今年も、あと二日で終わり。明日は、いよいよ「大晦日」です。別に待っていたわけでも、待ち遠しかったわけでもないのですけれど。
「今年も来るぞ 大晦日」か、「今年もあるぞ 大晦日」なのです。
まあ、そうは言いましても、毎年、「除夜の鐘」が、(テレビから)流れ、皆で「今年も終わりですね」と言い合い、真夜中の「12時」になると同時に、「明けましておめでとう」という言葉が飛び交い、「初日の出」によって、「新年」を迎える気分になるということになっているのです、この国では。
勿論、今でも、「小正月」はありますし、地方によっては、この日(1月1日)を「お正月」と見ぬ所もあるでしょう。
だいたい、「お上」が、「暦」を、「天保暦」から「グレゴリオ暦」にするという通達を出しても(「下々」からみれば、それは「官」の都合であるに過ぎなかった)、「熊っつあん」、「八っつあん」にとっては、そんなこと、「知ったこっちゃなかった」ことでしょう。
それにしても、面白いですね。1872年(明治5年)の12月2日の翌日が、12月3日ではなく、1873年(明治6年)の1月1日なんですから。
ただ、「『官』の勝手さ」とも言っていられないところが怖いところなのです。これに則って法律が定められ、税にしても、商売にしても、いろいろとルールが変わり、ジワジワとその影響が出て来てみれば、「一般庶民」たるもの、従わざるを得ません。わが身に危機が迫ってはじめて、「熊っつあん」、「八っつあん」も、「その日を『お正月』と認めねば、ヤバイ」と観念したことでしょうし。もっとも、その日が来るまでは、そんなことになっているなんぞ、わかりもしなかったでしょうし、素直にそれを理解する気にもならなかったでしょう。
「グローバル化」が進み、ドドーン、ドドーンと荒波のような音を立てながら、同じものが量産され、同じことを要求されるようになりますと、「違う」ということが、却って価値をもって感じられてきます。かつては、新時代の息吹さえ感じられていた、この「グローバル化」という言葉も、最近は、手垢にまみれ、しかも、その「負」のイメージばかりが目立つようになってきました。
これは「グローバル化」などではなく、単に軽佻浮薄な「アメリカ化」に過ぎないのではないかとか、「アメリカ発の金融危機」が、これほど大規模に、しかも、深刻な状態にまで拡がったのは、「アメリカン・ドリーム」が、もはや、ただの「拝金主義」に化したからではないのかとか、また、弱小国、旧植民地国が破産状態に陥っているのは、「グローバル化」の中で、旧宗主国に「分業」を強いられて来たという歴史があるからではないかとか。
いやはや、誰もが、この「グローバル化」が止められないということを判っていながら、いえ、判っているからこそなのでしょう、「負」の部分をことさらに喧伝しています。
そして、「自国を守ろう」・「自国の文化を守ろう」・「自国の言語を守ろう」という動きも少しずつ拡がっています。いわゆる、「ローカル主義」であり、「スローフード」などなのですが。ところが、これも、身近に「(グローバル化が拡がることによって、見知った文化や習慣とは)違う」人がいますと、人はそれを認めることができないようなのです。それが遠くであった場合(例えば、日本にいて、アフリカの話を聞く)、「感嘆の面持ちで」聞けるのですが…。人の心具合とは、真に面白いものです。
学生達を見てもそうなのです。同じ国や地域から来た学生が多く存在していますと、それが、クラスの中で「覇」を唱えるようになります。たとえ、「小国」や「弱国」から来ていようと、そうなのです。彼ら自身は自覚していなくとも、そうしてしまうようなのです。
こうなってしまいますと、「相互理解」と、殊更がましく言いましても(日本語学校ですから、小さくとも、常に十数カ国から来た学生達がいます)、他の国や地域から来た学生は、その中に埋没してしまいます。勿論、そういう環境に慣れている「弱小国」から来た学生の多くは、黙って、己がスタイルを守ろうとするのですが。ただ、俗に言う「大国」から来た学生は、それが出来ないのです。やはり、自分の国のやり方が、すべてであり、他にもやり方があるということが、(観念的に)認められないのでしょう。「自分(の国で)はこうだ」で、皆が沈黙するとでも思っているかの如き行動を採ります。
しかしながら、いくら、国土も広く、人口も多い「大国」とはいえ、これとても「井の中の蛙」であることには変わりありません。他者(つまり、他国や他地域)が認められない人を、この学校では「野暮天」と言うのです。
そういう「大国」から来た人は、(人数の上では、いくら劣っていようと)耐えきれないようなのです、黙していることが。始めはクラスの中では「少数民族」ですから、黙っているのですが、直に「ワアワア」騒ぎ出したり、多数者に対して「嫌み」を言い出したりするのです。
日本は「小国」で、しかも「島国」ですから、日本国民は「小国の民のやり方」とでもいうべき行動を、多くは、採ります。私にしてもそうでしたし、友人達もそうでした。つまり「そうか、世界にはいろいろなやり方があるのだな」と、素直に思い、それを「知識」として頭の端っこにでも入れておこうとするのです(気に入れば、自分もそうするでしょうが)。だいたい「事実」にすぎないのですから。また、「事実」というのは、それだけで、「重み」があるのです。個人がどうのこうの言ったってどうしょうもないのですから。
地球上のどの位置に存在しているかで、習慣が異なるというのは、当たり前の事で、それを、皆、同じであるべきだなどと考える方が無理があるのです。
以前、この学校で、多数者が、大国の人(「中国人」や「インド人」)でなかった時期がありました。そういう時でも、彼ら(「インド人」や「中国人」は負けないのです。自分を主張するのです、しかも、大きな声で。それを、静かに聞いていると、彼らの言葉の端々から窺えていたのは、「自分(母国)のやり方こそが、真っ当である」という強烈な意識です。
といって、この二つの国から来た人たちに、「傲慢さ」とか、「邪心」などがあるかというと、それはないのです。「天真爛漫」にそう思い、信じているのです。そして、信じているところのものを口に出しているだけに過ぎぬのです。だから両者はぶつかりませんし、傷つきもしません。この両大国の民は、お互いにそういう考え方でありますから、却ってうまくいくのです。「言い立てた。主張した。それでいい。満足だ」とでも思っているかのようなのです。
だいたいからして、こんな「主張(というか、説明)」には、別に「腹黒さ」とか、「相手をどうしてやろう」なんて気持ちが付随していませんから、ワアワア言い合って、それで終わりというものなのでしょう。
けれども、こういう国から来た人と、「小国」から来た人たちが、一つクラスにいて、しかも、人数が「小国」から来た人の方が少なかった場合、悲劇ですね。相手に呑み込まれてしまいます。「小国」や「島国」から来た人は、常に、相手を、まず理解しようと努めますし、相手は、反対に、嵩に懸かって攻めてきますから。しかも、そういう「(弱者に対する)思いやり」など、(相手には)爪の先ほどもありませんから(これは習慣です。悪意はないのです)。それに似たものを見せる時には、「恩恵を与える」かのような仕草でやりますから、(当事者でなくとも)こちらとしては腹立たしくさえなってきます。。
ですから、そういうときには、こちら(教師)が「そりゃあ、ないぜ」と軌道を修正させてやらなければ(本人は自覚していませんから)、相手(同じクラスの小国の民)は傷ついて、心に鬱屈した思いを抱いてしまいます。
国によって、「然るべき時にすべき、然るべき態度」が違うのです。
日本人は、悪いと思ったら、自分に「過ち」がなくとも、「ごめんなさい」「済みません」と言います。それに昔からの宗教的な習いでしょう、あるときは、「おかげさまで」の意味合いをも込めて、「ありがとう」と言います。これは、子供の時から、家庭でもしつけられ、学校教育でも教えられてきたことなのです。ご近所においてもそうです。「あの子は、『済みません』も言えない子」とか「『ありがとう』が言えない子」と言われるのは親にとって、一番切ないことです。近所づきあいが出来なくなるのではないかとか、社会でうまく立ち働いていくことができないのではないかなどと直ぐ心配してしまいます
ところが、「中国人」や「インド人」のみならず、だいたい外国から来た人は「ありがとう」も「ごめんなさい」もあまり言いません。勿論、これは、単なる「習慣」であるに過ぎませんから、これ一つで、彼らを悪く思ってはならないのですが、ここは日本であり、日本人の国でありますから、そういう態度を改めないことには、いろいろな所で摩擦を起こしてしまいます。
私も中国にいる時に、親しくなった友達から「どうして、すぐ『ごめんなさい』と言うのか!」「どうして、すぐ『ありがとう』と言うのか!」とよく責められました。「そういうことを言うのは、私たちを『見外』と見ているからだろう」とも言われました。それで、そのことに関する限りは、中国人の考え方は判るのですが、日本で、それを、その通りにやってしまえば、「無礼千万」な、とんでもない日本人になってしまいます。そんな人間は、既に「日本人」ではないのです。
ですから、彼らが日本にいるつもりなら、それを口癖にするように注意させます。口の端に上らせているうちに、自然と相手に対する感謝の念が湧いてくるでしょうし、大方の日本人は、外連味のある「してやっているんだ」などという下品な態度は採らないでしょうから(私たちは、学生に説明するために「してやっている」ということは言います。それをしなければ、日本のルールが判らないのです。相手がする必要もないのに、好意でしてくれていることに対しては、やはり「ありがとう」と言うべきなのです)。
さて、「徒然なるままに」書いているうちに、また長くなってしまいました。
今年は、これで書き納めです。明日は、学校には出てこないつもりです。そして、正月三が日は狸穴に籠もります。出て来る頃には、またいっそう丸くなっているかもしれません。もっとも、ブログには姿が出ませんので、狸顔を出さずに済みます。
この一年、いろいろお世話になりました。来年もおつきあいのほどをよろしくお願いいたします。
来年も、皆様にとって、いい年になりますように。
よいお年をお迎えください。
日々是好日
「今年も来るぞ 大晦日」か、「今年もあるぞ 大晦日」なのです。
まあ、そうは言いましても、毎年、「除夜の鐘」が、(テレビから)流れ、皆で「今年も終わりですね」と言い合い、真夜中の「12時」になると同時に、「明けましておめでとう」という言葉が飛び交い、「初日の出」によって、「新年」を迎える気分になるということになっているのです、この国では。
勿論、今でも、「小正月」はありますし、地方によっては、この日(1月1日)を「お正月」と見ぬ所もあるでしょう。
だいたい、「お上」が、「暦」を、「天保暦」から「グレゴリオ暦」にするという通達を出しても(「下々」からみれば、それは「官」の都合であるに過ぎなかった)、「熊っつあん」、「八っつあん」にとっては、そんなこと、「知ったこっちゃなかった」ことでしょう。
それにしても、面白いですね。1872年(明治5年)の12月2日の翌日が、12月3日ではなく、1873年(明治6年)の1月1日なんですから。
ただ、「『官』の勝手さ」とも言っていられないところが怖いところなのです。これに則って法律が定められ、税にしても、商売にしても、いろいろとルールが変わり、ジワジワとその影響が出て来てみれば、「一般庶民」たるもの、従わざるを得ません。わが身に危機が迫ってはじめて、「熊っつあん」、「八っつあん」も、「その日を『お正月』と認めねば、ヤバイ」と観念したことでしょうし。もっとも、その日が来るまでは、そんなことになっているなんぞ、わかりもしなかったでしょうし、素直にそれを理解する気にもならなかったでしょう。
「グローバル化」が進み、ドドーン、ドドーンと荒波のような音を立てながら、同じものが量産され、同じことを要求されるようになりますと、「違う」ということが、却って価値をもって感じられてきます。かつては、新時代の息吹さえ感じられていた、この「グローバル化」という言葉も、最近は、手垢にまみれ、しかも、その「負」のイメージばかりが目立つようになってきました。
これは「グローバル化」などではなく、単に軽佻浮薄な「アメリカ化」に過ぎないのではないかとか、「アメリカ発の金融危機」が、これほど大規模に、しかも、深刻な状態にまで拡がったのは、「アメリカン・ドリーム」が、もはや、ただの「拝金主義」に化したからではないのかとか、また、弱小国、旧植民地国が破産状態に陥っているのは、「グローバル化」の中で、旧宗主国に「分業」を強いられて来たという歴史があるからではないかとか。
いやはや、誰もが、この「グローバル化」が止められないということを判っていながら、いえ、判っているからこそなのでしょう、「負」の部分をことさらに喧伝しています。
そして、「自国を守ろう」・「自国の文化を守ろう」・「自国の言語を守ろう」という動きも少しずつ拡がっています。いわゆる、「ローカル主義」であり、「スローフード」などなのですが。ところが、これも、身近に「(グローバル化が拡がることによって、見知った文化や習慣とは)違う」人がいますと、人はそれを認めることができないようなのです。それが遠くであった場合(例えば、日本にいて、アフリカの話を聞く)、「感嘆の面持ちで」聞けるのですが…。人の心具合とは、真に面白いものです。
学生達を見てもそうなのです。同じ国や地域から来た学生が多く存在していますと、それが、クラスの中で「覇」を唱えるようになります。たとえ、「小国」や「弱国」から来ていようと、そうなのです。彼ら自身は自覚していなくとも、そうしてしまうようなのです。
こうなってしまいますと、「相互理解」と、殊更がましく言いましても(日本語学校ですから、小さくとも、常に十数カ国から来た学生達がいます)、他の国や地域から来た学生は、その中に埋没してしまいます。勿論、そういう環境に慣れている「弱小国」から来た学生の多くは、黙って、己がスタイルを守ろうとするのですが。ただ、俗に言う「大国」から来た学生は、それが出来ないのです。やはり、自分の国のやり方が、すべてであり、他にもやり方があるということが、(観念的に)認められないのでしょう。「自分(の国で)はこうだ」で、皆が沈黙するとでも思っているかの如き行動を採ります。
しかしながら、いくら、国土も広く、人口も多い「大国」とはいえ、これとても「井の中の蛙」であることには変わりありません。他者(つまり、他国や他地域)が認められない人を、この学校では「野暮天」と言うのです。
そういう「大国」から来た人は、(人数の上では、いくら劣っていようと)耐えきれないようなのです、黙していることが。始めはクラスの中では「少数民族」ですから、黙っているのですが、直に「ワアワア」騒ぎ出したり、多数者に対して「嫌み」を言い出したりするのです。
日本は「小国」で、しかも「島国」ですから、日本国民は「小国の民のやり方」とでもいうべき行動を、多くは、採ります。私にしてもそうでしたし、友人達もそうでした。つまり「そうか、世界にはいろいろなやり方があるのだな」と、素直に思い、それを「知識」として頭の端っこにでも入れておこうとするのです(気に入れば、自分もそうするでしょうが)。だいたい「事実」にすぎないのですから。また、「事実」というのは、それだけで、「重み」があるのです。個人がどうのこうの言ったってどうしょうもないのですから。
地球上のどの位置に存在しているかで、習慣が異なるというのは、当たり前の事で、それを、皆、同じであるべきだなどと考える方が無理があるのです。
以前、この学校で、多数者が、大国の人(「中国人」や「インド人」)でなかった時期がありました。そういう時でも、彼ら(「インド人」や「中国人」は負けないのです。自分を主張するのです、しかも、大きな声で。それを、静かに聞いていると、彼らの言葉の端々から窺えていたのは、「自分(母国)のやり方こそが、真っ当である」という強烈な意識です。
といって、この二つの国から来た人たちに、「傲慢さ」とか、「邪心」などがあるかというと、それはないのです。「天真爛漫」にそう思い、信じているのです。そして、信じているところのものを口に出しているだけに過ぎぬのです。だから両者はぶつかりませんし、傷つきもしません。この両大国の民は、お互いにそういう考え方でありますから、却ってうまくいくのです。「言い立てた。主張した。それでいい。満足だ」とでも思っているかのようなのです。
だいたいからして、こんな「主張(というか、説明)」には、別に「腹黒さ」とか、「相手をどうしてやろう」なんて気持ちが付随していませんから、ワアワア言い合って、それで終わりというものなのでしょう。
けれども、こういう国から来た人と、「小国」から来た人たちが、一つクラスにいて、しかも、人数が「小国」から来た人の方が少なかった場合、悲劇ですね。相手に呑み込まれてしまいます。「小国」や「島国」から来た人は、常に、相手を、まず理解しようと努めますし、相手は、反対に、嵩に懸かって攻めてきますから。しかも、そういう「(弱者に対する)思いやり」など、(相手には)爪の先ほどもありませんから(これは習慣です。悪意はないのです)。それに似たものを見せる時には、「恩恵を与える」かのような仕草でやりますから、(当事者でなくとも)こちらとしては腹立たしくさえなってきます。。
ですから、そういうときには、こちら(教師)が「そりゃあ、ないぜ」と軌道を修正させてやらなければ(本人は自覚していませんから)、相手(同じクラスの小国の民)は傷ついて、心に鬱屈した思いを抱いてしまいます。
国によって、「然るべき時にすべき、然るべき態度」が違うのです。
日本人は、悪いと思ったら、自分に「過ち」がなくとも、「ごめんなさい」「済みません」と言います。それに昔からの宗教的な習いでしょう、あるときは、「おかげさまで」の意味合いをも込めて、「ありがとう」と言います。これは、子供の時から、家庭でもしつけられ、学校教育でも教えられてきたことなのです。ご近所においてもそうです。「あの子は、『済みません』も言えない子」とか「『ありがとう』が言えない子」と言われるのは親にとって、一番切ないことです。近所づきあいが出来なくなるのではないかとか、社会でうまく立ち働いていくことができないのではないかなどと直ぐ心配してしまいます
ところが、「中国人」や「インド人」のみならず、だいたい外国から来た人は「ありがとう」も「ごめんなさい」もあまり言いません。勿論、これは、単なる「習慣」であるに過ぎませんから、これ一つで、彼らを悪く思ってはならないのですが、ここは日本であり、日本人の国でありますから、そういう態度を改めないことには、いろいろな所で摩擦を起こしてしまいます。
私も中国にいる時に、親しくなった友達から「どうして、すぐ『ごめんなさい』と言うのか!」「どうして、すぐ『ありがとう』と言うのか!」とよく責められました。「そういうことを言うのは、私たちを『見外』と見ているからだろう」とも言われました。それで、そのことに関する限りは、中国人の考え方は判るのですが、日本で、それを、その通りにやってしまえば、「無礼千万」な、とんでもない日本人になってしまいます。そんな人間は、既に「日本人」ではないのです。
ですから、彼らが日本にいるつもりなら、それを口癖にするように注意させます。口の端に上らせているうちに、自然と相手に対する感謝の念が湧いてくるでしょうし、大方の日本人は、外連味のある「してやっているんだ」などという下品な態度は採らないでしょうから(私たちは、学生に説明するために「してやっている」ということは言います。それをしなければ、日本のルールが判らないのです。相手がする必要もないのに、好意でしてくれていることに対しては、やはり「ありがとう」と言うべきなのです)。
さて、「徒然なるままに」書いているうちに、また長くなってしまいました。
今年は、これで書き納めです。明日は、学校には出てこないつもりです。そして、正月三が日は狸穴に籠もります。出て来る頃には、またいっそう丸くなっているかもしれません。もっとも、ブログには姿が出ませんので、狸顔を出さずに済みます。
この一年、いろいろお世話になりました。来年もおつきあいのほどをよろしくお願いいたします。
来年も、皆様にとって、いい年になりますように。
よいお年をお迎えください。
日々是好日