日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「書き納め」。「グローバル化、事実と主張、相互理解」。

2009-12-30 11:36:06 | 日本語の授業
 今年も、あと二日で終わり。明日は、いよいよ「大晦日」です。別に待っていたわけでも、待ち遠しかったわけでもないのですけれど。

「今年も来るぞ 大晦日」か、「今年もあるぞ 大晦日」なのです。

 まあ、そうは言いましても、毎年、「除夜の鐘」が、(テレビから)流れ、皆で「今年も終わりですね」と言い合い、真夜中の「12時」になると同時に、「明けましておめでとう」という言葉が飛び交い、「初日の出」によって、「新年」を迎える気分になるということになっているのです、この国では。

 勿論、今でも、「小正月」はありますし、地方によっては、この日(1月1日)を「お正月」と見ぬ所もあるでしょう。

 だいたい、「お上」が、「暦」を、「天保暦」から「グレゴリオ暦」にするという通達を出しても(「下々」からみれば、それは「官」の都合であるに過ぎなかった)、「熊っつあん」、「八っつあん」にとっては、そんなこと、「知ったこっちゃなかった」ことでしょう。

 それにしても、面白いですね。1872年(明治5年)の12月2日の翌日が、12月3日ではなく、1873年(明治6年)の1月1日なんですから。

 ただ、「『官』の勝手さ」とも言っていられないところが怖いところなのです。これに則って法律が定められ、税にしても、商売にしても、いろいろとルールが変わり、ジワジワとその影響が出て来てみれば、「一般庶民」たるもの、従わざるを得ません。わが身に危機が迫ってはじめて、「熊っつあん」、「八っつあん」も、「その日を『お正月』と認めねば、ヤバイ」と観念したことでしょうし。もっとも、その日が来るまでは、そんなことになっているなんぞ、わかりもしなかったでしょうし、素直にそれを理解する気にもならなかったでしょう。

 「グローバル化」が進み、ドドーン、ドドーンと荒波のような音を立てながら、同じものが量産され、同じことを要求されるようになりますと、「違う」ということが、却って価値をもって感じられてきます。かつては、新時代の息吹さえ感じられていた、この「グローバル化」という言葉も、最近は、手垢にまみれ、しかも、その「負」のイメージばかりが目立つようになってきました。

 これは「グローバル化」などではなく、単に軽佻浮薄な「アメリカ化」に過ぎないのではないかとか、「アメリカ発の金融危機」が、これほど大規模に、しかも、深刻な状態にまで拡がったのは、「アメリカン・ドリーム」が、もはや、ただの「拝金主義」に化したからではないのかとか、また、弱小国、旧植民地国が破産状態に陥っているのは、「グローバル化」の中で、旧宗主国に「分業」を強いられて来たという歴史があるからではないかとか。

 いやはや、誰もが、この「グローバル化」が止められないということを判っていながら、いえ、判っているからこそなのでしょう、「負」の部分をことさらに喧伝しています。

 そして、「自国を守ろう」・「自国の文化を守ろう」・「自国の言語を守ろう」という動きも少しずつ拡がっています。いわゆる、「ローカル主義」であり、「スローフード」などなのですが。ところが、これも、身近に「(グローバル化が拡がることによって、見知った文化や習慣とは)違う」人がいますと、人はそれを認めることができないようなのです。それが遠くであった場合(例えば、日本にいて、アフリカの話を聞く)、「感嘆の面持ちで」聞けるのですが…。人の心具合とは、真に面白いものです。

 学生達を見てもそうなのです。同じ国や地域から来た学生が多く存在していますと、それが、クラスの中で「覇」を唱えるようになります。たとえ、「小国」や「弱国」から来ていようと、そうなのです。彼ら自身は自覚していなくとも、そうしてしまうようなのです。

 こうなってしまいますと、「相互理解」と、殊更がましく言いましても(日本語学校ですから、小さくとも、常に十数カ国から来た学生達がいます)、他の国や地域から来た学生は、その中に埋没してしまいます。勿論、そういう環境に慣れている「弱小国」から来た学生の多くは、黙って、己がスタイルを守ろうとするのですが。ただ、俗に言う「大国」から来た学生は、それが出来ないのです。やはり、自分の国のやり方が、すべてであり、他にもやり方があるということが、(観念的に)認められないのでしょう。「自分(の国で)はこうだ」で、皆が沈黙するとでも思っているかの如き行動を採ります。

 しかしながら、いくら、国土も広く、人口も多い「大国」とはいえ、これとても「井の中の蛙」であることには変わりありません。他者(つまり、他国や他地域)が認められない人を、この学校では「野暮天」と言うのです。

 そういう「大国」から来た人は、(人数の上では、いくら劣っていようと)耐えきれないようなのです、黙していることが。始めはクラスの中では「少数民族」ですから、黙っているのですが、直に「ワアワア」騒ぎ出したり、多数者に対して「嫌み」を言い出したりするのです。

 日本は「小国」で、しかも「島国」ですから、日本国民は「小国の民のやり方」とでもいうべき行動を、多くは、採ります。私にしてもそうでしたし、友人達もそうでした。つまり「そうか、世界にはいろいろなやり方があるのだな」と、素直に思い、それを「知識」として頭の端っこにでも入れておこうとするのです(気に入れば、自分もそうするでしょうが)。だいたい「事実」にすぎないのですから。また、「事実」というのは、それだけで、「重み」があるのです。個人がどうのこうの言ったってどうしょうもないのですから。

 地球上のどの位置に存在しているかで、習慣が異なるというのは、当たり前の事で、それを、皆、同じであるべきだなどと考える方が無理があるのです。

 以前、この学校で、多数者が、大国の人(「中国人」や「インド人」)でなかった時期がありました。そういう時でも、彼ら(「インド人」や「中国人」は負けないのです。自分を主張するのです、しかも、大きな声で。それを、静かに聞いていると、彼らの言葉の端々から窺えていたのは、「自分(母国)のやり方こそが、真っ当である」という強烈な意識です。

 といって、この二つの国から来た人たちに、「傲慢さ」とか、「邪心」などがあるかというと、それはないのです。「天真爛漫」にそう思い、信じているのです。そして、信じているところのものを口に出しているだけに過ぎぬのです。だから両者はぶつかりませんし、傷つきもしません。この両大国の民は、お互いにそういう考え方でありますから、却ってうまくいくのです。「言い立てた。主張した。それでいい。満足だ」とでも思っているかのようなのです。

 だいたいからして、こんな「主張(というか、説明)」には、別に「腹黒さ」とか、「相手をどうしてやろう」なんて気持ちが付随していませんから、ワアワア言い合って、それで終わりというものなのでしょう。

 けれども、こういう国から来た人と、「小国」から来た人たちが、一つクラスにいて、しかも、人数が「小国」から来た人の方が少なかった場合、悲劇ですね。相手に呑み込まれてしまいます。「小国」や「島国」から来た人は、常に、相手を、まず理解しようと努めますし、相手は、反対に、嵩に懸かって攻めてきますから。しかも、そういう「(弱者に対する)思いやり」など、(相手には)爪の先ほどもありませんから(これは習慣です。悪意はないのです)。それに似たものを見せる時には、「恩恵を与える」かのような仕草でやりますから、(当事者でなくとも)こちらとしては腹立たしくさえなってきます。。

 ですから、そういうときには、こちら(教師)が「そりゃあ、ないぜ」と軌道を修正させてやらなければ(本人は自覚していませんから)、相手(同じクラスの小国の民)は傷ついて、心に鬱屈した思いを抱いてしまいます。

 国によって、「然るべき時にすべき、然るべき態度」が違うのです。

 日本人は、悪いと思ったら、自分に「過ち」がなくとも、「ごめんなさい」「済みません」と言います。それに昔からの宗教的な習いでしょう、あるときは、「おかげさまで」の意味合いをも込めて、「ありがとう」と言います。これは、子供の時から、家庭でもしつけられ、学校教育でも教えられてきたことなのです。ご近所においてもそうです。「あの子は、『済みません』も言えない子」とか「『ありがとう』が言えない子」と言われるのは親にとって、一番切ないことです。近所づきあいが出来なくなるのではないかとか、社会でうまく立ち働いていくことができないのではないかなどと直ぐ心配してしまいます

 ところが、「中国人」や「インド人」のみならず、だいたい外国から来た人は「ありがとう」も「ごめんなさい」もあまり言いません。勿論、これは、単なる「習慣」であるに過ぎませんから、これ一つで、彼らを悪く思ってはならないのですが、ここは日本であり、日本人の国でありますから、そういう態度を改めないことには、いろいろな所で摩擦を起こしてしまいます。

 私も中国にいる時に、親しくなった友達から「どうして、すぐ『ごめんなさい』と言うのか!」「どうして、すぐ『ありがとう』と言うのか!」とよく責められました。「そういうことを言うのは、私たちを『見外』と見ているからだろう」とも言われました。それで、そのことに関する限りは、中国人の考え方は判るのですが、日本で、それを、その通りにやってしまえば、「無礼千万」な、とんでもない日本人になってしまいます。そんな人間は、既に「日本人」ではないのです。

 ですから、彼らが日本にいるつもりなら、それを口癖にするように注意させます。口の端に上らせているうちに、自然と相手に対する感謝の念が湧いてくるでしょうし、大方の日本人は、外連味のある「してやっているんだ」などという下品な態度は採らないでしょうから(私たちは、学生に説明するために「してやっている」ということは言います。それをしなければ、日本のルールが判らないのです。相手がする必要もないのに、好意でしてくれていることに対しては、やはり「ありがとう」と言うべきなのです)。

 さて、「徒然なるままに」書いているうちに、また長くなってしまいました。

 今年は、これで書き納めです。明日は、学校には出てこないつもりです。そして、正月三が日は狸穴に籠もります。出て来る頃には、またいっそう丸くなっているかもしれません。もっとも、ブログには姿が出ませんので、狸顔を出さずに済みます。

 この一年、いろいろお世話になりました。来年もおつきあいのほどをよろしくお願いいたします。

 来年も、皆様にとって、いい年になりますように。
 よいお年をお迎えください。

日々是好日
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「蜃気楼」。「『音』という『声』」。

2009-12-29 08:51:25 | 日本語の授業
 今朝の学校は、いつもにも増して静まりかえっています。「学生」が来ない、或いは、来るはずのない学校というのは、寂しいものです。「灯の消えたような」というよりも、もっと根本的なところで寂寥感が漂ってきます。

 「建物」は同じように存在していますのに、「資料」も「教材」も、すべてここにありますのに、それを使うべき「存在」が見あたらないというのは、決定的です。存在する意味がないのです。「教える人」と、「教えられる人」がいなければ、いくらコンクリートの立派な建物があろうと、同じこと、それは「建てられているもの」でしかないのです。主体的な目的的存在ではありません。既に目的を失った、いわば、「蜃気楼」の如きものなのです。

 「ない」のです、意味が。一般的に、こういう「日本語学校」というものは、ややもすれば、「建物ありき」で、すべては進行していくのかもしれません。しかしながら、「人」がいて、しかも「向学心に富む者」がいてこそ、初めて、「学生」という名が存在し始めるように、「人」がいて、しかも「教える術も能力も経験」も十分な者がいて、初めて「教師」として存在が許されるのではありますまいか。

 「教師」を鍛えるのは、「学生」であり、「学生」によって鍛えられることが出来ない者は、おそらく「教師」とは、呼ぶべきではないのです。もちろん、「教育する術」はある程度学ぶことができます。けれども、それは「その技術を知っている」に過ぎないのです。それを「活用」することが出来るのは、「経験」だけでも、「知恵」だけでも不足なのです。

 どのような仕事であれ、「二十年やった」とか、「三十年やった」とかいうことだけでは、「経験」と呼べないように、「経験」とは、そこにいて、その仕事をして、そこから「痛み」やら「術」やらを紡ぎ出すことが出来る者においてしか、成立しないものなのです。

 それ故に、何事であれ、そうでしょうが、教師という仕事においても、「プロ意識」というものが必要になります。

この職業に就いている者は、ある種の「匂い」がします。その「匂い」故に、互いに惹き合い、切磋琢磨できるのです。若い人でも、懸命にしているうちに、急に力が抜けるときがきます。この「力が抜ける」という意味は、懸命は懸命であっても、急に「見えてくる」ことから生まれます。「視野の広がり」から生じるものなのです。

 勿論、どのような仕事であれ、「完成」する時はありません。これで「一流」ということもありません。目の前の仕事をこなしていけるだけでも、大したものなのですから。

 私は時々、学生達と「犬」や「猫」の声だけで、会話をすることがあります。彼らは、私を真似て、同じようにうなり声や叫び声などで、私と意思の疎通を図ります。声とはいえぬ「音」だけでも、ある程度の、そして、おそらくは最も大切な「感情」や「気持ち」を伝えることが出来るのです。そうは言いましても、これは「大卒」であったり、「偉ぶった」りしている人には向きません。そういう人は、こういうことが出来ないのです。

 「言葉を学ぶ」前に、まず、「言葉」以外で、「相手の気持ち」を忖度できるべきだという思いが私にはあります。「言葉」を使えるから、「相手が理解できる」のではなく、「よりよく知りたいから学ぶのだ、言語を」という思いなのです。「動機」だけでなく、「心の準備」なのです。こういう姿勢がなければ、言葉がいくら自在に使いこなせようとも、それは言葉を「玩んでいる」ことにしかならないのではありますまいか。

 「幼児」のつもりで言葉を学ぶよりも先に、「サル」でもよし、「ニワトリ」でもよし、そういう、言葉の数の極端に少ない動物に戻って、心を緩やかに拡げて、「人の存在」と対していくべきではないのか、そういう気がするのです。そうすれば、もっと肩の力を抜き、柔らかくなった分だけ、相手の心を受け入れられるのではないかと思うのです。「学術的な知識」や「修辞学的な技術」を学ぶよりも先に、同じ「動物」になって、或いは同じ「ヒト」になってみることが、言語を学ぶ上でも必要のことであるような気がしてならないのです。

 勿論、これは、いつも出来るということではありません。そういうことをされた経験がない人は驚くでしょうし、特に「秀才」と言われるタイプの人は面食らうでは済まされないでしょう。ただ、相手も心が柔らかいと、これで会話が出来るのです、自分の思いを伝える「音」を用いて。

 古来から、私たちは、鳥や動物の声、或いは、風や海、小川のせせらぎなど、自然界に存在する様々な「音」に、「声」を感じてきました。人、すべてに背かれても、自然界の「音」は、私たちを見捨てませんでした。そして、それは「心に響く声」になったのです。時には、人は、それを「音楽」として活用もしました。けれども、一番すばらしいのは、「言葉」という複雑な回路を用いずに、「あ」なら「あ」だけ、「お」なら「お」だけでも、思いは伝えられると言うところなのです。

 こういうところに一旦戻ることができたら、人は複雑怪奇な存在から、単純素朴な存在に戻れるような気がするのですが、どうでしょう。

日々是好日
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「雨に濡れた街」。「何事も、まず、『日本語能力試験(一級)』に合格してから」。

2009-12-28 08:22:50 | 日本語の授業
 今朝の空気は柔らかい。きっと昨晩から早朝にかけて降った雨のせいでしょう。

 こういう日は、お日様の光がありませんから、まだ街は闇の中に沈んでいます。車のヘッドライトに照らされて、時折、木々が姿を現すのですが、その姿も、いつの間にか、「きっぱりとした冬」になっています。葉を落とし切った樹は、贅肉を削ぎ落とされた棒のようにも感じられます。「微睡んでいる」というよりも、深い眠りに落ちているようです。

 その中に、ぼんやりとでも、アワアワと膨れて見える樹があれば、それはだいたい椿の木でしょう。花だけであったら、山茶花と間違われもしましょうが、シルエットだけであったら、山茶花の幹が、どこかしら、線が細く感じられるのに対して、これは図太いのです。しかも、その葉たるや、テカテカとした光沢さえあるのですから。

 とはいえ、小学校の柳の樹は、葉をまだつけています。すっかり青味を失った葉です。細い枝の一部と化してしまったかのように見えます。闇の中ですと、何かの精が乗り移ったようにも見えて、少々怖いくらいです。

 さて、先週で「補習」も終わり、今日は、「大掃除」です。

 金曜日に、「大晦日」と「正月」の説明をしたあと、「よいお年を」と学生達を帰したのですが、中には、「先生達は、月曜日も来ますか」と聞きに来た学生がいました。それで、
「はい、来ます。大掃除ですからね。(あなたも)学校へ来ますか。その時は、バケツと箒とぞうきんを持って来てください。それから、汚れても良い格好をしてきてくださいね」と言うと、「キャー、キャー」とか「イヤー」とか言って逃げていきますね。(本当に、こんなことでも楽しいのです。何といっても「明日から休みだ。自由だ」ですから)それでも、どうしても来なければならない学生は、「8時半頃来ます」と知恵を働かせます。

 「大学院」への進学を目指している学生は(勿論、その学生の「日本語」のレベルに応じてですが、速い学生では)7月の「一級試験」後すぐから、大学院の教授方と連絡を取る準備を始めます。「一級試験」の出来は自分でも判るでしょうし、中国のサイトで直ぐに試験問題も発表されているようですから、点数もだいたいのところが判るのでしょう。

 ここで「準備」と言いましたが、本当に、これは「準備」なのです。彼らは大きな顔をして、「『専門』は『経営』です」とか言うのですが、それで事足りるのは、「大学」レベルであって、「大学院」では、もっと細かな設定が必要なのだと言うことが判っていないのです。特に、「卒業論文」を、レポートレベルで書けばよかったという国から来た人達は大変です。そんなわけで、どんどんと贅肉を削ぎ落としていく作業が必要になるのです(だって、それは日本の高校生が、大学で、「経済」を専攻したいというのとどれほどの差があるのでしょう。大学で何を勉強して来たんだと言われても、一言も返せないでしょう)。それをどんどん削ぎ落とさせ、細分化させ、専門の中の何を研究したいのかを見つけ出させるのに、何ヶ月かかかるのです。

 勿論、これも、日本語のレベルが「一級」に達していませんと、(日本語で書かれた専門書も、教授方の論文も読めませんから)私たちにも手伝ってやれることには限界があります。必ず必要だとされる「英語」も、中国人であれば、「研究生」の時に頑張ればいいと言ってくださる教授もいますから、それは人物本位に選んでくださる大学なり教授なりを捜せばいいのです。

 こうは言いますものの、実際には、「英語が出来なければネ」と、鼻でせせら笑うような応対をする大学院の教授もいないことはないのです。「困ったな。どうしょう」くらいの表情で、応対してくれれば、私たちの方でも、(学生に)「残念だったね。他を当たろう」と元気づけることができるのですが。

 何と言っても、世界は広く、(国の中には)「自分達の言語」では「学問」ができないという国も少なくないのです。自国の言語で、大学教育ができるというレベルの国の民が、却って、馬鹿にされるなんて、愚かな話なのですが、これがグローバル(アメリカ)化が進んだ結果なのでしょう。

 とはいえ、これは、全く国や地域の実情を無視しています。

 本人にやる気さえあれば、ある程度の事は乗り越えられます。すでにある程度の能力は備えているのですから。あとは、必要か必要でないかの問題です。必要であることがはっきりすれば、やるのです。日本で大学院を受験しようという学生は、外国語である日本語で、「一級」に合格しているのですから、出来ないはずがないのです。要は、「本人が、どれくらいその学問をやりたいか」なのです。(相手の教授に)それが見抜けないのであれば、「『こっちからお断りさ』とでも言っておやり」と、学生には言います。そうでもしなければ、(学生の方で)トラウマとなってしまいます。

 まあ、「大学院」の方はいいとして、残されたのは、「大学」受験を目指す学生です。理系の学生は、国立大学入試まで、三ヶ月間、予備校(「化学」「物理」「数学」)へ、土日だけ通ってもらうことにしています。「英語」の方は(「トーフル」か「トーイック」かは大学によって違いますから)、英語の先生が、それぞれの試験のための授業を週一でやってくれています。

 しかしながら、これも、全く素養がないと、できないことなのです。学生によっては、まず「英語アレルギー」をなくすことから始めなければならない人もいますし、「アルファベット」からやろうなんて人もいます。こういう人たちをごった煮のように学ばせても、共倒れになるだけなのです。母国でどれだけの英語力が養えているかが、日本で国立大学を受験する場合の鍵となります。だってそうでしょう、学生によっては、すでに「トーフル」である程度の点数が取れているのですから、「イロハ」からやろうという人と一緒に勉強なんてできません。

 「英語」が出来なければ、「日本語」だけで勝負すればいいのです。「留学生試験」で高得点がとれていれば、それを参考にしてくれる大学もあります。けれども「国立大学」は、英語も必要ですから、ある程度の「英語力」が、母国で作られていなければ、それは無理なのです。「日本へ行ってから、『英語』を勉強します」なんて言う人も、中にはいるのですが、「日本語」と「英語」を、しかも、どちらも、「一から始める」のに等しい状態でやろうなんて。だいたい、それができるほどの人は、こんなところへ来はしません。母国で、一流の大学に入っているでしょう。だから、「日本へ行ったら、何でもやる」なんてことは考えない方がいいのです。だいたい、母国でのレベルが、日本でのレベルでもあるのですから。

 ただ、時々、そうではない人もいるのです。「どうして、こんなに頭がいい子が、彼らの国では成績がそれほどよくなかったのだろう」と、首をかしげたくなるような学生もいることはいます。それは、おそらく彼らの国の教育方法では伸びなかった人なのでしょう。ただ、そういう人は、日本へ来て(この学校の)授業に参加すれば、一週間ほどで、それが判ります。そういう人には、個別に別の勉強をさせもします。別に英才教育というわけでもありませんが(何でもそうです)、学ぶ上でも「(頭を)暇にさせすぎる」のはよくないのです。

 さて、そろそろ8時半になります。8時半を過ぎて来てしまえば、掃除道具と向き合うことになります。来ると言った学生達の「運命や如何」。

日々是好日
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「『たそかれ』時、『かはたれ』時」。「読書の習慣」。

2009-12-24 11:07:09 | 日本語の授業
 今朝、東の空を見ながら、ふと思いました。同じような薄明でありながら、何故に、早朝を「たそがれ」時とは言はず、「かはたれ」時と言うのでしょうかと。古くは「かはたれ」時を夕闇に鎖されはじめた頃にも用いたと聞いたことがあるらしいのですが…。本当のところはどうなのでしょう 。

 「たそがれ」時は「誰(た)そ彼(かれ)は」時でありますし、「かはたれ 」時は、「彼(かれ)は誰(た)そ」でありましょう。今の日本語で育った私にも、「たそがれ」時は、あくまで「黄昏」時以外の何物でもないように感じられるのに比べて、「かはたれ」時というのは、どことなく所属が曖昧であるような、そんな印象があります。

 それに、残照に灼けた目には、一瞬、もの皆、黒い影と化し、正体が掴めぬであろうけれども、早朝では、同じような薄暗闇でありながら、闇からほのぼのと白む明かりに助けられて、急に色が混ざってくるような気もします。その違いはけっして少なくはありますまい。

 人生とて同じなのでしょう。絶頂期から急に墜とされてしまえば、すべてが見えなくなり、心も闇に鎖されてしまうでしょうし、反対に、どん底にいた者が、微かなでもあれ、光を目にすれば、途端に、「希望」がまだ「パンドラの箱」に残されていたことを思い出すでしょう。おかしなものです。外から見れば、全く同じ状態であっても、「気持ち」が違うのです。すべては「気持ち」次第というところなのかもしれません、人生とは。

 さて、また「クリスマスイヴ」の日がやってきました。しかしながら、今年は、「『キリスト暦』でこうだから、こうせい」という学生もいません。「大学入試を控え、それどころではない」と考えているのか、それとも、「ケンタッキーのかき入れ時(アルバイトで上級クラスの学生が何人か、お世話になっています)なので、それどころではな」のか。そこのところは、少々「ん?ん?ん?ん?」なのですが、大学に行くためには、それなりの資金、つまり、入学金やら学費やらが必要ですから、どちらにしても、頑張れ!というしかありません。

 「CDクラス」では、少しずつ学生が落ちてきました(来なくなったのです)。勿論、これは「補習」ですから、来なければならないというものでもありません。ただ、来た方がいいのです。なぜなら、「Cクラス」の学生にしても、未習の課に入っていますし、例年の「休み明け」の学生達の状態を思えば、「休み」というのは、短ければ短いほどいいのです。

 もっとも、この進度について行けないと思えば、(来年の1月から分けますから)自分にあったクラスの方に移ればいいのです。これも不思議なもので、教師が「この人はこっちのクラスの方が上達するだろう」と、いくらそう考え、勧めても、なかなか納得してもらえない場合があるのです。そういう学生は、どちらが「上か」と、すぐに考えてしまうのでしょう。で、「下」は嫌となるようなのです。実際は、「上」も「下」もなく、学生達のレベルや実情に合わせて、「内容」なり、「進度」なりを変えているだけですのに。

 なにも、「速く進めた方が、上達する」というわけでもないのに。彼らの国では、いえ、彼らの住んでいた「町」や、学んできた「学校」では、常に「上」であったという自負心が、「上達するための」妨げになっているのかもしれません。

 私たちは語学を学ぶとき(他の場合でも同じでしょうが)、「レベルが合わない、下の方がいい」と自分から荷物を持って移る場合も少なくないというのに。勿論、教師に(自分の考えているのとは違う方であっても、それを)勧められれば、話は別です。専門にしている人から、こちらの方がいいであろうと言われれば、それに従いますが。

 「非漢字圏」の人が、日本語を学ぶ場合のことですが、学校で、授業の時に座っているだけでは上達できません。漢字がありますし、その漢字にも読み方が一つではないのです。ただ、自分の国では、座っているだけで、充分だった(つまり、それくらいの「知識」しか学んで来なかったということになるのですが。なぜなら、彼らはごく普通の能力の持ち主にすぎぬからです。天才ではありません)のでしょうが、そういう人にとっては、家へ帰ってまで勉強するということが、理解しにくいようなのです。

こういう人は、「耳」だけに頼った教育を受けてきているように思えるのです。日本とは全く違います。日本では、小さいうちから、学校でも、家でも、「本を読め」と言われて育ちます。小学校のみならず、中学校でも「読書の癖を付ける」ために、教師も父母も必死になって、そういう環境を作ろうとします。そういう国の人間から見れば、「耳」だけに頼った学び方というのは、脅威です。

 「読解・文法」の授業であっても、「耳」に頼って答えようとするのです。一応、教科書は読みます(段落)し、単語の意味も当然のことながら、口頭で説明します(勿論、書きもしますが)。それを耳に「留めて」おき、それで、質問に答えようとするのです。当然のことながら、まず正しい答えは出てきません。『留学生試験』の「聴読解」が、メモをとる習慣のない人には難解であるのと、同じ理屈でしょう。『日本語能力試験(1級)』の「聴解」レベルであればいいのですが。

 内容がある文章や、あるいは、主張がある文章は、「耳」に残った「音」だけを頼りにしても、それほど「思索」できないものなのです。何度も読み返し、読み返ししながら、考えていくものなのです。「音」は聞き落とす場合もあるでしょうが、一度書かれた「文字」は消えません。残っています。「耳」に残った「音」だけを頼りに思考しようとしても、それほど思索できないものなのです。「読む」という作業は、それは空しい作業なのです。

 もちろん、「読解力」のある「非漢字圏」の人たちも少なくありません。しかし、日本語学校に来るような人たちは、多くはその国の平均的な(多少は、お金がある家庭です)人たちなのです。秀才(とはいいながら、村でしか認められないような秀才が多いのです。英語が95%は判ると本人は言うのですが、彼らの日本語の理解力から推して考えますに、それは、私たちにはあり得ないことに思えます。そこでも「彼らの自らに対する認識度」が問題になるのですが。

 彼らの「日本語の単語」に関する理解力は、だいたいよくて「中級」の始めの方で終わります。それ以上にいくと、もう「英語」では対応できないのです。

 私は中国や日本において、「非漢字圏」の人たち(欧米、アフリカ、アラブ、東南アジア、ラテンアメリカから来た)とつきあいがありました。中国においては、クラスメートや同僚として、また日本においては、教師として。中には、「漢字圏」の学生と比べても、全くひけをとらぬほどの理解力、つまり読解力を示してくれた人もいました。

 けれども、平均的なその国の(知的な)レベルというのは、その国の国力と関係しているような気がするのです(当然のことながら、国レベルの秀才は別です。こういう人たちと普通の人たちを一緒にはできません)。たとえば、小学校から「英語」で授業を受けてきたという人であってもです。そういう人でも、家庭では、その民族の言葉です。どれくらいの「英語力」なのかを知るために、私たちなら、「(英語の)どんな本を読んだことがあるか」とか、「誰の本を読んだことがあるか」と、「書名」や「(彼らが読んだであろう小説などの)作家名」を聞きます。けれども、彼らの「英語で勉強した」という範疇には、そういうことは、殆どないのです。

 たいていは「音楽」であったり、「映画」であったりするだけです。それでもいいのですが、(「英語」で様々な知識を吸収してきたはずの)彼らは、母国の学校で、いったいどれだけのものを仕入れることができたのでしょう。また、英語に頼らざるを得ない、そのような政府が、国民に準備してやれる教育というのは、どの程度のものなのでしょうか。

 さあ、午前の学生達が来始めました。今日は、一番最初に(8時頃に)、「Eクラス」のが学生が一人来て、動詞の活用を勉強し始めました。これが続くと良いのですが。

 日々是好日

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「理解を助けてくれるはずの『媒介語』が、一知半解であってみれば」。

2009-12-22 12:34:25 | 日本語の授業
 昨日、一昨日と近くの「妙典駅(東西線)」から、きれいな「富士山」が見えたとか(新しい駅だから、見晴らしが良いのでしょう)。昨日の午前の授業は、その話で持ちきりでした。そういえば、以前、「暴れん坊将軍(テレビ番組)」では、「江戸城」と「富士山」がセットになって映っていましたっけ。孤高の山ともいえる、この「富士山」は、ひとりぼっちの山でもあるわけで、高い建物などなかった江戸時代には、東京のどこからでも見ることのできる親しみやすい存在でもあったのでしょう。

 「~だ」そうでしたから、私も今朝、思わず空を見てしまいました。ところが、今日は、あいにくなことに、曇り空。黒っぽい雲が、幾片か、浮かんでいます。ホンに残念なこと。昨日も一昨日も、夜明け頃には、一片の雲も見えませんでしたし、しかも風が強かったので、(雲が)あったとしても直ぐに吹き飛ばされていたことでしょう。それにひきかえ、今日は雲もあるし、風もない…ということで、富士山の雄姿を拝むのは、しばらくお預けになりそうです。

 「CDクラス」の「補習」は、今週いっぱい続きます。と言いながら、この「授業」を、「補習」というのは、「Cクラス」はさておき、「Dクラス」にとっては余りふさわしくないような気がします。また「Cクラス」にとっても、既に未習の「課」に入りましたので、こういう言い方は、ふさわしくないのです。ただ単に、「課」を進めているだけです。

 「CDクラス」のうち、「Dクラス」は、以前から持っていますから、彼らの言語を学ぶ上での「資質」や「傾向」などは、ある程度判っているつもりなのですが、「Cクラス」の学生達は、また別問題です。

 このクラは、いわば「他民族クラス」で、中国人(漢族)以外に、タンザニア人、ガーナ人、ミャンマー人、フィリピン人、スリランカ人、インド人がいます。
 資質的に優れている「インド人(タミル系)」学生と、すでに「二級」レベルになってから来日した「ミャンマー人」学生はさておき(何となれば、一人で学習する事が出来るし、一人でやったことでも、それなりの結果が出せるのです。しかも、やれないときでもその理由を言うことができます)、他の学生たちには、それぞれ厄介な問題があります。

 一つは日本語を理解する上で、媒介言語(この場合は英語)のレベルが、おそらく、彼らが思っているほどには高くないのではないかと思われることです。「媒介言語」のレベルが低いと、それを通して見えてくる「日本語」の姿も、私たちが説くものとは異なってきます。その上、判らないときに頼りにすべき「日英辞書」にしても、すでに彼らが学んできた範囲を超えているであってみれば、読み取れないのですから、頼みにはなりません。だからといって、彼らの母語と日本語の対訳などはありませんから、英語辞書しかないのです。しかしながら、その書いてある英語の理解が一知半解であってみては、調べる意味すらないのです。

 私たちにはそう見えるのですが、かといって、彼らがそう思っているかというと、とてもそうは見えないのです。途上国から来た人たちは、判で押したように、「英語はできる。わかる」と言います。『初級』レベルなら、それでも通用するでしょうが、『中級』に入った途端に、(「単語」レベルでの)理解度が落ちてしまうので、私たち、教師は、彼らの「英語能力(読む・書く)」に疑問を感じざるを得ないのです(英語の対訳は作ってもらっています)。

 ある学生などは、とてもまじめなのですが、そのまじめさも、彼らの出来る範囲、想像玉のつく範囲での勉強と言うことになってしまいます。コツコツと、繰り返せば、どうにかなるということ、つまり、漢字を覚えたり、教科書が読めるということなどまでは、がんばれるのですが、途端に「眼が泳いで」しまうのです。

 これまでは、非漢字圏の学生で、このようなタイプ(英語のレベルはそれほど高くない。まじめでコツコツする。その国から来ているのは一人だけ)の学生はいませんでした。しかしながら、こういう学生が来ると言うことは、私たちも彼らにあった勉強方法を考えて行かざるを得ません。きっと、またこういうタイプの学生はくるでしょうから。ということで、多分、休みが明けてからは、「成績」や「今まで受けた(母国での)教育」、「本人の資質」などを考慮し、また本人の希望などもちょっぴり入れて、従来の「Cクラス」と「Dクラス」を合併させ、分割して、新たなクラスを作ることになりそうです。

日々是好日
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「『熊』は一度に二つの物を持てない」。「少しずつ変わる学生、『諦め』と『覚悟』」。

2009-12-21 08:20:18 | 日本語の授業
 12月は、一年で一番夜が長いとか。それ故に、朝の闇も深く感じられるのでしょう。今朝は、きれいな濃紺の空が迎えてくれました。自転車の向かう先が、深海色をした空なのです。星も見えませんでした。私は海底から、空を見上げている魚のような気分で、自転車に乗っていたのです。一度だけ、角を曲がったときに眼の端に光ったのが、もしかしたら、星だったのかもしれません。それとても、星であったのか何であったのか、確としたことはわかりません。

 それが、角を曲がると(あとは東に向かってひた走るのですが)、そこは、もうかなり白んでいて、薄い水色の空になっていたのです。明け方の空というのは、一分一秒で姿を変えていきます。自然の乏しい、このような地であろうと、楽しもうと思えば、それなりに自然を見つけることができるようです。

 学校に着くと、郵便受けには、またどっさりと印刷物が入っていました。これを見るたびに、自分と「クマ(熊)」の知能とが重なってきます。こういうことを書くと「熊」さんに怒られてしまうかもしれませんが。

 たとえば、自転車を止めた時です。停める前に一つゴミに気づいたとします。「あっ。ゴミだ」で、その時は、「降りたらこれを拾わなくちゃ」と思っているのですが、停めた所にまたゴミが落ちていると、もうさっきのゴミの件は八里の彼方へ行ってしまっているのです。これは、玄関に入ろうとノブに手をかけたときも同じです。入り口にあったゴミを拾おうと、腰を屈めた拍子に、手にしていた印刷物や何かを落としたとします。すると、ゴミ云々は、すべて、雲の彼方へ飛んで行ってしまうのです。

 こうしたことがあるたびに、「『熊』は、一度に二つの物を持てない」というのを思い出します。もっとも、「熊」さんに聞いたことがないので、人間が勝手に思っているだけなのかもしれませんが。しかしながら、そういう、「熊」さん並みの私が、学生達に「やれ、単語を覚えろ」だの、「やれ、文を覚えろ」だの言っているのですから、ホンに罪作りなこと。

 さて、学校です。

 「Eクラス(初級クラス)」では、今、あとから来た学生や、『初級Ⅰ』がきちんと入っていなかった学生のために、補習授業を行っているのですが、そこでも、少しずつ変わってきた学生達の様子を見ることが出来ます。

 就学生の場合、高校か大学は卒業していますし、目的は「進学」ですから、それほど問題にはならないのですが(「初心」について、語れば、だいたい直ぐに元に戻ります。素直な学生の場合ですが)、そうではない子供達、つまり、心ならずも、両親か片親の都合で、「高校途中で」とか、「中学を卒業すると同時に」日本へ呼ばれたという子供達が、大変なのです。

 両親にある程度の経済力があるので、「日本語学校」へ、やることができたのでしょうが、それでも、母国で受けた教育が不十分だったり、学習能力が足りなかったりすると、最初のうちは、かなり混乱してしまうようなのです。いわゆる「こんなつもりじゃなかった」なのです。

 そういう子供達が、少しずつ現状を認識し、「これからも、日本で暮らす」つもりなら、「日本語をマスターしなければ、道は拓けない」ということが理解できるまで、ある程度の時間(直ぐに勉強に迎える学生もいます。ただ少ない)がかかるのです。彼らの資質、あるいは家庭教育のレベルによっても(親の責任感の問題もあります)、それに費やされる時間に違いはあるでしょうが、

 8月の中旬にやって来た一人の中国人学生もそうでした。まだ高校を卒業していませんでしたし、勉強をするという習慣も出来ていませんでした。高校の途中で、日本にいる母親に呼ばれて来日したのです。高校さえ卒業していれば、(学ぶことが苦手でも)日本語をマスターしてから、専門学校に行くなりして、手に職を付けることも出来るのですが、こういう中途半端な状態で来日させられた子供が一番気の毒なのです。

 すでに自分の境遇というのを認識できるほどであればいいのですが、大半は、まだ頭の中は、母国にいるときと同じですから、なかなかそれが出来ません。これは、中国人だけではありません。タイの学生もそうでしたし、フィリピンから来た学生もそうでした。母国にいるときと同じような行動をとろうとするのです。

 しかしながら、ここは、勉強するための「所」ですから、それは許されません。だいたいは、二、三ヶ月すれば、落ち着くのですが、そうでなければ、居づらくなってしまいます。学校の目的がはっきりしているので、遊ばせてくれないのです。

 この女生徒は、かなり子供っぽかったし、中国にいる時と同じように甘えてみせれば、誰もが「可愛い」と言い、「許してくれるだろう」とまでは思っていなくとも、許されるはずだと思っているようでした。始めは、こういう状態の彼女を気の毒にも思いました。それに、日本語の発音に馴染んでもいませんでしたから、「音」が出ないのです。それで、付きっきりで指導しました。勿論、クラスが始まる前の一週間だけです。

 それからは、クラスに入ったのですが、クラスに入れば一斉授業です。特別待遇はしてもらえません。努力するかどうかですべては決まるのです。そうすると、皆の気を引こうとしたり、それが出来ないときには体調を崩してしまったりするのです。親の方としてみれば、子供に可哀想なことをさせている、また、させてしまったという「負い目」がありますから、厳しいことは言えません。そうやって、ズルズルと不幸な関係になってしまう親子も少なくないのです。

 それで、親御さんから相談があったときには、「学校での彼女の様子」と、それから推し量るに「これまでの中国での勉強の程度」を伝え、「一度、二人で、よく話し合ったほうがいい」と頼みました。まず、日本に「居続けなければならないのか」が、彼女の中ではっきりと理解されていなければ、学ぶ上での第一歩が踏み出せないのです。ある意味では、「(これまでのような生活は出来ないという)あきらめと(勉強するしかないという)覚悟」が必要なのです。

 それから、彼女は、少しずつ変わって来たような気がします。彼女の親御さんは、ちゃんと娘さんと向かい合ってくれたのでしょう。親の責任感というか、親が子育てから逃げていないということも、これくらいの年齢のお子さんの場合、必要になるのです。

 ただ、彼女の場合、以前は、休みがちでしたので、学んでいなかった箇所が多々ありました。特に動詞の「グループ分け」の処、つまり、「て形」の辺りで何回か休んでいたらしいのです。あとから聞くと、本当に頭が痛かったようで、慣れない勉強をしたからだと言って、笑ってやりましたが(こういう時、一緒に笑えるから、中国人はいいのです。あとに残りません)、実際、それが本当の所だったのでしょう。

 その彼女に、「この冬、休みになってから『補講がある』、それは、『初級Ⅰ』の教科書を最初からやり直す(勿論、一日に1課ずつというわけには行きません。一日に2課ずつというところでしょうか)ことだ」と伝えると、なんとこの子、「先生、ありがとう」と言うではありませんか。

 彼女は、「辞書形」のことを、「何々『る』」、「何々『る』」と言っていたのですが、「先生、「何々『る』」が判らなかった。それも勉強するんでしょ。」と聞くのです。「そうだ」と言うと、ホッとした顔をして「よかった」。

 まあ、小さな芽生えですが、こういうことが少しずつ積み重なって、判らなかったことが判るようになり、出来なかったことが出来るようになっていくのでしょう。

 もしかしたら、今、一番勉強するようになった(母国にいるときに比べて)のは彼女なのかも知れません。毎日のように授業が終わってから、学校に残って、単語カードを使って復習しているのですから。

日々是好日
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「『留学試験』の結果」。「学ぶ上で、『素直さ』の大切さ」。

2009-12-18 08:55:04 | 日本語の授業
 今朝も寒さは続いています。東北のある地方では、1㍍もの積雪があったとか。羨ましいというと叱られるかも知れませんが、その「積もる」までいかない一部分でも、南国の学生達に見せて、触らせてやりたいもの。太平洋岸に住む身としては、涎を垂らしながら、見やるしかないのです。

 さて、昨日、「一月生」が一人、成田に到着しました。授業終了後に、学生一人を連れて教師が迎えに行きましたが、その前に、寮の点検、そして大掃除と、この暮れの忙しい時期に、大変なことでした。とはいえ、ちょうど年末の大掃除と重なったようなものでしたから、学生にしてみれば、手間が省けたというところなのかもしれません。

 その時に指導した教師によりますと、日頃は何もせず、ぼんやりとして見えた学生が、なんと、こういう時には、キビキビと立ち働き、重いゴミも「エンヤコリャ」と持ち上げ、スタスタと運んで行ったそうなのです。手伝いに行った教師が、感動して、「見直した。見直した」と言っていましたから、本当なのでしょう。

 正に、学生を見直す「きっかけ」は、どこにでも転がっている…のです。

 さて、昨日「留学生試験」の結果が届きました。
 
 このような「小規模校」では、時として、「就学生」の数と「在日」の方の数が、拮抗することさえあります。在日の方で、中国人であった場合、「日本語能力試験(一級)」合格を目指し、それまで勉強するという人が大半ですから、こういう試験とはあまり関係ありませんが、中には、日本での「大学」や「大学院」入学を目指すという人もいるのです。そういう人にとっては、この試験結果はなおざりに出来ません。

 それに、最近は、中国人以外にも、インドやスーダンから来た人にも、それを目指すという傾向が出てきました。「大学」や「大学院」を目指すか、あるいは、「日本語能力試験(2級)」合格を目指す(「非漢字圏」)のです。

 こういうことも、ある意味では、日本の縮図なのかも知れません。ただ、これは「漢字圏」から来た学生に比べて、かなり大変なことなのです。また、その他にも、日本人と結婚した方の子弟が、高校入学を目指したいので、といって連れられてくることもあります。もっとも、こう言う場合、少々複雑です。連れてこられた段階から、続かないだろうなと思われる場合もあります。その時は、学生と話し、勉強する気持ちを問い質します。

 そうする理由の一つは、主に、彼らの父兄の経済的な負担を考えてのことですが、もう一つは、「大学」や「大学院」、或いは「日本語能力試験」を目指す学生達の邪魔になられては、もらっては困るからです。それに、出たり入ったりは、こちらとしても困ります。

 ただ、まだ15才とか16才くらいですと、幼い考え方しかできない人の場合、ここを「遊び場所」のように考えていたりするのです。それに、親としては、とにかく学校に入れておけば、日本語が話せるようになるだろうと、簡単に考えている場合もあります。私たちは、公教育出身ですので、ある程度は地域のためにということも考えますが、全く静かに座っていることができないという人の場合、やはり本当に困ります。そこには、一定の覚悟(勉強するんだという)も要求します。マンツーマンというのではありませんから。

 この学校に「日本語」を、学びに来る人達の、理由というのは、実に様々、千差万別といえば、言えるでしょう。皆が就学生で、「大学」や「大学院」を目指す者ばかりというわけではないので、授業の仕方も、いわゆる「二兎を追う者は一兎をも得ず」にならぬように用心しながら進めていかないと、全員の希望が叶わぬということにもなりかねません。

 しかしながら、「留学生試験」の結果は、まずまずでした。一言付け加えていますが、この学校にいる就学生や、大学入学を目指す在日の方の子弟は、決して彼らの母国の中国の「考」で、良い成績を収めて来日しているわけではありません。

 ある者は、辺鄙な地の「猿山のサル」のような考え方で来日していましたし、またある者は、中国の教育のやり方にどうしても馴染めず、「勉強」と言われるだけでアレルギーを起こすといったふうでした。また一人は、母親に連れられて来校したのですが、その時の印象は、まるで屠殺場に連れてこられた子羊のようでした。

 この子達が「天狗の鼻」を折られたり(自信喪失)、また自由に好きなことを学んでいきながら、自分の道を考えられるようになる(勉強アレルギーが消える)には、紆余曲折がありました。また、あの、人生に失敗したと、わずか18才で老人のように老け込んで見えた学生が、自信を取り戻し、どんどんきれいになっていくのに驚かされたのも、昨日の事のようです。

 勿論、皆が皆、わずか一年半にも満たぬ間に、「留学生試験」で、「330点」前後の点数がとれるわけでもありません(この中の一人は、本当に「ひらがな」の書き方から始めたのです)。それには、ある程度の「学習能力」が必要です。彼らは、中国では、ごくごく「普通学生」でした。

 いろいろ、「見たり、読んだり、聞いたり」しながら、「興味を持ったり、考えたり」するという作業が必要な、ごく普通の学生達だったのです。「頭」で、すべて考えられるというのは、この中の一人ぐらいでしょう。

 本人が「『面白い』と思ったり、『興味』を持ったりできないのに、勉強する」ことが出来るような人たちではないのです。ただ若いので、やり直しがかなり自由にきいたのです。

 本人の努力もあったでしょうが、一応「総合問題」を受けた二人は、ともに「150点」以上はとれましたから、こちらとしても、お尻を叩いて「(日本の)高校の教科書」を覚えさせたり、DVDなどで誘ったり(飴と鞭)した甲斐はありました。

 これで一応「国立大学」を受ける資格だけはできたわけですから、あとは、来年の2月までの本人の努力と、専門ごとの、こちらの指導によります。

 実は、こう書き進めてきたのも、中国や第三世界から来た学生達によく見られる一つの傾向を改めさせるのが、かなり大変だからです。先ほどの述べました三人は、学ぶために一番大切だと思われる「資質」、「素直さ」を持ち合わせていたから、うまくいったのだと思います。

 ただ、中国と言いましても、広いのです。香港の人までを、彼らの中に入れ、一括りにすることはできません。こういう地域差は、経済的な面だけではなく、学問や知識の面でも見られるのです。しかも、非常に大きいのです。皆が皆というわけではありませんが、「猿山のサル」状態の学生たちが本当に多いのです。「ああ、これも中国と同じです。それも中国にあります。あれも知っています」。本当は、全然同じではないし、ありもしないし、彼らは知ってもいないのです。

 それなのに、どうして、こういうことが言えるのか、始めは全く判りませんでした。が、そういう教育を国で受けてきたのでしょうし、それまで、こういう経験もないのでしょう。だから、どうして良いか判らずに、今までのやり方でやってしまうしかないのでしょう。来日して、既に半年ほども過ぎていながら、こういう態度しかとれないという学生も少なくはないのです。もしかして、怖くて現実が見られないのかも知れません。抽象的な、しかも、教条主義的な教育を受けていれば、それはそれで仕方がないのかも知れません。といって、プライドだけは健在ですから、虚勢を張るしかないのです。

 ただ、それは何も学べません。まず、自分のレベルを知ると言うことが大切です。知識にも、また学問にも、「際限がないのだということ」を知らねばなりません。自分の知っていることなど、ほんのわずかでしかないのだということを知ってから、勉強などというモノはできるのです。これが出来なければ、ある程度の能力を持って生まれて来ていても、(学ぶことが出来ないわけですから)日本のような国に来る意味はないのです。
 こういう人は、やはり、彼らを生み、育ててくれた国で右往左往しているのが似合っているのです。

 今年、「留学生試験」で、ある程度の成績を収めることが出来た学生達は、この点が違っていました。まず、一人が「日本はすごいなあ」と言い始めました。「日本の子供達は幸せだなあ」。「日本ではこんなことも、あんなことも、学校で勉強できるの?いいなあ」と眼をキラキラさせて言うのです。

 ご存じのように、日本では「教育問題」は、永遠の課題と言ってもよく、「子供のためにはどうしたらいいのか」とか「遊ばない子供は、大成できない」とか、おそらく中国から見れば何を言っているのという感じだったでしょうに(面白いですよ、中国は。クラスの子供の大半が出来ても出来なくても良いのです。極端に言えば、一万人の子供を犠牲にしても、つまり構わない。一人が秀才になればいいのです。悲惨ですね、そんなやり方で、秀才レベルの者を、たった一人育てて何になるでしょう。人を踏みつけにすることに慣れたモンスターが製造されるだけです)

 日本人から見れば、「当たり前」のことが、この「高校を卒業してきたばかり」の学生にとっては、驚きだったようです。「いいなあ」の連続です。「羨ましい」のため息です。彼女は決して愚かではありません。いろいろな事に興味を持ち、皆と一緒に学び、皆と一緒に上達したいというタイプなのです。理解力も速く、感受性にも富んでいます。こういう人は、中国では、辛いでしょう。

 日本には「飛び級」など、ありません。いくつかの科目に優れた子供はいるでしょうが、「学校教育」では、子供達は皆、ある意味では「博士」なのです。いくら優れた才能を一つ持っていたとしても、その人には「同年齢の友達」が必要です。「発達心理学」の面から見ても、小学生を大学生の中に放り込んではなりません。もしその子に、傑出した数学の才能があるなら、夏休みや或いは放課後などを利用して、高等教育を受けさせるチャンスを作ればいいことで、その子から「友達と遊ぶ体験」を奪うべきではないのです。

 さあ、学生が来始めました。昨日来日した学生も他の学生達に連れられてやって来ました。教室に行かねばなりますまい。

日々是好日
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「『海』を見たい学生と、『雪』に触れたい学生」。「学生との『チョイチョイスー』」。

2009-12-17 08:05:48 | 日本語の授業
 今朝も昨日と同じように、「真冬」です。地球温暖化が叫ばれて久しい故にか、「冬」になっていることをすっかり忘れていました。今週は、厚手のコートやヤッケを引っ張り出しての出勤です。

 昨日のニュースによると、東北地方どころか、九州の阿蘇山でも雪が降り積もったとか。東北地方の雪は水分を多く含み、見るからに重そうでした。しかも「降る」という感じではなく、真っ直ぐに落ちていました。このまま「バサリバサリ」と落ち、積もっていくのでしょう。このような映像を見るたびに、歯ぎしりして悔しがっているであろう南から来た学生たちのことを思い出します(彼らの口癖は、「どうして東京には降らないの!」ですから)。
 
 なにせ「日本は、雪が降るはずである」から、「雪に触ってやるのだ」が、頭の中にインプットされて、しかる後に、日本に来ているのですから。

 そういえば、今年の2月でしたか、その冬初めて降った(初めてで、最後でしたけれども)雪に感動して、下の階にいた「インド人学生」は外に飛び出して踊り回り、車まで止めてしまいましたっけ。

 その日、いつも通り授業をしていると、どうも雪が降り出していたようなのです(窓ガラスが曇っていて気がつかなかったのですが)。インド人学生のSさんが「先生、あれは何ですか」ムズムズ(と居ても立ってもいられないような様子で)。「雪ですか」ムズムズ、「外に出たいです」ムズムズ、「触りたいです」と、ぱっと立ち上がり、直ぐに飛び出してしまったのです。
 よほど雪が見たかったのでしょう。彼が生まれ育ったのは、インドでも南の方だと言っていましたから。

 北の、乾燥地帯に住んでいた学生達は、「海」を見たいと思い、南の、乾季と雨季がはっきりしている地方から来た学生達は、「雪」に憧れる。そういう人たちが、ここに来て、見たいものを見、それなりに欲求を満足させる。勿論、勉強の傍らでの満足感ですから、知れたものですけれども。そして、春には優しい花を柔らかい光の下で見、秋には、一面の黄や赤に染まって木々を透明な光の下で見つめる。

 人は「自然」に育てられるものです。ここからここまでが「厳しい冬」、或いは、これからは「暑い夏」となしたりすることが出来ない国にいれば、静かさの中に、次なる「動」が秘められているといった「趣き」も、自然に体得できるものです。人は自然と呼応して生きていくものですから。日本には、空気にも「水気」が多いからでしょうか、何事も秘やかに緩やかに進んでいくような気がします。人々は、「今」に暮らしながら、「次」を「予兆」として感じ、心の準備が次第に進み、頂点に達する頃、その時が至り、また、次に向かうというのが、日本の「自然の秩序」なのかもしれません。

 といって、日本の自然がいつも優しいと言うわけではありません。日本を襲う「天災」は決して少なくないのです。地震、台風、津波、火山の爆発、どれを取り上げてみても、人が心静かに住めるところではないでしょう。けれども、私たちの祖先はこの地を選び、この地に育てられてきました。それにはそれなりのわけがあるはずです。

 この島を出て、異郷に行けば、自分がどれほどこの島を慕わしく思っているかということが誰にも判ります。もっとも、これは日本人だけのことではありません。どこの国の、誰であろうと、初めて眼にし、掴んだ土が、その人の心の風景であり、母なる大地であると思います。誰にとっても、それが一番己の心に響いてくる「土地」であろうと思います。

 ただ、私にとっては、それが「日本」なのです。でありますから、当然のことながら、それを他郷の人にも言います。お互いに言い合えばいいのです。誰にとっても、「自分の地」が、一番すばらしい処なのですから。

 と、書いているうちに、八時近くになってしまいました。今朝は寒いのです。早く来る学生は、8時頃には来ていますから、彼らが来るまでに教室を暖めておかねばなりません。ついこの間まで、30分ほど暖めておけばそれで済んでいましたのに、もうそれでは間に合いません。一時間はかかるようになりました。朝は「底冷え」がするのです。下の階の教室は特に大変です。上の階でも、お日様さえ出てくれれば、それほど「寒い、寒い」と言わせなくとも済むのですが、曇っていたり、雨だったりするとだめですね。本当に「午前のクラス」は辛い。

 それに比べれば「午後のクラス」には、余裕があります。「午前のクラス」が終わった後、教室の窓をすべて開け放って、空気の入れ換えをしていても、それほど文句が出ないのです。中には(電車に遅れたのでしょう)走ってきて「暑い、暑い」とパタパタやる学生さえいるのです。

 「午後のクラス」では、前半はいざ知らず、後半ともなりますと、(部屋も)随分暖かくなっています。そうなりますと、今度は学生と教師との間で、窓の開閉を巡っての綱引きが始まります。勿論、本物の綱を引き合うというのではありません。2時50分ごろ、クラスに行きますと、空気がドヨンと暖かく淀んでいるように感じられるのです。それで、直ぐに窓を開けます。さすがに「さむ~い」の大合唱。で、しようがないので、閉めることは閉めるのですが、相手の隙を窺いながら、「チョイチョイスー」とばかりに、近くの窓をずらしていきます。すると、その窓の直ぐ傍にいる学生が、また「チョイチョイスー」と窓を閉めるのです。それに気づいた私も、また「チョイチョイスー」。学生も気づいて、また「チョイチョイスー」。

 勿論、言はでものことながら、授業中、これだけをしているわけではありません(念のため)。しかしながら、この「チョイチョイスー」が始まると、本当に冬になったような気がしてくるのです。

日々是好日

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「『古武士然』としたブタ猫」。「己のやるべき事をなし、明るく『進学』」。

2009-12-16 08:45:41 | 日本語の授業
 今朝は、いつもにも増して暗く、寒い。お天気が下り坂になるというのは、本当なのでしょう。明け方に、お天道様の光が射し、空が白んでくると、それなりに明るくなるのですが、それがないとなると…かほどまでに暗いものかうを実感しています。

 しかしながら、今朝は、懐かしくも、ふてぶてしい、あの猫と再会しました。ぶっとくて、足が短いという、完全な「ヤマトネコ(大和猫)」体型の猫です。少し前まで、学校のお向かいにあるマンションの駐車場を「塒」にしていた猫なのですが、このマンションを取り壊すとやらで、人が頻繁に出入りしていたので、煩わしくなったのでしょう、いつの間にか、姿を見せなくなっていました。

 この猫、一見したところ、「つわもの(強者)」といった風貌なのですが、実は、他の猫と喧嘩をしては負け、そして逃げるという、「逃げ」専門の猫なのです。その時に引っかかれた、爪痕が顔に残っているだけの、「見かけ倒し」君なのです。

 そういえば、「顔に傷があるというのは、やられた証拠。強いヤツの顔はきれい。傷がないから」というのを、戦国武将伝かなんぞで、読んだことがありましたっけ。正にその通り。で、(そんな猫君ですから、他の猫の縄張りに力尽くで入っていけるはずもない。)まさか、行き場を失ってひょろついているのではあるまいかと思いきや、なんと相変わらずののんびり様で、朝の公道を、悠然と歩いていました。

 本当に、実情を知らない者が見たら、「古えの薩摩武士」然としたその様子に、惚れ惚れとしてしまうところです。ほんに「見かけ倒し」君です。「張り子の虎」ならぬ「張り子の武者猫」のようなもので、「ワン」と一声かけてやれば、泡を食らって逃げていくでしょうが、しかしながら、何とも懐かしく、可愛らしいヤツではあります。

 これも馴れなのでしょう。毎日見ていると、だんだん情が湧いてきます。毎日のように顔を合わせ、元気であることを、お互いに確かめ合えると、情が移るのでしょう。そんな気分になってくるのです。
 人と猫の関係ですらそうなのです。人と人との関係も、おそらくは同じなのでしょう。

 猫を引き合いに出して、学生達の事をいうと、顰蹙を受けるかもしれませんが、この学校の学生達ともそうなのです。初めはお互いに慣れないものですから、いろいろな行き違いが出てしまいます。互いのやり方、或いは反応の仕方に戸惑い、反感を感じ、中には反発する者もいます。

 けれども、これが、半年経ち、一年経ちするうちに、互いの角が取れてくるとでもいいましょうか、それほど気にならなくなってくるのです。彼らもその頃には、日本のことが少しは判るようになっていますし、私たちがなぜそう言うか、あるいはそうさせるかも判るのでしょう。

 「知り合い、『目的』を共にする」ということの大切さを感じます。「そこに存在する」ということに慣れてしまえば、あとは「理解し合う」だけですから、これは互いの「譲歩」が必要となります。ただ、ここは学校ですし、大部分の学生の来日目的は「進学」ですから、譲らねばならぬのは、多く学生達ということになってしまいます。何といっても、日本のことを知っているのは、私たちの方なのですから。

 彼らが自分の国でやって来たようなやり方では、日本では通用しないのです。それで押し通そうという学生もいないことはないのですが、まず「失敗」しますね。運良く潜り込めても、毎日のように蔑まされれば(何となれば、「分不相応」の処に入っているからです)、嫌になるのが当然でしょう。大学に入るにしても、自分の能力に見合った処に入るしか手はないのです。

 昨日、一人の学生が「大学院へ行ってくるので、早めに帰らせてくれ」と言って来ました。私たちにしてみれば、寝耳に水のような出来事でら、びっくりするやら、頭に来るやら。前に、相談されたとき、「あなたのレベルでは、それは無理だ」ということを言っておいたのです。それにも関わらず、勝手にそう言うことをしたのです。一体、これからどうするつもりなのでしょう。

 特に中国人の学生に多く見られることなのですが、「中国人の情報網」というやつに則って行動してしまうのです(勿論、聡明な人は、それが正しいかどうか見るでしょうし、周りの人にも聞いてみるでしょうが)。「こういうやり方で出来たものがいる」と、それを聞くと、自分の能力も、後先のことも考えずに、同じようにやってしまおうとするのです。他の人に出来たのだから、自分にも出来るはずだと簡単に考えてしまうようなのです。

 私たちには、どうして、そう考えることができるのかが判らないものですから、時によると、「アメーバーみたいだなあ」と感嘆してしまうことすらあるのですが。また、悪いことに、それが往々にして、日本人から見れば、「ペテン師」めいたやりかたになってしまうのです。「できた人がいるのなら、自分もやる」。さすがに最近は少なくなりましたが、10年くらい前までは、「あの大学に友達がいる。その友達が、その大学の教授に話してくれると言っていたから、大丈夫。私は、その大学に合格できる」など、私たちから見れば、愚かとも言えないような馬鹿なことを言ってくる学生がいたのです。

 もし、そういう「裏口入学」が可能なら、それにどれほどの大金を要するかを考えたことがないのです。勿論、それは寄付金などとは別です。「裏口入学」なのですから、警察沙汰です、遠慮せずに言わせてもらえば。

 そう言いに来た学生は、中国の短大出です。(生まれつきの部分で)学問とはあまり縁がない人のように思える、そういうタイプの学生です。勿論、中国は広く、教育レベルも日本のようにほぼ均一というわけではありませんから、どこで生まれたかという生まれた場所により、これまで受けた教育の差はあります。ですから、二十歳前後であれば、そして、生まれつき聡明な学生であれば、中国での学歴には関係なく、日本で多くを吸収し、どんどん才能を花開かせていけることもあります。ただ、これも「先天的」な部分の条件が満たされている場合に限ります。

こういうタイプの人は、人と自分との「違い」がわかりません。「人は皆同じ」で、すべてを輪切りに出来てしまうのです。「あの人が出来ているのだから、私も出来るはず」のど根性で、全部やってしまおうとするのです。このやり方は、先進国では無理です。

「人が、一日に、樹を10本伐った。私も頑張れば、できる」と思うのと、「人が大学院に入った。だから私も大学院に入れる」のとは違うのです。資格がいるのです。専門に関する知識もある程度必要です。努力さえしたら、誰でも、ノーベル賞がもらえるかというと、そういうものではありません。この理屈が、わからないのです。つまり、それが判らない程度の頭なのです。人にはどうにもできない事があるのです。

 同じクラスの人(中国の重点大学出)が、日本の大学院の研究生にほぼ決まった。「なら、私もなれる」と、迷いもなくそれを当然と考えてしまうのです。その人が出た大学とその日本の大学とは交流があり、彼女の(中国での)教官と日本の教授との間には、面識があったということも、考えられません。たとえ、それを言ったとしても、それなら、卒業した短大の先生と知り合いの日本の大学の教授を捜せば大丈夫かと、直ぐこうなるのです。

「あの人も研究生になれた。この人も研究生になれた」と、友達の名前を挙げます。彼女たちと自分との差も判らなければ、(出身)大学の差も判りません。人に書いてもらった研究計画書で、一体何が出来るのかということも考えられません。口頭試問を受けたときにどうやって答えるつもりなのでしょう。

 これまで、この学校に来た外国人学生のうち、中国、或いは他の地域・国家の大学を出ており、しかも、日本の大学院を受験したいという学生には、私たちが指導してきました。彼らの能力を見て、この大学院なら、あるいは、この専門ならとある程度の幅を持たせて、指導してきたのです。それには、まず彼らの研究したいことをはっきりさせて置かねばなりませんし、それについて彼らがどれほどの知識を持っているかも知らねばなりません。大学院(誰でもいいという大学院は含めません。もしあったら、教えてもらいたいほどです。けれども、きっとあることはあるのでしょう)の研究生(「修士試験」を受ける前に、日本語なり、本科生と一緒に勉強し、彼らの国で勉強できなかった部分を補います)になるには、一応、「一級試験」には、合格しておいてもらわないと、日本語で書かれた専門書が読めません。

 大学院に行きたいという意志がはっきりし、専攻したい分野、研究テーマもある程度はっきりした段階で、大学院の教授方への連絡は、私たちが見ます。まず彼らと話し合い、何をどういうふうに書くかを話し合った上で、彼らに書いて来てもらいます。それを、日本人が読んで、不快に感じないように、変えていくのです。これも、彼らと話し合いながら変えていきます。

 しかし、これも本人に、はっきりと研究したいのは「これ」という主張がないと、先生の研究室に伺っても、「私の処とは合いません」と言われるだけです。しかし、一応先生の許可が出、先生が「試験を受けてもいい」と言ってくださったときに、何冊かの(専門に関する)本を紹介してもらい、読んでから試験に備えます。当たり前のことですが。だいたい、「口頭試問」というのは、ある程度のレベルがない限り、擦り抜けることなど出来るはずがありません。これまで合格してきた人の「運」は、人事を尽くした後に、やってきたものだったのです。

 本当にため息をつきたくなります。私たちには想像も出来ないことでした。私たちは、彼女に「Cレベル」でも「Dレベル」の大学でもよいから、まず(大学に)入って、そこで勉強してから、あとのことは考えた方がいいといっていましたのに。だいたい何を研究するというのでしょう。昨日の朝は、正に「青天の霹靂」でした。もう、大音響で暴れ回っていました。今まで彼女に指導して来たのは、いったい、何だったのでしょうね。それすら理解できなかったのでしょうか。

 もう「シッチャカメッチャカ」です。おまけに、朝、ブログを入れようとしたら、9時半までは検査中で入れられないとのこと。それで、授業が終わってからと思っていましたのに、気がついたのは、もう放課後になっていました。

日々是好日
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「補習」。「『日本語教育』の枠、そして、それを越えることの必要性」。

2009-12-15 18:46:22 | 日本語の授業
 今朝、見た雲は「菫色」でした。それが、空の三分の一ほども占めていたのです。「スミレ」という言葉には、可憐で可愛らしいというイメージがありますが、「菫色」ともなりますと、また話は違ってきます。しかも、それが雲の色なのです。不気味です。少々おぞましいのです。その上、この菫色の雲をバックに、立ち枯れた木立が、黒い影を見せているのですから、何かの予兆のようにも感じられてきます。
 とはいえ、今朝も静かに明けました。

 昨日は「補講」第一日目でした。

「ABクラス」では、「単語」説明をし、それから「DVD」を一緒に見た後、「単語だけを書く」、「箇条書きにする」、「文章にまとめる」と、それぞれのレベルに応じて、ノートに書かせていきます。

 とは言うものの、そこでも、「理系」学部を志望している者は、「物理」「数学」「化学」の勉強が間に合わないらしく、見るのは一緒ですが(何となれば、こういう常識が面接の時に質問されるかもしれないからです。しかも、「常識」に属するこれらの単語を知らないと、大学に入れても、講義についていけませんから、彼らにとっても不幸です)、それからは、コソッと(私の目を盗みながら)「理系」の勉強をしていました。私の方でも、これは黙認です。

 つまり、「(DVDを)見て、単語レベルでまとめる」という所までは、皆一緒なのですが、それから先は、別作業なのです。まだ「上級」の部分(「一級」相当)が不十分な学生は、「上級」の「教科書」と「ワークブック」と「一・二級文法」を持参して、「おさらい」です。「非漢字圏」の学生で「中級」の後半から見た方がいいと思われる学生には、またそれを指示します。

 結局、クラスは「一つ」で、「DVD」活用と単語の導入こそ同時にするものの、あとは殆どバラバラなのです。(学生)それぞれが、やるべきことを教師の指示に従って行うのです。こういう小さな学校では、「複式学級」の形をとらざるを得ないところがあるのですが、これは、別に「やむにやまれず」するのではありません(まあ、少しはその気味もありますが)。また、「しようがなくてする」のでもないのです。

 こういう時期に(大学入試を控えた時期に)、もともと、それぞれ素質も能力も違うのに(同じ人が教え、同じことを、同じ年数、勉強してきていても)、無理に同じことをするということにこそ、問題があるのです。ただ、こういう形で、学生に勉強させていくのは、難しい。学生に問題意識がなければ、ついてきません。こういうことは、普通、「講師」には要求できません。「講師」という立場の人は、「一斉授業」という形式で授業するのが一番簡単なのです。毎日学生を見、そして彼らと親しんでいるというわけではないのですから。

 一方、「初級」は、「初級Ⅰ」から、もう一度「やり直し」です。先を急ぐ学生こそ、この「日本語導入部」というのを大切に感じて欲しいのですが、なかなか思うようには参りません。今、「出来ている」と思っていても、(日本語の勉強を)始めた頃は、日本語が聞き取れず、教師が大切な説明をしていても聞き逃していたかもしれません。もう一度やれるというのは、それを確認できる良い機会でもあるのです。特に「在日」の学生は、期限がありませんから。勿論、11月の末に入ってきた学生もいますから、彼らにとっては、初めての「拍」であり、「特殊音」ということになります。

 この学校では、「三級(日本語能力試験)」合格して来日しても、「基本」の部分に「漏れ」があるかもしれないということで、いつも「初め」から勉強させています(「中級」クラスなぞへ入れてしまうと、あとが大変です。学生が伸びないのです。あっちでもポロポロ、こっちでもポロポロと落ちているので、教師としては、まるで「落ち穂拾い」をやっているような状態になるのです。たとえ時間がかかっても、やはり、基礎からやってもらう方がいいのです)。勿論、それが、「7月」や「10月」に(学生が)来てしまうと、なかなかそう悠長なことも言っていられないのですが。

 「7月」に来ようと、「10月」に来ようと、彼らがこの学校にいられるのは、翌翌年の3月までと決まっています。しかも、翌年の6月には「留学生試験」、7月には「1級」「2級」(来年からは「準2級」も)試験があります。遅くとも、11月の「留学生試験」、12月の「1級試験」(非漢字圏は「2級」)には、間に合わせなくてはなりませんから、時間がないのです。

 いくら「2級試験」に合格したといっても、そこは日本で勉強している、同じくらいの能力を持った学生に比べれば、「日本語」はもとより、「知識」方面でも、かなり(レベルは)落ちます。しかも、それ以外の、数値にしにくい部分でかなり差がついているのです。

 勉強というのは、学校で机についてするだけではありません。一年に二回、夏と冬に行われる「一日旅行」、その他にも、一、二ヶ月ごとに行う「課外活動」、また「年中行事」の説明やその活動などを通しての「知識」や「見聞」も、そうでしょう。「年中行事」などは、学校で行ったあと、スーパーに行ったり、小中学校の傍を通るとき、実際にそれを目にすることが出来るのですから、予習・復習まで出来てしまうのです。

 その上、判らないことがあったら、実物を添えて、教師に聞くことも出来ます。「こういうものが見たい」、或いは「聞きたい」という要望があれば、出来る限りその要望に応えますから。むやみな要求は、一喝しますけれども、勉強に関することでしたら、出来る限り力になります。

 こういう「活動」を通じて、日本や日本人に対する「勘」がついてくるのです。「一日旅行」や「課外活動」は、謂わば「武者修行」なのです。外の人と話が出来る、またとないチャンスなのです。しかも、教師が傍にいますから、何かあったらすぐに「せんせ~い」と助け船を求めることも出来るのです。

 私のクラスの学生は、私の「目つき」や「口ぶり」、「動作」などを見て、私の気持ちや考えを判断していきます。これは、初めは無理であっても、(学生達にそれとなく)判るように、出来るだけ大げさにやっているうちに、いつしか、その、わずかな「切れっ端」で、それと判ってくれるようになるのです。
これは、この学校の他の教師でも同じです。しかも、私たちは基本的に、学生が嫌いではない、つまり好意的に見ているのです。そういう人間が不快に感じるようなことは、その他の日本人は、きっと、もっとそう感じることでしょう。

 学校において、「私は不愉快だ」ということを、(学生達に)知らしめるのは、決して悪いことではありません。一般的に、日本人は「自分の気持ち」を表に出さないからです。「嫌だ」と思っていても、それを口に出したり、表情に出したりするのは、「不作法」なことだと考えられているのです。「してくれた相手の気持ちになってみろ」、これは、家庭でも学校でも、上の人からよく聞かされる「セリフ」です。

 「自分の気持ちに正直であること」に価値をおくか、「相手の気持ちを重んじる」ことに価値をおくかですが、日本では後者の方を大切にします。それを「虚飾」と言う人もいますが、果たしてそうでしょうか。一見、自分の気持ちに正直であるように見える人の中に、正直であると「己をひけらかしている」ように見える場合もあるのです。そういう「臭み」が感じられる時もあるのです。

 日本人が(相手を思い遣って「嫌だ」と思っても)それを表情にださないのは、決して損得勘定からそうしているのではありません。自分より下の相手であろうと、そうしています。いえいえ、それどころか、家庭教育がきちんとなされていた場合、下の者にこそ、そうしなければならないと教わってきたはずです。だから、私たちは、そうされることを気持ちよく感じ、思ったまま、感じたままに(相手の気持ちを忖度せずに)ワアワア言う人を「野暮天」「不躾な」とも言って来たのです。

 日本においては、これは「礼儀」です。嫌だという顔をして、相手を嫌な気持ちにさせてはいけないという「教育」、乃至は「躾」を、子供の時から受けてきたのです。ただ、これは、外国人の学生にはなかなか判らない。けれども、どう言うときに日本人が「不快に感じている」かは、学ぶことも知ることもできます。日本で暮らす以上、周りは日本人ですから、わかっているなら、そういう態度はとらない方がいいのです。そのためにも、日々の活動を通じて、できるだけ早く、「自分の国とは違う」と感じさせること、つまり、それを知らしめることも、日本語学校の重要な役割であると思います。

 外国から来た学生に、「日本語学校の先生達は優しかったけれど、日本も、日本人も嫌い」と思わせたら、それは「いい日本語学校」ではありません。反対に「日本語学校の先生達は厳しかったけれど、日本も日本人も好き」と思わせることができたら、それこそ、日本語学校の仕事としては、「成功」なのです。

 「なにも『あいうえお』や、『てにをは』を教えるだけが日本語学校ではないのです」。と、ここまで書いて、ハタと気がつきました。最近は「大学入試」だの「大学院との連絡」だので、ここでも、「予備校まがい」のことまでやっているのです。

 この日本語学校は、勿論「日本語」を教えることが「主」では、ありますが、それだけで小さくまとまるわけにもいかず、特に、「大学入試」を控えた最近は、日本語学校の枠を越えて、様々なことまでやらざるを得ないのです。しかしながら、こういうことまで教えておくと、学生が大学に入っても、また大学院へ行っても、それほど、周りの日本人学生にひけをとることもあるまいと思われるのです。

 勿論、学生の資質が余りに低すぎる場合や、勉強したくない(疲れた。毎日来るだけで精一杯)という人には、この学校で、本来できることの「10分の一」も、吸収することは出来ないでしょうが。

日々是好日
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一日遊「ディズニーシー」。「今日から、また『勉強』」。

2009-12-14 08:21:43 | 日本語の授業
 今朝は、道路がしっとりと濡れていました。明け方か、夜のうちにでも、雨が降ったのでしょう。空気が、水気を帯びて、優しく感じられます。

 さて、先週の金曜日は、いわゆる「ディズニーシー」の日でした。
 残念なことに、雨。いくら予報で知っていたとはいえ、朝起きて、「ああ、やっぱり」とがっくり。万に一つの可能性を期待していたのかもしれません。なぜなら、その前日もいいお天気でしたし、予報によると、その翌日も良いお天気ということでしたから。

 しかしながら、天は無慈悲ですね。その日に限って、予報通りの「雨」でした。しかも、冷たい雨が、一日中、途切れることなく、降り続いていました。それで、「レジェント・オブ・ミシカ」も「ブラヴィッシーモ」もなし。「ミート&スマイル」も寂しい限りでした。せっかく行った学生達にしてみれば、残念至極といったところだったでしょう。また、私たちにしても、あれは見せてやりたかったですね。

 あれはとてもきれいで、楽しいものですし、あれ等を見るだけでも、「ディズニーシー」へいった甲斐があるというものでしたのに。とはいえ、まあ、これが「アメリカ文化だ」ということで、それなりに楽しんできました。

 まずは、舞浜駅で待ち合わせた学生達と、ミッキーのモノレールに乗って「ディズニーシー」へ入ります。そして、「巨大地球儀」の前で、パチリ。「クリスマスツリー」の前で、パチリ。「ミート&スマイル」は寂しげで、見ているだけで寒々しくなって来そうだったので、先に学生達期待の「タワー・オブ・テラー」へ進みます。待っていると、帰ってきました、帰ってきました。「怖かったあ」という者や「面白かったあ」という者。共に、「あとでもう一度」と言っていましたから、よほど面白かったのでしょう。

 次に「エレクトリックレールウェイ」に乗って「ボートディスカバリー」へ参ります。クルクルと螺旋状に回り、「海底二万マイル」の旅、小型潜水艦のクルーになります。行き帰りも、雨の中でしたから、傘をさしたり開いたりと大忙し。その上、寒かったのでしょう、ここで一人がトイレへ、また少し行くと別の学生がトイレへと、なかなか団体行動らしい動きは出来ません。それでも、少し前に比べれば、皆言うことを聞いてくれますし、ぱらぱらではありましたが、迷い子になる人はいませんでした。これも、上の学生達が、あとから来た学生達の世話を焼いてくれたからでしょう。

 で、皆揃ったところで、「マーメイドラグーン・シアター」へと向かいます。それから、「ビッグバンドビート」を楽しみます。そして、今度は「トランジットスチーマーライン」で、「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」へ向かったのですが、これが寒かったこと。冬は、船はだめですね。雨も少し降り込んできましたし、座っていても底冷えがするような感じでした。とはいえ、船で「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」へ向かうと、墜落した飛行機やらがよく見えるのです。だんだん、映画の「インディ・ジョーンズ」の世界へ入っていくような気分になりますから、やはり、いくら寒くとも、船で行った方がいいのでしょう。前日に「インディ・ジョーンズ」を見ていて、記憶にも新しかったようですし。

 この「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」で、学校としての団体行動は終わりです。それからは、帰る者は帰り、残る者は残るということになったのですが、ふと時計を見ると、もう四時近くになっていました。予定では二時のはずだったのに…。皆がお腹が空いたといっていたのも「むべなるかな」でした。「我慢」などと言って可哀想なことをしました。

 実は、これまで、(学生達は)お腹が空くと、直ぐに自由行動へと走ってしまい、あっちでちょこっと、こっちでちょこっとと、つまみ食いなどしてしまい、迷子続出という事態に立ち至ることが少なくからず、それを避けるべく、「我慢」で押し通してきたのです。勿論、素早くポップコーンを買いに走ったりしている学生は、見逃しです。列から離れなければいいのですから。

 ただ、捜すのに大わらわになってしまうと、こちらとしてもイライラしてしまいますし、おおどかな気分で皆に接することが難しくなってしまいます。せっかく一日楽しもう、楽しませようと来ているのに、これでは困ります。

 それで、前日、「必ず、朝ご飯をお腹いっぱい食べてくること。それが出来なかったら、舞浜駅で食べておくこと」を言い渡しておきました。「『朝ご飯を食べてこなかったから…』は通用しないからな」とも、きつく言っておきました。それでも、二・三人が「先生…お腹が空いた…」と言って来たので、「我慢。言わない約束だ」と一喝すると(いい学生達ですね)、途端に皆、黙ってしまっていたのです…。こんな時間になっているなんて思いもよらなかった…道理でお腹が空いていたはずだ。ごめんなさい。

 しかし、みんなを引き連れて歩いている先生達の方が疲れていたし、お腹が空いていたんだぞ。これであいこだ(何だかよく意味が判りませんが)。学生の方は判ったような判らなかったような…とにかく煙に巻かれたような顔をしていましたけれど。

 ただ別れ際に、上の学生達が「先生。月曜日は風邪の予定です」と生意気なことを言っていましたっけ。下の学生達は、他に見るものを捜したり、食事の場所を探していて、必死だったというのに。しかしながら、こうしてみると、この一年の差というものは本当に大きいもののようです。上の学生達は、たとえ、年が随分「下」でも、余裕綽々です。もっとも、去年は「ディズニーランド」に行きましたしね。それに、この一年半の間には、他にもいろいろな所へ連れて行ってもしていますしね。余裕のあるはずです。

 まあ、「留学生試験」「日本語能力試験」と続いていましたから、息抜きも必要だったので、ちょうどよかったのでしょう。が、それも先週で終わりです。今週からは、大学の論文、面接に向けての授業が始まります。「専門」に対する質問や、「環境問題」、「自国への理解度」なども問われるようですし、中には「高校生活」についても問われた学生がいました。

 特に、高校を出て直ぐ日本へ来ている学生達は、自国に対する理解度が低いのです。大学を出てきた学生達でも、ある程度の能力がある者は、直ぐに、外から見た場合と比較が出来ますから(国内で宣伝されている自国の様子は判っていますから)、指導はしやすいのですが、高校卒の学生達は、大変です。それらを一から身につけていかねばならないのですから。

 日本で、テレビを見たり、新聞を読んだりして、知識は拡げていけるのですが、それが「理解」となりますと、かなり難しいのです。指導するのに、一番簡単なのは、「対比」というやり方なのですが、それがないのですから、大変になるのです。けれども、どちらにしましても、「世界の流れ」というものは知っておかねばなりません。批判的に見るにせよ、そうでなければ、自国の、世界における位置というのも掴めませんから。

 というわけで、今日から、12月25日まで、「社会問題」について、まとめさせていきます。ただし、これは卒業予定の「ABクラス」だけ。「Cクラス」と「Dクラス」は合併させ、「中級教科書」を進めていきますし、「Eクラス」では、「初級Ⅱ」は足踏みで、「初級Ⅰ」の復習を入れていきます。

 とはいえ、今日は(学生達は)どんな顔をして来るのでしょうか。
「さあ、今日から、頑張るぞ」と、こちらは手ぐすね引いて待っているのですがね。8時に、学校に来て、英語を勉強するように言い渡されている学生は、今日も来ることが出来るでしょうか。あれで、プッツンいっていなければいいのですが…。

日々是好日
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「いつの間にか『満目の冬』」。「明日の『ディズニーシー』を控えて」。

2009-12-10 10:35:16 | 日本語の授業
 今朝も「月」が迎えてくれました。
 
 こういうふうに、辺りは薄暗く、家を出ると直ぐに、「星」とか「月」とかの世界に入るということになると、「ああ、もう冬なのだ」ですね。とは言いながら、年が明け、春が近づくと、この時間でも、あまり薄暗さは感じられなくなります。そして、夏が来、自転車を走らせていても汗ダクダクの季節「到来」ということになるのです。

 「四季」があるというのは、本当によいことです。「四季」の別がはっきりしている国、しかも、三ヶ月ずつあるのですから、贅沢です。その「初」・「仲」・「季」をそれぞれ楽しめるのですから。「たけなわ」の時期の前後に、次への「移行」と、前月の「名残」の時期があり、それを静かに感じることができるのは、まさに、「贅沢の極み」というところでしょう。

「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」(藤原敏行)

 これを、学校で習ったとき、ああそうか、季節の感じ方にはいろいろあるのだということがわかりました。子供というものは、目先のことしか気がつきません。即物的なものです。「夏だ」と言われて、周りがすっかり夏になっていることに気づくものですし、言われなければ、過ぎ去りゆく季節に気づきもしません。

「はっとしてわれに返れば 満目の冬 草山をわが歩み居り」(若山牧水)

 ところが、最近は、大人になってもそうなのです。たいていのことは、「はっと」という感じでやってきます。どんなに忙しくとも、季節は、ちゃちな人間の行いなどには構わずにやって来るというのに、人は愚かにもそれを感じることができないのです。

「年はただ 黙々として行くのみぞ」(虛子)

 さて、学校は明日の「ディズニーシー」を控え、「ディズニー」一色に染まっています。「ABクラス」では、「日本語」の勉強というよりも、「応用編」に入り、実際に、テレビや映画のDVDや新聞・小説・随筆などの文章を見ながら、知識を深めていくということになります。

 けれども、明日は「ディズニー・シー」へ行くわけですから、昨日、一昨日と二日かけて、「ウォルト・ディズニー」の生涯を、DVDで見るということにしました。前半だけですけれども。勿論、彼らは「『留学生試験』のために」ではありましたが、既に「産業革命」以後の「世界史」は勉強しています。特に「20世紀」中のことについては、「報道フィルム」が残されていますので、それを見せました。その時に見せはしたのですが、あれから随分経ちました。その間には、「日本語能力試験」もありましたし、「大学入試」に参加した者もいます。

 というわけで、記憶が「おぼろげになっている」どころか、学生達の頭から、きれいさっぱりと…消えていたのです。「おぼろ」ぐらいだったら許せたのですけれど…。

 それで、また、「ウォルト・ディズニー」の生きた時代の、アメリカの復習です。もう教科書は使いません。資料集の「世界史図説」の方を利用します。

 そうやってみると、「ウォルト・ディズニー」の「明」の部分と怖ろしいほど逆になっているのがわかります。「ウォルト・ディズニー」と、彼が作り、今も増殖を続けている「ディズニーランド」に代表される「すばらしい国、アメリカ。幸せになれる国、アメリカ。みんなが憧れる国、アメリカ」と対照されるのは、「ベトナム戦争」や「人種問題」、「大統領の暗殺」などが繰り返された「現実のアメリカ」なのです。

当時の、超大国アメリカの抱える政治・経済・社会問題は、今の「世界」にも繋がります。いくら経済的に衰えたりとはいえ、未だにアメリカの力は巨大です。しかも、世界の頭脳は、アメリカに集まり続けています。力のある人たちにとっては、アメリカはまだまだ大きな魅力を秘めた国なのです。

 で、後半の二時間は昨日、今日と「ディズニー・シー」関係の映画を見ます。

 それにしても、今日はこんなに良い天気なのに、今日の日付が変わる頃から、雨が降り始めるとか。その上、明日は寒いそうですから、可哀想ですね。学生達も私たちも。

 学生達が帰るときに、「てるてる坊主」を作って、お願いをしておくように言うことにしましょう。

日々是好日
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「『読書という習慣』の有無について」

2009-12-09 11:44:01 | 日本語の授業
 今朝は曇り。「お日様」が出ないと、うっとうしいですね、どこかしら、心が鬱屈してしまいます。正に「『お日様』の力は偉大なり」です。世界には、いろいろな宗教があります。その中には、(私たちから見ますと)かなり排他的な宗教もあります。とはいえ、「お日様を讃えること」は、いいのです。彼らから見ても、全く別の存在でしょう。

 宗教が宗教として成立するずっと前から、すべての人の心に恵みと恐怖を与え続けてきた存在なのですから。どのような宗教を信じる者であれ、お日様を讃え、畏れることに文句はないはず。で、私たちから見れば、「お天道様」と言ってもいいし、もっと親しみを込めて、子供の時から使ってきた「お日様」と言ってもいい。

 「太陽」と言ってしまえば、科学的に冷たく言い放っているようにも感じられるのですが、それは私たちの勝手な感じ方。それを、「太陽」研究一筋だという科学者に言わせると、「もう好きで好きでたまらない」相手で、「一生尽くしても尽くしきれない」ような気持ちにさせる、謎に満ちた対象となるでしょうし。しかしながら、一般人から見ると、どうしても「太陽」と言う言葉からは、自然に対する「崇拝」や「憧れ」、「親しみ」「畏れ」などというイメージは湧かないのですが。

 さて、昨日中国の内モンゴルからお客様が見えました。それで、授業中ではありましたが、彼の日本語学校から来ていた学生達を呼び出し、一時を過ごしてもらいました。

 実は、一言で「中国人」と言いましても、比較的大きな民族集団が、いくつかあり、日本語を学んでいく上で、それぞれ異なった問題が生じているのです。つまり、各自治区で、各民族の言葉で育ってきた人たちが、改めて日本語を学ぶ場合、漢族に比べ、大きな困難があるということです。勿論、これは「初級」レベルでは殆ど出てきません。却って、モンゴル族や朝鮮族は、彼らの言語が、日本語と(文法が)似ていることもあり、漢族の大卒者などよりも、ずっと速く「話す・聞く」が出来るようになるくらいなのです。

 もう一度繰り返しますが、これは「初級レベル」までなのです。「中級」に入り、だんだんと漢字の頻出度が増してきますと、これはもう彼らにとって完全に不利になります。

 私たち、日本人が中国語を学ぶ場合、「漢字」を拾っていけば、だいたいの意味は判ります。勿論、明治以前の「漢文教育」を受けていた人達のように、「筆談」が出来るレベルには到底達していませんが。それでも、学校で、三ヶ月程度でも勉強すれば、文法や文章の流れの癖というのが判りますから、それほど予習・復習をせずとも、授業にはついて行けます。

 これは「漢字文化」の中に、韓国も日本もすっぽり入っていたからなのでしょう。「漢字文化」は、自分たちの文化の深層部にしっかりと組み込まれ、すでに骨肉化しているのです。しかも、日本は、韓国とは違い、海を隔てていましたから、もし、当時、高い知識を身につけようと思ったら、「海を渡って運ばれてきた書籍」に頼らざるを得なかったのです。いくら昔から識字率が他国に比べ圧倒的に高かったとはいえ、「漢文化」というのは、耳にしたり、目で馴染んだりしたものではなく、「読書」によってしか知り得ないものだったのです。これは、江戸期のオランダから運ばれてきた書籍においても同じでしたし、明治期以後の欧米の書籍に対しても同じでした。

 大学で教鞭を執っている人たちの大半、また新聞社や雑誌社、或いは外国語学校の教員たちは、争って、欧米の知識を訳し、人々に広めていきました。「新しい知識だよ。勉強しないと遅れてしまうよ」と、争って一般大衆を啓発してきたのです。だから、もし、小学校出でそれほどの知識しかない人でも、努力さえすれば、ある程度はどうにかなってきたのです。望めば、すぐそばにあったのですから。

 それ故でしょうか、「読書」というのが、一種の、国民の「病」のようなものになっています。

 知識を獲得するためには、まず、「読む」なのです、おそらくは、これほど科学が発達した今でも。知識を獲得するためには、「読む」ということが、国民としての合意事項なのです。共通理解なのです。「本を読まないヤツはだめだ」というのが。

 それにひきかえ、モンゴルの人たちは、「読む」ということが習慣化されていないように思えてなりません。彼らの多くは、(大卒であればですが)自分を随分高い位置に置いて日本へ来ます。しかしながら、日本人はそれを「たいしたもの」とは思っていませんから、彼我の間で齟齬をきたしてしまいます。
 一言いえば、彼らは、自分たちが「余り知識を持っていない」ことが実感できていないのです。しかも、大学院をめざすには、ある程度の知識が必要だということが、あまり判っていないのです。そういう知識がなければ、困るのだということがわかっていないのです。

 もし、彼らが、日本や欧米へは行かず、彼の地で暮らしているのであれば、彼らの知識はそれで充分でしょうし、それ以上はきっと「蛇足」なのでしょう。

 けれども、不幸なことに、日本の大学院に入りたいと言って、日本に来、ここにいるのです。日本で進級したいのであれば、まず、「自分が、殆ど何も知らない状態にある」ということだけは、判っておいてもらいたいのです。そうでないと、運良く大学院に入れても、他の人に馬鹿にされるだけです(全員が中国人であれば、皆同じ程度でしょうから、先生は嘆くでしょうが、本人は不都合は感じないでしょう、)。

 自分は何でも知っていると思い込んでいる無知な学生には、大学の先生は容赦しません。

 手厳しく問い詰められ、右往左往させられて、「弁慶状態(立ち往生)」になってしまうか(けれども、これは親切なやり方です。少なくとも、「あなたは何も知らないのだ」ということを判らせてもらえるわけですから)、或いは、嫌みを言われて、終わりです(「判らせてやる気にもならない」というわけです)。

 先生曰く、「そうですか。『これも出来ます、あれも出来ます。これも知っています。あれも知っています』ですか。では、ここで勉強する必要はありませんね。私は、研究すればするほど、謎は深まり、また増えていくというのに。私よりも「上」なのですから、ここで勉強する意味がないでしょう」

 つまり、「下」しか見えない者と見なされてしまうのです。「上」が見えない人間は、そういう(「お山の大将」で過ごせるという)環境で育って来られたわけですし、それが習慣になっていれば、上ばかりいるという現実がわからず、戸惑っているうちに二年、三年が過ぎてしまったということにもなりがちです。それに何よりも、そういう人を「受け入れて、育ててやろう」という気にはなれないでしょう。

 きっと、こういう学生は、こういう言葉の意味すら、わからないでしょうね。もっとも、相手の語気から、拒否されていることはわかるでしょうから、反感は持つかもしれません。日本では当たり前の事ですのに。こういうのは自業自得としか言いようがないのに。
 「知識」や「技能」に対する「尊敬」、「畏れ」を知らない者を認めるほど、日本の大学院はヤワなところではありません。また、私たちは、大学院の先生方が、そうであるのを、当然だと思うのですが。

 そういう「尊敬」や「憧れ」、「畏れ」があるからこそ、社会は発展できるのです。狭く小さい輪っかの中で、「自己完結」していても、大きな世界へは出て行けませんもの。

 まあ、こういうことを「ぼやいて」しまうのも、(せっかく縁あってこの学校に来たのですから)彼らの能力に応じて、少しでも高く羽ばたいてもらいたいと思っているからなのです。
 どうでもいいと思っていたら、それこそ嫌みを一言言うか、或いは、それすらせずに、無視して終わりというところです。

日々是好日
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「課外活動、『神宮外苑と後楽園』散策」。「昨日の続き」。

2009-12-08 08:12:27 | 日本語の授業

 昨日の課外活動も、皆、楽しく過ごせました。「神宮外苑」のイチョウはかなり散っており、その並木道を歩いても、学生達は「先生、どこへ行くの?」と不安げで、そこが目的地の一つだとは思っていなかったようでしたが。けれども、まあ、落ち葉の散り敷いた道を歩き、ツリーのようにきれいな鋭角三角形を楽しむことはできました。信濃町駅までの大木が連なる道を歩きながら、あれは「紅葉(もみじ)」、これは「紅葉(こうよう)」、また、こっちは「黄葉(こうよう)」などと言ってやりましたら、「インド人」学生などは、「先生、どうして日本はこんなに面倒なの」とあきれて顔。しかしながら、この「漢語」と「和語」、そして「外来語」の入り混じった文化が、いわゆる「日本語」であり、「日本文化」であるのですから、しようがないですね。

 去年は、「神宮外苑」の「イチョウ」がちょうど盛りでしたので、感動した学生達はこの並木道からなかなか去ろうとはしませんでした。もう「写真、写真、写真」でした。ベンチに座っていた犬までが写真の対象でした。ところが、今年は、直ぐに言われるままに移動を開始します。と言うわけで、「小石川後楽園」には、随分早めに着きました。

 「イチョウ」の黄葉の時期が過ぎ、黄葉を楽しめないときには、天の計らいでしょうか、「モミジ(紅葉)」が、きれいなのです。おまけに、「小石川後楽園」では、「フユザクラ」が、白い可憐な花を咲かせていました。

 「後楽園」の「モミジ」は、ちょうど今が盛りといった風情でした。とりわけ「モミジ」の木の下から、和傘のように拡がった枝を見上げたときが何とも言えぬほど美しい。空の青、そして強い陽の光、赤いモミジの葉に光が透けて、紅(くれない)が落ちてきますから、見上げている人の顔までが紅に染まりでもしたかのように美しい。

「 桜狩り」のときもそうでしたが、木々はそれを楽しむ人をも美しく照らしてくれます。

ここまで書いて、昨日の課外活動の報告は終わり。で、無粋ではありますが、昨日のブログを続けます。

 昨日は、書いているうちに、学生達との約束の時間が迫り、おまけに相談があると言って来た学生の相手をもう一人の教員がしていたりで、なかなか落ち着いて続けることができませんでした。そんなわけで、昨日言い残したこともあり、それを少しばかり添えたいと思います。

 私たちは、中国の『考』の結果がすべてだとは思っていません。もちろん低すぎれば、勉強の仕方も知らないだろうし、(勉強に対する)意欲もないだろうと想像はしますが。

 私たちは、基本的に「教育」は、その人が生まれた「国」が「責任」を持ってやっていくべきだと考えています。「内戦」や「貧困」などで、その国に「国民を養うだけの力」がない時には、教育が二の次にされてしまうということもあるでしょう。しかし、その場合は、国連なり、他国の団体なりが支援をするでしょう。が、その国が、自分の国の国民に責任を持てる場合には、その国が、自らの国民を教育していくべきですし、国民にはそれを要求する権利があると思います。
 他国へ行くのは、それ以上の教育を望むか、あるいは、自国では学べないものを学びたいと思った場合しかないと思います。

 その場合、外国で成功するには「お金」か、「才能」があることが必要条件です。どちらもない人は、「親の人脈」を頼るしかありませんが、それも親に「経済力」や「ある種の権力」があってのこと。相手側はそれを利用する目的で近づくわけで、その場合、その人の意識には、「学生の親」しか見えていません。

 日本でも、敗戦後の貧しかった時期、多くの「大学生」が奨学金をもらって、アメリカに渡りました。その頃、日本には、国民に、彼らが求めるだけの教育を与える、十分な力がなかったのです。勿論、「奨学金」を期待できない人の中で、自分の力でアメリカやヨーロッパに渡った人はいます。その数も決して少なくはありません。ご多分に漏れず、渡航費用は借金です。とはいえ、彼らには学びたいことがありましたし、しかも、その当時、それらは、食べることで精一杯だった日本では学べなかったのです。
 
 彼らの多くは、英語やフランス語が、充分に話せませんでしたので、昼は皿洗い、そしてどんなに疲れていても夜は夜学に通って勉強していたと言います。そうして、自分の求めるものを獲得していったのです。勿論、落伍する者はたくさんいました。当然のことです。病を得た者もいるでしょうし、あまりの辛さに諦めて帰国した人も少なくなかったことでしょう。努力をやめて、その地の人と結婚し、埋没してしまった人もいたでしょう。どういう人生が、一人ひとりにとって幸せであるか、それは誰にもわかりません。その中には、外国なぞへ行かずに、静かに日本で暮らしていた方がよかったであろう人たちも含まれていたことでしょう。自分の求めるものを獲得できるまで、頑張り切ることができたのは、ほんの一握りの人たちでした。

「人生とは、人がそれを意志的に実践するのでなければ、少なくともその人の意志の程度にしか意味を持たないものだ」(ポール・ゴーギャン)


 人は意志しない限り、何事も出来はしないのです。そして、それを望む心が強ければ強いほど、それが実現する可能性も高いのです。根性なんていうのも、それに応じて生まれてくるのでしょうし。私たちから見ても、80年代の中国人学生には、かつての日本人と同じような「目的」がありましたし、それをやり遂げようという「意志」も「ギンギラギン」に透けて見えていました。
 ところが、今の中国人学生にはそれがないのです。

 私たちが要求するのは、日本での「頑張り」なのです。ただ、これは、やってみないことにはわからないのです。中国にいる時は、そうまで思っていなくとも、日本に来て変わる学生もいますから。わざわざ日本から中国へ面接に行っても、会ってから「私はやる気がありません」なんて言う学生は、まずいないでしょうし。皆、ただ「日本へ行きたい」と言うばかりです。そして「大学院、ないし大学に行きたい」と言います。

 彼らの心には、「とにかく、ここを出たい」という閉塞感しかないのかなとも思うのですが、それだけであったら、日本へ行っても別の閉塞感に囚われるだけです。「単に外国へ行く」だけであったら、現状は少しも変わりません。で、何をしたいのかと訊くと、何も答えられないのです。勿論、これには無理があります。中国に比べ、日本では学べるものが多いのですから。その上、大学に入ってみたら、自分の希望していた学部は「人で一杯」だからと言われて、全く関係のない他の学部へ回されていたなんてこともありませんし。

 極端な例ですが、たとえ、『考』で700点くらいの点数をとっていたという学生が来ても、日本に来て勉強をしなければ、私たちにとっては、「紛い物を拾った」くらいの感覚しかありません(勿論、中国の重点大学で、いい成績を収めてきた学生は、勉強する人が少なくありません。好奇心も強く、自分にとって何が必要かがすぐに判るようですから、全く相手にしやすい。教えやすいのです。これは例に過ぎません)。

 却って、そういう人は、(500点くらいがとれなくて、中国の大学に行けなかったとしても、来日後)地道に勉強していこうとする人の邪魔になるだけです。反対に、彼らのやる気を削ぐという行為に出る場合もあるのです。自分は聡明であると思い込んでいるのですから。

 日本では、学校の規模に応じて、一年ごとに月に「4万円強」の奨学金の申請をすることが出来ます(この額は年によって多少変動はあります。受給する学生の数を増やせば、金額は減ります)。それから、年に二度ある『留学生試験』で、高得点を獲得できれば、専門学校、大学、大学院に進学後、一年間は月に五万円の奨学金ももらえます。

 私はその方がいいと思います。実は、私は以前、中国で仕事をしていたことがあるのですが、その時、嫌な話を、随分見たり聞いたりしました。その中にあった話です。「奨学金」に関することですが。

「日本のある私立大学が、中国から優秀な学生を呼ぶことにした。それまで、中国との間で、そういう関係になかったこの大学は、人を介して(ここなら大丈夫。信頼できると紹介された)ある機関に、学生を捜してくれるように頼んだ。捜して欲しい学生というのは、『成績はいいけれども、貧しくて、大学進学のための学費を払えないという僻地か貧困地帯の学生』」

 ところが、この政府機関が紹介してくれたのは、その機関の長の娘だったということです。北京に住んでいながら、普通高校にも入学できなく、フラフラしていた娘です。その娘さんが日本に来る前に、バレたのですが、既に手続きが終わっていたので、今更取り消しはできなかったそうです。この私立大学の関係者は、いかにも悔しそうにどうにかして途中で追い返してやると言っていたそうですが、さて、中国では政府関係者と悶着を起こすというのは、非常に不利なことですので、どうなりましたことやら。

 「奨学金」云々は、来日後に決めた方がいいのです。勿論、これは出す方の見方です。「先物買い」は無理があると思います。中国に限らず、こういう国は少なくないのですが。来日後の様子で判断するのが一番いいのです。今の中国は、昔に比べ、留学費用が出せないという状態ではないはず。また、来日するための費用すら出せないというのであれば、来日しても、多分、勉強はできないでしょう。お金のことばかり気になって、「勉強」ではなく、「働く」ことが目的になってしまうのです。「働きたい」のなら、他の手段を講じればいいのです。働きに行くという手はあるでしょう。日本に限らず、どこでもいいはずです。
 
 「学校」とは、「勉強したい人」と「教えたい人」がいる処のことです。

日々是好日
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「中国の『日本語学校関係者』への返事」。「『神宮外苑』と『後楽園』へ行ってきます」

2009-12-07 08:34:59 | 日本語の授業
 今日は「大雪」。お天気もよく、それほど寒いわけでもありませんが、一応「二十四節気」に敬意を表して、ストーブをオンに。

 とは言いましても、今朝の「天気予報図」では、北海道の辺りに「冬将軍」の厳つい顔が覗いていましたから、寒くなるのかもしれません。そう書いて来て、急に気になり始めました。風のことです。風が強くなったらどうしましょう。「神宮外苑」の「イチョウ」が、着く前に散ってしまったらどうしましょう。しかし、もし散っていたとしても、まだある。「外苑」がだめなら、「後楽園」がまだある。あっちにも行くんだから…。

 とは言え、やはり「外苑」の「イチョウ並木」は見せたかったし、朝の光を通した「イチョウの黄金」と、学生達の笑顔の写真も、日本で暮らした記念に撮っておきたかった…だめですね。どうしてまだ行ってもいないのに、過去形になってしまうのでしょう。まずは行ってから、行ってから…。

 ところで、中国語のブログを読んだ、中国の日本語学校関係者の方でしょう。こんなことが書き込まれていました。

1.「日本語学校では、『考』の成績を問題にする。『500点』とっていたとしても、中国では『三流の大学』に入れるだけ。日本人は『考』でいい成績をとったら、いい学生だとでも思っているようだが、本当にいい学生は金がない。だから、留学なんて考えもつかない。学費を免除するか、奨学金を出しでもしない限り、いい学生なんて来っこない」

答え
 「私たちは、決して『考』がすべてだとは思っていません。参考にする程度です。ただ、『考』の成績があまりに悪いと、日本の『入管』で、『学習能力なし』と見なされて、「就学」の許可が下りない可能性もあります。つまり、『就学生』となるのは難しいのです」

 「来日後、『留学生試験』で高得点をあげれば、上へ進学後の一年間、毎月5万円程度(2009年段階)の『奨学金』がもらえます。来日する前に『能力が高く、やる気があるかどうか』、また『日本でやっていけるかどうか』など、誰にも判りません。

 「ここで、忘れてはならないのは、これら、多くの学生が、中国の『大学入試に失敗している』ということです。それくらいのレベルしかない学生に、(しかもまだ中国にいる段階で)民間の日本語学校が奨学金を約束することなどできるでしょうか。来日後の勉強次第で、すべては決まります。また、就学費用が払えないほどであれば、おそらく来日しても、勉強に集中出来ないでしょう。その人は、他の道を捜した方がいいと思います。日本語学校は政府の機関でもなければ、慈善事業でもありません。学びたい人がその費用を払って学ぶ所です。これは日本人でもそうです」

2.「日本語学校は暴利をむさぼっているのだろう、教育者がやっているのではないだろうから。」

答え
 「私たちの学校は、少々口幅ったいながら、(なぜなら日本語では『教育者』という言葉は、仇や疎かに使えるような言葉ではないのです。何十年、必死で教育界に従事していても、『教育者』と呼んでもらえないのが実情なのです)もし、分類するなら、儲けようと思って創られた学校ではありません。小金持ちが金の使い道に困って作ったものでもなければ、どこかの工場や会社が、一儲けするかと思いながら作ったものでもありません」

 「もとは、私もこの学校を作った人も、日本の公立学校で教えていた教師でした。そして、縁あって、外国人相手の学校に在籍することになったのですが、謂わば、経営面ではずぶの素人です。ですから、中国人の就学生にも、また他の国の就学生にも、煮え湯を飲まされたことが、たびたびあります。」

「勉強したい人で、頑張れる人に来てもらいたい。そして、それを応援できる両親を持った人に来てもらいたい。。働くために来日するのなら、また別の手段もあるでしょう。それを捜した方がいいと思います」

3.「日本語学校では、よく『宣伝』をしているようだが、中間機関(中国の日本語学校でも、その学生の知り合いでもなく、日本の日本語学校に、学生を紹介することで手数料を両方からとっている人や機関のことです)も学生も日本のことを何も知らないし、知ろうともしていない。ただビザが下りるかどうかが気になるだけだ」

答え
「この学校では、宣伝は殆どしていません。学生の大半は、以前教えた学生の紹介か、近所の人が連れて来た人です。ただ、私たちは中国や他の国の日本語学校と提携を組みたいのです。そういう学校を探しています。今いる学生達の多くは、『ひらがな』や『カタカナ』の段階から問題があります。書き順はともかく、『字形』が違うのです。相手国の日本語学校と提携していれば、問題点を言って直してもらうことが出来ますし、来日前の学生の様子も知ることができます。少なくとも一二度は会えるでしょうから」

 この(書き込んだ)中国人の人は、いろいろと嫌なことがあったのでしょうね。私もそうです。外国人を相手にしていれば、しかも、互いに理解できていないと思っていれば、「ぼやき」の一つや二つが出てきても、決して不思議ではありません。このブログでは、私が思ったことをそのまま書いていますから。どこかで突っ込んでやろうと思えば突っ込めます。

 とはいえ、お互いに言葉を交わし、理解を深めることは大切です。
 これからもよろしくお願いします。

日々是好日
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