日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「サクラ」の葉が、夏色になっています。

2017-05-31 08:46:58 | 日本語学校
曇り。

時折、涼しい風がカーテンを揺らしています。

「サクラ(桜)」の樹も、葉を、夏の色に染め上げています。いつの間にか、一丁前の深い緑になっています。こうなりますと、夏も本番に…。もっとも、梅雨がまだですから、本格的な暑さはまだまだ先のことなのでしょうが。とはいえ、昨日は木陰が恋しくなるほどの暑さでした。

さて、学校です。

「Aクラス」では、「文法」も「漢字」も、「N3教材」から、少しずつ「N2教材」に移っています。ただ、「読み取り」だけはいくら経っても、「N3」にも至っていないというのが実感。漢字も、習ったその日は覚えているし、書けるのだけれども、翌日には真っ白になっている…というのが続いているようです。

これは何も「非漢字圏」の学生だから覚えられないというのではなく、例えば、昨年も、一昨年もよく漢字を覚えている人がいました、彼らと同国人で。文法は、ある程度は覚えられるようですが、それが「読解」につながっていかないところが、少々辛いところ。

指示語の指すところを聞いても、答えられません。中には、その前の段落の、およそ五行ほどを長々と読み上げる者もいます。「だから、その中のどれ?」と聞いても、「へっ?」という顔をして私を見ます。「それは全部でしょ。それを聞いているのではない。その中のどれ?」。また言っちゃった…。ヒントをいくつか出すのですが、ほかの人が注意されたところをまた読み上げていく人もいます。聞いていなかったのでしょう。

彼らは、「何も言わないのは、勉強が出来るとされてきた者のメンツに係わる」とでも思っているのか、中には、適当に答えている者もいますから、下手に誠実に答えてしまうと、こちらが馬鹿を見ます。

きちんと考えた末の、誤りなのか(その場合は、こちらもその誤りを指摘しながら、適切なヒントを出していかねばなりません)、それとも、何か言っておかねばというだけの適当なものなのかを、まずこちらも掴んでおかねばならないのです。

一人が、たとえば、「明日行く」というのが答えであろうと考え、「明日行く」と言おうとしたとします。すると、他の2人くらいが、その人が「あ」か「あし」くらいを発したときに、争うようにして「明日行く」と言ったりするのです。当然のことながら、「どうして?」と、その人に根拠を聞きます。これまた当然のことながら、自分で考えたわけではありませんから、答えられません。

本当に不思議だなあと思います。まず、こういうことを自分で考えるという経験が無いのでしょう。今のところ、こういう人はスリランカの学生に多く見られるところなのですが、これまた当然のことながら、そうではない学生もいます。絶対的に少数なのですが。

その人は、同一視されるのは嫌だろうなあと思います。

蔭では(それが)耐えられないようなことを言うのですが、同国人の中にいると、目立たないように同じように振る舞うしかないのでしょうね。そうしてしまうと、どうしても同じように見られてしまうのですが。

これも仕方が無いことなのでしょう。なんと言いましても、スリランカは、「ムラ社会」と言われる日本から見ても、比較にならないくらい重症の「ムラ社会」ですから。

日々是好日

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「集団行動」というのは、私たちが考えているよりも、難しいもののようです。

2017-05-30 12:10:34 | 日本語学校
晴れ。

今日も暑くなりそうです。まだ梅雨に入っていないというのに、先に真夏になったかのよう。とはいえ、朝晩はまだ過ごしやすく、やはり…まだまだなあなどとも感じています。…でも、日中は暑いのです。

近隣のお庭の「ホタルブクロ(蛍袋)」の花が、驚くほど花数を増しています。どっさりとたわわに…思わず「実っている」と言いたくなるほどに。あれでは「茎」がたまらないでしょうねえ。

それから「アジサイ(紫陽花)」も蕾を増しています。開いたところもあるようですが、まだ色は淡く、それほどの存在感はありません。これが梅雨に入ると、「梅雨時の花はこれっきゃない」と思わせるほどの、圧倒的な存在になるのですが。

さて、学校です。

各クラスにはそれぞれ「色」があるのですが、今年は、「Aクラス」であろうと、「Bクラス」であろうと、それほどの差は無く、ただ4,5ヶ月ほど先を行っているかどうかが違うだけといったところです。

例年、「Aクラス」の学生は、「休まないし、寝ない」ものだったのですが(授業中の話です)、今年の「Aクラス」は、休む人がチラホラいて、穴だらけになっているような気がします。三人も休めば、ぼこぼこという感じ…授業をする方にとっては。

もちろん、「学校を休んでもできる」というレベルの人たちではありませんから、(翌日)来ても、わからないだろうと思われるのですが、それが気にはならないようですね。面白いですねえ、いえ、余裕で面白がっているわけではなく、半分はため息交じりで面白がっているのですが。

一日だけでなく、続けて二日も休めば、わからないところが多々あるでしょうに、気に病むふうもなく、平然としています。それがわからない…私には。一年近くも、「そうではなく…」と指導してきたのですが、それがなかなか通じないのです。

だいたい、これまでは、それでわかってもらえていました。故に、まず、学校を休まないし、休んだときは申し訳なさそうな顔で入ってくる。それが出来るようになるのは、それほど簡単なことではないようです。ただ、普通は、一年も経てば、「日本ではこう」というのがある程度わかるようになる。それが、「Aクラス」と「Bクラス」との差みたいなものだったのですが。

今年はありませんねえ、同じような人が多い。それは先週の「鎌倉散策」でも感じられました。「指示に従わない。勝手をする」人が少なくないのです。学校を出ての集団行動は、なかなか出来るものではなく、これもその練習の一つ、いい機会でしたのに。「君たちは自分たちだけで遊びに来ているのではないよ」…でも、せっかくの散策、皆が楽しんでいるのに、大声で文句は言いたくない。周りを見て、気遣うという習慣がないのでしょう。

それが「独立独歩」という人たちの行動とは、一見「勝手」に見える処は似ていても違うと思わせる所以なのでしょう。「我が道を行く」と、何事に関しても、そういう思想でやっていける人は、却って周りを気遣ってくれるものです。彼らはそうではない。

他国に来て、学ぶものは、何も勉強(この場合は日本語)だけではないのです。そういう諸々を学ぶことができる人は、気遣いもできるであろうし、雨の日は、周りを見ることも忘れない。だから道を歩いていても、人とぶつかることもめったにないのです。特別な才能がある人は、もちろん別ですが、アインシュタインのような人(こういう異能の持ち主を人は大目に見てくれるものですが)は、ザラにいるはずもなく、それが分からない人が勝手を始めると、もう始末に負えない…。

わからないでしょうねえ。散々言ってきたのに、結果としてこの為体の人たちがまだ少なからずいる…のですから。却って、「Bクラス」で、「休まず、(教室で)寝ず」勉強している学生の方が、着実に伸びているような気がする…。

クラス分けとは、難しいものです。やる気が肝心だというのは、もちろんそうなのですが、本人がやる気があると思っているのと、私たちが思えるのとはかなり違っていて、そこがまた難しい。彼らの国では、まず学校にきて座っていると、「勉強している気になれる」らしい。

漢字だって写しているだけでは覚えられません。覚えようとしなければ、覚えられないと思うのですが、それは誰が見てもわかることだと思うのですけれども…。

もちろん、皆がこうではないので、こういう愚痴も出てくるのでしょう。数年前は、そういう人が多く、真面目な人を取り出して、ドンドン先へ進めさせるというやり方をとらざるを得ないような時期も、確かにありましたもの。

人間とは、何事によらず、(もっと、もっと、よくできるようになるはずという)欲は尽きないもののようです。

日々是好日
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「横浜散策」。

2017-05-29 08:48:37 | 日本語学校
先週の金曜日に、『横浜散策』をしたのですが、横浜はあいにくの雨。いえ、横浜だけではなく、行徳でも雨。全国的に雨だったのですが、小雨がパラパラ程度だったので、そのまま行くことにしました。それがよかった。

雨も午前中だけで、ちょうど山下公園に着いた頃、雨は止み、解散となりました。

中華街で食事をしてから、かいものをするものもあり、また「みなとみらい」まで船で行くという者たち(ベトナムの学生達)もあり、それぞれ自分たちのやり方で楽しんだようです。

途中帰ったのは、(横浜に)着く前に気分が悪くなった一人だけでした。

4月から日本語の勉強を始めた中国人のH君、山下公園に着いて、さて、いよいよ出番です。中華街での昼ご飯は任せておけとばかりに、滔々と「何がおいしい。何が辛めだ」と演説を始めます。ただ、残念なことに中国人は彼一人、同じクラスのネパールの学生もバングラデシュからの学生も皆、中国語はわかりません。あああ、せっかくの話しがわからぬのかと、いかにも残念そうな様子。とはいえ、おいらの縄張りとばかりに、同じクラスの彼らを連れて、おいしい中華料理の店に行くと言っていました。うまくいくかしら。

山手から海の方へ行く下る途中、もうバラの花があちこちの庭から顔を覗かせていました。それを見て、きれい、きれいと写真を撮り始める学生がいて、なかなか進みません。とはいえ、「港の見える丘公園」に着いたとき、門の所からもうみんな動きません。「中もきれいだよ」と言っても、「さっきよりも、ここの方がきれい」と思ってしまうのでしょうねえ。

けれども、本当に「港の見える丘公園」のバラは見事でした。そしてその上を行ったのが、山下公園の花々。花が公園に溢れかえっていました。

以前にも何度か、学生達を連れてこの時期に行ったことがあるのですが、今回ほど、「花、花、花」だったことはありません。

きっと、いい思い出になったことでしょう。

日々是好日
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アルバイト探しは、随分楽になりました。

2017-05-25 09:38:57 | 日本語学校
雨。

昨夜から降っていたようです。今朝、窓を開けると、ベランダが濡れていました。それからしばらく止んでいたのですが、また降り出しました。小降りになったのを見すまして出てきたのですが、着くと、今度はザァッと来ました。そしてまた止んで…。今日は一日中、こんな感じなのでしょう。明日はどうかしら。

学校に「晴れ男」がいるので、多分、大丈夫…かな。確かに彼が来てから「課外活動日」は、雨に襲われていません。「雨」の予定だった日も、ズリズリとずって行き、いつの間にか曇りになっていたり…。と言うわけで、お天気はそれほど心配していないのですが…。もちろん、雨の横浜もきれいでしょうし、晴れの横浜もまたよし…で、好いのですけれども。

さて、学校です。

アルバイトの件なのですが、来日してすぐの4月生のクラスでは、すぐアルバイトが見つかった人もいれば、まだまだという人もいます。昨日、「クロネコヤマト」の方が二人、アルバイト募集に来られました。南船橋駅から歩いて15分ほどの所にあるそうで、ちょっと大変かなと思いながら、説明を聞いていたのです。が、今、「4月生クラス」に一人、ここでお世話になっている学生がいるので、彼に「どうだ」と聞いてみると「大丈夫」という返事。

それで置いてもらったアルバイト募集の紙を学生達に見せてみました。わからないことがあったら、T君に聞くように言って。見ていた一人がパチリと写真を撮りはじめると、釣られてほかの人もパチリ、パチリ。便利ですね。きっとそれを友人に見せ相談するつもりなのでしょう。

と、またアルバイトの紹介をしたいという電話。アパートで出されたゴミを片づける仕事らしい。「簡単だから外国人でも出来るだろう、好きなときに行ってやるだけだから。週に1時間か2時間だけだし」とのこと。まず、この「ゴミの分別」というのが、外国人にとってどんなに大変なことなのかがあまりよくおわかりになっていない。「教える」と言うけれども、教えてもきちんとできない人が多いということもおわかりになっていない。

いくら、無理でしょうと言っても、なかなか電話を切ってくれません。同じことを繰り返すばかり。おそらく本当にお困りなのでしょう。それに、「留学生は金に困っているから助かるはずだ。双方共にウィンウィンで、嬉しいはずだ」と思い込まれているようで、なかなかこちらの話を聞いてくれません。納得できないので、電話も切ってくれません。

きっとゴミの散らかりに困り、そういえば留学生がいた。彼らを使えばいいとなったのでしょう。好きな時間で週に1、2時間ほど、小遣い稼ぎになるから喜ぶはずだと思われたのでしょうが、私たちから見れば、きっと問題が起こる…。外国人に慣れていない人たちが外国人を雇えば、イライラが募り、きつい口調で文句を言い始める…のは目に見えています。

そういうことが、嫌になるくらいありましたから。

で、将来的にずっと雇ってくれそうな所には、こちらが出向いて、彼らのことを説明し(「日本の、こんなことがなかなか理解できない」とか、「これがだめなので容赦願いたい」とかあらかじめ言っておくのです)、向こうの方が「それでも試してみましょう」と言ってくださったら、雇ってもらう。もちろん、学生達にもきちんと言っておくのですが。

その場合、こういうアルバイトが週24時間(規則では)働かせてもらえるという場合に限っています。そうでなければ、学校は出張りません。そういう所では、うまくいけば、人が足りなくなったときに、こちらの学生をまた雇ってもらえることもあるでしょう。実際に連絡があり、毎年、切れ目無く働かせてもらえることになったお店もあります。

それでも、おそらく最初のころは店長さんも大変だったでしょう。いくら言っても、ぷいっと来なくなることだってあったでしょうし、連絡なしに休んだりすることもあったようでしたから。それに、「気遣い」が、非常に個人的なことであるにしても、国民性として、それが苦手ということだってあったでしょうから。

今、ありがたいことに、留学生たちは、それほどアルバイトに困っていません。多少我慢すれば(何せ、来日したばかりでは日本語が不自由なので、レストランやコンビニでというわけにはいきません。あちらからは「(したい人は)いないか」と電話がかかってきたり、向こうの方が出向いて説明してくださったりするのですが)、あまり遠くないところでアルバイトすることが出来ます。

こういうコンビニや工場では、外国人がたくさん働いているので、慣れているのです。上司が同国人という場合もあります。だから学生も行きやすいのです。困ったことがあったら、同国人の先輩に聞けるでしょうし。

日々是好日
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最初が肝心。とにかく三ヶ月の間にできるだけ…と思っているのは、教師だけでしょうか。

2017-05-24 14:01:01 | 日本語学校
晴れ。

今日も、昨日に引き続き、晴れ。それでも、風はひんやりとして心地よい。いい風です。昨日よりも少し気温が下がるようで、まずまずの行楽日和。とはいえ、みんな、今日も、学校でお勉強ですが。

さて、学校です。

4月生を見ていて、感じること。勉強の習慣がついていないというのは、本当に怖いことです。

国で、『みんなの日本語』を「10課くらいまで勉強した」と言っても、「ひらがな」も「カタカナ」も不十分。三分の一ほどは、必死に思い出そうとしても思い出せないし、書けても、日本人が首をひねるような形のものであったり。

なにせ、日本語が多少なりともわかれば、それで日本語教師という旗が振れるような場所から来ているのですから、できなくとも、それで、彼らを責めるような教師はこの学校にはいません。問題は、(日本に)来てからのことなのです。一番下のクラスは、ひらがなを教えるところから始めます。もちろん、「ひらがな」「カタカナ」それに「音便変化」などですが、それに2週間ほどかけ、「漢字」に移るので、全くのゼロから学び始める人(非漢字圏)にとってはかなりきついことなのかもしれません。

とはいえ、勉強する習慣がついているかどうかが大切で、最初はあまりできていなくとも、国で勉強する習慣さえあれば、直に追いついて来ます。『みんなの日本語Ⅰ』が終わる頃にはほとんど差がなくなっているということもよくあること。

一般的に、テストなどでも、一度やってしまうと、「終わった」と言ってすぐに提出しようとする傾向にあるのですが(スリランカやネパール、インドなど)、「もう一度、見直しなさい」と言っても通じないのです。キョトンとしている。これは日本語がわからないというわけではなく、そうしなければならないということがわからないのです。

時間が来るまで見直すように言っても、まずできない。答案を引っ込めても、ポケッとして遊んでいるか、隣の人のテスト用紙をのぞき込み、あれこれ言おうとしたりするか…が関の山。そう言っている当人こそ、採点が終わり、返されたときに、驚くことになるのですが。間違っている箇所た多々あり、それほど高い得点ではなかったりして。

「早く終わった人が、出来る人である」というのが、彼らの国では通り相場になっているのかもしれません。既に二十歳を過ぎているというのに、小学生のようなことをやっています。粘らないのです、一般的に。しつこくないのです。このような点に関しては。他の面ではネチくて嫌になることもあるのですが。

それに、飽きやすいですね。

動詞の「行きます」「行きません」「行きました」「行きませんでした」までは、何とかなるとしても、イ形容詞になると、どれだけ練習するかにかかっています。これがきちんと言えていないと大変です。「頭で(理解して)言う」という習慣があまりなく、「言い慣れたから言えるようになった」という人が多いので、一度間違った癖がついてしまうと、これから後、どれほど日本にいようと、ずっと言い続けてしまうのです、一度覚えたものを。

「寒い」「寒いです」「寒くないです」「寒かったです」「寒くなかったです」。この形を教えるとき、(「寒いです」「寒くないです」は既習です)。まず「11課」までの既習の形容詞をカードを見ながら言えるかどうか確かめ、次に「寒かったです」の形の確認をし、それから既習のカードで繰り返し口頭練習をさせていく。一斉に言わせたり、個々に言わせたり、2つに分けて順に言わせたり、口にも耳にも馴染むようにさせ、次に「寒くなかったです」に移り、同じように繰り返していく。

これが…苦手なのです。飽きるのでしょう(確かに面倒ですが)。基本を繰り返す、繰り返して練習しなければならないということが、どうも、(わかっているのでしょうが)苦手なのです。ちょっと練習して、わかった…でやめてしまう。

やめても、出来ればいいのですが、それができない。そのときはどうにかなっても、幾日かすると、木阿弥になってしまう。まあそうでしょう、いくつかの単語は、本当に言いにくいもの。だから既習の形容詞は皆練習して、言えるようにしておかねばならないのですが、それが続かない。

「必要性が理解できても、飽きてしまって、だめ」というのとは違い、必要性自体がそれほど理解できていないのだと思います。

(これまでの学習経歴から)そういうものを勉強してきてはいないのだとしか思われないのです。

外国語というのも、子供のときの勉強方法と大人になってからのものとは違ってくるものです。それを理解せよとは言いませんが、学校で教師がしつこく練習させるのにはそれなりの理由があるのです。面白いところだけつまみ食いできると思っているとしたら、大間違い。土台、できるものではないのです。

スポーツでも準備体操が必要なように、言葉も自由に扱えるようになるためには基本的な部分をきちんと言えるようになっていなければなりません。

簡単な練習ほど、飽きが来やすいものほど、性根を入れて勉強したおかねばならぬものなのです。

まあ、文字にしてしまうと諄くなってしまうのですが、本当はもっと簡単なこと、一緒に口頭練習を繰り返し、自然に口に出せるようにする。これだけです。

留学生というのは、外国語を操る人の中に放り込まれた、頼りない存在。外国語の坩堝の中ですからね、その国の言葉がわからなければ、アルバイトも選ぶことができません。何でもよいから、やらせてくれるものをやるだけになってしまうのです。

出来るだけ速く、日本語で話し、聞けるようになる。そのためには、特に『初級』の時にそれがある程度出来ていないと、『中級』以降になると、ますます大変になります。それに、家で勉強しろと言っても、それほどできるものではありません。学校の勉強だって(教師が力尽くでさせていたって)、すぐに飽きてしまう人が少なくないのですから。

とはいえ、大して出来ていないのに、どうして(日本語の分野で)自分は何ほどかの者であると思えるのでしょう。それだけはすごいと思います。まあ、唖然としながらですが。

日々是好日

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金曜日に、皆で「横浜」へ行きます。バラの花はどうかしらん。

2017-05-23 08:35:26 | 日本語学校
晴れ。

今日も暑くなるようですが、昨日、一昨日ほどではない…そうな。けれども、爽やかな朝ですね。心地よい風がカーテンを揺らしています。

今週の金曜日、『横浜散策』をするのですが、満開の「バラ(薔薇)」の花が見たいもの。数度、学校の「課外活動」で横浜へ行っているのですが、時期的に少々合わなかったということも多く、うなだれた「バラ」の花ばかりの時もありましたっけ。せっかく行ったのに、皆も美しいバラの下での写真を期待していたであろうにと、少し残念でした。

今時の留学生たちは、写真を撮って、国に直ちに送る…「それ命」のような人も多いのです。アルバイトや勉強で疲れていても、送れば、国から反応がある。それが、安心したという親からの言葉であったり、羨ましがる友人の声であったりする。ちょっと気分がよくなるどころか、それが、本当に、単純に、嬉しいらしいのです。

南から来た人たちは、かつてフランスやイギリスの影響を強く受けていた、その関係もあるのでしょう、「バラ」は皆よく知っています。もちろん、日本でも「バラ」は皆に愛され、戸建てを買い、「庭造りを」という段になりますと、「バラ」をメインに据えたいと言う人も少なくありません。なにせ洋風の建築には、「バラ」の花がよく似合いますもの。それ故か、神戸とか横浜とかいう、ハイカラな土地には「バラ」の花のイメージが重なっているような気がします。

「山手」から「港の見える丘公園」へと至り、その「イングリッシュローズガーデン」で「バラ」の花を堪能し、「山下公園」、「中華街」へと至る。もしかしたら、一番記憶に残っているのは、咲き誇る「バラ」であるかもしれません。何に一番感動するか、何が一番記憶に残るのかは、「どういう(風土の)国から来たか」も、然ることながら、日本のように比較的四季(梅雨を入れれば五季です)がはっきりしている国では、「時期」というものが大切なのです。

横浜と、隔年で行っている「鎌倉」では「アジサイ(紫陽花)」の花によく泣かされました。秋に行く「明治神宮外苑の並木」もそう。まあ、美しいものを見るには、それなりに、「運」も関係してくるというのは避けられないことなのでしょうけれども。

そんな私たちの気持ちも知らずに、学生達は「8時45分」という集合時間と、「12時半」という解散時間ばかり気にしています。時間を守るということは大切なことなのですけれども、そればかり気にしていると、しまいには「怒るぞ」。

日々是好日
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冷房のお世話になる教室も出てきました。

2017-05-22 08:17:30 | 日本語学校
晴れ。

一昨日、そして昨日に引き続き、真夏日になるそうです。朝はまだ5月(らしい気温)なんですけれども、昼は…もう、冷房のお世話になっている教室もあります。

三階の教室は…たまらん…と、私も確かに思うのですが、ただ彼らは風がないのは嫌なようで、冷房を付けて、そして窓をこっそり、少し開けています。私たちとの違いは、彼らの所は、家が大きく、しかも天井が高く、窓はあっても無きがごときものであって、常に風を感じられる…というところなのかもしれません。そういう所から来てしまうと、密閉された空間というのは、耐えられないのでしょう。

しかしながら、それでも、その教室に入った途端、ムワァ~とした、気怠げな、淀んだ空気が、たまっているような気がするのですが。

私としては、犬のように舌を出し、,ハアハアやりながら、教卓までたどり着きながら、一言も二言も言いたくなってしまいます。ほんの1秒か、2秒くらいのことなのですが、「こりゃ、たまらん」とか「さあ、窓を開けてしまおう」とか言いながら入るので、実際はもっと長く感じられます。学生達は、「また、来たぜ」と思っているのかもしれません。夏になると、毎度のことになりますし。

とはいえ、「空気が悪い。窓を開ける」とバシッと開けようとすると、あちらからも、こちらからも、「寒いです。」「寒いです」という声が聞こえてくる。冷房も、できればない方がいい。窓を開けて、外からの風も嫌な人もいる。でも、暑い、暑いという人もいる(私を除いても)。

というわけで、例の冷房戦争が、既に始まっています。もちろん、これは午後のクラスですが。

毎年なんですけれどもね。

冷房に全く慣れることができず、だめ…どころが、すぐに気分が悪くなってしまう人たちと、「暑い、暑い」とたまらなくなってしまう人たちと、冷房は、まあよいけれども、風がだめな人たちと…大きく分けて、三つどもえの鬩ぎ合いです。

本来なら、梅雨時のたまらない頃を除き、これくらい(一応、まだ5月ですから)であったなら、窓を開けて、授業をした方が気持ちがいいのでしょうけれども。ただ、アスファルトの道は熱をため込んでいるし、各家庭の冷房が熱を外に排出しているし、車も通るし…というわけで、本格的な夏が始まる前に、もう窓を閉め切り( 少し空いていますけれども)、冷房をかけなければならない日もある…。

まあ、教室の中はこうなのですが、外では、すでに「梅雨」の準備が始まっています。「ホタルブクロ(蛍袋)」の花が鈴なりになっています。「フジ(藤)」の花が盛りを過ぎたと思ったら、早速次のスターがやって来たという感じです。

なぜか、こどもの頃から、「ホタルブクロ」の花を見ると、宮沢賢治を思い出してしまう。それぞれ、一輪ずつに物語がありそうな、そんな山野草ですもの。

日々是好日
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「先生の髪型…、変。」「…ヘッ、どうして変なのかわかりませんよッ。」

2017-05-18 08:43:02 | 日本語学校
晴れ。うっすらと雲がかかっています。

爽やかな朝…。きっと今日一日、こういうお天気が続くのであろうと思っていると、とんでもないことになるかもしれません。爽やか…は、爽やかなのですが、今。でも、上空には魔物が潜んでいるような。天気予報の湿度欄を見ると…、一日中、存外、高いのです。大気は相変わらず不安定のようで、関東地方では、真っ赤な雷マークが終日つきまとっています。

都合の悪い時に、ピカッ、ドーン、ザーッと来るかもしれません。梅雨を前にした、こういう不安定なお天気に慣れていない人たちは、困るでしょうね。日本人にとっては、この頃は傘が必需品なのですけれども…。彼らは、降っていなければ、持ち歩かない…のが、当たり前のようですから。

外国に行ったときに、誰しもが感じること、つまり、「ちょっと違うな」感。つまり、お天気に関する違和感なのです。頭では、「ここはこういう天気である」とわかっていても、やはり驚くのです。「日本(の天気)は、変です」と言われると、(そっちだって変でしょう)と心の中でブツブツ言ってしまいます。お互い様だ、ブツブツ。

雨の国から来ていれば、(体が雨に慣れているので)お日様を見ては、雨を慕わしく思う。乾燥地帯から来ていれば、カラッカラのお天気が望ましく、雨が降ると身も心も痛めつけられてしまい、「梅雨が一番嫌いです。毎日雨。ああ言うの大っ嫌い」となってしまう。

日本人は楽天的なのか、あるいは適応力がかなりあるからなのか, 乾燥(日本人が思う「乾燥」です)が続けば、続いたで、その中に慰めを見いだし、雨が続けば、続いたで、「草花が一段と美しくなるいい季節になったね」などと言う。

台風や地震、津波を身近なものとせざるを得ない土地柄故にか、「適度」なものには、何にでも、美を感じることが出来るようなのです。

もっとも「嵐の朝(あした)」に、美しさを紡ぎ出した人がいましたから、そこからさえ「美」を見いだせたのでしょう。

ところで、今日、教員が2名、スリランカに発ちます。来週の月曜日に戻ってくるのですが、お天気はどうですかしらん。学生が、チラッと私を見て「お母さんが、(スリランカは)今、とても暑いって言っていました」。何度くらいと聞いても、キョトンとして、「わからない。でも、とても暑いって」。

二人は、この涼しい日本から、「暑い」と現地の人が言うスリランカへ経つわけですから、多分、(現地の人よりも)2、3倍は暑く感じることでしょうね。

さて、学校です。

昨日、ベトナム人学生(男子)に、先生の髪の毛(髪型)は変と言われてしまいました。「へっ?どこが変?」と聞きますと、「男の人です」という答え。

「ベトナムの女の人だって、髪の毛が短い人、いるでしょ」と畳みかけて言いますと、「でも、先生のは男の人の髪型」。「ふ~ん、かまうか」です。

そういうば、数年前、スリランカの、これも男子学生ですが、「先生の髪型は、(スリランカでは)悪いことをした女の人の髪型です」と言われたことがありましたっけ。

ああいう国では、女性の(美人の)条件というのに、髪が長いこと、長ければ長いほど美人というのがあるそうで、それ故か、女性たちは争うように髪の手入れをし、長さを競うのだとか。そして、年を取ってもその習慣はあるようなのです。

というわけで、髪の短い、男みたいな髪型の私は、悪いことをして「バツ」として髪を切られた女性に見えるらしい。

私は別に悪いことをしたわけでも、「バツ」でこうさせられたのでもないと、憮然として言い返しますと(言えば向こうは恐れ入るかと思ったのですが)、「でも、変」という答え。何とも感じぬらしい。

ですから、昨日ベトナムの男子に言われたとき、ベトナムよ、お前もかと思いましたね。

とはいえ、言われるまでは、こちらも気がつかなかった。へ~え、みんなそういう目で見ていたんだと、そういうことが初めてわかりました。

もっとも、言われたからって、別にどうってことはありませんけれども。

日々是好日

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もう新入生のクラスは4月から始まっています。なかなか皆の希望にそえません。

2017-05-17 13:03:03 | 日本語学校
曇り。

今日も20度には至らないようです。なかなかコートが手放せません。

ひと頃、25度を超す日が続いていたのですが、今は、また5月の通常の気温に戻っています。とはいえ、自然界は正直ですね。上がったり下がったりする気温はそっちのけで、鳥たちが賑やかな戦いに明け暮れています。

お隣の屋根や軒のあたりが、どうも、その戦場のようで、鳥たちの喧しいこと。4,5羽で、よく喧嘩しています。それを見ていた教員が、「あっ、1羽抜けた…。」どうも1羽、力負けして…でしょうね、落伍したようです。

先々週頃までは、朝、誰もまだ来ていないころは賑やかでしたが、人が増えてくると、黙りを決め込むか、どこへやら飛び去ってしまうかしていたのに、最近はその余裕もなくなったのでしょう。人がいようがいまいが、おかまいなしに騒いでいます。

人声でうるさいのはたまりませんが、小鳥たちであったなら…と、多少忙しないなと思いながらも、皆、寛大に見ています。

さて、学校です。

すでに5月も半ばを過ぎたというのに、チラホラと、日本語を学びたいという人がやって来ます。

新学期は既に始まっていて、もう一ヶ月が過ぎようとしています。もちろん、(言語方面における能力の)個人差はありますし、異なった事情もあるでしょうから、一概に「無理です」とは言えないのですが、お金のかかることでもありますから「次にした方がいいですよ」とは勧めています。

この学校は4期あって、次に留学生が来るのが7月、それまで一応待って、それで、もし、まだ勉強したいというのなら、6月末頃にでもまた連絡くださいと言って帰ってもらうのですが。

何とも悩ましいのが、次の7月に必ず『初級Ⅰ』が開講しますと言えないところ。4月であったら、ほぼ100%の確率で開講するので、自信を持って言えるのですが。

もし、7月に来る学生達のレベルが、一様に高く、『初級Ⅱ』から始めても大丈夫のようであったなら、『初級Ⅰ』は簡単に復習程度でさらって、すぐに『Ⅱ』のほうに移った方がいいのです(なにせ、7月生は4月生よりも三ヶ月足りないので、三ヶ月分、不利なのです。特に大学に行きたいと言う学生にとっては)

そうなると、「ひらがな」も書けない、「カタカナ」も書けない。しかも、それほど勉強する習慣もないと言う人は、その進度についていけなくなってしまいます。

あくまで、「留学生」が主ですから、その、彼らのための授業に、ついて来られる人はどうぞという感じになってしまうのです。

在日の人たちには、それぞれ個人的な理由があってやって来るのですが、そういう人を、留学生の中で教えていくということはなかなか難しいことです。それを本人がわかって我慢してくれればいいのですが、最初にその旨を説明しても、1週間も経ちますと、やはり不満が出てきます。

たとえば、「来日後、既に10年以上経ち、一応日本人とコミュニケーションはとれる。ただ漢字が書けないのでやってきた」人。こういう人には、どのクラスが好いですよとは言えません。どのクラスに入っても、結局、不満が残るのです。

いくら注意しても、不適当な助詞をつけたり、助詞なしで話すという癖は抜けきれません。それで長い間やって来ていますから。最後には、注意した方が、嫌がられてしまいます。そして、「適当に言っていても日本人はわかるから構わない」などと言われてしまいます。私が勉強したいのは漢字だけなのに、余計なことを注意する…くらいのつもりなのでしょう。こちらにしてみれば、だから言ったじゃないなのですが。

こういう人は一斉授業には向きません。数年でも日本で暮らしているのなら、それなりの人間関係はできているはず。そこで漢字を教えてくれるような友だちを見つけるしかないと思うのですが。

もちろん、その中でも、きちんと自分に必要なことだけ学び取って行ける人もいるのですけれども。

日々是好日

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漢字の練習でカルチャーショックを受け始めたネパール人。

2017-05-16 08:43:32 | 日本語学校
晴れ。

早朝、雲が垂れ込めていました。今日も昨日のような天気になるのかしらんと思っていたのですが、いつの間にか薄日が射し込み、あれよあれよという間に、雲がドンドン切れていき、今では青空だけが広がっています。

太鼓の音や子供たちの応援の声が似合いますね、この空に。今度の日曜日にでもあるのかしらん、運動会。時折聞こえる先生方の声も、心なしか、だんだんリキが入ってきているような気がします。

さて、学校です。

新入生たちは、この一ヶ月、かなりのカルチャーショックをうけていたようです。特にネパールからの学生たちですが。

ここ数日、漢字の基本功(跳ねや止めなど)を筆ペンを使ってやり始めてから、こちらの態度も少しずつきつくなっています。いすの座り方、だらっと座っては書けません。紙の置き方、斜めに置いていたのではまっすぐな線が引けません。

デンマークからの学生は、「どうしてこんなことを練習するのだ。コンピューターに打ち込めば、字が下手であろうと上手であろうと関係ないであろう」と来ました。まあ、「聞けて、話せるようになれればいいという彼からすれば、無駄なことなのでしょうが。

ただ、留学生たちは、日本語学校で2年近く学んだ後、専門学校や大学、大学院に進み、それから、日本の会社に入りたいという希望を持っています。日本語学校が終わってからすぐ帰るという人は稀なのです。

両親や一族の金をかき集めて来ていたり、それでも足らなかった人は、来日後返すというような形で借りて来日しています。それが私たち、日本人などが、普通「思うところの留学」とは違うところなのです。

日本人が他国へ留学する場合、異文化を感じるとか、言語の勉強をするとか、目的ははっきりしているようでいて、どこかしら漠然としています。これはあまり経済的な苦労がないというところから来ているのかもしれません。このデンマークからの学生も同じようなもので、彼女と日本語で話せればいいくらいのもの。目的が日本語学校にいるような留学生たちとは違うのです。

とはいえ、彼のように三ヶ月の旅行ビザで来て、日本語学校に在籍し、その間勉強したり、旅行したりするという人も時々見受けられます。今迄にも、台湾からの大学生がそうでしたし、中国本土からも、日本の大学院に入りたいという大学生が、夏休み中に来日し、日本語を学びながら、大学院をいくつか回っていたこともありました。

ですから、こういう人たちには、あらかじめわかっておいて欲しいのです。ここでは、「読む」「聞く」「話す」「書く」の4つの領域を、出来ればバランスよく身につけられるように学ばせるのが目的であるし、日本文化等の知識めいたものは、少なくとも「N3」レベルに達していなければ、導入していけないのだと。

ここは、大学の講座めいたものでもありませんし、文化紹介といったクラブでもないのです。単に簡単な会話が出来ればいいといったものでもありません。漢字だけ勉強したいとか、話せるようになれればいいといった人は、マンツーマンで教えてくれる人を探した方がいい。

この学校では、非漢字圏の学生達でも、できれば、2年近くで、「N2」レベルを超えて、「N1」レベルまで持って行きたいし、そのためには、つまみ食い的な勉強はさせられないのです。実際、そういう時間はないのです。

これまでにも、日本の大学を卒業したけれども(多分、現地から直接日本の大学に入ったのでしょう)、漢字がわからなくて日本の企業に就職できない、だから日本語学校で漢字だけ勉強したいと言ってきた人が幾人もいました。みんな断りました。無理なのです。一斉授業ですから。

大学四年間、大学での講義は英語であったとしても、大学で日本語の授業もあったでしょう。それに、日本に4年も住んでいるのですから、日本語で話したりすることもあったでしょう(留学生はほとんどが日本人と話したこともない人たちです)。卒業後も、帰国するでなし、英語圏の国に行くでもなし、日本にいることを考えていながら、そういう機会をきちんとものにせず、英語で何でもできると考えていた…。これが本当なら、これはこれで大変なことです。

近くにいた人が、だれも注意をしてやらなかったのかしら。


大学でも、日本で働きたいのなら、日本語は必要であということをきちんと教えていなかったのかしらん。就職活動をして、漢字の必要性に気づき、慌てた。また大学生のころは、テキトーな日本語であっても、誰も何とも言わなかったでしょうから、高を括っていたのかもしれません。それにしても、仕事をすると言うことは、仕事を与える側が金を払うと言うことです。書かれた書類の字が読めなければ、第一、必要とされないでしょう。

留学生たちの最終目的は,「日本で働く」ということです。そのために必要な日本語をまずはきちんと習得し、それが出来てから、日本の習慣ないし、文化を読み物やDVDを通して身につける…。日本語がそれほどできていない人に日本の習慣や文化を話しても、上っ面を走っていくだけで、身にはつきません。知識にもなりません。

ここは日本語学校ですから、まずは「日本語」なのです。

日々是好日

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草木の花の名前。

2017-05-15 09:23:17 | 日本語学校
小糠雨。シトシトとまだ降っています。

昨日も、時折、日が射していましたが、ほとんど雲に覆われていました。お天気もそれほどよくはなく、沖縄や奄美地方が既に梅雨入りしたというのもわかります。まだ5月ですから、こちらではまだまだ先の話でしょうけれども。

学校に来るとき、そして帰るとき、だいたいいつも同じ道を通っています。ですから、だいたい覚えているのですよね、いつごろ、どの辺りに、何の花が咲いているのかを。もうそろそろと思って見ていると、ある日、咲いているのを見つけたりする。

残念なことに、子供のときは、草花の名に詳しい人がそばにいたので、こちらが何も聞かなくとも教えてくれていたのですが、こちらに来てしまうと、そういう人もいません。近隣の低山に登っていた頃には、やはり植物好きの人がいたので、教えてくれたりしていたのですが、それも遠い昔の話。

この辺りの草花の名は、これまでの蓄積でわかるものもあれば、植物図鑑で調べなければならないものもある…とはいえ、海の近くの草花で、山の草木とは違う。で、多少ですが、悪戦苦闘したりしています。

ただ、インターネットが発達し、本当に便利になりました。えっとー、前に聞いたことがあったのだけれども,…何だったっけ。というのがすぐにわかりますもの。

もちろん、図鑑が、ぼんやりと見て遊べるので、一番楽しいことは楽しいのですが。

さて、学校です。

数年前、内モンゴルからの学生が多かったのですが、彼らと課外活動に行ったときが、一番、面白かった。

「すごい。ええっ。木に花が咲いている」「……」
「あの木は病気ですか。葉が赤い」「……」

彼らにしてみれば、そうなのでしょう、多分。日本の木の種類の豊富さに、何だか掴み所のないものを見せられたような気になってしまっていた…のかもしれません。日本人からすると、山に雑木が少なくなったとか、採算ばかり考えられて単一の木ばかり植えるようになったとか、そういう不満が山ほどある…ような所なのですが。

香りが漂ってくると、「これは何の花ですか」と真っ先に聞いてきたのも彼らでしたし、「あの、黄色とか、白とかの小さな花が咲いているのですけれども、あれは何という花ですか」と聞いていたのも彼らでした。もとより、答えられたものも、答えられなかったのもありましたけれども…。だって、調べようがなかったのです。「どこそこ」で見たと言われても、その「どこそこ」がどこかわかりませんでしたもの。

この地の自然に慣れた日本人から見れば、四季に即して、それぞれの季節の花は咲くし、散るときがくれば葉は落ちる…。

時期が来れば、いろいろなところで、様々な花が咲く…その中には、日本原種のものもあるし、欧米から運ばれてきた種もある。華やかな南国風のものもあるし、北国のどっしりとした樹木もある。狭い日本でも、山もあれば谷もあるし、海も川もある。それぞれの土地に根づいた樹木や草花が、その時が来れば、美しい花を咲かせ、実を付ける。

たとえば、「さくら(桜)」にしても、…沖縄から北海道まで、(「サクラ」)花見旅をして半年ほどは楽しめる。

…とは言いましても、私たちにとって、内モンゴルは、乾燥した、ザラザラした土地でした。その木々にも茶色い土が掛かり、心が癒やされるような緑ではありませんでした。かつては丈高い草原が広がり、美しい土地だったと聞きましたけれども。

また、南国にしたって、その緑は、圧倒されるような緑で、私たちにとっては、「癒やされる」といったものではありませんでした。

まあ、こういうことも、どの土地で生い育ったかによって、受ける感じが違ってくるのでしょう。

南国で育った人にとってはその土地の自然が一番親しめ、砂漠地帯で育った人にとっては、砂だらけの土地であっても、その「風景」が一番落ち着くものでありましょうし…。

日々是好日

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最初の一ヶ月ほどは、教室も落ち着きません

2017-05-12 08:35:22 | 日本語学校

風薫る5月。薄曇り。

陽が高くなれば、きっと青空が出るでしょう。今朝も元気な子供たちの声がさざ波のように伝わってきます。直線的な音は大太鼓のドンドンだけ。時折、応援団長でしょうね。皆を力づけるように張り上げられた高い声が聞こえてきます。

さて、学校です。

まだ20歳になっていない留学生が、スマホを買うために、あっちを訪ねたり、こっちを訪ねたりしています。20歳になるまで待てとは、…やはり生活費くらいは自分の力で稼がねばなりませんから、そうはいかないのでしょう。

スマホがあって、銀行の口座さえ開ければ、まずは来日したばかりの学生でも、アルバイトに困るということはないのです。

日本語がほとんど出来ないという学生なら(これは国によって違うのです。例えばネパールの場合。日本語が達者なネパール人は、日系企業に勤めるか、ガイドとなるか、あるいは起業しているかしています。ですから、彼らの日本語教師で、私たちと日本語で意思の疎通ができる人というのはめったにいないのです。

ですから、来日できたネパール人学生でも、これは本当に「一から」教えていかねばならないのだなあと思わされる人が少なくありません。

ベトナム人の場合、ベトナムの日本語学校の方に、『みんなの日本語』の50課まで教えておいてくれるように頼んであります。もっとも、おそらく「N5」の試験は彼らが30課くらいのところであったのでしょう。「50課までやりましたけれども…大丈夫なのは30課くらいまで」という学生が多いのです。

スリランカの学生も、ある程度は話せ、聞き取れます。ただし、彼らの書く文字に問題があるのです(これは、ネパール人と同じ)。ノートを75度ほども傾けて書くから、そうなってしまうのでしょうが、「それはだめ」と、ノートをまっすぐに置くと、今度は体を捻って書き始めてしまう。いずれにせよ、「ひらがな」「カタカナ」に問題が出る。

例えば、カタカナの「ト」と「イ」。見分けがつかないような字を書く…全く同じ形になってしまう。考えてみれば、斜めに書いているわけですから、「イ」も「ト」も同じような字になるのもわかる。…が、これでは困る。。

一応、ブラッシングというような意味合いで、「ひらがなの書き方」から 始めるのですが(「N5」レベルの試験で、既に300点を優に超えているようなベトナム人学生は、4月生であっても、一月生…三ヶ月前に来た学生と一緒に勉強させていますが)、こうなりますと、「自分はそんな簡単なの、やりたくない。できるから」とばかりに、欠伸をしたり、口頭練習をサボったりする者も出てきます。

スリランカやネパールの学生は、ある程度話せても、漢字が全くと言っていいほど書けないのです。

学校では、『初級Ⅰ』の時に「N5」の漢字を、『初級Ⅱ』の時に「N4」の漢字をやっています。それで、『Ⅱ』の教科者をやりたいと言っても、漢字がゼロだと身動きできなくなるのが目に見えていますすから、まずは漢字を覚えるように(どちらにしても、ひどい字ですから)言うのですが、それが、どうもわからないレベルの人もいて(説明しようにも共通語がない。勢い、二年生に頼むのですが、さて、どれだけわかるでしょうか。想像できない世界のことは、ストンと落ちていかないものですから)。

というわけで、最初の一ヶ月ほどは、教室も落ち着きません。もちろん、彼らの国で、バランスよく日本語を勉強してから、留学してきているとは思っていませんが。

日々是好日

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覚えられなかったら、ちょっとでも書いておけばいいのに…。

2017-05-11 09:13:22 | 日本語学校
晴れ。

昨日とはうって変わって、五月晴れ。洗濯日和です。

朝は、涼しく、爽やかであっても、陽が高くなるにつれ、気温がドンドン上がっていき、昨日より10度ほども高くなるそうですから、…学生達は何を着てくるのかしらん。夏に戻った格好をしてくるのかしらん。

昨日、いくら寒かったといえ、一応5月ですよね。それなのに、午後からの4月生たち、真冬の格好でやってきました。「そうか、体感温度としては、そうなんだ」とは思ったものの、体が慣れるまで時間がかかるだろうと気の毒になってしまいました。その格好で、皆一様に、寒い、寒いと言っていましたもの。

さて、この4月生たち、特にスリランカとネパールから来た人たち、どうしようもないくらいひどい「ひらがな」と「カタカナ」を書いていましたので(おまけに正確さに欠ける)、(そちらを中心にやり)漢字に入るのを少し遅らせていました。

それでも、できない人はできないのです。「少しは覚えようとしろよ」と言いたくなるのですが、例の「教室のいすに座っていれば」というか、「そこで適当に言っていれば勉強した気になる」類いの人が若干名紛れ込んでいるようで、…少し手に余る。

前に出して、ホワイトボードに書かせ、そこで注意を与え、書き直させても、次の時には全く元に戻っていて平気な顔をしている。ああ、そうかといったもんです。それを担任に言うと、次の回どころか、同じ時間内でもそうと苦笑い。

「これは一朝一夕には直らない、かなり手強いぞ」と改めて思い知った次第です。で、こんなこともあったと「な形容詞」の導入の時のことを話してくれました。板書しているのに、それを見ているのに、何度言わせても、何巡しても、「げんきなじゃない」と言って平気な顔をしている。注意すると憮然とする。これが二人。

しまいには周りのネパール人が、あきれた顔をして(多分、教師の顔色を見てでしょうけれども)、教えるのですが、「聞く耳持たない組」、ちょっとうるさそうな顔をしている。

そういえば、前に「年、月、日、時間」を一人ずつ順に言わせていったことがあったのですが、四、五人目でしたか、その人の番になった時も、正しくは言えなかったのです。2、3カ所間違える。その前にみんなで何度も練習しましたし、彼女の前にも何人か言っているので、メモを取るとか、一緒に言ってみるとか、やり方はあったでしょうに、まずそういうのをやらない。それに困った風でもない。

そこでまた、数回練習させ、数人言わせてから、また当ててみる。何度繰り返しても、間違えたところは間違えたまま。ちょっと書いておくなりすればいいのに…。

最初は、「しなくてもできると思っているのかしらん」と勘ぐっていたのですが、実際はそうするようにという指導を受けてはいないのです、これまで。いわゆる「耳だけの教育」を受けてきたので、それができない人はずっとできないままでいる…しかなかったのでしょう。

日本の場合、「これでだめなら、ああして」、「ああするのがだめなら、今度はこうして」と、二段、三段構えで教えていくところがあるのですが、彼らの国の場合、やりっ放しなのかもしれません。

日本では、出来る子の方が却って可哀想で、出来るからと教師が手をかけないところだってあるくらいなのです。出来ない子の方に目を向けるよう教師も育てられているのです。けれど、それでは問題があると、最近は同じ教科書の中に、三段階くらいの問題が作られ、なんでも、「(その教科が苦手でも)最低これだけは出来るようにする」から、「やる気のある人はドンドンやってみよう」まであるそうです。そうすれば、教師が出来ない子に手を取られている間も、やることがありますものね。

ただ、そうではないやり方で育てられてきた人たちに、新たな習慣を付けさせるというのは、思いの外に大変なことのようです。覚えられないときは、(覚えられるように)手段を講じる…という習慣は、子供のときについていないと、いくらこちらが口を酸っぱくして言っても、焼け石に水…で、ある人もいるようですから。

日々是好日

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今日は寒いです。

2017-05-10 14:39:38 | 日本語学校
小雨。

梅雨の走りか、雨や曇りの日が多くなってきそうです。五月晴れなんて言葉も、何だか浮いて聞こえます。

今日は肌寒いくらいです。五月なのに、海沿いの地であるのに、気温の日較差がかなり大きく、安心していられません。気候は緩やかに推移し、四季が比較的はっきりとしている…それが自然災害の多発する地に住んでいても救われるところでありましたのに。

とはいえ、草花は一時の寒暖に左右されることなく、「生真面目」に、姿を見せてくれます。ホッとしたときに、草花に気づいて、「ああ、もうこんな時期か」と思うのか、草花に気づいて、ホッとさせられ、その時期を知るのか、まあ、前者でありましょうけれども。

さて、学校です。

昨年の学生達は、ほとんどが、「A・Bクラス」に入っているのですが、素質的に見れば、「Aクラス」と「Bクラス」の学生に差なんてほとんどありません。来日したのが4月か、7月か、10月というだけの違いで、進度に差があるくらいのものなのです。ただ4月生クラス(Aクラス)の学生は、授業中、寝てしまう学生がほとんどいないのに対して、「Bクラス」の学生は、寝てしまう学生が多いというのも事実なのですが。

とはいいましても、この「寝てしまう学生」というのも、4月生クラスから落ちてきた学生に見られるところで(なぜか皆スリランカ組です)、ベトナム勢や7・10月生は寝てはいないのです。

もちろん、個人差はあるのですが、ベトナムは東アジア圏(中国文化圏)と言えなくもないし、それに比べ、スリランカ勢は、それとは異なったインド文化圏に属していると言えなくもない。

ベトナム勢はやはり、漢字に対して、スリランカやネパールから来ている学生達とは違った気持ちを持っているようで、漢字に対してはかなり頑張れるのです。

一方、スリランカやネパール、インドといった国の人たちは、ただただ「面倒な」感がぬぐいきれぬようで、「『ひらがな』を覚えたら、次に『カタカナ』。『カタカナ』が終わったら、今度は『漢字』、一体どうなっているんだ」くらいの苛立ちはあるようです。

「聞く」「話す」だけで、「どうにかしてしまおう」と思っているようですが、学校にいる間は「どうにもなりません」。「中級」に入れば、「読む」量が増えてきますし、それに伴って「漢字」の量も増加します。漢字だけは、誰か日本人と友だちになって(楽しく)話しているうちに上手になる…とは、いきません。読めればいいと漠然と見ているだけでは、パソコンに打ち込むときに(同音異義語も多いので)選択もできません。

「コツコツと蟻さんのように弛みなく」が必要になってくる部分が、おそらくどの言語にもあるのでしょうが、日本語の場合、ローマ字は別にして3種類の文字があり、それがおそらく彼らにため息をつかせているのでしょう。

もっとも、比較的速く漢字が覚えられたという人もいることはいるのですが、その人は見えないところで、かなり努力していたのです。ぼんやりしているうちに覚えられたとか、日本にいてアルバイトしたから覚えられた…そんなわけはありません。まずは「コツコツ」するしかないのです。

まだ「N5」の漢字であったら、比較的ニコニコしていられても、級が進み、「N3」漢字になった頃は、頭を抱えてしまいます。

一年経ち、2年経ちしていくうちに、こんなはずではなかったと、来日を後悔する人も少なからずいるはず。…そう思って学生に聞くのですが、後悔したと答える人はいませんでした。

まあ、それぞれ目的があってきたからかもしれませんが。ただ、勉強がどんなに大変でも、また、全然覚えられていなくとも、苦に病むという習慣がない人もいることはいるので、こちらの方がため息をつかされると言うことだってあるのです。

日々是好日
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チェックしたり、メモしたりするということ。

2017-05-09 09:53:40 | 日本語学校
曇り。

今日、お天気は下り坂になるそうな。最近は2、3日に一回は雨が降っている…ような気がします。日曜日の雨は強烈でしたけれども。

今朝も、近くの小学校から運動会の練習でしょうか、子供たちの声が聞こえています。あれは、時々太鼓の音も入っていますから、きっと応援の練習でしょうね。子供たちは精一杯声を張り上げて叫んでいますけれども、少し遠いせいか、なんと言っているのか、はっきりとはわからない。単純な「フレー、フレー」や「赤勝て」「白勝て」などではなく、もう少し長い「フレーズ」であるような気がします。太鼓の音も、速くなったり、ゆっくりとなったり、緩急備えた、きちんとしたもの。

急ごしらえの応援団などではなく、吹奏楽部があって彼らが駆り出されているのかもしれません。

さて、日本語学校の方です。

新入生も1か月ほどが経ちますと、単なるお調子者であるとか、考えることができる学生であるとか、子どものように後追いしてくるだけで自分では何も決められない人であるとか、まあ、そこそこ、私たちにも感じられるようになってきました。

「うちで学習する」という習慣は、スリランカやネパール、ベトナムやフィリピンなどからの学生には、あまりないようです。そういう生活環境というか、教育環境から来ている人が多いのです。また、たとえそういう習慣が多少ついていたとしても、学校での勉強、アルバイト、食事の用意や洗濯、部屋の掃除などに追いまくられ、「忙しいです」と行っているうちに一年が過ぎ…してしまう学生も少なからず…というより、そういう学生の方が多いのかもしれません。

時間を考えながら(大まかでも計画を立てて)行動するという習慣はもっとありませんから、うちでの勉強は、こちらとしても最初から考えない方が気が楽なのです。

それで、こういう習慣がそれほどなくとも、毎日学校へ来て、眠らずに勉強さえできれば、この一年か1年半で「N3」合格程度にはなれるようにカリキュラムを組んでいます。宿題も、最初の三ヶ月程度、つまり『初級Ⅰ』までは、厳しく提出するように言いますが、アルバイトが始まってしまうと、学生の方も疲れ果て(慣れないもので)、それどころではなくなってしまいますから、(そのときに無理をさせてしまうと、授業中眠ってしまうと言うことにもなりかねません)「出来るときにやって、やったら提出すればいい」とこちらも気を緩やかに持って、対処することにしています。

もちろん、その日に提出する人の方が多いのですが、こちらが「提出させる」ことにシャカリキになってしまいますと、本来の趣旨からどんどん離れていき、互いに辛いことにもなりかねません。南国の人相手には、まず「おおらかな気持ちで」というのが大切なことなのでしょう。

とはいえ、一番文句を言っているのは私なのかもしれませんが。

ただ、メモを取るとか、わからないところをすぐチェックするとか、そういう習慣がないのには泣かされます。今でこそ、「はい、ここチェック」とか、「間違えたらすぐに印を付けろ」とか、「メモをしておけ」とか言うようにしているのですが、最初はそんなこと、大人相手に言うわけにもいかないと思い、イライラしていました。だって、何度注意しても、聞き流されてしまい(返事はちゃんとします。わかりましたとも言うのですが)、「この人たちには言うだけ無駄か」という気になっていましたから。

そう言いましても、間違える箇所は一人一人違います。その人ごとに違う箇所を、一人一人にチェックをするように言うのは、お互いにかなりうざったいこと。しかも相手は二十歳過ぎが大半ですから、本来ならば、「そんなことまで言われたくねえよ」と言われても仕方の無いところでしょう。30歳近い人もいましたし。

もちろん、「(日本に来てしまえば)おいらの勝ち」とばかりに、ふてぶてしい態度を取る者もいましたが、それはごく少数で、大半は言われれば、そこをチェックしたり、メモしたりしています(ただ、メモしてもどこに書いたかを忘れてしまうので、教科書が一番確かであろうと思っています)。

これが、言われなくても、自分で出来るようになってくれれば好いのですが、それが難しい。できる人はこちらが何も言わなくてもやっていますし、できなかった人は言ったときこそ、メモしたり、チェックしたりするのですが、放っておくとすぐにやらなくなってしまいます。

結局最後まで上のクラスにいることができる人というのは、そういう習慣のついた人ということになるのでしょう。出来れば、みんなそうなって欲しいのですが。

日々是好日

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