日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「春期補講終了」。「四月の花見」。「春の訪い」。

2011-03-31 08:32:12 | 日本語の授業
 晴れ。風もありません。

 近くの煙突から、真っ白い煙がゆるゆると上っています。上っていくに連れ、白さを濃くし、そして上の方で、だんだんと薄く広がり、空の青に溶けていきます。下と上が見えなくて、ポワッと浮かんでいるような不思議な煙。近くの白雲と見紛うばかり。のどかな春です。

 さて、今日で、三月も終わります。 春期の補講も今日で終わりです。次に、学生たちと会うのは、4月11日の朝、九時です。この日は、入学式も兼ねて、お花見に行く予定です。集合時間は朝の九時。できれば九時半には、学校を出て電車に乗りたいものです。とはいえ(晴れだったら、お花見)、雨だったら…授業になるのでしょうか。

 もっとも、私は雨の日の桜も、捨てがたいのです。もちろん、青空に、白に赤に、ピンクにと、際だって見える桜も、見事なのですが。

 桜の花は、「咲いてよし、散ってよし。花筏となって浮かぶもよし、風に舞うもよし」と「よしよし尽くめ」なのですが、葉も花に劣らず、「よしよし尽くめ」なのです。

 花を落としたあとの柔らかい緑だけでなく、秋には、紅葉まで見せてくれるのですから。しかも、この紅葉たるや、色自体が尖っていないのです。花とおなじように、やさしく、優美なのです。

 そうは言いましても、今年の春は、例年のようにはいきません。春の訪いが、目にも見え、香りとなって漂ってきていても、それに酔いきれない自分がいるのです。「いつも通りの暮らしをすること。それが日本復興への足がかりとなる」ということが、わかっていても…なのです。おそらく、日本人は皆そうでしょう。心の中に、どこかしら虚ろな部分があって、それがそういう自分を見つめているのです。その虚ろなものに、まだだれも名前を付けられないでいます。

 本来ならば、春の兆しを見いだすたびに、心もときめいてくるはずなのに、初春という言葉を聞いただけでも…です。それなのに、この弥生という月には災害や事件がつきまとって感じられてくるのです。社会や、生き方の、変化の兆しを知らせる月でもあるのでしょうか。

 街には、今、春の草花が至る所に咲いています。それぞれが、いつも通りに、「春だよ。春だよ。私を見て。私を見て」と、背伸びをしながら、さんざめいています。「ホトケノザ(仏の座)」が揺れています。「オドリコソウ(踊子草)」も、風にのって踊っています。深い紫の「スミレ(菫)」も咲き、垣根から「スノードロップ」が顔を覗かせています。

 「春だ。春だ」と、とにかく、自分で自分に言い聞かせておかなければなりません。そうでなければ、春はこのまま、どこかに行ってしまうかもしれません。

 今年は、どこかしら、そういう怖さも感じられるのです。

日々是好日
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「柳あをめる」。「引っ越し前日、大掃除」。

2011-03-30 09:36:55 | 日本語の授業
 今朝は、ぼんやりとした陽に包まれています。夕方から雨、所により雷とのことでした。ここでも雷様が暴れるのでしょうか。地上ではポカポカ陽気だいうのに、天上では不安定で、荒れ気味なのかもしれません。

 近くの小学校では、校庭の柳の木が芽吹き始めました。きれいな黄緑の玉を見せてくれています。

「やはらかに 柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」 (石川啄木)

 詩人歌人を多く輩出した、この北上川にも津波は押し寄せ、十五㌔以上も遡上したそうです。そんなところで津波に遭うなど、だれも考えもしなかったでしょうに。

 東北は至る所で「風景」が変わりました。それがはっきりと人々の記憶に刻まれるにはまだまだ多くの「時」が必要でしょう。なんと言いましても、「風景」は人々の心の中で作り上げられていくもの。「生活」あっての「風景」なのですら。人々の存在しない、人間なんぞを拒否している「大自然」ではありません。

 人は、ある時は、人間を拒否している「自然」に心を惹かれます。阿らないからとか、共存なんぞ言わないからというより、人間と係わっていない、ただ存在しているだけというところに惹かれるのでしょう。

 以前、ある人が、「私は海が好きだ」と言いました。私は、その人は「海を『風景』として捉えている」と思いました。私にとっての海は「自然」としての存在です。だから畏怖はしても、あまり近づきたいとは思えないのです。もちろん、見れば、美しいとも思いますし、海の豊かさや広がりに、心が晴れ晴れとすることもあります。けれども、私にとって、海は、「好き」とか「嫌い」とかの対象ではないのです。

 夜、海の宿に泊まったことがあります。波が「ドカーン、ドカーン」と一晩中吠えていました。寝られたものではありません。夜の海は、砂浜をも含めて、どこまでも黒いのです。黒い水がどこまでも広がっていて、そして、音がしない時には、ジワジワとネットリと浸みるように近寄ってくるのです。

 さて、学校です。
 昨日は、寮の二部屋で大掃除でした。大掃除と言いましても、二段ベッドやラックなどを入れるための場所を空けるだけ…と、最初は皆(教員は)思っていました。ところが、一部屋では、それどころではない…状態でした。

 と言いましても、この部屋の住人のうち、一人は不在、一人はアルバイトというわけで、大掃除に参加できた、(正規の)住人はたった一人だけです。なぜか、女の子が二人(同国人)、手伝ってくれましたけれども。

 彼らも、最初の頃は(アルバイトを始める前には)、きれいに部屋を使っていたのですが、いざアルバイトが始まってしまうと、アルバイトと学校の勉強でもうアップアップになってしまい、足の踏み場もないような状態に、(部屋を)してしまったのです。

 「日本の家屋には、靴を履いて上がらない」という鉄則が、どうも守れないのです。わかっていても、ついついいい加減になってしまうのでしょう。入り口から台所にかけてが、だめ。汚い。靴と食べ物が共存しています。しかも、タンスに服をしまうとか、百円ショップの小物を利用するとかいった知恵に欠けているようなのです、置物化していましたから。カラーボックスも本来の機能を失い、何が何だかわからなくなっています。

 そこで、まず、整理、整理。ゴミを出し、掃除機をかけ、床を拭く…。その間に、女の子が食器や鍋を洗っていました(そこで一言。「いいですか。日本では、汚した人が洗います。女の子がしなければならないという決まりはありません」。彼女は笑っていましたけれども、本当です)

 結局、一人、残っていた学生は、さんざん叱られ、あっちこっちと掃除させられ、ヒイヒイ言っていました。が、終わって、私たちが帰ろうとすると、「先生、ごちそうさまでした(本当は、『お疲れ様でした』か、『ご苦労様でした』と言いたかったのでしょう。なにせ、『一月生』ですからね、会話はまだまだ)。先生、お腹すいたでしょう。私が御飯作ります。食べてください」

 もっとも、「そんなことはしなくていいでしょう。それよりも、まだ片付いていない分を片付けなさい」と反対に叱られていましたが。

 このベトナム人学生は、何でも「見たい、知りたい」と好奇心に溢れています。多分、勉強はそれなりにやってくれるでしょう。ただ、「一月生」であると言うことから来る時間の問題(来日後一年経たないうちに、留学生試験を受けなければならない)を乗り越えることができるかどうか、また、どこまでアルバイトをしながら、勉強に頑張っていけるか…は、まだわかりませんが。

 そして、もう一部屋です。ここは内モンゴルの学生が卒業、ないし、引きあげたので、今、一人残っているだけです。彼女に「これはだれの?だれが置いていったの?」と聞きながら、どんどん片付けたり、捨てたりしていきます(食べ物は、残しておけません。腐ってしまいます。そうなる前に捨ててしまいます)。だいたい、置くなら置くで、まとめておけばいいのに。日本では捨てるのにもお金がかかるのです。それ以外は、場所を決め、そこに放り込んでいきます。

 ただ、ベトナム人学生の部屋とは違い、この内モンゴルから来た学生は働き者ですから、どんどん、はかがいきます。

 ところで、明日、ベトナムから、もう一人新入生が来ます。四月二日には内モンゴルから二人、その前後にモンゴル国から二人来る予定だと言います。フィリピンとインドの学生はビザの手続き待ちです。うまく11日の花見に間に合うといいのですが。

日々是好日
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「東京の桜の開花」。「動かない大地に二本脚で立つ人」。「社会的存在である人」。

2011-03-29 10:02:13 | 日本語の授業
 晴れ。今日は風もなく、静かに一日が始まっています。

 ところで、東京でも桜が開花しはじめたそうです。上野公園では、「シダレザクラ(枝垂れ桜)」や「コヒガン(小彼岸)桜」などが、既に、満開に近いということですし、例の、毎年、花見客でごった返す桜並木の桜の満開は4月7日頃になりそうだとかも伝えられています。この分で行きますと、この学校の入学式予定日である4月11日には、皆で桜を見に行くことができるかもしれません(例年、行っているのは千鳥ヶ淵なのですが)。

 去年は(大体いつもそうです)、皆で桜を見に行くことができませんでした。新入生が入ってくる頃には、疾うに桜が散っている…で、桜の話を聞いても、「知らない…見ていないモン」と、拗ねられるいうことになっていました。まあ、遠くへ行かなくとも、北西に歩いて一分か二分ほどの公園にも、桜が何十本か植えられてしますし、北に歩いて一分ほどの民家にも、見事な枝垂れ桜がありますから、それらを見て楽しんでもいいのです。それに(その民家の右にある)道を挟んで、お向かいには小学校(日本では、どの学校にも桜が植えられています)があり、そこにもさくらが植えられていますし。

 日本は、古来から地震にも津波にも火山の爆発にも、数限りなく見舞われてきました。その度に、木々はなぎ倒され、地形も変わり、そして新たな自然が作り出されてきました。これは、いわば神の手によるとしか言いようのないものなのですが(人が賢しらげにしている原爆実験とか水爆実験とかによるものとは違います)。

 人が、いくら、これは人類の英知によるものだと誇ってみても、自然というものは、ちょいとへそを曲げるだけで、大地震や、大津波、火山の大爆発などを、その何千倍、何万倍ものエネルギーで起こし、巨大な大都市であろうと、構造物であろうと、あっという間に消し去ることだってできてしまうのです。

 人の、喜びも、悲しみも、怒りも、何もかもが瞬時に消されてしまいます。人は蟻のように小さい存在であると、わかってはいても、互いの人にとっては、それぞれの相手は、たとえようもなく尊く、大切な存在なのです。

 人の、そういう思いも、天空の存在からみれば、多分、取るに足らないものなのでしょうが、けれど、大地に生きている私たちからすれば、決して、決して、取るに足らぬようなものではないのです。大切な、大切な存在なのです、結びつきあっている互いは。

 確かに人は社会的な動物であり、人によって成り立たされている存在なのでしょう。人を助けるのは人であり、人は互いによって助けられている存在なのです。

 ただ、人は、やはり、二本脚で大地に立っているのです。それによって、やっと、人たり得ているのです。地震が続くうちに、「地震酔い」になるというのもよくわかります。大地が揺らぐ「なゐ」は、やはり怖い。大地は動かぬものというのが、前提としてありますから、なんといっても。

 人が、もしかしたら、心に描いているのは、「自然」ではなく、自分が子供の頃から見慣れている「風景」なのではありますまいか。「自然」というのは、人にとって「畏怖」さるべき存在であり、その片隅に人を許し近づける、自然の一部たる「風景」だけを、人の方でも近づけることができるのではないでしょうか。

そして、「自然」によって、「風景」が変わってしまうのが怖いのです。

「森は海の恋人」運動発祥の地での被災。牙を剥き出した海に向かい、それでも、人々は海から離れられないと言います。悲しいですね。けれども、強いですね、人は。

日々是好日
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「カタバミ」。「カエル」。「卒業生の来訪」。

2011-03-28 10:05:15 | 日本語の授業
 晴れ。処々に、ぽつんと雲が浮かんでいます。上空でも強い風が吹いていないのでしょう、浮かんだ雲が、お伽噺の雲のように見えます。

 学校の台所に花を散らせた鉢植えが置いてあるのですが、その土の中から、ニョキニョキと顔を覗かせ始めたものがあります。いわゆる、生命力の強い雑草です。記者の問いに「雑草などという草はない」と答えたという植物学者としての面目を躍如させた昭和天皇の言葉がありましたが、この雑草も、名前はあり、多分「カタバミ」というのでしょう。

 「カタバミ」は種類が多いので、私には正確な名前はわかりませんが、子供のころの私にとっては、便利な「おもちゃ」でした。大体どこにでも生えているのです。これを土から引き抜いて、その中から一本を選び出し(丈夫そうにみえるものを選ぶのです。切れたら終わりですから)、上の三つ葉を相手の三つ葉と絡ませて「引っぱりあいっこ」をするのです。時々、本当に強いものがあります。ぷつんと切れたら負けです。それで、また別のを捜します。切れたら捜しを繰り返し、別の遊びが見つかるまでそんなことを続けたりしていたものでした。

 当時は、今のように機械とか高価なものは普通に売られていませんでしたから、身近にあるものが、遊び道具にされていました。近くの用水路から紛れ込んできた「カエル」なども、格好の遊び相手にされました(もちろん、苛めはしません)。「青蛙」は美しさで、そして「ウシガエル」はその大きさで、皆の尊敬を得ていました。学校で「カエル」が出てくる物語などを読めば、即、本物にも感情移入してしまいます。それが子供の強さでしょうか。「カエル」の気持ちなどを、我が事のように考えるのです。

 物語に登場してくるものには、人と動物や植物の区別がありません。人と同じように怒り、泣き、喜び、謳うのです。この「カエル」は、今、どんな気持ちなのかしらん、何を考えているのかりらんと思って、彼らの顔を見つめてしまうのです。当然のことながら、いくら見つめても、何にも言ってくれませんし、心の片鱗を覗かせてもくれないのです。で、結局はそばにあった「ギシギシ」などで、彼らの顔をからかうように触ると、いやだなあといったふうで逃げていくのです。この顔が見たくてそんなことをしてしまうのですが。

 「カタバミ」から、思わず昔のことを思い出してしまいました。「考える」というのは、結局は「感じよう」とする気持ちのことなのでしょう。それが原始の「考える」であるような気がするのです。どちらかというと、ドイツ人などとは違い、日本人には、こちらの方が似つかわしいような気がしています。

 さて、学校です。
 先週の金曜日、ベトナム人の学生が、友だちを一人連れてきました。アルバイト先の友だちだと言います。日本に来たばかりで日本語が全然わからないから、四月から「初級クラス」で勉強したいと言っているというのです。「では、今日はこの教室にいて、しばらく、耳慣らしをしてごらん」と、教室に座らせておいたのですが、飽きたのでしょうね、途中で「手続きをして、それから四月に来る」と言って帰っていきました。家族ビザのようでしたから、続くかなとも思います。

 そして、4時45分に授業を終え、後片付けをしていますと、去年の卒業生が階段の下の方から「先生。もう終わりましたか」と声をかけながら上がってきました。「先生。会いたかったよ」と言いながら追いかけてきますので、ついつい習慣で、「私も会いたかったよう」と言いながら逃げてしまいます。どうも彼女の顔を見てしまいますとと、すぐに2年前の自分に戻ってしまいます。そういえば、以前、よくこうやって追いかけてきましたっけ。そしてそのたびに、私の方でも「来るな、来るな」と言いながら逃げていたものでした。まあ、そう言いながらも、後片付けを手伝ってくれます。

 彼女は、大津波が来た時には、韓国にいたのだそうです。大学の試験が終わると、韓国にいた両親に呼ばれてすぐに、韓国へ行き、そこで一ヶ月ほど滞在していたのだそうです。
「大学の勉強が気になったし、早く日本へ戻りたかったけれど、両親がもう少し、もう少しと言うので、帰るのが遅くなってしまった。けれども、日本に戻って連絡を取ってみると、大学は五月からと言う。とても寂しい。私はこの大学で勉強するのが大好きだから」と、言うのです。

 で、今は何をしているのかと聞くと、
「横浜の部屋に一人でいるのは寂しいから、東京の友だちの所へ行って、二人で暮らしている。今、しているのはアルバイトだけ。アルバイトは毎日している。けれど、アルバイトだけの暮らしは嫌だ。大学、友だち、そして、アルバイトの三つがあるから、楽しいのであって、アルバイトだけの暮らしは退屈でつまらない」。
「そう。(ふむふむ、ということは、ここに退屈しのぎに来たな)アルバイト先の人はみんな自分の国に帰っていた?」と聞くと、
「私のアルバイト先は、みんな日本人だから、同じ、いる。いつも通りにアルバイトをしている」。

 そして、
「先生、どこかに行こうよ。この学校にいる時は、いつも学校でいろいろな所へ連れて行ってくれたでしょう。また行こうよ。同じ大学の留学生にいくらそのことを話しても、だれも信じてくれないのよ。日本語学校がいろいろな所へ連れて行ってくれて、しかも楽しかったなんて、だれも信じてくれないの。またこの学校に戻って、いろいろな所へ行きたい」
「(ふむふむ、今、どこも行けないな)へええ。そう」

 それで、インターネットで「東京の庭園」を見せ、探索の仕方を教えます。
「友だちと行ってごらん。一人ではだめでも、友だちと行ってみるといいよ。日本はこれからがきれいになるから」

 日本に残っている彼らが、冬から春へと、どんどん美しく姿を変えていく日本の自然を見ることは、今、とても大切なことであるような気がします。もちろん、これは彼らだけではありません。私たちにとってもそうです。結局、生きる力というのは、その土地の自然からでしか、得られないのではありますまいか。

日々是好日
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「今は、信じて、静かに待つだけ」。

2011-03-25 09:43:11 | 日本語の授業
 今朝は快晴です。冬の厳しさが和らいできたというのがよくわかります。被災地では雪が降るような日でも、東京湾の近くでは、ゆったりと春が近づいているのです。今年の春はどうも歩みがそれほど速くないような気がします。桜が咲き始めるのは、四月になってからかもしれません。

 チチチチチチと雀が鳴いています。小雀がえさをねだる、あのときの声のようにも聞こえます。羽を膨らませて、精一杯それを揺するのです。多分、親雀は、小雀の、こういう姿を見ると、どうにも切なくなって、何でもあげてしまいたくなってしまうのでしょう。あの憎たらしいカラスでさえ、子供の姿はかわいらしげに見えていましたもの。

 街はまだ静まりかえっています。止まっているかのような、こういう感じは怖いですね。早くお向かいでマンション工事が始まらないかとさえ思ってしまいます。人がいれば生活音が聞こえてくるのは当たり前。時には煩わしくなるその騒音でさえ、懐かしくなる時があるのです。

 日本の河川は狭く、浅く、流れは急です。瞬時に人間界の塵埃を流し去ってしまいます。ところが、人の心はそうはいきません。「忘れる」という「作業」には、いくつもの手順が必要です。それがなければ、なかなかこの「作業」は進まないのです。その上、「忘れた」かに見えていても、心の奥底でしっかりとその「記憶」は溜められていますから、その琴線を揺らすものが出現しようものなら、あっという間に、全ては蘇ってしまいます。

 目の前から消え去っていても、まるで昨日のことのように思い浮かべ、また感じることもできるのです。そして、その中で、生きることさえできるのですから、人というものは、本当に摩訶不思議な生き物です。

 さて、学校です。
「Dクラス」のフィリピン人学生が、一人、電話をよこしたとのこと(実は彼には、春休み中も、できれば毎日学校へ来て、初級の学生たちと一緒に「補講」を受けるように言っていました)。

「アルバイトの予定がたくさん入ってきていて、学校に行けません。ごめんなさい。でも、うちで勉強がんばります」という内容だったようですが。後半は…ちょっと信じられませんね。夏休みの時がああでしたもの。

 地震・津波・原子力発電所の事故と立て続けに起こったせいでしょう。恐怖感に駆られて、多くの中国人が帰ったようです。彼らが去ったあと(なんと言っても、日本へ来ていた中国人の数は多かったので、それまで彼らがいた)アルバイト先では人を確保するのが大変で、その分、残った学生たちの出番が増えたということなのでしょう。そういえば、進学して、大学のそばに引っ越した中国人学生が、「すぐにアルバイトが見つかった。日曜日に面接です。面接が終わったらすぐ働いてと言われています」と報告してくれましたっけ。

 入管もものすごい人であったと聞きましたから。もっとも、ちょうどビザの更新時期と重なったということも関係あったでしょうが。

 日本語学校の中には、万一を考えて、『再入国ビザ』を取らせなかった所もあると聞いています。ちょうどビザの期限がきたからということなのでしょう。ただ、私たちの学校では、「もう、戻らない」と言って帰った学生にも、「再入国ビザ」を申請させました。彼らは、ずっとこの一年間、大学へ入るために頑張ってきたのです。このまま帰らせてしまうのはいかにも残念です。かといって、親が帰ってこいというのに、帰らないわけにはいかない(というのが、彼らの限界なのかもしれません。すでに経済的には自立しているのに、それが通用しないようなのです)らしいのです。とはいえ、帰国すれば、自分の国の有様がよくわかるでしょう。日本へ来るまでは見えなかった部分も見えるでしょうから。その時、(日本へ戻るか戻らないかを)決めても遅くないと思うのです。このままの状態で、日本にいても、体と心は二つに分かれてしまうでしょうから。

 一人の学生がこんなことを言っていました。
「学校で勉強していたり、アルバイトをしていたりすると、日本人がいつもと同じように生活していることがよくわかる。ああ、このままでいいのかなと思う。けれども、家に戻ってくると、国の家族や友人から、やんややんやと電話がかかってきて、不安になる。本当に、どうしていいのかわからない。」

 多分、これは彼らの国の現状や、やり方と関係があるのでしょう。彼らの国では、こういう事故が起こっても、データも何も発表されないでしょうし、また国民の方でも、政府が発表したものを信じないでしょうから。それに、わかりやすく説明もしてくれないでしょう。そういうわけで、結局、みんな、誰彼による口コミで動いてしまうのです。

 つまり、日本という国にいるにもかかわらず、(彼らの国にいる人達は、当然、自分の国と同じようにしか考えられませんから)それと同じように、してしまうのです。日本と彼らの国では、こういう点でのレベルが違うのです。それに、日本語がよく話せないし、聞き取れない人は、せっかくのデータも(知識がないことにより)誤解してしまうでしょうから。

 こういう時、発表される「単位」一つとってみても、そうです。私たちだって、数字の後ろにくっついている「単位」が、初めのころは、何のことか、どの程度のものなのか、よくわかりませんでした。けれども、大衆が戸惑っているなと見て取った、ニュースの解説者が、素人でもわかるように、嚙み砕いた説明を加えてくれたのです。当然のことながら、専門的なことはわかりません。けれども、それは専門家や解説者が考えてくれるはずです(当然ですが、信頼関係ができあがっていなければ、だれも信じませんし、私だってこうは言いません)。

 もし、もっと詳しく知りたいなら、専門書も多く出版されていますし(中には初歩から説明を加えたものもあるでしょう)、インターネットで調べることもできます。けれども、人々は、日々の生活に忙しく、そこまで徹底的に調べようという人はあまりいないでしょうから、この単位で、この程度の値であれば、恐れる必要はないのだということが、素人なりにわかればいいのです。それなりに納得できれば、心も騒がしくなりません。

 また、いろいろな場所で、検査が行われ、その都度、発表されています。
今現在、恐れなければならないことと、一年か二年続くようであったら、恐れなければならないこと。また、乳幼児や成長期の人達と、既に成長期が終わった人達が恐れなければならないことが違うということ。こういうことを少しずつも学んでいます。

 たとえ牛歩の歩みであっても、学んでいくことによって、人々の心の不安は少しずつ取り除かれています。もちろん、みんな、不安は不安です。怖いなと思っています。とはいえ、その道の専門家達が、今、一生懸命に頑張ってくれているのです。私たちが、デマに踊らされたり、恐怖心に駆られてとんでもない行動をしてしまう方がよほど怖いのです。そんなことをしてしまうと、せっかく、必死に作業に臨んでいる人達の心まで乱れてさせてしまいます。

 今はただ、作業が一日でも速く安全に進みますように、そして、被災した方々が、少しでも速く、前向きに生きていくことができますようにと、祈るばかりです。

日々是好日
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「『知識』と『知恵』と『感情』と『気持ち』と」。

2011-03-24 09:14:08 | 日本語の授業
 曇り空ながら、時折、陽が射してきます。今日は、ずっとこのようなお天気なのでしょう。

 何かが、きっかけがになった時だけなのですが、「知識」とか「知恵」とかいうことについて考えることがあります。それから「気持ち」とか「感情」とかについても。

 「知識」をいくら増やしてみても、それは「知恵」に正比例しないのです、悲しいことに。却って「知恵」を阻害してしまうということさえあるのです。いらぬ「知識」です。本当に「知識」というのは、厄介なもの。

 もしかしたら、これは「知識」が正当に育っていないということなのでしょうか。「知識」というものは、ただ「与える」だけではだめなのかもしれません。「育てて」いかなければ、だめなのかもしれません。つまり、「与え方」の問題なのでしょう。

 とはいえ、「知識」もあり、「知恵」もある人でも、「感情」が邪魔して、正しい「判断」ができなくなることもあります。それは「気持ち」だけの問題であることもありますし。

 本当に難しいですね……ったく。

 さて、新入生です。事故が落ち着くまで、(まあ、「学校がいいですよ、来ても」と言うまでは)来ないでくださいと、連絡してあったはずなのですが、ベトナムからは、一人、明日、来るそうです。この月末にも一人。

 中国の内モンゴル、モンゴル国、ロシアなどから来ている、または来ようという学生たちとは全く違う反応です。これらの地区ではまだチェルノブイリの記憶が新しいからでしょうか。それにしても、それに関する正しい知識は入っているのでしょうか。単に右往左往した記憶しかないのではないでしょうか。日本人だって、広島・長崎の記憶は薄れていました。記憶が鮮明ならば、原子力発電所の存在自体、国民が許さなかったでしょうから。

 しかしながら、この事故のおかげで(「おかげ」というのは変ですが)、「被曝(被爆ではありません)」やら、「放射能」やら、「原子力発電所の構造」やらの知識を得ることができました。それから、果敢に仕事をしてのける人達の存在を知ることもできました。

 特に、こういう人達の存在は、被災者のみならず、多くの日本人を勇気づけました。日本人は捨てたモンじゃないというのが、日本人皆の、正直な気持ちだったのではないでしょうか。結局、人なのです。人を勇気づけるのも、だめにするのも。

日々是好日
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「『信じる』ということ」。「春の『補講』」。

2011-03-23 09:45:45 | 日本語の授業
 今朝は曇りです。昨日は一日中、しとしと雨が降っていましたが、今朝は曇り。どこかしらすっきり感じられるのは、雨上がりで、空気の匂いが違うからでしょうか。

 学生が、「この雨に濡れてもいいのか」と聞きに来ました。「濡れずに済むなら(傘を持っているなら)濡れる必要はない。用心のため」と答えました。皆、少しずつではありますが、落ち着いてきたと思います。

 恐れてしかるべき時には、恐れるべきであり、暴虎の勇を衒う必要はないのです。ただ、何よりも恐ろしいのは、デマであり、恐怖心を煽るような言動なのです。これも、つまりは、本人が正しい知識や情報を得ていないことによる、怖い怖いと思う心が生み出す妄想によるものなのかもしれませんが。

 といって、私たち日本人が、放射能や原子力発電などに関する知識を十二分に持っているということではありません。ただ、原子力発電所における「水素爆発」と、戦争で用いられる「水爆」は全く別物であるということも、(専門家によって)説明されれば、ガンマ線やアルファ線における「被曝」は水で洗えばいいということも、それが広島における「被爆」とは(音は同じなのですが、漢字が違います。意味が違うのです)違っているということくらいはわかります。

 事故が起こってから、連日、テレビでは(民放もコマーシャル抜きで)、津波や原子力発電所の事故関係のニュースの報道に明け暮れていました。それも原子力発電所のニュースの方が重きを置かれ、被災した人々の生活の方は、報道の片隅の追いやられていました。人々は、発電所への放水や、電気系統の回復に、一喜一憂していたのです。

 それも、十日が過ぎ、「いつになったら回復するかわからない」状態から、いつの間にか、「(素人でも)多分今週か来週には目処がつくだろう」という予測ができるまでになっています。これは、(日本人が)こういう仕事に携わっている人達を信じているというとおかしな言い方になるかもしれませんが、結局はそういうことなのです。「職人」的気質でもって、ことに対処しようとしてくれている、仕事をしてくれている、こういう人達を、日本人は、伝統的に、理屈抜きで見抜き、すぐに信じることができるのです。疑いは持ちません、職人肌の人には。

 不思議なもので、「職人さん」という言葉には、直ちに襟を正すという「パブロフの犬」的な反応を示す日本人であっても、「商売人」という言葉には、全く反対の反応を示します。当然のことながら、商いにも「道」があり、「常道」を歩む人達は、何よりも「信用」を重んじます。そうは言いましても、目的は、「金を儲ける」こと。だれも、彼らが、それ(金儲け)を追求することを責めることはできません。

 ただ、それが常軌を逸すれば、人は軽蔑を以て対します。いくら目的が金儲けであろうと、していい時と場所があるはずだと。それは、因果がめぐるように、いつかしっぺ返しとなってその人に返ってくるでしょうにと。

 そうは言いましても、「売り惜しみ」や、投機を狙った行動が、こういう災害が発生した時に起これば、人々は怒りを覚えるよりも先に、どうにも切ない気持ちになってしまいます。そういう行動を取るしかなかったのかと、却って辛くなってしまうのです。こういう人達は豊かであり、別に人様を困らせて肥え太らなくとも、生活には困っていないだろうにと。

 おそらく、こういう気持ちになってしまうのは、私たちだけではありますまい。

 さて、学校です。
 
 春休みの補講は、昨日から始まりました。今月いっぱいは続けます。日本に残っていて、しかも、まだ半年にも満たない学生たちは、日本語がそれほど上手ではありません。国内外からのデマにも踊らされるでしょう。彼らを預かっている日本語学校が、何の手当もしなければ、そういうことにもなりかねません。まず何よりも大切なのは、福島の原子力発電所から200㌔以上も離れている、ここでは、日本人は今まで通りの生活をしているということを、体でもってわかってもらうことです。

 地下鉄の電車が、今までの3分毎から、10分毎に変わろうとも、人々は同じように電車を待って並んでいます。これまでと、同じように学校で勉強をし(既に春休みですが、学校が補講をしていたり、来年に備えて大学や高校受験のための予備校もありますから)、会社で仕事をしています。

 この学校でも補講をしています。ただ午前のクラスを午後にして、二クラスを一クラスにしてやっています。来ているのは、留学生と、来て勉強したいという在日生たち。昨日はちょうど12人でした。そして昨日は、四月から「新クラス」で学びたいという、バングラデシュの人もやってきました。

 教室は、にぎやかな方がいいのです。進度は「一月生(今年の一月開講)」に合わせて、「初級Ⅱ」の38課からです。半年前から学んできた学生たちにとっても、ちょうどいい復習になります。さあ、この一週間で、どれほど成果を上げることができるでしょうか。

日々是好日
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「雨」。「『自然の美』と共存した生活」。

2011-03-22 10:17:16 | 日本語の授業
 今朝は雨です。本来ならば、菜種梅雨(少し遅かったのかもしれませんが、まあ、ナノハナのころと見てもいいでしょう)と呼び、桜の前のホンワリとした温さに酔いを感じてもおかしくはないでしょうに。

 今年度「Aクラス」予定の、現「Dクラス」の学生のうち、二人が、先週の土曜日に、大阪に向けて発ちました。帰国のためです。一応、「再入国」は取らせましたが。

 この二人も、一人は帰るというのに、ニコニコです。聞くと、やっとお父さんが、「また(日本に)戻ってもいい」と言ってくれたとのこと。もう一人は、のんびりとしています。多分、国では何も勉強できないということがわかっていないのでしょう。

 一昨日の、日曜日のことです。ベランダの植木に水をやっていた時、海棠が、つぼみをつけているのに気がつきました。人間界では、「やれ、地震だ。津波だ。原発の事故だ」と大変なことが続き、悲しみや怨嗟の声が満ちているというのにです。自然界は、やはり天上界に通じる道なのでしょうか。あるいは、希望に通じる道なのでしょうか。

 事故が続いているときも、月は冴えきった美しい光を人間界に注いでいました。皎々としたその光に照らされている人も、樹木も、人工的な建物さえも、こういうことがあったからでもありましょうが、普段よりもより一層、どこかしら異次元的な美しさを帯びているように感じられました。

 やはり、日本は美しい国です。
 その美しさを過去のものにしないために、今、多くの人達が、その職務に応じた働きをしています。日本には英雄はいないのです。英雄という言葉には、その人を支えている多くの人々を踏みつけにしているような暴力的な響きが伴います。
 日本には、そういう英雄はいないのです。また必要ないのです。自分の、日々の仕事に懸命になっている人達が、その仕事に必死であるが故に、国の美は保たれ、人々の生活は守られているのですから。

 きっと、もう少し経てば、桜は、妖艶な姿を見せてくれることでしょう。秋になれば、木々の木の葉も、紅葉になって私たちを喜ばせてくれることでしょう。そういう自然の美と共存できるような生活を私たちは追求していくべきなのでしょう、この美しさに感動を覚え、守りたいと思うならば。

日々是好日
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「日本人の思考回路」。

2011-03-18 17:23:39 | 日本語の授業
 快晴です。既にお向かいの工事は始まっています。

 昨日、午後の授業の一、二限目(1:15~2:30)が終わって、職員室に戻りますと、「計画停電」の影響で電気が止まっていました。

 そこで一言。大体、「停電」なんて、「負」の言い方ですよね、元気が出てきません。「計画供給」と、どうして言えなかったのでしょう。「『巨大地震』と『巨大津波』に見舞われた日本。とはいえ、この時間帯だけは万難を排して『供給』する」と。そういう言い方をすれば、人々の気持ちも「頑張っているね」となり、電気の供給に対して感謝の念も湧こうというもの。それを、ねえ。却って、気の毒になります。

 日本人の思考回路の基本は、現状維持なのです。現状のままであって、「プラスマイナスゼロ」であり、それより上なら「プラスいくら」であり、それが実行できなければ、すぐに「マイナスいくら」になってしまうのです。そして、厄介なのは、なかなかそこから抜け出せないということなのです。

 こういうことも考え方一つで、「未曾有の天災(人災も重なっていますが)に見舞われたというのに、まだガスもある、水もある」となれば、まずはよかったと思えるのですが。

 つまり、「だから、電気が今まで通り供給でなくとも、これくらいの量であろうと、ありがたいと思って受け取れる」か、あるいは、「『地震』は『地震』、『津波』は『津波』。少しでも生活が不便になれば、文句を言う」となるか、のどちらかなのです。

 政治家というのは、こういう人間の心の機微、あるいは一種の国民性なるものをよくよく考えて声明を発するべきで、しかも、ものには言い方も、いうべき時もあるのです。

 大体、政治を志そうという人は、人々の心に届くような言葉を持つべきであって、事務的にただ必要な言葉を必要なだけ言えばいいというものではありません。根本的に。人柄が言葉に滲み出て、言葉足らずが許されるということもあるでしょうが、それが度重なれば、相手に馬鹿にされるだけです。

 結局は、相手の「心」に届くように、言葉や言い回しを選びながら声明文を作るべきであって、しかも、それは広い視野と的確な判断力をも、相手に感じさせなければ、いわゆる「本物の政治家」の言葉にはならないのです。極端な言い方をすれば、政治家は理想を語ればいいのです。その実行のために、どうしていけばいいのかは、その下の、事務能力のある人達か、あるいは専門家集団が考えていくことでしょうし。

 とはいえ、気の毒ですね。何が因果で政治家なんぞになっているのでしょう。いやいや、一番気の毒なのは、国民でしょうが。政治家というのは、能力のある人以外はなるべきではないのです。変な人がなってしまうと、人様の迷惑になってしまいますから。簡単にやりたいと手を挙げてはいけないのです、小学校の学級会ではないのですから。親の金をそのまま引き継げるからなっている人もいるでしょうが、大事が起こった時に、すぐ能力のなさが露呈してしまいます。恥ずかしいでしょう。己の分際すら分かっていないくせに。人様に、あなたの命を託してくださいと言えるものでしょうか。

 …などと、何を言っているのでしょうね、私は。今はそれどころではありません。原子力発電所では、それぞれの職責を全うせんものと頑張っている方たちが大勢いらっしゃるのですから。私たちは、その方々の迷惑にならないように、ただ信じて待つだけです。

日々是好日
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「マンション工事の現場から」。「『普段通りの生活を続ける』ことの大切さ」。

2011-03-17 08:27:24 | 日本語の授業
 今日も快晴です。

 遠くの煙突から、煙も立ち上ってはいません。学校の三階から、スカイツリーが見えます。いいお天気です。ただ、これも、お向かいに七階建てのマンションができれば見えなくなるのでしょうけれども。

 「東北関東大地震」に続く「大津波」で、ここずっと慌ただしい日々が続いていました。みんながやって来るまでの、朝のこの時間だけが、ある意味では、学校で自分を取り戻せる時なのです。

 とはいえ、今日も、お向かいの工事は始まっています。朝七時には、いつも、現場の前の道は、作業をする人達の車で一杯になっています。大体、朝礼は八時頃でしょうか、しかしながら、その前に、皆で手分けして、夜のうちに(皆が帰ってから)現場に何か起こっていないかを調べて回っています。

 液状化現象などが起こらないように地固めをし、水を抜き、下の固い岩盤まで深く杭を差し込みなどという作業は、彼らの前の前の会社でしょうか、やっていたのは。そのときは学校も大揺れに揺れ、何事かと驚いた時もあったものでしたが、今となってみれば、あれほどの基礎工事をせぬ限りは、住民が安心して暮らしていけぬのだと納得ができます。もっとも、「今日はテストの日。ヒアリングもありますから、静かにしていてください」と、院長が言いにいく度に、ごっついおじさんたちが「はい、はい」と言いながら、静かにしてくれていましたっけ。

 今、日本語を勉強しに通ってきているタイ人女性のご主人は、消防士の方だそうで、地震後はいつ帰って来るか分からないという状態が続いているのだそうです。「もちろん、心配だよ。でも、頑張っているからね。私も頑張るよ」と先日言っていましたっけ。ご主人の仕事を誇りに思っているのが、よく分かりました。

 学校の近くにも消防署があり、時々その周りを猛スピードで走っていたり、ビルの屋上で訓練をしている姿などを見かけることがあります。見ているだけで、大変な仕事なのだということがわかります。ああいう訓練を常時続けていないと、まさかの時に役に立たないのでしょう。いえ、役に立たないどころか、命にもかかわってくるのでしょう。

 見ているだけで、頭が下がります。こういう方たちに守られて、私たちの日常はあるのですから。が、最近は若い人達が、こういう職業を希望しなくなったので、自分の夫のような年寄りまでが頑張らなければならないのだとも言っていました。

 といっても、(私はお会いしたことがあるのですが)、がっしりした体型で、一瞬強面かなと思われたのですが、奥さんとのやりとりを聞いているうちに、思わずにやりとしてしまいました。主導権は完全にあっちにありました。けれども、まだまだ頑張ってもらわなくてはなりません。

 今日は寒く、被災地の辺りでは雪が降っているようです。風も強く、(お向かいの)現場を囲っている重い金属製の板が、軋みながら、大きく揺れています。

 今、何よりの(被災地への)支援は、日本国内どこであろうと、普通の生活を続けていくということなのかもしれません。地震や津波が起こる前の生活をいつも通り保持していくことなのでしょう。食べ物も「なくなったら買いに行けばいい」くらいの感覚で、国は信じられなくとも、日本人なら、お互いを信じることができるはずです。

 そうやって、慌てふためくことなく、それぞれが普段通りの仕事をし、生活をしていく。こうして、腰を据えて、ゆったりと構えていることこそが、日本復興への第一のステップなのかもしれません。もちろん、外国の方に、それを望むのは詮無いことですが。

日々是好日
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「梅の花の香り」。「国の力」。

2011-03-16 08:55:47 | 日本語の授業
 遠くの煙突から、ゆったりと真っ白な煙が流れています。ここにいれば、同じ日本で地震があり、それによる津波によって多くの人が訳も分からぬうちに流され、死に至らしめられたということが、夢のように感じられます。

 一昨日、土日と、(地震の時は)そんなものかとでも思っていたのでしょうか、学生の一人が、寮にガスが来ていないと言い出しました。それで、一緒に寮に見に行ったのですが(これは地震時の安全装置が作動して、単にガスが切られていたに過ぎず、ボタンを押せばすぐに回復するだけのことだったのです)、その途中、
学生が、
「先生、いいにおいでしょう」
「……」
驚いて、あたりを見回すと、確かに畑の中に数十本の白梅の樹が植えられています。しかも、折しも満開の時を迎え、香ばしい香りを放っていたのです。
「先生、このあたりはね、夏になると、もっといい香りがするのよ。何の花か分からないけれど、とってもいい香りなの。朝はね、ああ、いい香りだなあって思いながら学校に行くの」
と、およそ、こういう時には信じられないほどの話を、のんびりと話しかけてきます。

 彼女は内モンゴルから来ているのです。彼らの国から見れば、水が豊かで、放って置いても、いや、放って置きさえすれば、草花に満ち、木々におおわれるという国の自然が、却って(日本人よりも)体中で感じられるのかもしれません。

 日本人にとっては当たり前、そうでなければ、それこそ問題だという、この自然も、彼女からすれば、小さな驚きであり、その驚きを、精一杯、小さな胸に味わっているのかもしれません。

 女子寮にしているマンションは何の問題もなく、どうして日本の建物はこんなに丈夫なのだと彼女らに言わしめるくらいでしたから、心にも余裕があったのでしょう。

 日本は、特に東京は、江戸期から次々と海を埋め立てて土地を広げてきました。(日本の)中心(東西に長く伸びたその中心です)は、2000メートル級の山々が背骨のように連なり、平地が少ないのです。それで、埋め立てては、その地に家を建て、ビルを建て、工場を造りしてきました。

 千葉県においても、埋め立て地に建てられていた建物は、大なり小なり、被害を被っています。ところが、蓮畑を埋め立て、建てられていた建物は、一軒家であろうとビルであろうと無事だったのです。

 海を埋め立て、その地に建物を建てる時の理屈はよく分かりませんが、軟らかい地盤にビルを建てる場合の理屈は、今、少しずつわかり始めています。

 何となれば、お向かいで、それを、今、行っているからです。毎日のように、少しずつ目にすることができるその過程は、まどろっこしいほどゆっくりしたものです。けれど、こういう過程は確かに必要なのでしょう。こういう地震を経験してしまえば、その必要性もわかります。専門職の会社も、もう三つ目か四つ目でしょう。仕事の種類が変わる毎に専門家集団が変わっていくのです。

 最初解体する時も、長い長い、何十㍍もあるドラム缶のようなものを、十数本も大地から掘り出していました。学生達と一緒に、「あれは、一体全体、何であるか」とばかりによく覗き込んでいたものでしたが、今となっては、「なるほど。だから堅牢なのであったな」と合点がいくのです。

 その後も、前は5階建てであったものを、7階建てにするそうで、そのための基礎工事は延々と続いています。今度は、二十数本も埋め込み、しかも下の固い岩盤に至るまで深く深く入れていくのだそうですから、簡単には終了しないのです。

 陽が射してきました。関東大震災、そして東京大空襲。東京一つをとっても、日本は20世紀に入ってから、壊滅的な打撃を二度も受けてきました。各都市も皆同じです。そして、そのたびに復興を遂げてきました。

 この力こそが、この地の原動力であると思います。そして、この地に住む人々の力であると思います。

 それに、この力というのは、おそらく、世界中、どこにも、あると思うのです。誰であろうと、自分が生まれ、育った国に対する気持ちは同じでしょうから。

日々是好日
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「みんな一緒だったから、怖くなかった」。

2011-03-15 09:49:30 | 日本語の授業
 今朝は薄曇りです。

 11日の金曜日に大地震があり、土曜日と日曜日は休みでしたから、昨日の月曜日は、地震後初めて学生達と顔を合わせるということになりました。それで、登校してきた学生達に、地震の経過、様子やら、これからの注意などをしました。その間も、卒業生がやってきて、ビザの更新手続きやら、市民税・県民税申告書を書いたりしましたから、なかなかのんびりはできません。

 地下鉄もいつもより本数が少なくなっていましたし、不通になっているところもあります。アルバイトに不便を来すであろう事は想像できます。それでその面での注意などもしました。

 その合間に、学生達はいろいろなことを話します。やってきた卒業生達が口々に語っていたのが「先生。あの日、卒業式でよかった。みんなと一緒だったから、怖くなかった」ということでした。「一人で部屋で震えていた」とメールしてくる友人もいたそうなのです。

 あの地震があった時、卒業生達は、ちょうど(卒業)式が終わって、パーティ(これは在校生達が準備していたのですが)の呼び出しがかかるのを待っていたのです。花を活けた大きな花瓶を前に写真を撮ったり、友達同士、また教員と共に写真を撮ったりと、大忙しの頃でした。

 三階の在校生達は、それどころではなかったようで、せっかくきれいに並べたお菓子がばらばらになったり、ペットボトルが落ちたりして、茫然自失、しゃがみ込むのがやっとという有様(これは三階にいた教員に聞いた話です)。一階にいた卒業生達とは大違いです。卒業生達は、ベランダから向かいの自動車が大きく揺れるのを見て、「先生、これはかなり揺れている。大きいね」などというゆとりもありました。

 これもそれも、皆が一緒にいたからという以外に、彼らが既に二年を日本で過ごし、地震は怖いけれども、だからといって、それによって暴動が起こるとか、泥棒がうろつき廻ったりするとかいう、危険が日本ではあまり考えられないことが、肌で感じられて分かっているからなのだと思います。

 戦前ならいざ知らず、今では日本中、どこでも外国の人の姿を見かけます。しかも旅行者としてではなく、生活者としての姿です。外国人は決して珍しくないのです。既に日本の一部としての存在すらあるのです(ですから、日本人が危ないと思った所は外国人にとっても危ない所ですし、日本人が大丈夫だと思っている時は外国人にとっても大丈夫な時なのです)。

 月曜日は、地震発生後、最初の「仕事の日」でした。まだ余震は続いていますし、(地下鉄やバスなどの)ダイヤは乱れています(安全点検やら電気の供給量不足などの問題があったのでしょう)。けれども、いつもなら八時に出勤していた人は、1時間前の七時に家を出、七時に出ていた人は六時に出るなどして、多少交通機関が乱れていても対処できるように備えています。

 地震が発生した金曜日は、突然のことで、帰宅の足が確保できずに、歩いて帰ったり、あるいは車の迎えを頼んだり、またタクシーを使ったりと、ここ行徳でも道は渋滞のままでした。普段なら30分ほどで着くところが何時間もかかったという話も聞きました。みんな、とにかく家へ戻るために必死だったようですが、月曜日は、それほどの混乱もなく、出勤できたように見受けられました。休みにした会社もあったのかもしれません。

 こういう時は我慢しなければしようがないということが、日本人には、既に遺伝子の一つの情報として組み込まれているような気さえしてきます。

 ただ外国の人に、それを要求するのは、多少酷なのです。日本に馴染んでいないわけですから。それに、こんな地震はもしかしたら100年に一度、200年に一度というものかもしれませんし。

 日本人の行動パターンが分かっていればともかく、来日後それほど日にちの経っていない人や、たとえ何年いようとも自分達の国の人達だけでぐるぐる回っている人達は、どうしても自国での行動様式や感覚で事をしてのけようとしますから、様々な問題が生じてしまいます。

 まず、地震や津波が発生した場合、今はもう大丈夫だということは誰にも言えません。せいぜい、そのとき以後の確率くらいです。ただそれを知って安心したりすることもできません。みな、「だから、どうするか」と考えながら動くだけです。

 湯船を水で一杯にしておく。飲み水を確保する。電気が来なくても食べられるものを用意しておく。懐中電灯を出しておく。まだこのほかにもありますが、それは幼稚園や小学校のころから(地震などの)避難訓練をしてきた日本人にして、あるいは先進国で日本と同じように地震大国である国にして初めて、準備できていることなのかもしれません。

 地震などの天災があった時に、デマというのは、必ず出てきます。それが憂心から出たものであっても、愉快犯が出したものであっても、根拠のないものであれば、人々を迷わすもの以外の何物でもないのです。とはいえ、そこに政府なり、専門家の警告なり、信頼できる機関なりからの情報が適切に出されていれば、そういうものに踊らされる人もすくなくなるでしょう。

 昨日登校した学生達にはこういうことを言いました。

1.地震についての説明。被害状況など。そして今でもまだ発見されていない人達が大勢いることなども伝えました。それから、この近辺の状況。
2.計画停電のこと。五つのグループに分けられ、順次停電を最長三時間ほど行うということ。もし実施された場合、飲み水と生活用水の2種類を準備しておくようにということです。それから、本当に水が出なかったら、近くの小学校へ行くようにとも伝えました。
3.月曜日(昨日です)と火曜日は休校。これは電気が三時間でも止まれば、暖房も使えません。CDやテープも使えません。
4.まさかの時に備えて、保存食を買っておくこと。御飯も炊く時は多めに炊くように。
5.懐中電灯の準備。もう売り切れになっていましたが、また入荷されるでしょう。そのときには買っておくように。ろうそくは危険ですからできるだけ使わないように。
最後に、顔を見ないと心配だから、用事がなければ、一日に一回は学校に来て、元気な顔を見せてくれること。

それから何か困ったことがあった場合、すぐ学校に連絡するようにとも言っておきました。
そして、そんな話をしているうちに、寮生の一人が「先生、御飯を食べていません」。

一瞬、驚いたのですが、ガスが来ていないというのです。ガスの供給は足りているはずですし、このあたりで、ガスが止まったという話も聞いていません。よくよく聞いてみると、「地震の後、家に戻ってからずっとだ」と言うのです。すぐに「ハハ~ン。これは安全のために自動でガスがストップしたままなのだ」と分かりました。

 それで、彼らが帰る時に一緒に行って、管理人さんにガスのスイッチを入れてもらいました。そのとき、寮にいた全員(6名です)が出てきて、「入って、入って」と言うのです。

 実は、私が寮生の一人と寮のあるマンションに行った時、彼女が「先生が来たよ。大急ぎで片付けて」とノックしながら言ったのです。「おい、おい」と思いましたが、皆がさごそと大慌てで片付けているのが感じられました。

 そこへ、管理人さんがやってきました。そして、「元栓をしめて」と言います。それで「ガスの元栓を切る」ように私が一人に伝えますと、その一人がドアの所にいる一人にそう伝え、また廊下にいる一人がそれを反復し、最後に台所にいる一人が切ります。「切りました」とその学生が答えると、その答えがちょうど反対にこちらに伝わってきます。三分待ってからガスを入れる」と管理人さんが言いましたので、またそれを同じルートをたどって伝えていきます。で、無事に完了。なんと言うこともないのです。
 これは安全弁で、地震が起こったりした場合、自動でガスが切れるようにできているのです。

 それが無事に終わってから、彼らの部屋に行って様子を見ながら、話を聞きました。みんなあの日一緒でよかったと言います。それは本当にそうですね。自分でもそうだろうと思います。

 こういうことは、自国の人間に相談してもどうにもならないのです。その土地の人間がやはり一番頼りになります。言葉ができないのならいざ知らず、彼らは日本語を学んでいますし、実際にかなり話せるようになっていますから、それほど困るはずはないのです。

 あとはこの「怖い」という思いです。これも黙って胸の内に秘めていれば、どんどん増殖していきます。誰かに話せば少しは気も紛れますし。なんといっても、あれだけ揺れた関東地方でも、日本人はその翌日でも平常どおり会社へまた学校へと通っているのですから。

もちろん、これも学校で書いていますし、その横にはビザの申請をしている卒業生がいます。

日々是好日
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「今日は佳き日、卒業式」。「『式』の国、日本」。

2011-03-11 08:15:36 | 日本語の授業
 快晴。そして、今日は卒業式。お日様を見て、ほっとしています。

 実は、この学年の学生の中には(私はこの学年だと、確信しているのですが)、だれか強烈な「雨女(男)」がいて、学校で何かやる時には、常に雨を降らしているのです。時には予期せぬ豪雨であったこともありました。

そんなわけで、ぎりぎりまで心配だったのです。いつかも、一週間前に見た時には「晴れマーク」が、しっかりとついていましたのに、予定日が近づくにつれ、「雨マーク」もどんどん迫って来、そして当日は、やはりと言いましょうか、「雨」になってしまいました。

 「入学式」は、それほど凝ることもないので、雨でも構わないのですが、「卒業式」ともなると、学校だけでなく学生の方でも「リキ」が入るようで、民族衣装で来たりすることもあるのです。民族衣装というのは、裾が長かったり、薄手であったりしますから、雨や寒さに弱いのです。寒い日だと「寒い。寒い」と震えるようなことにもなりかねませんし、雨が降れば降ったで、せっかくの衣装が濡れてしまいます。この学校の学生達は、中国やロシアから来ている人を除けば、大半は南国出身ですから、余計にお天気が気になるようなのです。
 おまけに、今年は一人、髪に凝ると明言している学生がいるのです。

「卒業式」には、「卒業生」は十二時半に来るように言いますと、
「先生。だめ、着替えに時間がかかる」
「時間がかかるなら、早く起きて着替えればいいでしょう」
「だめ。髪にいろいろつけるから、うちからは嫌だ」

 いろいろと凝るタイプのようですし、速くさっさっとやれる人でもない。ということで、今日は一応彼女のことは、見て見ぬ振りをしながら、どっかに置いておいて、卒業式の準備に、皆、励むことになります。

 とはいえ、当日やらねばならぬこと以外、大方は終わっているのです。若い人達が慣れてきたということもあるでしょうが、例年のように問題が起きるということもなく、驚くほど準備が速く進んでいました。

 そんなわけで、「1月生」のうち、学校に残って勉強していた学生達に、「卒業証書」の印押しやら、準備の様子やらを見せてやることもできました。一度、こういう「卒業式」を見ていると、自分もそれまで頑張ろうという気になるようです。これは、国によっては大学を卒業しない限り、こういう経験はできないということとも関係があるのでしょう。

もしかしたら、日本だけかもしれません。考えてみれば、これはとても不思議なことです。

日本のような忙しい国で、それをまた忙しくするような「入学式」「卒業式」を常にやっているのですから。

 「保育園」に通っていれば、おそらく「保育園」の時から「入学式」「卒業式」を経験しているでしょうし、そうでなくとも普通は「幼稚園」からですから、「幼稚園」、「小学校」、「中学校」、「高校」、「大学」。そして社会に出ても「入社式」と人生の区切り毎に「式」はついて回ります。

 南国で、しかも毎日の生活が、ほとんど単調に流れていく村や国であれば、こういう「お祭り」こそ、多そうですのに、意に反して、それが何もないのです。

 日本人は常に区切りをつけたがるというのは本当です。区切りさえつけておけば、「転生(生まれ変わる」したことになるとでも思っているかのように。

 そう言えば、子供の時、いつも誰かが卒業文集にこんなことを書いていましたっけ。小学校を卒業する時には、「中学生になったら頑張る」。高校を卒業する時には、「高校生になったら頑張る」。これも、その区切り毎に、「生まれ変わってやれるに違いない。そうであるはずだ」という一種の信仰めいたものなのかもしれません。まあ、そうは言いましても、その「頑張る」信仰は、たいてい裏切られているのですが。

日々是好日
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「常にすばらしいのは、自国か」。「『他国から、批判的に自国を見る』ことの大切さ」。

2011-03-10 08:40:58 | 日本語の授業
 今朝も晴れです。お向かいのマンションは土台ができあがり、今は少しずつ鉄骨を上げていくところなのでしょうか。今までは見えなかった工事中のおじさん達がよく見えるようになりました。

 けれども、大変ですね。地下の硬い土のところまで、太い鉄の杭を何十本も打ち込み、それが済んでもまだまだ簡単に積み上げていくというわけにはいかないようなのです。お向かいでそれをやっていると、(毎日見ているわけですから)よくわかります。大手企業が(それなりの資金を元手に)やっていくとするなら、こうだというのが、姿勢にも窺われます。

 新幹線の技術もそうですが、地震対策の技術やら、ハウスダスト問題やら、また最近は温暖化対策として屋上に畑や庭を造るというビルも増えていますから、その技術も必要でしょう。そして、それらを現場に活かすために、こういうところには、絶えず基礎研究を続けている人達がいのでしょうね。

 そういうことを思うと、日本語学校を卒業して専門学校や大学、大学院へ行けたとしても、仕事というのがアルバイトで終わっているような学生達が、何だか、寂しく思えてきます。「アルバイトで学んだ」といっても、それは所詮、アルバイトで使える技術や知識でしかないのです。日本で正規に働かなければ、日本の本当の良さ、あるいは厳しさは分からないのになあと残念になってくるのです。私も初めて仕事を始めた時に「石の上にも三年だよ」とある人からいわれました。

 三年やらないと、結局は(その仕事の)何が何だか分からないのです。しかも、責任ある仕事は回してもらえません。アルバイトで責任を持たされていると学生は言いますが、それはアルバイトでもできることと会社側が見ているだけのことで、職名で踊らされている学生達がかわいそうでなりません。つまり、その人が休んだら、だれでもできるようなことでしかないのです。

 日本語学校の二年間を入れ、専門学校であれば、併せて四年。大学であれば、併せて六年。それだけの期間、日本でアルバイトをしていようとも、日本の会社や工場の良さを発見できるような学生はホンの一握りにしか過ぎません。自国で厳しく働いた経験があり、しかも向上心がなければ、見えてこないのです。それも無理からぬこととは思いますが。学生側にしてみれば、技術云々や働き方がどうのこうのというよりも、楽にたくさんお金を稼げれば、それでいいというだけなのですから。

 日本語学校でまじめに出席しておれば、そしてもし、普通の進度で行けるようなクラスにいたとすれば、(ある程度のことは)できるだけ広く偏りのないように様々のことを教えていけるのですが、そうではなく、せいぜい(卒業までに)「上級レベル」の教材で終わってしまうようであれば、教科書の内容の理解やら、漢字や単語の知識がまだ不十分というわけですから、それから枝や葉をのばしていける授業などできるはずもないのです。できるだけ入れようとしても、多分入れれば、その一つことをとって、「日本はこうだ」とおめきまわる人もなきにしもあらずなのです。

 時には、「非漢字圏」の学生の中には、もう半年ほども(この学校に)いられれば(次のクラス、つまり次年度の一番上のクラスと)、いろいろなことを入れることができるのにと思えないこともない学生もいるのですが、そう言う人に限って、短絡的な思考をしてしまうのです。自国での思考回路が、他国を認識しようとするときには役に立たないこともあるということが実感できていないのです。何といいましても、ここで学べるのは(留学生であれば)最長で二年しかないのですから。しかも、最後の半年ほどは、受験準備やら、「留学生試験」「日本語能力試験」の対策に逐われます。

 文学教材をできるだけ入れて、表現力を高めさせると共に、情操教育などの一端を担おうというのは、無理なのかもしれません。その上、その合間合間に「社会問題(時事的なもの)」を「専門家の見方」なども参考にさせながら、自国の実態に即した考え方ができるようにさせようというのですから、全く欲張りも極めりというところなのかもしれません。なんと言いましても、自国の実情を知らされていないのです。日本語で書かれたもの、放送されたものなら多々あれど、自国の言葉で書かれたり、放送されたりしたものがないのです。ですから、どうしても理解は通り一遍的なものになりがちです。それが、あまり勉強していなかった、あるいは高校を出たばかりでそう言う分野の知識に疎いというのならともかく、それなりの高学歴で、本人もそれを誇り、言葉の端々にそれを衒いながら、そうなのですから、たまったものではありません。

 中には、何でも自国がすばらしく、他国の欠点ばかり見つけてはそれを非難しているようなタイプの学生もいます。そういう人に彼らの国の現状を見せると(映像というのは力があります。否定はできないのです。自分の国のことですから、一見すれば、他国ではないということがすぐ分かるはずです)、「ちょっとはそうかもしれないけれど、日本はこうだ」と、すぐに話しをすり替えようとします。

 素直さというのは、個人の性格であると切って捨てるような代物ではなく、それは「天賦の才」であると、その都度思います。何を学ぶにせよ、素直さという、この能力を持っている人は強い。本当に強い。いろいろな技術や知識を、他の誰よりも先に(ある程度のレベルまでは)手に入れることができるのですから。ただ、その、ある程度以上は、それぞれの人の、その方面の才能の有無、またはそれの多寡によるのでしょうが。

日々是好日
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「自習室にまた学生が戻ってきた」。

2011-03-09 13:02:02 | 日本語の授業
 今朝は晴れ…でも、おかしな雲が浮かんでいます。風も上空では速そうで、だんだんお向かいの巨大クレーンに近づいていきます。そのうちに、左側にある雲の一団に重なっていくのでしょう。
 今夜からまた寒気団が来るそうで、水色の寒気団が関東地方に染み込んでいくような天気図を見ているだけで、こちらも凍えてきそうです。

 さて、学校では、随分前に花をつけた「ジンチョウゲ(沈丁花)」も「銭の木」も、まだまだ花を散らせていません。頑張っていますね。ついでと言っては何ですが、あと二日ほど頑張ってもらいたいものです。なんと言いましても、11日は卒業式。階段に花がないのは寂しいのです。

 先日「Dクラス(中級)」で、「小高い」を教えていた時に、「小雨」「小降り」などを入れ、そのまま話のついでで、「小銭」なども入れたのです。ところが、復習のおり、他のは忘れていたくせに、これだけ言えた人がいて、みんなで大笑いしてしまいました。「なんちゅうやっちゃ(何という奴だ)」というところでしょう。本人も苦笑いしていましたが。

 今、学校の自習室が、午後、少しだけ賑やかになっています。「1月生」のクラス(午前)に入った「在日」の学生が残って勉強しているのです。まだまだ「初級Ⅱ」ですから、質問ができるほどではありませんが、それでも、御飯を食べ、宿題が終わったあと、彼らのために準備しておいた「読み物」や「文法問題」をやっているようです。

 こういうのも、波があるようで、2年前の学生達は、自習室に入りきれないほど、ここで勉強していたものですが(自習室は、小さな教室で、勉強するにしても、多分10人程度が限界でしょうが)。それでも、机の並べ方を工夫したり、教卓を利用したりして(そこに四人くらい座ったりしていました)、見ているこちらの方が、案外入るものだなと、感心するほどでした。

 ところが、去年、今年と、一番上のクラスの学生達は、私たちがいくら勉強するように勧めても、残ろうとはしなかったのです。だいたい、学生達が残っているのに、教員が、知らん顔をしているはずがありません。自習室を覗いて、様子を見たり、もし必要なら、もっと別の教材や問題集を持ってきたりするでしょうし。また、別の相談があれば、その話を聞いたりしますから、彼らにとってもいいと思うのですが。どうも一人ではだめな人が多く、結局、リーダー役の学生がいなければ、せっかくの自習室も、持ち腐れになってしまっていたのです。

 今回は、一人高校生の学生がいたので、(彼女に)うちでは勉強できないだろうから、お弁当を持ってきて、学校に残って勉強するように言ったのが始めでした。それを傍らで聞いていた一人が、いったん帰ってからまたやってきて、「自分も残りたい」と言い出したのです。もちろん、大歓迎で、また若い学生が一人でいるよりも、大卒者がそばにいてきちんと勉強している方がそれはいいに決まっています。すると、もう一人、それに引きずられて、残るようになりました。

 みんな一人は嫌なのです。誰かが残っていれば、残って勉強したいと思っている人は案外少なくないようです。ただ、これもアルバイトの時間がどうであるかですね。アルバイトの時間が合わないと、残りたくても残れません。授業のない時にアルバイトを捜すように言うのが、私たちにできるせいぜいで、それ以上は私たちも強いることはできないのです。

日々是好日
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