいたい、「モミジ(紅葉)」の樹の葉だって、きれいな赤になる時は稀で、そのころの日較差や気温の高低によるのだそうですし。名所に行って、がっかりということだってよくあること。年によっては、それほどの紅葉が見られぬまま散ってしまうということだってありますもの。

なんだか、人生そのままを物語っているよう。もちろん、それはそう。だって、同じ生き物なのですもの。

北欧の物語に、英雄の中には、年老いて巨木に変ずる者と、灰色の巨大なオオカミに変ずる者とがあるというのがありました。年を取ると、だんだん変ずる時間が長くなり、疲れたと言っては森に行き、樹に変じて体を休めているのだそうです。そして最期、死を迎えることなく、完全に樹に変ずる(あるいはオオカミに変ずる)。樹はもの言わなくても(眠っている)、生きている。時々目覚めて、自分たちを感ずる者とは話すことがあるらしいとか。

神話ですね。でも、どこかしら、真実を衝いているような、そんな気もします。

さて、学校です。

来日後、一年と半年ほども過ぎて来ると、きちんと勉強してきた者とそうではなかった者との差が歴然としてきます。なにせ、進学というのものがありますから、テキトーにはできないのです。合格、不合格で二つに分けられてしまいますから。

まずは、願書書きで苦労する。面接の練習で苦労する。…このようなことに苦労してしまうような者には、それほどの情報が与えられません。最低限の情報でも四苦八苦していますから。「これさえできれば。ここまで書ければ」という感じで指導していくだけです。

きちんと勉強してきていれば、(作文書きの練習やらで)もう少し変えてもどうにかなるということで、指導中、別の言葉を入れたり、日本の習慣や文化についての知識を、多少入れていくこともできます。

同じ学費を払っているのに、本当に損なこと。ここの学校は本当に小さいので,こういう指導は一人一人を見てやることができるというのに。その人にあった内容、またやり方、言い方などを入れていくことができると言うのに、その前の段階ができていないので、そこが白紙になってしまうのです。

面接の練習にしても、「自分」が言えなければ、こちらとしても、来日時に紙に書かれた情報やら、これまでの様子などから、言ってやることができるだけで、結局のところ、その人の「自分」というのはわかりません。

とはいえ、とにかく合格出来ればそれでいいと言う人もいて、あまり後のことは考えていないようです。教員の方はいろいろ考え、苦労しながら説明しているというのに、なかなかその意味が通じていきません。教員の方が苛立ったり、焦ったりしていると、叱られているとしか感じられない人もいて、大変です。なぜ、自分のことでもないのに苛立っているのか、焦っているのかがわからないのです。

「期日までに願書が出せないと試験が受けられない」、この、当たり前のことですら、なかなか徹底できない人もいて困ります。

けれども、思えば、中国にいた時、大学生で別の大学の大学院を受けるという人が、夏休みに、その先生の特別授業(個人でしていたでしょうね)を受講していれば合格するとか(もちろん受講料はいるのでしょう)。また、ミャンマーの大学生だった人も,大学の授業は関係ない、その先生の塾に行って勉強していれば、点数をもらえるから卒業できるとか言っていました。もちろん、別にたくさんのお金がかかるのでしょうね。

日本は専門学校でもそんなことはないと思います(断言できないのが辛い。なにせ、医大で不正がありましたから)。だから、きちんと期日までに出さなければならないし、決められたお金は払わなければならない。分納ができるところとできないところもありますし。学生の懐具合などを聞きながら、彼等のレベルに合う、希望に合うところを探してやっても、知り合いが言ったからとか、友達がいるからとかで、簡単に約束を覆されてしまうと、間に入った教員は立つ瀬がありません。

それでも、日本にいたいと言うから…で、面倒を見ているのに、自分のレベルに会わない学校の願書ばかり持ってくる人がいる。もちろん、受けるのは自由ですが、受験料もいるのです。自分のレベルがわからないと言うのが一番怖いですね。結局は日本語がわからないから、同国の知り合いに頼ってしまう。

本当に、順々巡りになって、とどのつまりは日本語がわからないから…ということになってしまうのでしょうね。

日々是好日

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気づかぬうちに、「菊」の花が咲いていました。

2018-11-07 08:17:26 | 日本語学校
曇り。

今日は昼頃、お日様がお顔を覗かせることもあるとか。昨日は夕方から雨の予定(?)が、午前から、既に本格的な雨。学生達は、洗濯物が…と、雨の様子ばかり伺って勉強に集中できません。「もう、諦めるべし」と言っても、特に大切なスポーツシューズを外に干してきたという学生は、「はあ…」とため息…。まあ、気持ちはわかりますけれども。

実は先々週の週末、「寒いな」と感じたのが、おそらくは風邪の引き始め。土日があるからどうにかなると踏んでいたのが運の尽き。結局、先週、二度も病院に厄介になってしまいました。これも、まだ本格的は冬ではないから、それほど大ごとになるまいと勝手な了見でいたのが間違いの元…でした、今から思えば。

先週は初めから、あと何日で土曜日と数えて、どうにかやっていたような毎日でした。私もマスク姿なら、クラスの学生も、5、6人は同じような姿。国から持って来た薬があるから…というのはもう通じませんね。やはり病院のお世話にならざるを得ないようです。

保険という概念があまりない国の人達に、健康保険に入ることを義務づけていても、大病になるまではわからないようで、それがなかなか厄介。もっとも、以前(今は、そういう人はあまり見受けられないのですが)など、「私は病気にならない。なんで私が金を払わねばならぬのだ。払わない」と言い張る中国人学生がいて処置なし。もうどうにもなりませんでした。

社会主義の国から来ているのに、どうしてこういう「助け合い」という「常識」が通用しないのかと納得がいかなかったのですが、これも、お国ぶりというか、国民性というか、結局は、教育なんでしょうね。学校などの社会教育のみならず、家庭教育でもそうだったのでしょう。「民度」云々ではないと思います。そう、言われて育ってきたからだったのでしょう。今では、「中国人学生も、日本ではこうだ」ということで、素直に払っているようですが。

他の国の学生では、払っていなかった(風邪をひいたり、何かの時に聞いているのですが)という人も、どうもアルバイトがなかったり、手元不如意であるという理由から、月々の支払いが滞っているだけのようです。保険を払っていないと、後で留学生という理由で安くなるという特典が無くなったり、専門学校に入る時や会社に就職する時に不利になったりするということが、ある程度わかってきているのでしょう。

さて、気づかぬうちに、学校でも「キク(菊)」の花が咲いていました。「ハギ(萩)」の花はまだのようですが、これも「立冬」だというのに、この暖かさですからね、しょうがないことなのかもしれません。とはいえ、きっともうすぐ「満目の秋」になることでしょう。今年はもしかしたら、「日本語能力試験」の後に、「紅葉狩り」ということになるかもしれません。

日々是好日
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