日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「留学生試験の申し込み」。「タンザニアのFさん」。

2009-02-27 07:40:14 | 日本語の授業
 今朝も雨です。乾燥した国に住む方々から見れば、羨ましい限りでしょうが、この時期、雨が降って、しかも、寒いとなりますと、少々辛いものがあります。

 さて、いよいよ「留学生試験」の「申し込み」が始まりました。去年の「七月生」とは、少しだけ授業時間を使い、一緒に「申込用紙」を埋めていくつもりです。

 しかしながら、「十月生」や、今年の「一月生」は、かなり不利ですね。まだ、「二級レベル」に、達していないのですから。

 学生達は、三ヶ月後の自分の「日本語のレベル」というものが、見えませんから、右往左往しています。あと三ヶ月ほど経てば、「十月生」は、今の「七月生」のレベルになっているはずですし、今年の「一月生」は、今の「十月生」のレベルになっているはずなのですが…。説明すれば、判ることは判るのですが、まずは「どうしょう」と思ってしまうのでしょう。

 わずか三ヶ月か、半年の差だけで、(この一年に二度の)試験の成績も随分違ってきます。勿論、中には、どれだけここにいても、同じだろうとしか思えない人も、いるにはいるのですが、大半は、「あと半年早く来ていれば」とか、「少なくとも、三ヶ月早かったら」と、悔やまれるような学生達なのです。日本語学校では、(就学生は)どんなに長くても、二年しか在籍できませんから、それはそれで、しょうがないことなのですが。

 特に、「非漢字圏」の学生は、ある程度の漢字をこなしていなければ、「読解」の指導は無理ですから、相当不利です。半年もいれば、かなり正確に、日本語を操れるようになるのですが、「読み」となりますと、問題を解くどころか、「目を通す」だけで、かなりの時間がかかってしまいます。

 「(自分の国に)日本語を教える所がない」という学生たちは、「ひらがな」はおろか、「日本に関する知識」も、「日本語について」も、真っ白な状態ですから、ますます大変です。一年か二年で大学を受験するというのは、英語が出来るということを差し引いても、やはり、かなりの努力を要します。なんと言っても、ここで「『あ』の、横棒の引き方」から学び始めるのですから。

 現在、「初級Ⅰ」クラスでは、毎日45分ほどを、復習の時間に割きながら、日々の授業を進めています。彼らは、既に一ヶ月と半分ほど、日本語を学んでいるわけなのですが、「動詞の活用」が入った頃から、特に復習は大切になってきます。教師の方も往々にして、「て形」や「ない形」に、気をとられ、「文の構造」を疎かにしがちになるのです。

 今、このクラスに、開講後、二週間ほどたってから、来日した、タンザニアのFさんがいます。各国には、それぞれの勉強方法があり、学校で机についているときだけが、「勉強」という国も少なくないのですが、日本では、「ひらがな」や「カタカナ」の導入こそ学校でしますが、覚えるのは「授業外」の自分の時間を使うというやり方をとっています。まず、これを判ってもらうことが、大切でした。

 Fさんも、初めは、椅子に座って、授業中に教師が「練習」と言った時だけ、練習していれば、それで事足れりと思っていたようでした。「ひらがな」だけは、それでも覚えられたのですが、なかなか「カタカナ」が覚えられなかったのです。授業時間だけで、大丈夫と思っていたのでしょうが、そう思い通りにいくはずもありません。だいたい、日本には「文字」が、三種類もあるということなども、彼女にしてみれば、「論外!」なのでしょう。一種類覚えておけば、それで「何とかなるはずだ」くらいに、思っていたのかもしれません。

 積極的に「カタカナ」の練習をしようとしない彼女に業を煮やして、「ひらがな」が、だいたい定着したと見られた頃、「土曜と日曜を利用して、『カタカナ』を覚えてきなさい」と、課題を与えました。すると、ちゃんと覚えてきたのです、一応ですが。彼女のようなタイプには手加減は無用ということなのでしょう。

 今では、形容詞の活用や、動詞の「て形」なども、皆と一緒に言えるようになっています。ある程度、日本語の語感が掴めておけば、これからの勉強も楽になるでしょう。

 ただ「長音」や「撥音便」「促音便」などは、うまくとれていないようです。が、これは、導入が終わってから、彼女が来たので、間に合わなかったのです。しかも、まず「ひらがな」「カタカナ」が、「書けて、読める」ようにならなければなりませんでしたから。

 けれども、これらは、春休みの「補講」で、どうにかなるでしょう。そうして、このクラスの人達が一緒に、「初級Ⅱ」のクラスに上がっていけることを、みんな願っているのです。

日々是好日
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「卒業したくない」おしゃまさん。「『日本語教育』だけでいいのか、日本語学校」。

2009-02-26 07:55:39 | 日本語の授業
 最近は、「『卒業文集』に載せるための作文」の最後の催促など、卒業に関することで、教師達がアタフタとしています。

 昨日は、卒業生、最後の一人が、「作文」を書き上げました。それをよくよく見てみると、大学受験の準備(の面接)の文章そのままなのです。聞いてみると、
「この通り(の気持ち)だから」

 それにしても、一生懸命だったのですね。よくぞ覚えてくれたと思います。彼女が、大学を受験した者のうち、最後に合格した一人でした。大学院は、まだ一人残っています。これは、しょうがないですね。試験が遅いのですから。卒業までに発表というわけには、いかないでしょう。

 そんなこんなで、卒業一色に塗られ始めている学校が、少し寂しくなったのでしょうか。おしゃまさんの一人が、帰りがけに、
「先生。私は卒業したくないです」
「?」
「ここがいいです。楽しいし、友達もたくさんいるし…」
「授業中、いつも、あんなに虐められているのに?(このクラスの学生達は、本当に元気がいいので、私たちは、いつも、いろいろなことを言ってからかっています)」
「ああ、ああ。あれはいいです。みんな同じです。勉強ですから、いいのです」

 それから、こうも言いました。
「大学へ行くのが、ちょっと怖いのです。この学校で、みんなと、楽しく勉強している方がいい…」

 日本へ来てから、やっと八ヶ月。それくらいで何を言うかとも思いましたが、たった八ヶ月しか過ぎていないからこそ、思わず、口をついて出た言葉なのかもしれません。最初は、(日本へ行くのが)とても不安だったとも言っていましたから。

 中国では、同郷の人達に、日本での辛い暮らしを事細かに聞いたと言っていました。その上、一昨年、北京に行ったときに(面接です)、いかに勉強が大変か、勉強とアルバイトの両立が大変かを、耳にたこができるほど、吹き込んでしまいましたから。そして、最後のトドメは「その覚悟があるなら、来なさい。ないなら、ここで、家族と楽しく暮らしていた方がいい」の一言でしたから。

 高校を卒業したばかりだった彼女は、彼女なりに小さな胸を痛めていたのでしょう。もしかしたら、私たちのことを、「怖いオニ」、この学校のことを、「オニの巣くっている場所」くらいに思っていたのかもしれません。

 ところが、来日して、この学校に来てみると、勉強は確かに大変だった。でも、同年齢の仲間もいる。他の国の人達と一緒に、「六義園」や「鎌倉」へ行き、「日本の文化」の一端に触れることもできた。その上、「ディズニーランド」や「メディア芸術際」などを通して、「日本式経営」や「新しい芸術」も体験できた。今まで経験したことのなかった様々なことを、楽しみながら勉強できたわけです。

 これまでに、たとえ、わずか8か月であろうと、教室での勉強だけでは得られないものを友達と、遊ぶような気持ちで、体験できたのですから、それなりに充実感はあったのでしょう。

 この学校を出たくない。最初の目的であった「大学」へ行くのが怖いというのも、わかります。もし、これからの勉強も、このようなものであったなら。

 けれども、本当は、違うのです。これからの勉強が、いわゆる「大学へ行くための、本当の勉強」なのです。まず、(大学へ行くための)最低レベルの「一級」までは、「言語」の勉強でしかありません。これも、大変なのは大変なのですが、言語という一分野の学習にしか過ぎないのです。

 今は、まだ、「一級」レベルに達していないので、私たちも、本当の「(学ぶ上での)怖さ」を彼らに見せるわけには行かないのです。まだまだ、「日本語は楽しい」で終わっていてもしょうがないのです。「今日は、新しい文法を学んだ。いろいろな単語を覚えた。よかった。よかった」で、いいレベルなのです、まだ今は。正直な話、「一級」レベルの文法や単語が入っていなければ、何を語っても、何を読んでも、正確には判らないのです。

 今年の6月には、「留学生試験」、そして、7月には「日本語能力試験(一級と二級)」があります。去年の7月に来た「Bクラス」のおしゃまさん達は、予定では、「留学生試験」と「日本語能力試験(一級)」を受ける事になります。

 それからは、一応、普通の日本語がある程度は解ると言うことで、「日本文学(含『古典』の一部)」や「新聞の論説」、あるいはDVDを用いて「歴史」「経済」「政治」なども学んでいかなければなりません。母国で、あまりそれらの知識を入れられていない彼女たちにとっても、これからが、正念場なのです。そういう知識を、「『日本』で『仕入れ』」なければならないのです。

 大学生活の四年間というのは、人間が、自己を確立していく上で、非常に大きなパーセンテージを占めます。日本では、この四年間を、ある意味では、非常に自由に過ごせるわけです。東京という、世界に開かれた近代都市にいれば、様々なものに触れる機会も、自然に増えていきます。

 そのような日本での生活の「とば口」を、この学校がしているわけです。「日本の歴史や文化」だけでもだめなのです。なぜなら、日本は「過去の歴史」だけに、目を向けて生きている国ではないからです。「今」や「未来」だけでもだめなのです。日本の「拠って立つ所の歴史」を知らねば、何事も自分で判断できないからです。日本の歴史の、わずか「10年」か「20年」を知っているだけで、鬼の首でも取ったように、喚くような「知日家」には、なって欲しくないからです。

 私は、(特に中国から来た大卒の学生に)言うのですが(なぜなら、高等教育の中で「反日教育」というのがしっかり根付いていると思われる部分が、少なくないからです)、
「『親日家』になる必要は、全くない。それは自然に任せた方がいい。しかし、『知日家』にはなって欲しい。一定期間を日本で過ごし、しかも、『日本語学校』で、『一級』レベルにまで行った者なら、それは、出来るはずだ」。

 しかしながら、高校を卒業して直ぐ日本に来た人達には、それは、言いません。彼らは、それほどの先入観も持たずに、あるがままの日本を自分の目で見、自分で判断し、そして己が道を定めることができるでしょうから。そして、そのための「手伝い」を、私たちはしているのですから。(勿論、「一級レベル」で、終わる学生もいます。中には、それに達せない学生もいます。けれど、大学に行く前の、半年、乃至一年を、既に一級レベルに達していて、この学校で授業を受けることができたら、私たちも、それより上のかなりのものを教えることができるのです。そうすれば、大学へ行っても、大学院へ行っても、「無知故の恥ずかしさ」を、あまり味わわずに済むのですが。実を言うと、そのための準備は、早くからしてきました。しかし、なかなか学生が揃わなかったのです)

 日本で放送されてきた「ドキュメンタリー」は、欧米の記録なども、多く含まれ、日本の記録だけに基づいて、編集されたものではありません。「他者の目」も光っているのです。自分の国だけで作ったら、単なる「プロパガンダ」映画になるでしょうが、そこは既に「歴史」としか呼びようのない、「時間」という「神の手」が入っています。どこの国で放送されても、「事実ではない」と言うことができる人はいないでしょう。「私が習ったのとは違う」という人はいるでしょうが。

日々是好日
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「花粉症」。

2009-02-25 07:43:16 | 日本語の授業
 どうも、このごろの季節は、体調管理が難しい。「北風小僧の寒太郎さん」がウロウロしているかと思えば、「冬将軍」がやってきて、ドーンと鎮座ましますし、その上、「杉花粉」まで、風に飛ばされて、ばらまかれているのですから、「体調管理」なんのかのと、全くにっちもさっちも行かぬような状態になっています。

 そんな中、足の治療で、埼玉県の久喜市まで行ってきました。それほど遠いところではない…はずなのに、そこは、寒かったとしか言いようがありません。こんなにも気温が違うものかと驚嘆してしまいました。鷲宮駅を下りて、歩きながら、ふと見れば、(そこでは昨晩雨が降ったらしく)水たまりに氷まで浮いているのです。氷を見ただけで、なにやらゾクゾクとしてきました。

鷲宮神社


 治療が終わったあと、せっかくここまで来たのだからと、近くの「鷲宮神社」へお参りに行ってみることにしました。そこは、静かで、余計なものがなく、シンプルな神社と聞きました。

 ところが、行ってみると、今風の若者が、ブンブンとバイクを鳴らしながら、やって来ているではありませんか。若者、しかも、男性が多く、どこか場違いな感じがいたしました。が、まあ、いいやと、お宮の中を一巡し、それなりに鄙びな風情を味わい、さて、戻ろうと鳥居の方に向かいますと、なんと、そこには、それこそ「神社」に似つかわしくないような「叔父さんの団体」さんが、「信心」とは別の様相で、絵馬なんかをチェックしているではありませんか。

 全く、「何がなにやら判らない」と言うような有様でした。聞くところによると、漫画やアニメに、この神社が登場していたというのです。それから、若者がよく来るようになり、経済効果がかなりあったとか。それを聞いて、こういう参拝客ならぬ、お客様が増えたと言うのです。

 ここには、幾柱もの神様が祀られており、(天照大神まで祀られていたのには驚きましたが)、こじんまりとして、余計な装飾もなく、武術の神様と言うことで、黒のイメージが似つかわしい、いい所なのですが、若者はともかくとして、例の団体さんには、どことなく「銅臭」が、漂ってくるようで、ちょっと嫌な感じがしましたね。結局は「桑原、桑原」です。

 そして、その、退散するときに、気がついたのです。杉の大木があることに。

 迂闊でした。神社にはたいてい杉がある。しかも、どのような事があろうと、みな神罰を畏れて、神域のものには手をつけない。ですから、当然、大木になる。ああ、少し考えれば、誰にでもわかることです。しかも、今は、2月。杉が花粉を飛ばす頃です。おそるおそる梢の方を窺ってみますと、やはり、きれいなオレンジ色になっている。しかも、その日は、運悪く、食後に飲むように言われていた薬も、飲むのを忘れていた…。

 と言うわけで、帰宅直後から日曜日の朝にかけて、悲惨でした。頭は痛くなるやら、くしゃみは続くやら。で、また、病院に駆け込み、何かの時用にと、強い薬までもらう始末。本当に馬鹿なことをいたしました。

こんな「花粉症」の話をすると、「上のクラス」などでは、笑う学生さえいます。

「先生。中国にはありません」
「杉がないからです」
「それだけではありません」
と言って、にやりと笑う。嫌な笑いです。
「日本人の問題です」

 どうして、二十歳になったばかりの女の子がこんなことまで知っているのだろうと、不思議に思いましたが、思わず、以前、日本人客だけが罹ったという観光地での「伝染病騒ぎ」を思い出してしまいました。

 何にでも、「清潔に、清潔に」と、病的なまで「神経質」になりすぎた日本社会が生み出した「病気」と、彼女は言いたかったのでしょう。勿論、それはそうです。「ホコリアレルギー」や「花粉症(主に杉花粉)」などが騒がれ始めたのも、高度経済成長が始まってからでした。

 それに、「一山、すべてを杉」にするなんて、戦前は、杉の産地以外には考えられないことでした。杉は育ちもはやく、真っ直ぐに伸びるので、建築材としてもいいと聞いたことがあります。敗戦後の住宅難の頃、フィリピンなどからラワン材が運ばれてくるまでは、建築材として杉は重宝されたものです。しかし、そのブームも終わり、安い外材が、どんどん輸入されてくると、杉は厄介者扱いされることになってしまいました。そして、山は荒れ、安住の地を失った杉が、最後の力を振り絞って人間に仕返しをしているのかもしれません。今は、「花粉の飛ばない」杉の開発がどんどん進んでいると言われていますし。

悔しいので、学生には、
「何年か、日本にいれば、日本人と同じように、花粉症になるかもよ」
と言って脅すことにしていますが。

日々是好日
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「『卒業文集用作文』の催促」。「『二級』『三級』レベルテスト」。「『一時帰国』が不利の理由」。

2009-02-24 07:46:45 | 日本語の授業
 今日のお天気は、まるで「冬将軍」が居座っていた頃と同じ、冬に逆戻りしてしまっています。寒いのです。風はないのですが、空気は冷たい。しかも、お昼には、雨まで降ると言いますから、「これは、これは」と用心が肝要です。寒さに弱い人達は、やっとゆるゆると寒さに慣れ、しかも、これからは、暖かくなるだろうと思っていたことでしょう。ところが、バーンと一転して冬ですから、内心「勘弁してよ」というところなのかもしれません。風邪引きさんも出ているようです。

 さて、「卒業文集」のための、作文を提出せねばならぬというのに、「まだ」という輩が何名かいます。昨日は、一人一人押さえに参りました。

 L「書いた。書いた。でも、また、新しいのを書いた。」
と言って、新しいのを差し出す輩(既に学校で、書いてはいたのです)。
「書いていたのなら、なぜ、先に出さぬ」。
「先生が言わなかったから」。
「先生が、出せと言わなかったら、ずっと出さぬつもりか」
「うん」。
で、ゴツン。

 また、
A「書きました。でも、絵は半分しか描いていません。明日出します」
こういえば、敵も手は出せまいというところでしょうか。
T「先生、足りませんでした。用紙をもう一枚ください」
とシラッとして言う輩。言えるだけ、まあ、立派です。
C「はい。はい。はい」
この後も、まだ「はい。はい」を数度となく繰り返し、なぜかそれで、何となく無罪放免の雰囲気にさせてしまうのですから、敵もさるもの。
T「(人の影に隠れるようにして)う~ん。先生。書けない」
「書けない」といいながら、遊んでもらおうという魂胆ありありです。

 しかし、十人十色ですね。よく、いろいろと考えつくものです。

 毎日のように遅刻してくる「Bクラス」のSさん、最初はその都度、「いいわけ」がありました。しかし、最近は「ネタ切れ」状態が続いているようです。

 こっそりとドアを開け、うつむき加減に入ってくる。それでも、こちらの様子を窺いながら、「個表」を、そっと前の席の学生に渡すのです。それから、後ずさりしながら、自分の席に着く。このパターンが定着しつつあります。しかし、その彼の代わりに、他の学生が、彼のいいわけを考えて、大声で言ってやります。

「Sさん、Sさん。今日は、電車が遅れました」
「今日は、財布を忘れました」
「今日は、出かけるときに、急に電話がありました。」
「ああ、今日は、朝、とても大変でした」

 これらは、かつて、彼が、用いた「言い訳」の数々です。とはいうものの、在日生の彼。遅刻しながらも、よく勉強を続けられるものです。課外学習になると、俄然、「水を得た魚」のようになるのですが。でも、それは、多くても一ヶ月に一回、運が悪ければ、二ヶ月に一回ぐらいしかありません…。

 ところで、昨日は、「教科書」が「中級から上級へ(『Bクラス』)」、「初級から中級へ(『CDクラス』)」へ変わるため、「Bクラス(だいたい10か月から8か月くらいの勉強です)」と「CDクラス(だいたい8か月から5か月くらいの勉強です)」で、それぞれ、「二級」レベルと「三級」レベルの「日本語の試験」をいたしました。「Cクラス」は、参加した学生のうち、問題になるものはなし。皆「三級」は合格。

 しかし、「Bクラス」は、随分差がでていました。「二級テスト」ともなると、難しいのでしょう。

 まず、「漢字圏」と「非漢字圏」の差、それから、去年の12月に「日本語能力試験(2級)」を受けた者と受けていない者の差。無理かもしれませんが、やはり受けた方がいいのです。これは、今までの、自分たちの経験からも言えることです。絶対に、受けた方がいい。

 人は弱いもので、強制されないと、(いくらいいと判っていても)頑張れないことがあります。勿論、受験料がかかるので、就学生以外は、強制は出来ないのですが、そんな時、肩や背を押してやるのも、教師の仕事の一つです。ただ、(試験の)申し込みが終わってから、この学校に来た学生には、それをしてやることが出来ませんでした。

 一度、自分なりに、「二級文法」に目を通した学生と、学校で授業中に習ったものだけしか見ていない学生との差は、(試験結果に)如実に現れてきます。

 それから、もう一つ付け加えると、中国人学生で、一時帰国した者と、ずっと日本にいた者(つまり、12月のぎりぎりまで授業に出、1月の最初から勉強を続けていた者です)との差です。

 中国人とはいえ、この差も大きい。私たちは原則として、一時帰国を許しません。もっとも、就学生はそうできるのですが、在日の方は、ビザが家族滞在のものですから、私たちもそれを強制することができないのです。すると、帰国中に、ガクンと(日本語の)学力、及び能力は落ちてしまいます。戻ったときには、ヒヤリングだけでなく、文法からすべての面で落ちてしまっており、「こんなはずじゃなかった」という悲哀を味わうことになります。

 もし、「(一級)試験合格」だけが目的なら、たとえ、辛くとも、一年間、帰国せずに頑張って欲しい。日本語の定着なんてものは、彼らが日本の会社で働き始めれば、すぐについてきます。

 ただ、就学生は、長丁場になります。一年から二年にかけて、目的は、大学、ないしは大学院なのですから。しかも、「これでいい」という限界はありません。「一級程度」で終われるのなら、半年くらいで、そのレベルに達する者もいますから、それでいいのですが、限りなく、満点、つまり400点に近づこうとすると、なかなかに大変なことです。

 その上、彼らには「留学生試験」という、ある意味では、「一級試験」などよりも、もっと知識や能力が必要とされる試験を受けなければなりませんから、この学校にいる間は、ぎりぎりまで頑張ってもらうということになります。

 短期間なりとも、一旦、帰国すれば、囓り始めた日本語が、影も形もなくなってしまうのです。帰国したいという学生は、
「そんなことはない。わずか一週間くらいのことだ」
と思いもし、口にもするのですが、この一週間分(帰国分)を取り戻すのは、なかなかに難しい。大半の学生は、このきつさに耐えられるほど、強くはないのです。一度でも躓いたら、もうそれで終わりです。こんなことは、彼らが自分の国で、「嫌になるくらい」経験していることだと思うのですが。そして、ご両親もそれを判っていると思うのですが。

 一時帰国を云々される親御さんには、こう言いたい。

 「せっかく親から離すつもりで出されたわけですから、わずか一年か二年くらいは、放っておいていただきたい」。

 しかも、帰国するときに、彼らは「手ぶらで」帰れるはずはないのです。一年なり、半年なり、アルバイトと勉強と、苦労した分が、それで、パアになるのです。日本でアルバイトするというのは、それほど楽なことではないのです。

日々是好日
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「『季語』のイメージ」。「なぜ日本語を学ぶのか」。

2009-02-23 07:53:52 | 日本語の授業
 今朝も雨。春が近づいているからなのでしょうか。しとしとと降り続いています。歩いているうちに、傘に当たる音がだんだんか細くなってきました。小糠雨に変わったのかな。

 子供の頃、新国劇の月形半平太の台詞、
「春雨じゃ。濡れて参ろう。」
というのが、流行りました。が、まだまだ、濡れて参るには、冷たい雨です。

槇の葉

 
 「村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に 霧立ち上る 秋の夕ぐれ」(寂連法師)

 昔、「霧」は、秋の「季語」であり、「春の雨」には、用いてはならぬと言われました。その頃は生意気盛りでしたから、「どちらでも同じじゃないか。構うまい」などと考えていましたが、こうやって年を経てくると、「霧」が秋の情景を表す言葉であるからこそ、見えてくるものがあるのだということに気づかされます。

 この、「ひらがな」にすれば、わずか「二文字」。それだけで、後から後からとイメージが湧いてくるのです。「霧」に託した「古人が見た景色」、そして、「古人の思い」。それと重なり合う「私自身の思いと情景」。

 それらは、「霧」を、もし、「秋」に制限していなければ、失われていたかもしれません。おそらく、これは、「制限」を加えることによって、より豊富になったという「言葉」のいい例なのでしょう。

 というわけで、この雨は、どう足掻いたところで、「霧」と呼ぶわけには行かないのです。

 さて、この学校には、就学生の他に、この近辺に住んでいる外国の方が多く勉強に来られています。御主人の都合で日本に来られ、ついでに、生活するのに不便だからと、日本語を学ぼうという人も入れば、日本人と結婚して日本へ来たという人もいます。

 表面的には様々ですが、日本も不景気になってくると、最初に職を失うのは、日本語ができない人ということになってきます。

 こういう人の中に、就学生として日本へ来て、日本へ来てまもなく、日本人と結婚したという弟を持っている女性がいます。彼女も、夫が日本人です。来日五年目で初めて日本語を学ぶというわけで、頑張っていますので、それはそれなりにすばらしいことだと思います、が…。

 こういう言い方をすると、ちょっと、高見からの不見識な偏見とお思いになる方もいるのかもしれませんが、早い時期に学校と縁がなくなり、机の上での作業から解放されていますと、長い時が経ってから、また、それを再開するというのは、なかなかもって簡単な事ではないのです。

 普通は、五年もいれば、ヒアリング力はかなりついています。正確に理解できていなくとも、相手の表情を見たり、そこは何年かいる間に培われた勘とでもいいましょうか、そんなものがついています。しかしながら、それだけでは足りないのです。正確に日本語が理解できる人と比べて、様々なところで不利益を被ってしまいます。

 来日直後は気がつかなくとも、ある程度日本にいれば、「どうして私の時給はこれだけなのに、同じような仕事をしているあの人の時給は、自分よりも高いのだろう」という不満も出てきます。

 日本は「年功序列社会」で、「能力」を問わないということを、よく聞きますが、それは、日本がある程度「均質社会」で、たいていの人が、「当たり前の事は判るし、できる」という前提の下での事なのです。

 日本にいて、日本語ができなければ、不利益を被るのは、誰が考えても当たり前の事です。けれども、それを、こういう人達に理解させるのは、なかなかに難しいのです。なんとなれば、
「私たちは、同じ人間だ。同じ仕事をしている。だから、給料も同じはずだ」
という、理屈が彼らの心に根深く巣くっているからです。

 日本人は、「勤続年数」を重んじます。そこでがんばったということと、同じところにいるので、今更説明をしなくとも、仕事をてきぱきと片付けられるということを考えるからなのです。

 「一から十まで説明しなくてはならない。しかも、何か問題が起こったときに、説明してもきちんと理解できない」となれば、雇う側にとっても、大変です。それならば、少しでも日本語ができる方を雇いたくなるのが人情でしょう。

 弟が、会社を辞めさせられたと嘆いている彼女に、「弟さんの日本語のレベルは」と聞くと、「自分と同じくらい」という答え(これは『初級Ⅰ』の前半ということになります)。「それだから、中国人だけの会社でしか働けないのだ」と言うと、「社長は日本人だ」と答えます。「けれども、社員はみんな中国人だ」とも言うのです。

 日本語も出来ない。学歴もない。あるのは、結婚した相手が日本人だというだけ。これでは、多分、一番最初に、リストラに遭うだろうというのは、誰にでも想像がつくことです。

 けれども、彼女には納得できないのです。

 すると、そばにいた中国人学生が二人。「中国でもそうだ」と助け船を出してくれました。二人とも、大学を出ています。
「今時、大学を出ても、仕事がない人が山ほどいる。中国でもそうなのに、ここは外国だ。何年いようと言葉が話せなくて、しかも、学歴も技術もなければ、だれが必要と言ってくれる」
と、言ってくれたのです

 それで、彼女も、私に愚痴るのを(本当は、弟さんの会社の社長の非難から始まったのですが、いつの間にか、日本はひどい。日本は不景気だ。日本は貧しくなったという具合に話が飛んでいたのです)やめてくれました。彼女に同調する中国人がいなかったからです。

 ほんの10年か20年ほど前までは、彼女と同じような人がたくさんいました。説明しても判らないし、判らないだろうから言っても無駄だと黙っていると、ヒステリーを起こすという人が少なくなかったのです。その上、そういう人が大半を占めているわけですから、勢い、それが、「皆の意見」という具合になってきます。

 けれども、今では中国も変わりました。まず何よりも豊かになったのです。しかも、富むためには何が必要なのかが、判る人が増えてきたのです。才能や才覚も必要ですが、まず、大切なのは、知識や技術であり、それを身につけなければならないということが判ってきたのです。そのためには、どこで学べばいいか。

 しかし、そこで躓いてしまうのです。国で、「自分たちの国はすごいのだ」と教え込まれているので、目に霧がかかっていて、現実が見えないのです。せっかくそれを学べるところにいても、その価値が判らなければ、無意味だと思うのですけれど…。

日々是好日
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「漢字が好き」。「(日本語の)文章を読めるようになる」まで。

2009-02-20 08:43:04 | 日本語の授業
 静かに雨が降っています。一雨ごとに、春が近づいているような、そんなウキウキした気持ちにさえ、なってきます。けれども、木々が若やぎを見せてくれるのは、まだ一ヶ月以上も先のことでしょう。

 俳句では、よく「水ぬるむ」という言葉が使われています。が、この感覚は、「(江戸時代に『江戸』の町で用いられた水道水というものではなく)近代的な水道水」が普及するようになってからも、あまり薄れてはいないようです。なにかの拍子にふと思い出すような、そんな懐かしささえ伴う「水ぬるむ」なのです。

 さて、学校です。

 「初級Ⅰ」のクラスの、インド人のLさんと、ガーナ人のKさんの二人は、漢字にあまり抵抗感を持っていないようです。Kさんは、
「私は漢字が好き。」
「漢字は、大丈夫」
「『山』でしょう。『年』でしょう」
と、いかにもうれしそうに書いてくれます。

 Lさんは、叔父さんめいた顰めっ面(何かを考えているときの、彼の癖です)をしながら、「二級漢字表」を見つめて、
「大丈夫」
と請け合います。

 けれども、これは「四級漢字」の、その入り口をちょっと囓っただけだから、言えるような台詞。「三級漢字」までなら、ナントカできても、そのあとに「中級」に進み、文章の中で漢字を捉えなければならなくなった時に、言える言葉ではないのです。

 「漢字の国」、中国では、聞いただけで漢字を見事に書いてみせる「非漢字圏」の学生が、少なからずいましたが、それは、中国語では、「音」と「漢字」、そして、「その意味」が、ある程度一定なので出来ること。日本語では、そうはいきません。

 日本語には、「ひらがな」「カタカナ」と「漢字」、そのまた「漢字の読み」が何通りもあり、その上、「漢字の読み」には「送りがな」までつけなければならないのです。日本の「文字」を自由に使いこなし、その上、「読み」までしてのけるというのは、なかなか出来ることではありません。日本語で書かれた文章には、「表音文字」と「表意文字」が、自由自在にちりばめられているのです。

 今だけ言える、彼らの、その台詞を、私たちは、いつも「ニコニコ」しながら、聞いています。「四級漢字」を学び始めた頃には、「非漢字圏」の学生は、皆そう言います。それから、「日曜日」という言葉が、「初級」の教科書に出てきた時、
「え?これは『ニチ』、『ビ』どっち?どっちもいいです????」
と引っかかり、だんだん、難しいと頭を抱えるということになるのです。

 これは、「書く」のが難しいと言うだけではありません。同じ字なのに、幾通りもの「読み方」があり、「いつ」、「どういう読み」をしたらいいのかが、勉強を始めたばかりの学生には、判断がつかないのです。

 本来、日本語に使われている「ひらがな」「カタカナ」「漢字」の本当の難しさは、「読む」ところにあると思われます。けれども、「読める」だけでもだめなのです。目的は「わかる」ところにあるのですから。

 まず、漢字を書いて「覚えた」とします。それから、いろいろに変化する「読み」も習得したとします。けれども、文章を読んで、その文章の意味が判るようになるには、まだまだ道は遠いのです。

 「非漢字圏」の人は、ほぼ完璧に近い形で話せるようになって、それから初めて、漢字を含んだ「文章の意味」が、ある程度「とれる」ようになると思われます。

 以前、中国人と一緒に「上級」の授業に参加でき、同じくらいディクテーションで漢字も書けたし、文章も流暢に読めたという「非漢字圏」の学生がいましたが、それでも、文章を読んで意味を捉えるのは、至難の業だったようです。

 一斉授業の時には、こちらも、つい表面的なことに気を取られて、彼女が理解していなかったのに気がつきませんでした。そのあと、大学受験まで、日本人用の受験問題集を使って、個別指導を一ヶ月余りしたのですが、その時に、初めて「非漢字圏」の人と、「漢字圏」の人の、「日本語の理解のレベル」の違いに気がついたのです。全く迂闊なことでした。

 それからは、彼女のようなタイプは現れていませんので、何とも言えませんが、それ以降、「非漢字圏」の学生を教えるときの要領が少し、身についたような気がします。

 漢字だけ「書けても」だめなのです。文章だけスラスラ「読めても」だめなのです。

 それまでにも、日本で、中学校を卒業した。けれども、高校受験に失敗したという日系の「非漢字系」の少年や少女を見かけたことがありました。「中学校」の教科書を読ませてみると、ほぼ日本人と同じくらいにうまく読めるのです。けれど「指示語」や「文意」などを聞いてみると、口を濁すか、あるいは、横を向いてごまかそうとするのです。

 淀みなく読めるのにも関わらず、なのです。

 勿論、学習対象者が、子供か、あるいは既に成人に達しているかでも、違いはありますが、読めるからと言って、直ぐに理解していると決めてかかるのは、早計です。

 とは言うものの、「就学生」について考えれば、こういうレベルは、既に母国で「日本語能力試験(2級)」や「日本語能力試験(三級)」を取ってから日本へ来た人のこと。ほとんどの学生達には関係ありません。

 そういう、大半の学生達には、「漢字」にため息をつき始める前に、できるだけ「三級漢字」を定着させておく、私たちはそれだけを考えています。 

日々是好日
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「人と犬との思いやり」。「自習室で」。「日本の学校の方がいい?」。

2009-02-19 07:59:01 | 日本語の授業

ラブラドール

 朝の出勤時に、よく出会う「人」と「犬」がいます。年老いた女性と二匹のラブラドールです。一匹は、女性と共に年を重ねてきたのでしょう。足元もおぼつかなげに、とぼとぼと歩いています。そして、時々立ち止まっては、女性を見つめるのです。女性も微笑みながら見つめ返します。見つめられることで安心するのでしょうか、また、ゆっくりと歩み始めます。

 若い方は、多分その子供なのでしょう。若さ一杯で、毛づやもよく、全身がキラキラと黒光りしています。本当は、一人と一匹をおいて、駆け回りたいくらいなのでしょう。が、(一人と一匹に遠慮して)彼らの様子を、チラリチラリと窺いながら、気負い立つ自分を抑えているように見受けられます。

 こういう様子を見ていると、ラブラドールが盲導犬にむいているというのが、よく判ります。互いを気遣うことが出来るというのは、簡単なようでいて、なかなか出来ることではありません。況してや、力が溢れている頃においては。

 さて、学校です。

 昨日は、自習室の模様替えでした。それで、「他の教室に移って」の「自習」だったのですが、私もこの(彼らが移った)教室に用事があり、幾度か「訪問」しなければなりませんでした。ところが、行く度に、
「先生、うるさいです」
と、一言居士。

 みんなが、静かに勉強していた時には、
「ごめんね。ちょっと失礼します」
とでも言いましょうが、

 話に花を咲かせていた時には、
「先生、うるさいです」
などと、言われようものなら、
「うるさいのは、どっちだ。私は用事があるんだ。プン、プン」
すると、ちょっとひるんで、
「じゃあ、許してあげます」

 本当に、どちらがどちらなのやら、判らなくなってしまいそうです。
その上、あろう事か、私が宿題のプリントを採点して直ぐに、持って行って渡すと、
「え!もう、見たんですか。速いです。よく見たんですか」
と、疑わしげに言う。

 私もムッ。(こいつめ、内心、私を来させたくないんだなと)横目でジロリ。そして、
「私が、日本人だと言うことを忘れているな。」
と、ゴツン(これは、私の手が、その子の頭を、少々擦った時の音です)。
「わあ。いた~い。(ホントは痛くないのに)」
「痛いじゃない。プン。プン」

 まるで、子供同士の喧嘩です。

 一昨日からは、この「自習組」から、三、四名、午後の「中級クラス」へ「出張」し始めましたので、自習室が少し、広く感じられるようになりました。残っている者も、去年の7月に来た学生達と、(その前に他の日本語学校から転校してきた)台湾から来たKさんくらい。Kさんも、「中級のヒアリング」の授業は出ていなかったので、聞きたいと言います。となると、今日から、午後の3時頃にKさんも、下の教室へ行くということになります。

 昨日、4時半頃だったでしょうか。自習室を覗きにいくと、中国から来た、おしゃまさんの一人が、急に、
「先生、やはり、日本の教育のほうがいい」

 私はちょっと驚いてしまいました。彼女は、いわゆる秀才タイプで、頭もいいし、努力もする。その上、高校卒業後、直ぐに日本へ来たので、「考」受験、そのままのノリで、今、日本語を勉強しているという状態なのです。

 その理由を聞くと、
「先生、日本の学校では、料理も教えてくれる。ね。そうでしょう」
と言う。

 「料理を教えてくれる」から、日本の教育のほうがいいというわけでもありますまいが、
「中国の学校は、勉強、勉強、勉強だけ。あと何もしない」
だから、「考」に失敗して、日本に来たばかりの頃、物凄く暗い顔をしていたのでしょう。それしかなかったわけだから。お母さんも「失敗した、失敗した」と、おらび回っていましたし。と言っても、彼女の成績は、500点には至らなかったとはいえ、悪いと言うほどでもないのです。

 「でも、体育はあったでしょう」
と聞くと、
「あったけれど、『体育』の時間は、自由だったから、みんな、直ぐに教室へ行って勉強する。スポーツをする人は、スポーツだけ。勉強しない。勉強する人は勉強だけ。『体育』はしない」
「へ!?」
「だから、バスケットボールもバレーボールも何も出来ない。日本人はみんな出来る。先生、恥ずかしいよ。どうしよう。何も出来ない」

「日本では、大学でも教えてくれるから…(まさか、大丈夫とまでは言えませんでした。日本では、小学校、中学校、高校と、体育は系統的に勉強しています。いくら頭がよくても、スポーツを楽しめなかったり、身体が弱かったりすると、人生の半分を失ったような気がするくらいです)。」

 多分、まだ、中国では「全人的な教育」という「教育理念」が根付いていないのでしょう。もっとも、形はどうであれ、「体育」という科目があるだけ、マシなのかもしれません。「学校教育」の中において、女子には、「体育」という科目さえない国があるのですから。

 日本では、「文官」、「武官」と分かれた、制度は千年も前に終わりました。「さむらい」が両方を兼ねなければならなかったのです。まず、「武」で、身体を鍛えることから始め、それから「文」を学ぶ。

 中国のように「科挙」で、徹底的に、暗記、暗記で締め上げられ、暗記して「文」を極め(?)というようなことはありませんでした。ご先祖様に感謝しなければいけませんね。それに、中国では、「文」に比べ、「武」は、数段下のレベル(?)のものとして、見なされてきたと聞いています。

 日本では、まず、身体です。身体作りが、何よりも大切とされます。「スポーツ」の成績がいい小学校や中学校は、「国語」「算数」「理科」「社会」の成績もいいというのが日本の常識です。また、そうでなくとも、日本人には、「そうであらねばならぬ」という、一種の「信仰」めいたものがあります。ですから、いくら「成績」がよくても、「スポーツ」ができな小学生や中学生が、コンプレックスに悩むということも少なくないのです。

 でも、まあ、いいでしょう。日本の大学で、スポーツを楽しんでください。男の子達は女の子に優しいので、喜んでスポーツの手ほどきをしてくれるでしょうし、会社に入っても、みんなで、合宿するときには、必ずと言っていいほど、何かのスポーツ施設の有無が条件に入っています。楽しむくらいは、直ぐ出来るようになるでしょう。

 今は苦しいけれど、まだ「その楽しみ」を味わったことのないあなたには、「これから、それを楽しむことが出来るという『特権』」がある。つまり、これからの楽しみが増えたのです。よかったね。

日々是好日
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「人に心を寄せずして、何に心を寄せるべき」。「『中級』から『上級』へ。『初級Ⅱ』から『中級』へ」。

2009-02-18 07:42:32 | 日本語の授業
 今朝は、穏やかに明けています。昨日は寒風の中を、風に負けまいと、必死にペダルを漕いでいたのですが、今日はもう、うって変わって、一輪の月を、横目に見ながらの、悠々のサイクリング。

 月の位置も変わります。しかし、見事ですね。お月様はどこから見ても同じ上弦の月。始めは左方向、45度の角度。左に曲がって、次は前方50度くらいの角度。「お月さんと共に走るなんぞ、優雅やな」とうそぶいているうちに、なぜか俗界に戻ってしまいました。

 視線が、月から人間へと移ってしまったのです。だめですね。まだまだ、俗気が抜けません。

 人というものは、まさに「おもしろや~、おもしろや~」の世界です。自分も同種のヒトであるからには、「ヒトに心を寄せずして、何に心を寄せるべき」です、まさに。

 ヒトというものは、本当に面白い。また、動物の一種であるからでしょうが、動物的な行動もとる。ある人は、虎に似、またある人は、ウサギに似たりもする。

 例えば、今日の横断歩道です。ここは、きっちりとクロスしているのですが、信号が、チカチカと赤い瞬きを始めると、途端に「突撃隊」に変身する人がいるのです。

 まず、一番手は「自転車組」です。横断歩道に至るまでは、姿勢を低くして、弾丸のように、ビュンビュンに飛ばしていきます。ところが、目的地に着くと、途端に、姿勢を起こし、後は流れのままに身を任せていきます。

 二番手は、あろう事か、「ペンギン組」です。今にも海に飛び込みそうな姿勢で駆けてきます。身体の至らないところは、首で至らせるとでもいうのでしょうか、首をぐっと前傾させ、ああ、まるでペンギンさんです。「あっ!飛び込んだ!」で、横断歩道に入ってしまうと、後は大手を振って、もとの「タラタラ歩き」になってしまいます。

 このような様子を見ているのは、私だけではないでしょう。それに「羨ましくも 覗く」お月様の存在もあります。彼女がどう考えているのかはわかりませんが、おぞましくも、愛しい「下界」の様子は、そのまま鏡のような月の面に映り、永遠の「記憶」となっていくのかもしれません。

 さて、俗事に戻ります。「日本語能力試験」の成績が、学校に届いてから、二日目になりました。学校を経由した「成績」を、ほとんどの学生に手渡すことができました。

 本当に人は面白い。心の裡が、よく「顔に書いてある」と言われるほどに、すぐ表情に出てしまう人がいますが、そういう「ボンボン」の一人に、インド人のAさんがいます。同じように合格していても、他者の点数を見るまでは、なぜか常に自分が一番だと思ってしまえる、Aさん。今回は、ちょっと不幸でした。合格していて、月曜日は、彼曰く「超うれしい」状態だったのですが、病気で休んでいたTさんが、火曜日に来てからは、ガクンとトーンが落ちてしまいました。なぜかと言えば、簡単な事、Tさんの方が点数が上だったのです。

 月曜日は、浮かれて、騒ぎ回っていました。だれかが「(合格通知を)見せて」と言おうものなら、大喜びで(手渡して)見せていました。それどころか、自分から、「ねえ。見たい?見たい?」「いや。見たくない」と言っても、「う~ん、見たいでしょう」と言って憚らなかったのに、(Tさんの点数を)知ってからは、「いや。見せない。なくなった」と、手にしているのは明らかなのに、(見せるのを)拒否するのです。本当にわかりやすい男です。

 今週から、「初級Ⅱ」のクラスが、「中級」に入ったこともあり、このクラスの受講生が増えました。「上級」に入ったクラスから、四名が「『中級』を受けたい」と言って来ました(彼らも、いわゆる「飛び級」です。ただ「中級」の始めの部分は勉強していません)し、いろいろな事情から、一時(勉強を)中断していた人も、一名、「また、勉強を再開したい」とやって来ました。その上、何年か日本にいた人が一人「学校で日本語を勉強したことがないので、『てにをは』がわからない。きちんと系統的に学びたい」とやって来ました。

 彼女は、「初級Ⅰ」のクラスに属することになったのですが、もう何年も日本にいることですし、しかも中国人なので、午後のクラス、つまり「中級」を聞きに行ってもいいということにしたのです。

 ただ懸念が、一つあります。高学歴ですと、「初級」の大切さが判っていますので、たとえ「中級レベル」の授業が聞き取れても、「初級のクラス」に入ることに何の躊躇もしません。ところが、そうではない場合、なかなか「下」に属すると言うことに満足ができないのです。「なんだ、『中級』だって判るじゃないか」と、おもしろさに重心が傾いてしまい、基礎を蔑ろにしてしまうのです。昨日、帰るときの彼女の表情を見ていると、(もう一回、念を押したのですが)どうもその畏れが現実のものになりそうな、そんな感じがしました。

 何事も、基礎が大切。基礎さえちゃんとできていれば、(たとえ、やり直すことになっても)それほど時間も労力も要さずに済む…だれもが、頭では判っているという、判りきったことなのですが。

日々是好日
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「日本語能力試験の結果」。「卒業文集用作文」。「夢のこと」。「お金」。

2009-02-17 07:37:54 | 日本語の授業
 「お天気予報さん」の言った通りになりました。一転して、今日は「冬」です。本当に、「本当はまだ『冬』だった」のですが、「啓蟄」かと錯覚させた、「土曜日」が悪い。もうすっかり「冬」とは、手が切れたと思い込まされていました。

 というわけで、今日は、北風が吹き荒れる中を、自転車で「一歩一歩」進んできました。昨今は、年のせいというわけでもありますまいが、友人達のほとんどは、自転車を、「電動式」のものに変えています。それなのに、私一人だけ、「足漕ぎ」です。しかも、彼らは、「『太りすぎ』だから、自転車はやめて歩いた方がいい」とまで言うのです。それでも、この線だけは(譲れない)と、私は、いまだ「足漕ぎ自転車」を手放してはいません。けれど、これで、「電動式」のものになったら、いったい、私は、どうなるのでしょうね。

 さて、昨日の事です。教室に行って、いつものように「ディクテーション」をしていますと、みんなの「ノリ」が悪いのです。不審に思って、理由を聞くと、
「大昔のことは、もう忘れてしまいました」

 どうも、彼らの、いわゆる「大昔」というのは、先週の木曜日を指しているらしく、そういえば、木曜日の午後、
「明日は、授業がありません(ニコニコ)」
「明日は、ディクテーションがありません(ニコニコ)」
と、帰りがけに、団体さんで、はしゃぎながら、「ほざいていました」っけ。

 そこで、一喝。
「今週は、『中級』のまとめで、『二級』テスト。春休みの前には、『一級』テスト。忘れてはおるまいな」
しばらく、ブーイングが鳴り響いていました。ほんと、ブタの子みたい。全く、フンフンです。

 けれども、12月の『日本語能力試験』は、みんな頑張りました。小さい学校ですから、受験者数も多くないのですが(今、勉強をしている学生の中には、「能力試験申し込み」締め切り後に、ここへ通い始めた者も少なくないのです)、「7月生(中国人)」も「二級」を受けた四人のうち、三人が合格していました。中国人であっても、7月から始めての合格は、立派です。大卒でも難しいのに、高卒で、ここまで頑張れるとは。

 「4月生」と「7月生」で、「三級」を受けた学生も、皆合格していました。非漢字圏のインド、タイ、ニカラグア、フィリピンの学生、それから、中国人の中学生さんも頑張りました。

 勿論、頑張ったのですから、一言くらいは、(出し惜しみしながら)褒めてやります。けれども、最終目的は、「二級」や「三級」ではありませんから、すぐに、表情を変えて、「勉強」「勉強」と喚いてやりました。

 すると、
「もっと褒めてくれてもいいのに…ぶつぶつ」
「今日は、勉強したくないなあ…ぶつぶつ」
知らんぷりして、どんどん授業を進めていきます。

 と言う次第で、「中級クラス」は、『中級』の教科書を終え、今日からは「上級クラス」へと昇格いたします。これからは、『上級』の教科書と、『一級』と『二級』の「文法の参考書」を持参しなければなりません。鞄は多少重くなりますが、「一級」終了後に比べたら、なんのその。それほど重いとは言えますまい。それに、中国人学生の例で言えば、高校の時の鞄の重さに比べれば、これしきの重さ、可愛いモンです。

 それから、昨日は、もうすぐ『中級』の課程に入るクラスに入って、作文指導をしました。まずは、初っぱなから、「卒業文集」用の作文書きです。原稿用紙の使い方の説明の後、いくつかのタイトルを出し、自由に選ばせます。選んだところで、それについて、各自語ってもらいます。

 夢と聞かれて、
「お金が欲しい」とか、「幸せになりたい」。
「いい仕事が欲しい」というのも、お金が欲しいから。

 さすがに、中学生さんが、
「お金が欲しい」
と言ったのには、思わず、
「中学を出ただけでは、お金を儲ける事なんてできないですよ」
「でも、お父さんもお母さんも、お金が欲しいと言います。だから、お金をあげたい」

 勿論、まだ日本では働けません。けれども、彼はアルバイトをして、両親にお金を上げたいと、ひたすらそのことだけを思っているようなのです。こういう彼に、「自分の人生のことも考えろ」と言っても無理でしょう。両親が、彼の人生のことを考えてやらねば、彼一人では変われないのです。

 しかも、中国と日本では、お金の持つ意味が、かなり異なります。彼の家のように、中国の田舎で、それほどの教育を受けた人が周りにいないというような情況では、教育の大切さも、教育の有る無しによって生じる格差というものも、(彼はもとより、両親にも)判れというほうが、土台、無理なのでしょう。

 高校を卒業していれば、そこは何とか、理解させることはできます。しかし、中学校だけでは、しかも、田舎の学校でしか学んでいないわけですから、まだまだ、(日本のこの学校では)多くを伝えるわけにはいかないのです。とは言いましても、さほどの教育を受けずに、このまま沈んでいくのを見るのは忍びない。本当に個人の力というのには、限界があります。せめて、この学校に通って、「二級レベル」程度になれば、教えていけるものも出て来るのですが…。

日々是好日
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「昨日、一昨日の『暖かさ』」。「課外活動、『メディア芸術際』見学」。

2009-02-16 08:05:41 | 日本語の授業

梅林

 全く、「梅」の季節を通り越して、出し抜けに「桜」の季節がやってきそうな昨日、一昨日の暖かさでした。が、やはり、我々にとっては、

「二もとの 梅に 遅速を 愛すかな」(蕪村)
であったり、

「梅 遠近(おちこち) 南すべく 北すべく」(蕪村)
である方がいいし、急に「一面の、菜の花」的な、春景色になってしまうよりも

梅

「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」(嵐雪)
であるほうがいい。

 常に、気忙しげに、次に季節の準備に走り回っているかのように見える日本人だからこそ、四季の移ろいは、緩やかに流れていって欲しいと願うのかもしれませんが。

 さて、金曜日の「課外活動」は、皆で、楽しみました。

 定刻に、ほとんどの学生が揃っていたので、いい気持ちで出発できました。しかし、本当に、そうなのです。「学生のレベルの高さ」というのは、こういうところにも如実に現れるのです。

 ほぼ定刻に出発できたので、他の駅で合流予定の学生も、乃木坂に着く頃にはすべて揃い、駅の地下から、そのまま「国立新美術館」の中へ入っていきます。

 今回の「メディア芸術際」は、「アート部門」、「エンターテインメント部門」、「漫画部門」、「アニメーション部門」と四つの部門に分かれており、自然、興味のあるなしで、足を止める場所が異なってきます。学生の一人が4歳の子供を連れてきていましたが、この子でも、むずがらずに遊べているようでしたから、幅広い層を対象にしていたのでしょう。

キューブゲーム

 というわけで、科学と文化の融合を目指す研究者やアーティストの創造的な試みに驚嘆するだけではなく、アニメーションや、その他の映像を楽しんだり、ゲームを楽しんだりと、それぞれのレベルに併せた楽しみ方をしながら、各自好きなように自由時間を過ごしていました。

 美術館や博物館の中では、研究員や学芸員以外の日本人は、あまり話をしません。欧米人もだいたいそうでしょう。他の人の邪魔になりますから。けれども、「変わったな」と思ったのは、聞こえてきた中国語と韓国語です。中国人は、だいたいいつも大きな声で話していますので、直ぐに彼らと判ります。それなのに、「え。中国人だったの」と驚かれるくらい、静かだったのです。韓国人もそうです。

 もしかしたら、こういうものを見に来る層というものが、きちんと育ち始めているのかもしれません。彼らの言葉の中に、日本語も混じっていましたから。勿論、なんでも「声を出してはいけない」というのではありません。ただ、自分たちの感想を、作品の前で、大声で述べ合うと、静かに見ている人の邪魔になるので、困るという意味なのです。それは、他者も存在する、ブースで、「『我が物顔に』振る舞っている」としか表現できないものなのです。

 さて、自由時間は一時間とちょっとぐらい。こちらが集合をかけるというよりも、定刻に、皆が集まってくれたので、学生を捜し回る必要もなく、至極静かに次の行動を起こせました。次は、ここを出発して、ミッドタウン見学です。地上に降りていくと、改めてこの美術館の「雄姿」に驚きの声があがります。

国立新美術館


 そこで、ここをバックに皆で写真を撮ったのですが、それとは別に、インド人のSさんが、寝転びながら、学生達の要求に応じ、この建物全体の姿を入れて、写真を撮ってやっていました。本当にサービス精神旺盛の学生です。

 ミッドタウンタワーもきれいだと喜んでいたようですが、去年のクリスマスにここを訪れていたTさんは、
「先生、もう、あれ、ないんですよね」。
彼女が言った「あれ」というのは、クリスマスの夜だけのイルミネーションのことで、それはもう、時期はずれですから、当然のことながら、ありません。

 日本において、いろいろなものは、「その時だけしか楽しめない」のです。その時、日本にいなかったら、見ることはできないのです。飾り付けも速い代わりに、片付けるのも速い。いくら衛星放送で、瞬時にして、日本で見るものと同じものを見ることができるようになったも、不可能なものは少なくないのです。いくら科学が発達しようとも、人が人であり続ける限り、欲というものは、尽きませんから、常に、「満ち足りない思い」は残ります。

 ここはただ美しいとか、近代的であると言うだけでなく、本当は、「自然と共生する開かれた街づくり」というビジョンの下に作られたのであるということも、詳しく説明しなければならなかったのでしょうが、まだ、言葉の問題もあるということで、今回は、「メディア芸術際」だけを主に楽しみました。

 ここへは、日本にいる限り、また行くこともあるでしょう。様々な企画の下での新しい芸術が、よく発表されていますから。

 帰りは、六本木駅まで、一緒に行き、そこで解散です。「Bクラス」の学生は、主に中国人が主でしたが、ドラえもんショップへ行くつもりのようでした。その他にも、秋葉原を覗くという者もいましたし、何かここでお土産を買って帰るという者もいました。

 お天気にも恵まれた、本当に楽しい一日でした。

日々是好日
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「『初級(Ⅰ)クラス』、初めての小テスト」。

2009-02-13 08:00:34 | 日本語の授業
 今朝は、お天気の予報通り、暖かく、吹く風も柔らかい。この分で行くと、お昼も(予報通り)17度くらいには、なるかもしれません。

 今日は、課外活動で、「国立新美術館の『メディア芸術際』」と「ミッドタウン」を見に行きます。出発は九時、行徳駅集合です。コンピュータに関心を持つ学生が少なくないので、きっといい刺激になるでしょう。

 そして、昨日。昨日は「初級Ⅰクラス(一月生)」の「小テスト(一課から八課まで)」でした。一口に「一月生」といいましても、一月八日までに来られた者(入学式)、二十日過ぎにやっと来た者、途中で入ってきた在日の人など、様々で、その上、レベルが揃っているというわけではありません(特に二十日を過ぎて学校に来たタンザニアのFさんは、来たときには、もう「ひらがな」「カタカナ」の授業は終わっていましたから、ちょっとやるせなかったでしょうね)。

 と言うわけで、「1~8課までのテスト」を受ける人、「1~3課までのテスト」を受ける人、「ひらがな」のテストを受ける人、と、同じクラスでありながら、三つのテストを実施することになりました。

 まずは、八日から来ていた学生のために、「1~8課」までの復習をしていきます。ついでに(ちょっと時間が余ったので)、次の11課の単語を一緒に読んでいき、また、そのついでに、「一つ、二つ…十」と、一緒に覚えていこうとしますと、ガーナから来たKさん、
「先生、先生、ちょっと、ちょっと。時間、時間、テスト、テスト」
と、なぜか、時計を指さし、焦った様子。

 テストの開始時間を、一分過ぎていたのです。「非漢字圏」の学生は、「『答える』のに、時間がかかる」というよりも、「『ひらがな』『カタカナ』を書くのに、時間がかかる」ので、つい焦ってしまったのでしょう。思わず、
「(書き終えるまで、待っているというつもりで)大丈夫」
というと、目を大きく見開いて、
「先生、大丈夫じゃない!」

 で、直ぐに開始という仕儀になってしまいました。そういえば、復習の時も、時計ばかり気にしていましたっけ。「45分で、書き終えねばならぬ」と思いこんでいたのでしょう。テストは、後半の授業でしたから、12時半に終わっても、残って書いてしまいたければ、待つつもりでした。勿論、「非漢字圏」の人だけです。「漢字圏」の人はだめです。

 なかなか、「ひらがな」を覚えてくれなくて(どうも、書いて覚えると言った作業が苦手のようなのです)、教師をヤキモキさせていた、タイのS君も、大丈夫でした。

 「『ひらがな』と『カタカナ』のプリントを見ながら、答えていってもいい」と言うと、忘れた「文字」は、プリントで探しながら、ゆっくり、ゆっくりと声に出して読んでいきます。それに、誰も文句を言いません。みんなも集中していたのです。S君が、書いていくのを見ていますと、間違っているところも、(日本人の)発音が聞き取れない、(自分も)うまく発音できないので、書き間違えているというような感じです。判らないというわけじゃないのです。

 この子は、タイボクシングを、日本で習っています。
「先生が『自転車はだめ。電車もだめ』と言った」そうで、二駅分の距離を、いつも走ってやってきます。根性ですね。書いたり、読んだり、考えたりということが苦手でも、こうやって、一つ好きなことがあって、それに一生懸命になることができる人は、多分、大丈夫でしょう。

 スーダンのMさんは、「あ行」を書き終えると、あとはお手上げ状態で、途中であきらめてしまいました。その後、「ひらがな」の練習をしている様子を見ていますと、全部を書いて、全部を一度に覚えようとしていたのです。母国でも、それほど勉強した経験がないのでしょう。勉強のやり方が掴めていないようなのです。そこで、各行の上に、日にちを書いて、
「この行は、今日覚えます。次の行は、明日覚えます。その次の行は…」
と言っていきますと、わかったのでしょう。にっこりして、「か行」だけを書いていました。

 焦る必要はないのです。人、様々ですから、それぞれのやり方で、もし、時間が許すなら、ゆっくりと覚えていけばいいのです。

 国が違えば、勉強のやり方も違うし、仕事の仕方も違う。この違いは、ひいては、人生をどう生きていくかという問題にも突き当たってしまいます。日本のように、危機に瀕していても、どこか切迫感にかけているような、「大なすび」、「呆けなすび」の性を持った国民(しかし、いつからでしょう、こうなったのは)に、そうではない国から来た人達の、そうならざるを得なかった習性というのは、結局のところ、わからないのです。

 皆に、日本語の勉強のやり方を強制しようとしても、無理な面もあるのです。その上、生まれながらの、言語分野における資質というのも考えざるを得ません。

 タンザニアから来たFさんは、直ぐに「ひらがな」のプリントを書き上げました。でも、
「カタカナは?」
と聞くと、首を振るのです。そこで、(時間が来るまで)カタカナの練習をやるように言いますと、静かに書いていました。書き上げると、見てくれと持って来ます。長さや、バランスなどを注意しながら、書いてやりますと、
「わかりました」
と言います。多分、土日を使って覚えてくるでしょう。

 何も言わずに、ひたすら問題用紙に向かっていたのは、インド人のLさん。誰が何を言っていても、聞こえていない様子。終わると、直ぐに間違えたところが気になるようで、(ガーナのKさんと、タイのS君が書き終わるまでは、教室で採点しようと思っていたので、採点していたのですが)、早速、教卓をのぞき込みにやってきます。点数は、彼が一番上でしたが、「自分が間違えたと思っていたところ」とは、「違うところ」を間違えていて、「ああ」「ああ」「え!」「ああ」と、一音で終わってしまう世界の住人になっていました。

 総じて、数字の読みに誤りが目立ちました。しかし、一番下だったKさんも、70点を超えていましたから、大したもの。よく短期間で「ひらがな」「カタカナ」を覚え、読めるようになり、そして、問題を解けるようになったものです。ガーナには、日本語を教えてくれるところがないそうです。(日本の会社で働いている叔父さんに送ってもらった)教科書を見ながら、一人で勉強したそうですが、いろいろ判らないことも多かったでしょう。日本に来てから始めたといっても、いいくらいでしたから。

 まあ、そんなわけで、「初級Ⅰ」のクラスは、第一回小テストを無事終了いたしました。「『点数』を気にしてくれる人が多い」ということがわかり、少々ホッとしています。

日々是好日
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「『勉強』の手綱を、弛めたくなる時もあるけれど…」。

2009-02-12 08:14:49 | 日本語の授業
 今朝は、いかにも「冬の夜空」といった感じで、明けようとしています。(ここ数日、お天気があまりよくなかったので)久しぶりにお月様を見たような気分。
「あれ、いつもの場所じゃない」
随分傾いていました。ついこの間まで、真上に見えていましたのに。

 現場で、学生達を教えていますと、時々、相反する思いに駆られることがあります(勿論、どの学生にも、こうなるというわけではありません)。現在、「中級クラス」は、高校を卒業してすぐという中国人学生が、授業の中心になっていますので、授業中など、まるで公立の中学校で、教鞭を執っているような気分です(同世代の日本の子供達と比べて、幼く、素直なのです)。その上、教えたことをスウッと水が砂にしみ込むように受け入れてくれるので、不安になるくらい(ある意味では騙しやすい)、教えやすいのです。

 日本へ来た目的が、はっきりしているということもあるでしょう。
「大学に入りたい、しかも、出来るだけ、いい大学に入りたい。そして、たくさんのことを学びたい」。
そのためには、辛くとも、今、(日本語の)勉強しなくてはならないという理屈が、判っているのです。

 日本では、学ぼうと思えば、かなりいろいろなことが学べます。

 大学へ行かずとも、都内には、大きな図書館がありますから、そこで、誰でも、自由に、読みたい本を読むことができます。貸し出しカードも、身分を証明するものさえ持って行けば、数分で、手に入れることができます。作ったその日から、借りられますから、面倒なことはありません。勿論、都内へ行かずとも、近所の小さな図書館でも大丈夫です。もし、そこに、借りたい本が無ければ、リクエストすればいいのです。直ぐに取り寄せて、知らせてくれます。

 その上、NHKや、民間放送で、世界の情勢や日本の問題などの、解説付きの映像を見ることができます。日本は島国で、一国で生きていくということはできません。勢い、世界の情勢に詳しくなければならないのです。これは、「特別な人が詳しければいい」というのではなく、「一般大衆が必要としている」のです。みんな必要ですから、そういう番組を見ます。どの局のものがいいのか、見比べながら見るのです。説明が下手だったり、「偏り」があったりすると、直ぐに人気がなくなってしまいます。「偏り」があっても、それが「売り」であれば、また、それなりに、人気は出るのですが。

 それから、一言。大学のことです。

 日本では、特別いい大学や、有名な大学ではなく、普通の大学であっても、能力の高い研究者や、教育者はいます。もし、(学生に)やる気があるのなら、そして、それに費やす時間があるなら、勉強するのに、困ることはありません。障害となる「不可抗力」のものは、あまりないのです。

 なんとなれば、教育の現場に、特定の「宗教」や「主義」を持ち込むことは、タブーとされているからです。自分からそういうものに飛び込まない限りは、安全に、集中して、勉強に打ち込むことができます(勿論、仏教系や、キリスト教系の学校などは別です。嫌だったら、そこを受験しなければいいのです。右翼系や左翼系の教授達もいますが、嫌だったら、彼らの授業を選択しなければいいのです。誰も強制なんてしません)。

 余計なことで、頭や心を悩ませる必要がないのです。友達が欲しかったり、だれかと一緒に好きなことをしたければ、クラブや同好会などに入ればいいのです。また、その大学にはない、新しいことを始めたければ、自分で作ればいいのです、同じ趣味を持つ者を募って。

 そのためにも、今、日本語を勉強しなければならないのです。私たち(教師の側)から言えば、勉強させておかねばならないのです。6月の「留学生試験」と7月の「一級試験」が終わってからは、文学作品だけでなく、新聞記事や映像を通して、様々な分野にわたる知識も吸収させていかなければなりません。ですから、手綱は弛められないのです。が…。

 授業終了後や自習室にいる時に、彼らと話していると、まずいことに、
「勉強なんかしなくてもいい。このまま、素直で、あらゆる事に興味を持って、楽しく暮らしてくれればいい。」
などという気になってくるのです。

 実際は、毎日、
「これも覚える。あれも書いておく。明日はテスト」
などと言って、ギュウギュウ言わせているのですが、楽しそうに、大きな声で笑ったり、(こちらの誘いの水にひっかって)口答えなどをしている姿を見ていると、なんとなく、勉強させるのがかわいそうになってくるのです。

 勿論、直ぐに気を引き締めて、「楊枝で重箱の隅をつつく」ようにあらを探し、
「まあた、まちがえた。わーい、わーい」
と言いながら、退散していくのですが。

 この「中級クラス」の、学生達(他の国から来た学生達も)は、本当におしゃべりで、賑やかで、授業中も笑いが絶えません。

 若いということはいいことです。「世界は、『一つのやり方』だけで、動いているのではない」ということを、力まずして、スウッとしみ込ませていけるのですから。初めから、誰も、「ほとんどの先進国で、通用しない考え方」を振りかざしたりしていないのです。

 「世界には、いろいろな『考え方』や『やり方』がある」。そのこと一つを、身をもって知ることができるだけでも、早い時期に、外国で勉強する意味はあると思います。

日々是好日
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「寒さ」。「お国ぶり」。「勉強の習慣。共通認識」。

2009-02-10 07:58:28 | 日本語の授業
 今朝も冷えます。そういえば、昨日は一日中寒かった…。花の便りも、ちらほら聞かれるようになりましたし、節分の行事も終わりましたので、すっかり油断をしていました。

 ところが、去年の12月頃まで、
「日本は、どうしてこんなに寒いのですか」
と、訴えていた内モンゴルから来たTさんが、今年は、やけに静かです。もう、この底冷えのする寒さに慣れてしまったのでしょうか。

去年までは、
「日本は湿度があるからだ」
とか、
「内モンゴルでは、寒いとき外に出ないもん」
などと、ぶつぶつ言っているのをよく聞いていたものですが、あの「ぶつぶつ」が聞こえないと、却って寂しくなってしまいます。ちょっと「つついて」みようかしらん。でも、やめておきましょう。やぶ蛇になっては困りますから。

 昨日で、中国の「元宵節」も終わり、中国人にとっても、新しい年が始まりました。

 よく学生達が、
「今日は、タイの『お正月』です」
とか、
「明日は、インドの○○祭です」
とか、言って帰っていきます。在日の人だと、お祭りの時に食べる料理やお菓子を持って来てくれることがあります。

 ところが、この「料理」が曲者なのです。においも味も、きついのです。日本のレストランで食べる、日本風にアレンジされた「まろやかさ」という衣が剥ぎ取られた、素のままの「お国ぶり」なのです。中には、なめる程度なら、どうにか「ごまかせ」ても、それをスプーンで口に入れるのには「躊躇われる」という場合も、決してないとは言い切れないのです。

 と言いましても、さすがに、若い先生は、適応力に長けており、大概のものは「許容範囲」のようで、
「これくらいなら、大丈夫」
と、スイスイとノルマを適当に果たしてしまいます。

 「お国ぶり」と、今、書きましたが、勉強の仕方においても、また然り。はっきりと出てきます。

 私が、中国で、中国語を勉強しているときも(「初級」のクラスの時のことでしたが)、クラスメートのパキスタン人、チュニジア人というのは、予習・復習をする習慣がないようで、既習の単語の意味が分からないと、先生に何度も(それも、同じ単語です)質問し、毎日、それで、かなりの(授業)時間を取られていました。

 それに引き替え、(一緒のクラスの)北朝鮮人と日本人は、予習・復習をしてきていましたから、当然のことながら、「いらつき」ます。教科書には、英語とフランス語で単語の意味が書かれていましたから、ちょっと自分で調べれば、他人の時間を奪わずに済みます。けれども、そういうことが、全く頭の中にないようなのです。しかも、堂々と、正当なことをしている、私は自分の権利を行使していると言わんばかりの態度でしたから、(私にしても)慣れるまで、この人達はいったい何を考えているのだろうと、却って、不思議でたまりませんでした。

 けれども、仲の悪かった、北朝鮮の学生達はそうはいきませんでしたね。一度ならず、「ここに書いてある。自分で調べたらいい。先生、時間の無駄だ。相手をせず、もっと先へ進んでください」と言っていました。しかしながら、そこまで言われても、譲らないのです。全く見事に、(彼を)無視していました。そして、むきになったかのように、質問を繰り返していました。

 いったいに、北朝鮮人とアラブ人は「主義」対「宗教」のようなところがあって、仲があまりいいとは言いにくい状態でした。間に挟まった「主義も宗教もない」日本人は、どこかしら、「アホ面下げた呆け茄子」のようで、締まり無く感じられているのではないかと思われました(これは、私のことです)。

 どうして、あんなことに、激しく対立するのか判らなかったのです。かといって、「まあまあ、クラスメートなんだし、そこはそれ…云々」などという言い方の(上級中国語の)知識もありませんでしたし、言い合い、乃至、口げんかの如きものが始まったら、「困ったなあ」という表情以外、示しようが無かったのです。

 今となっては笑い話ですが、生活も考え方も、何より習慣が違うので、長い間、一緒に行動するのは、どうも「願い下げ」という気持ちのほうが強かったですね、当時は。今は、教師として、こういう人達に対しているのですが、(かつてのクラスメートであった)彼らと同じように、(時間があっても、家で)予習・復習をするという習慣がなく、しかも、授業中、授業を中断させても、直ぐに大声で聞く、つまり、待たないという人達と対しています。

 この学校で、既に一ヶ月ほど学んでいる学生は(毎日、9時から12時半まで、或いは13時15分から16時45分まで勉強していれば)、既習のものは自分で調べるのが当然だという認識は、できていると思いますが、来たばかりの人になると、だめですね。やはり、直ぐに大声で聞くので、授業が中断されるということになってしまいます。

 就学生の場合は、この習慣がなければ、日本では何事もやっていけないので、力ずくでも、つけさせます(勿論、「能力」というものがありますから、それができない人も出ます)。それから、一言申し上げておきますと、時間が無くて、予習・復習ができない人もいます。けれども、そういう人でも、既習のものは自分で調べるべきだという認識さえあれば、授業中、(予習・復習をしていないというのは自分の問題ですから)待てるのです。教師は、他の人が問題をしている時間とか、読む練習をしている時間とかに、教えますから。

 それが、待てない人が入ってくると、大変です。特に、この学校のように、在日の人が多いところは。「中級」に入ってしまえば(だいたいそういう人は上がってこられないので)、大丈夫なのですが、「初級」の間は、下手をすると、小学校の授業のようになってしまいます。一人が慣れて、やっと騒がなくなると、新しく来た人が騒ぐ、そうすると、騒がなくなっていた人まで、一緒に騒ぎ出す。

 新しく教師になった人は、学生の動きに釣られやすいものです。そうすると、彼らの動きに引きずられて、まじめな学生達が放っておかれるということにもなりかねません。クラスの構成員を見ながら、授業計画というのも立てておかないと、(教師の方も)慣れるまで、苦労するかもしれません。

日々是好日
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「授業、もう『始められること』と、まだ『始められないこと』」。

2009-02-09 07:19:02 | 日本語の授業
 先週の金曜日、帰り際に、例の「おしゃまさん」の二人が、「帰りの挨拶」を、英語で、のたまわりました。「のたまわる」と言うと、おかしな気がするかもしれませんが、前日、こんなことがあったのです。

 やはり帰り際のことです。風邪気味で元気がなかった彼女に、
「英語は大丈夫?」
と、聞きますと、
「大丈夫かなあ。でも、LさんとGさんは、覚えている単語が多いから…。私は、ちょっとかな…うーん…でも、大丈夫…。」
と、いかにも自信がなさそうに言っていたのです。

 ところが、金曜日は、ちゃんと会話になっていました。もちろん、私は「日本語」です。ちょうど、こんなふうに。G「英語」。私「え。日本語」。T「英語」。私「日本語」。G「英語」。私「日本語」。T「英語」。私「日本語」GT「英語」。私の「日本語」に対して、返事がみんな「英語」だったのです。しかも、ためらいがない「英語」でした。

 「一月生」のアフリカ人学生、二人が、学校教育をすべて「英語」で受けてきており、彼らと自習教室で一緒に勉強していたからかもしれません。大きな顔で、「自習室では、私たちが日本語の先生。KさんとFさんは英語の先生」と言っていましたから。(実は、帰り際に、中国人の学生が「タイ語」で「さようなら」を言ったり、インド人の学生が「中国語」で、「一言」言って帰ったりというのは、この学校では、よくあることなのです。クラスメート同士、相手の言葉が気になるようなのです。)

 ところが、「英語」は、母国で、「成績」という形で、出ていたからでしょう。少し前まで、「苦手意識」が強かったり、「英語」と聞くだけで固まったりしていたものですから、少々気にかけていたのです。が、だいぶ解れてきているようです。毎日、英語のCDは、欠かさずに聞いているようですし。こうなれば、後は、まじめに先生の言われた通りのことをしていれば大丈夫でしょう。

 しかしながら、これも、彼らが早くに、「二級レベル」にまで達していたからできること。(7月に来たときには、二人は「4級レベル」、一人は「あいうえお」からでしたから)。いつまで経っても、日本語のレベルが伸びなければ、多分一年いようと、二年いようと、それ以上のことを、追加して教えることはできないのです。彼らにしても、まだ、「一級レベル」には達していませんから、今は「教えられない」ことの方が多いのです。勉強したくても、ある意味では、「がまん、がまん」の時期なのです。

 こういうことがありました。

 「Aクラス」の「『歴史』の授業」の時間です。DVDを見せながら、授業をしていましたから、興味があったのでしょう。自習室で勉強していた彼らが、出入りをするたびに、覗くのです(「Aクラス」の教室は、ドアの上の方がガラス張りになっているので、そこから、覗けるのです。)。が、今、見せても、日本語が判らなければ、映像に付随して出て来るものまで、教えることができません。

 ああいう映像は、日本では、普通にテレビで流していますから、だれでも見られるものなのです。図書館で、借りられるものも少なくないでしょう。けれども、そういう歴史をあまり知らない者が見ても、あまり役には立たないのです。まず、知って、それから、見るようにしないと。自分たちが、母国で習ってきたように、勝手に理解してしまいますから、映像がちぐはぐになってしまうのです。

 しかも、アジアにおいて、日本は近代史上、難しい立場にあります。「『日本は、第二次世界大戦で、我々に何をしたあ!』と怒鳴ればそれで事足り、それ以後は思考停止になるのが、常識」という国の民も少なくはないのです。

 これでは、日本に来た甲斐もなければ、ここで学ぶ意味もなくなります。それ故、「歴史」を教えていく時には、かなり気を遣います。第二次世界大戦中、日本軍が為したことは、事実であり、曲げることはできません。しかし、それで、いつまでも停まっていれば、次の世代も、その次の世代も、互いに喚くだけで終わってしまうことでしょうし、それが度を超していけば、両国にとっていいことなど何も生まれてきはしないのです。

 私は、中国にいるとき、多くの国から中国に来ていた人達と、一緒に勉強をし、語り合い、食事をし、バレーボールやテニス、サッカーなどをして遊びました。言葉では不十分なことも、食事や運動をすることによって判ることもあります。自然に、見えてくることも少なくはないのです。

 日本でも、多くの国から来た人と、日本語を教えるという立場からのつきあいがあります。彼らが、どう日本を見ているかは、上の学校に進んでいくときによくわかります。もし、その見方に、偏りがあったり、おかしいと感じたら、そこは、彼らと話し合います。そして、そう思わせたのは、多分、授業のやり方に問題が会ったからだと考えます。そして、次の学生を教育していくときに、付け足したり、省いたり、或いは、言葉の使い方を考えたり、順番を変えたりして改めます。

 このような事は、「ごり押し」でやっても、何も生まれてこないのです。お互いが納得のいく形で理解し合えるように、教師の側が努力しなければならないことなのです。

 今、頑張って、日本語を勉強している人達が、望み通りの専門を、それなりの大学で勉強できれば、それが、そのまま、互いの国の「明るい未来」に繋がっていくと信じます。日本にいることで、却って反日になってしまうような、そんな学校にだけは、したくありません。

日々是好日

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「『ブログ』の写真」。「日本語の『語感』」。

2009-02-06 07:59:57 | 日本語の授業
 今朝は、「風小僧の『寒太郎さん』」が、走っていたようです。少々風がありましたから。けれど、「冬、真っ最中」などと言いながら、北風は、久しぶりですね。本当に冬なのにおかしい。本来なら、そんなはずはありません。いいお天気が続いたからそう感じるのでしょうか。それとも、「楽しいことしか覚えられない」という、年相応の「幸せ」がやって来たのでしょうか、私にも。

 ところで、学校へ着いて、ブログを開いて、そして、びっくりしました。「梅の花」と「クチナシの花」の写真が、貼りつけられてあるではありませんか。言はでものことを申しますと、「貼り付ける」という技術は、私にはありません。

 もちろん、デジカメは買ってあります。買ってはあります。が、実際のところ、ほとんど用いたことはありません(去年の末、一念発起して、買ったものなのです)。

 けれども、もともと、写真は大の苦手。中国にいるときも、(中国)旅行をよくしたのですが、カメラを持って行かなかったことがよくありました。もとより、必要性があるかもしれないので、持ってはいったのです。が、だいたいが「タンスの肥やし」。旅先のお供をさせるというまでには、至りませんでした。

 「記録にとってどうする。忘れたらそれまでのこと」というふうでしたから、カメラのいいお友達とはなれなかったのです。

 それなのに、買ったのです。「これなら、使えるだろう」と勧められて。

 ところが、「苦手なものを買う」ということに、エネルギーを使い果たしてしまったのです。多分、時間をおいたり、考えたりなどしたら、きっと最後には買わなかったでしょう。それで、思いついたときに、(考えるという作業を経ずに)買ったのです。しかしながら、それを、「使い、コンピュータに入れ、ブログにはめ込む」という分の、エネルギーは、まだ復活していないのです。

 けれど、毎日、ブログに貼った方がいいであろうというものは目にしますし…「技術は、どっちみち覚えなければならない」ということもわかります。というわけで、若い先生に聞いてみたのですが、「ちんぷんかんぷん」。

 それで、ある中国の友人に言って、どうすればいいのか教えを請うたのです。作業の手順まで、詳しく返事が来たのですが、「縄文人」の私には、「○▽☆△」。頭の中で星が舞っているというか、「どーん、どーん」と花火が上がっているというか、そのような状態。

 「やっぱり、わからない…」で、親切なこの友人が、「しょうがない。それなら、えい!」とばかりに、ブログの説明に必要な「花などの写真」を入れてくれたのでしょう。

 もっとも、その前に、「じゃあ、試してみる」と言って、「節分の鬼さんの顔の絵」と「メジロの写真」を入れてみてくれていたのですが。

 というわけで、私はまた「楽」をしています。書くだけでいいのですから。

 私が書く「花」や「鳥」、また「虫」などの名前は、日本人にしてみれば、本当に身近なもので、子供の頃から慣れ親しんだものばかりと言ってもいいでしょう。が、このブログは、中国語にも翻訳してもらっているのです。それらの名前を、「彼の国の人達」が、日本人と同じように知っているかというと、そうとも限らないのです。

菫/紫

 80年代の半ば、北京にいたときのことです。大学の片隅の林の下に、まるで絨毯のように菫が咲き乱れていたのですが、中国語で何というのかを、(中国人の友人に)尋ねたことがあります。答えは、一言。「野草」でした。何人もの友人や知人に聞いてみたのですが、答えは同じでした。特に、ああいう「金目のものではない」、しかも、「舶来のものでもない」、どこにでもあるような花は、総じて「ヤソウ」の一言で片付けられてしまうようでした。

 それでも、文革の前の、知識人が書いた書物には、花や木の名前がよく登場していましたので、「彼の国の人達」が草木に興味がないとは思っていません。ただ、運悪く、私がいた時代は、「『生花』を飾ったり、『鉢植えの花』を置いたりするのは、革命的ではない」という考え方の名残りが、まだ色濃く残っていたのでしょう。

 それで、どうも、中国語では、漢字で、きら星の如き名前があるのに、(体感として)中国語での草花の名前と、その姿とが、一致しないのです。もっとも、「菫」とか、「一輪草」とか、日本人が親しんできた花を、彼らがあまり好むとも思えませんが…。

一輪草

 白秋の詩でしたか、歌でしたか、こんなのがありましたっけ。

「真実、さびしき花ゆえに、一輪草とは、申すなり」

 うろ覚えで申し訳ないのですが、か細く揺れている、この花の姿と、その情景が、パアッと、脳裏に浮かび上がってきて、しかも、それと同時に、(個々人の)様々な思いがこみ上げてくる…ような「詩」です。花の様子と「詩」の言葉が、一致しているのです。

 白秋は「言葉の魔術師」と称されていたほどでしたから、もっともなのですが、白秋以外でも、あの頃の詩人達の言葉には、(今、読んでも)魔法がかかっているような気がします。「今頃」のように「高踏な哲学」が含まれていたりはしません。ただリズムがよく、そして、読むと情景が心に浮かぶのです。歌と、対象になるものと、読み手の心とが通い合うのです。

 昨日、「クチナシ」の花のことを書いたからと言うわけではありませんが、「口無し」を用いた歌で、私の好きな一首があります。

「ともすれば 君くちなしに なりたまふ 海な眺めそ 海にとられむ」(若山牧水)
(「海ばかり見ていないで。私と話をして」と言いたいのでしょう)

 これも、何年か前でしたが、「ともすれば」という語の持つ「語感」を伝えたいと思い、授業で用いたことがあります。

 「詩」、日本の場合は、「歌」や「句」と言う場合の方が多いのですが、この「語感」というのは、とても大切です。これは、日本語には限りません。どこの国の言葉でもそうでしょう。好き嫌いはあるにせよ、民族の心を伝えるのは、優れた「詩歌」であり、「歌の言葉」なのです。

 以前、スリランカから来た学生の中に、タミルの人がいました。彼が、卒業式の時に「タミル民族の恋の歌」を歌ったことがあるのです。日本語が、それほど上手ではなかった人なのですが、その彼が、下手な日本語で、一生懸命に、こういうことを言っているのだと歌詞を説明してくれました。私が、それを、他の国の学生のために訳したのですが(その訳が正しかったのかどうかはさておいて)、「歌の心」というのは、皆に通じたようでした。皆、その説明を聞きながら、「恋人が語る言葉」というのは、どこの国でも同じだと感じたようです。けれど、意味は同じなのに、「言葉の響き」は違うのです。

 「基本的な日本語」という土台の上に、もう少し、できたら、載せたい。日本語の持つ美しさを知るためには、やはり「詩歌」を教えることが、大切なのかもしれません。これは、タミルの学生の例を待つまでもなく、きっと、どの民族の言葉でも同じでしょう。「『民族の言葉』が亡びた」とき、「その民族も亡びるのだ」という言葉の意味が、こういう仕事をしていると、本当によく判るのです。

日々是好日
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